射手座の日 1

 目の前に暗黒の宇宙空間が広がっていた。

 アイマスクして馬頭星雲に迷い込んだようなくらやみであり、星のかがやき一つ観測できないというシンプルなギャラクシースペースで、はっきり言やきの書き割り背景だ。もうちょっと何か演出があってもいいんじゃないかと思いもすれ、まあ何かと都合があるのだろうこの宇宙空間にも。予算とか技術とか時間とかそういった感じのものがさ。

「何も見えねえな」

 と俺はつぶやいた。さっきからモニタは単なるブラックオンリーのしきさいで、ほとんどディスプレイの故障を疑ってもよさげなふんを俺の目に伝えている。

 この宇宙空間のどこをほうこうしようかと俺が思案していたところ、きよ的な画面上の下部からとつじよとして光点が登場、そのままずんずん前進を開始したため、たまらず俺は意見具申することにした。

「おいハルヒ、もうちょっと下がったほうがいいんじゃないか? お前のかんが前に出すぎだぞ」

 それに対するハルヒの返答はこうだった。

「作戦さんぼう、あたしを呼ぶときは閣下と言いなさい。SOS団団長は軍の階級で言えば上級大将くらいなんだからね。こん中で一番エライの」

 だれが作戦参謀で誰が閣下かと言い返す前に、

「涼宮閣下、敵艦隊にしんな動きがあるとの長門情報参謀からのれんらくです。いかがいたしますか?」

 古泉がじようきようを報告した。ハルヒの回答は、

「かまうこたないわ。とつげきあるのみよ!」

 まったくハルヒらしい指令だが、誰もがそれに従うわけではない。つか、誰も従ったりはしなかった。まともにあいつらとやり合っても種子たねがしま三段ちに立ち向かうたけ軍団のようにズタボロにされるのはわかりきっている。

 朝比奈さんが不安げな表情で片手を挙げ、

「あのう……。あたしはどうしたら……?」

「みくるちゃん、じやだからあなたの補給艦隊はそこらへんを適当にウロウロしてたらいいわ。期待してないから。キョン、あんたと有希と古泉くんで敵の前衛をらしなさい。そしたらあたしがトドメをしに出るからね。おごそかに!」

 誰かこいつを止めてくれと言いたい。

 俺はモニタに目をもどし、SOS団宇宙軍における自艦隊の位置取りをさいかくにんした。〈キョン艦隊〉と名付けられた俺率いる一万五千せきの宇宙戦艦は、ちょうど〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉の真後ろを追撃する形で前線へと進発している。その横に〈古泉くん艦隊〉がずいはんし、一番たよりになりそうな〈ユキ艦隊〉は俺たちのはるか前方でさくてき行動を取っていた。補給艦を引き連れた〈みくる艦隊〉がどこにいるかと探せば、朝比奈さんのおぼつかない操作によって開戦スタート時からめいそうり広げている。

「わー。どっち行けばいいんですかぁ?」

 朝比奈さんは悲鳴に近いこんわくの声を上げて、いつものように困っていた。

 どこでもいいです。俺たちの後ろの方をウロチョロしていてください。画面上のかんていといえども、あなたの名前がかんされたモノが傷物になるのは見たくありませんからね。

 不意に、見つめる画面に変化がおとずれた。〈ユキ艦隊〉が放った索敵艇からの情報が、データリンクされた俺の艦隊にも伝えられてきたのだ。味方艦隊のシンボルマーク以外黒一色だった宇宙空間に、長門のそくした敵部隊の位置情報が表示される。

「下がれ、ハルヒ」と俺は言った。「やつらは艦隊を分散させている。多分、お前の位置をさぐってるんだ。大将は大将らしくしてろ。後ろでふんぞりかえっていればいいんだよ」

「なによう」

 ハルヒはくちびるき出して異を唱えた。

「あたしだけけ者にする気なの? ズルいわそんなの。あたしだってビームやミサイルをピコピコち合ったりしたいのに!」

 俺は〈キョン艦隊〉にそく前進を命じるかたわら、

「いいかハルヒ。お前の旗艦がやられたらその時点で俺たちは負けるんだぞ。見てみろ。突出している敵の艦隊四つはぞうひようどもだ。旗艦艦隊は後方で指令だけしてるんだろうよ。しようやチェスだって王将がお供もなしでてきじんにずかずか上がったりはしないだろう? しかもこんなじよばんにさ」

「それは……そうかもね」

 ハルヒはしぶい顔で、だがどことなく自尊心をくすぐられたような表情をした。俺を見るひとみねこがエサをねだる時のような形をしている。

「じゃあ、あんたたちで何とかしなさい。敵の旗艦を見つけ出してバシバシほうげきするのよ。あんな連中に負けてなるもんですか。勝つのよ。負けたらえあるSOS団の名がすたると言うものだわ。なにより、あいつらが調子に乗るのがまんならないのよね!」

「閣下」

 すかさず古泉がご注進に走った。

「長門情報参謀の〈ユキかんたい〉が敵前衛と会敵しました。これよりせんとう行動に移ります。閣下におかれましては、我々の後方にせんし、全体的な戦術指揮をお願いしたいとこうする所存であります」

 しんけんそうなセリフだが、微笑ほほえみ混じり言われても現実性に欠ける。

「あら、そうなの?」

 ハルヒは古泉のベンチャラにごまんえつとなり、団長席でうでみしながらこしを反らせた。ロクな戦術指揮能力もないのに階級が高いというだけで隊長をやってる士官学校出の若手キャリアのような顔をして、

「古泉ばくりよう総長がそう言うなら、言うとおりにしてあげる。じゃあ、みんな、しっかり働くのよ。ちょこざいなコンピュータ研の連中なんかギッタギタのメッタメタにやっちゃいなさい。ねらうのはせんめつよ。じんに打ちくだくの」

