雪山症候群 4

 大半をハルヒと意地になった俺で平らげた軽食がしゆうりようした後、

「お入りましょうよ」

 脳天気にハルヒが提案し、だれも反対しなかった。反対意見がないのは誰もがこうていしているからであると思い込むのもこいつの特性で、

「大浴場があったもんね。男女別にはなってなかったから順番よ、もちろん。団長としてこうじよりようぞくと風紀の乱れは許容できないからさ。レディファーストってことでいいわよね?」

 ほかにすることの思い当たるふしがないってのもあるが、とにかくこういう時はハルヒのようにサクサクと次に進む道を導き出すやつがいるのはかえって助かる思いだ。それだけ気がまぎれるからな。じっと考えていても何も思いつかないのであれば、機械的にでも身体からだを動かしているほうが脳もげきを受けて、何やら思いつき電波を発信してくれるかもしれない。自分の脳みそに期待しよう。

「その前に部屋決めね。どこがいい? どの部屋も同じだったけど」

 古泉論によれば一部屋でまとまっているのがベストであるが、そんな提案をすればカエルびアッパーが飛んできそうな気がしたので自重、

「全員近くの部屋がいいな。となりどうと向かいで五部屋確保したらいいだろう」

 俺が重々しいセリフをくのと同時にハルヒは席を立った。

「じゃ、二階のどっかにしましょ」

 さつそうと歩き始めるハルヒを俺たちも追う。ちゆう、エントランスにほうり出したままのスキーウェアをランドリー室のかんそうにたたき込んでおいてから、階段を上る。

 やかたの誰かが戻ってきたら飛び出せるように、とハルヒのはいりよによって階段近くの五部屋に仮住まいさせてもらうことにした。俺と古泉が隣同士で、その通路をはさんだ対面トイメンに長門、ハルヒ、朝比奈さんがしんしつを確保する。俺の正面がハルヒの部屋だ。

 さっきハルヒと見回ったときにも感じたが、余計なものの何もない文字通りのベッドルームだ。ちようかくやすビジネスホテルだってもうちょっと何かあるぜ。古風なしようだいを除けばベッドとカーテンくらいしかない。窓は完全なはめ殺しで、よく見ると二重ガラスになっている。その防音効果か、外が相変わらずの風と雪の降りれる悪天候だってのに室内は無音だ。逆に気味が悪い。

 整理する手荷物もないので俺たちは部屋決めの後、すぐさまあかじゆうたん通路に集合した。

 ハルヒはまたちようはつ的ながおで、

「解ってるわね、キョン」

 何を解れと?

「決まってるでしょ、こういうシチュエーションに置かれたぼんのうまみれの男が決まってするようなことをしちゃダメだからね。あたしはそんなステレオタイプが大っきらいだから!」

 何をすりゃいいんだっけ?

「だからぁ……」

 ハルヒは女団員二人のうでを引き寄せ、せいひつな顔でされるがままになっている長門のよこがみに側頭部をつけながら、キッパリとさけんだ。

のぞくなっ!」



 ハルヒだけがかしましい三人むすめたちが遠ざかるのを見計らい、俺はすべるように自室を出た。外のもう吹雪ふぶきなど無関係とばかりに館の通路はしんとしている。空気は暖かい。だがここよさとはえんのものだ。心を寒くさせるような暖かさにありがたみは感じない。

 足をしのばせて目指した先は隣の部屋だ。小さくノック。

「何でしょう」

 古泉が顔を出し、かんたいするような笑顔で口を開きかけた。俺がくちびるの前で人差し指を立てると、心得たように口をざす。俺も無言で古泉の部屋に滑り込んだ。忍び込むのは朝比奈さんのところにしたかったが、ここで遊んでいるヒマはない。

「お前に言っておくことがある」

「ほう」

 古泉はベッドにこしをかけ、俺にも座るように手でうながした。

「それこそ何でしょう。気になりますね。他のお三方に聞かれては困るような話でしょうか」

「長門には聞かれてもかまわんけどな」

 何の話か、それは言うまでもなかろう。

 ハルヒの消失から始まって、俺が病室で目覚めるまでの様々なことがらだ。あさくらりようの復活、二度目の時間こうと三年前の七夕、設定のちがっちまったSOS団のメンツたち、朝比奈さん大人バージョン、それから、これから俺がしなきゃならないはずの世界復活計画──。

