第八章 1

α─11


 もう金曜日か。

 この一週間はやたらといそがしかった気がするな。ハルヒの新入団員試験から始まり、ヤスミがたった一人のこうはいに決定しただけだというのに、なんだか二週間分の人生を過ごしたような気がしている。やはり例の未来人男や橘京子と九曜とかいうてんがい領域製の宇宙たんまつ、そして佐々木とぐうぜんのように出くわしてから、どうも気がそぞろになっていかん。

 むしろ不思議なんだ。あれだけ物語チックな出会いを果たしたというのに、ここまで何のせつしよくもないってのは逆に変なんだよな。つうならそこからまたいつものバタバタが始まってもいいころなのに、なしのつぶてってのはどうにもせん。

 ひょっとして、俺の知らないところで長門や古泉、朝比奈さんたちがあんとうしているのかもしれない。ハルヒにへいおんな生活を送らせたいと考えているのは三派ともに共有する目的にして手段だから不思議ではないが、ううむ、俺に一言もないというのはどういうこった。ここに来て俺は部外者あつかいになっちまったのか? まあ俺がのこのこ出て行っても役に立たないどころかひとじちになっちまうかもしれんから、連中がはいりよするのもしょうがないとは言え……。

 てなことを考えつつ、あせき拭きやっとの思いで北高しようこうぐちとうちやくした俺は、機械的かつ習慣的な動作で自分のばこを開けた。

「ぬう?」

 ずいぶんと久しぶりな物体が、そろえたうわきの上にっていた。

 何かのマスコット的なキャラがプリントされたカラフルなふうとうあてさきの名は俺。そして、裏に書いてある差出人にちがいない文字は、

『渡橋ヤスミ』

 と、読めた。

 ここで記憶を呼びさまそう。こんなことは今までいくもあった。最初は朝倉で、やつの目的は俺の殺害処分だった。次が朝比奈さん。しかし朝比奈さんでも大人バージョンのほうで、重大なヒントをくれてすぐにいなくなった。その次も朝比奈さん(大)だ。わけもわからず指示に従っているうちに別種の未来人からイヤミを言われただけで終わった。

 散々経験してきたものだから、下駄箱のアナログなメッセージが俺へのとうげんきようの入場パスでないことは熟知している。

 ただ、今度ばかりは事情が異なっているように思えた。なんせ相手は入団したての一年生で、どっからどうみても無害そうで明るく能動的な女の子、それも高一とは思えないほどのたけと体格に合っていないじやそうな少女なのだ。昨日の自宅訪問といい、ずいぶん積極的なヤツである。

「こいつは……」

 積年の夢がかなうときが来たのかもしれないぞ。後輩の女子からい込んだ、本気のラブレター。俺にもとうとう春が来ようとしているのだろうか。

 ──初めてあなたを見たときからあたしはあなたにひとれをしちゃいましてだからSOS団になんとか入ろうとけんめいにがんばったんですよぉ──。

「バカか俺は」

 とりあえずつぶやいてみたものの、何をどう考えてもあの元気な後輩が俺にモーションをかけてくる理由が思い当たらない。

 おまけに、この手の呼び出しにひょこひょこ乗っちまうと、たいてい日常とはほど遠い展開が待ち受けていると相場が決まっている。よみがえる顔は二つ。さて、今度はどっちだろう。せまり来る危機か、特上のしようか。

「さて」

 いつまでも下駄箱前でっ立っていたらだれもくげきされるかわからない。ハルヒや谷口に見られたらややこしいことになりそうだ。

 俺はばやくトイレにけ込み、ふうを切った。出てきたのはトランプカードみたいなへんに、急いで書いたような走り書きが一行だけ、

『午後六時、部室で会いましょう。来てください。ねっ!』

 と、あった。

 何ともコメントしづらい。一言で表現すると、まあ、あやしいよな。

 もはやなつかしい朝倉の一件がのうかばざるをえないではないか。しかし、俺の本能はまるで危機意識を発生させることもなく、けいしようの一つも鳴らしていない。朝っぱらから山登りをいられたことで特にまされてもいない感覚が告げるところによると、これはどちらかと言えば朝比奈さん(大)寄りの呼び出し文だ。基本的に俺は自分自身をまったく信用していないが、たまにはマイかんを信じてやってもいいんじゃないか?

