第三章 1

α─5


 月曜日。朝。

 日曜をまるまる休養に当てたせいで、この日のりようあしは軽かった。

 四月のちゆうじゆんに差しかろうとするこの時期にもなれば、さすが無意識のうちにちがえて一年の校舎を目指すこともなく、すみやかに二年五組の教室にある自分の席にこしを落ち着けた俺は、後ろを向いてくろかみの頭に声をかけた。

「どうした。一ヶ月まえだおしの五月病か?」

 俺が登校してくるより先に来ていたハルヒは、どこかかんした様子でフニャリと机にへばり付いていたんである。

「違うわよ」

 ハルヒは顔を上げると同時に「うーん」とびをして、アクビまでらした。

「ちょっとだけすいみん不足なのよ。るのがおそくなって。昨日は色々いそがしかったのよね」

 そういやお前は休みの日には何やってるんだ。深夜ラジオでもいてんのか。

「何であたしのプライベートをあんたに教えてあげないといけないのよ」

 くちびるをワニのようにとがらせて、

「近所の子に勉強教えたりとか、部屋のそうとか週ごとの模様えとか、それはもう色々よ。ラジオはたまに聴くけど。あとは資料作成しないといけなかったし」

 俺は眼鏡めがね少年ハカセくんを思い出しつつ、

「資料? 何の?」

「ふん、あんたも子供みたいね。そうやって、それなーにばっかりいてくるところ。どうして男っていつまでっても精神ねんれいが上がんないのかしら。子供の知的こうしんはあどけなくて気分いいけど、そんなせんさくするみたいな顔じゃ言いたくなくなるわ。いい年なんだから、あたしのすることくらい自分の頭で考えなさい」

 お前のしそうなことを考えれば考えるほど学校に居場所がなくなりそうなのは俺のかんちがいから来るものなのであろうか。

「キョン、いい? あんたも団員になって一年でしょ。団長の意向を読み取って、先に動くくらいのことちっとはしなさい。そんなのだからいつまでもヒラ団員なのよ。あたしの中の勤務評定表ではあんた、ぶっちぎりの最下位をばくしん中なんだから」

 ニッと不敵に笑ったハルヒは、一限目の現国で使うノートを広げ、シャーペンを振るって適当としか見えない手つきでフリーハンドの線をしゅしゅっと引いた。

「棒グラフにするとこんな感じ」

 一番長い線に古泉くん、みくるちゃんと有希ときやくちゆうされた線が同じくらい。で、俺はというと五ミリほどの功績しか団内では上げていないようだった。別に悲しくもないが。

「それからコンピ研がこれくらいで、鶴屋さんがほら、もうこんなに。見なさい。あんた、部外者にまで負けてるわ。前の会誌のげん稿こうもロクなもんじゃなかったしね」

 団員その一にして最古参なのに情けない、とか思うところなんだろうかね。そりゃコンピ研は合計五台のパソコンをけんじようしてくれたお人好しだし、鶴屋さんの上位に位置しようなんて干支えとが一回りしても無理だ。コンピ研には俺が同情票を入れるからもう少し線を上乗せしてやってもいいぜ。安いものだ。

 ハルヒはホームグラウンドのサポーターが相手チームのえんこういらったようなブーイングを発しそうな表情になり、

「バッカ。もっとがいを高く持ちなさい。幸いSOS団一周年記念まで一ヶ月くらいあるわ。その間にくんの一つ二つをばやに挙げることね。一年生の団員が入ってきたら、あんた、何をもってせんぱいづらするつもり? 言っとくけど、あたしは年功序列制度なんて絶対採用しないからね!」

 のぶなが方式か。戦国時代なら合戦で名のある武将をち取ればいいんだろうが、この高校でものあつかいされているSOS団にたてく勢力など生徒会のみである。それに現生徒会長は古泉ばんで、鶴屋さんは知らないようだが後ろだてに『機関』の名がチラつく。あの会長のしよく事件でもスッパけば足軽から供回りにしようかくしてくれんのかね。まあ、されたくもないが。

 ハルヒはなおも説教モードを続けたいようだったが、そこはそれ、れいのチャイムと同時に担任岡部が足早にやって来たことで中断された。

 しかしハルヒのやつ、まだ新入団員を集める気でいるのか。もくはともかく、どうやってだ?

 が、気にしても仕方がない。俺は俺で土曜の朝にかいこうした佐々木と橘京子、九曜とかいう異星人が気がかりで、その時にはいなかったもののまた出てきそうな未来人男もけんあんと言えば懸案だが、ケンカを売りに来ないんであれば、しばらくほうっておいてもいいかという胸の内を明かしておこう。

 来るなら来やがれという気概くらいは、クワガタの幼虫がサナギになる程度に俺の中で育っているんだ。けてくるのは全然いい。だが、しっぺ返しのだいしようは高くつくぜ。ボクシングでもカウンターのりよくはただのストレートよりきようれつなものだ。俺の読んでいたボクシングマンガではいつもそうなっている。そしてハルヒは恩もあだも平等に二億倍にして返すようなヤツなんである。

 世界史の年表はゆうべんだ。何をしたらマズいか、ちゃんと紀元前から記されているのであるから。

 いや、に言葉をついやしても無意味だな。

 俺が簡潔に言いたいことはただ一つ──、

 SOS団を敵に回して、タダですむとは思うなよ。



 昼の休み時間、俺は谷口と国木田に断りの言葉を短く告げ、弁当をぶら下げて文芸部室に向かった。

 学内を見回しても、この時間もっともていたいした空気を湿しつのようにき上げている場所であり、また予想するまでもない予定通りの行動パターンを長門有希はきちんとじゆんしゆしていた。

