ヒトメボレLOVER 2

 その夜のことだ。

 ベッドの上でトグロを巻いているシャミセンのがおを見つめてやさしい気分にひたっているうちに、この優しさの源は何に由来するのかと考えつつ、ついでにれんあい感情とスケベ心のそう点について考察を深めたあげく、これぞという結論がてんけいのようにひらめいたその時、

「キョンくん、電話ー。昨日の人ー」

 妹がまたしても電話の子機を持って部屋のとびらを開いた。

 クラシックな名曲をイージーリスニング化したメロディをかなでる受話器を俺に渡すと、妹はそのままベッドのわきに座り込んでシャミセンのヒゲを引っ張っている。

「シャミシャミ~、シャミの毛だらけでお母さんブツブツ~♪」

 うすを開けて妹をにらみながらも無視する態勢のシャミセンと、うれしそうにうたって引っ張り続ける妹を見ながら俺は電話を耳に当てた。それまで俺は何を考えていたのだっけ?

「もしもーし」

『俺だ』

 中学時代の同級生、中河はハヤる心の内を押しかくせない様子で、

『どうだった。長門さんの返答は? 聞かせてくれ。たとえどんな内容でもかくはできている。言ってくれ。キョン……!』

 当落線上にある衆院選の立候補者がニュース速報をやきもきしながら聞いているような口調だった。

「残念ながら、かんばしい返答は得られなかった」

 俺は妹に向かってしっしっと手を振りながらしぶい声を演出した。

「待てやしねえってさ。十年後の未来なんざ想像もできない、保証しかねる──ってなことだった」

 事実を伝えるだけだから俺の舌もなめらかに回る。ただ、会ってみてもいい……とつぶやいた長門の問題発言をどうしたものかと考えていると、

『そうか』

 中河の声は意外にもサバサバしていた。

『そうだろうな。俺もそう簡単にオッケーされるとは思っていなかった』

 俺が手を振り続けていると、キテレツな歌詞で歌い続ける妹はうなり声を上げるシャミセンをごういんき上げて部屋を出て行った。また自分の部屋で一緒にねむるつもりだろうが、一時間もしたらシャミセンはへきえきした顔で再び俺の部屋にもどってくることになるだろう。構い過ぎるとイヤがる性質はへん的なねこの特性だ。

 妹の退室を見て、俺は電話に問いかけた。

「お前、俺にあんなずかしい文面を読ませといて言うことはそれだけか?」

 あらかじめ返事を予想していたのだったら伝言なんか俺にらいするなよ。

『物事には順序というものがある』

 準備運動きでけつこんの申し込みをしたヤツにそんなさとすように言われたくはない。先手の第一手目で王手をかけるようなルール無視ぶりだったろうがよ。

『まるで知りもしない相手から真実の愛をうつたえかけられても困るだけというのは俺も承知している』

 承知してるんなら初めから言うな。らいがあるとわかっていてそこに足をみ入れるのはばくはつ物処理班を除けばマイナーなしゆの持ち主だけだ。

『だが長門さんはこれで俺に対し、少なからず興味を抱いてくれたはずだ』

 計画的犯行だったとは少しはおそれ入ってもいい。長門に「気になる」なんてことを言わしめるような人間は確かに中河が最初だ。それだけあのメッセージにかい力があったということだろう。なんせ恥ずかしさなら現時点での地球一を保証してやりたいくらいだからな。

『そこでだ。キョン、もう一つたのみがある』

 まだ何かあるのか。俺のボランティア精神は色々あってそろそろ底をつきかけようとしているのだが。

『俺が高校でアメフト部に入っているのは知っているか?』

 初めて聞いた。

『そうか。実はそうなんだ。それで頼みというのはほかでもない、今度俺の高校で他の男子校のアメフト部とたいこう戦をするんだ。ぜひ長門さんと連れだって見に来てもらいたい。もちろん俺はスタメンで出る』

「いつだ」

『明日だ』

 だからハルヒみたいなヤツは一人でいいと言っているだろう。どうしてもっとゆうのある日程を考えないんだ。

『長門さんが十年待てないというのだから仕方がない。かくなる上は、俺の勇姿を見せてグッときてもらうしかない』

 なんちゅうたんらく的なアイデアだ。それからこっちの都合も少しは考えろ。それでなくとも年末年始は色々あるんだ。

『何か不都合でもあるのか?』

 俺に不都合はない。何の予定もなくポッカリ空いた一日だ。長門も空いているだろう。だから不都合なんじゃないか。このままではお前の勇姿とやらを見に行かねばならないハメになる。

『いいじゃないか。来てくれ。親善試合とは言え実質的な真剣勝負なんだ。明日の試合はとなりまちの男子校アメフト部と毎年やってる対抗戦なんだが、勝つと負けるとでは俺たち部員にとって平和に年がせるかどうかレベルのちがいがある。もし負けたらごくの冬休みが待っているのだ。おお晦日みそかも正月もない練習ざんまいの毎日だ』

 中河のこわいろはシリアスで、ある意味そうでもあったが俺にしてみりゃ他人ひとごとだ。俺は俺で年末年始にやらなければならないめんどうなことが山積みなんだよ。雪山の山荘に行くまであとそう何日もない。

『キョン、お前の予定なんかどうでもいい。長門さんだ。頼むだけ頼んでくれ。彼女がイヤだと言うのなら俺もあきらめる。だが千分の一でも可能性があるのなら俺はそれにけたいのだ。自らアクションを起こさないとどんな夢でもかないはしないものだからな』

