1.ヴィンセントの告白
感情を映さぬ目がオレを見下ろす。
突き刺さるような視線は二つ。父上の隣には母上も並び、実の息子に向けるとは思えない冷たいまなざしを投げている。
オレは息をすることすら忘れ、蛇に睨まれた蛙のごとく立ちつくしていた。
玉座の間にはどくどくと早鐘をうつ心臓の音だけが響く。
父上はなげやりなため息をつくと首を振った。母上も眉を寄せる。
「ヴィンセント、そなたの弱腰には失望した」
「そうですわ。愛を告げる勇気もない者にエリたんを任せてはおけませぬ」
外では稲妻が空を裂き、雷鳴が
なんだ、これは――。
思わず周囲に視線を走らせたオレに、父上はおごそかに告げた。
「国王の名をもって、そなたとエリたんの婚約を破棄する」
「な……!?」
「エリたんを我らの養子とし、王女にふさわしい男を隣国から婿に迎えよう」
「えぇ、それがエリたんのため」
「お、お待ちください父上、母上、そんな――……ッ!!」
「これは決定じゃ」
その一声とともに、見えない力によって、ぐん、と背後へひっぱられた。のばした手は空中をさまよって何もつかめない。
王座はみるみる遠ざかり、オレは奈落の底へと落ちていく。
エリザベス――……!!
愛しい名を呼ぶ叫びは、声にすらならず――。
「……!!!」
ごちん!!!
背中と後頭部に衝撃を覚え、覚醒する。
真っ暗闇から一転して視界は明るい朝の陽ざしにつつまれ、わずかに開かれた窓の向こうでは小鳥たちがさえずっていた。やさしいそよ風にカーテンが揺れる。
背面をドヤした硬い感触を確かめれば、それは幾何学模様をえがく板張りの床……オレは床に寝ていた。
起きあがり、状況を確実なものとするよう呟く。
「夢か……」
まだ痛みを残す頭をさすりながら息をつく。一瞬、「底があってよかった!」と思ってしまった。そのくらい心をえぐる夢だった。
夢……夢だよな?
まさか父上や母上が魔法を使ってオレの夢に侵入したってことはないよな? そのくらいのことは軽くやりそうな夫妻なので本気で怖い。《魔返し》無効化くらいわけもなさそうだ。
おまけにベッドのふちに腰かけ、気持ちを入れかえるために思いきりのびをしようとして……気づいてしまった。
いったいオレは、どうやってベッドから落ちたんだ?
そもそもオレのベッドは王太子専用だけあってキングサイズよりも大きく、三方には彫刻で縁どられた柱と天蓋がついている。そういったものを避けてもっとも落ちづらいはずの足元の辺から、しかも背中を下に落ちたというのは、寝相が悪いってレベルじゃない。外部的圧力を疑いたくなる。
あのひっぱられたような感覚。リアルな浮遊感。
つう、と背筋を冷たい汗が伝っていく。
やはり「このままならエリザベスから引き離すぞ」という警告だろうか。
エリザベスに一目惚れし片想いを続けた日々は、このたびめでたく八周年を迎え九年目に突入した。父上も母上もオレの片想いを面白がっているように見えて業を煮やしていてもおかしくない。
オレの乳兄弟であり親友でもあるハロルドと、その従姉妹のマーガレットが婚約したことで、王宮はお祝いムードになっている。そしてなぜかその『お祝い』のはずの空気が「で、ヴィンセントは?」という無言の圧力になってオレにのしかかってきているのだ。
いえ、オレたちはもう婚約を済ませていますが……とは言えない。オレとエリザベスの婚約は親同士の決めた婚約であり、オレはエリザベスに想いを告げておらず、エリザベスはオレのことなんかこれっぽっちも意識していない。オレはエリザベスに想いを告げられないまま何度も挫折を味わっている。
そんな弱腰で負け犬な男にエリザベスを任せられない――と考えることも、実の息子よりエリザベスを愛してしまっているあの二人ならありえる。
『そなたとエリたんの婚約を破棄する』
父上の言葉が脳裏に響く。
真剣な表情も声色もすべてリアルに思い出せた。もうすぐ春季休暇も終わり。二回期が始まるというのにこのテンションはまずい。
「……待っていてくれ、エリザベス」
次に会ったときこそエリザベスに告白しよう、とオレは決意した。
前回の千本ノックでは足りなかった。
今度はエリザベスの肖像相手に一万本ノックだ。
***
王宮の庭を歩くエリザベスは春の装いに身をつつんでいる。贅沢にフリルをあしらったドレスと、髪を飾る花々。うららかな陽の下で二人並び、池にやってくる小鳥を眺める。
例によって舞台は申し分ない。あとはオレの勇気だけ。
「ヴィンス殿下、見てくださいませ」
エリザベスがふりむいて、金色の巻き毛がふわりと揺れた。やさしげに細められた目元は慈愛に満ちている。
そうだ、この笑顔を失いたくない。
ずっとエリザベスのそばにいたい。ふさわしい男になりたい――!!
エリザベスに気づかれないように、深呼吸。
目を閉じ、心を無にする。
そして目をひらけば、視界に飛びこんできたのは――昨日までに何十時間眺めたかわからぬ肖像を超えて生き生きと美しい、生身のエリザベス。
え、好き。
「好きだ、リザ」
考える前に言葉が出ていた。
言ってしまってから言ってしまったと気づくほど、むしろどうしていままで言えなかったのかと不思議に思うほどに自然な感情の発露だった。
エリザベスは天使。オレはエリザベスが好き。ならば彼女に恋心を告げることはなにもおかしくはない。
頬が勝手にゆるんで笑みを形づくる。簡単なことだったのだ。
知行合一。オレは悟りをひらいた。
降ってわいた天啓にひたりそうになってハッと我に返る。
エリザベスの返事を聞かねば。
そう思って視線を向けると、エリザベスは……先ほどと同じ笑顔のままだった。
?????
意味が伝わらなかったのだろうか。エリザベスの天然っぷりはこちらの想像を軽々と超えてくるからな。
もう一度言っておこう。
「好きだ、リザ。決められた婚約者だからではなく、君自身を――エリザベス・ラ・モンリーヴルという人間に、恋をしている」
好き、の意味が伝わらなかったのかと思い、長めの説明も足してみた。
そうそう、自分のことばかり言っても仕方がないな。エリザベスはオレの求めることがわからずに困惑しているのかもしれない。なんせアウトオブ眼中だった婚約者がいきなり告白してきたのだから。しかも婚約者だからもう婚約してるしな。
「できれば君にもぼくを好きになってもらいたい。ただの政略結婚ではなく、君と恋人になりたいんだ」
エリザベスはまだ反応を返さない。
「……返事をもらえるだろうか?」
さすがにオレも心配になり、ほほえんだままのエリザベスの顔をのぞきこんだ――瞬間。
ボッ!!!! と、音でもしたかのように、エリザベスの顔が赤く染まった。
「……え?」
「で、でんか……! もうしわけありません、わ、わたくし……!」
あまりにも予想外の反応すぎて間抜けな声をあげてしまったオレの前で、エリザベスはへなへなと崩れ落ちた。