 とは言うものの、石橋はたたいておくにしたことはない──か。



 ホームルーム前の一コマである。

「ところでハルヒ」

「何?」

「ここに自分ではどう判断すればいいのか解らない問題があったとする」

「へぇ、勉強の話?」

「そのようなもんだと思ってくれ」

「少しは向学心が芽生えてきたみたいね、キョン。団員のやる気をアップできたかと思うと団長としてうれしいわ。んで、その問題、まず自分で考えてみようとしてみたんでしょうね」

「もちろんだとも」

「調べたら解ることなら、さっさと調べなさい」

「資料があるような問題じゃないんだ」

「はぁん? 数学なの? だったら、その問題の解き方を知らないといけないわね。何の公式?」

「いや、数学じゃない。ついでに言うと、俺が知りたいのは解き方じゃなくて答えだけなんだよ」

「夏休みの宿題を丸写しする小学生じゃあるまいし、それじゃ学んだことにならないわよ」

「別にいいんだ。出題者の考えが解ればそれですむ話なんでな」

「なんだ、現国なの。それを先に言いなさいよ。この文章を書いた時の作者は何を思っていたのでしょうか、とかそういうやつでしょ」

「それが一番近いかな」

「くだらない問題だわ。小説でも評論でもそうだけど、文章なんて何が書いてあるかが問題なんであって、筆者が何を思って書いたのかなんて出題者が本人じゃない限り解るわけないじゃない。正解があるんだとしても、そんなの答案に○×をつける人間の気まぐれか思いこみでしかないもの。その手の問題はこう改めるべきね、この文章を読んだときの私は何を思ったのでしょうか、それならまだ問題としてなつとくがいくってものよ」

「いや、そこまでみ込まなくていいんだ。この場合、書いたヤツと出題者は同じなんだ」

「なら簡単よ。すぐに解けるわ」

教えて欲しいね」

「それはね、」

 ハルヒは鼻先を俺にぐっと近づけ、ふくしやねつを放っているとしか思えない圧力がおで、シンプルなコメントを発した。

「書いた人間本人に直接けばいいのよ!」



 そして昼休み、俺は谷口と国木田と弁当箱を置き去りにして行動に移した。

 ハルヒの言うとおりだ。解らないのならアレコレなやむ前に解っているヤツに教えてもらえばいい。そいつしか真意を知らないのならなおさらだろう。本人に問いただせばあっさり片づく。口を割らせる必要はあるが、大立ち回りをしなくとも、そうそうややこしいことにはならんであろう。なんせ相手は一学年こうはいの素直そうな少女だからな。

 というわけで、俺はヤスミの姿を求めて一年のクラスが密集している校舎をうろうろしていた。

 六時に会おうと言っている手紙を無視して乗り込むのはマナーはんかもしれないが、とにかく気になるんだからしかたがないと思ってもらうしかないな。万が一にでもナイフのじきになるかもしれない可能性がある限り、俺は自分の勘などいくらでもトイレに流して捨てる所存である。

 と、ようようとしていた俺の足がふと止まった。

「あいつ、何組だったっけ?」

 入団試験の解答用紙に書いてあったはずだがおくにない。あんときゃ風変わりな回答と名前のほうに気を取られていたからな。

「昼休みに来たのは失敗だったか」

 昨年度まで慣れ親しんだろうや教室の風景も、新入生たちが群れているとまるで別世界に来たようだ。うわきに入っている色がちがうだけなのに、異なる学年の教室をのぞき込むのはやはりというかきんちようする。おまけに下級生だって見慣れぬ二年がいちいち室内を見て回っているところをながめて気分のいいものではないらしく、何だか希少動物を見る目をしているような感じさえ受ける。

 ヤスミを発見したらすぐに声をかけて人気のないところに連れ出そう。多少誤解を受けるかもしれないが、一応は同じ部活じみたものの先輩後輩なんだしだいじようだろ。しかし──、