 よっぽどうそっぱちを言ってやろうかと思ったが、そこまでてつしきれないのが俺の弱いところだ。

「解ったよ」

 俺はベッドにころがりながら気のない息を吐いた。

「長門にはこれから電話していてみる」

 予感があった。長門はノーと言わないだろう。

「お前の高校はどこにあったっけ? もし長門がオッケーしたらそこまで連れて行ってやる」

 別のヤツらもついてくるかもしれんが、まあそれはいいだろう。

『ありがとう、キョン。恩に着る』

 として中河は自分の高校への道順を告げ、試合開始の時間を教えてくれてから、

『お前はえんむすびの神だ。結婚式では司会を頼んでもいい。いや、最初の子供の名付け親になってく──』

「じゃあな」

 冷たく言って俺は電話を切った。これ以上中河の言葉を聞いていたら脳に細長い虫がきそうだ。

 俺は家電の子機をゆかに置くと、自分のけいたいを手にして登録してある長門宅の番号を呼び出した。



 そして翌日がやってきた。あっさりと。

おそいわよ! 言い出しっぺのくせして最後にやってくるなんて、やる気あんの? あんた」

 ハルヒががおで俺に人差し指をきつけている。おみの駅前、SOS団待ち合わせの場所である。他の三人、長門と古泉、朝比奈さんも俺を待っていた。

 本来なら俺が連れて行くのは無口な有機アンドロイドだけでいいわけだが、だからと言って本当に二人きりで試合観戦に行くわけにもいくまい。のちのち団長に知れたらどんなばつゲームが待っているのか想像するのも恐ろしい。だったら全員巻き込んじまえ──というわけで俺は長門の返答を聞いたのち三人にさそいの電話を入れた。全員が話に乗ってきたのは年末だってのにそれほどヒマだったか、それとも長門にひとれするような男に並々ならぬ興味があったからか。

 なんせ真冬のことだから全員厚着で集合している。特筆すべきは朝比奈さんの格好で、真っ白なフェイクファーコートを着込んだ彼女はモコモコというかモサモサというか、まるで雪山をじやねる白ウサギのような愛らしさだった。一目惚れするんだったらどう考えてもこっちだ。

 長門は制服の上に地味なダッフルコートをまとい、その上フードもかぶっていた。さすがの宇宙人モドキも地上の寒さはこたえるものと見えるが、

「…………」

 自分への告白相手を見物に行くとはとうてい思えない無表情は変わりない。

「さ、行きましょ。どんな顔した男なのか、あたしけっこう楽しみだわ。アメフトの試合見るのも初めてだしさ」

 ピクニック気分なのはハルヒだけでもないようで朝比奈さんもニコニコ、古泉はニヤニヤしている。そして俺は表情にとぼしく、当の長門は表情かいである。

「バスの路線図は調べておきました。その男子校まではここから時間にして三十分ほどですね。乗り口はこちらです」

 古泉が旅行会社のてんじよういんのような口調で俺たちを先導し、俺はますます口数を少なくする。

 楽しんでやがるな。こいつもハルヒも、ひょっとしたら朝比奈さんも。

 歩きながら古泉はごく自然な動作で俺に歩み寄り、いわくありげに耳元でささやいた。

「それにしても、あなたもよくよくみような友人をお持ちですね」

 続く言葉を待っていたのだが、古泉はしようりまきながら先導役にもどった。

 中河が妙だって? そうかもしれない。長門を一目見たきりでえんらいに打たれたように感じる人間はいつぱん性からほど遠いところで生きているヤツに違いはなかろう。

 バスターミナルまで歩く間中、俺はずっとぜんとしていた。

 何か、気に入らん。



 民営のバスにられること半時、降りたった停留所から数分のところにその男子校はあった。そして、とっくに試合は始まっていた。

 俺のぼうのせいでバスを二本ほど乗りのがしてしまっていたから、とうちやくしたのは中河が言ってた試合開始時間の十五分後だ。

 どうやら校舎内には入れないようで、しきに沿って歩いてるとすぐにかなあみフェンスに囲まれたグラウンドに出くわし、アメフトの練習試合はそこでやってた。

「わあ、広い運動場ですね」

 朝比奈さんがかんたんするのもうなずける。山をけずって無理から作ったと思われる北高と違い、平地にあって金もありそうなこの私立男子校のグラウンドはやたらに面積が広かった。それも俺たちが立っている位置から一階程度低い場所にグラウンドは設置されており、ちょうど観戦には具合がいいような立地条件になっている。俺たち五人以外にも通りすがりみたいなおっさんとか、グルーピーみたいなどこかの女子生徒たちがダンゴになって私立男子校二つによるたいこう戦をきようせいとともにながめていた。

 白と青のユニフォームとヘルメットがぶつかり合う音を聞きながら、俺たちは空いた空間に五人で並ぶ。

 長門はまだ無言で無反応なままだった。

 この時は、まだ──。



 アメリカンフットボールのルールを俺はざっくばらんにしか知らない。いつだったか草野球大会をほぼ無努力で一勝したことに味をしめ、ハルヒが次に持ってきたチラシが草アメフトと草サッカーの大会参加届けである。結局どちらにも参加することはなかったのだが(いろいろきよくせつがあった果てにな)、その時万が一に備えてアメフトのルールもちょいと調べてみた。簡単なようで奥が深く、とてもじゃないが俺たちがおいそれとできるスポーツではないということだけはわかった。

 実際、こうして眺めていてその推測は正解だったと実感する思いである。

 こうげき側はラグビーボールとどうちがうのかが解らないがとにかくえん形のボールを一センチでも前進させようと投げたりわたしたりきしめてダッシュしたりしており、対するぼうぎよ側はそのボールを一センチたりとも前進させないようにボールを持つヤツにもうぜんおそいかかり、そうはさせじと攻撃側のオフェンスラインがブロックし、あちらこちらでガッチンガッチンとプロテクタがぶつかり合う音が発生していた。

 まあ、確かにアメリカンな感じがするスポーツではある。

「へー」

 ハルヒはフェンスにしがみつくようにして入り乱れる選手たちに視線を注いでいた。

「それで、中河くんってのはどれ?」

「ユニフォームに82って書いてあるヤツだ。白いほう」

 昨日の電話で聞かされた通りの説明をする。タイトエンド、ってのが中河のポジションだった。オフェンスラインのはじっこあたりにいて、ブロックとパスキャッチをねるような役職である。中河はガタイの割にはやけにしゆんびんに動いており、なるほど、まさにうってつけと言える。

「あれ? 選手がそっくり入れわってるけど、どうして?」

「攻撃専用と防御専用の選手がいるんだよ。中河は攻撃専門」

「メットかぶってるからきはアリなんでしょうけど、どこまでやっていいの? 立ちわざオンリー? 総合かくとうルール?」

「どっちにせよ、そんなルールはない。頭突きもなしだ」

「ふうん?」

 きようしんしんひとみをグラウンドに向けているハルヒだった。北高にアメフト部はないが、もしあったらこいつはそこにも仮入部して部員たちを困らせていたに違いない。やたらじんそくで周囲を無視したとつ力にひいでているヤツだから役に立っていたかもしれないが。

