「没ね」
ハルヒはにべもなく言ってのけると、原(稿(を突(き返した。
「ダメですかあ」
朝(比(奈(さんは悲鳴に似た声を上げ、
「ものすごく考えたんですけど……」
「うん、ダメ。ぜんぜん。なんかこう、ピンとくるもんがないのよね」
団長机にふんぞり返ったハルヒは、耳の上に差した赤ボールペンを手に取ると、
「まずこの導入部がありきたりすぎるわ。〝昔々あるところに……〟なんて、何の新(鮮(味(もないありふれた書き出しよ。もっとヒネりなさい。冒(頭(部分はキャッチーにしないとね。ファーストインプレッションが肝(心(なの」
「でも、」
朝比奈さんはおずおずと、
「童話っていうのはそういうもんじゃないかと……」
「その発想が古いのよ」
どこまでも偉(そうにハルヒはダメを出す。
「発想の転(換(が必要なの。あれ、これどっかで聞いたなぁって思ったら、まず逆を考えるわけ。そしたら新しいものが生まれてくるかもしれないじゃない」
俺たちがどんどん本流から取り残されているような気がするのは、そんなハルヒの思考システムのせいじゃないかね。俊(足(ランナーを一(塁(に出してしまったピッチャーの牽(制(モーションじゃあるまいし、逆をつけばいいってもんでもないと思うが。
「とにかくこれは没」
わざわざ赤ペンでコピー用紙の原稿の上に「リテイク」と書き入れ、机の横の段ボール箱にひらりと落とした。元はミカンを満(載(していた箱の中には、今は焼(却(炉(行きが決定している紙(屑(が山を成している。
「新しいの書いてきてちょうだい」
「うう」
肩(を落とした朝比奈さんがすごすごと自分の席に戻(ってくる。非常に可哀(想(である。鉛(筆(を握(りしめて頭を抱(える姿に猛(烈(な同情心とシンパシーがわく。
ふと、まったくの無気配を感じてテーブルの隅(に目を転じると、そこには部室の風景としては貴重なことに、読書をしていない長(門(の姿があった。
「…………」
沈(黙(したままノートパソコンのディスプレイを見つめて凝(固(する長門だったが、数秒おきにキーボードに触(れて何かを打ち込み、また固まってから、パタパタとキーを打つ。で、また置物になる。
長門が触(っているのはゲーム対戦の賞品としてコンピュータ研から巻き上げたノートパソコンだ。ちなみに俺と古(泉(の前にも同じものがあって、大して考えることもなかろうにすでにCPU冷(却(ファンは頭脳を冷やすべくやかましく回転していた。古泉の指が軽快に動いている様子とキーパンチの音がやけに気に障(る。こいつはいいよ、書くことが決まっているからな。
機械に対して食わず嫌(いを表明する朝比奈さんだけはコピー用紙に自前の字を書き込んでいたが、俺とシンクロしたかのように今はすっかり手が止まっている。
そうとも。書くこともないのに文字なんか打てるか。
「さ、みんなも!」
ハルヒだけが異常に元気だった。
「ちゃっちゃと原稿上げて、編集に取りかからないと製本に間に合わないわよ。ピッチを上げるのピッチを。ちょっと考えればすぐに書けるでしょ? 何も大長編書いて文学賞に応(募(しようってわけじゃないんだから」
上(機(嫌(なハルヒの顔からは、例によってどこから発生したのか解(りようのない自信のみが花(咲(いていた。今にも虫を食いそうだ。
「キョン、全然手が動いてないわよ。そうやってパソコンの画面を睨(んでるだけじゃ文章は生まれないわ。とにかくまず書いてみる、それから印刷してあたしに見せる、でもってあたしが面(白(いと思えば合格で、そうじゃなきゃ没だからね」
朝比奈さんへの同情は自分自身への憐(憫(と化した。何だって俺はこんなことをしてないといかんのだ。俺だけじゃない、隣(でうんうん呻(っている朝比奈さんと、向かいで微(笑(している古泉も、少しは反逆の狼煙(を上げるべきではないのか。
まあ、言っても聞きやしないのが涼(宮(ハルヒというSOS団団長の特性なのだが、それにしてもどうしてこいつがこんな役(柄(を勝手にやっているのだろう。
俺の視線は、人の原稿を段ボール箱に叩(き込みたくてうずうずしているハルヒの笑顔から、その腕(にはまっている腕(章(へと移動した。
いつもは団長、かつて名(探(偵(とか超(監(督(とか銘(打(たれていたその腕章には、新しい肩書きがマジックでデカデカと書かれている。
今回はつまり、「編集長」と。
ことの起こりは数日前に遡(る。
年度末の足音がヒタヒタと耳を打つ、三学期のある日のことである。少しは予兆でもあればいいものを、それはのどかであるはずの昼休みに突(然(やってきた。
「呼び出し」
そう言ったのは長門有(希(である。その横になぜか古泉一(樹(のすらりとした姿が伴(われていた。この二人が並んで俺の教室までやってくるとは、どう考えてもいい予感は一ミクロンもせず、弁当をかき込む作業を中断して廊(下(までやってきた俺だったが、早くも自分の机に戻りたくなった。
「呼び出しとは?」
