2.新たな物語の予兆
エリザベスに告白した。
エリザベスは腰を抜かし、真っ赤になって、オレは慌てて侍女を呼んだ。突然の体調不良を理由に、エリザベスは公爵邸へと帰っていった。
……告白の返事は保留にしたまま。
それが一週間前、王立アカデミアの春季休暇最終日の話である。
あの日から、オレはエリザベスと言葉をかわせなくなってしまった。
授業の合間に廊下で、または昼休憩時に食堂で。エリザベスとすれ違う機会は多々あるのだが、肝心のエリザベスがオレを避けるのである。
目があえば逸らされる。
近づこうとすれば逃げられる。
話しかけようとすれば護衛の令嬢たちにやんわりと止められた。マーガレット嬢はオレに向かってサムズアップしながらエリザベスを背中に隠したことでそのあとハロルドに小一時間説教されたらしい。護衛を命じているのはオレとオレの父上なのだが、ほかの令嬢も似たようなものだ。
不敬だと言いたいところだが気持ちはわかるぞ。
要するに、オレを意識して照れまくるエリザベスがかわいいのだ。
顔を伏せ、申し訳なさそうに、しかし耐えきれないといった表情で逃げていくエリザベス。揺れる金の巻き毛からのぞく形のよい耳は赤い。ザ・眼☆福。かわいい・オブ・かわいい。
そんな様子を見せられては、オレのほうも強いてエリザベスを足止めしろと命じる気持ちがなくなってしまう。だってかわいいんだもん。
由々しき事態ではあるのだが、打開する気になれない。ついヘラヘラと笑ってしまう。
結果、避けられつづけて一週間。
そろそろオレの網膜にもエリザベスの可憐なる恥じらいの仕草が焼きついてきた。
目を閉じればまぶたの裏に一連の動作が再生される。
最近のオレは暇さえあれば椅子に腰かけて瞑想していたので、そばに控えるハロルドは暇そうだった。
オレのこの記憶、王宮画家にコピーできないだろうか。魔法でなんとかなればいいのにな。それともいまから絵を習うか。絵画スキルを身につけてしまうと毎日エリザベスの肖像を描きそうで自制していたが、背に腹は代えられん。十枚ほどの連作で、頬を染めるエリザベス、目を伏せるエリザベス、会釈をするエリザベス、そそくさとその場を立ち去るエリザベスなどを克明に……。
「殿下、オリオン王国第二王子、レオハルト・ベルリオーズ様との面会のお時間にございます」
脳内展覧会にて回廊に掛けられた
「……そういえば、あったな、そんな予定が」
「一週間の旅程の遅れがあり、今朝方おつきになられました」
椅子から身を起こして目を開ける。愛らしいエリザベスの絵姿から一転、そこにいるのは表情を消した乳兄弟である。
ハロルドに謁見用の上着を着せられながら、オレは久しぶりに会うレオハルトを思い起こした。
一つ下のレオハルトは、
オリオン王国は我が国の北に位置する。国の規模は同程度、互いに不可侵の意志を表明し、たまに身内を行き来させて友好を示すほどには関係も上々。
オレも以前はオリオン王国に顔を出していたし、レオハルトは第二王子という立場上よく我が国を訪れていたから、第一王子であるマリウス殿よりもオレとは親しい。
ただし今回の訪問はいつもの外遊ではない。
レオハルトは、王立アカデミアに一年間の留学が決まっている。
春季休暇中に急遽オリオン王国から打診がきて、おまけに出立の準備が間に合わず結局一週間遅れでの到着、という何やらいわくのありそうな留学だ。
「オリオン王国は王位継承をめぐって派閥争いをしておるらしくてなー。エリたんのいる王立アカデミアでまた変なことが起きなきゃいいんじゃがなー」
と楽しみ八割・心配二割の顔をしていた父上を思い出す。
まぁあの兄弟に限って仲たがいということはないから外野が騒いでいるだけなのだろうし、父上が何も手を出さないのなら、オレはともかくエリザベスに危険はないのだろうが――。
