CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その3 | A Flood of Music
2017年07月19日

CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その3

テーマ:スピッツ
【お知らせ:2019.10.12】令和の大改訂の一環で、本記事に対する全体的な改訂を行いました。この影響で、後年にアップした記事へのリンクや、本作がリリースされた後に得た情報も含む内容となっています。


 本記事は「CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その2」の続きです。レビューの趣旨や留意点についてはリンク先(と更にそのリンク先の「その1」)をご覧いただくとして、前置きはなしで本題に入ります。


Disc 3 CYCLE HIT 2006-2017 Spitz Complete Single Collection


 本記事ではDisc 3に収められている15曲をレビューの対象とします。基本的には31stシングル『魔法のコトバ』(2006)から41stシングル『みなと』(2016)までの表題曲が通時的に収録されているディスクとの理解で結構ですが、3枚目の特別盤『おるたな』(2012)から代表して1曲、そして本作のために新たにレコーディングされたナンバーも3曲収められているため、Disc 1・2とは少々趣を異とする一枚です。また、この間には両A面の形式でリリースされたシングルが2作ありますが(37th, 38th)、2nd A面に相当する楽曲については未収録となっています。


01. 魔法のコトバ



 2006年リリースの31stシングル曲。2-15.のカバーは映画『3月のライオン』の主題歌でしたが、本曲も原作者を同じとする映画『ハチミツとクローバー』の主題歌です。僕は両作品とも実写版は観たことがないものの、アニメ版は全話鑑賞済みで、特に後者はTNにも記されている通り、挿入歌としてスピッツのナンバーが数多く使用されていたので、その点でも思い出深くあります。前者にもスピッツネタは存在し、第16話 Chapter.32のサブタイトル「夜を駆ける」は、おそらく10thアルバム『三日月ロック』(2002)に収録されている同名の楽曲に由来しているはずです。別アーティストの紹介となりますが、同じく両作品に楽曲が使用されているYUKIの記事を参考までにリンクしておきます。

 「その1」と「その2」の記事でも適宜参照先としている過去のエントリー『ソラトビデオCOMPLETE 1991-2011』(2011)の中で、僕は本曲に対して「恋愛賛歌」および「恋の多幸感」なる形容をしました。この認識は今も変わらずで、流麗なメロディライン自体の美しさは勿論のこと、軽快なギターサウンドとラグジュアリーなストリングスがあわさった編曲に、何処かシティポップ的なファクターを覚える点が実にドラマチックで、延いては文字通り恋愛作品のイメージと結び付くことから、なお一層ラブのビジョンが鮮明になっていると評せます。

 "君は何してる? 笑顔が見たいぞ"の、"ぞ"がカタカナだったら更にわかりやすいと思いますが、古き良き昭和感が残されていると解せる点も好みです。というのも、本曲には"コトバ"を伝える手段として、「会う」以外の選択肢が提示されていないからです。"また会えるよ"はそのままの理解でいいとして、先の"笑顔が見たいぞ"も、基本的には会ってこその台詞ですよね。昭和の時代というか携帯電話が本格的に普及する前でも、イエデンを使えば会わずに声のやりとりは出来たわけですし、リリース当時の2006年まで時を進めても、未だガラケーが優勢とはいえ携帯端末は普及しており、加えて2-11.にも書いたようにパソコンを個人で所持する人も増えてきていたので、歌詞に「会う」以外の"コトバ"を伝える手段が出てきたとしても、何らおかしくはありません。にも拘らず、そうはしていないところに「古き良き」を感じたという解釈です。先は便宜的に昭和感と付してしまいましたが、もっと遡って会って話すことの重要性を根源的に"魔法"に喩えているのが、本曲で歌われていることの肝ではないでしょうか。


02. ルキンフォー

 2007年リリースの32ndシングル曲。2-14.でその手腕を称賛した高山徹さんによるミックスゆえ、本曲にも同様の表現を適用しますと、やはり「ザラっとした質感」を付すのが非常に巧い方だと思いました。TNでもふれられているように、バンド結成から20周年にあたる年に世に出たナンバーなので、回帰的なサウンドとなっているのは意図的でしょうね。竹内修さんの言葉を借りれば、まさに「来し方行く末を示唆する」内容です。これは文脈上歌詞とMVに対する発言ですが、音作りの観点にも適用可能であると補足します。この総括的なスタイルから、当時は「すわ解散か」と不安に感じたことを白状しますが、そこから10年以上経ってもこうしてスピッツが活動を続けている事実には、喜びを隠しきれません。"まだまだ終わらない"は嘘ではなかった。

