季節の移り変わりを何をもって実感するかは人それぞれだと思うが、この半年間の俺の場合、家で飼ってる三毛(猫(シャミセンの動向が最も解(りやすかった。
シャミセンが夜中に俺の寝(ているベッドに潜(り込まなくなったことで、俺はこの地域に四季のうちで最高評価を与(えてもいい数ヶ月がやってきたことを知り、だが猫以上に季節に敏(感(なのは環(境(変動への対応に感心するほど正確に準じる植物たちだろうとも思いつつ、あちらこちらで満開となった桜たちが、まるで全員が事前に打ち合わせでもしていたようなスケジュール通りの散り様をそろそろ見せてくれそうな四月上(旬(の空はクレヨンで塗(り固めたように青く、太陽は続く夏への準備運動のつもりか、やたら明るい日差しを地表へと降り注がせていたものの山から吹(き下ろしてくる風はいまだほんのりと冷たくて、俺の現在位置がそれなりの標高にあることを教えてくれている。
やることもないのでひたすら上空を仰(いでいた俺の口から、言っても言わなくてもどうでもいいような単語がこぼれ落ちたのは、やはりヒマだったから以外の理由はなかろう。
「春だな……」
なので、別に誰かにリアクションして欲しかったわけでもないのだが、そういう空気をちゃんと読んでいながらも意識的に無理矢理かぶせてくる臨時隣(人(が、
「疑いようもなく春ですね。そして学生にとっては新しい一年の始まりです。カレンダーの上でも、年度的にも。そして僕の心情においてもね」
むやみに爽(やかな語り口調、まあ春と秋には似合っていると思ってやってもいいか。夏なら暑苦しいだけだし、冬にだって囁(き声を聞き取れるほど至近距(離(にいたい人物ナンバーワンは朝(比(奈(さんくらいだからな。
俺が早くも上の空へと移行しつつ聞き流しモードに入りつつあるのを感じたのかどうか、
「高校生になって二度目の春を迎(えたわけですが、私的意見を申し添(えますと、これが『やっと』と言うべきか、それとも『もう』と言うべきか、少々判断に迷うところがありますね」
迷うことなんかあるものか。英語ならどちらもyetだ。過ぎ去った時間にあったことをいちいち全部覚えてなどいないから、振(り返ったらたいていのもんは早く終わったように思えるし、これからあるようなことは知りようがないから早くも遅(くもなく、いまやってることは内容によって、主に楽しいか否(かで早かったり遅かったりを自分なりに感じていればいいのさ。少しは時計の身にもなってみろ。あいつらは文句も言わずに同じ秒数を同じだけカチコチいわせてんだぜ。たまに消した覚えもないのにアラームがオフになってて壁(に投げつけたくはなるが。月曜の朝には特にな。
「まさにその通りですね。時計の針は我々に客観とは何かを教えてくれる数少ないものの一つです。ですが時間を主観的にしか感じ取ることのできない人間にとって、それは指針の一つでしかないものでもあるんです。より重要なのは、その一定の時間内に自分が何を考え、どう実行したかなんですよ」
「やれやれ」
俺はゆるやかに形を変えようとしている雲の観測作業を中断し、隣(へと首をひねった。
相変わらずな微(笑(がそこにあり、その持ち主である古(泉(一(樹(の存在を表していたが、まあ飛行機雲と比べることもなく眺(めていて目の肥やしにも毒にもならない日常の風景に過ぎず、そんなものを眺めていても何ら得(るものはないと考えた俺は、顔を正面に向けることを実行した。
ただ、
「俺の私的意見を申し添えておくとだな」
中庭の光景を存分に網(膜(へ投射しつつ、耳を傾(けている気配のある古泉に、
「やっぱり、やっと来たかって感じがするぜ」
そこら中に群れている新入生たちの真新しい制服を目で追いながら、俺は脳(裏(に録画された懐(かしい映像が眼(窩(で再生されるのを感じていた。
そしてこう思うのだ。
一年前の二年生たちは、一年前の俺たちをこういう感覚で見ていたのかね──なーんてことをさ。
俺がこの高校に入学したのは学区割りという制度の仕(業(だが、そこから涼(宮(ハルヒという未(確(認(移動物体と出会っちまったと認識するヒマもそうそうに、電波で素(っ頓(狂(な自己紹(介(を聞かされて、何だこいつはと思っているうちにあれよあれよとハルヒ時空に引きずり込まれ、あげくにSOS団と称(する謎(組織の一員に加えられた結果、とうとう本物の宇宙人未来人超(能力者的存在と邂(逅(まで果たし、それだけならまだしもそれぞれが持ち寄ってくる宇宙人未来人超能力者的イベントに強制参加させられたかと思えば、一方でハルヒが突(然(思いつく道楽にも付き合わされまくるという、いやまったくもう、この一年間で俺の経験値は天(井(知らずだ。半(端(な中ボスなら片手で倒(せるんじゃないかと思えるくらいさ。
「習慣ってのはたいしたもんだな」
登校時のしつこいまでに長い坂道にもすっかり慣れちまい、慣れるにしたがって起(床(時間が遅(れていって、今やギリギリまでベッドと同一化を図(っている俺だったが、学校に慣れ親しむという意味では、俺だけでなくハルヒだって滝(を登り終えた鯉(が竜(になったくらいの変化を遂(げていた。
現時点のハルヒを写真にとって、ちょうど一年前のハルヒに見せてやりたい。お前は来年、こういうふうになるんだぜ、と予言めいた声(色(とともに。
ま、仮にできたとしても、やっぱり俺はしないんだろうが。
「僕も同意見ですよ」
古泉は目を半分閉じるように細め、わずかに唇(の端(を上げて腕(と脚(を組んだ。
「ああ、習慣に関してです。地球上の至るところで生活していることからも解(りますが、もともと人間は順(応(性に富んだ生物です。大(概(の環(境(に適応できてしまうんですからね。しかしそれも善し悪しだなと最近思うのですよ。一つの状態に慣れきっていると、不意に起こる突(発(的な事態の発生について行きにくくなる、とね」
何の話だ。ハルヒのことなら、突発的でないほうが少ないだろ。
「ええ、それはそうなんですが……」
古泉にしては珍(しく言葉を濁(す様子である。何か言いたいことがあれば尋(ねてもいないのに喋(り出すこいつのことだ、ここで追(及(してまた小難しい話を聞かされてはたまらない。
何か言いたげな古泉の視線を振り切るように俺は無言で首を振り、ヤツとは反対側へ視線を転じた。
「…………」
無言というなら御(神(体(レベルに無言の輩(となっている小(柄(なセーラー服姿が、微(風(にそよそよと髪(を揺(るがせていた。
いわずと知れた長(門(有(希(、SOS団の誇(る神秘なる宇宙的秘密兵器──ってより、今は文芸部部長というほうが場に相応(しい肩(書(きだろう。俺と古泉同様、長門も学習机と椅(子(をこの中庭に運び込み、ただし俺たちから数メートル離(れた位置で黙(々(と読書をしている。なんか哲(学(者(と画家と音楽家が環(になっているとかいうようなタイトルのその本は、例によってコンクリートブロックみたいに分厚い。
俺は中庭から部室棟(を見上げた。先(程(部室へと駆(けていったハルヒと、そのハルヒに引っ張っていかれた朝比奈さんはまだ戻(ってこない。このまま今日一日戻ってこなくともいいくらいだし、そのほうが誰にとっても幸せだろうが、そうもいかんだろう。
さて。
状(況(説明が遅れたな。端(的(に言おう。新学年、新学期が始まって数日が経過した今はその放課後だ。この日、俺たちは中庭に机と椅子を持ちだしてきて、片(隅(にスペースを作っている。同様のことを他(の二、三年生もやっており、ただし全員ってわけではない。
人混みの中にはコンピュータ研究部の連中の姿も見える。長テーブルにパソコン数台を陳(列(し、ディスプレイで何やらCG的なシロモノを映しているようだ。いつぞやの宇宙艦(隊(SLGではなく、妙(にパステルチックなデザインの、どうやら占(いソフトじみたもののようだな、あれは。日(和(ったかコンピ研部長。もっとも三年に無事進級したらしい部長氏がいるのは確認できたものの、今でも部長職に留(まっているのかまでは知らん。どうでもいいっちゃあ、いいが、後で長門に訊(いておくか。
