β─9
翌日、水曜日。
特に何もなく、ただ考え込むだけの一日が訪れた。
シャミセンとともにベッドに転がっていたところを妹に強制覚(醒(に導かれた俺が朝一番に想起したのは、ああ、また何やら思い悩(まねばならない時間がやってきたということだけだ。まったく考えることが多すぎて、何からどうやって手をつけていいのやら途(方(に暮れざるをえない。
当然、こんな目覚めが快活なものになるはずはなく、俺は起(床(した瞬(間(から憂(鬱(である。意識を失っている時間ってのがなかなかに幸せなんだと気づかされる事例でもあるな。睡(眠(は逃(避(にはもってこいだ。ただの事態の先延ばし、時間の無(駄(遣(いとも言えるが。
朝っぱらからシャミセンを背後からネックハンギングして振(り回している妹の無(邪(気(さに微笑(ましさを通り越(して嫉(妬(する俺は兄として何か重大な欠(陥(を抱(えているのかもしれないな。俺も数年前は似たような童心を持っていたはずなのだが、とんと記憶に残っていない。むしろ忘れたい思い出ばかりだ。ほとんど同じDNA保持者のくせに、俺と妹、どこで道を違(えてしまったのだ。性別的時代的な区別がそうさせているのだろうか。それとも血液型が違うせいかね。俺はABO式の血液型性格診断と星座占(いをまったく信じていないから、迷(信(などどこふくハリケーンなのだが、人格形成には周囲の人間、特に友人に影(響(されやすいということなのであろうか。
俺はひねくれ者として成長し、妹は直情径行一直線な素(直(さを維(持(して、この調子では数年後でも変化なしだろう。中学入学以降に環(境(が変わり、周囲に毒されて反(抗(期(全開にならないよう、兄としては密(かに願ってやまない。妹にはいつまでも鶴屋さんのような脳天気人間でいて欲しかった。いっそ鶴屋家に臨時の養子として送り込んでおくというのはどうだろう。鶴屋さんならケラケラ笑いながら、自然に妹の教育係を大いに楽しみつつ、そして完(璧(に趣(味(混じりの仕事を全うしてくれるだろう。鶴屋二号が新たに誕生するのはちょっと不安でもあるが。
ちなみに鶴屋さんは俺の知っている一(般(人類でもっとも頼(りになる先(輩(だ。そのうち俺に代わってハルヒや朝比奈さんにまつわるSOS団に関するすべてのもめ事を、快(刀(乱(麻(的に一刀両断するのは、ひょっとして彼女なのではないだろうかとすら思える。どうも鶴屋さんにはそんな気はないらしいが、好むと好まざるとに関係なく、まるで部外者ってわけでもないんだぜ、先輩。
彼女に預けたままになっている、謎(のオーパーツ。鶴屋山から発(掘(した鶴屋一族の祖先からの時代を超(えたオブジェクトとメッセージがある。あれはいずれ、ここぞというときに必要になるはずだ。ただの文化遺(跡(ではありえない。俺の持っているもう一つの切り札だ。あれが未来人へのカウンターアイテムになるのか、異星人へのとどめの武器になるのか、それは不明だが要(るべき日が必ず来るに違いない。むろん、何の役にも立たない元(禄(時代のガラクタだったというオチだとしても、その覚(悟(はできている。
しかし、ジョーカーは多いに越したことはないよな。それが競技麻雀(における赤5や裏ドラやオープンリーチじみたものなんだったとしてもさ。
いつものように、ルーチンワークの登山登校をしなければならないのは朝の点(描(的日常にすぎない。
俺の足取りもいつものペースだが、多少早歩き気味なのは無情な校門が閉(ざされてしまう時間ギリギリであるせいである。いつものことなんだが、余(裕(を持っての登校をついぞ実行できていないのは、家を出発する時間がおおむね決まっており、遡(れば起床の時間も一年から二年になっても変化をしていないという事実をもってその答えとしたい。一回間に合いさえすれば、次からも同じ時間での発走となるのは、実は人間が持つ経験値蓄(積(の結果と言うべきだろう。用もないのに早朝の学校に行きたがる生徒なんざ、ボロ校舎に倒(錯(的な趣味を持つフェティシズムの持ち主だけさ。
特に本日、陰(鬱(たる通学路の途中、毎度のことながらひいひい言いつつ坂道を上っていると、背後から意外な人物の声がかかった。
「キョン」
国木田だった。俺の後を急いで追ってきたんだろう、国木田は荒(い息を吐(きつつ、それ以上に、今まで見たことのない、どこか途方に暮れているような顔を見せて、
「キミは僕が昔から知ってるとおりの人間だね。今も変わってない」
突(如(、朝方の挨(拶(とはやや趣(の変わった第一声を放った。
何だ、改まって。今こんなところで俺への感想を述べる必然性が解(らんぞ。
国木田は俺の横に並び、俺は心ばかりに歩調をゆるめた。若(干(呼吸を和(らげた国木田は、俺の不(審(気な表情を無視して、
「佐々木さんもそうだね。中学時代と同じだ。今でも僕の彼女に対する印象は変わらない」
それが何だ。どうして佐々木の名がお前の口から出てくるんだ、このタイミングで。
「つまりさ、僕もキョンも佐々木さんも同じような高校生だってことだよ。でもね、九曜さんに最初に会ったとき、僕は何か違うなって思ったよ。谷口には悪いけど、関(わり合いにならないほうがよいと直感したんだ。この直感が今も働いている」
鋭(い──。とも言えないか。あの九曜を見てうさんくささを感じないまともな人間がいるとも思えんからな。国木田の感想は至(極(まっとうなノーマル人間のそれだろう。
「普(通(で、普(遍(的で、平(凡(な人間ではない。いいのか悪いのかは判断できないよ。でも僕なら彼女と付き合ったりはしないね。谷口くらいのものさ。でさ、実はね──」
声をひそめた国木田の顔が接近した。
「ちょっと言いにくいんだけどさ。僕は似たようなことを朝比奈さんと長門さんにも感じるんだ。気のせいだとは思ってるんだけど、どこかが違(う。けれどあの鶴屋さんが足(繁(くキョンたちの輪に入っていることを考えると、それは警(戒(するものでもないだろうとも考えるんだけどね。いや、ごめんよキョン。気にしないでくれよ。一度言っておきたかったんだ。SOS団でまた僕の活動が必要なときはいつでも声をかけて欲しいね。できたら鶴屋さんと一(緒(がいいな」
その後、教室まで、俺と国木田はどうでもいいような日常的会話に終始した。国木田は言うだけ言ってそれっきりすべての興味をなくしたように、中間試験の心配や、体育の授業でする二万メートル走への愚(痴(を語っていたが、なかなか見事な日常話題への切り替(えだった。
こいつはこいつで俺にライトなアドバイスをしてくれているつもりなのか。特に鶴屋さんへの言(及(は、漠(然(としながらもなかなか核(心(をついた洞(察(力だと言わざるをえないだろう。
ここにも俺たちをよく解らないまでも心配の種としている同級生がいるわけだ。何しろ国木田は俺と佐々木を知っているほぼ唯(一(のクラスメイトだしな。俺たちの間に何か奇(妙(かつ歪(んだ関係性めいたものがあると感づいていてもおかしくない。聡(く、親身になってくれる友人を持って俺はなんと幸せ者か。テスト前のヤマ張りでもお世話になっているし、中学時代からのつき合いでもあることだし、そろそろハルヒにかけあって単なるクラスメイトその一以上の認(識(を与(えるべきだろう。ただし谷口は除かせてもらうがな。奴(には永遠の一人漫(才(師(がお似合いだぜ。
きっと国木田もそう思っているのだろう。だから、先ほどのようなセリフを俺たち二人しかいない、このタイミングで俺に吐(露(したんだ。
どうも俺の周辺の一(般(人(ほど、なんだか妙に勘(がさえてくるみたいだな。誰(の影(響(だろう。
午前午後の学業時間はこれということもなく進行し、俺が授業の半分くらいをうつらうつらしている間にいつのまにか終業のチャイムが鳴っていた。
放課後、以前宣言したとおり、ハルヒと朝比奈さんは長門の看病に直行し、文芸部室には俺と古泉の男子二人組が取り残されている。レギュラー三人娘(が来ないと解っている部室のなんと殺風景なことだろう。ついでに仮入団を希望する一年生だって人っ子一人現れない。まあ、そっちは現れなくてもかまわないし、新入生からオールシカトを受けている事態は、俺個人的にはむしろ有り難(い。今こんな状(況(でやって来られても店長が休み中に面接に来たバイト希望者に対する扱(いなみに対処に困る。