「入っていいか?」

 自分のでオカルト本の洋書を読んでいる長門は顔も上げない。

「…………」

「ここで飯食わせてくれ。教室だとさわがしくてな。たまには落ち着いて弁当食うのもいいかと思ってさ」

「そう」

 長門は起き上がりこぼしのスローモーションフィルムのように顔を上げ、俺にかすめるような視線を流して、読書の続きにもどる。

「お前はもう食い終わったのか?」

「…………」

 こくん、と細い首がわずかにぜんけいする。

 けっこう疑わしかったが、長門についきゆうするのは昼飯のことではなかった。

「九曜とかいう宇宙人のことなんだが」

 俺はパイプ椅子に座り、弁当箱を包むナプキンをほどきつつ、

「あいつは、冬に俺たちをとうさせかけた連中の手先で合っているんだよな」

 長門はしおりのかわりに自分の手のひらを用い、俺に目を戻して、

「そう」

「以前お前が言った……えー、お前と似たような感じのヒューマノイドなんとかなのか」

「おそらく」

「あいつもアレか、ハルヒのかんとかで来たのか」

 長門はまばたき一回分の時間をかけてから、

わからない」

 そう理解は不全、だったっけ。

「そう。しかし涼宮ハルヒの情報改変技能に関心を持っていることはちがいない。このわくせい上にヒューマノイドインターフェイスをけんした意図の一つ」

 長門は事務的に言う。

「彼等、てんがい領域は──」

 聞き慣れない単語を耳にし、俺は待ったをかけた。

「テンガイ……なんだって?」

「天蓋領域」

 静かにそう発音した長門は、

「情報統合思念体がざんてい的に決定した彼等のしよう。大きな前進。今まで、名付けるというがいねんすら持てなかった」

 俺がはしを持ったまま、長門有希という名の意味について考えていると、

「それは我々から見て天頂方向より来た」

 フラットな声が付け足した。

「天頂方向っていうのは」と俺はてんじように箸先を向け、「あっちか」

「…………」

 長門は七ケタのけ算を暗算するような間を持たせてから、

「あっち」

 部室の窓の外、山並み方面を指差した。北だってことぐらいしか解らないが、どのみち電波望遠鏡でも見えないような存在だ。やってきた方向なんてどうだっていい。立地の方角を気にするのはおんみようくらいだ。それよりも、

「長門。そのバカろうどもは、また俺たちをそうなんさせたときみたいな異空間にほうり込んだりする気なのか」

「今のところその兆候は見られない」

 ななめ後ろにうでを上げていた長門は、その手をページを押さえる作業に戻し、

「我々と言語的コンタクト可能なインターフェイスが姿を見せた。今後しばらくは彼女による物理的せつしよくが主になると予想する」

「あいつがねえ……」

 周防九曜なる女のうす悪さをはんすうする。統合思念体にはつけたいイチャモンが数々あるが、インターフェイスの作成センスだけは認めてやろう。長門、喜緑さん、ついでで朝倉も入れとこう、九曜に比べたらだいぶマシだ。

 たんたんと長門は、

「周防九曜と呼称される個体による単体こうげきはわたしがぼうぎよする。あなたと涼宮ハルヒに危害は加えさせない」

 誰のどんな言葉よりたのもしいぜ。だがな、長門──。

 俺が口を開くより早く、長門は反応した。

「朝比奈みくると古泉一樹にも」

 そして長門にもだ。

「…………」

 長門の固定された目に、俺は眼力をめてこたえた。

 お前は自分のことをかんじように入れていないようだが、俺は違うし、ハルヒも違う。九曜だろうが天蓋領域とやらのほかの何かだろうが、お前をどうにかするような真似まねは絶対許さん。守られっぱなしってのはおもしろくないんでな。俺にできることはちゆうじんなみに小さいかもしれんが、それでも何かはできるはずなんだ。

「…………」

 長門は無言でページに目を落とし、きっかけを得た俺は昼食に取りかかる。

 最初にマンションの708号室に招かれたあの日とはかくにならない。何の言葉もかいざいしないちんもくがこれほど安心感を生むとはね。



 午後の授業がすべて終わり、ホームルームもしゆうりようして起立礼の合図ののち、担任岡部がだんじようから降りると同時に、クラスメイトたちもざわめきつつ席を立ち始める。

 そう当番以外の生徒は本日この教室にはもう用がなく、俺はかばんを手にして立ち上がり、帰宅組の谷口・国木田コンビと別れのあいさつをし、さて部室に足を運ぶかとしたところで、ろくに中身のないはずの鞄が急速に重くなった。

 り返ると、ハルヒが手をばして鞄をつまんでいる。たいした指先力だ。

「ちょっと待ちなさい」

 座りっぱなしのハルヒは、俺の耳の横あたりをながめながら、

「明日、数学の小テストがあるって、覚えてる?」

「あー……。そうだっけ」

 そういや先週くらいに数学教師が宣言してたような気がするが、そのようなおくし続けるには宣伝力不足だったようだな。

「やっぱり忘れてたのね。だと思ったわ」

 ハルヒはふんと鼻息もあらく、

「そんなのだから、あんた一人でSOS団の団内へんを下げることになるのよ。試験なんて要領さえよければいくらでも得点できるんだから、そこはちゃんとしてなさい」

 お前は俺の母親か。それより席からどいたほうがいいぞ。掃除当番がめいわくする。

「何のんきにしてんの。あんた、数学の教科書持ってこっち来なさい」

 ハルヒはばやく立ち上がると、俺を引っ張ってきようたくまで連れて行く。数名の掃除当番員は、手慣れたものだ、俺とハルヒには目もくれない。ヘンな笑い顔になってんのが気になるが。

