7.作者発見
授業の終わった放課後。オレはエリザベスとの偶然を装った邂逅を得るべく、いつものように空き教室で暇をつぶしていた。
以前は人気のない二階の端の教室をよく使っていたが、エドワードとユリシー嬢に会ってしまったため最近では教室を転々としている。何かあれば遠慮なくハロルドに伝えろと言ったものの、対面するのは嫌だ。裏に何かあるとか云々以前につっこみが追いつかなくて疲れるからな……。
そんなわけで今日はハロルドと別行動とし、オレは一人、三回生の使う地理学教室に足を踏み入れた。
ドアを開けて一歩進んだ途端、しまった、と思った。教室内には人影があった。
廊下からは見えない壁際の席に一人の令嬢が座っていた。ストレートの前髪は暗い色で少々野暮ったく量があり、俯いた顔を覆い隠している。
その人物がふと顔をあげ、こちらを見て――。
「あっ、――ひぎゃあっ!?!?」
妙な叫び声を発したかと思いきや、ばさばさと手元の紙をぶちまけた。
驚愕に目を見開く顔に見覚えはない。しかしこの恐慌具合からして向こうはオレを知っている、しかもおそらく、何かよからぬことが原因で。
足元に飛んできた紙の一枚を拾いあげて視線を落とした。
そしてオレもまた目を見開く。
「なんだ、これは?」
「ぎゃあ――――!! 見ないでくださいいいい!!」
マス目の並んだ紙はびっしりと几帳面な文字で埋められ、その中には「ヴィンセント」と「エリザベス」の文字が躍っていた。
これはオレとエリザベスを指しているに違いない。
「……貴様、どういうことか教えてもらおうか?」
「ひいいっ!!」
威厳を込めて睨みつけると見知らぬ令嬢はガタガタと震えはじめた。椅子から落ちて床に座り込んだまま、逃げる気力もない。
内容を精査すべくオレはふたたび紙を眺める。そして気づいた。これは、小説だ。文章は小説の体裁に沿って書かれ、小説の中のヴィンセントとエリザベスはどうやら城下町にいるようだ。
二人は最低限の護衛をつけて仲睦まじく買い物をし、市井の菓子を食べ、小さな公園で手をつないで歩く。風が吹けばヴィンセントは己のコートをエリザベスに差しだしてやって……。
……これは、オレが長らく夢に見ている、お忍びデートじゃないか。
「どういうことか教えてもらう前に、続きをもらおうか?」
「ひいっ! は、はい……?」
おもむろにのばされた手に縮みあがった令嬢は、青ざめた顔をのせた首を真横にかしげた。
一時間後。
床に散らばった原稿用紙をすべて集め、内容を確認したオレは、相異なる二つの想いに翻弄されていた。
セレーナ・ヘイヴン子爵令嬢と名乗った彼女は、オレとエリザベスのありもしないイチャイチャ生活を大長編で執筆中だった。一時間も読んだのに、これで全体の四分の一も終わっていないと言う。
不敬罪で処罰するぞと言うべきか。
残りも頑張れと言うべきか。
気持ちの上では後者を推したいが、そうもいかない。
直近に『乙星』を読み返していたおかげですぐにわかった。
セレーナ嬢は『乙星』の作者だ。
いくつかの細かい癖が作者は同じ人物であると示している。
難しい顔で腕組みをしたまま動かないオレにセレーナ嬢は顔面蒼白になり同じく硬直している。怯えた目と引き結ばれた唇は刑の執行を待つ罪人のよう。
エドワードほどではないが、オレだって女性にそんな顔をさせるのは本意ではない。
「……とりあえず事情を聞こうか」
「ひべぇ。ご、ご慈悲をぉ……」
顔面の力を抜き普段の物柔らかそうな《王太子》の表情に戻すと、また妙な声をあげながらセレーナ嬢は訥々と語った。
いわく、セレーナ嬢の実家は、子爵家ではあるが暮らしは貧しく、セレーナ嬢は幼いころから写本などをして生計を助けていたという。そのうちに様々な書物に出会い、自分でも書くに至った。これまでにもいくつかの本が売れ、日々の糧になった。
そして王立アカデミアに入学したセレーナ嬢は、貴族たちのきらびやかな生活を目の当たりにし、一本の長編小説を思いつく。
