プロローグ 1

 季節の移り変わりを何をもって実感するかは人それぞれだと思うが、この半年間の俺の場合、家で飼ってるねこシャミセンの動向が最もわかりやすかった。

 シャミセンが夜中に俺のているベッドにもぐり込まなくなったことで、俺はこの地域に四季のうちで最高評価をあたえてもいい数ヶ月がやってきたことを知り、だが猫以上に季節にびんかんなのはかんきよう変動への対応に感心するほど正確に準じる植物たちだろうとも思いつつ、あちらこちらで満開となった桜たちが、まるで全員が事前に打ち合わせでもしていたようなスケジュール通りの散り様をそろそろ見せてくれそうな四月じようじゆんの空はクレヨンでり固めたように青く、太陽は続く夏への準備運動のつもりか、やたら明るい日差しを地表へと降り注がせていたものの山からき下ろしてくる風はいまだほんのりと冷たくて、俺の現在位置がそれなりの標高にあることを教えてくれている。

 やることもないのでひたすら上空をあおいでいた俺の口から、言っても言わなくてもどうでもいいような単語がこぼれ落ちたのは、やはりヒマだったから以外の理由はなかろう。

「春だな……」

 なので、別に誰かにリアクションして欲しかったわけでもないのだが、そういう空気をちゃんと読んでいながらも意識的に無理矢理かぶせてくる臨時りんじんが、

「疑いようもなく春ですね。そして学生にとっては新しい一年の始まりです。カレンダーの上でも、年度的にも。そして僕の心情においてもね」

 むやみにさわやかな語り口調、まあ春と秋には似合っていると思ってやってもいいか。夏なら暑苦しいだけだし、冬にだってささやき声を聞き取れるほど至近きよにいたい人物ナンバーワンはあささんくらいだからな。

 俺が早くも上の空へと移行しつつ聞き流しモードに入りつつあるのを感じたのかどうか、

「高校生になって二度目の春をむかえたわけですが、私的意見を申しえますと、これが『やっと』と言うべきか、それとも『もう』と言うべきか、少々判断に迷うところがありますね」

 迷うことなんかあるものか。英語ならどちらもyetだ。過ぎ去った時間にあったことをいちいち全部覚えてなどいないから、り返ったらたいていのもんは早く終わったように思えるし、これからあるようなことは知りようがないから早くもおそくもなく、いまやってることは内容によって、主に楽しいかいなかで早かったり遅かったりを自分なりに感じていればいいのさ。少しは時計の身にもなってみろ。あいつらは文句も言わずに同じ秒数を同じだけカチコチいわせてんだぜ。たまに消した覚えもないのにアラームがオフになっててかべに投げつけたくはなるが。月曜の朝には特にな。

「まさにその通りですね。時計の針は我々に客観とは何かを教えてくれる数少ないものの一つです。ですが時間を主観的にしか感じ取ることのできない人間にとって、それは指針の一つでしかないものでもあるんです。より重要なのは、その一定の時間内に自分が何を考え、どう実行したかなんですよ」

「やれやれ」

 俺はゆるやかに形を変えようとしている雲の観測作業を中断し、となりへと首をひねった。

 相変わらずなしようがそこにあり、その持ち主であるいずみいつの存在を表していたが、まあ飛行機雲と比べることもなくながめていて目の肥やしにも毒にもならない日常の風景に過ぎず、そんなものを眺めていても何らるものはないと考えた俺は、顔を正面に向けることを実行した。

 ただ、

「俺の私的意見を申し添えておくとだな」

 中庭の光景を存分にもうまくへ投射しつつ、耳をかたむけている気配のある古泉に、

「やっぱり、やっと来たかって感じがするぜ」

 そこら中に群れている新入生たちの真新しい制服を目で追いながら、俺はのうに録画されたなつかしい映像ががんで再生されるのを感じていた。

 そしてこう思うのだ。

 一年前の二年生たちは、一年前の俺たちをこういう感覚で見ていたのかね──なーんてことをさ。



 俺がこの高校に入学したのは学区割りという制度のわざだが、そこからすずみやハルヒというかくにん移動物体と出会っちまったと認識するヒマもそうそうに、電波でとんきような自己しようかいを聞かされて、何だこいつはと思っているうちにあれよあれよとハルヒ時空に引きずり込まれ、あげくにSOS団としようするなぞ組織の一員に加えられた結果、とうとう本物の宇宙人未来人ちよう能力者的存在とかいこうまで果たし、それだけならまだしもそれぞれが持ち寄ってくる宇宙人未来人超能力者的イベントに強制参加させられたかと思えば、一方でハルヒがとつぜん思いつく道楽にも付き合わされまくるという、いやまったくもう、この一年間で俺の経験値はてんじよう知らずだ。はんな中ボスなら片手でたおせるんじゃないかと思えるくらいさ。

「習慣ってのはたいしたもんだな」

 登校時のしつこいまでに長い坂道にもすっかり慣れちまい、慣れるにしたがってしよう時間がおくれていって、今やギリギリまでベッドと同一化をはかっている俺だったが、学校に慣れ親しむという意味では、俺だけでなくハルヒだってたきを登り終えたこいりゆうになったくらいの変化をげていた。

 現時点のハルヒを写真にとって、ちょうど一年前のハルヒに見せてやりたい。お前は来年、こういうふうになるんだぜ、と予言めいたこわいろとともに。

 ま、仮にできたとしても、やっぱり俺はしないんだろうが。

「僕も同意見ですよ」

 古泉は目を半分閉じるように細め、わずかにくちびるはしを上げてうであしを組んだ。

「ああ、習慣に関してです。地球上の至るところで生活していることからもわかりますが、もともと人間はじゆんのう性に富んだ生物です。たいがいかんきように適応できてしまうんですからね。しかしそれも善し悪しだなと最近思うのですよ。一つの状態に慣れきっていると、不意に起こるとつぱつ的な事態の発生について行きにくくなる、とね」

 何の話だ。ハルヒのことなら、突発的でないほうが少ないだろ。

「ええ、それはそうなんですが……」

 古泉にしてはめずらしく言葉をにごす様子である。何か言いたいことがあればたずねてもいないのにしやべり出すこいつのことだ、ここでついきゆうしてまた小難しい話を聞かされてはたまらない。

 何か言いたげな古泉の視線を振り切るように俺は無言で首を振り、ヤツとは反対側へ視線を転じた。

「…………」

 無言というならしんたいレベルに無言のやからとなっているがらなセーラー服姿が、そよかぜにそよそよとかみるがせていた。

 いわずと知れたなが、SOS団のほこる神秘なる宇宙的秘密兵器──ってより、今は文芸部部長というほうが場に相応ふさわしいかたきだろう。俺と古泉同様、長門も学習机とをこの中庭に運び込み、ただし俺たちから数メートルはなれた位置でもくもくと読書をしている。なんかてつがくしやと画家と音楽家がになっているとかいうようなタイトルのその本は、例によってコンクリートブロックみたいに分厚い。

 俺は中庭から部室とうを見上げた。さきほど部室へとけていったハルヒと、そのハルヒに引っ張っていかれた朝比奈さんはまだもどってこない。このまま今日一日戻ってこなくともいいくらいだし、そのほうが誰にとっても幸せだろうが、そうもいかんだろう。

 さて。

 じようきよう説明が遅れたな。たんてきに言おう。新学年、新学期が始まって数日が経過した今はその放課後だ。この日、俺たちは中庭に机と椅子を持ちだしてきて、かたすみにスペースを作っている。同様のことをほかの二、三年生もやっており、ただし全員ってわけではない。

 人混みの中にはコンピュータ研究部の連中の姿も見える。長テーブルにパソコン数台をちんれつし、ディスプレイで何やらCG的なシロモノを映しているようだ。いつぞやの宇宙かんたいSLGではなく、みようにパステルチックなデザインの、どうやらうらないソフトじみたもののようだな、あれは。ったかコンピ研部長。もっとも三年に無事進級したらしい部長氏がいるのは確認できたものの、今でも部長職にとどまっているのかまでは知らん。どうでもいいっちゃあ、いいが、後で長門にいておくか。