 完全勝利をもくんでいるようなのはモチベーションとしては正しいのだろうが、この宇宙戦には相手のおもわくもあるというのを忘れないほうがいい。敵コンピュータ研だって同じ野望を持って参戦していることだろう。

 そして俺の見る限り、我がSOS団側の勝算は旧日本海軍がレイテおきで米軍に完勝を納める確率よりもなお低いと見積もられる。歴史にifはないが、同数同戦力でリプレイしたとしてもコテンパにやられるのが主だった筋書きになっているにちがいないね。とっとと白旗をげた方がいいんじゃないだろうか。

「ま、そうもいかないんだろうが」

 と俺はうでまくりをして、画面のてきえい情報を再確認した。さすがは長門、旗艦部隊を除いた敵艦の位置をほぼもうするデータを送ってくれている。ここから我が軍を勝利に導くのは、大げさにも作戦さんぼうかたき押しつけられた俺の頭脳としゆわんにかかっているというわけだ。

 どうしたものだろう?

「さて……と」

 俺は刻々と変化するノートパソコンのえきしようを見つめながら、ハルヒ司令官閣下の思惑通りに事態を終える方策を考え始めた。その前に、今このような事態に俺たちが置かれているじようきようを説明しておいたほうがいいかな。混乱する前に考えをまとめることは人生のあらゆるで有益だ。では、そうしてみよう。

 事とだいは、一週間前にさかのぼる。



 ぼうがつ某日の秋の放課後。

 文化祭が終わって数日が過ぎ、学園に静けさがもどっていた。

 てのはありふれた導入部分のじようとうで、早い話が祭前の状態に回帰しただけであるのだが、それにしてもまあ無事に終わってくれただけでも有りがたい気分になっているのは俺だけではないと思いたい。

 真正直に腹の中を打ち明けてくれたわけでもないから正式にはわかりかねるものの、古泉のしようはいつもよりあんの比重がまさっているようだったし、長門のいつもの無表情もそれを裏付けるかのようだ。

 とにかくここ最近、この読書マシーンがぼんやり本読んでる姿を何よりのへいおんしようであると見なすようになっていて、もし長門がみような行動を取り始めたり、ましてやあわてふためいたりするような光景を目にしたならば、俺はそろそろ遺書かじよでんかのどちらかを書く用意をするに違いない。おそらく長門にとって不測の事態なんてものはほとんどないはずだから、こいつが文芸部の部室でのどかに海外SFの原書を読んでいるということは、おそるべき悪夢が間近にせまっているわけではないという確固たる証明と言えよう。

 その一方で、未来から来たとはとても思えないほど過去の事をなんにも知らない美少女ニセメイドさんは、今日も無意味なほう的給仕女性のしようかんぺきにまといつつ、あっつ熱の日本茶を真剣な目と手つきでもってれていた。どこから仕込んできたのか、各種お茶っ葉に対するお湯の最適な温度という知識を入手した朝比奈さんは、かしポットではなくわざわざカセットコンロにヤカンをかけて湯を沸かすようになっている。片手に持つのは温度計であり、そんなもんをフタ開けたヤカンにっ込んでしんちようまなしをしているメイドルックのふわふわ未来人なんてものもここでしか見ることはできまいね。なんかみように間違っているような気もするのだが、間違い探しを始めたらこのSOS団アジトで間違っていないものなどまったくない。何もかもが間違っているからだ。ゆいいつ正常なのは、自分が確かに存在しているというこの俺の意識のみである。いやまったくデカルト様々だ。

 この文芸部室のはずがいつの間にか涼宮ハルヒとその一味の根城になってしまった異空間で、こうも正気を保ち続けている俺は意外にけっこう大物なのかもしれないな。考えてみれば俺以外の連中は最初から変な背後関係を持っているわけだし、団長のハルヒはいつまでってもなぞにまみれた存在で、まがりなりにも常識的な客観性を持っているのは俺だけというこの有様をどう思うよ。

 ボケ四人に対してツッコミ一人とは、いくらなんでも比率がおかしすぎるぜ。せめてもう一人くらい俺の精神ろうを共有するような人間がいてもいいんじゃないだろうか。だいたい俺だってそうそうりちにツッコミ入れるせいへきを持ってないんだぞ。そんな気にならん時だってある。俺だけがこんな責務を負わされるのは不公平だとうらみ節の一つでもうたいたいところだが、かと言って谷口や国木田を巻き込んでやろうとも思わない。気の毒だからではなく、能力的な問題さ。あの二人にハルヒとたいこうできるだけのボキャブラリーと反射神経があるとは思えないし、そういやあいつらとつるさんもどっかボケてるよな。くそったれめ。この世はくるったもん勝ちか。

「うーむ」

 俺は腕を組み、さも難しいことを考えているようなうなり声を出した。別にいま古泉とやっているの次の一手をなやましく思っているからではない。古泉の黒石を大量死に追い込むことはそれほど難易度が高くないのだ。ゲームマニアのくせに全然上手うまくならない古泉といつしよにしてもらっては困るぜ。そうではなく、この世界は本当に正気なのかどうなのかを俺は心配している。なぜなら狂った世界では狂った人間しかまともに生きていけないだろうと俺は推測しているからだ。正気の人間こそがそこではきようおかされていると見なされるだろう。よくもまあ、こんなじんと不条理うずくSOS団部室でつうの高校生をやれるもんだと我ながら感心するね。そろそろだれめてくれてもよさそうなものだ。

「ならば僕が賞賛の言葉をおくって差し上げましょうか」

 古泉は格好だけは様になっている手つきでばんじように石を置き、俺の白石をかすめ取りながら微笑ほほえんだ。所作は一丁前だがな。目先の石ころに注意するばかりでは、数歩進んだところにあるみぞにハマるという近未来が待ち受けていることにえてして気づかないものさ。

えんりよしておこう」

 俺は答え、碁石の容器に指を突っ込んでジャラジャラ言わせつつ古泉のまるで本心から俺をたたえているような表情をながめ返し、さほどの喜びを得られることもなく無気力に言った。

