第一章

 翌日、金曜日のことだ。

 一年生時から引き続くハルヒの習性、休み時間にはほとんど教室にいないという日常的な行動は学年が違っても失われておらず、四限が終わるやサクっと教室を出て行った我が団長が姿を消した昼休み、俺は二年になってもコンビを組む谷口および国木田と机を囲んで弁当をつつきあっていた。

 谷口はともかく、国木田の害のない顔を見ていると、先日思わぬ再会をした佐々木を思い出しちまうな。なるべくそしらぬていをよそおっていたのだが、そんな俺の視線をぎ取ったんだろうか、

「どうしたんだい? アナゴ入り卵焼きがそんなに気になるの?」

 国木田は佐々木が評したとおりにひようひよういてきた。

「いや何でもない」

 俺、そくとう

「よくもまた同じクラスになったもんだと考えてたのさ」

「そうだね」

 オカズをバラバラに分解する手を止め、国木田は顔を上げた。

「僕はうれしかったな。クラス割りを見た時、ちょっと目を疑っちゃったけど」

 お前は理系に進むもんだと自然に思ってたんだが。

「そのつもりだよ。ただ僕は文系科目がちょっと弱いからね。この一年はそっちを強化することにしたんだ。三年からは理系重視一本でいくよ。それに二年のこの時期は理系も文系もおおざつにしか分けられていないしね。せんたく科目が増えるから教室移動が手間だよねえ。二学期からはますますそうなる」

 谷口に関しては……まあ、どうでもいいか。

「そりゃ、あんまりだなぁ、キョンよー」と谷口のこう。「俺だってもっとれいどころのいるクラスに配属されたかったぜ。六組あたりがねらい目だったんだが……」

 さり気なく女子たちへと目をすべらせ、

「これじゃ大して変わらん。まさか、またおめーらといつしよとはな」

 あいかわらずピュアなまでにぞくろうだ。いいじゃねえか。昨年度同様、テスト期間中はレッドラインのちょい上空を地形ついずい飛行しようぜ。

「それは約束してやる。あんな紙切れに俺の人生は左右されたりしねえ。まかせろ」

 胸をたたくのは心強くていいのだが、本当にこれでいいのかという気もする。少なくとも俺のおふくろを論破する説得材料としては谷口の存在はいかにも弱すぎた。こいつに何かとくしゆな才能があったら学校の成績などさいな物差しに過ぎないとでもイイワケできるのにな。

「しかし、涼宮と五年連続同じクラスってのはなぁ。くさえんじゃねーよなぁ。もともと縁なんかねーしよぉ」

 谷口は何気なく言うが、確かに不思議な感覚はする。できすぎのぐうぜんには高確率で裏があるという事例をいくつか知っているんでね。

 俺と谷口がおそらく違う意味で首をひねっていると、国木田が、

「三十人もいたらそのうち二人くらいは誕生日がいつする確率のほうが高いしね。そんなに不思議なことでもないんじゃない?」

 わかるような解らんようなことを言った。

「なんなら計算してみようか?」

 別にいい。みような記号や計算式をながめるのは数学の時間でいつぱいだ。いや、暗算してくれなくてもいい。自分の頭脳レベルを他人とかくしたくはない。さくの用意もなしにぼうな勝負をいどむのはばんゆう以前にハルヒの役割だ。俺が自信を持って参加できるのは、次のせきえ時に真後ろになるのが誰かという予想大会くらいさ。

 現在の真後ろの席、その机の主は昨年度同様、昼休みになると同時に教室を出て行って留守にしている。新一年生の教室をのぞき回っているにちがいない。さぞしんに思われていることだろう。

 少しでも興味を持てる人間がいたらハルヒは考えなしにそのクラスにとつげきしそうだ。突進してきた正体不明の上級生におびえた気の毒な新入生が職員室にけ込まないよう、俺は弁当を食いながらひそかにいのりをささげ、どこの神仏かは知らないからさいせんほうのうしようもないが、とにかく聞き入れてくれた模様だ、五限開始ギリギリにもどってきたハルヒの目はらんらんかがやいていたりはしなかった。

ちようは?」とたずねた俺に、

「ボウズ」

 答えた口調はそれほどげんそうでもなく、当たり前のことをたんたんと告げているように聞こえる。近所のめ池にアロワナがいなかったことを調査の結果に改めてさとったような、そんな声だった。



 その放課後、俺は呼吸をする以上の自然さでハルヒとともに部室に向かった。

 二年になって所属する校舎が変わり、おかげで部室とうも近くなったが、だからと言って特に便利になった気はしない。

「あたしは便利よ」

 ハルヒは学生かばんを勢いよくりつつ、

「学食とこうばいも近くなったからね。昼休みの食堂で席を確保するのって、けっこう大変なんだからね。もっと席増やせばいいのにってよく思うわ」

 その手の意見は生徒会長にしんすべきだな。署名を集めて持っていったら学校側に働きかけてくれるかもしれんぞ。

「あんなのに借りは作りたくないわよ」

 歩調を速めながら、ハルヒは人見知りした子供のように横を向く。

「悪者の手なんか借りないほうがいいわ。恩着せがましくゴチャゴチャ言ってくるヤツがあたしは大っきらいだから。自分の力でなんとでもするわよ」

 学食の拡張工事を無断で始めたりしたらちょっとした事件になる。さすがに文芸部の部費では建設事業までまかなえないぜ。

「する気になったら無断でやっちゃうわよ、そんなの。みんな喜んでくれるわ」

 そうかもしれないがやめておけ。最悪、新聞記事になる。今度鶴屋さんに会ったら事前に根回ししておかねばならんな。ハルヒからスポンサーようせいがあってもきよだくしたりしないように。もっとも鶴屋さんクラスのだいなる常識人になれば、ハルヒの提言をいちいち真に受けたりはしないだろうが、念のためだ。

 俺はハルヒの注意を食堂改築計画かららすべく、

「で、ハルヒ。めぼしい新入生はいたか?」

「へえ?」

 簡単に食いついたはいいが、ハルヒはえいな視線を俺の顔にしながら、

「あんたが気にするとはね。意外ね、意外。増えたら増えたでブツブツ文句言いそうなのに、やっぱり欲しいの? こうはい

 欲しくはないさ。まあ、俺より下のヒラ団員がいてくれるとハルヒが押しつけてくる雑用その他をそのままスルーパスできて助かるなと思うことはある。キャリア的にも古泉が副団長、朝比奈さんがマスコットけん書記兼副々団長で、長門は形式的とは言え曲がりなりにも文芸部部長だし、団内でまったくのかんなのは俺だけだ。

「なによ。そんなにかたきが欲しい? だったら考えてあげてもいいわよ。ただししようしん試験を受けてもらうわ。筆記で五科目、実技で二科目」

 んじゃいいや。俺がとっさに欲しいのはエンジン付きのめんきよなんでね。

「あきらめがいいのとポジティブ思考って同じ意味じゃないのよ。少しはねばってみたら、そうね、何かしらあげないでもなかったのにさ」

 団員一号、なんて書いてあるわんしようだったらえんりよする。そりゃ下っその一って意味だろうからな。

「んん、解った?」

 ハルヒのヒョットコみたいながおを眺めているうちに、部室の前にとうちやくした。

 ノックもせずにドアを開けるのは、ハルヒにとってこの部屋が自宅みたいなものだからであり、俺は俺で、もし朝比奈さんがえの最中だったりしたらそくに後ろを向かねばならないから、それをかくにんするために空いたとびらすきをうかがうという行動は誰からも責められることはないだろう。

