第五章 2

β─8


 翌日、火曜日。

 頭の仕組みとはよくできているもので、きがそうぜつに悪かったくせにゆうちようねむっている場合かと気がかりばかりが先行しているせいだろう、定時より早くめた目のおかげで、俺は学校前の心臓破り坂をのんびりと歩くことだってできたのだが、心情的にそんな気になるわけもなく、真面まじに坂を上っている一年生たちに交じりながら目新しくもない登校風景にけ込みつつ、常態よりも早足で学校の正門を通りけた。

 このままでは気が重すぎる。最善策は、さっさと荷を降ろすことにあり、その初手としてまずハルヒにあまりかいではないことを告げねばならない。

 教室に着くとハルヒの机は空で、どうも早く来すぎたようだ。言いたいことは無数にあるが、発することのできるセリフがこうも少ないとはボキャブラリー以前の問題だな。朝比奈さんの気持ちが解りすぎるほど解る。言葉で表現できないものをどうやって説明しろってんだ。ボディランゲージか? 絵でもくか?

 どちらもノーだ。そんなものは説明しなくてもいいようにすればいい。つまりは長門が俺たちの日常生活に復帰すれば丸く収まるんだ。その日は早ければ早いほうがよく、あたりまえであろう、長門の熱が長引けばそのぶん、ハルヒの中で疑念が積み重なり、そのうち解決策を求めて次なるハルヒ的な事態を引き起こさないとも限らない。

 たとえばすべてをリセットして高校一年の入学式からやり直すくらいのことをしても不思議に思わない俺がいた。山登りの最中でいきなりスタート地点に引き戻されるのはかんべんだぜ。上手うまく立ち回ることができるかどうか自信がないし、俺は全部ひっくるめて現在の俺たちが気に入っている。ようやくここまで来たんだ。一年間をなかったことにしてたまるか。ゴールのテープは全員で切ってやる。

「ああ、そういうことか」

 固いに座ったひように俺の脳みそが感づいた。我ながら妙にあせった気分になっていると思っていて、ついでにそう思っているということを自己ぶんせきできている自分にも感心するが、要するに俺は身近にいる親しいだれかが欠けていなくなるのをおそれているらしい。り返れば思い当たることばかりだ。ハルヒが消えてあわてふためいたのは世界そのものがひっくり返っていたから大目に見るとして、朝比奈さんが目の前でゆうかいされたり、長門が学校に来なかったり、そのたびに俺の心臓がおおいそがしになる。この一点だけでもじようきようしようで限りなくブラックだ。

 それと同じくつだろうよ。仮に一年時間が巻き戻ってでもみろ。俺はハルヒのちんなる自己しようかいを聞くところから始めなければならず、その時分の俺が若さゆえの気まぐれをはつしようさせてハルヒに話しかける気になるかどうかは五分五分で、実行に移したかどうかに至ってはまさにぐうぜんの産物であり、それにともないスットコ涼宮ハルヒさんなる谷口のくさえん者と接点なく一年五組で過ごしていたら、首根っこをつかまれて文芸部室に運び去られたり長門とせつしよくしたり長門の顔から眼鏡めがねが消えたり、朝比奈さんがされてきたりせず、古泉も転校してこず、とうそう殺人やバカ映画さつえいとも無縁のまま、ゆうきゆうなる時間に流れに身を任せつつ何をすこともなく何に巻き込まれることもなく、せいひつかつたいを欲しいままにして、つうに二年になっていた可能性もあったんだ。

 でもそりゃ、あくまで可能性で、結果が出ちまった今では何の意味も持たない確率ゼロパーセントでしかない。なさざる事実は、どうひるがえって観測しようとしても「ない」から「あり」に変化したりしやしなかったのさ。

 今さらどっちがよかったなどとくなよ。あまりにも明白な回答でしゆんじゆんするヒマもなかったね。

 ならば責任は取らんとな。俺にしかできないことはほかの誰にも任せられず、俺にできないことは他にできる誰かに任せる。今までそうやってきたのだから、これからだってそうしてやるさ。古泉の能弁な解説にたよらずとも、この程度の計算はできるんだ。

 去年の鶴屋家スキー場で長門はたおれ、古泉が大いに頭脳をかつやくさせた。今度は古泉も他でいつぱいだろう。姿を現したイレギュラーな地球外生命、九曜をせいちゆうするだけの能力があるならとっくにやってるはずだ。

