第三章 2

 部室とうのドアをたたきまくって何とか定員ぶんのパイプ椅子を確保した俺と古泉がもどってきたとき、一年生たちはまるで検分でもされているかのような横列を形成していた。

 ハルヒは団長席でふんぞり返り、長門は定位置、朝比奈さんは所在なさそうにポツンと立って、俺の顔を見るや、明確にあんの表情を浮かべる。だん人口密度の低い文芸部室に通常の三倍以上の人員がめ込まれているわけで、一見しただけで不自然だ。朝比奈さんでなくとも不安になるさ。

 俺が古泉とともにパイプ椅子をテーブル周りに配置し、直立を続ける一年生どもに気のいたセリフを言ってやろうとしたしゆんかん

「全員、着席。座ってちょうだい」

 団長が横取りしやがった。

 十余名の一年生はたがいにいちばんやりゆずり合っていたが、やがて誰からともなく任意の席に着いたのを見届けて、古泉はかべぎわに椅子を移動させて席を作り、試験かんとくかん手伝いのような顔をして座り込む。じゃあ俺もそうするかと思ったところで、手元にこしを落ち着けるべきパイプ椅子がないことに気づいた。

「あれ?」

 元々部室にあったパイプ椅子は団員分プラスお客さん用のものが一つ。このたび借り受けてきた椅子が十個なので、入団志望の一年生の数を足してちょうどのはずだった。何で足りなくなるんだ?

 俺はもう一度頭数を目算した。

 一年生は合計で……ん? 十二人? 数えちがえたか。ろうにいたときは十一人だと思ったんだが、男が七人で、女が……五人。じっくりながめても誰を見落としていたのか判断を下せなかった。全員いたような気もするし、反面、誰がいなくなっていたとしても気づきそうにない。確かなのは、俺に瞬間映像おく能力がないってことだ。

 やむを得ず俺がっ立ったままでいると、朝比奈さんがあわてだした。

「あっあっ。お湯飲みが足りません。あの……お茶……。れようと思うんですけど……どうしよう……」

 学食まで行ってプラ製のやつをパクってきてもいいが、そもそも部活見学に来た新入生にお茶をおうとするこうか非かと思案に暮れていると、

だなの中に紙コップがあるから、それでいいわ」

 ハルヒが結論を出し、朝比奈さんはいそいそとパックされた紙コップの束を取り出して、またもや慌てたように、

「ああっ。ごめんなさい。お水が足りません。んで来なきゃ……」

「キョン、水。ちよう特急で」

 ハルヒ様の有り難いお言葉をたまわり、せいぜいじゆうめんを作って水飲み場にヤカンを両手に走る俺だった。

 ぜいぜい言いつつかんした俺にかけられたのは、朝比奈さんの申し訳なさそうな中にもうれしさを感じさせる、「ありがとう、キョンくん」というねぎらいのセリフのみだったがじゆうぶんだ。

 さっそくヤカンをコンロにかける朝比奈さんのメイド姿を、いつしかダース単位の一年生の目がまじまじと追っていた。

 ハルヒがまんげに、

「このとおりよ。我が団にはゆうしゆうな使いっぱとメイドがざいせきしています。全国をわたすがいいわ。かわゆいメイドさんが無料でお茶淹れてくれる団は世界に一つ、ここだけよ」

「え、あ。はい……」とおもはゆそうな朝比奈さん。

「おおー」と一年生たち。

 キミたちはバカか。そこは感心するところじゃない。第一、好きこのんで来るとこじゃねーぞ、ここは。

「そしてね」ハルヒはえらそぶったばんじようなるがおで、「みくるちゃんのお茶くみ技術は日進月歩なの。この前飲んだ団茶ってやつが変な味して面白かったわ。名前も気に入ったし」

「あぁ、あれは……そうなんです。野心作だったんです。よかったぁ」とめられた忠犬のように喜々とする朝比奈さん。

「おおー」と一年生たち。

 いや、だから、おーじゃないって。そくに回れ右するところだ。なぜならそのナントカ茶とやらは薬みたいな風味の、なんというか、朝比奈さん補正がかかっているのに心苦しくも高得点を差し上げられない一品で、一気のみを作法とするハルヒ以外にはおすすめできない。バツゲームに使えるぞ。

 朝比奈さんがうきうきとお茶の準備をする間、長門は我関せずとばかりにすみに引っ込んで読書を続け、古泉は完全にオブザーバーを決め込んでいる。俺は番人よろしく部室とびらによりかかりながら、ハルヒの演説を聞くはめになった。

「さて、みなさん。我がSOS団に入団を志すなんて見上げたこんじようだわ。生徒会にうるさいのがいるせいでロクに宣伝できなかったけど、わかってた。性根のすわった一年が絶対いるにちがいないってね。うん、そう。自発的に来ることが大切なのよ。正直言って、見回ってみたんだけど一年生なんてどれも同じに見えんのよね。でも! あなたたちは今ここにいない一年生より優秀なのよ。そこは自信満々でいていいわ。あたしが保証してあげる。ただし、それだけじゃダメなわけ。このあたしの団は、そんじょそこらの部活とは一線を画する存在だから、団員もそれなりに画してないとね。ところで! あなたたちSOS団が何をするところなのか、ちゃんと理解した上でここに来たのよねぇ?」

