ライブアライブ

 俺が高校に入学した年。

 すずみやハルヒという名前を持つ人型の異常気象がきたこうもうるい始めたその年は、思えば色々あったもので、ありすぎるあまりいちいち思い出すのもめんどうなくらいになっているのだが、いったんメモリーアルバムをさかのぼれば、まあ本当になんやかんやとやってきたものだよなと我ながらあきれ返りたくなりつつも、そんなおくの中に刻まれていたエピソードの一つに実はこんなものもあったという話をさせていただこう。



 それは夏の残した熱が列島の上空にわだかまり続け、まるで四季の移り変わりをあやつる気象兵器をだれかが誤作動させているのではないかと疑えるくらいに暑かった、こよみ上では秋のことである。

 その日、文化祭当日。

 頭の調子が年中調子ハズレな監督兼プロデューサーがさつえい開始を宣言してからすべての作業がしゆうりようするまで、出演者および雑用係のカオスフレームをむやみに悪化させるとくしゆ効果を発揮していたような、そんな底と間が抜け気味なめいわく映画ももっぱら俺のおかげで一応の完成を見せていた。

 文化祭初日の今日はその公開初日でもあり、『あさミクルの冒険エピソード00』と題された映画とも朝比奈さんのPVとも知れぬシロモノは現在、視聴覚室で絶賛上映中のはずだ。

 はずだというのはほかでもなく、俺はあのシュールレアリスムのきよくちようせんしたようなバカ映画に自分の名前がクレジットされているところなどこれ以上見たくもないので、DVテープを映画研究部の連中にわたしたあたりで部外者になることを決め込んでいたのである。

 幸いにも細かいこうしようや宣伝こうは渉外活動となると、より以上に活発化するハルヒが団長自ら元気よくそつせんしてやってくれている。

 ハルヒのこうにそろそろ慣れ始めている北高生や教師どもはいいが、ヒマなけいいつぱん人たちが校内をうろついているってのに、春先にも登場した例のバニーガール姿で宣伝ビラいてんのもどうかと思うものの、おかげで無気力教室一年五組に属する俺やハルヒとはちがい、それなりに行事参加している朝比奈さんとながいずみもそれぞれ自分たちのクラスかくに朝から従事できているのである意味おんの字と言える。

 いまや俺の気も晴れ晴れとしてみ切ったみなを映す明鏡のごとき心境だ。映画のデジタル編集が終わった段階で俺の背負い込んだ仕事もめでたく終了しているし、ややすいみん不足気味の頭をふらつかせながら長門のうらないと古泉の演劇をチョロリとひやかすゆうもあるくらいだ。しょぼい県立校のさびれた文化祭とはいえお祭りはお祭りで、いつもと違うふんまんきつするのも悪くない。

 今日の俺には決して看過できない使命があり、そしてその使命は一枚のへんとなって俺の手ににぎられているのだ。

 それは何かとは言うまでもない。朝比奈さんのクラス企画による焼きそばきつの割引券である。

 どんな安茶葉だろうと彼女が給仕してくれるだけで天上のかんに早変わりするのだから、その同じ手で差し出された焼きそばも高級ちゆう料理店のまかない程度にはなるにちがいなく、俺の腹を鳴かせるにはじゆうぶんな期待値がのうでゲージをじようしようさせているというわけだ。こうして校舎の階段を上る足取りもまるでつばさつきのくついているようだぜ。

 しかし、そんな階段をけて天までのぼろうかという気分の俺に、同行者がぬるま湯のような声をかけてきた。

「どうせなら無料招待券のほうがよかったんだがな」

 こんなイヤゴトを言いやがる口の持ち主はたにぐち以外にこの場にいない。ロケで池に飛び込ませちまった義理もあるし、せっかくなのでさそってやったというのにこれ以上何を求めると言うんだろうね。

「俺はノーギャラで水中ダイブさせられたんだぜ? ついでに言えば試写会にも招待されてねえ。まさか俺のシーンがカットされてるんじゃないだろうな。ずぶれのだいしようが焼きそば三十パーセントオフ程度じゃ割に合わねえな」

 つべこべ抜かすな。朝比奈さんがわざわざ呼び出してくれてまでくれた割引券だぞ。それにノーギャラ出演が一番割に合ってないのはその朝比奈さんなんだ。今すぐアカデミー賞の選考委員にかけあってオスカー像を特別じゆしてあげたいくらいだ。

「不服なら来るな。とっとと帰れ」

 そう言った俺に、もう一人のツレが、

「まあまあ。いいじゃん谷口。どうせ食べ歩きするつもりだったんだろう? ありがたくごしようばんにあずかろうよ」

 くにだった。古泉とはまた別の意味で優等生づらをしたこのクラスメイトは、

「それにキョンといつしよに行けばサービスしてくれるかもしれないよ。キャベツ多めとかさ。谷口もそのほうがいいだろ?」

「まあな」

 谷口はあっさり答えた。

「だが味にもよるな。なあキョン、朝比奈さんが料理すんじゃねえよな」

 そういえば給仕係だと言っていたような気がするが、それがどうかしたのか。

「ああ、なんとなくだが料理が下手そうなイメージがあるんでな。砂糖と塩をで間違えてもあの人なら不思議じゃねえような」

 こいつといいハルヒといい、朝比奈さんを何だと思ってるんだ。いくらマスコット的メイドキャラ担当でも、今時そこまでドジな人間はげんそう世界にしか住んでないぜ。せいぜいタイムマシンをなくしてオロオロするくらいのものだろう。未来人としてそれもどうかとは思うが。

「楽しみだね」と国木田。「コスプレ喫茶だっていううわさを聞いたよ。映画のウェイトレスとか、いつだったかのバニーガールにもおどろいたけど、今度はどんな格好をしてるのかなあ」

「まったくだ」

 それには谷口も深くうなずいた。こいつらは俺ほど朝比奈さんのメイド姿を見慣れていないからな。いちおうれんびんの情を感じておこう。

 階段からろうに足をみ出しながら、俺も思いえがいていた。ウェイトレスと言えば映画で使用したパッツンパッツンのセクハラしようしか思いかばないくらいに脳みそが毒されていたから、ここでまともな衣装をまとってと焼きそばを運んできてくれる朝比奈さんをながめることは、まさしくもうまくと心のせんたくという以外に何があろうか。いつも思うんだが、ハルヒのしゆそうしよくじようなんだよ。バニーのふんそうで校門前に立てるくらいのごうこうぞうの神経だから、あいつ自身にとってはちょうどいいのかもしれないが、そんな神経が誰の体内にも通っていると思ったら大間違いだ。

