完.ヴィンセントとエリザベス
成人パーティから一か月もすれば、『乙星』騒動はぱたりと人の口の端にものぼらなくなった。
激怒したラースに名を呼ばれたセレーナ嬢はしばらく注目を浴びたらしいが、怯える小動物のような対応を繰り返しているうちに貴族の子息令嬢たちは空気を読んでそっとしておいてくれるようになったそうだ。
ノーデン伯とその使用人ウォルターは、ドルロイド公爵家の悪行を暴くための囮であったということになりお咎めはなかった。
感激したノーデン伯はいよいよ鍛錬に励み、一時素行を心配されていたエドワードも父親に付き合って己を見つめ直しているとか。
魔石はドメニク殿の手配によって《魅了》の加護を消去され、ノーデン伯からの献上品として王宮の宝物庫に納められた。
セレーナ嬢から届いていたオレとエリザベスのラブラブ小説もついに終わりを迎えた。全編ひたすらに会話したりデートしたりしていただけだったが最後の見せ場でオレがエリザベスにプロポーズし了承をもらうシーンでは涙腺が崩壊した。なんて未来に希望のあるエンディングなのだろう。
勇気をもらった。素晴らしい小説だった。
***
というわけでオレはいま、エリザベスとともに城下町のサーカスに来ている。
お忍びデートというやつだ。
「見てくださいませ、ヴィンス。トラとゾウがダンスを踊っています!」
興奮気味に、けれども周囲をはばかって声をひそめながらエリザベスが言う。
お忍びデートなので当然『殿下』という敬称はNGだ。せっかくだしヴィンセント様と呼ばれるのも堅苦しいので、ヴィンスと呼んでほしいと言ってみた。それでも気が引けたようで城で練習したときには何度も何度も顔を赤くして噛んでいたが、すっかりサーカスの虜になったエリザベスはもう気にしていない。
「楽しそうだね」
「なんて不思議な光景なのかしら……。あっ、ヴィンス、空中から人が!」
何かあるたびにエリザベスはオレの名を呼んで教えてくれる。そしてオレは練習中のエリザベスのかわいい表情を思い出し、現在オレの隣にいるエリザベスの笑顔との相乗効果で悶絶。
ハロルドはいないにしろ、前後左右の席は当然護衛である。にやけた顔を見られるわけには……わけには…………無理だろこんなん。
ショーをおざなりにするのもよろしくないので五対五くらいで見てはいるが、本当はずっとエリザベスを見ていたい。
エリザベスは舞台に釘付けになっている。金の巻毛から覗く頬はほんのりと染まり、暗がりでもわかるアメジストの瞳がきらきらと輝く。子どものようにはしゃぐエリザベスはかわいらしいのに、ときおり目を細めほうとため息をつく表情は美しい。
やはり天使か……。
最終的にショーとエリザベスの割合は三対七くらいになってしまったがまぁ仕方がないと思う。
サーカスとエリザベスを鑑賞したあとは王都の大通りを歩いた。普段馬車で通りすぎる場所だけにエリザベスはとても喜んだ。
大通りは人でにぎわい、旅行者を相手に土産物屋も多い。
店先に並べられた商品を覗いていると、エリザベスはあっと声をあげた。
「マシュー・マロウ伯爵ですわ!」
指さす先にはエリザベスがくれた逆立ちウサギの像。え、そんな名前だったの。
装飾の多い店の扉には紋章が掲げられている。羽の生えたウサギを囲う月桂冠だ。この見た目だけは平和そのものの家紋は……。
「母上の御実家の紋ではないか」
「そうですわ。マシュー・マロウ伯は王妃様が嫁がれる前にデザインし一大ブームになったもの。縁結びのお守りとしていまでも人気がございます」
「縁結びの……」
「まぁっ、ペンにノートに文鎮も! 本店には限定商品がたくさんありますわ。行きましょう、ヴィンス」
驚いているオレの手を取り、エリザベスは店の中へと進んだ。
手袋ごしのあたたかな手に一瞬で意識を奪われる。
先日のパーティではオレから握った手だが、エリザベスから握られると……心臓が落ち着かない。何かを考えていたというのに。
えぇと、そうだ、エリザベスは縁結びのお守りをオレにくれたということか。色違いのお揃いで。
ん? それって……。
「ヴィンス、わたくし、これにいたします。ヴィンスはどうなされますか?」
なにがしかの結論が出そうになったところで満面の笑みのエリザベスに腕をひっぱられた。見ればエリザベスは買い物用のカゴいっぱいに小物を詰め込んでいる。
それらはすべて二つずつ。
「わかった。では会計はぼくが」
「いえ、わたくしが買うのですからわたくしが払います」
「……でもそれは、ぼくの分だろう?」
違ったら本気で恥ずかしいと思いつつ問えば、エリザベスはあっさりと頷いてくれた。
「そうですが、わたくしが買いたいのです」
「ではぼくからもリザにプレゼントさせてくれないか」
