第八章 2

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 金曜日。

 俺のせいの良さはねむりにつく、そのしゆんかんまでのようだった。

 朝、妹による必殺フライングボディプレスによっての目覚めは至って最悪の部類にかんじようできるだろう。目的地がわかっているというのに全然辿たどり着けずあちこち走り回っている夢を見ている最中に強制かくせいいられたおかげで、たっぷりのすいみん時間を経たにもかかわらず、起きけたばかりなのに、すでに身体からだろうこんぱいしているとはな。ほとんど眠って休んだという気分がしない。余計につかれただけのような気がするほどだ。

 せめてオチまで見終えてからわざをかけて欲しかったぜ、我が妹よ。

「……あー……」

 俺が半ボケしたまなこのままベッドで上体を起こしたとき、かたわらにいたシャミセンは我関せずとばかりにまくらに頭をせてくうくうイビキを立てていた。とんの中か上に乗っていたら俺と同様に妹のじきになってくれただろうが、ねこにすらおくれをとる人間様の不明をじている場合でもなく、俺はパジャマ姿のままベッドを下りた。

 やっと週末が来てくれたのはありがたいが、今日の放課後には今後の俺およびSOS団の命運を左右する出来事が待ち受けているはずなのである。ぼけ気味から覚醒じようのうでだって、そのくらいは覚えているさ。

 ただ、本格的にシリアスな心境へと達するには肉体的精神的に、もっと明確な覚醒が必要だろうな。そう考えたら北高までの長い坂道は、格好の早朝ラジオ体操にひつてきする運動になるのかと思いつつ、いや小学生時代の夏休みにラジオ体操のスタンプをもらったたんそくに帰宅して昼まで二度寝の続きをむさぼっていたことを考えると、長期休みに入っていないぶん、健康的と言えるのかもしれなかった。何で俺はあんな高校に願書を提出しちまったんだろうね。近場にそこそこマシな市立高校があったにもかかわらず、まったく中三時代の担任教師をいまさらながら問いつめたい。大学進学率がどうのとかいうお題目にすっかりだまされたぜ。

「キョンくーんー」

 早寝早起きを習慣としている妹は、とにかく朝から元気だった。誰に似たのか朝が弱くてぐんにゃりと寝ているシャミセンを重そうにき上げつつ、

「今日は大事な用事があるんでしょお? 昨日の夜、早めに起こしてねって言ったよ。起こさないと二度とゲームで対戦しないって言ったもん。そんなのヤダ」

 まったくおくにないが、今日が俺にとって特別な日になりそうなのは確かなことだった。学校でもなく、SOS団の活動でもなく、放課後になって高校を去り、佐々木とその他のうさんくさい連中との会合が待ち受けている。

「ああ……」

 妹のこいつ本当に小学六年生かと疑うほどの幼い顔と、不器用に抱かれているシャミセンのあくびを見ているうちに、じよじよに意識がせんめいになってきた。昨夜の佐々木との電話会談のがいようが、眠っている間に整理せいとんされた頭にふわりとよみがえってくる。

 藤原との決着。

 あの未来人は何のために過去に来て、九曜や橘京子とつるんでいるのか。

 周防九曜との決着。

 あの地球外生命体は、何のために長門を寝込ませているのか。

 橘京子との決着。

 朝比奈さんをゆうかいしたと思ったら、古泉を尊敬の念でおもう無害そうな似非えせちよう能力者は佐々木を本当の神にしたてあげたいのか。

 俺のちっぽけなのうずいなやます問題はまだある。

 喜緑さんはただ観察しているだけで、たとえてんがい領域が情報統合思念体に取って代わろうとしても、ぼうかんしやである立場をつらぬき続けるのか。

 一時的に復活した朝倉りようは、そんな事態の推移をただ座して動かないつもりなのか。

 これまで何度も俺を過去へといざなってきた朝比奈さん(大)とは、もう二度と会うことがないのか?

 古泉の勢力は? まる兄弟や、もりさん、あらかわさんたちはどうなるんだ?

