9.また一人
馬車に戻ってもハロルドは黙ったままだった。なんとなく疲れた顔をしている。
じっと見ているとばつの悪そうに視線を逸らし――しばらくしてからようやくオレを見る。瞳に映る色は困惑だった。
「申し訳ありませんでした……」
「どうした?」
しかし会話が始まりそうになった途端に馬車は王宮へとついてしまった。
はやる気持ちを抑えてハロルドとともに自室へ移動し、ソファへ腰かける。ハロルドにも席を進めたが傍らに立ったまま、大きく息をついてから語りはじめた。
「お伝えしたきことが二つございます」
「なんだ」
「ユリシー嬢を追っていたのは、エンハント侯爵家の御長男でした」
「ルークスが……!?」
ならば、ユリシー嬢が「怪しい男」と言ったのはルークスのことだったのか。
ルークス・エンハントといえばオレたちの二つ上。三回生だ。
父は現宰相で、父上が信頼を寄せている者の一人。その息子も当然、将来の期待を向けられているのだが……。
「ユリシー嬢にとても興味を持っておられました。彼女を偶然に見かけ話しかけたが、いまは忙しいとそっけなく言われ、走っていってしまったと」
「それは、オレの姿を見たからか……」
「おそらく。ルークス様は、私が声をかけたためにそれ以上彼女を追う気にはなれなかったようです」
はあああああ、と大きなため息が出る。
自分に話しかけてきた生徒を即興で「怪しい男」に仕立てあげてしまうユリシー嬢の胆力だけは尊敬に値する。エリザベスの言うとおり、蝶よ花よと育てられ、家族や使用人と離れるのは学園生活がはじめて、人目のない場所で知らぬ男に話しかけられれば恐怖を覚えるという令嬢もたしかにいる。
しかし垣間見える表情や行動からは、ユリシー嬢が見た目どおり泣き虫な性格とは思えないんだよなぁ。
それにしても、エドワードに引き続きルークスまでもがユリシー嬢に接触を図っていると?
信じられない……。
「……それで、二つ目の報告はなんだ?」
この件についてはいったん保留にしたく次を尋ねると、ハロルドはうつむいた。
……しかし、見えにくい角度にしたつもりかもしれないが、座るオレの前にハロルドが立っているという位置関係のせいで修羅のごとき表情は丸見えだった。
伏せられた瞼のむこうで目は爛々と輝き、真一文字に結ばれた唇が逆にとんでもない圧を醸しだす。
オーラが、どす黒い。
「二つ目の報告は……」
「……」
揺れるオーラ。その真ん中で微動だにしないハロルド。
怖すぎるんだが。
「……ユリシー嬢には、何かしらの加護がかかっているものと思われます。ヴィンセント殿下から彼女を遠ざけようと触れたとき、恋に似た感情がわきあがりました」
「え――」
告げられた台詞は予想外すぎて、オレは思わず立ちあがった。
「お前、恋したことあるのか?」
「現在進行形でしております」
「なにっ!? 相手はエリザベスじゃないだろうな?」
「違います。いえ、エリザベス様はとても魅力的な方ですが、主の婚約者を好きになるほど身の程知らずではありません」
気色ばんだオレに「面倒くさい」という態度を前面に押しだしながらハロルドは否定した。
しかし、ハロルドが恋をしているなんて知らなかった。オレがエリザベスに惚れ抜いているのを常に氷のような視線で見つめてきたハロルドが。
相手を知りたいが一見すると優しげなはずの風貌は相かわらずの修羅で、「これ以上この件には口を出すな」という本心がビンビンに透けて見える。素直に口は割るまい。いずれ別の密偵を立てて探ってみよう。
「そうか……ならいい。で、加護だって?」
「はい、触れた瞬間に明らかに自分のものではない感情が流れ込みましたので」
ハロルドの眉間の皺がさらに深くなる。
なるほど、あまり口に出したくない話題のうえに、一瞬でもユリシー嬢に恋心を感じてしまったのが許せないようだ。その気持ちはめちゃくちゃわかるぞ、ハロルド。オレも、たとえ紛い物の一瞬の気持ちだとしても、エリザベス以外に恋心なぞ覚えた日には夜中に枕を引き裂く。
「オレの腕にもしがみついてきたのはそのせいか。オレは何も感じなかったが……エリザベスへの愛ゆえ」
「王族には強力な《魔返し》がかけられていて加護とはいえ魔法の類は効かないからですね」
そんなことくらいわかっている。言わせてくれてもいいだろ。
と、口に出すとせっかく解除されてきた修羅モードがふたたび再開される気がするので黙っておく。
「しかし、加護か……エドワードの様子から想定はしていたが、話が大掛かりになってきたな」
魔法が登場したということは、話は一男爵家の範囲では絶対に終わらない。
魔法使いは非常に稀少なもので、力の強い者たちは王族によって貴族に列せられ、それ以外の者たちも高位貴族に仕えているのがほとんど。つまり囲い込みだ。ラファエルの一族が王家と主従関係にある理由もそれだ。
特に人間の感情に影響を及ぼすような重大な加護はほとんどが禁呪扱いになり、特別な許可がないかぎり魔法の習得すら許されない。ユリシー嬢かわいさにメリーフィールド男爵が加護を与えた、などという可能性はゼロに等しいのだ。地方の男爵家にそのような私財も伝手もあるわけがない。
もしユリシー嬢に加護を与えた人物が小説の筋書きどおりに現実世界を動かすことを企んでいるなら、その目的はおのずと絞られる。
小説のクライマックス……婚約破棄による、オレか、ラ・モンリーヴル公爵家のどちらかの、失脚。
自分の熱烈な恋心もエリザベスの清廉潔白な性格も知り抜いているオレとしてはそんなことにはなりえないという自信があるが、現に騎士団長の息子と宰相の息子は引っかかっているし、魔法使いの息子も自ら飛び込んでいる。王太子の乳兄弟も恋情を感じたわけで。
すでに『乙星』の筋書きのように、ユリシー嬢の周囲には彼女の身分では到底出会えなかったはずの貴族子息たちが集まっているのだ。おまけにゴシップ好きの貴族たちは、今後の展開を期待して好奇の視線を向けている。これは企みが成功していると言えるかもしれない。
そして、ユリシー嬢からの、私物が被害を受けるという訴え。
「エリザベスの周辺に護衛をつけろ」
「御意」
同じ推測に達したのかハロルドは厳しい表情のまま頭を下げた。
物語には悪役が必要だ。
でも、現実と物語は違う。
ユリシー嬢とその背後の誰かがエリザベスを悪役に仕立てあげようとするなら、不埒な考えを後悔するくらいに叩き潰さねば。
日間ランキング1位になりました…!
まったく想像していなかったのでびっくりしております。
ブクマ・評価・感想ありがとうございます。
執筆を優先させたいので個別に感想のお返しはできませんが、とても励みになります。
まだ書いていないこともありますので、回を重ねて疑問にもお答えできたらいいなと思います。