28.クライマックスはパーティで(後)
「君たちは物語と現実の区別がつかず、思慮の浅はかな者。または身分の秩序を乱す者が現れた際の害を知らぬ者だ。――」
軽い訓示を与えて金縛りを解いてやれば、生徒たちは毒気の抜けたように互いを見合った。エリザベスの言葉を聞けばさらに羞恥に顔をしかめる。
ドメニク殿の言ったとおり、小説を利用したことによって《魅了》の効果は倍増した。しかしユリシー嬢の本性を見、オレとエリザベスからその物語を否定されたことによって加護の力は弱まった。
平たく言えば皆、夢から覚めて理性を取り戻したのだ。
「エリザベス様のおっしゃるとおりね」
「私ったら何を考えていたのかしら、恥ずかしいわ……」
「小説に舞いあがっていたなど、父上に知られたら何を言われるか」
「結局ユリシー嬢は王太子殿下を狙っていただけなのだな」
そんな囁きが聞こえる。
エドワードですら最前列からこそこそと姿を消した。これでノーデン伯爵も息子の将来に不安を抱かなくてよくなるだろう。……いや、それはそれとしてあまりにもチョロすぎる部分は心配になるかもしれないが。
広間に充満していた熱狂的な空気は冷め、会場はざわめきを残しながらも落ち着きつつあった。『乙星』は物語の世界で、現実には起こるはずがなかったのだと、それこそ芝居の終幕後に似た雰囲気が漂っていた。
しかし、観客の真ん中で、ユリシー嬢だけは結末を受け入れられずに首を振る。
「最初から、なんて……! どうしてよぉ……っ!」
顔をぐしゃぐしゃにして泣く彼女を憐れに思ったエリザベスに促され、オレはハロルドを呼ぶと兵士や侍女たちとともに退出させた。
彼女にはまだ加護の力が残っている。魔力が抜けきるまで、しばらくは王宮の一室で誰とも会わずに暮らしてもらうことになる。
「お詫びに、なんでも君の好きなものを贈るよ、リザ」
「そんな……勿体ないお言葉ですわ。わたくしのほうこそ、わが身の修行不足を恥じ入りました」
エリザベスはいまや清々しい笑みを浮かべ、尊敬のまなざしをオレに向けた。
謝罪を告げても自分も悪かったのだと言うばかり。
うん、やっぱり嫉妬とかはないんだよなぁ……。
背筋をのばしてりんとした姿でオレと向き合うと、エリザベスは優雅に頭を下げる。出会ったときから変わらない、完璧に礼を尽くした辞儀だった。
ずっと握っていた手が離れてしまって寂しく思う。すぐにその手を取ると甲に口づけた。
さて、こうしてイチャイチャしているのを見せつけてやれば、もう一人諦めきれない男が釣れるはずだ。
まだ現れないならもっと密着してやるかと足を踏みだしかけたそのとき。
「はしたない真似はやめろ、ヴィンセント!!」
どちらがはしたないのかと思う甲高い声が広間に響きわたる。
ラースだ。小柄な身体を質のよい礼服につつみ、人をかきわけて広間の中心までずかずかと歩いてくる。
眉を寄せたラースの頬は怒りで赤く染まっていたが、驚きに目を見開いたエリザベスを見てさっと表情を変えた。つんとすました顔を繕っている。
オレも無表情のまま、落ち着いた声で相対した。
「エリザベスはぼくの婚約者だ。おかしなことは何もないと思うが」
「その婚約は先ほど破棄されただろう。お前が自らそう言ったのだぞ。国王陛下の許可をとったとな。まさか国王陛下の名を騙ったのか?」
そこまで言ってから、己の勝利を確信し気をとりなおしたらしいラースはにんまりと笑った。
「それとも自分で言ったとおり、廃嫡覚悟で出ていくつもりか。そうせざるをえまい、エリザベス嬢の悪名がここまで広がってしまったのではな」
「ん?」
「……? なんのことでしょう?」
「とぼけても無駄だ。少なくとも学園追放にはなるだろう。なんせ男爵令嬢を苛めぬき、それが全校生徒の知れるところになったのだから」
「んんん???」
目を細めて薄ら笑いつつラースは勝手に話を進めていく。
オレとエリザベスは疑問符を頭いっぱいに浮かべた。たぶん周囲の生徒たちも。
が、ラースは止まらない。
「悪い噂を流し、取り巻きをけしかけ、ノートや参考書をズタボロにした挙句、ユリシー嬢を池にまで突き落としたそうだなぁ!? そんな女が王太子の婚約者などとは国の未来が不安だな!!」
勝ち誇ったように罪状を挙げていく。
……周囲の冷めた視線には気づかずに。
ラース、お前完全に「まだ『乙星』の話してんの? どうしたの?」って顔で見られてるよ……。
ユリシー嬢が色よい報告しかしなかったんだろうけど、なんでそんなに信じちゃってるんだ?