「わからねー」

 俺はガラガラ声でやくたいもないセリフをらした。

 今日、確実に何かが起こる。それも、今までにないきよだいなイベントが放課後に待ち受けているのはちがいない。そのほとんどの問題が、今日で解決されりゃいい。夜になってにでも入りながらうろ覚えの洋楽ソングをげんよくうたっていたい。いや、そうならなきゃうそだ。

 これで終わりにしないと、俺は延々と気に病んだり、部室でひとりぼっちの待ちぼうけを食らい続ける新二年生生活を送らなくてはならないような、そんな気がするのだ。

 俺の居場所をうばわれてたまるものか。

 一年生だったあの授業中、背後からハルヒのきを決められたあの日から、俺の中にあったゆがんだ歯車はぴったりあいつにがつしてしまった。運命? そんな単語は中性子星にでもほうり込んじまえ。ハルヒが望み、俺も望んだ、その結果が今という時間なんだ。

 過去も未来も知ったことか。何よりも守らないといけないのは、現在の現実であって、仮定の未来や宇宙人の考える常識などではない。文句のあるヤツは直接俺に言いに来るか、メールか手紙でもすんだな。もし俺よりすぐれた意見がそこにあれば、大いに参考にしてもいいさ。

 だが、これだけは忘れるな。すべてを決定するのは俺だ。どんなに頭のいいヤツの論文だろうが、そうめいなる天才の意見だろうが、俺がきやつといえば却下なのだ。

 うまいこと俺をなつとくさせるには古泉クラスの根回しか、長門レベルのしんらい性か、ハルヒ並みの問答無用さが必要だぜ。

 この世で自分こそナンバー1だと信じる者、重々たるかくをもって現れるがいい。

 しかし、これだけは言っておきたい。もしキミにそんな自信と覚悟があるのなら、自分の物語について考えるのが先だ。なぜなら、キミの周りに宇宙人や未来人や超能力者、ついでに異世界人がいないとは限らないのだからな。

 人の心配をするより、まずは自分の周囲に気を配ったほうがいいぜ。これは俺からのささやかにして無責任な忠告にすぎないから、あくまで自己責任でたのむぜ。



 学校に行き、ちゃんと始業チャイムまでに教室の自机に着いているのはだんと変わらない、ひねもすのたり的な日常のはんちゆうだった。

 長門が欠席続きのせいで、真後ろの席の住人が始終そわそわしているのを除いてな。

 ハルヒにとって長門の体調不良以上に気がかりなことなど、再放送アニメの予告編ほどもないようで、授業中もシャーペンのしりをガジガジんだり、教師から当てられた問題にまるでだれかロゼッタ石を持ってこいと言いたくなるようななぞの文字列を板書したりと、アストラル界に精神を飛ばしっぱなしのような非集中ぶりであったが、そこはハルヒのいつものこうということでクラスメイトたちは冷静にスルーしていた模様だ。ハルヒが完全にハルヒ的であることもたまには役にたつものなんだな。いいやら悪いやらだが、成績のよさが物をいうのかね。



 放課後になるや、ハルヒはもはや俺におざなりな言葉を投げかけただけで、すぐさま教室を飛び出していった。おおかた朝比奈さんをとっつかまえて長門マンションまでクロスカントリーの下り坂訓練じみた勢いで走るつもりなのだろう。

 長門の不在はそこまでのものなのだ。いつ行っても部室のすみっこにちょこんと座り、静かに読書にいそしむがらな団員の姿がないというのは、それはもうSOS団の部活とは言えない。誰が欠けても成立しない、そんなあいだがらに俺たちはなっちまった。この一年を思い起こせばいい。俺や朝比奈さんや長門が複雑かいな事件にからられていたのは、そりゃそれでまあいいさ。そうではなく、むしろ蚊帳かやの外であったハルヒにとっても、やっぱり仲間意識はすっかり強固になってしまっている。何故なぜか? それはわからん。

