『木綿のハンカチーフ』誕生秘話  NHK名盤ドキュメント『心が風邪をひいた日』から  | Kou

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音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。


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今年4月に放送された、NHK名盤ドキュメント『心が風邪をひいた日』は、太田裕美の3rdとなる同名アルバムの制作秘話を紐解いたものです。番組では収録曲のいくつかのエピソードを取り上げていますが、今回ここでは『木綿のハンカチーフ』をピックアップしました。

 

番組には当時のアルバム制作関係者として、太田裕美本人、編曲家の萩田光雄、担当ディレクターの白川隆三があつまり、聞き手としてミュージシャンのヒャダインが加わっています。さらには別撮りとして、作詞家の松本隆が当時を回想する形になっており、加えてコメント出演者として、ミュージシャンの持田香織、真心ブラザーズ、タレントのクリス松村、教育学者の齋藤孝らが、アルバムへのオマージュを捧げています。

 

これら錚々たる面々による、『木綿のハンカチーフ』が生まれるまでの、貴重な証言が連なる番組です。当ブログによるテキスト化が、同曲の貴重な文字記録となることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

太田裕美の『木綿のハンカチーフ』

シングル売上は86万枚。

これまで60組以上のアーティストがカバーしてきた名曲である。

椎名林檎、真心ブラザーズ、いきものがかり、・・・

この名曲を収めた太田裕美のサードアルバム『心が風邪をひいた日』。

 

持田香織 好きです。自分も同じ職業になって改めて凄さを感じます。

 

真心ブラザーズYO-KING 昔ながらの歌謡曲の世界が変わってゆくんだという、大きなうねりが始まるぞ、っていう、そういうのを予感させるアルバム。

 

 

 

ヒットメーカーたちの実験

 

左:筒美京平  右:松本隆

 

歌謡界に変革のうねりが起きていた。
そこには歌謡界ヒットメーカーたちの知られざる実験があった。

 

松本隆 天下分け目の戦いがあって、一つ一つ勝って証明していく。

 

クリス松村 歌謡曲じゃない作詞家と、ポップスの筒美京平さんが合わさった、奇跡ですよね。フォークやロックのミュージシャンが歌謡界に進出した70年代。太田裕美はそんな時代を象徴するアイドルだった。

 

 

太田裕美について…

 

持田香織 かわいい。昔の映像とかをいま拝見してもすごくかわいいし。

 

クリス松村 ちょっとほかのアイドルとは全く毛色が違うのだけれど、アイドルと言われるとどうなの?って思うんですよ。

 

丸山茂雄 元ソニー・ミュージック社長(太田の元宣伝担当) 20過ぎて、アイドルにしてはとうがたってる。ニューミュージック風?に見せるってところから入ったわけで…

 

真心ブラザーズ桜井秀俊 アイドル歌手ではなくて、音楽的だってところが凄い。サウンドの一部として乗っかれる人。

 

 

1975年12月5日に発売された3rdアルバム『心が風邪をひいた日』。

片面6曲計12曲収録され、A面一曲目が『木綿のハンカチーフ』だ。

 

持田香織 手紙のやり取りみたいな感じで素敵です。『僕はこうだよ』『いえわたしはこうよ』っていうのを誰しもが経験してゆくことだったりするから。女性が歌う歌詞の選び方というか、『いいえ』っていう言葉、『きらめくはずないもの』とかが、きゅんとする。私は女性として、『~なの』ということが、ちょっと照れくさいって気がしてしまうんですけれど、シンプルにストレートに表現されるので、やっぱり(情感を込めて)かわいい。

 

齊藤孝 男女の心の往復書簡というスタイルを、歌謡曲の枠組みに入れたっていうことが画期的。

 

 

作詞はJポップ史上最大のヒットメーカー松本隆。

松田聖子、近藤真彦はじめ、数々のヒット曲を手掛けた松本。

元は伝説的ロックバンドでドラマー兼作詞を担当していた。

グループ解散後は作詞家に転身。当時はまだ駆け出しだった。

 

松本隆 作詞家になるといって、芸能界に単身赴任したんですけど、割と早い時期に筒美京平という人にめぐり合えて、『僕と一緒にやってくれないか』と申し出があった。

 

