α─10
翌、木曜日。
朝から夕方まで普通(にルーティーンな授業を受け続ける時間が、ひねもすが地を這(うごときにだらりんと続き、ホームルーム終(了(の合図でようやく俺とハルヒは五組の教室から自由の身となった。
ハルヒの俺に対する個人授業も昨日までだったらしく、掃(除(当番たちの何とも言えない怪(奇(現象を眺(めるごときのアットホームな視線を浴びつつの特別講座も打ち止めとなり、そのようなわけで俺とハルヒは一目散に教室を飛び出した。言っておくが俺はあくまで団長殿(に腕(を引っ張られての強制連行に近いのだぜ。そこだけ勘(違(いしないでいただきたい。もちろんハルヒ講師の居残り補習を受けなくてよくなったという喜びには満ちあふれてはいたが。
そうしてハルヒと肩(を並べて文芸部室まで行く道のりもいつも通りなら、学内の春的雰(囲(気(も普段通りである。四月も半ばとなるとすっかり春という季節に飼い慣らされちまう。さすがは四季、頼(みもしないのに律(儀(に毎年現れて、悠(久(の歴史で地球上の生物をコントロールし続けるのも伊達(ではないと言ったところか。
だが、無常に訪(れ続ける月日の流れには逆らえない。一年前の春から強(引(そのままの勢いで続くSOS団にだって、無視することのできない変化が訪れているのも確かだ。
そんな現象を裁判所に提出しても何の差し障(りもなく証(拠(物件化できるような存在が俺たちを待っていた。
俺とハルヒが扉(を開けるかどうかのタイミングでパイプ椅(子(からすたっと立ち上がり、
「お待ちしていましたっ! 先(輩(」
巣に戻(ってきた親鳥に応(えるツバメの雛(のような音階で叫(んだのは、ハルヒの繰(り出す理(不(尽(で難関全開の入団試験をただ一人クリアした新一年生の元気少女である。パーマに失敗したような自由気ままな方向性を持つ髪(にスマイルマークの飾(りを揺(らし、クリスマスイルミネーションのように輝(く瞳(を爛(々(とさせて俺たちを待っていた娘(は、
「今日からわたしはSOS団の一員です! よろしくお願いします!」
深々と一礼した。
渡(橋(ヤスミ。どこか舌っ足らずながらも、コーラス部にでも入ったほうがいいのではないかと思えるほどの声量であり、その表情は夜明け付近の金星のように煌(びやかだった。少なくとも元気体力だけはハルヒと並んでいつまでも走れるくらいのエネルギーを内在させていると断言していいだろう。
「まあ……なんというか、そこそこよろしくやってくれ」
気の抜(けた俺の返答にもヤスミはまるで意に介(さなかったようで、ぴょこんと頭を上げ、
「はいっ! それはもうがんばります! 大そこそこで!」
その直情的な視線に荷(電(粒(子(砲(のようなエネルギーが見て取れ、このまま生命力に満ちあふれた笑(顔(を見続けていたら両眼の水(晶(体(がキャパオーバーで破(裂(しそうだったため、さりげなく目をそらして部室内に助けを求めた。
いつものメンツは全員がそろっている。ヤカンを火にかけている朝(比(奈(さんはとっくにメイド服姿だし、古(泉(は長テーブルの上に将(棋(とも囲(碁(とも違うけったいな盤(を置いて丸い駒(をいじくっている。長(門(はと言えば定位置でまた何かのハードカバーのページに目を落として森(羅(万(象(にシカトを決め込んでいる体勢だった。
ハルヒは意味もなく満足そうな顔で団長席にどっしり座ってから、
「では」
カノッサ城において神聖ローマ帝(国(ハインリヒ四世と面会した教皇グレゴリウス七世のような威(厳(たっぷりな満足笑顔と口調で、
「みんな知ってると思うけど、あらためて紹(介(しておくわ。この子が厳正かつ公平な審(査(で選びに選び抜かれた新入団員、渡橋ヤスミちゃんよ。みんな、あたしたちSOS団がこの一年で得たすべての教訓と実績をみっちり叩(き込んであげなさい。時には厳しく、時には子供に綿(菓(子(をあげるような感じでね。次代のSOS団を支える礎(となるように、バシバシ鍛(えるのよ!」
「バシバシ……ですかぁ?」
朝比奈さんはヤスミに目をやって、次に自分の管(轄(区域であるお茶くみセットの在処(を見(渡(し、はて田舎(武将にどこから茶の湯の神(髄(を教えたらいいのかと考え込む千(宗(易(のような表情になった。茶(道(部じゃあるまいし、番茶や煎(茶(を淹(れる手順にそれほど技(巧(的なものが必要とは思えないが、ハルヒが適当に淹れる出がらし茶より朝比奈さんの御(手(によるもののほうが甘(露(であることを考えると、次代に残すべきテクニックとして朝比奈流お茶くみ術の極(意(をこの新入団員に教えてやってもらいたいところでもある。
ついでにハルヒにも指南してやってくれないかな。あいつの出す茶は味も解(らないくらいの色の付いた熱湯でしかないのだ。
「はい! お茶、お茶淹れます! くみます、朝比奈先輩、この浅学なるわたくしめに、渡橋ヤスミめにお茶くみ係の極意の伝授を! ぜひぜひっ」
ヤスミは朝比奈さんを師(匠(と即(断(したようで、あっさり朝比奈さんのテリトリーに侵(入(を果たした。少し戸(惑(った様子の朝比奈さんだったが、ヤスミの決意は本物だと感じたのか、
「ええと、これが涼(宮(さんの湯飲みで、これがキョンくんの。あ、後、みんな好みの熱さが違うから気をつけてね。そこの戸(棚(にあるのがお茶の葉。その日の気温や湿(度(によって選んだりするの。今あたしが研究しているのがこの葉で──」
いちいちふむふむとうなずくヤスミのキラキラした瞳は朝比奈さんの一挙手一投足を一秒たりとも見(逃(すまいとする望遠カメラのレンズのごときそれであった。
「それから、あたしもメイド服着たいです! あ、ナースも! やらせてくださいやりますぜひぜひぜひっ!」
十万馬力のロボットもかくやと思える、ヤスミのエネルギー源はなんなのかね。核(融(合(か太陽エネルギー、まさか光合成でもしているんじゃないだろうな、この後輩は。おまけにそんな新入団員に最初に教えることがお茶くみとは、どこの企(業(の一(般(職だよ。
だが口出しは無用だろう。実際、他(に教えることなんてこの団にほとんどないしな。
俺は鞄(を床(に置き、古泉の向かいに座った。
「どうです? 一局」
ヤスミを面(白(そうに目で追っていた古泉が、ふと視線を切ってテーブル上の盤を俺のほうに寄せてくる。
「なんだ、これは」