他の場所に目を移すと、そこかしこに得体の知れないグループがひしめきあっているのが見て取れる。中には聞いたこともなかったけったいな同好会やら研究会の名があって、そんな発見をして俺はますますどうでもよくなる。もともとこんな行事に俺たちが付き合っている由(縁(など、まったくないはずなのだ。
曲がりなりにも理由があるのは、実は長門だけである。
俺はもう一度、瀬(戸(物(のように無口な読書好き娘(を見やった。
全体的に離れた位置でポツンと席に着いている長門の机の前には、『文芸部』と墨(痕(鮮(やかな明(朝(体(で書かれた半紙がセロテープでとめてある。気まぐれな春風に半紙がそよりと揺れるたび、長門の美容院とは無(縁(そうなショートヘアも同じようにゆらゆらとし、本人は外界から隔(絶(されることを望んでいるような静けさで、本のページから目を上げようとはしなかった。
もうお解りだろう。
文化系クラブ──特に弱小な部──による仮入部受付兼(部活説明会。
現在、この中庭でおこなわれているのはそのような式典であった。運動部系はそれぞれ体育館やら運動場で受付やってるし、さほど勧(誘(活動をせずとも勝手に部員が集まりそうな吹(奏(楽(部や美術部も各自自前の教室で網(を張っている。ここにいるのは、宣伝しない限り存在や活動内容がもう一つ不(鮮(明(な研究部以下同好会以上が主だった。
おっと、言うまでもないかと思ったため言い忘れていたが、SOS団の人員やその関係者はめでたく全員が普(通(に進級を遂(げている。俺とハルヒと長門と古泉は二年生になり、朝比奈さんは三年生になった。一年分の思い出が染(みついた一年五組の教室とはおさらばすることに若(干(の郷(愁(はなしとは言えなかったが、何、二年生になってもこれといった違(いはなく、ちなみに俺はまたもやハルヒと教室を同じくすることになって、始業式の新二年生初顔合わせの時、クラスの俺の背後席に鎮(座(していたのは紛(うことなき涼宮ハルヒの傲(岸(不(遜(な中にも複雑さを交えた得意のカモノハシを擬(態(したかのような口だった。
「何よ、これ」
と、ハルヒは新クラスメイトたちを舐(めるように睥(睨(してそうのたもうた。
「一年の時とほとんど顔ぶれ変化なし状態じゃないの。もっと大(胆(にシャッフルされんのかと思ってたのに」
喜んでいるのか不平を露(わにしているのかどっちかにしろと言いたかったが、この時ばかりはなんとなくハルヒに同意したかったね。なぜなら俺とハルヒは二年五組に編入され、谷(口(と国(木(田(もなぜかいて、おまけに担任は生徒思いで知られる岡(部(教(諭(だったのである。ちょこちょこと見覚えはあるが名前の知らないヤツも交じっていたが、構成要素のほとんどは旧一年五組を引き継(いでいた。何でも、この時期に早くも理系重視を決め込んだ連中をまとめるとちょうど一クラス分だったらしく、八組がそいつらの受け皿となった代わりに、それまでの八組は解体され、他の七クラスに細切れにして放(り込まれたらしい。あと、極(少数が一見無意味な感じにこっちからあっちあっちからこっちへと移動されてるな。担任岡部が律(儀(に生徒全員自己紹(介(をさせたのは、そのマイノリティたちへの配(慮(だったのかもしれない。
もちろん俺はクラス分けにささやかな疑念を覚え、疑(惑(の徒となって、事態の裏側あたりで暗(躍(を遂(げそうな人物に質問をぶつけてみた。「お前らの計らいか?」
結果的に得られた答えのうち、
「ちがう」と長門は単調な声で告げた後、「たまたま」とまでダメを押してくれ、
「何も仕組んでなどいませんよ。学校当局の意向でしょう。少なくとも『機関』はこの件にはノータッチを決め込んでいます」と苦(笑(混じりに断言したのは古泉だった。「偶(然(でしょうね」
どうやら本当の話らしい。
偶然を必然に変えてしまう女の名を一人ばかり知っていたが、俺がつべこべ言うこともない。
そういや朝比奈さんと鶴(屋(さんもまたクラスメイトになったのかね? そうだったとしたら、そっちは鶴屋家が何かしてくれてそうだが、それもまたツッコムことでないさ。教室や学級は違えど、どうせ放課後になりゃあ全員が集(う場所は同じなんだしな。
俺が気にしているのは──そして気にするべきなのは、もっと違うところにあった。ひょっとしたらいま俺が目にしている新入生の中にあるのかもしれない。
宇宙人の知り合いならできた。未来人の先(輩(も得た。この一年で最も会話した男が超(能力者だったことも認めなくてはならん。
だが。
あの日、あの時、東中出身者以外の五組の生徒を啞(然(とさせたハルヒの自己紹介、その語りぐさとなった文言の中にあって、まだ登場していない肩(書(きがあるのを忘れるわけにはいかなかった。
異世界人。
うむ。そんなものが居て欲しくなどないが、欠けているように思うのもそいつらだ。でもって、俺たちは滞(りなく進級し、一年生の座が空いている…………。
「やれやれ」
俺は肩(凝(りをほぐすように首を動かし、新一年生の監(視(任務を始めた。
有望そうなのを発見したらすぐさま確保──それが団長殿(の命令だったからな。ところでハルヒの言う有望なやつとは、いったいどんな解(りやすい姿形をしてんだろうね。
ついでに言っておこう。二年五組の初授業開(催(時の自己紹介で、涼宮ハルヒは一年前と同じ語句を繰(り返したりはしなかった。代わりに、清(々(しいほどの良く通る声で、
「SOS団団長、涼宮ハルヒ。以上!」
ふてぶてしさを思わす笑(顔(とともに俺の後ろ髪(を大いに振(るわせ、それだけ言って着席した。
それで充(分(だろう、と言わんばかりに。
そしてまあ、すべてのクラスメイトにとって、それは充分なことだったのさ。涼宮ハルヒとSOS団の名を知らない人間は、もうそこにはいなかったからだ。
いるとすれば──。
俺は前年度まで三年生のものだったスクールカラーがサイドに入った上(履(きを履き、中庭を闊(歩(する脚(の数々を見るともなしに見ながら考える。
こいつらの中にしかないだろう。
葉桜の時期に差し掛(かっているソメイヨシノのかたわら、俺と古泉、ちょっと離(れて長門、の三人が無(為(なるひとときを過ごしていると、蝟(集(する生徒たちをかき分けることもなく、まるでエジプトを脱(出(するモーゼのようにこちらへと向かってくる人(影(が目についた。
見覚えのあるツラの男子で、俺がここで無為なことをするハメになっている遠因とも言うべき人物だ。さっそうとブレザーの裾(を翻(し、時折舞(う桜の花びらの中を歩いてくる姿は、すっかり板に付いた似非(権力フェイスだ。俺まで三文芝(居(の書き割り舞(台(上にいる気分になるぜ。
「ご無(沙(汰(だったな」
生徒会長は俺たちの前で立ち止まると、渋(い声でそう言った。
あいにくだがこっちはそんなにご無沙汰じゃない。始業式の全校朝礼で長々と訓示を述べていた顔をそうそう忘れたりはしないさ。
「それは何より」
シナリオのト書きに書いてあったような動作でズレてもない眼鏡(をくいっと直し、信者の集まりに不満を抱(いている教主のような面(持(ちで、
「団長はどこかね。一つか二つ、あるいはそれ以上のクレームをつけてやろうとわざわざ足を運んでやったのに、キミたちの首領の姿が見えないが」
さあ、どこにいるんでしょうね。俺はあいつの秘書でもマネージャーでもなんでもないんで、せわしない同級生の居場所など分単位で把(握(してなどいねーんですよ。
「致(し方ないな。それではキミに問う。キミたちはここで何をしているのかね」
黙(っていたら古泉が答えるかと待っていたのだが、なぜかSOS団きっての優(男(は春ボケしたかのように微(笑(をくれているだけだったので、
