目の前に暗黒の宇宙空間が広がっていた。
アイマスクして馬頭星雲に迷い込んだような暗闇(であり、星の輝(き一つ観測できないというシンプルなギャラクシースペースで、はっきり言や手(抜(きの書き割り背景だ。もうちょっと何か演出があってもいいんじゃないかと思いもすれ、まあ何かと都合があるのだろうこの宇宙空間にも。予算とか技術とか時間とかそういった感じのものがさ。
「何も見えねえな」
と俺は呟(いた。さっきからモニタは単なるブラックオンリーの色(彩(で、ほとんどディスプレイの故障を疑ってもよさげな雰(囲(気(を俺の目に伝えている。
この宇宙空間のどこを彷(徨(しようかと俺が思案していたところ、虚(無(的な画面上の下部から突(如(として光点が登場、そのままずんずん前進を開始したため、たまらず俺は意見具申することにした。
「おいハルヒ、もうちょっと下がったほうがいいんじゃないか? お前の旗(艦(が前に出すぎだぞ」
それに対するハルヒの返答はこうだった。
「作戦参(謀(、あたしを呼ぶときは閣下と言いなさい。SOS団団長は軍の階級で言えば上級大将くらいなんだからね。こん中で一番エライの」
誰(が作戦参謀で誰が閣下かと言い返す前に、
「涼宮閣下、敵艦隊に不(審(な動きがあるとの長門情報参謀からの連(絡(です。いかがいたしますか?」
古泉が状(況(を報告した。ハルヒの回答は、
「かまうこたないわ。突(撃(あるのみよ!」
まったくハルヒらしい指令だが、誰もがそれに従うわけではない。つか、誰も従ったりはしなかった。まともにあいつらとやり合っても種子(島(三段撃(ちに立ち向かう武(田(騎(馬(軍団のようにズタボロにされるのは解(りきっている。
朝比奈さんが不安げな表情で片手を挙げ、
「あのう……。あたしはどうしたら……?」
「みくるちゃん、邪(魔(だからあなたの補給艦隊はそこらへんを適当にウロウロしてたらいいわ。期待してないから。キョン、あんたと有希と古泉くんで敵の前衛を蹴(散(らしなさい。そしたらあたしがトドメを刺(しに出るからね。厳(かに!」
誰かこいつを止めてくれと言いたい。
俺はモニタに目を戻(し、SOS団宇宙軍における自艦隊の位置取りを再(確(認(した。〈キョン艦隊〉と名付けられた俺率いる一万五千隻(の宇宙戦艦は、ちょうど〈ハルヒ☆閣下☆艦隊〉の真後ろを追撃する形で前線へと進発している。その横に〈古泉くん艦隊〉が随(伴(し、一番頼(りになりそうな〈ユキ艦隊〉は俺たちの遥(か前方で索(敵(行動を取っていた。補給艦を引き連れた〈みくる艦隊〉がどこにいるかと探せば、朝比奈さんのおぼつかない操作によって開戦スタート時から迷(走(を繰(り広げている。
「わー。どっち行けばいいんですかぁ?」
朝比奈さんは悲鳴に近い困(惑(の声を上げて、いつものように困っていた。
どこでもいいです。俺たちの後ろの方をウロチョロしていてください。画面上の艦(艇(といえども、あなたの名前が冠(されたモノが傷物になるのは見たくありませんからね。
不意に、見つめる画面に変化が訪(れた。〈ユキ艦隊〉が放った索敵艇からの情報が、データリンクされた俺の艦隊にも伝えられてきたのだ。味方艦隊のシンボルマーク以外黒一色だった宇宙空間に、長門の捕(捉(した敵部隊の位置情報が表示される。
