射手座の日 2

 そんなこんなで翌日の放課後から、りんしつの連中を仮想敵とした俺たちの特訓が始まった。特訓と言ってもゲームに興じるだけなのだが、そのコンピュータ研作製によるオリジナルゲームを取り急ぎがいりやくだけでもしようかいしておくべきだろう。

The Dayデイ ofオブ Sagittariusサジタリウス 3》

 というのがゲームタイトルである。なんとかイイ感じにキメようとしてかえって意味不明になってる感がいなめないが、問題視すべきなのは中身なので気にしないことにする。それを言い出せばSOS団なんていうグループ名のもとにいる俺たちの立場がなくなってしまうしな。めいしようと活動内容の無意味さおよび無関係さにかけては、視点をグローバルに広げたところでこの団を下回るものがいくつもあるとは思えない。しかし3ってことは1と2もあったのか。

 それはともかく、まず《The Day of Sagittarius 3》なるゲームの背景となる世界観の説明からおこなうと──。

 時はいつの時代か解らん。ほうもなく未来であることは確かなようだ。人類は外宇宙へと飛び出し、そこそこの版図を築き上げている。そんな宇宙的スケールでの、とあるこうせい系での領地争いであるようだった。そこには二つの星間国家が樹立しており、たがいに国境線の位置取りに関して果ても見えないとうそうを繰り広げている。便べん的に片方を〈コンピ研連合〉、もう一方を〈SOSていこく〉と並び称することにしよう。おのおのの国家は戦場が宇宙空間であるゆえに宇宙ぐんかんたいを常備しており、風雲急を告げる事態となるとしげもなく持てるばかりの戦力を前線に投入、相手をせんめつするまで無益な戦争をエンドタイトルまで繰り広げるという筋書きになっている。そこには外交やぼうりやくといったじゆんすいせんとう行動をさまたげる余計なコマンドなど存在しない。ただげきめつあるのみなのだ。ハルヒ好みかもな。

 スタート時点では画面はほぼ真っ暗である。モニタの下部で青くかがやいているのが我々の操作する艦隊ユニットだ。底辺が短めの二等辺三角形の形をしており、それが合計五つ、横に並んでいるのが解る。これこそハルヒが全軍をとうかつする〈SOS帝国〉軍の戦力のすべてだ。一ユニットあたりに宇宙戦艦が一万五千せきほど内包されているから総数七万五千、それプラス各艦隊に少数くっついている補給艦部隊。それらの戦艦をあやつって、同数の敵〈コンピ研連合〉の艦隊を撃破すれば勝利条件クリアだが、今回のルールでは互いの大将艦隊、我々なら〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉の旗艦、相手は部長氏艦隊の旗艦を撃破されたら全軍のダメージやげきちん数いかんにかかわらずその時点で負けとなる。

 艦隊は一人につき一個艦隊があたえられ、自分のパソコンからは自分の艦隊ユニットしか操作できない。いくらハルヒが独走しようとも、俺の使っているノートパソコンからはどうしようもないというわけだ。

 みようなこだわりを感じさせるのは、てつてい的にさくてきしないと敵の位置はおろかこの宙域にどんな障害物が浮いているのかもわからないってところである。とにかく艦隊を移動させようとしたら、その方角に何がいてどんな物体が転がっているか、まずさくてきていけんして走査しなければならず、さらにその索敵艇がもどってきて初めてそのはんじようきようが解るというまわりくどさ。

 艦隊そのものの視界は半径にして数センチ(画面上のきよで)しかないため、索敵行動をおろそかにして直進していると思わぬ角度から敵のこうげきらったりして、しかもその敵の位置も解らないといういただけないことに成り果てるのだ。

 ただ、味方の艦隊同士はデータリンクで結ばれており(という設定らしい)、たとえば長門の艦隊の視界や索敵艇が持ち帰った情報はそのまま我々全員のものとして共有することができる。俺が何をしなくても真っ暗な画面の中でその範囲だけは明るく表示され、わくせいやアステロイドベルト、索敵した時点での敵艦の位置が解るといった仕組みである。

 それでも全体マップはやけにだだっ広く、よって、すみやかな敵の位置特定と行動予測が明暗を分けそうだ。

 使用できる武器は二種類、ビームとミサイルのみである。敵が射程内にいさえすればビームは発射したそのしゆんかんに命中し、ミサイルのほうはノロノロ飛んでいく代わりにホーミング機能を付けることができる。向かってくるミサイルがゆうどうモードに設定されているとけようがないので、いちいちげきついしなければならない。

 大まかに言ってそんな感じの、宇宙をたいにした2D艦隊シミュレーションゲームである。ちなみにターン制ではなくリアルタイム制で行われるから、ゆうちように星系を探索しているとたちどころに敵側からふくろだたきにされる。このあたりも変にシビアであった。



 きたるべき試合に向け、さっそく我々はゲーム週間に入った。ハルヒだけは机でデスクトップ、それ以外の四人は長テーブルに並んで着いてノートパソコンを見つめながらマウスをカチカチやっているという、なかなかにシュールな光景がここしばらくのSOS団的活動内容になっている。練習は対戦モードでなくCPU戦だが、難易度をベリーイージーにしても一勝をあげるまで三日かかったというのだから、こちら側のゲームスキルランクはほとんどマントル層の下を手動ドリルでっているレベルだ。

「あーっ! またやられたっ! キョン、なんか腹立つわよ、このゲーム」

 CPU相手にこの成績じゃあな。ハルヒでなくても頭に来るだろうが、別にゲームバランスがくるっているわけではなくて、お前の旗艦が前方によのままとつしんして相手の集中ほうを一方的に受けているからだ。

「戦術を変えないといけないってのもあるが」

 俺はゲームオーバーをもの悲しげなBGMとともに告げているえきしようモニタから目をはなした。

「艦隊のパラメータをいじり直したほうがいいな。特にお前の旗艦艦隊をだ」

 個々の艦隊ユニットにおける戦力り分けパラメータは三つあった。『速度』『ぼうぎよ』『攻撃』である。プレイヤーは最初にポイントを100与えられ、それを三つのパラメータに配分するのが初期設定画面だ。『速度・30』『防御・40』『攻撃・30』といった感じだな。これをハルヒは『速度・50』『防御・0』『攻撃・50』でプレイしてるんだから、やつの艦隊そうこうは段ボール製も同然だ。宇宙をなめるなと言いたい。とにかくばやく動いて敵艦をたたきのめすことしか考えていないらしく、俺や古泉がどうこうする前に旗艦がしずんでいれば、これじゃ世話を焼くヒマもねえよ。

「もうっ! めんどいったらないわね。こんなの作って何が楽しいのかしら。あたしはもっと解りやすいのが好きなのにっ」

 不平たらたらだが、ハルヒはそれでもきずにリプレイを始めた。俺のノートパソコン画面に《The Day of Sagittarius 3》のロゴが再表示される。

 ハルヒは楽しそうにマウスをクリックしながら、

「RPGにすればよかったのにさ。あいつらがおうとかじやしんの役で、あたしが勇者。オープニング直後にラスボス戦が始まるやつがいいわ。いつも思うのよ、ダンジョンの奥でぼんやり待ってるんじゃなくて最初から親玉が登場しちゃえばいいのに。あたしが魔王ならそうする。そしたら勇者たちも長ったらしいめいきゆうをうろうろしないですむし、簡単に話が終わるし」