 朝比奈さんのクラス有志による手作りウェイトレス衣装か……。

 こればかりは谷口にならうしかないな。楽しみだ。まったくもって。



 今日の校舎内の廊下には緑色のラバーシートが安物の赤じゆうたんのようにかれていた。そのためだんは上履きをいられる校舎だが、外来のいつぱんきやくはいりよして文化祭の今日明日だけは土足を許されている。歩いているひとかげもそれなりにさいだった。特に文化系部員でそれなりの発表機会がある生徒の保護者なんかは来てそうだし、付近の住民には格好のヒマつぶしの場だろう。行く高校が違っちまった中学時代の友達を招待しているパターンも多かろうね。特に山の下の女子校生徒をおびき寄せるにはほとんど年にゆいいつくらいの機会だ。出会いを求めてるのは何も谷口のような男どもだけではないさ。

 北高の制服以外の姿が目立つ廊下を、俺たち三人は撒きにつられるイワシのように回遊し、二年の教室が並んだ校舎の一角、モグラたたきゲーム屋と創作風船工作室にはさまれた教室の前で足を止めた。

 鉄板をこがすかんばしいかおり、入り口前に置かれた『焼きそば喫茶・どんぐり』という立て看板。そしてどの教室よりも長いへびのごとき列。いや、それより真っ先に目と耳に飛び込んできたのは、

「やぁっ! キョンくんとその友達たちっ! こっちこっち、いらっしゃ~いっ!」

 十メートルはなれていても聞き間違えることのない大声と晴れやかながおだった。こんなに明るく笑える人間は、めいわくなことを思いついたハルヒを除けば俺の知り合いではただ一人である。

「三名様ご来店っ。まいどっ!」

 つるさんだった。しかもウェイトレスの扮装の。

 通路に持ち出した机の前で手をる鶴屋さんは、どうやらチケットの売り子をしているらしかった。ひょっとしたら客寄せ係けんにんなのかもしれない。

「どうだいっ。この衣装、めがっさ似合ってると思わないかなっ? どうにょろ?」

 行列の横に身を乗り出した鶴屋さんは、しゆんびんに俺たちへと近寄ってきた。

「それはもう」

 俺は意味もなく低姿勢になりながら鶴屋さんを見つめた。

 うかつにも朝比奈ウェイトレスバージョンをもうそうするのにいそがしすぎて鶴屋さんも同じクラスだということを失念していた。谷口と国木田もカレイをったと思っていたらその尻尾しつぽにヒラメがかじり付いて上がってきた釣り人のような顔になって、かみの長い上級生をマジマジと眺めている。無理もない。だれのデザインだか知らないが、彼女のクラスにはすごうでの服飾専門家がいるらしい。俺たちの映画で朝比奈さんが着せられたウェイトレス衣装とはおもむきを異にするその服は、派手すぎず地味すぎず、着ている中身の人間を引き立てる役割をかんぺきに果たしつつ、かつ決して主張しすぎることもなく、しかしそう作用で着る者のりよく度をMAX付近にまで引き上げる素晴らしいアジャストぶりを発揮する、オブ・ザ・イヤーをしんていすべき仕事と言えた。

 ようするにこんなちゆうしよう表現でげるしかないくらいのベストマッチだってことさ。鶴屋さんでこうなんだから、朝比奈さんを一目見るやいなや気を失ってしまうかもしれんな。

せいきようですね」

 と、言葉をかけると、

「わはははっ。入れ食いさっ」

 鶴屋さんはスカートのすそをちょいとつまみ上げ、周囲の視線をはばかることないそつちよくさ加減で、

「格安の材料で作った下手っぴ焼きそばなのに、こんだけ客集まるんだからもうボロもうけだよっ! 笑いが止まんないねっ」

 本当にうれしそうに笑う人だ。俺は行列に並んでいるのが男ばかりである理由を推理するまでもなくさとりきっていた。鶴屋さんの笑顔を見ていたら不思議と俺までかいな気分になってくるからな。世の中、だまされやすいのは決まって男のほうである。

 列のさいこうについた俺たちに、鶴屋さんは無料スマイルを振りまきながら、

「料金さきばらいでよろしく! ちなみにメニューは焼きそばと水だけだからねっ。焼きそば一つ三百円、水道水はタダで飲み放題!」

 もらった割引券を差し出すと、

「えーと、三人だよね? じゃ全部で五百円でいいやっ。大サービス!」

 受け取ったこうをエプロンスカートのポケットに落とすと、代わりに焼きそばのチケットを三枚俺に押しつけ、

「そいじゃ、ちょろんと待ってて! すぐに順番回ってくるからねっ」

 鶴屋さんはそう言って、ポケットのぜにをジャラジャラ鳴らしながら入り口の机にもどっていった。その後ろ姿が列の先頭に消えてから、

「元気だなあ。毎日あのテンションでよくつかれないよね」

 国木田が感心したように声を上げ、谷口は声をひそめてこう言った。

「キョン、前から思ってたんだが、あの人はいったい何者だ。お前と涼宮の仲間の一人でいいのか」

「いーや」

 部外者だよ。お前たちと同じ、困ったときの人数合わせゲストだ。ちょっとその割には、みように前に出てくるお人だけどさ。



 鶴屋さん的かいしやくにおける“すぐ”とは約半時くらいのものらしい。三十分ほど待ってようやく列の前がはけ、俺たちは入室をかなえられた。ちなみに待っている間中も行列に加わる客が引きも切らず、その全員が男だというのが何とも言えない現象だった。列の一部を形成する俺が言うことでもないが。

 教室内は半分が調理場、もう半分が客用テーブルになっていて、数台のホットプレートが必死に焼きそばをジュウジュウ言わせていた。調理しているのは白いかつぽうの女子生徒たち、包丁をふるって材料を切り刻んでいるのも全員女で、いったいこのクラスの男子たちはどこで何をしているのかと疑問が浮かぶ。

 後で鶴屋さんに聞いたところ、あわれな男どもは女子の単なる使い走りとして足りなくなった食材や紙皿を買いに行かされていたり、給水や野菜の水洗いを命じられていたようで、いやぁそれなら仕方ない。アクエリアンエイジはすぐそこまでせまっている。

 席までは鶴屋さんが案内してくれた。

「さ、その空いてるとこに座っててっ。おーい、水三丁ーっ」

 そのけ声に、れんな美声が答えた。

「はぁい。あ、いらっしゃいませえ」

 おぼんに水道水の入った紙コップをせてやってきたごくじようウェイトレスが誰だか、この際俺が言わずともわかるだろう?