 俺の教科書をうばい取ったハルヒは、教卓に無造作に広げて置き、

「この九ページ、例題2は絶対出るから覚えておきなさい。こっちの計算式も。典型的な問題だからよしざきなら絶対出題してくるはずよ。板書は? ノート見せなさい」

 ばやな注文に、なすすべもなく従う俺であった。

「なにこれ? ちゆうまでしか書いてないじゃない。あんた、後半てたわね」

 いいだろ別に。お前だって今日の古文で寝てたじゃないか。

「寝ていいと判断したらそりゃ寝るわよ。聞かなくてもわかるもんね。あんたは解ってないでしょ。いい? 特にあんたは理数系がかいめつしてるんだから、力を入れるところはそうしなきゃ」

 ハルヒは俺のシャーペンで教科書の問題にアンダーラインを引き、

「最低限やっとけばいいのを教えるから、頭に入れておくこと。答えだけ覚えてもダメよ。テストじゃ数字をいじってくるから。まず、こことここと」

 こうしてしばらく、俺は立ったまま教卓をはさんでハルヒによる臨時講義を受けることになった。理解のある掃除当番係の生徒たちは快く俺たちを無視してくれ、俺たちもそうする。なんかずいぞ。せめて部室でやってくれたらよかったのに。

「バカね。部室は部活をするところであって勉強をするところじゃないわ。きっちり区別しないといけないの。面白いことをする時間に面白くないことをしてたら興ざめでしょ」

 ハルヒはさもつまらなそうに出題予想問題をてきし、事細かな解き方を述べつつ、最終的に俺が全問正答するまで俺と教卓を解放しなかった。

「ま、こんなもんね」

 シャーペンを転がして教科書を閉じたのは、俺の脳が時間外労働に対して不満の声をあげる五分前であり、掃除を終えたクラスメイトたちがすっかり消えせたころになってのことである。

「これで明日のテストで平均以下だったら処置なしよ。外科手術が必要だわ。できれば中間試験まで記憶してなさいよ」

 保証はできかねるね。そんな未来のことまで気にしていられないって。俺はびっしりと書き込みされたあわれな教科書を鞄にほうり込み、いどみかかるようにせいのいいハルヒのひとみを見下ろした。何か言ってやろうと思ったんだが、言葉が出てこず、すように首を上下させた。

「とにかくこれで明日は乗り切れるでしょ。もし半分も解けなかったら団長として訓告処分にするからね。そんなことになったらあたしがあんた用の算数ドリルを作ってやんないといけなくなるじゃないの。手間かけさせないでよね」

 ハルヒは自分の机にすたすた歩みより、鞄を手にすると、

「ぼーっとしてないで、さっさと行くわよ。みくるちゃんたちが待ちくたびれてるわ」

 あの三人ほど気長に待ってくれる存在もないだろうが、俺もハナからそのつもりだ。

 早足で進むハルヒのかたさきれるかみを追いかけつつ、正直な部分のところを明かすと、俺は明日の小テストをぼうきやく彼方かなたに追いやっていたわけじゃない。数学の授業前の休み時間にでも国木田に教えをたまわろうと考えていただけだ。

 それが今日、ハルヒに、と時間と人物が代わっただけで、ううむ、何というか、こういうのこそどっちでもいいことに分類されるのだろうな。

 ろうを先行するハルヒに追いつくには、おおまたで十数歩かかった。

 風を切るように歩くハルヒの歩調はだん通りに無意味に威勢よく、まるでねこかんふたが開く音を聞きつけたシャミセンのようで、その身長の半分ほどもありそうなはばに同調するためには、俺もあしの筋肉にフルどうを命じなければならない。