今の俺の状態としか思えない。購(買(からパン数種類とメロンサワーを抱(えて帰ってきた谷(口(が「キョン、お前のツレが来てんぞ」と言うから出て行ったらこの二人が立っていた。意外性あふれるカップリングであるが、長門が誰(かと二人きりで行動していたとして、相方に納(得(がいくような組み合わせなど思いつかないな。
俺は最初に謎(の一言を告げてから無表情に立っている宇宙人っ娘(を眺(め、三秒待ってあきらめてから古泉のハンサム顔を見た。
「説明してもらおうか」
「もちろん、そのつもりで来ましたので」
古泉は首を伸(ばして五組の教室をうかがい、
「涼宮さんは、しばらく戻(りそうにないですか?」
あいつなら四限が終わるやすぐに飛び出していった。今(頃(は食堂でテーブルでも齧(っているんじゃねえか。
「好都合です。彼女の耳にはあまり入れたくないことなので」
俺の耳にも入って欲しくない情報の予感がする。
「実はですね」
古泉は声を深刻な具合に潜(めた。その割には楽しそうだな、お前。
「さて、これを楽しいと思うかどうかは人それぞれですが」
「いいから、早く言え」
「生徒会長から召(喚(指令が下りました。本日放課後、生徒会室に出頭するようにとの仰(せです。ようするに呼び出しですね」
ははあ。
一(瞬(で納得した。
「ついに来たか」
生徒会長の出頭命令──と聞いて「何でだ?」と思うほど俺は身の程(知らずではない。この一年、SOS団が校内外問わずに巻き起こした悪行を知らんぷりするには俺は善人すぎるようだ。まず何があったっけな。コンピュータ研からパソコンを巻き上げた事件か? いや、あれは昨年秋のゲーム対決で片が付いたはずだ。コンピ研が生徒会に出した訴(状(は敗戦後まもなく部長氏が無条件で取り下げたと聞いている。
映画撮(影(で無茶をやったせいか? それにしたってずいぶん前だし、文化祭の後に生徒会は改選されたはずだ。今の会長が前会長の積み残した仕事を今になって思い出したとでもいうのか。それとも近所の神社に回ったかもしれない俺たちの人相書きがついに北(高(まで辿(り着いたのか? 初(詣(にあちこち行きすぎたしな。
「しょうがねえな」
俺は肩(をすくめ、主(のいない窓(際(最(後(尾(の机を見やった。
「ハルヒのことだ、大喜びで会長にくってかかるだろう。相手の態度によっては乱(闘(になるかもしれん。仲(裁(役は古泉、お前に任せる」
「違(います」
古泉は爽(やかに否定した。
「呼び出されたのは涼宮さんではありません」
じゃあ俺か? おいおい、そいつは道理が通らないぜ。いくらハルヒが鯨(のヒゲで作ったゼンマイのような反発力を持っているからと言って、まだ話が通じそうな俺を矢(面(に立たせようとするのは卑(怯(極(まる。生徒会が学校側のラジコン人形なのは知ってるが、そこまで腰(抜(け揃(いだと失望を禁じえない。
「いえ、あなたでもありません」
何が嬉(しいのか、古泉はますます爽やかに、
「呼び出しを受けたのは、長門さんただ一人です」
何だと? ますます不条理じゃないか。何を言っても黙(って聞いてくれるだろうから説教する相手としては適任だが、ただしノーコメントを貫(き通すだろうことも間違いないので達成感もないと思うぞ。
「長門をか? 生徒会長が?」
「目的語と主語はそれで合ってますよ。そうです、会長さんは長門さんをご指名です」
その長門は自分のこととは思わないような顔でポツンと立っているだけだった。ただ俺の目が発する驚(き光線を受け、わずかに前(髪(を揺(れさせた。
「どういうことだ? 生徒会長が長門に何の用がある。まさか生徒会の書記職でも与(えようってのか」
「書記ならすでにいますから、もちろん違います」
さっさと言ってくれ。持って回った言い方をするのはお前のDNAにその手の性質が刻まれているからか。
「失礼。では解(りやすく言いましょう。長門さんが呼ばれた理由は簡単です。文芸部の活動に関する事情聴(取(および、部の今後の存続に関する問題について話し合うためです」
「文芸部? それが──」
何の関係がある、と言いかけて俺はセリフを飲み込んだ。
「…………」
長門は身動きせずに廊(下(の端(を見つめている。
かつて眼鏡(がついていた白い顔は表面的にはあの頃(と無変化だった。ハルヒに引きずられて飛び込んだ部室で、ゆっくり顔を上げた無表情は今でも忘れがたい。
「なるほどな、文芸部か。そうだったな」
まさしくSOS団は文芸部の部室を長きにわたって根城にすること現在進行形である。そして正式な文芸部員は最初からいた長門だけであり、俺たちは単なる居(候(、もしくは不法占(拠(者だ。ハルヒとしてはとっくに占(有(権(を確保したつもりだろうが、生徒会はまた別の普(遍(的でスタンダードな意見を主張するに違いない。
古泉は俺の表情を読みとったんだろう、
「その話を放課後、会長さんが直々にしようと連(絡(があったのですよ。まず僕のところにね。長門さんには僕から伝えました」
なぜお前のところなんだ?
