第二章

α─1


『もしもし』

 山びこのように返ってきたその声は、まるで聞き覚えのない女の声だった。

 ハルヒでも長門でも、どの時間帯の朝比奈さんでもない。森さんでも阪中でも、ましてや周防九曜や橘京子、まだ可能性のあった佐々木ですらなかった。一言聞いただけでわかる。の誰でもなく、これはいまだかつて俺のまくふるわせたことのない声だ。

『あっ。お風呂でした? ゴメンナサイです。失礼しちゃった。かけ直しましょうか?』

 それにはおよばない、と答える前に、

『でもでも、何度もかけるのはアレですよね。重ねてゴメンナサイ』

 行く川の水のような声が受話器からほとばしる。それをさえぎって、

「誰だ。まず名を名乗ってくれないか」

『あたしです。あたしは、わたぁしです』

 いや、ハルヒじゃあるまいし、そんなのは自己しようかいとは言えないぞ。

『そんなぁ』

 と、その声。女のもので、電話しなので完全にめいりようとは言えないが、声の主はどこかほがらかにこうようしているような節回しで、

『でもいいです。ごあいさつと思ってかけたの。フフ、妹さん、可愛かわいらしいですね。あたしもこんな妹が欲しかった。算数ドリル~、フフ。可愛い』

 はて、と思う。聞き覚えはさらさらないが、イントネーションが誰かに似ている。だんは絶対こんな声を出さないであろう人間が、この声を演じているような感覚だ。だが、いくら俺の音声レコーダーをさぐっても出てこない。ただ、どことなく妹に通じる幼い口調だ、とだけ。

せんぱいの声が聞きたかったんです』

 その声の持ち主は、

『それだけでした。なんとなくです。これからお世話になるようでしたら、よろしくです。長くおつき合いできたらいいなぁ、なんて』

 ちょい待て。俺を先輩と呼ぶのかこいつは。すると年下か。にしても、おくにないのは確実で、せめてフルネームを教えろ、と言いかけた俺に先んじて、

『もう切ります。それではまた。会う機会があれば。フフ』

 プツッ。

 失礼な感じで切れた。

 何なんだ、一体。久々に会った佐々木や橘京子、九曜だけで俺はもう限界だぞ。当分、新キャラなんぞに出て来て欲しくはない。

 ふと気づいて電話機のれきを見てみる。番号非通知でかけてやがる。

 から上がり、を着ている最中も、俺はこの電話むすめの心当たりを自分にたずね続けて、時間をふいにするという結果を得た。

「いったい、今日はどうなってんだ……?」

 考えていてもしかたないな。なるようになるさ。ならないようなら、どんなくつをつけてでもしてやる。いざというときには難度の低い順に古泉、朝比奈さん、長門、それから無限大のきよを経てハルヒ──に相談してやるからな。どうなっても知らねーぞ。

「やれやれだ」

 明日はせっかくのフル休日、ハルヒがこれから俺のる前に何かを思いつかない限り、日曜だけはゆっくりできる。

 俺は湯冷めしないようにシャミセンを湯たんぽのようにかかえながら、妹の待ちかまえる部屋に向かった。



β─1


『もしもし』

 山びこのように返ってきたその声は、今朝聞いたばかりの女の声だった。

 まだハルヒか長門か朝比奈さん(大)だったほうがよかったかもしれない。ハルヒならじやな計画を明日にもするとか言い出すくらいだろうし、長門とは九曜についてブリーフィングを設ける必要がある。朝比奈さん(大)なら問いつめることがたくさんある。

『ああ、入浴中だったかい? なら妹さんもそう言えばいいのに。かけ直そうか? でも電話に出たということは、かく的もうそろそろ出ようとしていたところかと推測するが』

 思いかべた誰でもなかった。俺は聞き覚えのある声の主の名を言う。

「佐々木か」

『そう、僕だ。今朝のことだけど、本当はもう少し長話になるつもりだったんだ。涼宮さんたちが来るのが早すぎたね。これは誤算と言うべきだろう』

 佐々木の声がくっくっと笑う。

『それにしてもキミのところの妹さんも変わらないね。ちゃんと名前を告げたんだが、聞き取れなかったか、僕のことなど忘れてしまったのか、無理はないがね。顔を合わせたのは二度、いや、三度だけだったか』

「妹の算数家庭教師なら間に合ってるぜ」

 そいつは俺の数少ない家庭こうけんの一つだ。

『わかってる。可愛いキミの妹を横取りしようとはしないよ。赤の他人は何十億もいるが、血を分けた家族はわずかしかいないのだから、その比率に反比例して希少価値もね上がる。この世で最も注意深く大事に取りあつかわねばならない関係性だよ。血をうすめることはできない』

「で、何の用だ」

『単刀直入に言う。明日、駅前の例の場所に午前九時、ぜひとも来てもらいたい。場所はわかるね。いつものところと言えばじゆうぶんだろう。用件は────うん、これは僕じゃなくて、橘さんたちに直接聞いたほうがいいな。僕の考えでは、僕よりもキミのほうがよく理解できるだろう』

「あいつらも来るのか」

 九曜とかいう女の静的な不気味さを思い出しつつ、俺がウンザリしていると、

『彼も来るはずだ。何と言ったかな、ほら、しよう未来人の』

 ますますウンザリだ。朝比奈さんについて、あのろうろんなセリフを口走ったりしたら今度こそ自信がない。俺があいつをなぐりそうになったらとめてくれよ。

『じゃあ来てくれるんだね。キョン、安心してくれたまえ。三人とも平和的な話し合いを望んでいる。言葉での意見こうかんでなんとかなるのであれば、誰にとっても望ましいことさ』

 宇宙人に地球語が通用してくれたらいいんだがな。それはそうと、

「佐々木、お前、今日、連中とどこに行っていた」

『アリバイ証明かい? 電車に乗って適当に辿たどり着いたはんがいをぶらついていた。橘さんはなかなか気のいいおじようさんだったよ。彼女の高校のことを色々話してくれた』

 佐々木は事も無げに付け加えた。

『それから、四年前のこともね』

 四年前。

 俺が聞いたのは去年だから、それは三年前だった。誰も彼もが口にして、深くツッコムと首を横にることになったキーワード。ハルヒが変態ちようじんパワーで何かをしたらしい時点から、今までに至った年月。オリンピックが開けるな。

「なんつってた」

『それもじかに尋ねてくれないか。僕もまだ混乱している。ああ、キョン。実際、僕はけっこうどうようしているんだよ。プールの授業を明日にひかえた、カナヅチの小学生のようにね』

 俺は中学校のプールサイドにたたずむ佐々木の水着姿を思い出した。確かに女だったよな、こいつは。クラスのほかの女子に交じっている限りではつうの女子生徒にしか見えなかった。平均以上のところは愛想のよさと、しやべっている最中のかがやくようなひとみくらいだ。そう、男相手に話している間以外はどこにでもいるありふれた中学生で、今は高校生。

 にもかかわらず、なぜ佐々木は俺とこんなケッタイな会話を電話をかけてきてまでしているんだ? まったくありふれてなどいない。どこでズレた。誰のせいだ?

