第九章

α─12


 しばらくして、誰かが部室のドアをノックする音が聞こえた。ひかえめというにはやや乱暴なたたき方で、ドア向こうにいる人間の対人マナーが知れるというものだ。

 反射的にヤスミに目をやると、この不思議な一年生女子は、工事計画がとどこおりなく進んでいることを知った建設会社の現場かんとくのような、実に満足げなみを顔中にかべていた。

 ……なんなんだ、こいつは?

 俺の後に誰かが来ることを知っていたのか? それともこいつが呼び寄せていたのか? そして、その誰かが何者であることをも解っているのか?

 ……とか、疑問に思っているひまはなさそうだ。

 こちらから返答もしないうちに、ガチャリコとドアノブが回転する。とびらが動き始め、すぐにけいの空間が部室に口を開けた。

 部室窓から照らし込む、西日の夕焼けの光に浮かび上がったひとかげは三つ。

 ハルヒと朝比奈さんと古泉がもどってきたという可能性はたったいま、雲散しようした。

 俺の知った顔を持つ三人だ。だからこそ意外性ぶっちぎりだったとも言える。それは、とつぱつせい失語しようになるくらいのきようがくを俺にもたらす、超絶的に意表をつく三名でもあった。

「な……!?」

 と言ったきり、俺の口は開きっぱなしのまま固定された。いま鏡を見たらしようがいでベスト3に入るほどのアホづらを観察することができるだろう。

 しかし、わざわざ鏡を用意する必要はなかった。

 なぜなら──。



β─12


 藤原にいざなわれるまま、俺は文芸部室の前まで来てしまっていた。

 予感も何もない。佐々木のいない佐々木製へい空間内で俺が出来ることなどありそうにないし、出来そうなやつなどかたわらにいる橘京子くらいだが、こいつはそもそも藤原と談合している。たよりなく見える姿にいつわりはないとしても、この場で俺の味方になってくれるとは思いがたかった。

 そうでなければ、俺をまんまとこんなわな空間に閉じこめたりはしない。

 藤原は俺には目もくれず、部室扉を乱暴にノックした。

 中にいる人物を目上とも対等とも思っていないような、完全にマナー無視な叩き方である。

 内部からの返答を待たず、藤原はぞんざいな手つきでドアノブをにぎり、内側に向けて扉を開け放った。

 部室の窓から差し込む西日がまぶしい。逆光になっているおかげで、室内にいる人影がまさしく影となってよく見えねえ。

 しかし、それが二人であることと、北高の制服を着たそれぞれ男女であることはシルエットだけでわかった。

 ……だが……しかし……。

「う……?」

 両サイドからうめき声がステレオで聞こえた。

「……どういうことだ……?」

 押し殺した声は藤原のもので、

「……どういうことなの……?」

 なおな驚愕の表明は橘京子のものである。

 続けて今まで聞いたこともない感情をあらわにした声で、藤原が、

「周防九曜はどこだ。お前たちは……いや、お前はいったいだれだ……?」

 どういうことだと言いたいのは俺のほうだ。何が起こっている。

 九曜はどこだ、だと? これは藤原と橘京子の計画ではなかったのか?

 俺は夕日に手をかざしながら、棒立ちの藤原を押しのけて部室に足を──。

 待て。

 西日?

 ここはとっくにあわい光の支配する閉鎖空間になっているはずだ。なぜ、太陽が休み前のおおばんいとばかりにゆうゆうと夕日をかがやかせている? ガラス窓をすりけて内部を照らす光は力強いオレンジ色をしていた。この部室だけが変なのか?