一風変わった盤上に丸い石。刻まれている漢字は『帥(』とか『象』とか『砲(』などの、動かし方の見当もつかないチャイニーズミステリアスな様相を呈(する駒だった。オセロでも囲碁でも軍人将棋でも連戦連敗の古泉め、今度こそ勝てそうなボードゲームを搬(入(してきたということか。
「中国の将棋です。象棋(とも呼ばれていますね。ルールさえ覚えたら、気軽に誰(でも楽しめますよ。たいして難しくはありません。少なくとも大将棋よりは手短に終わるでしょう」
そのルールさえ、という部分が問題なのさ。そいつを覚えるまで俺は連戦連敗の苦(汁(を舐(め続けるに決まっているじゃないか。花札にしないか? オイチョカブでもコイコイでも母方の田舎ではちょいと鳴らした経験がある。
「花札は盲(点(でしたね。いずれ持参しますよ。それでこの象棋ですが、チェスや囲(碁(将(棋(と同じでゼロサムゲームだと解っていれば、それで充(分(です。あなたならたちまちのうちにルールを飲み込めます。差し掛(けの囲碁の盤(面(を見て、あっさり勝敗を看破できる実力があれば鉄板ですよ。これもボードゲームとしては運の要素があまりありませんから、あなた向きだと思いますよ」
余(裕(の笑(みを浮(かべ、
「では、最初は練習ということで、初戦は勝敗度外視でいきましょう。まずこの『兵』という駒(の動かし方ですが──」
気軽に説明し始めやがる。こいつはヤスミに対して何か思うところはないのか? なんたってハルヒ曰(く超(難関である入団試験を比(較(的苦もなく突(破(してきた才(媛(なんだぞ。世代交代次(第(で彼女が次期部長になるかもしれんのだぞ。ハルヒの目が節穴レベルでないのは間(違(いないとして、では古泉、お前はどうなんだ? 顔にくっついている二つの目玉はラピスラズリでできてるんじゃないだろうな。
古泉は駒を並べながら、ニヤリとした笑みを浮かべた。ええい、気味の悪い。まるで影(の首領にこき使われる中(堅(のレギュラー幹部みたいな余裕があるんだかないんだかの微(笑(だ。
俺側の駒を揃(えるふりをして、古泉はこちらに頭を寄せてきた。小声での囁(き。
「僕は何も心配していないのですよ。それどころか、安(堵(に包まれてもいます。これから何が起きるとしても、それが我々にとって悪いことにはまずなりません。あなたもそのつもりで、悠(々(とした態度を取っていてはいかがですか?」
確信がない、ってのが俺の反骨精神を形成する理由なのだ。今まで新たなる登場人物が出て来て、そのまま何もせず退場した例などあったか? それでなくとも佐(々(木(や橘(や九(曜(、匿名希望の未来人といった規格外部隊が思わせぶりに飛び出てきたんだ。あいつらはあいつらで現在何もやってないようだが、それはそれで不可思議で、だったら何で出て来たんだって話になる。伏(線(の仕込みにしては杜(撰(すぎるだろ。なんたって、あいつら挨(拶(だけでどっか行っちまったからな。
そんなんがミステリ小説の伏線だったとしたなら、俺は読(了(後どころか探(偵(が推理を開始した時点で本を壁(に投げつけるぜ。
「穏(やかではありませんね。読書はもっと鷹(揚(な心持ちで楽しむべきです。たとえどんな駄(作(でも、きっと後の糧(となりますよ。優(れた教師は反面教師、という格言もあることですし」
初耳だ。
「でしょうね。今僕がとっさに思い浮かべた格言ですから。でも、そんなに間違ったことを言ったとは思いませんよ」
「……ヘーゲルは偉(大(だな」
俺のつぶやきに、古泉はニッとした笑みをよこした。
「その通りです。人間が社会生活を送る上で、もっとも有益なアドバイスを残した哲(学(者(でしょう。どんな人間でも実(践(可能なのですからね」
もっともヘーゲル的な弁証法がこの中(華(風将棋の勝敗になんら関係するとは思えないけどな。
俺は古泉に教えられるまま、駒を並べ、それぞれの動きの把(握(にかかった。将棋に近いが細かい部分はけっこう違う。まあチェスやオセロにも飽(きていたことだし、新しいボードゲームに親しむのも悪くはないかな。
古泉と象棋に集中している間も、俺は他の団員の様子をちらちらと窺(っていた。
長門は本を読んでいる。黙(々(と読んでいる。新しい団員が増えたところで所(詮(それは文芸部の新戦力ではないと達観しているのか、一年前からこの部室での態度はアイスランドの永久凍(土(のように不変だった。膝(に置いている単行本がやや薄(茶(けているが、古本屋から掘(り出し物を入手した稀(覯(本(なのかもしれない。こいつの行動範(囲(も市立図書館から広がりつつあるのか。寂(れた古書店を巡(ってふらふらした足取りで本(棚(から本棚へと移動している長門を想像し、俺の精神はどことなく落ち着いた。
俺と古泉が盤上の闘(争(をぼちぼち始めようかという、その時、
「お待たせしましたーっ」
ピッコロの調べのように明るい声(色(とともに、お盆(に湯飲みを載(せたヤスミが視界の横から闖(入(してきた。彼女の背後で、メイドな朝比奈さんがハラハラした表情を隠(さず俺たちに目を泳がせている。
「ルイボス茶ってやつです! カフェインゼロ、お通じもよくなり、栄養価も申し分ありません。ぜひご賞味をっ!」
メイド服の予備はなかったっけ。ヤスミはだぼだぼの制服のまま、湯気の立つ湯飲みを俺と古泉の前のテーブルに注意深く置いた。
ハルヒの墨(痕(淋(漓(たる筆によってそれぞれ『キョン』『古泉くん』と書かれている湯飲みである。既(製(品(に極(太(マジックで印されているだけでちっともワビもサビも感じない茶器だが、茶の湯の心得のない俺にとってはどうだっていいことだ。
ヤスミのキラキラしている瞳(をなるべく見ないようにして、俺は赤茶けた液体を一口すすり、同様の行動をとった古泉と数秒後に目があった。
「……風変わりな味ですね」
微(苦(笑(とともに感想を述べた古泉とまるごと完全に同感である。決して不味(くはない。かといって刮(目(するほどの美味(さでもない。むしろ口には合わない、妙(な風味がする。これなら煎(茶(や麦茶のほうが忌(憚(なくがぶ飲みできるだろうが、正直に舌の具合を報告するには俺はちと小心者すぎた。
「まあ……なんというか……今までにないお茶だな。ええと、身体(に良さそうなのは非常によく解(る。健康になりそうな感じだ」