「ちょいと長い話になるぜ」

 俺は古泉の横に腰を下ろして語り始めた。

 古泉は絶好の聞き役で、合間合間に適当な相づちを打ちながら最後まで優等生的ちようこうせいの態度を保っていた。

 要点だけをかいつまんでまとめたので予想したよりは長くかからない。俺としては細部まで長々とびようしやしたいところでもあったが、何にせよ優先されるべきはわかりやすさといつぱん性だと思っているので、俺もそのようにしてやった。

 おとなしくオチまで聞き終えた古泉は、

「なるほどね」

 とりたてて感動したわけでもなさそうに、しようした口元を指でなぞりながら、

「それが本当だとしたら、興味深いとしか言いようがありませんね」

 お前の言う『興味深い』ってフレーズは時候のあいさつか。

「いえ、本当にそう思っているのですよ。実は僕にも思い当たるふしがあったものですから。あなたが話通りの体験をしたのだとしたら、僕のわくも補強されるというものです」

 俺はおもしろくない顔をしていただろう。こいつが思い当たるものとは何だ。

「弱まっている可能性があるんですよ」

 だから何がだ。

「涼宮さんの力。それから長門さんの情報操作能力もです」

 何を言おうとしているんだ? 俺は古泉を見た。古泉は無害そうな微笑ほほえみをたがえず、

「涼宮さんがへい空間を生み出すひんを減じさせているというのは、クリスマス前にお話ししましたね。それと呼応するように、僕が長門さんから感じる……何と表現すべきでしょうか、つまりは宇宙人的なふんと言いましょうかね? その手の感覚、気配みたいなものです。それが減少しているように思えるのです」

「……へぇ」

「涼宮さんはじよじよつうの少女に向かおうとしている。加えて長門さんもまた、情報統合思念体のいちたんまつの立場から外れようとしている──、そんな気がしてならないのですよ」

 古泉は俺を見ている。

「僕にしてみれば、それ以上を望みようのない展開です。涼宮さんがそのまま現実の自分をこうていし、世界を変化させようと考えたりしなければ僕の仕事は終わったも同然ですよ。長門さんが何の力も持たない普通の女子高生になってくれたら大いに助かります。朝比奈さんは……そうですね、どうとでもできますから未来人でもけっこうですが」

 俺を無視するように古泉は独白を続ける。

「あなたはもう一度過去に行って自分と世界を元通りにしなければならない。なぜなら、あなたはその過去において未来から来た自分と長門さんと朝比奈さんをもくげきしたから──でしたか」

 そうとも。

「しかし現在の僕たちは全員そろって吹雪ふぶきの山中に迷い込み、だれかが用意でもしてくれたかのようなあやしいやかたにいる。長門さんにも理解できない、いわば異空間に閉じこめられているわけです。この状態が延々と続けば、あなたがたが過去にもどるすべはないと考えられますから、まさしくその理由によって、少なくともあなたと長門さんと朝比奈さんの三名だけは元の空間に戻らなければならない。いや、戻ることはすでに決定している……」

 そうじゃないとおかしいだろう。俺がもう一つきんぱく感を感じられないでいるのはそのせいなんだ。あの時俺は確かに俺の声を聞いた。しかして今の俺はまだあの時に戻っていないのだから、戻るのはこれからということになる。なら、このままこうして吹雪の館にずっとたいざいし続けるような事態にはならないはずで、だつしゆつできるのはていこうだ。朝比奈さん(大)も言ってたじゃないか。『でないと、今のあなたはここにいないでしょう?』と。

