第五章 3

 お馴染みの茶店、かべぎわの席に三人の先客が三様の人待ち顔で座っていた。

 たとえうそっぱちでも愛想のいい印象をあたえるのは橘京子のみで、藤原は変わらず皮肉屋めいたうすぶつちようづら、九曜などはまつ一本目線一つも動かさない。昨日、朝倉と喜緑さん相手に大立ち回りしておきながら、何事もなかったかのように鉱物めいたストップモーションでチョンと座っているのはよほどの大したタマなのか、そんなものを感じる神経すらないのか。

「ふん」

 俺は鼻息を一つらし、シートに座る前にすかさず店内にエプロン姿のせんぱいがいないかどうか目玉を動かす全筋力を使して探したが、どうやら有視界内のはんちゆうにはおられないようだった。とうめい化しているのでなければ、バイトのシフトから外れているらしい。ってそんなわけないな。どこかにいる。こうしてまた俺たちがぞろいなる勢揃いをしてるのだ。観察していないはずがない。

 それでもいいさ。朝倉が出張ってくるよりは喜緑さんが場をわきまえないみで立っているほうがまだマシである。TOWとせんこうしゆりゆうだんくらいのちがいだが、むやみに殺傷兵器を持ち出して俺にきつけたりしないぶん、あのおだやかな先輩はかつてのクラスメイトよりりよ深いと言える。そう何度も異星人間のバトルフィールドにまぎれ込みたくはないもんな。

「こっちです。こっち」

 橘京子が気安く手をり、向かいの席を指差した。

「そこに座って。よく来てくれました。感謝するわ」

 そして佐々木にも、

「ありがとう佐々木さん。彼を引っ張ってきてくれて。お礼を言います」

「いらないよ」

 佐々木は奥の席にこしを落ち着けながら、

えんりよする、と言うよりは辞退すると言うべきだろうね。僕が電話しなくとも、いずれキョンとは複数回の会合を持たなければならなかったんじゃないかな。そうでもしないと永遠に僕たちは平行線のまま存続しなければならないことになる。違うかい?」

 最後の疑問形は藤原に向けられているようだった。しかして未来からの使者は、

「ふん」

 まるで俺を真似まねたように笑みもなく鼻で笑い飛ばし、

「かもしれない。だが、お前もあんたも」

 と俺の顔面をでるようないちべつをくれ、

「あまり自分たちを過大評価しないほうがいい。これは忠告ではなく──、ハ。警告だ。つら突き合わせての話し合いなど、僕にしてみればつまらない作業だ。こっちとは保有している知識もにんしき力にも大きな差があるんだからな」

 俺は腹を立てる前にいぶかしんだ。どうしてこいつは、いちいち俺のをあおり立てるようなことばかり言うんだ。何のメリットがある? 俺をこっちじんえいに引き込もうとするなら、もっと違う手を講じてもいいだろうに、藤原の物言いはあまりに正直で、なおすぎた。この裏表のなさは朝比奈さんに通じるものがある。ひょっとして未来人はみんなこうなのか。

 しかしそんな俺の胸に生じたひと欠片かけら躊躇ためらいも、

「さて、あんたがこれからどうしたいのか聞かせてもらおうじゃないか。強力な後ろだてを失った気分はどうだ? 何かにつけてあんたの言いなりだったエイリアンたんまつは今は動けない。さあ、どうやって自分たちを守る。僕が望む答えはその一点だよ。ぼうていを失ったぜいじやくな港があらしの夜にどうなるのか、見せてもらいたいものだ」

 その藤原のセリフと神経を逆なでする口調のおかげですいほうに帰した。ろう、どこまでもケンカを売るつもりか。小銭のはん内で収まるなら今すぐ言い値でテーブルにたたきつけてやろうじゃないか。俺がありもしないぶくろを投げつけようと反射的に手をさすっていると、

「まあ、キョン。まずは座りたまえ。実にキミらしい正義感のはつだが、乱暴ろうぜきは看過できないね。もちろんキミだけでなくここにいる全員もだよ。これでも僕は気の長いほうで、実際二年に一回くらいしかおこることはないが、そうなったらちょっと自分でもこわいくらいになるんだよ。ちょうど最後にふんげきを覚えたのが二年ほど前だね。今の僕はその記録のこうしんちようせんしているのだから、今日でリセットさせないで欲しいものだと切に願う」

 いつもと同じにゆうな音階だったが、俺は佐々木の言葉に従った。

 佐々木の怒ったところなど、泣いたり悲しんだりしているところと同じくらい見たことがなく、これからも見たくはなかった。笑顔が一番の似合いの顔だと思うのは、何もハルヒや朝比奈さんだけに限った話ではない。古泉はもう少し笑みを押さえ気味にして、長門は反対に表情をかんさせるべきだが、古泉はともかく長門をそうさせるには、確かにここで藤原とかくとうしても何の解決策にもならず、どうしてもせざるを得ないのだとしたら相手は未来人ではなく宇宙人のほうだ。

 そのように考えてにらみつけてやるのだが。

「──────」

 九曜はぼうっとした顔つきで俺の背後五メートルくらいの中空をまばたきせずにもくしているだけであり、まるで張り合いというものがなかった。自分の視神経を疑わざるを得ない。周防九曜がSOS団にとって無害であるわけがない。しっかりしろよな、俺よ。

 こいつのせいなんだ。

 俺はフライングダッチマンのような九曜を注意してなるべくぎようする。面積の大きすぎるかみ量と夕方のきつてんでは目立ちがちな女子校の制服姿。というか、どこにいたってこいつの姿は人目を引くこと疑いなしだ。

 なのに、ここにいるのは実体ではなく3Dホログラムなのではないかと思えるくらいの、まるで深夜に流れる動かないローカルテレビCMのような存在感はくモスキートぶりがいまいましいぜ。長門が込んでて、対するこいつがピンピンしているのは、俺的に不条理以外の単語が思いつかないほどなのだ。共々にたおれていたなら、ちっとは考えてやってもいいのに、こういったはいりよのなさ加減がまさに未知のエイリアンだ。情報統合思念体のヒューマノイドインターフェイスなんてもんがどういった意味を持つのかいまだに知らんが、長門や朝倉や喜緑さんはそれぞれに人間的な感じが───まだ、した。

 長門に関しては今さら解説するまでもないだろう。朝倉だって事あるごとにナイフを持ち出す以外はそこらにあふれているせい的な高校生以上に委員長として相応ふさわしかったし、喜緑さんは不確かながらも高校生的日常生活にけ込んでいる。二人とも、せめてものこころづかいか人間のフリを忠実に演じてた。

 九曜にはその意気がない。ホモサピエンスがどういう生命体なのか理解していない気配すらある。とうめい人間よりも存在感を主張していない。こいつのまとっている女子校の制服の中身は、まったくのがらんどうなんじゃないだろうか。服を着ているってより服から首と手足が生えているような感覚を覚える。覚えているのは俺だけのようだが、そんなん知るかっていう話だ。

 要するにうすわるい印象しか受けない。これがまだ人類の常識範囲にとどまる反応をしてくれたら俺だってそれなりのアクションを起こすのだが、何しろ相手は長門ですらディスコミュニケーションを表明するじんえた人外的パペットであり、そして挙動の読めないヤツほど対処に困るものはないのだ。ことここにおよんで言えば、ハルヒ以上の行動予想不可能状態だからな。

 俺のせいいつぱいな敵意オーラを感知したのかどうか、

「────────」

 九曜はれいとう寸前のナウマンゾウよりもかんまんな動きで両眼のしようてんを俺に合わせると、化石のようなくちびるをわずかに開き、

「──昨日は────ありがとう───」

 こうちゆうのサナギが発するような声で、

「───これは…………感謝のあいさつ……」

 付け加えるようにそう言った。

 まさか礼を言われるとは思わなかった俺は返答にきゆうするほかはなく、ガン無視を決め込む藤原と、不思議そうな顔つきを作る橘京子、おもしろそうに微笑ほほえむ佐々木の三人も何ら言葉を発しなかったため、まりなちんもくが俺たちの一角に固形となってぎようした。聞こえるのは喫茶店のスピーカーがかなでるクラシック音楽と、他の客たちによるしわぶきのようなけんそうのみ……。