「先ほども申しましたが……そんなことはしておりません」
エリザベスがおずおずと否定したので、オレはラースが何か言う前に続きを引きとった。
「あぁ、そうだな。誰かこの中にエリザベスがユリシー嬢に嫌がらせをしていたのを見た者はいるか?」
ぐるりと周囲を見まわしても当然誰もいない。エリザベスを庇っているのではない、完全に意味がわからないといった視線が返ってくる。
エリザベスからはユリシー嬢に近づいていない。ユリシー嬢は色々と画策したものの、ラファエルたちの防御壁のおかげでエリザベスの悪い噂を蔓延させるところまではいかなかったのだ。嫌がらせを受けたとオレに訴えるのが精いっぱいだった。
ラースの眉がふたたび寄った。己の自信にヒビを入れつつある何かを感じとった顔には、かすかに怯えの色が見える。
「どういう、ことだ……?」
「ラース君、エリザベスがユリシー嬢に害を加えた証拠はないが、ユリシー嬢がエリザベスの嫌がらせをでっちあげようとしたことや、エリザベスのいる場で自ら池に飛び込んだことについては証人がいる。また彼女は、エリザベスが見ている前でわざとぼくに触れてきた。エリザベスに敵意を持っていた証拠だ。これも証人が多くいる」
「……」
ラースの視線が目まぐるしく動く。もはやその相貌は手負いの獣といった有様だった。口を半開きにし、ぎょろぎょろとした目で逃げ道を探している。
オレはエリザベスの手を引き、背後へと隠した。エリザベスの表情は平常そのものだったが、心の内はそんなわけがない。
ラースはオレたちの行動にさらに激高したようだった。
そして行き場のない怒りの向かった先は――、
「ヘイヴン!!!! 貴様ぁ、ヴィンセントとグルだったな!?!?」
「ぴゃああああ!!!!」
咆哮するラースに応じてセレーナ嬢の悲鳴が広間の隅から聞こえた。ばたばたとさらに足音が遠ざかっていく。
なるほど、セレーナ嬢がうまいことラースを転がしていたのか。作者なりの臨場感あふれるでっちあげを吹き込んでくれていたようだ。
「どいつもこいつも、オレに嘘をつきやがって!!」
「自分の目で見もせず信じた君が悪い。それにユリシー嬢にとってみれば、ぼくの心をつかんだと思った時点で物語はハッピーエンドを迎えていたのさ」
「あのゆるふわ女、嬉しそうに『シナリオは全部うまくいった』と……!!」
言って、ハッとラースが口をつぐんだ。
失言だったと悟ったのだ。しかしもう遅い。
今度はこっちがにんまりと笑う番だった。
「やはりユリシー嬢とつながっていたな」
「違う、オレは……」
「君はエリザベスに婚約を断られた腹いせに、彼女とその婚約者であるぼくを陥れようとした」
「違う!!!」
そうは言ったがそれ以上の言葉は続かなかった。
本当はまだ好きで、愛憎入り混じってやりましたなどと言えるわけがない。
ちらりとエリザベスを見ると彼女は気丈にもラースを見つめているものの、顔は青ざめている。ラースは視線を受けとめきれずに俯いた。
これは温情だぞ、ラース。エリザベスに気持ちを告げればお前はふたたび振られるのだからな。
それがわかっているラースはぎりぎりと歯ぎしりをしていたが結局は口をつぐんだ。
沈黙が落ちる。
事情を知らぬ者たちは、意外な黒幕の暴露に驚き言葉を失っていた。