「わぁお」とヤスミは嬉(しそうに一声上げ、軽(やかな仕草でさっと移動すると、長門の前にも専用の湯飲みを差し出した。
「…………」
長門は、ちら、と『有希』としたためられたハルヒが勝手に決めつけた自分の湯飲みに冷(徹(な一(瞥(をくれ、
「…………」
まるで水で戻(す前の乾(燥(ワカメを見たかのような無反応ぶりで読書の続きに戻った。
これはいつものことだったので俺たちは何ら気にするところではなかったのだが、さてヤスミはどうかと眺(めていると、こいつもまったく動じた様子もなく、跳(ねるような足取りで朝比奈さんの元へと戻っていった。
「ちょっとちょっと」
声を荒(げたのはこの空間における絶対にして根元的な究極支配者である。
「あたしのお茶は?」
ハルヒはディスプレイの横から不満顔を出すようにして、
「こういうの、まず団長に提供するもんじゃないの? あたしが後回しってどういうことよ。みくるちゃん、ちゃんと教育を行き届かせないとダメじゃない」
「あ……ごめんなさいっ」
慌(てて両手をバタバタさせて焦(る朝比奈さんの横で、ヤスミはくすっと笑った。
「すみません。忘れてました。緊(張(していたのかもしれません。今、とっておきの淹(れ方をしますので、お待ちください」
ハルヒのワニ目にもう動じた気配はない。ヤスミは翅(の生えた妖(精(のように軽やかに立ち回り、熱々のお茶を団長机にささっと提供した。例のごとく、ハルヒは熱湯に近いはずのお茶を一気飲みし、しばらく目を白黒させ、舌をフーフーさせる犬のような呼気を発してから、
「ちゃんと覚えていってよね。ここんとこ、かなり重要な決まりだから。みくるちゃんは教育係なんだから後(輩(に厳しくしないとダメよ」
いつ朝比奈さんがヤスミの教育係になったというのか。
「まあ、お茶はお茶でこれくらいでいいわ」
ハルヒの切り替(えも早かった。茶を味わう暇(もなかっただろうしな。
「渡橋ヤスミちゃんだったわね。あなた、パソコン詳(しい?」
「ちょっとちょっとですけど、できますできます!」
「そう? じゃあ」
団長机に鎮(座(するコンピ研印のパソコンディスプレイには、例のSOS団ウェブサイトが、かつて俺が作った状態のまま表示されている。もちろんショボいレイアウトにチャチなコンテンツと、意味のある文字列などメールアドレスしかないという、今時日進月歩で進化し続けるネットの世界において、ほとほと時代遅(れなホームページであると言わざるをえない。ブログ? 何それ? って感じのデジタルデバイドっぷりである。
そのうちリニューアルすべし、とハルヒの意気だけは高かったが、もっぱらその役目は俺に任じられており、そしてそんなもんまったくする気のなかった俺はなんやかんやと理由をつけて先延ばしにし続けていたわけで、実際、SOS団の名がネットワークに流出して誰(一人幸福な結果になりそうにないというのは、去年のコンピ研部長の件でも明らかだったため、ハルヒには適当に忘れていて欲しかったのだが、アクセスががんがん増えてネット内知名度を高める野望を未だ捨てきっていなかったらしい。もちろんハルヒは長門がロゴマークに細工したことを知らないし、気づいてもいない。
「サイトをもっと人目を呼ぶようなのにしたいんだけど、できるかしら?」
と、ハルヒは付けっぱなしのパソコンモニタを指さし、
「SOS団のメインサイト。キョンが作ったきりのまるで殺風景な役立たずな代(物(なのよ。なにより美しくないわ。世界にはもっとスタイリッシュで情報満(載(なサイトがたくさんあるっていうのに、これじゃワールドワイドウェブの名が泣くというものよ」
悪かったな。
「そんなわけでヤスミちゃん、パソコンをちゃちゃっといじくって、ううんと見(栄(えのいいものにしてくれないかしら。あ、これは新人研修の一(環(なわけなのよね。入団試験があれで終わったと思ったら大(間(違(いよ。正団員への道は厳しいものなの」
「はぁい! やりますやります。やらせてください」
ハルヒの言葉の重みを理解しているのか否(か、とにかくヤスミは即(答(した。
「やってみたいです。やってみます。やるならやります是(非(是非是非っ!」
打てば響(くごとき返答で、この明確なまでのポジティヴリアクションには俺もちょいと驚(いた。それで、つい、
「おい、お前。サイトとか今まで作ったりしたことあんのか?」
「ありませんけどっ」
そんな動物将(棋(をもらった俺の妹のような笑(顔(を向けられても。
「でもでもっ! できる気がするんです! あたしはみなさんのお役に立ちたいのです! そのためにはコンピュータの一台くらい、さっぱりと調教して見せます!」
パソコンなんてのはただの計算できる箱であって、いくら調教しようが狩(猟(犬のように言うことを聞いてくれる万(能(ツールではないのだが……。
しかし俺が止めるまもなく、ヤスミは座っていたハルヒを押しのけ、キーボードを引き寄せてワイヤレスマウスを握(り、さっそくカチカチカタカタと事務職のお局(女子社員のように作業を開始した。タイピングの手(際(はなかなか良いようだ。
一通りハードディスク内のデータを参照した後、
「あ、ツールはひと揃(い網(羅(されてますね。でも、あれ? こんなアプリがあるんだったら最初からもっとハデなサイトが作れたと思うんですけどぉ。この無(駄(なタグだらけのサイト、えっと、誰が作ったんですか? ひゃ、懐(かしのテキストサイトですねこれ。テーブルの指定も酷(いし……。ほい、ソース表示……っと、あらら、うわ、酷い。このフォントタグの群れにいったい何の意味が……。ひゃあ、スタイルシートすら使ってないじゃないですか。こんなの、今時ネットにちょっと詳しい中学生ならもっとマシなのできそうですよ、先輩」
さっきハルヒが俺作成と明らかにしたばかりだろ。なかなか失礼な感想を述べる後輩じゃないか。渡橋ヤスミとやら。名は覚えたぞ。
「では、ちょっといじらせてもらいまぁす!」
明るく楽しげに宣言し、ヤスミは軽快にパソコンを操作し始めた。まさに鼻歌交じりのような気楽さだが、本当に鼻歌を吟(じていて、どこかで聴(いた曲だと思ったら去年の文化祭でハルヒが急造ボーカルとして参加した軽音楽部のナンバーだった。新一年生であるところのヤスミはその頃(当然中(坊(だったろうから、たまたま見にきていた模様だ。
