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ベタ惚れの婚約者が悪役令嬢にされそうなのでヒロイン側にはそれ相応の報いを受けてもらう 作者:杓子ねこ

ベタ惚れの婚約者が悪役令嬢にされそうなのでヒロイン側にはそれ相応の報いを受けてもらう

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19.ユリシーの罠(後)

 枕を受けとった令嬢は、すうう、と息を吸うと拳を握りしめ、渾身の力を込めて――正拳突きを繰りだした。

 ぼすううう!!!

 と、あらかたは羽毛に吸収されているもののそれでも抑えきれなかった衝撃が空気を震わせる。


 えっ、なにこれ、怖い。


 青ざめるオレの前で令嬢は何度も重たい拳を枕に叩き込む。ぼすっ、どかっ、ばすっ。

 ハロルドは無表情にそれを眺めている。


「あの女狸ィ……!!」


 ドバシィッ!! と弾丸のような右ストレートを送り込んだ令嬢は、今度は枕に向かって膝蹴りを繰りだした。飛んでいって壁にぶちあたり跳ね返ってくる枕を細い腕がキャッチする。

 体勢を整え、振り乱した髪でふしゅるるるるーっと息を吐く姿は手負いの獣といった様相。

 彼女はやや形の崩れた枕の端を両手でつかみ、ギリギリと悲鳴をあげさせていたが、破れる直前でふっと力を抜いた。


「……使えなくなるのは可哀想ね。この子はこんなことのために生まれてきたんじゃないわ」

「優しいんだな」


 さっきのオレと同じ台詞をハロルドが言う。

 えっと、……どういうことだ?

 令嬢は枕をハロルドに渡しオレに向きなおると、深々と頭を下げた。


「御見苦しいところをお見せいたしまして申し訳ありません。わたくし、ファーミング伯爵が娘、マーガレットにございます。ハロルド様の命によりエリザベス様を護衛しておりましたところあの女ダヌ……ユリシー様より交換条件を持ちかけられまして、ユリシー様が王妃になられたあかつきには我が家を侯爵家に引きあげるゆえ、嘘の告発を行えとのことでしたので、そのようにいたしました」

「情報量が多すぎる」


 一息に述べたマーガレット嬢はオレの言葉に今度はピタッと口をつぐんだ。

 オレもそれなりの理解力はあるのでついてはいけるが。こめかみを押さえながら確認する。


「つまり君はオレがハロルドに命じてつけさせた護衛で、ユリシー嬢はそれを知らずにエリザベスを陥れるための共犯者に選んだと」

「左様でございます。女ダヌ……ユリシー様が虚偽の密告をなさったことは、わたくしが証明できます」


 マーガレット嬢は胸に手を当てると《宣誓》のポーズをとった。

 なるほど。これでユリシー嬢が根も葉もない噂でエリザベスを悪役令嬢に仕立てあげようとしていたことは証明される。万が一ユリシー嬢が表立った行動を起こしても、エリザベスの名誉に傷はつかない。


「それにしても、《魅了》の効果は恐ろしゅうございますね。ハロルド様から話を聞いていなければ抗いきれなかったかもしれません。女狸がかわいくて仕方なくて、応援してあげたいと思ってしまったのです」

「とりつくろい忘れてるぞ」


 ハロルドの冷静なツッコミにマーガレット嬢は「あら」と口元を押さえた。

 ハロルドが枕を持っていたのは、自分の経験から《魅了》の影響を脱するのに必要と思ったからか。どこから出したんだろうというのはいまだに謎なのだが……。


「明日は休んだらどうだ。授業の内容は私が伝えよう」


 返された枕を小脇に抱えたままハロルドが言った。

 たしかにマーガレット嬢はハロルドのように一瞬触れられたのではなく、肩に手を置かれユリシー嬢と寄り添ってやってきたのだ。平気そうな顔をしていても精神的には非常に消耗しているはずだ。

 やはりハロルドは見たことがないほど優しい。


「でもわたくしが休んでしまったら、エリザベス様の護衛が」

「エイデン嬢がいるだろう」


 護衛、まだいるのか。


「そうですけど……わたくしが休んでいるあいだにエイデンだけがエリザベス様のお傍にいるというのは承服いたしかねますわ。抜け駆けよ」

「君が無茶をすることをラ・モンリーヴル公爵令嬢は望んでいないはずだ」

「……」

「体調がすぐれないと思ったら休むんだ。いいか? 護衛対象の前で倒れたりしたらファーミング伯爵家の恥だぞ」

「……わかったわ。エリザベス様の名を出されては……」


 オレを置いて二人は話のケリをつけると、マーガレット嬢は不承不承といったように肩をすくめた。


「では、これにて失礼させていただきます。殿下、必ずや女ダ……ユリシー様の悪事を暴いてくださいませ」

「うむ。そなたも護衛に励んでくれ」


 偉そうに頷いたが、言外に「エリザベス様が少しでも嫌な思いをされたらどうなるかわかってますわね?」という圧を感じる。

 マーガレット嬢、オレやオレの両親と同じ、エリザベスモンペの気配がするな。

 強い体幹を感じさせる優雅な一礼とともにマーガレット嬢は教室を後にした。ハロルドはやれやれというように首を振っている。


「申し訳ありません、殿下。ファーミング家は護衛対象に思い入れを持ちがちで……護衛としては長所でもあるが短所でもあるといつも言い聞かせているのですが」

「それはいいが、いったいエリザベスには何人の護衛がついているんだ?」


 尋ねると、ハロルドは真顔のままで指を折りはじめた。


「殿下の婚約者になった時点で、国王陛下勅命の護衛が一名。殿下のベタ惚れっぷりを受けて一名追加。入学後に殿下のご命令で見張り役を一名。殿下よりさらなる護衛を命じられましたので刺客アサシンにも対応できるマーガレット嬢とエイデン嬢の二名を追加しました。すべて女性ですのでご安心ください」

「もしかしてエリザベスと勉強会をしていた友人たちは」

「半数が護衛ですね」


 そうだったのか。オレにはハロルド一人だが、エリザベスは五人もの護衛に囲まれているのだな。それは安心だ。安心だぞ、安心。寂しくなんかない。

 おや、窓の外でツグミが鳴いているなぁ。


「ご不満ですか?」

「いや……うん、エリザベスは愛されているなと思って」


 特に父上、実の息子より愛しちゃってる。

 マーガレット嬢の様子からして、きっと護衛たちはエリザベスを単なる護衛対象以上に大切に思ってくれているのだろう。友人たちに囲まれ、オレがいなくとも楽しい学園生活を送っているエリザベス……それはエリザベスを守るという意味では大成功だが……。

 複雑な想いをなんと表現すればよいのかわからず黙っていると、ハロルドはうやうやしく礼をしてドアを開けた。

 王宮へ帰りましょう、ということだ。


「そうだな……」


 オレにはハロルドがいる。乳兄弟で、幼い頃から一緒の、気の置けない友人とも呼べる男が。

 妙にしんみりしてしまった気持ちを振り払って顔をあげる。

 と、そこでハロルドの抱えた白いフリル付きの枕が視界に入った。


「それ、どうするんだ?」

「……持ち帰りますが」

「……あのさ、マーガレット嬢は、お前の……」

「従姉妹であり、幼なじみです」


 それが何か? と絶対零度の視線を向けられてオレはそれ以上何も言えなかった。

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