その静寂を破ったのはラースだった。
「……しかし、婚約破棄は、されたのだろう?」
あげた視線には最後の期待が含まれていて。
やはりこの男の本当の目的はそこだったかとため息をつく。
「しておらぬ。
「……」
「あとの詳しい話はユリシー嬢とともに王宮で聞かせてもらおう」
それが指すのは法廷だ。
己が罪人になると知ったラースの表情が憤怒に燃えあがる。眉はつりあがり、歪んだ唇から歯が剥きだした。
「ふざけるな……!! オレはお前の兄のようなものだろ、ヴィンセントォ!!」
すでに恥も外聞もなくしたラースは、興奮にうまく動かない手足をばたつかせながらオレに向かって突進する。
血走った目がオレをとらえる。
周囲から令嬢たちの悲鳴があがった。
オレは背後のエリザベスを守れる位置であることを確かめると、ラースと向き合った。
「さっきから言おうと思っていたんだがな。君は公爵子息でありぼくは王太子だ。きちんと――」
「敬称をお付けください、ラース様」
ばぐっ。
そんな、なんとなくのんきそうな音とともに、まったくのんきではないスピードでラースの身体は吹っ飛んでいった。
放物線を描いたのちどさりと大理石の床に落ちるラース。冷ややかに見下ろすハロルドは、掌底の構え。
「ううぅ……」
「みねうちです」
掌底のみねうちって何。
しかしラースは呻き声をあげて意識があるようなので手加減をしたということだろう。派手に飛んだわりには外傷はない。
でもオレも逆上したラースを沈めるくらいの実力はあるのだが。ハロルド、マーガレット嬢のポイント稼ぎだろ。オレはエリザベスの前でラースを殴ってもポイントにならないからいいんだけどさ。
ハロルドはラースの前へ歩を進めると跪いた。
「お手をどうぞ、ラース様」
「ヒィッ」
殴っておいて手を差しのべてくるハロルドから怯えた顔で後ずさるラース。
ハロルドの手にはつかまらず立ちあがったが、結局ハロルドに手首を握られていた。まだ抵抗する可能性があるしな。
しかしまぁ、とりあえずはこれで一件落着だ。
そう思って肩の力を抜こうとしたとき、オレの背後からエリザベスが顔を覗かせた。
「ラース様」
エリザベスがラースの名を呼ぶ。ラースは反射的に顔をあげた。
オレに手を握られたエリザベスが、ハロルドに腕をつかまれているラースと見つめ合った。おそらくそれは、あの日以来はじめての視線の交差だった。
「今日までずっと、ラース様に申し訳なく思ってきました。けれどもう忘れます。……最後に一度だけ言わせてください」
「――……」
「ごめんなさい」
謝ったが、エリザベスは頭を下げなかった。
じわ、とラースの左頬が赤く染まった。それは平手打ちされたかのように頬の全体に広がった。……実際にはハロルドの掌底ダメージに血がめぐったせいだと思うが。
呆然とするラースの視線を真正面から受けとめ、エリザベスは姿勢を正して立っていた。心の中には様々な想いが渦巻いているだろうに。
同じ公爵家の身分を持つ二人は微動だにしなかった。
ラースは、動けないのだ。
「連れていけ」
「はっ」
魂の抜けきってしまったラースがしおらしくハロルドに手を引かれて出ていく。
とどめを刺したことに気づいていないエリザベスは緊張を解き、悲哀に満ちた面持ちでその背中を見送った。