「見て解りませんかね」
投げやりに返答した俺を、会長閣下は鉄仮面じみた表情で見下ろし、
「無論、一目で解るとも。ここがどこで、キミたちが何者かを思えば、考えるまでもなく出てくる答えだ。尋(ねたのは、私の予想を超(えた計画を企(てているのではないかとわずかながら想定していたためだ。そうか、ないのか。ならば、私が次に言うべきセリフもすでに解っているな」
それこそこちらの想定していたものと一字一句相(違(ないだろうからな。むしろハルヒがいる時に来てくれたら話がスムーズだったのに……。
って、待てよ。どうしてまた会長はハルヒもいないのに慇(懃(無礼ポーズを崩(さないんだ? 現生徒会長は古泉によって強(引(にでっち上げられた『機関』の傀(儡(政権じゃなかったのか。
それともあれか。周囲の目をはばかったポーズなのか。しかし俺たちのいる一角は中庭の外れだから、聞き耳でも立てない限り会話を聞き取られる心配などなさそうだし、数メートル横に席をしつらえている長門の耳には届くだろうが、長門に聞かれて困る話なんてCIAかNORADの上層部しか知らないような情報ぐらいだ。
そんなつもりもないのに俺とにらみ合う形となっていた会長殿(下(は、ふっと唇(を歪(めると、真横に視線を逸(らして渋い声で、
「ここはもういい。文化系は一通り見て回った。喜(緑(くん、キミは先にグラウンドへ行っていてくれたまえ。私もすぐに行く」
「はい」
その短いセリフを聞いて、俺は初めてそこにいた人物を認(識(し、思わずゲッとか言いそうになったのをすんでに飲み込み、解りきっていた言葉を吐(き出していた。
「……喜緑さん?」
「はい」
律(儀(に彼女は応答し、上品にお辞(儀(をした。
声を聞くまでまったく目に入らなかった。その事実に俺は驚(愕(を隠(せない。まるで会長の影(に同化していたのが発声と同時に実体化したかのような、それほど突(然(出現した印象を受ける。
SOS団依(頼(人(第一号にしてコンピ研部長の元彼女、今は生徒会書記職にある喜緑江(美(里(さんは、絵画に描(かれた貴婦人のように微(笑(み、ペコリと一礼する。あっけにとられたまま、つられて俺も頭を下げた。
……ははあ、会長の気(障(ったらしいポーズの原因はこれか。喜緑さんには本(性(を隠しているってことなのか。そんな必要ないと思うんだが。
それにしても、会長と書記がワンセットのようにして登場するのは、いったいどこから来た風習なんだろうな。少しは会計や副会長にもスポットを当ててやれよ。
「お望みとあらば、そうしよう」と会長はまた眼鏡を押さえる。「ただ、ウチの会計が何か言いたそうにしていたのは、そちらの文芸部部長についてだったがな」
それについては俺も古泉の伝(で小耳に挟(んでいた。前年度、まだ春休み前にあった生徒会主導による各クラブの予算分配会議に関しての一件だ。部員一名とはいえ文芸部はれっきとしたクラブなので、その代表者もまたその会合に出席していた。それは誰かというと、当然ハルヒではなく長門有希である。ハルヒは最後まで代わりに出るか、長門についていくか、ともかくその場に行きたそうにしていたが、文芸部室を違(法(占(拠(している当の首(謀(者(がそんなところに出向いても場をいたずらに攪(拌(するのみであり、最悪、乱(闘(になりかねない。
むくれつつも俺と古泉の諫(言(を受け入れ、ハルヒは敵国に人(質(を送り出す戦国武将のような面持ちで音もなく歩き去る長門の後ろ姿を見送った。
そしてまあ、一時間ほどして戻(ってきた長門は、部員が最低人数しかいない休(眠(も同然の部活としては破格の部費をぶんどってきたのである。
いったいどんな手品を使ったのか、何が起こったのかは誰も解(らなかったという噂(だった。なんでも長門は、会議室のテーブルに静かに着席していただけで一言一句たりとも発せず、ただ生徒会会計の目をじっと見つめるのみだったそうだ。毎年のように紛(糾(し長時間化するのが恒(例(の予算分配会議は、例外的に穏(便(に進行し何一つ荒(れることなく終(了(したと聞いている。
会長は自分の手(柄(を誇(るように、
「もっとも、会議とは名ばかりで、ほとんどは私と喜緑くんが作成した予算案に従ったものになったのだがな。にしてもだ。予想はしていたが、文芸部だけがイレギュラーだった。ああ、別に今さらとやかくは言わん。予算に応じた活動をしてくれたら私も文句はない。していなければ文句をつける。もう終わったことだ」
会長の口上をこぢんまりと聞いていた喜緑さんが不意に、
「それでは会長、わたしはこれで」
「ご苦労、喜緑くん」
喜緑さんは最後にまた俺たちに一礼し、新芽のような笑(みを投げかけてからグラウンド方面へ姿を消した。かすかに百合(のような芳(香(を残して。
この間、長門と喜緑さんの間に視線の応(酬(は一(瞬(たりともなかった。さすがは似たもの同士、言語に頼(らない会話方法を習得済なのかもしれない。長門が本からまったく顔を上げなかったせいもあるかな。
「本題といきたいところなんだが」
会長はするりと眼鏡(を外し、指先でぶらぶらさせながら、
「あの女がいないのに話を進めても仕方がない。いつ戻ってくる?」
まもなくでしょうよ。朝比奈さんの衣(装(チェンジにそう時間がかかるとは思えない。
「いいだろう。待たせてもらうことにしよう」
それにしてもこの会長、やけに様になっている。まるで三年前から会長をやっていたような風(情(だぜ。
「我ながらな。生徒会の仕事など、面(倒(なだけだと思っていたんだが……」
会長はニヤリとし、やっと正体の片(鱗(を鉄(面(皮(から覗(かせた。
「やってみるとこれが存外面(白(い。教師どもや執(行(部の連中相手に会長を演じているとだ、」
パシンと片手で頰(を叩(き、
「どっちが本当の俺だったか時々忘れそうになる。別人格になりきるってのも悪くはないな」
「ペルソナを被(り続けるのは結構ですが」
ここでやっと、古泉が重たげに口を開いた。
「顔にはめた仮面に本体を乗っ取られないでくださいよ。ミイラ捕(りがミイラになったり、猫(被りが猫になったりするとは往々にしてよくありますから」
「迷宮に取り残された盗(掘(者(はミイラになどならん。ただ屍(をさらすだけだ。そして猫の寿(命(は人間より短い」
会長は猛(禽(類(的な笑みを見せ、眼鏡のレンズを袖(で拭(って再び鼻の上に戻した。
「心配するな、古泉。俺は上手(くやるさ。ただし──」
眼鏡を掛(け終えた会長は、本人でもどっちが地だか解らないというのも納(得(の完(璧(な生徒会会長へと変化し、
「あの脳内花畑女の首(紐(をつけておくのは、キミたちの役目だ」
会長が視線を向けるその先、部室棟(の出入り口から姿を現したのは、春の到(来(を確信して喜び浮(かれる森の動物のごとき我が団長と、春の妖(精(が暖かな日差しとともに具現化したようなSOS団専属メイドのお姿だった。
ハルヒは片手に段ボール箱、もう片手に朝比奈さんを抱(えて笑顔満開だったが、会長の姿を発見するや、解りやすいな、きりりと眉(を吊(り上げた。
「ちょっとちょっと!」
大(股(でずかずか歩くハルヒに腕(をつかまれているため、朝比奈さんがあわあわとするのもかまわず、
「はっはーん、やっぱりね。思った通りだわ。あたしがいない時を狙(って来たわけね。でもおあいにく様。あたしたちは生徒会にイチャモンつけられるようなことを何一つしてないんだからね!」
いやぁ……それはどうかな。お前はいったい中庭で何をおっ始めるつもりなんだ。
「あ……会長さん」
コマドリのように目をパチクリさせる朝比奈さんがメイド衣装なのは別にいい。それは空き地にネコジャラシが生えているくらい見慣れたいつもの光景だからな。
「おいハルヒ、お前」と俺。「なんて格好してやがる」
さすがにそれは俺も初めて見るぞ。いつのまに用意してたんだ?