「…………」

 居たのは長門だけだった。

 テーブルのすみっこで愛用のパイプにちょんと座り、一人静かに数学者の伝記を読んでいる。いつ来ても俺たちより早く部室にいるが、こいつはそう当番になったことがないのだろうか。ありえる。

 ハルヒは長テーブルに鞄をほうり出すと、団長席に着いてパソコンの起動ボタンを押した。俺も自分の鞄をハルヒのもののとなりに置き、いつのまにか定位置になった席にしりを乗せた。

 ハードディスクがカリカリと音を立てるのを聞きながら、昨日から置きっぱなしになっている古くさいばんの盤面をながめる。やりかけのめ碁。モザイクのように見える白黒模様の情勢は終局ぎわだ。手なりで進めて黒の三目半勝ち。俺にもわかるくらいだから初心者レベルの問題だな。

「キョン、お茶」

 朝比奈さんが来るまで待てよ。彼女のお茶くみスキルは、今や現代によみがえったふるおり並みと言っても言い過ぎではないぞ。

「言い過ぎよ。茶道といつしよにしてどうすんの。朝比奈流の創始者になるんならカルトな茶の湯流派として折り紙付きだけど」

 ハルヒの目はモニタの上をっている。キーボードを引き寄せ、何やら文章を打ち込むぜいだが、何の文書作成だろうと俺は疑問視し、

「そういや昨日もやってたが何を書いてんだ。サイトの日記ページこうしんか?」

ないしよごく文書よ。団外にれたら大問題だからね。流出したらまっ先にあんたを疑うわよ」

 ニヤリとしつつ、ハルヒはけっこうな手さばきでキーボードをたたいている。器用なものだ。

 俺はかたをすくめ、冷蔵庫ににじり寄ると中から水出しウーロンちやのボトルを出して、自分の湯飲みにぐついでにハルヒと長門のぶんも入れてやった。

 目の前に湯飲みを置いてやっても長門は目もくれず、ハルヒは俺の手から直接ぶんどって一気のみ。チラッと見てみる。パソコンのモニタが映していたのはワープロソフトの新規ファイル作成画面らしかった。

「またチラシ作りか?」

ちがうわよ」とハルヒは俺に湯飲みを突き返し、「万一の時の事前準備よ。き打ちテストみたいなもの。そんな変な顔しなくていいわ。なにもあんたに受けさせようとは思ってないから」

 じゃあ誰に対しての試験問題だ?

「いいじゃないの。見ないでよ。書きにくいじゃないの」

 ハルヒが画面をかくすようにおおかぶさるので、俺は元の席に退散する。

 ちびちびとアイスウーロンを飲みながら、手持ちぶさたのあまり碁盤に石を置いていると、間もなく古泉がやって来た。こいつの顔を見て安心するのもごうはらだが、今日はなんとなくそんな思いがする。ひょっとしたらアルバイトとやらにかこつけて部活を休むんじゃないかという予想をしていたんでね。それにたいていのゲームは一人でやっていてもツマランものだし。

「ホームルームが長引きまして」

 古泉はせんでもいい弁解をして部室のドアを閉めると、ばんじようを見下ろしてしようかべた。

「もはや打つ手なしですね。とうりようです」

 平素の笑みだ。ハルヒがいる手前、無理して作った表情かもしれないが、俺にはつうに見える。向かいにこしけた古泉は、十九路盤から石を取り除き、もどしながら、

「一局いかがです?」

 いいとも。ただしハンディキャップマッチだぜ。毎回同じヤツに勝ちすぎるのもやってておもしろいことじゃないしな。俺はハルヒじゃないので勝敗よりも内容を重視するのさ。

「助かります」

 古泉は黒石をせんたくして、四ほど置いた。

 しばらく無言で序盤戦を演じる俺と古泉。読書にぼつとうする長門。部室内で聞こえる音は、ハルヒがカタカタと立てるパソコンの操作音と、閉じた窓の外から漏れてくる運動部のせいくらいのものだった。

 静かな春先のひととき。のどかで平和で、何も変わらない。

 そうやって五分ほど経過、やがてひかえ目なノックが耳に届いて、

「ごめんなさい。おくれちゃいました」

 どこまでもおだやかなものごしで朝比奈さん登場、そしてその横には、

「やっぽーい!」

 鶴屋さんが片手をぶんぶんりながら、満面の笑顔で室内を照らし出していた。

「やあやあみなの衆っ、またかって思うかもしれんけど招待状を持ってきたよろ! わはは、花見大会第二だんさっ!」



 それは次のゴールデンウイークにかいさいされるのだとおっしゃった。

 鶴屋さんが俺たちに配った上等な和紙には、がんしんけいが書いたような毛筆でなにやら記してあったが日付以外まったく読めん。ハルヒが音読してくれなければ、俺は博物館の学芸員を電話帳で探して訪ねることになっただろう。

 朝比奈さんがメイドしようえ終え──その間俺と古泉はもちろん退室──てから振るった熱いお茶を、たまにおとずれるSOS団客分はカジュアルながらも上品に一口すすって、「ぷはーっ」と感心するほどそのままなおんを発した後、

「この前したのはソメイヨシノくんたちのお花見さっ。今度はざくら大会だよ! だってほら、大昔は桜って言えばこれだったんだからねっ。家の庭に天然物がいっぱい生えてんのさ。その時期になるとみのむしだらけだけど風流なもんだよっ」

 鶴屋さんはお茶をガブリと飲み込み、目を閉じてそらんじる。

「いにしへの~の都の八重桜~っ」

「けふここのにほひぬるかな、ね」

 ハルヒが下の句を引きぎ、力強くうなずいた。

「確かに園芸品種ばかりが持てはやされる現在の風潮には苦言をていすべきよ。ほかのが散ってもまだがんっている八重ちゃんにもっとスポットが当たってしかるべきだわ。さすがね、鶴屋さん」

 鶴屋さんほど「さすが」というまくらことばが似合うお人もいないだろうが、もしかして鶴屋家は飛鳥あすか時代あたりから続く貴族のまつえいなのか?

