フリーマーケット当日の朝、俺は目覚まし時計の雄叫(びに従ってベッドを抜け出した。
後ろ髪(引かれるとはまさにこのことだ。温かい寝(床(を後にして自分だけ起きるのもシャクだったが、心地よさそうに朝寝を貪(るシャミセンの寝顔を見ていると毛布の中から引っ張り出すのが気の毒に思えてならず、俺は孤(独(に一人で階下へ降りていった。
台所を覗(くと、
「あっ、キョンくん。おあよーう。ヒャミはーぁ?」
妹が焼いたパンを口に詰め込みながら訊(いてきた。
俺は冷蔵庫を開けて麦茶のボトルを出し、コップについで一息で飲み干してから、
「寝てる」
「キョンくんのパンも焼く? あ、目玉焼きあるよ。みずやの中ー」
「頼(む」
と俺は言い残し、洗面台に行く。戻ってくると、妹は食パンをトースターに突(っ込み、ハムエッグの載(った皿を電子レンジに入れているところだった。特にかいがいしいというわけではなく、ただこの手の操作をするのが面白いと思っているだけである。
ちなみに明日付で小学六年生十一歳となる予定の妹の本日の予定は、ミヨキチの家にお呼ばれして夜まで帰ってこないというものになっていた。今もさっそく妹なりにおめかししたよそ行きの格好で、到(底(同い年同学年と思えない姿形をした友人が迎(えに来るのを待っている。
ところでそのミヨキチだが、三日ほど前、道でバッタリ顔を合わせたときには驚(いたね、少ししか目を離(していなかったはずなのに、わずかの期間でますます美人ぶりな成長に磨(きがかかって俺の妹と並んで歩いていたらこれがもう五人姉妹の長女と末っ子にしか見えない。いったい何を食わせたらここまで違(う具合になるのであろう。
いや本当に、ミヨキチが妹だったら俺の部屋に勝手に来て無断で物を持っていったりしないだろうし、朝はもう少し上品な起こし方をしてくれるだろうし、触(り倒(されて逃(げるシャミセンをドタドタと追いかけることもなさそうだし、なぜ俺はミヨキチの兄として生まれなかったのか考えれば考えるほど──
「自(慢(の彼女の話はけっこうです」
古泉は目の前に落ちてきた桜の花弁を摘(み上げつつ、いやにキッパリと言った。
「吉(村(美(代(子(さんを妹に持つ者は幸いかもしれません。違う方向から見ると、あなたの妹さんにも充(分(な素質があるという意見も出るでしょう。しかしながら、今は別人に関してもっと詳(細(をお伝えいただけますか? とりあえず、自宅を出てから集合場所に辿り着くまでの話をね」
あんまりな言いぐさだな。お前はミヨキチの実物を目(の当たりにしていないから冷(淡(でいられるんだ。
まあいい。高校一年生春期休(暇(最後の日の俺的回(顧(録(をそんなに聞きたいのなら、先を急いでやるさ。しかし古泉、そこにはお前も登場人物として出てくるんだぜ。何があったかなんて解(ってるはずじゃないか。
「自分のことに興味はありませんね」
古泉は指先で花びらをもてあそびながら、
「僕の関心対象はそこにはない。強(いて言うなら、あなたの目を通した自分の姿がどう映っているのか気になるくらいですが、やはり些(末(なことに過ぎません」
薄(ピンクの花を弾(いて捨てた。
「続きを」
いつものように、俺は自転車に乗って駅前に飛ばしたさ。
SOS団集合ルールその一、最後に来た者が全員に奢(るという縛(りはいまだに生きていて、俺は俺以外の者に奢られたことはまだない。たまには饗(応(される側、特にハルヒにそうされたいという思(惑(が俺の脚(を叱(咤(激(励(するのもいつものことだが、どういうわけか狙(ったようにハルヒは俺のほんの少し前に到(着(するようで、あいつ、どっかに隠(れて俺の様子を監(視(してるんじゃないだろうな。
というようなことを思いつつ、駅前線路沿いで駐(輪(場(の空きスペースを探していた俺の背中に、声がかけられた。
「やぁ、キョン」
「うわ」
それは不意打ちに近かった。なんせすぐ背後から声がしたんだ。ぼんやりと自転車を押していた俺が、一(瞬(両の足裏を地面から飛び上がらせてしまったのも、無理はないだろう。
反射的に振(り返り、声の主を見て取った俺は、思い出すより先に口を開いていた。
「なんだ、佐(々(木(か」
「なんだとは、とんだご挨(拶(だ。ずいぶん久しぶりなのに」
佐々木も自転車のハンドルに手をかけて立っている。その顔には言葉と裏腹に、どこか柔(らかい皮肉に包まれた微(笑(が浮(いていた。
「キョン、そう言えばこの前、須(藤(から電話があったよ。なにやら三年時のクラス一同で同窓会をしたがっていた。彼は直接的に言わなかったが言外のニュアンスや数々の傍(証(を鑑(みるに、どうやら当時の女子の誰かに未練たらたらの恋(心(を抱(いているみたいだな。僕が察するところによれば、須藤が執(着(している相手は女子校に進路を取った岡(本(さんではないかな。覚えてるかい? 癖(っ毛の可愛(い新体操部の。今年の夏休みにどうだろうと言い出すので、いいんじゃないかと答えておいた。実際のところ、僕はどうでもいいんだが、キミはどうだ?」
やると言うんだったらそりゃ行くさ。けっこう親しくしていたのに、卒業式以来見ていないヤツが何人かいるしな。いまいち顔の思い出せない岡本の隣(の席は須藤に譲(るが。