「下がれ、ハルヒ」と俺は言った。「奴(らは艦隊を分散させている。多分、お前の位置を探(ってるんだ。大将は大将らしくしてろ。後ろでふんぞりかえっていればいいんだよ」
「なによう」
ハルヒは唇(を突(き出して異を唱えた。
「あたしだけ除(け者にする気なの? ズルいわそんなの。あたしだってビームやミサイルをピコピコ撃(ち合ったりしたいのに!」
俺は〈キョン艦隊〉に微(速(前進を命じるかたわら、
「いいかハルヒ。お前の旗艦がやられたらその時点で俺たちは負けるんだぞ。見てみろ。突出している敵の艦隊四つは雑(兵(どもだ。旗艦艦隊は後方で指令だけしてるんだろうよ。将(棋(やチェスだって王将がお供もなしで敵(陣(にずかずか上がったりはしないだろう? しかもこんな序(盤(にさ」
「それは……そうかもね」
ハルヒは渋(い顔で、だがどことなく自尊心をくすぐられたような表情をした。俺を見る瞳(は猫(がエサをねだる時のような形をしている。
「じゃあ、あんたたちで何とかしなさい。敵の旗艦を見つけ出してバシバシ砲(撃(するのよ。あんな連中に負けてなるもんですか。勝つのよ。負けたら栄(えあるSOS団の名が廃(ると言うものだわ。なにより、あいつらが調子に乗るのが我(慢(ならないのよね!」
「閣下」
すかさず古泉がご注進に走った。
「長門情報参謀の〈ユキ艦(隊(〉が敵前衛と会敵しました。これより戦(闘(行動に移ります。閣下におかれましては、我々の後方に遷(移(し、全体的な戦術指揮をお願いしたいと愚(考(する所存であります」
真(剣(そうなセリフだが、微笑(み混じり言われても現実性に欠ける。
「あら、そうなの?」
ハルヒは古泉のベンチャラにご満(悦(となり、団長席で腕(組(みしながら腰(を反らせた。ロクな戦術指揮能力もないのに階級が高いというだけで隊長をやってる士官学校出の若手キャリアのような顔をして、
「古泉幕(僚(総長がそう言うなら、言うとおりにしてあげる。じゃあ、みんな、しっかり働くのよ。ちょこざいなコンピュータ研の連中なんかギッタギタのメッタメタにやっちゃいなさい。狙(うのは殲(滅(よ。木(っ端(微(塵(に打ち砕(くの」
完全勝利を目(論(んでいるようなのはモチベーションとしては正しいのだろうが、この宇宙戦には相手の思(惑(もあるというのを忘れないほうがいい。敵コンピュータ研だって同じ野望を持って参戦していることだろう。
そして俺の見る限り、我がSOS団側の勝算は旧日本海軍がレイテ沖(で米軍に完勝を納める確率よりもなお低いと見積もられる。歴史にifはないが、同数同戦力でリプレイしたとしてもコテンパにやられるのが主だった筋書きになっているに違(いないね。とっとと白旗を揚(げた方がいいんじゃないだろうか。
「ま、そうもいかないんだろうが」
と俺は腕(まくりをして、画面の敵(影(情報を再確認した。さすがは長門、旗艦部隊を除いた敵艦の位置をほぼ網(羅(するデータを送ってくれている。ここから我が軍を勝利に導くのは、大げさにも作戦参(謀(の肩(書(き押しつけられた俺の頭脳と手(腕(にかかっているというわけだ。
どうしたものだろう?