「そんな昔のことは知んないよっ。どうだっていいことっさ! 知りたくなったら家系図を見ればいいけど、探すのもメンドイからね!」

 さばさばと言ってのける鶴屋さんがひたすらたのもしい。いつまでも朝比奈さんとペアを組んでて欲しいね。ハートとダイヤのクイーンでツーペアだ。鶴屋さんがそばにいる限り、朝比奈さんにちょっかいを出そうなどというらちものは現れないだろうからな。ハルヒ? ああ。あいつはジョーカーが相応ふさわしい。ファイブカードには不可欠のな。

 俺が決してきることのない朝比奈さんの給仕姿にひとしきりなごんでいる間、鶴屋さんとハルヒは、

「ひさかたの~光のどけき春の日に~」

「しづ心なく花の散るらむ」

「ひとはいさ~心も知らずふるさとは~」

「花ぞ昔のににほひける」

 二人で百人一首暗唱大会を始めた。

「もろともに~あはれと思へ山桜~」

「花よりほかに知る人もなし」

「春の夜の夢ばかりなるまくらに~」

「かひなくたたむ名こそをしけれ」

「天の原~ふりさけみれば春日かすがなるっ」

かさの山にいでし月かも」

「みよしの山の秋風ふけてっ!」

「ふるさと寒くころもうつなり!」

 ここまで来たら春も桜も関係ない。夏を飛びえて秋まで行ってる。

「ふふうーん? じゃ、これはっ?」

 鶴屋さんはいつしゆんだけちょっとおもしろい顔をして、

「やまざくらっ、き染めしよりひさかたの!」

「あれ?」

 それまで調子よく答えていたハルヒがまった。

「そんなのあった? 誰の歌?」

 鶴屋さんの引っかけ問題への解答は思わぬヤツが出した。本日初めて聞くよくようのない声が、

「……雲居にみゆるたきの白糸」

 長門はページをめくりつつ、低温な声で付け加えた。

みなもとのとしより。百人しゆう

「やるねえ、さすがは物知りじん有希っこだ!」

 鶴屋さんがケラケラ笑いながら賛辞を送るが、長門は無感動なひとみを変色させたりはしなかった。でもって俺は何がそんなに面白いのかわからない。後で調べておこう。

 鶴屋さんは続いて三首ほど上の句をみ、すべての下の句を長門に答えさせてから、満足したように、

「じゃっ! またねっ。ありがとみくるっ。お茶おいしかったよ! 本年度もよろしくっ!」

 かしましくそう告げて、部室を出て行った。おそろしく足の速い小規模台風のような人だ。来たと思ったらいつのまにか遠くにいる……。

 しかし、その場を明るくすることにかけては天才的だな鶴屋さん。というか何だったら苦手なんだ鶴屋さん。この世で最も泣き顔の想像つかない人だぜ。やっぱりかなわん。

 ハルヒはズルズルとお茶を飲みつつ、

「これでゴールデンウイークの予定が一つまったわ。そうね、桜を見ながらみんなで短歌を自作しましょうよ。後世に残って歌集に入りそうなやつ」

 秘密文書作成にきたのか、鶴屋さんが残した和紙を歴史的遺物であるかのようにながめ回している。せめてせんりゆうにして欲しいね、と思ってたら、とつぜん思い出したように、

「それはそうとして、まずは明日することを発表しないといけないわね」

 ハルヒはやおら机の上に飛び乗っておう立ちし、

「それでは新年度第一回SOS団全体ミーティングを始めます!」

 ごくじようがおと声と態度でさけんだ。



 通算何度目なのか、記録もおくもしてなんぞいなかった俺と同じでハルヒも覚えていなかったらしく、あっさり数字をリセットされたミーティング内容は次のようなものだった。

「今度の土曜日、つまり明日! 午前九時に駅前にて全員集合すること。そろそろこの世の不思議が登場してもいいと思わない? 長いこと前りしたんだし、きっと向こうもあたしたちの気合いにこたえようって気になってるような気がするわ。それに春だし! ぽかぽか陽気であったかくなって、うたたしているところをすかさずかくするってわけ」

 げんえきを引退したシャミセンじゃあるまいし、ねこでもそんな手が通用するとは思えんが。

「あのね、キョン。この団を設立してそろそろ二周年目なのよ。期限はせまってんの。一年間活動やってて結果ゼロじゃあ示しがつかないでしょ?」

 誰にだよ。

「自分自身によ! 他人にはいくらやさしくしてもいいけど自分のことは厳しく律しないと人間ダメになるわ。こういうの、何て言うんだっけ? はく多売じゃなくて自給自足じゃなくってかんなんしんでもなくて……、みくるちゃん解る?」

「え」

 いきなりふられた朝比奈さんは、あごに人差し指を当てて、

「うーんと、ばいせき保険ですかぁ?」

しんしようひつばつですかね」

 指にはさんだ黒石に注視する目をえ置いたまま古泉が取って付けたようなコメントをし、俺も何か言うべきかと考えていると、

「そのような意味にがいとうする四字熟語は辞書的に存在しない」

 長門がポツリと言葉をこぼしてくれたおかげで、俺は発言の機会を喜んでほうする。それこそ自作すればいい。他愛自厳てなのはどうだい。

 ハルヒは俺ではなく長門に目を向け、

「そうだっけ? あったような気がするけど」

 全体とは名ばかりで、俺たちの意見など立て付けの悪い板戸のすきほども参照しない団長は、それでなつとくしたようだ。

「ではミーティングを終わります。下校時間が来るまで自由時間!」

 すとんとこしを下ろし、再びパソコンいじりを開始した。



 学内に居座っている生徒を追い立てるチャイムが鳴ると同時に長門が本を閉じ、その仕草を合図として俺たちは一日のしゆうりようを知る。ある意味、各種セミの鳴き声並みに正確な時間割行動だ。

 朝比奈さんのえを待ったのち、部室を後にしたのは、まだ少しはだざむい日暮れぎわの候だった。

 下校ルートの坂道をだらだら下っていると自然に男女間できよができる。ハルヒと朝比奈さんがかたを並べて先頭を行き、少しはなれて長門がもくもくりようあしこうに動かしている。

 数メートル後ろで、俺と古泉は三人むすめの背中を眺めながらしんがりを務めていた。せっかくの機会なのでいてやろう。

「どうだ、調子は」

「昨日の今日です。現状に変化はありません」

 古泉はそくせきかんめんのようなしようづらのまま答え、

「僕の取りし苦労なのかもしれませんね。長門さんと朝比奈さんの反応からして、とりたてて佐々木さんを意識しているようには思えません。このたびへい空間発生が一過性のものだったらいいのですが」

 新学期が始まってからしばらくつが、長門と朝比奈さんが俺の元同級生にげんきゆうしたことはなかった。当たり前だ。昔の知り合いと立ち話するのにちくいち気をつかっていては俺の神経がたん。

「佐々木さん以外の誰かでしたら、そのような気遣いは無用ですよ。彼女だから問題なんです」

 あいつはちょっと変わってるだけの女だ。ただの通りすがりだろ。

「あなたの意見にもろをあげて賛成しますよ。僕もそう確信している。くつきで、それは我々にすれば自明のことなんです。僕がおそれているのはかんちがいをする人々です。そして、その誤解を利用しようとする人々もね」

「何だそりゃ」

 国木田や中河に利用価値があるとは思えんぞ。

 俺の疑念に対し、

「あなたのお知り合いの中でもそのお二方はシロですよ。ですが──」

 古泉はごていねいかばんげ直してから肩をすくめた。

「いえ、やめておきましょう。ゆうならばそれに越したことはありません。ああ、これだけはご安心ください。佐々木さんに何らかの危害が加えられるような事態は確実にかいです。『機関』はそんなことをしません。理由がないのでね」