佐々木は形容しがたい独特の笑(みで唇(をくつろげ、
「そう言うと思った。だがね、キョン。その中学校の卒業式以来になってるヤツの中に、当然僕も入っているんだろうね? 実際、キミと会うのは揃(って卒業証書を拝領したあの日以来、一年以上ぶりだ」
片手をハンドルから離した佐々木は、時間の経過を表すように手のひらを回転させた。
「キョンは北高だったな。どうだい? 愉(快(な高校生活をつつがなく送れているかい?」
愉快かどうかは評価の分かれるところだが、少なくとも今の俺は不愉快じゃないな。面(白(いと思ってさえいる。俺が過ごしてきたここ一年の北高不思議ライフを話し出すと長くなるぜ。
「何よりだよ。僕には話すことがあまりない。決して面白くないわけじゃないけど、僕の行った高校には物理法則を揺(るがすような出来事はなかったからね」
いいことだ。そんなもんがどの高校にもあったりしたら、面白がる以前に全国的にパニックだろう。
俺は元同級生の顔をためつすがめつして、中学生時代と変わっている部分を探しながら、
「お前は市外の私立に行ったんだったよな。有名進学校の」
佐々木はまた笑みの色(彩(を変えた。
「キミが僕のプロフィールを完全に忘(却(していなくてホッとした。そうだよ。おかげで授業についていくのに必死なんだ。今日も、」
と、駅の方へ揃えた指先を向け、
「塾(に行かねばならない。電車に乗ってだ。まったく、勉強のために勉強しているという気分だよ。春休みという実感もなかった。そして明日になったらさらに遠く、電車通学が待っている。満員電車ほど慣れないし慣れたくもないものはないね」
北高行き急勾(配(ハイキングといい勝負だな。
「健康的でいいじゃないか。僕は市立がよかった。須藤が羨(ましい」
何がおかしいのか、佐々木はくっくっと真似(のできない笑い声を漏(らし、
「ところでキョン、このローカル私鉄駅に何の用向きだ? 乗車する列車の方向が同じならば、積もる話もあるし、同席するに否(やはないが」
俺は腕(時(計(を確(認(する。しまった。集合時刻三分前だ。
「すまんが佐々木、ツレと待ち合わせてるんだ。時間に喧(しいヤツでな、遅(れたら何をしでかすか解(らない」
「ツレ? 高校の? へえ、そうかい。じゃあ、急いで自転車を置いてこなくてはね。ああ、ご心配なく。僕は毎朝止めているので有料駐輪場と月(極(で契(約(してるんだ。それがどこかと言うと、」
佐々木はすぐそばの自転車置き場スペースに自分のチャリを突(っ込み、施(錠(すると俺の顔を覗(き込むようにして、
「ここだ。キョン、キミがお連れさんの待ち合わせ場所に行くまで付き合わさせてもらいたい。キミの友人なら僕の友人も同然さ。ぜひ尊顔を拝ませていただきたいものだね」
拝んでも御(利(益(はないだろうが、佐々木がそうしたいなら構いはしない。紹(介(したところで佐々木の人生に何らプラスされるものはないだろうと思いつつ、朝比奈さんの愛くるしさを教えてやることは自分の手(柄(でもないのに誇(らしい。
俺が駐輪場の空きスペースを探したり、自転車を止めて小銭を払(ったりする間、佐々木はショルダーバッグを提(げて付き従った。歩きがてら中学時代の四(方(山(話(なんかを咲(かせていたが、SOS団御(用(達(の駅前集合地点が見えてきたあたりで、
「キョン、キミは変わってないな」
呟(くように言う。
「そうか?」
「ああ。安心したよ」
なぜ佐々木に安心されねばならん。見た感じ、お前も全然変わってねえぞ。
「だとしたら、僕はまるで成長していないことになるね。身体測定を信じるのであれば、肉体的数値はそこそこ変化しているはずなんだが」
俺だってちったあ背が伸(びたんだぜ。
「失敬、そういう意味ではなかったんだ。見た目は変えようと思えば変えられる。たとえば髪(を伸ばしたり切ったりするだけでもかなり印象は変化するものさ。簡単に変わらないのは中身だよ。良くも悪くもね。人間の意識が物質に宿るものだとしたら、構成物質をよほど違(うものにしない限り考え方や物の見方もそう異ならないんだろう」
妙(に懐(かしくなってきた。思い出した。そうだ、佐々木は中学時代からこういう小難しい喋(りをするヤツだった。
「あるいは」
と、佐々木は歩きながら続ける。
「考え方が一変するような聖パウロ的、またはコペルニクス的転回がない限り──だね。世界の変容はイコール、価値観の変容なんだ。それがすべてだと言ってもいい。なぜなら、人間は己(の認識能力を超(えた事象を決して正しく理解することはできないのだからね。僕たちの目は赤外線を見るようにはできていないが、蛇(は熱映像視野を持つ。僕たちの耳は一定以上の周波数になると音として感じないが、犬たちには超(高音波が聞こえる。どちらも人には見ることも聞くこともできないけど、赤外線や犬笛の音は存在しないんじゃない。ただ感知できないだけなのだと思いたまえ」
マジで北高に来ればよかったかもな、佐々木。お前と話の合いそうな野(郎(が一人いるぜ。ちょうどいい、今向かっている最(中(の到(達(地点で待っているはずだから、この機に知り合いになっておくか?
