エピローグ

 週明け、世界はへいおんを取りもどしていた。

 長門は何事もなかったかのように回復し、学校に来ている。実際、長門が熱でせっていたおくと、団員試験の間でも部室でもくもくと本を読んでいた記憶が混在しているわけだが、いくら考えてもその二つがまったくじゆんしないというかいな感覚は俺の中で今も続いている。

 俺にとって、二つの歴史は現実にあったことであり、どちらが真実でどちらがきよというわけではないんだ。どっちも同じ時間で、本当にあったことなのだろう。

 現に古泉言うところのαバージョンの一週間を思い出そうとすると難なくヤスミたちの様子が目にかび、βバージョンでの佐々木たちとのやりとりもせんめいに思い出すことができる。そして、二重記憶に混乱することもなかった。一方を思い浮かべている時はそちらにしか意識がいかず、もう片方を考えているときは、同じ時系列であったはずの別の行動はまったく浮かんでこない。

 やや冷静になって、神経を集中させてやっと、二つの一週間がなんとか関連づけて想起できるという具合である。まるで二重せん階段のようなすれちがいだ。同じように階段を上っているはずなのに決して交わらず、それなのにスタートとゴール地点は同じという、俺が体験したのは、まさにそんな現象だった。

 でもって、このぶんれつした時系列を進んでいたのは何も俺だけではなかったのも明らかである。

 いろいろあった一週間からだいわりした、新しい月曜日。登校時における坂道あんぎやは何も変わっておらず、時間はおかしくなっても空間的きよは特に変化していないことを実感しつつ、俺が自分の席で窓からの春風にすずんでいると、始業チャイムギリギリで教室に無自覚なさわぎの総本山がけ込んできた。

 今日の涼宮ハルヒは、なんとも不可思議な、半分笑って半分ぜんとしているという、器用な顔面を保持したまま俺の背後の席に着く。

 その顔を見ながら、俺は必死に「このハルヒは、これから一ヶ月近く後にすでに俺が出会っていたハルヒの、まだ以前の姿なのだ」というややこしい文法からなるセンテンスを自分に思い聞かせなければならなかった。いちじるしく時制が混乱している文章だが、これが真実なのだからしかたがない。この時点のハルヒは、まさか俺が深夜に部屋にちんにゆうして何やらバタバタすることになるとはつゆとも考えていまい。

 ……にしては、そのみような表情のわけはなんだろう。

「ああ、それなんだけどね」

 ハルヒは机にひじき、手のこうあごせて、

「昨日のことなの。ヤスミちゃんがあたしの家に来てさ」

 ……ほう。

「でさ、申し訳なさそうに、入団を辞退するって言い出したわけ」

 ……ほほう?

おどろいたわ。あの、実はまだ中学生だったんですって」

 ……ああ、そういうことになったのか。

「なんでもさ、彼女、実は近所の中学生で、北高の卒業生だったお姉さんの制服を借りてしのび込んでいたんですって。SOS団にどうしても入りたくて、放課後だけもぐり込んでいたそうよ。あわてなくてもそのうち入学できるでしょうに、まんできなかったんだって言ってたわ。とんだイタズラむすめだったわねえ」

 休み時間中に一年のクラスを探し回ってもいなかったはずだ。もともと北高生じゃなかったんだったら見つかるはずがないよな。そりゃそうだ。

 ハルヒはぐてっと机に突っし、窓の外をぼんやりながめている様子だった。そしてつぶやくように、

「でも、有希はすっかりよくなったし、団員試験はそこそこ楽しかったし、今日はいい天気だし、文句を言うのもばちたりかしら。せっかくぜん有望な娘だったけど、モグリの高校生じゃあ、やっぱり無理があるしね」

 ヤスミが本当にハルヒに会いに行ったのかどうかはわからない。そんな事実はなかったのかもしれない。しかし、ハルヒがそう言うのだから、それはそういうことなのだ。

「来年あたりに今度は正式に入学してるんじゃないか? 今度は試験めんじよで入団させてやればいいだろ」

「中学の何年か聞きそびれちゃった。あの感じじゃ、二年後か、三年後かもね」

 さびしそうに言ったかと思うと、ハルヒはいきなり顔を上げ、俺の鼻先にまで接近してきた。

「ところであんた。何かかくし事してない? この土日にだれかと会った……とか、何かあたしの知らないところで変なたくらみをくわだててたりとか……」

 かんするどいところはますます成長しているようだな、ハルヒ。実はその通りだったが、

「何もねえよ。土曜は半日てたし、日曜はシャミセンの予防接種に行ってたくらいさ」

 じとりとした目で俺をぎようしていたハルヒがゴルゴーン的な視線を俺からはなすには数秒ほどかかった。

「あっそ。なら、いいけど」

「なあ。ハルヒ」

 ふと声をかけてしまったのは、横を向いたハルヒの顔つきが春の日差しに照らされて、どこか大人びたふんかもし出していたからだろうか。

「なによ」

「そう遠くない未来にタイムマシンが開発されたとしてさ、その数年後のお前が今この時代に来れたとして、もし今の自分に会ったりしたら、その未来の自分が何を言うか想像できるか?」

「はあ?」

 ハルヒはまゆを寄せてげんそうに、

「数年後ってことは大学生になってるかしらね。で、そのあたしが今の自分に来て……か。ふぅん? たぶん、あんたって全然変わんないのねって今のあたしが逆に言ってあげると思うわ。だってあたし、二年や三年や五年で自分の信念が変わったりしない自信があるもの。でも、どうしてそんなことくの?」

「思いついただけだ。未来の俺はどれだけ成長するだろうかなと気になってな」

「なら、安心しなさい。あんたはきっとずっとそのままだから。それともあんた、中学生の自分に説教できるほど精神的な成長をげたとでも言いたいの?」

 ぐうの音も出ないほど、反論の余地などまったくないね。

 だがな、ハルヒ。数年後、高校二年生になったばかりの俺が時間をえて未来のお前に会いに行ったら、そん時はよろしくたのむぜ。俺が見たとおりに、あのやさしげな微笑ほほえみを向けてくれよな。

 そして、その時間にいる俺にもな。

 ハルヒは続けざまに俺をやりこめようと口を開きかけていたが、タイミングよく鳴りだしたほんれいと、同時にさつそうと現れた担任おかが俺の救い主になってくれた。サンキュー、チャイム。と、熱血岡部きよう



 さて。

 ぶんれつしていた世界のおくは、各人ともじゆんが発生しないようにゆうごうされていた。どちらも存在していたのだが、それが二重記憶になっているということは、無意識のうちに整理され、どちらかを思い出した時は、もう片方はかばないシステムになっているようだった。

 現にハルヒは長門がたおれた記憶も、ヤスミのことも覚えているしな。

 もっとも、世界の大多数にとっては、古泉言うところのαもβもほぼ同じなので、重なった記憶にそれなりのが発生しているのは、SOS団関係者以外では、谷口、国木田、佐々木、橘京子くらいのものだろう。

 というわけで新入団員はゼロってことで落ち着いた。こっちはこれで一件落着ということになるのだろう。

 ついでに言うと、どうでもいいことに関してやたらとさといハルヒが察したように、実は俺は日曜日に古泉と長門の訪問を受けていた。

 というか、俺が呼んだのだ。さすがにどこかに出て行く気力は当分きそうになかったので、自宅までご足労頂いた。その時点で二人に訊きたいことが山ほどあったんでな。

 例えば、俺がハルヒをかかえたまま落っこちて《神人》のしようちゆうに乗っかり、と思えばいきなり未来に飛ばされた後のこととかさ。

 あれから部室で何が起こったのか、二つの世界はどう折り合いをつけたのか、藤原や九曜や橘はどうなったのか、そして渡橋ヤスミはいったい何者だったのか。

 一ヶ月後のハルヒを除くSOS団員たちはすべてについて訳知り顔でいたから、今のこいつらにはすでに自明のことだろう。

 約束通りの時間にインターホンが鳴り、むかえた俺と意味なくついてきた妹とシャミセンを目にして、これからデートかと言いたくなるほどな私服姿の古泉はしようを浮かべ、制服姿の長門は大理石製のちようぞうのようにただ俺を見返した。いつものえとした黒いひとみで。