しかして、ハルヒは傲(然(と胸を張り、
「文句あんの? チャイナドレスのどこに問題があるっていうのよ」
言葉の通り、ハルヒはスリットから伸(びる脚(も目(映(い、ラメ入りで昇(り竜(の刺(繡(がデカデカと施(されたスカーレットレッドのロングドレスを身につけていた。おまけにノースリーブ。
登場と同時に雄(叫(びを上げるもんだから、すでに中庭にいた生徒どもの視線を独り占(め状態だった。同じようにメイド朝比奈さんも衆人環(視(のハメに陥(り、恥(ずかしそうにもじもじしている姿は、できれば俺の目用に寡(占(化しておきたいところだ。独占禁止法など知ったことか。
「そりゃパーティ会場にいたら問題もなかろうが、ここは学校で、しかも大勢の新入生の前だぞ。少しは場をわきまえろよ」
常識論で諭(しにかかる俺に対し、
「わきまえてるじゃない。だからこれにしたのよ。本当はバニーガールでいいかなって思ったんだけどさ、またうるさそうだしと思ってチャイナドレスにしたこのあたしの配(慮(をありがたく受け取ることね!」
そう言ってハルヒは挑(戦(的に指を会長につきつけようとして、両手がふさがっていることに気づいたらしい。朝比奈さんを解放し、段ボールを俺の机にどすんと置いて手を払(い、改めて指差しポーズ、
「ありがたく受け取ることね!」
言い直しやがった。
だが、会長もさるもので、
「そのような配慮は配慮と言わん。当然、学内の風紀を預かる生徒会長としては毅(然(として受け取るわけにはいかない。ところで五十歩百歩という言葉に聞き覚えはないかね。あるいは似たり寄ったりでもよいが」
「それが何よ? ドングリの背比べって言いたいの?」
「いや。私としては未来への希望に満ちあふれて我が校に来た若人(にいらぬ混乱を与(えたくないだけだ。中でもいたいけな男子生徒の劣(情(を催(すようなものは許し難(い」
「劣情って何? 片腹痛いわ。いい? 制服だって体操着だって催すヤツはどうしたって催すのよ。あんた、あたしたちに素(っ裸(で授業受けさせる気?」
ヘリクツにもほどがある。果たして会長も、
「話にならん」と吐(き捨てる。
「いいじゃないの。生徒の自主性を重んじてもらいたいわね。放課後くらい、あたしたちが着たい服は自分で選ぶわ。これで登下校するって言ってるんじゃないんだし、いいわよねえ? ね、みくるちゃん」
「え、あ、はい。これで下校するのは、そのぅ」
朝比奈さんは小さくプルプルと首を横に振(り、ハルヒのチャイナさん姿をまぶしそうに見て、どこか羨(むようにほうっと息を吐(いた。着たいのだろうか?
まあ、朝比奈さんとそろってバニーガール化し校門でビラをまいていた去年に比べたらムカデなみの進歩と言ってもいいだろう。肌(の露(出(範(囲(が格段に狭(いからな。しかしながら、新入生を相手にした行事で新二年生と三年生がコスプレしてんのはどうかと思うぜ。しかも何の意味もなさそうとあってはなおさらだ。
「意味ならあるわよ、ちゃんと。ほら、今だってすっごい目立ってるでしょ?」
だから目立つことにそもそもの意味がないと言ってるんだ。
ハルヒはまじまじと俺を見つめ、俺がクジラの浮(上(気配を感じ取ったオキアミの心境になっていると、ぴょんと跳(ねるように黙(々(と読書中の長門の背後へと回った。
「キョン、あんた忘れてんじゃない? あたしたちは何しにここに来ているんだっけ? 二秒で思い出しなさい」
えーと。
「はい終わり」
ハルヒは俺にコンマ五秒の時間しか与えず宣言し、顔の前で指を振り、その手を冷(凍(処理されたかのように不動の長門の肩(に置いた。
「あたしたちはね、有希の手伝いに来てんのよ。決してSOS団の新入団員勧(誘(のためじゃないわよ。そのへん、ちゃんと解(ってなさいよね!」
と、会長に向けて言った。言(及(された長門本人はパラリとページを捲(るのみ。
「ふむ」
ここでたじろいだりしないのが現会長の特性だ。眼鏡(のツルを人差し指で触(れてから、
「涼宮くん、つまりキミは文芸部に籍(を置いていないにもかかわらず、文芸部の部員集めを買って出ているということかね」
解りやすく要約してくれて助かる。
「そうよ」
ハルヒはますます胸を反らし、今度は俺と古泉のいる机を指し示した。
「ほら、二人とも机を並べて座ってるだけで何もしてないでしょ。SOS団なんて書いた紙も貼(ってないし、春(眠(が暁(を覚えないせいでキョンはいつもよりアホ面(だし」
最後の文章は余計だろうよ。
「ほう」
会長は顎(を引いて眼鏡を意味なく光らせつつ、
「では涼宮くん。キミが持ってきたその箱に入っているプラカードと思(しき物は何かね」
「プラカードよ」
ハルヒは段ボールから突(き出ていた棒の柄(を握(りしめ、思い切りよく取り出した。
白いペンキを塗(られた木の棒の先に、これまた白く彩(色(されたベニヤ板が二枚張り合わされていて、そこにはハルヒの手によって『文芸部』と書いてあった。手(頃(な木の切り出し組み立てペンキ塗り他(の雑用が俺に回ってきていたのは言うまでもない。
「ほらほら、文芸部でしょ。みくるちゃんにこれ持って立っててもらうの。放(っておいたら有希は積極的で的確なアピールなんかしないからね」
これは本当だ。クラブ紹(介(の時間は一年生の時間割に組み込まれていて、先日それはおこなわれたらしい。らしい、というのはそこにSOS団の介(入(する余地はなく、呼ばれる理(屈(もないため、招集されたのは文芸部部長、長門だけだ。講堂に集められた新入生の面々が体育座りする前の壇(上(、そこで長門は割り当ての時間をめいっぱい消費し、世界各地の主要都市の気温を読み上げるような淡(々(としたニュース口調で『大脳生理学的見地から読み取る言語の不完全性と対話者間における意思伝達』というテーマの論文を発表し、文芸部のぶの字もでなかったのはもちろん、それ以前に序説が終わったあたりで一年生の半分は睡(魔(にのっとられていたとかなんとか。その催(眠(術(じみた説法の最中、文芸部に入ろうと思っていた人間がいたとしても確実に忌(避(したくなるような倦(怠(感が講堂を支配したという。長門有希恐(るべし。
だが長門はいっこうに気にしなかった。今日も放置しておけば部室にこもって読書を続けているだけだったろう。放っておかなかったのがハルヒである。
新入部員募(集(イベントなんておいしい出来事を、ハルヒのツムジ付近に生えている見えざるセンサーが無視してのけるはずはない。
だが待てよ。繰(り返すがSOS団は正式には未(認(可(であり、今なお秘密結社も同然の学内非合法組織である。公(に団員募集などできるわけはない。以前のハルヒなら堂々としてたかもしれんが、今年度からは生徒会長の目が生き生きと光っている。では、どうやったらこの日を楽しく遊べるだろう。
こうしてハルヒの頭上でレジスターが高らかに鳴り響(き、俺たちは急(遽(文芸部ボランティアとなって春(宵(一刻値(千金な花冷えの候、今日というこの日を中庭にてぼんやり過ごしている。
──と、いうのが表向きの話であるわけで、当たり前だが裏もある。
それは生徒会長にも容易に計算できる事態であったらしく、
「そのプラカード、裏面も見せてもらおうか」
「いいわよ」
ハルヒはニンマリと笑って、手首を返した。『文芸部』の裏側は──もちろんリバーシブルでも『文芸部』だ。SOS団なんて書いてあろうはずもない。
「準備万(端(というわけか。まあよかろう。キミの言いぶんは一応だが論理に叶(っているところがないでもない」
会長は眼鏡のブリッジを押さえつつ、
「妥(協(は性(分(にあわんが、下手に騒(ぎを起こされるよりは格段にマシといえる。他の部の迷(惑(にならんよう、大人しく黙(って日(没(までそこに突っ立っていてくれたまえ。私は視察でいそがしいのでな。強(引(な勧(誘(、入部の強制は厳禁だ」
それは運動部に言うべきだな。しがない県立高校だ、どこも有望な部員不足に困っている。
「もっともだ。そうさせていただこう。最後に尋(ねたい。文芸部の部員を募(るのはいい。それで、部員が集まったらどうするのかね。場所を明け渡(すのか?」