 無料の水を俺たちに配り終えた彼女は、盆を両手でかかえるようにしてぺこりとおをしてから、

「ようこそ、ご来店ありがとうございます」

 にっこりと微笑ほほえみ、

「キョンくんと、そのお友達の……えーと、エキストラの……」

 俺以外の二人が同時に反応した。

「谷口です!」

「国木田です」

「うふ。朝比奈みくるです」

 教室のかべから『写真さつえいはごえんりよ願います』という手書きポップがぶら下がっている理由も解るというものだ。うっかりそんなもんを許可した日には、ちょっとしたパニックにおちいりかねない。

 そんくらい朝比奈さんは可愛かわいかった。予想通りに俺の意識が遠のきかけた、それ以上の言葉をついやす必要もないくらいにな。グッドデザイン賞を差し上げたいくらいのウェイトレスしようを着込んだ朝比奈さんと鶴屋さんとが並んで立っていると、もはやそうかんさもここにきわまれりといった感じで、おそらくだが天国とはこういう風景があちこちにあるような場所を指すんだと思うね。

 朝比奈さんは盆をわきはさんでから、焼きそばチケットを取り上げて半分に切り取り、その半券を残して、

「少々お待ちくださぁい」

 見とれる男どもの視線を独りめにしながらぱたぱたと調理場へと向かった。

 鶴屋さんが笑顔で解説するところによると、

「みくるは食券のもぎり役なのさっ。あとは皿を下げる役と水ぐ役ねっ。それしかさせてないよ! つまずいて焼きそばひっくり返しそうだからっ。人気者なのはよいことだよっ」

 至言です、鶴屋さん。



 料理を運んできたのは別の二年生ウェイトレスだった。そうして出てきた焼きそばはキャベツ多めのだいしようのように肉少なめで、うまいかどうかと言われるとつうにソースの味がした。朝比奈さんは次々にやってくるお客のテーブルをコマドリのように回って紙コップを配ったり半券切ったりとおおいそがしで、ちゆうで一回だけ俺たちに冷えていないお冷やのおかわりを持ってきてくれたのが目いつぱいのサービスだ。鶴屋さんも店頭と教室内をニコヤカに行ったり来たりしており、とてもじゃないがながちりできるふんではない。

 てなわけで、焼きそばがとうちやくしてからものの五分くらいで食い終えた俺たちは、早々にその場を退散する以外に道はなく、これでは何かを食ったという気分もあまりない。

「どうする?」

 といてきたのは国木田だ。

「僕はキョンたちの作った映画がたいな。自分がどういうふうに映ってるのかかくにんもしときたいしね。谷口は?」

「あんな映画、別に観たくもねえ」

 へらず口をたたいて、谷口は制服のポケットから文化祭のパンフレットを取り出した。

「焼きそばだけじゃ全然足りん。俺は科学部がやってるバーベキューパーティに参加することにするが、その前にだ」

 ニヤリと笑い、

めつにない絶好の機会だ。ナンパしようぜナンパ。私服着てる女がねらい目だぜ。探せば三人くらいで固まり歩いている連中がきっといる。そういうのに声かけたら意外にホイホイついてくるというのが、俺の経験によって知り得た法則だ」

 何が法則だ。成功率が限りなくゼロに近い経験則が役に立ってたまるか。

 俺はそくに首をった。

「遠慮する。お前ら二人でやってろ」

「ふん」

 谷口が気に入らない笑みをかべやがるのも、国木田がしたり顔でこくこくうなずくのもまとめて神経にさわるが、何と言われようと俺はこたえたりしない。別にナンパしてるところを特定のだれかにもくげきされたら困ったことになりそうだからではなく、ええと、つまりだな。

「かまわねえよ。キョン、お前はそういうやつだ。いや、イイワケはいらん。しょせん友情なんかそんなもんさ」

 わざわざためいきまでつく谷口に、国木田はやんわりとした口調で、

「てゆうかさ谷口。僕もナンパはよしとくよ。すまないけど一人で成功させて、後でそのの友達でもしようかいしてくんない? それが友情ってもんじゃないかな」

 何やら論理のすりえみたいなことを言って、

「じゃ、また後でね」

 さっさと歩き去る国木田。残された谷口はアホみたいな顔をしていたが、俺も国木田の行動をほうすることにした。

「じゃあな、谷口。夕方にでも成功率を教えてくれ。成功してたらの話だが」



 さてと、次にどこへ行こうか。

 部室にもどっても誰もいないか、あるいはいるのはハルヒくらいだろうし、あいつと二人で学内を歩き回るようなことになればいちじるしく世間ていそこなう結果しか生まないように思われるので、俺の足は自然と別の方向を向いていた。ひょっとしたらいまだに校門の前で宣伝ビラを配るバニーガールをやっているかもしれなかったが、さすがに誰かが止めただろう。いつかのように部室で一人ぷんすかしているかもしれない。たのむ、今日くらいは別行動をさせてくれ。明日はオフクロと妹がやってくる予定になってるんで、しゃしゃり出てきたハルヒと何だかんだとありそうだからさ。

 プログラムシートを改めて確認してみる。おもしろそうなものはそんなになかった。学内アンケート結果や国産タンポポと外来種の分布研究などというやくたいもない展示なぞにはハナから行く気がないし、各学年に二つくらいある映画上映はもう心の底からウンザリ気味、素人しろうとの学芸会や段ボール製のめいしきにも興味なしだ。他校チームを招いてのハンドボール部たいこう戦なんてやる意味あるのか? 担任おかだけは張り切ってやってそうだが。

「ヒマつぶしになりそうなのは……」

 ふと目が止まった。文化祭でゆいいつ、規模の大きなもよおし物がある。たぶん誰よりもこの日のために練習していたのはそこへの参加者だろう。思えばこの何週間か、夕方になるとうるさくひびいていたラッパの音。

すいそうがく部のコンサートくらいか」

 パンフを再確認する。残念ながらそいつは翌日のかいさいになっていた。講堂を使用する部はけっこう多いらしいな。演劇部とコーラス部も明日にやるようだ。で、今日は何をやっているかというと──。

「軽音楽部といつぱん参加のバンド演奏大会ね」

 ありがちだったし、やってんのはせいミュージシャンのコピーバンドがほとんどだろうが、たまにはライブでの音楽かんしようも悪くないと俺は考えた。たぶん俺が映画作製にかけた百倍くらいの情熱と努力の結実がそこにあるだろう。その成果を耳にしつつ、ぼんやり物思いにふけることにしよう。少なくともその間は自分がかかわったアレな自主製作映画を忘れ去ることができるにちがいない。