 あるいは野球大会だったのかもしれんし、とうへの旅行か、遊びほうけた夏休みだったか、コンピ研とのゲーム対決とか、しょうもない映画さつえいで連帯感を感じた可能性、軽音楽部の助っ人やクリスマス以前の俺にまつわる入院事件であったり、冬休みの雪山でそうなんしたこととか、文芸部vs生徒会や───。

 まあ全部かもな。いつの間にか、ハルヒは一年前のハルヒから大きく様変わりしている。身体的成長がどうかはかたくなに口をざしているが、精神面はあのころの勢いを残しつつ、だが少しずつ、確実に一歩一歩階段を上っているのは、いくらどうさつ力がガラパゴスゾウガメの全力しつそうよりどんじゆうだと自覚している俺にだって解るぜ。

 俺の手やネクタイをつかんで引っ張り回すエネルギーはまだ有り余っているようだが、全身ハリネズミの針をロケットのように発射しまくるような無差別こうげきはすでにえんどおい。

 少しさびしくはあるがね。

 しかし、それも長門の回復までの期間限定なのかもしれぬ。

 ならば──。

 と、俺は思うのだ。

 早く片を付け、長門をアホな任務から解放してやろう。それが俺に調合できる、ハルヒと長門に対する何よりの特効薬になるはずだ。



「やあ」

 自転車を不法ちゆうりんし、いつもの駅前公園にやって来た俺を、佐々木が片手をってむかえてくれた。先日同様の落ち着いたみ、皮肉をまんしてこらえているような表情は、何年も前から変わらない佐々木オリジナルのものだが、だまってしようさえかべていればいいのに系の顔立ちは確かにハルヒと同種のにおいがする。

 ハルヒにしろ佐々木にしろ、もう少し男の付け入るすきのようなふんかもし出していればな──と思っていたのも今は昔の話で、両者に性別をちようえつした何とも上手うまく言えないし言いたくもないかいな吸引力を感じるのは、俺がゆうとうに吸い寄せられる虫みたいな習性をかくとくしてしまったからかもしれない。

 どうもハルヒに出会って長門しかいない文芸部室に連れ込まれたあの日から、俺の目は他人とはちがう風景を映し出しているようだ。しゆが変わったわけではないと思いたいところだが、自分のことなどさっぱり解らないのでね。この手のぶんせきは古泉か国木田にでも任せるさ。後でな。

 今は、目の前にいる佐々木とりようわきに付き従うように立っているそのお仲間について考えることが先だ。

 二人の男女は、橘京子の小柄でひかえめな姿と、長身のくせに視線を低くして無表情でいる藤原の形をとっていた。しよう超能力者の橘京子、未来人藤原。それと佐々木を合わせた三名が、待たせちまっていた全員らしい。

「九曜がいないな」

 長門の件もあって一番用があるのはあいつなのだ。それとも目に見えないだけですぐそばにっ立ってでもいるのか? 俺のしんあからさまな表情を見て取ったか、佐々木が答えた。

「九曜さんとはれんらくがとれなかった。目下のところ行方ゆくえ不明中さ。もともとそういうところがあったからね、待ち続けてもいつ登場するか解らない。でもどうせ、必要なときには現れるよ。僕が保証する」

「そうなのか?」

 俺は藤原に水を向けた。

「……ああ」

 いつもは人をとことんバカにしているような藤原の顔だったが、なぜかかたい表情に見える。真面まじな──じゃないな。きんちようしているような、思いめているような、そんなつらがまえで、人を鹿にする例の冷笑が口元からさんしている。

「来るさ。あいつは」

 藤原は固形物をくような声で、

「必要なじようきようになれば必ず、どこにでも出現する。だれが望もうと望むまいとお構いなしにな。ふん、異星人はゆうがあってうらやましいことさ。僕だって出来ればあいつとはこれっきりにしたいと思っているくらいなんだ。地球は異星人のものでも過去人、お前たちのものでもない。お前たちは僕たちの時間にとって、ありふれた生物の化石程度の価値しかない。はい場所に困るくらいのな」

