翌日、金曜日のことだ。
一年生時から引き続くハルヒの習性、休み時間にはほとんど教室にいないという日常的な行動は学年が違っても失われておらず、四限が終わるやサクっと教室を出て行った我が団長が姿を消した昼休み、俺は二年になってもコンビを組む谷口および国木田と机を囲んで弁当をつつきあっていた。
谷口はともかく、国木田の害のない顔を見ていると、先日思わぬ再会をした佐々木を思い出しちまうな。なるべくそしらぬ体をよそおっていたのだが、そんな俺の視線を嗅(ぎ取ったんだろうか、
「どうしたんだい? アナゴ入り卵焼きがそんなに気になるの?」
国木田は佐々木が評したとおりに飄(々(と訊(いてきた。
「いや何でもない」
俺、即(答(。
「よくもまた同じクラスになったもんだと考えてたのさ」
「そうだね」
オカズをバラバラに分解する手を止め、国木田は顔を上げた。
「僕は嬉(しかったな。クラス割りを見た時、ちょっと目を疑っちゃったけど」
お前は理系に進むもんだと自然に思ってたんだが。
「そのつもりだよ。ただ僕は文系科目がちょっと弱いからね。この一年はそっちを強化することにしたんだ。三年からは理系重視一本でいくよ。それに二年のこの時期は理系も文系も大(雑(把(にしか分けられていないしね。選(択(科目が増えるから教室移動が手間だよねえ。二学期からはますますそうなる」
谷口に関しては……まあ、どうでもいいか。
「そりゃ、あんまりだなぁ、キョンよー」と谷口の抗(議(。「俺だってもっと綺(麗(どころのいるクラスに配属されたかったぜ。六組あたりが狙(い目だったんだが……」
さり気なく女子たちへと目を滑(らせ、
「これじゃ大して変わらん。まさか、またおめーらと一(緒(とはな」
あいかわらずピュアなまでに俗(な野(郎(だ。いいじゃねえか。昨年度同様、テスト期間中はレッドラインのちょい上空を地形追(随(飛行しようぜ。
「それは約束してやる。あんな紙切れに俺の人生は左右されたりしねえ。まかせろ」
胸を叩(くのは心強くていいのだが、本当にこれでいいのかという気もする。少なくとも俺のお袋(を論破する説得材料としては谷口の存在はいかにも弱すぎた。こいつに何か特(殊(な才能があったら学校の成績など些(細(な物差しに過ぎないとでもイイワケできるのにな。
「しかし、涼宮と五年連続同じクラスってのはなぁ。腐(れ縁(じゃねーよなぁ。もともと縁なんかねーしよぉ」
谷口は何気なく言うが、確かに不思議な感覚はする。できすぎの偶(然(には高確率で裏があるという事例をいくつか知っているんでね。
俺と谷口がおそらく違う意味で首をひねっていると、国木田が、
「三十人もいたらそのうち二人くらいは誕生日が一(致(する確率のほうが高いしね。そんなに不思議なことでもないんじゃない?」
解(るような解らんようなことを言った。
「なんなら計算してみようか?」
別にいい。奇(妙(な記号や計算式を眺(めるのは数学の時間で手(一(杯(だ。いや、暗算してくれなくてもいい。自分の頭脳レベルを他人と比(較(したくはない。奇(策(の用意もなしに無(謀(な勝負を挑(むのは蛮(勇(以前にハルヒの役割だ。俺が自信を持って参加できるのは、次の席(替(え時に真後ろになるのが誰かという予想大会くらいさ。
現在の真後ろの席、その机の主は昨年度同様、昼休みになると同時に教室を出て行って留守にしている。新一年生の教室を覗(き回っているに違(いない。さぞ不(審(に思われていることだろう。
少しでも興味を持てる人間がいたらハルヒは考えなしにそのクラスに突(撃(しそうだ。突進してきた正体不明の上級生に怯(えた気の毒な新入生が職員室に駆(け込まないよう、俺は弁当を食いながら密(かに祈(りを捧(げ、どこの神仏かは知らないから賽(銭(を奉(納(しようもないが、とにかく聞き入れてくれた模様だ、五限開始ギリギリに戻(ってきたハルヒの目は爛(々(と輝(いていたりはしなかった。
「釣(果(は?」と尋(ねた俺に、
「ボウズ」
答えた口調はそれほど不(機(嫌(そうでもなく、当たり前のことを淡(々(と告げているように聞こえる。近所の溜(め池にアロワナがいなかったことを調査の結果に改めて悟(ったような、そんな声だった。
その放課後、俺は呼吸をする以上の自然さでハルヒとともに部室に向かった。
二年になって所属する校舎が変わり、おかげで部室棟(も近くなったが、だからと言って特に便利になった気はしない。
「あたしは便利よ」
ハルヒは学生鞄(を勢いよく振(りつつ、
「学食と購(買(も近くなったからね。昼休みの食堂で席を確保するのって、けっこう大変なんだからね。もっと席増やせばいいのにってよく思うわ」
その手の意見は生徒会長に打(診(すべきだな。署名を集めて持っていったら学校側に働きかけてくれるかもしれんぞ。
「あんなのに借りは作りたくないわよ」
歩調を速めながら、ハルヒは人見知りした子供のように横を向く。
「悪者の手なんか借りないほうがいいわ。恩着せがましくゴチャゴチャ言ってくるヤツがあたしは大っ嫌(いだから。自分の力でなんとでもするわよ」
学食の拡張工事を無断で始めたりしたらちょっとした事件になる。さすがに文芸部の部費では建設事業までまかなえないぜ。
「する気になったら無断でやっちゃうわよ、そんなの。みんな喜んでくれるわ」
そうかもしれないがやめておけ。最悪、新聞記事になる。今度鶴屋さんに会ったら事前に根回ししておかねばならんな。ハルヒからスポンサー要(請(があっても許(諾(したりしないように。もっとも鶴屋さんクラスの偉(大(なる常識人になれば、ハルヒの提言をいちいち真に受けたりはしないだろうが、念のためだ。
俺はハルヒの注意を食堂改築計画から逸(らすべく、
「で、ハルヒ。めぼしい新入生はいたか?」
「へえ?」
簡単に食いついたはいいが、ハルヒは鋭(利(な視線を俺の顔に突(き刺(しながら、
「あんたが気にするとはね。意外ね、意外。増えたら増えたでブツブツ文句言いそうなのに、やっぱり欲しいの? 後(輩(」
欲しくはないさ。まあ、俺より下のヒラ団員がいてくれるとハルヒが押しつけてくる雑用その他をそのままスルーパスできて助かるなと思うことはある。キャリア的にも古泉が副団長、朝比奈さんがマスコット兼(書記兼副々団長で、長門は形式的とは言え曲がりなりにも文芸部部長だし、団内でまったくの無(位(無(冠(なのは俺だけだ。
「なによ。そんなに肩(書(きが欲しい? だったら考えてあげてもいいわよ。ただし昇(進(試験を受けてもらうわ。筆記で五科目、実技で二科目」