 古泉はともかく、長門が元気なあかしとばかりに無表情での棒立ちだったことは俺をやみあんさせるに足りる光景だった。

 げんかんくつぐ二人の足元に、シャミセンが頭をこすりつけて回っている。たまに来るお客さんにあいきようりまいていると言うより、えんうすい人間にびんに反応しては自分のにおいをつけようとするねこぞく的本能のなせるわざだろう。特に長門のくるぶしに向かって頭を打ち付けながらゴロゴロとのどを鳴らしているのは、シャミセンの中にナントカ生命体がふうじられた件があったからかもしれなかった。

 一方、妹は、

「有希っこに古泉くん、いらっしゃーい」

 とようこうのようながおで、これまた二人にまとわりついている。はっきり言ってじやなので、俺は妹に台所に行くように申しつけ、なんとか追っぱらうと二人を自室に案内した。

 いつの間にか長門がシャミセンをき上げていたので、しょうがなく、二人と一ぴきが俺の部屋に短期たいざいということになった。猫に聞かれて困る話などねえし。

「どこからお話ししましょうか」

 古泉はベッドにこしを下ろし、長いあしを組んで、

「いや、その前にあなたの話をうかがいたいところです。あなたと涼宮さんは僕たちの前からこつぜんと姿を消してしまいました。涼宮さんの居所はすぐにわかったんですが……」

 あいつはどこに飛んでいったんだ?

「自宅におられました。αでもβでも、彼女はつうに帰宅しましたからね。そのままです。多少は感を覚えたかもしれませんが、とりたてて問題はありません」

 長門はゆかにぺたんと座り込んだまま、無言でシャミセンをひざせ、その腹をでてやっていた。クルクルと声を鳴らすシャミセン。よほどなつかれているようだ。

 あのすべてが混在したへい空間での後日談に関する情報でも、俺が最も知りたいことの一つがある。

「長門」

「…………」

 長門は猫をゆるやかにマッサージする手を止めずに、俺を見つめた。

「もう熱は下がったのか?」

 ただ、うなずいた長門はシャミセンの肉球をプニプニと押している。

てんがい領域との……なんだっけ、高度なコミュニケーションとやらは上手うまくいったのか?」

「一時的に中断された」

 あおけに転がっているシャミセンの喉を撫でつつ、

「必要な情報を最小限ではあるが受領した、と情報統合思念体、および天蓋領域のそうほうは判断した。わたしをかいする情報伝達は非効率的であり、正確性に欠けるとにんしきされた模様。よってわたしはその任を解かれ、新しくあたえられた命令は、涼宮ハルヒに加えて周防九曜の動静をかん報告任務にくこと」

 けんあんだった長門の回復は、天蓋領域が一時的にかんしようを中断したからか。何にしろ以前の状態にもどってくれてよかったよ。

「そうでもない」

 残念そうでもなく、長門は、

そう理解フェーズは第二段階へと移行する予定。第一段階の任を帯びたわたしがコミュニケーションワークに不適格と判断されただけ。後任のインターフェイスがどの個体か知らされていないが、わたしよりは上手くやるだろう」

 最初から喜緑さんにやらせときゃよかったんだ。

「待てよ」

 だが、ってことは九曜はまだこの世界にいるんだな?

 長門はシャミセンのヒゲをひょいひょいと引っ張りながら、

「消えてはいない。まだ私立光陽園女子大学付属高等学校にざいせきしている。彼女の存在目的と個体そのものの自律意識を理解するには、まだ時間がかかるだろう」

「藤原は?」

 今度は古泉が答えた。

「彼は多分、もう二度と出てこれないでしょうね。いや、我々の現在、つまり彼にとっての過去に来ることができないと言ったほうが正しいかな。どうやら彼のいた未来との時間線はれたようです。朝比奈さんたちが四年以上前に行けないように、涼宮さんが新たな次元断層を生んだから──と、あの後、朝比奈さん(大)が説明してくれました」

 そんなゆうがあったのかよ。

「あなたと涼宮さんが消失した直後、《神人》もほうかいを始めました。僕にはおみの光景でしたけどね。そして、完全にくずれ落ちたと同時に閉鎖空間も解けたんです。涼宮さんのものも、佐々木さんのものもね。へいおんな世界が戻っていましたよ。その時、部室に残っていたのは、僕と大人版の朝比奈さん、おまけの橘京子だけです。藤原氏と周防九曜の姿はどこにもありませんでした」

 渡橋ヤスミも、か。

「朝比奈さん(大)とは何か話したか?」

「多少は。彼女は藤原氏を相当に気の毒がっているようでした。これは僕の印象なので、ただのフリだったかもしれません。ですが、藤原氏の行動は半ばしようどう的なものであり、彼もまた、彼の属する時間線を守るために利用されたのかもしれないとは言っていましたね。くわしく理解するには情報不足すぎるので、僕からはなんとも言えませんが」

 藤原がハルヒを殺して佐々木を神にしたてあげたところで何が変わったんだろうな。朝比奈さん(大)の未来が困ることになったのだろうか。

「ただ朝比奈さんは」

 古泉はハタハタとれるシャミセンの尻尾しつぽを見ながら、

「ポツリと、この時空平面から自分たちの未来までの時空連続体をまるごと書きえたとしても、どうせ一つにしゆうれんされるのに───と、本音らしき言葉をこぼしまして」

 ふん。それから?

「僕に悲しげな微笑ほほえみをくれると、部室を出て行きました。すぐ後を追いましたが、その時にはもう姿はどこにも。未来に帰ったんでしょうかね」

 どこまで信じていいものやら。古泉のセリフも、朝比奈さん(大)の言葉も。

「橘京子は?」

「世界がゆうごうした後、ぼうぜんとしてましたね。しばらく頭をかかえてあぁとかうぅとか言っていましたが、落ち着いてからもかたを落として、まあ、まさにがっくりといった様子で」

 そりゃそうなるだろうな。

「しょんぼりしたまま帰っていきましたよ。彼女には荷が重かったようです」

 ここで古泉は自分のけいたい電話を取り出し、

「ただ別れるのも何なので、一応、番号とアドレスをこうかんしたんですがね」

 あのどさくさにまぎれて、ちゃっかりそんなことをしていたのか、この色男めが。

「さっそくメールが届いていましたよ。内容は……」

 橘京子は色々あって、手を引くことにしたそうだ。未来人や宇宙人相手にタメを張ることはできそうにないと痛感したので。でも出来ることをコツコツ考えていきたいかなという希望的観測はいまだに持ち合わせているらしい。

 古泉は携帯電話をパチンと閉じると、

「ご安心を。また出てきたところで我々がしかるべき対応手を打ちます」

 やけにうれしそうに言うな、お前。

「メールのついしんで、しばらくいんとんする、と書いていました。仲間ともども地下にもぐると。今後、彼女には佐々木さんの単なる仲の良い友達の身となったまま、その自覚をもってずっと過ごして欲しいところですが、どうなることやら」

 佐々木が橘京子のかんげんにのることは今後いつさいないと確信できる。

 俺と古泉が会話している間、長門はシャミセン専用のマッサージ師になったかのように、ねこの毛並みばかりを気にしていた。俺たちの話なんぞには興味がないのか、それともナントカ生命体を脳内に移植された猫の生態のほうが気になっていたのか。

「キョンくーん、有希っこー」

 だしぬけにとびらが開き、妹が飛び込んできた。

「有希っこー、いつしよに遊ぼうよぅ。ほら、シャミも一緒にー。下にいっぱい猫オモチャがあるよ。遊ぼうあっそぼー」

「…………」

 シャミセンをき上げた長門は静かに立ち上がり、はしゃぐ妹に引っ張られるようにふらふらと部屋を出て行った。何かしら空気を読んでくれたのかもしれないし、後日談よりただ単に猫と子供とともにたわむれることが優先されると考えたからかもしれない。