松本の才能にいち早く目を付けたのが作曲家の筒美京平である。

総売上枚数7600万枚を記録する、歌謡界最大のヒットメーカーだ。

太田のデビュー以来、コンビとしてやってきたふたりだったが、シングルが思うように売れず、松本は悩んでいた。

 

松本隆 彼(筒美)のやり方で物事がどんどん進むんでいくことに、違和感があったので、『先に詞を書かせてくれ』と言った。

 

当時の歌謡曲は、出来た曲にあとから詞をつけるやり方が多かった。でも松本は、このアルバムでは詞を先に書き、あとから曲をつけてほしいと堤に提案。出来たひとつが『木綿のハンカチーフ』だった。

 

松本隆 筒美さんはすごく器が大きい人で、僕の提案をおもしろがってくれ、じゃあやってみようということになって、歌で短編小説と同じようなものができるかという、チャレンジだった。

 

だが、詞を受け取った筒美は戸惑った。

長かった。

当時の歌謡曲は、一番二番を歌ってサビを繰り返す、2コーラス半が主流。

この歌は四番まである。

さらに男女の人称変化や、文学的な言い回しをどう表現するか、音楽的課題が山積みだった。

 

 

 

 

 

 

『木綿のハンカチーフ』誕生の秘密 長すぎた歌詞

 

 

筒美は松本の長すぎた詞を受け取った夜を振り返り、こんな言葉を残している。

 

筒美京平 最初は戸惑ったけど、取り掛かってみたら、うまくスルッとついっちゃった。

 

戸惑った筒美は、いかに曲を仕上げたのか。

当時の関係者と、レコーディングの秘密を解き明かす。

太田裕美 編曲家萩田光雄 担当ディレクター白川隆三 ミュージシャン ヒャダインの四人が語る。

 

 

白川は曲の誕生に一役買っている。

筒美は松本の長すぎる詞に戸惑い、これではできないと白川に連絡を取ったが、なぜか捕まらなかったのだ。

 

太田裕美  六本木で夜な夜な呑んだくれていた時代。筒美さんが白川さんを捕まえられなくてあきらめて書いたら、すごいいい曲ができた。

白川隆三  僕を捕まえられなくて、話しをおもしろくするため僕がその晩六本木か原宿で呑んでいたって勝手に付け加えるから、そういう伝説が出来上がっちゃった。

 

 

 

 

 

作曲の秘密 上がる男と下がる女

 

 

 

男女のメロディーラインに注目

 

ヒャダイン 僕がびっくりしたのは、男のパートってずっと上がるんですよね。で、三小節目で最高音が出て、ずっと上がり調子なんですけれど、女性のところになると、『いいえあなた』ってすっと下がるんですよね。これは悲しみをメロディラインで、メリハリ付けられているのかなぁって。

 

太田裕美 (今言われて)私も、はじめて気づいた。でも、筒美先生なら、さもありなん、だと思う。『ぼくは旅立つ』と上がるところで、地声からファルセット(裏声)に変わるじゃないですか。太田裕美の持ち味の、いいところを早めに出そうっていう、曲作りをされているんじゃないだろうかって。

 

持田香織 軽く歌えっるって気がしてしまうんですけれど、(実際は)すごく高いっていう印象。『ぼくは旅立つ』の、『つ』がウ行だから難しい印象。ア行だったらいいんですけれど。

 

 

デビュー当時からこの曲をカバーする真心ブラザーズも、曲の解説に名乗り出た。
長い曲を飽きさせない秘密が、コード進行にあるらしい。
 

真心ブラザーズ桜井秀俊 『ぼくは旅立つ』の『つ』の音が最重要。

 

真心ブラザーズYO-KING 『つ』の音は、表でもなく裏でもなく、『つーー』っていう抜ける感じが、「わたしうまいでしょ」って感じじゃない、ってところが、ずっと聴けるし、楽しそう。


 

 

 

 

作曲の秘密 飽きさせないコード進行

 

 

真心ブラザーズ桜井秀俊 1小節目のコード進行の、 A Am7 F♯m  C#m  っていう進行が、折り返してまた始まるんですけれど、頭の A を抜かして Am7 F♯m  C#m だけが来るんです。普通、4拍子の曲だと小節も4小節、4の倍数で進んでいくのが気持ちいいのに、反復する規則である1小節目の一番基本となる音をすっ飛ばして、2、3、4ってくるのは、この曲しかない。