 むちゃくちゃを言うハルヒを無視し、俺は横にいるその他メンツを順番に見ていった。最もハルヒに近い所に座っているのが古泉ばくりよう総長、次が俺で、そのとなりに朝比奈さん、一番すみっこに長門がいる。

「これは難しいですね。まあ僕がこの手のゲームに不慣れなせいかもしれませんが。シンプルですがマニアックな操作性です」

 適当な感想を述べている古泉は、オセロやってる時と同様ほがらかにしようしており、必要もないのにメイドしようを着込んだ朝比奈さんは、

「わわ、ぜんぜん思い通りに動いてくれないんですけどぉ。でもどうして宇宙って設定なのに行動はんが二次元限定になってるんですか?」

 基本的な疑問を放ちつつ、慣れない手つきでマウスをカチカチ言わせている。

 この二人はいいとしよう。残る一人こそが俺にとっての最大けんあんこうもくだ。

「…………」

 高度な数学的難問に立ち向かっている数理学者のような目でディスプレイを見つめている長門有希。最も早くこのゲームに順応したのはこいつであり、ハルヒのちよとつもうしん一直線戦法にもかかわらずゆいいつの勝利をもぎ取れたのは、彼女の的確なかんたい運用能力がたまたまウマいこと作用したからである。

 もちろんくぎしてある。魔術だか情報操作だかのちよううらわざは決して使わないように。昼休みにそう言っておいた。数秒間、俺の目をじっと見つめていた長門は、無言でこっくりとうなずいて同意を示し、俺のかたの荷物も少しだけ軽くなったものである。おかげでねなく対戦ゲームにいどめる。仮にこれで俺たちが勝ってしまったとしてもそれは何かのちがいであり、間違ってしまったんだったら仕方がない。うむ、責任かいのイイワケも準備ばんたんだ。

 あとはせいぜい善戦できるだけの戦術を練り直し、奮戦むなしく敗れ去るという演出を考えることにしよう。朝比奈画像フォルダをCDか何かに焼いておくのも忘れずに。



 まつろわぬ秋の空にふさわしく一週間がめまぐるしく経過して、いよいよ開戦の時をむかえた。

 ハルヒに率いられた俺たちは文芸部室で定位置につき、コンピュータ研は連中の部室で画面上のカウントダウンをながめているというじようきようだ。

 プレイ前のモニタが表示しているのはおたがいの艦隊しようかい一覧である。とは言え、わかるのはめいしようとどこの隊に旗艦が配置されているかくらいで、パラメータや艦隊位置はかくされている。

 コンピュータ研のユニットは旗艦部隊を筆頭に〈ディエス・イラエ〉〈イクイノックス〉〈ルペルカリア〉〈ブラインドネス〉〈ムスペルヘイム〉なるパーソナルネームが付いていた。

 なにやらこしゃくなネーミングセンスであり、何をがんばっているのかは知らんが間違ったがんばりかたのように思えてならない。そんな彼らの考え出した愛称の由来を、さして知りたくもないのは俺だけではなかったようで、

「めんどいから右から順番に敵A・B・C・D・Eでいいわ。旗艦部隊がAね」

 ハルヒはあっさり敵艦隊のコードネームをへんこうし、そのまま連中の独りよがりな呼称は忘れ去る構えである。どうせなら俺が指揮することになる〈キョン艦隊〉のことも忘れて欲しいが。

「そろそろね。みんな、いい? 勝ち馬に乗っていくわよ。これは始まりにすぎないの。敵はコンピ研だけじゃないわ。あらゆるじやものたちをらして、SOS団は宇宙の彼方かなたまでその名をとどろかせなきゃダメなの。そのうち教育委員会にけ合ってすべての公立校にSOS団支部を作るつもりよ。野望は広く持たないと」

 ハルヒのだいもうそうきようみたいなげきをどう感じたか、古泉は親指でゆるんだくちびるをはじき、朝比奈さんはメイドしようそでを引っ張り、俺は深呼吸のふりをしてため息をつき、長門はぴくりとまゆを動かした。

「まあ、あたしたちが負けるわけはないけどね。勝って当然とは言え、きは絶対に禁止! ちゆうはんな勝ち方は相手に悪いもん。たたきのめすのよ」

 いつも思うのだが、この自信の原材料は何なのだろう。二ミリグラムでいいから俺にも分けて欲しいね。

「そう? ちょっぴり注入してあげようか?」

 なんだか知らないがハルヒはとつぜん俺をにらみ始めた。まじめな顔でこっちを見るなよ。俺の顔をそんなに注目したところでだいきちのオミクジをき出したりはしないぞ。

 そのまま十秒ほど経過したあたりでえられなくなった俺は目をらし、その途端、

「どう、少しは効いたでしょう」

 ハルヒは勝ちほこったがおを作る。そのニラメッコにどんな効能があったと言うのか。

「エネルギーを視線にめて送ってあげたじゃないの。身体からだがポカポカしてくるとか、はつかん作用がそくしんされるとか、そんなのをあんたも感じたでしょ? そうね、今度から元気のない人を見かけるたびにこうしてあげようかしら」

 たのむから人通りの多いところでガン飛ばしするのはやめてくれよな。ハルヒの元気エネルギー注入こういんねん付けとかんちがいしてせまってくる不良軍団からげる方法をシミュレートしていると、

「まもなくスタートですよ」

 古泉のおもしろがっている声が届き、俺の視線はパソコン画面へともどる。一人だけきんちよう感をただよわせる朝比奈さんが、とても不安そうな声でつぶやいた。

「……どうしよ。自信ないなあ」

 そんなしんけんにならなくてもゲームで死傷者は出ませんよ。出たとしてもそれは八つ当たりされたディスプレイくらいです。

 敗北におこったハルヒがパソコンを窓から投げ捨てないことをいつしよいのりましょう。



 十六時〇〇分。

 開戦のファンファーレが鳴りひびき、パソコンの所有権を争う戦いが幕を開けた。



 当初、〈SOSていこく〉軍が予定していた作戦はこうである。

 せんぽうに〈ユキかんたい〉、その後ろに〈古泉くん艦隊〉と〈キョン艦隊〉を配置し、さらにその後ろから〈みくる艦隊〉と〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉がついてくる。

 ──以上であり、以下でもない。

 さくてきていけんを「めんどい」の一言できやつしたハルヒは敵艦隊をデストロイすることしか考えていないため、実際に敵とそうぐうするまで何の役にも立たないことは歴然としていた。

 もっと何の役にも立たないであろう朝比奈さんには、各艦隊から引き抜いた補給艦をまとめてあてがっており、よって〈みくる艦隊〉を表すユニットはほかよりもじやつかん大きめの三角形を形成している。そのぶん動きもどんじゆうになっていて、俺が彼女に指示したのは「せんとうに巻き込まれそうになったら逃げてください」というまことに理路整然とした行動指針である。当然だろう。

 ついでにハルヒ艦隊のパラメータは『速度・20』『ぼうぎよ・60』『こうげき・20』に設定してある。ようはこいつの部隊がかいめつしたらそくに敗北なのだから、防御力重視になるのも仕方のない決断だ。戦争すんのは『33』『33』『34』という平均的な能力配分をなした長門、古泉、俺に任せて後方でじっとしていれば格好の時間かせぎにもなっていいだろうと立案したわけだが、ちょっと目をはなすと前に出たがるのはぼうとうのシーン通りでもある。