「さて……と」
俺は刻々と変化するノートパソコンの液(晶(を見つめながら、ハルヒ司令官閣下の思惑通りに事態を終える方策を考え始めた。その前に、今このような事態に俺たちが置かれている状(況(を説明しておいたほうがいいかな。混乱する前に考えをまとめることは人生のあらゆる岐(路(で有益だ。では、そうしてみよう。
事と次(第(は、一週間前に遡(る。
某(月(某日の秋の放課後。
文化祭が終わって数日が過ぎ、学園に静けさが戻(っていた。
てのはありふれた導入部分の常(套(句(で、早い話が祭前の状態に回帰しただけであるのだが、それにしてもまあ無事に終わってくれただけでも有り難(い気分になっているのは俺だけではないと思いたい。
真正直に腹の中を打ち明けてくれたわけでもないから正式には解(りかねるものの、古泉の微(笑(はいつもより安(堵(の比重が勝(っているようだったし、長門のいつもの無表情もそれを裏付けるかのようだ。
とにかくここ最近、この読書マシーンがぼんやり本読んでる姿を何よりの平(穏(の証(拠(であると見なすようになっていて、もし長門が妙(な行動を取り始めたり、ましてや慌(てふためいたりするような光景を目にしたならば、俺はそろそろ遺書か自(叙(伝(かのどちらかを書く用意をするに違いない。おそらく長門にとって不測の事態なんてものはほとんどないはずだから、こいつが文芸部の部室でのどかに海外SFの原書を読んでいるということは、恐(るべき悪夢が間近に迫(っているわけではないという確固たる証明と言えよう。
その一方で、未来から来たとはとても思えないほど過去の事をなんにも知らない美少女ニセメイドさんは、今日も無意味な奉(仕(的給仕女性の衣(装(を完(璧(にまといつつ、あっつ熱の日本茶を真剣な目と手つきでもって淹(れていた。どこから仕込んできたのか、各種お茶っ葉に対するお湯の最適な温度という知識を入手した朝比奈さんは、湯(沸(かしポットではなくわざわざカセットコンロにヤカンをかけて湯を沸かすようになっている。片手に持つのは温度計であり、そんなもんをフタ開けたヤカンに突(っ込んで慎(重(な眼(差(しをしているメイドルックのふわふわ未来人なんてものもここでしか見ることはできまいね。なんか微(妙(に間違っているような気もするのだが、間違い探しを始めたらこのSOS団アジトで間違っていないものなどまったくない。何もかもが間違っているからだ。唯(一(正常なのは、自分が確かに存在しているというこの俺の意識のみである。いやまったくデカルト様々だ。
この文芸部室のはずがいつの間にか涼宮ハルヒとその一味の根城になってしまった異空間で、こうも正気を保ち続けている俺は意外にけっこう大物なのかもしれないな。考えてみれば俺以外の連中は最初から変な背後関係を持っているわけだし、団長のハルヒはいつまで経(っても謎(にまみれた存在で、まがりなりにも常識的な客観性を持っているのは俺だけというこの有様をどう思うよ。
ボケ四人に対してツッコミ一人とは、いくらなんでも比率がおかしすぎるぜ。せめてもう一人くらい俺の精神疲(労(を共有するような人間がいてもいいんじゃないだろうか。だいたい俺だってそうそう律(儀(にツッコミ入れる性(癖(を持ってないんだぞ。そんな気にならん時だってある。俺だけがこんな責務を負わされるのは不公平だと恨(み節の一つでも唄(いたいところだが、かと言って谷口や国木田を巻き込んでやろうとも思わない。気の毒だからではなく、能力的な問題さ。あの二人にハルヒと対(抗(できるだけのボキャブラリーと反射神経があるとは思えないし、そういやあいつらと鶴(屋(さんもどっかボケてるよな。くそったれめ。この世は狂(ったもん勝ちか。
「うーむ」