 そんな疑問形で言われても困るだろうね。俺だっていまいち解りかねているからな。

「何か聞きたいことある?」とたたみかけるハルヒ。

 案の定と言うべきだろう。一年生のうち、背の高いたんぱつの男子が挙手した。

「質問なんすけど」

「言ってごらんなさい」

「何するところか知らないんすよ。面白そうだと思って来ました。変な部があるって中学でうわさになってて、いざ北高に来たら本当にあったんでついつい。動機っていうのも変すけど、こんなんでもいいんですかね?」

 ハルヒはすっくと立ち上がり、その男子生徒にあいしようを見せつけながら歩み寄って、

「はい、あんたはここまで」

「へ?」

 ぜんとする少年のえりくびをつかむと、小型クレーンのような力で引きずって行き、ドアを開けてろうにリリースした。

「残念だけど入団試験第一段階で不合格。ご苦労だったわ。実力をみがいてからまた来てちょうだい」

 あわれな一年男子の鼻先でドアを閉め、振り返ったハルヒは、

「ちっちっ。あたしをナメちゃだめよ。あたしはね! SOS団団長として世界を盛り上げる義務を背負ってんの。それ以外のことを全然考えていないと言ってもごんたきのぼりではないわ。だから新入団員にだってきようは許すまじと思うワケよ。こういうのは年々進化してないとすぐにはいしちゃうんだから」

 キョトンとしているのは朝比奈さんのみならず、俺と一年生の全員だ。いったいいつから入団試験が始まっていたんだ? 運の悪い一年ぼうがいたもんだ。紙コップものとは言え、朝比奈さんのお茶を飲む間もなくほうちくされるとは。

「言っとくけど、あたしは笑いには厳しいからね。まずシモネタとモノマネは問答無用できやつ。とにかく何かきよくたんなことして笑いを取ろうとするのは全部ダメ。トークで勝負しなさい、フリートークで。思うんだけどね、そもそも人が笑う仕組みというのは──」

 どうしてこんなところでハルヒのお笑い論を聞かされにゃならん。

「ハルヒ」

 副団長以下の団員はこういうときに何の役にも立たないため、消去法で俺が言うことになる。

「今のやり取りはなんだ。さっきのヤツがちょっと気の毒だろう。入団試験ってのはどういう仕組みだ。お前の気に入らんセリフをいたらその場でだつらくなのか」

「そこまで自分勝手じゃないわよ。あたしは意気込みが聞きたかったの。質問に対して答えるのは簡単よ。難易度に合わせて頭を働かせればいいんだからね。レベルが問われるのは質問を作るほうなの」

「すると何か、さっきの」と俺は親指で部室扉を示し、「ああいう質問はレベルが低いって言いたいのか」

「率直に言うとそういうこと」

 ハルヒは何食わぬ顔で団長席にもどり、あくまでやさしい上級生姉さんのようながおで一人減った一年生たちをへいげいして言った。

「で、何か質問ある?」

 誰も口を開かなかったのは、言うまでもない。



 朝比奈さんのれたお茶が全員に行きわたったころになっても、すっかりしゆくしたのか一年生たちは早くも居心地を悪そうにしてだまって座り込んでいた。

 しやべっているのはハルヒのみで、SOS団結成以来の歴史を、まるでさなじゆうゆうの戦いぶりを伝える講談師のように語っている。かなりのちようふくまれているため、話半分で聞いておくように。

 俺は欠員が出たおかげで空いたパイプを引き寄せ、古泉のとなりに落ち着く。物言わぬ副団長は、しようをたたえて計十一人──やっぱり十一人か──の一年生を品定めしている様子である。俺もそうしてみよう。なんせハルヒは自己しようかいの必要なしと思っているようで、誰の名前もクラスも出身中学もこうとしない。せめて容姿からあだ名でもつけといてやるかとながめていると、そのうちの一人が目に止まった。

 何もやましい気持ち一つないととりあえずイイワケしておくが、それは女子生徒だ。

 ハルヒの独演に耳をかたむける一年生の中で、そのむすめだけがゆうの感じられる表情でいる。

 野球大会の連続ホームランに小さくかんせいを上げ、とうの殺人劇で口をおおい、解決編で笑顔になり、コンピ研との大げさなゲーム対決に何度もうなずき、自分のことのようにベタめする阪中家のペット話にまた微笑む。

 やたらなおな反応を見せる一年生である。

 頭の位置から計算して、たけは長門くらい、体重は長門より軽いだろう。かみ質はパーマの後ブローしなかったようなくせ気味、スマイルマークみたいな髪留めをななめにつけているのがとくちようと言えば特徴的な記号で、制服のサイズが合っていないのか、どことなくブカブカとした着こなしなのがよく見るとわかるようになっている。ちっともこなれていないが。

 そして俺は、見れば見るほど、どこかでこの少女を見たことがあるような気がしてならないのだった。しかし、同時に絶対に出会ったことなんかないという確信も持っていた。俺の一年下にこの女子生徒はおろか、似たような人間が存在した歴史はない。頭の中でモンタージュをやり直し、そのの髪をストレートにしたり長くしたり短くしたりしても、やっぱり思い当たらない。誰かの妹で兄貴のおもかげが見えんのか。それにしてはその兄貴にも思い当たるふしがなく、熱々のおでんの具がのどに引っかかっているようなもどかしさを感じる。