 他の場所に目を移すと、そこかしこに得体の知れないグループがひしめきあっているのが見て取れる。中には聞いたこともなかったけったいな同好会やら研究会の名があって、そんな発見をして俺はますますどうでもよくなる。もともとこんな行事に俺たちが付き合っているえんなど、まったくないはずなのだ。

 曲がりなりにも理由があるのは、実は長門だけである。

 俺はもう一度、もののように無口な読書好きむすめを見やった。

 全体的に離れた位置でポツンと席に着いている長門の机の前には、『文芸部』とぼつこんあざやかなみんちようたいで書かれた半紙がセロテープでとめてある。気まぐれな春風に半紙がそよりと揺れるたび、長門の美容院とはえんそうなショートヘアも同じようにゆらゆらとし、本人は外界からかくぜつされることを望んでいるような静けさで、本のページから目を上げようとはしなかった。

 もうお解りだろう。

 文化系クラブ──特に弱小な部──による仮入部受付けん部活説明会。

 現在、この中庭でおこなわれているのはそのような式典であった。運動部系はそれぞれ体育館やら運動場で受付やってるし、さほどかんゆう活動をせずとも勝手に部員が集まりそうなすいそうがく部や美術部も各自自前の教室であみを張っている。ここにいるのは、宣伝しない限り存在や活動内容がもう一つせんめいな研究部以下同好会以上が主だった。

 おっと、言うまでもないかと思ったため言い忘れていたが、SOS団の人員やその関係者はめでたく全員がつうに進級をげている。俺とハルヒと長門と古泉は二年生になり、朝比奈さんは三年生になった。一年分の思い出がみついた一年五組の教室とはおさらばすることにじやつかんきようしゆうはなしとは言えなかったが、何、二年生になってもこれといったちがいはなく、ちなみに俺はまたもやハルヒと教室を同じくすることになって、始業式の新二年生初顔合わせの時、クラスの俺の背後席にちんしていたのはまごうことなき涼宮ハルヒのごうがんそんな中にも複雑さを交えた得意のカモノハシをたいしたかのような口だった。

「何よ、これ」

 と、ハルヒは新クラスメイトたちをめるようにへいげいしてそうのたもうた。

「一年の時とほとんど顔ぶれ変化なし状態じゃないの。もっとだいたんにシャッフルされんのかと思ってたのに」

 喜んでいるのか不平をあらわにしているのかどっちかにしろと言いたかったが、この時ばかりはなんとなくハルヒに同意したかったね。なぜなら俺とハルヒは二年五組に編入され、たにぐちくにもなぜかいて、おまけに担任は生徒思いで知られるおかきようだったのである。ちょこちょこと見覚えはあるが名前の知らないヤツも交じっていたが、構成要素のほとんどは旧一年五組を引きいでいた。何でも、この時期に早くも理系重視を決め込んだ連中をまとめるとちょうど一クラス分だったらしく、八組がそいつらの受け皿となった代わりに、それまでの八組は解体され、他の七クラスに細切れにしてほうり込まれたらしい。あと、ごく少数が一見無意味な感じにこっちからあっちあっちからこっちへと移動されてるな。担任岡部がりちに生徒全員自己しようかいをさせたのは、そのマイノリティたちへのはいりよだったのかもしれない。

 もちろん俺はクラス分けにささやかな疑念を覚え、わくの徒となって、事態の裏側あたりであんやくげそうな人物に質問をぶつけてみた。「お前らの計らいか?」

 結果的に得られた答えのうち、

「ちがう」と長門は単調な声で告げた後、「たまたま」とまでダメを押してくれ、

「何も仕組んでなどいませんよ。学校当局の意向でしょう。少なくとも『機関』はこの件にはノータッチを決め込んでいます」としよう混じりに断言したのは古泉だった。「ぐうぜんでしょうね」

 どうやら本当の話らしい。

 偶然を必然に変えてしまう女の名を一人ばかり知っていたが、俺がつべこべ言うこともない。

 そういや朝比奈さんとつるさんもまたクラスメイトになったのかね? そうだったとしたら、そっちは鶴屋家が何かしてくれてそうだが、それもまたツッコムことでないさ。教室や学級は違えど、どうせ放課後になりゃあ全員がつどう場所は同じなんだしな。

 俺が気にしているのは──そして気にするべきなのは、もっと違うところにあった。ひょっとしたらいま俺が目にしている新入生の中にあるのかもしれない。

 宇宙人の知り合いならできた。未来人のせんぱいも得た。この一年で最も会話した男がちよう能力者だったことも認めなくてはならん。

 だが。

 あの日、あの時、東中出身者以外の五組の生徒をぜんとさせたハルヒの自己紹介、その語りぐさとなった文言の中にあって、まだ登場していないかたきがあるのを忘れるわけにはいかなかった。

 異世界人。

 うむ。そんなものが居て欲しくなどないが、欠けているように思うのもそいつらだ。でもって、俺たちはとどこおりなく進級し、一年生の座が空いている…………。

「やれやれ」

 俺はかたりをほぐすように首を動かし、新一年生のかん任務を始めた。

 有望そうなのを発見したらすぐさま確保──それが団長殿どのの命令だったからな。ところでハルヒの言う有望なやつとは、いったいどんなわかりやすい姿形をしてんだろうね。

 ついでに言っておこう。二年五組の初授業かいさい時の自己紹介で、涼宮ハルヒは一年前と同じ語句をり返したりはしなかった。代わりに、すがすがしいほどの良く通る声で、

「SOS団団長、涼宮ハルヒ。以上!」

 ふてぶてしさを思わすがおとともに俺の後ろがみを大いにるわせ、それだけ言って着席した。

 それでじゆうぶんだろう、と言わんばかりに。

 そしてまあ、すべてのクラスメイトにとって、それは充分なことだったのさ。涼宮ハルヒとSOS団の名を知らない人間は、もうそこにはいなかったからだ。

 いるとすれば──。

 俺は前年度まで三年生のものだったスクールカラーがサイドに入ったうわきを履き、中庭をかつするあしの数々を見るともなしに見ながら考える。

 こいつらの中にしかないだろう。



 葉桜の時期に差しかっているソメイヨシノのかたわら、俺と古泉、ちょっとはなれて長門、の三人がなるひとときを過ごしていると、しゆうする生徒たちをかき分けることもなく、まるでエジプトをだつしゆつするモーゼのようにこちらへと向かってくるひとかげが目についた。

 見覚えのあるツラの男子で、俺がここで無為なことをするハメになっている遠因とも言うべき人物だ。さっそうとブレザーのすそひるがえし、時折う桜の花びらの中を歩いてくる姿は、すっかり板に付いた似非えせ権力フェイスだ。俺まで三文しばの書き割りたい上にいる気分になるぜ。

「ごだったな」

 生徒会長は俺たちの前で立ち止まると、しぶい声でそう言った。

 あいにくだがこっちはそんなにご無沙汰じゃない。始業式の全校朝礼で長々と訓示を述べていた顔をそうそう忘れたりはしないさ。

「それは何より」

 シナリオのト書きに書いてあったような動作でズレてもない眼鏡めがねをくいっと直し、信者の集まりに不満をいだいている教主のようなおもちで、

「団長はどこかね。一つか二つ、あるいはそれ以上のクレームをつけてやろうとわざわざ足を運んでやったのに、キミたちの首領の姿が見えないが」

 さあ、どこにいるんでしょうね。俺はあいつの秘書でもマネージャーでもなんでもないんで、せわしない同級生の居場所など分単位であくしてなどいねーんですよ。

いたし方ないな。それではキミに問う。キミたちはここで何をしているのかね」

 だまっていたら古泉が答えるかと待っていたのだが、なぜかSOS団きってのやさおとこは春ボケしたかのようにしようをくれているだけだったので、

「見て解りませんかね」

 投げやりに返答した俺を、会長閣下は鉄仮面じみた表情で見下ろし、

「無論、一目で解るとも。ここがどこで、キミたちが何者かを思えば、考えるまでもなく出てくる答えだ。たずねたのは、私の予想をえた計画をくわだてているのではないかとわずかながら想定していたためだ。そうか、ないのか。ならば、私が次に言うべきセリフもすでに解っているな」