「佐々木。お前があいつらのれんらく係になっているのは解った。だが、なぜお前がそんなことをしているのかが解らん」

 電話口で佐々木はしばしだまってから、ふくみ笑いをらした。

『それは僕がキミの友人だからさ。他の誰よりも適任だろう? 僕じゃない誰かに呼ばれて、そうですかと出てくるほど、キミはだまされやすくはないからね。言い負かしやすくはあったが』

 お前に言葉で勝とうとは思わねえよ。

『キミは聞き手としてゆうしゆうだよ。適度に利口で、適度にものを知らない。おこるなよ。めてるのさ。こちらが話す内容を理解してもらえないのは話し手にとって面白くないが、最初から知っている相手にぞんの情報を伝えても意味がない。その点、キョンならば安心だ。キミはそんな気配を持っているんだよ。話しかけやすい体質をしている』

 どうも褒められている気がしないが、佐々木に言われるとなつとくしかけてしまう。思えば、いつもこうだった。

『そろそろ切るよ。妹さんの勉強のじやをするのは気が引ける。キミの兄としての尊厳をする時間を失わせるのもね。明日、ちゃんと時間に間に合うように起きてくれよ。でないと、僕が昔の学生めい簿を探して押し入れをひっくり返した時間がになってしまう。年賀状に番号が書いてあれば手間も省けたんだが』

 行くさ。行くとも。

 一度話をつけようと思っていたところだ。IFFをかくにんするまでもなく、エネミー判定に充分な前歴のある宇宙人と未来人と超能力者どもだからな。バラじゃなくまとめて来やがったのは俺としてもめんどうがなくて助かるさ。

『湯冷めしないようにね。では、ご家族によろしく』

 ゆっくりとした感じで電話が切れた。

 俺は大急ぎでから出ると、を着て部屋へとダッシュした。



β─2


 ベッドの上でシャミセンがまくらにしていたけいたい電話を取り上げてダイヤルする。ワンコールで出た。

『古泉です』

 正座して待っていたようなじんそくぶりに感心するぜ。

『そろそろ連絡があるのでは、と思っていましたからね。おそすぎたくらいですよ。てっきり解散後すぐに来るものかと』

 佐々木から電話があってそくにしたんだ。これで遅いんなら電話線にタキオンりゆうを通すしかない。

『ああ、話がみ合っていないようですね。なるほど、あちらから連絡があったんですか。いえいえ、僕は佐々木さんの電話の有無とは関係なく、あなたが僕にかけてくることを予想していたんです。たずねたいことがあるのではありませんか?』

「橘京子ってやつと、お前は顔見知りか」

『もちろん知っています。どこまで行っても我々とは意見が平行線の、いわば敵対勢力の幹部ですから』

 どんな敵対の仕方をしてるのか知りたいもんだ。かげでドンパチをやってるわけではなさそうだが、まさかへい空間でサイキックバトルか?

『それができたら楽しそうですね。残念ながらそうは解りやすくいきません。涼宮さんの作り上げた閉鎖空間に彼女たちは出入りできませんから。……ただ、橘京子の一派も僕の属する「機関」も、実体はそうちがわないんです。似たような思想の元で動いていますが、かいしやくが違うといいましょうか』

 ハルヒが三……じゃない、四年前に世界を創造したとかいう涼宮ハルヒ神様論か。

『証明しようがないので仮説の段階にとどまっていますが、ありていに言えばそういうことです。「機関」の中でもしんぽうしやは多い。我々が涼宮さんに能力をあたえられたという事実に関すれば、まず百パーセントですね。これはくつきで、僕も含めた全員の確固たる認識です』

 橘京子は?

『ですから、彼女は涼宮さんに与えられなかった者たちの代表なんですよ。そのくせ、と言うべきですね。彼女たちは自分が本来あるべきだった姿なのだとしんこうしている。我々のように、涼宮さんを主とした従であると考えられない人々なんです。おとなしくぼうかんしていればいいものを、なまじ解ってしまうがゆえにおもてたいに出ようとしている。気持ちはわかりますけどね』

 古泉の解説口調にはれんびんの情が点々としている。

『それで、佐々木さんからは何と?』

「明日、連中と会う」

 俺は佐々木から伝えられた内容のまとめを伝えた。

「なんか知らんが、俺に話があるようだ。ちなみに俺にだってある。一発ガツンとらわしたいほどだぜ」

 古泉は短く笑い声をあげて、

『申しえておきますが、橘京子があなたや涼宮さんに暴力こうを働くことはありません。あのゆうかい事件にも彼女は否定的だったはずですよ。未来人のかんげんに乗せられた一部をせいぎよできなかったのは失着でしたね。それに彼女たちにとってもあなたがた二人は重要人物なんです。危険なのは長門さんのお相手のほうでしょう。情報統合思念体以上に何を考えているのか解読できません』

 くれぐれも自重願います、と最後に付けたし、古泉とのきんきゆうホットラインは終わった。くだくだと長話にしなかったのは、これだけ言っとけば古泉なら我が意を得るだろうと思ったからだ。俺が誘拐されかかったらよろしくたのむぜ。

「さてと──」

 次は長門だな。

 携帯電話のメモリに記録する必要もないくらいに俺はこの番号をめいせきおくしている。

 こちらはスリーコール待たされた。

『…………』

「長門、俺だ」

『…………』

「明日なんだがな──」

 応答はロクになかったが、ちんもくの気配でそれが誰かくらいすぐ解る。俺は一方的にしやべり続け、「というわけで明日、今日会ったあの宇宙人にもう一度会ってくる」と言ったところで、ようやく、

『そう』

 長門の素っ気なさそうなセリフが聞けた。

「佐々木を信じれば連中はあくまで平和主義なんだそうだ。古泉も多分そう思っている。で、お前はどうかと思ってさ」

『…………』

 辞書で単語を調べているような無言があり、

『現時点における危険性は低い。無視できるレベル』

 長門の言うことだけに説得力がある。急に身体からだゆるむのを感じた。

『情報統合思念体は彼等のかいせきに全力をくしている』

「少しは正体がつかめたか」

『まだ。宇宙に拡散する広域情報意識であるところまで』

「お前は、あの九曜とかとはあいさつできたのか?」

がいねんが共有できなかった。思考プロセスはぜん、不明』

 なぞの宇宙人はまだ謎のままか。

 俺が九曜なる女をばくしてどこかの宇宙開発機構にゆずわたせないかと考えていると、長門が不意に言葉をいだ。

『彼等に対するしよう便べん的に仮決定された』

「ほう。いちおう、聞かせてくれ」

てんがい領域』

 しばっ気をこうりよしない長門は、たんたんと述べた。

『それは我々から見て天頂方向より来た』



α─2


 宿題作成に付き合った後、妹の部屋にシャミセンを置き去りにして自室にもどった俺は、ベッドの上に転がしていたけいたい電話を取り上げてダイヤルする。ワンコールで出た。

『古泉です』

 正座して待っていたようなじんそくぶりに感心するぜ。

『そろそろれんらくがあるのでは、と思っていましたからね。おそすぎたくらいですよ。てっきり解散後すぐに来るものかと』

 俺はそれほどせっかちではないんだよ。考えをまとめる時間がったというのは本当のところだが。

「今日のあいつら、ありゃ何だ?」

『僕があなたにきたい質問でもありますが、橘京子に関しては特にこれと言ってありませんね。彼女たちの一派がしびれを切らすころいだと予想はしていました。あの誘拐事件はそのぜんしようせんですよ。もっとも、あれは橘京子が意図して起こしたとは必ずしも言えませんが』

 お前が弁護側に回るとはな。

『僕としても無用の争いはけたいんですよ。丁々発止のやり取りはどうもしように合わなくてね。幸いにも橘京子はまだ話の通じるほうです。理性的な敵軍はまいな友軍より賞賛にあたいするというのは至言ですね。どちらにしても、おとなしくぼうかんしていてくれたらよかったんですが、これも頃合いということになるのでしょう。冬来たりなば春遠からじといった具合です。冷戦のごとき氷河期が続くよりまだよいと思いませんか?』

 俺が神経をすり減らすんじゃなければな。

『あるいは可能性として、また未来人に余計なき込まれたのかもしれません。加えて長門さんのお相手が出てきたからには、彼女たちも動かざるを得ないでしょう』

 何がしたいんだ? あの連中は。

『正直なところ、橘京子の一派も僕の属する「機関」も、実体はそうちがわないんです。似たような思想のもとで動いていますが、涼宮さんをめぐかいしやくが違うといいましょうか。ただ、自分たちが間違っている可能性をできる限りはいじよしたいんですよ。気持ちは解ります。それは僕にも言えることですので。我々がちよう能力じみた力を行使できるのは、涼宮さんがあたえてくれたからです。この確信がらぐことはありえません』

 ハルヒが三……じゃない、四年前に世界を創造したとかいう涼宮ハルヒ神様論か。

『信じるかどうかの問題でもないんです。神うんぬんは置いておくとしても、涼宮さんがへい空間と《神人》の発生源であり、そのちんせいのために我々が存在するのは疑いようもない真実です。なぜなら、僕はそうであることが最初からわかっていたからです。いまさら間違いだったと言われても困りますね。それだけは譲れません』

 ディベートで解決できたらいいのですが、と古泉はていかんしたような口調で言い、

『橘京子と佐々木さんはまだよしとしましょう。彼女たちは少なくとも僕たちと同時代を生きる人間ですから、価値観も共有できるしかんもしやすい。まったく動きが読めないのは情報統合思念体製ではないTFEIのほうです。周防九曜という個体以外を発見できていないことから見て、おそらくは地球上に彼女単体しか存在しない。手段も不可解なら、目的も解りません。それに比べたら未来人などまだ可愛かわいいものだと評せます』