 どうしたものだろうか。

 俺がなやむまでもなく、このままではどうしようもないと判断したのだろう、

「ええっと」

 橘京子が進行役を買って出た。

「九曜さん、昨日に何かあったの? んん……、まあ、いいです。それは後で聞くとして」

 身を乗り出した橘京子は、おじようさま然とした顔をかんぜんと俺に向け、

「今日は来てくれてありがとう。たびたびゴメンナサイね。でも、これは必要なことなのです。ほうっておくことのできない、大切な会合です」

 俺の言い出したことだ。お前に言われるまでもない。

「そうなのですけど」と橘京子はしんけんさをかくそうともせず、「おそかれ早かれ、こうなることは明白だったの。そうね、あたしたちには遅すぎたくらい。もっと早くにこうできたらと思ってました。でも、あたしたちには古泉さんたちにたいこうできる勢力の加護がなかったから」

 言いつつ、九曜と藤原をながめ、そのむすめは得たりとばかりにしゆこうした。

「やっとそろいました。世界を動かせる大きな力。仲間というにはこころもとないのですが、それでもきようとうはできるはずですよね。ねえ。……ね?」

 藤原は答えず、九曜も静かの海にぼつしたままだ。橘京子はためいきをつき、ちょうど俺と佐々木のぶんのお冷やを運んできたウェイトレスが現れたこともあって口をつぐんだ。

「ブレンド二つ。ホットで」

 佐々木が俺の意思をかくにんすることなく短く告げ、俺は学生バイトらしきウェイトレスをじろじろ眺めて喜緑さんではないことを確認した。変に思われたかもしれない。そそくさとカウンターにもどるウェイトレスさんの足取りは心なしか速かった。ふと気になって対面三人組の前を見ると、橘京子と九曜は揃ってパフェなんぞをたのんでいやがる。どうだっていいような光景なのに、なぜかちがい探しの最後一つみたいな異質感があると思ったら、橘京子のグラスの中身は半分ほど消費されてアイスがすでに液状化しかかっているというのに、九曜のものはまるで手つかず、しかもまったく溶けていない。何かの宇宙的なパフォーマンスなんだとしても意味不明だ。藤原が指でこづいている空のカップがどんな液体で満たされていたかなんて疑問と同じで、考える気にもならんね。

 橘京子が仕切り直すように、

「ええっと。整理させて。本日、あたしたちがこうして集まったのは、」

 ちろりと俺に微笑みかけ、

「あなたの提案を佐々木さんを通じて聞いたからです。あたしたちに言いたいことがあるんでしょ? そこから始めましょう。では、どうぞ」

 マイクをわたすように手を向けてくるが、手のひらには何もっていない。俺はありもしない品物を受け取る動作をいちいち返したりはしなかった。

「長門のことだ」

 俺は九曜を見ながら、

「お前のしているのがどういうもんだかは知らん。教えてくれなくてもいい。俺の希望は、その何だかわからんわざそつこく中止しろってことだ。長門へのアホみたいなこうげきをやめろ。いいか、何回も言わないぞ。宇宙人同士のこうそうなら銀河の果てでやってくれ」

「──銀河」

 九曜ははくの中に閉じこめられた古代の虫のような唇を動かし、

「──の──果て……それは───ここ───この星の位置は──とてもまばら……」

 開けた冷蔵庫から流れ出すもやのような声で言った。こいつは俺をバカにしてるのか。陽気にあてられてシャミセンの冬毛がどんどんけていくこの季節がいやなら、太陽の真ん中にでもダイブしろ。

「──してもいい────用が済んだら」

 じゃあ済ませてくれ。今すぐにだ。

「───────」

 九曜はかすかに首をかしげ、ぱちくりとまばたきをした。

 それが合図であったかのように、

「ふ」

 藤原がむしの走る笑いをらし、あく色に染まった目を俺によこして、

「では、そうしようじゃないか。他ならぬ、あんたの提案だ。いや、九曜への言い方を聞くとはや命令だな。地球外情報知性相手にけんごしとは、いかにも無知ゆえのゆうかんにしてばんこうたたえるべきだろう。ふん、そこまで長門有希とかいう有機探査プローブにかたれする理由があんたの意識のどこから発生しているのか研究材料にしてみたいものだが、個人的興味は後回しにしておくさ」

 俺と佐々木がおとなしくしているのをいいことに、藤原は言葉を続けた。

「とまれ、あんたはその少女人形が機能不全になっているのが許せないってわけだ。そう来るなら話は簡単だな。よく聞け。情報統合思念体のたんまつへのてんがい領域のかんしようを止めてみせよう。この僕がね」

 もし鏡をのぞき込めば、俺はそこにの指名手配犯を見つけた時のような表情を見ることができただろう。

「信用できないか? ところがこれは事実なんだ。僕にはとっくに自明の理さ。天蓋領域とかいう連中は情報統合思念体より律しやすい存在でね。僕の提言をなおに受け入れてくれた。ついでに教えてやろう。これには橘京子の賛同も取り付けてある。だから僕がこれから言うことは、ここにいる三人の共通認識だ。手っ取り早く、あんたたちへのオーダーを言語にて伝達しよう」

 半秒ほど九曜を見て、かたはしゆがませた藤原の口が、次のようなセリフを生んだ。

「涼宮ハルヒの能力をそこの佐々木に完全じようする。これに同意しろ。あんたにできるのは、イエスと答えることだけだ」

 そうそう、と言いたげに首を上下させるのは橘京子だけである。九曜は石化したまままつちやパフェにさったウエハースをぎようしており、俺と佐々木は肩を並べて藤原の腹立たしくもあるろうづらながめていた。しばらくして、

「ふうん」

 と、佐々木が人差し指でほおをかきつつ、

「藤原くん。それは先日、橘さんからていされた意見でもあるね。あの時、キミは力の所有者などどちらでもいいと言っていなかったかい? 心変わりの理由を知りたいものだ」

「どちらでもよいというのは今でも変わらない」

 藤原は細めた目を横に向け、

じようきようは過去も現在も同一だ。ただし状況を認識する個人の価値観のちがいによって、結末への道のりも異なるのさ。ゴール地点が同じでもルートが違えばおのずと展開も変化する。1×1も1÷1も答えは1だ。しかし算出方法はまったくの逆順なんだ」

べんだね」

 佐々木は一刀に断じて、

「僕には言いわけにしか聞こえない。そうでなければ、キミは演技しているようにしか感じられないな。キミはやっぱり、涼宮さんが能力を持ち続けていたら不都合なんじゃないか? うん。ああ……。だれでもいいというのはうそだね」

 ほっそりした指をあごに移動させ、思考を言葉に乗せるように、

「そうか、僕じゃなくてもいいのか。それは誰にあってもよかった。でも、涼宮さんではダメだったんだ。藤原くん、キミは涼宮さんから不思議な力を引きはなしたいんだろう。彼女にあっては困る理由がどこかにある。僕がここにいるのはたまたまだが……」

 キラリとかがやひとみえさせる佐々木は、

「でもたまたまでは終わらないものもあるね。僕がキョンの友人であったという過去だよ。未来人くん、これはどこまでがていこうと言えるんだい?」

 頭の回転のよさに舌を巻く。未来人を相手に丁々発止のやり取りができるのは、俺の交友録全ページをサーチしても佐々木くらいだった。ましてや佐々木は古泉のように組織に属したりしていないのだ。