 俺の視線はかなりしつけなものだったろうが、その娘は気づかず、熱心にハルヒの独演会をちようしゆしていた。表情がコロコロ変わるのが見てておもしろい。どんなうそっぱちでも信じそうな、話し手にとってうれしい聞き手の見本のような少女だった。

「──というわけ。こうしてSOS団は生徒会長のあくらつな計画を打ち破り、文芸部存続の道を守り通したの。きっとまたやつとくさつヒーローの悪役みたいにりるということを知らずきたない手をばしてくるでしょうけど、先に最終回をむかえるのは奴等のほうよ。SOS団とあたしが道半ばにしてたおれることはあり得ないわ。これまでも、そして、そう! これからも!」

 それが〆の言葉だったらしく、ハルヒは片手をき上げたまま、しばらくじっとしていた。

 俺がすっかりヌルくなった湯飲みをどこに置こうかと場所を探していると、ハルヒは何やらかいな視線を俺に送り始め、あげくの果てにしきりにまばたきしてくる。そのあごをくいくいさせるのは何のブロックサインだ?

 俺とハルヒが不可解なるアイコンタクトのおうしゆうに明けくれていたところ、小さなはくしゆが耳に届いた。小型と言っていい手のひらが打ち出す音量はひかえめで、その手の主は俺が気になっていた一年女子だった。

 パチパチと手をたたく少女につられたか、ほかの一年生たちも我に返ったようにシッティングオベーションを始め、左右を見回した朝比奈さんもあわててそれに続いた。

 ハルヒは満足そうにうなずくついでに、俺に非難の目を向ける。仕込みをしていなかったお前が悪い。そういうことは事前に打ち合わせておけ。

 ハルヒはさっと手をって拍手をき消し、

「まあ、そういうこと。これでSOS団についての総論は頭に入ったでしょ。本当なら入団試験だいだんといきたいけど、あなたたちにも準備があるでしょうから今日はここまで! やる気のある人だけ明日も来なさい。以上!」

 そう告げるハルヒのわんしようが「団長」ではなく「試験官」になっているのに初めて気づいた。

「じゃっ解散っ!」



 一年生たちが足早に立ち去った後、ハルヒは鼻歌をかなでながらパソコンを起動し、じようげんオーラを立ち上らせつつマウスを鳴らしていた。

 俺は古泉と手分けしてたいされていたパイプ椅子を返しに行ってて、だからハルヒに声をかけたのはハルヒのパソコン操作がどうに乗っていたあたりか。

「どういうつもりだ」

 俺印の入ったみの椅子を広げつつ、俺はハルヒのリズミカルにれるカチューシャ頭に問いを発した。

 ちら、とこちらを見上げたハルヒがしてやったりと言いたげな顔でいるのが気にさわる。

「団員希望の一年生が一念ほつして来たって言うんだ。なのに、お前の態度は入団をそくしんさせる効果を何一つともなってなかったぜ。連中、二度と来ないかもしれん」

「かもね」

 ハルヒは軽快にブラインドタッチしつつ、

「そうなったらなったでいいわ。こんなことくらいでめげる団員をあたしはしよもうしていないから。気合いのあるヤツだけ集まればいいの。捨てばちな気合いを持ってるだけでもダメだけどね。あたしが作った入団試験、そのことごとくに合格するような一年以外は願い下げよ。ハードル競走の道は長くて、障害物は高いのよ。冷やかしで来るようなぼんじんを求めるほどSOS団は人材に困ってなんかないんだからね」

 学内での存在意義がゼロであるからして、当初から人材にこんきゆうしているという事実は発見されないのだが、生徒会としても一年生の中から新たな神前もつ的な生けにえを出したくはなかろうさ。この部屋が大所帯になるのは俺だって快くえんりよしたいじようきようだ。朝比奈さんのお茶は無限に出てきたりはしないんだからな。ヤカンとポットの総動員は相当の手間だぜ。

「なあ、本気で新入部員を取るつもりなのか」

 俺は朝比奈さんの新茶を手に一息つくハルヒに、

「長門や朝比奈さん、それに古泉はお前が無理矢理巻き込んだようなもんだ。そいでだ、お前、この高校に入ってきたばかりの一年生の中に、お前がかつてそうしたようにしたいと思った学生はいたのか?」

 休み時間の校内対策は今もじつ中のはずだ。教室にいることがまれだからな。

「さっぱりいなかったわ」

 ハルヒは断定的に答え、

「少なくともマスコットキャラに相応ふさわしいのは見あたんなかったわね。でも、もっとちがう属性の持ち主がいるんじゃないかと思ってんの。それもあたしが全然思いつかなかったような、とびきり新しいステージのやつよ。どっかにいそうなのじゃないまったく新種のオリジナルな個性の持ち主。だいたいさ、そこらに転がってるのばっかじゃちっともおもしろくないでしょ? 決まった方向性のばっかりだとなんか色々かぶるじゃない。眼鏡めがねの図書委員はおとなしくて、かみの短いボーイッシュなのは運動部だったりとか、そういうのじゃあさ」