 朝比奈さんが可愛いのは自明の理だが、未来人ぜんぱんがそうだとは思わん。

『同意見ですよ。僕たちと行動を同じくする朝比奈さんは保護対象に入っています。見事なまでに愛らしいせんぱいですからね。我々としてもほうってはおけません。ただし、未来の争い事を過去に持ってきて欲しくはなかった。まあ、未来人が関係する事件は未来人同士で何とかしてくれるでしょう』

 でないとあまりに無責任ですから、と古泉は言った。

『それ以外のことなら、僕と長門さんで片づけてしまえます。あなたもですね。涼宮さんにせまの手を、座視して許したりはしないでしょう?』

 まあな。あんなのでも俺たちの団長だ。

『相手がアクションを起こしてくるまで待っていればいいんですよ。必要以上にねんすることはない。何と言っても、僕たちの側には涼宮さんがいるのですからね』



β─3


 長門との通話を終えるとほぼ同時に、待ちきれなくなったか、妹が教材一式をかかえてやって来た。

 とは言え、すぐさま筆記用具やドリル帳をゆかに散らかし、シャミセンとたわむれ始めたため、それが一段落ついて妹の宿題が終わったのは一時間ほど後のことになる。我が血を分けただけあって、学力においてはそう期待できないようだ。妹は単純な四則演算はせっせと解くが、ちょいとヒネられると手も足も出ないらしい。

 代わりに解いてやった応用問題集やノートやらをわたしながら、

「終わったら出て行けよ。できればシャミセンも持ってけ。とんに乗られて重くてかなわん」

「シャミー、いつしよるー?」

 三毛猫はさんくさそうに妹を見上げ、のそのそと俺の布団にもぐり込んだ。

「いやだって」

 妹はなぜかうれしそうに宿題をくと、おどるような足取りで部屋を出て行った。俺の妹にしては、なおでよろしい。その部分には長所と書いた折り紙を付けてやろう。

 俺は何の気なしにテレビをつけ、見るところもなく適当にザッピングをしながら明日のことを考えた。備えはあったほうがいいな。

 今日は早めに寝ておくか。



α─3


 古泉との通話を終えた後、長門にも電話しようかとなやんだものの、夜分に電話して訊くことでもないと結論を下し、けいたい電話をまくらもとに置いた。

 もし九曜が長門にとって危急存亡を告げる死神か何かなのだとしたら、さしもの長門もだまってじっとしているわけはない。それに明日は日曜だ。深き我が団長が俺たちにくれたまともな週末、思う存分身体からだを休めるとしよう。

 月曜になればイヤでも教室で、または部室で顔を合わすことになる。長門の宇宙人談義は昼休みに部室に行けば聞けるだろう。

 借りっぱなしになっていた本でも読むかと考えていると、部屋のドアをカリカリとかく合図の音がした。開けてやると、シャミセンがのどをゴロゴロ鳴らしながらねむそうな顔で入ってきて、ドアボーイをしてやった俺に感謝の言葉も述べずにベッドによじ登り、丸くなって目を閉じた。

 まるで世界と猫族の寿じゆみようは永遠なのだといわんばかりの顔をして。



α─4


 翌、日曜日。

 特に何をすることもなく、本を読んだりゲームしたりして、ひたすらどくまんきつしてダラダラするうちに日が暮れていた。たまにはあっていいだろう。ハルヒたちがかかわらない、こういうたいな休日があったってさ。

 また明日だ。ゆううつ感がそくしんされる日曜の夜が終わり、週末を待ちわび続けるための週明け、リセットされた一週間の新たなる初日。

 月曜日が始まる。



β─4


 翌、日曜日。

 午前七時に目を覚ました俺が完全にたくを整え、自宅を出発する態勢に入ったのは時計のアラームが鳴って三十分後のことだった。

 習慣になってる早飯早着替えがこれほどに感じたことはない。もうちょっとゆっくりしてりゃよかったが、二度寝すると二時間近くは起きれそうにないからな。

 しかたなしに台所で朝刊を読んでいると、寝起きのよさでは家族ずいいちほこる妹がパジャマのままやってきて、信じられないものを見る目を俺に向けた。

「わ。キョンくんが二日続けて先に起きてる。なんでー?」

 なんでも何もあるか。俺はこれでも小学六年生よりはいそがしい人生を送ってるところの高校生である。お前もそのうち、今の自分を思い返してなつかしむ時が来るんだ。こうかいしないように小学生時代を満喫しておくんだな。卒業文章にウケねらいなことは書かないほうがいいぞ。

「ふうん。今日はどこ行くの? ハルにゃんもいっしょ?」

 うっかり答えるとついて来かねない。佐々木はかんようみを広げるだろうが、未来人ろうこつにイヤな顔をするにちがいない。いや、いっそ妹をどうはんしてやろうか。効果的ないやがらせになりそうだ。

「今日のは中学んときのツレだ」

 だが、俺は適当に妹を追いはらうだけにとどめた。佐々木なら今後いくらでも機会があるし、せっかくいまだにサンタを信じているらしきなるじゆんすいばいようで育ってきた妹に現実をきつけたくはない。宇宙人は異質そのもので未来人がイヤミ野郎だなんて、夢がこわれるにもほどがある。

 シャミセンとともに家にいろ。それとハルヒから家に電話があったら、なんとかしとけ。誤魔化し方は任せる。ただし佐々木のサの字も言うんじゃないぞ。

「はぁい」

 とっとっとっと妹は顔を洗いに行く。

 今のうちだ。かなり早いが、もう出立するとしよう。妹にあれこれせんさくされてやぶからへびを出してしまうおそれがある。家にいるとどうも落ち着かん。さっさと今日のイベントをしゆうりようさせたい気分が胸のうちにわだかまってしょうがない。

 しかし、げんかんを出たたん、俺はたまの早起きが功を奏したのを知る。

 俺がとびらを開けるのを待ちかまえていたように──。

「雨か」

 取り出しかけた自転車のかぎを元あった場所にもどし、俺はカサに手をばしながら定型句をつぶやいた。

 すいてきの数をカウントできそうなほどだった小雨が、五月雨さみだれとなり、しやりになるまで三十秒とかからない。

 まるで誰かが俺の行く手をはばもうとしているような、あるいは警告を発しているかのような暗雲が、降水確率十パーセントだったはずの天を支配していた。

 かみなりはなかったが。



 雨にたたられながら駅前までおもむいた俺を、昨日と同じ三人が待っていた。

 佐々木はこんの折りたたみ式、橘京子はフェンなんとかと書いてあるブランド物、長門のデッドコピーみたいな周防九曜は女子校の制服姿でコンビニで買ったようなとうめいかさを持ち、降りしきる雨の中に三様なる姿をさらしていた。

 九曜の異様にはばひろい波打つかみはコンビニ傘の守備はんからはみ出ているが、どう目をこらしてもれているように見えず、また無関係な通行人にとってはほとんど透明人間の域に達している。完全に透明化しているわけではないしように、いつぱんじんたちは自分の差している傘が九曜のものにれそうになるとひょいとけていた。便利なものだ。

 ところで、未来野郎の顔がどこにもないのは、あいつはあいつでカメレオンシートでもかぶっているからか?