俺は腕を組み、さも難しいことを考えているような唸(り声を出した。別にいま古泉とやっている囲(碁(の次の一手を悩(ましく思っているからではない。古泉の黒石を大量死に追い込むことはそれほど難易度が高くないのだ。ゲームマニアのくせに全然上手(くならない古泉と一(緒(にしてもらっては困るぜ。そうではなく、この世界は本当に正気なのかどうなのかを俺は心配している。なぜなら狂った世界では狂った人間しかまともに生きていけないだろうと俺は推測しているからだ。正気の人間こそがそこでは狂(気(に侵(されていると見なされるだろう。よくもまあ、こんな理(不(尽(と不条理渦(巻(くSOS団部室で普(通(の高校生をやれるもんだと我ながら感心するね。そろそろ誰(か誉(めてくれてもよさそうなものだ。
「ならば僕が賞賛の言葉を贈(って差し上げましょうか」
古泉は格好だけは様になっている手つきで盤(上(に石を置き、俺の白石をかすめ取りながら微笑(んだ。所作は一丁前だがな。目先の石ころに注意するばかりでは、数歩進んだところにある溝(にハマるという近未来が待ち受けていることにえてして気づかないものさ。
「遠(慮(しておこう」
俺は答え、碁石の容器に指を突っ込んでジャラジャラ言わせつつ古泉のまるで本心から俺を讃(えているような表情を眺(め返し、さほどの喜びを得られることもなく無気力に言った。
「お前に誉められても嬉(しかねえよ。何か裏があるんじゃないかとかえって不安になるだけだ。言っておくが、俺はゲームの駒(じゃないんだからな。お前たちの思うとおりに動くと思ったら大(間(違(いだ」
「その『お前たち』というのが、どの僕たちなのかお聞きしたいところでもありますが、とんでもありませんよ。涼宮さんもあなたも、まったく予測できないことをしでかしてくれますからね。僕がここにいるのが一つの確かな証明でしょう」
もしも、古泉が転校してくるようなことがなければ、ハルヒはこいつをSOS団の一員にしようとは思わなかっただろう。あいつにとって必要だったのは「古泉一樹」という人間の性別や性格や人(柄(やルックスではなく、単に転校してきた、というただそれだけの理由だ。変な時期に慌(てて転入してきたのが運のつきだったな。あるいはハルヒに近づくためにわざと転校してきたのかもしれないが、いちおうハルヒが探し求めるところの超(能(力(者(であるこいつからしたら、いつチェレンコフ放射を始めるか予測不能な放射性物質の近所にいるようなものだろうし、ヘタに近づきたくなかったというのが本音かもしれん。
「それは過去形ですよ」
古泉はつまんだ碁石を見つめて、
「あの当時は確かにつかず離(れず監(視(するだけにとどめておく予定でした。ですから涼宮さんが最初に僕の所を訪(れて、その日の放課後にこの部屋へと連れてこられたときは肝(を冷やしましたよ。おまけに活動目的が宇宙人未来人超能力者を捕(まえて一緒に遊ぶことなどと宣言されましたしね。もう笑うしかありませんでした」
懐(かしそうに思い出を語る古泉だった。
「ですが今は違います。僕はかつて謎の転校生だったかもしれませんが、その属性は現在の僕から失われています。涼宮さんはそう考えているでしょうね」
じゃあ何だ。俺にしてみれば、お前はまだまだ謎だらけだぜ。
古泉は部室を見回し、狭(い場所を好む猫(のように隅(っこの椅(子(に座って読書にふける長門を見て、次にヤカンと睨(めっこをしている朝比奈さんを見つめてから、視線を一周させて戻(ってきた。
ハルヒの姿はない。クラスの掃(除(当番に当たっているからであり、そうでなければ俺と古泉がこんな会話をのんびりやってるはずもない。
その団長不在の部室で、古泉は怪(我(をした小鳥を治(療(しようとしているベテラン獣(医(のような笑(みとともにこう言った。
「僕も長門さんも朝比奈さんも、それから当然あなたも、今や立派なSOS団の一員です。それ以上でも以下でもないのですよ。涼宮さんは、そのように考えているはずです」
SOS団の団員以上および以下という分類に何の意味があるのだろう。
「意味はありますよ。宇宙人や異世界人といった一(般(人類外の存在が団員以上、団員以外の一般人類が団員以下です」