 そして今、最初にチラリと述べたようにコンピュータ研とSOS団のシミュレーションゲーム対決、いよいよ決戦のぶたが切って落とされようとしているのだった。

「しょうがないわね。じゃ、あたしはしばらく引っ込んでるから、あんたたちで敵をコテンパにしちゃいなさい。みくるちゃん、一緒にちょっと見物してましょ」

「あ、そ……そうですね」

 俺のみぎどなりで、朝比奈さんは従順にうなずき、小声を甘やかないきに取り混ぜながら、

「がんばってくださいね、キョンくん」

 思わず百種類くらいのガンバリでもってこたえたいくらいのせいえんをくれるのだった。旗艦部隊が〈みくる艦隊〉だったら喜んでたまけ係をおおせつかるところだが、あいにく守るべきは俺がもしほうけん時代の実力派しよこうだったならイの一番にはんらんを起こすであろう横暴なる主君である。しかし残念ながらこのゲームに『反旗をひるがえす』というコマンドはないようだ。ないんだったらしょうがない。とにかく目前の敵を何とかするだけの話さ。



 十六時十五分。

 長門がもうぜんとキーボードをたたいている。目にもとまらぬスピードというのがではなくそこにあった。マウスなどというえんな物を使う気にもなれなかったらしいのだが、それだけではない。いつの間にやら長門は《The Day of Sagittarius 3》を操作するために独自のマクロを組み上げ、自在に艦隊を運用するより直接的な入力方法を構築したらしいのである。そのおかげで〈ユキ艦隊〉の奮戦ぶりは、ビザンチン帝国ユスチニアヌスてい時代の名将ベリサリウスにもひつてきするのではないかとどうもくするふんじんさ加減だが、いかんせん多勢に無勢と言ったところだ。

 こちらでまともに戦闘参加しているのは〈ユキ艦隊〉〈古泉くん艦隊〉〈キョン艦隊〉の三個艦隊であり、敵側は姿を見せるつもりのなさそうな〈ディエス・イラエ〉(敵A)を除いた四個艦隊だ。過去の戦史をひもといて学べることが一つある。基本的に戦争は数で決まる。三対四では、ただでさえれつせいが決定づけられている俺たちに勝利後のシャンパンファイトをする機会がおとずれる確率は低く、かといってハルヒや朝比奈さんを引っ張り込むこともままならない。いともあっさりと全軍そろってなぶり殺しアワーをタイムサービスするのは確定的だろう。

「敵はかくよくじんけいで我々をさそい込むつもりのようですよ」

 古泉ばくりよう総長が俺にささやきかけた。

「このまま追撃して行けば相手の形成したほうもうに自ら飛び込むようなものです。ここは一時停止して、専守防衛につとめるのが得策ではないかと」

 そうは言ってもな。俺はいいけどハルヒがどう言うものだろうか。

 それに、だ。

 俺は朝比奈さんの頭しに、情報さんぼう長門の横顔をぬすみ見た。

 なぜだかは知らん。だが、みようなことに長門が意表をつくような積極性を見せている。開始早々のこのゲームでも見た目は通常通りの無表情だが、ディスプレイ上の〈ユキ艦隊〉は他のどのユニットよりも能動的に動き回って作戦行動に従事していた。いったい《The Day of Sagittarius 3》のどこに長門のきんせんれるものがあったというのか。

 かいせきする、という長門の言葉にうそはなかった。いつもは無感動をじん化したような宇宙的人造人間は、コンピュータ研作製のオリジナルゲームをすみから隅まで熟知するまでになっている。ひょっとしたら作った連中よりくわしくなっているかもしれない。こいつにかかれば現代地球文明けんのパソコンなど産業革命以前の工場生産ライン並にオールドタイマーなのだろうし、赤子の手をひねるも同然とはこのことだ。

 それにしても長門の目のかがやきがツヤ消しブラックからシルバーメタリック処理くらいに変容しているのは、ちょっとばかし気がかりなんだが……。

 かつてないやる気を見せ、長門はタイピングゲームよろしく目まぐるしい動きでキーをパンチし続けていた。視線はいつしゆんたりとも固定されず、GUIのおんけいほうして画面隅に開いた小さなウインドウに、ひたすら指のつりそうなスピードでコマンドを打ち込んでいる。

「…………」

〈ユキかんたい〉はびんに位置を変えながらしきりとさくてきていを放ち、せまり来る敵艦隊のそくに全力をかたむけていた。それでも現時点で判明している敵の居所は、我がていこくぐんの前方にいる〈敵B〉と〈敵C〉の二個艦隊のみだ。長門はその二つの艦隊とかくに戦いながら一人で前線を支えている。こりゃ俺もぼやぼやできねえな。加勢しないと。

 そう思って移動し始めた〈キョン艦隊〉の側面に、とつじよとしてビームの雨が浴びせかけられた。

「なぬ?」と俺。

「おっと、と」と古泉。

 見ると〈古泉くん艦隊〉もげん方向から来るほうげきを浴びている。どこから現れやがったのか、いつの間にか接近していた〈敵D〉と〈敵E〉がそれぞれ左右から俺と古泉のユニットへ側面こうげきけていた。たちまち〈キョン艦隊〉の保有艦数が目減りしていく。

「何やってんのよ!」

 ハルヒが黄色メガホンで俺にさけんだ。

「ちゃっちゃと反撃しなさい! 返りちよ!」

 言われんでもそうするさ。こいつら、長門のさくてきもうをくぐりけてここまで来るとはなかなかの手練てだれだが、こっちだってハイそうですかとやられるままにはなりはしないぜ。

 俺は〈キョン艦隊〉に方向てんかんを命じ、全艦首を右舷へ九十度回頭させる。そして射程はん内に敵艦を捕捉、いざ全力射撃──しようと思った瞬間に、〈敵E〉もまたばやくUターンして深遠なるやみの中に消えてしまった。腹が立ったので追撃しようとアタリをつけて索敵艇を出してみたが、かんえいを一つもとらえることができない。

「くそ、げやがった」

 どうやら『速度』に特化した艦隊での一撃だつ作戦か。〈古泉くん艦隊〉の左舷をおそっていた〈敵D〉もぴったしなタイミングで姿をくらませている。なるほど、〈ユキ艦隊〉とり合いしている〈B〉〈C〉がおとりで、〈D〉〈E〉が主戦力なのか。そいで旗艦部隊〈敵A〉は参加せずにどっかでどっしり構えてるという、そういう算段らしいな。

「ひえ、こわいっ」

 つたない動きながら、朝比奈さんは着実に自分の艦隊をどんどん画面の隅のほうへと追いやっていた。あまり遠くに行きすぎると俺たちの艦隊は補給先を失ってそのうち武装ゼロとなってしまうが、このままではエネルギーやミサイルの在庫を気にするまでもなく勝敗が決しそうな気配だ。主導権はしょっぱなから〈コンピ研連合〉側にある。