 そして長門はいまだ情報統合思念体のちよくめいで俺やハルヒの不興を買うような事態におちいっている。打破することができるのはハルヒを除外すれば俺だけだ。

 いままで長門にはさんざん借りを作り続けてきた。ここらで返しておかないと、地球人類としてのメンツが立たない。きようじんけいたいした朝倉や、しんしゆつぼつな喜緑さんの手など借りてたまるものか。それに俺には中学以来の親しき友人、変わってはいるが関係者の誰よりも常識的な佐々木がいた。どんな甘い言葉にも佐々木なら動じることはない。しんらいに足りるだけの時間を俺はあいつと過ごしたのだ。ハルヒをして変わってると言わしめ、俺もうすうすそう思っていた中学以来のしよう俺の親友だ。男だの女だの性差から来る区分などまったくもってくだらない。俺はあいつに生物学的な格差を感じたことがないし、佐々木もそうであるかのような言動を終始つらぬいていた。

 年賀状を出しておいてよかったぜ。佐々木、今度の同窓会ではおたががおでいたいものだな。まあ佐々木ならあらゆる問題を無にして中学生時代の付き合いにもどるだけの演技力はある。その点だけは誰よりも信頼できた。

 今にして実感するよ。佐々木、お前はちがいなく俺の親友だ。十年後に顔を合わせても「やぁキョン」などの手軽なあいさつから話を切り出すくらいの、希少価値ある人間さ。橘京子や藤原のゆうわくかどわかされることのない、ちゃんと足を地球につけた常識人だ。

 橘京子は古泉の敵。藤原は朝比奈さんの敵。九曜は長門の敵。だが、佐々木は俺の敵じゃない。あいつは俺の旧知であり、中学校の同級生、それ以外の何ものでもないんだ。橘京子と藤原に九曜、選んだ相手が悪かったな。俺の知る佐々木はそう簡単にかんげんによってろうらくされるなおな地球人じゃないぜ。俺以上にへそ曲がりで、ハルヒをえる常識論の信者なのだ。

 そうと決まれば、俺は精神のあんねいを取り戻し準備ばんたん、後はハルヒを待つだけである。

 始業のれいが鳴ってもまだ来ない、めずらしくこくぎわである涼宮ハルヒの空席をただ気配のみで感じながら、俺はもくもくとした視線を黒板にしていた。

 ベッドで目を覚ましたときからではなく、始まりは今からとうらいする。平日の習慣、ハルヒが俺の後ろの席に来て俺が振り返ったしゆんかん、それが一日のすべての始まりを告げる様式美となって久しい。

 そして今日は、俺のスケジュール帳によると今までになく長い一日になりそうだった。

 待ってろ長門。お前の病気は俺たちがなんとかしてやる。てつてい的にたたくべきは、てんがい領域とやらのさらにプラットフォームとやら、周防九曜に他ならなかった。未来人はそのついででいいさ。

 俺がらしくもなく決意を腹にめていると、ホームルームの始まりを教えるチャイムが鳴り始め、ハルヒが教室に姿を現したのは鳴り終わるギリギリ、担任岡部とほぼ同時だった。教師と違うのは教室の後ろのドアからのっそり入ってきたこと、あまり快活とはいえない表情をしていたことくらいである。

 ハルヒは自分の席に着く間際、俺の視線に気づいて、目配せを返してきた。制服のポケットからかぎを出してちゃらりと振り、すぐにう。それだけでもじゆうぶんだったが、

「有希の様子を見に行ってたのよ」

 ホームルームが終わり、一限目の授業が始まる前のかんげきでハルヒは解説した。

「朝ご飯作ってあげようと思って、勝手に上がらせてもらったわ」

「どうだった」

「有希? てた。あたしが部屋をのぞいたら目を開けて、しばらく見つめ合ってて、安心したのかしらね、また二度寝したみたい。起こすのもなんだから、ご飯だけ作って出てきたわ。うーん、熱はそんなにひどくなさそうね。でも、たまにはゆっくり休むことも必要だわ」

「そうだな」

 ほう、とハルヒは小さな息をき、

「有希の寝姿を見てると、なんだかしように……こう、」

 ちゆうちよするような間を開けて、ハルヒは声のトーンを一段落とし、

「変な意味にとらないでよ。うっかりきしめそうになっちゃったわ。だってそうでもしないと消えて無くなりそうに見えたから。そんなわけないのにね、なんでかしら」

 ハルヒはほおづえをついて横を向く。不安そうではなく、どこかおこっているような顔であるが、なぜか俺までむずがゆくなったのは、どういうわけかハルヒの心中を見通せたような気になったからだ。気のせいに違いないが。万が一にもハルヒを抱きしめそうになったからではまったくないのも言うまでもないのだが。