「いかにも頭に血の上りそうなせいのいいスポーツね。冬にやるにはピッタリかも」

 ハルヒの感想を聞きながらこっそり長門のほうをうかがってみると、別に何を考えてもいなさそうな顔でぼんやりとボールの行方ゆくえを追っていた。とりたてて中河を注目しているわけでもなく、ただひたすらにぼんやりしているように見えた。

 俺たち五人は突っ立ったまま、しばらく男子校同士のつばぜり合いを観戦していたが、

「あの、お茶、どうですか?」

 朝比奈さんがカバンからほうびんと紙コップを取り出して、

「寒いだろうと思って、あったかいのを用意してきました」

 微笑ほほえむ朝比奈さんはほとんど天使そのものだ。ありがたくちようだいしますよ。寒空の下でじっと試合観戦ってのも冷えるだけですし。

 そうして俺たちは朝比奈さんが手ずかられてくれた妙な味のするお茶をすすりつつ、真冬だというのに熱っぽくぶつかり合うアメフト部員を眺めていた。



 そんなこんなでまんぜんとプレイ進行を見ている間に第二クオーターがしゆうりようしてハーフタイムとなった。中河たち白いユニフォームチームは俺たちから見てグラウンドの対岸に集合し、ヘッドコーチらしき体格のいいおっさんからしきりとごうらっている。遠目で顔はよくわからないが、こちらに背を向けている82番の背番号が一団の中で見えかくれしていた。

 試合のほうは、どちらかと言えば地味な展開で進んでいるようだ。派手なロングパスが通ったりランニングバックが三十ヤード独走するということもなく、両チームともファーストダウンを取るのがやっとといった有様で、点数はフィールドゴールでポツポツと加点するにとどまってタッチダウンによる得点はいまだにゼロである。それだけ戦力がきつこうしているということでもあるだろうし、ディフェンスチームがたがいにがんばっているということでもある。

 ところで地味で退たいくつな展開がだいきらいな人間を俺は一人ほど知っており、その名を涼宮ハルヒという。

「なんか、あんまりおもしろくないわ」

 その場であしみしながら、ハルヒはくちびるとがらせる。く息が思いっきり白いのはハルヒだけでなく俺たち全員がそうだ。

「あいつらは動き回ってるからいいかもしれないけど」

 ハルヒは両手で自分を抱きしめるようにして、

「じっとしてるあたしたちは寒いだけよ。近くにきつてんはないの?」

 ピクニック気分もらしにかれてどこかに飛んでいってしまったらしい。朝比奈さんのお茶も野外では無限ではなく、すでにしてとっくに切れていた。それ以前に半分が愛情で構成されているであろう朝比奈印のお茶もあまりの寒さにあっという間に冷たくなってしまい、身体からだを暖める役にはあまり立たなかった。加えて今日は今年一番の寒波が押し寄せている。しんからこごえそうな冷気に歯を鳴らしているのはハルヒだけでなく俺や朝比奈さんもだ。平然としているのは暑さ寒さを年中ものともしない長門くらいのものさ。

「やっぱ、何であれ指くわえて見てるだけじゃ本質的な面白さなんて解んないのよ。あたしも混ぜてもらおうかしら。あのボールを投げる役くらいならあたしでも出来そうだわ」

 ハルヒは体温をうばっていく風に目をすがめながら、

「それくらいしないとずっと寒いだけよ。キョン、何かいいもの持ってない? カイロとか、トウガラシとか」

 そんなアイテムを持っていたら自分で使っている。どうしても身体を暖めたいなら学校の周りをマラソンで一周するか、おしくらまんじゅうでもすればいいだろ。経済的で、しかも健康的だ。

「ふんだ。いいわよ、カイロならここにちょうどいいのがあるしさ。しかも等身大の」

 おもむろにハルヒは後ろから朝比奈さんに抱きついて、けば折れそうな首に手を回した。

「わっわっ。何ですかあ」

 と、もちろん朝比奈さんはろうばいする。

「みくるちゃん、あなた暖かいわねえ。ふわっふわっしてるし」

 処女雪的白さのフェイクファーにあごうずめ、朝比奈さんのバックを取ったハルヒはがらで部分的にふくよかな肉付きをほこる上級生を抱きしめ、

「しばらくこうしてましょ。ふふふ、キョン。うらやましい?」

 当たり前だろう。どうせなら真正面から抱きしめ合いたいがな。

「ふうん?」

 ハルヒはアヒル口を作ったのち、

「ど……」

 言いかけて口をざし、軽く息を吸い込んでから、

「それ、みくるちゃんと?」

 ハルヒのあくめいた表情と、そのうでほうようされて白黒させている朝比奈さんの瞳を同じ時間だけ見比べて、俺は何と回答しようかと考えた。そうやって考え続けているとななめ後方から助け船が登場、

「何でしたら僕とおしくらまんじゅうでもしますか」

 俺たちの会話に混じりたくでもなったのか、古泉が気色悪いことを気色の悪い笑みをかべながら言い出した。

「マラソンでも構いませんが、ここは男同士、ねなくみ合ったところで僕は別に気にしません」

 俺が気にするわい。何度でも言っておくが俺にソッチのしゆはない。古泉はおとなしくアメフトのじつきよう解説役をやってればいいのだ。今回のは俺と長門と中河の問題でお前はオマケ以下の存在だからな。ちなみに現状を見る限りハルヒと朝比奈さんはオマケそのものだが。

 俺は横目を泳がせた。

「それはどうでもいいんだが……」

 かんじんのメイン、長門はいつもの調子でだまりこくり、ひたすら視線をグラウンドに落としたまま身じろぎもしない。中河の姿を目で追っているようなふんは感じたが、本当にヤツを見ているのかどうかも定かではない。

 一方の中河もそうだった。オフェンスユニットとしてせわしなく動いているときも、ラインの外に出ている間も、まったくこちらに目を向けていない。せっかく長門を連れてきてやったのに気にならないのかね。ハーフタイムの今も円になった選手同士で何やらしんけんっぽい気配のミーティングをやってやがる。それだけこの試合にける情熱と勝利へのかつぼうが何よりまさっているということなのか。