それが『聖なる乙女は夜空に星を降らせる』だ。
「も、申し訳ありません……王太子殿下と婚約者様のお姿を使ったのは、お二人が私とはかけ離れた地位におられたので、単なる憧れで……。けれど、入学されたお二人がよそよそしくされているのを見て、とんでもないことをしてしまったと……」
いまにも卒倒しそうになりながらもセレーナ嬢は必死に語る。涙は眦に滲んではいるがこぼれることはなかった。
底辺とはいえ貴族の令嬢だ。みっともなく泣きだすような真似はしない。
「私には書くことしかできませんので……お二人の幸せをお祈りしながら、小説を書いておりました。これは売るつもりはありませんでした」
ため息をつきそうになるのをかろうじてこらえる。
あの小説の大ヒットはセレーナ嬢にも想定外だったのだ。彼女は十分に己の罪を自覚し、悔いている。王家やその婚約者に対する不敬もそうだが、恋人の時間を奪ってしまったことも。
小説の是非についてオレがこれ以上糾弾することはできなかった。
「事情はわかった。一つ聞いておくが、ユリシー嬢は『乙星』とは関係がないのだな?」
「ありません! まことにお恥ずかしい話ですが、主人公の容姿は私をモデルにしているのです……」
「……なるほど、言われてみればたしかに」
セレーナ嬢もまた流れるような藍色の髪と瞳を持ち、男爵よりは一つ上だが貴族としては下位に近い子爵家の令嬢。しかし三回生という年齢とこの物腰で誰も彼女と小説の主人公を結びつけることはないだろう。まさか小説を書いた本人とも思うまい。
侮辱の意図はなかったことは伝わった。家の事情も、激しい後悔も。
「本当に申し訳ないことをしたと思っております。どんな処分を受けても仕方がありません。だって私の出来心で、あんなにも想い合っているお二人を……」
「想い合っている?」
つい引っかかってしまって声をあげると、セレーナ嬢はきょとんとした顔でオレを見た。うっすらと膜をひいていた涙が消えていく。
違うんですか? と言いたげな視線が痛い。
めっちゃくっちゃオレの片想いだよ。
「王太子殿下は、ラ・モンリーヴル公爵令嬢のことをよくご覧になっておられますよね」
やはりエリザベスを見すぎだったか。ハロルドにもエリザベスが同じ空間にいると百回は視線を投げかけていると言われた。さすがは作家、人間観察に長けているというべきか……。
しかしな、オレがエリザベスを好きだからといってエリザベスもオレに恋情を持っているとなどというようなご都合展開は、現実世界では起きない。
憂鬱な気分になったオレの耳に、セレーナ嬢の一生懸命な声が届いた。
「ラ・モンリーヴル公爵令嬢も、よく王太子殿下のことをご覧になっておられます。なので、私お二人は想い合っているのだと信じております」
「……本当か?」
「本当です。……王太子殿下が百回見ているとしたら、エリザベス様は十五回くらいですけど……でも、王太子殿下を、情のこもった視線で見ておられます」
無罪決定。
そうか、オレが百に対してエリザベスは十五か。現実的な数字が脈あり感があっていい。
にこりと微笑むと、セレーナ嬢は顔を真っ赤にして唇を震わせた。
「重要な情報を教えてくれてありがとう。君の小説のことはぼくの胸にしまっておくよ」
「ふぁ、ふぁいいっ! ありがたきしあわしぇ……」
いかん、王族パワーMAXの笑顔は子爵令嬢には刺激が強すぎたようだ。エリザベスにもこの十分の一くらい効果があるといいんだがなぁ、と遠い目になる。
なんにせよ、頼もしい味方を引き当てた。
いざとなればセレーナ嬢にユリシー嬢は主人公ではないと否定してもらうこともできるからな。
ただしそれは、最終手段だ。
「では、ぼくとエリザベスの小説、続きを楽しみにしているよ」
「頑張りますっ!!」
両手で拳を握り「ファイトッ」のポーズをとるセレーナ嬢。
彼女には《ありえるはずだったオレとエリザベスの物語》を完結させてもらうまで、別のことで手を煩わせるわけにはいかない。
面倒なことはオレが処理しよう。