 「ルキンフォー」という求道者然とした曲名が象徴しているように、困難や障害はあるものとして乗り越える意志に満ちた歌詞内容が実に素敵です。特に2番は丸々全フレーズが心に響き、レビューのために引用する箇所を絞るのが難しいほどですが、"風向きはいきなり 変わることもある"から窺える運命を敵と見做さない人生観と、"言ってたより少し早く"から察せる精一杯の頑張りの証と、"めずらしい 生き方でもいいよ"から受け取れる逸脱への寛容と、"燃えカス時代でも まだ燃えそうなこの/モロく強い心"からはっとさせられる時勢との向き合い方は、何れも金言と胸に刻みたい言葉繰りです。


03. 群青

 2007年リリースの33rdシングル曲。本曲のポイントはTNで語られている通りで、スキマスイッチの大橋卓弥さんと「トイレの神様」(2010)でお馴染みの植村花菜さんによる、上下3度ハモりが特徴です。お二人とも単独で充分にパワフルな歌声の持ち主ですが、間に挟まれた草野さんのボーカルともしっかりとした調和を見せており、他者の声が重なることで改めてボーカリストとしての魅力に意識がいきます。「スピッツ feat. ~」と、アーティスト名自体にクレジットされているわけではないものの(名前の記載は、additional musicians > backing vocalにあり)、これはコラボレーションと言っていいワークスでしょう。MVにもアンガールズが起用されており、共演の楽しさにフォーカスしたい時期だったのかなと想像しています。このように試みは新鮮なれど、サウンド的には寧ろ初期っぽさがあって、90年代のアルバムに入っていても違和感がなさそうな仕上がりであるのがまた面白いです。

 歌詞で着目したいのは"鳥を追いかけて"の部分で、当時「草野さんいっつも鳥追いかけてんな」と思った記憶があります。笑 実際に調べてみると、"鳥"と"追いかける"がセットで登場するナンバーは他に「不思議」(2007)ぐらいなのですが("はぐれ鳥追いかけていく")、収録先が共に12thアルバム『さざなみCD』だからこそ、やけに多い気がしたのでしょうね。加えて、同盤の実質的な表題曲「漣」の歌詞にも、"なぜ鳥に生まれずに 俺はここにいる?"および"翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ"と、鳥への憧れに根差した一節が存在するため、この点も意識していたのだと顧みます。古くはアマチュア時代からあるナンバーで、後に1-03.のc/wとして収録された「鳥になって」(1991)でも、"君は鳥になって/鳥になって 鳥になって/僕を連れて行って"とあり、定番とはいえ重要なモチーフであることを再認識しました。


04. 若葉



 2008年リリースの34thシングル曲。本曲については、リリース当時にアップした13thアルバム『とげまる』(2010)のレビュー記事の中にも感想が述べてあるため、とりあえず紹介しておきます。昔の拙い作文能力にしては割と文章量がありますし、一応全体の流れを解釈しようとは務めていたので、僅かだけは読む価値があると自己フォローさせてください。上掲記事からの引用と補足になりますが、そこに「今の自分にぴったりで/思い出補正もかかり涙腺崩壊」と記したのは、おそらく歌詞の"暖めるための 火を絶やさないように/大事な物まで 燃やすところだった"の部分を、特に意識したからだと推測します。

 私事ながら既に記憶が曖昧であることからも察せるように、このフレーズが刺さった要因となる個人的なエピソードは、もはや僕の中では消化済みの案件なのだとの認識です。歌詞に照らせば、"泣きたいほど 懐かしいけど ひとまずカギをかけて"の段階は疾うに過ぎて、取り出す必要がなくなったステージにまで進んでいます。要するに、若い時分には忠告も虚しく「大事な物まで燃やしてしまっていた」わけですが、後の人生ではこれを教訓として、しっかりと"バカげた夢"を手中に収められるだけの成功を幸いにも経験出来ました。しかし、残念ながら数年後には再び焼損させる結果を招いてしまったため、儘ならないなと独り言ちます。