 おかげであっという間に部室前、ハルヒはノックなしでドアを押し開いて、一歩入った時点でようやく止まった。

「あ、涼宮さん。キョンくん」

 パタパタとけよった朝比奈さんは、なぜかメイド姿でなくノーマルに制服姿だった。ちょっと困った顔の未来むすめさんは、どこかはかなげで不安そうな声で、

「待ってたんです。もうすぐ呼びに行くところでした。あ、そのう、待ってたのはあたしじゃなくて、そのう」

 ハルヒが動かないため、俺は首をばしてセーラー服のかたぐちから内部をうかがい、

「げ」

 思わず変な声を出しちまう。

 長門がかたすみで本を読み、古泉がテーブル席でほほみをかべているのは日常そのものなのでいいとして、予想外のことが起こっていた。

 朝比奈さんは部室をり返りつつ、

みなさん、お待ちでした。湯飲みが足りなくてお茶も出せなくて、あの、三十分ほど前から次々と……。あたし、どうしたらいいかわからなくて」

 こんわくの表情もよく解る。

 部室は完全に定員オーバーになっていた。

 うわきの色をかくにんするまでもなかった。きっと一年前の俺たちも同じふんただよわせていたことだろう。何というか、フレッシュと表現するのはありきたりに過ぎるが。

 新一年生の男女が、文芸部室の内部にひしめきあっていた。

 その数、およそ十名。

 全員が俺とハルヒを見つめ、何やら変ながおを作る。

 張りつめたような空気の中、ハルヒがようやく、

「……ひょっとして、入団希望者?」

 朝比奈さんと古泉の返答に先んじたものは、

「はい!」

 男女混合約十名の唱和の声だ。

 こんきよ不明な希望に満ちた若々しい合唱を聞き、俺の口は誰ともハモることのないセリフを生み出すのだった。

「やれやれ」



β─5


 月曜日。朝。

 昨日あんなことがあったせいで、今日の俺の胸中は複雑だったが、顔つきまで複雑系にしておくわけにはいかない。ばんのう包丁のように切れ味するどかんのよさをほこるハルヒのことだ、よからぬ俺の思いを曲解したあげく三百六十度回って正解を言い当てるかもしれない。

 せいぜい、しゃっきりした仮面をかぶっておかないとな。

 幸か不幸か、俺が登校してくるより先に来ていたハルヒは、どこかかんした様子でフニャリと机にへばり付いていた。

 今さら通学路の強制平日ハイキングにつかれているわけでもあるまいし、深夜映画でもていたことによるすいみん不足か何かだろう。

 やや好都合だ。俺はだつりよくしている団長に安らかでいていただきたい一心で、可能なまで静かに自席に着いて、かばんをそっと机の横にかけた。

 背中でハルヒが顔をちょっと上げるような髪ときぬれ音を聞きつつ、チョークでよごれていない黒板をながめ続ける。

 れいが鳴りひびき、担任岡部が快調にやって来るまで、俺はじっとそうしていた。



 不足というなら、実は俺もそうだった。昨日、久しぶりに変なプロフィールを持つ人間から非現実的な場所移動をいられたおかげで、頭がえるあまり寝付きが悪かった。

 夜中に電話が鳴り出すんじゃないかと、ビクビクしていたせいもある。

 そのためだろう。

 二時限目の授業、古文の最中に俺はふねをこぎ始めた。かいできないほどのねむは、教室を照らす春の日の光がそくしんさせているものと思われる。背後ではとっくにハルヒが寝息を立てているし、睡眠学習のりんしようしやがもう一人増えても困るまい……。

 ……だめだ。マジですいの中でも最上級のやつが来やがった……。

 あえなく俺は短時間睡眠の魔の手に落ち、そしてよりにもよってな夢を見た。

 実際にあった出来事の追体験だ……。

 中学三年生の……ある日のメモリーズ。

 …………

 ……

 …

 どうにもこうにも平和で退たいくつきわまりない日常を十何年かやっているうちに、ふと気が付いたらぶつそうなことを考えている自分を発見してギョッとすることがある。

 例えば、どこぞの軍隊が誤射したミサイルが間違って降ってきやしないだろうかとか、落下してきた人工衛星が燃えきないまま日本のどこかにちよくげきしやしないだろうかとか、どでかいいんせきが落っこちて世界がの大混乱におちいったりしないだろうかとか、別に今の生活に絶望を感じるあまりカタストロフを望んでいるわけではないのだが、つらつらとそんなことを考えるのである。

 てなことをクラスメイトにして友人の佐々木に言うと、

「キョン、それはエンターテインメントしようこうぐんというものだよ。マンガか小説の読み過ぎだ」

 いつものいんぎんな笑みをかべた顔で解説してくれた。聞き覚えのない言葉である。当然のことながら俺は問うた。それはいったい何か。

「聞き覚えがないのも無理はない。僕が今さっき作った言葉だからね」

 と前置きしてから、

「現実はキミの好きな映画やドラマ、小説やマンガのように出来ていない。それがキミには不満なんだろう。エンターテインメントの世界にいる主人公たちは、ある日とつぜん、非現実的な現象に直面し、不都合を感じ、快適とは言い難いじようきように置かれてしまう。多くの場合、それらの物語の主人公はや勇気、かくされていた秘力、あるいは意図せざる能力を開花させて現状の打破を計らんとする。しかしながらそれはあくまでフィクションの世界でしか起こりえない物語なのだ。なぜならフィクションであるがゆえに、それらの物語はエンターテインメントとして成立するのだからね。映画やドラマや小説やマンガのような世界が日常にへん的に見られるようなものなのだとしたら、もはやそれはエンターテインメントではなくドキュメンタリーだ」

 わかったような解らないようなくつだったので俺は正直にそう言った。佐々木はのどの奥でクツクツと笑い声を立てた。

「つまるところ、現実とはかように確固たる法則によって支えられているということさ。いくら待っていても宇宙人はめてこないし、古代のじやしんが海中からよみがえることもない」

 なぜそんなことが解るのだ。絶対にあり得ないなんて事がこの世にあるとでも言うのか。少なくともきよだいいんせきが地球にぶつかる確率はゼロではないはずだ。

「確率と言ったかい? あのねキョン。確率なんてことを言い出したら、確かに不可能なことなど何もなくなるよ。たとえば、」

 佐々木は教室のかべを指さし、

「キミがあの壁に思い切りとつしんして、となりの教室にすりけて行ってしまうことだって確率的にはゼロじゃないんだよ。おや、壁抜けなんか出来るわけないだろ、と言いたげだね。しかしそうじゃないのさ。量子力学的ミクロの世界では、決して電子を通さないぜつえんたいさえぎられているにもかかわらず電子がその物体をいつの間にか通過して別の場所に現れることがよくあるんだ。トンネル効果と言うんだがね。それをまえて考えると、キミの身体からだを構成している元素もまた元をたどれば電子と同じりゆうほかならないのだから、同じようにそこの壁をぶち抜くことなく通りすることも不可能ではないという寸法だ。ただし一秒に一回体当たりするとして百五十億年かかってもまだ成功しないぐらいの確率だがね。それはすなわち、不可能と言ってもいいんじゃないかな?」