 ……いつにも増してムカつくセリフで安心するね。おかげでねなくこいつをにくたらしく思うことができるってもんだ。

「あの、あのー」

 わきから顔を出した橘京子が、俺と藤原の視線上にある殺意光線の間に入ってきた。

「タクシーを手配してます。すぐに出発しましょう。あ、あと、今日は来てくれてありがとう」

 ぴょこんと頭を下げた、橘京子のつむじをながめていると、こちらはどうも憎めそうにない。彼女の組織にはよほどしようがい担当者が不足しているようだな。いや、ある意味うってつけなのか?

 ま、疑い始めていては二年はかかる。佐々木もいることだし、エネミーマーカーは藤原一人に付けておいてやろう。九曜の不在は俺の精神に有効だ。朝倉再々復活の心配がないからな。いや再々再だったか?

「では、こちらにどうぞ」

 橘京子が新米バスガイドみたいな不器用さで先頭を歩く。

 彼女のほうがよほど緊張していたようで、タクシー乗り場に停留していた車のドアをたたく手も相当にぎこちない。おどろくべきことに、それは本当に客待ちをしていた民営タクシーだったらしく、運転手は開いたスポーツ紙を顔にせてゆうをしていた。何度目かのノックでようやく目を覚ましたオッサンタクシードライバーが後部とびらを開き、佐々木、俺、藤原の順に後部座席に乗り込む。橘京子は助手席だ。

 運転手があくびをみ殺すような声で、

「どちらまで?」

「県立北高校までお願いします」

 橘京子の言葉に、俺は初めて本日の目的地を知った。

「とんぼ返りかよ」

 俺が胸中をらすと同時にタクシーが出発し、俺たちは旅を道連れとする四人の同乗者となっていた。あらかじめ言っておいてくれれば北高で待っててもよかったんだぜ。

「僕もそう思ったさ」

 藤原のセリフだ。

「何もこんなはんざつな手順をまなくてもよかったかもしれない。だが、ふん。これもまたていこうだったんだ。こんなでわざわざぼうけんすることもない」

「ふうん」と、佐々木があごでた。「既定事項か。つまり僕たち四人がタクシーに乗って北高に向かう、というのは未来から見て当然なくてはならない過去の歴史的事実なんだね」

「ああ」

 藤原の返答は素っ気ない。それ以上はくな、いや訊かれたくないという顔だ。

 そこに橘京子が助手席から身を乗り出し、

「もう終わりにしたいでしょ? これは既定事項なんですから従うのがスジなのです」

 俺を見て、

「ふふっ、あなたは未来人の既定事項にはいろいろり回されてきたんじゃないですか。だったらこれもその一つですよ」

 言い返そうと口を開きかけた俺の先手を取ったのは、意外にも藤原だった。

だまれ」

 低いトーンの静かな一言だったが、みように腹にひびいた。特に橘京子には効果がてきめんだったようで、血の気の引いた顔で助手席に収まり、うつむく。

 どんよりした空気を内包したままタクシーは走り続けていたが、どうも運転手は細かいなどにはとんちやくらしく、

「あんたら、高校生かい? 若いねえー」

 などと訊かれてもいないのに話しだし、

「いやあ、うちの小せがれもこの春小学六年になったんだけどね。こいつがまた俺の子供とは思えないほど勉強熱心でいるのよ」

「はあ」

 助手席という位置関係上、話し相手を務めざるを得ない橘京子が適当に相づちを打つのも構わず、話し好きとみえる運転手は格好の相方を見つけたとばかりに運転中、話し続けだった。

 ──小学六年生のむすが科学だかバケ学にハマってしまって難しいことばっかり言ってる。じゆくにも通わせてみたが、程度が低いとか言ってすぐに行かなくなって困る。今は近くの高校生に個人家庭教師をしてもらっているが学校の成績はまったくびない。でも、本人は勉強するのが楽しくてたまらないみたいで、時間があればノートに何かの数式や文字やら書き込んでいるが、ただの落書きなんじゃないかねえ。家庭教師は放任主義だし、まったく困ったもんだよ──