 …えー、この誰得自分語りで何を伝えたかったのかというと、本曲の歌詞に鏤められた切言を聞き逃さないでくれとの二次警告なのでした。"優しい光に 照らされながら あたり前のように歩いてた"、"ずっと続くんだと 思い込んでいたけど/指のすき間から こぼれていった"、"つなぐ糸の細さに 気づかぬままで"、"忘れたことも 忘れるほどの 無邪気でにぎやかな時ん中/いつもとちがう マジメな君の「怖い」ってつぶやきが解んなかった"、"一人よがりの意味も 知らないフリして"、"若葉の繁る頃に 予測できない雨に とまどってた"等々、何処を切り取っても耳が痛いです。訓戒を垂れると表現すると堅苦しいかもしれませんが、機能的にはそう解釈可能な言葉の数々が、優しい主旋律とそれに寄り添うような切ないギターと共に放たれるので、すぅーっと胸に染み渡っていきます。


05. 君は太陽

 2009年リリースの35thシングル曲。本曲についても、3-04.にリンクした13thアルバムの記事を、ひとまずの参考先と案内しておきます。わざわざ読むのが面倒だという方のために、リンク先での主張を簡単にまとめますと、「アルバムで化けた」と「完璧な楽想を有している」の二点が肝です。基本的には13thのラストを飾るナンバーとしての役割を高く評価しているので、ここに単体で取り立てたレビューを載せても説得力に欠ける気がします。従って、表現の拙さはご容赦いただくとして、感想は上掲の記事に概ね委ねさせてください。

 本記事ならではの補足を一点だけしますと、本作に於ける3-04.~05.の並び;即ちこのシングルのリリース順にも、これはこれで妙味があると捉えています。本曲の結びの"理想の世界じゃないけど 大丈夫そうなんで"は、3-04.で潰えてしまった夢のビジョンに代わるアンサーとして、この上なく勇気付けられるものだと絶賛出来るからです。13thでは両曲の間に「どんどどん」が入り、同曲に何ら罪はないものの、流れをぶった切られた感は否めません。ただ、アルバム上で想定されている流れを推察して擁護をしますと、同曲で一度開き直っているからこそ、3-04.から3-05.のステージに到達出来たというサブストーリーが、その背景にあったのだろうと思っています。


06. つぐみ

 2010年リリースの36thシングル曲。三度同じ書き出しで恐縮ですが、本曲に関しても上掲した13thアルバムの記事内容をまずはご覧ください。他にシングルリリース時のエントリーも存在しますが、あまり大したことを書いていなかったので、こちらはおまけ程度に紹介しておきます。これらの過去記事で言及したポイントは何れも歌詞に関するもので、『「鶫」と「噤む」を掛ける技巧性』「1-01.および1-13.を彷彿させる内容」「年齢と共に変化する恋愛観」の三点を取り立てました。

 当時はアメーバブログとJASRACとの間で管理楽曲の歌詞を掲載してもいい契約が締結されておらず、歌詞を載せない曖昧な書き方に終始せざるを得なかったので、今ここに簡単な補足を加えます。一点目の掛詞は、"海原を渡っていく 鳥のような心がここに在る"が表題の鳥類たる「鶫」に、"「愛してる」 それだけじゃ 足りないけど 言わなくちゃ"がつまり発話前であることを考慮して「噤む」に、それぞれ結び付けられるという話です。二点目の過去曲との類似性は、前出した"海原"~が「ヒバリのこころ」(1991)を、"「愛してる」"~が「チェリー」(1996)を、それぞれ彷彿させるという話です。三点目の恋愛観の変遷は、"「愛してる」 この命 明日には 尽きるかも/言わなくちゃ 言わなくちゃ できるだけまじめに"が、現実感を伴う年齢の人間の手に成る言葉だからこそ説得力があるという話です。


07. シロクマ



 2010年リリースの37thシングル曲で、両A面のうちの一曲です。3-06.とは逆に、シングルリリース時のエントリーのほうが幾らか詳しい内容となっているので、推奨参照先にはこちらを指定しておきます。今でも本曲に対する感想は当時と変わっておらず、【Aメロ → Bメロ → サビ → Bメロ → ラスサビ】の、シングル曲にしてはコンパクトな楽想の潔さと、可愛らしい曲名に反して"憎悪で汚れた 小さなスキマ"や"地平線を知りたくて ゴミ山登る"などの、草野節が炸裂した異物感のある一節の存在を素晴らしく思うばかりです。