 それともワザとか? 中河の話が本当ならば、あいつは長門の姿を遠目に見ただけでぼうのあげく自失までしてしまうということだった。いくらなんでもそれは大げさだと思うが、もし言葉通りなら大事な試合の最中に立ちつくしちまうのはいかにもマズい。

「ま、いっか」

 と俺はつぶやいて、短いえりあしを風にそよがせている長門の後ろ頭を見つめた。

 この試合が終わって、中河が学校から出てきたらそこで会わせてやればいい。このままつつがなく後半が終了し、その時に中河の学校が勝っていたらヤツも自由の身になるだろう。

 昨日、長門は『会ってみてもいい』と言った。ならば会わせてやってもだれかが困ることもない。実を言うとあんまり気は乗らなかったが、だからといって他人の希望や要求を無下ににぎりつぶすほど俺は悪人ではないつもりだ。こうして聞く耳も二つほどちゃんと付いている。

 の、だが。

 残念ながらつつがなくとはいかなかった。試合再開を告げる笛が鳴り、第三クオーターが始まって五分とたないうちに──。


 中河は救急車で運ばれることになった。



 ヤツの負傷退場のてんまつを記しておこう。だいたいこんな具合だ。

 後半の幕開けは相手チームのキックオフから始まった。リターナーがじん二十ヤードまで進んだところで取り押さえられ、そこから中河チームのこうげきが開始される。

 敵味方がそろってこしを落とす最前列、そのはじっこに中河もいた。センターの真後ろにいた白ユニフォームのクオーターバックが何やら暗号通信めいたけ声を左右に発して、それはまさしく暗号通信だったらしく中河は一列目のラインからつつつっと横に移動した。そのたん、ボールを受けたクオーターバックが二歩三歩とバックステップをみ、敵チーム側のガードとタックル、ラインバッカーどもがじゆうのようなとつしん力でおそいかかる。

 中河はいったんダッシュしてからばやくインに切れ込んでターン、きゆうを待ち受ける構えだがこれはフェイクだったらしく、ボールを構えたれいとうが手首のスナップをきかせて投じた相手は、中河のさらに外側にいたワイドレシーバーだった。

「あっ」

 声を上げたのはハルヒか朝比奈さんか。

 ライフルだんのように回転しながら飛んでいくボールは、しかし予定通りのせきえがくことはできない。敵チームのラインバッカーがもうぜんとジャンプ、だがこれもインターセプトには至らない。かろうじて指先にれるにとどまってターンオーバーはかい、とは言えどうへんこうと減速を強制され、ふわーり、とボールは誰もが予想しなかった地点へとちていく。

 その時だった。

 地蔵さつよりも動くことのなかった長門が手を動かすのを俺は見た。

「…………」

 長門はかぶっていたフードのはしに触れ、ちょいと押し下げて目線をかくす。だが隠しきれない部位、くちびるが小さく動いたのを俺の視界はのがさなかった。

「────」

 確かに長門は何かを呟いた。短く。

 それは目のすみでの出来事だった。俺の目のしようてんは目下のところグラウンドに合わされている。

「おっ」

 俺は身を乗り出して目を見張った。

 ボールの軌道がわずかに変化したような気がしたからであり、まさにその落下予測地点へ中河が素晴らしいしゆんぱつりよくで走り込んでいたからだ。俺の視界の中心で中河はれいちようやくした。空中をただよっていたボールをしっかとキャッチ、やや体勢をくずしたもののそのまま地面に着地──

 とも、いかなかった。

 中河のジャンプと同時に、中河のマンマークについていた相手ディフェンスのコーナーバックも素晴らしい跳躍を見せていた。ねらいはただ一つ、連中が命の次くらいに重要視しているボールである。

 その敵選手がはばび選手のように助走をつけて宙を飛んだのは、中河がボールをつかむと同時のことだ。空中ではいかなる方向てんかんもままならないのは羽の生えていない人間なら当然の始末で、結果その選手はジャンプの頂点にいてエネルギー量ゼロ状態、後は落ちるだけだった中河とまともにげきとつした。そのしようげきがいかばかりであったかは、二人ともがその勢いのままにはじけ飛んだことからも容易に想像できようというものだ。

 敵のコーナーバックは九十度回転して背中からグラウンドに落っこち、そして無防備な体勢でいた中河はれいに縦の半回転をおこなって頭から落下した。

「ひえっ!?」

 これは朝比奈さんの疑問形悲鳴。

 俺も声を上げかけていた。明らかに中河は人間が地上にぶつかるにしては決してやってはいけないような落ち方をした。トゥームストーンパイルドライバーというか、いぬがみ家のスケキヨというか、頭頂部からまともにだ。プロレスにはマットがあり犬神家ならぬまがある。だが、中河の下にはかたく素っ気のない茶色の地面があるのみだった。

 聞きたくもなかったような、イヤ~ぁな音が映像にややおくれて俺たちのもとにまで届けられる。

 ゴガン!

 よくてヘルメット、悪ければがいこつにヒビが入ったんじゃないかと思えるようなにぶい音だった。

 しゆしんく笛が鳴りわたって時計が止まる。中河の身体からだも止まったままだ。たおした中河はボールを親の形見かと思うくらい強くきかかえたポーズで停止していた。いや、もうピクリともしない。ちょっとシャレにならん気がしてきた。

「だいじょうぶかしら、あの人」

 ハルヒがフェンスにかぶりつきとなってまゆをひそめる。

「ひええ」

 朝比奈さんはホラー映画のスプラッタシーンを見るようにハルヒのかたに半身を隠して、

「あ……たんが……」

 こわごわとした声で言った。

 大勢のチームメイトたちに囲まれていた中河のぎよう姿が、大急ぎで運ばれてきた担架に乗せられてサイドラインの外に出る。それでもまだボールを抱きしめているのだから見上げたこんじようだ。これで中河のチームが奮起して敵チームに勝利しないとウソだと思えるくらいの名退場シーンである。

 担架の上でメットを外された中河は、どうやら最悪の事態だけはまぬかれたようだ。周囲の呼びかけに反応して目を開けているし、質問にうなずいたりしている。起きあがろうとしてまた崩れ落ちたりもしているが、少なくともちゃんと息はあるらしい。