 しかし根源的な要因はどうあれ、俺とハルヒの見解がいつしているのは確定こうのようだ。朝比奈さんと古泉もそうだろう。

 元気な長門……という表現もおかしいが、ベッドで弱々しく寝込んでいる長門なんてものはそう長く見ていたいものではなかった。あいつの居場所は文芸部室がふさわしい。部室でまりしていてくれてもいいくらいだ。あそこにはそれができるだけの設備が整っているからな。長門の欠けた文芸部室など、キリストのいないさいばんさん会場みたいなものだ。

 ところで、俺はハルヒに言わなければならないことがあった。ひょっとしたらハルヒのヒョットコ顔が拝めるかもしれない、その告白をしようとしたところで、生物の教師が到来し俺のじやをしてくれた。

 次の休み時間までの数十分は、けっこう長い主観時間をともなってくれそうだ。セリフ一つ発するのがこれほど重く思えるのは、言葉の持つ重みと相関関係があるからである。



 まるで気の乗らない上に頭にも残らない授業が終わったそうそう、俺はすぐさまり向いて団長に意見をしんした。

「話があるんだが」

「なに?」

 ハルヒはくいっとまゆを上げたものの、俺の表情を見て目を少しばかり開いて、

「ここで言える話? 秘密のことなら屋上か非常階段に場所を移してもいいわよ」

「それほどでもない。お前、今日の夕方も長門のところに行くつもりだろ?」

「もちろん」

「それなんだが、俺はちょいと行けそうにないんだ。ほかに用事ができちまった。長門のことは心配なんだが……」

 どんな反応が返ってくるかと内心ヒヤついていたのだが、ハルヒは眉と目の大きさを元の状態にもどして、

「ふん、そう」

 あごを指ではさむようにしつつ、何やら考えていたが、

「どうしたわけ? またシャミセンがハゲでも作ったの?」

 俺はギクリとしつつ、

「いや、そういうわけじゃない。ちょっとした所用でね。なんというか……」

 とつぱつ的デマカセの才に欠ける俺が口ごもっていると、

「ま、いいわ。あんたがいてもいなくても似たようなもんだし、あんまり大げさに全員でひっきりなしに来られても有希も困るかもね。ご飯の用意ならあたしとみくるちゃんだけでできるしさ。最悪、あたしだけでも」

 さらに考えを深めたようで、

「そうね、そっか。あっちのはあれで気がかりだし、そう。うん、そうだわねえ」

 ちがう回路に通じるボタンを押してしまったらしい、

「どっちも放置できないわね」

 つぶやき声をらしていたハルヒは、自分の中で結論が出たらしい、大きくうなずくとずいっと顔を寄せてきた。

「今日はあんたはいいわ。それから古泉くんもね。有希んちにはあたしとみくるちゃんで行くことにする。お入ってないだろうし、身体からだいてあげるのに男がいたら邪魔だもんね。だいじょうぶよ、軽い風邪かぜなんだしさ。安静が一番」

 に座り直したハルヒは、思い直したようにすぐ立ち上がり、

「古泉くんに言っておかないといけないわね。副団長に押しつけるのは気が引けるけど、考えてみれば適任だし。やっぱ、こっちはこっちで無視できないわ」

 なぞのようなことを言いながら、ハルヒは何か思いついたときにかべるみを浮かべて教室を飛び出て行った。切りえの早さと発案から実行までの速度はりゆう並みだな。

 イワシの群れにとつげきするバンドウイルカのような後ろ姿を見送って俺も息をつき、目を前に戻したところで谷口のニヤケづらと視線がしようとつした。

「ようキョン、涼宮と深刻そうに何の相談だ? いよいよねんを納めるつもりになったってわけか。この裏切り者」

 何の話だか見えてこんね。とりあえず俺がはらっているのは消費税くらいだ。

 俺がしっしっと追い払う手の動きをしているのが目に入っていないはずはないのだが、谷口はクケケとかいちようのような声を出した。

「涼宮と一年間も付き合えるなんざ、この世のどこを探してもお前ぐらいだ。最長記録楽々こうしんってやつだぜ。この際どこまでも続けてやれ。キョン、お前には変人とまともに付き合う才能がある。この俺が言うんだから間違いねえ」

 お前の解答はいつも間違いだらけだろ。あらゆる教科の答案用紙がそれを物語っている。

「そりゃお前も同じだろ。勉強だけが才能のかつやく手段じゃねえからな」

 そんなセリフは他に取りのあるヤツがいうこったろうさ。それも結果論で決まる。まだ何も成していない俺たちがいても単なる現実とうじゃないか?