 歌い方に宿るアンニュイさが旋律に漂うメランコリーを増幅させ、温暖化への皮肉とも取れるゆったりとした南国風のリズムセクションとあわさることで、本曲が「シロクマ」と題されたこととMVのメッセージ性が、より一層痛切に響いてきます。また、口遊んでみれば如実に共感していただけると期待しますが、本曲の美メロっぷりは草野さんの冴えた作曲センスの賜物ですよね。透明感のあるボーカリストが敢えて気怠く歌い上げることで真価が発揮されるというギャップ萌え的な要素を、しっかりと自覚したうえで提示してきたニクいラインであると絶賛します。


08. タイム・トラベル

 2012年リリースの3枚目の特別盤『おるたな』の収録曲で、原田真二さんが1978年に発表した楽曲のカバーです。TNによると、本曲にはドラマタイアップがついており、シングル曲並に広く認知されているであろうということで、本作への収録へと相成ったそうな。ただ、アルバムへの収録に先行して、2011年にはガラケー向けの音源配信(具体的なサービス名は登録商標ゆえ念のため使用を回避します)があったようなので、シングルコレクションの趣旨的にもギリギリ可としておきましょう。笑 とはいいつつ、本曲がシングル曲級の扱いを受けていること自体にはとても納得しています。なぜなら、TNでも言及されている通り、1999年に草野さんが『風待ミーティング』で本曲を歌唱したことは、ファンの間では元より有名だったと記憶しているからです。ゆえに、スタジオ録音版が2012年の作品に収録されると知った時には、そのロングパスっぷりに驚きました。

 出典ありのWikipediaの記述を信頼するに、本曲は詞先で作られていたようで更に驚愕です。これほどまでに旋律と言葉が見事な調和を見せている楽曲の場合、大抵は曲先によりある程度韻律上の配列が規定された状態で、そのルールに逸脱しない響きの言葉を当て嵌めていった結果、シラブルもしくはモーラに於いても美しい歌詞になるとの理解なのですが、この完成度を詞先から導き出したとなると、天才的な作曲能力を備えていると評すほかなくなります。作詞者はあの松本隆さんであるため、メロディが付く前の段階から詞華が咲いていたであろうことは想像に難くないものの、それに見合うだけの作曲を行った原田さんの凄さも、同時に痛感させられた次第です。草野さんによるクリアなボーカルとスピッツによる着実な演奏は、元より楽曲が備えていたハイレベルな諸要素を、時代を越えて浮き彫りにしたという点で意義深いものだとまとめます。


09. さらさら

 2013年リリースの38thシングル曲で、両A面のうちの一曲です。本曲の歌詞を初めて見た際には、シングル曲でここまで腹黒い草野節は久しいなと感じた記憶があります。ここで言う腹黒いとは具体的には、自分本位を隠さない姿勢のことです。"だから眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ"のみであれば、甘い文句ないし甘えた言葉で済みますが、それを継ぐ"見てない時は自由でいい"で戦慄します。これが付け足されることで、束縛していないように見せる言葉で束縛するという、心理戦のテクニックじみた緊張感が生まれているわけです。これを言う側の心理としては、有り体に表せば「この目で見たものしか信じない(信じたくない)」といった、信頼と恐怖が綯い交ぜとなった気持ちから来るものでしょう。こうした予防線を貼ることで得られるものは、自分がなるべく傷つかない未来なので、この策謀を指して前出の自分本位に繋げています。

 ただし、束縛の全てを悪だと断ずる意図は僕になく、本曲で描かれているような世界観では寧ろ、必要な或いは適度な束縛を与えていないことが問題点だと主張したいです。"見てない時は自由でいい"は、ポジティブに捉えれば信任のフレーズですが、同時に放任のフレーズであるとネガティブな受け取り方も可能で、後者は巧く作用しないと互いが互いに責任を放棄することになります。本曲の主人公には、この破滅のビジョンを"君"との関係の中に見出しつつある危うさがあり、素直にラブソングだと解釈した場合には、その末期を歌っているのは間違いないでしょう。"まだ続くと信じてる 朝が来るって信じてる/悲しみは忘れないまま"ですからね。わざわざ"悲しみ"を心身に刻む決意をしなければならない、仄暗い絶望感が鮮やかに描写されています。ここから連想される表題の「さらさら」のイメージは、2-06.の歌詞"胸の砂地に 浸み込んでいくよ"の如く、砂粒が触れ合う時の擬音語です。