 別にいいだろうが。ヘタに変な性質を持たせて人格たんしやになるよりマシだ。俺なら何だってかんげいだぜ。

「そんなのね、あたしには全然なの。バリエーションの組み合わせは無限近くあるけど、そんな組み合わせ以前に少しは考えることがあるでしょ。これはもう、人間の想像力が歴史とともにどんどんれつしているというしようみたいなものよ」

 そんなものお前がうれう義理などなかろう。朝比奈さんを最初に連れてきたお前の口がき出すセリフとは思えん。

「みくるちゃんはオンリーワンな人材だったじゃないの。だからいいの」

 それにだ、言っても人類はこれまでなんとかやってきたんだ。これからだってどうにかするさ。変に想像力をやくさせて地球をき飛ばすより全然いい。

 ハルヒは湯飲みのはしかじり割るように歯を立てて、

「もっとざんしんかつばつな人々を求めたいの! あたしと考え方が真逆な、新しいぶきを吹き込んでくれるような一年生がいいわね。それを正しく調べるために、入団試験を実施するってわけ。たぶん消去法になるでしょうね。でなければ、会ったしゆんかんにあたしはそいつがとくしゆな精神構造を持ってる人だってわかるもの」

 湯飲みを置いたハルヒは、マウスに手をもどして、

「今作ってるのが入団試験問題の筆記試験なの。昨日の夜も家でこれやってたんだからね。団長の業務はぼうきわめるのよ。あんたが小テストの勉強もせずにダラダラしている間、あたしは必ず来たるべき未来に向かってまいしんしてたのっ。キョン、昔の人はいいことを言ったわ。人のふり見て我がふりを見返すべきよ。下を見るんじゃなくて手の届かないくらいの高みを見上げるわけ。自分もあそこまで行こうっていう心構えを持たないと人間はらくする一方なんだからね!」

 ありきたりな説教なら馬の耳元で言ってやれ。それに太陽に近づきすぎたイカロスはそのこうによってついしたんだぜ。何事もほどほどがベストだと俺は思うね。腹八分目というか。

 俺の空になった湯飲みに、朝比奈さんが目ざとく気づき、きゆうを持ってけつけてくれた。

 このうんきゆうでメイドになりきっている朝比奈さんだが、きつてんでバイトでもしたらたちまち時給があおてんじようになると思う気持ちをおさえきれない。そういや、この人は現代の活動資金をどうやって得ているのかね。やはり未来人手当が出ているのか。

 人口が減ったおかげで、部室は元の有様を取り戻し、これでようやくくつろげる。何があっても自分の読書スタンスをくずさない長門とお祭りさわぎを一つ終えたハルヒ以外のメンツは、どことなくゆるんだ空気の中、だんのポジションについていた。

 向かいに座っていた古泉が、またもや新種のゲームをテーブルに置いて、

「どうです、一勝負」

 れんじゆとかいう古典ゲームらしい。どうせここにいてもヒマだ。頭の体操代わりに付き合ってやってもいいぜ。その前にルールを教えろ。

「五目並べのようなものです。覚えたら簡単ですよ」

 俺は古泉の言うままにばんじように石を置きながら、実地でだいたいの遊び方を教わった。

 そのまま下校時間になるまで打ち続けたところ、たちまち俺は古泉に連戦連勝するようになる。俺の物覚えとコツをつかむセンスがいいのか、単に古泉がどヘタなのか、ともあれ勉学には何のえいきようもなさそうなひまつぶしをすることしきりの状態が続いたが、夕暮れとなって長門が本を閉じたことで、それをすべての終わりの合図とする習わしを持っているSOS団はこれにて業務しゆうりよう、俺たちは三々五々に立ち上がり、朝比奈さんのえを待って学校を退去した。

 明日、何人の一年生が二度目のノックをこの部室とびらにすることになるだろうね。



β─6


 部室にはなかなか誰も来なかった。ハルヒがどっか行っちまったのはいいとして、長門がここまでおくれるのはめったにないことだ。コンピ研に顔でも出してんのかね。古泉はあれで特進コースだから、二年になって色々やらんといかんことも多くなっているだろう。めんどうなクラスに入ったもんだ。九組の担任は教育というより生徒の学力向上に熱意をかたむけるタイプといううわさが俺の耳にも入っていた。古泉もちゃんとした進学を考えているらしい。でないと、そんな息のまりそうなクラスに転入するはずもないだろうからな。『機関』の裁量でどこでも好きな大学に入れるだろうに、まあハルヒの行く先があいつの進路でもあろう。俺はといえば、そんな先のことは文字通り先送りするがままに任せている。一年半後くらいの俺なら自分の限界を解っているだろうさ。まともに受験したなら、俺が古泉と最高学府を同じくする確率などありの一穴より小さく低いものになるだろう。ハルヒのことは──さあ、俺の知ったことではない。どこにでも自分の能力をかせるところに行ってくれ。