「なるほど」

 古泉はもう一度同じセリフを言って、俺に微笑みかけた。

「しかし僕には別の仮説があるんですよ。どちらかと言えば悲観的な仮説です。簡単に言うと、僕たち全員が元の空間に復帰できなくとも全然かまわないようなくつがね」

 もったいぶらずに早く言え。

 では、と前置きして古泉は用心深く声のトーンを下げた。

「現在の僕たちはオリジナルの僕たちではなく、異世界にコピーされた存在なのかもしれません」

 俺が理解するのを待つようにこちらを見ているが、意味不明にもほどがある。

「解りやすく言いえましょう。たとえば僕たちの意識が、そのままスキャンされてコンピュータ空間に移しえられたとしたらどうでしょうか。意識だけはそのままに仮想現実空間へ移送されたとしたら」

「コピーだあ?」

「そうです。何も意識だけに限らない。統合思念体クラスの力を持つものならどうにでもできるでしょう。つまりこの異空間にまぎれ込んだ僕たちはオリジナルの僕たちではなく、ある一定時刻から忠実にコピーされた同一人物なんです。オリジナルの僕たちは……そうですね、いまごろ鶴屋さんのべつそうえんかいを楽しんでいるのかもしれない」

 ちょっと待ってくれ。意味するところのあくが追いつかないのは俺が無学だからか?

「そういうわけではないでしょうが。もっと身近な例を挙げましょう。あなたがコンピュータゲームをしていると仮定しましょう。ファンタジー的なRPGです。何が出てくるかわからないどうくつに入る前、一応セーブするのは当然の対策と言えます。仮にそこでパーティがぜんめつしたとしても、また元のセーブポイントからリプレイすることができますからね。あらかじめコピーデータを作製しておけばオリジナルは大切に保存しておいて、コピーにあえて無茶な行動を取らせることだって可能です。不都合があればリセットすればいいのですから。今僕たちが置かれているじようきようがそれだとしたらどうなります?」

 古泉はていかんしたような表情になってまで、しかしまだ微笑を消してはいなかった。

「つまりここは誰かが構築したシミュレーション空間で、僕たちはコピーされた実験動物です。このような状況下に置かれたとき、涼宮さんをふくめた僕たちがどのように反応するかを観察するための、まさにそのための場所なんですよ」

「古泉……」

 つぶやきながら俺はもうれつな既視感におそわれていた。夏のエンドレスオーガストにも体験したような、じんおくだんぺんだ。何だろう。覚えているはずのない記憶が俺の頭のかたすみさけんでいる。思い出せ、と。

 ようようにして俺は言った。

「以前にも似たようなことがなかったか?」

「雪山でそうなんした記憶ですか? いえ、僕にはありませんが」

「そうじゃない」

 雪山は関係ない。これとは別に、俺たちが何か他の時空にほうり込まれたような記憶が……なんとなく俺にはあるんだ。そこは非常に非現実的なところで……。

「カマドウマを退治した時のことではないですか? あれは確かに異空間でしたね」

「それでもない」

 俺はけんめいに頭をらした。ぼんやりかんでくるのは、みような格好をした古泉にハルヒ、長門に朝比奈さん、そして俺。

 そうだな、古泉。何か知らんがお前はたてごとを持っていたような気がする。全員が古風なしようを身につけていて、そこで俺たちは何かをしていた……。

「まさか前世の記憶を持っているんだとか言うのではないでしょうね。あなたに限ってそのようなことはないと考えていたのですが」

 前世だの後世だのが本当にあるんだったら、人類はもっと解り合えているだろうよ。そんなもんは現世についてイイワケをしたがっている連中のたわごとだ。

「もっともです」

 くそったれ。思い出せない。異空間などに思い出はないと俺の理性が主張している。しかし俺の深い部分にある感性は別のことをうつたえていた。

 何だったのだろう。断片的なキーワードしか浮かんでこないが、そこには王様とかかいぞくとか宇宙船とかじゆうげきせんみたいものがあわのようにたゆたったいる。これはどうしたことだ? そんなもんはなかったという記憶はある。しかし俺の心の奥底でわだかまっている合わないピースは何だろう。正体がつかみきれない。