俺が提案しかけた時、いつしか俺を除くSOS団全員の姿はもう間近に迫(っていた。
「まったく、たいした方を伴(って来てくれたものです」
古泉はところどころ非難を希(釈(させたような色を滲(ませる声で、
「ある意味、僕とはよい話相手になりそうな人物です。しかし実質、僕など足元にも及(びません。立場が違いすぎます。僕は自分の限界を知っているので、僕が羨(望(と達観を感じざるを得ない人間は少数とは言えません。加えますと、あなたもその一人です」
お世辞を言っても俺はデルフォイの巫(女(みたいに神(託(を告げたりはしないぞ。
「解っています。不可抗(力(ほど恐(ろしいものはない。目に見えて耳にも聞こえ、なのに抗(うこともできない力にはね」
それにだ、佐々木がたいしたヤツであるのは中三をともに過ごした俺には解るが、古泉が知っていたとは意外だぜ。
「意外でもなんでもありません。あなたについて『機関』が調査したということは既(にご存じでしょう。もちろん生い立ちからほぼすべてを洗わせてもらいました。その結果、あなたは普(遍(的な意味での一(般(人(であるという結論が出たわけです」
ありがたいね。お前の組織の保証書付きか、俺は。
「お望みならば発行しますよ。いえ、これは冗(談(です。冗談にならないのは、あなたが中学三年時に佐々木さんと同じクラスになっていて、親しい友人関係だったという履(歴(を知ったときの僕の心境です」
なぜだ。
古泉は詩を朗読するような口調で、
「あなたのご友人である佐々木さんもまた、一般人でありながら見方によってはそうでない人間である可能性があったからです。粒(子(のような振(る舞(いをしながら波動としての仕事もする、まるで光のように」
不可抗力だったのかどうかは知らん。偶(然(という単語は聞き飽(きた。ましてや光が持つ二重性についてなど一生無(縁(にしていたい。
ともかく、俺と佐々木は駅前に歩を進め、二人して立ち止まったところはいつもの場所だった。
見慣れた場所、見慣れた四人のメンツ。内訳は三人が私服で一人が制服。
そして、毎度ながら発せられる団長のありがたいお言葉。
「遅(刻(とはいい度胸ね。あんだけ言っているのに最後どころか時間オーバーするなんて、春だからって怠(けてんじゃないの? キョン、もっと一秒一秒を大切にしなさい。あんたの時間はあんただけのものじゃないのよ。待たされるあたしたちの時間と等価なの。だから、遅(れてきたぶんは罰(金(に加算するわ。過ぎ去った時間は何物にも代えられないけど、せめてあたしたちを朗(らかな気分にするならちょっぴりだけど慰(めになるからね」
ハルヒは一気に喋り終え、大きく深呼吸してから、そして奇(異(な目を俺の隣(に向けた。
「それ、誰?」
「ああ、こいつは俺の……」
と、俺が紹(介(を言いかけた途(中(で、
「親友」
佐々木が勝手に解答を出した。
「は?」
と、目を見開いているハルヒに、小さく頭を揺(らして会(釈(し、
「といっても中学時代の、それも三年のときだけどね。そのせいかな、薄(情(なことに一年間も音(沙(汰(なしだった。これはお互(い様だが、でもね、一年ぶりの再会だったとしても、ほとんど挨(拶(抜(きで会話を始められる知り合いというのは、充(分(親友に値(すると思うんだよ。僕にとってはキョン、キミがそうなのさ」
親しかった友人という意味ではそうかもしれない。俺はよくこいつとつるんでいたし、学校が引けてからも顔を合わしている回数はクラスメイトの誰よりも多かったように思う。思うのだが──。
なんとなく居心地が悪いのはどうしたことだ。言っておくが俺は誰にも後ろ指を指されるようなことをした記(憶(もなく、事実もない。なのに佐々木が俺を親友だと言うのを隣で聞いていると、そしてハルヒの奇(妙(な表情を見ていると、五分後に雷(雨(が来るのが解(っていながら傘(を持たずに外出してしまった三分後みたいな気がしているのは、これは何故(だろう。
思い出してみると、朝比奈さんの軽いビックリまなこが瞬(き回数の頻(度(を増やしていたり、古泉が考え深げな表情で顎(に指を当てていたような気もする。制服でポツンと立っている長門の無表情は不変のようだったが、なんせ俺はハルヒの顔しか見てなかった。
横で動く気配がし、佐々木が半歩前に出て唇(を弦(月(形にする笑(みとともに片手を差し出していた。ハルヒに、握(手(を求めるように。
「佐々木です。あなたが涼宮さんですね。お名前はかねがね」
ハルヒの瞳(がちらりと俺を向き、俺は何かの手(違(いで指名手配を受けた冤(罪(者(のように、
「お前の悪行をこいつに言ったことはないぜ。佐々木、なんでお前はハルヒを知ってる?」
「そりゃ同じ市街地に住んでいるんだし、目立つ人たちの噂(はちょくちょく耳にする。我々の中学から北高に進んだ生徒は、キョン、何もキミだけではない」