 藤原はいつしゆん、能面のような無表情になったが、再びれいしようを取りもどした。

「それで僕をやりこめたつもりか? に回る舌の持ち主だな。僕は噓を言ってはいない。えんかつにことを進めようとしているだけだ。だろう? 橘京子」

「えっ。ええ」

 名指しされたむすめあわてたりで、

「そうなの。あたしがようせいしたのです。協力態勢を整えたほうがいいと思って。必死にお願いしました」

 もくな宇宙人とあくらつな未来人に振り回されているらしきちよう能力者の真面まじな顔を見ていてもしょうがない。俺は藤原に向き直り、

「待てよって話だぜ。長門がくたびれてるのは、そこの九曜に原因があるんだよな。まるでお前がそうするようにそそのかしたみたいじゃないか」

 藤原は古典的なきよくに出てくる悪役のような目をして、

「それもどちらでもいいことだ。僕が作り出したたいなのか、好機に乗じているだけなのか、同一にして不変の事態なんだ。その機がおとずれるのは僕のさくがあってもなくてもわかっていた。あれば放置していたし、なければこの手で起こしていた。固定された過去など未来から見れば考古学的価値しかない」

 いったいこいつは何を言いたいんだ? 黒幕はどっちなんだ。朝比奈さんの敵対未来人か、てんがい領域か、それともすべてのテグスは橘京子の手につながっているのか?

 俺は誰も何も信用できなくなりそうな胸中をかかえ始め、せめて考えをめぐらせる時間を数秒ほどもらいたかったのだが、藤原はそれすら許さなかった。

「どこまでも理解のおよばないヤツだな。あんたが言い出したんだ。長門有希の常態回帰を望むとな。僕はそれができると言っている。この九曜にあんたの大事なお人形さんへのかんしよう停止を命じ、こうさせることができるんだ」

 ずいぶん本題をズバズバストレートに言い放ってくれるものだ。SOS団を代表して、相手をしてやるぜ。古泉もきたがるだろう質問だ。

「なぜお前がそんな主導権をにぎっているんだ? 相手はコミュニケート不能のナントカ生命体だぞ」

「禁則事項とでも言っておくさ」などと、藤原ははぐらかす。

「ざけんな」

「悪ふざけと取るならそれでもいい。僕は好意で言ってやっている」

 信じられるか。

 その時、九曜がすいしよう石のようなくちびるふるわせた。

「────わたしは実行する」

 はくせいが口をいたようなとうとつさだった。

「──干渉を中断し別の道を探査する…………それもぶんせんたくの一つ」

 ダークマターのような瞳が俺のけんに向けられていた。

「──直接の対話は不可能。たんまつを間接した音声せつしよくは雑音。がいねんそう伝達は。熱量の無駄。一瞬でしゆうりようしないことは無限と同じ」

 おおい、誰か通訳してくれ。

「つまり」

 佐々木が指先を目の横にあてながら、

「長門さんの不調は九曜さんのせいであり、けど九曜さんもそのこうにあまり有効性を感じていないんだね。藤原くんが言えば、彼女はすぐにでもそれをやめると。そして藤原くんは、涼宮さんの持つ神様みたいな力を僕に移すことをこうかん条件にしている。橘さんも同意見なんだね?」

「ええ」と橘京子はかたを細くして、「藤原さんとはニュアンスがちょっと違うんだけど。でも、あたしたちは損得かんじようでそんなこと──」

「お前はだまっていろ」

 藤原の冷え切った言葉に、橘京子はぴくっとして口を半開きのままこうさせた。

「そういうことだ」と藤原がセリフをうばい取り、「ここにいるだれにとっても都合のいい現状を発生させてやろうとしているんだ。橘は佐々木、あんたを神としてあがめたいらしいしな」

「いやあの、そうじゃなくて、別にあたしたちは──」

 橘京子の反論を藤原は完全シカトし、

「九曜の本体は涼宮ハルヒをかいせきしたがっている。情報統合思念体の手の中にあるうちは無理だろう。ガードぼうへきが二重三重に張りめぐらせてある。だが打開策はあるのさ。かんじんなのは正体不明の力にあるのだからな。その力を第三者に移してしまえばいい」

 この世の誰にそんなことができるんだ。

「九曜がする」

 あっさり答えを出した藤原は、まるで俺をあわれむように、

「おいおい、あんたは忘れているんじゃないだろうな。涼宮ハルヒなどどうにでもできる。かつてその力を第三者が利用したじゃないか。涼宮ハルヒから能力を奪い取り、世界の改変をおこなったことを、あんたは覚えていないのか? あんただけは覚えていなければならないごく短期の過去だというのにか」

 長門───。

 思い出したのは一年五組から消えたハルヒと校舎からせた古泉ふくむ九組。鶴屋さんにひねられた手首と朝比奈さんにねこパンチをもらったほおの痛み。そして変わり果てた部室で一人でさびしげにたたずむ長門有希の眼鏡めがねのかかった白い顔。そでを引く指先。

 去年のジングルベルの季節、俺はとてつもなくヒドい目にあった。おかげで二度と失いたくないものをたくさん発見し、それ以上に一度だって失いたくないものを見つけたのだ。

 このヤロウども。

 俺は藤原と九曜を順序立ててこうにらんだ。

 そう──。長門にできたことだ。俺のようなぼんじんから見ればどっちも似たような情報生命にできないとは断言できない。情報統合思念体も天蓋領域も、人類と比べたらダンチで高レベルな何か頭脳だかとくしゆ技能だかを持っているにちがいない。俺のかんが告げている。長門とは違う意味で、九曜はうそを言いそうになかった。

「長門の身がひとじちってわけか」

 俺の声はしようしんしようめい、純度百二十パーセントいかりの調べをかなでていた。

「長門を助けたければ、ハルヒの力をせってことか」

 そんなことを許すとでも思ってんのか、ちゃちいおどしをかけやがって。きようとか以前の問題だぜ。長門の身体からだたてにすりゃ俺がほいほいと何でも言うことをみにするとでも思ったわけだこいつらは。いや無論、長門の健康状態はすぐさま心身ともにオールグリーンにしてもらう。だが、それとこれとは話が別だ。

 そして佐々木は、やはり俺の友人たるべき人間だった。

いやだなあ」

 やれやれと首を二度り、

「僕だってそんな力は欲しくはない。少しは当事者にされている僕の意見も参考にしていただきたいものだね」

 かんげいすべきえんだんだったが、おおわれた俺ののうずいにほんのわずかな疑念がともった。いや、疑念は言い過ぎだな。単純にして端的な疑問だ。

 俺は佐々木の軽くしか困っていないような横顔へ、

「世界を変えちまうようなちよう強力パワーだぜ。いつしゆんたりとも血迷おうとも思わねえか?」

 佐々木は俺にキラキラとした目を正面から向けてきた。あわみの唇が、

「キョン、世界を変えるのは別にいいさ。ところがね、使い勝手が悪いのは、世界を変えてしまえば僕自身も変わってしまうってことなんだよ。そして自分自身の変化に僕は気づけないんだ。いいかい? 僕は世界の内部にいて、この世界を構成している一つの要素なんだ。世界そのものが変化してしまえば僕自身もいやおうもなく変化する。この場合だと、自らの意志で世界を変えたっていうのに、変化後の世界の僕は、自分がこの世界を変化させた結果だということに気づくことはない。そんなおくはなくなってしまう。なぜなら世界とともに僕も変化してしまったのだからね。そこにジレンマが発生するんだ。それだけの力を持ちながら、決して自分の能力の帰結をにんしきできないというジレンマさ」