んじゃいいや。俺がとっさに欲しいのはエンジン付きの免(許(なんでね。
「あきらめがいいのとポジティブ思考って同じ意味じゃないのよ。少しは粘(ってみたら、そうね、何かしらあげないでもなかったのにさ」
団員一号、なんて書いてある腕(章(だったら遠(慮(する。そりゃ下っ端(その一って意味だろうからな。
「んん、解った?」
ハルヒのヒョットコみたいな笑(顔(を眺めているうちに、部室の前に到(着(した。
ノックもせずにドアを開けるのは、ハルヒにとってこの部屋が自宅みたいなものだからであり、俺は俺で、もし朝比奈さんが着(替(えの最中だったりしたら即(座(に後ろを向かねばならないから、それを確(認(するために空いた扉(の隙(間(をうかがうという行動は誰からも責められることはないだろう。
「…………」
居たのは長門だけだった。
テーブルの隅(っこで愛用のパイプ椅(子(にちょんと座り、一人静かに数学者の伝記を読んでいる。いつ来ても俺たちより早く部室にいるが、こいつは掃(除(当番になったことがないのだろうか。ありえる。
ハルヒは長テーブルに鞄を放(り出すと、団長席に着いてパソコンの起動ボタンを押した。俺も自分の鞄をハルヒのものの隣(に置き、いつのまにか定位置になった席に尻(を乗せた。
ハードディスクがカリカリと音を立てるのを聞きながら、昨日から置きっぱなしになっている古くさい碁(盤(の盤面を眺(める。やりかけの詰(め碁。モザイクのように見える白黒模様の情勢は終局間(際(だ。手なりで進めて黒の三目半勝ち。俺にも解(るくらいだから初心者レベルの問題だな。
「キョン、お茶」
朝比奈さんが来るまで待てよ。彼女のお茶くみスキルは、今や現代に蘇(った古(田(織(部(並みと言っても言い過ぎではないぞ。
「言い過ぎよ。茶道と一(緒(にしてどうすんの。朝比奈流の創始者になるんならカルトな茶の湯流派として折り紙付きだけど」
ハルヒの目はモニタの上を這(っている。キーボードを引き寄せ、何やら文章を打ち込む風(情(だが、何の文書作成だろうと俺は疑問視し、
「そういや昨日もやってたが何を書いてんだ。サイトの日記ページ更(新(か?」
「内(緒(。極(秘(文書よ。団外に漏(れたら大問題だからね。流出したらまっ先にあんたを疑うわよ」
ニヤリとしつつ、ハルヒはけっこうな手さばきでキーボードを叩(いている。器用なものだ。
俺は肩(をすくめ、冷蔵庫ににじり寄ると中から水出し烏(龍(茶(のボトルを出して、自分の湯飲みに注(ぐついでにハルヒと長門のぶんも入れてやった。
目の前に湯飲みを置いてやっても長門は目もくれず、ハルヒは俺の手から直接ぶんどって一気のみ。チラッと見てみる。パソコンのモニタが映していたのはワープロソフトの新規ファイル作成画面らしかった。
「またチラシ作りか?」
「違(うわよ」とハルヒは俺に湯飲みを突き返し、「万一の時の事前準備よ。抜(き打ちテストみたいなもの。そんな変な顔しなくていいわ。なにもあんたに受けさせようとは思ってないから」
じゃあ誰に対しての試験問題だ?
「いいじゃないの。見ないでよ。書きにくいじゃないの」
ハルヒが画面を隠(すように覆(い被(さるので、俺は元の席に退散する。
ちびちびとアイスウーロンを飲みながら、手持ちぶさたのあまり碁盤に石を置いていると、間もなく古泉がやって来た。こいつの顔を見て安心するのも業(腹(だが、今日はなんとなくそんな思いがする。ひょっとしたらアルバイトとやらにかこつけて部活を休むんじゃないかという予想をしていたんでね。それに大(抵(のゲームは一人でやっていてもツマランものだし。
「ホームルームが長引きまして」
古泉はせんでもいい弁解をして部室のドアを閉めると、盤(上(を見下ろして微(笑(を浮(かべた。
「もはや打つ手なしですね。投(了(です」
平素の笑みだ。ハルヒがいる手前、無理して作った表情かもしれないが、俺には普(通(に見える。向かいに腰(掛(けた古泉は、十九路盤から石を取り除き、碁(笥(に戻(しながら、
「一局いかがです?」
いいとも。ただしハンディキャップマッチだぜ。毎回同じヤツに勝ちすぎるのもやってて面(白(いことじゃないしな。俺はハルヒじゃないので勝敗よりも内容を重視するのさ。
「助かります」
古泉は黒石を選(択(して、四子(ほど置いた。
しばらく無言で序盤戦を演じる俺と古泉。読書に没(頭(する長門。部室内で聞こえる音は、ハルヒがカタカタと立てるパソコンの操作音と、閉じた窓の外から漏れてくる運動部の奇(声(くらいのものだった。
静かな春先のひととき。のどかで平和で、何も変わらない。
そうやって五分ほど経過、やがて控(え目なノックが耳に届いて、
「ごめんなさい。遅(れちゃいました」
どこまでも穏(やかな物(腰(で朝比奈さん登場、そしてその横には、
「やっぽーい!」
鶴屋さんが片手をぶんぶん振(りながら、満面の笑顔で室内を照らし出していた。
「やあやあ皆(の衆っ、またかって思うかもしれんけど招待状を持ってきたよろ! わはは、花見大会第二弾(さっ!」
それは次のゴールデンウイークに開(催(されるのだとおっしゃった。
鶴屋さんが俺たちに配った上等な和紙には、顔(真(卿(が書いたような毛筆でなにやら記してあったが日付以外まったく読めん。ハルヒが音読してくれなければ、俺は博物館の学芸員を電話帳で探して訪ねることになっただろう。
朝比奈さんがメイド衣(装(に着(替(え終え──その間俺と古泉はもちろん退室──てから振る舞(った熱いお茶を、たまに訪(れるSOS団客分はカジュアルながらも上品に一口すすって、「ぷはーっ」と感心するほどそのままな擬(音(を発した後、
「この前したのはソメイヨシノくんたちのお花見さっ。今度は八(重(桜(大会だよ! だってほら、大昔は桜って言えばこれだったんだからねっ。家の庭に天然物がいっぱい生えてんのさ。その時期になると蓑(虫(だらけだけど風流なもんだよっ」
鶴屋さんはお茶をガブリと飲み込み、目を閉じてそらんじる。
「いにしへの~奈(良(の都の八重桜~っ」
「けふ九(重(に匂(ひぬるかな、ね」
ハルヒが下の句を引き継(ぎ、力強くうなずいた。
「確かに園芸品種ばかりが持てはやされる現在の風潮には苦言を呈(すべきよ。他(のが散ってもまだ頑(張(っている八重ちゃんにもっとスポットが当たってしかるべきだわ。さすがね、鶴屋さん」
鶴屋さんほど「さすが」という枕(詞(が似合うお人もいないだろうが、もしかして鶴屋家は飛鳥(時代あたりから続く貴族の末(裔(なのか?