国木田とかか。
「彼もだったね。元気かい? 多分、今でも飄(々(としていると思う。もっと学力に応じた高校に行けたのに、わざわざ県立を専願で受けた変わり者だ」
佐々木は同窓生へのコメントを早々に打ち切り、ハルヒに向き直った。
「北高ではキョンが世話になっているようですね。改めてよろしく」
伸(ばした手を微(動(だにせず、ゆるやかに微(笑(んでいる。
佐々木の欧(米(的挨(拶(に、ハルヒはチョコレートと間違えて碁(石(を口に入れたような顔をしていたが、やがてその手を握(り返し、
「よろしく」
握った手を振(ることもなく、しげしげと佐々木の瞳を見つめ、
「自己紹介の必要はなさそうね」
「そうですね」
佐々木はニコニコとハルヒを見つめ返し、アマガエルが生まれて初めて出したような声で短く笑った。
「そちらの方々は?」
ハルヒの手を名残(惜(しそうに手放しつつ、佐々木は左右に視線を振った。
団員紹介は長の務めだと思ったのか、ハルヒが矢(継(ぎ早(に、
「そっちの可愛(いのがみくるちゃんで、あっちのセーラー制服が有希。こっちが古泉くん」
それぞれ指さし点呼された面々は、
「あっあっ、朝比奈みくるです」
朝比奈系と題して売り出したらたちまち予約殺(到(になりそうな春物スタイルで身を固めた唯(一(の上級生は、ポーチを両手で握りしめたまま、慌(てたように会釈した。
「古泉です」
新(川(さんに弟(子(入り修行中みたいな慇(懃(さで頭を下げる副団長。
「…………」
学校にいるときとまるで変わらない制服姿の長門はピクリとも動かない。
三者三様の返事を聞いても、佐々木は面(倒(になったのか団長以外には握手を求めず、
「初めまして」
ただ面(白(そうに眺(めていた。
朝比奈さんは少しおろおろと、古泉はいつもの微(笑(を取り戻(し、長門は深海から汲(み上げたばかりの海水のような目で、佐々木に観察する視線を浴びせている。
佐々木は三人の顔と名前を記憶するような佇(まいでいたが、くるりと俺を振り返り、
「それではキョン、僕はそろそろ電車の時間なので失礼するよ。また連(絡(する。じゃあね」
さっと手を振ると、もう一度ハルヒに微笑みかけ、改札口へすたすた歩いて行った。
やけにあっさりしたものだ。なんとなく俺はボサッとして、佐々木の後ろ姿が消えるまで見送ることにした。
久しぶりに会ったにしては、ロクに話もしなかったな。この調子だと今度会うのも一年後になるかもしれん。
数秒間の沈(黙(の後、ハルヒが、
「ちょっと風変わりね」
お前が風変わりに思うんだったら相当なもんだ。
ハルヒは改札口から目を戻し、
「あの、あんたの友達。ずっとあんな感じだったの?」
「ああ。全然変わってなかったな。見かけも中身も」
「ふうん?」
ハルヒは何か思い出しかけていることを耳から転げ出そうとするかのように首を傾(げたが、早々とあきらめたふうに頭の角度を修正し、ぴょんと跳(ねて体の向きも変えた。
「ま、いいわ。それよりキョンの奢(りの喫(茶(店(に行きましょ。ちゃんと余分にお金持ってきたでしょうね。フリマで掘(り出し物があったらじゃんじゃん買わないと」
電器屋の蛍(光(灯(売り場のような笑(顔(を作り、ハルヒは先頭を切って歩き出した。
やれやれ。荷物持ちくらいならしてやらんでもないが、自分の欲しい物は自前の金銭であがなってくれよな。文芸部の部費に手をつけないよう、長門のためにも見張っておかなければ。
「その後のことは、」
と、俺は古泉に言った。
「お前も知っての通りだ。茶店に行って俺が勘(定(を払(って、フリーマーケットに出向いてハルヒがいらんもんをどっさり買い込んで、海の見える洒落(た店で昼飯食って帰ってきた。ついでに阪(中(の家に寄ったな」
お前が老夫婦の出店で購(入(した碁(盤(を終始抱(えて歩いていたため、荷物持ちの役割が俺の両腕(に託(されちまったことを忘れたとは言わせんぞ。かくして俺は二束三文で売られていたガラクタ──デザートローズの原石とか──を大量に持たされることとなり、会場内をウロウロすることになったんだからな。微(笑(ましかったのは、朝比奈さんが小学生の作ったような万(華(鏡(を覗(いて「わぁ、とてもプリミティブなオモチャですね。でもとても綺(麗(……」とか感(嘆(の声を上げていたシーンと、どこかの部族の呪(術(師(が被(るようなお面をじっと見つめる長門の姿くらいか。
「どっかお前の記(憶(と違(うとこがあるか?」
「幸いなことに、ないようですね」
古泉はモニタの裏側を熱心に観察しながら、
「客観的な出来事としては、あなたの解説通りです。ただ、主観的な見地から眺めると、あなたと僕の解(釈(はかなりの齟(齬(を生むようですね」
観察する目を俺に向けた。気に入らん目つきだ。