 その後も、側面攻撃部隊である〈敵D〉と〈敵E〉は、一回残り物をやったら味をしめて夕食時に必ず現れるようになった近所のノラ犬のようにフラリとやって来ては〈キョン艦隊〉と〈古泉くん艦隊〉にヒットアンドアウェイをかんこうし、追いすがろうとするとホーミングミサイルをちまくりながらとんそうするという非常にイライラする戦法で俺たちを苦しめてくれた。一気に決着を付けるのはけ、じわじわとこちらの戦力をけずっていく腹づもりだな。ハルヒの最もいやがるパターンだぜ。

 一方で、ぐんでもってじりじり前進を続ける〈ユキ艦隊〉は、何とか頭を押さえ込もうとする〈敵B〉と〈敵C〉の波状攻撃をたくみに受け流しながら効果的な反撃を試みたりしていて、もしこいつの艦隊がなければ俺たちはいまごろ宇宙空間を流れる星間物質の欠片かけらになっていたかもしれない。負けてもかんとうしようくらいならやってもいいんじゃないか。

「…………」

 長門は呼吸をしていないような顔で両目をモニタにえ付け、キーボードのこく使を一時たりともめることがない。これにはコンピュータ研の連中も意外だったろう。俺ですら意外に思っているのだ。

 ハルヒの負けずぎらいがいつの間に長門にまで伝染してしまったのか、とね。



 十六時三十分。

 事態はいよいよこうちやくどろぬまにずっぽりとハマっているようだった。

 先頭の〈ユキ艦隊〉がごわいとさとったコンピュータ研は、〈敵B〉一部隊を対長門専門に残し、いま行方ゆくえの知れない旗艦艦隊〈敵A〉を除いた三個艦隊がこうに俺たちの左右をめるという時間差波状攻撃を仕掛け始めていた。まったく感心することに〈敵C〉〈D〉〈E〉のれんけいは熟練のうでまえだ。〈C〉に対処しようとするとすかさず〈D〉が反対側から攻撃を加え、〈D〉を追って進撃すれば〈E〉がさらに側面からビームを放つといったしんしゆつぼつぶり、なんかもう手加減を知らない上級者と対戦ゲームやったってちっとも楽しかねえという気分をまんきつできる。少しはえんりよしろと言いたいが、パソコン数台がかかっているからそうもいかないか。

 しかし、これはかなりよろしくないじようきようである。負けるつもりが九割をめていたのは前述の通りだが、いくら負けるにしてももっとハデな展開を予測していたのだ。じゃんじゃん撃ち合ったあげくのごうかいげきちんとか、負けたけどいいあせかいたし、まあいっか、おたがいよくがんったよ──みたいなやつをだ。

 しかるに何だ、このチマチマとした体力削り作戦は。

「もうまんできないわ」

 予想通りと言うか、ついにハルヒがの旗艦艦隊に単純明快な指令を伝えた。

ぜんかん全速前進よ! キョン、そこじやだからどいて! 敵の親玉を見つけ出して、タコなぐりにしてくるわ!」

〈キョン艦隊〉と〈古泉くん艦隊〉の間に割って入ろうとする〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉を、俺と古泉は小魚の群れ並みにしゆんの連携で押しとどめようとした。

「何すんのよ! 古泉くんまであたしのれいな戦いをぼうがいするつもり? いいからどきなさい。ばくりよう総長を解任するわよ」

「それは困りますね」

 と言いながらも、古泉は自分の艦隊をハルヒ艦隊の進路上から移動させようとはしない。

「閣下、ここは我々にお任せください。しようこの古泉、一命をけて閣下を最後の最後までお守りする所存です。僕の進退に関しましては、せんとうしゆうりよう後に好きなようにしてください」

「そうだ」

 俺も古泉のかたを持つ。

「少しでも勝率を上げたいのなら、お前はすっこんでろ。こっちはまだ敵の旗艦も発見できてねえんだぞ」

「だからあたしが発見してやるわよ。たぶんここらへんに──」と俺たちから見えないモニタのはしっこを指差し、「──いると思うから、そこまで一直線に向かうの。それからえらい者同士、サシでドンパチしてやるわっ!」

 どこに行く気かは知らんが、辿たどり着く前に〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉はとうみん前のくまに襲われたミツバチの巣のようになるんじゃなかろうか。

 ハルヒは下からぐいぐいと艦隊をき上げつつ、マウスをにぎったこぶしも突き上げていた。

「だからってじっとしてても同じことでしょ。さっきから見てたら何よ、この〈キョン艦隊〉、敵にげられてばかりじゃないのよ。それにどんどん戦力も減らされてるしさ。やっぱあたしが出て行かないとダメね」

「だからやめろって」

 俺は自艦隊をあやつって旗艦艦隊の進路をふさぎにかかり、さりげなく古泉も反対側から同じ動き、そんなことは知ったことかと〈コンピ研連合〉の三艦隊はいちげきだつこうげきを延々とり返し、朝比奈さんの〈みくる艦隊〉はとうの昔に宇宙空間のまいとなっていた。

「ここどこですかぁ? ああん、なんだかどっちが右なのかもわからなくなってきましたよう」

 みぎどなりの朝比奈さんは、俺のノートパソコンと自分のモニタを代わる代わる見て、半分ベソをかいた表情で、

「みなさん、どこに行っちゃったんですかぁ」

 いやもう、ごめんなさい。朝比奈さんにおかれましては、どこでも好きな所を好きなように彷徨さまよっていてくださいとしか。

〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉がギリギリと〈キョン艦隊〉のしりに食いついてくるおかげで、俺まで身動きが取れなくなってきた。ハルヒのたて代わりになってるようなもんだから、ひきもきらないてきしゆうによって俺のユニットを示す三角形はどんどん小さくなっていく。

「どきなさい!」

 どきたくても動けねえ。はくじようものの〈古泉くん艦隊〉は、ハルヒについとつされる前にちょこざいにも離脱しており、そ知らぬ顔で〈敵D〉とほうを交えていた。ハルヒの足止め役を俺だけに押しつける気か。

「くそ」

 俺は〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉と合体中の自軍戦力をなんとか自由にすべく、マウスの左ボタンを押しまくりながらポインタを適当な場所へと移動させる。〈キョン艦隊〉のだいぶ収縮した三角形はナメクジの散歩みたいにのろのろと方向てんかんするが、いかんせんナメクジだ。その間も敵側からロックオンされた俺の部隊にビームとミサイルがばんばん飛んでくる。

 こりゃ、負けたな。

 俺が白旗をげたくなったのも仕方ないとなつとくしてもらいたい。こっちの大将がこんなんでは、万に一つの勝機がこっちにい降りようとしてたとしても心変わりして逃げ出すってもんさ。なんでもそうなんだが、やはりトップは冷静でないと組織はえんかつに動かない。よく知らんけど、そんなもんじゃないのか?

