悪魔との目覚め


 夢と現実の最中を彷徨っていると、ふわふわとしたベッドの感触が心地よくて自然と枕に頬ずりをしてしまう。そういえば昨日は散々だった。飲んで潰れてそれで……と、まどろみの中で思い出そうとするが、酔いが回りだしてからの記憶がない。全く覚えてないのだ。それに、どうやってここに寝たのかもわからない。

「ぅっ、頭痛い……」

 飲みすぎで頭痛がする。完全に二日酔いだ。しかも瞼が重くて開けにくい。指で瞼に触れると浮腫んでいる気がするし、これは確実に腫れているだろう。それに自分の声が頭に響く。金づちで脳をノックされているようなズキズキした痛みに顔を歪めた。やはり昨日の事は夢ではない。正真正銘、付き合っていた彼氏に振られたのだ。

「とりあえず今日は休みだからゆっくり寝てい、よ……」

布団に入り直して反対側に寝返りを打つと、得体のしれない男が上半身を何も纏わずベッドに腰を下ろして座っていた。

「へ!?」

 素っ頓狂な顔を上げると、ようやくこちらに視線をちらりと向ける相手は、さも自分がここに居るのは当然かのようにベッドに腰掛けている。極め付けには右手に持った煙草を片手に、「オハヨウ」と微笑んだ。一体、全体。何があったのだろう。必死に記憶を辿るが彼の正体を思い出せるものが何一つ見つからない。咄嗟にまた寝返りを打ち、思考停止させたまま目を泳がせる。

「どうした?まだ気持ち悪いか」

後ろから聞こえる声が、私の髪を優しく梳いてくる。いやいや、待て。だから誰。

「あの、その……昨日どうなりました?」
「どう?ああ、そうなてる」

そうなっている?その言葉の意味が何を指しているのかわからず振り返ると、煙草を口に挟みながらゆびを指されている自分。数秒後に自分が全裸な事にやっと気付き、思わず声にならない悲鳴を上げた。

「っ!?」

真っ赤にさせながらベットの中に埋もれると、ククク……と悪魔のような笑い声をさせて笑う声が聞こえる。まさか後ろにいる男は私が酔っているのをいい事に、ここまで連れてきたのだろうか。今日に引き続き最悪だと頭を抱えたくなる。

「睨むな。お前が誘たよ、ワタシ悪くないね」
「え、嘘……」

何をバカな事を。そんな筈ない。埋れていた顔を勢いよく出して疑いの目で睨めば、またフッと短く笑いながら、彼はベットの脇にある灰皿を手繰り寄せている。

「嘘だと思うなら、ご自由に」

この際、嘘でも本当でもどっちでもいい。今はとにかく、この状況からすぐにでも立ち去りたい。灰皿に煙草の火を押し付けている男の背中を警戒心たっぷりに睨みつけながら、名前は眠っていたベットからそろそろと降り立つ。

「私帰りますね……」
「帰るて、帰る場所ないだろ」

シーツを巻き付けながら床に散らばった衣服を拾い集めていると、知るはずのない個人情報を知られていることに手がピタリと止まる。

「どうして、それを知ってるんです?」
「お前が言てたことだろ。まあ、それも忘れてるか」

右半分だけ見える彼の横顔から覗く眼がスッと細くなり、もともと笑っていた綺麗な目元は更に細くなる。なんだかそれが恐ろしく感じて余計にここから立ち去りたくなる。

「ここ、どこのホテルですか?」
「家」
「え?」

ホテルじゃなくて家?ここは家なの?

「誰のですか」
「ワタシの家ね。あそこからだと一番近いしな」

指を下に指してみせる彼に、困惑する。理解できない。初対面の女を自分の家にあげるのかこの人は。

「そ、そんな見ず知らずの女を家に上げてこわくないのですか」
「ハ、それはワタシが恐がることか?」

 鼻で笑うそいつは衣服を拾い上げてから立ち尽くすままの私に近づき、覗き込むように前屈みになる。いきなり急接近してくるものだから、そのまま自然と身体が後ろに仰け反った。

「それは、見ず知らずの男の部屋に連れてこられてるお前が思うことね。ワタシじゃない」

 口が触れ合いそうな距離に、息を飲んでしまう。至近距離で目にした肌はなめらかだった。黒目がちな目は切れ長で、そして額からスっと伸びた鼻梁は低過ぎず高過ぎず、唇は軽く微笑んでいる。顔だけなら、女性だと言われてもそうなのだと信じてしまうくらいには綺麗だ。近づいてくる顔と上半身がくっつきそうだった。離れる姿を見届けた後、緊張の糸が一気にほぐれ名前はほっと息をつく。この人、いろんな意味で心臓に悪いかも。

「お前、今日時間あるか?」
「ありません、やることがたくさんあるので」
「そ。もうちょと話せるとおもたのに、残念」

 人を弄ぶように話す彼に向かってぴしゃりと言い放ち、手に握りしめていた衣服を着る。シワだらけで不格好だが、仕方ない。店が開いたら、適当にまた買いに行こう。

「おー、本当に帰るのか。ならついてくね」
「結構です」
「そう警戒するな。仕事に行くだけよ、駅まで送るだけ」

 立ち上がった男はソファに添えられた衣服を手に取った。袖を通しながら、あ、と短く何かを思い出したように口を開き、ラックから一つ衣服を引っ張り出す。そしてそれを私の頭の上から勢い良く被せてきた。

「被れ。朝は冷えるからな」
「何ですかいきなり」
「寒くないようにしてやただけよ」

貸してくれると言うのだろうか。確かにこれならスカートの裾しか見えないし、服のシワも目立たないけれど、ここで借りてしまえば返す為にまたこの人に会う羽目になる。気まずいし、それは是非とも避けたい。

「えっと。お借りするわけには」
「じゃあ、やるから。着ろ」

断ろうと思ったが、無理やり押し出すように外に出されてしまい仕方なく袖を通した。ここまでされては相手の厚意を素直に受け取るしかない。玄関の外で鍵を締めている相手の姿を横から見守っていると、少し吹いた風にあたっただけで鳥肌が立った。予想以上の外気の冷たさに、名前は自分を抱きしめるように腕をさする。

「さむっ」
「だろ、だから着ておけ」

何食わぬ顔で、私が家出と共に持ってきたカバンを手渡される。そしてパーカーを着た時に乱れたのだろう、丁寧に私の髪を梳いて頭を優しく叩かれた。まさかこの一件で、もう彼氏のつもりなのだろうか?気まずそうに相手の行動を大人しく見守っていると、一人歩き始める背中は、こちらを振り返る事なく建物の通路を歩いていく。

「早く来ないと置いてくね」

 一人でずんずんと先に行ってしまうくせに、私が見失わないように遠くの方でこちらをジッと見つめて立っている。なんだか、懐かない野良猫のみたいで、馴れ馴れしいのか警戒されているのかわからない。名前はまだズキズキと痛む頭でそんなことを思いながら、弾かれたように彼の跡を追いかけたのだった。

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