大半をハルヒと意地になった俺で平らげた軽食が終了(した後、
「お風(呂(入りましょうよ」
脳天気にハルヒが提案し、誰(も反対しなかった。反対意見がないのは誰もが肯(定(しているからであると思い込むのもこいつの特性で、
「大浴場があったもんね。男女別にはなってなかったから順番よ、もちろん。団長として公(序(良(俗(と風紀の乱れは許容できないからさ。レディファーストってことでいいわよね?」
他(にすることの思い当たるふしがないってのもあるが、とにかくこういう時はハルヒのようにサクサクと次に進む道を導き出す奴(がいるのはかえって助かる思いだ。それだけ気が紛(れるからな。じっと考えていても何も思いつかないのであれば、機械的にでも身体(を動かしているほうが脳も刺(激(を受けて、何やら思いつき電波を発信してくれるかもしれない。自分の脳みそに期待しよう。
「その前に部屋決めね。どこがいい? どの部屋も同じだったけど」
古泉論によれば一部屋でまとまっているのがベストであるが、そんな提案をすればカエル跳(びアッパーが飛んできそうな気がしたので自重、
「全員近くの部屋がいいな。隣(同(士(と向かいで五部屋確保したらいいだろう」
俺が重々しいセリフを吐(くのと同時にハルヒは席を立った。
「じゃ、二階のどっかにしましょ」
颯(爽(と歩き始めるハルヒを俺たちも追う。途(中(、エントランスに放(り出したままのスキーウェアをランドリー室の乾(燥(機(にたたき込んでおいてから、階段を上る。
館(の誰かが戻ってきたら飛び出せるように、とハルヒの配(慮(によって階段近くの五部屋に仮住まいさせてもらうことにした。俺と古泉が隣同士で、その通路を挟(んだ対面(に長門、ハルヒ、朝比奈さんが寝(室(を確保する。俺の正面がハルヒの部屋だ。
さっきハルヒと見回ったときにも感じたが、余計なものの何もない文字通りのベッドルームだ。超(格(安(ビジネスホテルだってもうちょっと何かあるぜ。古風な化(粧(台(を除けばベッドとカーテンくらいしかない。窓は完全なはめ殺しで、よく見ると二重ガラスになっている。その防音効果か、外が相変わらずの風と雪の降り荒(れる悪天候だってのに室内は無音だ。逆に気味が悪い。
整理する手荷物もないので俺たちは部屋決めの後、すぐさま赤(絨(毯(通路に集合した。
ハルヒはまた挑(発(的な笑(顔(で、
「解ってるわね、キョン」
何を解れと?
「決まってるでしょ、こういうシチュエーションに置かれた煩(悩(まみれの男が決まってするようなことをしちゃダメだからね。あたしはそんなステレオタイプが大っ嫌(いだから!」
何をすりゃいいんだっけ?
「だからぁ……」
ハルヒは女団員二人の腕(を引き寄せ、静(謐(な顔でされるがままになっている長門の横(髪(に側頭部をつけながら、キッパリと叫(んだ。
「覗(くなっ!」
ハルヒだけが姦(しい三人娘(たちが遠ざかるのを見計らい、俺は滑(るように自室を出た。外の猛(吹雪(など無関係とばかりに館の通路はしんとしている。空気は暖かい。だが心(地(よさとは無(縁(のものだ。心を寒くさせるような暖かさにありがたみは感じない。
足を忍(ばせて目指した先は隣の部屋だ。小さくノック。
「何でしょう」
古泉が顔を出し、歓(待(するような笑顔で口を開きかけた。俺が唇(の前で人差し指を立てると、心得たように口を閉(ざす。俺も無言で古泉の部屋に滑り込んだ。忍び込むのは朝比奈さんのところにしたかったが、ここで遊んでいるヒマはない。
「お前に言っておくことがある」
「ほう」
古泉はベッドに腰(をかけ、俺にも座るように手で促(した。
「それこそ何でしょう。気になりますね。他のお三方に聞かれては困るような話でしょうか」
「長門には聞かれてもかまわんけどな」
何の話か、それは言うまでもなかろう。
ハルヒの消失から始まって、俺が病室で目覚めるまでの様々な事(柄(だ。朝(倉(涼(子(の復活、二度目の時間遡(行(と三年前の七夕、設定の違(っちまったSOS団のメンツたち、朝比奈さん大人バージョン、それから、これから俺がしなきゃならないはずの世界復活計画──。
「ちょいと長い話になるぜ」
俺は古泉の横に腰を下ろして語り始めた。
古泉は絶好の聞き役で、合間合間に適当な相づちを打ちながら最後まで優等生的聴(講(生(の態度を保っていた。
要点だけをかいつまんでまとめたので予想したよりは長くかからない。俺としては細部まで長々と描(写(したいところでもあったが、何にせよ優先されるべきは解(りやすさと一(般(性だと思っているので、俺もそのようにしてやった。