 橘京子は「はい」とか「へぇ」とか「うーん」とか「なるほどー」とか気のない返答をり返している。しゃべり好きの運ちゃんに当たったらこうなるのも運のよしあしだと思うしかなかろう。橘京子が手配するくらいなら自前のハイヤーだろうと考えていたおかげで意表をつかれるだけはつかれたものの、古泉機関とちがって財政じようきようかんばしくないのかもしれない。きつてんでも領収書もらってたしな。それにしても、なんとなくどっかで聞いたような声と話しぶりをする運転手だなといつしゆん思ったが、思い出すのもめんどうなので、俺はりようわきはさむ二人の人間に集中力をけいちゆうした。

 ピリピリと前をぎようしている藤原に、

「これは何かのわなか?」

 躊躇ためらうような一瞬のちんもくの後、

「罠なんかじゃないさ。ただのかくにんだ。僕だって意味など知らない。こうするものだと知っていただけだ。これは予定であり、結果でもある」

 なぜ北高に行く必要がある。北高のどこだ。文芸部に行っても、とうにだれもいないぜ。

「だろうな」

 佐々木が行く必要はあるのか。

「あるから、ここにいる」

 九曜は? お前にとってあいつが一番役に立つ存在じゃないのか。

「いずれ来場するさ。その時が来たらな」

 短い応答の後、藤原は木像のように沈黙した。命をき込まなければ鳴くこともないもつけいのように。

 代わりに佐々木が口を開いた。

「純然たるこうしんで質問するんだが、藤原くん。キミは自動車が苦手なんじゃないのかな」

 藤原は沈黙中。

「キミの来た未来の世界がどうなっているのかは推測するしかない。でも、原油ベースの内燃機関を利用して推進力を得るような、こんな乗り物にはなじみがないんじゃないかな」

 藤原のほおがぴくり、とした。

「だったらどうだと言うんだ」

「どうもしないよ」

 佐々木はやけに明るく、

「科学技術の発展は僕の喜びとするところだからね。未来には当然未来的な希望を持っていたいんだ。この時代、世界は様々な問題をかかえている。キミの未来でそんな過去のこうが解消されていることを望みたい。人は学び、学び続けるべき生命体だ。高度に発展した科学が人類の抱えるめつ的な思想や技術を、かいとうらんに解決していると思いたいね。どうだろう藤原くん。その程度の願望をいだく程度なら、過去人にも許されると思わないかな」

「好きに望め。好きに願え」

 藤原は険のある目を佐々木に向けた。

「お前たちのそんな希望が、未来を作ったんだ。そして、お前たち過去人の大それた過信もな。これ以上は…………ふ、さすがに禁則か。そうでなくともお前たちに教えてやるほど僕はかんだいではない」

「禁則こう……じゃないね」

 と佐々木はおうしゆうした。

「キミのいう、これはてい事項なんだろう? だがその意味を藤原くん、キミも知っていない。キミが知っているのは今日のこの時間に北高に行かなければならない、というあらかじめ設定されていた行動計画なんだね。そこで誰と会うのか、何が起こるのか、キミは知ってなどいないんだ。ただ、それが既定されていた過去だからという理由しかキミは知らない。だから答えようがないんじゃないかな?」

 藤原は、くっくっと小さく笑った。

「さすがだ。そうでなくては我々のうつわにふさわしい候補とは言えない。佐々木、お前にその資格があることを改めて確信したよ。涼宮ハルヒ以上の、お前はこの宇宙でただ一人のかぎだった。すぐに自覚するだろう。いや、そのヒマもないかもしれんな」