「では、ここで問題です。先(程(、僕は最近になって閉(鎖(空間の発生率が増加していると言いました。正確に言えば涼宮さんの高校入学前後の数値にほぼ等しい。去年から今年にかけて減少傾(向(にあった僕のアルバイト出(撃(回数が一気に元に戻ったのは春休み終(了(直後です。それは何故(なのでしょうか」
俺はそわそわと、
「何が言いたい」
「言いたくはないのですが、言語化しなければ伝わらないことだってあるのですよ。無言のやり取りで意思の疎(通(がすんなりいくほうが稀(です。因果関係ですよ。この場合、因の部分に入るのは春休み最後の日という一文です。果には閉鎖空間と《神人》という単語が刻み込まれています。さて、これは何を意味するのか。それがあなたへの僕の出題です」
「…………」
俺は長門的沈黙で身を包んだ。後頭部がチリチリする。
古泉は縄(文(時(代(の地層から掘り出した原初的な仮面のような、笑い顔だと指(摘(されないとそうは理解できないような微(笑(で、
「涼宮さんが新学期開始と同時に閉鎖空間を発生させ始めたことから、何らかの問題点は春休み最終日にあったと断言できます。その日に何があったかを考えると、いつもながらのSOS団活動でことさら重要視するハプニングはなかった。フリーマーケットを大いに楽しんだだけです。いつもと違っていたこと、ルーティーンに介(入(してきた唯(一(のイレギュラー要素……。それが何だったか、もうとっくにお解(りのはずです」
佐々木か。
「しかし何でだ。待ち合わせの場所にたまたま俺が中学の同級生と一(緒(に来ただけだぞ。どうしてハルヒの精神的ストレスの要因なんぞになるんだ?」
古泉は驚(いたように口を閉ざし、観察よりも鑑(賞(する目で俺を凝(視(し、まるでシャミセンが妹の拾ってきたセミの脱(け殻(を初めて見たような顔をつくり、たっぷり十秒はそうしていた。
そろそろ顔の前で手を振(ってやろうかと考え始めた俺に向かって、人(畜(無害なハンサム面(をした超(能力者モドキは、しみじみと首を振り、
「なぜならば」
大(仰(な動作で身体(ごと俺を向いて、
「あなたの親友を自(称(する佐々木さんなる方が、おそらく十人中八人が一見して目を惹(かれる、実に魅(力(的な女性だったからですよ」
暗君の弑(逆(を決意した冷(徹(な奸(臣(のような声で言った。
二年前の──ちょうど今(頃(に遡(る。
中三になり立ての春、高校進学を危(ぶんだお袋(によって学習塾(にたたき込まれた。
その同じクラスに佐々木もいて、学校でも同じ教室にいるような奴(は佐々木だけだったし、ついでにたまたま席が近かった。それでどちらからともなく話しかけたんだった、確か。よく覚えていないが、「よう、お前もここに来てるのか」ってなもんだ。
きっかけはそんな感じで、それで中学の教室でもたまに話すようになった。
大して注意も払っていなかったが、佐々木の僕という一(人(称(と堅(苦(しい男しゃべりは、まさしく男子生徒相手にしか使われないことにすぐに気づいた。女友達の輪にいるとき、佐々木は普(通(に女言葉で話していたからだ。
何かわけがあるんだろう。ひょっとして、男相手に男みたいな話し言葉を使うことは、そいつに自分を女だと見て欲しくなかったのかとか、ようするにわたしを恋(愛(対象として見るなと言う意思表示なのか、と。気の回しすぎかな。
もちろん俺はどうでもよかった。だから何のツッコミも入れなかったさ。だいたい他人の口調に文句をつけるほど国語力には自信がない。
俺の名前について、佐々木は面(白(がった。
「キョンなんて、すごいユニークなあだ名だね。どうしてそんなことになったんだい?」
俺はしぶしぶ間(抜(けなエピソードと、妹の愚(行(を話してやった。
「へぇ。キミの下の名は何というんだ?」
口頭で読みだけ教えると、佐々木は首と目をそれぞれ別の方角に傾(けて、
「それがキョンになるのか? いったいどんな漢字で……あ、言わないでくれたまえ。推理してみたい」
しばらく面白そうに黙(っていた佐々木は、くくくと笑いながら、
「多分、こんな字を書くんだろう」
ノートにさらさらとシャーペンを走らせた。浮(かび上がった文字を見て、俺は感(嘆(の気分を味わうことになった。佐々木は正確に俺の名前を書いていたのだ。
「由来を聞いていいかい? この、どことなく高貴で、壮(大(なイメージを思わせる名前の理由」
まだ俺がちびっ子の時に尋(ねたとき、親(父(から返ってきた言葉をそのまま教えてやった。
「いいね」
佐々木が言うと本当にこれがいい名前であるように思われてくる。
「でも、キョンってほうが僕は好きかな。響(きがいい。僕もそう呼んでいいかい? それとも別の名(称(を考案しようか。どうやらキミはそのニックネームがあまり気に入っていないようだからね」
どうして俺が気に入っていないと解(る?
