14.魔石を追え(中)
エリザベスにもらった硝子のウサギを鞄に忍ばせ、一週間は瞬く間に過ぎた。
暇さえあればウサギを取りだし、様々な角度から光にかざしつつ記憶の中にあるエリザベスの瞳を重ねているだけで気づけば時計の針は勝手に進む。就寝前に眺めれば寝つきもよく、安眠効果もあった。翌朝の目覚めもすっきり。
オレのために加護でもかかっているのではないかと疑ったがハロルドに「私には何も感じられません」と一蹴された。
で、ドメニク殿との打ち合わせの翌週末。
オレとハロルドは、マーシャル侯爵邸でディナーを振る舞われていた。
王太子というありえない訪問客に、使用人たちの表情がこわばっているのがわかる。心の中ですまん……と思いつつ、これがドメニク殿の提案なのだから仕方がない。
王宮に出仕したドメニク殿の帰邸時にこっそりとオレを連れ出してもらい、明日はマーシャル家からエドワードの実家――ノーデン伯爵邸に向かう予定である。
その時間、エドワードはいない。再びユリシー嬢の家へ招かれているからだ。
「明日は私がエドワード君を足止めすればいいのですね」
同じくユリシー嬢の招待客となっているラファエルが食事の手を動かしながら言う。父親が目の前にいるので言葉遣いも雰囲気も普段のちゃらんぽらんさは鳴りをひそめている。
……ということは、オレへのあの態度、ドメニク殿にバレたらまずいということだな。これはいいことを知った。
「エンハント侯爵家の御子息もいらっしゃるのか」
「そうです、父上。おそらくエドワード君とルークス君は贈り物を準備しているでしょう。私は花束にとどめようとは思っていますが……」
「お前が王太子殿下の密偵としてこの件に関わっているとは思わなんだ。話を聞いたときは驚いたが、殿下のお役に立てること、父は誇らしく思うぞ」
「父上からお褒めいただくなど、ありがたきお言葉です」
ラファエルはにこやかに応じている。こうして見ると切れ長の目や柔らかい印象の口元などは似ているようだ。
先週疑問を持ったマーシャル家の食卓を垣間見ることになってしまい、オレはおもはゆいものを感じながら食事を終わらせた。
食事が終われば、風呂、着替え、そして就寝の準備と、マーシャル家のもてなしはつつがなく終わった。あとは寝て明日に備えるだけだ。
ドメニク殿から夜の挨拶を受けたあと、オレとハロルドはラファエルに誘われて客間で夜食をとることにした。
父親のいない場でのラファエルはいつもの調子に戻る。
「で、どうなんだ、ユリシー嬢とは? 何か情報は引きだせたか?」
「王太子殿下も婚約者様とはどうなんだい?」
「いつものとおりですよ」
「お前が答えるな、ハロルド。……進展はしている。見ろ、これを」
胸ポケットから革袋を取りだして逆立ちのウサギを見せる。ラファエルは面白そうにウサギを眺めまわしたが、しばらくして言った。
「かわいい硝子のウサギだね」
「……それだけか?」
「それだけだけど?」
やはり何の変哲もない硝子のウサギらしい。背後で頷くんじゃない、ハロルド。
「ユリシーちゃんとはね、ボクもそれほど進展がなくてねぇ」
肩をすくめて大袈裟なため息をつくラファエル。その表情は本心から残念そうだ。
「やっぱり彼女、狙いは君みたいだよ」
「オレを? そんな小説のとおりに行くわけないだろ、いくら《魅了》の加護持ちだからと言って――」
「ユリシーちゃんは自分に加護がかかっているなんて知らないからね。魔法にも詳しくない。自分が小説の主人公だと信じているよ。純粋じゃあないか」
ふふ、と笑い声を漏らすラファエルの瞳はなんとも複雑な色をたたえている。