 このように歌詞内容は勿論として、作編曲の面でも全体的には後向きの印象を受けますが、Cメロのセクションにだけは奇妙な明るさがあります。"夢オチじゃないお話"から類推して、当該パート全体が「夢」もしくは「理想」のサウンドスケープを奏でているものだとしたら、個人的には納得です。その場合は「さらさら」のイメージも異なり、今度は1-14.の歌詞"水になって ずっと流れるよ"の如き、優しく流れる水のオノマトペとなります。"身体を水に作り変えていく/魚の君を泳がせ 湖へ湖へ"は、こう在れたらということかなと。


10. 愛のことば -2014mix-

 2014年リリースの39thシングル曲で、配信限定且つ過去曲のリミックスであるのにも拘らず、ディスコグラフィー上にナンバリングされている楽曲です。こう書くと意地悪ですが、2-01.と同じく時間差リカット&リミックスナンバーであるだけなので、僕が引っ掛かるポイントはフィジカルとデジタルのナンバリングを統一してしまったことにあるのだろうと自己分析します。本曲はドラマの主題歌に起用されたがゆえの言わばリバイバルで、そのサウンドトラック『あすなろ三三七拍子 MUSIC BOX』(2014)には既に収められていましたが、スピッツのアルバムとしては本作にて初収録です。

 リミックス前のオリジナルは6thアルバム『ハチミツ』(1995)に収録されており、同盤はベスト盤を除けばバンド史上最も売れた作品となるので、アルバム曲とはいえミーハー層でも耳馴染みのある方が多いのではと踏んでいます。MVも存在するため、元よりリードトラックであった;即ちシングル級のポテンシャルを有したナンバーとの扱いを受けていたと推測出来、矛盾するようですが「隠れた有名曲」といった認識でした。この旨は『ソラトビデオCOMPLETE』の記事にも記してあります。リンク先に大した中身がないのはさておき、今でも気になるのは本曲が「戦争について歌っている」との解釈についてです。昔からある有名な説ですよね。

 MVの不気味さもこの理解の補強に一役買っていると言えますが、純粋に歌詞だけを読んで判断しても、確かに意味深長に捉えたくなる表現が多いなとは思います。たとえば"優しい空の色 いつも通り彼らの/青い血に染まった なんとなく薄い空"は、英語で'blue blood'と書けば「貴族」を意味するため、これを意識した語彙使用なのかなとはずっと考えていました。このくだりは"雲間からこぼれ落ちてく 神様達が見える"にも関連するものと捉えており、要するに天上の陣営が流した血の色が蒼穹の鮮やかさの真相だという恐ろしい解釈です。部分的な読み解きを披露しただけで結論じみたことを書くのは性急なれど、戦争に限定せず「人間の愚かさを歌っている」という解釈の方向性自体は正しい気がします。


11. 雪風

 2015年リリースの40thシングル曲で、配信限定の楽曲です。


12. みなと

 2016年リリースの41stシングル曲で、38th以来のフィジカル盤です。

 3-11.と3.12.に関しては、15thアルバム『醒めない』(2016)の記事にて掘り下げを行ってあるので、詳細はそちらをご覧ください。一点だけ補足をしますと、TNにもあるように3-11.はシングルとアルバムとでボーカルテイクが異なり、本作に収録されているのは前者です。15thでは曲名に特記されていない情報ですが、クレジットにはvocal track re-recordedの記述があります。


13. ヘビーメロウ



 本作が初出の新曲・第一弾。『めざましテレビ』のテーマソングで、曲名の通りにメロウなナンバーであるだけに、ポップさが売りのフジテレビにしては挑戦的なタイアップだと評しています。とはいえ、元気溌溂な楽曲を毎朝聴かされ続けるのもどうかと感じるので、好い塩梅のワークスだと言えるでしょう。さて、今し方も「メロウ」という言葉をナチュラルに用いましたが、音楽を形容する場面では時偶遭遇することのあるワードだと認識しています。当ブログ内を検索しても過去の使用を確認可能で、スピッツに限れば上掲の15thアルバムの記事で、「コメット」のAメロに対してメロウ認定をしていました。明確な定義はなく各人が思うままに使っている表現だとの理解でいますが、僕の中で同語に紐付けられているイメージは、主に「アンニュイ」「暖色系の光」「ゆったり」の三点です。より日常的な描写で説明すると、いつもより遅く目覚めた薄曇りの日にカーテンを開いた時や、軽くお酒が入って心地好い微睡に誘われている最中に、「メロウな気分」を覚えます。