「軽い脳しんとうでしょう」

 古泉が病状を説明する。

「さほど心配はないと思います。この手のスポーツではたまにあることですよ」

 医者でもないのにこのえんきよからよくわかるものだ。本当にその通りならいいが頭はけっこうヤバイ部分だぞ。そんな俺のねんはチームのかんとくだかもん教師とも共通だったらしく、まもなくして救急車のサイレンが近づいてきた。

「ついてないわね、あんたの友達」

 ハルヒはがいたんするように、

「有希にいいところを見せようとしてたのにケガじゃあね。はりきりすぎたのかしら」

 同情しているらしい。こいつは本気で中河と長門がうまくいっちまえばいいと思っていたのか? ちょっと前までコンピュータ研への一時レンタルにも難色を示していたのに。

 俺がそう言うとハルヒは、

「あたしはね、キョン。れんあい感情なんて病気の一種だと思ってるけど、人のこいおもしろがってじやするようなことはしないわよ。幸せの基準なんて人それぞれなんだもの」

 中河に好かれて長門が幸せになるかどうかは解らないけどな。

「あたしから見て不幸のどん底にいるような人だって、その人自身が自分は幸せだって思っているのなら幸せなのよ」

 俺は肩をすくめてハルヒの一言多い恋愛論を受け流した。申しわけないが朝比奈さんにろくでなしの恋人ができるようなことになって、いくら朝比奈さんが幸せそうにしていたとしても俺は心中おだやかでいられる自信がないね。しんけんに恋路を邪魔するいにおよぶかもしれん。しかしそんな俺をだれが責められようか。

「お友達、平気だといいですね」

 朝比奈さんはモコモココートの前で手を合わせ、ねんする表情である。決してツクリではない。かように誰にでもおやさしいお人なのだ。朝比奈さんにいのられたら、たとえ全身ぼくの複雑骨折だったとしても三十分で治る。だから中河もだいじようだ。

 やがてとうちやくした救急隊員たちの手によって中河は救急車の中に運び込まれた。割れ物注意シールがってある段ボール並みにしんちようあつかわれようで。

 ぎわよく中河をはんにゆうし、後部ドアを閉じるが早いかサイレンが復活して発車、目に痛い光を振りまきながら赤色回転灯が遠ざかっていく。

「…………」

 だんより無口度が五割増しになっている今日の長門、黒曜のひとみが走り去る救急車を見る様は、あたかも肉眼で赤方へんかくにんしようとしているかのようだった。



 さて、どうする?

 長門への中河プレゼンテーションは当事者の退場をもって中止をなくされたわけだが、再開された練習試合を最後まで見届けるのも気が進まない。なにしろ寒すぎるうえに当初の目的が中絶されてしまったのだから俺たちがここに立っている理由は二次的なものに過ぎず、本来の一次的目標はそろそろ病院に到着したころだろう。

「あたしたちも病院に行けばいいじゃん」

 と言い出したのはハルヒである。

「当初の目標が病院行きなんだから、そこに行けば話は続くわよ。心配した有希がおいに行くってシナリオね。あんたの友達も感激するわ。それに病院ならだんぼうも効いてるでしょ。どう、これ?」

 さもらしい思いつきのように言うのはいいが、俺はとうぶん病院の門をくぐりたいとは思わない。ハルヒと出会って以来、俺のトラウマは増すばかりである。

「あんた、友達が気にならないの? 言っとくけど、あんたが救急車で運ばれたときはあたしは心配してあげたわよ。あくまでそれなりにだけどねっ」

 俺のうでをぐいぐい引っ張りながらハルヒはぶっきらぼうな口調で、

「みんなにめいわくかけたんだから」

 俺をともなって歩き出したハルヒだったが、数歩進んで立ち止まる。

「ところで、あの救急車はどこの病院に行ったの?」

 俺に聞かれても知らん。

「僕が調べますよ」

 けいたい電話をかざした古泉が微笑ほほえみつつけ負った。

「しばしお待ちください。すぐにすみますので」

 古泉は俺たちに背を向け、何歩かほどはなれてからボタンをプッシュ、小声でささやいたり相手の声に耳をかたむけていたりしたが、ものの一分強で携帯をしまった。笑顔を俺たちに向けて、

はんそう先が解りましたよ」

 どこにかけたのか知らないが119番でないことはけてもいいな。

「僕たちがよく知っている病院です。道順を説明するまでもないでしょう」

 とうのような予感が押し寄せ、シーツの白さとリンゴの赤が俺の目の奥でよみがえる。古泉は俺にはなやかな笑みをくれると、

「ええ、そうです。この前まであなたが入院していた総合病院ですよ」

 お前の叔父おじの知り合いが理事をやってる、ということになっているあそこか。俺は古泉をにらみつける。ぐうぜんわざなんだろうな、それは。

「偶然です」

 俺のワニ目にクスリ笑いをらしてから、

「いや、本当に。ぐうですねえ。まったく、僕もおどろいていますよ」

 いまいち信用ならんからその笑顔もしんらいかいだ。

「じゃ、その病院まで行きましょ。どっかでタクシー拾えない? 五人いるんだし、割りかんなら安くつくわ」

 さっそく仕切り始めるハルヒだったが、

「涼宮さん。僕はそろそろ今度の雪山について打ち合わせをしたいと考えていましてね。お見舞いはこちらのお二人に任せて、朝比奈さんと僕とでその件についてめておくのはいかがです? 明確な日程とか持っていく荷物とか、細部のツメがまだ未定ですから。細かなスケジュールもそろそろ最終案を出しておかないと」

 古泉のセリフを聞いてたたらをんだ。

「え、そうなの?」

「そうです」

 古泉はんでふくめるように、

おお晦日みそかはもうすぐそこですよ。とししを雪のさんそうで過ごそうという一大イベントです。本当なら今日はSOS団冬合宿のミーティングに当てたいくらいだったのですが、こうして予定外のことが入ってしまいましたからね」

 悪かったな。

「いえ別に。その代わりと言っては何ですが長門さんはあなたにお任せしますよ。取り急ぎ病院にけつけてお二人で中河氏に対面を果たしてください。そこでの出来事もあなたの判断で、いかようにもどうぞ。僕と涼宮さんと朝比奈さんはいつものきつてんにいますから、その後で来てください……ということでどうでしょう、涼宮さん」