 佐々木はまゆを寄せて藤原の横顔をにらみつけたが、未来人はどこ吹く風とばかりに無視している。俺はおんとうな空気にさらされていることに気づいた。

「器って何だ。初めて聞いた言葉だぞ」

「もうじきわかるさ」

 俺に対してはとことんそっけない藤原だった。

「本来、お前はもう無用の存在なんだ。しかし既定事項に逆らうのは得策ではない。僕としても最小限にとどめたいのさ。だから、お前もこうして呼んでやったんだ。過去人ゆいいつもくげきしやとして、存分にぼうかんしやの立場をまんきつしたらいい」

 よくもまあ下に見られているものだ。ちったあ反撃してもバチは当たるまい。

「よう、藤原。お前は自分のいた未来をどうにかして変えようとしているのか?」

 沈黙。

「だとしても、そりゃ無理だろ」

 俺は最初に朝比奈さんとの不思議探しデートで聞いた説明を思い返しつつ、

「時間ってのはパラパラマンガだ。いくら未来から過去にかいにゆうしようが、そんなものは決まった時間の一枚にイタズラきするのがせいぜいで、未来には何の関係もないんじゃねーのか?」

 ちんもく

「実際、お前が何をどうしたいのか知らんが、既定事項がどうのとか言ってるくらいだから知ってんだろうよ。だったらお前がこの時代で何をしようが──、」

だまれ」

 するどい声が俺の耳にさった。殺意をめた視線が付帯している。

「いいから黙っていろ、過去人。それ以上のもうげんくと、僕の禁則は禁則でなくなるぞ」

 ぞっとするほど冷たい声だった。藤原は本気だ。俺はやつのらいを一つんじまったらしい。

 情けないことに俺のこおり付いた心臓が危機をうつたえていた。

 さりげなく佐々木が俺のそでをちょいと引き、無言の合図をしてくれなかったらそのまま藤原のペースでいくことになったかもしれない。サンキュー・フォー・テリング・ミー・佐々木。

 後部座席三人組のこんな会話を運転手が聞いていたら、第三者からのめんどうな質疑が始まるのではというゆうのようだった。運転手は橘京子を相手にひたすら自分の子供話に熱意をかたむけ、人がよくて聞き役にてつしているむすめと一方的に会話をはずませている。

 多少は同情したものの、橘京子もSOS団とはあいれない敵方なんだよな。どうもそう思えなくなりつつあるのは決してろうらくされたからではなく、ちょっとの付き合いでも彼女の人となりが理解できたせいだろう。何より、佐々木が橘京子をまるっきり危険視していないのが大きい。佐々木は俺よりさとく、かしこく、そして人を見る目がある、と俺はしんこうしている。俺のそばに佐々木がいる限り、悪い方向に事態が変転することはありえないと考えていた。

 それは正しいはずだったんだ。

 タクシーが北高の校門前で停車し、後部扉が開く。橘京子が運転手に金をはらって、

「あ、レシートください」

 というひかえめな声を聞いて、本日二度目の登校を果たした俺が、相変わらず開きっぱなしの鉄門の前に立つまで。

 すでに空はうすぐらく、しかし校内にはまだ部活の片付けをやっているらしい運動部たちの声がまばらに聞こえてくる。

「どうした。行くぞ」

 藤原がせんじんを切り、校内に足を踏み入れた。おっかなびっくりという感じで橘京子も他校のしきに足裏を着地させる。俺はただ、なじみすぎの校舎を見上げながらごくごく自然に入門し、そして、数歩も進まないうちに立ち止まった。

「なんだ……。なんだ……これは?」

 目を見開き、口も大開きにした俺は、うめき声を上げていた。

 空が───。

 あわいセピア調のクリーム色に染まっていた。

 数秒前までの金星が光ろうとしていたような夕暮れ空が消え、自然現象ではありえない光に包まれている。やわらかく、やさしい気配のする、おだやかなたんしよく系のライティングがしんばんしようを照らしていた。