「そんな昔のことは知んないよっ。どうだっていいことっさ! 知りたくなったら家系図を見ればいいけど、探すのもメンドイからね!」
さばさばと言ってのける鶴屋さんがひたすら頼(もしい。いつまでも朝比奈さんとペアを組んでて欲しいね。ハートとダイヤのクイーンでツーペアだ。鶴屋さんがそばにいる限り、朝比奈さんにちょっかいを出そうなどという不(埒(者(は現れないだろうからな。ハルヒ? ああ。あいつはジョーカーが相応(しい。ファイブカードには不可欠のな。
俺が決して見(飽(きることのない朝比奈さんの給仕姿にひとしきり和(んでいる間、鶴屋さんとハルヒは、
「ひさかたの~光のどけき春の日に~」
「しづ心なく花の散るらむ」
「ひとはいさ~心も知らずふるさとは~」
「花ぞ昔の香(ににほひける」
二人で百人一首暗唱大会を始めた。
「もろともに~あはれと思へ山桜~」
「花よりほかに知る人もなし」
「春の夜の夢ばかりなる手(枕(に~」
「かひなくたたむ名こそをしけれ」
「天の原~ふりさけみれば春日(なるっ」
「三(笠(の山にいでし月かも」
「み吉(野(の山の秋風小(夜(ふけてっ!」
「ふるさと寒く衣(うつなり!」
ここまで来たら春も桜も関係ない。夏を飛び超(えて秋まで行ってる。
「ふふうーん? じゃ、これはっ?」
鶴屋さんは一(瞬(だけちょっと面(白(い顔をして、
「やまざくらっ、咲(き染めしよりひさかたの!」
「あれ?」
それまで調子よく答えていたハルヒが詰(まった。
「そんなのあった? 誰の歌?」
鶴屋さんの引っかけ問題への解答は思わぬヤツが出した。本日初めて聞く抑(揚(のない声が、
「……雲居にみゆる滝(の白糸」
長門はページをめくりつつ、低温な声で付け加えた。
「源(俊(頼(。百人秀(歌(」
「やるねえ、さすがは物知り魔(神(有希っこだ!」
鶴屋さんがケラケラ笑いながら賛辞を送るが、長門は無感動な瞳(を変色させたりはしなかった。でもって俺は何がそんなに面白いのか解(らない。後で調べておこう。
鶴屋さんは続いて三首ほど上の句を詠(み、すべての下の句を長門に答えさせてから、満足したように、
「じゃっ! またねっ。ありがとみくるっ。お茶おいしかったよ! 本年度もよろしくっ!」
かしましくそう告げて、部室を出て行った。恐(ろしく足の速い小規模台風のような人だ。来たと思ったらいつのまにか遠くにいる……。
しかし、その場を明るくすることにかけては天才的だな鶴屋さん。というか何だったら苦手なんだ鶴屋さん。この世で最も泣き顔の想像つかない人だぜ。やっぱりかなわん。
ハルヒはズルズルとお茶を飲みつつ、
「これでゴールデンウイークの予定が一つ埋(まったわ。そうね、桜を見ながらみんなで短歌を自作しましょうよ。後世に残って歌集に入りそうなやつ」
秘密文書作成に飽(きたのか、鶴屋さんが残した和紙を歴史的遺物であるかのように眺(め回している。せめて川(柳(にして欲しいね、と思ってたら、突(然(思い出したように、
「それはそうとして、まずは明日することを発表しないといけないわね」
ハルヒはやおら机の上に飛び乗って仁(王(立ちし、
「それでは新年度第一回SOS団全体ミーティングを始めます!」
極(上(の笑(顔(と声と態度で叫(んだ。
通算何度目なのか、記録も記(憶(もしてなんぞいなかった俺と同じでハルヒも覚えていなかったらしく、あっさり数字をリセットされたミーティング内容は次のようなものだった。
「今度の土曜日、つまり明日! 午前九時に駅前にて全員集合すること。そろそろこの世の不思議が登場してもいいと思わない? 長いこと前振(りしたんだし、きっと向こうもあたしたちの気合いに応(えようって気になってるような気がするわ。それに春だし! ぽかぽか陽気であったかくなって、うたた寝(しているところをすかさず捕(獲(するってわけ」
現(役(を引退したシャミセンじゃあるまいし、野(良(猫(でもそんな手が通用するとは思えんが。
「あのね、キョン。この団を設立してそろそろ二周年目なのよ。期限は迫(ってんの。一年間活動やってて結果ゼロじゃあ示しがつかないでしょ?」
誰にだよ。
「自分自身によ! 他人にはいくら優(しくしてもいいけど自分のことは厳しく律しないと人間ダメになるわ。こういうの、何て言うんだっけ? 薄(利(多売じゃなくて自給自足じゃなくって艱(難(辛(苦(でもなくて……、みくるちゃん解る?」
「え」
いきなりふられた朝比奈さんは、顎(に人差し指を当てて、
「うーんと、自(賠(責(保険ですかぁ?」
「信(賞(必(罰(ですかね」
指に挟(んだ黒石に注視する目を据(え置いたまま古泉が取って付けたようなコメントをし、俺も何か言うべきかと考えていると、
「そのような意味に該(当(する四字熟語は辞書的に存在しない」
長門がポツリと言葉をこぼしてくれたおかげで、俺は発言の機会を喜んで放(棄(する。それこそ自作すればいい。他愛自厳てなのはどうだい。
ハルヒは俺ではなく長門に目を向け、
「そうだっけ? あったような気がするけど」
全体とは名ばかりで、俺たちの意見など立て付けの悪い板戸の隙(間(ほども参照しない団長は、それで納(得(したようだ。
「ではミーティングを終わります。下校時間が来るまで自由時間!」
すとんと椅(子(に腰(を下ろし、再びパソコンいじりを開始した。
学内に居座っている生徒を追い立てるチャイムが鳴ると同時に長門が本を閉じ、その仕草を合図として俺たちは一日の終(了(を知る。ある意味、各種セミの鳴き声並みに正確な時間割行動だ。
朝比奈さんの着(替(えを待ったのち、部室を後にしたのは、まだ少し肌(寒(い日暮れ間(際(の候だった。
下校ルートの坂道をだらだら下っていると自然に男女間で距(離(ができる。ハルヒと朝比奈さんが肩(を並べて先頭を行き、少し離(れて長門が黙(々(と両(脚(を交(互(に動かしている。
数メートル後ろで、俺と古泉は三人娘(の背中を眺めながらしんがりを務めていた。せっかくの機会なので訊(いてやろう。
「どうだ、調子は」
「昨日の今日です。現状に変化はありません」
古泉は即(席(乾(麵(のような微(笑(面(のまま答え、
「僕の取り越(し苦労なのかもしれませんね。長門さんと朝比奈さんの反応からして、とりたてて佐々木さんを意識しているようには思えません。この度(の閉(鎖(空間発生が一過性のものだったらいいのですが」
新学期が始まってからしばらく経(つが、長門と朝比奈さんが俺の元同級生に言(及(したことはなかった。当たり前だ。昔の知り合いと立ち話するのに逐(一(気を遣(っていては俺の神経が保(たん。
「佐々木さん以外の誰かでしたら、そのような気遣いは無用ですよ。彼女だから問題なんです」
あいつはちょっと変わってるだけの女だ。ただの通りすがりだろ。
「あなたの意見に諸(手(をあげて賛成しますよ。僕もそう確信している。理(屈(抜(きで、それは我々にすれば自明のことなんです。僕が恐(れているのは勘(違(いをする人々です。そして、その誤解を利用しようとする人々もね」
「何だそりゃ」
国木田や中河に利用価値があるとは思えんぞ。
俺の疑念に対し、
「あなたのお知り合いの中でもそのお二方はシロですよ。ですが──」
古泉はご丁(寧(に鞄(を提(げ直してから肩をすくめた。