 俺が長門の本を読むともなしに読んでいると、やっと殺風景な部室を一気にパステル調に染め上げるような方がいらした。

「あ。キョンくん」

 歩くマイナスイオン発生器、朝比奈さんはていねいに扉を閉めると、巣穴に戻ったシマリスが拾ってきたクルミを置くようにかばんを下ろし、

「ちょっと遅れちゃったと思ったのに、ほかに誰もいないなんてめずらしいですね。涼宮さんは?」

「授業が終わるなりどっかにすっ飛んでいきましたよ。春先ですしね。むやみに走りたくでもなったんじゃないでしょうか」

 冬の間にエネルギーをたくわえていた花みたいに。あるいはサザンカの種のごとく。走り回りたくなる気分もわかるっちゃ解るね。今年の冬は体感でちと長かった。

 俺は朝比奈さんの着替えがすみやかにおこなわれるよう、部室から退去しようと立ち上がり、歩きかけたところでり向いた。

「朝比奈さん」

「はい?」

 ハンガーにかかったメイド服に手をかけ、不思議そうな顔で見つめてくる朝比奈さんのひとみは、どこまでも純正だ。この瞳のとうめい度をにごらせることはしたくなかったが、気がかりなものは気がかりで、二人のみというじようきようはけっこう希少であり、だから俺はたずねた。

「二月に会った、あの未来人のことですが」

 俺のこわいろで何かをつかめたのか、朝比奈さんはしようから指をはなして、

「ええ、覚えています」

 真面まじな表情を作る。俺は言葉を選びつつ、

「あいつがたくらんでることって何ですか? 過去に来ている目的というか。ハルヒの観察ってわけでもないらしいって感じなんですが、俺にはどうにも解らない」

 言いながらなやましさを覚えてきた。ここで藤原なる未来人がまた来ていることを教えてもいいものだろうか。藤原と名乗ったことや、佐々木のこともだ。どっちがてい事項なんだ? 言うべきかせざるべきか。

「えーっと」

 朝比奈さんはくちびるに指を当て、

「あの人の目的は……そのぅ、あたしには教えられていません。ええと、でも、悪いことをするために来たんじゃないと思います。これはあたしの考えたことだけど、何も指令が来ないのはそのせいだと思うんです」

 実に言いにくそうだった。おそらく禁則こうれないようにしているからだろうな。

 俺は朝比奈さん(大)の横顔を思い出しながら、

「あいつはここ……俺たちの時代と地続きの未来から来たんですか?」

 俺が一番気にしているのがそれだった。

「続いているのはちがいないです」

 朝比奈さんは考えをまとめながら話すように、

「あの人もあたしと同じ……その、仕組みでこの時代に来ています。TPDDによる時間移動は……そうですね、時間平面にこんせきを残すので……」

 そこでハッと顔を上げ、

「あれ……? このことって、禁則のはずなのに……言えちゃいました。どうして?」

 俺がきたいが、どことなく解る気分だ。

「朝比奈さん、TPDDが何のりやくしようか言えます?」

「タイムプレーンデストロイドデバイス……え?」

 うっかり口にした唇を押さえ、朝比奈さんは目を見開いた。

「うそ……。禁則なのに」

 俺がすでに知っている言葉だった。四年前の七夕の日、朝比奈さん(大)に聞いたからな。きっとその時点でNGワードではなくなったんだろう。

「ずいぶんぶつそうな単語が交じってますが、どういう意味なんですか」

「それは……あたしたちが時間平面をえて時をわたるには、」

 朝比奈さんが口をパクパクとさせるのを何の魚の真似まねだろうと思っていると、

「……ダメです。言うことができません。禁則が全解除されたわけじゃないみたい」

 むしろ安心したような声だった。俺も同じ感想を持つね。人知をちようえつした知識を持ちすぎるとロクな目にあいそうにない。うっかり小耳にはさんだことが国家をるがす重要機密だったりしたら、たいていそんなヤツは口をふうじられるなり追われることになるのがいつぱん的なセオリーだからな。

 俺がかたをすくめて見せると、朝比奈さんは小さくみをかべた。

「ごめんなさい、キョンくん。今のあたしに言えるのはこれだけ。だけど、そのうちもっと話せるようになってみせます。禁則が少しでも外れたのは、これまであたしでも何かができたっていうしようだもの」

 うまくくことのできたタンポポのような笑みで、朝比奈さんはり返す。

「きっと。そのうち」

 思わずうちかぎをかけてひとめしたくなる笑顔だ。誰かこの様子を写真にっててくれないだろうか。この時間だけ切り取って永遠に残しておきたくなる。

 だが俺は、カメラを用意したりじようしたりドアにつっかえ棒をまさせるかわりに、無言でほほみだけを返した。

 信じますよ、朝比奈さん。あなたの努力がむくわれることを俺は知っている。どんな努力をしたらこんな成長するのかってくらい育つこともね。今目の前にいる朝比奈さんが、朝比奈さん(大)として花開くまで何年かかるかは知らない。個人的にはあまり成長を急ぎすぎないで欲しいのだが。

 この年下のように見える上級生が朝比奈さん(大)の姿に近づけば近づくほど、別れの時期もまた接近していることを表している。

 ならば、できる限りこのままでいていただきたいと思うのは、俺が利己的すぎるからだけではないだろう。誰だってしいさ。特にハルヒ。寒いときにきつく先がなくなることを、あいつが残念がらないわけはないのだ。



 俺がろうで門番のついでに長門の本を立ち読みしていると、せいのよさがつまさきからでも読みとれる女団長と、ほうしゆうでSPのように付き従う物好きな長身の副団長が並んで歩いてきた。