では行くか、と歩みだした途端、ビシリという音とともに何かが落ちた。
絨毯に受けとめられたのは、二つに割れたホーン・ボタン。まだら模様の真ん中からぱっくりいっている。
「……」
「替えを用意させます」
ハロルドは顔色一つ変えずに上着に手をかけた。脱がされながら、ひきつりそうになる顔をなんとかほほえみに固定する。
……変なことが起きなきゃいいんだけどなー。
***
父上、母上、オレのそろった広間に、家令に案内されレオハルトが入る。
否、レオハルトだけではなかった。その後ろからおっかなびっくり、見知らぬ少女がついてくる。堂々とふるまおうという意志は感じられる。しかし顔をあげ前を向いてはいるものの、視線は泳ぎまくり、ひき結んだ口元はぷるぷると震えている。
なんだかとても、憐憫の情をもよおさせる姿である。
流れるような黒髪は青みがかって深く美しく、ぱっちりとした目は黒い瞳を輝かせている。
そしてこの態度、本来は王族の前に出る身分ではないらしい。彼女の背後に整列するオリオン国の従者たちも訝しげな視線を向けていた――なぜここにいるのかと問うかのように。
おや? 何か嫌な予感がするぞ。
「このたびは旅程が遅れてしまい、ご心配をおかけいたしました。レオハルト・ベルリオーズ、参上いたしました」
レオハルトが左足を引き、胸に手を当てて頭を下げる。同時に従者たちもひざまずいた。一人とり残された少女はあわてふためき周囲を見回すと、レオハルトと同じようにお辞儀をした。
……色々と思うところはあるものの。
オレと母上は、父上を見る。一応国王なので、発言権は最優先だ。
「問題ない。おぬしは一回生への編入じゃからな。入学パーティやオリエンテーションのたぐいを飛ばしただけじゃ。うちの者に説明させよう」
父上は鷹揚にうなずくと少女を見た。
「して、こちらのご令嬢は?」
「申し遅れました。こちらはリーシャ・ヴァロワール……我が国の男爵家の娘です。たいへんに見どころのある者でして、ともにアカデミアへの入学を認めていただけたらと思い連れてまいりました」
「ほほう。レオハルトが言うならよいぞ、認めよう。リーシャ嬢、そなたにも部屋を用意しよう」
視線を向けられ、リーシャ嬢は緊張の面持ちで頭を下げる。
「は、はいっ! 過分な光栄にございます! わ、わたし、えぇと……頑張りますっ!」
どうやら言葉が出てこなくなったらしい彼女が雑にまとめるのを、レオハルトは笑顔で見守っている。おかしなところは何もない、という体で。いやおかしいところありまくりなんだが。ツッコミが一つじゃ追いつかんぞ。
父上はあくまで優しげな表情を作っているが内心では裏の事情を考えているはずだ。
第二王子が留学先にわざわざ令嬢を同伴するなど色恋沙汰以外に考えられない。
母上は……あっ、目がギラギラと燃えている。レオハルトの言うとおりリーシャ嬢に光るものを感じる一方で、全体的に礼儀作法について気になる部分がありすぎるといった顔だ。母上もどこからつっこめばいいのか考えているらしい。
エリザベスと出会ったオレが
「レオハルトも、リーシャ嬢も、わからないことがあったらぼくに聞いてくれ。王宮のことも学園のことも、気軽にね」
なんとか話を逸らし母上の教育ママ魂に火が点かぬようにせねば、客人たちに何をするかわからない。
そう願ったオレの思いに応えるかのように、というよりは、応えたうえで想定外すぎる威力を上乗せしてきたというべきか。
「それはありがたい。今回の留学では伴侶となる方にもめぐりあえたらと思っているのです。……ぼくの好みは、金色の髪に、紫色の瞳なのですが」
知っていたら紹介してくださいね、と。
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべたまま、レオハルトは言った。