 当然だろう。何を言ってんだ、お前は。

「これは失礼を。あなたの杞憂を解消しようとしたんですが、いや、忘れてください。今のはそくでした」

 世話好きな下級生が見たらコロリとちそうな、あいしゆうただよしようかべ、古泉は前を向いた。その視線の先を追うと、長門の後ろ頭の向こうでハルヒが朝比奈さんと楽しそうに談笑する横顔がのぞいていた。


 その日。

 いつもと同じ下校シーンを演じ、俺たちはこうようえん駅前で解散した。

「また明日ね」

 ハルヒは「たまにはあたしより先に来なさいよね」と本心かどうかわからん顔つきで俺をめ付け、制服のリボンとスカートのすそひるがえし一番に背を向けて、朝比奈さんが小さく手をってから団長に続いた。ふと姿をさがすと、長門のがらな後ろ姿は自宅マンション方面にすでに遠ざかりつつある。

「明日、何事も起こらなければいいのですが」

 最後に古泉が独白めいた口調でつぶやき、俺はそんなはずあるかと思った──。


 ──の、だが。


 古泉の見通しはあまかった。同時に俺もだ。

 この時、事態はすでに進行しつつあったのだ。誰も気づかなかっただけで、それはもう始まっていたんだ。俺を初めとする全員は、とっくにちゆうほうり込まれていた。SOS団だけじゃない。国木田も谷口も中河も須藤も、俺が知るのと知らざるのとにかかわらずすべての者たちが。

 しかし俺がそれとさとるには、さらなる日時の経過が必要だった。明日? そんなもんじゃなまぬるい。だが、その前兆めいた出来事がこの翌日にあったのも確かだ。

 単なる前兆か、ぐうぜんよそおった必然か、誰の仕向けたことなのか……。

 土曜日の朝。午前九時前の駅前で、俺は二人の人物と再会し、見知らぬ一人と初顔合わせを果たした。そして、さらにもう一人の顔見知りがすぐ近くにひそんでいると教えられることになる──。



 その日、俺はめずらしく目覚まし時計と妹より早く目覚めると、一日の始まりの作業として俺のまくらに頭を乗せてねむっていたシャミセンをまずゆかに転がして落とし、次に自分の身体からだを起きあがらせた。

 快活そのもののさわやかなかくせいだ。休日の朝としては久々の感覚がする。まるで体重が半分になったように手足が軽い。やはりアラームや妹にたよらない自然の目覚めが健康のけつか。

 俺は足取りもかろやかに部屋を出ると、これも久しぶりとなる妹きの朝食をり、そくえて自転車に飛び乗った。早い早い。時計はまだ午前八時を過ぎたあたりだ。このぶんではハルヒを出し抜けるかもしれない。あるいは空気を読んだ古泉が気を回してラストランナーになるかだな。一回ぐらいハルヒにおごらせてもヘソを曲げたりせんと思うのだが、一高校生の財布の中身より『機関』とやらの資金はじゆんたくだろう。古泉のバイト料も豊富に違いない。

 快調に自転車を走らせる俺の目のはしばしに、地に落ちたピンクのかみ吹雪ふぶきが映る。一雨来たら桜の木たちの今年の仕事は完全にしゆうりようしそうだ。

 駅前ちゆうりんじようの前までチャリを転がしてきたところで、俺は左右をかくにんする。

 佐々木がひょっこり出てきそうな予感があったからだが、言うまでもなく、しよう中学時代の俺の親友は視界の中にいなかった。古泉のためにも安心してやろう。自分のためではなく。

 うでけいを見るとまだ待ち合わせ時間まで三十分以上ある。今日はゆうだな。

 俺は鼻歌まじりに自転車を一時有料スペースに置き去り、ゆうぜんたるおもちで集合ポイントに向かい、SOS団の誰も来ていないことを発見した。

 だが、会心のみを浮かべることはできなかった。それどころか明るかった日差しが暗転したような気すらした。

 がくぜんとして足を止めた俺に、

「やあ、キョン」

 佐々木がドッキリに成功したけ人のようなスマイルで、

「また、会ったね。非常に喜ばしいことだ。キミにとってはそうではないかもしれないが、あいにく僕はこのじようきように少しばかり楽しみを見いだしている。といってもエキサイティングというよりは、インタレスティングと言うべきだが」

 俺はち木のように立ちつくす。

 佐々木は一人ではなかった。りようわきにあわせて二人の少女をずいはんしている。そのうち一人の顔は絶対に忘れたりしない。俺の脳内にある指名手配書にしっかり刻まれたツラだ。とっさになぐりかからなかったのは、ひとえに俺がこの一年でつちかった自制心のたまものである。

「お前……!」

 よくも、ノコノコと。

「こんにちは」

 ひょいと頭を下げ、そいつはニッコリほほんだ。

「ごしていました。あなたの未来人さんはお元気? 朝比奈さん。んふっ。そんな顔しないでよ。あたしたちはそっちからは手を引いたのです」

 先々月、二月のちゆうじゆんにあった事件のてんまつが一気に頭を走り抜けた。

 八日後からやってきた朝比奈さん。朝比奈みちると名付けたのは俺だった。俺と彼女は朝比奈さん(大)の指令書によっていくつかのお題をクリアすべく走り回ることになった。空きかんくぎのイタズラ、鶴屋山のひょうたん岩、カメと少年、なぞのデータおくばいたいといけ好かない未来人……。

 そして朝比奈さんゆうかい事件。

 とうかざったカーチェイスの最後の最後、新種の男未来人とともに現れた誘拐犯どもの中にいた女だ。誘拐グループのリーダーのようにっていた紅一点。もりさんのきようを通過して失神しそうな笑顔を向けられても平然としていたあの少女。

 そいつが佐々木の真横、俺の目の前に立っている。

 俺と誘拐女のかくしつを知ってか知らずか、佐々木はゆるやかに片手を割り込ませて、

しようかいするよ、キョン。彼女はたちばなきようさん。僕の……そうだねえ、知人と言うべきだろうね。最近知り合いになったばかりで、友人と呼べるほどの交流はまだない。橘さんの話はところどころ興味深いが」

 佐々木はくつくつとのどおくで音を立て、

「その顔じゃあ、彼女とはどこかで会ってたみたいだね。それもあまり良くない出会いかただ。予想はしていたけれど」

「佐々木……」

 俺は老人のようなしわがれ声を出した。

「そんなヤツと付き合うのはやめろ。そいつは……」

 ──俺たちの敵だ。

「そうみたいだね」

 佐々木は何気なさそうに、

「でも僕の敵ではないみたいなのさ。そこが少し面白い。ほうもない話を聞かせてくれたよ。僕には理解しがたいが、思考するだけならいい気晴らしになる。精神的エアロビクスにね。なつとくはできない、しかし認識はできるといった感じだろうか」

 誘拐犯──橘京子はほほませたくちびるをわずかにとがらせ、

「いやだ、佐々木さん。あなたにはぜひ納得して欲しいのです。でないと、」

 まるでペットショップの店頭に並ぶおりの中の子犬を見るような目を俺にくれ、

「この人には話が通じそうにないから。あたしの言うことなんか三秒以上聞いてくれないでしょう。ちがう?」

 違わん。あまりにも当たり前だった。朝比奈さんをかどわかすような人間は誰だろうが弁護人きでそつこくほうていで裁かれるべきに決まっている。古泉はまだ来ないのか。森さんと新川さん、まる氏兄弟は?