 どうにも理解しにくいが。

「人はね、理解できないものに出会ったとき反応が二分する。はいせきしようとするか、理解しようと努力するか。どちらが正しいともいえない。人間は個人個人でそれまでにつちかった異なる価値観を持っているのだから、それをねじ曲げてまで理解する必要はないが、価値観をしようがい不変のものにもできない。理解できないのは何故なぜかを自分にたずねて自分がなつとくできる回答さえ用意できればいいんだ。自分の世界を持っていさえすれば、みようくつや解説なんていらないんだよ」

 佐々木は向かい席の三人に顔を向け、

「僕はキミたちが理解できない。理由は言いたくない。答えは僕の内部だけにあって、他言をするつもりはないからさ。言うと失言になる。それはとてもずかしいことだからね」

「あんたの心中など、僕の知ったことではない」と藤原は苦々しげに言う。「黙ってうなずいていればいいものを」

「まあ結局」と佐々木はだまらない。「人は自分の能力をちようえつしたものなど作れないのさ。超越したかのように見せかけることはできてもね。しょせん、それは張りぼてさ」

 三段ロケットの二番エンジンに点火って感じだ。俺の背中はけたちがいに軽くなった。

「佐々木もこう言っている。俺だってそんな不平等修好条約みたいな条件を吞むつもりはないぜ」

 一昨日おととい来やがれ、と言いかけて、こいつらなら本当に二日前に来たことを思い出した。未来人相手には通用しない口上だな。

「それにさ。仮に僕に世界をどうこうできるような力があったとしても、行使する機会なんかほとんどないように思うね」

 佐々木は俺のかたをポンとはたき、

「するとしても自動はんばいに前の人が取り忘れたり銭が残っていたり、とかかな。さしずめその程度だろうね。僕がこの世に異議を唱えるような不満はあまりないんだ。そつちよくに言って、僕はあきらめている。不条理なじゆんに満ちたこの世界が作り上がったのは人類はつしよう以来の歴々とした時の積み重ねだ。ちっぽけなだれかが策をろうしたとしてどうにか出来るものだとはとうてい実感できないね。よしんば僕にその力があったとしても、今より上等な世界を構築するという保証も自信も二バイト以上ない。これはけんそんではないが、僕以外の誰にも不可能だと思うよ。人類はまだそこまで精神活動をとうたつさせてはいない。地球は僕たちの乗り込むきよだいな一つの宇宙船だ。しかし宇宙船に自意識があったら、この内部ぶんれつばかりしている不可思議なれいちよう類など真空にまるごとほうり出したほうがすべてうまく行くと考えるかもしれないね。人間は人間として生を受けた以上、どう転んだって神にはなれないんだ。だって神とは、人間の観念が生み出したものだからだ。有史以来、このわくせいのどこにだって神様は不在だよ。最初からいない。僕はそんな非在のがいねんでしかないぐうぞうになりたいなど、これっぽっちも思わないね。神は死ぬ以前に生まれてもいないんだ。だから神の墓はどこにもない。ゼロの概念、それこそが神の資質と言えるだろう」

 佐々木の長いセリフが終わる時刻にぴったり合わせたように、

「──は──はは────ははは─────あは……」

 九曜がみやくらくもなくばくしようした。こうしようのようにもびんしようのようにも、高音のようにも低音のようにも聞こえる、耳がおかしくなったように思える声が、

「───ばかみたいだわ…………はは──」

 なんだと、この。俺はともかく、佐々木をわらうのは腹がえる。

「説明してやろう」

 笑い続ける九曜に代わり、藤原がちようろうはらんだ表情と口調で、

「なぜ、あんたに選ぶ権利があると信じ込んでいるんだ? こうしてあんたの意見を聞いてやっているのは、僕たちが教示を願っているからじゃない。かんちがいするなよ、過去人」

 俺の中に芽生えかけていた、わずかなゆうが消し飛んだ。

「九曜じゃないが、僕だって笑えるな。あんたは自分を買いかぶりすぎてるんじゃないか? おのれにすべての決定権があると? 世界の行く先をせんたくできる権利を持っていると? はっ、何様のつもりだ。くだらんゲームのプレイヤーをやってでもいるつもりか。くく。喜劇以前の問題だ。笑いを通りしてあわれみを感じる。いいか。あんたは全権をたくされたりはしていないんだ。ただのあやつり人形だ。よく動くことは認めてやってもいいだろう。だが、それだけなんだよ。動きがいいだけの操りやすい人形に過ぎない。あんたの行動のどこにも、あんた自身の意思なんてないんだ」

 言葉の意味を理解するにつれて、ぞっとした感覚が背筋を上ってきた。

 九曜はまだ笑っている。

 改めて思い知らされた。いかにハルヒ消失んときの長門が人間味あふれていたかを。

 こいつらは──。

 俺たちのことなど、人間のことなどどうとも思っていないのだ。

 九曜も、きっと朝倉と喜緑さんも。

 だからこそ、おのおの俺の意見なんぞを聞こうとしているわけだ。どんな意見だろうがかまやしない、その気になれば気軽にヒネリつぶすことができる────その程度のものだと思っていやがるからだ。九曜のあからさまながおは目新しいオモチャをあたえられた幼児のそれに近かった。ただそこにいるからという理由で足元のありみつぶす、ばゆいばかりに子供じみたなるかがやき……。

 そしてたよりになる我が友人、佐々木はますますまゆくもらせた。

「そんな話を聞いて、僕がすんなりしゆこうするとでも思うのかい? はっきり言って逆効果にしかならないよ。僕はキミたちよりキョンとのほうが付き合いが長いのだからね」

「お前の意思など知ったことではないと、何度言わせるつもりだ」

 藤原がせせら笑い、

「あー……」

 橘京子はよりいっそう縮こまった。

「ぶちこわしだわ。最悪です」

 ふうー、と息をいた橘京子だが、それでもしようちんしない様子でいるのはめてやる部分かもしれないな。果たして彼女は、俺に教えを垂れる宣教師のような表情を向けてきた。

「ねえ、考えてみて。あなたが涼宮さんとSOS団を大切におもっているのはわかります。それならこう考えることもできない? 涼宮さんに変な力があるから、長門さんも変になったり、あなたが変なことに巻き込まれたりしてるんだって」

 何が言いたいんだ。

「涼宮さんが力をなくして、ただの人になってもSOS団が解散するわけじゃないでしょ? 今までと何も変わりません。古泉さんは『機関』の代表さんで、長門さんは宇宙人で、朝比奈さんは未来から来た人だけど、ただそれだけ。もう涼宮さんの行動に気をつかわなくていいのです。みんな仲よく今まで通り、団長さんといつしよに楽しく活動できるわ」

 それじゃ本当にただの同好会未満団体だ。

「ええ。あたしの言いたいのはそれ。そうなったらいいと思いませんか。もし、あなたがこれまであったような常識外れな事件にかかわりたいというなら、あたしたちがいます。九曜さんは宇宙人で、藤原さんは未来人、あたしは自分で自分をちよう能力者とは言いたくないけど、まあそんなものだしね。佐々木さんと二人で校外活動だと思ってつきあってくれたらいいのです。きっと色々あるはずだもの」

 二の句がげんとはこのことだ。第二のSOS団を結成しようというさそいなのである。ハルヒ率いる俺たちのSOS団はけいがい化し、ここに佐々木を盟主とした新生SOS団がうぶごえを上げる……べき、という……。

「それにですね、」と、橘京子は俺の思考を追いきにきた。「あたしは古泉さんのかたにかかってる重たい荷物を下ろしてあげたいと思っているの」

「あん?」

 なぜ古泉のかたりを心配する必要がこいつにあるのだ。

「彼はきっと感謝してくれるはずです。だって」

 橘京子は当然のことを言うように、そして何やら夢見る少女のような表情で、

「知らなかったの? 『機関』は、古泉さんが一から作り上げて運営してる組織なのです。最初からリーダーは古泉さん。一番えらい人です。あたしとは解り合えないけど、でも、ちょっと尊敬しちゃう」