 俺ののうするような表情をどう見たか、古泉は平然と言葉をいだ。

「長門さんにもかいせき不能で、かつここが彼女にをかけるような空間なのだとしたら、やかたを含めて吹雪ふぶきの山での遭難を演出した者の正体はある程度推測できます」

 俺はだまっている。

「長門さんと同等か、それ以上の力を持つだれかです」

 それは誰だ。

「解りません。ですが、そのような存在が僕たちをこの状況に追いやったとして、このまま僕たちを留め置きたいと考えるなら、最大の障害となるのは長門さんでしょう」

 古泉はしたくちびるを指でなぞりながら

「僕がその何者かの立場なら、真っ先に長門さんをどうにかすることを考えます。単独ではほぼ無力と言っていい僕や朝比奈さんとはちがって、長門さんは統合思念体と直結していますから」

 ハルヒよりよほど神様的な連中らしいからな。単数なのか複数なのかも解らないが。しかし親玉との連結がしやだんされていると長門は告白している。

「ひょっとしたら、その何者かは長門さんの創造主よりも強大な力を持っているのかもしれません。そうなればアウトですが……」

 言ってるちゆうで何やら思いついたような顔をして、ハンサムろううでを組んだ。

「朝倉涼子を覚えていますよね?」

 忘れそうになっていたのだが今月になって忘れることはできないようなことが起きちまった。

「情報統合思念体内部の少数派で過激派、その一派がクーデターを成功させたというのはどうですか? 我々からすれば神も同然の知性体です。長門さんをりつさせ、僕たちを位相のズレた世界に閉じこめることなど簡単にやってのけるはずです」

 思い出す。社交的で明るく優良なクラス委員長。とがったナイフの切っ先。俺は二度まで朝倉に襲われ、二度とも長門に救われたのだ。

「いずれにせよあまり結果は変わりません。僕たちはこの館からだつしゆつできず、えいごうの時をここで過ごすことになる」

 りゆうぐうじようかよ。

「的を射て当を得た表現です。我々のこの状態はかんたいと言ってもいいでしょう。欲しいと念じたものが用意されている。暖かく広い館、冷蔵庫にいつぱいの食材、お湯を満たした大浴場、快適なしんしつ……。館からの脱出に必要なものを除いてね」

 それでは意味がない。こんなアンノウンスペースに留め置かれてたいな生活をまんきつできるほど俺はこれまでの人生に絶望していない。高校生活だって一年足らずでしゆうりようするにはいくらなんでも短すぎるだろ。俺にだってここにいる連中以外にもう一度は会っておきたい人間がいるさ。谷口と国木田をその数に数えてやってもいいし、家族やシャミセンとこれっきりなのはさすがに悲しいぜ。だいたい俺は冬が大の苦手で、アイスランドの人には悪いが雪と氷に閉じこめられて余生を過ごすなんざ一生かかっても慣れそうにないんだ。夏の暑さとセミのけんそうをこよなく愛する男と呼んでくれ。

「それを聞いて僕も一安心ですよ」

 古泉は大げさに息をいた。

「仮に涼宮さんが異常事態に気づき、自らの能力を解放することになれば、どんな結果を引き起こすかわかったものではありません。これを仕組んだ者の目的はそれであるかもしれないのです。これと言った進展がないのなら、わざとげき的な操作をおこなって暴発をさそう。よくある手ですよ。ここがシミュレーション空間で僕たちがオリジナルと切りはなされたコピーなら、下手人もえんりよすることはないでしょうしね。あなただってゲームのキャラクターに無茶をさせても良心が痛むことはまれなのではないですか?」

 そう言われれば思い当たる過去がないでもないな。だが連中はあくまで数値でしかなく、俺は現実にこうして生きているつもりだ。

「まずはここを脱出することです。異空間にいるよりは現実的なそうなんのほうがいくらかマシです。なんとかなる。いえ、なんとかしなければなりません。涼宮さんや僕たちを閉じこめておきたいと思うような存在は我々にとって明確な敵です。我々というのは『機関』や情報統合思念体じゃなくて、SOS団ですけどね」

