17.ユリシーの罠(前)
週が明けて、表だって語らう者はないが、学園はユリシー嬢の噂でもちきりだった。
それもそのはず。地方の男爵令嬢にすぎない彼女を取り囲むように、常に三人の貴族子息が付き従っているのだから。
ルークス・エンハント侯爵子息、ラファエル・マーシャル侯爵子息、エドワード・ノーデン伯爵子息。王宮における宰相、魔法使いトップ、騎士団長の子息。輝かしい未来を約束された将来の国王側近候補。
さすが『星の乙女』だと感嘆を込めて言う者もあれば、いったいどんな手を使ったのかと眉をひそめる者もある。
――ただし、ユリシー嬢の表情はそれほど明るくない。
三人の子息にまとわりつかれている彼女は、人々からは遠巻きに見られ、近づいてくる者はいない。貴族子息を三人も侍らせる男爵令嬢など、普通の感覚であれば敬遠するからな。
ユリシー嬢に憧れを持つ令嬢たちもいるようだが、彼女たちは貴族風の教育を受けているために人々の好奇と反感を敏感に察知し、その輪の中に進んで入りたいとは思わない。ユリシー嬢から話しかけることもままならない状況である。
たぶんほかにもユリシー嬢のどこかひきつった笑顔の原因はある。
近くを通ったときに耳をそばだてていたら、ラファエルがうっとりとした表情で「君にはぜひボクの新作の魔法を受けてほしいなぁ……もちろん二人きりで♡」などと囁いているのが聞こえたので、あいつオレに対するのと同じテンションでユリシー嬢を口説いているらしい。
にこにことしながらはぐらかしているように見えてユリシー嬢の口の端がぴくぴくと震えている。完全に「ヤバイ奴を捕まえてしまった」という顔だ。
エドワードとルークスもやんわりと諫めているが内心はドン引きだろう。ラファエルとユリシー嬢を二人きりにすることができない。だからこうやって三人とも団子状態でくっついていくことになる。
で、ほかの生徒たちは近づいてこない。近くに寄らなければ、《魅了》の加護の効果も薄い。
ラファエルの作戦勝ち……か。そうだよな? そうだと思わせてくれ。
いまの状況にユリシー嬢は焦るはずだ。
小説に沿うならこの時期はエリザベスからの嫌がらせが悪化していなければならない。しかし悪化どころかエリザベスは嫌がらせなどせず、他の令嬢たちが不満を述べてもユリシー嬢を庇うことを口にしている。
周囲から見れば、ユリシー嬢は『星の乙女』かもしれないが、エリザベスは悪役令嬢ではない。
成人パーティまではあと三か月。
それはオレたちのタイムリミットでもあり、猶予でもある。パーティの日までは決定的な事件は起こらないだろう。向こう側も、ユリシー嬢の働きぶりに委ねるしかないのだ。
パーティまでに、ドルロイド公爵がこの件に関わっている証拠が探しだせればオレたちの勝ちだ。
さて、ユリシー嬢を焦らせることで、ボロを出してくれるといいのだが。
***
ユリシー嬢が動くとしたら、まずオレへ向けてだろう、と考えたオレは、以前ユリシー嬢とエドワードに捕まった教室で放課後をすごすことにした。会いたくないので最近は避けていたが、もはやそうは言えまい。
傍に控えるハロルドは無言で手をワキワキさせている。ユリシー嬢がオレへ触れようとしたときの捕獲のイメトレか。
暇なので小声でエリザベスの話をした。
「この事件が解決したら、オレは、エリザベスとサーカスに行くつもりだ」
「殿下、それは不吉な呪言(死亡フラグ)です」
「お前は例の彼女とどうなんだ?」
この騒動にかかりきりで相手の素性は調べられていないが。というかオレの手足になる者はすべてハロルドの息がかかっているのでまず密偵を探すところから始めないといけないんだよなぁ。しかもハロルドにバレないように。
尋ねるとハロルドの無表情な顔が能面のような顔に変化した――つまり、元からない感情をさらに凍りつかせたような顔になった。
「……殿下よりは、想い人の顔を見ることができております」
「最低限の文字数でなんて心にクることを言うんだ」
空き教室でユリシー嬢が現れるのを待機している自分の身がとても憐れに思えて、オレは口をつぐんだ。本来ならばオレはエリザベスといまの時間を以下略。
もうしばらくこの話題はやめよう。
そうして何日か待っていると、思いどおりにユリシー嬢は飛び込んできた。
***
ユリシー嬢に付き添われて入ってきたのはいつぞや勉強会でエリザベスを部屋から呼んでくれた令嬢だった。俯き、背を丸めてうなだれる彼女にあのときの快活さはない。
オレもオレで、ブルータス、お前もか……とショックを受けてしまった。
このタイミングでこうして現れたということは、彼女はユリシー嬢側についてしまったということだ。
「王太子殿下、お伝えしたいことがございます」
ハロルドに配慮してか、ユリシー嬢はオレのことを名前でも呼ばなかったし、駆け寄ってくることもなかった。
連れられてきた令嬢はオレの前で膝を折り、両手を組んで胸の前に掲げながらオレの靴先へと視線を定めた。
目上の者に陳述をする際の姿勢である。
ユリシー嬢は励ますようにその肩に手を置いた――《魅了》の効果は増しているだろう。
「おそれながら、王太子殿下に申し上げます」
「許す」
あんまり聞きたくないんだけどなと思いつつ応えれば。
「ユリシー様の私物を損ねたのはわたくしです。……エリザベス様のご命令でした」
震える声で告げる頬に、ひとすじの涙が伝い落ちた。