 いったい俺たちは何を話していたんだっけ。佐々木の話を聞いているうちに自分の考えていたことがだんだんめいりようになっていきだまされたような気分で会話が終わってしまうのもいつものことだ。

 佐々木はたんせいな顔立ちににゆうほほみを広げ、真正面からのぞき込む。

「それにねキョン。もし非現実的物語世界空間にほうり込まれたとして、キミがフィクションにおける主人公たちのように都合良くたちえるかははなはだしく疑問と言うしかない。彼らがなぜ知恵や勇気や秘力や能力を使して逆境を打破出来るかというと、それはそのように制作されたからだよ。ではキミの制作者はいったいどこにいるんだい?」

 ぐうの音も出なかったことを覚えている。

 以上は今から二年前の六月のある日、中学三年生時代における教室での佐々木と俺との会話だ。佐々木とはこの春になって初めてクラスメイトとして知り合ったが、みように話が合うのでよくどうでもいいような話をする仲になった。エラリー・クイーンの国名シリーズを全部読んでる生徒など知る限り佐々木一人である。ちなみに俺も読んでいない。どんな話なのかは佐々木がおもしろおかしく語ってくれるあらすじで知った。

 佐々木とは今年度になって俺が無理矢理行かされている学習じゆくでも同じコースにいるというえんもあり、まあ昼休みにいつしよに給食を食う程度には親密であると言えばだいたい想像はつくだろうか。俺は基本的に飯はマンガ雑誌でも読みながら一人で食うのが好きなタイプの人間だが、こいつとなら平気ではしが進むのである。ただし学校と塾以外での接点はまったくない。親友か、と聞かれるとノーと答えることになるだろう。

 佐々木は横の席から身を乗り出すようにして俺の机にひじをついている。キラキラとよくかがやく二つの黒い目が整った目鼻立ちの中でも特にきわだっていた。回りくどくて理屈っぽい言葉づかいを改めればさぞかしモテることだろうにと思う。

 ためしに思ったままのことを言ってみた。

「面白いことを言うね」

 佐々木はばくしようをこらえるような表情になって、

「モテるとかモテないとかがこの人生において問題視される理由が解らないね。僕はいつでもどこでもどんな時でも理性的かつ論理的でいたいと思っている。現実をあるがままに受け入れるには、じようちよ的感情的な思考活動はじゃまっけなノイズでしかありえない。感情なんてものは人類の自律進化への道をがいするあくしやへいぶつとしか思えないな。特にれんあい感情なんてのは精神的な病の一種だよ」

 そうなのか?

「昔ね、そう言っていた人がいるんだ。に富んだ言葉だったので今でもおくする部分さ。ひょっとしたら愛情がなければけつこんできないとか子供を作れないとか、血迷ったことを言いたいんじゃないだろうね」

 俺はちんもくする。さて、俺は何が言いたいのだろう。

「野生動物を見てみるといい。彼らのうちには確かに子供をいつくしみ、守り、育てているように見える種類もいる。しかしそれは愛情によってのことではない」

 佐々木はくちびるはしだけをゆがませる。あく的な微笑。問いかけて欲しそうだったので俺はそうする。

「じゃあ何によってだ?」

 佐々木は言った。

「本能によってさ」

 ここから本能と感情は別のものなのか、一体化しているものなのか、一体化しているならぶん可能なのか、などのこうしやくをしばらく一方的に聞かされ、いつの間にか性善説と性悪説のそうについて修辞的な観点からぶんせきするという問題にシフトしてきたあたりで、俺の机の上に第三者のひとかげが落ちた。俺たちと同じ班に属してる美化委員、岡本が進路希望用紙を持ってやって来たのである……。

 …

 ……

 …………

 かろやかにチャイムが鳴り、俺が聞いたのはその最後のリフレインだけだった。

 岡本の顔を思い出す前に、俺は目を覚ました。しゆんに現在地のかくにん。北高の二年五組教室。いつのまにやら休み時間になっている。ハルヒはまだ夢のちゆうにいるらしい。静かで定期的ないきが聞こえる。

 よくぞ二人並んでのねむりをてきされなかったものだ。せきに近い。さとりに至った教師からサジを投げられているんだとしたら、まあハルヒは喜ぶだろうが学業かんばしくない俺にはあまり手放しするほどうれしい事態ではない。これでも進学が目標で、少なくとも親はその気だ。

 開いた教科書をあんみんまくら代わりにしていたため、顔にあとでも残っていないかとさすっている間に、俺はさっき見た夢の内容をほとんど記憶から欠落させていた。あれ? なんだか重要なセリフを聞いたような気がするんだが。佐々木が出てきたのは覚えているが、会話の内容がハッキリしない。

 俺は自分のこめかみにデコピンをあたえる。イテ。

 これが現実で、さっきのが夢。当たり前だというのはたやすい。しかし俺は、たまに今ここにいる世界がちゃんとした現実であると強固に確かめる必要があった。後ろ向きなついおくの念にいつまでもこだわる無意識に活を入れてやらねばいかん。