 おかげで古泉とサシで話が出来るようになったので、ちょっとありがたい。

「あの時、佐々木のへい空間があったのはわかる。あいつのはこうじよう的にあるらしいからな。しかし、ハルヒの閉鎖空間まで発生していたのはなぜだ」

 たんしよく系の明るい世界と灰色の空間が混在していた光景は、思い出すだけで混乱しそうだ。

「疑問の余地などないでしょう。涼宮さんが意図的におこなったのですよ。僕をあの場所にさそうために、それから、《神人》を発生させるために、ね」

 それはおかしいだろう。ハルヒはその時、学校の外にいて俺たちがどうなっているかなど意識していなかったはずだ。

「ちゃんと意識してくれていたのだ、と考えたらいかがです?」

 古泉は意地の悪いじゆくこうのように微笑んだ。正解が目の前にあるのに簡単な公式に四苦八苦する生徒を見るような目だ。

「あの場には僕たち以外の存在がいたことをお忘れですか? まったくとつぜんに乱入してきたも同然の人間です。宇宙人でも未来人でもちよう能力者でもない、最初から正体不明にもかかわらず、いつのまにかその位置を確固たるものにしており、またあなたや僕を部室に呼び寄せた者です。そう、αの時空にいた僕たちをね」

 渡橋ヤスミ……か。

 あいつは何者だったんだ?

 その問いに、古泉はあっさりと答えを出した。

「彼女の正体は涼宮さんですよ。涼宮さんが生み出した、もう一人の自分です」

 今となればそんな気はしていたが、くわしく聞こう。お前はいつそれに気づいた?

「最初からそう教えてくれていたではないですか。解りやすくね。ノートとペンをお貸し願えますか?」

 俺が言われたとおりにわたすと、しゆうれいな手がさらさらと動いて真っさらな白紙にシャーペンを走らせ、まず『渡橋泰水』と書いた。

「単純でやさしいアナグラムです。ノーヒントで解けるレベルの簡易さですから、手がかりの役目を果たしていません。これは読んでそのまま、明らかな解答ですよ」

 ごたくはいいから、話を進めろ。

「泰水と書いてヤスミと読むのは目くらましです。これはそのまま、ヤスミズと発音すればいいんですよ。ひらにすると、『わたはしやすみず』。ここからアルファベットに置きえます」

 ──watahashi yasumizu。

「この文字列をアナグラムへんかんすると……」

 ──watashiha suzumiya。

 ──わたしは すずみや。

 古泉はポイとシャーペンをほうり出した。

「涼宮さんは無意識に力を行使したんです。予防線を張るためにね。だから世界をぶんさせた。一つは本来あるべくしてあった世界。もう一つは存在しなかった世界。彼女は無自覚にもかかわらず、何らかの危機感をいだいていたのでしょう。この世界は涼宮さんにまもられたんですよ。もし涼宮さんが世界をぶんれつさせなければ、あなたは敵勢力の意のままになっていたかもしれません。つまるところ、彼女はあなたと長門さんを守ろうとしたんです」

 二の句がげないとはこの事だろう。

「それがいつ始まったかは推測するしかありませんが、春休みの最終日から新学期初日の未明あたりが有力です。その時点で涼宮さんはこれから起こる事態を予測していた。もちろん無意識にです。これはとてつもないきようですよ。自覚なき予言と言えるでしょう」

 おくにある限り、世界が共通していたのは、俺がに入っていた時までだ。妹が持ってきた受話器に耳を当てたしゆんかんに分岐したとしか思えない。

 佐々木がかけてきた世界と、ヤスミがかけてきた世界に。

「あなたと長門さんにとって不都合な未来が待っていることを涼宮さんは予知したんでしょう。そこで事前に布石を打った。それが僕のいうαルートであり、自身の分身の登場です。彼女は自分が持つ力を知らないどころか、もしかしたら知り得るにもかかわらず知りたくないと考えているのかもしれません」

 古泉の表情はどこかおそれを抱いているように見えた。

「渡橋ヤスミは涼宮さんの無意識が実体化した姿です。文字通り、意識のはんちゆうになく自らのこうに気づいていない状態を無意識と呼びます。そうであるがゆえに、渡橋ヤスミがしようめつしたのではなく、本体に統合されていたのだとしても、涼宮さん自身はそれを知らない。目覚めた瞬間に消えせる夢のようなものですよ。ひょっとしたら本当に夢だったのかもしれませんね。我々は涼宮さんの作ったげんのごとき世界にいたのです。万が一の可能性が現実となりかねなかった、非実在の世界に」

 改めて実感するな。なんでもありか、あいつは。ハルヒは。

「舌を巻く思いですよ。僕は涼宮さんを神視する論調にはかい的でしたが、しゆうえの必要があるかもしれない」

 あいつをあがめたてまつる気にはなれないんだがな。

「僕は涼宮さんがじよじよに力を縮小させていると考えていましたが、まるで見当ちがいだったかもしれません。彼女は進化している。感情的な能力のはつせいぎよし、意識的にあやつれるようになっている可能性が出てきました。理知的な《神人》の行動がそれを物語っています。無自覚なのは今までと同じですけどね。だからこそすさまじいんです。たとえばキーボードをデタラメにたたいて一定量以上の意味のある文章を作ることは、確率的に起こりうるというだけで実際にはゼロパーセントと言い切れます。ですが意図しておこなうのは簡単でしょう? それを意識することなくやってのける。確率統計を完全に無視できるんです。もう神をえていますよ」

 だとしたら、もう手のつけようがないな。

「推測ですよ。涼宮さんの心理ぶんせきは僕ごときの手には余るようです。彼女が神にるいする存在なのだとしたらなおのことね。神話をひもといてみてください。神々の意志や言動はいつも気まぐれで不可解です。時にはじんなこともある。ですが、人間たちへの温情がかいとは言えない。たまに見せるその手の人間くささからわかることは一つ、神話の神は人が作り出したものだということです。それでは神にとっての神は、いったいどこにいてどんな姿をしているのでしょうね」

 それこそお手上げだが、それならそれでまあいいさ。

 ところで、朝比奈さん(大)と藤原の関係性はどうなんだ。というより、未来人の時間理論は。

「時系列が分岐していたことは我々が身をもって知った事実です。これが時空間の上書きなら、僕もあなたも気づくことはできなかったでしょう。あの一万何千回とり返した去年の夏のようにね。分岐した二つのルートの記憶があるということが、逆説的な証明になっているんです」

 それで。

「僕たちが体験した分岐は涼宮さんの力によって発生したじん的な時空改変です。ですが、朝比奈さんと藤原なにがし氏の未来がどうだったのかは解りません。そもそも同じ世代だったのか、別の世界の人物だったのか、あるいはどちらかがうそをついていたり、もっと言えば両方ともがにせの証言をしていた可能性すらあります。それは確かめようがない」

 未来人が本心を語らないのは禁則こうとやらだけのせいではなさそうだな。

「まことに。これは僕のかんですが、さく的にしろ自然現象にしろ、未来は様々に分岐するものなのではないでしょうか。しかし、その分岐ルートの同時進行はあくまで有限で、いずれはまた一つに合流するのではないか……。そんなふうに分裂と統合を繰り返しながら進んでいく、それが我々のにんする時間というものではないか、と、思うわけですよ。たとえば図にすると、」

 再びペンを手にした古泉は、ノートに落書きめいた線を引き始めた。

「先述した通り、僕たちが本来経過するはずだったのはβルートのみだったはずです。そこに涼宮さんが強制かいにゆうして、αルートを作り上げ、そのおかげで僕たちの今があるわけです。αのあなたや僕、そして渡橋ヤスミがいなければどうなっていたか解りません」



「一方で、朝比奈さんと藤原氏の未来が別個のものならば、このような感じでしょう。何かのきっかけでぶんし、再び統合すると仮定しての話ですが」



「中には統合されず分岐したまま交わることのない未来もあるのかもしれません。朝比奈さんは、自世界の先細りを防ぐために過去に来ているのかもしれない。自分たちの未来に時間の流れをゆうどうするためにね」