「だって、キミはそう呼ばれたときより、普通に名字で呼ばれたほうが反応速度が速いからね。コンマ二秒くらい」
俺を名字で呼ぶのは、その誰かが俺に何か真面(目(な話があるときくらいだからだよ。授業中に次の問題を当てられるときとか、親しいとも言えない──特に女子に──呼ばれたときとか……。それにしてコンマ二秒? そんな違(いをよく解るもんだ。
「見聞きした情報が脳に伝達されてアクションを開始できる時間がそれくらいだよ。キミは名字で呼ばれた場合は瞬(時(に反応する。キョンの時は無意識だろうけど、それだけ遅(れる。キミの深層心理はあまり喜んでいないんだろうなって思ったのさ」
思えば無意識だの深層心理だの、その手の用語を教授されたのはこの時が最初だったように思われる。
学習塾の授業は週に三日、火、木、土曜にあり、いずれも夕方が開始時間になっていた。
学校が休みの土曜を除き、毎週火曜と木曜には、俺は佐々木と連れだって向かうのがほどなく習慣化されていった。塾の在(処(はここらでは一番大きな駅の近くで、中学校から徒歩で行くにはかなりうんざりする距(離(を踏(破(せねばならず、またバスは迂(遠(な路線を走っているためこれまた結構な時間がかかる。手っ取り早いのは学校から駅までの直線距離を自転車で走ることだ。これなら十五分とかからない。
俺の家は中学から目的地までのルートの直線上にあり、いったん帰宅してから自転車を引き出して学習塾へと漕(ぎ出すのが論理的に一番の方策で、どうせだからと荷台に佐々木を乗せて走るのもいつもの習慣だった。佐々木によるとバス代が浮いて非常に助かるとのことである。
学習塾でも同じ教室だが、毎時間にわたって馬(鹿(話をするほど余計な時間があるわけではなかった。お互(い、周囲の雰(囲(気(に乗せられて生(真面目に勉強している。そのせいか中二の頃(には緩(やかなカーブを描(いて下降していた成績も下げ止まりの傾(向(を見せているのはありがたいことで、持ち帰る答案用紙の点数が遠大なカウントダウンを刻んでいたことに業(を煮(やして有無を言わさず学習塾に放(り込んだ母親も若(干(胸をなで下ろしていることだろう。
これで「もっと勉強しないと佐々木さんと同じ大学に行けないわよ」という口(癖(が直ってくれればますますいいのだが。なぜ俺がこいつと進路を同じくしないといけないのか理解しかねた。
学習塾が終わると、いつも世界はすっかり夜の支配下に置かれていた。夜空に浮かぶデキモノのような天然衛星を見上げながら俺は自転車を押して歩き、少し遅れて佐々木がついてくる。帰りはバスを利用する佐々木に付き合って最(寄(りの停留所まで。
「じゃあ、キョン。また明日、学校で」
やって来たバスの乗降口に足をかけ、そう言う佐々木に手を振(って、俺は一路、自宅を目指すのだった…………。
はい、回想終わり。
「まさか、それほどまでとは」
古泉は眉(間(に中指を当て、
「まるで本当に無(邪(気(な中学生同士のたわいもない恋(愛(模様の一ページのようではありませんか」
そう言うがな。つっても俺と佐々木の間にはそんな爽(やかな男女づきあいはなかったぜ。いや、爽やかじゃないようなことだってさらっさらになかったさ。
「ええ、そうでしょうとも。あなたはそう思っていて、きっとそれは正しいんです。ですが、周りの人間はどうでしょうか。あなたたちの姿をどう思っていたのでしょうね」
なんだかイヤな予感がしてきた。そういえば、国木田や中河は妙(な勘(違(いをしているようだったな……。
「僕でも勘違いを起こすでしょうね、話を聞いているだけでそう思えます。もちろん僕だけがこんなことを思っているのではありませんよ。ひょっとしたら朝比奈さんや長門さんも同じことを考えるかもしれません。まあ、あのお二人は少しはあなたに関する情報をお持ちでしょうから杞(憂(ですませるとしても、全然すみそうにない方を僕は一名ほど知っています」
「……誰だ」
古泉は微(笑(を偽(悪(的に歪(めた。その目に宿るのは俺を非難するような色である。
「ここまで言って解らないようなら、あなたの頭を切開して脳に直接その名を書き込まなければならないでしょう」
解ってるよ、そんくらい。
「まさかとは思うが」
頭の上に毛虫の大群が載(っているような奇(怪(な感覚を覚える。
「ハルヒが佐々木を見て、それも親友だとか自(称(したのを聞いて、それでナニヤラもやもやしてるって言うのか? 得意の無意識とやらか」
「閉(鎖(空間、《神人》。あなたも知っての通りの現象ですが、ここしばらくのそれらは、以前とはやや状態が異なるんです。閉鎖空間はそのままですが、《神人》の行動が不気味なほど大人しい。出現はしたものの、積極的な破(壊(行動への従事はなりをひそめ、手持ちぶさたに立っていることが多いんですよ。時折、役どころを思い出したように建築物をこづく程度です」
あの青白い巨(人(が理性的なのは悪いことじゃないだろ。
「我々『機関』からすればどちらでも同じです。《神人》を消(滅(させなければ閉鎖空間も解放されませんから」
古泉の注(釈(はまだ続く。
「結論から言って《神人》、ひいては涼宮さんの無意識は、どこか戸(惑(っているようなのです。まるで自分が何を考えているのか、何を考えればいいのか、それすら解(っていない。混迷の道をさまよう、悩(める無意識ですよ」
フロイト先生も草葉の陰(で苦笑いだろう。まさか自分の研究成果がハルヒの分(析(に、こうも頻(繁(に使われるだろうとは思ってもみなかっただろうからな。
「僕としては、涼宮さんが佐々木さんに嫉(妬(を覚えているということにしてしまえば、話は早いように思うのですがね」