「長門さんに言っても無視されそうだったからでしょうね」
そうは言っても、お前も俺と同じくらい文芸部の活動とは無関係だろうが。
「そうなんですが、だからと言って話は簡単にはいきそうにないですね。どちらかと言うと余計に悪いでしょう。部員でもないものが文芸部の部室にいて文芸とはまったく関係ないことに従事しているわけですから、生徒会でなくても不(審(を覚えて当然……いえ、すでに周知になっているぶん、今までよく見過ごされていたと言うべきです」
もっともなことを言う古泉はどっちの味方だか解らんようなスマイルぶりだった。
そりゃあ俺が執(行(部(だったとしてもイチャモンをつけたくなるかもしれんが、だがなぜ今頃になってなんだよ。ものぐさな家主が雨(漏(りをなかなか直そうとしないようにSOS団も生徒会から緩(やかに無視されているんじゃなかったのか。
「前生徒会はそうしてくれていました。ですが、今の会長は一(筋(縄(ではいかないようですよ」
古泉は白い歯を見せて微笑(み、横目で長門に視線を送った。
当然、長門は反応しなかったが、ただ廊下の端から俺の足元に目の焦(点(を動かした。なんとなく、迷(惑(をかけてすまないと言っているようでもあった。
そしてもちろん、俺は長門に迷惑をまったく感じていない。決まっている。動くたびに空中に迷惑と呼ぶべきものを振(りまいているヤツは俺の知る限りでは一名のみだ。迷惑とは──。
俺は虚(空(に息を吐(き出して言った。
「いつだってハルヒが持ってくるものなのさ」
これからこの部屋が我々の部室よ、とあいつが叫(んだあの日からな。
「その涼宮さんには内密にお願いします」
と、古泉。
「こじれるだけのように思いますからね。ですので放課後、彼女に見つからないように生徒会室まで来てください」
ああ解った、と言いかけて、危(ういところで気づいた。
「ちょっと待て。どうして俺が行くんだ? 指名されてもないのにノコノコ乗り込むほど俺はお調子者じゃないぞ」
むろん、長門が望むなら同(伴(するにやぶさかではないが、古泉に頼(まれる筋合いはない。それに、いっそ長門一人で行かせたほうが相手もビビるんじゃないかと思うぞ。
「向こうも心得ていますよ。だから僕がメッセンジャーを拝命することになったのです。このまま長門さんの代理人として全部請(け負ってしまってもいいのですが、のちに不都合が発生しては困りますし、そっちのエージェント業務は僕の仕事に入っていません。そうですねえ、平たく言って、あなたは涼宮さんの代理人ですよ」
「ハルヒ本人に行かせればいいじゃないか」
「本気で言ってるんですか?」
古泉は大げさなアクションで目を剝(いた。
ヘタな芝(居(に俺は鼻を鳴らして応答する。ちゃんと解っているというなら俺だって解ってるさ。あんな爆(弾(女を生徒会に投げ込んだら単なる爆発ですむとは思えん。冬の合宿で見せた長門への気(遣(いを考えたら、生徒会から長門が呼び出しを喰(らった──の「生徒会から長門が」の部分だけで即(座(にすっ飛んでいき、扉(をぶち破って生徒会室に突(貫(するならまだしも、間(違(えて職員室か校長室に突(撃(を敢(行(するかもしれない。あいつはそれでスッキリするかもしれないが、後で胃を痛めるのは間違いなく俺になる。古泉と違って家庭の事情もないのに転校する気にはなれねえな。
「では、よろしくお願いします」
古泉は最初から俺の回答など解(っていたと言いたげな微笑みを浮(かべ、
「会長には僕のほうから言っておきます。放課後、会長室で会いましょう」
ハルヒの居ぬ間にを態度で表しつつ、古泉は軽(やかに長い足を操(って五組教室前から去っていった。その後を追うように遠ざかる長門の小さな姿を見るともなしに見ているうちに、俺はつくづく一年度の終わりを実感し始める。
何だかんだ言って、古泉も長門もSOS団のメンツでいることにすっかり安住しつつあるのかもしれない。仲間同士で共有しつつ、でもハルヒには隠(しておくべきことが月単位で増えていく……。
いらない感傷だったんだろうな。
おかげで、どうして古泉が生徒会長の伝(書(鳩(のようなことを普(通(にしているのか、その疑問に到(達(することができなかったからだ。
ところで、妙(に勘(のいいハルヒが俺の挙動不審──そんな意識はまったくなかったのだが──に気づいたのは五限終(了(時(の休み時間だった。
尖(ったもので背中をちょいちょいと突(かれ、背後の席へ振り返った俺に、
「何をそんなにそわそわしてんの?」
ハルヒはシャーペンを指先で回しながら、
「まるで誰(かに呼び出しを喰らったみたいな顔をしてるわよ」
こんな時、虚(偽(の含(有(率を百パーセントにしてはならないことを俺は学んでいた。
「ああ、岡(部(に呼び出されたんだ。昼休みにわざわざ俺んとこまで来て言いやがった」
何喰わぬ顔で答える。
「俺の成績に文句と注文があるらしい。学期末試験の結果次(第(ではその文句が俺の親にまで届きそうな按(配(だとよ。進学を考えるなら今のうちに心を入れ替(えろとか」
入れ替えようにも心のストックなど俺は持っておらず、ないものを交(換(することもできないのだが、しょっちゅう言われていることでもあるのでまんざらデタラメでもない。だいたい谷口も似たようなことを同音異句で言われていて、情報交換によって得た結論は、我らが担任教師はそれなりに教え子の行く末を心配している割合親身に感じるに足る先生であるということだった。