 佐々木や九曜や橘京子たちも現実っちゃあそうなんだが、俺の立ち位置はそっちではなく、あくまでこっちなんだ。現在、俺の真後ろでみんむさぼっているだろう団長殿どののいるほうなのだ。

 決して忘れてはならない、忘れるはずのない現実なんである。

 万が一かいされるようなことがあれば何としてでも修復してやる、それが俺が持つ意思のすべてだ。

 誰に言われたからでも、誰かのためでもない。俺は分不相応にも正義の味方や博愛主義者を名乗ろうとは思わないからな。だから、それは究極のところ自分のためなのさ。そう決めたんだ。去年のサンタスティックなころに。



 昼休みになってハルヒが教室から不在となり、俺は谷口と国木田と机を囲んでランチタイムを心ゆくまでまんきつする。

 旧知の連中とつるんでしまうのは別段俺が交友録めい簿に新たな名をさいするのがめんどうだからというわけではなく、言ってやれば、この二人はそれなりにデキている友人どもだったから今さらきよを置きたいとも思えず、これはまともなクラスえをしなかった学校当局に責任を求めたい。だから俺はこれからの一年間をこいつらと友人関係を保ちつつ過ごすことにするぜ。

「キョン。これ、いていいかなぁ」

 国木田がシャケの切り身からていねいに皮をぎ取りながら、ぼやんとした顔を向けてきた。あまりの自然な切り口に、俺はそくに合いの手を入れる。

「何だ」

「最近、佐々木さんと会った?」

 口に入れていた梅干しをタネごと飲み込みそうになった。

「……なぜだ?」

 まさか須藤の同窓会れんらくもうが国木田のところまでとうたつしたんじゃないだろうな。

「この前、というか四月の頭だけど」国木田ははしを休め、「学習じゆくがやってた全国模試を受けに行ったんだ。その会場で見かけた。会話はしなかったし、あっちが僕に気づいてたかどうかはあやしいね」

 何でいまごろそんなことを思い出すんだ。新学期が始まって結構つのに。

「模試の結果が昨日送られてきたんだよ。順位が記載されているやつ。自分が何位にいるか名前を探してたら、自分より先に彼女の名を見つけたよ。さすがだね、総合で僕よりかなり上の点数を取ってた」

 国木田は再び箸を動かしつつ、

「それで僕は思った。次は彼女より上位に行ってやろうってさ。目標の目安だよ。仮想ライバルだね。たぶん佐々木さんの順位はそう変動しないだろうから、この名前より上になれば自分の実力を測ることができる。キョンなら知ってるかもと思ったんだよ。佐々木さん、志望大学はどこなんだろ」

「知らん」

 さっさとこの会話はしゆうりようして流してしまうに限る。でないと、

「おう。そりゃ聞き捨てならねえな」

 谷口がニヤニヤと、

「佐々木だあ? それはあれか。キョンが中学でヨロシクやってたっていう例の女か」

 ほらみろ、みように食い付きのいいろうがエサを針ごと飲み込んだだろうが。

 俺がきよけんを発動して無言教の宗徒と化し、弁当の続きに取りかかるのも何のその、谷口はこうしんを丸出しにしたねこのように身を乗り出して、

「どんな女だ、そいつは」

可愛かわいらしいだよ。頭もいいしね。変と言えば変だったけど、そうだなぁ。あれは意識的に変な部分を演じているんじゃないかと思うな。うん、変わり者だった」

 佐々木もお前を変わってると言ってた。お似合いだ。

「そうなの? でも意味合いがちがうんじゃないかな。佐々木さんは自覚的だけど、僕はそうやっててきされても自分じゃわからない。でも、彼女は自分をよく解ってる。解った上で、自分をわくに当てはめているような気がしてたんだよ。そのわくみの中から決してハミ出ないようにしてる感じがする」

 確かにしやべり方からして四角四面としていたが。

「今でもそうなのかなとちょっと疑問に思ってね。だって、ほら、佐々木さんは有名進学校に進んだだろ? あそこはほとんど男子のはずさ。自分を型にはめたままじゃあ、つかれやしないかと心配だよ」

 特に心配そうでもなく言う国木田に、谷口がブロッコリーを口にほうり込み、

「そいつぁ俺の営業はんがいだな。変な女はこりごりだ。涼宮といい、いや涼宮は最初から関係ないが、ほらよ、どうしてこう、俺はつうに可愛げのある女とえんなんだろうな。まあ二年になったことだし下級生ねらいに的をしぼるのが得策のような、つってもなかなか接点がなー、この夏までには何とかしねーと」

 なぜかちゆうから早口になった谷口には好きなように何とでもしていればいいと言い捨てておくしかないが、佐々木とは昨日会ったばかりで、異常三羽ガラスを交えたかいな会合をりおこなったばかりの俺は、たんに食欲がなくなった。国木田と佐々木が意外な接点を持っていたのはぐうぜんに違いないが、こうもタイミングよく佐々木の名を聞かされると、虫の知らせのような非科学的予兆を感じないわけにはいかなくなる。まるで筋書きを書いた誰かが忘れるなと教えてくれているような、ちよう不自然的な感を覚える。

 警告か? 昨日の感じでは佐々木はもとより、藤原や橘京子からもあつきようも感じなかった。九曜もだ。あれはあれでそこはかとなく不気味だが、こっちにだって長門がいるし、喜緑さんまで出張ってらっしゃっていた。おかげで俺はやんわりとゆうをかませている。