「いえ、やめておきましょう。杞(憂(ならばそれに越したことはありません。ああ、これだけはご安心ください。佐々木さんに何らかの危害が加えられるような事態は確実に皆(無(です。『機関』はそんなことをしません。理由がないのでね」
当然だろう。何を言ってんだ、お前は。
「これは失礼を。あなたの杞憂を解消しようとしたんですが、いや、忘れてください。今のは蛇(足(でした」
世話好きな下級生が見たらコロリと墜(ちそうな、哀(愁(漂(う微(苦(笑(を浮(かべ、古泉は前を向いた。その視線の先を追うと、長門の後ろ頭の向こうでハルヒが朝比奈さんと楽しそうに談笑する横顔が覗(いていた。
その日。
いつもと同じ下校シーンを演じ、俺たちは光(陽(園(駅前で解散した。
「また明日ね」
ハルヒは「たまにはあたしより先に来なさいよね」と本心かどうか解(らん顔つきで俺を睨(め付け、制服のリボンとスカートの裾(を翻(し一番に背を向けて、朝比奈さんが小さく手を振(ってから団長に続いた。ふと姿を捜(すと、長門の小(柄(な後ろ姿は自宅マンション方面にすでに遠ざかりつつある。
「明日、何事も起こらなければいいのですが」
最後に古泉が独白めいた口調で呟(き、俺はそんなはずあるかと思った──。
──の、だが。
古泉の見通しは甘(かった。同時に俺もだ。
この時、事態はすでに進行しつつあったのだ。誰も気づかなかっただけで、それはもう始まっていたんだ。俺を初めとする全員は、とっくに渦(中(に放(り込まれていた。SOS団だけじゃない。国木田も谷口も中河も須藤も、俺が知るのと知らざるのとにかかわらず総(ての者たちが。
しかし俺がそれと悟(るには、さらなる日時の経過が必要だった。明日? そんなもんじゃ生(温(い。だが、その前兆めいた出来事がこの翌日にあったのも確かだ。
単なる前兆か、偶(然(を装(った必然か、誰の仕向けたことなのか……。
土曜日の朝。午前九時前の駅前で、俺は二人の人物と再会し、見知らぬ一人と初顔合わせを果たした。そして、さらにもう一人の顔見知りがすぐ近くに潜(んでいると教えられることになる──。
その日、俺は珍(しく目覚まし時計と妹より早く目覚めると、一日の始まりの作業として俺の枕(に頭を乗せて眠(っていたシャミセンをまず床(に転がして落とし、次に自分の身体(を起きあがらせた。
快活そのものの爽(やかな覚(醒(だ。休日の朝としては久々の感覚がする。まるで体重が半分になったように手足が軽い。やはりアラームや妹に頼(らない自然の目覚めが健康の秘(訣(か。
俺は足取りも軽(やかに部屋を出ると、これも久しぶりとなる妹抜(きの朝食を摂(り、即(座(に着(替(えて自転車に飛び乗った。早い早い。時計はまだ午前八時を過ぎたあたりだ。このぶんではハルヒを出し抜けるかもしれない。あるいは空気を読んだ古泉が気を回してラストランナーになるかだな。一回ぐらいハルヒに奢(らせてもヘソを曲げたりせんと思うのだが、一高校生の財布の中身より『機関』とやらの資金は潤(沢(だろう。古泉のバイト料も豊富に違いない。
快調に自転車を走らせる俺の目の端(々(に、地に落ちたピンクの紙(吹雪(が映る。一雨来たら桜の木たちの今年の仕事は完全に終(了(しそうだ。
駅前駐(輪(場(の前までチャリを転がしてきたところで、俺は左右を確(認(する。
佐々木がひょっこり出てきそうな予感があったからだが、言うまでもなく、自(称(中学時代の俺の親友は視界の中にいなかった。古泉のためにも安心してやろう。自分のためではなく。
腕(時(計(を見るとまだ待ち合わせ時間まで三十分以上ある。今日は余(裕(だな。
俺は鼻歌まじりに自転車を一時有料スペースに置き去り、悠(然(たる面(持(ちで集合ポイントに向かい、SOS団の誰も来ていないことを発見した。
だが、会心の笑(みを浮かべることはできなかった。それどころか明るかった日差しが暗転したような気すらした。
愕(然(として足を止めた俺に、
「やあ、キョン」
佐々木がドッキリに成功した仕(掛(け人のようなスマイルで、
「また、会ったね。非常に喜ばしいことだ。キミにとってはそうではないかもしれないが、あいにく僕はこの状(況(に少しばかり楽しみを見いだしている。といってもエキサイティングというよりは、インタレスティングと言うべきだが」
俺は朽(ち木のように立ちつくす。
佐々木は一人ではなかった。両(脇(にあわせて二人の少女を随(伴(している。そのうち一人の顔は絶対に忘れたりしない。俺の脳内にある指名手配書にしっかり刻まれたツラだ。とっさに殴(りかからなかったのは、ひとえに俺がこの一年で培(った自制心のたまものである。
「お前……!」
よくも、ノコノコと。
「こんにちは」
ひょいと頭を下げ、そいつはニッコリ微(笑(んだ。
「ご無(沙(汰(していました。あなたの未来人さんはお元気? 朝比奈さん。んふっ。そんな顔しないでよ。あたしたちはそっちからは手を引いたのです」
先々月、二月の中(旬(にあった事件の顚(末(が一気に頭を走り抜けた。
八日後からやってきた朝比奈さん。朝比奈みちると名付けたのは俺だった。俺と彼女は朝比奈さん(大)の指令書によっていくつかのお題をクリアすべく走り回ることになった。空き缶(と釘(のイタズラ、鶴屋山のひょうたん岩、カメと少年、謎(のデータ記(憶(媒(体(といけ好かない未来人……。
そして朝比奈さん誘(拐(事件。
掉(尾(を飾(ったカーチェイスの最後の最後、新種の男未来人とともに現れた誘拐犯どもの中にいた女だ。誘拐グループのリーダーのように振(る舞(っていた紅一点。森(さんの恐(怖(を通過して失神しそうな笑顔を向けられても平然としていたあの少女。
そいつが佐々木の真横、俺の目の前に立っている。
俺と誘拐女の確(執(を知ってか知らずか、佐々木は緩(やかに片手を割り込ませて、
「紹(介(するよ、キョン。彼女は橘(京(子(さん。僕の……そうだねえ、知人と言うべきだろうね。最近知り合いになったばかりで、友人と呼べるほどの交流はまだない。橘さんの話はところどころ興味深いが」
佐々木はくつくつと喉(奥(で音を立て、
「その顔じゃあ、彼女とはどこかで会ってたみたいだね。それもあまり良くない出会いかただ。予想はしていたけれど」
「佐々木……」
俺は老人のようなしわがれ声を出した。
「そんなヤツと付き合うのはやめろ。そいつは……」
──俺たちの敵だ。
「そうみたいだね」
佐々木は何気なさそうに、
「でも僕の敵ではないみたいなのさ。そこが少し面白い。途(方(もない話を聞かせてくれたよ。僕には理解しがたいが、思考するだけならいい気晴らしになる。精神的エアロビクスにね。納(得(はできない、しかし認識はできるといった感じだろうか」
誘拐犯──橘京子は微(笑(ませた唇(をわずかに尖(らせ、
「いやだ、佐々木さん。あなたにはぜひ納得して欲しいのです。でないと、」
まるでペットショップの店頭に並ぶ檻(の中の子犬を見るような目を俺にくれ、
「この人には話が通じそうにないから。あたしの言うことなんか三秒以上聞いてくれないでしょう。違(う?」
違わん。あまりにも当たり前だった。朝比奈さんを拐(かすような人間は誰だろうが弁護人抜(きで即(刻(法(廷(で裁かれるべきに決まっている。古泉はまだ来ないのか。森さんと新川さん、多(丸(氏兄弟は?