 俺はこの光を知っている。

 かつて佐々木からきつてんに呼び出された俺が橘京子にさそわれて迷い込んだ、あの世界だ。

 だれもおらず、存在せず、ハルヒとは真逆のへい空間……。

「!」

 とっさにり向いた俺の条件反射も捨てたものではなかったろう。が。

 に終わった。

 タクシーを降りた後、俺のすぐ背後にいたはずの佐々木がどこにもいない。タクシー自体もだ。

 わずか数十センチしかはなれていない校門の内側と外側で、世界が一変していた。

 俺が立っているのは、まるで無音の世界だ。さっきまで聞こえていた運動部の声も消えている。鳥のさえずりも、山からき下ろす風の音も、何一つしないせいひつなる空間がここにあった。

 俺の目に映るものは、何一つ変わらない校舎と、上空から降り注いでいるセピア色をした間接照明のような光だけでしかない。

 とっさに俺は校門にダッシュし、やんわりと押し返された。

「これは……!」

 いつぞやハルヒと閉じこめられたときと同じ、柔らかなかべが立ちはだかっている。それが意味するところは一つ、俺単体ではどうやってもここからだつしゆつできない──。

「立場がわかったか?」

 背後から藤原の声が届いた。

「ここはもう、お前の世界ではない。今までの現実や常識とは手の離れた世界なんだ」

 首をねじってみた先に、藤原のいんうつな悪党顔があった。その横に橘京子の気をむような姿がなければ、俺はこの未来人ろうの顔面にせいけんきをっていたことだろう。こいつには俺の自制心がてんじよう知らずであることを感謝してもらいたいほどだ。

「礼を言えばお前は満足するのか?」

「……わなか」

 せいいつぱいの呻きをらした俺に、

「それはどうかな」

 藤原ははぐらかすように言って、俺に背を向けた。

「僕たちはまだ最終目的地にたどり着いていない。さあ、行こうじゃないか。すべての決着をつけるために、僕たちの未来のために」

 藤原は横顔だけでゆがんだくちびるを見せつけた。

「佐々木には感謝しなければならない。ここまでお前を連れてくることに成功したのは、アレのおかげだ。もっともアレは自分がただそれだけのために動かされていたとは気づいていなかっただろうがな。ああ、そんなにおこるなよ。彼女にはこれからも働いてもらわないといけないことがある。その用が済んだら、自由の身にしてやるさ。そうしたら好きなだけイチャつけばいいだろう」

 やっぱりなぐろう、と俺が決心しかけた時、藤原はしたような口調で、

「では行くか」

 どこへだ。この閉鎖空間内で、いったいどこに行こうと言うんだ。

「決まっているだろう?」

 藤原は顔を上向け、

「お前たちが根城にしている、しょぼくれた小部屋にだ」

 ヤツの視線の直線方向に、文芸部室があることをその目を見ないでも理解できた。

 だが、なぜだ。いったい、あの部室に何があるんだ?

「知っていたと思っていたがな」

 藤原の言葉が至近から聞こえる。

「あそこがすべてのげんきようなんだ。あらゆる勢力がつどい、混じり合い、たがいにえいきようし合って未来へのかぎになっている。いや、くさびと言うべきかもしれない。そこには、ありとあらゆる可能性が存在し、同時にまた、ありとあらゆる可能性への進展をさまたげている。そくしんていたいのプロセスが同時に実行されている場所なのさ。まあ、旧人類には解るまいが」

 ああ解らん。解ろうとも思わん。

 しかし、どうして誰も彼もが俺たちの部室にこだわるんだ。はい寸前だった文芸部に一人でいた長門。それに目を付けたハルヒ。クリスマス前に改変された世界で俺がたどり着いた最終目的地。ほんのすきからすべり落ちたしおり。旧式のパソコン。そろった鍵。エンターキー。過去にさかのぼった俺が行き着いた夏の夜。七月七日。

 そして、かつて古泉が放った言葉。

 ──あの部室ならとっくに異空間化していますからね。何種類もの要素や力場がせめぎ合い打ち消し合って、かえってつうになっているくらいです。ほう状態と言ってもいいでしょうね──。