おとなしくオチまで聞き終えた古泉は、
「なるほどね」
とりたてて感動したわけでもなさそうに、微(笑(した口元を指でなぞりながら、
「それが本当だとしたら、興味深いとしか言いようがありませんね」
お前の言う『興味深い』ってフレーズは時候の挨(拶(か。
「いえ、本当にそう思っているのですよ。実は僕にも思い当たるふしがあったものですから。あなたが話通りの体験をしたのだとしたら、僕の疑(惑(も補強されるというものです」
俺は面(白(くない顔をしていただろう。こいつが思い当たるものとは何だ。
「弱まっている可能性があるんですよ」
だから何がだ。
「涼宮さんの力。それから長門さんの情報操作能力もです」
何を言おうとしているんだ? 俺は古泉を見た。古泉は無害そうな微笑(みを違(えず、
「涼宮さんが閉(鎖(空間を生み出す頻(度(を減じさせているというのは、クリスマス前にお話ししましたね。それと呼応するように、僕が長門さんから感じる……何と表現すべきでしょうか、つまりは宇宙人的な雰(囲(気(と言いましょうかね? その手の感覚、気配みたいなものです。それが減少しているように思えるのです」
「……へぇ」
「涼宮さんは徐(々(に普(通(の少女に向かおうとしている。加えて長門さんもまた、情報統合思念体の一(端(末(の立場から外れようとしている──、そんな気がしてならないのですよ」
古泉は俺を見ている。
「僕にしてみれば、それ以上を望みようのない展開です。涼宮さんがそのまま現実の自分を肯(定(し、世界を変化させようと考えたりしなければ僕の仕事は終わったも同然ですよ。長門さんが何の力も持たない普通の女子高生になってくれたら大いに助かります。朝比奈さんは……そうですね、どうとでもできますから未来人でもけっこうですが」
俺を無視するように古泉は独白を続ける。
「あなたはもう一度過去に行って自分と世界を元通りにしなければならない。なぜなら、あなたはその過去において未来から来た自分と長門さんと朝比奈さんを目(撃(したから──でしたか」
そうとも。
「しかし現在の僕たちは全員揃(って吹雪(の山中に迷い込み、誰(かが用意でもしてくれたかのような怪(しい館(にいる。長門さんにも理解できない、いわば異空間に閉じこめられているわけです。この状態が延々と続けば、あなたがたが過去に戻(るすべはないと考えられますから、まさしくその理由によって、少なくともあなたと長門さんと朝比奈さんの三名だけは元の空間に戻らなければならない。いや、戻ることはすでに決定している……」
そうじゃないとおかしいだろう。俺がもう一つ緊(迫(感を感じられないでいるのはそのせいなんだ。あの時俺は確かに俺の声を聞いた。しかして今の俺はまだあの時に戻っていないのだから、戻るのはこれからということになる。なら、このままこうして吹雪の館にずっと滞(在(し続けるような事態にはならないはずで、脱(出(できるのは既(定(事(項(だ。朝比奈さん(大)も言ってたじゃないか。『でないと、今のあなたはここにいないでしょう?』と。
「なるほど」
古泉はもう一度同じセリフを言って、俺に微笑みかけた。
「しかし僕には別の仮説があるんですよ。どちらかと言えば悲観的な仮説です。簡単に言うと、僕たち全員が元の空間に復帰できなくとも全然かまわないような理(屈(がね」
もったいぶらずに早く言え。
では、と前置きして古泉は用心深く声のトーンを下げた。
「現在の僕たちはオリジナルの僕たちではなく、異世界にコピーされた存在なのかもしれません」
俺が理解するのを待つようにこちらを見ているが、意味不明にもほどがある。
「解りやすく言い換(えましょう。たとえば僕たちの意識が、そのままスキャンされてコンピュータ空間に移し替(えられたとしたらどうでしょうか。意識だけはそのままに仮想現実空間へ移送されたとしたら」
「コピーだあ?」
「そうです。何も意識だけに限らない。統合思念体クラスの力を持つものならどうにでもできるでしょう。つまりこの異空間に紛(れ込んだ僕たちはオリジナルの僕たちではなく、ある一定時刻から忠実にコピーされた同一人物なんです。オリジナルの僕たちは……そうですね、今(頃(鶴屋さんの別(荘(で宴(会(を楽しんでいるのかもしれない」
ちょっと待ってくれ。意味するところの把(握(が追いつかないのは俺が無学だからか?
