α─5
月曜日。朝。
日曜をまるまる休養に当てたせいで、この日の両脚(は軽かった。
四月の中(旬(に差し掛(かろうとするこの時期にもなれば、さすが無意識のうちに間(違(えて一年の校舎を目指すこともなく、速(やかに二年五組の教室にある自分の席に腰(を落ち着けた俺は、後ろを向いて黒(髪(の頭に声をかけた。
「どうした。一ヶ月前(倒(しの五月病か?」
俺が登校してくるより先に来ていたハルヒは、どこか弛(緩(した様子でフニャリと机にへばり付いていたんである。
「違うわよ」
ハルヒは顔を上げると同時に「うーん」と伸(びをして、アクビまで漏(らした。
「ちょっとだけ睡(眠(不足なのよ。寝(るのが遅(くなって。昨日は色々いそがしかったのよね」
そういやお前は休みの日には何やってるんだ。深夜ラジオでも聴(いてんのか。
「何であたしのプライベートをあんたに教えてあげないといけないのよ」
唇(をワニのように尖(らせて、
「近所の子に勉強教えたりとか、部屋の掃(除(とか週ごとの模様替(えとか、それはもう色々よ。ラジオはたまに聴くけど。あとは資料作成しないといけなかったし」
俺は眼鏡(少年ハカセくんを思い出しつつ、
「資料? 何の?」
「ふん、あんたも子供みたいね。そうやって、それなーにばっかり訊(いてくるところ。どうして男っていつまで経(っても精神年(齢(が上がんないのかしら。子供の知的好(奇(心(はあどけなくて気分いいけど、そんな詮(索(するみたいな顔じゃ言いたくなくなるわ。いい年なんだから、あたしのすることくらい自分の頭で考えなさい」
お前のしそうなことを考えれば考えるほど学校に居場所がなくなりそうなのは俺の勘(違(いから来るものなのであろうか。
「キョン、いい? あんたも団員になって一年でしょ。団長の意向を読み取って、先に動くくらいのことちっとはしなさい。そんなのだからいつまでもヒラ団員なのよ。あたしの中の勤務評定表ではあんた、ぶっちぎりの最下位を驀(進(中なんだから」
ニッと不敵に笑ったハルヒは、一限目の現国で使うノートを広げ、シャーペンを振るって適当としか見えない手つきでフリーハンドの線をしゅしゅっと引いた。
「棒グラフにするとこんな感じ」
一番長い線に古泉くん、みくるちゃんと有希と脚(注(された線が同じくらい。で、俺はというと五ミリほどの功績しか団内では上げていないようだった。別に悲しくもないが。
「それからコンピ研がこれくらいで、鶴屋さんがほら、もうこんなに。見なさい。あんた、部外者にまで負けてるわ。前の会誌の原(稿(もロクなもんじゃなかったしね」
団員その一にして最古参なのに情けない、とか思うところなんだろうかね。そりゃコンピ研は合計五台のパソコンを献(上(してくれたお人好しだし、鶴屋さんの上位に位置しようなんて干支(が一回りしても無理だ。コンピ研には俺が同情票を入れるからもう少し線を上乗せしてやってもいいぜ。安いものだ。
ハルヒはホームグラウンドのサポーターが相手チームの遅(延(行(為(に苛(立(ったようなブーイングを発しそうな表情になり、
「バッカ。もっと気(概(を高く持ちなさい。幸いSOS団一周年記念まで一ヶ月くらいあるわ。その間に武(勲(の一つ二つを矢(継(ぎ早(に挙げることね。一年生の団員が入ってきたら、あんた、何をもって先(輩(面(するつもり? 言っとくけど、あたしは年功序列制度なんて絶対採用しないからね!」
織(田(信(長(方式か。戦国時代なら合戦で名のある武将を討(ち取ればいいんだろうが、この高校で腫(れ物(扱(いされているSOS団に盾(突(く勢力など生徒会のみである。それに現生徒会長は古泉基(盤(で、鶴屋さんは知らないようだが後ろ盾(に『機関』の名がチラつく。あの会長の汚(職(事件でもスッパ抜(けば足軽から供回りに昇(格(してくれんのかね。まあ、されたくもないが。
ハルヒはなおも説教モードを続けたいようだったが、そこはそれ、予(鈴(のチャイムと同時に担任岡部が足早にやって来たことで中断された。
しかしハルヒのやつ、まだ新入団員を集める気でいるのか。目(論(見(はともかく、どうやってだ?