 

真心ブラザーズYO-KING 居心地が悪い(のがいい)。

 

1小節目の A Am7 F♯m  C#m

     

Am7 F♯m  C#mだけが、繰り返されている

 

 

真心ブラザーズ桜井秀俊 4番まであって飽きないのは、この変則な感じを理解するのに時間がかかる。4回聴いて、聴き手は腑に落ちるっていうところがある。松本さんの無茶振りの詞に、京平さんが「え~」って言いながら、いいのが出来ちゃって、これでもう大抵のものができるって、自信を持たれたと思う。

 

白川隆三 今までない4コーラスの詞に、筒美先生がすごい勢いで挑戦されたんだと思います。

 

松本の挑戦的な詞に見事に応えた筒美は、こんな言葉を残している。

 

筒美京平 松本君とは、こう云うふうに書いたら、こうくるだろうなうっていう読み合いもあるわけで、わざと破格なものをぶつけてくるみたいなのがすごくあるよね。

 

 

 

 

 

 

編曲の秘密 ポリリズム?

 

 

天才アレンジャー萩田光雄の存在も、名曲誕生に欠かせない。

その編曲術の秘密は。

萩田光雄 イントロのギターのフレーズは3拍フレーズ。4拍の中に3拍があって、同じテンポでも二倍のスピード感がでる。

 

 

 

 

 

『木綿のハンカチーフ』誕生の秘密  シングルカットの壁

 

 

白川隆三 これをシングルカットしたのは特殊な例で、それ以降はこういった例はほとんどないんですよ。

 

特殊な例だったという、この曲のシングルカット。

当時の歌謡界の、特殊事情が関係していた。

 

松本隆 ものすごいいい曲ができたって、すごく興奮して、「これはシングルに切った方がいいって、京平さんが言い出して、そこから1ヶ月くらい白川さんは悩んでいた。

 

白川隆三 ぜひシングルカットしてほしいって意見があっちゃこっちゃからあがって、ただ難問なのが、あまりにも(詞が)長すぎる。

 

丸山茂雄 テレビで歌う場合、ワンハーフの時代だった。曲がいいも悪いも関係なく、テレビの都合でズタズタにする。

 

白川隆三 なんとか短くならないだろうかって、いろいろ考えた。京平先生とも松本さんとも相談したんですけれど、(ストーリーだから短く)ならない。

で、思い切ってこのままにした。

 

どうにかシングルに踏み出したこの曲だったが、シングルカットには、なんと筒美自身がアレンジを加えていた。

 

 

 

 

 

『木綿のハンカチーフ』誕生の秘密 派手なアレンジ

 

 

太田裕美 (シングル版は)派手。

 

ヒャダイン (アルバムの)ベースとシングルの掛け合いが、(シングルでは)ストリングスとギターの掛け合いに変わっている。ギターのリフは変わららず、基本ラインは変えていない。

 

白川隆三 筒美先生は、シングルはイントロがすごく大事だと思ってらっしゃる。あの意図はよくわかる。

 

さらにコーラスも足している。

♪ いいえ、わたしは欲しいものはないのよ ♪

 

ヒャダイン シングル版は、派手で洋楽っぽい。

 

 

 

 

 

『木綿のハンカチーフ』誕生の秘密 歌詞が違う

 

 

アルバム版とシングル版では、歌詞まで違っている。

 

ヒャダイン 歌詞が変わるってすごいことですよね。

 

太田裕美 一箇所だけね。3番の「君は」が「いまも」に変わっている。

 

アルバム版

「 恋人よ 君は素顔で くち紅も つけないままか 」

シングル版

「 恋人よ いまも素顔で くち紅も つけないままか 」

 

 

レコーディングで、急遽歌詞を変えた。

 

松本隆 君は』だと、ただの人称代名詞。『いまも』だと、時間の経過になる。時間の経過を強調したかった。紙に言葉を書いただけでは、完成原稿ではない。歌手が歌った瞬間、完成する。

 

 

 

 

名曲誕生裏話

 