「そういうわけではないでしょうが。もっと身近な例を挙げましょう。あなたがコンピュータゲームをしていると仮定しましょう。ファンタジー的なRPGです。何が出てくるか解(らない洞(窟(に入る前、一応セーブするのは当然の対策と言えます。仮にそこでパーティが全(滅(したとしても、また元のセーブポイントからリプレイすることができますからね。あらかじめコピーデータを作製しておけばオリジナルは大切に保存しておいて、コピーにあえて無茶な行動を取らせることだって可能です。不都合があればリセットすればいいのですから。今僕たちが置かれている状(況(がそれだとしたらどうなります?」
古泉は諦(観(したような表情になってまで、しかしまだ微笑を消してはいなかった。
「つまりここは誰かが構築したシミュレーション空間で、僕たちはコピーされた実験動物です。このような状況下に置かれたとき、涼宮さんを含(めた僕たちがどのように反応するかを観察するための、まさにそのための場所なんですよ」
「古泉……」
呟(きながら俺は猛(烈(な既視感に襲(われていた。夏のエンドレスオーガストにも体験したような、理(不(尽(な記(憶(の断(片(だ。何だろう。覚えているはずのない記憶が俺の頭の片(隅(で叫(んでいる。思い出せ、と。
ようようにして俺は言った。
「以前にも似たようなことがなかったか?」
「雪山で遭(難(した記憶ですか? いえ、僕にはありませんが」
「そうじゃない」
雪山は関係ない。これとは別に、俺たちが何か他の時空に放(り込まれたような記憶が……なんとなく俺にはあるんだ。そこは非常に非現実的なところで……。
「カマドウマを退治した時のことではないですか? あれは確かに異空間でしたね」
「それでもない」
俺は懸(命(に頭を凝(らした。ぼんやり浮(かんでくるのは、奇(妙(な格好をした古泉にハルヒ、長門に朝比奈さん、そして俺。
そうだな、古泉。何か知らんがお前は竪(琴(を持っていたような気がする。全員が古風な衣(装(を身につけていて、そこで俺たちは何かをしていた……。
「まさか前世の記憶を持っているんだとか言うのではないでしょうね。あなたに限ってそのようなことはないと考えていたのですが」
前世だの後世だのが本当にあるんだったら、人類はもっと解り合えているだろうよ。そんなもんは現世についてイイワケをしたがっている連中の戯(言(だ。
「もっともです」
くそったれ。思い出せない。異空間などに思い出はないと俺の理性が主張している。しかし俺の深い部分にある感性は別のことを訴(えていた。
何だったのだろう。断片的なキーワードしか浮かんでこないが、そこには王様とか海(賊(とか宇宙船とか銃(撃(戦(みたいものが泡(のようにたゆたったいる。これはどうしたことだ? そんなもんはなかったという記憶はある。しかし俺の心の奥底でわだかまっている合わないピースは何だろう。正体がつかみきれない。
俺の苦(悩(するような表情をどう見たか、古泉は平然と言葉を継(いだ。
「長門さんにも解(析(不能で、かつここが彼女に負(荷(をかけるような空間なのだとしたら、館(を含めて吹雪(の山での遭難を演出した者の正体はある程度推測できます」
俺は黙(っている。
「長門さんと同等か、それ以上の力を持つ誰(かです」
それは誰だ。
「解りません。ですが、そのような存在が僕たちをこの状況に追いやったとして、このまま僕たちを留め置きたいと考えるなら、最大の障害となるのは長門さんでしょう」
古泉は下(唇(を指でなぞりながら
「僕がその何者かの立場なら、真っ先に長門さんをどうにかすることを考えます。単独ではほぼ無力と言っていい僕や朝比奈さんとは違(って、長門さんは統合思念体と直結していますから」