「お前に誉められてもうれしかねえよ。何か裏があるんじゃないかとかえって不安になるだけだ。言っておくが、俺はゲームのこまじゃないんだからな。お前たちの思うとおりに動くと思ったらおおちがいだ」

「その『お前たち』というのが、どの僕たちなのかお聞きしたいところでもありますが、とんでもありませんよ。涼宮さんもあなたも、まったく予測できないことをしでかしてくれますからね。僕がここにいるのが一つの確かな証明でしょう」

 もしも、古泉が転校してくるようなことがなければ、ハルヒはこいつをSOS団の一員にしようとは思わなかっただろう。あいつにとって必要だったのは「古泉一樹」という人間の性別や性格やひとがらやルックスではなく、単に転校してきた、というただそれだけの理由だ。変な時期にあわてて転入してきたのが運のつきだったな。あるいはハルヒに近づくためにわざと転校してきたのかもしれないが、いちおうハルヒが探し求めるところのちようのうりよくしやであるこいつからしたら、いつチェレンコフ放射を始めるか予測不能な放射性物質の近所にいるようなものだろうし、ヘタに近づきたくなかったというのが本音かもしれん。

「それは過去形ですよ」

 古泉はつまんだ碁石を見つめて、

「あの当時は確かにつかずはなれずかんするだけにとどめておく予定でした。ですから涼宮さんが最初に僕の所をおとずれて、その日の放課後にこの部屋へと連れてこられたときはきもを冷やしましたよ。おまけに活動目的が宇宙人未来人超能力者をつかまえて一緒に遊ぶことなどと宣言されましたしね。もう笑うしかありませんでした」

 なつかしそうに思い出を語る古泉だった。

「ですが今は違います。僕はかつて謎の転校生だったかもしれませんが、その属性は現在の僕から失われています。涼宮さんはそう考えているでしょうね」

 じゃあ何だ。俺にしてみれば、お前はまだまだ謎だらけだぜ。

 古泉は部室を見回し、せまい場所を好むねこのようにすみっこのに座って読書にふける長門を見て、次にヤカンとにらめっこをしている朝比奈さんを見つめてから、視線を一周させてもどってきた。

 ハルヒの姿はない。クラスのそう当番に当たっているからであり、そうでなければ俺と古泉がこんな会話をのんびりやってるはずもない。

 その団長不在の部室で、古泉はをした小鳥をりようしようとしているベテランじゆうのようなみとともにこう言った。

「僕も長門さんも朝比奈さんも、それから当然あなたも、今や立派なSOS団の一員です。それ以上でも以下でもないのですよ。涼宮さんは、そのように考えているはずです」

 SOS団の団員以上および以下という分類に何の意味があるのだろう。

「意味はありますよ。宇宙人や異世界人といったいつぱん人類外の存在が団員以上、団員以外の一般人類が団員以下です」

 谷口や国木田、鶴屋さんや俺の妹は団員以下なのか。あいつらや鶴屋さんをかばうわけではないが、連中が俺以下の存在価値しかないってのをだまってうなずくのは心が痛むぜ。

「非常に簡単な論理です。彼らが涼宮さんにとって重要な存在として目されているのなら、彼らは我々の一員としてここに居るはずです。いない、ということはすなわち、彼らは涼宮さんにとって重要でない、つまり単なる通りすがりの一般人である証明なのです。まったくね、結果論ほど論証が楽な論理もありません」

「異世界人はどうした。まだ来てないのか」

「結果論的に、今のこの世にはいないのでしょう。いたなら、何らかのぐうぜんなり必然なりによってこの部屋に呼ばれているでしょうから」

「来なくて幸いだ。違う世界なんぞに行きたくねえよ」

 俺が白石をり下ろして古泉の大石をとんさせるのと、勝敗の見えてきたばんの横に湯飲みが置かれるのが同時だった。

「お待たせしちゃって、ごめんなさい。お茶です」

 弱小校の野球部を就任一年目にして地区大会優勝に導いたかんとくのような笑みをかべて、朝比奈さんがすぐ横に立っていた。

かりがねっていうのを買ってみたんです。うまくれることができたと思うけど……。高かったんですよぅ?」

 自腹を切らせてしまって申しわけない。代金は後でハルヒにせいきゆうするべきでしょう。いやまあ、そこまで茶葉にらなくても、朝比奈さんのが差し出すものなら水道水でも俺にはエビアン以上の品質です。

「うふ。味わって飲んでね」

 すっかりメイドしようぞくが板についてきた朝比奈さんは、古泉の前にも湯飲みを置くと、慣れた所作でぼんかかげ持ったまま、残った湯飲みを長門の元へと運んでいった。

「…………」

 いつものように長門は無感想だが、朝比奈さんからしたらなおに礼を言われるより何も言われないほうが安心するらしい。今に至るもSOS団の宇宙人と未来人が仲良く会話する光景は見たことがなく、というか長門がだれかと楽しげにしやべっているシーンなんかいまだにない。まあ、それはそれでいいんだと思う。いきなり長門がじようぜつになってもビビっちまうし、ハルヒ並みの「お前口さえ開かなけりゃあな……」なんていう女になってしまうのも少々しい。

 黙ってて問題のないやつは、やっぱり黙っていたほうがいいものさ。



 そうやって碁を打ちながらのんびり茶をすすっていると、この世にはこびる悪の存在を忘れそうになってくる。しかし、そんな小市民的平和は長く続かず、やつかいごとはまるでぼうきやくされるのをおそれるがごとく周期的に訪問してくるのだった。