 あれは本当だったのか。

「橘」

 ようやく俺は、藤原以外にもツレがいたことを思い出した。

「あ……はい。え?」

「お前は知ってて俺をここに連れてきたのか」

「……いいえ、あたしは……」

 まともな回答が期待できそうにないのは解っていた。橘京子は俺と同じくらい、今のじようきようを飲み込めていないようだ。暑くもないのに一筋のあせを垂らし、意味なく両手をハタハタさせているところから読みとれる。

 ということは、これは藤原のシナリオだ。そしておそらく、背後に九曜がいる。

 藤原はゆうぜんと歩を進めた。一本道のRPGを進むように我が校のしきみしめ、しようこうぐちへと向かっていく。じようかくにんすらせずガラス戸を開き、そのまま土足でしんにゆうする藤原の後を追いながら、俺はじんいかりにらわれていた。

 確かにこの高校については今まで散々悪態をついてきた。駅前から長々と続く上り坂に、決してごうしやとは言えない古びた校舎は創立時によほど予算を切りつめたのだろうと推測できる。エアコンも完備されていなければ壁もスカスカで、夏は暑いわ冬は寒いわで、める点と言ったら山の緑に囲まれている野性的な自然と、夜になって見下ろすことのできる夜景の光源くらいだが、それでもこの北高は俺の母校なんだ。

 ハルヒや朝比奈さんや長門や古泉や谷口や国木田と過ごす、俺の日常の大半をめる空間なのである。そんな俺のテリトリーにえんりよなく侵入する部外者を見て、心安らかでなどいられるものか。

 ましてや藤原は俺たちの敵だ。なんでそんなやつに俺が付き従わねばならない。くつなど知ったことか、俺のムカツキは天井知らずに高まっていた。

 なにより情けないのは、こいつの言うとおりにしないといけないということだ。今の俺は何をしていいのか解らない。ここでダダをこねて問題が改善するならいくらでもそうする。しかし、もはやそんな場合ではないらしかった。

 藤原が何をしようとしているのかわからない以上、わなだろうがなんだろうがそれに乗るしかない。

 ここは佐々木のへい空間なんだ。古泉も侵入できない。そして長門はびようしようにある。ハルヒと朝比奈さんが長門の看病を捨て置いてさつそうと登場することなどもっとありえないだろう。最悪なのは、当の佐々木すら俺の横にいないってこった。あいつが自分の作る閉鎖空間内にタッチできないらしいのは、以前のきつてんの出来事で明らかだった。

 藤原、橘京子、俺、だけの三人が佐々木製閉鎖空間に存在する全員だ。周防九曜がいないのも安心材料にはならない。あいつは見えないだけでどこかにいるはずだ。長年ちようじよう現象にさらされ続けた俺のかんがそう言っている。うすあわい光に包まれた校舎のどこかに、最も的確なタイミングで登場するために待機しているにちがいない。

 ──つまり。

 俺は周りを完全なる敵に囲まれ、はんげきの糸口すら見いだせないでいるのだ。

 藤原が首をねじり、俺を敗者を見る目で、

「さあ、行こうじゃないか。それとも、ここで目と耳をふさいでうずくまりでもするか? なんなら背負ってやってもいいぞ。無料サービスだ」

「うるせえ」

 行ってやるさ。俺たちの部室、文芸部けんSOS団の部室をそうそうなめるな。あっこは俺たちの日常空間だ。いつだって、あの場所に行きさえすればなんとかなった。

 長門はいないが、鍵がかくされているかもしれないし、思わぬ何かが発現するかもしれない──。

 藤原と橘京子は、すでに校内を歩き始めている。俺がついて来ようが来まいがどうでもいいといったぜいだった。なにくそ。無視するんじゃねえ。あの部室は俺たちのものだ。俺とハルヒと長門と朝比奈さんと古泉の帰るべき場所なんだぜ。ほかだれにもせんじんを切らせてたまるものか。

 俺は笑いがちでカクカクするひざを気力で奮い立たせ、二人の後を追った。

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