「ん?」
そこでハタと気づくのだ。つまるところ、やはりハルヒあってのSOS団なのである。あいつが不在ではまったく運営が成り立たず、説明会だって出来ない。機関車なしの客車に駆(動(力は存在せず、ただ線路上にて漠然とした不安を抱(えつつ立ち往生するだけだ。
むっつりとした沈(黙(に身を任せていたら、
「どうでしょう。ボードゲームのあても尽(きてきたことですし、たまには身体(を動かしてみませんか」
古泉が不自然さ丸出しの朗々たる声(色(で呼びかけてきた。
「いいだろう」
なんとなく一暴れしたい心境ではあったのだ。
古泉は戸(棚(の上に積まれていた段ボールを降ろし、その中身を俺に見せつけた。
へこみだらけの金属バットにボロいグラブは、以前、市が主(催(した草野球大会に出たときのものだ。野球部からせしめてきたセコハンの野球道具をハルヒは処分しようとせず、かたくなに保存し続けているのである。どうでもいいものを巣にしまい込むハムスターかあいつは。よもや今年も野球大会に出るつもりなんじゃないだろうな。出るくらいならいいがホーミングバットと俺のマジカル投球でのイカサマを二年連続で披(露(したんじゃさすがにひんしゅくを買うだろうし、俺としても二度とピッチャーマウンドに立つつもりはないぜ。まだ草サッカーのほうがマシだ。
段ボールの中を覗(くと、硬(軟(どちらの野球ボールもなかった。代わりにハルヒがどっかから拾ってきたテニスボールが転がっている。中庭でするんだったら野球のものよりこっちのほうが安全だろう。
俺と古泉はあちこちささくれだらけの野球グラブと蛍(光(イエローの毛羽立ったテニスボールを手に、客人など訪(れそうにない部室を後にした。
中庭は完(璧(に無人だった。帰宅部はとっくに任務を果たして校内には残っておらず、文化部もそれぞれの部室で何かそれっぽい活動に従事していると見える。聞こえるのは吹(奏(楽(の下手なラッパの音ばかりだが、それもグラウンドから響(く運動部部員たちのやけっぱちのようなかけ声にかき消され気味である。
おかげで昼休みには弁当を広げて囲んでいる生徒たちの姿も見えず、俺たちのキャッチボールを阻(害(するのはところどころに植えられた桜の木だけだった。もう花びらはほとんど残っておらず、蓑(虫(が喜びそうな新緑が勢力を伸(ばしている頃(合(いだ。
「では、まず僕から」
とことんさわやかな古泉が山なりボールを俺に投げた。
受け止めた俺のグラブにはほとんど衝(撃(も音もない。手加減しているのが見え見えだ。
俺はテニスボールを握(りしめ、サイドスローで投げ返した。
「ナイス、ピッチ」
受け止めた古泉がいつものおためごかしを宣(い、ボテボテのゴロを内野手がファーストに投げるような余(裕(さでこっちにボールをよこしてきた。
しばらくの間、古泉相手に暇(つぶしとしか言いようのないキャッチボールを続けているうちに、俺は忘れかけていたような、むしろ忘れたかったような橘の言葉を否(応(なしに思い出した。
──尊敬しちゃう。
SOS団の形式的な副団長を尊(崇(の対象とする人間などそうは多くない。ツラと人当たりだけはいいから同級の女子どもに人気があるというのを差し置くとして、
「古泉」
「何でしょう」
「いや……」
俺は口ごもり、口ごもった自分に舌打ちをしたくなった。古泉こそが超(能力集団の首(魁(で、森(さんも新(川(さんも多(丸(兄弟もその手下であったなど、すぐさま信じ込むほど俺は素(直(ではない。
「なんでもねえ」
不自然に言葉を切った俺に対しても、古泉はさっぱり不(審(げな顔色を見せず、むしろ何もかもお見通しのような口調で、
「では、僕からも一ついいですか」
逆質問を返してきた。
「グノーシス主義という言葉に聞き覚えはありませんか」
「まったくないな。政治全(般(には疎(くてね。共産主義と社会主義の違(いもよく解(らん」
「それは解っておいたほうがいいと思いますよ。後学のためにね」
古泉は苦(笑(し、グノーシスですが、と言葉を続けた。
「どちらかと言えば思想的、または宗教的な主義の一つです。異国の宗教行事を都合よく無節操に取り入れる、我々の住む多神教ライクな国には馴(染(みにくい概(念(かもしれません。端(的(に言うと、唯(一(絶対神を信(仰(する方々の中でも異端と呼ばれる一派の主張です。その成立時期は相当古くまで歴史を遡(らねばならないでしょう。今でこそ完全に異端認(定(されていますが、キリスト教が確立した頃(にはすでにあった考え方ですよ」
あいにく公民の授業はほとんど睡(眠(時間に費(やしているのでね。お前が何を言わんとしているのか、ちと見当がつかんよ。
「では、グノーシスについて一くさり述べさせてもらいます。ダイジェスト風味になりますが、どうかご容(赦(を」
小学生にも解るくらい簡潔にまとめてくれるんだったら、俺に反対意見はない。
「この世界はあまりにも悪徳に満ちている。と、昔の人は考えたんです。もし全知全能にして無(謬(の名をほしいままにする神が世界を創造したのだとしたら、これほどまでに理(不(尽(な苦しみを人間に与(えるものになるはずがない。もっと完全なるユートピアになっていてもおかしくはない。にもかかわらず、世界は社会的矛(盾(による不条理によって蔓(延(し、時として悪が栄えて弱者は虐(げられる。なぜ神は、このように酷(い有り様の世界を作り、ただ放置しているのか」
バッドエンドルートに入ったことに気づいてやる気をなくしたんだろう。
「そうかもしれません」
古泉は手元のボールを放(り上げ、ひったくるように空中でつかんだ。
「ですが、こうは考えられないでしょうか。ごくごくシンプルな回答です。すなわち、世界は善なる神によって創造されたのではなく、悪意ある神的な何者かによって設計されたのである、と」
どっちでも似たようなもんだろうな。間違った設計図に基(づいて家を建てちまった大工に悪意があったのかどうか、それは司法の判断に任せるさ。
「で、あるならば、神がしばしば悪逆非道を見(逃(すのは当然のことです。その本質は悪なのですからね。しかし、人間は何も悪人ばかりではない。ちゃんと善なる性を持っているのです。悪を悪として認識できるということは、対比としての善を知っているという証(拠(でもあります。もし世界が一分の隙(もないほど悪で満たされていたならば、そもそも善などという概念すら生まれないでしょう」
指先でボールを自転させながら、
「そこで昔の人々は、世界は神の偽(物(が作り上げたのだという考えに至ったあげく、かつ自分たちがその認識に到(達(できたのは、どこかに真なる神が存在していて、人間たちにわずかながらの光を差し伸べているに他(ならないと確信したわけです。つまり神は世界に内在されていないものの、外界から人々を見守っているのだと」
そうとでも思わないとやりきれなかったんだろうな。
「まさしく。もっとも、世界の創造主を悪(魔(呼ばわりしているわけですから、通常の信仰を持つ多数派の信者からは当然ながら弾(圧(の対象になりました。アルビジョワ十字軍はもう世界史でやりましたか?」
どうだったかな。あとでハルヒに聞いておくよ。
「ちなみにこのグノーシス主義ですが、割と現代にも合(致(する教義を持つと言ってもいいでしょう。というのも、有史以前より、人類の精神は言うほどには変化していないんです。我々が考えられるようなことは、昔の人にも可能だったんですね。いくら科学技術や観測精度が進歩しても、生物学的な思考レベルが劇的に向上することはありません。我々が進化の袋(小路(にさまよい込んでいる現状は、何も今に始まったことではないのです。人類史における永遠の命題ですよ」
論理の飛(躍(があったような気がするが、学術的なツッコミを不得手とする俺は小(賢(しく沈(黙(を守っていた。下手な注(釈(のおかげで会話の脱(線(事故を起こすのは俺の主義じゃない。