「────」

 そのセリフはマイのうずいにけっこうなウエイトでのしかかってきたが、俺は無機物のように無反応かつだまったままでいた。なぜか何も言いたくはない気分にしゆんになったのである。こいつがどこまで真実を語っているのか解ったものではないし、単にそれが真実と思いこんでいるだけかもしれない。これまで散々聞かされた古泉の解説口調にどこまで真実がひそんでいたのかだって知れたもんではなく、それは橘京子だって同じだ。どっちを信用するかなんて、考えるのもオモシロおかしい。しかし橘京子があえてこんなデマゴギーを流す理由などないはずで、いや、あるのか。俺の思考を混乱させようとしているとすれば、確かにストレートなやり口だ。それにしてはこいつの顔はなおかんたんしているような表情にいろどられているが。

 …………。

 やめた。考えるのはきんきゆう停止。今は古泉の機関内部署など、どうだっていいことさ……。

 くっくと笑い声を立てたのは藤原だった。

「僕からも一ついいことを教えておいてやろう。特別限定サービスというやつさ。この場、この時間でしか得られない情報だ。それが何かと問うだろう。教えてやろうとも、つまりそれは、あんたが今までもスルーし続けてきていた物体、すなわちTPDDについてのこうしやくさ」

 みような設定についていてもいないことをしやべり出すヤツにロクな性格の持ち主はいない。藤原はその典型的なろうで一問のちがいもなさそうだった。

「僕や朝比奈みくるの時間こうにはじやつかんの問題がある。航時機の性質上、時間平面をつらぬいて移動せざるをえないからだ。いわば時間に穴を穿うがちながらこうするんだ。気にするな、小さなものが一つだけならそれほどの異変はない。修復も容易さ。もっとも、ちようやくする時間的きよが長くなればなるほど損傷する時間平面の数も増える。また、同じ時間帯を何度も往復すれば穴の数も当然のように増える。ここまでは解るな」

 耳をふさぎたくなってきた。俺はいい。佐々木にちんみようなるシークレットかい情報を聞かせたくはなかった。めんどうごとうでを引っ張られて身体からだを二つにかれながらたおれるのは俺だけでじゆうぶんなのだ。

「要するにTPDDの使用はそん時間をかいするリスクをともなうのさ。空いた穴はめなければならない。あまりを放置しておけばそこから屋台骨がくさり始めることにもつながるんだ。連続する果てにある未来がらぐ。本来、時間ちゆうざいいんはそうやってできた時間のゆがみを修整する役割を主とする。朝比奈みくるは例外だな。自覚はしていないだろうが通常とは異なるとくしゆ任務にいているわけだ。ふん、ご苦労なことだね。それはごくであるゆえに、本人にすら知らされていないのだから」

 予定のセリフをそらんじ終えたのか、藤原はようやく声をとぎらせた。

「たとえば──」

 と思ったら、またしゃべり出した。

「以上の僕のセリフがだ、これが本来、あんたが知るはずのない情報だったとしたらどうだ? 僕はお前の個人史を変えたことになる。ふん、もっとおもしろいように変えてやろうか?」

 これ以上面白くなったら笑い死ぬかもしれんからやめろ。

「いったん聞いてしまった以上、あんたは僕の言葉にえいきようされざるをえない。これが僕の優位性だ。お前たち過去人に対してのな」

 藤原はようやく改まった口ぶりに変化して、

「ゆっくり考えたらいい。あんたの原始的な脳がどんな答えをはじき出すのかは、その後の行動を見て判断させてもらう。ていから外れたことをしてくれたら僕が楽しめていいさ」

 これで終わるかと思っていたら、さらなる追い打ち、

「待っておいてやるよ。今日の会談で聞いたことをよく覚えておけと言っておこう。だが、まあ別に忘れてもいいんだ。あんたが何をどうしようと、僕は勝手に自分の役割を果たすのだからな。涼宮ハルヒとともにめつの街道をき進むのか、それともヤツを無害化するのか、どちらを選ぶのもあんたの自由だ」

 俺が答えを出す日時を知っていると言わんばかりだった。未来人なら知っていて当然だ。こいつは朝比奈さんとは違う。藤原はどこまでシナリオに沿って動いているのだろう。出し抜ける余地はないのか。朝比奈さんの顔が目の奥にちらついた。メイド姿と女教師バージョン、その二つが歩行者用信号のようにめいめつする。

「なぜ、俺にそんな時間をあたえる?」

 俺にしては素直な疑問だろう。

「既定こうだからだ。と言えばなつとくするか? しなくともいいが。さあ、これで僕のサービスタイムは終わりだ」

 藤原は組んでいた長いあしを器用にくずして立ち上がり、

「時間などにしばられるのはバカバカしくおろかだが、それが既定の流れならば仕方がない。しかし、流れに逆らって泳ぐくらい、深海に住む進化に取り残された古代魚類にだって可能だ」

 付け足しみたいなセリフをいてテーブルに背を向けた。

 金も置かずに店を出て行く長身の後ろ姿をながめながら、藤原が残していったしようめいたふんこうで感じていると、橘京子が当然のように伝票を手ですくい取りつつ、

「あたしもこれで失礼するわ。やっぱり考える時間はいるでしょう? あんまり考えすぎないほうがいいと思うけど……」

 散々毒を吐きまくった藤原の瘴気のような空気に当てられたのか、橘京子のか細い姿はどこかつかれて見えた。そりゃあんなのに付き合っていたら心労も絶えんだろうな、と若干のシンパシーを感じざるを得ないでいると、

「佐々木さんと相談しておいてね。佐々木さん、またれんらくします。この件とは無関係で、あなたとは友達でいたいから」

「そうありたいものだね」

 佐々木は橘京子を見上げてくいっとくちびるかたはしり上げた。

「ぜひ、友達としてだけ、付き合っていきたいと思うよ」

 橘京子は答えず、ぎよう良く座ったまま置物となっている九曜に心配そうな目を落とし、ふうと息を一吐きして、レジへと向かっていった。彼女が精算を終え、手をってきつてんから消えても、まだ九曜は動かずじっとぎようし続けている。

 佐々木の注文したホットコーヒー二つが最後になるまで出てこなかったことに気づいたのは、精神をすっかりぐったりさせた俺がお冷やを一気飲みした後のことであった。



 こうしていても進展が見込めそうにない。

 やっとウェイトレス(幸いなことに喜緑さんではなかった)が運んで来たホットコーヒーに砂糖とフレッシュをたんまり入れて(にもかかわらず苦みが軽減されていない気がした)すすり終えるころ、俺は田舎いなかうすぐらい屋根裏で発見した古い市松人形よりも不気味ポジションを不動のものとする九曜を眺めながら思った。

 ところで、なんでこいつは席を立たずにじっと固まっているんだ? 藤原が消え、橘京子が去ってもじっと俺たちの向かいに居続けているのは、言い残したことがあるという宇宙人的な意思表示なのだろうか。

 異質な異星人の無言のアピールを読み取るなど、俺には手に余るな。

 俺が九曜を観察していると、佐々木が空のカップを置いて唇にしようをくゆらせた。

「キョン、僕たちもそろそろ行こうか。藤原くんじゃないが、僕たちに必要なのは今後を検討するための時間だよ。気が乗らない上に気ぜわしい会合だったが、意味のないものだとは判断したくないね。彼の口ぶりからすると、まだゆうはありそうだ」

 だといいんだが、何を検討すればいいのかってのが問題だ。

「そうだね。僕たちにせんたく権はなさそうだし、どうやって彼をあきらめさせたらいいのかさっぱりだ。でもまあ、できることだってあるはずだよ」

 まったくもって楽しい事態とは言いかねた。神様モドキをハルヒから佐々木にするだって? ぼうじやくじんな無自覚の神か、自制心のある理知的な神か、どっちがいいかという話なのか、これは。どっちがいいのかと問われれば、佐々木のほうがそぐわしいのかもしれない。