「かもな」

 谷口はいつもの調子でれ馴れしく俺のかたに手を置き、

「ま、俺にでもスパっとわかる問題だってあるってこった。お前には涼宮が似合ってる。朝比奈さんとはさっぱりだ。そういうことでいいじゃねえか。な?」

 何が「な?」だ。

 俺は谷口の手のこうをつねり上げ、

「それよりお前はどうなんだ。新しくコナをかける目当ての女はできたのか」

「そいつはおいおい考えるさ。なに、夏まではまだたっぷり時間がある。まずはゴールデンウイークだな。どっかの短期バイトにもぐり込んで出会いを求めるつもりだ。さらばあたえられん」

 谷口はいかにもアホっぽく片手を天にばした。

「アホか」

 俺の返しはこの上なくとうなものだったであろう。他に形容詞がないくらいだ。お前、去年も同じこと言ってなかったか? その結果はどうだったよ。俺のおくには果てしなく0が並んでいるような気がするんだがな。

 まあいいさ、谷口。また同じクラスメイトになれてよかったと、機械化歩兵連隊の包囲戦にざんごうり用のシャベルしか持ち合わせがない前線指揮官のような気分をついにんしなくてすんだからな。谷口とのこんなバカな会話が、今の俺にはどれほど安らぐものだったか、ちょっと言葉では説明できないね。持つべきものは自分と同レベルの友人だ。もっとも、たがいにこいつほどおろか者ではないと思っているだろうが、それでいいのさ。過去の自分がどれだけアホだったかは自分が一番よく知っているものだからだ。

 もし知らないやつがいたらそいつは空前の天才か、きよえい心で精神をよろう人の形をしたぞうがめレベルのそうこうを持つ生命体でしかないね。



 ハルヒが古泉に何を告げに行ったのかは、昼休みに判明した。

 弁当食った後にトイレに出向いた俺に、待ちせでもしていたかのようにかべにもたれて立っていたSOS団副団長は、顔を合わせるやいなや、

「ご報告することが二つあります」

 組んだうでの間から、指を二本出した古泉の顔は降水確率ゼロパーセントを確信した気象予報士のようにんでいた。

「一つはどちらかと言えば良いニュース、一つはどちらかと言うまでもなく良くも悪くもないニュースです」

 そのどっちでもよさそうなほうから聞かせろ。

「涼宮さんから、部室待機の任を命じられました」

 さて、ハルヒがお前にきんしんを申しわたくつが見えないのだが。俺の知らないどこかの殿でんちゆうにんじようにでもおよんだのか。

 古泉はさらりと受け流し、

「簡単に言うと留守番役です。放課後、ある程度の時間を部室で過ごすようにとのおおせでした。あの部屋を無人にしておくわけにはいかないそうです」

 なんでだ。本来の住人である長門がおらず、団長のハルヒもメイドな朝比奈さんもいない部室だぞ。利用価値などアブラゼミのがらほどもないはずだろう。

「おや、お忘れですか。部員しゆうの張り紙はいまだ健在にして、まだてつきよされていませんよ」

 ……それがあったか。

「新入生の中から目ざとくも物好きな生徒がSOS団を志向しないとも限りません。むしろ涼宮さんはそれこそを望んでいたようですからね。来なかったら来ないで、さぞ力をお落としになるでしょう。ただ、今はそれどころではなく、そちらの優先順位は下位に置かれているようですが」

 長門がああなっていて、ハルヒは今朝もマンションまで勝手に上がり込むほど熱意をかたむけているんだ、新入団員どころじゃないだろ。

「まさしくそうです。しかし入団を希望する一年生がかいでないという可能性をほうしてもいないんですね。団長らしい心配りではないですか。あなたと比べて、よほど冷静ですよ」

 皮肉なんだとしたら、もっとあく的に言えよ。

そつちよくな感想を述べたまでですが、そうですね、あなたはあなたで正しいんです。正しすぎるがゆえの、直情径行と申しますか。残念ながら、あなたの信条を否定する者は悪の手先か敵の間者とのらくいんを押されることになるでしょう。それほど、あなたは正当です」

 められている気がしないのは、日常がマイルドスマイルろうの口がく言葉だからなのかね。

 俺のえたメガネカイマンのような目を気にせず、古泉はチェロをかなでるような声で、

「良い情報のほうもお伝えしましょう。涼宮さんがこれまで毎夜のように発生させていたへい空間と《神人》ですが、これがパッタリと鳴りをひそめました。予測数値から逆算した結果、当分の間のちんせい化は保証されたと言っていいでしょう。僕もかたの荷が一つ降ろせましたよ。特別勤務手当をもらい続けていてもそくは解消されませんので、これは経過けいこうとして喜ぶべき事態です。あくまで私見にすぎませんが」

 ハルヒが閉鎖空間を出しまくったのは佐々木と会ったあの日からなんだったよな。それがいきなり減少したってのは、佐々木以上に気がかりなことがハルヒ的にあったということだろう。