「いや、きつてんにいる」

 佐々木が答えた。

「こんな雨の中を立ちぼうけで待っていられるか、ましてやキミをや──と言ってね。雨宿りをかねて先に席を確保してもらっている」

 勝手な野郎だ。二ヶ月ってもまったく性格変化していないようだな。あいつにとってあれから何日が経過したのかは知らんが。

「キミと彼とはすっかりしんぼくを深めているみたいだな。何があったのかは聞いていないが、無関心同士よりは上等なあいだがらのようだ。まだ好ましいよ」

 佐々木はくっくっと笑い、

「安心した。彼に本当に悪意があるなら、こうも判然とした態度は取らないだろうからね。キョンだけじゃない。彼は僕にも似たようないをする」

 なおさら許せん。この時代がきらいなら来なけりゃいいんだ。少しは朝比奈さんを見習え。あんなけんめいにお茶くみ仕事にけんしんする人間など、現在にもそうはいない。

 佐々木は低く笑い続けつつ、

「その朝比奈さんのお茶を僕も飲んでみたいものだ。北高を訪問すればいいのかい? しまったな、去年の文化祭にでも行けばよかった。今年は必ず寄せてもらう」

 さすがに来なくていいとは言えなかった。

「来るのは別にいいが、うちの文化祭は見るもんなんかほとんどないような──」

「お二人さん」

 橘京子の頭が、ひょっこり俺と佐々木の間に飛び込んできた。傘が当たらないよういつぱい手を上にあげて、

やまばなしは二人の時にでもしてくれない? 今日あなたを呼んだのはね、」

 えへんとせきばらいして、橘京子は俺と佐々木に計二回のウインクを飛ばし、

「積もる話があるからです。とっても重要なのよ、これって。佐々木さんも、ちゃんと話したはずです」

「ごめん」と佐々木は橘京子にほほみかけ、「忘れていたわけじゃない。そのフリをしていただけ。正直言って、あまり気の進む話ではないから」

 この間、九曜は1/1フィギュアのように静かにだまって立っているだけだった。やはり言語にみがないのか?

 はたして、橘京子が、

「早く行きましょうよ。未来から来た使者さんが店に居づらくなってる予感がします。そろそろそんな時間」

 と言って歩き出したとき、九曜はうなずきもせずに動き出し、こめだわらを背負って雪道を進む傘地蔵より少しだけばやい歩調でさいこうをついてくる。血の気のないはくせきの顔にあるのは、半分ているのかと思えるほどの寝ぼけまなこだった。こっちの宇宙人は低血圧気味か、湿しつに弱いのか、日によってテンションがちがうらしい。長門がダイアモンドダストだとしたら、九曜はたんゆきのイメージだ。

 佐々木も橘京子も九曜が存在しないように振る舞っているが、放置していても自動的についしてくると知っているからだろう。このあたり、ハルヒにおける長門のにんしきに近い。

 九曜は想像通りの行動様式を見せ、はばの割りにはしっかりおくれずにとうきよを保っている。そして俺は、歩いているうちに気がついた。

 俺たちの向かっている先は、いつのまにかSOS団の朝の景気づけの場であり、確率九十九パーセントで特定の団員一人──つまり俺──にはらい義務が課せられる、いつもの喫茶店だ。

 予想は裏切られることがなく、女二人はとうめいガラスの自動ドア前で足を止め、その向こうにふてくされたような表情でカップをかたむける男が見える。

 そいつは顔を上げて俺たちを認めると、おもしろくもなさそうにくちびるゆがめた。

 あの時、だんの植込み付近で出会ったころと同じ、ダークサイドにちた古泉のような笑みだった。



 ここまでSOS団の真似まねごとをせんでもいいだろうに、おかげで座りが悪い悪い。おまけに今俺が座っているは昨日と同じで、となりに佐々木、向かいに異能三人衆というセッティング。

 ウェイトレスが四つのお冷やを配り終えて去ってからも、俺をふくめて五つの口はなかなか開こうとしなかった。

 俺はいまだ名を知らない未来人ろうにらむのにいそがしかったし、佐々木と橘京子は表情をゆるめたまま、九曜はビスクドールのように固まったまま、しわぶき一つらさない。まるで大軍に包囲された落城間近の殿でんちゆうにおける最後の軍議のようなふん……。

 司会役を買って出たのは、橘京子だった。

「色々ありましたが」

 そう口火を切って、

きんじやくやくの思いだわ。この時が来るのをあたしがどれだけ待ったかわかる? やっとスタート地点に立てました。機会を作ってくれてありがとう」

 と、俺に頭を下げ、

「佐々木さんにも。とつぜん、無理言ってごめんなさいね」

「うん」

 佐々木は短く言って、俺を見上げた。

「キョン、そうこわい顔をせずにさ、聞くだけ聞いて上げてくれないか。僕はキミの判断をあおぎたい。この手のことにはキミのほうが経験豊かだろうからね。僕はそれほど直感とかいせき力にすぐれていないので、もっぱら判例や経験則を重んじる人間なんだ。だからこそ、キミがいてくれて心強い。なんせ僕には何一つ基準とするものがないからね」

 俺は朝比奈さんとは対極に位置する未来人、ながめていても目にうるおいをもたらすことかいな顔から目をはなし、

「手短に願おう」

 せいぜい重々しくひびくような声を作ったのだが、反応したのは未来人の声なきしつしようだけであった。頭に来た。

「まずは名乗りを上げてもらおうか」

 いつまでも名無しの未来人野郎じゃ、俺の心証は悪くなる一方だぜ。

 俺の再度にわたる熱視線こうげきに、皮肉づらの持ち主は二ヶ月ぶりとなる声を発した。

「名前などただの識別信号だ」

 ちようろうするようなこわいろおくのままだ。きゆうくつそうに身じろぎし、

「どう呼ばれようが僕はどうだっていい。意味がない。それはあんたが朝比奈みくるを朝比奈みくると呼ぶくらい無意味なことなんだ。くだらない」

 やたらと否定語の多いヤツだ。やはり妹に委任状をたくして来させればよかった。わずか二言三言でも、こいつと話していると気がる。それから朝比奈さんのどこが無意味だ。

「そうは言ってもね」と佐々木がそいつに、「この時代では本名でなくても何かしら呼び名があったほうが便利に事が進むんだ。官職や地位でもいい。ごのかみとか国対委員長とか、その手のものでいいからキョンに教えてやってくれないか」

ふじわら

 案外あっさりと未来人は応じた。

「とでも呼ぶがいいだろう」

「だってさ」

 めいでないほうが不思議なそいつのしようを聞いて、佐々木は俺に向かってかたをすくめ、

「これで全員の自己しようかいはすんだね」

 一応の名前だけはな。だが、そんなもんを知るために俺はここに来たんじゃねえぞ。俺なら未来人(男)、朝比奈ゆうかいはんてんがい領域宇宙人でもいっこうに呼び名に困ったりしないんでね。

「ええ」と橘京子。「これからが本題です」

 こほん、とわざとらしいせきばらいを落とし、宇宙人と未来人をりようわきに従えたおそらくちよう能力者であるむすめは、訪問はんばいのセールスレディのようなみを俺に向けて、

「あたしたちは涼宮ハルヒさんではなく、この佐々木さんこそが本当の神的存在なのだと考えています」

 いきなりばくだんを落とした。

 俺は冷水をゆっくり口に含み、き出してやろうかといつしゆん思いついてそくほうし、グラスをテーブルにもどす間に飲み込んで、それから言った。

「何だって?」

「いえ。言葉通りの意味ですけど。解りづらいところがあった?」

 橘京子はひたすら晴れやかに、あんの息をいた。

「ふう、やっと言えた。ずっと伝えたかったのです。なかなか機会がなくて、長い間もんもんとしてたわ。古泉さんさえいなければね、よかったんですけど。いっそこの春に転入するのもいいかなぁって計画もあったのです。でもあの人たち、恐いもの。この前のことでさいかくにんしました。森さんとは二度と会いたくないな」

 くすり、と笑う満足げな顔は、つうに女子高生のものだった。

「そうなのです。古泉さんが涼宮さんを気にすることを運命づけられているように、あたしたちは佐々木さんをあおがざるをえないの。でも、宇宙人も未来人も、みんな涼宮さんのほうに行っちゃうものだから、もう不安で不安で。たまりませんでした」

 両どなりこうに見てから、

「アイデンティティのほうかいを食い止めるには、こうするしかなかったの。古泉さんには朝比奈みくるさんや長門有希さんがいますけど、あたしたちにはいないのでちがう人たちが必要だったの。やっと、そろったのです」

 やみくもに信じられるもんではない。ハルヒが古泉言うところの神様モドキでなければ、俺がこの一年間にやってきたことは何なんだっていう話になる。朝倉にされかけたり、実際に刺されたり、夏休みをループしたり、時間こうしたり、して来られたり、未来通信の指令に従い続けたり、なによりハルヒの思いつきにり回され続けたり、長門が暴走したり…………ハルヒがミステリアスゾーンプレスの使い手でなければ起こりえないことばかりじゃないか。