「……いねえな」

 かんじんのヤスミがどこにも見えない。チビっこい姿形が逆に目立つはずなのに、まるで目に留まらないのはどういうことだ。もしや学食派かと思い食堂まで出向いてみたが、こちらもからりに終わり、そうこうしているうちに俺の空腹が限界に近づいてきた。こうなりゃ根比べだとばかりに一人気をきつつ、学校中を彷徨さまよってみたもののまったくのあしで、ついに俺は天をあおいだ。所はまさに中庭であり、目の先にたまたま文芸部の窓があったのはぐうぜんだろう。

 まさかな。

 俺はほこさきを部室に向ける。わざわざあんなところで弁当を食うヤツがいるとは思いがたいが、ひょっとしてということもある。しまった、ならば俺も弁当持参で出発すべきだったか。

 放課後、ハルヒとともに開けることになるであろうとびらを開いた先には、長門がいた。そして長門だけだった。この当たり前すぎる結果をの当たりにした俺は、長門に片手であいさつするとすぐさま置きっぱなしの弁当箱の元へトンボ返りしようと身をひるがえしかけ、直後に停止した。

 わからないことをたずねるにはうってつけの人材がここにいるじゃないか。

「…………」

 いつものすみっこで本をひざせ、読書にはげんでいる長門は俺のちんにゆうにもマツゲ一本すら不動状態であり、確たる日常がこの空間でていたいしていることを教えてくれた。昼休みの部室でもくもくと本を読みふける少女にせいひつへいおんなアトモスフィアを感じるのは、そいつが地球外生命体の有機生命体だと知っていなければ、ごくつうの光景でもあろう。

 そうではないことを知っている俺は、いつたん弁当箱の中身のことを忘れることにして、長門に話しかけた。

「長門」

「なに」

 まずは水を向ける。

「あいつは何者だ」

「何者でもない」

 さすが長門、俺が問題文の主語にしている人物をいつしゆんあくしたらしい。だが、それにしたって、

「そいつは言い過ぎだろう。渡橋ヤスミという、いつぱん生徒じゃないのか」

「そのような名前の生徒はこの学内に存在しない」

 この返答には瞬間たじろいでしまった。物理的にではなく精神的に半歩ほど。

 存在しない? ってことは、えーと……。俺の頭がマルチタスクで回転する。

 あ、そうか。

めいだな。どこかのだれかが北高生に成りすまして放課後だけしんにゆうしてるってことなのか」

「そのにんしきで合っている」

 やれやれ。やっぱり渡橋ヤスミはひとすじなわではいかない出自をお持ちのようだ。いや、だいたい解ってはいたさ。明らかに変だったもんな。ご都合主義な展開には必ずじんが働いているのはどんなにこうとうけいな小説でも当然のプロットだ。

 で、どの勢力の手先なんだ? 第一候補に挙がるのは……。

 宇宙人か。

「違う」

 未来人?

「違う」

 ちよう能力者……でもなさそうだな。その感じだと。

「そう。違う。そして異世界人でもない」

 ていねいな念押しは長門らしくない物言いだ。そこに引っかかるより先に俺の未知なるものに対する探求心が口を開かせていた。

「じゃあ、ヤスミはちょっと行動がかっとんでいるだけの変な女なのか。モグリの北高生ってだけの」

 長門は文字のまった見開きのページから顔を上げ、初めて俺に目を向けた。くろあめきんぱくを散らしたような、思わず吸い込まれそうなひとみだった。

 腹式呼吸とはえんどおそうな細い声が、

「何とも言えない。今は」

 なぜ。長門が保留の条件を出してくるなんて初めてではなかろうか。さらに、

「そのほうがよいと判断した」

「何だって?」

 反射的に返してしまい、ツッコミ失格だと反省しきりだ。でも、俺だってTPOくらいはわきまえているつもりで、別に俺は長門とおもしろフリートークをしに来たのではない。おどろいたのはただ一つの事象に関してである。

 長門が主張した? 俺に?