ま、あんときのハルヒが輝(いて見えたことは、さすがの俺でも否定しきれないね。もっともその後、バンド活動に目覚めたハルヒによって俺たちがしないでもいい苦労と思わぬ事態を招き入れたのは誤算だったが。
ハルヒはヤスミの後ろに陣(取(って、二杯(目のお茶を手に満足げな雰(囲(気(を醸(し出している。ようやく見つけた有能な部下の活躍にご満悦な管理職のような上(機(嫌(さだ。これから雑事やコマい作業はすべてヤスミに押しつけてしまおうとしている決意が、表情から菌(類(の胞(子(のように振(りまかれている。
俺もやっとで雑用係を解任されるかなと甘い未来を夢想しかけたものの、強(情(で理(不(尽(な決定にかけては人後に落ちないハルヒのことだ。ヤスミ以下の待(遇(が待ち受けているのが関の山だろう。後(輩(にたった一日で上を行かれるとは、俺の存在意義はますます希(薄(になりそうだ。別に悲しんじゃいないけどさ。
差し向かいで打っていた俺と古泉の中国将棋が決着を迎(えたとき、ちょうどヤスミの持ってきた湯飲みの中も空になった。当然のように俺が勝利を収めたが、あまり勝った気がしない上に慣れないゲームだったせいか、ちと疲(れた。
「もう一戦どうです?」
リベンジの誘(いを向けてくる古泉を無視して、大きく伸(びをしたとき、何気なく向いた俺の目の先に段ボール箱が映った。それまでのSOS団戦利品がぶち込まれ、棚(の上に放置され続けていた一応は団の備品とも言うべき物体。
その箱からはみ出しているのは昨年の草野球で使用したバットとグラブである。
多少、気(詰(まりなものを感じていたのは初の後輩ができたという異物感と、新入団員渡橋ヤスミに淡(い警(戒(心(──なんせあの電話の件がある──を抱(いていたせいだろうか。気づいたら俺は、
「よ、古泉。たまにはキャッチボールでもしてみないか」
我ながら不可解な提言を発していた。
「ほう?」
古泉は一秒ほど俺の目を見つめると、すぐに破顔し、
「いいですね。身体(を動かさなければどうしたって鈍(りますし、適度な運動は健康と創造的思考の一助でもありますから」
そうと決まれば古泉の行動は早く、たいして背伸びすることもなく段ボールを棚上から下ろすと、ボロボロのグラブ二つとテニスボールを取り出していた。中には軟(球(や硬(球(もあったはずだが、さすがは古泉、しっかり俺の意を先読みしてやがる。
これまでSOS団は一年近く五人で通してきた。俺たちが進級して空きの出た一年生枠(に滑(り込んできた初の後輩、ヤスミに対して何ら含(むところはないとは言え、さんざん五人一組で様々なオカルティックでサイエンティフィックな出来事に駆(けずり回っていたせいか、ペンタグラムがヘキサグラムになったおかげで奇(妙(な不安定感が、俺の心根の中に生じているらしいと自己分(析(できる。
簡単に言えば俺はヤスミをこの安定していた部室内に突(如(として現れた異物的な存在だと、なんとなく思うでもなく感じているのだろう。今後、ヤスミがSOS団内でどんな役割を果たすことになるのか、ハルヒはこれでいいと考えているのか、どうもすっぱりとは完全に納(得(することができにくい。
俺の風(呂(中にヤスミからかかってきた電話もひっかかる。あれが入団希望の先走り的勇み足なんだったとしても、なぜ俺にわざわざ? まあ長門や朝比奈さんや古泉にかけても意味はなかったかもしれない。あの三人は特別な背景事情を背負っているからな。しかし、相手が俺だったとしても特に意味など発生しないはずだ。現にあの時、ヤスミはロクな自己紹(介(もせずに切っちまった。まったく、ハルヒ並みに意図の読めない後輩がいたもんだ。
つまり、俺は何となくヤスミのいるこの部室から消極的に逃(げ出したく思っていて、その格好の口実が、すなわちキャッチボールだったということなのさ。こればっかりは室内ではできないからな。
「つーわけで」
と、俺はヤスミのパソコン作業を見守るハルヒと、新茶について研究を始めている朝比奈さん、読書に専念している長門に、
「ちょいと外に出てくる。俺と古泉がいても教えられることはないしな。逆に邪(魔(だろ。新入団員の初期教育は任せる」
古泉はすでに二人分の野球グラブを携(えて誰(に向かうともなく微(笑(をたゆたえ、
「そうですね。こういう時は女性陣(のみのほうが、円(滑(に忌(憚(のない活動が進むでしょう。邪魔者たる我々男性陣はしばし退席しておきますよ」
フォローだけは天下一品の副団長だった。
ハルヒはちらりと俺に待ち針のような視線を向けたが、
「いいんじゃない? そうね、キョンの今までの団員活動もヤスミちゃんに教えておきたいしさ。いい? ヤスミちゃん。この男が団で唯(一(の平団員であるゆえんを話してあげるわ。まったく、ほんとどうしようもないったらないのよ。反面教師にするといいわ。我が団は完全貢(献(主義だから、キョンなんてあっという間に抜(き去ってしまえるわよ」
そうかいそうかい。ま、おまえがその認(識(でいてくれている間は、俺も安心だよ。ぜひこのままけったいな役職をおしつけられることなく平(穏(に卒業を迎えたいものだ。
俺は古泉に目配せする。古泉も正確に俺のアイズオンリーコミュニケートを受け取ったと見えて、ボロいグラブを投げてよこすと、
「それでは一時失礼します。飽(きた頃(に戻(ってきますよ」
パチリ、と音がしないのが不思議なほどの厚いウインクをかまし、俺の背に手をかけた。
「我々は我々で、久しぶりに男二人での時間を楽しませていただきましょう」
部室を出る前に振(り返ると、長門はいつも通りの没(頭(読書術を継(続(し、朝比奈さんは「このお茶、違(うのとブレンドしたほうがいいかなあ?」などとお茶くみ考察に真(剣(な面(持(ち、ハルヒはパソコンを手(際(よくいじるヤスミの後ろで、解(ってるような実はまったく解っていないであろう微妙に複雑な表情で、モニタを半口開けて見守っていた。
新入団員の一年が加わるだけで、ずいぶんと雰(囲(気(が変わるもんだな、この部室も。
部室棟(から出た俺と古泉は、中庭にてキャッチボールを開始した。
どっからどう見ても暇(をもてあました男子学生二人の暇つぶし以上の光景には見えるまい。
ちょうど校舎と部室棟の間にある芝(生(敷(きの中庭であり、三階にある文芸部室の開け放たれた窓から容易に見下ろせる位置にある。こちらからも見上げられるので、部室から誰かが顔を出していたら一発で解る距(離(だ。