 やれやれだ。俺の頭では追いつかないな。長門なら別の意見を発するんだろうか……と考えているうちに全然別のことを思い出した。

「話は変わるが、お前と森さんは……ついでに新川さんはどういう関係なんだ。俺はてっきり森さんがお前の上司筋だと思ってたんだが」

 古泉は興味深そうな顔で俺をのぞき込み、

「なぜそう思ったのでしょう。私ども『機関』に何か疑問な点でも?」

「森さんはお前を呼び捨てにしていた。では、お前は、俺たちのいないところだと森さんを何と呼んでいる?」

 ややきよかれた顔をしたものの、古泉はすぐさまファニーなスマイルモードで、

「我々は目的を一つとした同志ですので。ゆえに会社組織のような階級なんて存在しないんですよ。だれえらいわけでもなく、まったくの同列です。仲間に上下関係はありません。森さんは森さんですよ。彼女もまた、僕を好きなように呼んでいるだけです」

 ふぅん。

 ま、そういうことにしておいてやるさ。特に知りたいことでもなかったし、よけいなせんさくは野暮ってもんだ。

「ああ、それともう一つ。これはまつなことではありますが、一応お知らせしておきます。ヤスミさんが持ってきて部室にかざってあるいちりんしのことです。写真をしかるべきところに送って調べてもらった結果、完全なる新種であることがわかりました。ラテン語の学名をつけることさえできるほどのシロモノですよ。彼女は約束を果たしたんです。入団試験の備考、何か面白いものを持ってこい、という指令を忠実にね。涼宮さんの分身でありながら、ひょっとしたら本人より可愛かわいげのあった少女だったかもしれません。……おっと、これは失言だったかな。ともかく、いつかまた、会いたいものです」

 照れたようなしようとともに古泉が立ち上がり、休日のささやかな会合は、こうして終わった。

 ああ、ちなみに二人して階下に降りると、リビングにいた長門と妹はシャミセンそっちのけで動物しように熱中していたことを申しえておく。後で聞いたところ、妹は宇宙人相手に連戦連勝したそうだ。ほんとかね。



 今でも思う。

 ──もし、あの時。

 俺が佐々木をせんたくしていたらどうだったろう。ハルヒから佐々木に乗りえて、にせSOS団を結成する。古泉の代わりに橘京子、長門の代用として周防九曜、朝比奈さんを捨てて藤原にくみし、中央に佐々木をいただいていたとしたら。

 俺は殺されていたかもしれない。ほかならぬ朝倉の手によって。三度目の正直だ。喜緑さんは止めてくれはしなかったろう。その結果、長門がどう動いたかは解らない。長門は本気で思念体に反旗をひるがえしたかも……ってのは俺の自意識じようかな。

 でも、そうはならなかった。なるはずもなかったんだ。

 俺はとっくにSOS団にどっぷりかっている。ここをけ出すのは底なしぬまの最深部からアクアラングなしでじようするくらいに困難なことなのさ。

 だから俺はあさにいる。波打ちぎわの遠浅のはまで、仲間たちときることなく水平線をながめているってわけだ。

 もう不特定の誰にもたずねる気にもならねえ。俺はこうしていたい。俺がそう思っているんだ。誰の意見も必要としない。ハルヒと朝比奈さんと古泉と長門。みなの意見が俺の意見で、俺の意見はみんなに共通する思いでちがいのないはずだ。

 だからこのままで行こう。行けるとこまでどこまでも。かれたレールなどいくらでもだつせんしてやる。こう前の線路を俺たちの手でせつしてまで。

 そう、時の果てるところまで。



 その月曜の放課後は、とつぜんの気まぐれを起こしたのか、何やら思うところでもあったのか、授業しゆうりよう早々に部活の休みを宣言するとかんじんの団長はさっさと帰路についてしまい、これ幸いとばかりに俺たち団員のうち朝比奈さんと古泉も部室に寄ることなく個別に帰宅していた。

 個人的にもう少し考えたいことがあったので、そのゆうができたことには感謝しておこう。

 長門だけは文芸部部長としての義務感か、残って読書ざんまいの時を過ごしていたようだが、空間になっているらしきあのエリアにうっかり足をみ入れる入部希望者がやってこないことをいのるばかりである。ま、そこは長門が情報操作あたりでうまいことやってくれるか。



 学校終わりに駅前のちゆうりんじようからチャリを引き出した俺は、自宅に至る道をどおりして、違う方向に進路を向けてこぎ出した。

 目指すはSOS団員なら『いつもの場所』で通用する、あの駅前公園だ。思えば今回の件の始まりは、そこで佐々木や九曜、橘京子とあたかもぐうぜんであるかのようにはちわせしたことから発生していた。

 もちろん俺はだれとも何の約束もしていない。ただ、あそこに行けば会えるのではないかと思っただけだ。丁半博打ばくちのように、確率は五分五分だろうと考えていたのだが、俺が考えるようなことは、すでに読まれていたようだな。

「やあ」

 佐々木が公園前に立って、手をっていた。

「ここに来れば会えると思ったよ。非科学的だけど、かんで行動するのも時には悪くなかったようだね。まあ虫の知らせや予知夢といったものはすべてにおいてただのこじつけだけど」

 俺は自転車を適当に不法駐輪し、佐々木に歩み寄った。

 おだやかで人をからかうような微笑をたたえたまま、佐々木は俺を近くの木製ベンチにさそう。

 駅からき出される下校ちゆうの学生たちや、駅に向かう雑多な人々が川のたんすいぎよのように通り過ぎていくのを眺めながら、俺たちはしばらく無言で座ってた。

 言葉を切り出したのは佐々木だ。

「先日はご苦労さん。と言っても僕は何もかかわれなかったわけだが、それにしても校門前でいきなり放置プレイをらった時にはすっかりめんらってしまったよ。あれがうわさに聞いたへい空間ってやつなのかい」

 あの後、お前はどうしたんだ?

「することもないし、僕がその場にとどまっているのもじやになるかと思って、早々に退散したよ。キミはあんなきゆうこうばいの坂道を毎日のように往復しているんだね。正直、感心した」

 それほどでもないさ。慣れちまえば都会の地下街を歩くよりは楽なもんだ。

くわしいわけは橘さんから聞いたよ」

 佐々木はぶらつかせている自分のローファーを見つめて、

「藤原くんには気の毒だけど、まあ上手うまくいったんじゃないかな。僕にとってもね。おかげで僕が神様だの、そんなもうげんからは解放されそうだ」

 佐々木が本音を語っているのは口調でわかる。こっちも伊達だてすいきようで佐々木と中学時代を過ごしていたわけじゃないからな。だが一つだけ、

きたいことがある」

「何だろう。キミが僕に質問することなど、勉強以外にあったかな。中学時代はいつもそうだったとおくしている」

「お前が俺の家に来たとき、藤原たちの件以外に理由がもう一つあると言ったな。そりゃなんだ」

 佐々木は目を最大限に開いて、俺を見つめた。

「ああ、あれか。よく覚えていたね。さりげなく言ったつもりだったから、すっかり忘れてくれてるんじゃないかと期待していたんだが、キミの記憶力を甘く見ていたかな」

 フフッ、といきのようなしようせいを吐き、佐々木は空を見上げ、

「二週間ほど前の話になる。僕は告白された」

 そのしゆんかん、あらゆるコメントをふうじられた俺は、完全に無言でいることをいられた。まるで俺の頭から日本語のすべての単語が空中にさんしてしまったような、何も言えなさである。

 佐々木は続けて、

「同じ学校の男さ。僕に告白するなんて、なかなか物好きな人間もいるもんだといささか感動したり、あきれたりしたものさ。とっさに返答するほど僕にだってゆうがなかった。不意打ちを喰らったようなものだからね。だから、今も保留ってことにしている」

 考えてみればハルヒと佐々木はどこか似ている。口さえ開かなければつう以上に異性の目を引く顔立ちであることもさながら、だまって立っていたらなおのこと目がその姿を追ってしまうという意味で。

「つまり僕はれんあい相談にきたんだよ。あんなメッセンジャーRNAにも満たない仕事一つのみで、僕が来るとでも思っていたのかい? まあ、妹さんに会えたのはぎようこうだったけどね」