「と、まあ。そういうわけで、今の我々を取り巻く現状を整理しますと──」
長々とした説明セリフは前振(りだったわけか。いつも通り、古泉らしい回りくどさだ。
「橘さんの一派は、涼宮さんを偽(りの神だと考えているのですよ。彼女はこの世界を構築した創造主ではあるのかもしれない。しかし、彼女はあまりに無自覚であり、その無自覚さによる、まさにその一点の事実によって、真の神たりえない。だとするならば、どこかに彼女たちの信(奉(に足る真実の神がいるはずなのだ、と。そして彼女たちは発見しました。発見したと思いこんだだけかもしれませんがね」
それが佐々木か。俺の中学時代のクラスメイトにして、自(称(親友の風変わりな女。
「閉(鎖(空間のこともありますしね」
古泉は世間話のような口調で続ける。
「涼宮さんの閉鎖空間は破(壊(衝(動(に満たされています。創造主にしては建設的ではありません。まさかあの空間で公共事業を盛(んに誘(致(しているわけでもないでしょうし」
クソつまらないジョークを織り交ぜつつ、
「一方の佐々木さん、彼女の閉鎖空間は非常に安定していると聞いています。まるで定常宇宙論のようにね。そこにはどうやら永遠の静(謐(がありそうです。人によったら、そちらの世界を望む者も多いでしょうか。《神人》も何もない。静かで安心感のある非現実空間というものを」
俺は思い出す。淡(い光に包まれた誰(もいない街角。無人にしては、なんとなく柔(らかい気配を感じる、どこか優(しさを垣(間(見(せる空間。ゆっくり受験勉強でもするなら自習室に困っている学生がわんさと入場許可を求めてきそうではある。
「さらに言えば──」と古泉。「佐々木さんのように常に発生させ続けているほうが問題は少ないのですよ。とはいえ涼宮さんはまともな精神の持ち主ですから、意に添(わないことがあったとしてもすぐに爆(発(するわけではなく、ちゃんとこらえることを知っています。これが導火線に火のついた状態ですね。途(中(で消火できれば何事も起こりませんが、積み重なれば火薬庫にまで火が届くのです」
あいつは二十世紀初頭のバルカン半島情勢かよ。
「どかん」
と、口で言いつつ古泉は両手を拡(げ、
「かくして閉鎖空間が発生し、《神人》が拡大を促(進(する」
古泉はアゴを撫(でつつ、とっておきの推理を開(陳(する名(探(偵(のような芝(居(で言った。
「その逆で、佐々木さんは常時、定量の閉鎖空間を展開させつづけることによって、暴走を食い止めている。そういう理(屈(でしょう」
で、どっちがマシなんだ? ため込んだ物を不定期に発散させるのと、常にダラダラと垂れ流すのとでは、どちらが万(人(にとって好ましい?
「さあ、そこまでは」
あっさり古泉は回答を放(棄(して、ボールを親指で弾(いた。
「僕は涼宮さんの側ですから、判断が偏(らないとは言えません。誰が客観的に判断するのだとしても、僕ではないことは確かですよ。僕は僕の役割をひたすらこなすだけです。職分を超(える事態には不加入を貫(き通すだけの自信はありますよ。それが得意分野ならまだしも、僕の目は涼宮さんに関する限りやや曇(り気味でしてね。誰か涼宮さんと佐々木さん両方をよく知る何者かに任務を依(願(したいところです」
はてはて、いったい誰のことやらだな。
「もう一つだけいいでしょうか」
古泉の口調は春先のヒバリのように軽(やかで、
「今この時点で、我らSOS団は未(だかつてないレベルで団結しています。外宇宙生命体だの地球土着の未来人だの、涼宮さんシンパの限定超(能力者だの、そんな垣(根(は完全に無きに等しいんです。僕たちは完全に一つの目的に向かって思(惑(を一(致(させている。中心人物はもちろん、涼宮ハルヒさんと、そして──」
舞(台(監(督(から演出の指示でもあったようなタメを作り、大げさな身振りで囁(いた。
「あなたなんですよ」
しらばっくれるのもどうかという気がしたので、俺は手にしてたミットを意味もなく叩(いた。おらばっちこい。古泉のセリフを待つ。
「これはSOS団全員に関係する問題です。誰もが関(わっているのですよ。長門さんと九曜さん、朝比奈さんと藤原なる未来人、僕たちの『機関』と橘京子一派。あなたと佐々木さん。これらすべて、一本の糸で繫(がり、絡(み合って、ただ一つの中心点へ向かっているはずです。その中心で、何かが起こる。何が発生するのかはともかくとして、必ずアクションの結果としての結論が出るはずです。これはもう、あなただけの問題ではなくなるかもしれませんね」
「じゃあ、俺は何をすればいいんだ? 道(化(か? 傍(観(者(か? 後世の歴史家のために記録係に徹(すればいいのかよ」
「どれでもいいではありませんか」
古泉はツーシームかフォーシームか選ぶようなピッチャーのようにボールの縫(い目に指をはわせながら、
「その時が来たらすべきことなどすぐに理解できるでしょう。またはそうせざるを得ない状(況(になっているかもしれない。あなたは自分の意志に従って実行すればいいんです。考える必要などないかもしれません。人間、決断力さえ衰(えていなければ、とっさに最適な行動を取るものです。あなたの行動は今までずっと正しかった。次もそうなるであろうと、僕は確信半ば、期待半ばでいるのですがね」
それだけ言って、すべてを言い終えたのだろう。古泉は再び俺にボールを投げ込んできた。なかなか伸(びのあるストレートだった。グラブに収まったボールを握(りしめながら、俺もまた聞くべきことは聞き終えたようだなと判断していた。
確かに──。
古泉でも朝比奈さんでも長門でもない。当然ハルヒなんかではあるはずがない。
ケリをつけなければならない役割は俺にパスされたのだ。最初からそうだったんだよな。いつもなら「やれやれ」とでもうそぶくところだが、封(印(したセリフを開封するまでもない。
俺は最初からその気だったんだ。ずっと気づいていた。むろん、何をすりゃいいのかまでは知らん。だが、やってやるさ。長門がひっくり返り、ハルヒと朝比奈さんの心配顔が脳みそのどっかでちらつきやがる。あげくに古泉とキャッチボールだと?
こんなの俺のすることじゃねえ。SOS団の業務にこんなくだらない作業はないはずだぜ。これまでもこれからもな。
「ふん」
俺は大きく振(りかぶり、ワインドアップモーションで古泉のグラブめがけて渾(身(の一球を放った。
「ナイス、カーブ」
称(えてくれたが、俺はストレートのつもりだったんだがね。
「まあ、いいか」
俺らしいといえばいやいやながらも納(得(するような結果だ。さぞかし打者も幻(惑(されてくれることだろう。
では、投げに行くとするか。誰(になるかは解(らんが、そのバッターに。
俺の渾身の変化球を。
投じた俺のボールが古泉の手元で小気味いい乾(いた音を立てた。
「もし俺がスーパーマンみたいなアメコミのヒーローに変身して──」
あり得ないはずの展望とは解りつつ口にしてみた。
「それで、この世の一(切(合(切(をバンバン解決するだけの能力があればな。この際だ、正義の味方になるなんてのは拒(否(して、ただ気に入らないやつを片(っ端(からボコっちまうんだがよ」
返球しようとしていた古泉はモーションを止め、ジャングル奥地の珍(しい希少動物を発見したような生物学者の目で俺を見つめた。ふふふと、特有の薄(い笑いの後、
「不可能ではないんですよ。涼宮さんがそう願えばいいのです。あなたに隠(された力が存在し、日夜混(沌(とした何者かと死(闘(を繰(り広げている──、そんな設定だけでも彼女に信じ込ませることができれば、あなたは思い通りのスーパーヒーローになれるでしょう。なんでしたら協力を惜(しみませんが、どうでしょう。パンチ一発でエイリアンを吹(っ飛ばし、裂(帛(の気合い一つで未来人の思(惑(を粉々に破(砕(する、そういう武闘派をお好みですか? 繰り返しますが、涼宮さん次(第(でそれは決して不可能ではないのですよ」
考える時間はまったく必要でなかった。それは俺の役割じゃない。突(如(として超(常(能力に目覚めて目下の敵をバッタバッタとなぎ倒(す? それも武力でだと?