 それこそこちらの想定していたものと一字一句そうないだろうからな。むしろハルヒがいる時に来てくれたら話がスムーズだったのに……。

 って、待てよ。どうしてまた会長はハルヒもいないのにいんぎん無礼ポーズをくずさないんだ? 現生徒会長は古泉によってごういんにでっち上げられた『機関』のかいらい政権じゃなかったのか。

 それともあれか。周囲の目をはばかったポーズなのか。しかし俺たちのいる一角は中庭の外れだから、聞き耳でも立てない限り会話を聞き取られる心配などなさそうだし、数メートル横に席をしつらえている長門の耳には届くだろうが、長門に聞かれて困る話なんてCIAかNORADの上層部しか知らないような情報ぐらいだ。

 そんなつもりもないのに俺とにらみ合う形となっていた会長殿でんは、ふっとくちびるゆがめると、真横に視線をらして渋い声で、

「ここはもういい。文化系は一通り見て回った。みどりくん、キミは先にグラウンドへ行っていてくれたまえ。私もすぐに行く」

「はい」

 その短いセリフを聞いて、俺は初めてそこにいた人物をにんしきし、思わずゲッとか言いそうになったのをすんでに飲み込み、解りきっていた言葉をき出していた。

「……喜緑さん?」

「はい」

 りちに彼女は応答し、上品におをした。

 声を聞くまでまったく目に入らなかった。その事実に俺はきようがくかくせない。まるで会長のかげに同化していたのが発声と同時に実体化したかのような、それほどとつぜん出現した印象を受ける。

 SOS団らいにん第一号にしてコンピ研部長の元彼女、今は生徒会書記職にある喜緑さんは、絵画にえがかれた貴婦人のようにほほみ、ペコリと一礼する。あっけにとられたまま、つられて俺も頭を下げた。

 ……ははあ、会長のったらしいポーズの原因はこれか。喜緑さんにはほんしようを隠しているってことなのか。そんな必要ないと思うんだが。

 それにしても、会長と書記がワンセットのようにして登場するのは、いったいどこから来た風習なんだろうな。少しは会計や副会長にもスポットを当ててやれよ。

「お望みとあらば、そうしよう」と会長はまた眼鏡を押さえる。「ただ、ウチの会計が何か言いたそうにしていたのは、そちらの文芸部部長についてだったがな」

 それについては俺も古泉のつてで小耳にはさんでいた。前年度、まだ春休み前にあった生徒会主導による各クラブの予算分配会議に関しての一件だ。部員一名とはいえ文芸部はれっきとしたクラブなので、その代表者もまたその会合に出席していた。それは誰かというと、当然ハルヒではなく長門有希である。ハルヒは最後まで代わりに出るか、長門についていくか、ともかくその場に行きたそうにしていたが、文芸部室をほうせんきよしている当のしゆぼうしやがそんなところに出向いても場をいたずらにかくはんするのみであり、最悪、らんとうになりかねない。

 むくれつつも俺と古泉のかんげんを受け入れ、ハルヒは敵国にひとじちを送り出す戦国武将のような面持ちで音もなく歩き去る長門の後ろ姿を見送った。

 そしてまあ、一時間ほどしてもどってきた長門は、部員が最低人数しかいないきゆうみんも同然の部活としては破格の部費をぶんどってきたのである。

 いったいどんな手品を使ったのか、何が起こったのかは誰もわからなかったといううわさだった。なんでも長門は、会議室のテーブルに静かに着席していただけで一言一句たりとも発せず、ただ生徒会会計の目をじっと見つめるのみだったそうだ。毎年のようにふんきゆうし長時間化するのがこうれいの予算分配会議は、例外的におん便びんに進行し何一つれることなくしゆうりようしたと聞いている。

 会長は自分のがらほこるように、

「もっとも、会議とは名ばかりで、ほとんどは私と喜緑くんが作成した予算案に従ったものになったのだがな。にしてもだ。予想はしていたが、文芸部だけがイレギュラーだった。ああ、別に今さらとやかくは言わん。予算に応じた活動をしてくれたら私も文句はない。していなければ文句をつける。もう終わったことだ」

 会長の口上をこぢんまりと聞いていた喜緑さんが不意に、

「それでは会長、わたしはこれで」

「ご苦労、喜緑くん」

 喜緑さんは最後にまた俺たちに一礼し、新芽のようなみを投げかけてからグラウンド方面へ姿を消した。かすかに百合ゆりのようなほうこうを残して。

 この間、長門と喜緑さんの間に視線のおうしゆういつしゆんたりともなかった。さすがは似たもの同士、言語にたよらない会話方法を習得済なのかもしれない。長門が本からまったく顔を上げなかったせいもあるかな。

「本題といきたいところなんだが」

 会長はするりと眼鏡めがねを外し、指先でぶらぶらさせながら、

「あの女がいないのに話を進めても仕方がない。いつ戻ってくる?」

 まもなくでしょうよ。朝比奈さんのしようチェンジにそう時間がかかるとは思えない。

「いいだろう。待たせてもらうことにしよう」

 それにしてもこの会長、やけに様になっている。まるで三年前から会長をやっていたようなぜいだぜ。

「我ながらな。生徒会の仕事など、めんどうなだけだと思っていたんだが……」

 会長はニヤリとし、やっと正体のへんりんてつめんからのぞかせた。

「やってみるとこれが存外おもしろい。教師どもやしつこう部の連中相手に会長を演じているとだ、」

 パシンと片手でほおたたき、

「どっちが本当の俺だったか時々忘れそうになる。別人格になりきるってのも悪くはないな」

「ペルソナをかぶり続けるのは結構ですが」

 ここでやっと、古泉が重たげに口を開いた。

「顔にはめた仮面に本体を乗っ取られないでくださいよ。ミイラりがミイラになったり、ねこ被りが猫になったりするとは往々にしてよくありますから」

「迷宮に取り残されたとうくつしやはミイラになどならん。ただしかばねをさらすだけだ。そして猫の寿じゆみようは人間より短い」

 会長はもうきんるい的な笑みを見せ、眼鏡のレンズをそでぬぐって再び鼻の上に戻した。

「心配するな、古泉。俺は上手うまくやるさ。ただし──」

 眼鏡をけ終えた会長は、本人でもどっちが地だか解らないというのもなつとくかんぺきな生徒会会長へと変化し、

「あの脳内花畑女のくびひもをつけておくのは、キミたちの役目だ」

 会長が視線を向けるその先、部室とうの出入り口から姿を現したのは、春のとうらいを確信して喜びかれる森の動物のごとき我が団長と、春のようせいが暖かな日差しとともに具現化したようなSOS団専属メイドのお姿だった。



 ハルヒは片手に段ボール箱、もう片手に朝比奈さんをかかえて笑顔満開だったが、会長の姿を発見するや、解りやすいな、きりりとまゆり上げた。

「ちょっとちょっと!」

 おおまたでずかずか歩くハルヒにうでをつかまれているため、朝比奈さんがあわあわとするのもかまわず、

「はっはーん、やっぱりね。思った通りだわ。あたしがいない時をねらって来たわけね。でもおあいにく様。あたしたちは生徒会にイチャモンつけられるようなことを何一つしてないんだからね!」

 いやぁ……それはどうかな。お前はいったい中庭で何をおっ始めるつもりなんだ。

「あ……会長さん」

 コマドリのように目をパチクリさせる朝比奈さんがメイド衣装なのは別にいい。それは空き地にネコジャラシが生えているくらい見慣れたいつもの光景だからな。

「おいハルヒ、お前」と俺。「なんて格好してやがる」

 さすがにそれは俺も初めて見るぞ。いつのまに用意してたんだ?