 そりゃあ……。役に立てなくてすまなかった。

「いいよ。あのじようきようで相談事を持ち出しても困るだけだろう? それにやっぱり、自分の問題なら自分で解決すべきだと直前で考え直したんだ。キミに余計なノイズをあたえるのは得策ではなかっただろうしね」

 またちんもくおとずれた。聞いた手前、俺が何らかのボケかツッコミかリアクションを返す番なのだろうが、思いつかないものは思いつかない。情けないことに、俺はまだまだ力にみがきをかける必要があるようだ。長門司書のおすすめ本でも読むかな。

 やわらかなゼリーの中にいるようなていたい感を破ったのは、またしても佐々木であり、そしてそれは、しようげきの新事実だった。

「涼宮さんとは小学校が同じでね。ずっとちがうクラスだったが、そんな僕からも彼女の姿はいつもきわだっているように見えた。まるで太陽のような人だったな。違うクラスにいても、その光を感じることができるくらいのね」

 そんなカラクリがまだあったのか。まさかハルヒと佐々木が俺より先に出会っていたなんて。

「同じクラスになれたらいいなと思っていたよ。そうはならなかったけどね。だから、中学が別だと知ったときは複雑な感じだった。さびしいような、あんするような───。そうだね、太陽を直視し続けていたら目を痛める。でも太陽がなければ僕たちは光と温度を失う…………とでも言えばいいのかな。解るだろ? キョン」

 ああ。何となくな。

「家庭の事情で僕は小学校卒業と同時に名字が変わった。だから涼宮さんは佐々木と聞いてもピンとこなかっただろう。僕の容姿もけっこう変わっていたしね。涼宮さんにあこがれて長くばしていたかみを切ったりさ。でも、よかったよ。今さら気づかれたところで、僕はおくれしただけだったろうからね。だからないしよにしておいてくれよ。この告白も実は相当ずかしいんだ」

 俺は静かに息をき出した。

 知らないところで人間関係というものは様々に交差していることを改めて実感した思いだ。考えてみれば当然のことなんだ。この世にはごまんという人間がいて、それぞれがあちらこちらで無数の人間と出会い、別れ、再会してもいる。そうして数え切れないほどのドラマが発生しているに違いない。

 結局俺は、自分とその周辺の人間関係しか知ることはできないんだ。知らないところでどんな事件やいろこいがあろうと、知り得ないものを事実とにんしきすることは絶対にできやしない。

「そうでもないよ、キョン」

 佐々木は明朗なみを取りもどし、

「報道された出来事だけが事実となるかい? そうだね、確かに僕たちは人として知りる以外の知識を得ることができない。宇宙の果てに何があるのか、宇宙の外に何があるのか、そもそも宇宙とは何なのか、僕にとって真相はいまだ手の届かないしんえんの底にある。しかし、認識できていないからといって、それらの解答が存在していないわけではないだろう。僕はこう考える。もし人類が種としてしゆうえんむかえるに至っても認識できないような事実をやすやすと観測してのける生命体がいたならば、それこそ我々にとって神と呼ぶべき存在なのではないかとね」

 宇宙スケールに広げられても余計に解らなくなるだけだぜ。

「僕たち人間には想像力が与えられている。これこそ、人間が自然界にほこる最大の武器だよ。神のような存在にたいこうできる、たった一つの小さな矢のごときね」

 くっくっ、と声を立てた佐々木は、

「キョン、キミが望むのならば、いつでも涼宮さんの代役を務めてみせよう──と、言いつつなんだが、僕はキミが針の穴ほども望んだりはしないと解っている。いや、逆かな。僕の望みをキミが解っていると言うべきだろう。いずれにしても、その可能性ははや数字では言い表せないね。ゼロというのもおこがましい。まったくの無だ」

 本当にお前は、いつも正しいことしか言わないんだな。

「それに結局、僕は何もしなかったわけだしね。やっぱり神様なんて向いてないのさ」

 しなくてもいいことばかりやりたがるやつのやたらと多いこのご時世、ちゃんと物事を理解した上で、何もしないという判断を下すことがどれほどの美徳であるか、佐々木にもわかっているはずだ。

「うん、僕は解りやすい敵役になんかなりたくなかった。僕は自分にそれほどの高値を付けていないが、やすけ合いをするほどひんしていないつもりなのでね。チープなトリックスターはもっとケタ外れな内面を持つ人材が演じてこそ味が出るというものだよ。アクター・アンド・アクトレス、僕はたいに上がれそうもないね。良くも悪くも演技ができない」

 俺の周囲で演劇の心得がありそうなのは古泉くらいだ。俺には無理さ。きっときやくほんの書いたシナリオにだって文句をつけまくる自信があるぜ。

「それは僕が僕でしかなく、キミがキミでしかなかったというだけのことだ。涼宮さんの真似まねだれにもできない。きっと彼女自身も意識的にはできないよ。そこに意思のかいにゆうする余地はないんだ。どんなだいを持つ何者にも不可能さ」

 判じ物なら間に合ってるぜ、佐々木。このてつがくモドキ的な会話はいつまで続くんだ?

「失敬。もう終えるよ」

 佐々木は不意に真面まじな顔つきとなり、

「キミは着々とかいな人脈を構築して、そこに喜びを見いだしているようだが、今回つくづく思ったよ。僕は学業に専念したい。本当、ちゆうぼう時代のようにクラスでいている自分を楽しむゆうがないんだ。僕のこのしやべり方すら、特にと言うほどの注目を浴びない。何年か前まで男子校で、今も女子生徒は少ないんだが、僕自身はともかく周囲はそれほどおもしろがってくれない。軽くスルーされるのみでかべにぶち当たるのが関の山だよ。だから、キョン。僕はキミが好ましかった。僕に余計なせんさくを入れず、ただあるがままに受け入れてくれた人は、先にも後にもキミだけだったよ。キミと机を合わせて給食を食べる時間は何よりも貴重だった。何か言いたいのだろうけど考えた上で何も言わない。それでいて一定のきよを保ち、そこまでの気配りをしてくれて、その後もつうに接してくれた男子ともなれば世界でゆいいつ、キミだけなのさ」

 また、くすくす笑い。

「イヤだなあ。まるで告白でもしているみたいじゃないか。誤解されるのは僕の本意ではないのだけれどね」

 誰も誤解などしないさ。そんな変な気を回すヤツは頭がどうかしている。国木田の脳みそは勉強に特化しすぎてかいな覚え方をするようにできてんだ。

「そうだね。いやいや覚えたことは、覚えていなくてよくなったしゆんかんに忘れてしまうものさ。僕なんか高校受験に必要な知識とテクニックをすべて忘れたよ。きっと今僕の中にあるおくも、三年後には失われているだろうね」

 佐々木はほがらかに、

「それでもいいのさ。新しい別のことを覚えるとするよ。その時には、自分が覚えていたいことだけをね」

 っ切れたように佐々木は勢いよくベンチを立った。

「じゃあ、僕はこれからじゆくに行かなければならないんでね。話が出来て、うれしかったよ、キョン」

 そのまま歩き出した佐々木は、り向きもせず駅前改札へと向かっていく。

 ほっそりしたきやしやな背中に、俺はいつぱいの声を投げた。

「じゃあな、親友。また同窓会で会おうぜ」

 俺の声が聞こえたかどうか、佐々木は手を挙げることもなかった。たとえ何年後に再会したとしても、第一声を「やあ、親友」と決めているかのような、そんな後ろ姿だった。



 こうして、俺も佐々木と反対の道を歩き出した。急いだほうがいいような、あえてゆっくりでもいいような、どっちつかずな気分だったが、はてさて一ヶ月ってのは何か決まり事に決着を付ける時間としては長いのか短いのかね。まあ、決めるべきことがらにもよるか。