ハルヒよりよほど神様的な連中らしいからな。単数なのか複数なのかも解らないが。しかし親玉との連結が遮(断(されていると長門は告白している。
「ひょっとしたら、その何者かは長門さんの創造主よりも強大な力を持っているのかもしれません。そうなればアウトですが……」
言ってる途(中(で何やら思いついたような顔をして、ハンサム野(郎(は腕(を組んだ。
「朝倉涼子を覚えていますよね?」
忘れそうになっていたのだが今月になって忘れることはできないようなことが起きちまった。
「情報統合思念体内部の少数派で過激派、その一派がクーデターを成功させたというのはどうですか? 我々からすれば神も同然の知性体です。長門さんを孤(立(させ、僕たちを位相のズレた世界に閉じこめることなど簡単にやってのけるはずです」
思い出す。社交的で明るく優良なクラス委員長。尖(ったナイフの切っ先。俺は二度まで朝倉に襲われ、二度とも長門に救われたのだ。
「いずれにせよあまり結果は変わりません。僕たちはこの館から脱(出(できず、永(劫(の時をここで過ごすことになる」
竜(宮(城(かよ。
「的を射て当を得た表現です。我々のこの状態は歓(待(と言ってもいいでしょう。欲しいと念じたものが用意されている。暖かく広い館、冷蔵庫に一(杯(の食材、お湯を満たした大浴場、快適な寝(室(……。館からの脱出に必要なものを除いてね」
それでは意味がない。こんなアンノウンスペースに留め置かれて怠(惰(な生活を満(喫(できるほど俺はこれまでの人生に絶望していない。高校生活だって一年足らずで終(了(するにはいくらなんでも短すぎるだろ。俺にだってここにいる連中以外にもう一度は会っておきたい人間がいるさ。谷口と国木田をその数に数えてやってもいいし、家族やシャミセンとこれっきりなのはさすがに悲しいぜ。だいたい俺は冬が大の苦手で、アイスランドの人には悪いが雪と氷に閉じこめられて余生を過ごすなんざ一生かかっても慣れそうにないんだ。夏の暑さとセミの喧(噪(をこよなく愛する男と呼んでくれ。
「それを聞いて僕も一安心ですよ」
古泉は大げさに息を吐(いた。
「仮に涼宮さんが異常事態に気づき、自らの能力を解放することになれば、どんな結果を引き起こすか解(ったものではありません。これを仕組んだ者の目的はそれであるかもしれないのです。これと言った進展がないのなら、わざと刺(激(的な操作をおこなって暴発を誘(う。よくある手ですよ。ここがシミュレーション空間で僕たちがオリジナルと切り離(されたコピーなら、下手人も遠(慮(することはないでしょうしね。あなただってゲームのキャラクターに無茶をさせても良心が痛むことは稀(なのではないですか?」
そう言われれば思い当たる過去がないでもないな。だが連中はあくまで数値でしかなく、俺は現実にこうして生きているつもりだ。
「まずはここを脱出することです。異空間にいるよりは現実的な遭(難(のほうがいくらかマシです。なんとかなる。いえ、なんとかしなければなりません。涼宮さんや僕たちを閉じこめておきたいと思うような存在は我々にとって明確な敵です。我々というのは『機関』や情報統合思念体じゃなくて、SOS団ですけどね」
何だっていいさ。俺と同意見なら、そいつは即(座(に仲間入りだ。
それきり俺は深い思(索(の旅に出発し、古泉もシンクロするように考え込む顔で顎(に手を当てた。
やがて──。
小さいノックが俺と古泉の間の沈(黙(を打ち砕(いた。膠(でも貼(り付いたような重い腰(を上げ、俺は扉(を開く。
「あの……。お風(呂(空きましたよ。次、どうぞ」
風呂あがりの朝比奈さんはほどよく上気して、ぽわわんとした色気を無(邪(気(に振(りまいていた。湿(った髪(が一筋頬(に貼り付いているのが妙(に扇(情(的で、裾(の長いTシャツから覗(く素(足(が艶(めかしい。俺の精神状態が正常ならば、即(刻(抱(き上げて自分の部屋の隅(っこに置いておきたいくらいだ。