が、気にしても仕方がない。俺は俺で土曜の朝に邂(逅(した佐々木と橘京子、九曜とかいう異星人が気がかりで、その時にはいなかったもののまた出てきそうな未来人男も懸(案(と言えば懸案だが、ケンカを売りに来ないんであれば、しばらく放(っておいてもいいかという胸の内を明かしておこう。
来るなら来やがれという気概くらいは、クワガタの幼虫がサナギになる程度に俺の中で育っているんだ。仕(掛(けてくるのは全然いい。だが、しっぺ返しの代(償(は高くつくぜ。ボクシングでもカウンターの威(力(はただのストレートより強(烈(なものだ。俺の読んでいたボクシングマンガではいつもそうなっている。そしてハルヒは恩も仇(も平等に二億倍にして返すようなヤツなんである。
世界史の年表は雄(弁(だ。何をしたらマズいか、ちゃんと紀元前から記されているのであるから。
いや、無(駄(に言葉を費(やしても無意味だな。
俺が簡潔に言いたいことはただ一つ──、
SOS団を敵に回して、タダですむとは思うなよ。
昼の休み時間、俺は谷口と国木田に断りの言葉を短く告げ、弁当をぶら下げて文芸部室に向かった。
学内を見回しても、この時間もっとも停(滞(した空気を加(湿(器(のように吹(き上げている場所であり、また予想するまでもない予定通りの行動パターンを長門有希はきちんと遵(守(していた。
「入っていいか?」
自分の椅(子(でオカルト本の洋書を読んでいる長門は顔も上げない。
「…………」
「ここで飯食わせてくれ。教室だと騒(がしくてな。たまには落ち着いて弁当食うのもいいかと思ってさ」
「そう」
長門は起き上がりこぼしのスローモーションフィルムのように顔を上げ、俺にかすめるような視線を流して、読書の続きに舞(い戻(る。
「お前はもう食い終わったのか?」
「…………」
こくん、と細い首がわずかに前(傾(する。
けっこう疑わしかったが、長門に追(及(するのは昼飯のことではなかった。
「九曜とかいう宇宙人のことなんだが」
俺はパイプ椅子に座り、弁当箱を包むナプキンをほどきつつ、
「あいつは、冬に俺たちを凍(死(させかけた連中の手先で合っているんだよな」
長門は栞(のかわりに自分の手のひらを用い、俺に目を戻して、
「そう」
「以前お前が言った……えー、お前と似たような感じのヒューマノイドなんとかなのか」
「おそらく」
「あいつもアレか、ハルヒの監(視(とかで来たのか」
長門は瞬(き一回分の時間をかけてから、
「解(らない」
相(互(理解は不全、だったっけ。
「そう。しかし涼宮ハルヒの情報改変技能に関心を持っていることは間(違(いない。この惑(星(上にヒューマノイドインターフェイスを派(遣(した意図の一つ」
長門は事務的に言う。
「彼等、天(蓋(領域は──」
聞き慣れない単語を耳にし、俺は待ったをかけた。
「テンガイ……なんだって?」
「天蓋領域」
静かにそう発音した長門は、
「情報統合思念体が暫(定(的に決定した彼等の呼(称(。大きな前進。今まで、名付けるという概(念(すら持てなかった」
俺が箸(を持ったまま、長門有希という名の意味について考えていると、
「それは我々から見て天頂方向より来た」
フラットな声が付け足した。
「天頂方向っていうのは」と俺は天(井(に箸先を向け、「あっちか」
「…………」
長門は七ケタの掛(け算を暗算するような間を持たせてから、
「あっち」
部室の窓の外、山並み方面を指差した。北だってことぐらいしか解らないが、どのみち電波望遠鏡でも見えないような存在だ。やってきた方向なんてどうだっていい。立地の方角を気にするのは陰(陽(師(くらいだ。それよりも、
「長門。そのバカ野(郎(どもは、また俺たちを遭(難(させたときみたいな異空間に放(り込んだりする気なのか」
「今のところその兆候は見られない」
斜(め後ろに腕(を上げていた長門は、その手をページを押さえる作業に戻し、
「我々と言語的コンタクト可能なインターフェイスが姿を見せた。今後しばらくは彼女による物理的接(触(が主になると予想する」
「あいつがねえ……」
周防九曜なる女の薄(気(味(悪さを反(芻(する。統合思念体にはつけたいイチャモンが数々あるが、インターフェイスの作成センスだけは認めてやろう。長門、喜緑さん、ついでで朝倉も入れとこう、九曜に比べたらだいぶマシだ。
淡(々(と長門は、
「周防九曜と呼称される個体による単体攻(撃(はわたしが防(御(する。あなたと涼宮ハルヒに危害は加えさせない」
誰のどんな言葉より頼(もしいぜ。だがな、長門──。
俺が口を開くより早く、長門は反応した。
「朝比奈みくると古泉一樹にも」
そして長門にもだ。
「…………」
長門の固定された目に、俺は眼力を込(めて応(えた。
お前は自分のことを勘(定(に入れていないようだが、俺は違うし、ハルヒも違う。九曜だろうが天蓋領域とやらの他(の何かだろうが、お前をどうにかするような真似(は絶対許さん。守られっぱなしってのは面(白(くないんでな。俺にできることは宇(宙(塵(なみに小さいかもしれんが、それでも何かはできるはずなんだ。
「…………」
長門は無言でページに目を落とし、きっかけを得た俺は昼食に取りかかる。
最初にマンションの708号室に招かれたあの日とは比(較(にならない。何の言葉も介(在(しない沈(黙(がこれほど安心感を生むとはね。
午後の授業がすべて終わり、ホームルームも終(了(して起立礼の合図ののち、担任岡部が壇(上(から降りると同時に、クラスメイトたちもざわめきつつ席を立ち始める。