「言うまでもなく」と古泉は事務的に、「長門さんの一件です。長門さんが学校に登校できないという異常事態に、涼宮さんの意識はかかり切りになっているんですよ」

 より以上に《神人》を暴れさせてもいいくらいだ。ハルヒが長門より佐々木に重きを置いているとは思えん。

 古泉は得たりと言いたげにしゆこうして、

「こと個人に関してみるなら、涼宮さんは長門さんを心配してはいますが、いらってはいないからです。あなたが佐々木さんと必要以上にバイパスしない限り、かの少女はあくまであなたの過去の知人というだけのことですからね。比べて、長門さんはこれまでも今もこれからも、SOS団の大事な仲間なのですから、優先順位などかくにならないほどのレベルですよ」

 そんなものとうにわかってるさ。ハルヒは長門をけっこう気にしていた。それは冬、スキー場の一件でまざまざと教わっている。

 俺はかい的なおくを呼び覚まし、吹雪ふぶきげん館へ思いをはせた。あの時、だれよりもたおれた長門をづかう行動に出ていたのはハルヒだった。団長としての使命? バカげている。ハルヒはそういうヤツなのだ。弱っている人間の横を決してどおりできやしない。ましてやそれが長い時をともに過ごした仲間ともなれば──。

 俺をレトロメモリーズから呼び覚ましたのは、やはり感傷の念とはえんそうな古泉の声だった。

「予定にありませんでしたが、個人的に第三の報告をしてよろしいでしょうか。率直に言わせてもらって、あなたは長門さんに思い入れを注ぎすぎです。冬以降、それが特にけんちよですね」

 何か文句があるのか。ええ?

「いいえ。長門さんはそれだけしんらいあたいするかたですからね。あなたにとっては彼女が機能不全におちいっている現状は受け入れがたいものでしょう。しかし、長門さんを気にするあまり周囲が見えなくなってはほんまつてんとうです」

 長門が枝葉末節だとでも言いたいんじゃないだろうな。

「それも、いいえです。考えてみてください。長門さんがあのような状態になっているのは、地球外生命体同士の不可解な都合によるものです。未来人とちよう能力者グループはかんしていないし、そもそもできません。しかし、その対立構造を第三者が利用することはできるでしょう」

 トイレの前で話すような会話じゃないが、古泉は素知らぬ顔で、

つうに考えて、未来人ならば過去の出来事を知っているはずです。ですから朝比奈さんは普通の未来人ではないんですよ。彼女のとくしゆ性はまさにその一点にあります。その無知という属性にどんな意味がかくされているのかは不明ですが、解らなくもありません。朝比奈さんよりさらに未来にいる者からすれば、過去人たる我々へのデコイとして使えますから」

 そんなことを前にも言っていたな。

「いいですか。長門さんのこうりよく的な活動せいぎよが、ていの事実だとあらかじめ解っていたとしたら、まさにそのタイミングで動くことができるのですよ。SOS団で最大の能力をほこり、またあなたの信頼を勝ち得ており、あなたも長門さんの信頼を得ている。そして、あなたは朝比奈さんの敵対者を自分の敵だとにんしきするでしょうから、あなたが、ということは、つまり長門さんもです。未来人が最もかいにゆうしてきてもらいたくないのは情報統合思念体のTFEI、中でも僕たちの愛すべき仲間である長門さん以外にありません」

 長門が動けない今が、未来人ろう──藤原なにがしのチャンスだというわけか。

 だが、何をたくらんでいる?

「それは、解りません」

 古泉は問いかけるように微笑ほほえみ、

「あなたが明らかにしてくれるのではないかと、あわく期待しているのですがね」

 いいだろう。お前の期待にえるかどうかは、それは今日の俺のふんばりにかかっているようだ。古泉、お前は部室で待ち人来たらずをやっていてくれればいい。ハルヒと朝比奈さんは長門の看病に全力を注ぐという仕事がある。

 ならば俺は、俺の仕事をしてくるさ。

「これは報告ではなく、がいぜん性の低い僕の推測でもあるのですが……」

 古泉は言うべきかどうか、迷った表情でしゆんじゆんする様子だ。そのツラに真面まじふんを感じ取った俺は、あごをしゃくって先をうながした。

「先ほど言った、《神人》の出現消失がちょっと気になっているのですよ。涼宮さんがそっちにかまけるゆうがない、というのは一つの解ですが、我々は大きな誤解をしているのかもしれない」

 というと、どういうことだ。消えたと思わせてどっかへ修行にでも出かけているのか? あの青光りしたダイダラボッチは。

「似たようなものかもしれません。《神人》はきたるべき何かに対して、今はじっと息をひそめ、エネルギーのちくせきに専念しているのではないか、という疑念をぬぐい去れないのです。僕だけのいきすぎたゆうだろうとは思うのですが、予感といえば、そんな予感がしないでもないのでね」