「あんたの知ったことじゃないわ」
上級生にタメ口以上なのは二年になっても変わらずのハルヒだった。ふん、とばかりに横向いたハルヒに、
「ふむ。それだけだ。では、またな」
会長猊(下(はハルヒのチャイナドレスと朝比奈さんのメイド服をフィルムに焼き付けんばかりの眼光でしばらく眺(め、やがて悠(然(と喜緑さんの後を追った。
何しに来たんだ。ハルヒに向かってするなと何度も言うのは、逆に「やれ」と言っているようなもんなんだぜ。ほらハルヒのヤツ、すでに上(機(嫌(のあまり爆(笑(しそうな顔になってるじゃないか。
「うまくいったわね。ちょろいちょろい。ちょろろんよ」
会長が見えなくなるのを待っていたハルヒは、持っていたプラカードをがつんと地面に突き刺(し、板に張ってあったベニヤをばりばりと引っぺがした。この工作に一枚嚙(んでいる俺は驚(かない。あわれな『文芸部』の文字は単なる木(屑(と化し、その二重となっていた板の奥から出てきた文字は疑いようもなく──。
SOS団。
去年の五月──あれは何日だったっけな──に結成された『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』は、まだしばらく名(称(を変(更(することなく健勝の運びになるようだ。
ハルヒの持参した段ボールの中身は手製のプラカードだけではなかった。
プラカードを朝比奈さんに押しつけたハルヒは、中(華(風(ロングドレスの裾(をはためかせながら、奇(術(師(のアシスタントであるかのように次々と物品を取り出していく。
まずは液(晶(モニタ、次いでDVD再生機、各種コードやらケーブルやらアダプター類、そして最後に購(買(で入手したまっさらの大学ノートと筆記用具。
「さあ、設置設置」
と、ハルヒは俺をせっついた。
「これ、ちゃんと映るようにしなさい」
中庭にコンセントなどないが、電源の確保交(渉(はハルヒが事前におこなっていた。ここで逆らっても無(為(の上に無益を重ねるだけだ。俺は言われるままにケーブルを携(え、コンピ研ブースへと赴(いた。
「すみませんが、電気貸してくれますかね」
「いいとも」
応じてくれたのは部長氏だった。どうやら今でも部長職に留(まっているらしく、胸(元(の入館証みたいな手製のスタッフバッジにそう書いてある。
「まだ下の者が心許(なくてね」と部長氏はなぜか自(慢(げに、「一学期いっぱいは部長をしていることにしたんだ。いや一応部長候補は考えてある。これからじっくりと育て上げ──」
長くなりそうならまた今度にして欲しいね。この分だと、他(の部員はとっとと引退してくれたらいいのにと思ってるかもしれんな。
「あぁ、実はねえ」
部長氏はやや声をひそめ、手の甲(で口元を隠(して早口言葉のように、
「長門さんに兼(部(してもらって、そのついでに部長もして欲しいところなんだ。僕の見た中で世界最強にコンピュータと相性のいい逸(材(だよ。どんな不具合もバグもシステムエラーまで長門さんがスイッチを入れるだけで魔(法(のように消え失(せるんだ。たまに来たときにいじってもらうだけなんだが毎回が驚きの連続さ。彼女専用の自作パソコンがあるんだけど、瞬(く間にメーカー真っ青なオリジナル新型OSの開発に成功してしまった。ところがいくらソースを見てもまったく未知のコードで彼女以外の誰にも扱(えない。これが試(したすべてのハードのソフトを完(璧(に動作させる驚(異(のコンパチスペックで、いったいどういう仕組みなのかと──」
そんな長々と俺に言われても、それが長門だとしか言いようがないな。個人的な依(頼(なら本人に直接懇(願(してやってくれ。きっと教えてくれると思うぞ。ただし地球人には何ら理解できないような気がするが。
俺はケーブルの先(端(をプラプラと振(る。正しく察してくれた三年生にしてまだ現役の部長氏は、快く延長コードのソケットを貸してくれた。ハルヒによるコンピ研SOS団第二支部化は着実に進行しているようで何よりだ。どこかで歯止めをかけないと、地球の全大陸が砂(漠(化(するより先に人類総SOS団員化が成し遂(げられるかもしれん。いくらなんでもホモ・サピエンスはそこまで馬(鹿(になってないと信じたい。
ソケットにプラグを突(き刺し、巻いていたケーブルを伸(ばしながら戻(ってきた俺を、ハルヒはフリスビーを取ってきた犬を迎(える主人の顔で出(迎(えた。
ニコヤカなのはいいことさ。とりわけ古泉にとっては──と思って目をやってみたところ、自(称(エスパー少年はそれほど嬉(しそうにもしていなかった。机に肘(をついて指を組み、口元を隠すように顎(を載(っけているその反応、何の思(惑(があってのことだ? さり気なく横目で長門を見ているような様子も気にかかる。
なんだ? SOS団所属の連中は順番に情(緒(が不安定になるという法則でもあるのか? 今度は古泉の番か? 勘(弁(しろよ。長門や朝比奈さんはともかく、お前だけは自分を見失ったりしないと確信してたのに。
古泉は俺の不(審(に気づいたか、ゆっくり視線をこちらに向けると目を細くした。安心させるように微(笑(んだようでもあるが、どこか作り物めいた気配を感じる。
理数コースの九組にいたこいつは、そのままゴンドラに運ばれるようにクラスメイトまるごと二年九組になったはずだから、気にくわないヤツが紛(れ込んだこともなかろう。
ハルヒはいつものように元気だし、古泉が気に病(む事態になっているとも思いがたい。『機関』とやらの上司にバイト代の減額でも申し渡(されたのだろうか。だったら何よりじゃないか。お前がヒマなのは俺がヒマである以上に喜ばしいことだと思うんでね。
それか新学期早々、新一年生の女子たちから下(駄(箱(にラブリーな封(筒(を投げ込まれて困(惑(しているんだとしたら、俺の同情する余地はシャミセンの抜(け毛ほどに無用のものとなるぜ。なにしろ古泉は黙(って立っていたら問答無用で異性の目を引きそうなツラをハルヒと並んでしていやがるからな。
「キョン、さあ早くこのテレビを映るようにしなさい」
ミス・チャイナ選手権最(優(秀(賞受賞者みたいなハルヒがプラカードを振り回しながら笑(顔(で命令、唯(々(諾(々(と従う俺を手伝いに、古泉も腰(を上げてやってきた。そのままDVD再生機と液(晶(モニタを繫(ぐコードをあれこれいじくり回している最(中(、古泉は一見普(通(の微(笑(を浮(かべる一方で、だがしかし、俺に奇(妙(な印象を与(え続けていた。
何でまた、俺にちらちらと微(妙(な視線を送ってくるのだ。残念ながら俺は長門と朝比奈さんのアイコンタクトは受け付けても男に見つめられて意図を理解するだけのスキルはないぜ。
AV機器を何とか正しく配線し終え、俺が投げやりな終(了(報告をすると、ハルヒは魚群を発見した漁師のようによしよしとばかりにうなずいて、
「さってと」
箱を漁(ってディスクを一枚取り出した。嫌(々(のように口を開けた中古のプレイヤーに放(り込み、自分ちの呼び鈴(を押すような気安さでプレイボタンに人差し指をあてがう。
途(端(、液晶モニタに胡(乱(な映像が浮かび上がり、どっかで聞いたような音楽がスピーカーから雨(漏(りのように染(み出した。
朝比奈さんがビクっと、
「あー……」
切なげな吐(息(を漏(らし、おずおずと画面からは目を逸(らす。そのいたいけな仕草にたちまち男気を喚(起(された俺は、
「ハルヒ、あんまりボリュームを上げんな。会長が聞きつけてまた戻ってくるぞ」
「かまやしないわ。あたしはあんな奴(ちっとも気にしてないから」
してやれ。
「なんならここで公開討論会をしてもいいくらいよ」
それはするな。
「もうっ、うるさいわねバカキョン」
ハルヒは目と口を逆正三角形にするという器用な表情を作り、
「あんたと古泉くんはここで待っててくれたらいいわ。後はあたしとみくるちゃんで何とかするから」
朝比奈さんの腰に手を回し、ぐっと引き寄せつつ、ニマァと笑う。
「ひゃぁ」と朝比奈さんはへっぴり腰。