 しかして、ハルヒはごうぜんと胸を張り、

「文句あんの? チャイナドレスのどこに問題があるっていうのよ」

 言葉の通り、ハルヒはスリットからびるあしばゆい、ラメ入りでのぼりゆうしゆうがデカデカとほどこされたスカーレットレッドのロングドレスを身につけていた。おまけにノースリーブ。

 登場と同時にたけびを上げるもんだから、すでに中庭にいた生徒どもの視線を独りめ状態だった。同じようにメイド朝比奈さんも衆人かんのハメにおちいり、ずかしそうにもじもじしている姿は、できれば俺の目用にせん化しておきたいところだ。独占禁止法など知ったことか。

「そりゃパーティ会場にいたら問題もなかろうが、ここは学校で、しかも大勢の新入生の前だぞ。少しは場をわきまえろよ」

 常識論でさとしにかかる俺に対し、

「わきまえてるじゃない。だからこれにしたのよ。本当はバニーガールでいいかなって思ったんだけどさ、またうるさそうだしと思ってチャイナドレスにしたこのあたしのはいりよをありがたく受け取ることね!」

 そう言ってハルヒはちようせん的に指を会長につきつけようとして、両手がふさがっていることに気づいたらしい。朝比奈さんを解放し、段ボールを俺の机にどすんと置いて手をはらい、改めて指差しポーズ、

「ありがたく受け取ることね!」

 言い直しやがった。

 だが、会長もさるもので、

「そのような配慮は配慮と言わん。当然、学内の風紀を預かる生徒会長としてはぜんとして受け取るわけにはいかない。ところで五十歩百歩という言葉に聞き覚えはないかね。あるいは似たり寄ったりでもよいが」

「それが何よ? ドングリの背比べって言いたいの?」

「いや。私としては未来への希望に満ちあふれて我が校に来た若人わこうどにいらぬ混乱をあたえたくないだけだ。中でもいたいけな男子生徒のれつじようもよおすようなものは許しがたい」

「劣情って何? 片腹痛いわ。いい? 制服だって体操着だって催すヤツはどうしたって催すのよ。あんた、あたしたちにぱだかで授業受けさせる気?」

 ヘリクツにもほどがある。果たして会長も、

「話にならん」とき捨てる。

「いいじゃないの。生徒の自主性を重んじてもらいたいわね。放課後くらい、あたしたちが着たい服は自分で選ぶわ。これで登下校するって言ってるんじゃないんだし、いいわよねえ? ね、みくるちゃん」

「え、あ、はい。これで下校するのは、そのぅ」

 朝比奈さんは小さくプルプルと首を横にり、ハルヒのチャイナさん姿をまぶしそうに見て、どこかうらやむようにほうっと息をいた。着たいのだろうか?

 まあ、朝比奈さんとそろってバニーガール化し校門でビラをまいていた去年に比べたらムカデなみの進歩と言ってもいいだろう。はだしゆつはんが格段にせまいからな。しかしながら、新入生を相手にした行事で新二年生と三年生がコスプレしてんのはどうかと思うぜ。しかも何の意味もなさそうとあってはなおさらだ。

「意味ならあるわよ、ちゃんと。ほら、今だってすっごい目立ってるでしょ?」

 だから目立つことにそもそもの意味がないと言ってるんだ。

 ハルヒはまじまじと俺を見つめ、俺がクジラのじよう気配を感じ取ったオキアミの心境になっていると、ぴょんとねるようにもくもくと読書中の長門の背後へと回った。

「キョン、あんた忘れてんじゃない? あたしたちは何しにここに来ているんだっけ? 二秒で思い出しなさい」

 えーと。

「はい終わり」

 ハルヒは俺にコンマ五秒の時間しか与えず宣言し、顔の前で指を振り、その手をれいとう処理されたかのように不動の長門のかたに置いた。

「あたしたちはね、有希の手伝いに来てんのよ。決してSOS団の新入団員かんゆうのためじゃないわよ。そのへん、ちゃんとわかってなさいよね!」

 と、会長に向けて言った。げんきゆうされた長門本人はパラリとページをめくるのみ。

「ふむ」

 ここでたじろいだりしないのが現会長の特性だ。眼鏡めがねのツルを人差し指でれてから、

「涼宮くん、つまりキミは文芸部にせきを置いていないにもかかわらず、文芸部の部員集めを買って出ているということかね」

 解りやすく要約してくれて助かる。

「そうよ」

 ハルヒはますます胸を反らし、今度は俺と古泉のいる机を指し示した。

「ほら、二人とも机を並べて座ってるだけで何もしてないでしょ。SOS団なんて書いた紙もってないし、しゆんみんあかつきを覚えないせいでキョンはいつもよりアホづらだし」

 最後の文章は余計だろうよ。

「ほう」

 会長はあごを引いて眼鏡を意味なく光らせつつ、

「では涼宮くん。キミが持ってきたその箱に入っているプラカードとおぼしき物は何かね」

「プラカードよ」

 ハルヒは段ボールからき出ていた棒のにぎりしめ、思い切りよく取り出した。

 白いペンキをられた木の棒の先に、これまた白くさいしきされたベニヤ板が二枚張り合わされていて、そこにはハルヒの手によって『文芸部』と書いてあった。ごろな木の切り出し組み立てペンキ塗りほかの雑用が俺に回ってきていたのは言うまでもない。

「ほらほら、文芸部でしょ。みくるちゃんにこれ持って立っててもらうの。ほうっておいたら有希は積極的で的確なアピールなんかしないからね」

 これは本当だ。クラブしようかいの時間は一年生の時間割に組み込まれていて、先日それはおこなわれたらしい。らしい、というのはそこにSOS団のかいにゆうする余地はなく、呼ばれるくつもないため、招集されたのは文芸部部長、長門だけだ。講堂に集められた新入生の面々が体育座りする前のだんじよう、そこで長門は割り当ての時間をめいっぱい消費し、世界各地の主要都市の気温を読み上げるようなたんたんとしたニュース口調で『大脳生理学的見地から読み取る言語の不完全性と対話者間における意思伝達』というテーマの論文を発表し、文芸部のぶの字もでなかったのはもちろん、それ以前に序説が終わったあたりで一年生の半分はすいにのっとられていたとかなんとか。そのさいみんじゆつじみた説法の最中、文芸部に入ろうと思っていた人間がいたとしても確実にしたくなるようなけんたい感が講堂を支配したという。長門有希おそるべし。

 だが長門はいっこうに気にしなかった。今日も放置しておけば部室にこもって読書を続けているだけだったろう。放っておかなかったのがハルヒである。

 新入部員しゆうイベントなんておいしい出来事を、ハルヒのツムジ付近に生えている見えざるセンサーが無視してのけるはずはない。

 だが待てよ。り返すがSOS団は正式にはにんであり、今なお秘密結社も同然の学内非合法組織である。おおやけに団員募集などできるわけはない。以前のハルヒなら堂々としてたかもしれんが、今年度からは生徒会長の目が生き生きと光っている。では、どうやったらこの日を楽しく遊べるだろう。

 こうしてハルヒの頭上でレジスターが高らかに鳴りひびき、俺たちはきゆうきよ文芸部ボランティアとなってしゆんしよう一刻あたい千金な花冷えの候、今日というこの日を中庭にてぼんやり過ごしている。

 ──と、いうのが表向きの話であるわけで、当たり前だが裏もある。

 それは生徒会長にも容易に計算できる事態であったらしく、

「そのプラカード、裏面も見せてもらおうか」

「いいわよ」

 ハルヒはニンマリと笑って、手首を返した。『文芸部』の裏側は──もちろんリバーシブルでも『文芸部』だ。SOS団なんて書いてあろうはずもない。

「準備ばんたんというわけか。まあよかろう。キミの言いぶんは一応だが論理にかなっているところがないでもない」

 会長は眼鏡のブリッジを押さえつつ、

きようしようぶんにあわんが、下手にさわぎを起こされるよりは格段にマシといえる。他の部のめいわくにならんよう、大人しくだまってにちぼつまでそこに突っ立っていてくれたまえ。私は視察でいそがしいのでな。ごういんかんゆう、入部の強制は厳禁だ」

