15.魔石を追え(後)
「なんということだ……!!」
恰幅のよいノーデン伯の口から、そうとは思えないほど弱々しい声が迸った。
「これが、
ひきつった顔の主人と木箱の中の鉱物を交互に見つめ、家令も絶句している。自分が運んできたものは間違っていなかったはずだと言いたげだった。
これが演技であるならば二人ともなかなかのものである。
動揺をあらわにする自分に対して客人たちの反応があまりにも薄いことに気づき、ノーデン伯は大きく息を吸った。騎士として鍛えている精神は衝撃を長引かせないようだ。
額を押さえ、混乱を振り払うように首を振る。
あげた顔には理性の光が灯っていた。
「もしや、皆様は……このことを予想しておられたのですか?」
家令が目を剥く。
ドミニク殿と視線を合わせたのち、オレはノーデン伯に向かって頷いた。
「我々の調べでは、貴殿の魔石はいま、メリーフィールド家にあります」
メリーフィールド、と呟いたノーデン伯はふたたび眉をひそめた。それが自分の頭を悩ます令嬢の姓であることを思い出したらしい。
「まさか、エドワードが?」
「いえ、それでは順序がおかしい。エドワード殿は魔石の影響を受けてユリシー嬢に惹かれたはずです」
「では……」
「誰かがこの屋敷から、魔石を持ちだしたのでしょうな」
今度はノーデン伯の表情に変化はなかった。最初の驚きの中にそれが含まれていたことを知る。貴族であるノーデン伯があれほど悲痛な叫びをあげたのは、使用人に嫌疑をかけなければならないことを悟ったからだったろう。
ノーデン伯と同じ年頃の家令も皺の目立ってきた顔をなんとかひきしめ表情を保っている。
「犯人に心当たりがあるのですね」
「……この魔石は、普段は北棟の部屋に置いていました。貴重な品を保管しておくための鍵付きの部屋です。しかし我が家の者であれば清掃などの理由をつけて入ることはできます」
「でも木箱の鍵はノーデン伯が持っておられた」
オレが言うと、一気に老け込んだかに見える老紳士はため息をついた。
「私は昼食後に読書をすることを日課としています。二か月ほど前、読書中にどうしても眠気に耐えきれず眠ってしまったことがありました。ひどく慌てた顔の使用人に起こされ、気分は大丈夫かと何度も尋ねられましたが……前日に騎士団の行軍演習と夜会があったため、疲れのせいだと思っておりました」
「その使用人は……」
「ウォルターといいます。……呼んできてくれ」
ソファに沈み込んだノーデン伯はうなだれた。オレの手前、最低限の礼儀は守っているが、そうでなければ崩れ落ちてしまいそうだと思った。
正義感が強く、そのぶん目下の者に対する思い入れも強そうなのは、エドワードと似ているかもしれない。
家令に呼ばれてやってきたのは二十歳くらいの青年だった。部屋に入るなり深く一礼し、そして顔をあげた瞬間に、すべてを悟った。
利発そうな顔にいっさいの表情はなく、ドメニク殿の手にある魔石を見つめたのち、ノーデン伯のやつれた様子に視線を移した。そして拒絶するように目を伏せる。
何も語る気はない、ということだ。
端から見ればふてぶてしいといえなくもない。しかしこの主従に流れる感情はそうではないだろう。
「魔石をどうした」
「……」
問いかけても青年は答えない。
「ウォルター、こちらは――」
オレの身分を明かそうとしたノーデン伯を手をあげて制する。そんなことをしてもこの使用人の鑑みたいな者には効果がない。
なんせこのウォルターという男、ノーデン伯に断罪されるなら死をもって償うと顔に書いてある。
「なるほど、君は使用人失格だな」
「……」
やはりウォルターは答えない。しかしほんのわずかに眉がひそめられた。肯定と否定が同時に瞳に燃えあがる。
この男、根がハロルドと同じなんだよな。いつも間近でよく見ているからわかる。何も言わないが忠義心は人一倍強い。
しかし今回は、その忠義心をねじまげなければならない事情があったということ。
「ノーデン伯がなぜこれほど落胆されているのかわからないのか?」
床に落ちていた視線があがった。青灰の瞳がオレを凝視する。
「ウォルター、君が君自身の葛藤を、ノーデン伯にお伝えしなかったからだ」
「!!」
……たぶん。
こういうことはノーデン伯本人が言って聞かせるよりも第三者が言ったほうが心に刺さる。そう思って推測を口にしてみたが、誰も反論しないので間違ってはいないようだ。
しっかりとウォルターを見据えたまま。
「なんと言ってそそのかされた? ……そいつは本当に、お前をここまで育てたノーデン伯より信頼のおける人物だったのか?」
「……!!」
ひゅう、と喉が短く鳴った。
直立不動を崩さなかったウォルターの膝が折れた。健康そうな肢体ががくりと崩れ落ちる。磨かれた木目の床に、縋りつくように拳を丸め、ウォルターは肩を震わせた。
ぱたぱたと音を立てて床に落ちる涙は、彼の抑えきれぬ感情を物語っていた。
ノーデン伯爵家は由緒正しい騎士の家だ。当主であるノーデン伯もエドワードも騎士道精神にあふれた振る舞いをする。そしてそんな彼らが使用人にどう接するか、また使用人にどうあってほしいと願っているか。
この屋敷には最低限の使用人しかいない。それは清貧の徳を守るためでもあるが、逆にいえば信頼のおける少数精鋭の使用人たちを育ててきたということ。
自分が信頼を置く相手に、どうあってほしいと願うか。そんなものは一つだけだ。
相手にもまた自分を信頼してほしい。
彼は判断を誤った。
……ま、それを、よく知らない、自分より年下の者に指摘されるという二重のショックを与えてみたわけだが。
「申し訳ありませんでした……!! オレが、中身をすり替えたのです……!」
ノーデン伯に向かって涙ながらに跪くウォルターを見下ろしながら、どうやら黙秘の壁は破壊できたらしいと息をついた。
(後)ってタイトルですが書ききれなかったのでもう少し続きます。。
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