「それは一つのものの見方。一つの現実。でも現実は何も一つとは限らない。表にうそがあって、裏に真相がかくされていることなんて推理小説のじようとうしゆだんでしょ?」

 ミステリ談義なら古泉と、小説論については長門とやってくれ。

「佐々木」と俺。「お前、こんな話を信じたのか」

 メニューの裏表をり返しながめていた佐々木は、くいと頭を上げ、

「うん、正直言ってまどうばかりだね。僕は自分自身にあまり興味がないし、もともとたいていの欲望がはくなタチだし、輿こしに乗ったりかつぎ上げられたりなんてごめんこうむりたい。せんだって後ろの下のほうの役が好ましい。他人にめいわくをかけない人生を送れたらそれが一番いいと思ってるんだ。僕が最もきらっているのは自己けんよくの強い人間と、そんな人を見てつい嫌ってしまう自分の心だ」

 佐々木はウェイトレスの目をくように手をヒラリと振って、

「ところで注文をまだしてないが、もう決まったかな?」

 悪戯いたずらっぽいほほみは、中学の教室でかべていたものとまったく同じだ。

 やって来た私服にエプロンを付けた簡素なウェイトレスがオーダーを取る間、一同の中で発せられたセリフは、佐々木の「ホット四つ」のみだった。

 未来人・藤原と宇宙人・九曜はアクションめいたものを見せず、ただ「ふん」と鼻を鳴らしたことと、永久に続きそうな無言の中にちんたいしているというきよくたんな態度であり、俺たちが周囲からどんな目で見られているのか、やや気になるところだ。ひいき目にもまともな高校生プラス1の集まりとは思ってもらえまい。ほとほと感じる。これに比べたらSOS団は全然まともだ。

 率先して口を開く役回りになった橘京子が、またしてもちんもくを打破した。

「そういうわけです。古泉さんから聞いているよね? 四年くらい前に涼宮さんが世界を創造したかもしれないってこと。彼女には変な力があって、でも全然自覚してなくって、知らないうちにへい空間を作ってしまうって。古泉さんたちがかくせいして、『機関』ができて、それが今まで続いてる。涼宮さんはどんどん願いをかなえていって、宇宙人と未来人を呼び寄せました。けれど、あたしと仲間たちは、その能力の本来の持ち主は佐々木さんになるはずだったと考えているの」

 考えるだけなら自由だろうとも。思考にかせははめられんからな。だが、実行に移すとなると話は別だ。ここは法治国家で、そしてゆうかいは大罪だ。

 俺がそう言うと、橘京子は簡単に頭を下げた。

「あれは謝るわ。でもね、最初からうまくいかないことは明らかでした。未来から強力にかんしようされていたわけだから。ためしてみただけ。あたし的には成功させるつもりもなかったくらいよ。それでもじゃなかったと思います。なぜって、あなたにあたしたちの存在を伝えることができたんですもの。大きな一歩でした」

 俺が月だったら変なあしあとつけやがってと思ったかもしれんな。

「四年前」

 橘京子は昨日たドラマのあらすじを友人に語るように、

「あたしはとつぜん、自分に何かの力が宿ったことに気づきました。まえれなんか全然。いきなり気づいたの。理由はわからないし、なぜあたしなのかも解らない。解ったのは、こうなったのはあたし一人じゃなくてほかにも仲間がいることと、原因が一人の人間にあることです」

 よく光る目が俺のとなりに向いた。

「それが佐々木さん。あなたがあたしたちにあたえたんだって、考える前から解ったの。あたしはすぐに佐々木さんをさがして彷徨さまよい、その過程で仲間とめぐり会いました。みんな、あたしと同じにんしきを持っている人ばかり」

 俺はワンボックスカーから降りてきた誘拐グループを思い出す。

「佐々木さんとせつしよくするかしないか、するんだとしたらどうしようかって話し合っているうちに、あたしたちはアレっ?──て思うことになったわ。なんだか、あたしたちとは違う組織が結成されていて、その人たちがあたしたちと非常によく似ていることが解ったから。それでもって、彼等は佐々木さんじゃない別人をとても気にしているみたいだった」

 それが『機関』か。

「そう。涼宮さんを神聖視している人たちがいたの。あたしたちは混乱した。彼等はちがっていると思った。間違いは正さないとと思って、何度か会合を開きました。そしたら彼等はあたしたちが違っているんだと言って耳を貸さなかった。そんなの、とうてい受け入れられませんでした。もちろん彼等も受け入れない。あたしたちはけつれつして……」

 ふっと遠い目をした橘京子は、すぐに視点をもどし、

「今までそれっきり」

「それで?」

 俺は言う。他に言いようがあるか?

「だから、どうしたいんだ」

『機関』の敵対組織代表者は、大きめの呼吸を一つしてから、

「あたしたちは、涼宮さんが現在所持している力は、もともと佐々木さんに宿るはずのものだったと確信しています。何らかの事情で間違った人になったの。だから、それを元通りに直したい。そのほうがきっと、世界はいい方向に動きます」

 そして、俺の目を直視して、

「あなたに協力して欲しいの」

「佐々木」

 俺はその目からのがれるように、

「こいつ、んなこと言ってるが、お前はどう思うんだ」

「そんなへんてつな力はいらないね」

 佐々木はハッキリした声で、

「言うのも何だが僕は内向きの性格をしている上に平均以下のぼんじんだからね。そのような想像を絶するきよだいな、ついでに理解不能な力を持ってもしゆくするだけだ。間違いなく僕は精神をむ。うん、全力でえんりよしたい」

「だとよ」と俺。「本人がこう言ってるんだ。あきらめたらどうだ」

「あなたはそれでいいの?」橘京子はひるまず、「あなたは涼宮ハルヒさんに、あんな力を持たせていたいのですか? いつまでも? それであなたは、いつまでも涼宮さんにり回されていたい? 解っていますか。あなただけではないの。振り回されるのは、この世界のすべてなんだってこと」

 必死さを感じさせる説得の視線は佐々木にも向いた。

「佐々木さんにも言いたいわ。涼宮さんよりあなたのほうが適任なの。これも間違いのないことよ。あなたが特に思いなやむ必要はないの。あなたはそのままで、何も意識せず暮らしていたらいいだけ。あたしには解るわ。佐々木さんは世界をゆがめることはない。それができる人だって、あたしは知っているの」

 佐々木の視線は俺に固定されている。「そうなのかい?」と問いたげなみようみは、俺が中ぼうんときに散々見たもので合っている。

 頭が痛くなってきた。橘京子がしんけんかつしんに言っているのは解る。言わんとしていることも、ああ、解りすぎるほど解るさちくしょうめ。

 たとえるならハルヒはカウントダウンシステムのない時限ばくだんで、しかもランダム設定なもんだから誰にもいつばくはつするか予測できない。爆発した際のりよくもだ。そんなヤツが世界を意のままに操作可能とするマジカルパワーを持っているなんていうことなんざ、しやかキリスト並みの包容力がないと許容できないだろう。

 ただし、ハルヒというヤツをよく知らなければ、だ。

 俺は知ってるし、古泉も長門も朝比奈さんも知っている。で、こいつらは知らない。それだけのことだ。たったそれだけの、単純明快な話である。

 俺は橘京子へと居直り、

「お前の言い分は理解できるが、今さらどうしようってんだ。どう考えたってハルヒには確率を無視して──まあめいわくだけどさ、ある程度の願望を現実化する力を持ってるのは確かだ。秋に桜を満開にさせたりな。だが、この佐々木にはないんだろ? それこそまりじゃないか。お前がいくら佐々木が神だの何だのと唱えたところで、現実は変わらんぜ」

 ハルヒはそれほど精神をボーダーの向こう側へと達しさせていたりはしてないんだ。ある意味常識的と言ってやってもいい。せいぜい俺をアミダで四番セカンドにするくらいが関の山だ。あいつはあいつでこの世界を気に入っているようだから、もうしょうもない理由でほうかいさせようとはしないさ。へい空間と《神人》なら、古泉のづかかせぎの役に立つ程度のリスクでしかない。

「そうね」

 橘京子は悲しそうな表情に取って代わり、

「そうなんだけど、やっぱりあたしには佐々木さんが相応ふさわしいと感じられてならないのです。あなたは涼宮さんをよく知っているかもしれないけど、佐々木さんのことも同じくらい知っているでしょ? ともに過ごした期間だって、ちょうど同じくらいなんですもの」