「ハルヒと長門はどこです?」
俺が廊(下(を見ながら言うと、朝比奈さんはクスリと笑(みをこぼし、
「食堂でジュース飲んでます」
俺の食い入るような視線を感じたのか、少し慌(て気味に身体(の前と裾を押さえた。
「あ、着(替(えは脱(衣(所(にありましたよ。このシャツもそうなの。バスタオルと洗面道具もちゃんと……」
照れ照れした感じの仕草がえもいわれぬ良い具合だった。
俺は振り返って古泉の動きを目で殺しておいて、素早く通路に出た。後ろ手にドアを閉める。
「朝比奈さん、一つだけ訊(きたいんですが」
「はい?」
ドングリ眼(が俺を見上げ、不思議そうに首を傾(げる。
「この館(についてどう思いますか? 俺にはめちゃめちゃ不自然なシロモノに思えますが、あなたはどうです」
朝比奈さんは長く艶(やかな睫(毛(をパチパチとさせてから、
「えーと、涼宮さんはこれも古泉くんの用意したミステリゲームの……えーと、ふくせん? なんじゃないかって言ってましたけど……お風呂場で」
ハルヒはそうやって折り合いをつけていりゃいいが、朝比奈さんまで納(得(してもらっては困るな。
「時間の流れがおかしいのはどういう理(屈(ですか。あなたも古泉の実験に立ち会ったんでしょう?」
「ええ。でも、それも含(めてトリック……? ってやつじゃないんですか?」
俺は額を押さえて溜(息(を押し隠(した。どうやったら古泉にそんなことが可能なのかも解らんし、仮にそれがどうにかして俺たちを欺(瞞(したトリックの一部なんだとしたら、ハルヒにも教えてやらないと不公平だろう。第一、時間は朝比奈さんの専門分野じゃないんですか。
俺は腹を決めて言った。
「朝比奈さん、未来と連(絡(はつきますか。今、ここでです」
「へ?」
幼顔の上級生はキョトンと俺を見つめ、
「そんなの、言えるわけがないじゃあないですかぁ。うふ。禁則ですよー」
おかしそうに笑い出してくれたが、俺は冗(談(を言ったつもりもなければ、これが笑い事でもないと認(識(しているのだ。
しかし朝比奈さんはそのままクスクス笑いながら、
「ほら、早くお風呂入らないと涼宮さんに怒(られますよ。ふふ」
アブラナの周りを飛び交(う春先のモンシロチョウのような足取りで、小(柄(な上級生はふわふわと階段に向かい、一度振り返って俺に不器用なウィンク送り届けてから姿を階下に消した。
だめだ。朝比奈さんは頼(りにならない。頼ることができそうなのは……。
「くそ」
俺は絨(毯(に向かって息を吐(いた。
あいつに余計な負担はかけさせたくない。なのに、今ここで何とかしてくれそうなのはその一人しかいない。古泉は頭でっかちな推測を口にするだけだし、ハルヒは下手なつつき方をすればどんな暴発を起こすか解(らない。いくら俺が奥の手を持っているとは言え、古泉の話を聞いた後では迂(闊(に使用することは難しい。この状(況(に俺たちを追い込んだ何者かは、まさにそれを狙(っているかもしれないんだ。
「どうすりゃいいんだ……?」
風呂につかって血行をよくすれば名案が閃(くかと期待したが、脳みそのできばえは自分がよく知っている通りで、何ら事態を改善するようなアイデアを生み出したりはしなかった。あまりに当然の結果で落(胆(すら覚えないのが情けない。
脱衣所には朝比奈さんの言ったとおり、バスタオルと着替えが用意されていた。丁(寧(にたたまれたフリーサイズのTシャツとイージーパンツが棚(にずらりと並んでいる。適当に選んで身につけ、古泉とともに食堂へと向かった。
先に上がっていた三人はテーブルにジュースの瓶(をずらりと並べて待っていた。
「ずいぶん長(風(呂(だったじゃん。何してたの?」
俺としてはカラスよりは少しマシなくらいの入浴時間だったのだが。