掃(除(当番以外の生徒は本日この教室にはもう用がなく、俺は鞄(を手にして立ち上がり、帰宅組の谷口・国木田コンビと別れの挨(拶(をし、さて部室に足を運ぶかとしたところで、ろくに中身のないはずの鞄が急速に重くなった。
振(り返ると、ハルヒが手を伸(ばして鞄を摘(んでいる。たいした指先力だ。
「ちょっと待ちなさい」
座りっぱなしのハルヒは、俺の耳の横あたりを眺(めながら、
「明日、数学の小テストがあるって、覚えてる?」
「あー……。そうだっけ」
そういや先週くらいに数学教師が宣言してたような気がするが、そのような些(事(を記(憶(し続けるには宣伝力不足だったようだな。
「やっぱり忘れてたのね。だと思ったわ」
ハルヒはふんと鼻息も荒(く、
「そんなのだから、あんた一人でSOS団の団内偏(差(値(を下げることになるのよ。試験なんて要領さえよければいくらでも得点できるんだから、そこはちゃんとしてなさい」
お前は俺の母親か。それより席からどいたほうがいいぞ。掃除当番が迷(惑(する。
「何のんきにしてんの。あんた、数学の教科書持ってこっち来なさい」
ハルヒは素(早(く立ち上がると、俺を引っ張って教(卓(まで連れて行く。数名の掃除当番員は、手慣れたものだ、俺とハルヒには目もくれない。ヘンな笑い顔になってんのが気になるが。
俺の教科書を奪(い取ったハルヒは、教卓に無造作に広げて置き、
「この九ページ、例題2は絶対出るから覚えておきなさい。こっちの計算式も。典型的な問題だから吉(崎(なら絶対出題してくるはずよ。板書は? ノート見せなさい」
矢(継(ぎ早(な注文に、なすすべもなく従う俺であった。
「なにこれ? 途(中(までしか書いてないじゃない。あんた、後半寝(てたわね」
いいだろ別に。お前だって今日の古文で寝てたじゃないか。
「寝ていいと判断したらそりゃ寝るわよ。聞かなくても解(るもんね。あんたは解ってないでしょ。いい? 特にあんたは理数系が壊(滅(してるんだから、力を入れるところはそうしなきゃ」
ハルヒは俺のシャーペンで教科書の問題にアンダーラインを引き、
「最低限やっとけばいいのを教えるから、頭に入れておくこと。答えだけ覚えてもダメよ。テストじゃ数字をいじってくるから。まず、こことここと」
こうしてしばらく、俺は立ったまま教卓を挟(んでハルヒによる臨時講義を受けることになった。理解のある掃除当番係の生徒たちは快く俺たちを無視してくれ、俺たちもそうする。なんか恥(ずいぞ。せめて部室でやってくれたらよかったのに。
「バカね。部室は部活をするところであって勉強をするところじゃないわ。きっちり区別しないといけないの。面白いことをする時間に面白くないことをしてたら興ざめでしょ」
ハルヒはさもつまらなそうに出題予想問題を指(摘(し、事細かな解き方を述べつつ、最終的に俺が全問正答するまで俺と教卓を解放しなかった。
「ま、こんなもんね」
シャーペンを転がして教科書を閉じたのは、俺の脳が時間外労働に対して不満の声をあげる五分前であり、掃除を終えたクラスメイトたちがすっかり消え失(せた頃(になってのことである。
「これで明日のテストで平均以下だったら処置なしよ。外科手術が必要だわ。できれば中間試験まで記憶してなさいよ」
保証はできかねるね。そんな未来のことまで気にしていられないって。俺はびっしりと書き込みされた哀(れな教科書を鞄に放(り込み、挑(みかかるように威(勢(のいいハルヒの瞳(を見下ろした。何か言ってやろうと思ったんだが、言葉が出てこず、誤(魔(化(すように首を上下させた。
「とにかくこれで明日は乗り切れるでしょ。もし半分も解けなかったら団長として訓告処分にするからね。そんなことになったらあたしがあんた用の算数ドリルを作ってやんないといけなくなるじゃないの。手間かけさせないでよね」
ハルヒは自分の机にすたすた歩みより、鞄を手にすると、
「ぼーっとしてないで、さっさと行くわよ。みくるちゃんたちが待ちくたびれてるわ」
あの三人ほど気長に待ってくれる存在もないだろうが、俺もハナからそのつもりだ。
早足で進むハルヒの肩(先(で揺(れる髪(を追いかけつつ、正直な部分のところを明かすと、俺は明日の小テストを忘(却(の彼方(に追いやっていたわけじゃない。数学の授業前の休み時間にでも国木田に教えをたまわろうと考えていただけだ。
それが今日、ハルヒに、と時間と人物が代わっただけで、ううむ、何というか、こういうのこそどっちでもいいことに分類されるのだろうな。
廊(下(を先行するハルヒに追いつくには、大(股(で十数歩かかった。
風を切るように歩くハルヒの歩調は普(段(通りに無意味に威勢よく、まるで猫(缶(の蓋(が開く音を聞きつけたシャミセンのようで、その身長の半分ほどもありそうな歩(幅(に同調するためには、俺も脚(の筋肉にフル稼(働(を命じなければならない。
おかげであっという間に部室前、ハルヒはノックなしでドアを押し開いて、一歩入った時点でようやく止まった。
「あ、涼宮さん。キョンくん」
パタパタと駆(けよった朝比奈さんは、なぜかメイド姿でなくノーマルに制服姿だった。ちょっと困った顔の未来娘(さんは、どこか儚(げで不安そうな声で、
「待ってたんです。もうすぐ呼びに行くところでした。あ、そのう、待ってたのはあたしじゃなくて、そのう」
ハルヒが動かないため、俺は首を伸(ばしてセーラー服の肩(口(から内部をうかがい、