さすがに反論してやるぜ。誰のためでもなく、ハルヒのためにだ。
「あいつは恋愛感情を精神病の一種だと言うような女だぞ」
「お尋(ねしますが、あなたには涼宮さんが男女間の恋愛についてすべてを語ることのできるような、心理学に秀(でたかたに見えるのですか?」
ぜんぜん。
「僕もです。涼宮さんは解っているようで解っていない。逆でもいいですが、とにかく彼女の精神は同年代の女子生徒に比べて特別に老成してはいません。そこだけ見ればごく普(通(の一少女ですよ。ただ、ひねくれたポーズをつけたがっているだけなのです」
お前が言うな。俺から観(れば、古泉だって充(分(不足なしにヒネクレ者に見えるぜ。
「そうですか?」
古代の仮面を取り外した微(笑(みを見せると、演劇的に頰(を一(撫(でして、
「精(進(が足りないようですね。あなたにかくも簡単に看破されるとは」
古泉は両手を広げ、首まで振(った。
「分析するに、涼宮さんはあなたの過去の友人が存在し、それが自分の知らない人間であるという、これまでありそうでなかった事実の発見をして、説明しがたい感覚を得たのだと思います。ジェラシーなどという単純な言葉では解(釈(不能な、もっと生来的、根源的な感覚ですよ。意表をつかれたと言い換(えましょうか。あなたにも旧友の一人や二人はいるでしょう。そこまでは涼宮さんも解っている。女友達がいてもおかしくはない。しかし、佐々木さんが自分をあなたの親友だと言い放ったことは、これは誰にとっても予想外ですよ。彼女の存在を知っていた僕にもね」
「よく……いや、さっぱり解んねえな」
「涼宮さんの中学時代はほとんど孤(立(か、もしくは孤独状態でしたから、親友という響(きに心打たれるものがあったのかもしれません」
「あいつは望んでそうなってたんだろ。孤高ってやつだ」
「そうであってもです。たとえば、僕にあなたがたの知らない異性の友人がいて、突(然(目の前に現れたりしたらどうですか?」
「いたのか?」
俺はやや身を乗り出す。こいつこそ陰(でこっそり彼女を作っていても不思議ではない。
古泉は苦笑し、
「たとえが悪かったですね。僕ではだめだ。では、朝比奈さんの過去に親しくしている男性がいて、その彼が彼女に対して馴(れ馴れしい態度を取っていたとしたら?」
腹が立つとも。だがな、
「ありえんだろう。朝比奈さんや長門は遊びや観光目的でこの世にいるわけじゃない」
もうちょっと遊んだほうがいいくらいに思うね。それに朝比奈さんの過去ってのは、俺たちからすりゃ未来だぜ。
「仮定ですよ。もしそうだったら、あなたがどう思うかという。想像ですが、言葉で言い表せない微(妙(な感覚を得るのではないかと。嫉妬でもなく困(惑(でもなく。第一に朝比奈さんはその異性を特に意識しているわけではなさそうだし、表面的にはいつもと同じで、本当にどうとも思っていないらしい。だったら、下手に勘(ぐるのもバカバカしいことです。ゆえにそんな感覚など意識下から消して忘れてしまうのが一番です。この説話の中の朝比奈さんをあなた、あなたを涼宮さんに入れ替(えて考えてみてください」
中庭の対面で小規模な歓(声(が上がった。どっかの同好会に入会を決意した一年がいたらしい。
古泉はふとそちらを見上げ、
「しかし通常の意識外にある部分はそう簡単にだませない。よって無意識のフラストレーションが閉(鎖(空間と中(途(半(端(な《神人》を生むわけです。原因が明確なようでそう簡単でもないため、解(りやすい対処方法も見あたりません。実はなくもないのですが──」
古泉の目がますます細くなる。
「キョン! 古泉くーん!」
朝比奈さんと身体(をぴったりくっつかせたハルヒが、中庭の石(畳(を踏(み割らん勢いでずかずかと歩いてくる。
「わわっ、わわわ」
歩(幅(に1.5倍ほどの差があるため、脚(をもつれさせる朝比奈さんを、捕(らえた獲(物(のようにロックして、ハルヒは委細かまわずスッタカと突(進(継(続(。
レミングばりに新一年生を引き連れて戻(ってくるかと思っていたが、あにはからんや、手ぶらだ。チャイナとメイドのツープラトンで一匹(も釣(れなかったのか。今年の一年は常識にまみれたヤツばかりと見える。
ハルヒは予告編をリピートしているモニタ前で止まると、朝比奈さんを抱(きしめたまま、
「面(白(そうな入団希望者、誰か来た? 有希んとこには?」
長門が微(かに首を横に振る気配を感じつつ、俺はつくづくと思う。
「あちこち足を運んでみたけど、ダメねダメダメ。みくるちゃんの美味(しいお茶が飲み放題よって誘(ってニヤケ面(でうなずくヤツは入団試験の第一段階で不合格にしたわ。女子に寄っていったらみんな逃(げちゃうし、今年は不作かもね」
コスプレ研究会と間(違(われたんだろ。
「でも一人くらいはね、誰か適格者がいるんじゃないかと思うから、これからよっ! これから。キョン! あんたの中学の後(輩(で面白いのいない? それから、あたしの中学には絶対いなかったから東中出身は全員不許可よ。言うの忘れてたけどねっ!」
そう大声を張り上げているハルヒの顔は──。
やっぱり、どの角度から見ても三重連星のように輝(く核(融(合(じみた笑(顔(だった。
これ以上まばゆくなりようがないくらいの。
その日、俺たちは結局何一つ成果を上げられず、のこのこと部室に撤(収(した。
朝比奈さんは心からホッとしたように居住まいを正すと、メイド衣(装(のままでさっそくヤカンをコンロにかけてお茶を振(る舞(う態勢に入り、俺と古泉はテーブルやケーブルの片づけプラス設置し直しに全力を尽(くす。