谷口や国木田、鶴屋さんや俺の妹は団員以下なのか。あいつらや鶴屋さんをかばうわけではないが、連中が俺以下の存在価値しかないってのを黙(ってうなずくのは心が痛むぜ。
「非常に簡単な論理です。彼らが涼宮さんにとって重要な存在として目されているのなら、彼らは我々の一員としてここに居るはずです。いない、ということはすなわち、彼らは涼宮さんにとって重要でない、つまり単なる通りすがりの一般人である証明なのです。まったくね、結果論ほど論証が楽な論理もありません」
「異世界人はどうした。まだ来てないのか」
「結果論的に、今のこの世にはいないのでしょう。いたなら、何らかの偶(然(なり必然なりによってこの部屋に呼ばれているでしょうから」
「来なくて幸いだ。違う世界なんぞに行きたくねえよ」
俺が白石を振(り下ろして古泉の大石を頓(死(させるのと、勝敗の見えてきた碁(盤(の横に湯飲みが置かれるのが同時だった。
「お待たせしちゃって、ごめんなさい。お茶です」
弱小校の野球部を就任一年目にして地区大会優勝に導いた監(督(のような笑みを浮(かべて、朝比奈さんがすぐ横に立っていた。
「雁(音(っていうのを買ってみたんです。うまく淹(れることができたと思うけど……。高かったんですよぅ?」
自腹を切らせてしまって申しわけない。代金は後でハルヒに請(求(するべきでしょう。いやまあ、そこまで茶葉に凝(らなくても、朝比奈さんの御(手(が差し出すものなら水道水でも俺にはエビアン以上の品質です。
「うふ。味わって飲んでね」
すっかりメイド装(束(が板についてきた朝比奈さんは、古泉の前にも湯飲みを置くと、慣れた所作で盆(を掲(げ持ったまま、残った湯飲みを長門の元へと運んでいった。
「…………」
いつものように長門は無感想だが、朝比奈さんからしたら素(直(に礼を言われるより何も言われないほうが安心するらしい。今に至るもSOS団の宇宙人と未来人が仲良く会話する光景は見たことがなく、というか長門が誰(かと楽しげに喋(っているシーンなんか未(だにない。まあ、それはそれでいいんだと思う。いきなり長門が饒(舌(になってもビビっちまうし、ハルヒ並みの「お前口さえ開かなけりゃあな……」なんていう女になってしまうのも少々惜(しい。
黙ってて問題のない奴(は、やっぱり黙っていたほうがいいものさ。
そうやって碁を打ちながらのんびり茶をすすっていると、この世にはこびる悪の存在を忘れそうになってくる。しかし、そんな小市民的平和は長く続かず、厄(介(ごとはまるで忘(却(されるのを恐(れるがごとく周期的に訪問してくるのだった。
ノックの音がした。俺は顔を上げ、傷だらけで安っぽい扉(を眺(めてから心の準備を開始する。何故(かって? 部室内で漫(然(と過ごしているメンツはハルヒを除く四人の団員たちである。そしてハルヒはノックをするなどという殊(勝(な行(為(から最もかけ離(れた位置で高笑いしているようなヤツだ。つまりこのノックの主はハルヒではなくSOS団の誰でもないのだから、それ以外の第三者だということになる。誰かは知らないが、どうせ何らかのやっかいごとを提供するためにここを訪問して来たに違いないという推理がたちどころに成り立つではないか。いつぞやの喜(緑(さんみたいにさ。
「はぁい、ただいま」
上(履(きを鳴らしながら朝比奈さんが応対に向かう。すっかりこなれてきた動作であり、メイドであることに自分でも何ら疑問を覚えていないようであった。いいこと……なんだろうか。
「あっ?」
扉を開いた朝比奈さんは意外な人物を見たようだ。軽く目を見開いて、
「どうぞ……。お、お入りになります?」
朝比奈さんは二歩ほど後ずさって、なぜか両手で胸を隠(すような仕草をする。
「いや、ここでいい」
と、訪問者がやや緊(張(気味の声で返し、開いたドアから首だけを伸(ばして室内をあらためるようにうかがった。
「団長さんは不在か……」
押し隠す安(堵(が色(濃(く滲(み出る声を出したのは、なんとなく馴(染(みになりつつある隣(室(の主、コンピュータ研の部長であった。