 それは運動部に言うべきだな。しがない県立高校だ、どこも有望な部員不足に困っている。

「もっともだ。そうさせていただこう。最後にたずねたい。文芸部の部員をつのるのはいい。それで、部員が集まったらどうするのかね。場所を明けわたすのか?」

「あんたの知ったことじゃないわ」

 上級生にタメ口以上なのは二年になっても変わらずのハルヒだった。ふん、とばかりに横向いたハルヒに、

「ふむ。それだけだ。では、またな」

 会長げいはハルヒのチャイナドレスと朝比奈さんのメイド服をフィルムに焼き付けんばかりの眼光でしばらくながめ、やがてゆうぜんと喜緑さんの後を追った。

 何しに来たんだ。ハルヒに向かってするなと何度も言うのは、逆に「やれ」と言っているようなもんなんだぜ。ほらハルヒのヤツ、すでにじようげんのあまりばくしようしそうな顔になってるじゃないか。

「うまくいったわね。ちょろいちょろい。ちょろろんよ」

 会長が見えなくなるのを待っていたハルヒは、持っていたプラカードをがつんと地面に突きし、板に張ってあったベニヤをばりばりと引っぺがした。この工作に一枚んでいる俺はおどろかない。あわれな『文芸部』の文字は単なるくずと化し、その二重となっていた板の奥から出てきた文字は疑いようもなく──。

 SOS団。

 去年の五月──あれは何日だったっけな──に結成された『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』は、まだしばらくめいしようへんこうすることなく健勝の運びになるようだ。



 ハルヒの持参した段ボールの中身は手製のプラカードだけではなかった。

 プラカードを朝比奈さんに押しつけたハルヒは、ちゆうふうロングドレスのすそをはためかせながら、じゆつのアシスタントであるかのように次々と物品を取り出していく。

 まずはえきしようモニタ、次いでDVD再生機、各種コードやらケーブルやらアダプター類、そして最後にこうばいで入手したまっさらの大学ノートと筆記用具。

「さあ、設置設置」

 と、ハルヒは俺をせっついた。

「これ、ちゃんと映るようにしなさい」

 中庭にコンセントなどないが、電源の確保こうしようはハルヒが事前におこなっていた。ここで逆らってもの上に無益を重ねるだけだ。俺は言われるままにケーブルをたずさえ、コンピ研ブースへとおもむいた。

「すみませんが、電気貸してくれますかね」

「いいとも」

 応じてくれたのは部長氏だった。どうやら今でも部長職にとどまっているらしく、むなもとの入館証みたいな手製のスタッフバッジにそう書いてある。

「まだ下の者が心もとなくてね」と部長氏はなぜかまんげに、「一学期いっぱいは部長をしていることにしたんだ。いや一応部長候補は考えてある。これからじっくりと育て上げ──」

 長くなりそうならまた今度にして欲しいね。この分だと、ほかの部員はとっとと引退してくれたらいいのにと思ってるかもしれんな。

「あぁ、実はねえ」

 部長氏はやや声をひそめ、手のこうで口元をかくして早口言葉のように、

「長門さんにけんしてもらって、そのついでに部長もして欲しいところなんだ。僕の見た中で世界最強にコンピュータと相性のいいいつざいだよ。どんな不具合もバグもシステムエラーまで長門さんがスイッチを入れるだけでほうのように消えせるんだ。たまに来たときにいじってもらうだけなんだが毎回が驚きの連続さ。彼女専用の自作パソコンがあるんだけど、またたく間にメーカー真っ青なオリジナル新型OSの開発に成功してしまった。ところがいくらソースを見てもまったく未知のコードで彼女以外の誰にもあつかえない。これがためしたすべてのハードのソフトをかんぺきに動作させるきようのコンパチスペックで、いったいどういう仕組みなのかと──」

 そんな長々と俺に言われても、それが長門だとしか言いようがないな。個人的ならいなら本人に直接こんがんしてやってくれ。きっと教えてくれると思うぞ。ただし地球人には何ら理解できないような気がするが。

 俺はケーブルのせんたんをプラプラとる。正しく察してくれた三年生にしてまだ現役の部長氏は、快く延長コードのソケットを貸してくれた。ハルヒによるコンピ研SOS団第二支部化は着実に進行しているようで何よりだ。どこかで歯止めをかけないと、地球の全大陸がばくするより先に人類総SOS団員化が成しげられるかもしれん。いくらなんでもホモ・サピエンスはそこまで鹿になってないと信じたい。

 ソケットにプラグをき刺し、巻いていたケーブルをばしながらもどってきた俺を、ハルヒはフリスビーを取ってきた犬をむかえる主人の顔でむかえた。

 ニコヤカなのはいいことさ。とりわけ古泉にとっては──と思って目をやってみたところ、しようエスパー少年はそれほどうれしそうにもしていなかった。机にひじをついて指を組み、口元を隠すようにあごっけているその反応、何のおもわくがあってのことだ? さり気なく横目で長門を見ているような様子も気にかかる。

 なんだ? SOS団所属の連中は順番にじようちよが不安定になるという法則でもあるのか? 今度は古泉の番か? かんべんしろよ。長門や朝比奈さんはともかく、お前だけは自分を見失ったりしないと確信してたのに。

 古泉は俺のしんに気づいたか、ゆっくり視線をこちらに向けると目を細くした。安心させるようにほほんだようでもあるが、どこか作り物めいた気配を感じる。

 理数コースの九組にいたこいつは、そのままゴンドラに運ばれるようにクラスメイトまるごと二年九組になったはずだから、気にくわないヤツがまぎれ込んだこともなかろう。

 ハルヒはいつものように元気だし、古泉が気にむ事態になっているとも思いがたい。『機関』とやらの上司にバイト代の減額でも申しわたされたのだろうか。だったら何よりじゃないか。お前がヒマなのは俺がヒマである以上に喜ばしいことだと思うんでね。

 それか新学期早々、新一年生の女子たちからばこにラブリーなふうとうを投げ込まれてこんわくしているんだとしたら、俺の同情する余地はシャミセンのけ毛ほどに無用のものとなるぜ。なにしろ古泉はだまって立っていたら問答無用で異性の目を引きそうなツラをハルヒと並んでしていやがるからな。

「キョン、さあ早くこのテレビを映るようにしなさい」

 ミス・チャイナ選手権さいゆうしゆう賞受賞者みたいなハルヒがプラカードを振り回しながらがおで命令、だくだくと従う俺を手伝いに、古泉もこしを上げてやってきた。そのままDVD再生機とえきしようモニタをつなぐコードをあれこれいじくり回しているなか、古泉は一見つうしようかべる一方で、だがしかし、俺にみような印象をあたえ続けていた。

 何でまた、俺にちらちらとみような視線を送ってくるのだ。残念ながら俺は長門と朝比奈さんのアイコンタクトは受け付けても男に見つめられて意図を理解するだけのスキルはないぜ。

 AV機器を何とか正しく配線し終え、俺が投げやりなしゆうりよう報告をすると、ハルヒは魚群を発見した漁師のようによしよしとばかりにうなずいて、

「さってと」

 箱をあさってディスクを一枚取り出した。いやいやのように口を開けた中古のプレイヤーにほうり込み、自分ちの呼びりんを押すような気安さでプレイボタンに人差し指をあてがう。

 たん、液晶モニタにろんな映像が浮かび上がり、どっかで聞いたような音楽がスピーカーからあまりのようにみ出した。

 朝比奈さんがビクっと、

「あー……」

 切なげないきらし、おずおずと画面からは目をらす。そのいたいけな仕草にたちまち男気をかんされた俺は、

「ハルヒ、あんまりボリュームを上げんな。会長が聞きつけてまた戻ってくるぞ」

「かまやしないわ。あたしはあんなやつちっとも気にしてないから」

 してやれ。

「なんならここで公開討論会をしてもいいくらいよ」

 それはするな。

「もうっ、うるさいわねバカキョン」

 ハルヒは目と口を逆正三角形にするという器用な表情を作り、

「あんたと古泉くんはここで待っててくれたらいいわ。後はあたしとみくるちゃんで何とかするから」

 朝比奈さんの腰に手を回し、ぐっと引き寄せつつ、ニマァと笑う。

「ひゃぁ」と朝比奈さんはへっぴり腰。

 ハルヒはメイド姿の新三年生にほおずりしながら俺をギロリとにらんだ。

「いい? おもしろそうなのが寄ってきたら確保して名前とクラスをメモってからリリースしなさい。それからウチは映研じゃないから、そっち志望者は追いはらっといて。いいわね!」