ハルヒが渡(してきたミカン水を飲みながら、俺の視線はどうしても長門じゃなければ窓の外へと向いてしまう。身体(が暖まったおかげか、すっかり機(嫌(の圧力が上(昇(しているハルヒは終始ニコニコ顔で瓶ジュースをラッパ飲みし、朝比奈さんも自分の置かれている立場をまったく理解しない微笑(みを浮(かべ、それは立場を理解しているはずの古泉もそうだった。長門がいつもより小さく見えたのは、湿(った髪(がつつましく垂れ下がっているからか。
それにしても今何時頃(なんだ。窓から見える外の様子は変わらずの吹雪(一色で、しかしなぜかぼんやりと暗い。完全な真っ暗(闇(じゃないのがかえって不気味である。
ハルヒも時間の感覚が失(せているようで、
「娯(楽(室(で遊ばない?」
そんな極(楽(な提案をする始末だった。
「カラオケもいいけど、久しぶりに麻(雀(したいわ。レートはピンのワンスリーでルールはアリアリ、でも真(面(目(に手作りしたいからチップとご祝(儀(はなしね。国士十三面と四(暗(刻(単(騎(はダブル役満でいいわよね?」
ルールにケチを付ける気はないが、俺はゆっくり首を振(った。今しないといけないのはカラオケでも賭(け麻雀でもなく、考えることだったからだ。
「いったん一(眠(りしようぜ。遊ぶんならいつでもできるだろ。さすがにちょっと疲(れたよ」
雪に半分埋(もれたまま、何時間もスキー担(いで歩いていたんだ。これで疲(労(が蓄(積(されていないのはハルヒの筋肉くらいだぜ。
「そうねえ……」
ハルヒは他の連中がどちらの意見に賛成なのかを見(極(めるように、一人一人の表情を確かめていたが、
「ま、いいわ。ちょっとお休みしましょ。でも起きたら全開で遊ぶんだからね」
渦(状(星雲が二、三個入ってそうな輝(きを瞳(に宿らせて宣言した。
それぞれ決めておいた部屋に引っ込んだ後、俺はベッドに寝(そべって打開策の脳内人格会議を実行していた。しかしこんな時に限ってどいつもこいつも己(の無能ぶりを露(呈(するだけで、何一つ有益な提案を出しやがらない。全員が押し黙(って誰(かが何かを言わないかとそればかりを期待しているうちに時は過ぎ、どうやら俺はうとうとしていたらしかった。なぜなら、
「キョンくん」
いきなりの呼び声に、思わず飛び上がったくらいだから。
ドアが開閉する音も、誰かが部屋に入ってくる足音や衣(擦(れ、気配すら感じていなかった。つまりそういうわけで俺は驚(き、部屋の中央に立っている人(影(を見てさらに驚(愕(した。
「朝比奈さん?」
光源になっているのはカーテンを開け放した窓からの雪明かりだけだ。しかし、その薄(暗(い照明の中でもその人の容姿を見(間(違(えるわけはない。いつも可愛(い部室の精(霊(のごとき存在、SOS団専属マスコットの朝比奈さんだ。
「キョンくん……」
もう一度言って微笑み、朝比奈さんは遠(慮(がちな足取りで歩いてきた。慌(てて座り直した俺の横に、剥(き出しの両足を揃(えてちょこんと腰(掛(ける。何だか明言できないおかしさを感じてよく見ると、廊(下(でおやすみを言ったときと服装が違っていた。ロングTシャツ一枚みたいな格好ではない。かといってそれよりまとう布地が増えているわけでもなかった。
朝比奈さんは白いワイシャツ一枚という、まるで誰かの妄(想(を具現化したような衣(装(で俺を見上げていた。至近距(離(から。
「ねえ……」
麗(しい童顔が何かを求めるように、
「ここで寝ていい?」
二つの肺が口から飛び出るようなことを言った。(おかしい)
潤(んだ目が俺の顔を確実に捉(え、頬(をうっすらと上気させながら、朝比奈さんはしとやかに俺の腕(にもたれかかった。(なんだこれは)
「一人だと不安なんです。眠(れなくて……。キョンくんのそばなら気持ちよく眠れそうなの……」