ハルヒはメイド姿の新三年生に頰(ずりしながら俺をギロリと睨(んだ。
「いい? 面(白(そうなのが寄ってきたら確保して名前とクラスをメモってからリリースしなさい。それからウチは映研じゃないから、そっち志望者は追い払(っといて。いいわね!」
一方的に申しつけると、ハルヒは朝比奈さんを強(引(すぎるエスコートでもって引きずりつつ、中庭周遊の旅に出た。
「やれやれ」
俺は肩(をすくめてSOS団プラカードを地から抜き放(ち、椅(子(の後ろに隠(してから、モニタが解像度の限りを無(駄(に尽(くして映しているシロモノを眺(めた。
すなわち、『長門ユキの逆(襲( Episode 00 予告編』なる、電力と機材とデジタルデータを無駄に消費しているとしか思えない短編映像を。
新学年新学期の前には春休みなる長くもない休(暇(期間があったわけだが、当然の振(る舞(いとしてハルヒが新年度の訪(れをただ座して待っているわけはなかった。
たぶん、球技大会と阪(中(の犬事件が終わったあたりから着々と計画を練っていたのだろう。夏や冬と比べて課題の少ない春休みこそ、まったり過ごすにうってつけの期間だというのに、SOS団団員はほぼ毎日のように召(喚(されて、ハルヒが思いつきのように指差す先の場所へとトマホークミサイルのように巡(航(することになったのである。
いろいろ行ったぞ。アンティークショップ巡(りやらフリーマーケットの下見やら、その帰り道に阪中家を訪問してルソーのご機(嫌(をうかがったり、それから鶴屋家の広大な庭で開(催(された大花見大会に招待されたり、ああ、あれは楽しかったな。鶴屋さんが指をパチンと鳴らしただけで母(屋(から山のような宴(会(料理が続々運び込まれてきた時にはたまげたが。
とにかくハルヒは呼ばれたところには必ず行き、呼ばれていないところへも乗り込んで、初春の大気を力いっぱい吸いながら俺たちを東(奔(西(走(させた。なぜ途(中(で息切れしないのか不思議でならない。
その中で、とりわけハルヒが熱意を注いだのは去年の文化祭で上映した『朝比奈ミクルの冒(険( Episode 00』の続編だ。サブタイと思ってたほうが本タイトルだったことにも驚(き打たれたが、来年度の文化祭に向けての活動を二年になる前から本当に準備しようなどと気の早いことを企(むとは思わなかったよ。
こうして再びメガホンを取ったハルヒは新調した腕(章(を装着すると、部室の片(隅(に眠(っていたビデオカメラを俺に押しつけるや否(や、おもむろに朝比奈さんを剝(き始めた。俺と古泉、即(座(に回れ右。
タイトルロールを飾(っている人物こそ長門ユキだが、主人公は引き続き朝比奈ミクルが務めるらしく(主人公は古泉イツキじゃなかったっけ?)、ところでミクルの正体は未来から来た戦うウェイトレスなのであるから、朝比奈さんがまたしてもあのセクハラな衣(装(を身にまとうのはハルヒ監(督(的には最(早(必然の流れだ。これまた制服姿に鍔(広(トンガリ帽(子(と黒マントを装着した長門は星マーク付き指し棒を持たされ、古泉はレフ板を持たされた。
なんとも都合のいいことに、春なら桜が咲(いているから前回の続きにすんなり入れるってわけだ。一年の間に二回も咲かされた川沿いの桜たちには同情を禁じ得ない。
しかしなぜ「予告編」なのか、春休みなのに俺たちを部室に集合させたハルヒはこう切り出した。
「あんた、予告編に騙(されたことってある?」
何の詐(欺(行(為(だ、と問い返す俺にハルヒは、
「映画の予告編よ。よくテレビとか劇場で別の映画の直前とかに流れてるでしょ? それ観(てさ、うわっ面白そうって思ったりするじゃない。で、その面白そうな映画をワクワクしながら観に行ったら、これが全然スカみたいな映画なのよ。たとえばね、」
たとえなくてもいいのだが、ハルヒは俺でも知ってる昔の洋画のタイトルを口にして、
「これなんか予告見る限りではメチャメチャ楽しそうで笑えそうな映画だったのよ。実際、コマーシャルだけで、あたし、何度か笑っちゃったもん。だからね、封(切(りと同時に小(躍(りしながら観に行ったわ」
と、ハルヒはオーバーアクション気味に首を振り、
「もうまったく面(白(くなかったわ。なんでならね、その映画の中で面白かったシーンを全部抜(き出して繫(いだのが、まさにその予告編だったわけ。面白いところだけを、もう映画が始まる前から知ってて、おまけに面白いシーンがそれだけしかなかったのよ。どう思う?」
俺に言われてもな。その手のクレームは配給会社に電話でもしてやってくれ。きっと予告編担当部門とかがあって、そこの社員が優(秀(なんだろう。
「いくら宣伝のためとは言え、良いところを全部出して編集するのはどうかと思ったわ。だからね、キョン!」
ハルヒは例のキラキラ輝(く天の川銀河を閉じこめたような瞳(で、
「先に予告編だけ作ってて、本編はそれから考えるのよ! 予告用のショートムービーならいくらでも面白くできるわ。だってオチとかいらないし、見せ場だけ用意すればいいんだからね。と、いうわけよ」
そういうわけなので、本編も存在しないのにその予告編を作ることになったのである。ハルヒも二作目をどんな話にするか考えていなかったのだ。しかし、その映像を新入団員勧(誘(のエサの一つにするつもりでいた。でも肝(心(の本編がない。どうしよう。うーん。そうだ、じゃあ予告編を撮(ろう!
なんちゅう直球な思考回路だ。まだ『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』をDVDに焼き増しして売りさばく野望を捨てていないとみえる。前作のダイジェスト版でも編集して流せばいいのに、チラッとでも見せたら損だと思っているようだ。あるいは観たければ入団せよと言うつもりか。あんなん通して観ても頭痛がするだけだぞ。朝比奈さんのPVとしては百二十点だが……。
俺は野外にわざわざ持ってきたモニタをチラ見しながら、もとの椅(子(に尻(を戻(した。
画面がしぶしぶのように上映しているのは、パロディと言えば聞こえがいいが、要するに色んなところからパクってきたシーンのオンパレードだ。
蛍(光(灯(みたいなボンヤリ光る棒を構えたイツキに、ユキが脈(絡(もなく「わたしはあなたの母」とか言い出したり、いきなりユキが眼鏡(をかけている状態では一(般(人(だが外すとやにわにコスチュームチェンジして空を飛んだり、黒い棺(桶(をゴトゴトと引きずって荒(野(を歩いていたり、いよいよネタ切れに陥(ったかシャミセンとミクルの人格が唐(突(に入れ替(わって朝比奈さんはずっと「にゃ、にゃあ」を連呼するばかりであったり、そのシャミセンの声はハルヒのアテレコで、もちろん口の動きがセリフと全然合っていなかったり、というか、シャミセンは口を開いてさえいなかったり──などなど、一見みどころがありそうで実はまったくストーリーになっていないシーンのドミノ倒(し、次々様々に舞(台(も演者も変わるのに、やたらとテンポが悪いのはカット割りがノーセンスなせいだ。とどめに特(撮(シーンはわざとかというくらいにショボく、気まぐれに挿(入(される音楽はもうはっきり騒(音(の域に達していた。
出演する必要もないのに、和服を着た鶴屋さんが日本家屋庭先の桜並木をバックに気前よく「のわっはっはっはっ」と笑い、なぜかついてきていた俺の妹とシャミセンが戯(れているところに至っては単なるホームビデオレベルである。ことのついでとばかりに花見の時に意味なくカメラを回していただけだからな。バカ映画の風上にもおけないこの単なるゴミ映像集、見直すまでもなく確実に一作目より悪化している。ウェイトレスルックの朝比奈さんが飛んだり跳(ねたりするあたりは、さすがに朝比奈みくるプロモーションとしては成功していたが、だいたいこれが映画の予告編であると何人が気づくであろう。ラストに入るハルヒのナレーション、「長門ユキの逆(襲(、今秋文化祭にて一(斉(公開堂々上映予定!」という雄(叫(びを除けば。
一つ訊(いていいか? 前作で宇宙の彼方(に飛ばされたユキはどうやって、また地球に戻ってきたのだ?