 ノックの音がした。俺は顔を上げ、傷だらけで安っぽいとびらながめてから心の準備を開始する。何故なぜかって? 部室内でまんぜんと過ごしているメンツはハルヒを除く四人の団員たちである。そしてハルヒはノックをするなどというしゆしようこうから最もかけはなれた位置で高笑いしているようなヤツだ。つまりこのノックの主はハルヒではなくSOS団の誰でもないのだから、それ以外の第三者だということになる。誰かは知らないが、どうせ何らかのやっかいごとを提供するためにここを訪問して来たに違いないという推理がたちどころに成り立つではないか。いつぞやのみどりさんみたいにさ。

「はぁい、ただいま」

 うわきを鳴らしながら朝比奈さんが応対に向かう。すっかりこなれてきた動作であり、メイドであることに自分でも何ら疑問を覚えていないようであった。いいこと……なんだろうか。

「あっ?」

 扉を開いた朝比奈さんは意外な人物を見たようだ。軽く目を見開いて、

「どうぞ……。お、お入りになります?」

 朝比奈さんは二歩ほど後ずさって、なぜか両手で胸をかくすような仕草をする。

「いや、ここでいい」

 と、訪問者がややきんちよう気味の声で返し、開いたドアから首だけをばして室内をあらためるようにうかがった。

「団長さんは不在か……」

 押し隠すあんいろにじみ出る声を出したのは、なんとなくみになりつつあるりんしつの主、コンピュータ研の部長であった。



 誰も動かないのでまたしても俺が窓口になることになる。朝比奈さんは棒立ちだし、古泉は微笑ほほえんだまま上級生を見つめているだけ、長門は本しか見ていない。

「なんでしょうかね」

 いちおう上級生だ。敬語まじりで話してやるのが筋だろう。俺は立ち上がり、朝比奈さんをかばうようにして前に出た。ん? 部室のしきまたごうとしないコンピュータ研の部長、その後ろに数名の男子生徒たちが先祖代々じようぶつに失敗したはいれいのように群がっている。どうした、ち入りの季節にはまだ早いぞ。

 部長氏は進み出てきたのが俺だったことにホッとしたのか、うすら笑いを浮かべるゆうが出てきたようで、いくぶん背筋を反らしつつ、

「まず、これを受け取って欲しい」

 何のつもりか、一枚のCDケースを差し出してきた。受け取るも何も、コンピュータ研が俺たちに善意からなるプレゼントをくれるはずはないから、俺は当然のように疑いのまなし。

「いや、決してぶつそうなものではない」と部長。「中に入っているのはゲームソフトだ。僕たちのところが開発した、オリジナルのものだよ。この前の文化祭で発表してたんだけど、見なかったのかな」

 悪いがそんなヒマはなかったね。文化祭で俺がいつまでも覚えていたいおくは、軽音楽部のバンド演奏と朝比奈さんの焼きそばきつしようくらいのものだ。

「そうか……」

 部長は気を悪くしたわけでもないようだがかたを落とし気味にして、「展示場所が悪かったかな……」とつぶやいた。用件が世間話ならさっさと終わらせて帰ったほうがいいぞ。こんな所にハルヒが現れたら、どんなめ事に発展するかわかったもんじゃない。

「もちろん用件があって来たんだ。でも、まあ手短にしたほうがいいような気もする。では、言うぞ!」

 部長が何やらあせばみながら言う姿に、背後霊集団もぜんとした表情でうなずいた。とっとと終わらせて欲しい。

「ゲームで勝負しろ!」

 部長は裏返った声でさけび、再びCDケースをきつけた。

 何でまたコンピュータ研と俺たちがそんなもんで対戦しなくてはならないんだ? 遊び相手に不自由しているんなら、もっと別の部室に行ったほうがいいとろうしんながら申しえたいところだ。

「遊びじゃない」

 部長氏はてつていこうせんするつもりのようで、

「これは勝負だ。けるものだってちゃんとあるぞ」

 ならば古泉を差し出そう。コンピュータ研の部室で心ゆくまで勝負してくれたらいい。

「そうじゃなくて、キミたちと勝負したいんだよ!」

 たのむから、そう勝負勝負と言わないでくれ。ハルヒのごくみみがどこで聞いているか解らない。万一、あのこんきよ不明の自信家がその単語を聞きつけたら──、

「うりゃあっ!」

「げふをっ」

 かいなセリフをきつつ、部長の姿がだれかにばされたように真横にすっ飛んで視界から消えた。

「わ!?」「部長!」「だいじようですか!」

 数秒ほどおくれて、部員たちが口々に叫びながらろうに横たわる部長氏に取りすがり、俺はゆるやかに視線を横向ける。

「あんたたち、何者?」

 らんらんと光るひとみをコンピュータ研の部員たちに向け、いい形をしたくちびるを大いに笑わせているその女こそ、涼宮ハルヒにちがいない。

 部長氏にやみち同然のドロップキックをかまし、自分はあざやかな着地を決めておいての勝ちほこった顔である。

 ハルヒは耳にかかったかみを見せつけるかのようにはらいのけ、

「悪の集団がついに来たのね。あたしのSOS団をじやに思う秘密組織か何かでしょう。そうはいかないわよ。暗い闇を照らしてじやあくを根絶やしにするのが正義の味方の使命なんだからね! ザコはザコらしくワンショットで消えなさい!」

 てんとうひように頭を打ったらしい部長氏は、「ううう」とかうめいて配下の部員たちにかいほうされつつ心配させている。ハルヒの口上を聞いていたのは、どうやら俺一人のようだ。

「なあ、ハルヒ」

 高校入学以来もう何度目か解らないが、言い聞かせるような声で語りかける。

「蹴りを入れるのは話を聞いてからでもよかったんじゃないか? おかげで、見ろ。俺も彼らもどうしていいか解らんじゃないか。ゲームで勝負──、までしか俺は聞いてないぞ」