 俺とハルヒが現実でも電脳空間内でもモメているこの時、SOS団内で大局的な視野の広さと冷静さを持ってゲームを進行させていたのは一人だけであった。

 ──と、思っていたのだが。

 実はそうでもなかったらしいと俺が気付いたのは、テーブルのはしにいる団員の指の動きがさらに加速して、ついには高感度カメラでさつえいしてからスロー再生しなければ見えないんじゃないかというレベルにまでとうたつしてからだった。

 イライラが高じるあまりばくはつするのはハルヒの役目であり専売特許でもあるはずだ。だが今回、それは必ずしも正解とは言えないようである。

 今この場でだれよりもげつこうしているらしい人物、それは我がSOS団のほこる物知り情報さんぼうにして読書マニアの文芸部員──。

「…………」

 長門有希だった。



 十六時三十五分。

「うおう?」

 信じがたい光景がモニタにこつぜんと登場し、俺はうっかりマヌケな声を上げてしまう。

「なんだこりゃ」

〈SOSていこく〉全軍のさくてきしゆうりようはんが一気に三倍になっていた。出現と消失を繰り返していた敵〈C〉〈D〉〈E〉の現在位置もばっちりだ。一つはよく方向から古泉部隊へ向けて射線を調ちようせい中で、一つは離脱直後の反転を今まさに終えようとしているところで、一つはもつれ合っている〈キョンかんたい〉と〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉目がけて進軍中である。でまあ、なぜ敵の動きがそこまで解るようになってしまったのかと言うと……。

〈ユキ艦隊〉が二十個にぶんれつしていた。

「これはこれは」

 古泉の賞賛の声が俺にはうつろに聞こえる。

「さすがは長門さん。よくこんなことをする気になりましたね。僕も一時は考えたのですが、あまりにはんざつになるもんですから、立案時にほうしたんですよ」

「待てよ古泉」と俺。「こんなの、説明書に書いてあったのか?」

「ありましたよ。最後のほうにですが。やり方を教えましょうか。まずコントロールキーとF4キーを同時押ししてからテンキーで分散する艦隊の数を決定し──」

「いや、いい。俺はやる気がない」

 もう一度、モニタをよく見てみる。

 さっきまで〈ユキ艦隊〉だった三角ユニットが、不思議光線を当てられたみたいに縮小している。その代わりと言うと何だが、ほかに同じ物が二十個もある。ためしにそのうちの一つを選んでマウスポインタを当ててやると〈ユキ分艦隊12〉と表示された。

 分艦隊?

 01から20までにナンバリングされたその小三角形たちは、あるものは今まで通り〈敵B〉相手にほうげきせんを続行し、またあるものは敵艦の合間をってまだ見ぬ宇宙へ飛び出し、他のあるものは左右に散開し、それからまた別のあるものは大きくターンして苦戦する〈キョン艦隊〉に加勢してくれるようだった。

 古泉、解説しろ。

「ええとですね。一応ですが、艦隊ユニットを二つ以上に分け、個別に操作することができるようになっているのです。上限は確か二十でしたっけ。取説にそう書いてありました」

「何のメリットがあるんだ?」

らんの通り索敵範囲が格段に向上します。それだけ目が増えるみたいなもんですからね。他にもありますよ。たとえば艦隊を二つに分けた場合ですと、一個をおとりにしてもう片方を敵の後背に回らせるとかですね。でもデメリットのほうが大きいのでコンピュータ研側も作戦に取り入れてないようです」

 古泉は俺に顔を近づけ、ハルヒには届かないように声をひそめて、

「複数の艦隊操作を一人でしなければならないわけですよ? 一つを動かしている間は残りを動かすことができず、単なる木偶でくぼうになってしまいます。ましてや二十個もの分艦隊を同時操作するなど、人間わざでは不可能ですね」

 となりの部屋できもかれているであろう面々の表情を想像しながら、俺は横へ視線をすべらせた。

「おい、長──」

 もくもくとキーボードをたたき続ける長門の両指が生み出すスタッカートは、どんなに耳をらしてもカタカタカタ……ではなく、ガガガガとしか聞こえないまでになっていた。

「あ、あの……。そんなに力入れるとこわれるんじゃあ……」

 おっかなびっくりと朝比奈さんが注進するが、長門は目もくれない。その目がどこを見ているかと辿たどれば、長門のパソコンが映しているのはゲームの画面ではなく、黒い背景に白い英数字および記号しかないという、なんか大昔のコンピュータのBIOS設定画面のようなものだ。それがまたすごいスピードでスクロールしている。

「なに?」

 と、長門は俺を見ずにいた。

「……えーとだな」

 あのー、長門さん? あなたは一体何をしておいでなのでしょうか。

 心でつぶやく俺の独り言も思わずていねい調になってしまうくらい、長門のキーを打ち込む姿からは無形のプレッシャーが感じられた。

 ふと自分のモニタでかくにんすると、二十個に分散した〈ユキ艦隊〉はまるで命をき込まれた茶柱のように生き生きと動き回って敵をほんろうしていた。すっかり画像のなど問題にしなくなっているらしい……って、ちょっと待てよ。俺はインチキはすんなって言っておいたぞ。

「していない」

 と長門は呟いた。ここで初めて俺のほうを向き、しかし手の動きはそのままに、

「特別な情報操作をおこなっているわけではない。課せられたルールをじゆんしゆしている」

 長門の視線上からはなれるように、朝比奈さんが小さな身体からだけ反らせている。長門は俺と目を合わせながら、

「わたしはこのシミュレーションプログラムにふくまれていない行動を取っていない」

「そ、そうなのか。そりゃすまなかった」

 なんかこわいオーラがショートカットの頭の上から立ちのぼっているようでもあった。

 しかし長門の表情も目の色もだんと変わりなく無機質で、にもかかわらずいつもなら「そう」とか言って再びだまり込むはずが、この時ばかりは次のように言葉を続けた。

 それは告発の言葉だ。

「インチキと呼ばれるこうをしているのはわたしではなく、コンピュータ研のほう」



 間のいいことに、ハルヒは自分のユニットを〈キョンかんたい〉から引きがすことに成功し、

おそ! どうしてこんな遅いの? パソコンに栄養ドリンクりかけたら速くなるかしら」

 とか言いながら喜々として前線へと移動させるのに夢中のようだった。

 俺は朝比奈さんの前に身体を乗り出して、長門に小声で質問した。

やつらがインチキしてるってのは、どういうことだ?」

 ちようこうそくブラインドタッチを寸時もていたいさせることなく、長門は無表情にこたえる。

「彼らは我々のコンピュータ内に存在しないコマンドを使用し、この宇宙せんとうを有利なものとしている」

「どういうこった?」

 長門はいつしゆんちんもくし、考えをまとめるようにまばたきをして、

さくてきモード・オフ」

 と呟いてから、続いて静かな口調で語ってくれた。

 その説明によれば、コンピュータ研側が使っているゲームは最初からその「索敵モード・オフ」とやらの状態に設定されていたらしい。そんな切りえスイッチはもちろん俺たちのほうにはなく、だいたいオンとオフでどうちがうのかもわからん。何だそれは。

「オンにすれば索敵行動が義務づけられる。オフの場合はしなくていい。彼らは索敵システムをけいがい化し、また必要としていない」

 えーとだな、それはいったいどういうことか。

「索敵モードをオフにすれば、マップのすべてがライトアップ表示される」

 つまり……、

「マップ全域のすべてが我々の艦隊位置を含めて最初から丸見え」

 長門にしては解りやすい説明だ。

「それだけではない」

 笑わない宇宙人製人工生命体はたんたんと言いつのった。

 それによると〈コンピ研連合〉側の艦隊にはワープ機能までついてるそうだ。道理でやけにタイミング良く姿をくらましていたと得心する。〈SOSていこく〉とは技術レベルで五百年くらいの差がありそうだ。戦国時代の歩兵に自衛隊のこう部隊がおそいかかっているようなものである。それでは勝てるはずがないじゃないか。