長門は長門で文芸部の貼(り紙を鼻をかみ終えたティッシュのようにゴミ箱に投じると、宝物をしまうような手つきで会誌の見本を棚(に収容し、機械的に部室の片(隅(に席を構えてハードカバーを広げた。離(れてはいたものの、俺と古泉がダベっていた話を聞いていなかったとは思えないが、一年前とまったく背格好の変わらない宇宙人製アンドロイドはクールフェイスとミュートモードにした唇(を不変のものとしていて、俺を意味なく安(堵(させてくれる。
ハルヒは団長席に着くと三(角(錐(の先(端(に指を乗せ、カタカタと揺(らしながら、
「活(きのいい一年はいなかったわねえ。やっぱり捜(索(範(囲(を広げるべきかしら。運動部のほうに逸(材(が行ってるのかも。待ってても来ないものね。網(を投げる回数と海域は多くて広いほうがいいわ」
チャイナドレスからハミ出た素(足(を組み、新たなるイタズラを考案中のガキ大将みたいな表情をしている。わくわくって感じだ。
俺的には当てずっぽうで底引き網を投じるより、ピンポイントで狙(いを定めて一本釣りのほうが良質の魚を獲(られるように思うが、わざわざ自ら進言してハルヒの新入団員勧(誘(促(進(計画に荷担するつもりはない。
「大魚を逃(すつもりもないわよ。去年みたいに全部のクラブを見て回ろうかと思ってるの。他(の部に横取りされる前に押さえておきたいもんね。これだけいるんだし、一人くらいはおいしいヤツがいるはずよ」
どんな味がする下級生をお望みだ? 焼いて喰(えるヤツならいいんだが。
「みくるちゃん以上にかわゆいとか、有希以上にいい娘(だとか、古泉くん以上に礼節が行き届いているとか、そういうの」
そりゃかなりの高ハードルだな。だいたいハルヒがまだまともな理由で連れてきたのは朝比奈さんオンリーと言える。自分の眼鏡(にかなった萌(えキャラだったって理由のどこがまともなんだという話だが、長門はたまたま乗っ取った文芸部室に付属していただけだし、古泉などただ転校生って肩(書(きがハルヒの琴(線(に触(れただけだ。今年も五月あたりに転校してきた生徒を問答無用で引っ張り込むつもりじゃないだろうな。
「転校生枠(は古泉くんで埋(まってるからもういいわ。優(秀(な副団長だし、類(似(キャラはいらないの。もっと面白いのじゃないとダメ。SOS団は少数精(鋭(主義だから」
ハルヒはパソコンを立ち上げると、頰(杖(をついてマウスをカチカチさせながら、
「うかつだったわ」
お前が粗(忽(者(なのは今に始まったことではない。
「去年のうちから学区内の中学を回って、有能そうなのを青田買いすればよかった。よその高校に団員に相応(しいのが行っちゃったとしたら惜(しすぎるもの。SOS団第三支部を他校に立ち上げよっか? それとSOS団予備部をここいらの中学校に」
ハルヒの妄(想(はとめどなく羽ばたくようだった。俺は溜(息(つきつき、
「そんなに人数増やしてどうすんだ。アメフトチームでも作るのか?」
「あたしのSOS団はね、もっと世の中に拡張されなければならないの。パソコンの記(憶(する箱だってどんどん大容量になるでしょ? 目標は世界よ。グローバルに生きなきゃ、国際化の進んだこの地球ではやっていけないわ」
情報化の次は国際化か。俺はこぢんまりとした人生が好きなんだよ。何の資格もない高校生の身の上だ。身の程知らずなまでに世界へと打って出るつもりはない。
いっそ、将来どっかで私立の学校を設立し理事長の地位についてSOS学園と命名すればいい。生徒は全員、強制的にSOS団団員だ。うーん、考えるだに恐(ろしい。
「ははん、バッカねえ。法人化なんか論外よ」とハルヒは笑い飛ばし、「あたしたちは営利目的でやってるんじゃないんだからね!」
これも進歩といえるのかもな。口では大(言(壮(語(を吐(いているが、去年のハルヒなら部活説明会に強行参加し、SOS団宣伝ビラを大量印刷して誰彼構わず押しつけて回っただろう。威(圧(的な生徒会長が目を光らせているせいか、今年はレジスタンス的な地下工作に頭が行っているようだ。
SOS団の支部を増やすことには乗り気でも、本部人員を安易に増やすつもりはないらしい。どちらかと言えば、不思議現象の情報を持ち寄ってもらいたいと思っている気配である。宇宙人によるアダプテーション経験者とか、ふと気づいたら過去に戻(っていた巻き込まれ型タイムリーパーとか、日夜異空間で悪と戦う異能力者現在進行形とか、そんな話を聞きたいに違(いない。
それはかつて俺も聞きたいと思っていた物語だ。
そして、今の俺には不必要なものだった。
古泉の詰(碁(解きに付き合いながら、朝比奈さん特製煎(茶(で喉(を潤(しながら、長門の背筋の伸(びた読書姿を目の端(に捉(えながら、俺は思う。
SOS団に正規の団員はこれ以上増えないだろう、と。
鶴屋さんのような名(誉(顧(問(ができたり、阪中のような団外関係者が増えたり、他の部をコンピ研よろしく牛(耳(ったりするような事態があったとしても、誰か新人がこの部室を定宿とする総勢五名からなるメンツに分け入って、そのまま定着するなんてことはなさそうだ、と。
ただの予感さ。理由なんかない。それこそ天国在住のドクターフロイトかユング博士にでも聞かないと解らないような俺の無意識がそう感じさせていた。
結果として、その俺の予感は文字通りに半分当たりで、半分は外れることになる。しかし、この時の俺には知るよしもなかった、と常(套(句(を言っておく。
まさか、あんなにややこしいことが発生するとは誰にも予想外だっただろう。古泉にも、たぶん長門にも、ひょっとしたら朝比奈さん(大)にまでも。
下手人の名は明らかだ。他の誰でもない。
涼宮ハルヒが、それをしたんだ──。