熱っぽい体温がシャツを通して伝わってくる。火ぶくれができるかと錯(覚(するほどの熱さだった。柔(らかいものが押しつけられる。朝比奈さんは俺の腕を抱(くように、顔を近づけてきた。
「いいでしょう? ね?」
いい悪いの問題ではない。朝比奈さんにそこまでさせて断るような人間は男にも女にもいない。だから、いい。そうですね、このベッドは独り寝には広いですから……。(まてよ)
うふ、と微笑んで彼女は俺の腕を解放し、ただでさえ開いていたシャツのボタンを外し始めた。くらくらするほどの柔らかい曲線が少しずつ露(わになる。ハルヒによってバニーガールにさせられた時や、うっかり部室の戸を開けて着(替(えを目(の当たりにしてしまった時に見て、パソコンのハードディスクに眠る隠(しフォルダの中にある映像と同じ、あの胸(元(がすぐ目の前にあった。(きづけ。ちがう)
白いワイシャツのボタンは残すところ二つ……いや一つ。真っ裸(よりも扇(情(的なシーンだった。モデルがいいからな。何と言っても朝比奈さんがこうしているんだ。(おい)
朝比奈さんは上目で俺を窺(いながら、恥(じらうような誘(うような表情で微笑(んでいる。指が最後のボタンにかかった。目を逸(らしていたほうがいいのだろうか。(よくみろ)
前のすっかり割れたシャツの内部に、息づく白い肌(がゆるやかに上下していた。あまりにも芸術的な、アフロディーテも貝の中にひっこみそうなスタイルで(ちがうんだ)、つややかな胸の丘(の片方には(それだ)、アクセントのように一つの星が……。
喉(の奥が空気を吐(き出す。
「くっ……!」
俺はバネ仕(掛(けのようにベッドから飛び退(いた。
「違う!」
よく見ろ、どうして気づかなかった? それが俺の朝比奈さんかどうか確(認(するすべは俺が一番よく知っているし、この前もそうやって確認しようとしたじゃないか。朝比奈さんのそこを見さえすれば、俺には解(るんだ。
「あなたは誰だ」
──この朝比奈さんには左胸のホクロがない。
ベッドで半(裸(をさらす彼女は、俺を悲しげに見つめながら、
「どうして? わたしを拒(絶(するの?」
もしこれが本物の朝比奈さんだったら?(ちがうっつってるだろ) それでも俺は理性を保てただろうか。いや、違う。そんなことも問題じゃない。朝比奈さんが人目を忍(んで俺を誘(惑(しに来るはずはない。その必要なんかないんだ。
「あなたは朝比奈さんじゃない」
俺はじりじり後ずさりながら、涙(を溜(め始める魅(惑(的な瞳(を見つめた。まったくどうかしている。こんな表情をさせるくらいなら朝比奈さんかどうかなんて関係ないんじゃないか? (よせよ)
「よしてくれ」
俺は何とか口にできた。
「誰(だ。この館(を作った奴(か。宇宙人か異世界人かどっちだ。何のためにこんなことをする」
「……キョンくん」
その朝比奈さんの声は悲(哀(に沈(んでいた。面(を伏(せ、悲しそうに唇(を歪(める。そして。
「!」
彼女はシャツの裾(を翻(し、風のように走ってドアへ向かった。部屋を出て行く一(瞬(前、涙を浮(かべた瞳で俺を振(り向き、さっと廊(下(に出て行く。ドアが意外なくらいに大きな音を立てて閉まり、その音につられたように俺は中から鍵(をかけていたことを思い出した。合い鍵がない限り、侵(入(することはできなかったはずだ。
「待ってください!」
咄(嗟(に丁(寧(語(を発しつつ、俺もドアに駆(け寄って開いた。
バン。やけに大きな音がした。いくら勢いをつけたとは言え、扉(一つが開いた効果音にしては腹に響(くなと思っていたら──。
「あれっ? あんた……」
正面にハルヒの顔があった。俺の部屋の真向かい、自分の部屋の扉を開けて顔を出しているハルヒが、口をあんぐりと開けて俺を見つめている。
「キョン、さっきまであたしの部屋にいな……かったわよねえ」
通路に顔を出しているのは俺とハルヒだけではなかった。