 元となった英単語'mellow'の意味を軸に考察をしますと、どうも「光」がキーになっている気がしてなりません。多義語ゆえ訳語も多いのですが、『ロングマン現代英英辞典』4訂新版によれば、第一義と第二義は'NOT BRIGHT'および'NOT LOUD OR HARSH'で、『ジーニアス英和辞典』第3版に基き日本語にすれば「<音・光・色などが>柔らかい」となるため、優しい陽光や淡い人工光そのものか、その趣のあるサウンドが「メロウ」と表現されるに相応しいと僕は判断しています。第三義以降の'NOT STRONG IN FLAVOUR'(芳醇な)、'NOT STRICT'(円熟した)、'RELAXED'(陽気な;ほろ酔いの《◆drunkの遠回し語》)も全て加味すると、あらゆるソフトタッチを内包した語であるとの理解です。

 だからこそ、矛盾するような「ヘビー」を頭に冠しているのがユニークで、歌詞上の用法"ヘビーメロウなリズムに乗って 太陽目指した"は、擬態語で表せば「のっそのっそ」な歩調で、目的に進んでいることを意味すると解釈しています。このコロケーションは草野さんのオリジナルというわけではなく、昔から「ヘビーメロウ」なる表現はあったと記憶していますが、本曲の発表以降は本曲へ言及する情報に埋もれてしまって、マイナス検索をしても使用例をあまり拾えないのがネックですね。用語の定義に長々と文章を割いてすみませんが、本曲については文字通り「ヘビーメロウなナンバーである」と形容するのが端的なので、ここまでの記述でレビューは出来ているものとします。それでも一応曲から受ける印象で解説を加えますと、ゆったりとしたグルーヴに乗せて、ご機嫌な旋律と憂いを帯びた旋律が交互に顔を覗かせる構成は、確かにヘビーメロウだと感じるということです。


 ここから歌詞解釈パートとなります。"夜は明けたぜ 鶏も鳴いたぜ 期待裏切る"と、"確かな未来 いらないって言える幸せ"の二つのフレーズを取っ掛かりに話を広げるとしましょう。これらの一節からは、2010年代以降の草野さんによる作詞上の特徴のひとつだと考えている、「サプライズを期待する」もしくは反対に「サプライズを演出する」姿勢を見て取れます。つまり、前出の"期待裏切る"をポジティブな意味合いと受け止め、明けないと決めつけていた夜が明けたことに対する驚きが描かれているとの解釈です。特徴と書いてしまった以上は他曲の例示をしますと、「ビギナー」(2010)に於ける"未来からの 無邪気なメッセージ 少なくなったなあ"と、3-09.の"遠く知らない街から 手紙が届くような/ときめきを作れたらなあ"は、それぞれ期待と演出の例です。感嘆の終助詞で文章が終わる点も、一種のマーカーとなっています。また、14thアルバム『小さな生き物』(2013)は全体がこの傾向にある印象で、「エンドロールには早すぎる」の"意外なオチに賭けている"や、「僕はきっと旅に出る」の"未知の歌や匂いや 不思議な景色探しに"も、サプライズへ絡む表現の一例です。

 これらを踏まえて本曲の歌詞を見ていくと、テーマは「予定調和からの脱却」ではないかとの理解に至ります。冒頭の"花は咲いたぜ それでもなぜ 凍えそうな胸"が予定調和への絶望を提示しており、当たり前のように咲いた花に何の感動も抱けなくなっている自分自身に、嫌気が差している現状が前提です。であるならば、不確定要素から来るサプライズに期待しようとなるのは自然な流れで、それで泣いても仕方がないと割り切れるほどに拗らせた自意識が、結びの"信じていいかい? 泣いてもいいかい?"に繋がるのではないでしょうか。この倒錯をポジティブに転化させている証が、"確かな未来 いらないって言える幸せ"で、それを突き詰めた先にある理想形が、"OKなカン違い 続けたらついに真実"との超然的な一節であるとまとめます。この視点とは少しずれますが、その前の"優しい被支配 痛みも同時に感じる"も実に技巧的な言辞で、3-09.で述べた「必要な或いは適度な束縛」を、スマートに表したものだと絶賛したいです。