「げ」
思わず変な声を出しちまう。
長門が片(隅(で本を読み、古泉がテーブル席で微(笑(みを浮(かべているのは日常そのものなのでいいとして、予想外のことが起こっていた。
朝比奈さんは部室を振(り返りつつ、
「皆(さん、お待ちでした。湯飲みが足りなくてお茶も出せなくて、あの、三十分ほど前から次々と……。あたし、どうしたらいいか解(らなくて」
困(惑(の表情もよく解る。
部室は完全に定員オーバーになっていた。
上(履(きの色を確(認(するまでもなかった。きっと一年前の俺たちも同じ雰(囲(気(を漂(わせていたことだろう。何というか、フレッシュと表現するのはありきたりに過ぎるが。
新一年生の男女が、文芸部室の内部にひしめきあっていた。
その数、およそ十名。
全員が俺とハルヒを見つめ、何やら変な笑(顔(を作る。
張りつめたような空気の中、ハルヒがようやく、
「……ひょっとして、入団希望者?」
朝比奈さんと古泉の返答に先んじたものは、
「はい!」
男女混合約十名の唱和の声だ。
根(拠(不明な希望に満ちた若々しい合唱を聞き、俺の口は誰ともハモることのないセリフを生み出すのだった。
「やれやれ」
β─5
月曜日。朝。
昨日あんなことがあったせいで、今日の俺の胸中は複雑だったが、顔つきまで複雑系にしておくわけにはいかない。万(能(包丁のように切れ味鋭(い勘(のよさを誇(るハルヒのことだ、よからぬ俺の思いを曲解したあげく三百六十度回って正解を言い当てるかもしれない。
せいぜい、しゃっきりした仮面を被(っておかないとな。
幸か不幸か、俺が登校してくるより先に来ていたハルヒは、どこか弛(緩(した様子でフニャリと机にへばり付いていた。
今さら通学路の強制平日ハイキングに疲(れているわけでもあるまいし、深夜映画でも観(ていたことによる睡(眠(不足か何かだろう。
やや好都合だ。俺は脱(力(している団長に安らかでいていただきたい一心で、可能なまで静かに自席に着いて、鞄(をそっと机の横にかけた。
背中でハルヒが顔をちょっと上げるような髪と衣(擦(れ音を聞きつつ、チョークで汚(れていない黒板を眺(め続ける。
予(鈴(が鳴り響(き、担任岡部が快調にやって来るまで、俺はじっとそうしていた。
寝(不足というなら、実は俺もそうだった。昨日、久しぶりに変なプロフィールを持つ人間から非現実的な場所移動を強(いられたおかげで、頭が冴(えるあまり寝付きが悪かった。
夜中に電話が鳴り出すんじゃないかと、ビクビクしていたせいもある。
そのためだろう。
二時限目の授業、古文の最中に俺は舟(をこぎ始めた。回(避(できないほどの眠(気(は、教室を照らす春の日の光が促(進(させているものと思われる。背後ではとっくにハルヒが寝息を立てているし、睡眠学習の臨(床(者(がもう一人増えても困るまい……。
……だめだ。マジで睡(魔(の中でも最上級のやつが来やがった……。
あえなく俺は短時間睡眠の魔の手に落ち、そしてよりにもよってな夢を見た。
実際にあった出来事の追体験だ……。
中学三年生の……ある日のメモリーズ。
…………
……
…
どうにもこうにも平和で退(屈(極(まりない日常を十何年かやっているうちに、ふと気が付いたら物(騒(なことを考えている自分を発見してギョッとすることがある。
例えば、どこぞの軍隊が誤射したミサイルが間違って降ってきやしないだろうかとか、落下してきた人工衛星が燃え尽(きないまま日本のどこかに直(撃(しやしないだろうかとか、どでかい隕(石(が落っこちて世界が未(曽(有(の大混乱に陥(ったりしないだろうかとか、別に今の生活に絶望を感じるあまりカタストロフを望んでいるわけではないのだが、つらつらとそんなことを考えるのである。
てなことをクラスメイトにして友人の佐々木に言うと、
「キョン、それはエンターテインメント症(候(群(というものだよ。マンガか小説の読み過ぎだ」
いつもの慇(懃(な笑みを浮(かべた顔で解説してくれた。聞き覚えのない言葉である。当然のことながら俺は問うた。それはいったい何か。
「聞き覚えがないのも無理はない。僕が今さっき作った言葉だからね」
と前置きしてから、
「現実はキミの好きな映画やドラマ、小説やマンガのように出来ていない。それがキミには不満なんだろう。エンターテインメントの世界にいる主人公たちは、ある日突(然(、非現実的な現象に直面し、不都合を感じ、快適とは言い難い状(況(に置かれてしまう。多くの場合、それらの物語の主人公は知(恵(や勇気、隠(されていた秘力、あるいは意図せざる能力を開花させて現状の打破を計らんとする。しかしながらそれはあくまでフィクションの世界でしか起こりえない物語なのだ。なぜならフィクションであるがゆえに、それらの物語はエンターテインメントとして成立するのだからね。映画やドラマや小説やマンガのような世界が日常に普(遍(的に見られるようなものなのだとしたら、もはやそれはエンターテインメントではなくドキュメンタリーだ」
解(ったような解らないような理(屈(だったので俺は正直にそう言った。佐々木は喉(の奥でクツクツと笑い声を立てた。
「つまるところ、現実とはかように確固たる法則によって支えられているということさ。いくら待っていても宇宙人は攻(めてこないし、古代の邪(神(が海中から蘇(ることもない」
なぜそんなことが解るのだ。絶対にあり得ないなんて事がこの世にあるとでも言うのか。少なくとも巨(大(隕(石(が地球にぶつかる確率はゼロではないはずだ。