「あの、」
ハルヒの右(隣(、Tシャツ姿の朝比奈さんも当(惑(顔(で扉を半分開けており、左隣には、
「…………」
長門のほっそりした姿もあった。ついでに横を見ると、
「これはこれは」
古泉が鼻先を掻(きながら変な感じに目配せし、妙(な具合に微(笑(する。
音が大きく聞こえたカラクリが解った。五人全員がまったく同じタイミングで扉を開いたのだ。五重奏のユニゾンがその正体だ。
「何、みんな。どうしたのよ?」
ハルヒが最初に立ち直り、心持ち俺を睨(むようにして、
「何で全員同時に一(緒(に部屋から出てきたの?」
俺は偽(の朝比奈さんを追おうとして──と言いかけて気づいた。さっきのハルヒのセリフに気がかりな部分がある。
「お前はなぜなんだ。まさかトイレに行こうとしたわけじゃないよな」
驚(くべきことにハルヒは少しうつむき加減に下唇を噛(み、それからようやく口を開いた。
「変な夢を見たのよ。いつのまにか、あんたが部屋に忍(び込んでくる夢。全然あんたらしくないことを言ったり、えーと、したりしたから、ちょっとおかしいなと思って……。そう、ぶん殴(ってやると逃(げ出して……。え? 夢……よね? でも、なんかおかしいわ」
それが夢だったとしたら、今は夢の続きになる。悩(むように眉(間(を寄せるハルヒを眺(めていると、古泉が足を運んできた。
「僕と同じですね」
俺に顔を向けてジロジロと見てくる。
「僕の部屋にもあなたが現れました。見かけはあなたそのものでしたが、ちょっと振る舞(いがね、気味が悪かったと申しますか……。まあ、あなたがやりそうにないようなことを、ね。してくれましたよ」
理由もなく怖(気(がする。古泉のニヤニヤ面(から目を離(し、俺は朝比奈さんに注目した。本物だ。こうして見ていればすぐに解(る。さっきの俺は何を勘(違(いしたんだ? 雰(囲(気(と言い仕草と言い、これが朝比奈さんでなくてなんだろう。
俺の視線をどう受け取ったのか、朝比奈さんは何故(か顔を赤らめた。彼女のところにも俺が登場したんだろう、と信じかけていたのだが、
「わたしのところには涼宮さんが」
もじもじと両の指を絡(ませて、
「そのぉ、変な涼宮さんで……。うまく言えないけど、偽者みたいな……」
というか偽者だ。それは間(違(いないが、しかし何だこの事態は。全員の部屋に俺たちのうちの誰かのバッタもんが現れただと? 俺のところに朝比奈さんで、ハルヒと古泉の部屋に俺、朝比奈さんのもとにハルヒ……。
「長門」と俺は言い、続けて訊(いた。「お前のとこには誰(がやってきた?」
朝比奈さんと同じくTシャツ一丁の長門は、ぼんやりした顔を静かに上げて俺を直視、
「あなた」
小さな声でポツリと言うと、ひっそりと両(眼(を閉じた。
そして──
「……有希!?」
ハルヒの疑問形的叫(びをBGMに、俺は信じられないものを見ていた。
長門が、あの長門有希がクタクタと崩(れ落ち、見えない掌(に押されたかのように、横(倒(しになっているのだ。
「どうしたの有希。ちょっと……」
誰もが絶句して動けない中、唯(一(ハルヒだけが即(座(に駆け寄って小(柄(な身体(を抱(き起こした。
「わ……。すごい熱じゃないの。有希、だいじょうぶ? ねえ、有希っ!」
首をがくんと落としたまま長門は目(蓋(を閉じている。無表情な寝(顔(だった。しかし長門が安らかに眠(っているのではないということを、俺の本能が悟(っている。
ハルヒは長門の肩(を抱きながら、キッとした目で大声を発した。
「古泉くん、有希をベッドまで運んでちょうだい。キョン、あんたは氷(枕(を探してきなさい。どっかにあるはずだわ。みくるちゃんは濡(れタオルを用意して」
俺と朝比奈さん、古泉の三人がしばし呆(然(としているのを見て、ハルヒは再び大(音(声(で、
「早く!」