「それはこれから考えるわよ。新たな敵もね!」とハルヒ超(監(督(はのたもうた。
つまるところ、まだ考えていないのだ。見切り発車を超(越(し、これではほとんど詐(欺(フィルムである。こんなもん観(て興味をもってやってくる新一年生など、こちらから願い下げだ。
ハルヒのチャイナ姿や朝比奈さんメイドに目を眩(ませられる凡(人(どもにもな。
かくして、中庭をうろつく一年生たちも中坊(を脱(して義務教育を離(れた身分になっているのは制度上の問題のみではないらしく、俺と古泉が雁(首(並べて冴(えない表情をしている机を遠巻きにするだけで、寄ってこようとはしない。
キミたちの判断は沈(没(船(からいち早く脱(出(しようとするネズミのごとき賢(明(さだ。健康的でまともな高校生活がどれほど幸せなことなのか、ここに溢(れている若人(どもは知るまい。だが俺は知っているので忠告するにいささかのやぶさかも感じないんである。この年(頃(の一年の差はアゲハチョウの幼虫の四齢(から五齢くらいの違(いがある。たとえ遊び半分でも、地(雷(原疑(惑(のある草原を歩いてはいけないのさ。人間、分別が肝心だ。
俺はハルヒ企(画(による駄(映像のボリュームを落とし、また横を向いた。
「…………」
長門が省電力中のノートパソコンのようにスタンバイしている机にも他(に人(影(はない。ハルヒに代わって喜ぶべきかどうか迷うところだが、創作的な文芸活動に興味のある一年生は未(だ登場せずか。
文芸部が昨年度にやった唯(一(の活動、古泉の操作で会長がたくらみ、まんまとノセられたハルヒが指揮をふるって俺たちに作成させたあの会誌は、うっかりほぼすべてを無料配布してしまったせいで残部がゼロになっており、長門の着いている机に置かれている一冊がサンプルとして閲(覧(可能になっているのみだ。俺も含(めて寄(稿(した連中には見本で一部ずつ配られていたが、せっかくもらった物を拠(出(する気になれなかったのは全員が等しく抱(く心意気だったようで、誰も手放そうとはしなかった。谷口なんかあんだけブウブウ言ってたのにな。
よって新たに誰かが会誌を読もうとしたら、いつもは部室の長門文庫の中にあるそのサンプルを手に取るくらいしかない。
飽(くなき探求心を手元の書物に向けている長門をぼんやりと眺(めていると、
「…………」
長門はゆっくり顔を上げ、無色透(明(な光を持つ瞳(を俺に向けた。あまりにも自然な動きだったため、しばらく目が合っていることにも気づかなかった俺が我に返ったタイミングで、
「ねこ」
その微(風(のような声が、長門の唇(からこぼれたものだと察するにも一秒ほどの時間がかかった。俺は長門の定規のように真(っ直(ぐな視線を受け止めつつ、
「猫(が何だって?」
「どう」
「どう、とは?」
長門は少し考え込むようにしてから、ただし頭の位置をまったく変えず、
「どう?」
さっきのセリフがわずかに疑問形になっただけだが、了(解(した。
「シャミセンのことか」
小さめの頭がこくりと傾(く。
「そう」
「元気でやってるよ。今んとこ、喋(り出す気配はない」
「そう」
それだけ言って、長門はまた読書に戻(る。
我が家の聞き分けのいい三毛猫を心配してくれていたのか。確かに得体の知れないナントカいう、ええと、もう一度言ってくれないと思い出せない名(称(を持つ共生体なるものの宿主になっちまってるシャミセンをそうしたのは長門だしな。
とりあえずアレ以降、我が家の飼(い猫はエサの食い過ぎと運動不足で少し重めになった以外に変化はない。存分に猫的生活を謳(歌(すること、ハルヒが拾って俺に押しつけて以来そのままだ。
空煙(り猫肥ゆる春、という時候の挨(拶(を思いついたがどうだろうか。俺も春休みには猫みたいにぐうたらしていたかったぜ。
「実に慌(ただしい春休みでしたね」
古泉が慨(嘆(口調で呟(いた。
視線を虚(空(に泳がせていたので、独り言かと思って俺が流していると、
「そう思いませんか?」
尋(ねてから、こちらへ向き直った古泉の表情に浮(かぶ笑(みは、俺の目がどうかしたのか、どこか疲(れて見えた。
古泉は前(髪(を緩(慢(に弾(きつつ、
「どうもしていません。あなたの目は正常です。そうですね、僕はやや疲(労(気味です」
そりゃハルヒに付き合っていれば大(抵(の正常な人間なら疲れもするさ。
「一(般(的な意味ではありません。僕の正体と任務を覚えていますか? 僕が何のためにここにいるのか、という根本的な理由です」
最初はハルヒの監(視(で、今では太(鼓(持ちだろ?
「失礼ですが、僕が超(能力者であることをお忘れではないでしょうね。そして、僕の能力がいつ、どこで、誰が、どのような状態のときに発揮されるのか、ということもです」
散々聞かされたから覚えているさ。お前の正体告白を聞いたのは長門と朝比奈さんのそれの後だ。いわばSOS団団員中で最も新しい情報と言える。
「それはよかった。話が早くすみます」
古泉はわざとらしく安(堵(したような息を吐(き、声をひそめて、
「実はここのところ睡(眠(不足が続いていましてね。深夜や明け方に目が覚める日常が続いています。否(応(なしにです。そのせいでどうも調子が回復しないのですよ」
夜眠(れないなら昼学校で寝(ろ。授業中の五分間の睡眠は通常の眠りの一時間に相当するという話だぜ。
「別に不(眠(症(にかかっているわけではないのでね。それに、問題は僕の内にはないんです。もうお気づきのはずですよ。お互(い、知らない仲ではないのですから、回りくどく韜(晦(するのは違(う話題のときにしましょう」
古泉の細めた目に潜(む眼光は珍(しく真(剣(だった。いつもはお前の話しぶりのほうがよほど回りくどかろうに、少しは人のふり見て我が身を直す気分になったか。しょうがないな。知らない仲ではないというのは真実だ。長門や朝比奈さんと比べたら、もう一つ信用には足らんヤツだが。
「閉(鎖(空間と《神人》か」
古泉の超能力とやらが発揮されるのは大体そこだ。
「ご名答。ここのところ出現頻(度(が高まっているんです。春休み以降から、今日に至るまでね。正確には春休みの最終日からですが、おかげで僕のアルバイトはここ連続して時間を選ばず、二十四時間態勢シフトに入っているというわけです」
自(嘲(するような吐(息(を漏(らし、
「慣れていたつもりだったんですよ。《神人》退治は僕たちの日常茶(飯(事(でしたからね。義務だったとも言えます。しかし、この一年ですっかり鈍(ってしまったようですね。昨年の涼宮さん、SOS団結成後の彼女は、それ以前に比して飛(躍(的に精神を安定させていましたから。あなたが涼宮さんとあそこから戻ってきた以降は特にね」
発生頻度が減少してるってのは、そういえばクリスマス前に聞いたな。まだイブを迎(える以前、俺が谷口の彼女できた自(慢(を聞いたあたりに。
その代わりに別のヤツが、もっととんでもないことをしたりしたが……。
「いや、ちょい待て」
俺は不条理な気分を味わいつつ、
「古泉、お前、さっきのハルヒを見なかったのか。この上なく上(機(嫌(だったじゃねえか。物理的に地に足がついてないんじゃないかと思ったぜ。あいつの上(靴(には羽が生えてんじゃねえか? それにだ、あのトンチキな異空間と青い巨(人(は、あいつがストレスを抱(えたり行き詰(まってクサったら出るもんなんだろ。ハルヒがあんだけ走り回ってて退(屈(そうでもないのに、それじゃ理屈にあわねーぞ」
「確かに僕の目にも涼宮さんは元気いっぱいに見えますね。ヒマを持て余しているわけでもない。ここで一つ、春休みの最後の日に起きた出来事について思い出していただきたいのです」
今までずっとこ回想してたんだが。
「思い当たるフシがないと? そんなはずはありませんね。だとしたら、まだ思い出すことは残っていることになります。しかもとびきり重要なことをね」
古泉は肩(をすくめ、マヌケな回答者に最終ヒントを出す司会者のような口ぶりで、
「春休み最後の日です。涼宮さんの無意識レベルの変化が起こったのはその日からですよ。さて、何がありました?」