「キョン、勝負事なんていうのはね、言い出したその時から勝負なの。宣言イコール宣戦布告なわけ。敗者が何を言おうとそれはイイワケよ、勝たないと誰も聞く耳持たないわ」

 ハルヒは仕留めたけものの検分をする狩人かりゆうどのように部長氏に歩み寄り、失礼にも失望の声を上げた。

「なによ。おとなりさんじゃん。どうしてこんなやつらがあたしにケンカ売りに来たわけ?」

 だから今まさにそれを説明してもらうところだったんだよ。機会をあたえず横合いから不意をついたのはお前だ。

「だってさ」とハルヒは唇をとがらせて、「てっきり生徒会が部室の明けわたせいきゆうに押しかけたのかと思っちゃったのよ。そろそろ来るころいかなあって計算してたのに。まったく、ややこしいことしないでよね」

「だとしてもキックしていいことにはならんだろ」

 俺がハルヒをいさめようとしていると、

「そう言えばそのイベントがまだでしたね……」

 いつの間にか戸口に立っていた古泉がひょっこり廊下に登場し、考え込むような顔をしやがったのでそのつまさきんづける。余計なことを口走るんじゃない。

「うう……きようなり、SOS団……」

 呻き声をらしながら部長氏はようやく立ち上がった。わきから部員たちに支えられて、

「と、とにかくっっ、勝負はしてもらう。どうせ言葉は通じないだろうと思って、文書を作成してきたんだ。これを読めば勝負の内容はよく解るだろう」

 部員の一人がコピー用紙の束とCDケースを、野生のライオンに生肉を与えようとしているような手つきで持ち上げており、

「ご苦労様です」

 にこやかに受け取ったのは古泉だった。

「それで、ゲームはいいのですが、説明書も付属しているのですか?」

 別の部員はまた紙束を持って古泉に押しつけた。そして小声で、

「部長、用はすみました。部室に帰りましょう」

「うん、そうしよう」

 弱々しくうなずき、

「では、そういうことで──」

 用件をちゆうはんに告げ、そそくさ帰ろうとした部長氏の首根っこはハルヒの手によってむんずとつかまれた。

「ちゃんと説明しなさいよ。文章でごまかそうったってそうはいかないんだからね。このあったま悪いバカキョンにもわかるようにセリフで解説するように!」

 バカはだれのことだ。

 あわれ、このようにして部長氏は文芸部室へと引きずりこまれることになった。残されたコンピュータ研部員たちがこうの声を上げるヒマもなければ救助する手だてもなく、そしてとびらざされた。



 文化祭というハレの時期が過ぎ、年がら年中ハレ真っさかりのハルヒとは違って、全校規模ではすっかりケとなる日常に回帰したと思っていたのだが、どうもコンピュータ研もハレな気分を持続させていたようだ。しかし現在パイプに座らされて単身オドオドしている部長氏の姿は、まるでダンジョンの最深部でパーティからはぐれたあげくリビングデッドの群れに取り囲まれたMPゼロ状態のしろじゆつのそれであった。同じようにオドオドしている朝比奈さんがれたお茶にも手を付けず、ハルヒによってじんもんを受けている。

 簡単にまとめさせてもらおう。

 部長氏の要望は以下の通りである。


1.コンピュータ研自作の対戦ゲームで勝負しようではないか。

2.我らが勝てば、現在SOS団の机にちんしているパソコンは、晴れて本来あった場所にかんを果たすことになる。

3.だいたいだな、SOS団に多機能型パソコンは不り合いである。コンピュータはコンピュータ研にあってしかるべき機材であり、強く返還を求めるだいである。

4.パソコンごうだつ時に部長および部員たちが負担した精神的苦痛は、この際だから忘れてもいい。いや、忘れたい。おたがい忘れよう。

5.以上のような理由により、キミたちは我々と戦わねばならない。……戦え。


 古泉から回ってきた紙束に、こんな感じのことが解りにくい上に読みにくい文体で細々と書いてあった。じようと果たし状をねているらしいが、ていねいに印字された文章も俺がざっと目を通すだけで、ハルヒはじかに部長氏から聞き出していた。早い話が、

「使ってないんだったら、パソコン返せよ」

 部長氏は言った。その言葉に対し、ハルヒは心外そうに答える。

「あたしは使ってるわよ、きちんとね。この前の映画もこれで編集したのよ」

 やったのは俺だが。

「ホームページも作ってたし」

 それも俺がやった。ハルヒがパソコン使ってしたことと言えば、ひまつぶしのネットじゆんかいと落書きみたいなシンボルマークをいただけだろうが。

「そのホームページだって、半年ってもインデックスしかないじゃないか。もう何ヶ月もこうしんの気配すらない」

 部長氏はふくれつらである。なんとまあ、彼は定期的にあのしょぼいサイトをおとずれてアクセスカウンタを回してくれる常連らしい。なるほど、カマドウマの時のアレはそのせいであったようだな。我々がパソコンを活用しているかどうかが、よほど気になっていると見える。

「でもあたしがちようだいって言った時、あげるって答えてたじゃないの。キョン、あんたも覚えてるでしょ」

 そうだっけ。朝比奈さんがへたり込んでいるシーンはまざまざとのうよみがえるが、部長のコメントまで注意してなかったよ。仮に言ったのだとしても、あの時の部長氏は心神こうじやく状態だったろうから取引は無効なんじゃないかな。