 中学三年生時代の一年間と、高校一年生時代の一年間は、そりゃ時間にしたら似たようなもんさ。しかし、密度が異なるぜ。俺と佐々木はバカげた団を作って学校外での時間つぶしにかまけたりはしなかったし、会話量で言えばハルヒのわざあり有効二本で一本勝ちだ。教室では常に真後ろ、放課後には文芸部室であれこれ俺に命じやがるのは団創設以来不変だからな。なおかつハルヒとSOS団は現在進行形で、佐々木とは一年間のタイムラグがある。いくら俺が過去の交友録を大事に保管する性質たちなんだとしても、今のアジトをほいほいと捨て去ることなんてできやしない。ハルヒのみならず、長門と朝比奈さんと古泉には大いに世話になったし、逆に俺が便べんはかってやったこともあった。その三人の団員のためにも、俺はハルヒからほかの誰かに乗りえたりできないし、したくもないね。

 思いついたが最後、自分の足で走り出すハルヒを不可思議爆弾だからと言ってほうり出せるものか。俺はまだあいつに切り札を見せていないんだ。いざって時のいかにも格好のよさそうなシチュエーションじゃないか。

「それに佐々木も迷惑がってるだろ。手を引いたほうが身のためだぜ。古泉はまだしも、長門をおこらせるような事態を引き起こしたら、れん反応でハルヒもげきする。どうなっても知らねえぞ」

「だからですね。あたしは涼宮さんが改変能力を発揮したりしないようにしたいの。そうしたら、あなただってビクビクすることもなくなるのです」

 橘京子はいのるように手を合わせ、

「あたしたちは自分の利益なんか考えていません。古泉さんを見てればわかるけど、涼宮さんのフォロー態勢をするのはとても大変。でも佐々木さんならそれもなくなるわ。あたしは心から願っているの。世界の安定を」

「そうは言われてもね」

 佐々木は小さくためいき、そしてカウンターの方向を見ながら、

おそいねえ。ホットコーヒー」

 グラスの氷を指でつつき、とぼけるように、

「キョン、ふと疑問に思ったのだがね。小学生、中学生、高校生、大学生というが、どうして高校生だけが高学生じゃないんだろう。これは考えるべき問題ではないかな」

「佐々木さん!」

 橘京子はじれたように声を高め、すぐじたようにうつむいた。本気でへこみかけている様子を見て取り、ちょっと同情する。相手が悪かったな。俺が言うのも何だが、佐々木は俺の友人にしては良くできた人格者だ。神様にならないか、なんて言われて飛びつくほどバカじゃない。

 おう、ゆうがでてきたぞ。

 佐々木が佐々木でいる限り、誰が敵に回ってもこいつはならない。橘京子は人選をちがえたな。こいつはそんなヤツじゃないんだ。

 俺は聞き役にてつしている残りの二人、藤原と九曜を指先で示しつつ、

「こいつらはどう思ってんだ。お前が佐々木を神様に仕立て上げたいのは解るが、お仲間はどうなんだ。コンセンサスは取れてんのか?」

 無論、こんなき方をしたのは、異人二人の表情を見る限り橘京子の意見など耳にも届いていないんじゃないかと推測したからだ。藤原はめんどくさそうに冷え切ったカップをながめているだけで、九曜はどこも見ていないような顔で空中をぎようしている。

 うなだれていた橘京子は、垂れたかみの間からのぞかせた目を動かし、無反応な未来人と宇宙人を見て、さらに深くこうべを垂れた。

「そうなのよね。これもネックの一つなのです。ちっとも協力的じゃないんですもの」

 泣き言のような橘京子の声に、藤原がふっとイヤな笑い方をして、

「当たり前だ。協力だって? 過去の現地民ときようとうするほど僕は落ちぶれちゃいないさ。利用価値がある可能性をこうりよしてここまで来てやったのに、どうやら期待するまでもなかったようだ」

 橘京子がおこり出すなら俺も同調したくなるような口調で、

「どちらでもいいことなんだ。涼宮だろうが佐々木だろうが、自然現象と考えるならば同じものだ。個々の人間にそんな価値はない。時間をゆがませる力、時空改変能力。見るべきものはそこにしかない。力が存在するなら、それが誰にあろうと関係ないんだ」

 藤原の視線は橘京子を飛びえて九曜に向けられた。

「お前もそう考えているんだろう?」

 未来人に対して、九曜は無反応だった。モサモサの髪を空調のふうにすらるがすことなく、けたはずれなまでの動きのなさでボーっとしている。自分がどこにいるのかも解っていないような感じを受ける。というか、こいつは本当に俺の前にいるのか? こうしての当たりにしても存在感がはくえてゼロに近い。厚みがないというか、工事現場の立て看板でもこいつ以上の生気があるだろう。

 再びちんもくとばりが降りそうなふんの中、

「んん……! もうっ!」

 勢いよく顔を上げ、橘京子はだしぬけに、

「手を出して」

 俺を真面まじな顔つきで見て、

「説明するより、体験してもらったほうが早いわ。そうすればあたしの言っていることも理解できるはずです。少しでいいから、手を貸してみて」

 ささくれ一つない両手を、まるで俺の手相を見せろというふうにばしてくる。

 おぼれてもいないのにその手をにぎるかどうするか迷っていると、佐々木がかたで俺をこづいてきた。

「キョン、橘さんの言うとおりにしてあげてくれないか」

 俺は右手を差し出した。橘京子の湿しめっぽい指が手のひらを握り、さらに注文を告げる。

「目を閉じて。すぐにすみます」

 なんだかデジャヴを感じつつ、その言葉に従ってやる。軽くつむったぶたしに間接照明を認めつつ、視界を閉ざされたおかげでえいびんさを増した耳に届くのは店内のけんそうとも言えない物音とクラシックのイージーリスニング。これはブラームスだったかな。

 しかし──。

「もう開けていいわ」

 橘京子の合図と、げんがつの調べがとつぜん消えせたのが同時だった。

 俺は目を開ける。

 橘京子が俺の手を握ってほほんでいる。橘京子だけが。

 あつとう的なせいじやくが俺の周囲にあるすべてだった。佐々木も九曜も藤原もいない。ほかの客も店員もどこかに消えていた。集団かみかくしにあったように、マリーセレスト号のように、長めのまばたきの間に誰もがいなくなっている。

 俺と橘京子の二人が、すうしゆん前と同じテーブルに座って、そして手をつなぎ合っていた。

「な……」

 目が勝手に泳ぐ。やわらかい室内灯に照らされたきつてんは俺たちのみを残してもぬけのからだ。何だここは、と口にする前に、俺はどこかで会得したはだざわりを感じて、それが何かを思い出した。同じようで違う場所。無人。

へい空間……」

「古泉さんはそう呼んでるみたいね」

 橘京子は手をはなし、すっくと立ち上がった。

「案内するほどでもないのですけど、ちょっと外に出てみませんか?」

 水を得た魚のように、橘京子はステップをむにも似た足取りで俺をさそう。

 座っていても始まらないのは俺も賛同できた。閉鎖空間にしんにゆうするのは久しぶりで、考えてみれば過去に二回しかない。一度目は古泉と、二度目はハルヒとか。三度目の今回は、どうやら古泉にタクシーに乗せられたあの時の雰囲気に近い。

 俺は橘京子の横に並び、自動ドアがつうに開くのを見守った。これも同じだ。どういうくつか、この世界には電気が来ている。

 外に出てまっ先にしたこうは、天をあおぐことだった。

 雨がんでいる。いや、雲もない。空はセピア調のモノトーンで統一されていた。どうやら太陽もないらしい。光源は天空そのものだ。世界全体がぼんやりとした光に包まれている。