「キョン、聞いているかい?」

 ちょっと待っててくれ佐々木。俺は今、まだしんらいを置いてもよさそうな人たちの姿を探している最中なんだ。

「それはすまないね。でも、どうしてもキミに紹介しておいたほうがよさそうな人がもう一人いるんだよ。取り急ぎ、優先順位をこちらにくれないだろうか」

 誰だ。あの性格の悪そうな未来人ろうなら改めての紹介なんかいらんぞ。

「キミが誰のことを言ってるのかはおおよその見当がつくけど、さしあたって彼ではないよ」

 佐々木は橘京子の立ち位置とは反対側の手を挙げて、

「キミと二メートル以内の空間はんで同時存在してみたい、と僕は言われた。まあ、引き合わせてもいいと思ったのでね。放置していたらキミにより以上のめいわくをかけそうなふんだった。彼女は……そうだね、ストレインジというよりは、ちょっとキュアーかな」

 俺は佐々木の指先延長線上を見る。

 最初、何がそこにあるのかわからなかった。

 黒いインクを水で満たしたグラスに垂らしたような、ぼんやりとにじもやみたいなもの…………それがファーストインプレッションで、自分のもうまくに映っているものがよく見かける女子校、光陽園女子の黒い制服姿だと脳が認めるのに数秒もかかった。

 なのににんしきしたしゆんかん、その少女は百年前からそこに立っていたような確固とした存在感を俺にあたえた。なんだ、このあつ感は。

 こけむした言葉の一つにある、さいを放つ、という表現がこれほど当てはまる人の姿を生まれて初めて見た気がする。

「な……?」

 完全無欠に初対面だ。こんな少女を一瞬でも目に入れたら忘れるはずはない。

 だが、この真冬の雪山のような寒気をともなはだざわりは何だ。似たような気配をどこかで感じたことが──。

 そいつがかんまんに顔を上げ、そうぼうと表情をあらわにした瞬間、全身が総毛立った。こいつはゆうれいだ。それか人外だ。人間じゃない。

「────」

 長門よりも無機質な白い顔のその女は、たとえようもなく黒いこうしつガラスのようなひとみと、つや消しスプレーをきかけたカラスよりも暗い色のかみを持っていた。その髪はこしよりも長くび、おまけにとうのように波打っている。まるでやたらと長くて量の多いモップのような髪の毛だ。下に行くほど左右に広がり、表面積のほとんどを髪がめていると言っていい。つばさのように羽ばたいて空を飛んでも不思議ではないほどの、あまりにとくちよう的な髪型をしている。目立って仕方がないはずなのに、佐々木に言われるまで姿形がまったく見て取れなかったのは、これはかんぺきに異常事態だろう。

 ばやく周囲をうかがうと、案の定、通行人たちは佐々木や橘京子には目を留めるが、こいつには目もくれない。

「何もんだ、お前」

「─────」

 直立したまま、そいつは言葉を発することもまばたきもせず、神社でハトの群れから一ぴきを識別しようとするかのような目で俺を見ている。機械よりも機械的な視線だった。どんなにヘボいデジタルカメラでももう少し人情味あふれるレンズを持っている。

「────」

 長門とは似ているようで種類の違う無表情だ。メーカーと工場と原産地が違う。長門が野外に放置した氷なのだとしたら、こいつはドライアイスだった。解けることのない、蒸発して消えるだけの冷気のかたまりみたいに。

 うすい色をした唇が義務的に動く。

「──ああ……」

 重たげに開いた口がいたのは、白いけむりではなく意外につうに人間の言語だった。構えていただけに、ややきよをつかれたことを白状せねばなるまい。

「わたしは────観測する。ここは────とても…………時の流れがおそい場所。温度が────退たいくつ

 ねむたさが極限に達したあまり死にそうでもあるかのような声質をしている。声に色があるのだとしたら、古びた映画のようにモノトーンでセピアチックなシロモノだ。

 そいつは俺から目をらさず、

「──今度は…………間違えない───あなたが…………それ」

 とことん意味不明なことを言った。見かけが見かけだけに、この辺のところはみように印象とがつしていた。しかし何だ、この感は。感は。

「────わたしは─────」

 実にゆっくりと、そいつは言葉を続けた。

よう────」

「くよう?」

 どんな字を当てはめる、ときかけたせつ

周防すおう────」

「はぁ?」

 くようすおう、でいいのか。

「……──周防──九曜──」

 何なんだ。どっちだよ。こいつ、頭のギアが五枚ほど欠けてるんじゃないか?

 佐々木の低く小さな笑い声が俺を現実に返した。

「キョン、彼女はずっとそんな調子だよ。おもしろい人だろう? 僕は九曜さんと呼んでいるが、欠けているのは歯車ではなくて、固有名詞に対するこだわりさ。彼女は個人というものが上手うまく認識できないようなんだ。いやいや、病気ではないよ。たん的に、そういう人なのさ。それ以外に説明できない」

 しかしこの九曜なる女の応対は、会話の成り立たなさで初対面時の長門をはるかにりようする……。ん? 長門?

 ──まさか、もうどっかその辺にいるんじゃなかろうな。

 ──ありうる。

 冬休みのSOS団合宿。スキー場のもう吹雪ふぶきまぼろしのようにかび上がった雪の中のやかた。そこで長門は熱を出してたおれ、俺たちはそこから長門のヒントとハルヒの直感と古泉の機転によってだつしゆつし、今では白昼夢とされた一つのエピソード。

 情報統合思念体とは別口の地球外生命体────広域帯宇宙存在。

「そうか」

 俺はそいつの顔を二度と忘れないようにのうさいぼうのメモリ空間に焼き付けた。

「てめえか。長門とは種類の違う宇宙人ってのは……」

「──宇宙……人──? それは───何──」

「しらばっくれるな」

 俺だってこんな簡単な事件編の解答編なら速効ではじき出せるさ。ゆうかいはん、橘京子は古泉たち『機関』と対立している。朝比奈さんの担当はあの未来人ろうそうない。引き算ですぐに出てくる答えだろうが。長門に対応しているのは、こいつ、周防九曜でドンピシャ、今すぐタリホーとさけびたいしようどうられる。

 かつて、鶴屋家からの帰り道で会った古泉のセリフがよみがえった。

 ──たとえ話をしましょう。ここにAという国とBという国が(中略)Aに敵対する勢力Cと、Bに敵対する勢力Dが(中略)そのCとDが同盟を結び(後略)──。

 ついに来たか。長門たち情報統合思念体がFだとしたら、Gの勢力のせんぺいが。

 身構える俺をどうたくのレプリカを見るように、

「───あなたの──」

 九曜は古くなってびきったカセットテープのようなピッチのくるった声で、

ひとみは────とても───きれいね……」

 パーフェクトに無意味なセリフを吐いた。

 結論。

 こいつは長門や喜緑さんや今はなきあさくらりようよりも出来の悪い宇宙人だ。いくら真意をさぐろうとしても時間のにしかならない。探りたくもあるものか。まったく仲よくなりたくはない。