14. 歌ウサギ

 本作が初出の新曲・第二弾。TNにはメロディ構成上のチャレンジングなポイントに関する記述があり、僕も本曲を初めて聴いた際には、今までのスピッツにはなかった楽想に驚かされました。「その1」と「その2」の記事でも案内済みである通り、当ブログに於けるメロディ区分のルールはこの記事に詳しいです。リンク先には本曲を例とした項目があるので、2019年の改訂時に相互言及の形になったと補足したうえで、僕が本曲の構成をどう認識しているかに関しては、「3.2.5.2 Cメロにならない特殊なケース」を参照してください。

 従って、いきなり自己流の表現を交えながらの解説となって恐縮ですが、僕の区分では「サビ後半」に相当するセクション;TNでは「大サビ(ミドルエイト)」とされている箇所の複数回登場は、従来のスピッツであれば選択しなかったメロディの組み立て方であると主張します。というのも、スピッツの楽曲に於いて「Cメロらしい振舞いをするセクション」は、その曲の中でピークを演出する役割を担っているものが多く、一瞬だけの大熱量の儚さに美学を見出していたため、それが二度登場するのは意外中の意外でした。本作の収録曲で言えば、たとえば2-13.や3-01.で2番サビの直後に来る最高潮のパートが、ラスサビの後にも再度出てきたとしたらどう感じるでしょうか。おそらくは冗長と思うはずです。ゆえに実際にはそのような楽想になっていないわけですが、本曲では2番サビ後とラスサビ後に二度のピークが設定されており、攻めた楽想だと言わざるを得なくなっています。

 しかし、現実には僕は本曲に対して冗長といった感想は抱いていません。この理由を考えてみるに、Aメロの平坦さとサビの地味さ;正確には【Aメロ → サビ】への移行がさり気無さすぎるところに秘密があると睨んでいます。初聴時の印象を明らかにしますと、一度目の"今歌うのさ"~のスタンザを丸々聴き終わった後は、「もしかして今のがサビだったのか?」と、あまりにもいぶし銀なメロディラインに正直戸惑いました。てっきり"今歌うのさ"が極短いBメロで、ワンクッション置いてから盛り上がるサビメロが来るものと予想していたため、二度目の"今歌うのさ"~のスタンザを経て、その全体がサビだと理解出来た際には、「やっぱりここがサビなのか…」と不思議に思った次第です。とはいえ、前述したように新たなピークとなるラインがその後に二度控えているとわかった上で聴くのであれば、本曲の狙いも理解の範疇に収まります。なぜなら、当該のセクションを僕は「サビ後半」と、TNでの竹内さんは「大サビ」と無意識的に表していますが、【[Aメロ → Bメロ]×2 → サビ → Bメロ → ラスサビ → Aメロ】という区分にスライドさせれば、J-POPで一般的な曲構成に落ち着くので、取り立てるほどのことでもなくなるからです。


 ここから歌詞解釈パートとなります。…が、その内容が本曲のレビューとしては脱線を極めたものになったため、詳細は以下に載せたコラムに委ねることをご了承ください。取っ掛かりとした一節は、"「何かを探して何処かへ行こう」とか/そんなどうでもいい歌ではなく"です。他の曲で言えば、たとえば「グリーン」(2016)の歌詞、"コピペで作られた 流行りの愛の歌"も同系統の表現であると分類して、直球のヒットチャート批判が展開されていることの意味を考えていきます。

 この情報だけでも何となく察せるでしょうが、以降のコラム④は非常にクリティカルな内容です。Ⅰ. 拙い表現者、Ⅱ. 腐敗したエンタメメディア、Ⅲ. 愚鈍な受け手の三者三様を容赦なく斬っていきます。Ⅰ.はつまりアーティストサイドへの文句で、槍玉に挙げるのは作詞者です。Ⅱ.はそのままマスメディアに対する文句で、お茶の間に流す音楽を決定出来る強権力が批判対象です。Ⅲ.は即ちリスナーサイドへの文句で、凝り固まった音楽の聴き方しか出来ない人への皮肉です。このようにヘイトチャージのリスクが満載となっていますが、あまり気負わずにご覧いただければと思っています。