「確率と言ったかい? あのねキョン。確率なんてことを言い出したら、確かに不可能なことなど何もなくなるよ。たとえば、」
佐々木は教室の壁(を指さし、
「キミがあの壁に思い切り突(進(して、隣(の教室にすり抜(けて行ってしまうことだって確率的にはゼロじゃないんだよ。おや、壁抜けなんか出来るわけないだろ、と言いたげだね。しかしそうじゃないのさ。量子力学的ミクロの世界では、決して電子を通さない絶(縁(体(で遮(られているにもかかわらず電子がその物体をいつの間にか通過して別の場所に現れることがよくあるんだ。トンネル効果と言うんだがね。それを踏(まえて考えると、キミの身体(を構成している元素もまた元をたどれば電子と同じ粒(子(に他(ならないのだから、同じようにそこの壁をぶち抜くことなく素(通りすることも不可能ではないという寸法だ。ただし一秒に一回体当たりするとして百五十億年かかってもまだ成功しないぐらいの確率だがね。それはすなわち、不可能と言ってもいいんじゃないかな?」
いったい俺たちは何を話していたんだっけ。佐々木の話を聞いているうちに自分の考えていたことがだんだん不(明(瞭(になっていき騙(されたような気分で会話が終わってしまうのもいつものことだ。
佐々木は端(整(な顔立ちに柔(和(な微(笑(みを広げ、真正面から覗(き込む。
「それにねキョン。もし非現実的物語世界空間に放(り込まれたとして、キミがフィクションにおける主人公たちのように都合良くたち振(る舞(えるかは甚(だしく疑問と言うしかない。彼らがなぜ知恵や勇気や秘力や能力を駆(使(して逆境を打破出来るかというと、それはそのように制作されたからだよ。ではキミの制作者はいったいどこにいるんだい?」
ぐうの音も出なかったことを覚えている。
以上は今から二年前の六月のある日、中学三年生時代における教室での佐々木と俺との会話だ。佐々木とはこの春になって初めてクラスメイトとして知り合ったが、妙(に話が合うのでよくどうでもいいような話をする仲になった。エラリー・クイーンの国名シリーズを全部読んでる生徒など知る限り佐々木一人である。ちなみに俺も読んでいない。どんな話なのかは佐々木が面(白(おかしく語ってくれるあらすじで知った。
佐々木とは今年度になって俺が無理矢理行かされている学習塾(でも同じコースにいるという縁(もあり、まあ昼休みに一(緒(に給食を食う程度には親密であると言えばだいたい想像はつくだろうか。俺は基本的に飯はマンガ雑誌でも読みながら一人で食うのが好きなタイプの人間だが、こいつとなら平気で箸(が進むのである。ただし学校と塾以外での接点はまったくない。親友か、と聞かれるとノーと答えることになるだろう。
佐々木は横の席から身を乗り出すようにして俺の机に肘(をついている。キラキラとよく輝(く二つの黒い目が整った目鼻立ちの中でも特に際(だっていた。回りくどくて理屈っぽい言葉遣(いを改めればさぞかしモテることだろうにと思う。
ためしに思ったままのことを言ってみた。
「面白いことを言うね」
佐々木は爆(笑(をこらえるような表情になって、
「モテるとかモテないとかがこの人生において問題視される理由が解らないね。僕はいつでもどこでもどんな時でも理性的かつ論理的でいたいと思っている。現実をあるがままに受け入れるには、情(緒(的感情的な思考活動はじゃまっけなノイズでしかありえない。感情なんてものは人類の自律進化への道を阻(害(する粗(悪(な遮(蔽(物(としか思えないな。特に恋(愛(感情なんてのは精神的な病の一種だよ」
そうなのか?
「昔ね、そう言っていた人がいるんだ。示(唆(に富んだ言葉だったので今でも記(憶(する部分さ。ひょっとしたら愛情がなければ結(婚(できないとか子供を作れないとか、血迷ったことを言いたいんじゃないだろうね」
俺は沈(黙(する。さて、俺は何が言いたいのだろう。
「野生動物を見てみるといい。彼らのうちには確かに子供を慈(しみ、守り、育てているように見える種類もいる。しかしそれは愛情によってのことではない」
佐々木は唇(の端(だけを歪(ませる。偽(悪(的な微笑。問いかけて欲しそうだったので俺はそうする。
「じゃあ何によってだ?」
佐々木は言った。
「本能によってさ」
ここから本能と感情は別のものなのか、一体化しているものなのか、一体化しているなら分(離(可能なのか、などの講(釈(をしばらく一方的に聞かされ、いつの間にか性善説と性悪説の相(違(について修辞的な観点から分(析(するという問題にシフトしてきたあたりで、俺の机の上に第三者の人(影(が落ちた。俺たちと同じ班に属してる美化委員、岡本が進路希望用紙を持ってやって来たのである……。
…
……
…………
軽(やかにチャイムが鳴り、俺が聞いたのはその最後のリフレインだけだった。
岡本の顔を思い出す前に、俺は目を覚ました。瞬(時(に現在地の確(認(。北高の二年五組教室。いつのまにやら休み時間になっている。ハルヒはまだ夢の途(中(にいるらしい。静かで定期的な寝(息(が聞こえる。
よくぞ二人並んでの居(眠(りを指(摘(されなかったものだ。奇(蹟(に近い。悟(りに至った教師からサジを投げられているんだとしたら、まあハルヒは喜ぶだろうが学業芳(しくない俺にはあまり手放しするほど嬉(しい事態ではない。これでも進学が目標で、少なくとも親はその気だ。