誰も動かないのでまたしても俺が窓口になることになる。朝比奈さんは棒立ちだし、古泉は微笑(んだまま上級生を見つめているだけ、長門は本しか見ていない。
「なんでしょうかね」
いちおう上級生だ。敬語まじりで話してやるのが筋だろう。俺は立ち上がり、朝比奈さんをかばうようにして前に出た。ん? 部室の敷(居(を跨(ごうとしないコンピュータ研の部長、その後ろに数名の男子生徒たちが先祖代々成(仏(に失敗した背(後(霊(のように群がっている。どうした、討(ち入りの季節にはまだ早いぞ。
部長氏は進み出てきたのが俺だったことにホッとしたのか、薄(ら笑いを浮かべる余(裕(が出てきたようで、いくぶん背筋を反らしつつ、
「まず、これを受け取って欲しい」
何のつもりか、一枚のCDケースを差し出してきた。受け取るも何も、コンピュータ研が俺たちに善意からなるプレゼントをくれるはずはないから、俺は当然のように疑いの眼(差(し。
「いや、決して物(騒(なものではない」と部長。「中に入っているのはゲームソフトだ。僕たちのところが開発した、オリジナルのものだよ。この前の文化祭で発表してたんだけど、見なかったのかな」
悪いがそんなヒマはなかったね。文化祭で俺がいつまでも覚えていたい記(憶(は、軽音楽部のバンド演奏と朝比奈さんの焼きそば喫(茶(用衣(装(くらいのものだ。
「そうか……」
部長は気を悪くしたわけでもないようだが肩(を落とし気味にして、「展示場所が悪かったかな……」と呟(いた。用件が世間話ならさっさと終わらせて帰ったほうがいいぞ。こんな所にハルヒが現れたら、どんな揉(め事に発展するか解(ったもんじゃない。
「もちろん用件があって来たんだ。でも、まあ手短にしたほうがいいような気もする。では、言うぞ!」
部長が何やら汗(ばみながら言う姿に、背後霊集団も毅(然(とした表情でうなずいた。とっとと終わらせて欲しい。
「ゲームで勝負しろ!」
部長は裏返った声で叫(び、再びCDケースを突(きつけた。
何でまたコンピュータ研と俺たちがそんなもんで対戦しなくてはならないんだ? 遊び相手に不自由しているんなら、もっと別の部室に行ったほうがいいと老(婆(心(ながら申し添(えたいところだ。
「遊びじゃない」
部長氏は徹(底(抗(戦(するつもりのようで、
「これは勝負だ。賭(けるものだってちゃんとあるぞ」
ならば古泉を差し出そう。コンピュータ研の部室で心ゆくまで勝負してくれたらいい。
「そうじゃなくて、キミたちと勝負したいんだよ!」
頼(むから、そう勝負勝負と言わないでくれ。ハルヒの地(獄(耳(がどこで聞いているか解らない。万一、あの根(拠(不明の自信家がその単語を聞きつけたら──、
「うりゃあっ!」
「げふをっ」
奇(怪(なセリフを吐(きつつ、部長の姿が誰(かに蹴(飛(ばされたように真横にすっ飛んで視界から消えた。
「わ!?」「部長!」「大(丈(夫(ですか!」
数秒ほど遅(れて、部員たちが口々に叫びながら廊(下(に横たわる部長氏に取りすがり、俺は緩(やかに視線を横向ける。
「あんたたち、何者?」
爛(々(と光る瞳(をコンピュータ研の部員たちに向け、いい形をした唇(を大いに笑わせているその女こそ、涼宮ハルヒに違(いない。
部長氏に闇(討(ち同然のドロップキックをかまし、自分はあざやかな着地を決めておいての勝ち誇(った顔である。
ハルヒは耳にかかった髪(を見せつけるかのように払(いのけ、
「悪の集団がついに来たのね。あたしのSOS団を邪(魔(に思う秘密組織か何かでしょう。そうはいかないわよ。暗い闇を照らして邪(悪(を根絶やしにするのが正義の味方の使命なんだからね! ザコはザコらしくワンショットで消えなさい!」
転(倒(の拍(子(に頭を打ったらしい部長氏は、「ううう」とか呻(いて配下の部員たちに介(抱(されつつ心配させている。ハルヒの口上を聞いていたのは、どうやら俺一人のようだ。
「なあ、ハルヒ」
高校入学以来もう何度目か解らないが、言い聞かせるような声で語りかける。