 考えてみろ、俺たちSOS団は何だかんだで一つにまとまっている。しかし、連中はそうでもないらしい。古泉ほど求心力のなさげな超能力者に、朝比奈さん(大)より自己中っぽい未来人、地球のれいをまるで知らないであろう新参の宇宙人、この三者の結びつき見たまんま全然弱そうだ。おまけにかつぎ上げようとしている佐々木が協力的ではない。

 向かうところ敵なし状態のハルヒにたいこうするには役者が不足気味だろう。ちったあ根回ししてから来りゃいいものを、いかにもちゆうはんすぎる。何考えてんだ? 橘京子のあんな説得で、俺がばんゆるい政治家みたいになびくとでも思ったんだとしたら、見くびられたもんだぜ。

 たっぷりねむったはずがすぎでかえって頭が重くなった朝のように、何かモヤモヤとしたものをかかえながら、俺は昼飯をしやくする作業を再開した。

 谷口の話題は新一年生の中にどれだけAAAランクがいるかどうかに移っていたが、差し当たって俺の興味からは外れている。どうせSOS団に入団希望者が来るなんてことにはなりやしないさ。

 涼宮ハルヒとSOS団のごうゆうはすでにきんりん地域の部外者にまでとどろいているようだからな。佐々木によると。



 その日の放課後、俺とハルヒはホームルームを終えた担任岡部がきようたくを降りるのと同時に席を立ち、とっとと教室を後にした。

 いつものように部室に行くのかと思いきや、

「キョン、先に行っててくんない? あたしはちょっと寄るところがあるから」

 ハルヒはかばんかたけすると、とうてきされたカーリングの石よりもすべらかな足取りで走り去った。

 まさか谷口よりも目ざとくAAAランクプラスの一年生を発見していて、またまたしに行ったのではあるまいなと考えながら、それならそれで仕方がない、ハルヒの好きにさせるさ、と達観して早いくとせ。のんびり部室とうに向かうことにする。

 運動部に入った一年生は早々に部活動を始めているようで、去年まで旧三年生の学年カラーだった色のジャージ姿がグラウンドに見えたり、わたろうですれ違ったりするのがしんせんだ。フレッシュというにはありきたりに過ぎるが、ほかに表現しようもないね。

 文芸部にも来てたら長門も少しくらいせんぱいづらできていいのだが。おそらく年間三百冊くらい読んでる地球産書物大好き宇宙人インターフェイスだ。たとえこうはいができたとしても日常的にとうめいバリアを張っている長門が喜ぶとも思えんが、一人でもくもくと読む本を探し続けるより、読書感想仲間が増えたならこうにゆうした本の貸し借りができて便利だろう。どくりようした本に関して意見こうかんするスキルは俺になく、そういや本を借りても貸したことはないな。なんかの記念日に図書カードでも送ったほうがいいか。

 俺は毎度おなじみ、ノックと室内からの返答の有無かくにんおこたらない。無音のみの反応。部室のドアを開けた俺は、そこに無人の空間を見いだした。一番乗りとはめずらしい。

 鞄をテーブルに放り出し、パイプに座り込む。いちまつのうらさびしさを感じつつ、はて何でそんなもんを感じるのかと考えて、ハタと気づいた。

 そうか。まるでじようちゆうしているのかと思えるくらい、いつ見てもここにいた長門の姿がないせいだ。

 ま、あいつだってそう当番やホームルームが長引くことだってあるだろうしな。あるいはコンピ研に出張か。

 他の四人を待つ間、俺はテーブルに置きっぱなしになっていた長門の読みかけらしきハードカバーを取り上げ、適当に開いたページの文章を目で追った。帰るところを永久に探している装置がどうとやらという物語のようだった。



α─6


 こうちよくすること数秒、のち、ハルヒが発令したのはまず室内にいた朝比奈さんと長門を除く全員を廊下に追いやることだった。理由は簡単、

「みくるちゃん、とりあえずえてちょうだい。もち、メイド服ね。チャイナは……たぶん、なんとなくくやしいけどサイズが合わないわ。残念だけど。いいわ、そのうち用意したげるからまんしてね」

「ええっ。今からですか?」

 朝比奈さんはセーラー服のかたきしめてオドオドとしたものの、男女混交の一年生の群れが実直なまでのなおさで部室を出る様をの当たりにして、

「はあ……」

 セキセイインコのように首をかしげる。すかさずハルヒがちっちっと指をった。

「みくるちゃん、あなたはSOS団の何? もうとっくにわかってると思うんだけど。念のため言ってみなさい」

「えーと、えと。あたしは……? え? 何でしたっけ……?」

 自信なさげにハルヒを上目づかいで見る朝比奈さんに対し、おのれを信心することに至ってはトチくるった新興宗教教祖をえるであろうごうがんそんかつばちたりな団長は、小動物のような三年生の鼻先に指をきつけて声高らか、

「マスコットよマスコット。みくるちゃんはえキャラじゃないと話になんないの。もちろん、それだけじゃないけどね。でも根底にあるのはいわゆる萌え要素なのよ。こういうのはバシッとキメておかないと屋台骨がらいじゃうわけ。だから仮入部受付のときもそうだったでしょ? 解りやすいシンボルとして、あなたはここではメイドじゃなくちゃいけないわ。でないと、新入団員候補たちだってまどうもんね。ファーストインプレッションがかんじんなの。うふん、あたしのおすみきよ。みくるちゃんには天性の才能がある。あなたは自信を持ってメイドキャラを体現しなさい。いいわね」