「一人でじっとしている時間も必要だよな」

 そんなふうに、のどかに考えていた俺の思いを粉々に打ちくだく出来事がそこで待っているなどと、思いつくのはちょっと予測不可能というものだった。

 この世には限度というものがあり、俺もまだまだ甘かった。リミットをやすやすと無視してのける存在を知っていたはずなのに、つい忘れてしまうのだ。つい先日も限ナシな現象のちゆうにあったというのに、これも常識人の限界というものだろうか。非常識な展開にハマって初めて知るおのれの浅はかさよ。とも後代の教訓として生かして欲しいものだ。誰がそんな教訓をに受け入れてくれるかどうかはさておくとして。



 とびらの開け放たれた講堂からはやかましいそうおんが大音量で鳴り響いていた。まるで天界で風神らいじんが好き勝手に演奏会を開けばこうなるみたいなおんきよう効果で、ロックだましいあふれたライブ会場としてはチープだが、ノリさえよければテクニックなんかなつとうに薬味が入っているかどうかくらいのまつな問題だ。入っているにこしたことはないが、別に薬味をいたいんじゃなくてメインは納豆なんだから薬味の味まで最初からつけてろなんて注文するのは納豆に失礼だろ。

 館内を見回すと、所せましとパイプの並んだ講堂の客数は正味で六分入り、主催者発表で八分といったところか。だんじようではどっかで聞いたことのあるようなポップスをノーアレンジで演奏する素人バンドががんばっていた。がんばっているというのがわかる時点でちょっとアレだが、放送部員がミキシングやってるのも問題があるような気がするぞ。

 照明はステージに集中しているため周囲はややうすぐらい。一列丸ごと空席になってる部分を探し当て、そのはじっこにこしを落ち着ける。

 プログラムによると軽音楽部の部員バンドと一般参加の二部構成になっているらしい。今やってるのから何組かは軽音の連中だ。パイプ椅子の最前列付近だけはオールスタンディング、中には身体からだでリズムを取っている奴もいたが、おそらく関係者の身内かサクラなのだろうと俺は判断した。にしても、ぼんやりちようするにはスピーカーの音量がデカすぎたな。

 頭の後ろに手を組んでながめることしばし、オーラスの曲の間奏でボーカル担当がメンバー紹介をリズムに乗せておこない、俺はそいつらが軽音楽部二年生の仲良し五人組であるという三日後には忘れていそうな情報を知った。

 音楽を語れるほど俺の知識レベルは深くなく、また演奏者たちに真面目な思い入れがあるわけでもなかったので何を気にすることもなく、まさに気晴らしにはもってこいだ。

 ゆえに、俺はリラックスし切っていた。

 なので、まばらなはくしゆに送られて五人組が手を振りながらたいそでに退場し、入れ替わるように次のバンドメンバーがやって来たとき──。

 目を疑ったのもやむをえまい。

「げっ」

 講堂の空気が一気に変わったのが解る。ずざざさ──っ。その場にいた全員が精神的に十メートルほど下がっていく音がSEとなって頭に響く。

「何をやってるんだ、あのろう!」

 ステージの上手からめんだいげてマイクスタンドに歩いてくる人間に心当たりがあるどころの話ではなく、そいつは見覚えのあるバニーガールのしようをまとい、見覚えのある顔とスタイルでスポットライトを浴びていた。

 頭につけたウサミミをピョコつかせ、はだあらわなふんそうでそこにいるのが誰か、りようを誰かとこうかんしたとしても同じ名前しか出てきやしないだろう。

 涼宮ハルヒだ。

 そのハルヒがなぜか、真面目な顔をして壇上の中央に立っているではないか。

 だが、それだけならまだ良かったのだ。

「げげっ」

 おくれて現れた二人目を見た俺の肺の中から、空気が一気にれ出した効果音だと思ってくれ。

 ある時はじやあくほう使つかいの宇宙人、またある時はすいしようだまを手にした黒衣のうらない師。

「…………」

 もはや出す声もないな。

 長門が、さんざんきた例の黒ぼうに黒マントの衣装のまま、どういうわけだかエレキギターをかたにかけて立っている。いったい何を始めようと言うんだ。

 これで朝比奈さんと古泉が登場したら逆に安心したような気もするのだが、三人目と四人目は知った顔でも何でもない女子生徒だった。あまりの見かけなさと割と大人びているふんから三年生かとあたりをつける。一人はベースギターを持って、もう一人はドラムセットへと向かっていき、どうやらこれ以上の追加人員はない模様である。

 何故なぜだ。ハルヒと長門の文化祭用衣装には目をつむろう。しかしだ、どうしてあの二人が軽音楽部の部員で組んだはずのバンドの中に混じってて、しかもハルヒがまるで主役みたいな位置取りでマイクをにぎりしめているんだ?

 俺が増え続けるクエスチョンマークとかくとうしている間に、総勢四人からなるなぞバンドのメンツはそれぞれポジションに着いたようだった。聴衆たちがざわめき、俺がぜんとして見守る中、ベースとドラムの二人はきんちようした顔でボンボントコトコと音を出し、長門はピクリともせずにギターに手をえている。いつもの無表情も変わりなく。

 そしてハルヒは譜面台にスコアらしき紙の束を置いて、ゆっくりと会場を見回した。客席のこの暗さでは俺の姿を発見できたとは思えない。ハルヒはマイクの頭をたたいてスイッチが入っていることをかくにんすると、ドラム担当にり向いて何やらセリフを発した。

 あいさつまえりもMCもない。ドラムスティックがリズムを取って打ち鳴らされたかと思うと、いきなり演奏が始まって、そのイントロだけで俺は腰が砕けそうになった。長門がマーク・ノップラーかブライアン・メイかと思うようなギターテクでちようぜつこうを開始したからだ。しかもいたこともないような曲だった。なんだなんだ──と思っていると、追い打ちをかけるかのようにハルヒが歌い出した。

 朗々と、月まで届きそうなみ切った声で。

 ただし、譜面台にせたスコアを見ながら。



 一曲目の間中、俺は状態異常から回復することがなかった。RPGに“啞然”という名の補助ほうがあったら、かけられたモンスターはおそらくこんな感じになるのではないだろうか。