「そう」

 長門も保証してくれる。

「我々には敗北以外のせんたくがなかった」

 なかった──か。過去形だな。それで? 今はどうなんだ。現在形で言いえて欲しいところだったが、長門の黒いひとみに見たことのない感情のらぎを感じて俺はちょっと頭を引きつつ、

「でもな、長門。やっぱり宇宙的なパワーはなしにしたいと思うんだ。連中がズルしてるのはよく解ったよ。しかしさ、だからと言ってこっちがさらにインチキなほうを使ってたいこうしちまったら、結局は連中と同じことになっちまうぜ。いやそれ以上だ。お前の手品は地球上の法則にあんまり則してやいないからな」

「あなたの指示にはんすることはない」

 長門はそくとうした。

「地球の現代技術レベルにのつとってプログラムに修正をほどこしたいと思う。空間の情報結合状態には手を付けないと約束する。人類レベルの能力にあわせ、コンピュータ研究部への対抗をとる。許可を」

 俺に言ってんのか。

「わたしの情報操作能力にかせをはめたのはあなた」

 …………。

 こいつと出会って半年以上がつ。その間で、俺は長門の無表情の奥にかくされたみような感情的変化──こいつにまともな感情があったらの話だが──を、曲がりなりにも多少は感じ取れるとそれなりの自負を覚えるようになっていた。このとき俺が長門の白い顔にピコ単位で見いだしたのは、まぎれもない決意の色だ。

 朝比奈さんがおどろいた顔で俺を見ている。古泉も見ているが、ただしこいつは半笑いだ。ハルヒだけが何事かわめきながらビームとミサイルを景気よくまき散らしていて、ほどなくたまれでてきじんの真ん中で立ち往生することだろう。決断するに残された時間はあまりない。

 何と答えよう……そうなやんだのは数秒間程度だった。長門はやる気になっている。こんな長門は初めて見た。思うに、これはいいちようこうだという気がしてならないのだ。情報統合思念体に製造された人間そっくりの有機アンドロイド。案外こいつもベタなロボットにありがちな、人間になりたいという欲求が芽生えつつあるのかもしれない。

 そして俺は、それがよくないことだなんて全然思わないのである。

「よし、長門。やっちまえ」

 俺ははげますようなみをかべてたいばんを押した。

「この世の人間にできるはん内で、何でも好きなようにやれ。コンピ研にひとあわかせてやるんだな。二度と俺たちにクレームをつけることのないように、ハルヒが望むとおりの結末を見せてやるがいいさ」

 長門は長い間、俺の主観ではほうもなく長く感じられた時間の間、俺を見つめていた。

「そう」

 発したリアクションははなはだ短く、それから長門は実行キーをパチンと押して、たったそれだけで形勢はいきなり逆転した。



 十六時四十七分。

 こうかつわなはすでに仕組まれていたのである。

 あまりのとうとつさにぜんとするほどだが、俺のきようがくゲージなどまだまだしゆぎようの足りない門前のぼう並くらいであろう。対戦相手のコンピュータ研連中は、いまごろ世界きようこう二日目のウォール街程度にパニック状態におちいっているに違いない。

 すべては長門がさっきからやっていた分身の指術の結果だ。つくづく味方でよかった。お供え物の一つ二つ自腹を切ってしんていしてもいい気分である。今度おもしろそうな本を買ってきてプレゼントしてやるよ。そういやこいつの誕生日はいつってことになっているんだろうね。

 まあ、それは後々考えることにして、じようきよう説明にもどらせてもらおう。

 てきかんたいの数々はプレイヤーのぼうぜんさを体現するように動きを止めていた。

 長門は自分のノートからコンピュータ研のパソコン五台にしんにゆうを果たすと、どうしている《The Day of Sagittarius 3》のプログラムを直接いじくったらしい。どうやったらそんなことができるのかはくな。俺にわかるわけがない。ないのだが目的はただ一つ、相手側のさくてきモードをすべてオンにするためである。これにより〈コンピ研連合〉の可視範囲は大きくけずり取られた。さぞ画面のくらやみ部分が増えたことだろう。連中はさくてきていを飛ばす必要がなく、また実際にまったく飛ばしていなかったとの情報さんぼうの報告だ。

 長門はさらに相手側の『索敵モード』をオン状態のままで固定されるようやつら側のソースを書き換えてしまい、かつ自分以外のだれにも修復できないようにロックした。ただしワープ機能はさくじよするのではなく、ちょっぴりへんこうを加えてそのままにしておく。長門考案によるちょっとしたぼうりやくさ。

 これらを全部、ゲーム中の二十個分艦隊を器用に動かしながら例の宇宙人的能力なしにやってのけたのだから、つうの人間シバリを付けたとしてもこいつはやはりじんじようではないよな。

「さて、ようやくチャンスとうらいですよ」

 古泉がかいげな微笑ほほえみ混じりに画面上の状況をナレーションしてくれた。

「ご覧ください。〈敵C〉と〈敵D〉は無数の〈ユキ分艦隊〉にはばまれて我々の位置を見失っています。〈敵E〉は僕と交戦中で、それから〈敵B〉ですが、このままですと間もなく〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉の射程に入ります」

「敵みっけ!」

 ハルヒの喜びにあふれた声がひびいて、古泉のセリフを証明した。

て撃て撃て撃てー!」

 モニタに額をつけんばかりにして、ハルヒはたけびをあげている。

 くさりから解き放たれた〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉はビームとミサイルを八方に撃ちまくりながら敵艦隊へととつにゆうしていた。泡を食った〈敵B〉はあわてて急速回頭、げだそうとするその先には俺の〈キョン艦隊〉が待ち受けている。

「そらよっと」

 俺は人差し指をわずかに動かして、持てるビームのありったけを〈敵B〉の鼻先に撃ち込んでやった。

「こらキョン、それはあたしのものよ! よこしなさい!」

 はさみ撃ちにされた〈敵B〉はまたたく間に形をくずしていく。ぷるぷる身をよじっていた〈敵B〉ユニットは、やがて小さなビープ音とともにばくさんした。一丁上がり。

 さらなる獲物を求め、ハルヒは移動式打ち上げ花火装置と化した艦隊を今度は〈敵E〉の横腹へと転進させる。古泉と押し合いへし合いをしている〈敵E〉もまた、二正面作戦を強いられた結果としてざくざく艦数を減らしていった。

 苦しげな挙動を見せていた〈敵E〉だが、ついにばんさくきたとかくを決めたのだろう。それまで決して〈SOSていこく〉軍の目の前でだけは使わなかったかくしコマンドを強行した。

「あ、消えた! え? 何で?」

 ハルヒがさけび、俺はついにこの時が来たことを知った。それまで十字ほうのただ中にいた空間から〈敵E〉がしようめつしている。

 ワープってやつだ。もうちょっとった名前を付けたらいいのに、今どきワープもないだろうよ。

 だが、これこそ長門のけた狡猾な罠のしんずいだった。

「あれっ。何かちがうのが出てきたわよ」

 ハルヒの声を聞きながら、俺はすでに手を休めていた。

「きゃっ?」

 朝比奈さんも可愛かわいおどろき、しきりにまばたきしながらモニタを見つめる。

「キョンくん、なんかあたしが動かしてたやつ、どっかいっちゃっいましたけど……」

 ワープしたのは〈敵E〉だけではない。〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉だけをそのままに、敵味方合わせてすべての艦隊が空間転移していた。