 一方的に申しつけると、ハルヒは朝比奈さんをごういんすぎるエスコートでもって引きずりつつ、中庭周遊の旅に出た。

「やれやれ」

 俺はかたをすくめてSOS団プラカードを地から抜きはなち、の後ろにかくしてから、モニタが解像度の限りをくして映しているシロモノをながめた。

 すなわち、『長門ユキのぎやくしゆう Episode 00 予告編』なる、電力と機材とデジタルデータを無駄に消費しているとしか思えない短編映像を。



 新学年新学期の前には春休みなる長くもないきゆう期間があったわけだが、当然のいとしてハルヒが新年度のおとずれをただ座して待っているわけはなかった。

 たぶん、球技大会とさかなかの犬事件が終わったあたりから着々と計画を練っていたのだろう。夏や冬と比べて課題の少ない春休みこそ、まったり過ごすにうってつけの期間だというのに、SOS団団員はほぼ毎日のようにしようかんされて、ハルヒが思いつきのように指差す先の場所へとトマホークミサイルのようにじゆんこうすることになったのである。

 いろいろ行ったぞ。アンティークショップめぐりやらフリーマーケットの下見やら、その帰り道に阪中家を訪問してルソーのごげんをうかがったり、それから鶴屋家の広大な庭でかいさいされた大花見大会に招待されたり、ああ、あれは楽しかったな。鶴屋さんが指をパチンと鳴らしただけでおもから山のようなえんかい料理が続々運び込まれてきた時にはたまげたが。

 とにかくハルヒは呼ばれたところには必ず行き、呼ばれていないところへも乗り込んで、初春の大気を力いっぱい吸いながら俺たちをとうほん西せいそうさせた。なぜちゆうで息切れしないのか不思議でならない。

 その中で、とりわけハルヒが熱意を注いだのは去年の文化祭で上映した『朝比奈ミクルのぼうけん Episode 00』の続編だ。サブタイと思ってたほうが本タイトルだったことにもおどろき打たれたが、来年度の文化祭に向けての活動を二年になる前から本当に準備しようなどと気の早いことをたくらむとは思わなかったよ。

 こうして再びメガホンを取ったハルヒは新調したわんしようを装着すると、部室のかたすみねむっていたビデオカメラを俺に押しつけるやいなや、おもむろに朝比奈さんをき始めた。俺と古泉、そくに回れ右。

 タイトルロールをかざっている人物こそ長門ユキだが、主人公は引き続き朝比奈ミクルが務めるらしく(主人公は古泉イツキじゃなかったっけ?)、ところでミクルの正体は未来から来た戦うウェイトレスなのであるから、朝比奈さんがまたしてもあのセクハラなしようを身にまとうのはハルヒかんとく的にははや必然の流れだ。これまた制服姿につばひろトンガリぼうと黒マントを装着した長門は星マーク付き指し棒を持たされ、古泉はレフ板を持たされた。

 なんとも都合のいいことに、春なら桜がいているから前回の続きにすんなり入れるってわけだ。一年の間に二回も咲かされた川沿いの桜たちには同情を禁じ得ない。

 しかしなぜ「予告編」なのか、春休みなのに俺たちを部室に集合させたハルヒはこう切り出した。

「あんた、予告編にだまされたことってある?」

 何のこうだ、と問い返す俺にハルヒは、

「映画の予告編よ。よくテレビとか劇場で別の映画の直前とかに流れてるでしょ? それてさ、うわっ面白そうって思ったりするじゃない。で、その面白そうな映画をワクワクしながら観に行ったら、これが全然スカみたいな映画なのよ。たとえばね、」

 たとえなくてもいいのだが、ハルヒは俺でも知ってる昔の洋画のタイトルを口にして、

「これなんか予告見る限りではメチャメチャ楽しそうで笑えそうな映画だったのよ。実際、コマーシャルだけで、あたし、何度か笑っちゃったもん。だからね、ふうりと同時におどりしながら観に行ったわ」

 と、ハルヒはオーバーアクション気味に首を振り、

「もうまったくおもしろくなかったわ。なんでならね、その映画の中で面白かったシーンを全部き出してつないだのが、まさにその予告編だったわけ。面白いところだけを、もう映画が始まる前から知ってて、おまけに面白いシーンがそれだけしかなかったのよ。どう思う?」

 俺に言われてもな。その手のクレームは配給会社に電話でもしてやってくれ。きっと予告編担当部門とかがあって、そこの社員がゆうしゆうなんだろう。

「いくら宣伝のためとは言え、良いところを全部出して編集するのはどうかと思ったわ。だからね、キョン!」

 ハルヒは例のキラキラかがやく天の川銀河を閉じこめたようなひとみで、

「先に予告編だけ作ってて、本編はそれから考えるのよ! 予告用のショートムービーならいくらでも面白くできるわ。だってオチとかいらないし、見せ場だけ用意すればいいんだからね。と、いうわけよ」

 そういうわけなので、本編も存在しないのにその予告編を作ることになったのである。ハルヒも二作目をどんな話にするか考えていなかったのだ。しかし、その映像を新入団員かんゆうのエサの一つにするつもりでいた。でもかんじんの本編がない。どうしよう。うーん。そうだ、じゃあ予告編をろう!

 なんちゅう直球な思考回路だ。まだ『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』をDVDに焼き増しして売りさばく野望を捨てていないとみえる。前作のダイジェスト版でも編集して流せばいいのに、チラッとでも見せたら損だと思っているようだ。あるいは観たければ入団せよと言うつもりか。あんなん通して観ても頭痛がするだけだぞ。朝比奈さんのPVとしては百二十点だが……。

 俺は野外にわざわざ持ってきたモニタをチラ見しながら、もとのしりもどした。

 画面がしぶしぶのように上映しているのは、パロディと言えば聞こえがいいが、要するに色んなところからパクってきたシーンのオンパレードだ。

 けいこうとうみたいなボンヤリ光る棒を構えたイツキに、ユキがみやくらくもなく「わたしはあなたの母」とか言い出したり、いきなりユキが眼鏡めがねをかけている状態ではいつぱんじんだが外すとやにわにコスチュームチェンジして空を飛んだり、黒いかんおけをゴトゴトと引きずってこうを歩いていたり、いよいよネタ切れにおちいったかシャミセンとミクルの人格がとうとつに入れわって朝比奈さんはずっと「にゃ、にゃあ」を連呼するばかりであったり、そのシャミセンの声はハルヒのアテレコで、もちろん口の動きがセリフと全然合っていなかったり、というか、シャミセンは口を開いてさえいなかったり──などなど、一見みどころがありそうで実はまったくストーリーになっていないシーンのドミノたおし、次々様々にたいも演者も変わるのに、やたらとテンポが悪いのはカット割りがノーセンスなせいだ。とどめにとくさつシーンはわざとかというくらいにショボく、気まぐれにそうにゆうされる音楽はもうはっきりそうおんの域に達していた。

 出演する必要もないのに、和服を着た鶴屋さんが日本家屋庭先の桜並木をバックに気前よく「のわっはっはっはっ」と笑い、なぜかついてきていた俺の妹とシャミセンがたわむれているところに至っては単なるホームビデオレベルである。ことのついでとばかりに花見の時に意味なくカメラを回していただけだからな。バカ映画の風上にもおけないこの単なるゴミ映像集、見直すまでもなく確実に一作目より悪化している。ウェイトレスルックの朝比奈さんが飛んだりねたりするあたりは、さすがに朝比奈みくるプロモーションとしては成功していたが、だいたいこれが映画の予告編であると何人が気づくであろう。ラストに入るハルヒのナレーション、「長門ユキのぎやくしゆう、今秋文化祭にていつせい公開堂々上映予定!」というたけびを除けば。

 一ついていいか? 前作で宇宙の彼方かなたに飛ばされたユキはどうやって、また地球に戻ってきたのだ?