「キョン、聞いているかい?」
ちょっと待っててくれ佐々木。俺は今、まだ信(頼(を置いてもよさそうな人たちの姿を探している最中なんだ。
「それはすまないね。でも、どうしてもキミに紹介しておいたほうがよさそうな人がもう一人いるんだよ。取り急ぎ、優先順位をこちらにくれないだろうか」
誰だ。あの性格の悪そうな未来人野(郎(なら改めての紹介なんかいらんぞ。
「キミが誰のことを言ってるのかはおおよその見当がつくけど、さしあたって彼ではないよ」
佐々木は橘京子の立ち位置とは反対側の手を挙げて、
「キミと二メートル以内の空間範(囲(で同時存在してみたい、と僕は言われた。まあ、引き合わせてもいいと思ったのでね。放置していたらキミにより以上の迷(惑(をかけそうな雰(囲(気(だった。彼女は……そうだね、ストレインジというよりは、ちょっとキュアーかな」
俺は佐々木の指先延長線上を見る。
最初、何がそこにあるのか解(らなかった。
黒いインクを水で満たしたグラスに垂らしたような、ぼんやりと滲(む靄(みたいなもの…………それがファーストインプレッションで、自分の網(膜(に映っているものがよく見かける女子校、光陽園女子の黒い制服姿だと脳が認めるのに数秒もかかった。
なのに認(識(した瞬(間(、その少女は百年前からそこに立っていたような確固とした存在感を俺に与(えた。なんだ、この威(圧(感は。
苔(むした言葉の一つにある、異(彩(を放つ、という表現がこれほど当てはまる人の姿を生まれて初めて見た気がする。
「な……?」
完全無欠に初対面だ。こんな少女を一瞬でも目に入れたら忘れるはずはない。
だが、この真冬の雪山のような寒気を伴(う肌(触(りは何だ。似たような気配をどこかで感じたことが──。
そいつが緩(慢(に顔を上げ、相(貌(と表情を露(わにした瞬間、全身が総毛立った。こいつは幽(霊(だ。それか人外だ。人間じゃない。
「────」
長門よりも無機質な白い顔のその女は、たとえようもなく黒い硬(質(ガラスのような瞳(と、つや消しスプレーを吹(きかけたカラスよりも暗い色の髪(を持っていた。その髪は腰(よりも長く伸(び、おまけに波(濤(のように波打っている。まるでやたらと長くて量の多いモップのような髪の毛だ。下に行くほど左右に広がり、表面積のほとんどを髪が占(めていると言っていい。翼(のように羽ばたいて空を飛んでも不思議ではないほどの、あまりに特(徴(的な髪型をしている。目立って仕方がないはずなのに、佐々木に言われるまで姿形がまったく見て取れなかったのは、これは完(璧(に異常事態だろう。
素(早(く周囲をうかがうと、案の定、通行人たちは佐々木や橘京子には目を留めるが、こいつには目もくれない。
「何もんだ、お前」
「─────」
直立したまま、そいつは言葉を発することも瞬(きもせず、神社でハトの群れから一匹(を識別しようとするかのような目で俺を見ている。機械よりも機械的な視線だった。どんなにヘボいデジタルカメラでももう少し人情味溢(れるレンズを持っている。
「────」
長門とは似ているようで種類の違う無表情だ。メーカーと工場と原産地が違う。長門が野外に放置した氷なのだとしたら、こいつはドライアイスだった。解けることのない、蒸発して消えるだけの冷気の塊(みたいに。
薄(い色をした唇が義務的に動く。
「──ああ……」
重たげに開いた口が吐(いたのは、白い煙(ではなく意外に普(通(に人間の言語だった。構えていただけに、やや虚(をつかれたことを白状せねばなるまい。
「わたしは────観測する。ここは────とても…………時の流れが遅(い場所。温度が────退(屈(」
眠(たさが極限に達したあまり死にそうでもあるかのような声質をしている。声に色があるのだとしたら、古びた映画のようにモノトーンでセピアチックなシロモノだ。
そいつは俺から目を逸(らさず、
「──今度は…………間違えない───あなたが…………それ」
とことん意味不明なことを言った。見かけが見かけだけに、この辺のところは奇(妙(に印象と合(致(していた。しかし何だ、この違(和(感は。既(視(感は。
「────わたしは─────」
実にゆっくりと、そいつは言葉を続けた。
「九(曜(────」
「くよう?」
どんな字を当てはめる、と聴(きかけた刹(那(、
「周防(────」
「はぁ?」
くようすおう、でいいのか。
「……──周防──九曜──」
何なんだ。どっちだよ。こいつ、頭のギアが五枚ほど欠けてるんじゃないか?
佐々木の低く小さな笑い声が俺を現実に返した。
「キョン、彼女はずっとそんな調子だよ。面(白(い人だろう? 僕は九曜さんと呼んでいるが、欠けているのは歯車ではなくて、固有名詞に対するこだわりさ。彼女は個人というものが上手(く認識できないようなんだ。いやいや、病気ではないよ。端(的に、そういう人なのさ。それ以外に説明できない」
しかしこの九曜なる女の応対は、会話の成り立たなさで初対面時の長門を遥(かに凌(駕(する……。ん? 長門?