「女性が一人増えるだけで華(やかになるものですね」
言いつつ古泉が投げたボールは緩(やかな山なりだった。
「何だ、男のほうがよかったのか?」
オーバースローで返したテニスボールを受け取った古泉は、
「バランスですよ。男子は我々二人だけ、なのに女子が四人になると、どうにも劣(勢(な状(況(になると思いませんか? ただでさえ僕たちの発言権はそれほど大きくないというのに」
情けない話だが真実だな。正確にはハルヒの発言力がベース用ラウドスピーカーなみにやかましすぎるのが問題なのだが。
「あの少女も一(筋(縄(ではいきそうにないですよ」
古泉の投球はやや勢いを増した。
「ヤスミにも何か奇(怪(な背後関係があるのか?」
俺のグラブにパスンと音を立てて蛍(光(色のボールが収まる。
「いえ」
と、古泉は謎(の含(み笑い。
「それはご安心を。彼女にはどんな組織のバックもありません。純(粋(な個人ですよ。何にも属さず、誰にも指図されることのない、ただ一つの意識を持った存在でしかない。それ故(に興味深いんですよ」
俺はボールを握(り、それがまるでもぎたてのレモンであるように睨(みながら、
「回りくどいな、古泉。知っていることがあるんだったらさっさと言え。渡橋ヤスミは何のためにSOS団に潜(り込んできた?」
「目的は解りません」
古泉はお手上げのポーズをして、
「僕が知っている、あるいは推測していることはただ一つですから」
ワインドアップモーションで投げ返したボールを、古泉は事もなげにキャッチした。聞いてやろうじゃないか、そのただ一つの推測とやらを。
「涼宮さんが望んだんです」
またそんな理由かよ。
「渡橋ヤスミの存在をSOS団の一員にすべきだという決定。それを涼宮さんが望み、選んだのです。必要な人材だと確信しての新入団員採用でしょう。おそらく無意識による現実操作でしょうね」
それよりも──と、古泉は俺に目線を投げかけ、
「なぜ、いきなりキャッチボールという発想が出てきたんですか? あなたが僕を誘(うなんて、さて、今まで何度あったでしょう」
俺だって知るか。なぜかこのタイミングで野球道具を使用しなければならない予感がしたんだよ。あまり放(ったらかしにしておいてグラブやボールが付(喪(神(に化けちまうのはぞっとしないからな。
「そうですか」
古泉は即(座(に納(得(したようで、
「部室の器物が意志を持つようになっては、いよいよ異空間化に拍(車(がかかりますからね。ですが、あなたの心情には賛同できます。なぜなら、僕もなぜだかキャッチボールをしたい、いや違いますね。しなければならない、という妙(な強(迫(観念に捕(らわれていたからです」
古泉が投げ込んできたボールは手元で変化し、くいっと落ちた。それをすくい上げて、
「どういうこったよ」
「解りません。しかし、必然的な行(為(である可能性があります。僕たちはここでキャッチボールをすることが義務づけられてきたんじゃないかとね。未来人が言うところの、ようするに既(定(事(項(というやつですよ」
解らんな。だったら朝比奈さんなり朝比奈さん(大)なりが回りくどくメッセージを送ってくるはずだが、そんなものはなかったぞ。第一、お前と野球ごっこをすることが、未来のどんな伏(線(になるってんだ。
「朝比奈さんに訊(いてみてもいいのですが……」
古泉は三階にある部室の窓を眺(めて、軽く息をついた。
「あの調子では何もご存じないでしょうし、おまけにこれは僕たちの自発的行為です。どうも疑(心(暗(鬼(に捕らわれているだけである可能性のほうが高いでしょうね。こんなことまで疑っていたら、ますます未来人の思うがままですよ。過去人として、未来人の思(惑(には負けたくありません。超(能力も『機関』も関係ない。現代を生きるものとしての個人的なプライドというやつです」
こいつにしては本音くさい語調だった。俺が意外なものを感じていると、
「見下されるのは結構です。あいては我々より組織も力も強大だ。でもね、僕は見下されるまま諦(観(するのは個人的に気に入りません。敵が強ければ強いほど、どんな手を使ってでもギャフンと言わせる逆転の展開は古今東西、王道と呼べるのではありませんか?」
週刊漫(画(のバトルヒーローみたいだな。インスタント修行とか、秘(めたる能力の覚(醒(で九曜あたりを一(網(打(尽(にしてくれたら俺の出る幕はなくなるんだが。
「その役回りは」
と、古泉はチェンジアップを投げてきた。
「あなたが適任でしょう。あなたの背後には涼宮さんが、涼宮さんの背後にはあなたがいる。あなたがた二人にできないことなどこの宇宙に存在しませんよ」
そしてニヤリと、
「前にも言ったことですが、いっそアダムとイブから始めてしまえばいいのです。日本的にイザナギ、イザナミといったほうがいいでしょうか。産んで増やすを続けていけば、そのうち地球はあなたと涼宮さんのような人間で溢(れかえることでしょう。なかなかシュールにして愉(快(げな光景ではありませんか」
そこまでいったら不条理ギャグの領域だな。俺はこのツッコミ体質をわざわざ子孫に残すつもりはない。ましてや、相方がすべてハルヒ起源の人類なんぞになると、ノアの箱船まで歴史が続いていそうな気がしない。まともな判断を持っている船長なら乗船拒(否(は覚(悟(しないといけない。
考古歴史学会のためにも、その手の提案は却(下(だ却下。せいぜいアララト山を凍(土(の底まで掘(り返していろ。木造宇宙船が出てくるかもしれん。
「残念ではありますが」
古泉はボールを握(った手を風車のように振(り回す。
「ほっとしています。僕はあなたたちをもうしばらく見ていたい。長門さんや朝比奈さんたちもね。地球上の生物で唯(一(、想像力と知的好(奇(心(を持って誕生した人間の一人として、最後まで見届けたいというのも本音なんです」
ここで古泉はいきなり話題を変えた。
「涼宮さんとの放課後学習ははかどっていますか?」
知ってやがったか。俺はあえて平静を保ちつつ、
「おかげさんで、まあまあだ。教えられているというより、あいつが教える楽しみを満(喫(しているだけのようにも思うがな」
「いい傾(向(です。あなたも涼宮さんも進学コースでしょう。できれば同じ大学にそのまま上(滑(りしてくれると、こちらとしても助かりますよ。大学入試までご尽(力(のほどをよろしくお願いします」