いつの時代のジュブナイルだよ、そんなの。三十年も前にすたれたはずじゃなかったか? 今時そんなのやろうってのは、レトロブーム以前に人間の文化的精神がとんと進化していないという明白な証(拠(じゃないか。俺はもっと新時代の物語に接したい。
なんせ、あいにく俺はひねくれ者なんでね。王道やマンネリなどくみ取り式トイレの脇(に置かれている紙くらいの価値としか思えないのさ。
俺は古泉の投げ返してきた超スローカーブともとれる山なりボールを受けとり、さてこのテニスボールにどんな回転を与(えれば打者の意表をつく魔(球(を投げることができるだろうかと考え始めたものの、下手な考え休みに似たりという格言を思い出したにすぎなかった。
キャッチボールにも飽(きたので、俺と古泉は部室に帰(還(を遂(げた。当然、誰もいない。入団希望の一年生など影(も形も霊(体(もいやしない始末であり、多少は意外に感じるところでもある。あんだけ新入生がいるんだから、一人くらいは頭のギアが風変わりなのがいてもいいと思うんだが、こんなことを考えるのは俺の脳(味(噌(にハルヒ色のテイストが加わりつつあるからかね。
ハルヒと朝比奈さんからは何の連(絡(もなく、たぶん長門の部屋でわいわい楽しくやっているんだろう。便りの無いのは無事の証拠だ。きっとハルヒは長門の症(状(をこじらせた風邪(程度に考えていて、独自の民間対(症(療(法(で意地でも直すつもりだ。いろいろ手伝わされているだろう朝比奈さんは、長門を苦手としているはずだが、弱っている仲間を目(の当たりにしてイデオロギー的対立などすっかり忘れていることだろう。大人の朝比奈さんはともかく、今の朝比奈さんは底(抜(けにいい方だ。ナース朝比奈、まさか本当にナース服ではいないだろうが。
部室に戻(ってきたものの、他(にすることは、プロ野球でわずか1イニングも持たずに降板したルーキーの先発ピッチャー並みになかった。
というわけで古泉とのキャッチボールの後、たらたらと後かたづけをして、パソコンの電源が最初からついていなかったことも確(認(し、施(錠(した上で、俺たちは学校を後にした。いい機会だ、とっとと帰宅して覚(悟(を再確認するための瞑(想(の儀(でもしとくか。
愛用の自転車を玄(関(先(につっこみ、鍵(のかかっていない扉(を開いた俺の目に映ったのは、脱(ぎ散らかされた妹の小さなカラフルシューズと、見慣れない黒いローファーだった。大きさからして女の子のものだろう。またミヨキチが上がり込んでいるのかと、特に考えることもなく階段を上って自室に入った俺は、すんでのところで出来もしないバク宙をしてしまいそうなくらい、のけぞった。
ちょこんと座ってニコニコしている妹が無断で俺の部屋に出入りしているのは今(更(驚(きはしないが、その相手をしている女の姿には田舎(の山道でオニヤンマが額にぶつかってきたくらいの衝(撃(を受けざるを得ない。
シャミセンを膝(に乗せ、愛(おしそうに顎(を撫(でてやってるそいつは、俺を見上げると目を細くして微笑(んだ。
「やあ。いい猫(だ。知っているかい? 誰かのエッセイで読んだんだけど、種類や血筋とは関係なく猫にはアタリとハズレがあるそうだ。明確な基準は飼い主の自主性に任されているらしいのだけどね。僕の見る限り、このシャミセンくんは大当たりだよ。いや、オス三毛猫という福々しさだけじゃない。何というか、適度に聡(く、適度に獣(性(を残している彼は、ひょっとしたら人間の子供よりも人間のことを解(っているんじゃないかな」
「こいつは自分を猫だと思ってないんじゃないかって気がしている。人間より偉(そうな時があるからな」
「キョン、それは逆だね。猫は人間のことを仲間だと思っているが、それはあくまで猫としてだよ。猫たちは人間をちょっとばかり図(体(の大きい猫だと考えているんだ。だから遠(慮(なんかないのさ。だって彼らからしたら、人間は自分たちより俊(敏(でもなくエサの取り方も知らない、のろまで座ってじっとしているばかりの鈍(い生物なのだからね。そこが犬たちと違(うところさ。犬と人間は古代から同じ社会性を身につけなければならなかった。群れで生活するのは人間も犬も同じだからさ、なじみやすかったんだ。きっと犬たちは自分たちも人間の一種だと考えているのだろうね。だから彼らは飼い主やリーダーには忠実なのさ」
「佐々木」
俺は鞄(を下ろすことも忘れてかすれ声を出すばかり。
それからやっと、妹へ向き、
「オカンは?」
「晩ご飯のお買いものー」
我が妹ながら脳天気な返答だった。
「そうか。まあいい。とりあえず早く出て行け」
「えー」
ふくれ面(を作った妹は、
「せっかくお姉さんと遊んでたのにー。キョンくんいじわる?」
精(一(杯(の愛(嬌(を振(りまいて小首を傾(げるが、
「じゃねえ。俺は佐々木と大事な話がある。というか、佐々木を家に入れたのはお前か。あれほど一人の時は知らんやつを家に入れるなと」
「知らない人じゃないもーん。佐々木お姉さん、キョンくんが前によくつれてきてたよねー。玄関までだったけど、自転車で一(緒(に出かけるとこ、しょっちゅう見たもんねー。ねー?」
こまっしゃくれた顔で妹は佐々木に同意を求め、佐々木は苦(笑(混じりにうなずいた。
「覚えていてくれたようで幸(甚(だ。いやあ、子供の成長って早いね。見違えたよ。うん、もう子供というのは失礼かな。立派な少女と言うべきだろう」
そうか? 俺にはあの頃(から見た目も中身も全然成長しているようには思えないが。
「兄妹(なんて、そんなものだよ。幼い時分から一緒にいるものだから身近な風景の一部になっているのさ。日々の成長をリアルタイムで見ているせいで、その結果をアナログ的にしか判断できないんだろう。一方、僕はデジタル的に観察する他ないので、逆に成長著(しく思えるというわけだ」
もっともな話だが、俺んちの妹についての感想を述べに来たわけではないだろ?