 

東へと旅立つ主人公。

その故郷とは、いったいどこなのか。

実は白川ディレクターから聞いた炭鉱の話がヒントらしい。

 

松本隆 (白川さんに)「松本君は東京育ちで、それは全国区にならない。地方の都市の悲哀を詞に盛り込んだ方がいい」と言われた。テーマを「都会VS田舎」で展開したらどうかな、ということになった。

 

萩田光雄 (この歌は)やっぱり白川さんがいなきゃできなかった。

 

白川隆三 松本さんがそういったのなら、炭鉱の話はしたと思います。僕は北九州なんですけれど、本籍は田川で炭鉱なんです。中学校ぐらいのときは、田川ってのは炭鉱離職で集団で大阪や東京へ行く人が、まわりにたくさんいた。

 

萩田光雄 白川さんがモデル。

 

こうしてシングル版が完成。

ふたつのバージョンが生まれた。

 

萩田光雄 木綿のハンカチーフっていう存在は大きくて、このアルバム全体が成功ってみられたのも、楽曲に力が大きいし、アルバム楽曲がシングルになったっていうのも、僕にとって誇りです。いい仕事しなって思います。

 

 

 

 

名盤ドキュメント

 

 

 

 

ブログ後記

 

2000年にPARCO出版から、『太田裕美白書』という本がでています。松本隆はここでもインタビューに応え、『木綿のハンカチーフ』を語っています。いささか長くなりますが、その一部を引用して当ブログを締めくくります。

 

松本隆

 

最初、『雨だれ』というのをやって・・・。彼女のデビュー曲。確か、まったく白紙の状態の新人というのは初めてだった。その前にアグネス・チャンがいたんだけど、もう売れていたから。彼女はまったく白紙だったんで、力を入れて作ったんだけど、『雨だれ』『たんぽぽ』『夕焼け』ってシングル3枚が出るうちに、だんだん売り上げが落ちてしまって。

 

それで『夕焼け』が出たあたりでディレクターの白川隆三さんを呼び出してね。まぁ彼も初めてだったんだけれど、2人とも初めてということで、仲良く作っていて・・・。でも、なんていうのかなぁ、彼に詞を直されまくったというかね。あそこを直してくれとかここを直してくれとか。歌入れのスタジオに行っても、まだやっていたかもしれない。それで、ぼくはどうすればいいか分からなくなっちゃった。

 

その後『夕焼け』が出て、案の定また売り上げが落ちて、これは自分としてもまずいかなと思って。きっと人の言うことばかり聞いているから不本意な作品になってしまったんじゃないかと。それまでは、結構いい子に作詞家をやろうと思っていたんだけど、こんな仕事をしていたらつまらないなと思って。いい子に作詞家をしようとしている姿勢自体が悪いんだなと。

 

ある日、白川さんを呼び出して、「一回好きなように書かせてくれ」って言ったんです。「次のアルバムは、詞に対して口を出さないでくれ」って。嫌だったら、もうぼくを切っていいからって。白川さんは「シングルは口を出させてもらうけど、アルバムは好きに作っていいよ」って言ってくれた。だから『心が風邪をひいた日』というのは、本当に好きに作った。そのアルバムの中に、『木綿のハンカチーフ』が入っていた。

 

実際、できあがってみると、まぁ少しはマシになったなって思った。でもまぁ、ぼくがキれちゃったときにふろしきを広げちゃったから、これで売れなかったらやめようかなぁとおもったんだけれどね。また違う職を探そうかなぁって。

 

結果としては、自分は間違っていないこととか、自分の感性は間違っていないこととかがわかった。テストに合格したみたいな感じで。その合格のし具合が圧倒的だったんで、それからすごくやりやすくなっちゃってね。プロダクションとかレコード会社が、わりとぼくのいうことをきいてくれるようになった。それはまぁカケに出たということで、ルーレットでいったら「0」にかけたという感じ。

 

そういう意味では、ぼくにとって「太田裕美さまさま」なんですね。ありがとうございます、という感じです。

 

 

 

 

松本隆の誕生からはっぴいえんどまで、その軌跡を綴った松本隆ヒストリーをアップしました。そちらもお読みいただければ幸いです。

 

 

 

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