 だが、しかし。

 気が進まない。

 この一言にきるだろう。俺はこの佐々木にしんみような変態能力の持ち主になんかなって欲しくはなかった。つうの友人はやっぱり普通でいて欲しかった。ハルヒはあんなんだからまだいいさ。古代の神話に出てくる神々たちだって人間以上にわがままでじんなことをしでかしてる。それと比べたらまだ話が通じるだけマシだよな。神社だってそうそう本尊を取りえたりはしないだろうし、いや待て、俺は何を考えてんだ。ハルヒの弁護人は古泉一人でいいのに、どうやら思った以上に混乱しているようだ。

 そりゃそうだ。復活の朝倉、ぼうかんの喜緑さん、どうやってか九曜と手を結んだ未来人はどうかつめいたことばかりほざき──ってのを昨日から今日にかけてつるべ打ちにらって、心中をおだやかにしてられるほど俺はしやの生まれ変わり要素を持っていない。さとりの境地までまだまだだ。

「それにキョン、キミには僕以外に相談できる相手がいるだろう? 正直、僕は自分が何をしていいのかわからないでいるんだ。だれかに結論を教えてもらえるんであればそちらのほうが喜ばしいね」

 真っ先に思いついたのは古泉いつへんの高そうな顔面だった。ほかにいない。ベッドに横たわる長門は論外だ。最もたよりになりそうなのは朝比奈さん(大)だったが、この件に関してはいまだ姿を現してくれていない。まさかこれは彼女のてい事項から外れたイベントなのか? だとしたら例の七夕のようにはいかないってことになる。そうなりゃお手上げだ。

「九曜さんもいつしよに出るかい? それともパフェを食べてからにする? はらいは橘さんがもってくれたから、ゆっくりしてていいよ」

 黒いかげのような敵性宇宙人の手先は、身じろぎもせずに半目となったひとみを中空にていたいさせるのみで答えない。

「起きてる? 九曜さん」

 佐々木が鼻先で手を振って初めて、

「──ねむってはいない」

 重度のすいおそわれているような声が返ってきた。どうでもよさそうな声に、俺は思わずいらたしく問いかけた。

「最後のほう、話を聞いていたか?」

「──理解かんりよう。すでに実行済」

 何の話だ。長門へのをさっそく停止してくれているんなら助かるが。

 俺は佐々木にうながされてテーブルをはなれた。不気味な非人類を一人で置き去りにするのは多少の心配があったが、心配して損した。意外にも九曜はするりと立ち上がり、どういうわけか俺たちの後をついてきたのだった。そのままさっさと姿を消すのかと思いきや、俺の背後の位置をキープしてつかず離れずたたずんでいる。

 それは俺と佐々木が並んできつてんを出て歩き出してもまだ続いた。これはこれで背中が不安になる。おまけに空はすでにもうそこそこ暗いのだ。

「何か言い残したことが?」

 佐々木がり返って俺の言うべきことを代弁してくれた。しかしれいを知らない宇宙人女は何も答えず、あさっての方向に目をやっているだけだ。張り合いがない、というか根本的に人類と波長が合っていない気がしてきた。人格が読めないどころかそんなものがあるのかどうかも疑わしい。昨日、朝倉のこうげきを防ぎながら見せた微笑の主と、今目の前にいる九曜がどうしてもつながらなかった。多重人格なのかこいつは。

 こうして後ろばかりを気にしていたのが悪かった。

「あ、キョン」

 前方からすっかり耳慣れた声がまくに届いた時、俺は平らなアスファルトに足を取られそうになった。

 佐々木が立ち止まったのにつられて俺もそうし、九曜もならった。

「こんなところで会うなんてね。めずらしいなあ」

 制服姿に学生かばんという学校帰り以外の何ものでもないぜいでそこにいたのは、俺と中学を同じくするクラスメイト、くにに他ならなかった。

 国木田は俺を見ていない。見ていたのは俺の真横にいる同窓生だ。

「久しぶりだね、佐々木さん」

「そうだったかな」

 佐々木はのどを鳴らすように笑い、国木田を見つめて言った。

「春休みに全国模試の会場で見た気がするんだが、あれは他人の空似かい?」

 国木田も微笑ほほえんだ。こいつのこんな笑みを見るのは初めてだったかもしれない。

「やっぱり気づいてたのか。だと思ったよ。きっと、僕が気づいていたことにも気づいていたんだね」

「そうだ。僕は他人の視線に神経びんなんだ」と佐々木は事務的な口調で、「だんはまるで注目されないもんだから、たまにさる誰かの視線がほおの痛覚をげきするのさ」

「相変わらずだねぇ」

 安心したようにうなずく国木田のかたを、横からびた手がポムっとつかみ、よりによってこんなところにいなくてもいいだろうと言いたくなるニヤケづらが割り込んできた。

「おいおいキョン、えねえなあ。つーか、すみに置けねえな。ほっほーう、このか。例のキョンの昔のコレのアレっていうのは」

 ……谷口、なんでまたお前がこんな駅前を国木田とつれだって歩いていたのか、まったく知りたくなることかいだが、それはともかくたのみがある。ダッシュで帰ってくれないか。できればロケットブースターを背中に三つほどつけたくらいの初速でな。リフト・オン! そのまま衛星どうまで飛んでってくれたら天文部にけ合って軌道計算くらいさせてやるぜ。

「そりゃねえだろ、キョン。せっかくの出会いだ。ちっとばかし語り合おうぜ」

 谷口はしまりのないニヤニヤ笑いをかべ、俺と佐々木にぶしつけな視線をこうにぶつけつつ、

「まったくお前ってろうはよ。あんだけのメンツに囲まれてんのにまだ足りねーのか? あああん?」

 何が言いたいのかわかりすぎるほど解る自分がいやになりそうだ。いっそ俺が加速装置を発動しようかとクラウチングスタイルを取りかけるのもほったらかしで、谷口はいよいよ調子よく、

「俺もしようかいしてくれよ。キョン。俺はお前の親友だぜ。何でも腹を割って言ってくれ」

「佐々木さんだよ。僕たちと同じ中学にいた」

 見かねたわけでもないだろうが、国木田が肩代わりしてくれた。

「佐々木さん、こっちが谷口。一年から僕とキョンのクラスメイト」

 はん的とも言える実に簡潔な紹介だ。

「それはどうも」佐々木はゆるりと一礼し、「よきご友人のようだ。キョンが世話になることはあまりなさそうだが」

 そつちよくな意見を谷口は聞き流し、追い打ちをかけるつもりか俺に白い歯を見せて、

「しかしなんだな。お前のしんがんはたいしたもんだぜ。いいしゆしてやがる。お前の人生に何か不満があったとはとうてい思えねえよ、なんか俺はお前に腹立ってくるんだがキョン……キ……キョっ!?」

 いきなり何だ。南国熱帯地域の野鳥のような声を発しやがって。最近そういうからかい方が流行はやってんのか。

 俺が半ばウンザリして谷口をまんの目力による視線で射殺そうとしたところ、ああ? どういうわけだ? 谷口は俺を見ていなかった。ましてや佐々木を見ているのでもなく、

「……わおうっ!?」

 谷口は背後にびすさり、ホールドアップをちゆうで止めた──みたいな不自然な格好でこうした。きようがくに目を見開き、きように近い表情で一時停止をかけられている。ただでさえアホな谷口フェイスをよりいっそうアホ面にする対象とはいったいいかばかりのものだろう、と思うまでもなかった。我が親愛なるクラスメイトの視線は、俺と佐々木の間の空間をどおりして、周防九曜のねむたげなねこのような顔をとらえている。

 俺ですらたびたび存在を忘れそうになり、今までいつぱんじんからほぼ完全に無視され続けていた九曜だ。なぜ谷口に見えたんだ?