 古泉の本意そうなせいりようスマイルに思うことはただ一つ。間の悪いヤツだ。一人で来たならしばらくコソコソ立ち話ができたのに、ハルヒとともり状態じゃそれもままならねえな。昨日の橘京子に関する俺の意見を語ってやってもいい心意気だったんだが、こいつのことだからとっくに情報入手済かもしれず、喜緑さんがアルバイトしてたと伝えてもおどろきもしなそうだし、これほどサプライズのけがいがないろうもいない。

「みくるちゃんがえ中?」

 どこを走り回っていたのかは知らんが息一つ乱していないハルヒは終始ごげんに歩み寄り、俺をしっしと追いはらうとノックゼロでとびらを押し開き、

「わっ、あっ、ちょ、まだ、わわわ」

 と朝比奈さんに可愛かわいい悲鳴を上げさせ、

「あとファスナーあげるだけじゃん。気にしなくていいわよ、そんなの」

 俺のそでからめ取るとごういんに引き寄せて部室に押し入った。朝比奈さんには幸いなことにハルヒのセリフは実に写実的で、エプロンドレスをまとった朝比奈さんが窓に背を向けうでを後ろに回して固まっているポーズのみが俺の目に入ったすべてだった。

 ハルヒはディフェンスラインの裏にりこんだサッカーボールのように朝比奈さんの背後に回り、最終章に差しかっていた着替えのとうかざる。といっても背中のファスナーあげを手伝って頭にカチューシャをっけてあげただけだが。

 俺は長門本をテーブルの元あった位置に置き、銭湯の番台わきからおんなのぞくようなスタンスで顔を出す古泉に、

「ハルヒと何してた」

「何も」

 オットセイが海中を泳ぐように、するりと入室した古泉は後ろ手に扉を閉めるとものごしおだやかなスタイルをくずさず、

「一階通路でぐうぜんいつしよになっただけです。あなたを除け者にして涼宮さんと特別任務にはげんでいたわけではありません」

「そうかい」

 そりゃ何よりだ。ハブにされても俺の心証が悪くなることはないが、お前はハルヒが部費をせと生徒会室になぐり込んでも平気で後をついていきそうだからな。そうなると俺の心労が増える。学園いんぼう物語は当分いらんぜ。

「言っても生徒会長はぼうではありませんから、仕掛けて来るのだとしてももっところいを読んでくるでしょう」

 古泉は定位置のパイプに座りつつ、ハルヒにしようを向けた。

「たとえば我々が大々的に団員しゆうこわだかに宣伝したりすれば、たちどころに」

「大々的にするつもりはないわ」

 ハルヒは団長席で指をった。

「けど、まったくしないってのも変でしょ。仮入部受付大会に乱入したのはせめてもの仕事だと思ったからよ。りよくていさつってやつ? 思った通り、生徒会長がいや言いに来たから、そら見なさい。敵情視察は成功と言えるわ」

 生徒会の出方を見るためにやったんだとしたらまあまあの策士だが、お前、今思いついただろ。単なるアトヅケだ。

「どっちでもいいじゃないの。結果が同じなら過程なんかこうりよの余地なしよ。けんめいにアルバイトして十万円かせぐのも、百万円拾って交番届けて持ち主から一割もらうのにもちがいはないわ」

 大違いだ。バイトしたらその先で誰かしらと出会いがあるらしいし(谷口談)、何よりそこらへんの道ばたに万札の束は落ちてないぜ。

 しかし団長殿どのはぎしりと椅子に音を立てさせるほど背もたれに体重をかけ、話を変えた。

「仮入部受付は不作だったわ。けどね、あの時にはおもしろそうな一年生はいなかったけどさ、どっかにかくれてるかもしれないじゃない。ん切りがつかずに迷ってる子だっているわよねえ。でも土日をはさんで二日も考えたらどんな難問だって何かしらの答えは出るわ」

 ハルヒはしんじゆみたいに白い歯を見せながら、一枚の紙切れを取り出した。

「これを校内のけいばんという掲示板にりに行ってたわけ」

 ハルヒから受け取ったA4コピー用紙には、ハルヒの手書き文字でこう書かれてあった。

「入団試験かいさいのお知らせ。新一年生限定」

 と、音読する俺の横から、朝比奈さんが茶道具を用意する手を休めて顔を覗かせ、パチパチと目をしばたたかせる。

「一年生だけですかぁ」

「みくるちゃんだってしんせんで生きのいいのが好きでしょ? おさしだってれたての天然物せんぎよをさばいたほうがおいしいじゃない。高校にみずげされたばかりでビチビチしてる生徒がねらい目なわけよ」

 ここはどこの漁港だ。

「でも、これ、SOS団ってどこにも書いてないですけど……」

 朝比奈さんにしてはするどい観察眼にも、ハルヒはごうぜんと、

「堂々とSOS団って明記したら会長あたりがブツブツ言いに来るじゃない。じようよ譲歩。不本意だけど、敵に打ち勝つにはわざと引くことだって必要なの。入団って書いとけばじゆうぶんよ。なぜなら北高にはほかに団はないから」