開いた教科書を安(眠(枕(代わりにしていたため、顔に跡(でも残っていないかとさすっている間に、俺はさっき見た夢の内容をほとんど記憶から欠落させていた。あれ? なんだか重要なセリフを聞いたような気がするんだが。佐々木が出てきたのは覚えているが、会話の内容がハッキリしない。
俺は自分のこめかみにデコピンを与(える。イテ。
これが現実で、さっきのが夢。当たり前だというのはたやすい。しかし俺は、たまに今ここにいる世界がちゃんとした現実であると強固に確かめる必要があった。後ろ向きな追(憶(の念にいつまでもこだわる無意識に活を入れてやらねばいかん。
佐々木や九曜や橘京子たちも現実っちゃあそうなんだが、俺の立ち位置はそっちではなく、あくまでこっちなんだ。現在、俺の真後ろで惰(眠(を貪(っているだろう団長殿(のいるほうなのだ。
決して忘れてはならない、忘れるはずのない現実なんである。
万が一破(壊(されるようなことがあれば何としてでも修復してやる、それが俺が持つ意思のすべてだ。
誰に言われたからでも、誰かのためでもない。俺は分不相応にも正義の味方や博愛主義者を名乗ろうとは思わないからな。だから、それは究極のところ自分のためなのさ。そう決めたんだ。去年のサンタスティックな頃(に。
昼休みになってハルヒが教室から不在となり、俺は谷口と国木田と机を囲んでランチタイムを心ゆくまで満(喫(する。
旧知の連中とつるんでしまうのは別段俺が交友録名(簿(に新たな名を記(載(するのが面(倒(だからというわけではなく、言ってやれば、この二人はそれなりにデキている友人どもだったから今さら距(離(を置きたいとも思えず、これはまともなクラス替(えをしなかった学校当局に責任を求めたい。だから俺はこれからの一年間をこいつらと友人関係を保ちつつ過ごすことにするぜ。
「キョン。これ、訊(いていいかなぁ」
国木田がシャケの切り身から丁(寧(に皮を剝(ぎ取りながら、ぼやんとした顔を向けてきた。あまりの自然な切り口に、俺は即(座(に合いの手を入れる。
「何だ」
「最近、佐々木さんと会った?」
口に入れていた梅干しをタネごと飲み込みそうになった。
「……なぜだ?」
まさか須藤の同窓会連(絡(網(が国木田のところまで到(達(したんじゃないだろうな。
「この前、というか四月の頭だけど」国木田は箸(を休め、「学習塾(がやってた全国模試を受けに行ったんだ。その会場で見かけた。会話はしなかったし、あっちが僕に気づいてたかどうかは怪(しいね」
何で今(頃(そんなことを思い出すんだ。新学期が始まって結構経(つのに。
「模試の結果が昨日送られてきたんだよ。順位が記載されているやつ。自分が何位にいるか名前を探してたら、自分より先に彼女の名を見つけたよ。さすがだね、総合で僕よりかなり上の点数を取ってた」
国木田は再び箸を動かしつつ、
「それで僕は思った。次は彼女より上位に行ってやろうってさ。目標の目安だよ。仮想ライバルだね。たぶん佐々木さんの順位はそう変動しないだろうから、この名前より上になれば自分の実力を測ることができる。キョンなら知ってるかもと思ったんだよ。佐々木さん、志望大学はどこなんだろ」
「知らん」
さっさとこの会話は終(了(して流してしまうに限る。でないと、
「おう。そりゃ聞き捨てならねえな」
谷口がニヤニヤと、
「佐々木だあ? それはあれか。キョンが中学でヨロシクやってたっていう例の女か」
ほらみろ、妙(に食い付きのいい野(郎(がエサを針ごと飲み込んだだろうが。
俺が拒(否(権(を発動して無言教の宗徒と化し、弁当の続きに取りかかるのも何のその、谷口は好(奇(心(を丸出しにした猫(のように身を乗り出して、
「どんな女だ、そいつは」
「可愛(らしい娘(だよ。頭もいいしね。変と言えば変だったけど、そうだなぁ。あれは意識的に変な部分を演じているんじゃないかと思うな。うん、変わり者だった」
佐々木もお前を変わってると言ってた。お似合いだ。
「そうなの? でも意味合いが違(うんじゃないかな。佐々木さんは自覚的だけど、僕はそうやって指(摘(されても自分じゃ解(らない。でも、彼女は自分をよく解ってる。解った上で、自分を枠(に当てはめているような気がしてたんだよ。その枠(組(みの中から決してハミ出ないようにしてる感じがする」
確かに喋(り方からして四角四面としていたが。
「今でもそうなのかなとちょっと疑問に思ってね。だって、ほら、佐々木さんは有名進学校に進んだだろ? あそこはほとんど男子のはずさ。自分を型にはめたままじゃあ、疲(れやしないかと心配だよ」
特に心配そうでもなく言う国木田に、谷口がブロッコリーを口に放(り込み、
「そいつぁ俺の営業範(囲(外(だな。変な女はこりごりだ。涼宮といい、いや涼宮は最初から関係ないが、ほらよ、どうしてこう、俺は普(通(に可愛げのある女と無(縁(なんだろうな。まあ二年になったことだし下級生狙(いに的を絞(るのが得策のような、つってもなかなか接点がなー、この夏までには何とかしねーと」
なぜか途(中(から早口になった谷口には好きなように何とでもしていればいいと言い捨てておくしかないが、佐々木とは昨日会ったばかりで、異常三羽ガラスを交えた奇(怪(な会合を執(りおこなったばかりの俺は、途(端(に食欲がなくなった。国木田と佐々木が意外な接点を持っていたのは偶(然(に違いないが、こうもタイミングよく佐々木の名を聞かされると、虫の知らせのような非科学的予兆を感じないわけにはいかなくなる。まるで筋書きを書いた誰かが忘れるなと教えてくれているような、超(不自然的な違(和(感を覚える。