 というのも、スピッツを含めて僕が当ブログに紹介しているアーティストについては、基本的にⅠ.にカテゴライズされるような面々ではないとの認識ゆえ、Ⅰ.に記す批判があたることは殆どありません。そもそも、批判の文脈下では具体的なアーティスト名や作品名を挙げていないため、名指しのディスは皆無です。また、ここまでの長文を読み進められる方は、音楽的な知的好奇心が相当に旺盛であるとお見受け出来るので、Ⅲ.に規定されるようなリスナーであろうはずがないと信頼しています。従って、「俺の好きなアーティストが馬鹿にされている!」だとか、「これってもしかして私のような人間のことを言っている?」だとか、そういった読後感は今この文章を読んでいるあなたには無縁であろうと、先んじてフォローする次第です。それでも頭に過ってしまって、不快な思いをさせたならごめんなさい。


 こう前置きして、本記事の中でコラム④を書き進めたところ、途中で一記事あたりの限界文字数に達してしまったため、改訂前には存在していなかったエントリーとして、2019年に新たに「CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その4」を作成しました。更新年月日は変更してあるので、本記事の直後に更新されたかのような表示ですが、実際は2019年の10月にアップしたものです。これまでのコラム①~③とは異なり、恐ろしく長くタフな内容であるため、読むのには相当の覚悟が必要だと注意喚起しておきます。


15. 1987→



 本作が初出の新曲・第三弾。30年のキャリアを45曲の旅路で辿る本作に於いて、ラストを飾るに相応しいド直球のロックナンバーです。初期のスピッツを彷彿させるサウンドが特徴的ですが、TNによるとインディーズ時代の楽曲「泥だらけ」(1988)を下敷きにしているそうで得心がいきました。実際イントロにはやけに音の荒い部分がありますが、これは当時の自主制作カセットからの引用ゆえだそうです。

 歌詞も草野節炸裂で、冒頭の"なんかありそうな気がしてさ 浮かれた祭りの外へ"からして、アウトサイダーマインドを擽られます。並の感性では"祭り"の舞台に立つことに憧れを抱くものでしょうが、その"外"に価値を見出す姿勢が素敵ですよね。更なる楽しさを期しての逸脱ですから、それ以前の"祭り"の中に入る勇気すらない臆病者とはまた違った心意気が感じられます。スピッツのこれまでの歩みを保証する"それは今も続いてる"、元となった曲のコンセプトを受け継ぐ"泥にまみれても"、当時の最新作であった15thアルバムの表題に絡めた"醒めたがらない僕の 妄想が尽きるまで"、何処を切り取ってもバンドの歴史に思いを馳せずにはいられません。そしてこれらを経た結びが、"美しすぎる君の ハートを汚してる"であるところからは、3-14.に続くコラム④で語った通りに拗らせまくっている僕のような存在ですらも、きちんと見ていてくれたのだなと思えて安心します。この汚れは勲章であると、ファンなら誰しもが好意的に解するでしょう。



 以上、Disc 3に収められている全15曲のレビューでした。これにて、三記事に跨ってお送りしてきた『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』の紹介は終了です。

 「その1」と「その2」の記事の最後に、『総括的なことは「その3」の記事でまとめて述べる』と書きましたが、ベストアルバム的な側面のある作品なので、通常のスタジオアルバムレビューの結びに記すような、一作を通したテーマやメッセージ性への言及は行いません。それでも敢えて言うのであれば、バンド結成から30周年を記念するボックスセットだという本作のコンセプトそのものがテーマで、バンドが長らく愛され続けているとこうして質の高い記念盤をリリースする機会にも恵まれるといった、継続の大変さと素晴らしさを証明する部分こそがメッセージ性であるとまとめます。

 「その2」の記事のコラム③では、リマスター盤に関してあれこれと注文をつけてしまいましたが、本作に於ける過去曲のリマスタリングには概ね満足しています。CDのフォーマットの中で高音質で鑑賞したいというニーズには、きちんと応えられていると言えるでしょう。また、シングルコレクションの性質上当たり前ですが、シングルバージョンのままに収録されているナンバーが多いことも、本作の売りのひとつです。オリジナルアルバムしか所持していない方にとっては、それらをまとめて集めるのに打って付けのプロダクトとなります。
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