 この学校におうえんだんはなく、おかげで団とつく組織はゆいいつのものとなっていた。他にあったらおどろくね。

「いや、ハルヒ」

 俺はもっと根本的な問題を提起する。

「試験ってのは何だ。入団するのにテストを受けんといかんのか」

「そうよ」

 そんな当たり前そうな顔をすんな。

「どんな試験だ」

「それは秘密」

「いつやるんだ」

「志望者が来たら適時よ」

 俺は文面を読み直す。デカデカと書かれた「入団試験開催のお知らせ」という文句以外の文字情報は、下の方に小さくっている「文芸部室にて」という一文だけである。

 ハルヒは椅子を回して窓の外をながめつつ、

「入団、文芸部。この二つのキーワードでわかる一年生じゃなければ最初から来なくていいわ。さとい人間の中ならとっくにSOS団はメジャー化しているはずだから、そうでないのはこちらからごめんこうむるわ。来るだけ来て何するとこ? なんてたずねるシレ者もね」

 俺もそのシレ者の一人だが。

 朝比奈さんがヤカンをコンロをかけながら、ふと遠い目をして、

「一年生……新入団員ですかぁ……」

 昔をなつかしむような口調なのは、我が身が三年生で卒業まで一年を切っていることを思い出したからだろうか。

 俺は知らない人物が見たら著しくなぞでしかないコピーをハルヒに返し、

「来たらいいんだがな、SOS団に入団を希望するなんて頭のゆるんだヤツが」

「頭の緩んだヤツはらないけど、そうねえ、何人かは来て欲しいわ。じゃないとせっかく作った入団試験問題がになるもん」

 先週からパソコンを無駄にいじってると思ったら、そんなもん書いてたのか。ためしに見せてみろ。

「いやよ」

 ハルヒはべろんと舌を出し、

「これは団機密にかかわるからね。あんたみたいなしたにほいっと見せてあげられるもんじゃないの。見たかったらえらくなることね」

 特になりたくもないので俺は立身出世の道を早々に断念することを決意した。

 パソコンを起動したハルヒは、マウスを指先でもてあそびながら、

「でも実は試験問題もまだ完成稿こうとは言えないのよね。昨日もチラシ作りながらずっと考えてて、それでそくになったほど念入りにやってんのよ。これも団長の務めだから。さっき貼ったばかりだからすぐに来るってこともないでしょうけど、その時はまず最初に実技試験を受けてもらうことにするわ」

 いったい何段階あるんだ。その試験とやらは。

「それもないしよ

 まだ見ぬ入団希望者のためにハルヒの準備が無に帰することをいのりながら、俺は古泉の向かいに座る。見るとすでにばんと石が用意されていた。

「どうです、一勝負」

 また囲碁かと思いきや、れんじゆとかいう古典ゲームらしい。どうせここにいてもヒマだ。頭の体操代わりに付き合ってやってもいいぜ。その前にルールを教えろ。

「五目並べのようなものです。覚えたら簡単ですよ」

 俺は古泉の言うままに盤上に石を置きながら、実地でだいたいの遊び方を教わった。

 朝比奈さんのお茶を片手に二、三試合するうち、たちまち俺は古泉に連戦連勝するようになる。俺の物覚えとコツをつかむセンスがいいのか、単に古泉がどヘタなのか、ともあれ勉学には何のえいきようもなさそうなひまつぶしをすることしきりの状態が続く。

 ハルヒはパソコンに何やら打ち込み、朝比奈さんは日本茶について記されたカラー本を読みふけり、俺と古泉がゲームざんまい。のどかだ。

「……?」

 待て、なんかおかしい。変だ。

 俺が首をもたげて部室を見回し、異変に気づくのとハルヒが声をあげたのが同時だった。

「あれ?」「あれ?」

 俺とハルヒのクエスチョンマークが見事なハモりを見せる。

 続く言葉も重なった。

「長門は?」「有希は?」

「えっ」

 朝比奈さんがこしかせ、

「そ、そういえばいないですね。いつものくせでお茶だけれちゃったんですけど」

 俺が置いた本の横に、長門の湯飲みがえられていた。一口もつけられていない、冷め切ったグリーンティー。

 かちんと音がして出所をさぐると、古泉がつまんでいた碁石を容器にもどしたところだった。しゆうれいな顔の上でまゆをわずかに上げる。それだけが反応だった。副団長はちんもくしている。

「コンピ研に出張してんのかしら」

 俺が席を立つ前に、ハルヒがだつも目をく速度でけ出し、部室を飛び出ていった。

 このしようそう感は何だ。長門が部室にいない──ただそれだけのことなのに……。

 どんなれが投げるブーメランよりも速く、ハルヒは戻ってきた。

「来てないって」

「あ、あ、あの、委員会とかクラスの用事で居残りとか……」

 朝比奈さんが弱々しく楽観論を唱えるが、長門が美化や風紀や図書などの委員に任じられているとはまるで聞いたことがない。

 案ずるより産むがやすし、ってのはこんな場合には使わないんだったか? しかしハルヒは誰よりもばやけいたい電話を引っ張り出し、コール。

 パタンパタンという軽い音はハルヒのうわきがゆかたたおんきよう効果だ。

 待つこと数秒。

「──あ、有希?」

 出たようだ。少しあんする。

「どうしたの今日」

 沈黙に等しい時が十秒ほど続いた。携帯電話を耳に押し当てていたハルヒの表情がじよじよに変化していき、

「え? 家?……うそっ」

 ハルヒの口がへの字になった。

「熱? 風邪かぜなの? 病院は?……そう、行ってないの。薬は?」

 俺と古泉と朝比奈さんの頭がいつせいにハルヒを向いた。

 長門が熱を出してるだと?