 何だっていいさ。俺と同意見なら、そいつはそくに仲間入りだ。

 それきり俺は深いさくの旅に出発し、古泉もシンクロするように考え込む顔であごに手を当てた。

 やがて──。

 小さいノックが俺と古泉の間のちんもくを打ちくだいた。にかわでもり付いたような重いこしを上げ、俺はとびらを開く。

「あの……。お空きましたよ。次、どうぞ」

 風呂あがりの朝比奈さんはほどよく上気して、ぽわわんとした色気をじやりまいていた。湿しめったかみが一筋ほおに貼り付いているのがみようせんじよう的で、すその長いTシャツからのぞあしなまめかしい。俺の精神状態が正常ならば、そつこくき上げて自分の部屋のすみっこに置いておきたいくらいだ。

「ハルヒと長門はどこです?」

 俺がろうを見ながら言うと、朝比奈さんはクスリとみをこぼし、

「食堂でジュース飲んでます」

 俺の食い入るような視線を感じたのか、少しあわて気味に身体からだの前と裾を押さえた。

「あ、えはだつじよにありましたよ。このシャツもそうなの。バスタオルと洗面道具もちゃんと……」

 照れ照れした感じの仕草がえもいわれぬ良い具合だった。

 俺は振り返って古泉の動きを目で殺しておいて、素早く通路に出た。後ろ手にドアを閉める。

「朝比奈さん、一つだけきたいんですが」

「はい?」

 ドングリまなこが俺を見上げ、不思議そうに首をかしげる。

「このやかたについてどう思いますか? 俺にはめちゃめちゃ不自然なシロモノに思えますが、あなたはどうです」

 朝比奈さんは長くつややかなまつをパチパチとさせてから、

「えーと、涼宮さんはこれも古泉くんの用意したミステリゲームの……えーと、ふくせん? なんじゃないかって言ってましたけど……お風呂場で」

 ハルヒはそうやって折り合いをつけていりゃいいが、朝比奈さんまでなつとくしてもらっては困るな。

「時間の流れがおかしいのはどういうくつですか。あなたも古泉の実験に立ち会ったんでしょう?」

「ええ。でも、それもふくめてトリック……? ってやつじゃないんですか?」

 俺は額を押さえてためいきを押しかくした。どうやったら古泉にそんなことが可能なのかも解らんし、仮にそれがどうにかして俺たちをまんしたトリックの一部なんだとしたら、ハルヒにも教えてやらないと不公平だろう。第一、時間は朝比奈さんの専門分野じゃないんですか。

 俺は腹を決めて言った。

「朝比奈さん、未来とれんらくはつきますか。今、ここでです」

「へ?」

 幼顔の上級生はキョトンと俺を見つめ、

「そんなの、言えるわけがないじゃあないですかぁ。うふ。禁則ですよー」

 おかしそうに笑い出してくれたが、俺はじようだんを言ったつもりもなければ、これが笑い事でもないとにんしきしているのだ。

 しかし朝比奈さんはそのままクスクス笑いながら、

「ほら、早くお風呂入らないと涼宮さんにおこられますよ。ふふ」

 アブラナの周りを飛びう春先のモンシロチョウのような足取りで、がらな上級生はふわふわと階段に向かい、一度振り返って俺に不器用なウィンク送り届けてから姿を階下に消した。

 だめだ。朝比奈さんはたよりにならない。頼ることができそうなのは……。

「くそ」

 俺はじゆうたんに向かって息をいた。

 あいつに余計な負担はかけさせたくない。なのに、今ここで何とかしてくれそうなのはその一人しかいない。古泉は頭でっかちな推測を口にするだけだし、ハルヒは下手なつつき方をすればどんな暴発を起こすかわからない。いくら俺が奥の手を持っているとは言え、古泉の話を聞いた後ではかつに使用することは難しい。このじようきように俺たちを追い込んだ何者かは、まさにそれをねらっているかもしれないんだ。

「どうすりゃいいんだ……?」



 風呂につかって血行をよくすれば名案がひらめくかと期待したが、脳みそのできばえは自分がよく知っている通りで、何ら事態を改善するようなアイデアを生み出したりはしなかった。あまりに当然の結果でらくたんすら覚えないのが情けない。

 脱衣所には朝比奈さんの言ったとおり、バスタオルと着替えが用意されていた。ていねいにたたまれたフリーサイズのTシャツとイージーパンツがたなにずらりと並んでいる。適当に選んで身につけ、古泉とともに食堂へと向かった。