──まさか、もうどっかその辺にいるんじゃなかろうな。
──ありうる。
冬休みのSOS団合宿。スキー場の猛(吹雪(。幻(のように浮(かび上がった雪の中の館(。そこで長門は熱を出して倒(れ、俺たちはそこから長門のヒントとハルヒの直感と古泉の機転によって脱(出(し、今では白昼夢とされた一つのエピソード。
情報統合思念体とは別口の地球外生命体────広域帯宇宙存在。
「そうか」
俺はそいつの顔を二度と忘れないように脳(細(胞(のメモリ空間に焼き付けた。
「てめえか。長門とは種類の違う宇宙人ってのは……」
「──宇宙……人──? それは───何──」
「しらばっくれるな」
俺だってこんな簡単な事件編の解答編なら速効で弾(き出せるさ。誘(拐(犯(、橘京子は古泉たち『機関』と対立している。朝比奈さんの担当はあの未来人野(郎(に相(違(ない。引き算ですぐに出てくる答えだろうが。長門に対応しているのは、こいつ、周防九曜でドンピシャ、今すぐタリホーと叫(びたい衝(動(に駆(られる。
かつて、鶴屋家からの帰り道で会った古泉のセリフが蘇(った。
──たとえ話をしましょう。ここにAという国とBという国が(中略)Aに敵対する勢力Cと、Bに敵対する勢力Dが(中略)そのCとDが同盟を結び(後略)──。
ついに来たか。長門たち情報統合思念体がFだとしたら、Gの勢力の尖(兵(が。
身構える俺を銅(鐸(のレプリカを見るように、
「───あなたの──」
九曜は古くなって伸(びきったカセットテープのようなピッチの狂(った声で、
「瞳(は────とても───きれいね……」
パーフェクトに無意味なセリフを吐いた。
結論。
こいつは長門や喜緑さんや今はなき朝(倉(涼(子(よりも出来の悪い宇宙人だ。いくら真意を探(ろうとしても時間の無(駄(にしかならない。探りたくもあるものか。まったく仲よくなりたくはない。
「キョン、キミはそう言うがね」
佐々木は吹(き出す代わりに腹を押さえ、
「僕には彼女たちしかいないんだ。他(に寄ってきてくれた人はいなかったよ。北高にはバラエティに富んだ九曜さんのような人がたくさんいるのか? それはそれでよさそうだけど、残念ながら僕は北高生ではない。文句を言いながら、あと二年を過ごさなければならないんだ。首(尾(良く志望大学に受かったら、そこで死ぬほど楽しんでやるつもりだよ」
「佐々木」と俺は旧友に言った。「お前、こいつらの正体を知ってんのか」
「聞かされたからね。今は知っている。かなり突(拍(子(もない話だったよ。だから信じているかどうかと言うと、ちょっと微(妙(だった」
俺を見る佐々木の目は崩(した線のように笑っていた。
「でもキミの反応で解(ったよ。彼女たちは本物なんだね」
九曜と橘京子へ、湯通しするようなサラリとした目を向け、
「地球外知性の人型イントルーダーと、リミテッドな超(能力使い。それから未来人だったかい? スリーカードというよりは三重苦って気がするけど、なるほど。信じる気になってきた」
やめとけよ、佐々木。そんなヨタ話に付き合うな。俺の二の舞(になるぞ。くそ、九曜とかいうバケモノはともかく、橘京子ともここが初対面なら俺も違(った反応をしたのに、なまじ顔を知ってて余計な態度を取っちまった。佐々木は頭も目もいいヤツだ。今からしらばっくれても俺の説得能力じゃ歯が立たない。
張本人の橘京子は、犯罪者とは思えないくらいの温かな顔で微(笑(みっぱなしだ。こいつ、二月にわざわざあんな真似(をしたのは、この時の演出を狙(っていたからなのか。ということは、あの未来人野郎もか。どこにいやがる。
疑(惑(の眼(差(しをほうぼうに向ける俺に、橘京子が、
「バカバカしいから遠(慮(する、ですって。どこかにはいるでしょうけど。今日は顔出ししないみたい」
今日、というところにアクセントを置きつつ、野郎の伝言を告げてくれた。
顔を見たくないのはお互(い様だ。できれば謎(の娘(二人にも辞退願いたかったが。
「そうもいきません。だって延ばし延ばししててもいつか必ずこうなったわ。これでもずいぶん待ったのです。もういいんじゃない?」
口を閉じて声に出さない笑い声を出してから、
「たぶん彼もそう思ってます。来るべきものは来るものよ。どんなに先延ばししても、避(け切れないことってあるのです。早いほうが傷も浅くてすむでしょう?」
今度は「カレ」という二音を強調し、てっきりそれは未来男のことかと思ったら、違った。
橘京子の視線は、俺を透(明(人間だと見なしているかのように通過して、そのまま背後へと向いている。戦(慄(すら覚えるイヤな予感が背筋を走り抜(けた。たまに思うんだが戦慄だの恐(懼(だの名状しがたいだのってのは、表現としてよく使うが本当の意味とそんな感覚はめったにお目に掛(かれない。絵に描(いた餅(とかネギを背負ったカモなんてのもだ。
すべて吹き飛んだ。解った、これだ。今、俺は言語表現では到(底(言い表せない名状しがたき戦慄と恐懼を覚えている。
振(り向く。
古泉が立っていた。駅の改札方面から来たのだろう、ラフな中にも格好つけた非の打ちどころのない装(いで身を包み、まるで俺が気づくのを待っていたような風体でパンツのポケットに手を突(っ込んで、手持ちぶたさそうにしている。
古泉だけならよかった。俺が相手をしている三人と対等に論戦を繰(り広げられそうな唯(一(の北高生なんだしな。
「う……」と俺は一しずくの汗(をタラリと垂らす。
どう考えても最悪なのは、古泉の横に涼宮ハルヒというSOS団の絶対権力者がいて、まるで代官の悪事を目(撃(した守護大名のような表情で俺をポカンと眺(めていることであり、さらにその斜(め後ろに長門と、ついでに朝比奈さんまでがいたことだ。
要するに、SOS団団員がいつのまにか集合場所に揃(っていた。しかも全員、直接フリーキックを防ごうとする壁(を作るようにして、俺と佐々木たちを遠巻きにしてるってこった。
時計を見ると午前九時までは十五分あまり残している。何(時(からそこにいたのかは知らないが、道理でいつも時間オーバーしているわけでもないのに俺が最後になっちまうわけだぜ。
しかし、そんな余(裕(をぶっこいている場合でもなかった。
ハルヒは俺と目が合うや、ずんずんとこちらに向かって来た。その後ろをお雛(様に付き従う三人官(女(みたいに他のメンツもついてくる。さぞ毎回疲(れるだろうにスキのない服装の古泉、相も変わらず言わない限り制服を着続ける長門、春らしく抑(え目なファンシースタイルの朝比奈さん。
巨(大(な雲海を伴(う超(低気圧の接近をレーダーで捉(えた管制官のような気分だ。
ハルヒは大(麻(の香(りを嗅(ぎ取った空港の麻(薬(探知犬のように立ち止まると、
「あたしたちより早く来るなんて殊(勝(なことだと思ったけど、なに? 先約があったの?」
「たまたまだよ」
佐々木が答えた。ただしハルヒではなく、俺を見ながら。
「ここいらに住んでいると、どうしたって落ち合う場所としてここはうってつけなものだからね。僕は僕で知人と会う約束をしてたのさ。キョン、キミと同じで僕にだってキミの知らないうちに友(誼(を結ばんとしている人の数人はいるのだ。こうして集まったことだし、そろそろ退散させていただこう」
それは助かるな。悪いが一刻も早く退散して欲しい。だが、近くの喫(茶(店(には入ってくれるな。そこはこれから俺たちが行く場所なんでな。席が空いてなきゃ困る。