 んー、とハルヒはくちびるをウネくらせていたが、

「ううん、そうねえ。あたしが病院行ってもしょうがないのは確かよね。キョンの友達が興味あるのは有希だけなんだもんね」

 少しねたような顔をする。

「いいわ、キョン。有希といつしよに友達を見舞ってあげなさい。あんなラブレターをよこすヤツだもの、有希を見れば五秒で元気ハツラツになるわ」

 そこでハルヒは俺に指をきつけ、

「でもね! ちゃんと後で全部スッキリ報告するのよ! いいわね!?」

 おこり笑いのような表情で言った。



 つうこって、集合地点にバスでもどってきた俺たちはここで二派に分かれることになった。俺と長門はバスを乗りいで私立の総合病院へ、ハルヒ以下の三人は近くの喫茶店に常連客をやりに。

 長門がまったくり向かないので俺が一念ほつして振り向いてやると、ハルヒたち三人も同じように振り返ってて、ジェスチャークイズのような真似まねをしながら歩き去っていった。何のボディランゲージなんだといぶかしく思うのも早々に、俺は冷たいふんをダッフルコートにまとわりつかせた道連れに顔を向けた。

 さてさて──。

 簡単に言おう。気になることがいそのフジツボ並みに俺の心臓に付着している。長門にひとれした中河がここぞと言うときに都合よく負傷したりするのも気がかりだが、古泉が待ち合わせ場所で言った「あなたもよくよくみような友人を……」の『よくよく』の部分がさらに気にかかる。俺は変態的な特質を持つ友人に心当たりはあまりない。いて言えば古泉くらいしかがいとうしない。いったいヤツは中河の何を指して『妙』などと表現したのか。

 それにプラスして長門がつぶやいたなぞじゆもん。中河の事故が起こったのはその直後で、どれだけにぶい頭脳の所有者でも、いままでのパターンさえおくしていれば何かあると思うのは当然の流れだろう。そう、俺がリリーフエースをやって三者連続さんしんを記録できる程度には長門は芸達者なのだ。

「…………」

 長門はフードのおくに顔を引っ込めて語ることはないが、その答えはすぐに明らかになる。



 受付で事務員にたずねたところ、中河はすでにりようと検査を終えて病室に移動しているとのことだった。大事には至ってないが検査入院ってことになったらしい。俺ははいれいのようについてくる長門を伴い、教えられた病室へと通路を進んだ。

 さすがに病室まではカブっておらず、中河がいたのは六人部屋である。

「中河、元気か」

「おお、キョン」

 水色の病院服を着てベッドに横たわる元同級生がいた。見たとこどうもないようで、中河はスポーツりの頭もそのままにひるから覚めたパンダのように身体からだを起こし、

「ちょうどよかった。さっき検査が終わったところなんだ。様子見でいつぱくすることになった。落ちたときはくびをやっちまったかとき気がしたが軽い脳しんとうですんだとも。コーチには電話を入れて明日には退院できそうだからわざわざ来ることもないと──」

 しやべっているうちに俺の背後霊に気づいたようだ。極限まで目を見開いて、

「そちらの方は……ま、まさか……」

 まさかも何もない。

「長門だよ。長門有希。喜ぶだろうと思って連れてきた」

「おおおっ……!」

 中河はくつきようたいをベッド上ではずませ、いきなり正座した。元気そうで何よりだ。このぶんでは頭の中も無事だろう。

「中河ですっ!」

 ごうのような自己しようかいだった。

なかはらちゆうの中にこうの河で中河です! 以後お見知りおきを!」

 将軍に初めて目通りしたざま大名みたいなへいふくぶりである。

「長門有希」

 笑わない声がたんたんと名前を告げた。ダッフルコートをごうともせず、フードすらかぶったままだ。見かねて俺は頭をおおうフードをつまんで背中に垂らしてやった。わざわざ対面しに来たんだ、顔くらい見せてやってももったいなくはない。

 長門は何も言わずに中河のほうけた顔をぎようし続け、十数秒が経過したあたりで、

「うん?……あー」

 中河のほうが何故なぜ怪訝けげんな表情へと変化した。

「長門さん……なのですね」

「そう」と長門。

「春ごろにキョンと一緒に歩いていた……?」

「そう」

「駅前のスーパーでよく買い物を……?」

「そう」

「そうなの……です……か……」

 中河は顔をくもらせる。泣いて喜ぶか感激でそつとうするかのどちらかだと思っていたのに、なんだ、この歯切れの悪い雰囲気は。

 長門が中河を見る目は、水族館で動かないカレイを見るような感じだったが、中河の長門を見る目もみちばたでマンホールのフタを見てるような気配がした。

 そうやってみような見つめ合い合戦もすぐにたんし、先に目をらしたのはやっぱり中河だった。

「……キョン」

 小声のつもりだろうが同室の入院かんじやにも丸聞こえだろ。しかし人目をはばかるように指をちょいちょいと動かして俺を呼ぶ仕草を無視してのけるわけにもいくまい。

「何だよ」

「ちょっと……その、お前と二人で話したい。でだな、その……あれだ」

 ちらちらと長門をうかがう目線でわかる。長門に聞かれたくないようなことを言いたがっているらしい。

 俺が長門へ向き直る前に、

「そう」

 以心伝心というわけでもなかろうが、長門はすっと身体を返すと、ベルトコンベアで運ばれているような足取りで病室から出て行った。

 中河はスライドドアが閉じられたのを見て、ふっと息をつき、

「あれは……本当に長門さんか。本物の?」

 ニセ長門にはまだお目にかかっていない。変質した本人には出会ったことがあるが、それも終わった話である。

「喜べよ」と俺は言った。「お前の十年後のはなよめ候補が来てくれてんのに、もっと感激したらどうだ」

「うう……むむ」

 中河はひとしきりうなるようにうつむいて、

「長門さん……だよな。ちがいなく。ふたでもそっくりさんでもないのだな」

 何を言ってやがる。眼鏡めがねがないとダメとかいうことじゃないだろうな。お前は最近にも長門とそうぐうしたんだろう? なら長門は俺のようせい通りにグラスレスだったはずだ。眼鏡フェチだから今のはダメだなんてイイワケは聞きたくないぞ。