 しかし、その疑問も中にいた二人の顔をにんしきしたと同時にき飛んだ。

 なぜなら、そこにいたのは──。



α─13


 突然やってきた三人を見て言葉を失っているのは俺だけではなかった。

 訪問者三人も、三種類のぼうぜんを露わにして立ちつくしている。

「……どういうことだ……?」

「……どういうことなの……?」

 調子のくるったステレオのように声を発したうちの一人は、あの名の知らない未来人ろうだった。

 今年の二月ごろ、俺と朝比奈さん(みちる)の前に現れて、何やらもったいぶった言い回しのイヤミをかましたと思ったら、朝比奈さん(みちる)ゆうかいはんの車の中から最後に出てきて、イリュージョンマジックのように消えちまったやさおとこのツラを忘れ去るほど俺はもうろくしていない。

 もう一つのがらむすめの顔もまたしかり、こっちは三度目の再会となる。確か橘京子としようかいされた。古泉とは別組織のちよう能力者グループの、朝比奈さん(みちる)誘拐の実行犯でもあり、俺の旧友佐々木の知り合いとかであるらしい少女だ。

 いつぞや、SOS団ようたしの待ち合わせ場所でぐうぜんよそおったように出くわしたうちの一人だ。あの時は未来人野郎はいなかったが、代わりに異様なかみを持つ宇宙人モドキがいた。しかしそいつの姿は今は見えない。もちろんいて欲しいとはとんを干した後のイエダニのがいほども思わなかったから、それはそれでいいんだ。どうでもいい。

 どうでもよくないのは──。

「……誰だ、お前は」

 そのセリフがどちらのものかは俺自身、自信がなかった。言ったと同時に耳に届いた言葉に、すうしゆんの狂いもなかったにちがいない。

「誰だ、お前は?」

 もう一度言った。そして向こうもまったく同じタイミングで、同じ発音で、同じ語調で、同じ声で、同じ言葉を発していた。わずかのズレもなく、わずかな長短もなく、わずかなもなく、かんぺきなユニゾンで、ステレオどころか完全に同一の声として一体化し、空間をふるわせた。

 先客である俺とヤスミがいた部室に来たうちの一人は──。


 俺だった。


 そこにもう一人の《俺》がいて、ぜんとした顔で俺をぎようしていた。



β─13


 俺だった。


「誰だ、お前は?」

 そう言ったきり言葉を失った俺がとっさに思ったのは、またしてもタイムスリップしてしまったのかという疑問だった。

 今まで何度も過去に飛ばされたことのある俺だからこその発想だろう。現に藤原と橘京子にとっては、よほど意外な光景だったようで、まだポーズセンスのないちようぞう化からだつしていなかった。未来人である藤原までもがそうなのだから、これはよほどの事態に違いない。

 しかし待て。それはそれでおかしいじゃないか。

 俺の意識には、『過去、もう一人の自分』にこんなじようきようで出くわしたというおくなど明確にこれっぽっちも残っていない。ということは、これが時間移動の結果なのだとしたら、俺は未来から来た自分に出会ったことになる。俺が過去の記憶を都合よく吹っ飛ばしているのではない限り、こんなあからさまに自分自身と顔をつきあわせた事実などないからだ。

 だが、それにしては相手の《俺》の反応がみようだった。

 もし、この《俺》が未来からやってきたのであれば、過去人である今の俺と出会って、ここまでどうようの表情をあっけらかんと見せつけているわけはない。その《俺》にとってはていこうのはずだからだ。あのハルヒ消失事件の際に、俺は長門と朝比奈さんとで過去にんで、自分自身とバグった長門を救った。あっちの《俺》が本当に俺の未来人型なのだとしたら、ちゃんとわかっているはずである。そうではなさそうということは、この《俺》はだれかの化けた姿なのか?