「よかろう。考(慮(するよ。別れたばかりなのにすぐまた再会するのは気まずいからね。とりあえず電車にでも乗って遠くへ行こうと思う」
ちゃんと俺の意をくんだ返答をして、佐々木はハルヒに一礼し、
「涼宮さん、キョンのことをよろしく頼(みます。どうせ彼は高校でもせっつかないと勉強や課外活動に力を入れたりしてないんでしょ? 彼のご母堂の堪(忍(袋(の緒(が切れる前になんとかしないと、中学同様、放課後に予備校通いを強(いられることになるでしょう。たぶん、この一学期、次の夏休みまでが限度ね」
「え。あ。うん」
ハルヒは絶句するのを無理に回(避(したような言葉を漏(らし、山歩き中に新種の昆(虫(を発見した子供のように目を丸くした。
誰かが俺の動(揺(を誘(う目的で仕組んだのだとしたら、本来ならこの二人のやり取りで充(分(なはずだった。しかし俺は、まだ上には上がいることを思い知る。
休みの日で人の流れの多い駅前、高校生が数人固まっている風景など、特に注目することなど何もない日常のスナップショットだ。
しかし、その一角で、俺は確かに見えない巨大な何かがぶつかり合って軋(んでいる──聞こえるはずのない音を聞いたように思った。
佐々木がハルヒに笑(顔(を見せているのと同じく、橘京子と九曜はそれぞれ別の方角に視線を向けていた。橘京子の瞳(に映っているのは我が副団長殿(の頭の先から爪(先(までスタイリッシュないでたちだ。
挨(拶(の言葉は何もない。古泉の微(笑(みポーカーフェイスも変わらない。どことなく迷(惑(そうであったが、それと気づいたのは俺だけだったろう。一方、橘京子はようやく晴れ舞(台(に立てた新人女優のように満足そうな顔をしていた。
しかも軋(轢(の音の発生源はこの二人ではないんだ。人間同士の対面にそんな大それた震(動(は検知されない。
遥(かな地下で大陸プレートと海洋プレートがせめぎ合っているような、精神的に足元が不安になるこの感覚を俺に与(えているのは──。
「…………」
「────」
互(いに見つめ合って動かない二つの人(影(、長門と九曜だった。
思い返せば、そうだな。俺は長門が怒(り狂(っているような場面に何度か立ち会ったことがある。コンピ研とのゲーム対決、生徒会長の文芸部廃(部(宣言とかな。対朝倉戦の時はそんなものを感じる余裕がなかったし、あの時点での長門はそんな感情などなかったかもしれん。
しかし今、ようやく解(った。
長門の感情変化を読み取るまで鍛(えられたと自負していた俺の眼力が、まだまだ中級レベルだったということを。
「…………」
一心不乱に無表情な長門の質(実(剛(健(なまでに無感情な双(眸(には、腰(が砕(け落ちそうになるほどに何もない虚(無(が反射していた。その透(明(感のある瞳に投(影(されているのは、周防九曜と名乗った別種類の宇宙人製人間モドキ。
周囲の喧(噪(も次々通り過ぎる通行人たちの姿も、どこかここではない遠くにあるように感じる。今すぐ地を割って巨大カマドウマが登場してもおかしくないと思えるほどだ。
まるで異空間に閉じこめられたような現実喪(失(感覚──。
「あっ、あのう」
それを解除してくれたのは下界に舞(い降りた妖(精(であり、俺の視神経と愛護精神の支えでもあるお方だった。
「キョンくん? どうしたんですか? 顔色がよくないですよ……」
朝比奈さんが心配そうに俺を見上げている。
「風邪(ですか? あっ。汗(かいてます。ハンカチ、ハンカチ」
ポーチに手を入れて、そっと花(柄(ハンカチを出すと俺に差し出してくる。
おかげで一気に目が覚めた。
「だいじょうぶです、朝比奈さん」
小(綺(麗(なハンカチを俺の汗などで汚(したくはないね。こんなもん、シャツの袖(口(で充分です。
あの未来人野(郎(に一時的感謝だ。あいつがいなかったせいで朝比奈さんは古泉や長門みたいににらめっこする相手を見つけなくて済んだんだからな。
俺が台本もなしに大統領選挙応(援(演説TV中(継(生放送の場に立たされたスポークスマンのような汗を拭(っていると、
「キョン、僕はもう行くよ」
ハルヒと何か会話していた佐々木がそっちを切り上げ、
「そうそう。そのうちでいいから一度須藤に電話してやってくれないか? 本格的に同窓会を企(画(し始めたみたいでね。この前また僕のところに連(絡(があった。どうやらキミを北高担当窓口にしたいみたいだよ」
なぜ俺じゃなくてお前に言うんだ。須藤が気があるのは岡本じゃなくて佐々木じゃないのか?
「それはないね」
佐々木はあっさりとした口調で、
「僕は誰かに好かれるようなことを何もしていない。誰かに好意を振(る舞うこともだ。それはキョン、キミが一番解るだろう?」
いや、解らんが。
「そうかい?」佐々木はくくっと笑い、「なら、そういうことでいいよ」
謎(のようなセリフを言い、挙げた片手の手のひらを返した。
「では」
佐々木は俺の横を通って改札口へ歩き出し、橘京子と九曜も静かに移動を開始した。前者はまるで気取ったような素知らぬ顔で、後者はぼんやりとした靄(のように。
古泉と長門が座(禅(修行中のような無言でいる中、朝比奈さんだけがキョトンとしていた。どこまでも安心させてくれるお方だ。愛らしすぎて目(眩(がする。アイラビンニュー朝比奈さん、抱(きしめて差し上げたい。
三つの姿が駅に消えるのを見送ってから、ハルヒが呟(いた。
「やっぱり風変わりね。うーん、でも、あんたの知り合いにしては面(白(いキャラだわ。不自然に作ってる感じがするけど」
お前にそう言われたら褒(め言葉ととるだろうよ。佐々木はそんなヤツさ。
「そうね、あんたよりは友達多そう」
俺よりよほど社交的だったのは真実だ。だがなあ、佐々木。
溜(息(を押し隠(しつつ、俺は胃の奥で言葉を転がした。
まさか宇宙人や未来人や超(能力者と友(誼(を図(らんでもいいじゃないか。いくら知人の環(を広げるにしたって限度ってものを設定しとかないと。
んなこと考えていたのが悪かったんだろう。この時の俺はいまいち頭が回っていなかった。
橘京子には古泉、周防九曜には長門、名無しの未来人には朝比奈さん……。
では佐々木は? すっかり抜(け落ちていた。
あいつが誰と対応するのか、全然考えもしなかったんだからな。
佐々木および余計なオマケ二名と別れた数分後、俺たち五人はまるで義務であるかのように喫(茶(店(に転がり込んでいた。得々と語るハルヒによる本日の予定を粛(々(と聞くためである。
今回ばかりは俺の奢(りにはならないはずだ。集合場所に一番に到(着(したのはこれでやっと二回目で、本当なら記念すべき事(柄(なのにいまいち喜べないのは、誰かを待っていたという感覚を持てないからだろう。長門と古泉と朝比奈さんが欠席したあの日、のんびりハルヒを待っていたあの時が懐(かしい。結局はあれも俺が金出したんだが、それでもだ。
「改札口でみんなと一(緒(になっちゃったのよね」
と、ハルヒはアイスアメリカンをチュガガガガと音高く飲みつつ、
「だから誰かが最後ってわけじゃないの。あんたが最初ってだけよ。だから今回はワリカンにしましょ」
何が「だから」だ。二回も言いやがって。接続詞のリフレインは頭悪く見えるぜ。それから勝手にルールを作りやがるな。だったら俺も長門か朝比奈さんと示し合わせてオクラホマミキサー踊(りながら来てやる。