物心ついてから人生のほとんどをエリザベス一筋で生きてきたオレには、恋多き男の心の内はわからない。
「まさか本気で口説く気か?」
「まぁね。ユリシーちゃんが君を諦めてボクに鞍替えすればすべて収まるだろ?」
「……お前、あれを嫁に迎えるつもりか」
「本人には悪気はないだろ。田舎から出てきてお前は主役だと唆され、魔石の加護にも気づいていない。だからこそあれだけ奔放な態度が取れるんだろう……本物の貴族令嬢として躾けなおすのもまた一興かもしれないよ♡」
にっと唇をたわめるラファエルに、ハロルドが眉をひそめるのが気配でわかった。
***
翌朝、マーシャル侯爵邸から二台の馬車が出発した。
一台はラファエルを乗せてユリシー嬢の待つメリーフィールド男爵邸へ。それから三十分ほどしたのち、もう一台はオレとハロルド、ドメニク殿を乗せてノーデン伯爵邸へ。
馬車の中で口を開く者は誰もいなかった。
ノーデン伯爵邸は家柄と同じく由緒を感じさせるたたずまいだ。華美な装飾を排した騎士らしい重厚な造りの石壁には、等間隔に三角形の穴があけられている。
鉄格子の門が開いて馬車を迎え入れた。
何食わぬ顔をしてドメニク殿とともに馬車を下りる。使用人たちは当主の知人を見知ってはいても、その息子まで事細かに覚えてはいない。オレをドメニク殿の息子と思ってくれるだろう。
屋敷は内側も質実剛健を絵に描いたような内装で、使用人の数も他の貴族たちの屋敷よりずっと少ない。しかしそれぞれがよく訓練された者たちであることが窺えた。まさに騎士の家。
甲冑の飾られた客間に通され、数分も待たぬうちにノーデン伯爵がやってくる。
家令を従え、王宮でも交友のあるマーシャル候を迎えようと両手を広げて入ってきて――。
「!」
その歩みはびしりと固まった。
「こちらは私の息子です。このたびの訪問を楽しみにしておりました」
ノーデン伯の口から余計な言葉が漏れないうちにドメニク殿が釘を刺す。
その一言でハッとした顔になったノーデン伯は、何かあると悟ったらしい。いつもどおりの挨拶を交わしたあと、メイドたちを下がらせた。
後に残ったのは、オレ、ハロルド、ドメニク殿、ノーデン伯、家令の五人のみ。
「実は貴殿が見事な魔石を買ったと聞きましてな。息子がどうしてもそれを見たいというのでこうして伺ったわけです」
「左様でしたか。そういえばそうですな。三月ほど前に買ったきり、すっかり忘れていましたが……」
驚きに青白んでいた顔に生気が戻る。王太子がお忍びで訪問してきた理由が魔石への興味だとわかったから、に見える。
とすると、やはりノーデン伯にやましい心はなさそうだが。
「すぐに持ってこさせましょう」
目で合図すると家令はすぐに部屋を出ていった。
しばらくたわいもない天気の話などをしながら待っているうちに、扉がノックされふたたび家令が姿を現す。深々と礼をする腕には木箱を抱えていた。
うやうやしい仕草で木箱はテーブルに乗せられ、ノーデン伯によって鍵を開けられた蓋がゆっくりと開かれる。四方に施された金細工がキラキラと光った。
箱の中には、複雑な色合いの丸い玉が入っていた。半透明な石の中に緑から紫へと変化する光の筋が現れる。
ドメニク殿は厳しい顔でそれを睨んでいた。
護身用の簡単なものだが魔法を扱うオレにもわかった。
どんなに美しくても、この石からは魔力の波動を感じない。
「
「!?」
「ノーデン伯、心当たりはあるか」
ノーデン伯が蒼白になってオレを見つめる。
それは先ほど王太子の姿を認めたときよりも切迫した表情だった。
リアル多忙のため、明日から更新頻度が下がるかもしれません。なるべく書けるように頑張ります。
週末には復活するかと。