「キョン、キミはそう言うがね」

 佐々木はき出す代わりに腹を押さえ、

「僕には彼女たちしかいないんだ。ほかに寄ってきてくれた人はいなかったよ。北高にはバラエティに富んだ九曜さんのような人がたくさんいるのか? それはそれでよさそうだけど、残念ながら僕は北高生ではない。文句を言いながら、あと二年を過ごさなければならないんだ。しゆ良く志望大学に受かったら、そこで死ぬほど楽しんでやるつもりだよ」

「佐々木」と俺は旧友に言った。「お前、こいつらの正体を知ってんのか」

「聞かされたからね。今は知っている。かなりとつぴようもない話だったよ。だから信じているかどうかと言うと、ちょっとみようだった」

 俺を見る佐々木の目はくずした線のように笑っていた。

「でもキミの反応でわかったよ。彼女たちは本物なんだね」

 九曜と橘京子へ、湯通しするようなサラリとした目を向け、

「地球外知性の人型イントルーダーと、リミテッドなちよう能力使い。それから未来人だったかい? スリーカードというよりは三重苦って気がするけど、なるほど。信じる気になってきた」

 やめとけよ、佐々木。そんなヨタ話に付き合うな。俺の二のまいになるぞ。くそ、九曜とかいうバケモノはともかく、橘京子ともここが初対面なら俺もちがった反応をしたのに、なまじ顔を知ってて余計な態度を取っちまった。佐々木は頭も目もいいヤツだ。今からしらばっくれても俺の説得能力じゃ歯が立たない。

 張本人の橘京子は、犯罪者とは思えないくらいの温かな顔でほほみっぱなしだ。こいつ、二月にわざわざあんな真似まねをしたのは、この時の演出をねらっていたからなのか。ということは、あの未来人野郎もか。どこにいやがる。

 わくまなしをほうぼうに向ける俺に、橘京子が、

「バカバカしいからえんりよする、ですって。どこかにはいるでしょうけど。今日は顔出ししないみたい」

 今日、というところにアクセントを置きつつ、野郎の伝言を告げてくれた。

 顔を見たくないのはおたがい様だ。できればなぞむすめ二人にも辞退願いたかったが。

「そうもいきません。だって延ばし延ばししててもいつか必ずこうなったわ。これでもずいぶん待ったのです。もういいんじゃない?」

 口を閉じて声に出さない笑い声を出してから、

「たぶん彼もそう思ってます。来るべきものは来るものよ。どんなに先延ばししても、け切れないことってあるのです。早いほうが傷も浅くてすむでしょう?」

 今度は「カレ」という二音を強調し、てっきりそれは未来男のことかと思ったら、違った。

 橘京子の視線は、俺をとうめい人間だと見なしているかのように通過して、そのまま背後へと向いている。せんりつすら覚えるイヤな予感が背筋を走りけた。たまに思うんだが戦慄だのきようだの名状しがたいだのってのは、表現としてよく使うが本当の意味とそんな感覚はめったにお目にかれない。絵にいたもちとかネギを背負ったカモなんてのもだ。

 すべて吹き飛んだ。解った、これだ。今、俺は言語表現ではとうてい言い表せない名状しがたき戦慄と恐懼を覚えている。

 り向く。

 古泉が立っていた。駅の改札方面から来たのだろう、ラフな中にも格好つけた非の打ちどころのないよそおいで身を包み、まるで俺が気づくのを待っていたような風体でパンツのポケットに手をっ込んで、手持ちぶたさそうにしている。

 古泉だけならよかった。俺が相手をしている三人と対等に論戦をり広げられそうなゆいいつの北高生なんだしな。

「う……」と俺は一しずくのあせをタラリと垂らす。

 どう考えても最悪なのは、古泉の横に涼宮ハルヒというSOS団の絶対権力者がいて、まるで代官の悪事をもくげきした守護大名のような表情で俺をポカンとながめていることであり、さらにそのななめ後ろに長門と、ついでに朝比奈さんまでがいたことだ。

 要するに、SOS団団員がいつのまにか集合場所にそろっていた。しかも全員、直接フリーキックを防ごうとするかべを作るようにして、俺と佐々木たちを遠巻きにしてるってこった。

 時計を見ると午前九時までは十五分あまり残している。からそこにいたのかは知らないが、道理でいつも時間オーバーしているわけでもないのに俺が最後になっちまうわけだぜ。

 しかし、そんなゆうをぶっこいている場合でもなかった。

 ハルヒは俺と目が合うや、ずんずんとこちらに向かって来た。その後ろをおひな様に付き従う三人かんによみたいに他のメンツもついてくる。さぞ毎回つかれるだろうにスキのない服装の古泉、相も変わらず言わない限り制服を着続ける長門、春らしくおさえ目なファンシースタイルの朝比奈さん。

 きよだいな雲海をともなちよう低気圧の接近をレーダーでとらえた管制官のような気分だ。

 ハルヒはたいかおりをぎ取った空港のやく探知犬のように立ち止まると、

「あたしたちより早く来るなんてしゆしようなことだと思ったけど、なに? 先約があったの?」

「たまたまだよ」

 佐々木が答えた。ただしハルヒではなく、俺を見ながら。

「ここいらに住んでいると、どうしたって落ち合う場所としてここはうってつけなものだからね。僕は僕で知人と会う約束をしてたのさ。キョン、キミと同じで僕にだってキミの知らないうちにゆうを結ばんとしている人の数人はいるのだ。こうして集まったことだし、そろそろ退散させていただこう」

 それは助かるな。悪いが一刻も早く退散して欲しい。だが、近くのきつてんには入ってくれるな。そこはこれから俺たちが行く場所なんでな。席が空いてなきゃ困る。

「よかろう。こうりよするよ。別れたばかりなのにすぐまた再会するのは気まずいからね。とりあえず電車にでも乗って遠くへ行こうと思う」

 ちゃんと俺の意をくんだ返答をして、佐々木はハルヒに一礼し、

「涼宮さん、キョンのことをよろしくたのみます。どうせ彼は高校でもせっつかないと勉強や課外活動に力を入れたりしてないんでしょ? 彼のご母堂のかんにんぶくろが切れる前になんとかしないと、中学同様、放課後に予備校通いをいられることになるでしょう。たぶん、この一学期、次の夏休みまでが限度ね」

「え。あ。うん」

 ハルヒは絶句するのを無理にかいしたような言葉をらし、山歩き中に新種のこんちゆうを発見した子供のように目を丸くした。

 誰かが俺のどうようさそう目的で仕組んだのだとしたら、本来ならこの二人のやり取りでじゆうぶんなはずだった。しかし俺は、まだ上には上がいることを思い知る。

 休みの日で人の流れの多い駅前、高校生が数人固まっている風景など、特に注目することなど何もない日常のスナップショットだ。

 しかし、その一角で、俺は確かに見えない巨大な何かがぶつかり合ってきしんでいる──聞こえるはずのない音を聞いたように思った。

 佐々木がハルヒにがおを見せているのと同じく、橘京子と九曜はそれぞれ別の方角に視線を向けていた。橘京子のひとみに映っているのは我が副団長殿どのの頭の先からつまさきまでスタイリッシュないでたちだ。