「それはダメ」
くわえたストローをプラプラさせて、
「あらかじめ談合しようったってそうはいかないわ。いっとくけどあたしは騙(されないわよ。発覚したら罰(金(十倍の刑(だからね」
んなもん誰が調査するんだよ。口裏を合わせてたらバレようもないし、公正取引委員会ならまっ先にハルヒのところに行くべきだが、まあいいさ。罰金十倍となれば定期の解約どころか赤字手形の発行を銀行役に頼(まねばならん。
「ところで今日のことだけど」
お冷やを飲み干したハルヒが一同を見回したので、俺も同調して他(三人の様子をうかがった。
セイロンティーのカップを上品に両手で包んでいる朝比奈さんはいつもの調子で熱心にハルヒの言葉に耳を傾(け、長門はちびちびとしか減らないアプリコットの水面を見つめており、古泉は腕(を組んだ微(笑(みくんとなっている。
見かけ上、SOS団団員に変わりはない。長門はともかく、古泉が通常営業時の外面を崩(さないのはあっぱれだと褒めてやるべきだろうか。それも込みで、この二人とは少しばかり話をしたい。
どうせ次のシーンはハルヒの好きな班分けクジ引き大会になるだろうからな、と思っていたら、
「二手に分かれるのはやめにするわ」
などと言い出した。
「思ったんだけどね。二人と三人で別行動にしちゃうのが悪かったんじゃないかしら。やっぱり一つの場所を巡(るにしても、たくさんいたほうが何かに気づきやすいでしょ。二人と五人じゃ二倍以上の差があるわけだしね」
ハルヒは俺に尋(問(する目線を投げつけ、
「特にキョンなんか、あんた、まじめに不思議探ししてないんでしょ。図書館で寝(てたりしてたもんね」
よく覚えてるもんだ。俺は長門と朝比奈さんがわずかに身じろぎするのを視界の端(で捕(捉(しつつ、
「なあ、ハルヒ。お前の言う不思議なものってな、何だっけ。すまんがそろそろ忘れてきたのでここでもう一回聞かせてくれ」
「そんな初歩の初歩、覚えておきなさいよ」
ハルヒは頰(にかかった髪(をうるさげにかきあげて、
「とにかく不可解なものなら何でもいいわ。疑問に思えること、謎(っぽい人間、時空が歪(んでる場所、地球人のフリしたエイリアン、その他もろもろ」
ほとんどのものが今ここにいるメンツで説明がついてしまうのだが──と考えながら、俺は心中で吐(息(を漏(らしていた。
長門と古泉には時間を改めて顔を合わさなければならないようだ。集団行動の最中にハルヒの目を盗(んでヒソヒソ話をする雰(囲(気(ではない。リスキーすぎる。
長門と古泉の顔色を見る限り、そして朝比奈さんが普(通(に朝比奈さんしていて、未来から俺がもう一人やって来て事態を引っかき回していないだろうところも見ると、そんなにせっぱ詰(まったことでもないという推測もできる。
何よりもだ、と俺はハルヒを眺(めた。
こいつが素(っ頓(狂(なまでに求心力全開でいる。なら、大(丈(夫(だ。自分に言い聞かせるまでもなく、何も混乱することはない。
存在自体がスットコドッコイな我らがSOS団はいろいろあって今や呉(越(同(舟(一(蓮(托(生(自(縄(自(縛(なのであるから、船頭の目が黒いうちはどこまでも海上交通安全法を無視して突(っ走ることになっているのだ。インド亜(大陸を目指して出航したはずがアララト山頂に到(着(していたなんてことさえ造作もない。
俺は今にも席を立ちそうなハルヒの全力オーラをひしひしと感じつつ、グラスの底に残ったアイスオーレを解けて小さくなった氷ごと口に流し込んだ。
「じゃ、そろそろ行きましょ」
ハルヒはテーブル上の伝票を反射的に俺に回そうとして、瞬(間(、ワリカン宣言を思い出したらしい。取り繕(った澄(まし顔で空のグラスに刺(さっているストローをくわえた。
それから数時間、俺たちは駅を中心に練り歩き回った。
メインストリートを少し外れると、一ヶ月前はなかった建物や店が忽(然(と姿を現したように建っていたり、あるいは搔(き消されたように無くなっていたり、やけに時間の経過が速いように思えるが商業主義に毒された現代ではこれが普通なのかもしれない。俺の家の近所で俺が生まれる前から店を開けている酒屋のほうが時代から取り残されているんだろうか。コンビニなんかできたと思ったらすぐさま撤(退(し、また別のコンビニが開店するみたいなロシアンルーレット的慌(ただしさだというのに、しかし昔の風景が昔のままだと妙(に安心するね。
ありがたいことに、佐々木たちのグループと再会することはなかった。角を曲がるたびに身構えていたのだが、佐々木は本当に電車に乗ってどこぞに行ってくれたようだ。あの二人を連れてきたのはクレームものだが、まだ配(慮(というものが解(っている。感謝しておくべきだろう。
この日は一日、俺たち五人は一塊(りになって移動した。それは店主が趣(味(でやっているような独特のメニューを誇(るカレーショップで昼飯を食ってからの午後の部でも同じだ。まるっきり、ハルヒと朝比奈さんのウインドウショッピングに他三人が付き合っているだけみたいな気がしたし、ハタ目からもそう見えたに違(いない。
ファンシーショップの雑貨コーナーで目を輝(かす朝比奈さんとか、眼鏡(屋の店頭でハルヒに各種サングラスをかけられるがままになっている長門とか、おべんちゃらや天気やら自分のクラスについての話題を提供する古泉とか──。
あまりにも普通すぎて、それがかえって不可解だ、みたいな一日がこうして過ぎていく。
ああ、楽しかったさ。文句あるか。
その夜のことだ。
何一つ不可思議な事象に導かれることなく新年度第一回不思議探(索(ツアーは終(了(し、ハルヒが解散の号令を発すると同時に速(やかに帰宅した俺は、晩飯を喰(ってしばらくウダウダした後、妹の次に風(呂(に入っていた。
猫(用のものより安価なシャンプーで頭を洗い、身体中の垢(と埃(を落とし終えて湯船に浸(かって、何度も聞かされたせいですっかり耳になすりつけられていた妹作詞作曲なる通(称(『ごはんのうた』を鼻歌などで唱っていると、いきなり風呂場の扉(が開いて、
「キョンくんー電話ー」
一足先にパジャマ姿の妹が首を覗(かせた。
電話か。まあ、何か来るんじゃないかと思っていたさ。俺にも用がある。古泉か長門だろうと覚(悟(していると、妹は子機を持って破顔しつつ、
「お兄さんいますかーって。キョンくんならいますよーって」
俺への呼(称(は前者に回帰しろよな。
「誰だ」
「おんなのひとー」
妹はひらがなで喋(っているような声で言い、俺は意味なく頭に乗せていたタオルで手を拭(くと妹が握(っている受話器を受け取った。
誰からかかってきたのか名前を聞いておけといつも言っているだろう。怪しいテレフォンセールスや要(らん教材の押し売りだったらどうすんだ。
「あ、キョンくん。お風呂出たら宿題教えてね。さんすう~どりーる~んー」
妹はキテレツな節回しで歌い終えた後、てれりんと舌を出すと、幼(稚(園(児(みたいな稚(拙(なスキップで脱(衣(所(を出て行った。
こんな時間、タイミングで俺に電話する女?
ハルヒでなければ誰だろう。今朝のこともあるから長門か? あるいは朝比奈さん……それも(大)じゃないだろうな。変な忠告ならあんまり聞きたい気分じゃねえぞ。
「もしもし」
うっかり湯船に落っことさないよう、頭を縁(から出して受話器を耳に当てる。
『もしもし』
山びこのように返ってきたその声は──