「そうじゃない」

 中河は思いなやんでいる顔を上向けた。

「うまく言えない……。ちょっと考えさせてくれ、キョン。すまないんだが……」

 それっきり中河はベッドに座り込んだまましんぎんし始めた。やはり頭を打ってどこかおかしくなっちまったのか? 反応が不可解過ぎるし話も続かない。何を言っても「ううむ」と上の空だし、一心不乱に考え事をしているようでもある。最後のほうは頭痛をこらえるように頭を押さえだしたので、これはいかんと俺も退室することにした。

「中河。そのうちわけをしようさいに聞かせてもらうぞ。このままじゃあ──」

 俺がハルヒに報告する内容も完全にくうなままになってしまう。事実を伝えてもハルヒが目のはしり上げるだけの結果が待ち受けていることだろう。

 病室を出ると、長門はろうかべに背を付けるようにして待っていた。俺に黒ビー玉みたいな目を向け、またゆかに落とす。

「行くか」

 小さくうなずいて、長門はおとなしく俺の背後霊にもどった。

 ──何だったんだ、いったい。

 無口を保つ長門の前をハンミョウのように歩きながら、俺はバスターミナルへと急ぎ足で向かった。



 その後のきつてんでの一幕は語るべきこともないいつもの情景だった。冬休み旅行の日程表を広げたハルヒが声高らかに何か言っていて、うなずきマシーンとなった古泉が無難な相づちをうちまくり、朝比奈さんは美味おいしそうにダージリンティーのカップにちびちび口をつけ、俺はぜんと、長門はもくもくと意見を求められることのない聞き役にてつしていただけだ。

 はらいを割りかんで終え、今日のSOS団課外活動はこれにてしゆうりよう。自宅に戻った俺を待っていたのは、

「あ、キョンくんー、いいところに帰ってきたよ。電話ー」

 片手に電話子機、片手にシャミセンをぶらさげた妹のがおだった。俺は電話とシャミセンの両方を受け取って自室に引っ込んだ。

 予想していた通り、電話の主は中河だった。



『非常に言いにくいのだが……』

 病院の公衆電話からかけていると断った上で、中河は言葉通りに言いにくそうなニュアンスを声にこめながら、

けつこんの約束を解消したい、と彼女に伝えてもらえないだろうか』

 多重さいに苦しむ中小ぎようの社長が支払い日の延長を申し込んでいるような声だった。

「わけを言ってもらおうか」

 俺はげんの悪いさいけん者が無策な経営者に対面したような声で、

「一方的に二人の世界を夢えがいておいて、たった一日でするつもりか。お前の半年間は何だったんだ? 長門と間近で会ったたんに心変わりかよ。説明のじようきようだいで俺のお前への対応も変わってくるぞ」

『すまない。俺にもよくわからないのだが……』

 本心からすまながっているように中河は言う。

『病院にけつけてくれたことはとてもうれしい。感謝したい。だが、その時俺は長門さんに以前の光やオーラを感じることができなかった。どこにでもいそうなつうの女の子に見えた。いや、どう見ても普通の女の子だった。いったいどういうわけなのか俺にも不思議だ』

 俺は長門の無常を思わせる顔を思い描いた。

『キョン、あれから考え続けていたんだが、何とか思いついた結論は一つだけだ。俺は長門さんにひとれしたのだと思っていた。しかし今ではそんな感情がどこにもないんだ。ということは、俺は手ひどく間違ってしまったんだとしか思えないんだ』

 どこで間違ったんだって?

『一目惚れ自体が間違いだった。冷静に考えたら見ただけでこいに落ちることがあるとも思えない。俺はずっとかんちがいをしていたらしい』

 ほう。では中河、お前が長門に見たという後光やエンジェルズラダーやらくらいしようげきってのは何だったんだ。見るだけでこうちよくしちまうっていうみような現象は?

『解らん』

 中河は百年後の今日の天気を予想せよと言われた気象予報士のように、

『見当もつかない。今となれば、すべて気のせいだったとしか……』

「そうかい」

 ぶっきらぼうに言いながらも中河を責める気は毛頭なかった。実のところそんなにおどろいてもいない。だいたい予測した通りに物事は進んでいたからだ。最初に中河のもうげんを聞かされたときから、俺はこうなるんじゃないかと思っていた。

「よく解ったよ、中河。長門にはそう伝えておく。あいつなら気を悪くしたりはしないさ。もともと乗り気じゃなかったみたいだからな。いつしゆんで忘れてくれる」

 ためいきのような呼気を受話器がき出し、

『そうか。だと、ありがたい。くれぐれも申し訳ないと謝っておいてくれ。どうかしていたよ』

 きっとそうだろう。疑問の余地もないほど中河はどうかしていた。で、今は正常値に戻っている。だれかが状態回復系のじゆもんをかけてくれたのかもな。

 そこから俺と中河は適当なやま話をとってつけたようにして、そろそろテレカの残高がなくなりそうだといったところでたがいに別れを告げた。まあ、またどっかで会うこともあるだろう。

 電話を切った俺は、すぐさま別の番号にコールした。

「今すぐ会えるか?」

 電話に出た相手と落ち合う場所と時間を指定しながら、俺はすでにマフラーとコートを拾い上げていた。コートの上でそべっていたシャミセンがコロコロとじゆうたんを転がって俺に非難の目を向けた。

 昨日はやく、そしてあっち行きこっち行きをり返してぼうきわめた本日もこれでようやく終わりそうだ。



 ママチャリを走らせて行った先は、変わり者のメッカとして俺にはおみになっている、長門のマンション近くの駅前公園だった。五月初めに長門に呼び出されたのもここだし、朝比奈さんに連れて行かれた三年前の七夕で目覚めたのもここだ。つい先日にも俺は二度目の時間こうで朝比奈さん(大)と並んで座った。思い出すね。ありし日のついおくってやつをさ。

 入り口付近に自転車を止めて公園内にみ込む。

 その思い出ベンチにこしけて待っていたのは、ダッフルコートをサンドピープルみたいに着込んだひとかげだった。そこだけ外灯に照らされてやみからき上がっているかのように見える。