 これは──天変地異のまえれかもしれないな。

「今、俺に言わないほうがいいってな、誰の判断だ。統合思念体か?」

「良い結果を生む公算が高いとした推論はわたしのもの。時と場合、限定された空間においては、無知であることが有効に作用する可能性がある」

 なぜだろう、められてるような気がしない。なんとなくいつかのしゆ返しをされているんじゃないかと俺のごこ悪さがリミットに達しようとしたとき、救いの手がポケットに入りっぱなしだったことを思い出した。

 そのブツはもちろん、渡橋ヤスミからのラブレター未満の呼び出しメッセージである。

「で、この手紙なんだが……」

 ヤスミに断りもなく見せるのは気が引けたが、そこまでの義理はあいつにはまだない。

 長門は興味もなさそうにチラリといちべつしたのち、あっさり告げた。

「行ってかまわない」

 本当か? そりゃ。

「彼女はあなたに害意はない。むしろ──あなたの役に立ちたいと考えていると推測できる」

 思わずうなってしまった。実を言うと俺もそんな気がしているのだ。

 ハルヒのじんな入団試験をことごとくパスし、めちゃめちゃ陽気にねるように歩く一年生。だぶついた制服をもてあましたように身にまとい、部室の雑用からハルヒのサイト改造注文まで楽しげにこなす、ちょこまかとしたくせでどこか幼げな少女には、愛らしさ以外のほかの感想をいだくことはなかった。こんなこうはいがいたらいいなという、まるで理想像だ。あやしさを覚える俺ののうずいちがっているとしか言いようがない。

 ただ一つ、ばこに入っていたふうとうの件を除けば、という条件付きで。

 その後、何を聞いても「そう」か「違う」としか言わなくなった長門に別れを告げ、俺は教室にもどった。直後に休み時間しゆうりようを告げるチャイムがなり、まったくやれやれ、結局、昼飯は喰いそびれちまったさ。放課後に部室でうか。



 幸いなことに、ホームルーム後のハルヒ教授による勉強会は、新入団員が決定したおかげでめんじよとなっていた。俺とハルヒはかたきあわせて、とうの昔にけいがい化した文芸部の部室にハエ取り紙に付着する羽虫のような勢いでおもむくものである。そろそろきが来てもいいほどのルーティーンな行動だが、新参者が加わったとなったら俺の心も多少はらめくというものさ。

 だが、相変わらずのばすような勢いでハルヒが開いたとびらの中にいたのは、旧式部員であるメイド姿の朝比奈さんと、昼休みから一ミリも動いていないんじゃないかとさえ思われる長門の読書姿だけだった。女子二名で俺のゆいいつのよりどころたる数少ない男子古泉がまだとうちやくなのは、特にそれほど気にならない。どうせクラス委員とかにされちまって同じクラス委員の女子とピロートークでもやってんだろ。SOS団なんぞにいなければもっとモテまくっていいヤサ男だし、俺たちに気取られないように学園れんあいゲームを楽しんでいるのだとしても、あいつなら尻尾しつぽの一つも出さないだろう。要領のよさではSOS団ずいいちと言ってもいいほど頭のキレる男だからな。

 っと、思考がズレかけたところで、気づいた。

「新人はまだか?」

 ヤスミの小さな姿も見あたらなかった。自分の学校からこちらに向かっている最中なのだとしたらやむを得ないが、この手の本人責任による行軍さんには人一倍厳しいのが涼宮ハルヒ団長閣下なのでござるぜ。

「あ……」

 朝比奈さんが自分のぎわびるように、両手を合わせて、

「今日はお休みなんだそうです。自分の人生にとって一か八かのかけをしないといけない大切な用事があるんだって、放課後すぐに来て、帰っちゃいました」

 俺のまゆがぴくりと動いたのをどう取ったか、朝比奈さんは弁護人にしては感情過多な口調とりで、

「本当に急いでいるみたいでした。何度も何度もおして、とっても申し訳なさそうにしてたんですよ。早退に続いて二日目も欠席なんて人類失格ですよね! って言いながら、うるうるした目であたしを見つめて……ああ……もう……」

 ほおを染めた朝比奈さんは、また自分の身体からだきしめてくねくねを始めた。よほどその時のヤスミの様子が可愛かわいくてたまらなかったと思われる。

「小動物みたいなひとみがあたしを見るんです……! か、可愛かったあ……」

 朝比奈さんの臨場感あふれる一人しばを見つつ、俺はどういうことかと考えていた。

 ヤスミの用は本日午後六時、この場所での会合に違いない。俺を相手に、あいつは何をするつもりなんだ。だいたい、それまでどこにいるつもりなんだ。校舎のどこかで身をひそめているところなのか? 適当にでも部活に参加して時間つぶしするわけにはいかなかったのだろうか? なぞの少女であるヤスミがすることは、なるほど本当に謎だらけだ。

 これがハルヒのかんこうむらなければいいがと思っていたら、

「あたしは昼休みに聞いたわ。食堂に行くちゆうで」

 ハルヒは団長専用にどっしりこしを下ろし、かばんを乱雑にゆかに置いた。

 聞いたって、何をだ?