また無意識かよ。ハルヒの無意識と古泉のエセ精神医学的ハッタリにはいつも悩(まされるが……。
「フリーマーケットに行った日だろ。ハルヒが今度はフリマに参加したいと言い出して、その下見に電車にまで乗って隣(の隣の市まで──」
「電車に乗る前ですよ。僕が指(摘(したいことは」
いちいちうるさいな。
俺は目を閉じ、またもや回想の海へと漕(ぎ出(でた。
ハルヒがバザールだかフリマがどうとか言い出したのは、春休みに入ってそうそう、映画第(二(弾(予告編撮(影(準備中の部室でのことだった。
朝比奈さんをウェイトレス姿に着(替(えさせ、長門に占(い師(兼(魔(法(使(い用帽(子(とマントを着用させてクランクインキャンペーンよろしくメイン二人を並ばせた前で、ハルヒは黄色いメガホン片手に立ちふさがりつつ、部室を自主的に追い出されていてようやく戻(ってきた俺と古泉を振(り仰(いで言った。
「この部屋、ちょっとモノが増えすぎたと思わない? 探したんだけど、この前作った監(督(の腕(章(がどっかにいっちゃってたのよ。他(の荷物に紛(れてるだけかもしんないけど、そろそろ備品を整理する頃(合(いかしら」
いらんもんをカラスのようにどっかから拾ってくるのは主にお前だろうよ。長門は本だし、朝比奈さんは茶器から茶葉、古泉はロートルなゲーム各種だけで、かさばる物の大方はハルヒが持ち込んできたものに限定されている。
ハルヒはどっかりと団長専用椅(子(に腰(を下ろし、
「あたしさ、イベント告知のチラシとか配ってたら絶対もらってくることにしてんのね。で、ちょっと前にこれもらったの忘れてたわけ」
机の中から紙切れを取り出す。
「フリーマーケットのお知らせよ。ちょっと遠いけど、特急に乗れば十五分くらいのところだわ。できれば今すぐ応(募(したかったのよね。でも今あたしたち色々いそがしいし、申し込みの審(査(にも時間かかるみたいだし」
俺たちがいそがしいのはハルヒがそうしたがっているだけだからなのだが。
ハルヒがひらひらさせているチラシを受け取り、俺は自分の椅子に座った。フリーマーケットね。この時期だから在庫一(掃(処分セールみたいなものか。
俺がハルヒに新たな出がけ先を入れ知(恵(したペーパーを睨(んでいると、
「お茶です」
目の前のテーブルに、コトリと俺の湯飲みが置かれた。
素(晴(らしきかな朝比奈さん。映画用ウェイトレススタイルでもお茶くみを決して忘れないその慎(ましやかな笑(顔(と優(しさに俺は涙(腺(が緩(みそうになる。メイドではなくウェイトレス姿で給仕されるのも新(鮮(でいい……って、本来こっちの仕事のほうが格好には合っているんだよな。普(通(、ウェイトレスは宇宙人と格(闘(したりはしない。
「うふ。この衣(装(も、その、外に出ないのなら可愛(くていいんだけど」
朝比奈さんはスカートの裾(を気にするように脚(を合わせてから、嬉(しそうに盆(を抱(き、また急(須(と湯飲みの元へパタパタと小走り。そのまま全員分のお茶を淹(れて配って回った。全校の朝比奈ファン垂(涎(、彼女の小間使い姿を見ることができるのは世界広しといえども文芸部室だけである。ついでに、魔女ルックで読書にふける長門を目に納められるのもな。一応写真に撮(っておきたい光景だ。
俺が目と喉(の渇(きを存分に癒(す作業に没(頭(していたところ、
「ちょっとキョン!」
五秒でお茶を飲み終えたハルヒが、湯飲みを音高く机に置いて立ち上がった。本当にいそがしいヤツだ。
「今回は無理だけど、次はあたしたちも商品を持って参加するわよ。いまのうちに家の押し入れを漁(って、高く売れそうな要(らない物を用意しておきなさい。何かあるでしょ? もう使わないのに捨てられなくて死蔵されてるコレクションとか、もらったのはいいけど封(も開けていない贈(答(品(とか」
ガキの頃(雑誌の懸(賞(で当たった、観たこともないアニメロボのプラモ一式とかでいいのか? 大量に送ってくれたものの、組み立てるのが面(倒(でそのまま放(りっぱになってる。
「そういうのでいいのよ」
ハルヒは俺の手からフリーペーパーをひったくるように取り戻し、丁(寧(にたたみつつ、
「プラモデル? それだってあんたに作られるより上手な人の手に渡(るのが幸せに思うわよ、きっと」
ガキ向けの難易度低いプラモより、コンピ研から戦利品としてせしめたノートパソコンを出品してはどうだい。高く売れるぜ。
「それは大切な備品よ。そろそろコンピ研を呼んでアップグレードさせなきゃね」
次にハルヒの矛(先(は、湯飲みを両手でもってふうふうと息を吹(きかけている朝比奈さんに向いた。
「みくるちゃんとこにもいっぱいありそうね。着古した服とか無(駄(に集めた食器とか。しょっちゅう買い物行ってるみたいだし」
「あ、ええと」
朝比奈さんは麗(しい目を見開いて、
「そ、そうですね。ついつい可愛くて買っちゃうんです。けど、着てみたら似合わなかったり、変な味だったり……。えと、どうして解るんですかぁ?」
「イチコロで解るわよ。だってみくるちゃん、店先を一(緒(に歩いているときキラキラした目で『今度これ買いに来よう』ってトランペットを欲しがる子供みたいな電波を出してるもの。よくお小(遣(いが保(つわね」
ぎくっとする朝比奈さんだったが、ハルヒは早くも別人へと槍(先(の方向を変え、
「有希んちには本がたくさんありそうね。フリマで古本市を開いたらいいわ。この部室の本(棚(ももうギュウギュウ詰(めだしさ。床(だって、ほら。もう底が抜(けそうよ」
「…………」
長門はゆっくりと首をねじってハルヒを見、さらにねじって本棚を眺(め、おまけに俺を一(瞥(して読書に戻(った。
長門が自分の蔵書を手放すとは思えないし、それに長門の家には本がたくさんあるんじゃなくて、たくさんの本しかないと言うべきではないかと頭で単語の入れ替(えを試みている俺に、
「キョン、そんときにはカートを持って有希のところまで取りに行くのよ。箱詰めの手伝いもね」
長門は再び首をひねって俺を注視し、俺はその目に浮(かぶメッセージを幻(視(する感覚に襲(われた。あれはいつだっけ。ああ、中(河(のバカからアホな電話があった頃(合(いだから冬休み中だな。部室の年末大(掃(除(にて、長門は本棚に溢(れる本の処分について完全ノーコメントを貫(いていた。家の自室に置いてある本だって一冊たりとも失いたくないはずさ。
「そうですねえ」と古泉が湯飲み片手に、「せっかく持ってきても対戦相手がなかなか見つからないゲームばかりですしね。この際、僕のコレクションから外してもいいかもしれません」
苦笑いみたいな表情を俺に向けるのは遠(慮(してもらいたい。
ハルヒはせわしなく団長机に飛び乗るようにして座ると、
「そういうわけでみんな、春休み最終日の予定は空けておくのよ。フリマの下見に行くからね。ついでに面(白(そうな物があったら部費で買っちゃいましょ」
その部費がSOS団のものではなく、文芸部の割り当て分であるのは言うまでもない。
──てな感じで。
わざわざ学校がしばらく遊んでていいぞ、と門を閉ざしている休(暇(中だっていうのに、ハルヒ率いるSOS団は午前中いっぱいを惰(眠(で過ごす時間を与(えられることはなく、あちらこちらをウロウロした春休みの最後の日も、すっかり集合場所として定着した駅前に向かう次(第(となった…………。
「ようやくそこに辿(り着いてくれましたか。もしやあなたの記(憶(から抹(消(されているのではないかと不安だったんですよ」
あの日のことを俺のメモリーから消去して誰が得するんだ。
「損得勘(定(では推し量れないことですが、できるものなら僕が消したかったですね」
おかしなことを言う。古泉に記憶操作されるいわれなどまったくない。だいたい、そんなことができるのなら、まずまっさきにハルヒの頭をどうにかしろよ。
「おっしゃるとおりです」
そんな悩(ましげに言うな。だいたい、ハルヒのことで頭を悩ますなんて人生の無(駄(遣(いだぜ。
「そうはいきません。涼宮さんの悩みは、僕の悩みでもありますからね」
古泉は小さく降参するように手を広げ、俺は回想に戻った。