いいって。俺の進路にヤキモキしているのはオフクロだけで充(分(だぜ。幸い時間はまだ二年近くあるんだし、今から慌(てて問題集を座右の書としなくてもいいはずだ。俺にはもっとこう、やらねばならないことがある。
「ほう。何でしょう」
……たとえば買いそびれている新作ゲームとか、やり残して積んだままで評判のいいとよく聞くゲームとか。
古泉はかすかに笑っただけだった。余(裕(をかましている同級生の呆(れたような微(笑(ってな、なんでこんなに神経に障(るんだろうね。くそったれ。俺もこんな笑い方をしてたまには周囲を煙(に巻いたりしたいもんだ。
「さて、次の球種は何がいいですか? カット、ナックル、まっスラと、各種取りそろえておりますが」
俺がキャッチできる範(囲(のボールで頼(む。あいにく捕(手(の経験がないもんでね。永遠のセカンドプレイヤーと呼んでくれ。
次に古泉が投じたのはど真ん中直球のストレートだった。何かの意思表示だったのかもしれない。それくらい普(段(の古泉の腕(からは想像できない球(威(である。これだけの投球術があれば、去年の草野球大会はお前がリリーフのマウンドに立つべきだったな。他(に隠(し持っている鷹(の爪(があるならそろそろさらけ出しておいてくれよ。
しばらく古泉相手の無言のキャッチボールが続いた。取り立てて野球に興味もないんだし、そろそろ飽(きてきたなと思っていると、
「おや?」
最初に古泉が顔を上げ、つられて俺も奴(の視線の先を追う。
紙ヒコーキ。
適当に折ってみましたという感じのシンプルで稚(拙(な紙飛行機が、中庭の上空を旋(回(している。ろくに風もないせいでふんわり落ちてきた飛行機は、着地に失敗した高(跳(び選手のような軌(道(を描(いて、俺の足(下(に突(き刺(さった。見ると、部室にあったコピー用紙が製作材料らしい。
拾ってみる。
羽の上にサインペンで急いで書いたような文字が躍(っていた。曰(く、
『OPEN!』
古泉が近寄る前に素(早(く、俺は紙飛行機を折り目の付いたタダの紙に戻(し、若(干(の時間、固まっちまった。同じサインペン、筆(致(で黒々と書いてある文字はごく短いものの、いささか衝(撃(を受けるに充分だ。
『MIKURUフォルダ発見!』
反射的に見上げる方向は、部室窓に決まっている。
窓(際(に立つ人物いかんによっては、これから始まる弾(劾(裁判を覚悟しなければならないな、と内心ビクビクしていたのだが───。
開け放した三階の窓からこちらを見下ろしているのは、渡橋ヤスミの小(柄(な姿で間(違(いなかった。ヤスミは俺が原始的飛行便のメッセージを確(認(したと確信したのだろう、立てた人差し指を唇(に当ててから、舞(台(袖(にはける女優のような身軽さで窓際から姿を消した。
どうやらヤスミとやら、侮(れないITスキルの所有者らしい。機械オンチの朝比奈さんや精密機械だろうと乱雑にしか扱(わないハルヒに慣れててすっかり油断していたというべきだろう。長門にはバレてるかもしれないが、あいつの口の堅(さは鉄鉱石レベルだし問題ない。
しかしよく、あのパスワード付き隠しフォルダの中身を開けたな。これはセキュリティ強化の必要性がありそうだ。そのうちコンピ研の部長にでも相談してみるか。
「どうかなさいました? それにいったいどんな言葉が──」
古泉が物欲しげな顔を俺の手にした元・紙飛行機に向けてきたが、
「気にするな。俺と朝比奈さんのささやかな秘密ってやつだ。お前の人生に何の影(響(も及(ぼさない無益な情報さ」
微笑を浮(かべた古泉は返答せずに肩(をすくめ、訳知り顔を向けてきたが俺は無視した。
そしてもう一度、部室を見上げる。脇(に寄せられたカーテンが春風にたなびいているせいで、内部の様子は見て取ることができない。
少し前から思っていたが、改めてヤスミへの感想をつぶやくことにする。
「変な女だ」
それからしばらくして部室に戻ると、ハルヒがパソコンの前で大喜びしていた。
「見なさい、キョン! この綺(麗(で華(麗(な画面を!」
俺は野球道具を古泉に任せ、子(猫(が揺(れる紐(にじゃれつくようにマウスを振(り回しているハルヒの横へ移動する。
「おお?」
モニタに映っているものを見た俺の口から謎(の感(嘆(符(が漏(れた。
「こりゃ、SOS団のサイトか?」
「見れば解(るでしょ。どじゃーんとでっかく書いてあるじゃない」
確かにロゴマークはそうなってるな。しかし、かつて俺が適当にでっち上げたホームページモドキの面(影(がまったく残っていない。壁(紙(からフォントからインデックスから何からすべてが一新され、おまけに文字の一部がピカピカ光りながら動いているし、画面の色使いがやたらとハデだ。俺の作った初期サイトがアダムスキー型だとしたら今のはまるでシャンデリア型UFOである。しかしちょっと装(飾(過(剰(すぎやしないか?
「こういうのは人目をひいてナンボなのよ」
ハルヒは自分の手(柄(のように意(気(軒(昂(と、
「それにね、ネットの世界はドッグイヤーなわけ。せっかくの技術を使わないでどうするのよ。ヤスミちゃんにはとにかくありったけの素材を使ってもらったわ。ほら、ここをクリックすると──」
フリー素材丸出しないかにもな音楽が鳴りだした。正直、やかましい。
俺はやってはいけないサイト作りの典型例のような画面を睨(みつつ、
「コンテンツは何があるんだ?」
「メールフォーム」
それだけか。
「しょうがないでしょ」
ハルヒはぷうと唇をとがらせ、
「活動報告のとこにいっぱい写真を載(せたかったんだけど、あんたが反対したんじゃないの」
ああ、朝比奈さんの件か。よく覚えていたな、こいつ。
「でも、こんなのならあるわよ」
マウスカーソルがするすると動き、ゲームと表示されている部分で停止した。クリック音とともに映像が切り替(わった。星空を背景にした、何かのゲームのメニュー画面らしい。意味なく凝(った書体で描(かれているタイトルを読むと、
「ザ・デイ・オブ・サジタリウス……5?」
「コンピ研からもらってきたのよ」
しれっと言うな。
「以前やったゲームのネットオンライン対応改良版らしいわ。世界のどこからでも誰(かと対戦できるそうよ。よくわかんないけど、これくらいはあったほうがいいでしょ? もちろん無料でプレイできるわ」