 先に上がっていた三人はテーブルにジュースのびんをずらりと並べて待っていた。

「ずいぶんながだったじゃん。何してたの?」

 俺としてはカラスよりは少しマシなくらいの入浴時間だったのだが。

 ハルヒがわたしてきたミカン水を飲みながら、俺の視線はどうしても長門じゃなければ窓の外へと向いてしまう。身体からだが暖まったおかげか、すっかりげんの圧力がじようしようしているハルヒは終始ニコニコ顔で瓶ジュースをラッパ飲みし、朝比奈さんも自分の置かれている立場をまったく理解しない微笑ほほえみをかべ、それは立場を理解しているはずの古泉もそうだった。長門がいつもより小さく見えたのは、湿しめったかみがつつましく垂れ下がっているからか。

 それにしても今何時ごろなんだ。窓から見える外の様子は変わらずの吹雪ふぶき一色で、しかしなぜかぼんやりと暗い。完全な真っくらやみじゃないのがかえって不気味である。

 ハルヒも時間の感覚がせているようで、

らくしつで遊ばない?」

 そんなごくらくな提案をする始末だった。

「カラオケもいいけど、久しぶりにマージヤンしたいわ。レートはピンのワンスリーでルールはアリアリ、でもに手作りしたいからチップとごしゆうぎはなしね。国士十三面とスーアンコウたんはダブル役満でいいわよね?」

 ルールにケチを付ける気はないが、俺はゆっくり首をった。今しないといけないのはカラオケでもけ麻雀でもなく、考えることだったからだ。

「いったんひとねむりしようぜ。遊ぶんならいつでもできるだろ。さすがにちょっとつかれたよ」

 雪に半分もれたまま、何時間もスキーかついで歩いていたんだ。これでろうちくせきされていないのはハルヒの筋肉くらいだぜ。

「そうねえ……」

 ハルヒは他の連中がどちらの意見に賛成なのかをきわめるように、一人一人の表情を確かめていたが、

「ま、いいわ。ちょっとお休みしましょ。でも起きたら全開で遊ぶんだからね」

 うずじよう星雲が二、三個入ってそうなかがやきをひとみに宿らせて宣言した。



 それぞれ決めておいた部屋に引っ込んだ後、俺はベッドにそべって打開策の脳内人格会議を実行していた。しかしこんな時に限ってどいつもこいつもおのれの無能ぶりをていするだけで、何一つ有益な提案を出しやがらない。全員が押しだまってだれかが何かを言わないかとそればかりを期待しているうちに時は過ぎ、どうやら俺はうとうとしていたらしかった。なぜなら、

「キョンくん」

 いきなりの呼び声に、思わず飛び上がったくらいだから。

 ドアが開閉する音も、誰かが部屋に入ってくる足音やきぬれ、気配すら感じていなかった。つまりそういうわけで俺はおどろき、部屋の中央に立っているひとかげを見てさらにきようがくした。

「朝比奈さん?」

 光源になっているのはカーテンを開け放した窓からの雪明かりだけだ。しかし、そのうすぐらい照明の中でもその人の容姿をちがえるわけはない。いつも可愛かわいい部室のせいれいのごとき存在、SOS団専属マスコットの朝比奈さんだ。

「キョンくん……」

 もう一度言って微笑み、朝比奈さんはえんりよがちな足取りで歩いてきた。あわてて座り直した俺の横に、き出しの両足をそろえてちょこんとこしける。何だか明言できないおかしさを感じてよく見ると、ろうでおやすみを言ったときと服装が違っていた。ロングTシャツ一枚みたいな格好ではない。かといってそれよりまとう布地が増えているわけでもなかった。

 朝比奈さんは白いワイシャツ一枚という、まるで誰かのもうそうを具現化したようなしようで俺を見上げていた。至近きよから。

「ねえ……」

 うるわしい童顔が何かを求めるように、

「ここで寝ていい?」

 二つの肺が口から飛び出るようなことを言った。(おかしい)

 うるんだ目が俺の顔を確実にとらえ、ほおをうっすらと上気させながら、朝比奈さんはしとやかに俺のうでにもたれかかった。(なんだこれは)