 あいさつの言葉は何もない。古泉のほほみポーカーフェイスも変わらない。どことなくめいわくそうであったが、それと気づいたのは俺だけだったろう。一方、橘京子はようやく晴れたいに立てた新人女優のように満足そうな顔をしていた。

 しかもあつれきの音の発生源はこの二人ではないんだ。人間同士の対面にそんな大それたしんどうは検知されない。

 はるかな地下で大陸プレートと海洋プレートがせめぎ合っているような、精神的に足元が不安になるこの感覚を俺にあたえているのは──。

「…………」

「────」

 たがいに見つめ合って動かない二つのひとかげ、長門と九曜だった。

 思い返せば、そうだな。俺は長門がいかくるっているような場面に何度か立ち会ったことがある。コンピ研とのゲーム対決、生徒会長の文芸部はい宣言とかな。対朝倉戦の時はそんなものを感じる余裕がなかったし、あの時点での長門はそんな感情などなかったかもしれん。

 しかし今、ようやくわかった。

 長門の感情変化を読み取るまできたえられたと自負していた俺の眼力が、まだまだ中級レベルだったということを。

「…………」

 一心不乱に無表情な長門のしつじつごうけんなまでに無感情なそうぼうには、こしくだけ落ちそうになるほどに何もないきよが反射していた。そのとうめい感のある瞳にとうえいされているのは、周防九曜と名乗った別種類の宇宙人製人間モドキ。

 周囲のけんそうも次々通り過ぎる通行人たちの姿も、どこかここではない遠くにあるように感じる。今すぐ地を割って巨大カマドウマが登場してもおかしくないと思えるほどだ。

 まるで異空間に閉じこめられたような現実そうしつ感覚──。

「あっ、あのう」

 それを解除してくれたのは下界にい降りたようせいであり、俺の視神経と愛護精神の支えでもあるお方だった。

「キョンくん? どうしたんですか? 顔色がよくないですよ……」

 朝比奈さんが心配そうに俺を見上げている。

風邪かぜですか? あっ。あせかいてます。ハンカチ、ハンカチ」

 ポーチに手を入れて、そっとはながらハンカチを出すと俺に差し出してくる。

 おかげで一気に目が覚めた。

「だいじょうぶです、朝比奈さん」

 れいなハンカチを俺の汗などでよごしたくはないね。こんなもん、シャツのそでぐちで充分です。

 あの未来人ろうに一時的感謝だ。あいつがいなかったせいで朝比奈さんは古泉や長門みたいににらめっこする相手を見つけなくて済んだんだからな。

 俺が台本もなしに大統領選挙おうえん演説TVちゆうけい生放送の場に立たされたスポークスマンのような汗をぬぐっていると、

「キョン、僕はもう行くよ」

 ハルヒと何か会話していた佐々木がそっちを切り上げ、

「そうそう。そのうちでいいから一度須藤に電話してやってくれないか? 本格的に同窓会をかくし始めたみたいでね。この前また僕のところにれんらくがあった。どうやらキミを北高担当窓口にしたいみたいだよ」

 なぜ俺じゃなくてお前に言うんだ。須藤が気があるのは岡本じゃなくて佐々木じゃないのか?

「それはないね」

 佐々木はあっさりとした口調で、

「僕は誰かに好かれるようなことを何もしていない。誰かに好意をる舞うこともだ。それはキョン、キミが一番解るだろう?」

 いや、解らんが。

「そうかい?」佐々木はくくっと笑い、「なら、そういうことでいいよ」

 なぞのようなセリフを言い、挙げた片手の手のひらを返した。

「では」

 佐々木は俺の横を通って改札口へ歩き出し、橘京子と九曜も静かに移動を開始した。前者はまるで気取ったような素知らぬ顔で、後者はぼんやりとしたもやのように。

 古泉と長門がぜん修行中のような無言でいる中、朝比奈さんだけがキョトンとしていた。どこまでも安心させてくれるお方だ。愛らしすぎてまいがする。アイラビンニュー朝比奈さん、きしめて差し上げたい。

 三つの姿が駅に消えるのを見送ってから、ハルヒがつぶやいた。

「やっぱり風変わりね。うーん、でも、あんたの知り合いにしてはおもしろいキャラだわ。不自然に作ってる感じがするけど」

 お前にそう言われたらめ言葉ととるだろうよ。佐々木はそんなヤツさ。

「そうね、あんたよりは友達多そう」

 俺よりよほど社交的だったのは真実だ。だがなあ、佐々木。

 ためいきを押しかくしつつ、俺は胃の奥で言葉を転がした。

 まさか宇宙人や未来人やちよう能力者とゆうはからんでもいいじゃないか。いくら知人のを広げるにしたって限度ってものを設定しとかないと。

 んなこと考えていたのが悪かったんだろう。この時の俺はいまいち頭が回っていなかった。

 橘京子には古泉、周防九曜には長門、名無しの未来人には朝比奈さん……。

 では佐々木は? すっかりけ落ちていた。

 あいつが誰と対応するのか、全然考えもしなかったんだからな。



 佐々木および余計なオマケ二名と別れた数分後、俺たち五人はまるで義務であるかのようにきつてんに転がり込んでいた。得々と語るハルヒによる本日の予定をしゆくしゆくと聞くためである。

 今回ばかりは俺のおごりにはならないはずだ。集合場所に一番にとうちやくしたのはこれでやっと二回目で、本当なら記念すべきことがらなのにいまいち喜べないのは、誰かを待っていたという感覚を持てないからだろう。長門と古泉と朝比奈さんが欠席したあの日、のんびりハルヒを待っていたあの時がなつかしい。結局はあれも俺が金出したんだが、それでもだ。

「改札口でみんなといつしよになっちゃったのよね」

 と、ハルヒはアイスアメリカンをチュガガガガと音高く飲みつつ、

「だから誰かが最後ってわけじゃないの。あんたが最初ってだけよ。だから今回はワリカンにしましょ」

 何が「だから」だ。二回も言いやがって。接続詞のリフレインは頭悪く見えるぜ。それから勝手にルールを作りやがるな。だったら俺も長門か朝比奈さんと示し合わせてオクラホマミキサーおどりながら来てやる。

「それはダメ」

 くわえたストローをプラプラさせて、

「あらかじめ談合しようったってそうはいかないわ。いっとくけどあたしはだまされないわよ。発覚したらばつきん十倍のけいだからね」

 んなもん誰が調査するんだよ。口裏を合わせてたらバレようもないし、公正取引委員会ならまっ先にハルヒのところに行くべきだが、まあいいさ。罰金十倍となれば定期の解約どころか赤字手形の発行を銀行役にたのまねばならん。