 なにはともあれ、俺が歩いていく方向には、ハルヒへのプレゼントを何にするかを考えなければならない日々が待っている。

 これだと思う方がいたら、メールか手紙をしていただきたい。今なら大いに参考になる、すぐれた意見を見いだせる気がするのでね。



 そして翌、火曜日。

 俺が一年間登りめてもまだうんざりの感情をおさえきれない坂道を、もくもくかつたんたんと歩いていると、

「よっ! キョロスケくん!」

 背中をゴキブリをたたつぶさんとするようないきおいでハタかれ、大げさでなくつんのめった。

 振り返った俺の顔の間近にあったのは、ラミネート加工されたレアカードのように明るくかがやだいせんぱいのイルミネーションのようながおだ。

「鶴屋さん。あ、おはよっす」

「よっすー、キョンくん。今日は晴れ晴れとしてるねえっ」

 俺は上空を見て、くもり空であることをかくにんし、再び鶴屋さんを見る。ケラケラっと笑った鶴屋さんは、

「天気じゃないっさ。キミだよキミぃ。さわやかな顔してるよ! まるで一週間くらいうじうじ考え続けていたなやみ事が先週末に晴れきった、みたいなつらがまえっさ」

 と、まるで一連のてんまつをどこかで見ていたようなことをおっしゃった。

 かんするどさではある意味ハルヒ以上のこの人のことだ。俺の顔面から必要以上の情報を読みとったところで不思議ではなく、それが不思議に感じられなくなっている自分におどろきつつ、

「ちょっときたいことがあるんですけど、鶴屋さん」

「なにかなー」

 並んで歩調を合わせながら、

「俺ってどんなやつだと思います? 鶴屋さんから見てでいいですから」

「はぁん? なになにどした? あたしの感想なんてあてになんないよっ」

そつちよくなところが聞きたいんですよ。古泉や長門からは正直な感想どころか、意味不明なたわごとがいねん的な答えしか返ってこないんで」

 鶴屋さんは、タハタハと笑ってから、

「みくるに聞いてもダメだろねっ。あのはお世辞しかいいそうにないっし」

 ここで鶴屋さんは、不意に俺の顔をのぞき込み、

「うん。キョンくんはぁ、そっだね。マイナー好かれタイプだね。きわだって話しかけやすいほうじゃないけど、何か言ったら的確に言葉を返してくれる感じさっ。面白い話にゲタゲタ笑うこともないかわりに、つまらない話にいやな顔をするわけでもないよね。それでいてちゃんと返事をしてくれる人って、ホントはそんなにいないんだよ。キミがそれっさ!」

 もっとめ言葉っぽい修辞はありませんかね。

「まあキミ、それなりにイイ男だし」

 さすが鶴屋さんの眼力は軍事用ランドサットレベルに正確だ。もっと言ってください。

「つっても、それほどじゃないし」

 盛りあがりかけた気持ちは、穴の空いた熱気球のように急速にしぼんでいった。

 鶴屋さんはまたケタケタっと笑って、

「でもキミなら道をみ外さないと思うよ。そこはしんらいしてるっさ。みくるにオイタもしそうにないしねっ。この高校にいる間は、ふっつーにふっつーの生活を過ごすだろうね」

 SOS団の活動がとうていつうとは思えないのですが。

「それはどうかなぁ」

 鶴屋さんのりようがにょろりと光った。

「キミからしたら、もう普通になってんじゃないかな。ハルにゃんがいて、みくるがいて、長門っちがいて、古泉くんもいる。まだ何か欲しいのかい?」

 いりません、とそくとうできる。当分の間は新入団員もこりごりですよ。

「にゃははは。だろね」

 ステップを刻むような歩で、鶴屋さんは俺を追い越していった。だが、そのり返りざま、

「月末の花見大会、ちゃんと覚えておくにょろよ。いろいろもよおし物をかくしてっから、来なかったらこっちから桜持って行くからねっ」

 そして、最後に、

「あたしんで預かってるあの変なオモチャ、いる時が来たら言っておくれよし。じゃねっ!」

 軽快な口調でそう言うと、ウインク一つを残してずんずんと坂道をとうしていく先輩の姿には、どこまでも人生を遊びたおそうとしているがいが見えた。

 かなわないな、鶴屋さん。たぶん、一生俺は彼女にかなったりすることはないだろう。でもそんなれつとう感は、なぜか暖かいうれしさを俺の胸中に差し込ませるのだ。



 鶴屋さんの姿が小さくなったかと思ったら、今度は別種の知り合いが俺のかたを叩いた。振り向いた先に、同じクラスのえんなる同級生、谷口と国木田が並んで立っている。

「よっ」

 と復活したニヤケ顔の谷口の顔色を見る限り、周防九曜との一件はようやくっ切れたらしい。あのぐうはつ的なかいこう以降、どこかこそこそと俺の目をはばかる様子でいたくせに、立ち直りだけはやたら早いようだなあ、モテ男谷口よ。

「おう、キョン。さっそくだが女しようかいしてくれ」

 いきなりアホか。

「国木田に聞いた話じゃ、佐々木さんってのはけっこうなイイみたいじゃないか。それでいいからよ。どうせお前にゃもう縁がないだろ。涼宮ほっぽり出してほかの女に走るようなしようなんざねえだろうしな。な、な?」

 うるせえ。いいか、谷口。欲しいものは自分で勝ち取れ。それに宇宙かいびやくから今までの時間をついやして考えても結論は一つだ。お前に佐々木は向いていない。それこそ、九曜以上のこっぴどいフラれかたをすること、すみきで書いてやるぜ。お前の額でいいか?

 谷口は下手な演劇的ジェスチャーで不満を表現し、

「おお。どいつもこいつも俺の周りにはロクな女どころか男すらいねえみたいだな。もし俺がごくじようの美少女アイドルグループと知り合いになっても、キョン、てめえには紹介してやんねえから覚えとけ。そして今のセリフを思い出してさめざめと泣け」

 ああ、いくらでも泣いてやるさ。ただし笑い泣きになるだろうがな。

「言うがいいさ。お前だって涼宮のおりばっかで高校の三年を過ごした卒業式の日に、いったい俺のこの人生ただ一度きりの青春の日々は何だったのかと舌打ちすることになるんだ。そんときにこうかいしてももうおそいんだぜ」

 ご忠告痛み入るね。じゆうぶん気を付けるさ。だが、俺は現在進行形で青春とやらをまんきつしている最中だ。てめえはてめえでおうでもなんでもしろ。ただしみような宇宙人とは二度と付きあってくれるなよ。俺がめいわくする。

 谷口のバカ話を聞くにえなくなったか、横から国木田が割り込んできた。こいつにしてはかく真面まじ顔で、

「あのさあキョン。つう、似たような感性を持ってる人間同士だと反発することが多いんだよ。どっちかと言えば真逆のモノのほうが相性はいいんだ。自然界が証明しているだろう? たとえば磁石のN極とS極とか、でんの+と-とかさ」

 おおう、歩きながら話すにはちょいと重厚すぎるだろ。物理の授業の予習か。

「でもね、ここからは物理の話になるけど、分子や原子からさらにミクロな世界に踏み入れたら、そんな電磁気力よりもっと近い力の存在が明らかになるんだ。水素以外のげんかくは複数個の陽子と中性子で構成されているんだ。中性子は電荷的にゼロだから、陽子と陽子は電磁気力でも、ましてや引力でくっついているのではないとわかる。では何故なぜ、おたがい反発し合うはずの陽子たちが反発せずに仲良く原子核内に収まっているのか」

 知らん。

かわひでという名前くらいは知っているだろ? 日本人初のノーベル賞受賞者だ。彼が予測したのは陽子と陽子を結びつける、より極小なりゆうの存在がある、ってことさ。その粒子は陽子と陽子の間でそう作用し、磁力やばんゆう引力とは比べものにならないほどの強力な吸引力を持っているにちがいないという仮説だった。後年、その理論は事実であることが判明した。よって湯川博士はノーベル賞を手にし、クォークやハドロンなどの素粒子へと至る道をはつくつしたわけだよ」

 その湯川秀樹先生の伝記的な話が今のじようきようと何の関係があるんだ?