 ハルヒは深刻そうに眉を寄せ、

「有希、そういうときはあたしたちにれんらくしなさいよ。すっごい心配するじゃない。ちゃんとてるんでしょうね……あ、ごめん、あたしが起こしちゃった?……そう? ごめんね。でも……ばか、大したことないわけないじゃないの。声でわかるわよ。だいじょうぶ?」

 早口で会話しながら、ハルヒは自分のかばんを引き寄せていた。

「有希、もういいわ。ベッドに戻って横になってて」

 それからハルヒは長門にいくつか指示を飛ばしていたが、やがて通話を切って携帯を耳からはなした。

 立ったまま、ギリリと親指のつめみ、

「しまったどころの話じゃないわ。もっと早く気づかなきゃね。キョン、有希ってば今日学校休んでたのよ。知ってた?」

 知っていたらいまごろこんなところでのうのうとお前の作ったアホけい物なんぞ見たあげくれんじゆなどで時間つぶしもやっていない。

「ほんと、有希の担任も頭どうかしてるわ。ちゃんとあたしに伝えてくればいいのにっ。連絡不行き届きよ。教師失格ね!」

 それは八つ当たりというものだが、今回ばかりはハルヒのに賛成だ。

 何故なぜ、俺に言わん。

 教師じゃなくてもよかった。誰かが俺かハルヒに伝えるべきなのだ。

 長門。お前、何故、俺に言わなかったんだ。お前が学校に来ないなんていう、ちよう不測の事態を。

「みくるちゃん、早くえて」

「はっ。はい!」

「急いでね」

「はいっ」

 朝比奈さんは俺と古泉が出るのも待たず、メイドしようぞくを解き始めた。

 ハルヒはすでに下校する気満々でいる。パソコンの電源を切る手順すらしいらしい。そして俺と古泉も同様だった。すぐさま鞄を手にして部室を飛び出す。

 閉じたとびらの向こうでハルヒが朝比奈さんのころもえをしている音がしていたが、かつてあり得ないほど二人は無口だった。

 このスキに言わねばならん。

「古泉」

「何でしょう」

「お前、長門が休んでいたことを知っていたのか」

「だとしたら、どうします」

「言わなかったことを責める。とがめる。場合によってはつるし上げる」

「神にけて、知りませんでした」

 古泉はこうしつしようを見せた。まるでガラス製のとうめいな仮面だ。

「長門さんが地球上の病原体を原因とする発熱におかされるなどありえませんね。大昔の火星人ではあるまいし、おそらくあの時と同じしようじようです」

 寒気をともなう映像がのうでフラッシュバックした。吹雪ふぶきのゲレンデ。暗い雪山にそびえ立つげんやかた。閉ざされた空間。それは冬がきらいになりそうなワンエピソードだ。

 そして九曜。あらしの海の波のようなかみを持つ、人形じみたむすめてんがい領域の人型たんまつ

 何しに出てきたのかと思っていた。昨日も何もしなかった。それは喜緑さんがいたからかもとは思っていた。

「彼等のしんこうが再開されたんですよ。情報統合思念体ではない地球外知性のね。当然、第一次的なこうげき目標はSOS団最大のぼうぎよへきとなる長門さんです」

 古泉の解説はいつになくシリアスだった。

「長門さんをどう不能に追い込んでしまえば、後に残るのは僕たち、地球をたいとする人間だけです。残念ながら『機関』には正体のつかめないがいねん生命体にたいこうできるだけの力がありません。達者な未来人ならどうかは解りませんが、今現在の朝比奈さんには無理でしょうね。ですが……」

 団内で残されたのは俺とハルヒか。俺が一番無力であることは身にしみいっている。

 だがハルヒなら。

 長門が誰かのおかげでたおれてるなんてことを知ったら、ハルヒはその誰かをかんきまでにたたきのめすまでこぶしゆるめない。天地をひっくり返してでも長門一人を救い出そうとするだろう。

 どうする。ここか。ここなのか? 俺の持つ切り札。ジョーカーを表向きに置くのは、今、この時なのか。

「僕はそう思いませんね」

 古泉の声が冷静ではなくれいたんに聞こえるのは俺の精神状態が作用しているからか。

「彼等の目的はそれかもしれない。いいですか、切り札は一回限りです。二度と使用できないから切り札は効力を持つ。軽挙に走っては敵の意のままになるおそれがあります。加えまして、これはまだマシな事態といえなくもないでしょう。現に僕は無事ですし、朝比奈さんもそうです。相手がてつてい的に、そして本気で攻撃をしかけてくるなら、僕たちがこうして自由に行動できている理由わけがない。橘京子の不用意な動きも報告されていません。類推したところ未来人の一派もです。統合思念体とは別種の宇宙人、その者の単独行動でしょう。ならば、リアクションはしんちようにおこなうべきです」

 俺が言い返すセリフを舌の上まで登らせたしゆんかん、扉が大音を立てて開き、朝比奈さんのうでをつかんだハルヒが飛んで出てきた。開口一番、

「さ、行くわよ! 有希んまで、一直線にね!」

 ほとんどいかりにも近い感情的な表情でさけび、先頭に立って走り出す。

 無論──。

 その団長命令をきよする団員は、どこにもいなかった。



──『すずみやハルヒのきようがく』につづく 

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