もっとも、谷口なんかが近くにいるせいで、こいつがのんきにやってんだから俺だって大(丈(夫(だろうと互(いに思っているところがあり、今ひとつ緊(迫(感(を感じるには薄(くもある。まともな成績を保持している国(木(田(のほうがおかしいんじゃないかと思うときがあるくらいだ。
「へえ?」
ハルヒは机に肘(を立てて顎(を乗せながら、
「あんた、そんなに成績あやしかったっけ。あたしより真(面(目(に授業聞いてるように思ってたけど」
と言いつつ窓の外を眺(めている。流れる雲の速度が風の強さを物語っていた。
お前の脳みそと一(緒(にしないで欲しいね。俺は時空間の歪(みも情報爆発もくそったれな灰色空間とも無(縁(な頭の持ち主だ。ハルヒの破(天(荒(なそれに比べたらミニチュアダックスフント並みの可愛(さだぜ。
「聞いてても解らなきゃ時間の無(駄(にしかならんのさ」
とだけ俺は言っておいた。胸を張って言うことでもないが。
「ふうん?」
ハルヒの目はまだ外の風景に据(えられていたが、その物言わぬ窓ガラスに言うように、
「なんなら、あたしが勉強見てあげよっか。別にいいわよ、どうせ授業の繰(り返しになるだけだろうけど、リーダーと現国なら授業より解りやすい教え方をする自信があるわ」
ヘタだもん、あいつら、とハルヒは独り言を言うように呟(いて、ちらりと俺を見てすぐに逸(らした。
どう答えたものかと考えていると、
「だってさ、みくるちゃんもバタバタしてるでしょ? なーんかこの学校、県立のくせに変な感じに進学校気取りだからこの時期、二年生も大変よね。特別補講とか模(擬(試験とかで大(忙(し。せっかく修学旅行があったばかりなのにぶち壊(しよ。だったら一年のうちに旅行に行かせるべきだわ。文化祭だって秋じゃなくて春にすればいいのよ。そう思わない?」
何やら早口に言って、また雲の流れを観察する風(情(である。どうやら俺の返事を待っているようでもあったので、
「そうだな」
俺も雲の観察に同調することにした。
「進級だけは無事にしたいもんだ」
万が一ダブるようなことになって、
「ちわっす、涼宮先(輩(」
「あ、バカキョン、即(行(で三色パン買ってきて。料金後(払(いね」
なんていう日常会話を部室で繰り広げるのは業(腹(だ。そうならないためにもハルヒに学期末試験の想定問題集を作らせても罰(は当たるまい。待てよ、長門を製作スタッフに加えるのもいいな。一部五百円くらいで売りさばけるデキを期待できる。小金持ちくらいにはなれそうだ。悪友のよしみで谷口には優待サービス三割引きで買い取らせてやろう。
「そんなのはダメ」
儲(かりそうな提案を、ハルヒは無下に却(下(した。
「それじゃ本当の学力は身に付かないわ。一時しのぎにしかなんないもの。ちょっとヒネった応用問題を出されたらあわわってなっちゃうわよ。ちゃんと理解した上で知識を積み重ねないと奴(らの術中にまんまとハマるだけなの。まあ、安心してちょうだい。半年みっちりやったらあんたでも国木田レベルにしてあげるから」
そこまで燃えてくれなくてもいい。脂(汗(を垂らしながら解き明かした答えを提出するたびに「違(ーう。どうしてこんな簡単なのが解(んないの? バッカバカバカ」と実に楽しそうに俺の頭を黄色メガホンでどつくハルヒの姿を想像し、何もそんな光景を想像することもなかろうと我ながら思いつつ、
「解らんところを訊(くから教えてくれるだけでいい。後は自分でなんとかするさ」
「なんとかなるんだったらとっくになってんじゃないの?」
腹立たしいことをズバリと言ってくれるじゃないか。おう、その通りだとも。
「開き直ってどうすんのよ」
ハルヒは吹(き出しそうな唇(を正面に向け、ずいと上半身を乗り出した。
「あたしのSOS団から落第生を出すなんて不(祥(事(は許せないんだからね。そんなことになったら生徒会とかがホラ見ろってばかりに文句を言いに来るかもしれないわ。だからっ、つけいる隙(を与(えないように、あんたにも少しは張り切ってもらわないと困るの。いいわね?」
眉(を怒(らせながら口元を笑わせるという器用な表情で妙(に鋭(いセリフを吐(いたハルヒは、そのまま俺を睨(みつけ、観念した俺が同意を表明するまで睨んでいた。
放課後が来た。
教室を出た俺は職員室に行くフリを装ってハルヒと別れ、そのまま生徒会室へと向かった。職員室の隣(にあったから目的地擬(装(のために回り道をすることもなく、すんなりと到(着(する。
それにしても、いざとなるとやはり若(干(の緊(張(感(が身体(をかすめるね。
生徒会長の顔なんざ全然覚えてないし、文化祭の後にあった生徒会選挙だって適当に眺めていただけだ。そういや講堂で各候補者の演説めいたものを聞かされた覚えはあるが、完全な無党派層となっていた俺は投票用紙に一番ありふれた名前を書いたきり、その名前すら瞬(時(に忘れていた。どんな奴がなったんだっけ。ともかく現二年生であるのは確かで、会長というからには少しは上級な生徒なのだろう。コンピ研の部長よりは威(厳(があると思われる。
生徒会室の前でしばらく逡(巡(していると、
「あれ、キョンくんっ。何してんのっ?」