「一人だと不安なんです。ねむれなくて……。キョンくんのそばなら気持ちよく眠れそうなの……」

 熱っぽい体温がシャツを通して伝わってくる。火ぶくれができるかとさつかくするほどの熱さだった。やわらかいものが押しつけられる。朝比奈さんは俺の腕をくように、顔を近づけてきた。

「いいでしょう? ね?」

 いい悪いの問題ではない。朝比奈さんにそこまでさせて断るような人間は男にも女にもいない。だから、いい。そうですね、このベッドは独り寝には広いですから……。(まてよ)

 うふ、と微笑んで彼女は俺の腕を解放し、ただでさえ開いていたシャツのボタンを外し始めた。くらくらするほどの柔らかい曲線が少しずつあらわになる。ハルヒによってバニーガールにさせられた時や、うっかり部室の戸を開けてえをの当たりにしてしまった時に見て、パソコンのハードディスクに眠るかくしフォルダの中にある映像と同じ、あのむなもとがすぐ目の前にあった。(きづけ。ちがう)

 白いワイシャツのボタンは残すところ二つ……いや一つ。真っぱだかよりもせんじよう的なシーンだった。モデルがいいからな。何と言っても朝比奈さんがこうしているんだ。(おい)

 朝比奈さんは上目で俺をうかがいながら、じらうようなさそうような表情で微笑ほほえんでいる。指が最後のボタンにかかった。目をらしていたほうがいいのだろうか。(よくみろ)

 前のすっかり割れたシャツの内部に、息づく白いはだがゆるやかに上下していた。あまりにも芸術的な、アフロディーテも貝の中にひっこみそうなスタイルで(ちがうんだ)、つややかな胸のおかの片方には(それだ)、アクセントのように一つの星が……。

 のどの奥が空気をき出す。

「くっ……!」

 俺はバネけのようにベッドから飛び退いた。

「違う!」

 よく見ろ、どうして気づかなかった? それが俺の朝比奈さんかどうかかくにんするすべは俺が一番よく知っているし、この前もそうやって確認しようとしたじゃないか。朝比奈さんのそこを見さえすれば、俺にはわかるんだ。

「あなたは誰だ」

 ──この朝比奈さんには左胸のホクロがない。

 ベッドではんをさらす彼女は、俺を悲しげに見つめながら、

「どうして? わたしをきよぜつするの?」

 もしこれが本物の朝比奈さんだったら?(ちがうっつってるだろ) それでも俺は理性を保てただろうか。いや、違う。そんなことも問題じゃない。朝比奈さんが人目をしのんで俺をゆうわくしに来るはずはない。その必要なんかないんだ。

「あなたは朝比奈さんじゃない」

 俺はじりじり後ずさりながら、なみだめ始めるわく的なひとみを見つめた。まったくどうかしている。こんな表情をさせるくらいなら朝比奈さんかどうかなんて関係ないんじゃないか? (よせよ)

「よしてくれ」

 俺は何とか口にできた。

だれだ。このやかたを作ったやつか。宇宙人か異世界人かどっちだ。何のためにこんなことをする」

「……キョンくん」

 その朝比奈さんの声はあいしずんでいた。おもてせ、悲しそうにくちびるゆがめる。そして。

「!」

 彼女はシャツのすそひるがえし、風のように走ってドアへ向かった。部屋を出て行くいつしゆん前、涙をかべた瞳で俺をり向き、さっとろうに出て行く。ドアが意外なくらいに大きな音を立てて閉まり、その音につられたように俺は中からかぎをかけていたことを思い出した。合い鍵がない限り、しんにゆうすることはできなかったはずだ。