「少し歩きましょう」

 橘京子が歩き出し、俺も糸に引かれるように後を追う。

 街中が完全にノーマンズランド化していても、ゴーストタウンぶりを見せつけられても、俺はさほどのしようげきを受けなかった。かつて古泉が説明したまんまだ。

 ちがうのは──。

 俺が二度ほど引きずり込まれたあの空間は、どこもかしこも灰色にいろどられていた。夜だったからかもしれないが、うすぐらく不気味な世界の光景をまざまざと覚えている。

 しかし、ここは毛色が違っていた。オックスフォードホワイト──クリーム色をとことんしやくしたような光に満ちた世界、俺のおくにある閉鎖空間よりも心なしか明るい。

 さらに大きな違い。頭を三百六十度回転させても見えてこないモノがある。あれだけきよだいで異質な姿をのがすわけはないのに。

「ふふ」橘京子がり返って、「ええ、そうです。ここにはアレは出ないし、最初からいないの。それが一番のおすすめポイントなのです。いいところでしょ?」

 青白いきよじんかいしようどうかたまり、ハルヒの無意識が具現化した存在。

《神人》がいなかった。出る気配もない。五感が俺に伝えてくる。この閉鎖空間には世界をおびやかすものはかいだった。

「閉鎖空間じゃないのか?」

「閉鎖空間ですよ? あなたが知っているのと同じ種類の」

 俺に教えることに喜びを感じている顔をして、橘京子は言った。

「作った人が違うだけです。ここは涼宮さんが構築した世界じゃないの」

 あいつ以外にこんなもんを発生できるやつ……。

「そうです。佐々木さん。これは佐々木さんの閉鎖空間。って、あたしたちには閉鎖されてるって感じはしないけど、そうですね、違う人が作った同じ料理みたいなもの? 味に個性が出るじゃないですか」

 お勧め物件をしようかいする不動産屋の営業マンのように、

「あたしはここにいると落ち着くの。とてもへいおんで、やさしい空気がするでしょう? あなたはどう? あっちとこっち、どっちが居心地いいと思います?」

「ちょっと待て」

 ついすみを選ぶんなら、両方ともお断りだが、

「佐々木が生み出しただと? 何の理由があってだ。いつだ。《神人》がいないのはなぜだ。何のためにこんな世界がいる」

「理由なんかないのです」とゆるんだ口元が、「この世界は期間限定の箱庭じゃないわ。ずっとこのまま、最初からこうしてあります。そう、四年前から。《神人》が見あたらないのは、そんなのいらないから。だってこわす必要がないのですもの」

 いくら探しても鳥一ぴき飛んでいない。静けさが痛いほど耳にしみる。

「そこが大きな違い。佐々木さんは世界を作りえたり、かいしようなんて全然考えないのです。佐々木さんの意識は表も裏も、れずに固定されているの。理想的です。現実が気に入らないからって、ひっくり返さない。すべてはあるがままに」

 聞こえるのは少女のなおそうな声だけだった。

「あらためてきます。どっちがいい? うっかりすると世界をおかしくしちゃう神様と、何もしてくれないけど暴れたりもしない常識の人」

 もうれつに弁護したくなった。ハルヒにだって常識はあるんだ。たまにネジが緩むだけで、つきつめていけば普通の女なんだよ。昔はどうだったか知らないが、現在のハルヒは現実に寄りうようになっている。たまに事態をややこしくするものの、UFOの雨を降らせたりはしない。

 確実に言えるのは、あいつは二度と世界を作り直そうとはしないってことだ。

「自信家さんなのね。涼宮さんが無意識にすることなんて、誰にもわからないと思います。古泉さんにだって、未来人にだってね」

 手を後ろに組んで、橘京子はきびすを返し俺の顔をのぞき込む。

「あたしにも解らないから不安なの。でも佐々木さんなら大丈夫です。ここを見たら解るでしょ? 不安定要素がありません」

 ニッコリとしたがおには可愛かわいげの成分がたっぷり振りかけられていた。

「だから、あたしは佐々木さんこそが本当の力の持ち主だと思うの。そうなるべきだったと思うの。涼宮さんがああなっちゃったのは、何かの間違い、誰かの手違い」

 いまだ原因不明のハルヒの変態パワー。古泉に赤玉変身能力をし、宇宙意識の興味を引き寄せ、朝比奈さんによると時間だんれつの中心にあったとされる何か。

 それが佐々木に発現していたとしたら? 現有SOS団勢力はどうなっていた?

 想像できんな。

 俺は考えるだけな発想を追いやるべく頭を振って、

「それで」ようやく声を回復、「俺にどうしろって話だ。ハルヒの力を佐々木に移植でもするのか? できっこないだろ」

 しばらく橘京子は俺をしげしげと見つめ、ふふっとほほんでから、

「そうでもないわ。あなたが協力してくれたらできることです。あなたと佐々木さんがうんと言ってくれたらね。あたしたちの望みはそれだけ。簡単でしょう?」

 ぱっと後ろに飛び退き、

「お店にもどりましょ。今日のあたしの用件はおしまい。あなたも考える時間が欲しいでしょうから」

 そういえば俺たちはどうなっているんだ。きつてんに座ってて、いきなりここに来て外に出ちまったが、残された佐々木たちからはどう見えているのだろう。

 たずねようにも橘京子はさっさと来た道を戻っているところだった。考えてみれば無人の世界に男女二人きりでいるのはちと問題か。そんなことを気にしている場合ではないが、俺だって長居はしたくなかった。ここは静かすぎる。まだ《神人》なりがいてくれたほうが動きがあって気がまぎれるだろう。なんてこった。あんなのがなつかしく感じるなんて、俺の頭はだいじょうぶか?

 少女の姿が茶店の自動ドアに吸い込まれた数秒後、俺も店内にい戻った。コーヒーのかおりもしない。

「早く、座って」

 三人がけの真ん中、元の席について橘京子がテーブルに手を置いている。俺がまだ体温の残る自分の椅子に座ると、

「目を閉じて手を出してください」

 目を開けていれば何が見れただろう、と思いつつ、俺はその手に自分の手を重ねて目をつむった。耳をすます。

 橘京子の指にわずかな力が加わり──

 すっと手がはなれた。しゆんかんちようかくが回復した。いや、復活したのは世界のほうだ。

 BGMのブラームス、小さくひびく雨だれの音、コーヒー豆のげるようなほうこう、それから人々の気配が俺の五感に一気に雪崩なだれ込んできた。目を開ける。

 佐々木がくいとかたまゆをあげながら、

「やぁ。おかえり……で、いいのかな」

 見ると藤原は素知らぬ顔でかたひじをつき、九曜はぼけた顔で反応せず、二人にはさまれた橘京子は氷水でのどうるおしている最中だった。俺は疑問に思うところを佐々木にぶつける。

「俺はどうなっていた?」

「別に何も」佐々木は手首を返して細いうでけいを見て、「十秒ほど目を閉じて橘さんとれあっていたね」

 その手でくちびるひとでし、

「で、見たのかい? 僕の内面世界とやらを」

「ああ」

 不承不承、俺はしゆこうした。げんかくでなけりゃ、行って来たと言ってもいいだろうな。佐々木にとって十秒ほど、俺と橘京子が消えせてなかったというのはせないくつだが。

「感想はあるかい?」

「ねえな」

「だろうね」

 佐々木はくっくっと喉を鳴らし、

「おずかしい限りだよ。心を覗かれたも同然だ」

「ねえ、佐々木さん」と橘京子はグラスを置き、「やっぱりどう考えてもあなたが相応ふさわしいの。前向きに考えてくれない?」

「うーん、どうだろうねえ」

 わずかに首をかしげた佐々木は、俺に横目を送ってきた。

「キョンはどう思うんだ。僕が持ってもいいものなんだろうか。その変な力というのは」

 よしあしで測るもんじゃないと思うし、だいたい何で俺にく。

 なんとなくの感覚でわかることと言えば、佐々木がみようれつにせがみパワーを持ったとしても、草野球のスコアに不満を覚えて発動させたり映画のシナリオを現実化したり八月を巻き戻し続けたりオーパーツをあわやり出しそうになったりしないってくらいだろう。その代わり、負傷した上級生の代わりにバニーでステージに上がったり生徒会長にかったりもしなかっただろう。

 いや、んなこたどうだっていい。決定的なのは、佐々木がうんぬんってことではないんだ。

 俺はさり気なさをよそおった視線を対面に送った。

 未来人藤原。ほか二名。

 こいつらにくみすることなど、あり得ないにもほどがある。朝比奈さんを呼び捨てにするスカしろうと朝比奈さんゆうかいはん、もう一人は俺たちを雪山でそうなんさせ、あげくの果てに長門をたおれさせたときたもんだ。

 考えるまでもねーだろ。

 佐々木とは友人で居続けたいが、こいつらと仲よくしても俺の心身が安らぐことはエンプティをり切ってマイナスゾーンにしんにゆうしているレベルだぜ。

 俺がハッキリそのむねを伝えようと、前段階として大きく息を吸ったとき、

「お待たせしました」

 出鼻をくじくタイミングで、ウェイトレスがトレイに四つのカップをせてテーブルに近づいてきた。

 俺は発言を一時中断し、そろってだまり込む他の連中の輪に加わった。単なる世間話でもそうだが、電波かと思われるセリフを関係者以外の耳にお届けしたくはないからな。

 まりなちんもくおおかぶさる中、カップとソーサーが立てるとうの触れあう音がやけにめいりように聞こえる。一つは佐々木の前に、次に俺、橘京子の順にホットコーヒーが置かれ、最後に九曜の前に──。

 ガシャン。

 おどろきの展開が目の前で起こっていた。

 それまでピクリともしなかった九曜が、ウェイトレスの手首を片手でつかんでいる。

 いつうでを動かしたのか、まったく目に止まらなかった。動いた気配すら感じさせず、しかし九曜はしっかりと女性店員の腕、それもテーブルにカップを置こうとして受け皿を持った手をにぎりしめている。

 完全な無表情を前方に固定したまま、片手以外を寸分も動かさずにだ。

「……あ?」

 俺はアホのように口を開ける。

 もっと驚いたのは、ウェイトレスの持ったカップが、皿から相当飛びねただろうに中身をひとしずくたりともこぼしていないことだった。割と派手なSEを放ったことからみて、相応のしようげきがあったのはちがいない。

 なぜ──?

