体調不良は遅れてやってくる


 忙しければ忙しくなるほど、余計なことを考えなくて済むし、嫌な記憶も忘れられる。だが、今日中に終わらせないといけない課題が山積みだと、またそれはそれで憂鬱になってくる。

 悪夢から二日目。あの凄惨な日を思い出すだけで頭痛がする。パソコンのキーボードに添える手を動かしながらカレンダーに視線を向けると、本当なら今月中に式場を予約して、招待状を出している頃だったのかと名前の顔には憂愁の影が差した。動いていた指の速さは落ち、次第には止まってしまう。少しの間だけ心も身体も無になっていると、隣にいた先輩に声をかけられる。

名前ちゃん。これも今日中にお願いできそう?」
「はい」
「ダメだったら無理しなくていいからね」

 そう遠慮しつつも机の上に置かれた書類の束に目をギョッとさせる。パソコンのキーボードから指を離して腕時計に目を落とせば、すでに針は二十時を回っていた。また、前回の繁忙期と同じく終電コースかもしれない。仕事を終わらせてから全力疾走で電車に乗り込む自分を想像しただけで、まだ走ってもいないのにどっと疲れがこみ上げてきた。この野郎と思いながら新たに追加された書類を睨むと、作業を再開して間もなく目眩が襲う。

ぐらりと視界が反転し、鈍い音をさせながら机に突っ伏した。隣に座る先輩が慌てて私を机から引き剥がしては、課長の座る席に向かって手を振る。

「課長!大変。苗字さんがダウン!」
「え」
「熱ある!すごく熱いです、帰らせましょう」
「いえ……これくらいなら、大丈夫です、から……」
「いや全然大丈夫そうに見えないから。すぐ病院行って」
 
家で体温計を測った時は37.4と微熱だったから問題ないと鷹をくくっていたのに。先輩が額に触れてきた名前の顔は赤く、額に汗を滲ませていた。会社に常備された体温計で熱を測ると38.9℃とかなりの高熱で、名前は体温計をつまんで眺めながら、絶対おとといの雨のせいだと通り雨があった日を恨んだ。

「すみません、早退します」
苗字さん、早退も何も残業は強制じゃないから早く帰りなさい。残業チェックは私が付けておくから」
「ありがとうございます。では……お先に失礼します」

 上司に向かって軽く頭を下げ、気怠い身体に鞭打ち必死に立ち上がる。名前は周りの社員が必死に仕事をしている中で自分だけ先に帰ることにほんの少し罪悪感を感じながら、先輩の手を借りて職場を後にした。

- XRIA -