「断固、抗議する」

 部長氏は本気らしい。うでを組んで口を結ぶその表情にはせいいつぱいの強がりがいている。半年経ってあきらめも付くと思いきや、だんだんいかりがぶり返してきてたようだ。

 ふーん、とハルヒは微笑ほほえみながらうなずいた。

「まあいいわ。そんなに勝負したいんならしてあげようじゃないの。こっちがけるのはパソコンね。それで、そっちは何を賭けるの?」

「何って、そのパソコンだよ。僕たちが負けたら、それはキミたちの物にしておいて構わない」

 ハルヒは平然と言い放った。

「これはとっくにあたしたちの物になってるわよ。元からある物をもらったってあんまりうれしくないわ。別の物を持ってきなさい」

 不覚にも、この言いぐさに俺は感動すら覚えた。何であろうといったん手にした物の所有権は自分に帰属するらしい。将来、どろぼうにでもなるつもりだろうか。

 しかし部長氏は怒り出すどころか、引きつったような笑いを作り、

わかったよ。キミたちが勝てば、新たに……そうだな、パソコンを人数分、四台しんていしよう。ノートタイプのやつでいいかな?」

 自ら賭け金を釣り上げることを言い出した。これにはハルヒもきよかれたようで、

「え、いいの?」

 座っていた団長机からぴょんと飛び降り、部長氏の顔をのぞき込んだ。

「ホントね? ちゆうでやっぱやめ、なんて言うのは許さないわよ」

「言わない。約束する。血判状でも持ってくるがいい」

 あくまで強気の部長氏であり、俺はなるほどと思う。

 さっきから長門がつまんでぎようしているCDの中身がどんなゲームなのかはまだ知らないが、制作側だけあってとことんやりくしているのだろう。コンピュータ研がハイアビリティなゲーマーぞろいかどうかは置いといて、素人しろうとのSOS団のメンツなどいつしゆうできると考えているにちがいない。俺もそう思う。まともにやり合いさえすれば、何の勝負でも俺たちが勝利するとは考えにくい。前に野球で勝った時は長門のあり得ざる秘力のたまもので、我々の実力ではないのだ。

 だがそれを解っていないやつが一人いた。

「あんたんとこ、女子部員いないでしょ?」

 ハルヒが不思議なことを言い始めた。

「いないけど、それで?」と部長氏。

「欲しい? 女の部員」

「……いーや、別に」

 精一杯のきよせいを張る部長氏だった。ハルヒは悪い置屋の女主人みたいなみで口元をニマニマさせて、

「もしあんたたちが勝ったら、このをコンピュータ研に進呈するわ」

 と、指さしたのは長門の顔だ。

「女の子欲しいんでしょ? 有希ならきっとそくせんりよくになるわよ。物覚えはよさそうだし、この中で一番なおだしね」

 このアホウ、何を提案しやがるんだ。相手がパソコン四つを賭けているのに、こっちが一台では不り合いだと考えているのか。だがパソコン四台と長門ではスペックに開きがありすぎるぞ。お前は知らないかもしれないが。

「…………」

 景品あつかいされているのに、長門は平気のへいをしている。あまり動かない目がいつしゆん俺をかすめ、ハルヒを通りしてコンピュータ研部長の顔をじっと見つめた。

 部長氏は明らかなどうようの表情でたじろぎながら、

「いやぁ……でも……」

「なに? みくるちゃんのほうがいいって言うの? それともパソコン四台では不釣り合い? んじゃ、副賞としてウチが勝ったらあんたんとこの部を『北高SOS団第二支部』に改名しなさい」

「あ……ええと……その、」

 ハルヒの言葉に朝比奈さんが口元を押さえて立ちすくみ、

「お前が賞品になれ」

 俺はふんぜんとハルヒに立ち向かった。

「いつまでも長門や朝比奈さんを備品扱いしてるんじゃねえぞ。賭けるなら自分の身体からだを賭けたらいいじゃねえか。勝手なことをかすな」

「何言ってんのよ。神聖にしてしんしようちようたる存在、それがSOS団団長なの。もはや団そのものと言っても決してきよげんではないわ。あたしは『これだっ!』って思う人以外にこの職をゆずるつもりはないわよ」

 お前は卒業後もここに居座るつもりか。

「それにね、だれであろうとも自分自身と等価こうかんできるモノなんか、この世のどこを探しても見つかったりはしないのよ!」

 ハルヒはじんな物言いであっさり俺のこうげきをかわし、無言の長門と言葉を消失した朝比奈さんをこうに指さして、なおも部長氏にせまった。

「で、どっちがいいわけ?」

 そして俺を横目で見ながら言い足した。

「どうしてもって言うんだったら、まあ、あたしでもいいけどさ」



 さすがに部長氏はハルヒのたわごとに乗ることはなかった。注意深く目線を追っていた俺の観察結果によると、どうも長門のあたりでしばしのしゆんじゆんがあったようだが、わかるような気もするね。

 彼は朝比奈さんの胸をわしづかみにするというたくけいあたいする前科を背負っており、その犯罪こうの相手を指名する度胸はないのだろう。それに谷口によると長門はけっこうなかくれ人気者であるらしいので、彼のしゆが無口系読書少女にがつしていた可能性もある。朝比奈さんではおくれしすぎるからというのが理由の一つであるかもしれないが、だからと言ってこつに「女子部員が欲しい」などと表明しないだけのつつしみも彼は持ち合わせていたようで、まあまあ当たり前の結果だ。

 ああ、ハルヒ? すっかり性格の知れわたった今や、こいつを指名するような男は真性のマゾかよほどの変わり者なのさ。でもってハルヒ以上に変わってもいないと思われる。だから俺も安心してほうっておけるというものだ。



 かくして、戦いのたいが整えられた。

 いったん文芸部室から出て行った部長氏は、手勢を引き連れてもどってきた。彼らの手の内にあるのはノート型パソコンで見間違えようもない。賞品のまえばらいとは気前がいいと思っていたら、このゲームには一チームにつき五台のパソコンが必要なのだという。コンピュータ研なのか電気配線業者なのか解らないようなびんさで、連中はハルヒようたしデスクトップと四つのノートパソコンをLAN接続し、次々と自家製ゲームソフトをインストールしていった。その会話のはしばしから、試合内容は五対五でやるオンライン宇宙せんとうシミュレーションだということが解った。ようするにSOS団側の五台、コンピュータ研側でも五台のパソコンを用意、その全部を一つのサーバにくっつけて対戦するようだ。俺たちは俺たちの部室で、彼らは彼らの部室のパソコンを使って。