 気をめてる状態だってことか。まさかな。あの青光りした化け物にそこまでの知能があるとは思えんな。少年向けマンガの修行モードじゃあるまいし。

「ええ。僕の気の回しすぎでしょう。どのみち、《神人》の出番が来たら僕たちも同時にしようかんされますから、その時がくればすぐに解りますよ」

 古泉は微笑み、決めたポーズでゆうまえがみはじいた。

 トイレ入り口で男二人の立ち話なんぞ長く続けたいものではなく、俺はさっさと古泉に別れを告げ、ゆうやく、教室にもどった。

 でもって、そこで忘れていた本来の目的を思い出し、再びトイレへと向かったわけだが、それがどうした。マヌケかというそしりを甘んじて受けてもいいとも。

 いくら俺でも、昼休みにトイレに行く時間くらいの余裕はあるのさ。


 なくなったのは放課後で、それも佐々木たちと合流してからだった。



 校舎中のスピーカーが本日の営業しゆうりようを伝えるチャイムを鳴らし終えるとほぼ同時に、ハルヒはかばんを手中に収めて教室からすっ飛んで行った。目指すは三年生のたむろする辺り、朝比奈さんの教室だろう。

 長門のマンション近くまでは俺もともに下校してもよかったが、このぶんでは俺の出る幕はなさそうだ。ハルヒの頭には姿すがたの長門しか映っていないようだからな。

 こと料理に関しては疑いようのないうでの持ち主だし、かい好きらしきことは俺の経験上でも明らかだし、朝比奈さんとのうるわしきコンビでもあるし、日常方面の担当はこのたよりがいのある団長に任せておいて無問題だろう。少なくとも長門の病状に空腹からくる何かが加わることはない。そして問題はそこにはないということこそが、俺がなんとかすべき問題だった。

 さてだれめ上げるべきだろう。情報統合思念体もてんがい領域とやらも俺の手の届かないところにいやがる。こういうときはパスカルの法則だ。どこかを押せばその圧力は確実にちがうどこかに届く。

 後はつつき方だな。

 久しぶりに一人で坂道を下っている最中、俺は努めて冷静になるよう意志を固めようと集中していた。宇宙人には話が通じない。未来人とはしんに向き合って話し合えそうもない。橘京子くらいか。佐々木を通じてどうにかなりそうなのは。

 ぞろぞろと帰路を急ぐ生徒たちに交じりながら、俺は部室に心を向けた。いまごろ、古泉がり人よろしく一人で時間をつぶしていることだろう。あるいはハルヒのチラシを見て迷い込んだ一年生の相手でもしているか……。

 団員がそれぞれ別行動をしていても、一同がいつかは必ず帰っている場所だ。ちゃんと保全していてくれよ、副団長。新入団員希望者が来たらていちようにお帰り願ってくれ。若人わこうどの人生をあたらくるわせてやることはないからな。

 もくもくと歩き続ける坂道はやたら長かった。だんの倍くらい時間がかかったんじゃないかと思えるほどの主観時間の後、俺は止めてあった愛チャリにまたがって北口駅へとでる。佐々木との待ち合わせ時間までには余裕だが、根がびんぼうしようなせいか意味もなく急いじまうね。どうして時間ってのはどこかにちよちくしておけないのだろう。このへんの時間を朝に回せたら一日はもっと有意義になると思ってやまないぜ。

 もっとも、俺はハルヒほど時間に厳しく当たることはない。あいつは毎日をかいな思い出まみれにして永久に覚えておこうとする変態であるからして、そうそうアブノーマルではないつもりの俺は、目的地の周囲をぐるぐる走り回ることでな時間を消費し、約束の四時半十分前になって駅前に降りたった。すまんが自転車はそこらに止めさせていただく。この時間なら市のしよくたくであるてつきよ作業員が来ることもないであろう。

 待つことしばし、駅から流れてくる人波の中から、ここいらではあまり見かけない制服を着た元同級生のゆるやかなしようがこちらに流れてきた。すいすいとした歩き方はどこか見ていて気持ちがよい。見るからに性格のよさそうなふんただよわせているからに違いなく、俺はそれが真実であることを知っている。佐々木は俺の万倍もよくできた人間だった。

 親友と呼ばれるのが申しわけなくなるほどのな。

「やぁ、キョン。待ったかい?」

 そうでもない。時計の長針が真下を指すまでまだ数分ある。時間前に来てんのにばつきんを科してくる女は一人で間に合っているさ。

 佐々木はくっくっと目と口がれいな曲線をえがくようなみを発生させ、

「実際、待たせてしまったようだね。でも、おたがい様ということで手を打とうじゃないか。キミのろうした時間は僕の主観時間ともいつするのだからね」

 どういう意味だ?