「長門」

 俺はまっすぐ見つめてくるがらな仲間に声をかけた。

「急に呼び出してすまなかったが、中河の心変わりはさっきの電話で言ったとおりだ」

 長門は自然な挙動で立ち上がり、うつむき加減につぶやいた。

「そう」

 俺は長門の黒目をえる。

「そろそろタネ明かしといこうぜ」

 自転車をけっこうな速度で飛ばしてきたら身体からだは暖まっている。冬の夜空の下でも当分は気力のほうもちそうだった。

「中河がお前に一目惚れしたまでは俺もなつとくできる。そういうヤツも中にはいるだろうさ。だがな、今日になってとつぜんあいつが心変わりしちまったってのはどうにも不自然だ。おまけに今日の試合……、負傷して病院に運ばれた中河が、まるでそのせいだったみたいにお前へのれんあい感情を無くしたのもぐうぜんとは思えない」

「…………」

「何か細工しただろう。お前が試合中に何かしでかしたのは解ってる。中河のあのアクシデントを演出したのは、お前だ。違うか?」

「そう」

 あっさりと答え、長門はおもてを上げて俺に視線を向けた。そして、

「彼はわたしを見ていたのではない」

 論文を読むような口調で、

「彼が見ていたのは、わたしではなく情報統合思念体」

 俺はだまって聞いている。長門は同じ声で続けた。

「彼はわたしというたんまつを通じて情報統合思念体とアクセスするちよう感覚能力を持っていた」

 きつける風で耳が痛くなってくる。

「彼には自分の見たものが理解できなかっただろう。有機生命に過ぎない人間と情報統合思念体では意識レベルがちがいすぎる」

 ……後光が差しているのが見えた。まるで天国から地上に差し込む光のようだった──と中河は表現していた。

 長門は無感情に解決編を語り続ける。

「おそらく彼はそこにちようえつ的なえいちくせきされた知識を見たのだろう。読みとれた情報が端末をばいかいしたへんりんでしかなかったとしても、その情報圧は彼をあつとうさせたと思われる」

 勘違い、か。俺はぞろいな長門のまえがみながめながらたんそくした。中河が長門の内面だと感じたシロモノは、実は情報統合思念体の一端だったらしい。俺だってくわしくは知らないが、長門の親玉は人類とは比べものにならない歴史とか知識量とかヘンテコな力を持っている。そんなもんにうっかりアクセスした日には、なるほど確かにぼうぜんしつしてもおかしくはない。ブラクラを踏んづけてパソコンがフリーズするようなものだ。

「中河はそれを恋だか愛だかとさつかくしたんだな」

「そう」

「お前は……あいつのその感情を修正したんだ。アメフトの試合中だな」

 うなずきを返すザンバラなおかっぱ頭。

「彼が持っていた能力をかいせきし、消去した」

 と、長門は答え、

「情報統合思念体に接続するには個人の脳容量は少なすぎる。いずれへいがいけんざい化すると予想した」

 それはわかる。長門を一瞬見かけただけでぼうしていたという中河のリアクションもさることながら、半年以上ってから十カ年計画をとうとうと述べ出すようなイカレ具合だからな。ほうっておいたらどこまで暴走するか想像するのもおそろしい。

 だが、解らないことだってまだあるぞ。

「どうして中河にそんな力があったんだ? お前を通じて情報統合思念体を見ちまうような、そんなとくしゆ技能がもともと中河にあったのか?」

「彼がその能力を得たのは、おそらく三年前」

 やっぱりそこにもどるのか。長門や朝比奈さんや古泉がここにいる理由、その原因を作った三年前に起こった何か。いや、ハルヒが起こしたらしい何かが……。

 ここで俺は気づいた。

 超感覚能力と長門は言った。だとしたら……そうか。ひょっとしたら、中河は今の古泉のような超能力者候補だったのかもしれない。三年前の春ごろ、ハルヒは確かに何かをやりやがった。時空のだんれつを発生させたり情報をばくはつさせたり超能力者を発生させたりという得体の知れん何かをだ。だとしたら中河が今の古泉のような立場にいてもおかしくはなかったのだ。古泉のいわくありそうな態度もこれで理解できる。すでに知っていたのか昨日今日で調べたのかはともかくとして、あいつは中河の持っているはんな能力に気づいていたに違いない。それで『みような友達』なんてことを俺に言いやがったのだ。

「かもしれない」と長門。

 あるいは……、俺は肉体的なものだけではない寒気を感じた。何も三年前の一時期に限定することはない。もしかしたらハルヒは今でもけいぞくして超自然的なえいきよう力を他人にあたえ続けているのか? 秋に桜をかせたり神社のはとをリョコウバトに変化させるような、そんな何かを。周囲の人間たちに。

「…………」

 ぼんやりと棒立ちしていた長門は答えず、それどころか話はすんだとばかりに歩き始めた。同じくっ立ったままの俺の横をかすめて、じようぶつを決意した浮遊れいのようによいやみけ込もうとしている。

「待ってくれ。一つだけいていいか?」

 その後ろ姿に言葉で形容できない何かを感じて俺は声を飛ばした。

 長門にひとれしてずかしい伝言を俺にたくした中河。俺の知る限り長門にあそこまで直接的な愛の言葉をいたのは中河が最初のはずだ。昨日、部室で俺が読み上げたプロポーズの文句を聞いて、こいつはどう思っただろう。お前が好きだとねつれつな告白を受け、将来をともに過ごそうと言われ、そして結局はかんちがいのたまものだったと解って何を感じただろうか。

 そんな疑問が俺の胸中を満たし、ついつい言葉となってくちびるからこぼれ出た。

「残念だったか?」

 最初の出会いから半年以上、共有する思い出がいくつもある。それはハルヒも朝比奈さんも古泉も同じだが、長門がからんでいた事件は特に多くてほとんどすべてだったと言えるし、ついでに最も内面のり子が大きく振れていると思えるのもこいつだった。ハルヒなら何かあっても自力で何とかする。朝比奈さんはあのままでいいし古泉はどうでもいい。だが──

 言わずにいられなかった質問を俺は発する。

「告白が間違いだったと解って、少しは残念だと思わなかったか?」

「…………」

 長門は立ち止まり、かろうじて振り向いたと形容できる程度に首を横向けた。不意をつくようにった風が、さらりとした長門のかみを散らして横顔をかくす。

 冷え切った夜の風は俺の耳を切るように吹いている。しばらく待っていると、静かで小さな言葉が風に乗って届けられた。


「……少しだけ」

このエピソードをシェアする

  • ツイートする
  • シェアする
  • 友達に教える

関連書籍

Close