 もちろんサーバとなるコンピュータは彼らの部室にあるわけだ。ふむ。なるほどね。

「練習期間は一週間もあればいいだろう」

 部長は部員たちの器用な動きを得意げにながめながら、

「一週間後の午後四時にスタートだ。それまでにうでみがいておくことだね。あまりに弱いとひようけするからな」

 勝った気でいるようだったが、それはハルヒも同じ事だ。新しい備品が増えて笑いが止まらないような顔をしている。

「うん、サブノートが欲しいと思い始めていたのよね。やっぱパソコンは団員の数だけあるべきだわ。設備投資は働く者のモチベーションを上げるためにも重要なことよ」

 ノートパソコンでかいじゆうされちまうほど俺のモチベーションは安っぽくはないぜ。くれると言うならもちろんもらうけどな。

 俺はすっかり冷めてしまったお茶を飲み、さりげなく長門の表情をかいた。朝比奈さんとかべぎわに並んでコンピュータ研部員たちの作業を見守っている無表情な顔には何も変化が感じられない。いつもの落ち着きようだった。

 やつら作製のゲームだ。まさかとは思うが、あやしいウイルスが仕込まれてないとも限らない。もしそうなら長門もだまってはいないだろう。その辺のことは任せておいていいな。コンピュータ研がどんなうらわざを使おうと、長門の裏をかくのはそう簡単な事じゃないんだぜ。

 飲み干した湯飲みをもてあそんでいると、朝比奈さんがささっと近寄ってきた。

「キョンくん、これ……何をすることになるの? あたしはあまり、その、き、機械にはうといんですけど……」

 こんわくの顔でどんどん増えつつあるコード類に目を落としている。そこまで困り果てることはありませんよ。

「ゲームですから、適当に遊んでおけばいいんですよ」

 そう言ってなぐさめた。実のところ、それは俺の本心である。もし本当に長門や朝比奈さんをけての勝負なら俺も本気の力を見せるにいつぺんちゆうちよもないが、ハルヒがパクったパソコンを返す返さないの問題なら話も別さ。コンピュータ研の出してきた条件は、俺にとってノーリスクハイリターン。それだけのハンデと自信の差が俺たちと彼らの間にあるってことでもあるな。

「負けてもともと、勝ったらバンザイの世界ですよ。今度ばかりは、ハルヒにも四の五の言わせたりはしません」

 はっきりと俺は言い切り、朝比奈さんの不安をいつそうしてあげるために笑いかけてもみた。

「でもぅ、涼宮さんが……。とても張り切っているみたいですけど」

 説明書らしきコピー紙を手にした古泉を横にはべらせ、コンピュータ研のてつしゆうを待たずにハルヒは早くも団長机に着いてマウスをにぎりしめていた。



 なぜか満足げな顔で部長氏以下、となりの部員たちはほこらしげに出て行った。さぞ腕のるいがいがあったと見える。

 その後、しばらくそれぞれのパソコンで動作かくにんなどをしていたが、そろそろも暮れるということで今日はお開きとなった。

 その帰り道、五人で集団下校しているときの俺と古泉の会話である。坂道を下る女三人組と数メートルのきよを置き、話しかけたのは俺のほうだった。

「ここいらでふういんしたほうがいいんじゃないかと思うセリフがあるんだ」

「ほう。何でしょうか」

「当ててみろ」

 古泉はほのかなしようくちびるにたたえつつ、考え込むふりをしたのもいつしゆんで、

「僕があなたの立場だったとして、らんようけたいと思えるセリフはいくつもありませんね。候補としては無言での『……』か、『いい加減にしろ』なども有力ですが、やはりこれしかないのではありませんか?」

 俺が黙っていると、古泉はたゆまぬしようとともに解答を発した。

「やれやれ」

 サービスのつもりかかたをすくめて両手をあげるジェスチャー付きだ。古泉はヒラヒラと手を動かしながら、

「あなたの気分もよくわかりますよ」

 解られてたまるか。

「いえいえ。できる限りマンネリな心境におちいるのはかいしたいという思いが働いているのでしょう? 同じリアクションばかりしていては、他人はどうか知らないとしてもあなた自身にきが来る。何度もり返しプレイしてとっくに味わいくしたゲームをもう一度やり直そうという気にならないのと同じです。あなたは飽きることをおそれているのですよ。涼宮さんと同じようにね。ちがうのは彼女はどうしても自らの行動を主体として考えているのですが、あなたはそんな彼女の行動を受けて初めて反応を考えなければならない点です。さあ、これはいったいどちらの立場が楽なのでしょうね」

 何をぶんせきみたいなことを言ってやがる。俺の精神状態をとってつけたようなくつで補完しようとするんじゃねえぞ。だいたいそんなことを言い出せば、言ってるお前はどうなのさ。古泉だってハルヒの行動にひたすら受け身を取っているだけじゃないか。

「僕たちは僕たちで、主体性を持ってここにこうしているのですよ。お忘れですか? 僕や長門さん、朝比奈さんは主義主張こそ違え、ほぼ同一の目的でここにこうしているのです。言うまでもなく、涼宮さんのかんという最重要な課題を持ってね」

 そういうわけでただ一人何の目的もなくSOS団に引きずりこまれた俺だけが、ワケもわからず右往左往するハメになっているという様相をていしている。まったく、だれこんたんなんだ。

「僕が知るわけはないでしょう」

 古泉は楽しげに俺と目を合わせていた。

「観察対象という身分で言えば、涼宮さんだけではなく、今はあなたもそうなのですから。これからあなたと涼宮さんが何をやってくれるのか、せんせんきようきようとしながらも、僕はなんとなく豊かな心をはぐくませてもらっています。これは感謝しておいてもいいでしょうね。いやじようだんきでね、有りがたいことだと思いますよ」