職員室から出てきた髪(の長いお方と鉢(合(わせすることになった。朝比奈さんのクラスメイトにしてSOS団名(誉(顧(問(、ついでにタダ者でないことも今や明確な二年生女子である。
誰(に上げる頭があったとしても、この人にだけは下がっちまう。
「ちわっす」
体育会系的なノリで挨(拶(した俺に、
「あっははっ。ちわーっ」
鶴(屋(さんは超(のつく笑(顔(で片手を挙げ、つと俺が立っているドアを見つめて、
「なになにっ。生徒会にどんな用事だい?」
その用事とやらをこれから聞きに行くところです。決して俺が生徒会に用があるわけではないのだ。
「ふへえ?」
ハルヒと甲(乙(つけがたい潑(剌(とした歩き方で近寄った鶴屋さんは、のけぞる俺の耳元に口を寄せてきた。彼女にしては小声で、
「むうう? ひょっとしてキミ、生徒会のスパイだったのかい?」
至近距(離(にある鶴屋さんの笑顔には、多少のシリアススパイスがきいていた。何があっても楽天的なゲラ笑いを忘れないこのお方のものとしては見慣れない表情だ。何か知らんが弁解する必要に駆(られる。
「えーとですね……」
何の話っすか、鶴屋さん。俺が誰かの密命を受けたスパイだったら、現在こんな苦労をしているわけがないでしょう。
「それもそうだね」
鶴屋さんはペロリと舌を出して、
「うん、疑ってごめんよっ。いやちょっと小耳に挟(んだからさっ。何だか今期の生徒会は裏で暗(躍(する謎(な人たちが蠢(いてるって噂(、知んない? この前の会長選挙でも色々やってたらしいのさっ。なんか噓(っぽいけどねっ」
初めて聞いた。しょぼい県立高校の生徒会長選挙にそんな舞(台(裏があったとは考えにくいから、そりゃデマで合ってるだろう。ハルヒが好みそうな学園陰(謀(物語ではあるが。
「鶴屋さん」
逆に問いかけてみた。俺の知らざる情報でも彼女なら既(知(のものとしているかもしれない。
「生徒会長ってどんな人か知ってます?」
ぜひ、その人となりを教えて欲しかったのだが、
「あたしもよくは知らないのさ。違(うクラスだしね。なんかエラそうなイイ男で、少しは頭も切れるみたいだよ。三(国(志(で言えば司(馬(懿(みたいな感じがするっさ。なんでも生徒の自主性を高めようってスローガンを打ち出してるらしいよっ。今までの生徒会は絵に描(いた菱(餅(みたいなもんだったからねっ」
高名な歴史的傑(物(を比(喩(に出されても咄(嗟(に実像がつかめなくて困るし、餅の比喩が的確なのかどうかもあやしい。
「ところで鶴屋さんはどうして職員室に?」
「んっ? あたしは今日の日直だったからっ。週報を届けに来たのさ」
けろりと言った鶴屋さんは、俺の肩(をぱんと叩(いてわざとのような大声で、
「キョンくんご苦労っ。生徒会とケンカするんだったらあたしも参加させとくれ! もちろんハルにゃんたちに味方すっからね!」
まことに心強い。しかし、そんなことにはあんまりなって欲しくはない。強敵を発見して有(頂(天(になったハルヒがどんな手管を弄(するか、考えるだけで俺の知力が麿(耗(する。ただでさえ考えるべきことが他(にあるような気がしているのに。
じゃねーっ、と手を振(りつつ、鶴屋さんは言いたいことだけを言い終えてサクサクと立ち去った。
相も変わらず、こちらが何も言っていないのに核(心(をついてくるお人である。そのあたりはハルヒに匹(敵(する発想力の持ち主だ。ハルヒとコンビネーションを組んで同等の威(力(を発揮できる唯(一(の北高生だろうな。迷(惑(団長と違うのは、まだ一(般(常識を忘れ去っていないというところにある。
しかし、この薄(そうな壁(と扉(から察するに鶴屋さんの最後の一声は内部に筒(抜(けだと考えていい。彼女のこういうところにハルヒ的な振る舞(いが潜(んでいるのだが。
ま、腹を決めるしかない。
差し障(りのないように、まずは丁(寧(にノックしてみた。
「入りたまえ」
いきなりそんな声が内側から響(いた。入りたまえ、なんて現実に話す人間が高校生の中にいるとはね。しかも洋画の吹(き替(えでベテラン俳優をアテレコできそうな、やたら渋(い声である。
俺は引き戸を開け、生まれて初めて生徒会室とやらに身体(を突(っ込んだ。
生徒会室は文芸部室よりは多少面積の広さを誇(っていたものの、旧館の部室とそんなに違ったところはない。むしろ「会長」とか書かれた三(角(錐(の置かれた専用机がないぶん、俺たちの部室より殺風景だろう。単なる会議室と言えばそれまでだ。
先客となっていた古泉が俺に一礼し、
「どうも。よく来てくれました」
入り口付近で突っ立っているのは、古泉と並んで俺を待っていたらしき長門も同じである。
「…………」
長門は怜(悧(な視線を窓(際(に飛ばしていて、その先に会長がいた。
会長……なんだろうな。
背の高い男子生徒であるのは解(る。なぜか窓の外を向いており、手を背後で組んだまま微(動(だにしない。南向きの窓から入る夕日が逆光となってその姿を曖(昧(なものにしていた。
もう一人、こちらは長テーブルの一角に座っている人(影(もあった。面(を伏(せた女子生徒がシャーペン片手に議事録みたいなノートを広げて待機している。この人が書記らしい。
会長はなかなか動こうとしなかった。外の風景の何がそんなに面(白(いのか、そっからではテニスコートと無人のプールくらいしか見えないはずだが、意味深な沈(黙(を保っている。
「会長」
適度な間を置いて、古泉が爽(快(感(あふれる声をかけた。