「ところで今日のことだけど」

 お冷やを飲み干したハルヒが一同を見回したので、俺も同調してほか三人の様子をうかがった。

 セイロンティーのカップを上品に両手で包んでいる朝比奈さんはいつもの調子で熱心にハルヒの言葉に耳をかたむけ、長門はちびちびとしか減らないアプリコットの水面を見つめており、古泉はうでを組んだほほみくんとなっている。

 見かけ上、SOS団団員に変わりはない。長門はともかく、古泉が通常営業時の外面をくずさないのはあっぱれだと褒めてやるべきだろうか。それも込みで、この二人とは少しばかり話をしたい。

 どうせ次のシーンはハルヒの好きな班分けクジ引き大会になるだろうからな、と思っていたら、

「二手に分かれるのはやめにするわ」

 などと言い出した。

「思ったんだけどね。二人と三人で別行動にしちゃうのが悪かったんじゃないかしら。やっぱり一つの場所をめぐるにしても、たくさんいたほうが何かに気づきやすいでしょ。二人と五人じゃ二倍以上の差があるわけだしね」

 ハルヒは俺にじんもんする目線を投げつけ、

「特にキョンなんか、あんた、まじめに不思議探ししてないんでしょ。図書館でてたりしてたもんね」

 よく覚えてるもんだ。俺は長門と朝比奈さんがわずかに身じろぎするのを視界のはしそくしつつ、

「なあ、ハルヒ。お前の言う不思議なものってな、何だっけ。すまんがそろそろ忘れてきたのでここでもう一回聞かせてくれ」

「そんな初歩の初歩、覚えておきなさいよ」

 ハルヒはほおにかかったかみをうるさげにかきあげて、

「とにかく不可解なものなら何でもいいわ。疑問に思えること、なぞっぽい人間、時空がゆがんでる場所、地球人のフリしたエイリアン、その他もろもろ」

 ほとんどのものが今ここにいるメンツで説明がついてしまうのだが──と考えながら、俺は心中でいきらしていた。

 長門と古泉には時間を改めて顔を合わさなければならないようだ。集団行動の最中にハルヒの目をぬすんでヒソヒソ話をするふんではない。リスキーすぎる。

 長門と古泉の顔色を見る限り、そして朝比奈さんがつうに朝比奈さんしていて、未来から俺がもう一人やって来て事態を引っかき回していないだろうところも見ると、そんなにせっぱまったことでもないという推測もできる。

 何よりもだ、と俺はハルヒをながめた。

 こいつがとんきようなまでに求心力全開でいる。なら、だいじようだ。自分に言い聞かせるまでもなく、何も混乱することはない。

 存在自体がスットコドッコイな我らがSOS団はいろいろあって今やえつどうしゆういちれんたくしようじようばくなのであるから、船頭の目が黒いうちはどこまでも海上交通安全法を無視してっ走ることになっているのだ。インド大陸を目指して出航したはずがアララト山頂にとうちやくしていたなんてことさえ造作もない。

 俺は今にも席を立ちそうなハルヒの全力オーラをひしひしと感じつつ、グラスの底に残ったアイスオーレを解けて小さくなった氷ごと口に流し込んだ。

「じゃ、そろそろ行きましょ」

 ハルヒはテーブル上の伝票を反射的に俺に回そうとして、しゆんかん、ワリカン宣言を思い出したらしい。取りつくろったまし顔で空のグラスにさっているストローをくわえた。



 それから数時間、俺たちは駅を中心に練り歩き回った。

 メインストリートを少し外れると、一ヶ月前はなかった建物や店がこつぜんと姿を現したように建っていたり、あるいはき消されたように無くなっていたり、やけに時間の経過が速いように思えるが商業主義に毒された現代ではこれが普通なのかもしれない。俺の家の近所で俺が生まれる前から店を開けている酒屋のほうが時代から取り残されているんだろうか。コンビニなんかできたと思ったらすぐさまてつ退たいし、また別のコンビニが開店するみたいなロシアンルーレット的あわただしさだというのに、しかし昔の風景が昔のままだとみように安心するね。

 ありがたいことに、佐々木たちのグループと再会することはなかった。角を曲がるたびに身構えていたのだが、佐々木は本当に電車に乗ってどこぞに行ってくれたようだ。あの二人を連れてきたのはクレームものだが、まだはいりよというものがわかっている。感謝しておくべきだろう。

 この日は一日、俺たち五人は一かたまりになって移動した。それは店主がしゆでやっているような独特のメニューをほこるカレーショップで昼飯を食ってからの午後の部でも同じだ。まるっきり、ハルヒと朝比奈さんのウインドウショッピングに他三人が付き合っているだけみたいな気がしたし、ハタ目からもそう見えたにちがいない。

 ファンシーショップの雑貨コーナーで目をかがやかす朝比奈さんとか、眼鏡めがね屋の店頭でハルヒに各種サングラスをかけられるがままになっている長門とか、おべんちゃらや天気やら自分のクラスについての話題を提供する古泉とか──。

 あまりにも普通すぎて、それがかえって不可解だ、みたいな一日がこうして過ぎていく。

 ああ、楽しかったさ。文句あるか。



 その夜のことだ。

 何一つ不可思議な事象に導かれることなく新年度第一回不思議たんさくツアーはしゆうりようし、ハルヒが解散の号令を発すると同時にすみやかに帰宅した俺は、晩飯をってしばらくウダウダした後、妹の次にに入っていた。

 ねこ用のものより安価なシャンプーで頭を洗い、身体中のあかほこりを落とし終えて湯船にかって、何度も聞かされたせいですっかり耳になすりつけられていた妹作詞作曲なるつうしよう『ごはんのうた』を鼻歌などで唱っていると、いきなり風呂場のとびらが開いて、

「キョンくんー電話ー」

 一足先にパジャマ姿の妹が首をのぞかせた。

 電話か。まあ、何か来るんじゃないかと思っていたさ。俺にも用がある。古泉か長門だろうとかくしていると、妹は子機を持って破顔しつつ、

「お兄さんいますかーって。キョンくんならいますよーって」

 俺へのしようは前者に回帰しろよな。

「誰だ」

「おんなのひとー」

 妹はひらがなでしやべっているような声で言い、俺は意味なく頭に乗せていたタオルで手をくと妹がにぎっている受話器を受け取った。

 誰からかかってきたのか名前を聞いておけといつも言っているだろう。怪しいテレフォンセールスやらん教材の押し売りだったらどうすんだ。

「あ、キョンくん。お風呂出たら宿題教えてね。さんすう~どりーる~んー」

 妹はキテレツな節回しで歌い終えた後、てれりんと舌を出すと、ようえんみたいなせつなスキップでだつじよを出て行った。

 こんな時間、タイミングで俺に電話する女?

 ハルヒでなければ誰だろう。今朝のこともあるから長門か? あるいは朝比奈さん……それも(大)じゃないだろうな。変な忠告ならあんまり聞きたい気分じゃねえぞ。

「もしもし」

 うっかり湯船に落っことさないよう、頭をへりから出して受話器を耳に当てる。

『もしもし』

 山びこのように返ってきたその声は──

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