 他人ひとごとなれば、そりゃ見てても楽しいだろうさ。

 文化祭を機に正気を取りもどしたのか、季節を表現する山からの風もなんとなく冷たい秋の風味をともなっていた。俺が好きになれない季節である。これから寒くなる一方かと思うと、ハルヒのぼうぎやくのほうがいくらかマシに思えてくる。

 すでに暗い道を歩くその前方で、一人でしやべっているハルヒと時折相づちを打つ朝比奈さん、登下校時は歩く以外の機能を持たないような長門がひとかたまりになっている。長門のかばんがふくれているのは、あてがわれたノートパソコンが入っているからだ。そんな物を持って帰ってどうするのかという俺の問いに、長門はゲームCDを鞄の底にすべり落としながら「かいせきする」と答えてくれた。そのかげぼうを見ているうちに言うべきことを思い出す。

「ところで古泉。俺から提案が一つばかしあるんだが」

「それはめずらしい。はいちよういたしましょう」

 念のために声をひそめて言うことにする。

「今度のコンピュータ研とのゲーム勝負のことだけどな、とりあえずインチキをするのはやめておこう」

「インチキとは何を指しての言葉でしょうか」

 古泉も小声で聞き返す。

「野球の時に長門が使ったようなアレのことだ」

 忘れたとは言わせないぞ。

「最初にお前に言っておく。仮にお前がシミュレーションゲームを有利に進めるようなちようのうりよくがあったとしても使うんじゃない。超能力じゃなくてもいい、どんな手段でも、ルールに外れるようなギミックを使うことは俺が許さん」

 古泉は微笑みながらもさぐるような視線を俺に向け、

「それはまた、どういうおもわくがあなたにあるからですか? 我々が負けてしまってもいいと、そうおっしゃるのでしょうか」

「そうさ」

 俺は認めた。

「今回ばかりは宇宙的あるいは未来的、または超能力的なイカサマわざふういんだ。まっとうに戦って、まっとうな結末をむかえる。それが最適な手段だろう」

「理由を問いたいですね」

「負けても失う物はとうひんのパソコンだけだ。それも元の持ち主の所に帰るだけだからな。俺たちは別に困らん」

 返す前に朝比奈画像集をどこかに移す必要はあるだろうが。

「僕がお聞きしたいのはパソコンのについてではありませんよ」

 古泉はおもしろそうな口調で、

「あなたもご存じのように、涼宮さんは何かに負けることが好きではないのです。どうにもならない、これは負けそうだ、と感じるとへい空間を生み出して人知れず大暴れさせてしまうほどにね。それでもいいと思うのですか?」

「かまやしないね」

 俺はハルヒの後ろ姿をながめていた。

「いくらあいつでも、そろそろ学んでもいいころだ。そうそう何もかも思い通りになってたまるか。ましてや今回はハルヒが言い出したことじゃねーし、それほどの意気込みがあるわけでもないだろう」

 超常能力封印を明日にでも長門に伝えないとな。朝比奈さんにも言っておくか。自ら機械オンチを告白してきた彼女に格別な能力やアイテムがあるとは想定しにくいが、ま、これも念のためだ。

 古泉が小さく笑い声をらした。何のつもりだ、気色悪い。

「いえ、おかしかったからではありません。うらやましくなったものですから」

 俺のどこにせんぼうを感じたと言うんだ。

「あなたと涼宮さんの間にある、見えざるしんらい関係に対してですよ」

 何のことやら、さっぱりだね。

「しらばっくれるつもりですか。いえ、あなたにもわかっていないかもしれませんね。涼宮さんはあなたを信頼し、あなたもまた彼女を信頼しているということですよ」

 勝手に俺の信頼先を決めるな。

「一週間後のゲーム勝負に負けたとします。しかし、そこで涼宮さんが閉鎖空間を生み出したりはしないだろうとあなたは思っている。そのように信頼しているからです。また、涼宮さんはあなたならゲームを勝利に導くだろうと信じている。これも信頼です。彼女が団員のがらけようかと言い出したのは、負けるはずがないと確信しているからですよ。決して言葉に出したりはしませんが、あなたがた二人は理想形と言ってもいいくらいの信頼感で結びついているんです」

 俺はちんもくもぐり込んだ。返す言葉がなかなか思いつかないのはなぜだろう。古泉の推測が俺の心の的に高得点でき立ったからか? 信頼うんぬんは専門家に任せるとして、確かに俺はハルヒが精神世界で暴走をり広げるとは思っていない。それはこの半年間をり返ってみればいいことだ。SOS団設立から映画さつえいまで、色んなことがあって様々なことが俺たちの前を通り過ぎた。俺自身それなりに成長したつもりだし、ほぼ同様の経験をしているハルヒだってそうだろう。でなけりゃあいつはぶっちぎりに本当のアホだ。取り返しようがないほどの。

ためしてみる価値はある」

 ようやく俺は言葉をつむぎ上げた。

「コンピュータ研とのゲーム対戦で負けて、それでハルヒがけったくそ悪い灰色世界を生み出すようなことがあれば、今度こそお前たちの事情なんか知ったことか。ハルヒといつしよに世界をこねくり回してろ」

 古泉は微笑ほほえみだけをかべていた。そしてさも当然のようにこう言った。

「それが信頼感というやつですよ。僕が羨ましくなる理由が解りましたか?」

 俺は答えず、ただ歩くことだけに集中した。古泉はなおも何かを言いたげな顔をしていたが、聞く耳を持たない俺の様子を感じ取ったのか、とうとう何も言わなかった。

 まあいい。古泉が思わせぶりな顔をするのには慣れっこだ。朝比奈さんが部室でメイドの格好をしていたり、ハルヒがいつだって裏付けのない自信に満ちあふれているのと同じくらいつうのことである。

 そして長門がいるのかいないのか解らないはくな存在感しか持たないのと同様……とも表現したいところだったのだが──。


 一週間後の対コンピュータ研戦の場で、俺は思わぬ光景を目にすることになった。

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