 ステージ上のハルヒは振り付けなしのほぼ棒立ちでひたすら歌声をひびかせているが、譜面を見ながらでは、そりゃおどりようもないだろう。

 そうこうしているうちに最初の曲はしゆうりようした。つうはここでかんせいなり拍手なりを入れとくべきなんだろうが、俺と同様に会場にいるすべての観客は口とうでを仲よく石化させている。

 事情がまったくわからない。俺は何故ハルヒが? と思っていて、次いで長門のあまりのメロディアスなギターテクニックにもきようたんしており、これは他の軽音楽部関係者と同じ疑問を共有していただろうと推測する。ハルヒを知らないそれ以外のいつぱんきやくは、何故バニーガールが? てなことを思っていたのではないだろうか。

 会場はじゆうたんばくげき後のざんごうのように静まりかえっていた。

 まるでオンボロ船のかんぱんでセイレーンの歌声を聞いた船員のような固まりようだが、よく見るとベースとドラムの女子生徒も似たような顔でハルヒと長門を見つめていた。あっけにとられているのは聴衆だけではないらしい。

 ハルヒはじっと前だけを見て待っていたが、やがてわずかにまゆをひそめてまた後ろを見た。あわてたようにドラム担当がスティックを振り、すぐに二曲目が始まった。



 様々な人間を置いてけぼりにしつつ、ミステリアスなバンド演奏は三曲目のちゆうに差しかっていた。

 ようやく慣れてきたのか、俺にも歌詞と曲調に耳を澄ますゆうができてきた。アップテンポのR&Bだ。初めて聴くはずだが耳にみやすく、それなりにいい曲のように思える。ギタリストがめちゃめちゃうまいからかもしれないし、付け加えてやるならば、ハルヒの声も、うむ、まあ、何というか、いつも大声でさけび慣れているからでもなかろうが、少なくとも人並み以上なのは認めてやらねばなるまい。

 観客たちも当初の石化状態からじよじよに解放されつつあり、今度は別の意味でステージに引き込まれているようだ。

 ふと見回せば俺が席に着いた時より客数が増えている。ちょうど、その中の一人が近づいてくるのが目に入った。平服を着たデンマークみたいな格好をしているそいつは、

「どうも」

 特設スピーカーの大音量にかき消されまいとするはいりよか、俺の耳元に顔を寄せて来た。

「これはどうしたことですか?」

 古泉である。

 知らん、と俺は叫び返し、古泉の服装に目をやった。お前まで文化祭用の服で歩き回っていやがるのか。

「いちいちえるのもめんどうなのでたいしようでうろつかせてもらっているのですよ」

 どうしてこんなところにいやがる。

 古泉はだんじようで熱唱するハルヒにおだやかな視線を飛ばし、まえがみはじいた。

うわさを聞いたものですから」

 もう噂になってるのか。

「ええ。あのような格好をなさっておられますしね、話題にならないほうが不思議ですよ。人の口に戸は立てられません」

 北高のほこる問題児、涼宮ハルヒがまた何かやってる──、みたいなニュースがすでにして八方に飛びっているらしい。あいつのプロフィールにまた一つ新たなこうが加わるのはいいのだが、そのオプションにSOS団とか俺の名まで刻まれるのは今回ばかりはすじちがいだぞ。

「それにしても巧いですね、涼宮さん。長門さんもですけど」

 古泉はしようしながら聞きれるように目を閉じている。俺はステージに目をもどし、ハルヒの姿から何かを読みとろうとするかのように観察した。

 歌や演奏に関してはほぼ古泉と同意見だ。ボーカルが譜面台と歌詞カードを用意してうたっているというライブらしからぬ光景を除けばな。

 だが、それ以外にも俺は何だか原因不明の引っかかりを感じていた。何だろう。このみようにむずがゆい感覚は。



 それまでのアップテンポとうってかわり、演目上のアクセントのようにそうにゆうされたバラード調の四曲目が終わった時、不覚にも俺は歌詞と楽曲に感服しかけていた。ここまで心にわたる歌を聴いたのは久しぶりだ。そう感じたのが俺だけではないしように、周囲の観衆もせきばらい一つせずに聴き入っていて、曲が終了した後の講堂はちんもくに包まれている。

 今や満員となった客席に向かって、ようやくハルヒは歌詞以外の言葉をマイクにきかけた。

「えー。みなさん」

 ハルヒはいくぶんかたい表情で、

「ここでメンバーしようかいをしないといけないんだけど、実はあたしと──」

 長門に指先を向け、

「有希はこのバンドのメンバーじゃありません。代理なのです。本当のボーカルとギター担当の人はちょっと事情があって、ステージに立てなかったの。あ、ボーカルとギターは同じ人ね。だから正式のメンバーは三人だけ」

 観客は静かに耳をかたむけている。

 ハルヒはすっとめんだいからはなれて、ベースのもとに歩いていくと、その女子生徒にマイクをきつけた。彼女は面食らったような顔をしていたが、ハルヒに何事かをささやかれ、上ずった声で自分の名を告げた。

 次にハルヒはドラムセットに向かって打楽器担当者にも自己紹介をさせ、すぐにステージ中央に戻ってきた。

「このお二人と、今ここにいないリーダーの人が本当のメンバーね。なわけだから、ゴメン。あたしに代役が務まったかどうかは自信ないわ。本番まで一時間しかなかったから、ぶっつけなの」

 ハルヒはバニーのウサミミをひょいとらすくらいに頭を動かし、

「そうね、代役なんかじゃなくって、本物のボーカルとギターがやってる本当の曲が聴きたい人は後で言ってきて。あ、テープかMD持ってきてくれたら無料でダビングするってのはどうかしら。いい?」

 ハルヒの問いに、ベーシストがぎこちなくうなずいた。

「うん、決まりね」

 壇上に上がって初めてハルヒはがおを見せた。あいつなりにきんちようしてたんだろう、ここに来てようやくじゆばくが解けたような、いつも部室で俺たちに見せているような──とまではいかないが、それでも50ワットには達してそうなスマイルだった。

 ハルヒは黙々といつもの無表情をする長門にしゆんかん微笑ほほえみかけ、それからスピーカーのコーンをき飛ばすような声量で叫んだ。

「ではラストソング!」



 後で聞かされた話になる。

「校門で映画の宣伝ビラをいて、なくなったから部室に戻ろうとしてたのよ」

 と、ハルヒは言った。

「そしたらばこのあたりで何かめてたのよ。そう、あのバンドの人たちと生徒会の文化祭実行委員がね。何だろうと思ってさ、近づいてみたわけ」

 バニーでか。

「格好なんかどうでもいいわよ。とりあえず聞こえてくる話を総合すると、そのバンドをステージに立つ立たせないで揉めてたのよね」

 そんなん下駄箱の前ですることもないだろう。

「それがね、軽音楽部の三年生バンドで三人組で、そのうちの一人がボーカルとギターをねたリーダー格だったんだけど、文化祭当日になって高熱を出したのよね。へんとうえんだって言ってたわ。声もほとんど出ないくらいで、見た感じ立ってるのがやっとみたいな」