 ハルヒは俺たちに何かたくらんでいることが明白なみを見せ、

「ちょっと待っててよね。そいつら、帰しちゃダメよ。これからSOS団説明会をするから。とうぼうはかる者はえんりよしなくていいわ、すいを打ってからばくしなさい」

 と言って、ドアを閉じた。

 しやへいへきとなったとびらの向こうから、生々しいきぬれの音と「わひゃあ、いふぅ? 涼宮さ……くすぐっ……ひゃあふぁひ」などという朝比奈さんの泣き笑いのようなげき的音声がれ聞こえるばかりであり、俺と古泉はすべきことなど見あたらず、廊下に突っ立ってせいぞろいしている一年ぼうたちをながめる作業に従事した。

 いまのうちにとんそうすればいいものを、十名あまりの一年生たちはこうと期待のまなしを一様にかがやかせ、ハルヒの言いつけ通り散会しようとしない。数えてみると十一人いた。男が七人、女が四人の編成で、緑色のラインが入ったうわきの真新しさから、彼等彼女たちが高校生になってまだ一月足らずであることを証明している。

 何か言っておいたほうがいいのだろうか。こう、人生の先達として忠告めいたことをだ。

 古泉をうかがうと、副団長なる完全めい職にあるやさおとこは、日常系のしようを取りつくろってたいぜんたる構えでいやがる。やたらゆうの色を放射する目の色とかんした表情から察するに、この中に古泉の手の者が草として入り込んでいる様子はないようだ。どこの学校の部活動にもよくある光景、入部希望者の部室見学といった行事のいつかんということか。SOS団はきよにん団体でもまともな部活動でもないが、こいつら、ちゃんと解ってんのか?

「それ以外にないでしょう」

 古泉は俺の耳元でささやいた。

「僕の知る限りにおきまして、ここにおられる若人わこうどの方々に二心はありませんよ。いずれもきよしんから団員としてSOS団に加わりたいと考えていることは明白です。少なくともちよう能力者や宇宙人やタイムリーパーは交じってはいません」

 言い切るからにはこんきよがあるんだろうな。橘京子や未来人ろうや周防九曜とやらが出現したってのに、そいつらのお仲間が北高にせんにゆうしてSOS団に食い込もうとしていても不思議じゃないぞ。

「全新入生の身元調査をしましたから」

 古泉はあっけらかんと、

「ましてや橘京子の一派が来ることはありえません。我々『機関』が目を光らせていますからね。また、九曜さん側のインターフェイスがいたら、長門さんが無反応ではいないでしょう。未来人が交じっているのなら逆に好都合です。引っらえて真意を聞き出しますよ。ですが、残念ながらと申しますか、ここにそろっている方々の中に未来人わくのある人物はゼロです」

 かいそうな目のほほみはそのままに、古泉は十余名の生徒たちをさっと視線でひとでし、

「当座の問題となる者はいない。何らかの問題が残るとしたら──」

 さらに声をひそめた古泉のウィスパーボイスは俺にしか聞き取れないだろう。

「涼宮さんが団員として認める人間のみに発生します。全員を無根拠で僕たちの仲間に加えようとするはずはありませんから、誰を選ぶか、どのように選ぶかが問題なのです。一人でも残ればおんの字でしょう。じゆんすいに僕たちと遊びたいと志すえいある一年生たち、いつぱん的な人間である彼等には気の毒でありますがね」

 自ら進んでライオンのおりに飛び込もうとするしろうとがいたら一応止めてはやるが、たとえ間に合わなかったとしても俺は知らんぞ。

 ちらりと目線を動かして観察したところ、一ダース足らずの一年生たちはその見かけ上、何らとくしゆなところはなかった。至ってつうに幼く見えるのは、先月まで中学生だったんだよなというバイアスがかかっているせいかな。照れかくしのようにニヤついているヤツもいれば、こそこそクスクスと耳打ちし合っている女子二人連れもいて、特に女連中の視線が俺と古泉を品定めしているような気配がするのは、これも俺の意識せざるコンプレックスが思わせているか?

 俺がもくぜんとして立っていると、

「へいお待ち!」

 熱風をさつかくさせるほどの勢いで扉が開き、ハルヒがおいでおいでと手を振った。

「みんな、入っていいわよ。それからキョン、が足りないから人数分、どっかから借りてきてちょうだい。コンピ研とかほかの部室回ればそんくらいあるでしょ」

 とことん俺を雑用係にしておきたいらしい。

「なによ、ボサっとしていないで、さっさと行く! そっちの一年生たちは部室にどうぞ! いいからいいから。ほら、早く!」

 テキパキとちゆうしよう的な指示をするハルヒだった。

「僕も手伝いますよ。十人分の椅子運びは一往復では不足でしょう」

 古泉がへきめんから背をかせ、俺は仕方なくハルヒにうなずいて、ばやく室内に目を飛ばした。

 テーブルのそばに朝比奈さんがメイド姿で立っている。部室の住人の男女比が一時的に逆転する事態を受けてのことだろう、人見知りする良家のおじようさんのようにやや照れモードになったお顔で、かたせばめておられる。一方、長門は自身の位置情報と運動エネルギーを何一つ変化させていなかった。

このエピソードをシェアする

  • ツイートする
  • シェアする
  • 友達に教える

関連書籍

Close