「─────」

 もっとおどろいた。九曜が谷口に反応したのだ。ゆっくりとひだりうでをもたげた女子校の制服姿をとる娘は、手のひらを返してそでから伸びる白い手首を見せつけた。初めて気づいたが、みよう洒落しやれた腕時計をしてやがる。それもきよをつかれるほどファンシーでアナログな。

「───感謝している。返す気は……ない」

 は?

「いいって。高いもんでもねえし、気に入らねえなら捨てちまってもしちれしてもいいぜ。いや、是非そうしてくれ」

 谷口が九曜とまともに会話をしている。もっともそんな気候でもないのにいつしゆんにしてあせばんだ谷口の顔はそむけられ、手足を意味なくそわそわさせているのはけい中の警官がそくに職質したがるような挙動しんそのものの態度だったが、それにしたってこれはどういったせきだ。

「クリスマスプレゼントに送ったんだってさ」

 国木田の解説を聞いても俺の驚愕は去ったりしない。むしろ倍増だ。時計? 九曜が感謝? クリスマスだって? 何のことなんだ。ここは夢の中か。

 あごが取れそうなほどあんぐりしている俺をハテナマークのめ池に投げ出したまま、国木田はあっさり佐々木に興味を移動させ、

「一ついていいかな。なんでキョンと今さら?」

 今さらとか言うなよ、変な意味に聞こえるじゃないか……いやいや、それどころじゃないぞ。俺と佐々木より、谷口と九曜を不思議がれよ。

 だが、佐々木は国木田との会話に重きを置いているらしく、

「いろいろワケがあってね。説明を簡略化するのは僕の意とするところではないから、時間のあるときにキョンから聞き出してくれないか」

「それほど知りたいものでもないから別にいいよ。それにしても、ここで佐々木さんと周防さんの二人と同時に再会するなんて、世の中はせまいね」

「彼女を知っていたのかい? へえ。国木田くん、きっとキミよりも僕の驚きのほうが大きいだろうね。九曜さんとはどこで?」

 それは俺もぜひ聞きたい。

「九曜……って、周防さんのこと? あれは冬休みだったな。ここにいる……あれ、いない」

 谷口か? ならかわなかじましゆうに失敗したキツツキ戦法のたけ軍別働隊せつこうみたいにげてったぜ。感心すべき逃げ足の早さだ。

「さっきまでここにいた谷口にしようかいされたんだ。彼女だとか言ってね。そうじゃなかったっけ、周防さん」

「──あぁ」

 九曜はいきともためいきともつかぬ応答をした。

「──わたしのおくはあなたの正当性を支持する」

「で、一ヶ月ちょいで別れたんだよね」

「──保証できる」

 ぐう。なんてこった。

 去年の十二月、クリスマス前に谷口が付き合いだしたとか言ってたのは、こいつのことだったのか。そしてバレンタインデー前に破局してたってのもだ。それが九曜だったのか。いや待て。

 俺は驚愕に打たれながら、

「ということは、お前は長……じゃねえ、あいつが起こしたあの事件前に、すでに地……じゃねえ、ここにいたのか!?」

「──いた。その事象のどこに問題があるのか発見することができない」

 俺の感じているこれは、果たしていかりなのかまどいなのか。

「……なぜ谷口と付き合ったりした?」

 回答はあっさり返ってきた。

「──ちがえたから」

「なんだと?」

「僕も谷口からそう聞いたよ。それが別れの言葉だったってさ」

 国木田はいとも簡単にさらりと言って、

「キョンはいつ周防さんと? 前からなのかな」

 いや、ついこの前だ。

 うまく言葉を作れない俺を横目に見て、佐々木はくつくつ笑いをらして、

「九曜さんは僕が最近知り合った人だよ。えんがあって、こうしてキョンへとつながった」

「それに加えて谷口の元カノでもあったのか。らしいぐうぜんだね。パーセンテージにしたらどれくらいになるかな」

 首をひねる国木田に、

「確率論かい? シンクロニシティの発生が数瞬ごとにあるのだとしたら、あらゆる信じがたい偶然はすべてがいぜん性という言葉で説明することができる。でもこの場合は、」

 佐々木は悪戯いたずらっぽい微笑ほほえみとともに首をわずかにかしげ、

「天空におわす全知全能なる神様のはいざいというべきだろう」

「佐々木さんらしくないことを言うなぁ」

 俺も同意見だ。神はどっか旅行中じゃなかったのか。

 国木田はあきれたようにかたをすくめ、

「キョン、佐々木さんはね、僕たちがここで出会ったのは偶然のたまものだ、ってことを回りくどく言っているだけだよ。そんなになやむこともないさ」

 それのどこが悩まなくていいんだ。一つ二つなら偶然でかたづけてやるさ。だが三つ四つとなるとだれかが俺たちの首につなをつけているんじゃないかとかんぐりたくもなる。色々やらされてきた俺ならではののうだ。しんけんに悩んでも損なことも知っているが。

 俺がちんもくといううずにまかれてり回されているのをどう受け取ったか、国木田は、

「駅前の書店に注文していた本があってね。学校終わりに取りに来たんだ。谷口はヒマだって言うからさ、付き合ってもらった。ついでだし、きつてんにでも寄ろうとしてたんだけど……」

 逃げ去った谷口の姿を求めるように振り返り、首を振った。

「いなくなっちゃったんじゃしょうがないね」

 こしけ谷口のれいなる敵前とうぼうと言うべきだろう。

「それにキミたちのじやをするのも気が引けるし、僕も帰るよ」

 背を向けかけた国木田に、佐々木がすかさず、

「国木田くん、どこかで見かけたらえんりよなく声をかけてくれていい。共通の思い出話に興じたり旧交を温めることは人生そのものの楽しみの一つだからね」

「それは佐々木さんらしいね」

 頭の回る者同士がたがいに三手先を読みながらしているような会話をされても、俺にはさっぱりついていけん。

「うん、じゃあ、また」

 国木田は佐々木と一くさり会話したことで満足したのか、九曜の存在にあれ以上み込むことなく、特に何を思うこともなさそうに別れを告げた。

 去りゆく後ろ姿をじとりとながめていた俺だったが、谷口・国木田コンビに関して心配するのはやめておいた。あの二人のことだ、ハルヒに今日のことをき込むこともなかろう。谷口は九曜にトラウマがあるようだし、国木田はちゃんと空気の読めるヤツだからな。

「九曜」

 俺は巣穴から落ちたひなどりのようにじっとしているモップ頭へ全身をもってたいする。

「お前は去年の十二月にはもうやって来てたんだな。そして谷口に近づいた」

 きたいことは山ほどあるが、まずそこをハッキリさせておかなければならない。

「谷口に目を付けたのは、ハルヒや俺たちにせつしよくするためか」

「間違えた──」

 デッキブラシがしやべっているような声が短い返答を返す。

「何を間違えたんだ」

「──あなたと」

「お前……」

 すると何か、九曜は俺と谷口を間違えて付き合いだしたのか。おいおいおいおい、よりにもよってあいつと間違えてくれるなよ。自分に自信がなくなるじゃねえか。

「どこかで情報の混乱があったよう。何者かによるジャミングの可能性……」

 九曜はぼそぼそと、

「ありうる……」

 少なくとも長門はそんなことをするゆうはなかったはずだ。

「長門が世界をあやしくした時、お前はどうなってたんだ」

「わたしは変化していない」

 九曜はくいっとあごを上げた。やや血色を増したくちびるがコマ送りを見ているかのようなじようぜつさで、

「あなたたちはげん宇宙にいた。それはわたしたちにしんせんおどろきを感じさせた。重なった世界。かつて存在し、しかし同時に存在し得なかった世界。はい的な行動。局地的なかいざんおもしろい」