「お呼びになられた人員はこれですべて揃(いました。用件をどうぞ」
「よかろう」
会長はゆっくりと振り向き、やっとのことで俺はそいつの面(を拝む。やたら細長い眼鏡(をかけた二年生である。古泉の安上がりなアイドル顔とはまた違った意味でなかなかのハンサム野(郎(だ。思(惑(のすべてを上(昇(志向で占(めていそうな、若手キャリアを思わせる非情そうな気配をその目つきに感じ、反射的にこいつとは仲よくなれそうにないなと思う。
これまた長門とは違った意味での無表情が、
「すでに古泉から聞いていると思うが改めて言っておこう。キミたちに来てもらったのは他でもない。文芸部の活動に関して、生徒会から最後通告をおこなうためだ」
最後も何も、これまで通告なんかあったのか? あったとしても長門が生徒会からの呼び声に素直に応じたとは思えず、だからこそ俺たちは部室をアジトにできているわけだが。
「…………」
長門の無反応にも頓(着(せず、会長は無情に言った。
「現在、文芸部は有名無実化している。認めるな?」
部室でひっそり本読んでいるだけではダメか、やっぱ。
「…………」
長門は無言。
「もはや部として機能していないレベルにある」
「…………」
長門は黙(々(と会長を見ている。
「明確に言おう。我々生徒会は現在の文芸部に存在意義を見いだすことができない。これはあらゆる側面から検討を重ねた結果だ」
「…………」
長門はじっとしているのみ。
「よって、文芸部の無期限休部を通告する。すみやかに部室を引き払(いたまえ」
「…………」
長門はどうでもよさそうに黙(っている。いるのだが、俺には解る。
「長門くんだったな」
会長は固形のような長門の視線を平然と受け止めながら、
「部員でもない者を部室に置き、何をするでもなく放置していた責任はキミにある。おまけに今年度、文芸部に割り当てられた活動費を何に使用したのかね。あの映画の撮(影(が文芸部の活動とでも言うのか? 調査資料によれば、例の映画はSOS団なる非合法組織のプロデュースとクレジットされているだけで、どこにも文芸部の名前はない。だいたいあの映画自体が文化祭実行委員会の許可なく制作されたものだったな」
それを言われるとツライ。古泉と長門には最初から止める意志がなかっただろうから、ハルヒの横暴を止めるのは俺がやるべき仕事だったのだ。無体なヒロインを演じさせられた朝比奈さんのためにも。
「…………」
長門の横顔からはどんな自己主張も感じられない。だがそれは素人(の意見だろう。
無反応を恭(順(の印と誤解したか、会長は尊大な態度を崩(さない。
「暫(時(、文芸部は休部措(置(とし、来年度に新しい部員が入部するまで部室は立ち入り禁止とする。文句があるかね。ならば言ってみるといい。聞くだけは聞いてやろう」
「…………」
長門は髪(の毛一本動かしていないが、ひょっとしたらハルヒと朝比奈さんと古泉なら解ったかもしれない。そして、連中が解るようなことなら俺にだってすでに自明となっている。そんくらいは空気で解る。
「…………」
沈黙の中に沈(んだ長門は、
「…………」
静かに怒(っているようだった。
「ふむ。反論はなしか」
会長は唇(の端(をイヤな感じに動かした。ただし冷(徹(そうな表情自体は変化なく、
「文芸部には長門くん、キミしか部員がいない。事実上の部長だ。キミさえ同意すればただちに我々が部室の保全と異物の排(除(を開始する。部活に無関係な物は運び出した上で処分するか、こちらで保管することになるだろう。置いてある私物は即(刻(運び出すことだ」
「待ってくれ」
俺は会長の一方的な宣言を遮(った。長門の無言の怒(りが臨界点に達する前に、
「突(然(そんなことを言われても困る。今までほったらかしておいて、この時期にいきなり言い出すのはフェアじゃねえだろ」
「キミこそ何を言っているのだ」
会長は冷たい視線を俺に浴びせ、「フッ」とか口先だけで笑いやがった。
「キミの提出した同好会設立申(請(書(は見せてもらった。悪いが失(笑(ものだ。あのようないい加減な内容でいちいち同好会を認めていれば、この学校にキリという言葉はなくなる」
いけすかない上に偉(ぶった上級生は、眼鏡をついと指で押し上げるという演出じみた仕草をして、
「もっと言葉を学びたまえ。特にキミは学業全(般(に労力を払うべきだろう。放課後にぬけぬけと遊んでいられるほどの成績を収めているとは思えん」
やっぱりだ。この会長は最初からSOS団潰(しを目(論(んでいる。文芸部云(々(は単なる口実だ。せめて映画のシナリオを長門に書かせでもしていたら少しはイイワケもできたのに、ハルヒ超(監(督(のやつめ。
「今さら文芸部に入ると言っても無(駄(だ」
会長は俺にも思いついていなかったことを先回りして言った。
「いいか。仮にキミたちが正式でないにしろ文芸部員としてこの一年間を過ごしていたとしてもだ、文芸部的な活動を何か一つでもしていたとは認めることはできん。いったいキミたちは何をしていたのかね」
会長の眼鏡(が無意味に光る。なんの特(殊(効果だよ。
「これでも大目に見ていたほうだ。SOS団とか言ったか? 無許可でそのようなものを組織し、散々好き勝手してくれたものだ。屋上で花火を打ち上げるばかりか教師を恫(喝(、扇(情(的な格好で学内をうろつき、火気厳禁の棟(内(で鍋(料理を作るなど言語道断、本来なら大問題だ。何様のつもりかね、キミたちは」