これならどうだ、と提案する。しばらく交渉したのち、エリザベスはとうとう半額支払うことを許してくれた。
しかし自分の買い物だけでは不公平だと言うので、オレも店内を物色し、お辞儀をするカメレオンの刺繍されたハンカチを二枚買った。こちらはフラン・ボワーズ侯爵だそうだ。
なぜこんなモチーフが流行っているのかと疑問だったが、母上の考案とは知らなかった。そりゃ王宮の庭もあぁなる。
複雑な感情にとらわれつつ会計をすませたオレは、先ほど脳裏によぎった疑問のほうはすっかりと忘れてしまっていた。
店を出る頃にはおやつの時間になっていた。
甘いものに目がないエリザベスのために、セレーナ嬢おすすめの甘味屋台に手をまわしてある。さすがに毒味役まで連れて歩くと護衛が多くなりすぎるため店員のほうを王家の手の者にすり替えたのだ。
とはいえ一週間前から見習いとして派遣していたのでちゃんと味は同じ。
店のおすすめは揚げドーナツを串にさしホイップクリームをふんだんに盛ったうえさらにカラメルをかけた一品だ。
甘さとカロリーの暴力みたいなスイーツにエリザベスは目を爛々と輝かせていた。
次なる目的地は大通り添いにある大聖堂の庭園。
季節はまだ春に近い冬で人は少ないものの、庭内はきちんと手入れがされて早咲きの花が楽しめた。傾きかけてきた日がレンガ造りの大聖堂を照らすのも美しい。
先ほど買った小物の半分を腕に下げ、反対側の手には揚げドーナツを握りしめて、エリザベスと並んでベンチへと向かう。
スカートが汚れないようハンカチを敷くとエリザベスはありがとうございますと微笑んだ。
「では、いただきます」
口元をゆるめたままエリザベスは揚げドーナツにかぷりとかじりつく。それにならってオレも一口食べた。
甘い。が、意外と食感が優しくてするっと喉を通る。外はカリッと中はふんわりなドーナツとなめらかなクリーム、パリパリのカラメルが絶妙なハーモニーだった。
「甘くておいしいです」
「気に入ってもらえてよかったよ」
ボリューミーに見えた揚げドーナツは調子よく胃の中に収められていく。はしゃぎつづけた身体に糖分が染み渡る。
「ご馳走さまでした」
食べ終えたエリザベスは串を紙にくるむと手を合わせた。
どきん、と心臓が跳ねる。
これで今日のお忍びデートの行程はおしまい。エリザベスはそう思っている。オレがそう説明したから。
でも本当はそうではなくて。
今日の一番の目的は……。
「エリザベス」
「はい、ヴィンス」
緊張しながら名を呼ぶとエリザベスはすぐに視線を合わせてにこりと微笑んだ。花が咲いたような笑顔に胸の奥がきゅうと締めつけられる。
楽しかった一日、大聖堂と美しい庭園、夕日に照らされた婚約者たち。
舞台装置はばっちりだ。
「エリザベス、君はぼくにとって最高の伴侶だ。これからも共にいてほしい」
「もちろんですわ。わたくしこそ、あなたの背をいつも追いかけているのです」
何のてらいもなく返すエリザベスは、オレがどれほど彼女に焦がれているのかなんて知らない。いつも一緒にいたいと思っているなんて、――彼女にもオレを好いてほしいと願っているなんて、知らないのだ。
でもオレは知ってほしかった。
知って、意識してほしかった。婚約者という立場だけでエリザベスの隣にいるのは嬉しいけれど切ない。今回の騒動でオレはそれを自覚した。
いずれ結婚すると決まっているからこそ、口に出さなければ想いは伝わらないのだ。
「君に知っておいてほしいことがある」
「はい、なんでしょうか」
エリザベスの瞳を覗き込む。
まっすぐに向けられる淡い紫色の視線を受けとめ、顔が赤くなっていくのがわかった。しかし恥ずかしいと思ったら負けだ。夕日のせいですが何か? みたいな顔でしれっと決めなければ。
彼女から見たオレは、落ち着いた、頼れる婚約者。
かっこよくて、好きと言われれば意識してしまうほどの男。
渾身の王族スマイル、いまここで使わずしていつ使う。
「エリザベス、ぼくは、君が……す、す」
さぁ、ヴィンセント!!
肖像相手の千本ノック、いまこそ成果を見せるときだ!!!!
「君が、ス――」
***
果たしてオレがエリザベスに想いを伝えられたかどうか。
それは、エリザベスと、オレと、神のみぞ知る。
おしまい?
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
皆様の応援のお力で一か月のあいだ連載を続けることができました。
毎日更新分はひとまず終わりです。
キャラクターたちに愛着がわいてきたので第二部とか書けないかな?と考えつつ、しばらくはのんびり蛇足編や番外編を更新予定です。
御礼はまたあらためて活動報告に書かせていただきます。
重ねて、ありがとうございました。