誰が金など払(いたがるものか。しかし、なんとバージョン5まで来るとは、連中にとってよほどこだわりのあったゲームらしいな。それだけに俺たちに敗北したことはけっこうこたえただろう。まあ、ありゃ自(業(自(得(と言えるが。
「ついでにコンピ研にはさらなるゲームの開発を依(頼(しておいたわ。これじゃああんまりSOS団っぽくないもんね。あたしはもっと違(うピコピコが欲しいから」
命じておいたの間違いじゃないのか。SOS団っぽいゲームを作れなどと言われたコンピュータ研究部の困(惑(ぶりを成り代わって嚙(みしめてやっているうちに、ふと気づいた。
「で、あいつはどこだ?」
部室に渡橋ヤスミの姿がない。いるのは片(隅(で読書中の長門と、グラブとボールを片づけ終えて自分の席に着いている古泉、それから今ちょうど湯飲みにお茶を注いでいる朝比奈さんだけである。その朝比奈さんが盆(に載せた湯飲みを差し出しながら、
「帰っちゃいました。ついさっき」
「へぇ?」
本格入団初日から早退か。
「どうしても外せない用事があったんですって、何度も謝りながら走っていっちゃいましたよ」
俺に湯飲みを手(渡(した朝比奈さんは、なぜかいつもより一回り大きな笑(顔(を咲(かせていた。その理由を問いかけると、
「すごい可愛(いんですよー」
と、とろけるような口調で、
「声とか、口調とか、仕草とか、表情とか、お辞(儀(の仕方とか、もう、どうしようもないくらい可愛いんです。本当に」
盆を抱(きしめてくねくねする朝比奈さんも相当のレベルだが、かくも短時間でこの愛らしい先(輩(の心を射止めるとは、渡橋ヤスミ恐(るべし。
「まあ、あたしにはピンとこないけど」
ハルヒは朝比奈さんの様子を半分あきれ顔で眺(めていたが、
「本気で急いでいる様子はピョコピョコしててまるでヒヨコ。でも、みくるちゃんのツボにハマったみたいでよかったわ。いろいろ引き出しの多そうな娘(だし、しばらくは退(屈(せずにすみそうね。まだ一日目だけど、才能の片(鱗(を感じるには充(分(な時間を過ごせたわ」
まだ身体(をくねらせていた朝比奈さんは、
「長門さんにもすぐに懐(いていましたよ。あの娘には仲良しの才能がありますね」
ここでやっと我に返ったか、それとも何もないテーブルの上をわざとらしく見つめ続けている古泉に気づいたのか、再び急(須(を手にして副団長専用湯飲みを探し始め、俺は長門に視線を移して一体こいつと瞬(時(に信(頼(関係を築く方策とはどのようなものであるのか想像することに努めた。
長門は俺の思考を正確に判読したらしい。じわりと文字の海から顔を上げると、
「本を貸した」
抑(制(しすぎの声でぽつりとつぶやき、直後に補足の必要性を感じたようで、
「貸すように依頼された」
と継(ぎ足して満足したとみえる。また視線を下ろした。
「なんか、どっかの衛星かギリシャ神話のキャラみたいな名前の本だったわね」
何気なさそうにハルヒが言う。ドライアイスを飲み込んだような冷たい焦(りが俺の喉(を通り抜(ける。が、長門が反応しないので俺も何とかポーカーフェイスを貫(いた。
ありがたいことにハルヒにとって本当にどうでもよかったことなのだろう。長門文庫への言(及(はそれだけで、そのままカチカチとマウスを操作してブラウザを閉じ、パソコンを終(了(させにかかった。そろそろ今日の部活もお開きという宣言に等しい。
「有望新人が来たのは新年度早々からいい前兆だわ。SOS団は次世代の育成も怠(ってはいけないの。たとえこの学校が取り壊(されてもSOS団だけは残るくらいの気(概(を見せないと。あたしたちはその礎(となるのよ。いいえ、ならなきゃダメ」
俺は立ったまま茶を啜(りつつ、
「お前が言うんだったら、そうなるんだろうな」
生返事をしながらヤスミの顔を思い浮(かべる。俺専用朝比奈さんフォルダに口をつぐんでいてくれたことには大いなる感謝を捧(げるしかないが、どうにもこうにも気がかりだ。横目で窺(うと、長門は平素と変わらぬ態度でハードカバーから顔も上げないし、古泉に茶を給仕中の朝比奈さんは前述の通りである。しかし、ハルヒが選(択(した唯(一(の新入生がまともであるはずがない。とてもそうは見えないが、それでも何かあるはずだ。
俺の風(呂(中にかかってきた電話といい、数日前からつきまとう奇(妙(な違(和(感といい、何だかもやもやしてならん。まあ、それは佐々木や九曜、名乗らない未来人や橘京(子(などの懸(案(事(項(があいかわらず何も片づいていないからなのだとしても、ヤスミ本人に対して感覚的な胸(騒(ぎを覚えるのはなぜだろう。それも、どちらかといえば楽観的な方向の騒ぎ方で。
ヤスミは敵か味方か、といった中(途(半(端(な存在ではない。あの少女から受ける印象は、長門や朝比奈さん、九曜や橘京子たちとも違(う。強(いて言うならば──。
俺はハミング混じりで帰り支(度(をしているハルヒの横顔をチラ見した。
宇宙人とも超(能力者とも未来人とも違う。渡橋ヤスミから感じる雰(囲(気(は、そう、ハルヒか佐々木に近いのだ。
しかし、何故(なのかが解(らない。
こうして、ちくわと間違えてちくわぶを口に入れてしまった直後のような正体不明な感覚、いわば明るい胸騒ぎとでも表現すべき気分を抱(きつつ帰宅した俺は、自室の扉(を開けるなり仰(天(することになる。
「キョンくん、おかえりー」
やたら愛想のいい猫(みたいな笑(顔(でそう言った妹と、異常に無愛想な人間のような顔でベッドに横たわっているシャミセンが待ちかまえていたのは充分予想できた、というよりいつものことなので驚(きもなにもない。
あんぐりという擬(音(を背負いたいくらいに俺の口を開けさせたのは、そいつらの他(に見たばかりの顔を持つ人間を発見したからで、そしてそいつは妹の前で正座していたかと思うとペンシルロケット打ち上げ直後かと思うほどの勢いで直立し、
「お帰りなさい、先輩! おじゃましてますっ!」
よく通る明度の高い声でそう叫(び、深々と一礼した。実に行(儀(良く。
「な……」
どういうわけかさっぱり理(屈(が飲み込めないのだが……。
渡橋ヤスミが俺の部屋にいた。その少女の姿が俺の幻(覚(だと思いこむには、とてつもなく困難な出来事だった。無理がありすぎる。
急用で走って帰ったというヤスミが、何の用事、どんな理由でここにいるんだ?