 長門が変更したプログラム、それは『コンピュータ研のいずれかの艦隊がワープ機能を起動させれば、敵味方の区別なく〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉を除いたすべての艦隊も同時刻に、および強制的にワープする。各艦隊におけるワープ後の出現座標は指定したコードに従う』、というものだった。

 目には目を、インチキにはインチキを。ただしインチキすぎないように。

 りんしつきようがくは索敵モードんときとは比べものにならんだろうな。俺は初めて目にしたコンピ研旗艦艦隊〈敵A〉(ディエスなんとか)を画面上に発見し、その出現位置をかくにんしてかたをすくめた。

「因果応報ってやつさ」

 部長氏の〈敵A〉は〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉のド真ん前に登場させられていた。

 その真後ろには同じように飛ばされてきた無傷の〈みくる艦隊〉がほとんどれあうようなきよにいて、さらにショートワープした〈古泉くんかんたい〉によってげんねらいを定められ、反対側の左舷こうげきを担当するのは再び合体した〈ユキ艦隊〉であり、ななめ横にはえ物程度に小さくなった〈キョン艦隊〉がひかえている。コンピュータ研の他の連中がどこにいるかと探せば、広いマップのはるかたすみに四艦隊そろってしゆんかん移動をげていた。そこまで行ってたらもうどうやっても間に合うまい。

〈SOS帝国〉軍全艦隊によるほうもうの中で、〈敵A〉一個艦隊のみが立ち往生していた。

「なんかよくわかんないけど」

 ハルヒは舌なめずりせんばかりのはつらつとした表情となって、大きく片手をり上げた。

「全艦全力射撃! 敵の大将をごくごうで焼いてあげなさい!」

 その合図とともに、ハルヒ、古泉、俺、長門の艦隊がいつせいに武装の限りを放出した。あわあわしていた朝比奈さんも、長門の「撃って」という冷たい声にビクッとなりながら、この日初めての攻撃をめんの〈敵A〉にたっぷりとおいする。

「ごめんなさい……」と朝比奈さん。

 何が何だか解っていないのはコンピュータ研部長だろうな。奥のほうで高みの見物を決め込んでいたらいきなりインチキさくてきが解除され、何もしてないのにとつぜんワープしたあげくてきじんの真ん中に出現してしまったのだから。

「や、……」

 れやれ、と続けそうになって言葉を飲み込んだ。古泉がニヤリと微笑ほほえみかけてくる。無視だ、無視。

 画面に注意をもどすと、部長氏の〈敵A〉艦隊は、前後左右の至近距離からビームのシャワーとミサイルの雨をくらい、ひっくり返った草ガメのようにのたうちまわっていた。うーん、自業自得と言っても今回ばかりはいいんじゃないかなあ。アンフェアなことをくわだてたのはそっちが先だしさ。でもまあ、存在している段階ですでにアンフェアな長門有希を持っていたこっちもあまりえらそうな顔はできないか。

 長門のそくしやほう的キータイピングが、とうとう最後まできゆうけいなしでいっちまった。〈敵A〉艦隊はバルカン砲のざんだんカウンターのように見る見る数を減らしていき、最後に残った一せきを〈ユキ艦隊〉のドット単位で精密照準されたビームにげきされ、それが敵旗艦のさいの見納めとなった。

 ちょろいファンファーレが鳴りひびき、五台のモニタにかがやかしい文字が表示されてゲームは終わる。

『You Win!』



 十七時十一分。

 決着がついてから約十分後、部室のドアをノックする者がいた。

 よろよろと入ってきたのはコンピュータ研の連中であり、中でも部長氏はやけっぱちのような口調で、

「負けたよ。完全にウチの負けだ。いさぎよく認める。すまない。謝る。かんべんして欲しい。この通りだ。キミたちを甘く見ていた。ちがっていた。完敗もいいところだった」

 頭を下げる部長氏の前で、ハルヒは日時計のように鼻高々と立っていた。へいげいするハルヒ閣下の視線を浴びて、コンピュータ研の部員たちは体調のよくなさそうな顔色でうなだれる。

「あんなに見事にスッパリとすべてをかされていたなんてね……。僕たちがそくな手を使っていたことは申し開きしようもない事実だ。でもまさか……。プレイの最中にゲームの中身を書きえられるとは……。信じられないけど……これも事実か……」

 きよこうの別世界にイってしまったような目で部屋を見回す部長氏に、ハルヒはまゆを片方だけり上げて、

「何ブツブツ言ってんの? 負けたイイワケなんか聞きたくないわよ。でさ、約束は覚えているわよねえ?」

 楽しそうに指をちっちと振っている。勝ったうれしさにひたるあまり、とんでもなく不自然な勝ち方をしたことに対する疑問は頭のどこを探しても見つかりそうにない。こいつにしてみれば、ようするに勝ったもん勝ちなのである。

「もう文句はないでしょ? このパソコンはあたしの物で、それからノートパソコンもあたしたちの物よね。忘れたとは言わせないし、言ったらかなりキッツい目にあわせるわよ。そうねえ、手始めに『緑色のコビトが追いかけてくる』とさけびながらぱだかで校庭を十周するのけいに処すわ」

 無体な言葉にコンピュータ研部員たちはさらに首をまえだおし。それを気の毒に思ったのかまりだったのか、

「あ……、そだ。お茶でもいかがですか?」

 気ぃつかいの朝比奈さんが立ち上がってかしポットへ向かい、しようかべた古泉がガラクタ入れの中から紙コップのパックを取り出していた。長門はパイプに座ったまま、ハルヒの前に整列して頭を垂れる男子生徒たちをじようだんの通用しそうにない目で見つめている。

 ハルヒはなおもじようげんに演説をしているが、その部員たちの列から一人、部長氏がゆらりとはなれて俺のもとに近寄ってきた。

「なあ、キミ」と彼はか細い声で、「あれをやったのはだれなんだい? 世界でも通用しそうなすごうでハッカーは。……いや、だいたい想像はつくんだが……」

 長門がゆっくりと俺を見上げ、部長氏は長門を見ていた。

 まあな。どうやら部外者から見ても、こんな頭良さげなことをしそうなのは長門が最有力候補に見えるようだ。

「ものは相談だが」

 部長氏は長門に向かって、

「キミがヒマなときでいい。たまにでいいのでコンピュータ研の部活に参加してみないか? いや、してくれないか?」

 なんかかんゆうし始めた。さっきまでえんてんに三日間放置されたれいとうサンマみたいだった目の色が活気づいている。人間心底参ってしまうと開き直るしか手だてがないのかもな。

 長門はモーター内蔵のような動作で顔の向きを部長氏へ移動させ、その動作を逆回転させるようにして俺に向き直った。何を言うでもなく、やみガラスのようなひとみに物問いたげな光だけを反射させて、じいっと俺を見つめている。