 そりゃアンラッキーだったな。

「ほんとね。おまけにさ、ふらついたひように自宅の部屋で転んで、右の手首をねんまでしてたのよ。ステージに立つなんて全然無理って感じ」

 それなのに学校まで来たのか。

「うん。本人は死んでもやるってなみだながらにうつたえててね、でもどう見ても病院に直行させないとダメだからって実行委員の連中が両側から、こう、グレイタイプのエイリアンを連行するみたいに。なんとかごういんにでも連れだそうとして、で、下駄箱まで」

 しかし、そんな状態でどう演奏するつもりだったんだ? そのボーカルけんギターさんは。

「気合いでよ」

 お前ならそれで何もかもを可能とするんだろうが。

「だってこの日のために必死に練習してきたのよ。になるのが自分だけならいいわよ。でもほかの仲間たちの努力まで無駄になっちゃうじゃん。イヤよね、やっぱり」

 まるで自分が努力したような言いぐさだな。

「曲だってそうよ。せいひんじゃないのよ? 自分たちで作曲して作詞したオリジナルなわけ。どうにかして発表したいじゃない。譜面が口をきいたらきっと『してっ』って、そう言うはずよ」

 それでお前がうでまくりして出て行ったのか。

そではなかったけどね。ま、この学校の文化祭実行委員なんて先生の言うことを聞くだけの無能ぞろいだから、そんなやつらの言うこと聞くことないわ。でもねえ……。いくらあたしでも、その時のリーダーさんの顔色見たらこりゃダメだなって思ったのよ。それでこう言ったの。『なんだったらあたしが代わりに出ようか』って」

 よくオッケーしたな。その人もベースとドラムの人も。

「歌だけなら簡単よ。その病気のリーダー、ちょっとだけ考えるような間があったけど、『そうね、あなたなら出来るかもしれないわね』って言ってしんどそうに微笑んだわ」

 ハルヒの顔と名前を知らない北高生はいない。ハルヒがどんな女であるのかも。

「でもってそつこうその人は教師の車で病院行き、あたしはデモテープと譜面をもらってひたすらコード進行を身体からだに刻み込むことにしたの。なんせ一時間しかないし」

 長門は?

「うん、あたしがいてもよかったんだけど、本番まで時間がなかったものね。しゆせんりつを覚えるのでせいいつぱいだったからギターは有希にたのむことにしたのよ。知ってる? あの、ああ見えてばんのう選手なのよ」

 知ってるとも。お前以上にさ。

うらないしてるところに押しかけて、理由を言ったらすぐについてきてくれたわ。譜面を一度見ただけなんだけどビックリ。さっとながめただけで全曲をかんぺきに弾いたわよ。有希、どこでギターなんか習ったのかしらねえ」

 たぶん、お前に言われた瞬間にさ。



 それから二日ほど時は進んで月曜日になる。

 俺のスケジュールにない予定外のことがあった文化祭がしゆうりようした週明け、四限目を前にした休み時間のことである。

 ハルヒは俺の後ろの席でげんよくノートに何やら書きなぐっていた。あんまり内容を知りたいとも思わないのだが、どうもSOS団プレゼンツの自主製作映画が上々の客入りだったことに気をよくして、さっそく続編の構想に入っているらしく、俺は俺でどうしたらそんなもうそうをハルヒの頭から取り除けるかとなやんでいたところだった。

「お客さんが来てるよ」

 トイレから帰ってきた国木田が声をかけてきた。

「涼宮さんに」

 ハルヒが顔を上げるのを見た国木田は、教室の外を指差して臨時メッセンジャーボーイの役目を終わらせた。さっさと自分の席にもどっていく。

 開け放たれたスライドドアの外に、三名ほどの大人びた女子生徒が立っているのが見える。うち一人は片手に包帯を巻いていて、他の二人には見覚えがあった。例のバンドの人たちだ。

「ハルヒ」

 俺はあごをしゃくって戸口を示し、

「お前に言いたいことがあるらしいぜ。行ってやれよ」

「ん」

 意外にもハルヒは躊躇ためらうような表情になっていた。ゆっくり立ち上がったものの、なかなか歩き出そうとしない。しまいにはこんなことまで言い出す始末だ。

「キョン、ちょっといつしよに来て」

 なんで俺が、とはんばくする間もなくカッターシャツの首根っこをつかんだハルヒは、バカ力で俺をひきずりながら教室の外に出た。三人の上級生の顔がほころぶ。

 ハルヒは俺をごういんとなりに立たせておいて、

「扁桃炎はもういいの?」

 俺が初めて見る三年女子に言った。

「ええ。だいぶ」

 その人はのどでるようにれてから少しハスキーがかった声で答え、

「ありがとう、涼宮さん」

 深々とおをした。三人そろって。



 聞けば、彼女たちのもとには全校(特に女性層)からオリジナルデモテープをしよもうするリクエストがさつとうしているのだそうだ。現在、ダビングMDをせっせと配布しているところなんだという。

「びっくりするくらいの数よ」

 その数を聞いて俺もおどろいた。ハルヒのボーカル、長門のギターというバッタモン演奏ではない彼女たち本来の楽曲を求める人間たちがそこまでいるとは、確かに予想外のきゆう効果だ。

「全部、あなたのおかげ」

 三人は有能な下級生に向けるがおを寸分のちがいもなく見せていた。

「これであたしたちで作った曲を無駄にせずにすんだ。本当に感謝してる。さすがは涼宮さんね。軽音としては文化祭が最後の思い出になるだろうから自分でやりたかったけど、でもけんするよりも何倍もよかった。あなたには下げる頭もないくらい」

 作り笑いではないしようをたたえた三年生のせんぱい女子から言われるのは、俺がその対象となっているわけでもないのにみようずかしい体験だった。だいたいどうして俺がハルヒの横に立ってないといかんのだ?