「単純さ。実は僕も三十分近く前に着いた電車に乗っていたんだ。たまたま学校が早く終わってね。それで早めに帰ってきたのはいいが、三十分というのはどこかで潰すにしてもはんな時間だろう。ただ待っているのも芸がないし、と考えていたら、キョン、キミが自転車で走っているのが見えた。何か考え深げな顔つきをしていたから声をかけるのはえんりよして、ただながめさせてもらっていた。よくきずに走っていられると感心したよ。そんなにサイクリングが好きなのかい?」

 きらいになるわけなどあるものか。このチャリは長年苦楽を共にしてきた相棒だ。それに俺はじっとしているより身体からだを動かしている方が頭は回るんだよ。テストの点が悪いのは机にへばり付かされているからだろうな。

「実技向きだね。意外と学者にも向いているかもしれない。うん、キミの言う通りだ。入浴や散歩中によく何かを思いつくのは、機械的な身体の動きに脳が退たいくつしてほかのことを考える余地ができるからなんだ。身体を洗う作業なんて手順化されているから半分無意識でもできるだろう? 何もせず思考に熱中するよりも、よほど効率よく考えがまとまる。ルーチンワークは決して楽しいものではないが、行く先の決まった電車に乗っているからこそ風景を楽しむ精神的ゆうも出るものさ。人によっては無為なだけな時間と感じるかもしれないが、タイムイズマネーな人生に真の幸福はないと僕は考えている」

 裏付けを取る気にはならないが、もっともらしくはあった。

「似たようなことでね、キョン。僕は常にどこかにげ道を用意することにしている。たとえどんなに大変な時でも、いざとなったらどうにでもできると考えるんだ。だから、ちょっとしたぼうけんができるのさ。ホラー映画やジェットコースターのようなものだよ。その時間は必ず終わるんだ。形があろうとなかろうと、この世に永遠のものはない」

 今のところ、特に永遠などほつしていない俺は、佐々木のセリフを耳の半分で聞いていた。ここで長々と立ち話を続けていたら、自分が何のために長門のマンションをスルーして来たのか理由がまいぼつしてしまいそうだ。

 俺は周囲をうかがい、佐々木のツレたちと言うにははばかりがあるが他にどう呼んでいいのか決めきれない三人の姿がないことをかくにんし、

「あいつらはどこだ」

「もう来ている。きつてんで待っているとれんらくがあったよ。三十分も前に」

 佐々木はりんのおばさんに出がけのあいさつをするような口調で言うと、軽そうなかばんかたにかけ直し、俺の顔をななめ下からのぞき込む角度で頭をかたむけ、これから高校野球のアルプススタンドまで母校のおうえんに行こうとしている女子高生のようなあっさりとしたこわいろで、

「じゃ、行こうか」

 もちろんだ。俺はそのためにここに来たのだからな。

 それは俺自身の存在意義をけたたたかいに向けての宣言でもあった。すべては世界のあんねいのために。ハルヒの無意識ストレスをせさせ、古泉のそくをともかくとした『機関』によるあんやくの減少推進、さらに朝比奈さんの内面的おうのうを軽減し、そして長門の健康状態を復活させる。

 すべては俺の口車にかかっていた。『機関』と対立して佐々木を神としてたてまつろうとする見当ちがいども。まったく行動指針の一定していない割に長門を寝込ませている何チャラ領域なるちようくだらねえめいしようをつけられたE.T.のくそったれなもとめ。わざわざ未来から来て仮面の下で笑っているようなどうをやってるほつ藤原氏のまつえいみたいなゆがんだくちびるを持つ未来人。

 ここが勝負の分かれ目、てんのうざんせきはらせきへきの戦いであるのは自覚済みだ。俺は大いなる歴史の潮流の中にいるらしい。身体が二つあればさな家みたいに分散配置するところだが、あいにく手持ちの肉体は一つしかない。腹をくくるべきだろう。

 すけ太刀だちだれにもたのめない。古泉は部室で留守番、ハルヒは長門部屋に直行し、朝比奈さんはここにいるはずの存在ではもともとない。朝比奈さん(大)による未来通信がとうとうなかったということは、今の朝比奈がみ様にはかんできない歴史的事実なのだ。もし万が一、さりげなく喜緑さんがかいにゆうしてきたり、朝倉が再度の復活をしてきたところで、俺はそんなものを「いらん」の短くも感情のこもったセリフではいじよする気満々だった。り返す必要があるなら何度でも言ってやる。

 ここは地球で、地球は俺たち地球人のものだ。

 誰か一人に所有権が設定されているんじゃない。ましてやハルヒは地球れんぽう政府の最高評議会議長でもなんでもないのだ。

 ハルヒにっかっている属性、それは県立北高の未認可組織、SOS団団長というもの以外のそれ以上でも以下でもないんだよ。

 あいつの高校一年初期から変わらぬデータベースで、それが最も大きな内容証明だ。かつてハルヒは言った。

 ──こういうもんはやったもん勝ちなのよ!