「待ってください!」

 とつていねいを発しつつ、俺もドアにけ寄って開いた。

 バン。やけに大きな音がした。いくら勢いをつけたとは言え、とびら一つが開いた効果音にしては腹にひびくなと思っていたら──。

「あれっ? あんた……」

 正面にハルヒの顔があった。俺の部屋の真向かい、自分の部屋の扉を開けて顔を出しているハルヒが、口をあんぐりと開けて俺を見つめている。

「キョン、さっきまであたしの部屋にいな……かったわよねえ」

 通路に顔を出しているのは俺とハルヒだけではなかった。

「あの、」

 ハルヒのみぎどなり、Tシャツ姿の朝比奈さんもとうわくがおで扉を半分開けており、左隣には、

「…………」

 長門のほっそりした姿もあった。ついでに横を見ると、

「これはこれは」

 古泉が鼻先をきながら変な感じに目配せし、みような具合にしようする。

 音が大きく聞こえたカラクリが解った。五人全員がまったく同じタイミングで扉を開いたのだ。五重奏のユニゾンがその正体だ。

「何、みんな。どうしたのよ?」

 ハルヒが最初に立ち直り、心持ち俺をにらむようにして、

「何で全員同時にいつしよに部屋から出てきたの?」

 俺はにせの朝比奈さんを追おうとして──と言いかけて気づいた。さっきのハルヒのセリフに気がかりな部分がある。

「お前はなぜなんだ。まさかトイレに行こうとしたわけじゃないよな」

 おどろくべきことにハルヒは少しうつむき加減に下唇をみ、それからようやく口を開いた。

「変な夢を見たのよ。いつのまにか、あんたが部屋にしのび込んでくる夢。全然あんたらしくないことを言ったり、えーと、したりしたから、ちょっとおかしいなと思って……。そう、ぶんなぐってやるとげ出して……。え? 夢……よね? でも、なんかおかしいわ」

 それが夢だったとしたら、今は夢の続きになる。なやむようにけんを寄せるハルヒをながめていると、古泉が足を運んできた。

「僕と同じですね」

 俺に顔を向けてジロジロと見てくる。

「僕の部屋にもあなたが現れました。見かけはあなたそのものでしたが、ちょっと振るいがね、気味が悪かったと申しますか……。まあ、あなたがやりそうにないようなことを、ね。してくれましたよ」

 理由もなくおぞがする。古泉のニヤニヤづらから目をはなし、俺は朝比奈さんに注目した。本物だ。こうして見ていればすぐにわかる。さっきの俺は何をかんちがいしたんだ? ふんと言い仕草と言い、これが朝比奈さんでなくてなんだろう。

 俺の視線をどう受け取ったのか、朝比奈さんは何故なぜか顔を赤らめた。彼女のところにも俺が登場したんだろう、と信じかけていたのだが、

「わたしのところには涼宮さんが」

 もじもじと両の指をからませて、

「そのぉ、変な涼宮さんで……。うまく言えないけど、偽者みたいな……」

 というか偽者だ。それはちがいないが、しかし何だこの事態は。全員の部屋に俺たちのうちの誰かのバッタもんが現れただと? 俺のところに朝比奈さんで、ハルヒと古泉の部屋に俺、朝比奈さんのもとにハルヒ……。

「長門」と俺は言い、続けていた。「お前のとこにはだれがやってきた?」

 朝比奈さんと同じくTシャツ一丁の長門は、ぼんやりした顔を静かに上げて俺を直視、

「あなた」

 小さな声でポツリと言うと、ひっそりとりようを閉じた。

 そして──

「……有希!?」

 ハルヒの疑問形的さけびをBGMに、俺は信じられないものを見ていた。

 長門が、あの長門有希がクタクタとくずれ落ち、見えないてのひらに押されたかのように、よこだおしになっているのだ。

「どうしたの有希。ちょっと……」

 誰もが絶句して動けない中、ゆいいつハルヒだけがそくに駆け寄ってがら身体からだき起こした。

「わ……。すごい熱じゃないの。有希、だいじょうぶ? ねえ、有希っ!」

 首をがくんと落としたまま長門はぶたを閉じている。無表情ながおだった。しかし長門が安らかにねむっているのではないということを、俺の本能がさとっている。

 ハルヒは長門のかたを抱きながら、キッとした目で大声を発した。

「古泉くん、有希をベッドまで運んでちょうだい。キョン、あんたはこおりまくらを探してきなさい。どっかにあるはずだわ。みくるちゃんはれタオルを用意して」

 俺と朝比奈さん、古泉の三人がしばしぼうぜんとしているのを見て、ハルヒは再びだいおんじようで、

「早く!」

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