「何かお礼できたらと思うんだけど」

 と言うリーダーさんに対して、ハルヒはバタバタと手をらせた。

「いいっていいって。あたしは気持ちよく歌えたし、いい曲だったし、生バンドつきのカラオケをタダでしたようなもんだから、お礼なんかもらったらかえって後ろめたいわ」

 ハルヒの口調におやと思う。どことなくあらかじめ用意していたセリフを読んでいるような気配がする。上級生相手にタメ口なのはこいつらしいが。

「だから気にすることなんかないわよ。それより有希に言ってあげて。あの娘にはあたしが無理矢理やらしちゃったようなもんだし」

 長門のクラスには先に行った、と彼女たちは答えた。

 それによると、感謝と賞賛の言葉を無表情に聞いていた長門は、ただ一回だけうなずいて、だまってこちらの方角を指差したという。情景が目に見えるようだ。

「じゃあ」

 最後にリーダーさんは、

「卒業までにそのうちどこかでライブをするつもりだから、よかったら見に来てね。そちらの……」

 俺を見てやんわりと目を細め、

「オトモダチと一緒に」



 しかし、どうして彼女たちのもとに原曲を求める声が次々と押し寄せたのだろうか。

 これまた後で聞いた話になる。そのなぞとも言えないような小さな疑問は、こういう時にだけはよくしやべる奴が明かしてくれた。役に立つろうだ、まったく。

「涼宮さんの歌とリズムセクションの間に微妙なズレがあったのに気づきましたか? 正確に言うと涼宮さんのうたうメロディラインと長門さんのリフ、その二つとベース・ドラムの間にですよ」

 と、古泉は言った。

「ほとんど無意識でしか感じ取れないレベルですがね。なにしろぶっつけ本番とは思えないほど四人の演奏は息が合っていました。驚くべきは涼宮さんの音感です。デモテープを三回ほどいただけだという話でしたよね」

 プロ級のうでまえで完璧に弾きこなしていた長門にも驚いてやりたかったのだが、あいつならそれくらいは平気でするからな。

「ですが、それも完璧とはいかなかったのですよ。何と言ってもオリジナル楽曲でしたからね。自分たちで作った曲を何度も反復練習していたメンバーと、きんきゆう登板した涼宮さんでは元々の下地が違います」

 当たり前だろう。

「ええ。つまり本来のバンドメンバーであるベースおよびドラムと、大急ぎで覚えなければならなかったメロディを独自にアレンジして唄っていた涼宮さん、その歌声に合わせてギターを弾いていた長門さんの四人によるコラボレーションは、微小ではありますがズレを発生させていたんです。それが聴いていたオーディエンスの心に引っかかるものを残したのですよ。ただししきいき下レベルでね」

 あいかわらず、もっともらしいことを言う。心理学用語で解説すれば何でもありだとか思ってないか?

ぶんせきした結果ですよ。解説を続けますと、そうして二曲目三曲目と演奏が続くにつれてちようしゆうの無意識的引っかかりは大きくなり、いよいよ最後の曲になりましたが……。その前に涼宮さんがしたことはなんですか?」

 本来のボーカルけんギターメンバーがステージに立てなかったから、自分と長門が急造の代役で──みたいなことを言ってからベースとドラム二人のメンバーしようかいしかしてなかったが。

「それでじゆうぶんだったんですよ。そのしゆんかんに謎が解けたんです。胸につかえていたみような疑問がね。ああなるほど、この奇妙なかんはそれだったか──と」

 言われてみれば……だな。に落ちないでもない。

「涼宮さんのボーカルも長門さんのギターもまったく悪くないものでしたし、むしろ高校の軽音楽部レベルを軽々とちようえつしていましたが、観衆はこう思ったのですよ。にわかボーカルとギターでこれほどのものなら、オリジナルメンバーの演奏ではいかほどのものになるのだろうか──」

 MD希望者が殺到した理由がそれか。

「涼宮さんはうまく唄いきりましたよ。ほぼかんぺきにね。ですが完璧すぎなかったことで、かえって好結果を生んだんです。さすがと言うべきでしょう」

 そうかもしれん。ハルヒとたまたま出くわしたことは、あの三年生バンドの人たちにとっては確実にいい結果だったろう。

 でもな。じゃあ俺たちはどうなんだ?

「さて。僕たちと申しますと?」

 この学校でだれよりもハルヒに深入りしちまっているSOS団団員にとってはどうなんだよ。あいつと出会ったことで、俺たちにもそれぞれ“いい結果”なんてのが待っていたりしてくれてるのか?

「さあ、それは終わってみないとわかりません。そうですね、すべてが終わったときに、そんなに悪くなかったと思うことができたら幸せですね」



 三人の三年生は四限が始まるチャイムギリギリで帰って行った。

 不可解にもハルヒは複雑な顔をして自分の席にもどり、その顔のまま四限目の授業を上の空で聞き続け、昼休みになるや教室からさっと姿をくらませた。

 俺は国木田とともに谷口のイイワケ、「いや、マジで文化祭にはロクな女が来てなかった。俺が思うに、この高校は立地条件が悪すぎるぜ。もっと平地にねえと」とか言ってる話を聞き流しながら弁当をかき込む作業にぼつとうし、空になった弁当箱をカバンにほうり込んでから席を立った。

 意味はない。ただ何故なぜしように腹ごなしの散歩をしたい気分だったのだ。

 しばらくブラブラと歩くままに進んでいると、どういうわけか俺の足は中庭に向いていた。部室とうへと続くわたろうから道を外れて、ところどころがハゲかけた芝生しばふを歩く。するとぐうぜんにも、ハルヒがころんでいるところに出くわした。

 くろかみと組んだ両手をまくらにして、雲の観察を熱心にしているふうである。

「よう」

 と、俺は言った。

「どうした。さっきの休み時間からやけにしゆしような顔をしてるじゃねえか」

「なによ」

 ハルヒは上の空のような返答を寄こし、まだ雲をながめている。俺も同じようにしてみた。つまり、何も言わずに黙って空を見上げたのだ。

 そうやってどのくらいちんもくしていただろうか。三分もたっていないと思うが体内時計には自信がないからな。

 どうでもいいような沈黙合戦ののち、最初に口を開いたのはハルヒだった。なんとまあ、いかにもしぶしぶ話をしてやってるんだというようなこわいろだったが、

「うーん、なんか落ち着かないのよね。なんでかしら」

 ハルヒの口調になおまどいを感じて、俺はしようしそうになった。

「俺が知るわけないだろ」

 それはな、お前が人から感謝されることに慣れていないからなのさ。面と向かってありがとうなんて、言われそうにないことばっかお前はやってるもんな。今回のバンドのすけも、ひょっとしたら余計なことをしちまったのかとひそかに気にんでたんじゃないか? お前なら声帯に穴が空いてようが両手を骨折してようが、周囲が制止しようとすればするほど何としてでもステージに立ってそれこそ気合いで何とかしてしまうだろうから、誰かのすけ太刀だちあおごうなんて考えたりもしないよな。