「キョン、僕にはキミと涼宮さんは似たもの同士にしか見えないよ。どっちも+か同じ極なんだ。その属性は本来なら反発するもんだと思っていて、僕はすぐに関係性もかいすると思ってたんだ。だって、あまりにも同じすぎたからね。その印象は今もるがないよ。同じ属性だからこそ反発し合うのは当然の成り行きだよ。しかし、キミと涼宮さんは、もうちょっとやそっとのことでは引きはなせないところまで来ている。ここで湯川博士が提唱し、のちに発見された核力の登場さ。はじき飛ばされそうな複数の陽子をつなぎ止めている強い力が、キミたちの間にあるとしか思えないね。もちろんそれは今まで発見されている四つの力のどれでもない。強い力、弱い力、電磁気力、重力、そんな僕たちの知る自然界の力とは無縁のものじゃないかな」

 じゃあ何だと言うんだ。

「僕にだって知るわけないよ。もしかしたら新しい力、フィフスエレメントなのかもね。いや、これは夢想科学的な発想だったかな。あくまで人間的な結びつきで考えるなら、キョンと涼宮さんの結びつきは他の人たちの存在が大きいんじゃないかと思うね。古泉くんや朝比奈さん、長門さんがその役割を果たしているんじゃないかなぁと、まあ僕としては無責任に考えるわけだよ。SOS団ってのは、今や一つの原子核みたいな構造になっているような気がするよ。大きな物質ならくっついたり離れたりするけど、ここまで小さくなるともういちれんたくしよう、がっちりと接合して何一つ欠けようとしないほど安定しているんだ。その安定バランスをくずそうとしたら、それぞれの要素に相互作用する物質をぶつけることしかないけど、そんな人間がめったにいるとも思えないしね。それができそうな鶴屋さんは、たぶん知ってて何もしないことをせんたくしてる」

 そのくらいなら俺だって気づいているさ。

「本当にさとくてけんめいな人だよ、鶴屋さんは。僕がこの高校に来た理由はただ一つ、彼女が北高生だったからなんだ」

 ……そうだったのか。今明かされるプチしようげきの事実だ。

ずかしながらね。キミにしか言ってないから」

 国木田は谷口に横目を走らせ、お調子者のクラスメイトが登校ちゆうの新一年生女子の群れを目で物色しているのをかくにんしてから小声で、

「谷口にはないしよにしておいてくれよ。僕が知る限り、鶴屋さんは本当の天才だ。わずかでも近くにいたかった。キョンや涼宮さんのおかげで、よく知る仲になれたのは本当に感謝している。おかげで鶴屋さんの底知れないうつわというものが、ちょっとだけだけど知ることができたからね。ただ少し落ち込んだよ。天才を知るには自身も天才でなくてはならない。それがよく理解できた」

 そんなよく解らんことを理解できるお前もすごいよ。

「でもない。僕は天才とはほど遠く、せいぜいしゆうさいの域から出ていないからね。あの高みにたどり着くには自己けんさんしかないけど、今の彼女に追いつくまでどれだけの努力が必要なのかと思うとめまいがするほどだ。まあ、あきらめるつもりはないけどさ。何年かかろうとも僕は彼女と同じところに行く。その時には鶴屋さんはもっと上に行っているだろうけど、だったら今度はその場所を目指すだけだよ。アキレスとかめみたいだね。うん、僕は今、とてもここよい気分だ。目標としている人が今なおていたいすることなくどんどん先に進んでいるんだ。追いつくためにがんばらないとな、と考えるとそれだけでワクワクしてくる。こんな僕の心境を変だと思うかい?」

 変でなどあるものか。らしい向上心の持ち主だよ、お前は。ついでにこんなにしやべるやつだと初めて知ったさ。身近にいてもなかなか解らないもんなんだな、人間ってのは。

 古泉ですら規格外として無視を決め込もうとした鶴屋さんにそこまでみ込もうなんて、全北高生だけでなく地球上の全人類をわたしてもいやしないさ。お前ならいいとこまでいけるんじゃないか。鶴屋さんは鶴屋さんで、に頭の切れる人間が好きっぽいからな。俺なんかせいぜい年の離れた弟かおいあつかいしかされていない気がするぜ。



 教室にとうちやくすると、ハルヒはすでに席にいて、じろりという感じで俺を見上げてから、

「今日から平常運転よ。放課後は部室に直行すること」

 はいはい。

 俺はかばんを机に置いてり返る。

「なあ、ハルヒ」

「何よ」

「お前、何で北高に来たんだ?」

 とうとつな問いに思えたのだろう、ハルヒはオアシスの水場で水牛の群れと出くわしたワニのような目になって数秒ほど俺をぎようし、それから、

「なんとなくよ。私立に行っても良かったけど、なんとなく、この学校に来たらおもしろい部活が一つくらいあるような気がしたの」

 へぇ。

「何そのニヤケ顔。いいえ、言いたいことはわかってるわ。結局そんなのなかったんだから、あたしのかんなんて当てにならないって思ってるんでしょ?」

 そうでもないさ。でも、お前の考える面白い部活ってのはそんのものじゃなかったろ? それこそ堂々と、ここがその部活動のほんきよです、とかいう看板をかかげている解りやすさまんさいの組織なんて、お前の眼鏡めがねかなう宝箱ではなかったはずだ。

「まあね。一見、何てことはなさそうな部活だけど、実はひそかに結成されたひみつの組織がこの学校にもあるんじゃないかと期待してたの。ま、さっぱりなかったんだけどさ。あ、ひみつってのは、ひらで発音するのよ。秘密じゃないの。ひ・み・つ」

 子供っぽく発音するハルヒの顔とくちびるを見ながら、俺はうなずいた。

 願いはかなっているんだぜ、ハルヒ。お前の作り上げた秘密組織はこの高校に根を下ろし、ちょっとやそっとではるぎもしそうにない気配だよ。どっかの未来人や地球外生命体が茶々を入れたぐらいではじんも揺るがない程度にな。

 ハルヒはじとりと俺をめ付けていたが、やがてじように組んだうでして大きく息をき、何やら一首んだ。

「このたびは、ぬさもとりあえず、たむけやま、もみじのにしき、かみのまにまに」

 意味はともかく、春の歌ではないことだけは解った。



 その放課後。

「ちっす」

 と、部室のとびらを開けた俺を、そう当番で教室に残してきたハルヒ以外のメンツがむかえてくれた。

 すでにメイドしようぞくでいる朝比奈さん、部屋のはしで読書に従事する長門、定位置で中国しようばんめんを見つめている古泉の三人である。

 長門は顔も上げず、古泉は目線だけであいさつしてきたが、めずらしいこともあるものだ、朝比奈さんは俺に背を向けたまま、まどぎわに立ちつくしていた。

 よく見ると、

「はあ……」

 ヤスミの持ってきた花の水をえながらためいきをついておられる。

 やっと振り向いてくれた朝比奈さんは、

「もんのすごーぉく、かわいい人だったのに……残念です。あたしをせんぱいって呼んでくれたし……」

 言われて気づく。そういや俺は朝比奈さんのことを朝比奈先輩と呼んだことはないな。見た目がどうしても年下としか思えないせいもあって、何か先輩扱いすることがはばかられるのだ。でも、いいんじゃないだろうか。朝比奈さんは朝比奈さんで。本当のねんれいしようのままだしね。

「中学生だったんですってね……。どうりで妹みたいだなぁと思うはずでした」

 とりあえず、朝比奈さんの中でもヤスミの扱いはハルヒが説明した通りになっているようだ。

「もっとお話ししたかったなぁ」

 窓の外を見てひとみうるませるメイド衣装の上級生をながめながら、ふと思った。

 この現在の朝比奈さんを何らかの手でどうにかすれば、大人版朝比奈さんも何とかできるんじゃないだろうか。朝比奈さん(小)は今のところほとんど何も知っていない。俺が何度も出くわしている朝比奈さん(大)や藤原の一件について洗いざらい教えたら、未来にえいきようおよぼす可能性が出てくる。少なくとも、朝比奈さん(大)の行動は多少変わったものになるんじゃないか……?