いや待て。冷静に対処しよう。俺は今まで散々予想外のイベントに巻き込まれては、不承不承ながらも強(引(に慣らされているはずだ。ハルヒが消えたり、何度もタイムスリップしたりしたことに比べると、たかが新入部員が俺の自室で帰りを待っているくらい、全然、日常の範(疇(に収まる。犯人の犯行動機が最後まで解説されなかった本格ミステリ小説のようなものだと言えよう。よし、俺は冷静だ。事情聴(取(にはまず身近な人間から始めるべきだろう。
ヤスミは胸の前で両手を組み、キラキラした目を俺に向けて、
「本当は昨日来たかったんです。でも、予定より延びちゃって。やっぱり迷いがあっちゃダメですよね」
と意味の解らないことを言った。予定? 迷い? なんだそりゃ。まあいい。それは後で考えることにしよう。俺はいつもニコニコ悩(み知らずな妹の首根っこをつかみ、
「お前が家に上げたのか?」
「だってー」
妹はくすぐったそうに身じろぎして、
「キョンくんの友達ーって」
素(直(すぎるのも考えものだ。知り合いならともかく、見知らぬ人間をそうほいさっさと信用するべきでないと教育してやらねばならない。なんというか、こう、兄として。
俺が説教の草(稿(を組み立てるより、ヤスミの助け船のほうが速(やかだった。
「玄(関(で会ってすぐ先(輩(の妹さんだと解りました。フフ、いい子ですね! あたしもこんな妹が欲しかったです。抱(っこして寝(たいくらいです。それにその猫! 立派な三毛猫ですよね! すっごい頭良さそうで、あたし、感心しちゃいました」
早口でまくし立てた後、ヤスミはややしょんぼりと、
「でも、ペットはもう飼えないんです。それが残念で……でも! こうして人の家のペットと遊ぶのは大好きなのですよっ」
その威(勢(のいい口調にやや物理的に気(圧(されるものを感じ、俺はちょっと仰(け反りつつ、
「お前……。用事で早めに帰ったんだよな。まさか、その用事ってのは……」
「ハイ。一度こうして来てみたかったんです。先輩の家に。フフ」
あっけらかんと答えるヤスミの顔にも口調にも怪(しいところはまったくのゼログラビティだった。特(徴(的な髪(留(めがお辞儀とともにひょこんと揺(れる。
「ねー、ねー」
妹がヤスミの袖(を引っ張っていた。
「さっきの話の続きー。その髪留め欲しい。もう売ってないんでしょ。ちょうだい」
「ごめんなのです」
ヤスミは屈(んで妹の目線の高さに合わせ、つぶらな瞳(同士を二つとも合わせた。
「これはあたしが小さい頃(からの宝物なんです。今はダメ。でも、そのうちあなたのところに巡(ってくるかもしれませんね。あたしたちは世界の流れに乗っている小(舟(です。またいつか、ここに戻(ってくることもあるでしょう。この髪(飾(りだけでも。そのうち、いつか」
スマイルマークに近(似(した髪留めは、鳥の巣のような髪をまとめるというより、ただ身分証明のようにくっついているだけのような気がしたが、そんなにいちいち気にするのは些(事(でしかない。もっと気にするべきことは何かと考えているうちに、ヤスミは俺の部屋を歩き回り、ベッドの下をのぞき込み、シャミセンの耳を引っ張って、
「当たりですよ、この猫、大当たり」
などとコメントしたかと思うと、妹に飛びついて抱きついていたりしていたが、また俺の眼前に直立不動のすっくとした姿勢で戻ってきた。その口から飛び出したのははっきりとした意思表示、
「帰ります」
ああそう、としか返答できなかった自分が何やらみすぼらしく感じる。もう少しマシなボキャブラリーを内蔵していたはずなんだけどな、俺。言いたいことがあるのに言葉が出てこないのはもどかしいことだ。
ヤスミは正面やや下から俺を射(貫(くような視線をむけていたが、ふと短い半生を懐(かしむような表情に変化し、
「新しい学校に入ったら、きっと面(白(い部の一つはあって、あたかも吸い寄せられるような偶(然(的な事件があって、行きがかり的にそこに入部してしまうっ、なぁんてことを夢見てたんです。黙(っていても向こうからやって来るもんだって。そうじゃないですか? 面白い物語の語り手って、みんなそんな感じな気がするんです。そこには面白い先輩がいっぱいいて、その中の一人と仲良くなったりして、あたしはそういう主人公になりたかった……」
いつかどこかで聞いたような、いつかどこかで俺が考えていたような話だった。だが俺が長期記(憶(をまさぐり始める前に、ヤスミはぴょこんと頭を下げ、バネ仕(掛(けのように小さな身体(を反らすと、
「なーんて、実はただ先輩の部屋に一人で来てみたかっただけなんです。おじゃましてすみません。でもすっかり満足しました。あたしはもう来ません」
ヤスミが俺に向けた笑(顔(は、朝比奈さんが腰(砕(けになるのも解(る、小動物の子供が世話主に全(幅(の信(頼(を持っているごとき、純(粋(で柔(らかな燐(光(に包まれていた。こんな目で見つめられて何も思わずその場を立ち去る人間など、ペットショップの客にはいないだろう。
「それでは、またお会いいたしましょう。先輩、あたしのこと嫌(いにならないでくださいねっ」
言うやいなや、ヤスミは妹の頭とシャミセンの額を一(撫(でして、春一番のような勢いで出て行った。ちょっと待てという暇(すらない。気づけば、一年後輩の新入団員は姿形を我が家から消している。
あくびをするシャミセンを無理矢理抱(え上げた妹が、
「あの人、だぁれ?」
その質問の回答は、俺が今一番欲(しているものだぜ。
「あ……」
直後、俺は訊(き忘れていたことに気づく。いつだったかの夜、風(呂(に入っている最中に電話をかけてきたのは、紛(れもなく、あのヤスミで間(違(いないのは確かだ。
しかし何故(、俺なんだ? ただ名前を告げるだけの短いメッセージ。あの時点でヤスミはハルヒの課す入団試験にただ一人残ることを確信していたのだろうか。まるで予知能力者だが、古泉からすればそんな形(跡(もないらしい。てことは、偶然北高に入学し、偶然SOS団に混じり込んできた一(般(学生ということになるが、あまりにも出来すぎた偶然だ。
──この世に偶然などありません。すべては必然です。認(知(することのできなかった必然を、人は偶然と呼ぶのですよ……。
誰(かが言っていた言葉、いや長門から適当に借りた小説にあったセリフだったかな。
ぼんやり考えつつ、俺は意味もなく妹からシャミセンを取り上げ、鼻と鼻を近づけた。いつものように迷(惑(そうに顔をそらすシャミセンに、
「ヤスミをどう思う」
独り言にしかならないと理解していたが、なんとなく誰かに胸中を分け与(えたい気分だったのさ。
「ヤスミお姉ちゃんって言うの? ハルにゃんや鶴(にゃんのお友達?」
三(毛(猫(よりもまん丸の目をした妹が脇(から口を出してきたため、俺はうんざり顔のシャミセンを床(に下ろした。これ幸いと部屋を立ち去るシャミセンの猫追い人となった妹も出て行って、ようやくの静(寂(が自室に立ちこめる。
いくら考えても解らない。まるでlog記号なしでフォアフォーズの素数を永久に解き続けよと明示された数学助手のような気分だった。
あいつは渡橋ヤスミ。そういう名を名乗る北高の一年生で、ハルヒの認めたSOS団新入団員一号である。
だが、何者なんだ?