「今日の部活は休みますってさ。せっかく正団員にしてもらったのにこんなバカですみません、って、含羞おじぎそうみたいにペコペコして、半分泣きかけだったわね」

 とことん低姿勢な元気少女のヤスミの姿を想像しつつ、俺があれだけ練り歩いて見かけなかったヤスミとそんな簡単に出会えるルートもあったんだなと思いながら、

「理由はいたのか」

「あのね、キョン。あたしはそこまですいな人間じゃないわよ。そこまでツッコんで根ほり葉ほりするほどのピーピングトムじゃないの。それに、SOS団に入ったことをこうかいしてフェードアウトしようとしているふうでもなかったしね。本当に、たまたまぐうぜん、どうしてもしかたない用事ができちゃったんでしょ。これでもあたしは部下にかんだいかつかんような精神で接するのがモットーなの」

 その割には俺に対するそのモットーとやらが十全に発揮されているとは思えないね。

 これ以上の会話が不毛であるとさとった俺は、テーブル机に鞄を置いて、いつものパイプ椅子に座ろうとして、そこで初めて、部室内の風景における感に気づいた。

 団長机の後ろ、窓際に見慣れない物体が置かれていたからである。

 俺の視線に気づいた朝比奈さんが、つきたてのもちのようなやわらかい口調で、

「お休みするお詫びにって、ヤスミさんが持ってきました。さっき」

 さっき? よく俺たちとすれちがわなかったな。まあ、それはいいが。

 正体はとうせいの細口のびんだ。まどわくにちょっとっているそいつには、一輪のしようしやれいな花がしてあった。

 ハルヒも振り返って花をしげしげとながめる。

「見たことのない花ね。これ、ヤスミちゃんが持ってきたの?」

「はい、はい」

 と、朝比奈さんがこっくりうなずき、

おもしろいと思ったので持ってきましたって、言ってました。昨日、あれから近くの山に入って採ってきたんですって。絶対めずらしいものだから部室にかざってくださいって、まるで宝物をわたされるようにあたしに……」

 昨日か。俺が帰宅したらすでにヤスミが先回りしていた。そこから山に入ったとしたら、かなり暗くなっていたはずである。山というのがおみである鶴屋山なんだとしたら(というかこの近辺にはあれしかない)、街灯などの人工的な明かり一つないくらやみをヤスミは単身彷徨さまよっていたことになる。高校一年になったばかりの少女の行動としては相当に危なっかしいと思うぞ。

「……んー」

 ハルヒもうでみをして花を注視していたが、

「ま、いいでしょ。面白いものを持ってきなさいって出題したのはあたしなんだし、ヤスミちゃんにとってこれはとっても面白いものなのかもしれないわ。そう! こういうきめ細やかなフォローをしてこそ、SOS団新入団員の心意気ってものよ。あたしの入団試験問題はズバリ! 的確な資格選別になったみたいね。フォーマットを後世に残しておけば、たとえあたしたちが卒業してもふさわしい人材確保に困ることはないと言っても過言ではないわ」

 そりゃどうかねえ。ハルヒ流SOS団試験が有効化されるのは俺たちが卒業してからなんじゃないかな。現時点での入団資格はハルヒの減点法ふるい落としに最後まで残ることが条件で、ハルヒは本心では新入りなどほつしていなかったように見える。いつわらざる胸のうちを白状すると、俺は決して、ハルヒがヤスミを心からかんげいしているようには思えないのだ。いろいろあって長いつき合いである。ハルヒの考えなど、ちょっとしたまゆの角度から視線の向きですぐわかるようになっていた。もともと感情がそのまま顔に出るタイプだけに、その程度ならすぐ読めるあいだがらなわけで、俺のハルヒ観察術がはじき出した回答は、ただ一つ、まどいだった。