 てな、計算を働かせる俺に、朝比奈さんがちょこちょこと寄ってきて、

「これ、部室に落ちてました」

 差し出してきたものを受け取ると、それは見覚えのあるバレッタ的なかみかざりだった。しようさいに観察するまでもなく、ヤスミが付けていたスマイルマークみたいなアレだ。

 意図的に置いていったのか、それともただの忘れ物なのか。

 朝比奈さんはヤスミの残したらんの花びらを指先でで、

「もう会えないのかな。来年は、あたしも……」

 言いかけて口をざす朝比奈さん。その意味するところは俺にも解った。

 現三年生である朝比奈さんはほうっておけば一年後には卒業する。もうこの場所にはいないわけだ。ということは、未来人がらみの事件は、残りの一年間で打ち止めになるのか? だから、朝比奈さんは同級ではなく、一つ上の学年として存在していたのだろうか。

 知るか、そんなもの。

 別にどうだって構わんさ。将来のことは未来人が何とかすればいい。俺はこの時代の人間で、過去とも未来とも無関係なんだ。今出来ることならいくらでもしてやるが、十年や二十年先のことはその時の俺だいだろう。何か言いたいことがあるなら未来の俺に言ってやればいい。自分で言うのも何だが、今とそんなに変わってないと思うぜ。その時代の俺も、やはりすべきことはして、やらなくてよさそうなことはしないだろうな。それが正解だったかどうかは、さらに未来の俺が判断してくれる。それが人生ってもんじゃないか。たかが高校生が思うことではないかもしれないが。

 などと、我ながら達観したような気分を味わいつつヤニ下がっていたら、

おくれてごっめーん!」

 ハルヒが飛び込んできた。悪い予感しかしない、例のいつものがおとともに。

 どう考えても掃除の最中に余計なことを思いついたとしか想像できない、真夏のヒマワリも横を向きそうな明度と熱量を持つ笑みだった。

 思わず身構える俺を無視して団長机に向かったハルヒだったが、ちゆうで歩を止め、俺の手元をのぞき込んだ。

「あれ?」

 さっと髪留めをかすめ取り、しげしげと見つめることすうしゆん

「ああ、これ。あたしが昔つけてたやつだわ。思い出した。どっかで見たと思ってたのよね。小学生の時だったわ。中学に入ったころになくしちゃったんだけど、あの子もそれ使ってたなんてね」

 かんがい深げに言い、手にしたそれをにぎりしめたまま、俺の前を通り過ぎる。

 その後ろ姿が、俺がげんした未来のハルヒとダブった。

 あの時、ハルヒに声をかけたのはだれだったのだろう。

 あいつがり向いた、その先にいたのは俺の知っている誰かなのか、それとも全然まったく見も知らぬ第三者だったのか。

 だとしたら、あんまり楽しい想像ではないな──と考えている自分に気づき、俺はがくぜんとする振りを忘れてなつとくした。そればっかりは認めざるを得ねえ。

 だが未来は不安定らしい。藤原や朝比奈さん(大)のやりとりからばくぜんかび上がってきた新たな情報を俺は忘れちゃいない。歴史改変なのか世界ぶんなのか、んなもん俺にわかりはしないが、未来というものは別れたりくっついたり変化したりするものらしい。

 俺は俺が見た、一瞬だけかいることの出来た、あの光景をずっと覚えているだろう。そして、あの場所にいることを望むだろう。

 そのためには、まだ色々やることがありそうだ。ハルヒの強制家庭教師に付き合ったりな。高校生活はまだ二年ほど残っている。その間、長門と朝倉と喜緑さんの親玉や、九曜とてんがい領域なる宇宙組織一派が何もしないですっこんでいるとは思えない。あるいは、橘とは別のみような機関モドキがラスボス前の中ボスのようにわらわらやってこないとも限らない。

 ま、なんとかやってやるさ。

 幸い、俺は一人ではない。長門も古泉もmy朝比奈さんもいる。アホの谷口や、やけに冷静な国木田や、てんほうな鶴屋さんだっている。いままで散々、走り回ったおかげで、俺は俺にとってのかぎとも言うべき仲間と少なからぬ知己を得たのだ。佐々木もそうだ。あいつだってこのまま退場してハイさよならなんて、俺はまったく考えちゃいないぜ。ちょっとセンチメンタルな別れを演じたところで俺はだまされない。また、節々でかかわることになるだろう。なぜなら、俺が関わらせる気満々だからだ。

 だが今はそんな起こるかどうか知りたくもない未来の出来事よりも何より、目下のところ、俺には欠かすことのできない仕事があった。SOS団結成一周年記念式典及び団長相手のサプライズ計画ってやつだ。数週間も先の話だから今からあわてなくてもいいのだが、その前に鶴屋さん宅での八重桜かんしようかいもしないといけないし、ハルヒが新入団員をすっぱりあきらめたのかどうかも定かではないし、これから一ヶ月、まだ色々ありそうだ。

 だが、俺たち五人がそろっていれば、なんだってできるさ。

 どんな相手が来ようとな。

 しかしそんなことは大した問題ではない。

 俺に課せられた最大のけんあんこう。それは団長あてのプレゼントをいったい何にするか、あるいは何にしたのか、ということだった。これがもうからっきし全然思いつかず頭を痛めているところだ。どうかご意見ご教授のほどを期待したい。

 という、長々としたモノローグを俺が垂れ流しているうちに、ハルヒはかみかざりを団長机の引き出しにうと、さくっと身をひるがえしてホワイトボードへ歩み寄った。

 無言のままペンを取ったハルヒは、いつせいに次のような文言を書き上げて、再び振り返った時には見ているこちらのもうまくが焼き切れそうな、得意げな笑みをほとばしらせながら、

「キョン、読みなさい」

 団長命令とあれば仕方がなく、俺はしゆくしゆくと応じる。

「新年度第二回SOS団全体ミーティング……って、おい。今日ミーティングするなんて俺は初耳だぞ」

「みんなにはもう伝えていたから問題ないわ。あんたには言ってなかったっけ? だったらゴメン、忘れてたわ。でも、いま伝えたから別にいいわよね」

 俺はゆかのどっかに苦虫がっていないかどうかと探し始めた。いたら奥歯で思いっきりみつぶして、そのしるを味わってやろうと思ったのだが、幸か不幸かそのようなこんちゆうはさすがにどこにも這い回っておらず、俺は望んでもいないあくじきまぬかれた。

「で、何のミーティングを始めようと言うんだ、お前は」

 ハルヒはうらけんでコンとボードをたたくと、

「決まってるでしょ。あたしたちは鶴屋さんの花見パーティに招待されてるのよ。タダ飯食いの飲み放題じゃ申しわけないし、何よりSOS団としてのサービス精神とあたしのきようが許さないわ。だからね、キョン、古泉くん、みくるちゃん、有希」

 古泉はニヤニヤと、長門は無常なまでの無表情で、朝比奈さんは口元を両手で押さえて、それぞれ俺を見つめていた。

 いやな予感が、下りのエスカレータから転げ落ちているような勢いでせまって来る。

「みんなで余興をするわよ。列席者の数々からばんらいはくしゆをもらえるような、すっごい芸をね!」

「おい待てよ。鶴屋家の大規模な花見大会なんだろ? どうやら地元の名士とかそこそこのおえらいさんとかがこぞってやってくるようなんだが」

「観客の質がどうだって? いい? 笑いは万国共通なの。政治家の数人やぎようの役員どもを楽しませないで何が芸よ。ろうにやくなんによ、人種やこくせきさえっ飛ばしてその場の全員を笑かしてのけるの。芸の本質はそうであるべきだわ!」

 勝手にテンションを上げているのはいいとして、いったいそれはどこの類語辞典に新規登録されたじようだんだ? ブリタニカにってないことはけてもいい。あと、俺のガラスハートに早くもヒビが入りつつあるんだが。

「やるわよ、余興! いえ、もうメインイベントと言ってもいいわ。SOS団プロデュースのほうふくぜつとういまだかつてないざんしんなエンターテインメントによって人類平和をもたらす一大プロジェクト!」

 ハルヒはうしの散開星団を丸ごと圧縮したようながおで──、

 紅海の水を一息で飲み込まんばかりに大口を開けて──、

 高らかに宣言した。

「そのための事前作戦会議を、ここに始めます!」

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