言っていることが全面的に正しいのは解(る。確かに悪かった。せめて一言お伺(いを立てるべきだったとも思う。もっとも言ったところで許可してくれたとは思えないが、しかし仰(せのままにとはいかねえぞ。
「やり口が汚(え」
俺は長門の憤(激(を肩(代(わりするつもりで、
「んなもん、直接ハルヒを呼んで言えばいいだろうよ。どうして長門を呼び出して文芸部を潰すようなことをしやがる」
しかし俺の反(撃(などあらかじめ予測済みだったらしい。
「当然だろう」
会長はまったく動じなかった。格好をつけて腕(を組み直し、失態を演じた部下が提出した反省対策書を読み終えたエリート課長のような口調で、
「SOS団などというものは学内にないからだ。違(ったかね」
正直、そうきたか、と思ったね。
いくら生徒会長や執(行(部(が頑(張(ってもSOS団を廃(部(にすることはできない。なぜなら書類上、そんな団はこの学校に存在しないことになっているからである。ないものをさらになくすることはゼロに何をかけてもゼロになるのと同じくらいの真理だ。ヘタすればマイナスにマイナスをかける結果にならないとも限らず、つつき方を間(違(えるとどこにすっ飛んでいくか解らないのが涼宮ハルヒという女である。スプリットを狙(ってカーブをかけたボールが隣(のレーンのピンを十本まとめて粉々にしてしまうくらいに挙動が読めないヤツなのだ。
そんなヤツを直球で攻(めても高速ファールを味方のダグアウトに打ち込まれるだけであり、ようするに無駄だ、と判断した生徒会は、まず外(堀(の埋(め立てから計画を立案したのだろう。
すなわち、SOS団が不法占(拠(している旧館部室棟三階、文芸部の部室である。
文芸部を召(し上げ、改易に至らせてしまえばSOS団の居場所も自動的に消(滅(する。俺たちが普(通(にここにいられるのは、唯(一(の文芸部員である長門が「いい」と言ってくれたからに他(ならず、おそらく「部室貸して」と言われてそう返答するような人間は長門以外にいない。
このまま文芸部が消滅すれば、長門も文芸部員でなくなり、こいつが部室でじっと本を読んでいる日常も消え失(せ、我々は五人そろって放課後の行き場をなくすことになる。
見事な作戦だった。感心してやってもいい。悪いのはどうやったって俺たちで、長門は割を食った被(害(者(と連帯責任者を兼(ねる役割だ。
こちらの旗色が悪いのは俺にも解るだけに反論の理(屈(を組み立てようがなく、せめてその旗を振(っているのがハルヒであって、この会長はそれを解っているかと問いつめるしかないが、当然そんなことも折り込んでの長門召(集(なのは明らかだ。
そして長門もそろそろ限界のようだった。
「…………」
無言のプレッシャーが小(柄(なセーラー服姿から室内に広がっている様が手に取るように解る。放(っておくとどうなるのだろう。まさか世界を再構築したりはしないだろうが、この会長の記(憶(をすっ飛ばして操(り人形にしてしまうくらいはやっちまうかもしれない。あるいは朝(倉(にやったみたいな情報操作とやらで会長ごとこの部屋を違うシロモノに変えちまうかもしれない。長門有希が暴走したらどうなんのか、秋の対コンピ研ゲーム合戦を想起せざるを得なかった。
生徒会長は余(裕(かまして夕日を背に格好つけているが、本当はそんな場合じゃないんだと教えてやるべきかどうか、内心でヒヤヒヤしていると、
「…………」
膨(れあがった不可視の気配が無音のまま消え去った。
「ん?」
長門から立ち上っていた(ように感じていた)透(明(オーラが噓(のように消失している。思わず長門の顔を見ると、瞬(きしない視線が会長とは別の人物へと向けられていた。
俺もそっちを見る。
議事録に向かってペンを動かしていた女子生徒、おそらく書記だろうと見当をつけたその二年女子がゆっくり顔を上げたところだった。
「……ええ?」
これは俺のマヌケな声だ。
何でこの人がここにいるんだ。というか瞬(時(に名前が出てこない……っと思い出した。あれは夏だった。七夕が終わってしばらくしての変な事件。そこで見たものを忘れたわけではないが、どちらかと言えばどうでもよさそうな事件で……。
「どうかしたかね」
会長が機能優先のような声で言い、
「ああ、紹(介(がまだだったな。彼女は我が生徒会の執行部筆頭であり、書記をやってくれている──」
女子生徒は緩(く髪(を動かして黙(礼(する。
「喜(緑(江(美(里(くんだ」
重厚な効果音とともに巨(大(カマドウマが脳(裏(に戻(ってきた。
「喜緑さん?」
SOS団ウェブサイトの異常から始まり、悩(み相談を経てコンピュータ研部長の無断欠席から異空間へと至った、一連のマヌケでやる気のない出来事の関係者が、まるで素知らぬ顔をして生徒会の一角に食い込んでいた。
喜緑さんは穏(やかに微笑(み、俺と交差させていた目を長門に振った。少し目が細まったような気がする。おまけに何やら目配せ的なことをしたような気までする。さらに、長門までがシブシブのように小さくうなずいたような気すらした。
なんだ? この二人の間でどんなテレパシーが生まれたというのか。
