4.邪竜召喚
レオハルトの不穏な申し出に一晩中悶々として明けた朝。
徹夜くらいなんともない体力づくりはしているものの、若干の眠気を引きずったまま朝食をとっていると、先に食べ終わった父上が事もなげにつぶやいた。
「昨夜、ラースが逃げたそうじゃ」
「……はい?」
ラース。ラースといえば、先の『乙星』騒動でエリザベスに横恋慕し父上の怒りを買ってドルロイド元公爵(身分剥奪済み)と蟄居中の、ラース・ドルロイド?
確認したいが「エリザベスに横恋慕」のあたりで父上のマジギレ顔を思い出したオレは口をつぐんだ。
「ドルロイドのやつ、早馬を飛ばして知らせてきよったわ」
父上が手元の紙を差しだす。そこにはたしかにドルロイド父の名と、ラースが不可解な魔法陣を残して姿を消した旨、震える文字で書かれていた。
用件を伝えたあとは、私は知りません、断じて関わっておりません、ラースにどのようなお咎めがあろうと文句は言いません、という命乞いと言い訳がごっちゃになった文面がつらつらと続く。
なるほど、一緒に住まわせていたのはこのためか。
どちらかが怪しい動きをした場合、保身に走ったもう一方が通報してくると。……隠すより正直にバラしたほうが保身になるという損得勘定ができているあたり、父上のマジギレは相当に怖かったらしい。
「魔法陣というのは……」
「目星はついておる。いまドメニクを向かわせている」
「ではいずれ報告が入るのですね」
ドメニク・マーシャル侯爵は魔法省トップであり、オレの家庭教師を務めるだけあって能力も申し分ない。唯一の欠点といえば息子が変態であることくらいだ。
「それで、何か手は?」
「打たん」
「どういうことです!?」
「そのままの意味じゃ、これ以上は手の打ちようがない」
「ラースを捕らえる策をとらないのですか?」
驚いて問い返すオレの前で、父上は悠然とフルーツをつまんでいる。
カッと頭に血がのぼった。
「ラースが逃げたのなら、エリザベスが狙われる可能性が高い。そのくらい父上もおわかりでしょう。ラースの居場所をつきとめてエリザベスを守らねば――」
つい語気が荒くなり、……しかしそこまで言って、気づいた。
そう、ラースは99.9999…%の確率でエリザベスの元へ現れる。エリザベスモンペの父上が、それをわかっていながら対策をしないというのは。
「ラ・モンリーヴル公爵閣下、ならびに御令嬢エリザベス様、ご到着です」
「来たな。入れ」
オレがたどりついた答えが、部屋の外から告げられた。
父上の許可と同時に扉が開く。
そこにいたのは、眉を寄せた公爵殿と、不安げな表情で隣を見つめるエリザベス。
そして、エリザベスの視線を受けとめ楽しげに翼をはばたかせている、小さな黒竜――
「深夜に早馬を送りまして申し訳ありませんでした、陛下」
「よい。ドラゴンが現れたとなっては国の一大事じゃ。ようやく説得に応じたか」
「はぁ、娘になついておりまして。娘が行くところなら行くようです」
「おはようございます、国王陛下、ヴィンセント殿下。突然の訪問をお許しくださいませ」
話を向けられて、エリザベスは困惑を顔に浮かべたまま膝を折った。
オレはなんとか「あぁ、おはよう」という挨拶を返す。しかしオレがしゃべった途端、ドラゴンは「きゅいいぃっ」と甲高い鳴き声を立てて目を光らせた。
比喩ではなく、黒かった目が炎のように赤く染まったのだ。……完璧に威嚇されてるな。
嫌な予感が、予感ではなくなって目の前に現れた。
ラースの逃亡、残った魔法陣、エリザベスの訪問、彼女になつく黒いドラゴン……これらから導きだされるのは。
「ラ、ラース様! おやめください、ヴィンセント殿下に怪我をさせては困りますっ!」
焦った声をあげ、エリザベスがオレの前に手を広げて立ちはだかった。華奢な背中に必死さがただよっていてぐっとくる。
おまけに浮遊するドラゴンからオレを守るためには身長が足りないと気づいたらしく、「殿下、しゃがんでくださいませっ、わたくしの背後に!」と鋭い声を飛ばしてくる。
か、かわいい。悶絶。
……ではなくて。
「そのドラゴン、やはりラースなのか……」
「きゅいっ」
名を呼べば、黒竜はラースとは思えないかわいらしい鳴き声を返した。しかし反応しているということは、ラースなんだな、やっぱり。
まじまじと見つめると黒竜もまた首をかしげてオレを見る。つぶらな瞳にあまり知性は感じられない。ついでに威嚇されたときにも魔力の動きはなかったし、本気でオレに手を出そうとしていた場合すでにハロルドが一撃を食らわせている。
「大丈夫だ、エリザベス。ラースに危険はない。……まだ」
「そうなのですか? けれど、ドメニク様もこの子を捕らえることはできなかったのです。顔をひっかきまして……」
「魔法は使わなかったのだろう? 生まれたばかりで魔力がほとんどないんだ。これから徐々にたくわえていくだろうが、いまは何もできない」
「そうじゃな、ドメニクの見立てもそのとおりであった」
父上がうなずく。
ついでにラースとしての記憶もあいまいになっているようだ。
エリザベスになつき、オレに敵意を向けつつも、本人(?)にもいまいちその理由がわかっていないらしい。
ラースの人格がきちんと残っていれば、力を蓄え、実力行使でエリザベスをさらうくらいのことはしてもおかしくない。それを望んでドラゴンへと身を落としたのだとしたら、いまの状況、悪いことはできないというか……。
「しかしなぁ……」
もう一度ラースを眺める。漆黒の鱗に覆われた身体、さきほどは眼球のみであったが、怒りに反応し紅く燃えるその特徴は、神話に伝えられる《
いまは国々に別れた大陸が一つだったころ、聖なる王によって封印されたと語られる邪竜だ。
邪竜。
お伽話にしか出てこないその言葉の響きを、オレはつい最近聞いた、というかセレーナ嬢からの手紙で読んだ。
ラース……。
お前が邪竜になるんかいっ!!!!!
声には出さず心の中だけで、しかし盛大につっこむ。
これはオレだけしか知らないことなのだが、『聖なる乙女は夜空に星を降らせる』作者のセレーナ嬢によればあの小説には続編の構想があり、そこでは婚約破棄され国を追放された公爵令嬢が暗黒教団と結託して邪竜を召喚、王太子と主人公に復讐を企むのだそうだ。
もちろん邪竜は返り討ちにあう。邪竜を倒すのは、主人公の星の加護の力だ。
なんの因果か、エリザベスを嵌めようとした男が邪竜と化し、こうしてエリザベスにかしずいているとは。
『乙星』騒動にもやけに責任を感じていたから、ラースがドラゴンになったと知れば今度は『ラース人間化小説』を書きそうだな、セレーナ嬢。
「はぁ……」
普段は出ないため息が出た。自分が睡眠不足だったと思い出し、疲れがどっとおしよせる。
あと一刻後には王立アカデミアへ登校しなければならないが、それまでにラースの説得がもう一度必要だな。エリザベスにくっついて学園に行かれてはパニックが起きる。
それからラースが本格的に魔力を得て成長する前に、何らかの措置をとらなければ……。
……王立アカデミア……登校。
そういえば何か忘れているような。
頭の片隅にひっかかるものを感じ、視線をあげたオレの目に。
母上に連れられて、レオハルトとリーシャ嬢が入ってきた。
「「あっ」」