警告か? 昨日の感じでは佐々木はもとより、藤原や橘京子からも威(圧(も脅(威(も感じなかった。九曜もだ。あれはあれでそこはかとなく不気味だが、こっちにだって長門がいるし、喜緑さんまで出張ってらっしゃっていた。おかげで俺はやんわりと余(裕(をかませている。
考えてみろ、俺たちSOS団は何だかんだで一つにまとまっている。しかし、連中はそうでもないらしい。古泉ほど求心力のなさげな超能力者に、朝比奈さん(大)より自己中っぽい未来人、地球の礼(儀(をまるで知らないであろう新参の宇宙人、この三者の結びつき見たまんま全然弱そうだ。おまけに担(ぎ上げようとしている佐々木が協力的ではない。
向かうところ敵なし状態のハルヒに対(抗(するには役者が不足気味だろう。ちったあ根回ししてから来りゃいいものを、いかにも中(途(半(端(すぎる。何考えてんだ? 橘京子のあんな説得で、俺が地(盤(の緩(い政治家みたいになびくとでも思ったんだとしたら、見くびられたもんだぜ。
たっぷり眠(ったはずが寝(すぎでかえって頭が重くなった朝のように、何かモヤモヤとしたものを抱(えながら、俺は昼飯を咀(嚼(する作業を再開した。
谷口の話題は新一年生の中にどれだけAAAランクがいるかどうかに移っていたが、差し当たって俺の興味からは外れている。どうせSOS団に入団希望者が来るなんてことにはなりやしないさ。
涼宮ハルヒとSOS団の豪(勇(はすでに近(隣(地域の部外者にまで轟(いているようだからな。佐々木によると。
その日の放課後、俺とハルヒはホームルームを終えた担任岡部が教(卓(を降りるのと同時に席を立ち、とっとと教室を後にした。
いつものように部室に行くのかと思いきや、
「キョン、先に行っててくんない? あたしはちょっと寄るところがあるから」
ハルヒは鞄(を肩(掛(けすると、投(擲(されたカーリングの石よりも滑(らかな足取りで走り去った。
まさか谷口よりも目ざとくAAAランクプラスの一年生を発見していて、またまた拉(致(しに行ったのではあるまいなと考えながら、それならそれで仕方がない、ハルヒの好きにさせるさ、と達観して早幾(年(。のんびり部室棟(に向かうことにする。
運動部に入った一年生は早々に部活動を始めているようで、去年まで旧三年生の学年カラーだった色のジャージ姿がグラウンドに見えたり、渡(り廊(下(ですれ違ったりするのが新(鮮(だ。フレッシュというにはありきたりに過ぎるが、他(に表現しようもないね。
文芸部にも来てたら長門も少しくらい先(輩(面(できていいのだが。おそらく年間三百冊くらい読んでる地球産書物大好き宇宙人インターフェイスだ。たとえ後(輩(ができたとしても日常的に透(明(バリアを張っている長門が喜ぶとも思えんが、一人で黙(々(と読む本を探し続けるより、読書感想仲間が増えたなら購(入(した本の貸し借りができて便利だろう。読(了(した本に関して意見交(換(するスキルは俺になく、そういや本を借りても貸したことはないな。なんかの記念日に図書カードでも送ったほうがいいか。
俺は毎度おなじみ、ノックと室内からの返答の有無確(認(を怠(らない。無音のみの反応。部室のドアを開けた俺は、そこに無人の空間を見いだした。一番乗りとは珍(しい。
鞄をテーブルに放り出し、パイプ椅(子(に座り込む。一(抹(のうら寂(しさを感じつつ、はて何でそんなもんを感じるのかと考えて、ハタと気づいた。
そうか。まるで常(駐(しているのかと思えるくらい、いつ見てもここにいた長門の姿がないせいだ。
ま、あいつだって掃(除(当番やホームルームが長引くことだってあるだろうしな。あるいはコンピ研に出張か。
他の四人を待つ間、俺はテーブルに置きっぱなしになっていた長門の読みかけらしきハードカバーを取り上げ、適当に開いたページの文章を目で追った。帰るところを永久に探している装置がどうとやらという物語のようだった。
α─6
硬(直(すること数秒、のち、ハルヒが発令したのはまず室内にいた朝比奈さんと長門を除く全員を廊下に追いやることだった。理由は簡単、
「みくるちゃん、とりあえず着(替(えてちょうだい。もち、メイド服ね。チャイナは……たぶん、なんとなく悔(しいけどサイズが合わないわ。残念だけど。いいわ、そのうち用意したげるから我(慢(してね」
「ええっ。今からですか?」
朝比奈さんはセーラー服の肩(を抱(きしめてオドオドとしたものの、男女混交の一年生の群れが実直なまでの素(直(さで部室を出る様を目(の当たりにして、
「はあ……」
セキセイインコのように首を傾(げる。すかさずハルヒがちっちっと指を振(った。
「みくるちゃん、あなたはSOS団の何? もうとっくに解(ってると思うんだけど。念のため言ってみなさい」
「えーと、えと。あたしは……? え? 何でしたっけ……?」
自信なさげにハルヒを上目づかいで見る朝比奈さんに対し、己(を信心することに至ってはトチ狂(った新興宗教教祖を超(えるであろう傲(岸(不(遜(かつ罰(当(たりな団長は、小動物のような三年生の鼻先に指を突(きつけて声高らか、