考えれば考えるほどおかしかったあの事件。コンピュータ研部長の彼女と言いつつ、部長氏には彼女などいないと本人が教えてくれた。じゃあどういう理屈で喜緑さんはSOS団に相談を持ちかけてきたのかってことになるが、俺はてっきり長門の仕込みかと思っていた。しかし、こんな場で出くわして長門と見つめ合っているとなると、これはもう偶(然(とは考えられん。
俺がスツーカ爆(撃(機の編隊飛行音を聞いたパルチザン少年兵のような恐(慌(に襲(われていると、
バァン──
風船爆(弾(が破(裂(したような音が背後から響(いた。心臓が肋(骨(を粉(砕(して胸から飛び出しそうになる俺を完全に置き去りにして、
「こらぁっ!」
雄(叫(びを上げて生徒会室の扉(を開け放ったその主が放った声は軽々100デシベルを超(えていたに違(いない。俺の鼓(膜(をビリビリ振(動(させるその声はまだまだ続く。
「このヘボ生徒会長! あたしの忠実な三つのしもべたちをこんなところに閉じこめて何してんのよ! そのうち何かするだろうと思ってたけど面(白(そうなことならまずあたしに言わなきゃダメじゃない! しかも何よ? あんた、まさか有希をいじめてんの? キョンならまだいいわ、でも有希なら許さないったら全然許されないわよっ! ギッタギタに叩(きのめしてその窓からプールに投げてやるから!」
子(猫(を取り上げられた母猫のような剣(幕(で飛び込んできたのは、あー、そんな該(当(者は一人しかいないよな。
振(り向くまでもないと了(承(していたが、俺はそいつが浮(かべている顔色を知りたくて振り返った。やっぱりだ。やけに生き生きとしたクラスメイトが、全身から「面白いことを見つけたっ」という喜色を立ち上らせてそこにいる。
「あたしを除(け者にするんじゃないわよ。SOS団の最高指導者はあたしなんだからね!」
ハルヒは大口を叩きながら、一(瞬(にしてラスボスを見(抜(いた。銀河団をまとめて押し込んだようなデカい瞳(が眼鏡(を押さえるノッポの人(影(に向く。
「あんたが生徒会長? いいわ、サシで勝負といきましょうよ! 団長と会長だからファイトマネーも対等よ。文句はないわよね!?」
どうして俺たちがここにいることを知ったのか? という俺の素(朴(な疑問をとっちらかすように、
「ちょっとキョン! あんたも黙(って見てたんじゃないでしょうね? 生徒会長だからって遠(慮(することはないわ。みんなで飛びかかってふん縛(っちゃえば後はこっちのものよ。あたしが関節をキメるから、あんたは縄(を用意しなさい!」
その瞳は今にも溶(岩(流を噴(き出してカルデラを作り出さんばかりに燃え上がっていた。それとは対照的に、
「…………」
長門は頼(んでもいない援(軍(の到(着(を無視する前線司令官のように動くことなく、休火山のような目で喜緑さんを注視している。
でもって俺は生徒会長に飛びかかったり縄を探しに行く代わりに、闖(入(者の脅(威(にさらされている当事者の表情をうかがった。
妙(な気配だ。会長は眉(間(に深いしわを刻み、非難するような目を俺の隣(に向けている。そこにいたのは古泉で、どういうわけか小さく首を振ったように見えた。唇(に苦(笑(を張り付かせているが、俺にはこの二人の間で無言のコミュニケートが成立したように感じ、そんなもんを感じたという記(憶(を消し去りたくなった。
「どういうことよっ! 呼び出すならあたしが最優先でしょうが! 団長のあたしをハミゴにするなんて、あんたらそれでも生徒会なの!?」
「落ち着いてください、涼宮さん」
古泉はさり気なくハルヒの肩(に手を添(え、
「とりあえず生徒会側の言い分を聞いてみましょう。まだ話は途(中(だったのですよ」
俺にあやしいアイコンタクトを図(ってきた。くそ、解(ってなどやるものか。
解っているのはただ一つ、我らが団長ハルヒ閣下が俺たちの窮(地(に颯(爽(と駆(けつけて、
「こうなったら全面対(抗(戦よ! 言っとくけど、あたしたちはどんな挑(戦(でもいつでもどこでも誰(からでも受けて立つんだからね! SOS団は常勝不敗にして容(赦(と恐(れを知らない猛者(ばかりよ。泣いて土下座するまで許してやんないっ!」
どうやら事態をややこしくしそうなことだけだ。
事前に参戦表明してくれた鶴屋さん、激(怒(寸前にあった長門、おまけに思わぬところから再登場した喜緑さんがここにいて、これだけでももう充(分(ややこしいのに。
ついでに言えば、古泉と会長にも何やら含(むところがある模様である。
「キョン、あんたも何やってんの? 相手は生徒会長よ生徒会長。一番解りやすいあたしたちの敵キャラじゃないの。ここでバトルしないでどこで戦うのよ。もっと毅(然(とした態度で睨(みつけなさい!」
生徒会対SOS団ね……。
できれば回(避(しておきたかったイベントのスイッチを誰かがどこかで踏(んでしまったのだ。まさか俺ではないと思いたい。
怒(り狂(いながらもなぜか嬉(しそうなハルヒを見ながら、今後何をするハメに陥(るのだろうかと俺は考えて、どうせロクなことではないという確信が胸の内に渦(巻(いた。
「やれやれ」
と、まあ、そう呟(くしかなかったのも無理はないと思って欲しいね。
そして実際、ロクでもないことにかり出されることになったわけだ。
団長から編集長にジョブチェンジしたハルヒが俺たち団員を即(席(作家に任命して小説モドキを書かせるという、まるでスティンガー対空ミサイルでジュピターゴーストを狙(わせるような異例の事態になるなんてことにな。