「それはこれから考えるわよ。新たな敵もね!」とハルヒちようかんとくはのたもうた。

 つまるところ、まだ考えていないのだ。見切り発車をちようえつし、これではほとんどフィルムである。こんなもんて興味をもってやってくる新一年生など、こちらから願い下げだ。

 ハルヒのチャイナ姿や朝比奈さんメイドに目をくらませられるぼんじんどもにもな。

 かくして、中庭をうろつく一年生たちも中ぼうだつして義務教育をはなれた身分になっているのは制度上の問題のみではないらしく、俺と古泉ががんくび並べてえない表情をしている机を遠巻きにするだけで、寄ってこようとはしない。

 キミたちの判断はちんぼつせんからいち早くだつしゆつしようとするネズミのごときけんめいさだ。健康的でまともな高校生活がどれほど幸せなことなのか、ここにあふれている若人わこうどどもは知るまい。だが俺は知っているので忠告するにいささかのやぶさかも感じないんである。このとしごろの一年の差はアゲハチョウの幼虫の四れいから五齢くらいのちがいがある。たとえ遊び半分でも、らいわくのある草原を歩いてはいけないのさ。人間、分別が肝心だ。

 俺はハルヒかくによる映像のボリュームを落とし、また横を向いた。

「…………」

 長門が省電力中のノートパソコンのようにスタンバイしている机にもほかひとかげはない。ハルヒに代わって喜ぶべきかどうか迷うところだが、創作的な文芸活動に興味のある一年生はいまだ登場せずか。

 文芸部が昨年度にやったゆいいつの活動、古泉の操作で会長がたくらみ、まんまとノセられたハルヒが指揮をふるって俺たちに作成させたあの会誌は、うっかりほぼすべてを無料配布してしまったせいで残部がゼロになっており、長門の着いている机に置かれている一冊がサンプルとしてえつらん可能になっているのみだ。俺もふくめて稿こうした連中には見本で一部ずつ配られていたが、せっかくもらった物をきよしゆつする気になれなかったのは全員が等しくいだく心意気だったようで、誰も手放そうとはしなかった。谷口なんかあんだけブウブウ言ってたのにな。

 よって新たに誰かが会誌を読もうとしたら、いつもは部室の長門文庫の中にあるそのサンプルを手に取るくらいしかない。

 くなき探求心を手元の書物に向けている長門をぼんやりとながめていると、

「…………」

 長門はゆっくり顔を上げ、無色とうめいな光を持つひとみを俺に向けた。あまりにも自然な動きだったため、しばらく目が合っていることにも気づかなかった俺が我に返ったタイミングで、

「ねこ」

 そのそよかぜのような声が、長門のくちびるからこぼれたものだと察するにも一秒ほどの時間がかかった。俺は長門の定規のようにぐな視線を受け止めつつ、

ねこが何だって?」

「どう」

「どう、とは?」

 長門は少し考え込むようにしてから、ただし頭の位置をまったく変えず、

「どう?」

 さっきのセリフがわずかに疑問形になっただけだが、りようかいした。

「シャミセンのことか」

 小さめの頭がこくりとかたむく。

「そう」

「元気でやってるよ。今んとこ、しやべり出す気配はない」

「そう」

 それだけ言って、長門はまた読書にもどる。

 我が家の聞き分けのいい三毛猫を心配してくれていたのか。確かに得体の知れないナントカいう、ええと、もう一度言ってくれないと思い出せないめいしようを持つ共生体なるものの宿主になっちまってるシャミセンをそうしたのは長門だしな。

 とりあえずアレ以降、我が家のい猫はエサの食い過ぎと運動不足で少し重めになった以外に変化はない。存分に猫的生活をおうすること、ハルヒが拾って俺に押しつけて以来そのままだ。

 空けむり猫肥ゆる春、という時候のあいさつを思いついたがどうだろうか。俺も春休みには猫みたいにぐうたらしていたかったぜ。

「実にあわただしい春休みでしたね」

 古泉ががいたん口調でつぶやいた。

 視線をくうに泳がせていたので、独り言かと思って俺が流していると、

「そう思いませんか?」

 たずねてから、こちらへ向き直った古泉の表情にかぶみは、俺の目がどうかしたのか、どこかつかれて見えた。

 古泉はまえがみかんまんはじきつつ、

「どうもしていません。あなたの目は正常です。そうですね、僕はややろう気味です」

 そりゃハルヒに付き合っていればたいていの正常な人間なら疲れもするさ。

いつぱん的な意味ではありません。僕の正体と任務を覚えていますか? 僕が何のためにここにいるのか、という根本的な理由です」

 最初はハルヒのかんで、今ではたい持ちだろ?

「失礼ですが、僕がちよう能力者であることをお忘れではないでしょうね。そして、僕の能力がいつ、どこで、誰が、どのような状態のときに発揮されるのか、ということもです」

 散々聞かされたから覚えているさ。お前の正体告白を聞いたのは長門と朝比奈さんのそれの後だ。いわばSOS団団員中で最も新しい情報と言える。

「それはよかった。話が早くすみます」

 古泉はわざとらしくあんしたような息をき、声をひそめて、

「実はここのところすいみん不足が続いていましてね。深夜や明け方に目が覚める日常が続いています。いやおうなしにです。そのせいでどうも調子が回復しないのですよ」

 夜ねむれないなら昼学校でろ。授業中の五分間の睡眠は通常の眠りの一時間に相当するという話だぜ。

「別にみんしようにかかっているわけではないのでね。それに、問題は僕の内にはないんです。もうお気づきのはずですよ。おたがい、知らない仲ではないのですから、回りくどくとうかいするのはちがう話題のときにしましょう」

 古泉の細めた目にひそむ眼光はめずらしくしんけんだった。いつもはお前の話しぶりのほうがよほど回りくどかろうに、少しは人のふり見て我が身を直す気分になったか。しょうがないな。知らない仲ではないというのは真実だ。長門や朝比奈さんと比べたら、もう一つ信用には足らんヤツだが。

へい空間と《神人》か」

 古泉の超能力とやらが発揮されるのは大体そこだ。

「ご名答。ここのところ出現ひんが高まっているんです。春休み以降から、今日に至るまでね。正確には春休みの最終日からですが、おかげで僕のアルバイトはここ連続して時間を選ばず、二十四時間態勢シフトに入っているというわけです」

 ちようするようないきらし、

「慣れていたつもりだったんですよ。《神人》退治は僕たちの日常はんでしたからね。義務だったとも言えます。しかし、この一年ですっかりにぶってしまったようですね。昨年の涼宮さん、SOS団結成後の彼女は、それ以前に比してやく的に精神を安定させていましたから。あなたが涼宮さんとあそこから戻ってきた以降は特にね」

 発生頻度が減少してるってのは、そういえばクリスマス前に聞いたな。まだイブをむかえる以前、俺が谷口の彼女できたまんを聞いたあたりに。

 その代わりに別のヤツが、もっととんでもないことをしたりしたが……。

「いや、ちょい待て」

 俺は不条理な気分を味わいつつ、

「古泉、お前、さっきのハルヒを見なかったのか。この上なくじようげんだったじゃねえか。物理的に地に足がついてないんじゃないかと思ったぜ。あいつのうわぐつには羽が生えてんじゃねえか? それにだ、あのトンチキな異空間と青いきよじんは、あいつがストレスをかかえたり行きまってクサったら出るもんなんだろ。ハルヒがあんだけ走り回ってて退たいくつそうでもないのに、それじゃ理屈にあわねーぞ」

「確かに僕の目にも涼宮さんは元気いっぱいに見えますね。ヒマを持て余しているわけでもない。ここで一つ、春休みの最後の日に起きた出来事について思い出していただきたいのです」