 つまりハルヒは、渡橋ヤスミに対して何やら複雑な評価じくを持っており、いまだ解答を出すことができてないらしい。朝比奈さんほど単純でない何かを感じ取っているのだと推察できる。

 実は俺もなんだがな。ポケットにはヤスミの手紙が収まっている者としては、あやつがSOS団にどんなおもわくを持って入り込んできたのか、あやふやにしてかいの一種と言えよう。

 一方で、朝比奈さんはめったにないほどのふわふわじようげんで、いつもより足取り軽くお茶くみに精を出している。明るく活発でとことんなおそうな同性のこうはいができたことがうれしくてしょうがないみたいだ。

 思えば俺やハルヒ、長門や古泉は言うにおよばず、彼女にとって決して良い後輩とは言えなかった。言えるわけなかろう。横暴なるハルヒ団長を始めとして、無口無反応の長門、かたくるしいいんぎんさを常備する古泉なんぞに囲まれていたら先輩風などかせる余地なんかあるまい。俺にしたって、ついつい忘れがちになるが、朝比奈さんはあれでも最高学年なんである。あまりの可愛さに未だに中学生としか思えないとは言え、ヤスミはさらに幼く見えるし、やはり二学年も下の女子生徒には格別の思いがあるんだろうな。明日からどんなお茶のれ方指導をしようかと、わくわくほわほわしている朝比奈さんを見ていると俺の心の奥に積み重なったよどみがみるみる解消されていくようだったが、そんなSOS団マスコットガールをいつまでもぎようし続けているわけにはいかない理由が俺にはあった。

 朝比奈さんの淹れてくれたなぞの薬草茶をすすりながら、ちらりとうでけいを見る。

 ヤスミが指定した午後六時にはまだ時間があるな。さてと、部活しゆうりよう後にまたここにとって返す算段を今から考えておかないと、と考えていると、

「やあ、どうも。おくれてしまいましたね」

 ニキビりよう薬のCMタレントのようにすがすがしいみを顔面に張り付かせた古泉が登場した。

「春先はどうも雑事が多くて困ります。今年度の生徒会長はやり手でしてね、教員とのせつしようも少なくないひんで行われているのですよ。無視していてもいいんですが、文化部のとうはいごうといった議題なら、出ないわけにもいきませんからね」

 いてもいないのに古泉はさりげなく自分の労力をアピールしながら部室に入り込み、かばんを机に置くと、テーブル上の中国しようばんめんを気にするわけでもなく、まどぎわに歩を進めた。

「ほう。これはこれは」

 探求心にいろどられた声でのぞき込んだのは、例のヤスミ持参によるいちりんしの花だった。

「この花は、だれのプレゼントですか?」

「ヤスミちゃんですって」

 ハルヒは空の湯飲みをつんつんつつきながら答える。それを見て、朝比奈さんはあわてたようにお茶をて始めた。今度はつうの茶が飲みたいね。

 古泉はあごに手を当て、まるでトリフィドを見るような目で花と細い花瓶を観察していたが、

「ちょっと失礼」

 ブレザーのポケットからけいたいたんまつを取り出し、花をさつえいし始めた。何枚もカシャカシャしていたが、やがて得心がいったのか、さらに携帯を操作して、どうやらどこかに送信した模様である。

「どうした古泉」と俺。「まさかそれ、トリカブトかジギタリスなんじゃねえだろうな」

「いえいえ」

 ポケットに携帯をすべり落とした古泉は、安心させるような笑みで、

「毒草ではありませんよ。見たところらんの一種だとは思ったんですが、ちょっと気になったもので。いえ、僕の思いちがいでしょうけどね。念のためです」

 この後、長門は上下巻からなる厚いノンフィクションを読みふけり続け、朝比奈さんはまたしてもどこかから入手してきた謎の味がするお茶を俺たちにい、ハルヒは新生SOS団サイトをひたすらいじくり回していた。ちなみにハルヒのネット的初仕事となったのは、BBSの半ばをくすスパムのURLを残らずんづけてブラウザをクラッシュさせることであった。

 なんとかフリーの最新アンチウイルスソフトとアンチスパイウェアを導入し、一通り対処し終わったころには、すでに下校をすいしようするメロウなイージーリスニングが校内スピーカーからなり始めていた。