「マスコットよマスコット。みくるちゃんは萌(えキャラじゃないと話になんないの。もちろん、それだけじゃないけどね。でも根底にあるのはいわゆる萌え要素なのよ。こういうのはバシッとキメておかないと屋台骨が揺(らいじゃうわけ。だから仮入部受付のときもそうだったでしょ? 解りやすいシンボルとして、あなたはここではメイドじゃなくちゃいけないわ。でないと、新入団員候補たちだって戸(惑(うもんね。ファーストインプレッションが肝(心(なの。うふん、あたしのお墨(付(きよ。みくるちゃんには天性の才能がある。あなたは自信を持ってメイドキャラを体現しなさい。いいわね」
ハルヒは俺たちに何か企(んでいることが明白な笑(みを見せ、
「ちょっと待っててよね。そいつら、帰しちゃダメよ。これからSOS団説明会をするから。逃(亡(を図(る者は遠(慮(しなくていいわ、麻(酔(を打ってから捕(縛(しなさい」
と言って、ドアを閉じた。
遮(蔽(壁(となった扉(の向こうから、生々しい衣(擦(れの音と「わひゃあ、いふぅ? 涼宮さ……くすぐっ……ひゃあふぁひ」などという朝比奈さんの泣き笑いのような刺(激(的音声が漏(れ聞こえるばかりであり、俺と古泉はすべきことなど見あたらず、廊下に突っ立って勢(揃(いしている一年坊(たちを眺(める作業に従事した。
いまのうちに遁(走(すればいいものを、十名あまりの一年生たちは好(奇(と期待の眼(差(しを一様に輝(かせ、ハルヒの言いつけ通り散会しようとしない。数えてみると十一人いた。男が七人、女が四人の編成で、緑色のラインが入った上(履(きの真新しさから、彼等彼女たちが高校生になってまだ一月足らずであることを証明している。
何か言っておいたほうがいいのだろうか。こう、人生の先達として忠告めいたことをだ。
古泉をうかがうと、副団長なる完全名(誉(職にある優(男(は、日常系の微(笑(を取り繕(って泰(然(たる構えでいやがる。やたら余(裕(の色を放射する目の色と弛(緩(した表情から察するに、この中に古泉の手の者が草として入り込んでいる様子はないようだ。どこの学校の部活動にもよくある光景、入部希望者の部室見学といった行事の一(環(ということか。SOS団は許(認(可(団体でもまともな部活動でもないが、こいつら、ちゃんと解ってんのか?
「それ以外にないでしょう」
古泉は俺の耳元で囁(いた。
「僕の知る限りにおきまして、ここにおられる若人(の方々に二心はありませんよ。いずれも虚(心(から団員としてSOS団に加わりたいと考えていることは明白です。少なくとも超(能力者や宇宙人やタイムリーパーは交じってはいません」
言い切るからには根(拠(があるんだろうな。橘京子や未来人野(郎(や周防九曜とやらが出現したってのに、そいつらのお仲間が北高に潜(入(してSOS団に食い込もうとしていても不思議じゃないぞ。
「全新入生の身元調査をしましたから」
古泉はあっけらかんと、
「ましてや橘京子の一派が来ることはありえません。我々『機関』が目を光らせていますからね。また、九曜さん側のインターフェイスがいたら、長門さんが無反応ではいないでしょう。未来人が交じっているのなら逆に好都合です。引っ捕(らえて真意を聞き出しますよ。ですが、残念ながらと申しますか、ここに揃(っている方々の中に未来人疑(惑(のある人物はゼロです」
愉(快(そうな目の微(笑(みはそのままに、古泉は十余名の生徒たちをさっと視線で一(撫(でし、
「当座の問題となる者はいない。何らかの問題が残るとしたら──」
さらに声をひそめた古泉のウィスパーボイスは俺にしか聞き取れないだろう。
「涼宮さんが団員として認める人間のみに発生します。全員を無根拠で僕たちの仲間に加えようとするはずはありませんから、誰を選ぶか、どのように選ぶかが問題なのです。一人でも残れば御(の字でしょう。純(粋(に僕たちと遊びたいと志す鋭(気(ある一年生たち、一(般(的な人間である彼等には気の毒でありますがね」
自ら進んでライオンの檻(に飛び込もうとする素(人(がいたら一応止めてはやるが、たとえ間に合わなかったとしても俺は知らんぞ。
ちらりと目線を動かして観察したところ、一ダース足らずの一年生たちはその見かけ上、何ら特(殊(なところはなかった。至って普(通(に幼く見えるのは、先月まで中学生だったんだよなというバイアスがかかっているせいかな。照れ隠(しのようにニヤついているヤツもいれば、こそこそクスクスと耳打ちし合っている女子二人連れもいて、特に女連中の視線が俺と古泉を品定めしているような気配がするのは、これも俺の意識せざるコンプレックスが思わせているか?
俺が黙(然(として立っていると、
「へいお待ち!」
熱風を錯(覚(させるほどの勢いで扉が開き、ハルヒがおいでおいでと手を振った。
「みんな、入っていいわよ。それからキョン、椅(子(が足りないから人数分、どっかから借りてきてちょうだい。コンピ研とか他(の部室回ればそんくらいあるでしょ」
とことん俺を雑用係にしておきたいらしい。
「なによ、ボサっとしていないで、さっさと行く! そっちの一年生たちは部室にどうぞ! いいからいいから。ほら、早く!」
テキパキと抽(象(的な指示をするハルヒだった。
「僕も手伝いますよ。十人分の椅子運びは一往復では不足でしょう」
古泉が壁(面(から背を浮(かせ、俺は仕方なくハルヒにうなずいて、素(早(く室内に目を飛ばした。
テーブルの側(に朝比奈さんがメイド姿で立っている。部室の住人の男女比が一時的に逆転する事態を受けてのことだろう、人見知りする良家のお嬢(さんのようにやや照れモードになったお顔で、肩(を狭(めておられる。一方、長門は自身の位置情報と運動エネルギーを何一つ変化させていなかった。