 今までずっとこ回想してたんだが。

「思い当たるフシがないと? そんなはずはありませんね。だとしたら、まだ思い出すことは残っていることになります。しかもとびきり重要なことをね」

 古泉はかたをすくめ、マヌケな回答者に最終ヒントを出す司会者のような口ぶりで、

「春休み最後の日です。涼宮さんの無意識レベルの変化が起こったのはその日からですよ。さて、何がありました?」

 また無意識かよ。ハルヒの無意識と古泉のエセ精神医学的ハッタリにはいつもなやまされるが……。

「フリーマーケットに行った日だろ。ハルヒが今度はフリマに参加したいと言い出して、その下見に電車にまで乗ってとなりの隣の市まで──」

「電車に乗る前ですよ。僕がてきしたいことは」

 いちいちうるさいな。

 俺は目を閉じ、またもや回想の海へとでた。



 ハルヒがバザールだかフリマがどうとか言い出したのは、春休みに入ってそうそう、映画だいだん予告編さつえい準備中の部室でのことだった。

 朝比奈さんをウェイトレス姿にえさせ、長門にうらなけんほう使つかい用ぼうとマントを着用させてクランクインキャンペーンよろしくメイン二人を並ばせた前で、ハルヒは黄色いメガホン片手に立ちふさがりつつ、部室を自主的に追い出されていてようやくもどってきた俺と古泉をあおいで言った。

「この部屋、ちょっとモノが増えすぎたと思わない? 探したんだけど、この前作ったかんとくわんしようがどっかにいっちゃってたのよ。ほかの荷物にまぎれてるだけかもしんないけど、そろそろ備品を整理するころいかしら」

 いらんもんをカラスのようにどっかから拾ってくるのは主にお前だろうよ。長門は本だし、朝比奈さんは茶器から茶葉、古泉はロートルなゲーム各種だけで、かさばる物の大方はハルヒが持ち込んできたものに限定されている。

 ハルヒはどっかりと団長専用こしを下ろし、

「あたしさ、イベント告知のチラシとか配ってたら絶対もらってくることにしてんのね。で、ちょっと前にこれもらったの忘れてたわけ」

 机の中から紙切れを取り出す。

「フリーマーケットのお知らせよ。ちょっと遠いけど、特急に乗れば十五分くらいのところだわ。できれば今すぐおうしたかったのよね。でも今あたしたち色々いそがしいし、申し込みのしんにも時間かかるみたいだし」

 俺たちがいそがしいのはハルヒがそうしたがっているだけだからなのだが。

 ハルヒがひらひらさせているチラシを受け取り、俺は自分の椅子に座った。フリーマーケットね。この時期だから在庫いつそう処分セールみたいなものか。

 俺がハルヒに新たな出がけ先を入れしたペーパーをにらんでいると、

「お茶です」

 目の前のテーブルに、コトリと俺の湯飲みが置かれた。

 らしきかな朝比奈さん。映画用ウェイトレススタイルでもお茶くみを決して忘れないそのつつましやかながおやさしさに俺はるいせんゆるみそうになる。メイドではなくウェイトレス姿で給仕されるのもしんせんでいい……って、本来こっちの仕事のほうが格好には合っているんだよな。つう、ウェイトレスは宇宙人とかくとうしたりはしない。

「うふ。このしようも、その、外に出ないのなら可愛かわいくていいんだけど」

 朝比奈さんはスカートのすそを気にするようにあしを合わせてから、うれしそうにぼんき、またきゆうと湯飲みの元へパタパタと小走り。そのまま全員分のお茶をれて配って回った。全校の朝比奈ファンすいぜん、彼女の小間使い姿を見ることができるのは世界広しといえども文芸部室だけである。ついでに、魔女ルックで読書にふける長門を目に納められるのもな。一応写真にっておきたい光景だ。

 俺が目とのどかわきを存分にいやす作業にぼつとうしていたところ、

「ちょっとキョン!」

 五秒でお茶を飲み終えたハルヒが、湯飲みを音高く机に置いて立ち上がった。本当にいそがしいヤツだ。

「今回は無理だけど、次はあたしたちも商品を持って参加するわよ。いまのうちに家の押し入れをあさって、高く売れそうならない物を用意しておきなさい。何かあるでしょ? もう使わないのに捨てられなくて死蔵されてるコレクションとか、もらったのはいいけどふうも開けていないぞうとうひんとか」

 ガキのころ雑誌のけんしようで当たった、観たこともないアニメロボのプラモ一式とかでいいのか? 大量に送ってくれたものの、組み立てるのがめんどうでそのままほうりっぱになってる。

「そういうのでいいのよ」

 ハルヒは俺の手からフリーペーパーをひったくるように取り戻し、ていねいにたたみつつ、

「プラモデル? それだってあんたに作られるより上手な人の手にわたるのが幸せに思うわよ、きっと」

 ガキ向けの難易度低いプラモより、コンピ研から戦利品としてせしめたノートパソコンを出品してはどうだい。高く売れるぜ。

「それは大切な備品よ。そろそろコンピ研を呼んでアップグレードさせなきゃね」

 次にハルヒのほこさきは、湯飲みを両手でもってふうふうと息をきかけている朝比奈さんに向いた。

「みくるちゃんとこにもいっぱいありそうね。着古した服とかに集めた食器とか。しょっちゅう買い物行ってるみたいだし」

「あ、ええと」

 朝比奈さんはうるわしい目を見開いて、

「そ、そうですね。ついつい可愛くて買っちゃうんです。けど、着てみたら似合わなかったり、変な味だったり……。えと、どうして解るんですかぁ?」

「イチコロで解るわよ。だってみくるちゃん、店先をいつしよに歩いているときキラキラした目で『今度これ買いに来よう』ってトランペットを欲しがる子供みたいな電波を出してるもの。よくおづかいがつわね」

 ぎくっとする朝比奈さんだったが、ハルヒは早くも別人へとやりさきの方向を変え、

「有希んちには本がたくさんありそうね。フリマで古本市を開いたらいいわ。この部室のほんだなももうギュウギュウめだしさ。ゆかだって、ほら。もう底がけそうよ」

「…………」

 長門はゆっくりと首をねじってハルヒを見、さらにねじって本棚をながめ、おまけに俺をいちべつして読書にもどった。

 長門が自分の蔵書を手放すとは思えないし、それに長門の家には本がたくさんあるんじゃなくて、たくさんの本しかないと言うべきではないかと頭で単語の入れえを試みている俺に、

「キョン、そんときにはカートを持って有希のところまで取りに行くのよ。箱詰めの手伝いもね」

 長門は再び首をひねって俺を注視し、俺はその目にかぶメッセージをげんする感覚におそわれた。あれはいつだっけ。ああ、なかがわのバカからアホな電話があったころいだから冬休み中だな。部室の年末おおそうにて、長門は本棚にあふれる本の処分について完全ノーコメントをつらぬいていた。家の自室に置いてある本だって一冊たりとも失いたくないはずさ。

「そうですねえ」と古泉が湯飲み片手に、「せっかく持ってきても対戦相手がなかなか見つからないゲームばかりですしね。この際、僕のコレクションから外してもいいかもしれません」

 苦笑いみたいな表情を俺に向けるのはえんりよしてもらいたい。

 ハルヒはせわしなく団長机に飛び乗るようにして座ると、

「そういうわけでみんな、春休み最終日の予定は空けておくのよ。フリマの下見に行くからね。ついでにおもしろそうな物があったら部費で買っちゃいましょ」

 その部費がSOS団のものではなく、文芸部の割り当て分であるのは言うまでもない。

 ──てな感じで。

 わざわざ学校がしばらく遊んでていいぞ、と門を閉ざしているきゆう中だっていうのに、ハルヒ率いるSOS団は午前中いっぱいをみんで過ごす時間をあたえられることはなく、あちらこちらをウロウロした春休みの最後の日も、すっかり集合場所として定着した駅前に向かうだいとなった…………。



「ようやくそこに辿たどり着いてくれましたか。もしやあなたのおくからまつしようされているのではないかと不安だったんですよ」

 あの日のことを俺のメモリーから消去して誰が得するんだ。

「損得かんじようでは推し量れないことですが、できるものなら僕が消したかったですね」

 おかしなことを言う。古泉に記憶操作されるいわれなどまったくない。だいたい、そんなことができるのなら、まずまっさきにハルヒの頭をどうにかしろよ。

「おっしゃるとおりです」

 そんななやましげに言うな。だいたい、ハルヒのことで頭を悩ますなんて人生のづかいだぜ。

「そうはいきません。涼宮さんの悩みは、僕の悩みでもありますからね」

 古泉は小さく降参するように手を広げ、俺は回想に戻った。

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