 すぐに解った。

「いかがなさいましたか?」

 やんわりとほほむウェイトレスさんは、気を悪くしたふうでもまどってもいなかった。他人から見れば何のことはないみだろう。しかし俺の背筋に氷柱つららのようなかんすべり落ちたのは理由なくしてのことではない。その人の顔を、俺はよく知っていた。

「喜緑さん……」

 我ながらうめくような声だ。

「……何やってんですか、こんなところで」

「こんにちは」

 まえけエプロンをその身に帯びた喜緑江美里さんは、まるで高校の上級生がぐうぜん顔見知りの下級生と出くわしたような──要するに今のじようきようそのものの──何気ない表情でしやくした。少しのよどみもない口調は、とてもなぞの宇宙人に手首をめ付けられている真っ最中の有機アンドロイドだとは思えない。九曜のあくりよくがどの程度なのか俺も実地で体験したくはないが、ただの力以上の仕事量が働いていそうであり、そして九曜は、何事かと身を乗り出している佐々木と橘京子の丸くなった目をこうりよすることなく、ただちようぜつ的な非人間さで片手以外の身体一部分たりとも──女子校の制服をふくめて──すんごうも動かしていなかった。

 喜緑さんもまた、非現実的なまでの落ち着きぶりを発揮して、

「失礼ですがお客様」

 物言わぬ物体となっている九曜に、

「お放しいただけますか。このままでは、ご注文の品をお届けすることができません」

「─────」

 金魚のようにまばたきしない目は、はっきり言ってどこも見ていない。

「お客様」喜緑さんの声はどこまでも牧歌的だった。「よろしくお願いします。おわかりですね。わたしの言っていること……」

 両者間で、き火の中のまきぜたような効果音を聞いたのは、俺だけだっただろうか。

「─────」

 九曜はゆるやかに指をほどいていった。小指から親指までをシャクトリ虫のように動かして喜緑さんの手を解放すると、さらにゆっくりと手をひざの上にもどす。

「ありがとうございます」

 コーヒーカップを支えたまま、喜緑さんはていちようなおを見せると、改めて九曜の眼前に皿を置いた。九曜が元のブリキ人形状態をし始めたおかげで、俺は盛大に息をくついでに、もう一度たずねた。

「何してるんですか、喜緑さん」

「アルバイトです」

 見りゃわかる。店員でもない者がエプロンつけてコーヒー運んで来るわけがないからな。なぜアルバイトなんぞをいきなり始めているのかを、ロマノフ王朝のかくきんかいのありか以上に今聞きたい。

 しかして喜緑さんは、何食わぬ顔で伝票をそっとテーブルに置きながら俺にささやいた。

「会長には内密にお願いします。生徒会役員は原則、アルバイト禁止ですから」

 長門にはいいのか。じゃない、そんなことより。

「ごゆっくり、どうぞ」

 応対がみ合わないまま、喜緑さんはトレイを下げて引っ込んだ。三年前からこの店でアルバイトしているような小慣れっぷりだが、お冷やを出したりオーダー取りに来たのも彼女だったのか。今まで気づかなかったのは大衆心理にひそむ見えない人理論が働いていたか、何か宇宙的な力が作用していたか……。あるとしたら後者だな。九曜にできることなら喜緑さんにも可能っぽい。

「誰だったんだい?」

 佐々木の問いには、

「学校の、せんぱい

 そう答えるしかなかった。俺が九曜の目立ちすぎるくせに人目を寄せ付けないようぼうと、新しく入ってきた客の元にすかさず冷水グラスを届ける喜緑さんを比べるようにながめていると、

「くくっ」

 おさえきれなくなったような変にこもった笑い声をらしたのは、藤原だった。アイロニーにまみれたくちびるゆがませ、

「はっは。これはいいものを見せてもらった。これぞ茶番の中の茶番だ。ふっくっく、めつに拝むことのできないゼロ次せつぐうじゃないか。実におもしろい人形劇だ、はっ」

 ホットコーヒーを頭からぶっかけたくなったが、未来人は意外にも本気で面白がっているらしかった。俺の前でなければばくしようしたんじゃないかと思える勢いで、その実身体からだを細かくふるわせている。

 きようがく顔のままこうしていた橘京子は、やがてあきらめた表情となり、事態についていけないことを示すパフォーマンスのようにかたをすくめ、俺は佐々木とたがいの顔色をさぐり合いつつ藤原の反応が何を意味するのか無言のままに問いかけたが、ありもしない答えが得られるわけもなく、九曜の白い顔だけがカップから立ち上るあわい湯気で隠されていた。

 思いも寄らぬアルバイター喜緑さんのちんにゆうにより、藤原と九曜以外のスタンダード高校生トリオ(俺含む)はすっかり毒気をかれてしまい、気味の悪い思い出し笑いをする未来人と、ホットブレンドをいつだにせず故障した鉱石ラジオ並みに動かない宇宙人製アンドロイドの相手をするのにもつかれてきたなと思っていると、

「─────」

 九曜は何の前振りもなく無音で立ち上がると、ハイレベルなにんじやマスターよりも足音を立てずムービングウォークに運ばれてるみたいななめらかな動きで自動ドアに向かった。さすがは文明の利器、人間には解らなくても機械的センサーには解るらしい、サッと開いたドアをくぐった九曜は、かさてのコンビニ傘を忘れず回収してから、いずこともなく姿を消した。俺たちの間にただよふんを察してくれたのかもしれない。だが、何しに来たんだ、あいつは。

「あたしも」

 橘京子が弱々しくあるもけなな笑みで、

「今日は疲れちゃった。帰ります。でも、あと少し、話したかったな。佐々木さん、またお願いします。あ、ここのはらいはあたしに任せてください。平気だから。今日はありがとうね」

 じように言って席を立つとキャッシャーへと進み、店員さんに「領収書ください。あてくうらんで」などとやり取りしつつはらいを終え、小さく手をってさめの中を傘差して去っていく。

 俺もまた未来人のちようろうの対象になるのは少なからず気分をがいするため、いとまうことにした。部屋に帰ってシャミセンとひるせねばならん。

「またな、佐々木」

「ああ」佐々木はしんみりと俺を見上げて、「近いうちにれんらくすることになると思う。めいわくなのは承知しているよ。けどキョン、僕としてはこの一件を長引かせたくない。次の全国模試がせまっているしね。早めにケリをつけてしまおう」

「まったくだ」

 心の底から同意する。お前でよかったよ。俺の知る、中学時代のままの佐々木でな。

 藤原は最初のふてぶてしいつらがまえに戻って俺たちの会話を聞いていたが、最後は何も言わず、いたずらに俺の気をそこねることはなかった。俺をビックリさせるためのように出現した喜緑さんの存在にひっかかりを覚えたとはいえ、たぶん九曜の観察目的と推察すればなつとくできる。これが長門だったら九曜相手にゆうずうがきかなそうだし、朝倉が復活しなくて何よりだ。ナイフのじきになるのは、俺のバカな人生中でもこんりんざい断り続けたい経験の一つだ。

 こうして俺はきつてんを出たため、残った佐々木と藤原が何を話したのかは知らない。

 知りたいとも思わなかった。この時には。

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