「…………」

 なんだろう。念波でも送っているつもりなのか。それとも判断のを俺にゆだねる意思の現れなのか。そんな顔されても(と言っても無表情だが)困るぜ。お前への問いかけなんだ、そんなもん自分で判断すればいい。むしろ、そうするべきだ。

 俺が長門をならって無言の光線を返答として送っていると、

「ちょっとちょっと、そこで何やってんのよ」

 ハルヒが俺たちの間に割って入った。

「勝手に有希をレンタルしちゃだめよ。そういう話はまずあたしを通しなさい」

 やはりデビルイアー、聞こえていたらしい。ハルヒはこしに両手を当て、いっそめたいくらいのえらそうなポーズで、

「いい? このはSOS団に不可欠な無口キャラなの。あたしが最初に目を付けたんだからね、後から来たっておそいわよ。どこにもやったりしないんだから!」

 お前が目を付けたのは部室であって長門ではなかったはずだが。

「いいの! 有希みでこの部室をもらったんだから。あたしはこの部屋にあるものは、たとえあわけたコーラでも誰かにあげたりしないわよ」

 それはあたしのだから、と誰にはばかることなくセーラー服のむなもとせい良く反らすハルヒだった。

「まあ、待て」

 俺は言った。そして考えた。

 これでも俺は長門の表情を読むことにかけては誰よりも自信を持っているつもりだ。何たって三年前の長門有希に出会ったことのある男なのだ。感情の顔面的表現をほぼかんぺきおさえている長門だが、まったく無感情でもないらしいと俺は感づいていて、ループモードの夏休み事件でもそうだったし、今回のゲーム対決でも何となくわかった。そう、いつだったか、市立図書館にさそったときにも感じたことだ。

 長門にだって興味をかれるものが少なからずある。

 コンピュータ研との《The Day of Sagittarius 3》対戦で誰よりもムキになっていたのはハルヒではなく長門だ。読書以上の熱意をかたむけていたキーパンチ。それがインチキトリックのふういんを申し伝えた俺の言葉に由来するのかどうかは解らん。しかし俺にはキーボードをたたくその姿がなぜか楽しそうに見えたのだ。小難しい本を読む以外の新しいしゆがこいつに芽生えたのだとしたら、別に否定するものではないんじゃないか? このSOS団アジトで部屋の付属品になっているよりも、他者と接することで学校生活にわずかでもけ込むほうがこいつにとっても喜ばしいのではないだろうか。

 いつまでも涼宮ハルヒのかんだけでは、長門だってつかれるにちがいない。宇宙人製有機ヒューマノイドインターフェースだって、たまには気晴らしが必要だ。

「お前の好きにしろ」

 今日ばかりは部長氏のかたを持つことにした。

「パソコンいじりは楽しかったか? なら、お前の気の向いたときでいい、おとなりさんに行ってコンピュータをいじらせてもらえ。自主制作ゲームのバグ取りでもしてやったら感謝されるぞ。きっとこれよりも高性能な遊び道具がそろってるだろうし」

 長門は無言で、だがさいに表情をれ動かしながら俺を見ている。それでいいのかといているようでもあり、どうすればいいのかとたずねているようでもあった。揺らめくかげめいたものが長門の黒あめみたいな瞳を通り過ぎたような気がした。

 ずいぶん長いときが流れたように感じたが、実際はまばたき三回分くらいだったろう。

「……そう」

 何がそうなのかと問いただす前に、長門はかくりとうなずき、部長氏を見上げてオクターブの変わらない声でこう言った。

「たまになら」



 当然ながらハルヒはゴネた。

「勝ったのはあたしたちなのに、どうして大切な団員をレンタルしないといけないのよ。レンタル料は高いわよ。そうね、一分につき千円が最低ライン!」

 分給千円なら俺が買って出たいね。

「涼宮閣下」

 お茶をすすっていた古泉が得意のがおりまきながら近づいた。

「閣下たるもの、時には敗軍のけんとうたたえることも必要かと存じます。ただ強いだけでなく度量の広さを見せつけるのもトップに立つ者の条件の一つですよ」

「え、そうなの?」

 ハルヒは口をアヒルのクチバシ状にしながら、

「まあ、有希がいいんならいいけど……。でも! ノートパソコンは返さないわよ。あ、それからね、」

 話してる最中に名案を思いついたらしい。ハルヒは部長氏をにらみつけながらニンマリと笑顔を作る。いそがしい顔面だな。

「いい? あんたたちは敗残兵、勝者の言うことは何でもなおに聞かないといけないの。それが戦争ってもんよ」

 おぼんをしずしずと持ってきた朝比奈さんからお茶(かりがねだったか?)をひったくってガブガブ飲みつつ、

「あんたたち全員、今後あたしに絶対的な忠誠をちかいなさい。うん、悪いようにはしないわ。あたしは実力主義だからね、がんばりようによっては正式な団員にしてあげてもいいわよ。たとえば……そうね、生徒会と全面戦争するときはあたしの手足となって働くの。それまでは準団員ね」

 この調子で全校生徒SOS団団員化をくわだてているのではないだろうな、という俺のも知らずにハルヒは意気ようようと、

「古泉くん、さっそく調印書を作ってちょうだい」

「かしこまりました、閣下」

 幼少のこうていを意のままにあやつがいせきさいしようのような笑みで返答し、古泉はさっそく自分の物になったばかりのノートパソコンに何やら打ち込み始めた。



 翌日以降も部室の風景が格別に変化するということはなかった。ねこに小判状態のノートパソコンがに増えただけである。朝比奈さんはメイドルックであちこちハタキがけしてからヤカンをカセットコンロにかけ、古泉は一人バックギャモンをやってて、長門はテーブルのすみもくぜんと読書にふけりつつ、次にハルヒが何かを言い出すまでのつかの間のへいおんを楽しんでいた。

 そんなへんてつのないSOS団的日々の放課後で、ごくまれに読書好き宇宙人の姿を見失うときがある。いないなと気づいた数分後には、またふらりと現れて読書を開始するから、俺のにんしき上ではやはり長門はこの部屋の真の主のようなものだった。

「…………」

 海外ミステリ小説を原書で読む長門の見た目は、ぱっと見、何も変わっていない。中身が変わりつつあるのかどうかは……さて。俺にもわかりようはないな。

 長門は相変わらず、ここにこうしてちゃんといる。気まぐれなそよかぜのようにおとなりにも顔を出しているらしい。それでじゆうぶんさ。

「キョンくん、どうぞ。今回は中国のお茶にちようせんしてみました。ふふ……どう?」

 ひかえ目に微笑ほほえむ朝比奈さんからマイ湯飲みを受け取り、ゆっくり味わいながら飲んでみても今までの茶葉とどうちがっているのか俺の舌はとりたてて感激したりはしなかった。あなたのくれるものなら雑草ジュースだって美味に思えるに決まってますよ。

 俺は感想を心待ちにしている顔の朝比奈さんに何と返答したものかとボキャブラリーをさぐりながら、当分は変な事件に巻き込まれることもないだろうと考えていた。



 その予想が大間違いだったと判明したのは、それから一ヶ月後、冬休みとクリスマスの押しせまった師走しわすの半ばのことである。

 涼宮ハルヒの存在を見失ったとき、俺はそれをさとることになった。

このエピソードをシェアする

  • ツイートする
  • シェアする
  • 友達に教える

関連書籍

Close