「まあね。突(発(的に行動するほど僕は情動に支配されていないよ」
俺は佐々木の膝上でゴロゴロ喉(を鳴らしていたシャミセンを強(引(に引きはがし、妹に押しつけてその背を押した。
「にゃあ」
抗(議(的鳴き声をたてるシャミセンを無視し、
「ちょっとでいいから下で遊んでいろ。俺はこれから二人で話すことがあるんだ。お前らが聞いても面(白(い話じゃないし、遊ぶわけでもない。リビングの猫箱にマタタビスプレーがあるから爪(研(ぎ板にふりかけとけ。ついでにトイレの砂の交(換(とブラッシングしてやれば喜ぶぞ」
「ええー? あたしもお姉さんとお話ししたいーっ。キョンくんの話聞きたいのー」
シャミセンを抱(き上げたまま抗議の意を全身で示す妹を、俺は強引にたたき出した。扉の外でぶうぶう文句を垂れていたチビ小学生と猫一匹(は、しばらくわあわあニャゴニャゴ言っていたようだが、やがて階下に下りる音がして、おかげで俺の冷静さもようやく雲の上から戻(ってきた。
くくく、という佐々木の楽しそうな含(み笑いも俺を平常に戻す効果があったと言える。
「実に、実に、かわいいね。少し話しただけで解ったよ。あの子は紛(れもなくキョンの妹さ。成育環(境(がよかったんだろうね。なんだかんだと、兄が好きなんだなと知らされたよ。彼女にとってキョン、キミはまるで魔(法(のように何かをしてくれる一番近い肉親なのさ。猫が欲しいと思っていたちょうどそのときにあの三毛猫をつれてきたりとかね。ずいぶん尊敬しているようだったよ」
尊敬の念の片(鱗(すら感じたことがないのだが。二、三年前までの妹は本当に手のつけられない泣き人形だった。何回猿(ぐつわを嚙(ませてやろうかと思ったか。だが家族構成に妹が存在しない連中は妹という言葉に勝手なイメージをつけたがるものだと経験則的に解(っていたから、外的に見るとまあそんなものなのかもしれない。が、んなもんどうでもいい話だ。
と思っているところに、佐々木が追い打ちをかけた。
「ところで全然関係ないのだが、猫というものはどうして新(鮮(な水よりも風(呂(に入った後の残り湯みたいなものを飲みたがるんだろう」
何の話だ。
佐々木はくくっと含み笑いをし、
「だから最初に言ったじゃないか。全然関係ないと」
「そいで?」
俺はまだ肩(にかけていた鞄(をベッドに放(り出し、佐々木の前に胡座(をかいて、微笑(ましい表情を崩(さない同窓生の顔を見た。
「これからどんな話を聞かせてくれるんだ? できれば関係のある話を聞きたいんだがな」
「いろいろだよ」
佐々木から向けられた視線は八分咲(きの染(井(吉(野(のように柔(らかだった。
「そろそろキミも限界に達しているんじゃないかと思ってね。前回の会合は様々な意味で横やりが入りすぎたよ。僕としては、こっそりキミと水入らずで話す機会を狙(っていたのさ。てっきりキミの方から提案があるんじゃないかと昨夜中寝(ないで待ち続けていたんだが、さっぱり音無しだったのは軽くショックだったぞ」
そんな大げさなもんでもないだろう。こっちはこっちで途(方(に暮れていたんだ。異星人相手にどんな手を打てばいいのかとか、銀河パトロールの受付センターはどこのタウンページに載(っているのかとかさ。
佐々木は自分の仕(掛(けた罠(の在処(をすべて知っている悪戯(小(僧(のような顔で、
「薄(情(だなあ。いいさ。僕はキミの対応には慣れているからね。寛(容(の精神で受け入れるにあたって躊(躇(はない。では率(直(に、本題に入ろう」
俺には本題とやらが何なのか曖(昧(模(糊(としていたが、とりあえずうなずいておいた。そこまで言ってくれるからには、ここは黙(って佐々木的意見を拝(聴(しようじゃないか。わざわざ自宅訪問までしてくれたんだ。何か耳よりな情報をお聞かせいただけるに違(いない。
「まずは周防九曜さんについて僕なりに試行錯(誤(した上で、まとめた見解を述べよう」
確かにそれは俺の耳が聞きたがっている情報の一つだ。ダックスフントの耳なみに傾(ける価値が大いにある。
佐々木は膝(に付着していたシャミセンの抜(け毛をふと摘(み上げ、見つめながら、
「僕は子供の頃(から、地球外生命体がいるのなら、いったいどんな姿形をしているのかと想像していた。小説やマンガでは、光学的に視(認(できる形状のものが多かったし、ある程度の意思疎(通(も可能であることが前提条件だった。たとえば素数の概(念(を理解してくれたりね。翻(訳(機という便利なアイテムが登場することも稀(ではなかったな」
そこから始まる宇宙的対話がキモであるSFは枚挙にいとまがない。これでも俺は長門の影(響(で最近の小難しい海外SFを多少は嗜(んでいる。フィクションから学ぶことだって多いのさ。
「ま、それはそれで置いておくとして、」
と、佐々木は摘んでいたシャミセンの毛をふらふらと揺(らし、
「長門さんの情報統合思念体や、九曜さんの天(蓋(領域については、どうやら人間の紡(ぐ解りやすい物語上の異星人とは根本的なズレがあるように思える」
火星や水星にヒューマノイドタイプの宇宙人がいたと書いていた前時代のSF作家たちに聞かせてやりたい言葉だ。たぶん当時よりもっと面白い物語活劇を書いてくれただろうにな。
「そうだね。SFに限定することもなく、例えばJ・D・カーがこの時代に生きていたら、現代技術を取り込んだ奇(抜(で新(機(軸(な密室トリック小説を大量に生み出して、僕を読書の虜(にしてくれたものなのにね。いっそカーを時間移動で現在に連れてこられないものだろうか。キミの朝比奈さんに頼(んでみてくれないかな。真(剣(にそう思うよ」
残念だが俺だって過去に連れて行かれたことがせいぜいで、未来には行けてない。きっと禁則事(項(やら何やらで、進んだ時間の世界には行けないことになってるんだろう。
「それは余談だけどね」
佐々木の細い指先から三色の細い毛がゆらりと落ちた。
すずやかな瞳(が俺の顔を捉(える。雑談は終(了(、というサインだ。
「思うに、彼女たちは僕たち人間の価値観と理(屈(が理解できないんじゃないかな。高次元の存在が無理矢理、人間のレベルまで降りてきているわけだから、何を話しているのかは解っても何故(そんなことを話しているのか解らない。あるいは、どうしてそんな話をする必要があるのか解らない、みたいにね。5W1Hのうち、誰(とどこは判断できても残りが全然ダメだとしたら、そんな存在とまともな対話ができると思うかい?」
思わないね。長門の言っていることすら納(得(不能に近いのに、九曜に至ってはフーダニットの部分でも問題があったようだったからな。
しかし佐々木は、
「この手のコミュニケーション不全は特に難しい問題ではない。たとえばキミはミジンコやゾウリムシの価値観を理解できるかい? 百(日(咳(バクテリアやマイコプラズマと一(緒(に談(笑(できると想像できるかな?」
俺の知能ではちと難しいことは確かだな。
「単(細(胞(生物やバクテリアが人間レベルの知能を獲(得(したとしても、きっと同じ感想を抱(くと思うよ。この二本足で歩く哺(乳(類はいったい何を考えて行動しているのかな、とね。人間はいったい何がしたくて生きているんだろう。人類はこの惑(星(と世界をどうしたいのか、と疑問以前に呆(れるかもしれないな」
俺自身、何がしたくて生きているのかなんて考えても解らんからな。全人類的に考えて圧(倒(的多数派であるとは信じているが。
「たとえばキョン、キミにとって一番大切なものは何だい?」
突(然(言われても、とっさに出てこない。
「僕もだよ。高度に情報の錯(綜(する現代社会において、価値観が定量化されることはまずないといっていい」
佐々木の表情と口調は変化しない。
「たとえば、ある人にとっては金銭かもしれないし、情報だと言う人もいるだろう。別の人は絆(こそが最も大切だと主張するかもしれない。それぞれ全然別の価値基準を持っているものだから、自分の価値観のみでこの世のすべてを判断することはできない──と、僕もキミも知っているだけの話さ。だからこそ、問われてすぐさま回答を出すことができないわけだ」
そうかもしれない。
「でも昔の人はそんな問いかけにそれほど悩(まなかったと思うよ」