 なんだそりゃ。というかいきなり口調が変わったぞ。本当に人格が切りわったように見える。昨日の微笑ほほえみを思い出した。

「──明日のない今日──今日のない昨日──昨日のない明日───そこにあった」

 わけがわからん。

 かたまゆを上げて聞いていた佐々木がつぶやく。

「ルナティックというよりはファナティックだね。そういった話は喫茶店でゆっくり聞きたかった。こんな立ち話じゃなくて、できればメモを取りながらね」

 佐々木は九曜の手首に目線を向け、からかう口調で、

「それにしても、もらった時計を今でもしているとは、さきほどの面白そうな彼に多少は未練があったのかな?」

 アナログなうでけい(どうせバッタもんだろう)に、したたり落ちるぼくじゆうのような視線を落としていた九曜は、

「──わたしが……欲しいと言った」

 ……驚きつかれる日だな、今日は。

「──時間は一定方向への不可逆的事象ではない。このわくせい表面において生体活動をするためには客観上の時間流を固定化する必要があった」

 それが時計かよ。こんなのただのゼンマイ細工みたいなもんだろ。時間を決めるのは時計じゃない。人間の連綿たる営みにおける便べん的数値にすぎん。

「──時間は常にランダムに発生している。連続していない」

 俺は目頭を押さえた。何を言い出してくれるんだ、この宇宙人は。

 佐々木は持ち前のこうしんげきされたようで、

「過去や未来は? 九曜さん、キミはどういったかいしやくの仕方をしているのかな。ひょっとしてアカシックレコードが存在するとでもいうのかい?」

「──時間は有限」

「それはどういう意味でだろう。無限降下法的に。たとえば一秒と二秒の間には、どれだけの時間があるんだ?」

「ない。ただし、あると思うこうに危険性はない」

 佐々木はこの論議に食いついたようだ。

「うーん、たとえばこういうのはどうかな。仮に並行世界があったとして、それは無限に存在するものじゃないのかい。こう、エヴェレット的に」

「──観測し得ないものは存在しない」

「本当に?」

 と、佐々木は未知の現象を発見した科学者の卵のような顔をする。

「──記録はしている──問題は……かい

「そうか」

 なつとく顔で顎の下に指を当てる佐々木に、さすがにツッコまざるを得なかった。

「何がそうかだよ。お前が解ったことが俺にも解るようにくだいて教えてくれ。どんなバカにでも飲み込めるように細かくしてな」

「ああ。うん、キョン。それは無理だ。なぜなら僕が理解できたのは、九曜さんないし九曜さんの創造主は我々人類とは根本的にちがう、異質な考え方の持ち主であるということだけだ。つまりどうやっても理解できないらしいと理解できた」

 それじゃどっちに転んでも同じだ。

「そうでもない。意思のつうに僕たちの言語では不適切らしいという発見は大きな一歩だよ。現状、この場では彼女の言葉はほとんど雑音だ。しかし、もっと性能のいいほんやく機を開発できたとしたらどうだろう。人類の英知はいつかそれを可能とするかもしれない。事実、人間は不可能だと思われた悲観的な予想をいくつもくつがえし、実現させてきたんだ」

 いつか──。もっと未来なら。たとえば藤原の時代になれば。または船がりよく以外の何かでかんでいるような未来ならば。

「おい、九曜──」

 俺のセリフは呼びかけた名の主に届くことなく、無様に宙に拡散するだけに終わった。

 周防九曜の異様なくらいに黒い姿は、かみかくしのように消え去っていた。まるで地面に空いていた見えないすきに落ちていったかのように。

 俺がとりたてて感想をいだかなかったのは、これぐらいのことなら長門や朝倉や喜緑さんでもできるだろうと知っていたからだが、どういうわけか佐々木もまたどうようりも見せず、おだやかなみを九曜が消えた空間に向けていた。

「さすが宇宙人だね」と一言述べるだけで飛行機雲を見るような目をしているばかりであり──。

 感想はそれだけか? おい。

「ではもう一言」

 佐々木はくるりと目を動かした後、

ほかに何をしてくれるのかきようしんしんだ」と言った。

 りゆうれいな同い年生まれの顔は決してあわてふためかない。見たことがなかった。それは俺にこんきよ不明の安心感を運んでくれる。

「キョン、あまり彼女を過大評価しないほうがいい。僕たちが九曜さんを理解できないように、彼女も僕たちを正しく理解しているとは言いがたい。僕たちは重力のくびきにらわれたあわれな原始生命体なのかもしれないが、それでも彼女を地球上に引きずり下ろすだけの価値はあったんだ。それに人類がこれ以上の精神的肉体的進化をげないという保証もない。僕なら、そうだね、ブラインドウォッチメーカーに期待する」

 話の内容はよくわからないが、どうやら俺をしようとしているようだった。

「また今度だね」

 駅前のざつとうの中、佐々木は街灯の明かりを反射させるひとみを俺に向けて言った。

「僕は僕で考えてみる。どこかに結論が転がっているかもしれない。あまり期待しないでおいて欲しいが、やるだけのことすらしないのはたいまんそしりをまぬかれないものだ。案ずるより産むがやすしさ。しばしの別れだよ、キョン」

 ひらりと格好良く手を振る佐々木をながめつつ、俺はしみじみと実感していた。

 ゆううつなるハルヒさんの思いつきに十万億土の彼方かなたまで引きずっていかれるほうが、今の俺がかんぼつしている思考ていたい状態より、光が銀河中心団まで行ってもどってくるほど楽なことなのだとな。

 ハルヒなら必ず帰ってこようとする。それだけは間違いなく、あいつの長所と言ってもいいそう本能的特性だ。

 もちろんハルヒだけの習性じゃないぜ。今やSOS団に列席している副団長から雑用係にまで、帰るべき場所はすでに確定して、月がなかった場合の地球マントルプレートのようにカチカチに固まっているのだ。長門が待機し続け、ハルヒが押し入り、朝比奈さんと古泉がごういんたたき込まれた文芸部室にしてSOS団第一本部。

 それで全員そろってやくたいもない時間つぶしにぼつとうしていたいと、俺の大脳旧皮質が神経質的な電気パルスをパチパチ送っていた。

 そうだな、佐々木。やっぱ、俺はあちら側の人間で、こっちにつくことはできそうにねえや。新生SOS団だって? ちょこざいな。あんなもんがさっくりとコピーできたりできるもんか。団あっての人員じゃねえんだ。俺たちがいての団なんだよ。だれ一人ひとり欠かすべからざる、不動のメンツでどこまでもき進むんだ。それは最初、ハルヒだけの望みだっただろう。だが俺や朝比奈さんや長門や古泉と共有する同一の願いになるまで、そう時間はかからなかったと俺は思っている。小型ブラックホール並みのちようせき力を持つ団長の周囲で回るこうちやくえんばんのようなものさ。俺たちは吸い込まれることもだつすることもできず、ただそこに居続けるのだ。俺たちをつかんではなさない、なぞの引力がれるまで──な。



 その後、俺は終始上の空で帰宅することになった。よく自転車を忘れずに帰れたものだと感心するくらいだ。脳みそが情報過多でプスプス音を立てているのが解るほどの、こんだけのけんたい感を覚えたのはいつ以来だろう。意識を保つために全精神力を動員させなければならなかった。

 そのため、まるではし先が進まない夕食を何とか食い終えた後、俺は妹とシャミセンの相手をする体力のひと欠片かけらすら失いベッドにたおれ込むや電気も消さずにねむってしまうというていたらくぶりを発揮した。精神的ボロぞうきん状態と表現したい。

 ブラックアウトの寸前、こんなしゆうしん形態ではきが悪くなりそうだなとチラリと思ったことを覚えている。さらに覚えている限り、夢は見なかった。もっとも、ビューティフルなドリーム以外はもともと目覚めたしゆんかんに忘れてしまうタチだけどな。

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