 改めて思ってやろう。ハルヒ、お前はスゲェよ。形を整える前に、まず形のとりようを宣言したんだからな。ましてや、その言葉通りに組織が結成されたとあっては、古泉が消極的に言ったハルヒ=神様論がしんぴよう性を増して俺の心にさらんとするのもわかる話ではある。

 信じるかどうかはまた別の話さ。

 ただ信じるだけなら、教会でざんしたり聖水を浴びたりしたことのない俺でさえ、いもしない神にすがりたくもなるというものだ。たまにさいせんを投げ込む近所のさびれた神社でもいい。ぼんにお経を唱えに来る何宗何派なのかさっぱり解らんぼうさんでもいい。

 拝むだけで物事がうまく進むなら、そんなに楽なことはなく、そうした結果、苦難の道がわずかでも軽減されたおくなど、物心ついて以来かいであるという経験を積み重ねている俺は、まだしもかさ地蔵を拝むことをすいしようしていた。他力による本願の結実など意味がない以上に、本人のためにもならない。目の前にある強固なかべは、おんしゆう彼方かなたにのごとく、自力でこつこつとでも切りくずさなければならないのだ。

 まずはその第一歩だ。長門が寝込んで九曜のみならず朝倉と喜緑さんまで出張ってきた。全員、地球というたいで観客不在のバトルチックな寸劇を演じていやがる。ゆいいつの客席に着いていたのが俺であり、見てしまった以上はもくして語らずとはいかなかった。

 そのたんを発しているのが長門の体調不良となればなおさらで、ハルヒがまんの限界に達するまでに、この手のコズミカルな事態を平和に解消するのは俺の役目だ。

 橘京子は言った。力を持つべき真なる人間は佐々木なのだと。

 藤原は言った。力を持つ者など誰でもよかったのだと。

 周防九曜は言った。興味のあるのは俺でもハルヒでもなく、情報統合思念体のインターフェイスにあると。

 見事にバラバラだ。

 あともう少し時間があったならな。あいつらはにせSOS団として、えちのちりめんじゃこ屋を名乗りつつ諸国をまんゆうするヒマを持つことができたのかもしれない。残念ながら今はたいへい時代ではなく、高度情報化社会の現代だ。あおいもんどころにそうそう権力的価値があってたまるものか。

 おまけに周囲の八方、どこをわたしてもまともな人種以外は俺のまっとうな味方とは言いがたいというシチュエーション、朝倉はナイフともども復活するし、喜緑さんは何がどうかたむいてもそれを親元に報告するだけ、九曜は俺が死んでも生きててもどっちでもおもしろいと思ってそうな機械人形で、未来人藤原はこの時間の何を知っているのか、いつもゆうちようしようかくそうとしない。少なからず必死さを覚えるのは橘京子のみで、それも察するに最小勢力だ。古泉指揮する『機関』にていよく利用されるのが関の山だろう。

 やはり、こいつしかいないのだ。

 古泉にとってなぞの存在、朝比奈さん(大)にとっての時間的ジャンクション、長門にとっての進化の可能性のかぎ

 すなわち、それは俺だ。そして俺は自らが何者なのかまったく解っていない。多少とくしゆな学生生活を送ってる高校生だったってのは認めるところだが、かといって特別な人種でもないんだぜ。あの日ハルヒが俺のえりくびをつかんで後ろの机に後頭部をぶつけるまで、俺はどこに出しても見苦しくないいつぱんへん的な、一県立高校の生徒だったのだ。

 何がどうなってこうなろうとしている。俺の向かう先はどこにある。ハルヒとともにどこまでも歩むか、それともどこかでしゆうえをすることになるのか。

 それは俺と佐々木が向かっているみのきつてんで決定されることになるだろう。

 ここで質問だ。とっくに自らの道を切り開き、いったんはその道をまいしんすべきだと決意したものの、実はもうちょっと楽な横道が発見されたとき、さてどちらをせんたくするか。

 苦難に満ちた初志かんてつか、負担の少ない裏道か。

 俺が突きつけられたのは、まさにそのようなしやたくいつだった。

このエピソードをシェアする

  • ツイートする
  • シェアする
  • 友達に教える

関連書籍

Close