そうかもしれない。
今でこそ情報は好きなときに好きなだけごまんと手に入る。しかしほんの百年、いや十年前でさえ入ってくる情報は限られていた。これが戦国時代、平安時代ともなるとどうだ。何かを選ぶことに対し現代人より躊躇(いは深いものだっただろうか。当時、選びようにも選(択(肢(は限られていたにちがいない。
多様性を増して選ぶ自由が増えたと言っても、逆に何を選べばいいのか悩むのであれば、むしろそれは多様化による選択の弊(害(になるんじゃないか? どれを選ぶべきなのか何の情報もないとき、人はより多くの人間が選ぶものを手に取るだろう。それだと本(末(転(倒(だ。多様化どころか、実は一極集中が進んでいることになる。価値観の均一化だ。
「どうも異星人たちは拡散よりも均一化を正常な進化と考えていたようなんだ」
佐々木の声は常に淡(々(としている。
「でも、どうやら違(う側面もあると気づいた気配があって、それはたぶん、涼宮ハルヒさんやキミと出会ったことがきっかけになっていると僕は推理するのだがね」
ハルヒはいい。あいつなら火星人に大統領制を承(認(させるくらいのことならやってのけるさ。しかし俺にそんなバイタリティはないぜ。
「いやいや、実際、キミもたいしたやつだ。話のほとんど通じない地球外生命体とのいざこざを話し合いで何とかしようとしているのだからね。なかなか真似(のできることじゃないよ。普(通(なら思いつきもしない。これはキミの経験則によるものだと推察する。うらやましいよ、キョン。話を聞く限り、長門さんはとても魅(力(的な存在だ。一度好きな本についてじっくり話し合いをしてみたいと心から思うよ。九曜さんは僕の前ではほとんど喋(ってくれないからねえ」
冗(談(めかしてはいるが、俺には佐々木が半分以上本気であることが理解できた。
「俺はいったいどうすればいいんだ?」
「では考えてみようじゃないか。幸いにして、藤原くんも橘さんも、そして九曜さんにだって言葉が通じる。これが僕たちの最大の武器なんだよ、キョン。考えて、導き出した言葉によって彼らをねじ伏(せればいい。簡単にとは言わないが、キミにはできるはずだよ。僕にもね。考えること、その考えを相手に伝えること、これは地球人類が生まれながらに持っている普(遍(的な能力であるのだからね」
高校二年生初期レベルの学力と知識でいったい何ができるってんだよ。それこそノーベル賞クラスの物理学者を総動員すべき問題じゃないのか? 俺はガニメデとトリトンのどっちが大きいのかも知らないんだぜ。俺に学力で劣(っていると確信できるのは谷口くらいのもんだ。
「その程度の問題は問題にもならないと僕は考える。なぜなら、これは涼宮ハルヒさんを中心に動いている物語だからだ。すべての基準は彼女の認識にあるんだ。あらゆる勢力はあくまで彼女の行動と知識を基本原則にしている。そこに僕らのつけいる隙(もあるというわけさ」
佐々木は一気に十歳ほど年を経たような、大人びた笑(みを見せた。
「かえって大人たちは邪(魔(にしかならないだろう。分(析(、解析、対処方法、時間を無(駄(にするだけの会合……。すべて無駄なことさ。いいかいキョン。これは僕とキミの物語でもあるんだよ。だったら、僕たちでなんとかするというのが筋と言えるのではないかな」
お前を巻き込んじまったのはすまないと思ってるさ。
「謝罪することはない。僕は今までになく楽しんでいるからね。お礼の言葉では足りないほどだから、キョンの望みであるならなんでも言うことをきくつもりでいるよ」
本気とも冗談とも判断できない口調で佐々木は、
「ゆえにだよ、僕とキミにも勝算は十分にあるんだ。ここはしがない星系の一惑(星(で、大宇宙の辺境に位置する小さな星を舞(台(としている以上、魔法のような力を持つ宇宙生命体だって地球の尺度で行動するしかない。きっと情報統合思念体と天(蓋(領域の間でもそんな制約、それか不文律があるはずだよ。でなければ二つの勢力ともこれほどまでに隠(密(作戦を継(続(する必要などないからね。未来人にも同様のことが言える。よくは解(らないが彼らは何らかの規制に縛(られているようだ。そのあたりに、原状回帰の突(破(口(があるのでは、と僕は推測しているのさ」
だが佐々木の考えや打つ手が正着手だったとして、どうやって証明する。
佐々木は、くくん、と特(徴(ある笑みを漏(らした。余(裕(綽(々(そうでもあり、クリスマスの晩にサンタモドキが望みのプレゼントを枕(元(に置いてくれるのを確信しているような、少女らしい笑みだった。
「近いうちにどうにでもなるよ。きっとね。今の状(況(をキミは望んではいまい。たぶん涼宮さんもね。当然ながら僕もだよ。これほど関係者の思(惑(が一(致(しているのに、違った方向へ進む状態があるとは考えられないね」
制服姿の佐々木はどこか楽しげであり、なんかデジャブを感じると思ったら、SOS団結成当日のハルヒの笑顔に重なった。あの時のハルヒが真夏のヒマワリならば今の佐々木はアサガオのようなという印象的相(違(はあったが。
「それで──」
それで、お前は何を伝えに来たんだ。
「直接会って話したかった。それだけだよ。他(の人物がいない、ただ二人きりでね。もちろん電話でもメールでもなくね。壁(に耳あり障子に目ありというだろう?」
一(瞬(妹が扉(に耳を押し当てているところを想像したが、ふと気づいた。佐々木は盗(聴(を警(戒(しているのか。電話の盗聴など、多少組織力のあるグループなら容易にやってのけるだろう。古泉はともかく、森さんや新川さん……あるいは橘京子と藤原の一派。そのことをそれとなく伝えるためなんだとしたら、この不意打ちのような訪問にも理(屈(がつけられる。
「それともう一つ。どうやら藤原くんは早めに片を付けたがっているらしい。そんな感じがするんだ。橘さんは吞(気(で九曜さんは正体不明だが、未来人の彼は実に功利的で目的意識がはっきりしている。タイプ的に後でも先でもいいことなら早めに終わらせたがる人間のようだね。だから、きっと明日にでもアクションを起こしてくるんじゃないかな」
もし俺が邪(馬(台(国(の時代にトラベルしたらあちこちほっつき歩いて、陳(寿(の記述がどのくらい正しかったのか確(認(して回るぞ。藤原もゆっくり過去見物でもしてりゃいいのに、せっかちな野(郎(だ。それともこの時代には考古学的な価値などないと言うのか?
「でも、その方がキミもいいだろう?」
このあやふやな状態をどうにかしたい、長門の熱を下げてやりたいのは本心だ。
「これはまったくの想像だが」
と、佐々木は前置きして、
「僕たちが直面している問題は、単純なる存在意義の証明なのかもしれない。誰(も彼もが、己(のレーゾンデートル、存在証明を確固たる事実にしようと努力しているのかもしれないのさ。宇宙人も未来人も超(能力者も関係ない。ただおのおのが、自分たちが確かに存在しており、他の誰かもまた自分自身の存在を認識してくれている、という唯(一(にしてシンプルな行動理念によって動いているんじゃないかな。だって、キョン。キミはもう九曜さんや藤原くん、橘さんが今ここにいるということを認識しているだろう? 仮に彼らがこれっきりで姿を消してしまったとしても、決して忘れることがない程度にはね。この時、この場所に、彼らは疑いようもなくこの世界にいたんだ。彼・彼女たちの望みはただ一つ、我々を忘れないでくれ、という簡潔で悲痛なメッセージなのかもね」
よく解らん。そんなの何もこの時代でしかも俺の前でしなくてもいいじゃないか。俺が奴(らの姿形と言動を死ぬまで忘れないだろうことには疑いを持たないが、だからそれが何なんだ。俺は記録癖(のある宮仕えの文官でも歴史書編(纂(担当者でもないんだぜ。タキトゥスやヘロドトスが生きている時代で大(騒(ぎをすりゃいいだろう。そうじゃなくても今の世にだって似たような趣(味(の人間はいるはずだ。
などと、俺が佐々木の言葉を反(芻(している間、元同級生で元塾(仲間の女は、なぜか両手の握(り拳(を自分の頰(に押し当てて目を細め、マッサージをするようにぐりぐりやっていた。なんだ? 美顔効果でもあるのか?