「あ……」

 と、《俺》がらした。

 その声にふくまれる成分と表情で、俺は今思いついたプロセスを、あっちの《俺》もが同時にさとったことを知った。こいつはまぎれもなく俺自身らしい。過去から来たわけでも未来から跳んできたわけでもない。ということは時間移動ではないのだ。これはもっと、何か違う別の現象だ。

 俺は俺で啞然としつつも、《俺》といつしよにいる少女に目を留める。こいつは誰だ。小柄で、だぶついた制服を不器用に着こなし、髪には子供っぽいスマイルマークのかみかざり……。待てよ、どこかで──。

 その時、俺の背筋に電流じみたものが走った。昨日部室で出くわしたなぞの少女と、彼女が置いていった花のいちりんしの映像が、脳内を特急電車のように通過する。

 目を向けると、ハルヒの団長机の後ろに、まどぎわにその花はあった。

 つながっている。

 この世界と、俺がいままでいた世界は、全然違うものじゃないんだ。しかし時間移動でも、時空改変でもないとしたら、これは何なんだ。

「フフ」

 こんな状況でも、そのむすめは背後の花に負けないほどのやわらかな微笑ほほえみをかべている。

 完全にイレギュラーなちんにゆうしや、この娘は……いったい……何者だ?

 その解答を、もう一人の《俺》は知っているのか?



α─14


 俺は《俺》から目をはなせない。

 こいつは俺だ。俺自身だ。過去からでも未来からでも来たのではない。たった今現在の俺と寸分とたがわない、何から何まで同じ俺だった。

 むこうも俺と同様の結論を得たらしい、きようがくと疑念のダブルスパイラルにおちいっているのがよく解る。今の俺のようにな。

 そして、こう思っているはずだ。

 ──いったい、何がどうなっているんだ?

 さらには、こうも。

 ──俺と一緒にいるヤスミは、いったい何者なんだ?

 そのくらいは《俺》の視線のいちべつで解るさ。なんせ、相手は俺自身なのだから。

 まるでじようだんのようなこうちやく状態が続いていた。誰も彼もがおどろいている。名前の知らない未来人男、橘京子、俺と《俺》。

 全員がすべきことを見失っていた。ただ一人を除いて。

せんぱいっ」

 ヤスミがすっと前に出た。幼げな顔で、うれしそうに俺と《俺》を見比べて、再び笑った。

「ヤスミ」

 俺はかわききった声で、

「お前は……誰だ」

 くふふ、とヤスミは子供みたいな笑い声を立て、立ちっぱなしでいることしか能のない俺の片手を取った。

 次に、俺と同じ反応しかできていない《俺》へと手をばした。

 《俺》は吸い込まれるようにうでを上げ、ヤスミが自分の手をにぎるままにさせている。それが自然のこうであるかのように。

 ヤスミはぐい、と俺と《俺》を引き寄せた。

 そして、

「あたしは、わたはし」

 と言いつつ、俺と《俺》の手をややごういんに重ねさせた。


 その直後、俺はすべてを理解した。



β─14


 誰もがこうした、まるで時間が止まっているような空間で、ゆいいつ動いたのは謎の少女だけだった。

「先輩っ」

 少女がすっと前に出た。幼げな顔で、嬉しそうに俺と《俺》を見比べて、再び笑った。

「ヤスミ」

 俺そっくりの《俺》がかんそうざいを飲み込んだような声で、

「お前は……だれだ」

 すると、もう一人の俺にとってもこの娘は名前を知っているだけのなぞの人物だったのか。

 くふふ、とヤスミと呼ばれた少女は子供みたいな笑い声を立て、立ちっぱなしでいることしか能のなくなっているらしい《俺》の片手を取った。

 次に、《俺》と同じ反応しかできていない俺へと手を伸ばしてきた。さあ、どうぞ。そんな声が聞こえそうなほど、自然なかんたいの意が感じられる。

 俺は吸い込まれるように腕を上げ、ヤスミなる女子北高生が手を握るままにさせた。このあたたかく、柔らかな指のかんしよくは、どこかで知っているものとよく似ているような気がする。

 ヤスミはぐい、と《俺》と俺を引き寄せた。

 そして、

「あたしは、わたぁし」

 と言いつつ、《俺》と俺の手をやや強引に重ねさせた。


 その直後、俺はすべてを理解した。

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