 だがどうだい? あの上級生さんたちの役に立った気分はさ。結果的に彼女たちのオリジナル曲を求める人間が大いに増えて、それもこれもお前が実行委員にかんぜんと立ち向かったからこそなんだ。彼女たちの感謝の言葉は本心からのものだったろう。きっとお前のやったことは最良から二番目くらいに的確な処置だったのさ。どうだハルヒ? これでお前も善行に目覚めたろ? 以降の人生を世のため人のために働くように心がけたらどうだ。

 ……なーんてことを俺は言ったりしなかった。思っただけである。だからこの時、俺がやったのはただハルヒの横に立ってふと空を見上げることくらいさ。文化祭しゆうりようをきっかけにしたように、たんに秋めいてきた山風が細い雲を追い立てている。

 ハルヒも無言でいた。わざと作っているにちがいない表情はちょっとしたげんを表示していたが、頭の中ではまた別の表情があるのだろう。

「何よ」

 寝そべったままハルヒは俺に視線だけを向けてきた。

「なんか言いたいことがあんの? なら言いなさいよ。どうせロクなことじゃないんでしょうけど、だまってめ込むのは精神に悪いわよ」

 パンチのきいた目の光である。

「別に。なんも」と俺。

 ハルヒは上体を起こして芝生をブチブチ千切ると俺に向かって投げつけた。しかし気象をあやつる神は俺に味方する気になったようで、不意に逆巻いたき下ろしの風が緑色のへんをハルヒの顔へとぎやくしゆうさせる。

「もう!」

 ぺっぺっと口に入った芝生を飛ばしながらハルヒは再び寝ころんだ。

 何となく気になって俺は部室棟を見上げた。ここからだと文芸部の窓が見える。もしや、そこに細っこくてかみの短いひとかげが立って俺たちを見下ろしているんじゃないかと思ったのだが、そのような情景は目に入ってこなかった。そりゃそうだ。

 またもや沈黙がひとしきり続き、ややあってポツリとした声が、

「ライブもいいものよね。あんなのでよかったのかなって少しは思うけど……。けど、そうね。楽しかったわ。何ていうの? いま自分は何かをやってるっていう感じがした」

 バニーでステージ立ってめん見ながらぶっつけ本番をやってのけ、あげくに楽しかったと言い放てるんだからお前の根性レベルは上限なしだな。わかってはいたけどさ。

「だから、あのケガしてた人も実行委員に最後までねばってたのね」

「きっとそうだな」

 俺は俺で少なからずしんみりしていたのが悪かった。やはり油断していたのだろう。

「ねえ!」

 それまでメロウなふんをまとっていたハルヒが、とつぜん飛び上がって俺に顔を近づけてきたとき、反射的にたたらをんじまったんだからな。おまけに特上のがおへと百面相をげたハルヒが、高らかな声で次のように言ったとあっては。

「ねえ、キョン。あんた何か楽器ける?」

 とてつもなくいやな予感に最大速度でおそわれ、俺は全速力で首をった。

「できん」

「あっそう。でも練習だいでどうにでもなるわ。なんたって後一年も時間があるんだからね」

 おいおい。

「来年の文化祭、あたしたちもバンドで参加しましょうよ。軽音楽部じゃなくてもオーディションに受かれば出れるみたいだし、あたしたちなら楽勝だわ。あたしがボーカル、有希がギターで、みくるちゃんはタンバリンを持たせてステージのかざりになってくれればいいわよね」

 いやいや。

「もちろん映画のだいだんも作らないといけないから、うん! 来年はいそがしくなるわよ。やっぱ目標数値は常に昨年対比を上回らないといけないのよね!」

 待て待て。

「さ、行くわよ。キョン」

 おい、いや待て。どこへ。何のために。

「機材をもらいによ! 軽音楽部の部室に行けば余ってるのが何か落ちてるわ。それにあの三年生バンドの人たちに作曲方法とか聞いとかないと。善は急げ」

 急ぐときこそあえて回るべきではないかと俺が考え込むのも無視し、ハルヒはがっしと俺の手首をつかむと、引きずるようにして歩き始めた。

 おおまたで。せいよく。

「安心しなさい。作詞作曲プロデュースはあたしがやったげるから。もちろんアレンジと振り付けもね!」

 やれやれだ。またもやハルヒの脳内にしかないなぞのスイッチがカチリと音を立てて変なところにハマったらしい。UFOでももう少しソフトだろうと思える力任せのアブダクションを受けながら、俺はもう一度宙を見上げて助けとなりそうな人影を求めた。

 部室の窓辺にはだれも立っていない。達人級ギタリストでもあるほう使つかいみたいな宇宙人は、いまごろはのんびりと読書にはげんでいるらしかった。まあ、秋だしな。

「自分の足で歩きなさいよ。ほら、階段なんか三段飛ばしで!」

 振り返ったハルヒはかがやかしいひとみに楽しいことを思いついた時の色を存分に広げ、歩調の速度をさらに増し、ついには走り出した。

 しょうがないので俺も走る。

 何故なぜかって?

 ハルヒの手が俺からはなれるには、まだ時間がかかりそうだったからさ。




 そんな感じで、一年目の文化祭は季節の移り変わりとシンクロしたようなあわただしさとともに通り過ぎて行ったわけだが、ハルヒの頭の中にはまだお祭り騒ぎのいんがわだかまっているらしく、その余韻の背景で「前売り券絶賛デザイン中」とか「全米を震撼させる(予定)」とか「構想一年、撮影一ヶ月(ほぼ決定)」とかのキャッチコピーがタイポグラフィックっぽく文字をおどらせているようだった。

 ようするに来年の文化祭に向けてアホ映画二作目をせっせと考え始めているのだ。気が早いにもほどがあるだろう。

 俺としてはかついで歩いていた重い荷物をようやくの思いで届け終わり、やっと帰れるとばかりに安息の心持ちでいたところにさらに重量を増した荷物の配送予約が入ったようなもので、けものみちでベンガルトラに待ちせされていた小動物のようにおびえる主演女優と一緒におそれおののくしか手がないのだが、それも先だって上映された映画があんまりなシロモノだったせいだ。

 どれほどあんまりだったのかは、まあ、以下の通りである。

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