「いや」
佐々木は手を離(して、
「どうもキミと話しているときは何だか笑っているような顔に固定されているようでね、顔面の筋肉がどうも強(ばっていけない。今はちょっと真(剣(な話をしているわけだし、こうすれば少しは表情も変わるかと思ったんだが、どうかな」
ナナホシテントウとニジュウヤホシテントウの違(いを見分ける程度のレベルで観察してみてたが、どうやっても特に変わりはないと言うしかない。ニヤリというかニコリというか……、そういや佐々木が微(笑(以外の感情表現を表す顔など中学時代から見たことがないな。
そうして佐々木の顔を眺(めているうちに、ふと気になった。
「お前の存在意義は何なんだ」
この唐(突(な質問を予測していたように、即(座(に答えが返ってきた。
「人類の一員としては言うならば、当然、自分の遺伝子を残すことに尽(きるだろう。子をなして自らの構成要素を後の世に伝える。これは生命体の本質だよ。少なくともこの地球上のあらゆる生物はそういうことになっている」
そんな進化論的なことを聞いているんじゃないんだよ。だいたい俺たちからすりゃ、遺伝子の残し方は知っていても、だからどうしたという話なんだ。当分関係ないつもりだからな。
「やれやれ。人は何故(生きるのかとか、何のために生きているのか、なんて設問は禅(問(答(の範(疇(でしかないよ。観念的な意味があるように見えて、その実何の意味もない。でも、それを承知の上であえて言うのならば、僕の存在意義は第一に『思考すること』であり、第二に『思考を継(続(すること』と答えるしかないな。考えることをやめる時は僕が死んだ時だけであり、逆説的に、考えることをやめたらそれは死んだも同然と言える。僕という個は消え失(せ、ただ動物的な生が残るだけだろう」
くくっくと佐々木は低く笑い、
「僕は考え続けたいね。この世界の森(羅(万(象(について。死ぬその時まで」
思考の行き着く先に何が残るというんだ? いや、子作り以外でだ。
「秀(逸(な質問だよ、キョン。実に実に人間らしい問題だ。遺伝子以外に自分がこの時代に生きていた証明が後世に残るのであれば、何もアミノ酸でできた二重螺(旋(にこだわる必要はないんだ。有史以来、我々人類は様々なものを地球上に残してきた。無(駄(とも思える大がかりな遺(跡(から、小さくても画期的な道具の発明、当時は最(先(端(だったであろう先進技術、文化的な国家的芸術作品、全く新しい技術体系や未来へ続く理論……」
佐々木の表情を見ると、彼女の思考は時代を超(越(した脳内時間旅行に出かけているようだ。
「世界史で習うような歴史上の偉(人(たちは、偉人的な行(為(、それをもってして歴史に名を刻んだんだ。僕の身体(や心は矮(小(で非力なものでしかない。しかし僕の思考をとば口にして、未来まで続く新しい概(念(が生まれないとも限らない。いや、正直言うと僕が産出し、育てた何かを後の世に残したい。DNA以外でね」
壮(大(な野望だな。
「残すのは言葉でも概念でもいいんだけどね。野望と言えば、それが僕の唯(一(の野望だ。ただし僕は独力でやりとげようと志すね。異星人や未来人や超能力者なんかの力は借りない。僕の思考はただ僕だけのものであり、他(の誰(にも介(入(して欲しくないのさ。結論は僕自身の手で導き出したい。僕は自分の存在意義を、そのようなものとして定義しているんだ。誰の干(渉(も影(響(も受けず、僕の中からわき上がってくるオリジナルの言葉や概念を作り出したいんだよ。だからじゃまなのさ。九曜さんも藤原くんもね。橘さんは……まあ、あの子とは気の置けない良い友達になれるだろうな。彼女が唯一の救いだよ」
ここまで佐々木と根を詰(めて話したのは初めてのような気がする。本音らしきものを聞いたこともだ。だったら、俺も腹を割った言葉の一つでも放つべきだろう。
「佐々木。もしお前がハルヒのような力を自在に操(れるようになれば、望みが叶(うかもしれないんだぞ」
「ああ、キョン。そりゃあ僕だって一(般(的な人間だからね。様々な欲(望(や感情を持ち合わせてもいる。ふとした拍(子(にこいつ死んじゃわないかなとか思ったりもするわけだ。でも、もし願っただけでその誰かが死ぬようなことがあれば、僕はとてつもない衝(撃(を受けるだろうね。そして、耐(えられなくなるだろうね。ほんの少しだけでも思うことを自らに禁じなければならない。僕は涼宮さんのようにはなれないよ。彼女が本当に全能神のような願望実現能力を持っているのだとしたら、この世が平常心を保ち続けているのは奇(跡(に近い。それはすなわち、涼宮さんが奇跡的な存在であるというのとイコールだ」
佐々木はいつもの皮肉な形に唇(をつり上げ、俺をまっすぐに見つめてきた。
「もっとも、僕は神的な存在について否定の立場なんだけどね。たとえいるのだとしてもこの世にはいないさ。ましてや無自覚だなんてことがあるはずがないよ。考えてみたまえ。キミは好きこのんで金(魚(鉢(の中に入りたいと思うかい? 水族館のガラスの向こうに、動物園の檻(の中に、わざわざ外から入り込んで熱帯魚や飼い慣らされた野生動物たちの一員になることをよしとするかい?」
何かはぐらかされている気がするな。これだから頭のいいやつとはマンツーマンで話したくないんだ。せめて古泉の援(軍(を期待したいところだぜ。
「つまりはそういうことさ。高次元の存在がレベルの劣(る世界に降りてくることはない。人も神も変わりはしないさ。僕はそう思っているよ」
佐々木は大げさな手(振(りをして、半ば冗(談(めかすようにこう言った。
「涼宮さんは神のような存在らしい。そしてどうやら、僕もそう思われているようだ。彼女と僕、神モドキな二人から好意を寄せられているキミに、何も出来ないなんてことはない。そう、するとしたらキミがするんだよ。物語の幕を引き、次のステージの幕を上げるのはキミの役割だ。いい加減に自覚したまえ、キョン。扉(を開ける鍵(はキミ自身なんだ。キミがすべてのマスターキーを持っているんだよ」
ハルヒ消失時のキーパーソンには含(まれていたようだが、今回ばかりは自信がねえな。
「この事件はキミが解決することになる。現時点で僕の言える、これがささやかな予言だよ」
佐々木は朝方の鳩(のような笑い声を立て、
「僕は全(幅(の信(頼(をキミに抱(いている。なぜなら、キョン、キミは僕のたった一人の愛すべき親友なのだからね」
その表情はいくら顔面を物理的操作したとしても、やっぱり微笑(んでいるようにしか見えない。
「キミにならやれるさ。むしろ、キミにしかできないと僕は考えている。だったら、やはりキミがするべきだよ。神様みたいな涼宮さんにも、地球外生命たる長門さんにも、超能力持ちの古泉さんにも不可能だというのなら、一般人代表のキミしか残っていない。それがキミの特性であり、利点なんだ。キョン、キミは理由なく彼女たちや僕たちに出会ったわけではないんだよ。キミにはあるべき役割が必ずあるはずだ。僕が子供の頃(から手放せずにいる猫(のぬいぐるみを賭(けてもいい」
それが終(了(の合図だったのか、俺の部屋をくるりと一度眺(め回した後、佐々木は立ち上がって「おいとまするよ」と俺に微笑みかけた。ついでのように、
「送ってくれなくていい。キミももう充(分(、僕に愉(快(な時間を与(えてくれた。素(直(な妹さんと素敵な猫さんによろしく。次来たときには、もっと可愛(がってあげたいね」
そこから妙(な間が生じた。
佐々木は立ったまま、動こうとせず俺の面(をじっと見ている。俺はどうしていいのか解(らずリアクションのしようがなくただ棒立ちだったが、佐々木は今までになくためらいがちな口調で、
「実はね、キョン。僕が今日来たのは他にもう一つ、別の理由があったんだ。そんなに深刻なものではないよ。藤原くんとも橘さんとも九曜さんとも関係ない。ただ僕の学生生活についてね。ついてはその相談を持ちかけようかと思っていたんだが……」
佐々木の学校の相談事にのれるほど俺がよくできた学生であることはありえんな、だいたい佐々木が悩(む問題に俺が解答を出せるわけはないだろう、と思っていると、やはり佐々木も同感だったのか、