 約午後五時半といったところか。

 タイミングよく、長門が本をパタンと閉じ、その読書終了を合図に俺たちは帰りたくにかかる。俺だけはアリバイ工作の、半ば演技だがな。まずこの部室から全員をてつしゆうさせなければ、ヤスミとの一件が始まらないんだ。



 一同で校門を出て、学校わきの坂道を下っている最中のことだ。俺は一世一代のおおしばを打つ決心をして、いささか自分でもとうとつなのはわかっているがほかに思いつかなかったセリフを発した。

「あ! しまった!」

 何事かと先行していたハルヒと朝比奈さんが立ち止まって振り返る。長門と古泉が足を止めたタイミングがすんぶんたがわなかったのは、まあ、そりゃそうだろうか。

「教室に忘れ物をしてきちまった。急いで取ってこないとなあー」

 じやつかん、棒読みくさかったのはいなめない。しかしハルヒは、

「何よそれ。教科書だってろくに持って帰らないあんたに忘れ物を心配する必要なんてこれっぽっちもないと思うけど」

 いつもならその通りだし、実際そうなんだが、この時はハルヒをなつとくさせる理由が必要だった。

「いや実は」

 一応用意していたセリフをそらんじる。

「谷口にエロ本を借りていたのを思い出したんだ。それを机の中に置きっぱなしにしてきちまった」

「はあ?」とハルヒのまゆが急速につり上がる。

「まさかとは思うが、誰かにみつかっちまったらヤバい。今からそつこう、取ってくる。ああ、お前らは先に帰ってていいぞ。これがまたスゴい貴重なエロ本でな、すでに発禁、絶版になってるこうぼんなんだよ。もしぼつしゆうされたりしたら俺は谷口に一日三度は五体投地礼しなければならんことになる。なんとしてでもそのエロ本を回収しないとこの先俺は谷口のパシリと化すだろう」

 ハルヒのぜん顔、古泉のニヤケづら、朝比奈さんのきょとんとした顔に次いで、長門と目があった。わずかにうなずいたような気がしたが、もくする限りではミクロン単位だっただろう。

 なんか後ろめたいな。もっと違うイイワケにすりゃよかったかな。

「そういうこったから、俺は教室にもどる。往復にゃけっこうかかりそうだから、待ってなくていい」

 それだけ言い捨て、俺はきびすを返した。ほぼ競歩の速度で坂を上り始める俺の背に、ハルヒの声が追いかけてきた。

乙女おとめの前でエロ本とか言うな! バカキョン!」

 だれが乙女だって? ああ、朝比奈さんには明日にでも謝っておこう。そうしよう。



 夕暮れとよいやみざかいにある時間帯は校舎にもグラウンドにもひとかげは少なく、俺は誰一人ともすれ違うことなく部室に直行することが出来た。ドアを開ける。

「来てくれてありがとうございます。せんぱい

 やや暗色の混じったオレンジ光の夕日に染まった部室で、ヤスミが俺を待っていた。

 昼休みにあれだけ探して見つからなかった少女。この高校の生徒ではないと長門が断じたなぞの女。その可愛かわいさから朝比奈さんをとりこにし、しかしハルヒはみようあつかいづらそうにしていた新人団員一号──。

 いたずらっぽい表情に焼きたてマシュマロのようなやわらかいみをかべ、ヤスミはうれしそうに、

「きっと来ると思ってました。信じていたんです。こうなることを。信じたいんです。これから起こることを」

 意味不明な謎かけにはスルーが一番だ。

「俺に何の用だ?」

 まずはそう言ってみる。こいつはハルヒの団員せんばつに最後まで残った。そんなヤツが訳なし人間のはずはない、という俺の予感は正しかったに違いない。

「これから何が起こるんだって?」

 ヤスミの返答はかろやかな笑い声だった。

「あたしにも解りません」

 なんだと?

「でも、もうすぐ解るはずです」

 ヤスミはふんわりしたかみらした。スマイルマークの髪留めの模様が、満面の笑みを浮かべているように見えたのは角度のせいだろう。

 ヤスミは俺を見つめ続け、俺もヤスミの顔から目をはなせないでいた。

 そのままどれだけの時間が経過しただろう──。

 誰かが部室のドアをノックする音が聞こえた。

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