「やっぱりやめておくよ。こうしてキミと話ができてよかった。それだけで気が晴れた気分さ。よく解ったよ。所(詮(自分の問題は自分で答えを出すのが筋なんだ。ああ、やはり言うべきではなかったな。これが僕の弱さなんだろうな。誰に相談してもしかたのないことを、ましてやキョンに相談しようなんて、虫がよすぎたようだ。謝罪しておくよ」
勝手に何やら相談を持ちかけようとしてあっさり撤(回(された俺にしてみりゃ、白紙の問題用紙を出された直後に回収されたようなものである。佐々木が持ちかける相談事に俺がまともなアドバイスを即(興(で返せるわけもないから、己(のプライド的にも助かったと思っておいたほうがよさそうだ。
「でも」
と、佐々木は片(頰(を歪(める特(徴(的な笑(みを見せ、
「キミに会えて、話ができてよかった。踏(ん切りがついたよ」
玄(関(まで見送りに出た俺に、シャミセンを抱(いた妹がついてきた。抱き方が変なせいで、シャミセンはまるでチョークスリーパーを極(められているレスラーのような迷(惑(顔(をしている。
「また来てねーっ」と妹が喜色満面で叫(ぶ。
佐々木は二人と一匹(に笑顔で手を振り、後は振り返りもせずに姿勢よく歩いて、去っていく。
俺はその姿が角を曲がって消えるまで玄関先で眺めていたが、結局、佐々木は一度も振り返ることはなかった。俺へのもう一つの相談ごとが何だったのかは知らないが───。
実に佐々木らしい、清(々(しいまでに完(璧(な退去のポーズだった。
本当は何しに来たんだろう、と俺が考え始めたのは、夜、風(呂(に入っている最中のことだ。
妹が持ち込んだタッコングのビニールオモチャがプカプカ浮(いている光景を眺めながら頭を巡(らせたものの、長風呂のせいで十分血行が良くなっているだろうに、答えなんかそう都合よく頭(蓋(の外側に飛び出てくれはしない。結局言わなかったもう一つの相談事がメインではないのは明らかだが、そいつを棚(上(げしてもどうも収まりが悪い。
あと、佐々木との会話の中でうっかりスルーしてそのまま忘れてしまったワードがあったような気もしたんだが、なんだっけな? コマンド入力に失敗してディスクフォーマットしちまったHDDの中身なみに消え失(せちまってる。どうも俺の脳(髄(メモリはそろそろオーバードライブの兆(しがあるようで、まともな思考をするには高性能ヒートシンクを追加装備してクールダウンさせる必要があるらしい。と言いつつ、風呂に入ってたら血流を良くするばかりで何一つ冷えそうにないが、毎日の入浴と歯(磨(きだけは欠かすことのない俺の習慣であり、こればかりは違(える気は毛頭なく、とりたててきれい好きというわけではないものの、一日でも飛ばすと気持ち悪くなり、まあそういう人間は俺ばかりではないと思うぜ。そういうもんだろ?
それはともかく今日、佐々木がやって来てくれたおかげで、どこかホッとした気分でいると正直に告白しなくてはならないだろう。喋(ってみて改めて理解できた。あいつは信(頼(に足りるやつだ。話し口調と思考形態が少々風変わりなだけの、普(通(の女子高校生なのだ。中学時代から変わっちゃいない。もし佐々木が進学校ではなく、北高に入学していればどうなっていたかな。古泉と橘が同時に転校してきたかもしれず、そうだったら俺の高校一年生活もずいぶん混(沌(としたものになっていただろうが、そんなIF物語を夢想していても仕方がない。今考えることは他(にあるはずだ。
「しかし──」嘆(息(入りの独り言。「とは言ってもな」
俺の発した声が浴室の壁(でエコーする。正直、何も思いつかない自分に情けない思いをかみしめつつ、
「こうなったらもう、さっさと寝(て見る夢に天からの啓(示(があることを期待するしかないか」
単なる願望で終わりそうな希望的観測をつぶやきながら、俺は浴(槽(から立ち上がった。蛇(腹(のドアを開けると、足ふきマットの上で待機していたシャミセンが待ちかねたように飛び込んできて洗面器の水を飲み始め、しばらくてちてちと舌を鳴らしていたが、ふと顔をあげて、
「ぴにゃ」
という感じで鳴いた。それはまるで、俺の思い違(いを指(摘(するかのような猫(語(的警告の言葉のようだったが、問いただす前にシャミセンはカツカツと爪(が床(に当たる音を立てながら、さっさと階段を上っていった。行き先はどうせ俺の部屋のベッドの上だろう。
今度、九曜と会うときはあいつを連れて行ってもいいかもしれんな。シャミセンの頭の中に封(じられているナントカカントカ生命体が役に立ってくれるかもという、わずかな望みがなきにしもあらずだ───
が。
「やめておこう」
俺は他力本願という教義を放(棄(したんだ。ならば、どこまでも独力でやってやるさ。何ができるんだ俺に、なんていう疑問はちょっと考えないでおくことにして、それでも、やってやろうじゃねえか。佐々木の進言もあったし、何かの間違いで地球にやってきて犬に取り憑(くアホな精神生命体に期待すること自体が間違ってるしな。アンドロメダ病原体のような宇宙ウイルスもどきより、太陽系人のほうが地の利があると証明してやらないとな。
よし、九曜や藤原に現代地球人も捨てたものではないというところを、一つ見せてやろうじゃないか。本来なら地位も名(誉(もIQも俺より数ランク上のお偉(い人に委(託(すべきなのかもしれないが、涼宮ハルヒをめぐる非常識なアレコレを今(更(になって赤の他人に丸投げするなんてことはできそうにない。誰(もありがたがらないだろうし、なにより俺自身がそうしたくないのだ。これはSOS団に落ちてきた抜(き打ち試験なのだから、それを解くのも俺たちじゃないといけない。
そしてどうやら、今は俺が中心人物として右往左往すべき役回りにいつの間にかなってしまっているようだ。病(床(に伏(している長門の本音を聞かされたのは俺だけだ。本人が意識しているかどうかはともかく、長門は俺を頼(ったのだ。未(だ少数零(細(組織のSOS団、その仲間を救えずしていったい何が救えるって言うんだ? せいぜい妹の宿題手伝いとシャミセンの毛を刈(って丸(坊(主(にしたがっている母親の制止くらいだぜ。このままぼうっと流されるくらいなら、たまには故郷の川に戻(ってきた鮎(程度には流れに逆らってやろうじゃないか。
究極的な俺の目標は、長門を普段の状態に戻すという至ってシンプルなものでもあるし……。
おお、なんかノってきたような気がするぜ。
俺の克(己(心は絶賛鰻(登(り現在進行形である。この熱意が勉学に向いたならば母親は泣いて喜ぶだろうが、それとこれとは無関係だ、すまないオフクロ。とにかく、この決意を止められる知的生命体は地球の内外を問わず存在しない。おお。俺にも少しはヒーロー的主人公の素養が芽生えてきてるんじゃないか? 今が風(呂(上がりの素(っ裸(でなければ右手を天高く突(き出して、意味なく気勢の一つも上げていたところだ。
現時点における俺の勢いを止めることなど、何人たりとも不可能と言っていささかの瑕(疵(もない。きっと佐々木は、むっつりうじうじしていること梅雨(真っ盛(りなカタツムリにも笑われるレベルになってる俺にハッパをかけに来たんだろう。まるで関係なさそうな話を淡(々(としながら、聞き手の思考を誘(導(する、なかなか見事な高等心理術じゃないか。末(恐(ろしいやつだぜ、まったく。
「いっちょやってやるか。未来人と宇宙人と超(能力者をまとめて俺の可視範(囲(内からたたき出してやる」
言うまでもなく朝比奈さん(小)と長門、ついでに古泉は除いてだ。森さんと喜緑さんはどうすっかなー……。
とかなんとかと、実にらしくない夢想に酔(う俺だったが、景気のいいことを言いつつ心の隅(っこでは嫌(味(なまでに冷静なる別の俺が皮肉な自(嘲(を浮(かべてもいた。どっちかと言えばそっちの俺のほうが本来の俺自身かもしれない。肝(心(な時に水を差す超自我的な内面の存在を、自分自身、否定できなかった。
そっちの俺はこう言っている。
俺でなくても超絶ヒーローの役割を果たせるやつがいるんじゃないか?
他(でもない、ただ一人、あいつが。
いや、あいつこそが──か。
とかな。
──『涼宮ハルヒの驚(愕((後)』につづく