「蹴りを入れるのは話を聞いてからでもよかったんじゃないか? おかげで、見ろ。俺も彼らもどうしていいか解らんじゃないか。ゲームで勝負──、までしか俺は聞いてないぞ」
「キョン、勝負事なんていうのはね、言い出したその時から勝負なの。宣言イコール宣戦布告なわけ。敗者が何を言おうとそれはイイワケよ、勝たないと誰も聞く耳持たないわ」
ハルヒは仕留めた獣(の検分をする狩人(のように部長氏に歩み寄り、失礼にも失望の声を上げた。
「なによ。お隣(さんじゃん。どうしてこんな奴(らがあたしにケンカ売りに来たわけ?」
だから今まさにそれを説明してもらうところだったんだよ。機会を与(えず横合いから不意をついたのはお前だ。
「だってさ」とハルヒは唇を尖(らせて、「てっきり生徒会が部室の明け渡(し請(求(に押しかけたのかと思っちゃったのよ。そろそろ来る頃(合(いかなあって計算してたのに。まったく、ややこしいことしないでよね」
「だとしてもキックしていいことにはならんだろ」
俺がハルヒを諫(めようとしていると、
「そう言えばそのイベントがまだでしたね……」
いつの間にか戸口に立っていた古泉がひょっこり廊下に登場し、考え込むような顔をしやがったのでその爪(先(を踏(んづける。余計なことを口走るんじゃない。
「うう……卑(怯(なり、SOS団……」
呻き声を漏(らしながら部長氏はようやく立ち上がった。脇(から部員たちに支えられて、
「と、とにかくっっ、勝負はしてもらう。どうせ言葉は通じないだろうと思って、文書を作成してきたんだ。これを読めば勝負の内容はよく解るだろう」
部員の一人がコピー用紙の束とCDケースを、野生のライオンに生肉を与えようとしているような手つきで持ち上げており、
「ご苦労様です」
にこやかに受け取ったのは古泉だった。
「それで、ゲームはいいのですが、説明書も付属しているのですか?」
別の部員はまた紙束を持って古泉に押しつけた。そして小声で、
「部長、用はすみました。部室に帰りましょう」
「うん、そうしよう」
弱々しくうなずき、
「では、そういうことで──」
用件を中(途(半(端(に告げ、そそくさ帰ろうとした部長氏の首根っこはハルヒの手によってむんずと掴(まれた。
「ちゃんと説明しなさいよ。文章でごまかそうったってそうはいかないんだからね。このあったま悪いバカキョンにも解(るようにセリフで解説するように!」
バカは誰(のことだ。
哀(れ、このようにして部長氏は文芸部室へと引きずりこまれることになった。残されたコンピュータ研部員たちが抗(議(の声を上げるヒマもなければ救助する手だてもなく、そして扉(は閉(ざされた。
文化祭というハレの時期が過ぎ、年がら年中ハレ真っ盛(りのハルヒとは違って、全校規模ではすっかりケとなる日常に回帰したと思っていたのだが、どうもコンピュータ研もハレな気分を持続させていたようだ。しかし現在パイプ椅(子(に座らされて単身オドオドしている部長氏の姿は、まるでダンジョンの最深部でパーティからはぐれたあげくリビングデッドの群れに取り囲まれたMPゼロ状態の白(魔(術(師(のそれであった。同じようにオドオドしている朝比奈さんが淹(れたお茶にも手を付けず、ハルヒによって尋(問(を受けている。
簡単にまとめさせてもらおう。
部長氏の要望は以下の通りである。
1.コンピュータ研自作の対戦ゲームで勝負しようではないか。
2.我らが勝てば、現在SOS団の机に鎮(座(しているパソコンは、晴れて本来あった場所に帰(還(を果たすことになる。
3.だいたいだな、SOS団に多機能型パソコンは不釣(り合いである。コンピュータはコンピュータ研にあってしかるべき機材であり、強く返還を求める次(第(である。
4.パソコン強(奪(時に部長及(び部員たちが負担した精神的苦痛は、この際だから忘れてもいい。いや、忘れたい。お互(い忘れよう。
5.以上のような理由により、キミたちは我々と戦わねばならない。……戦え。
古泉から回ってきた紙束に、こんな感じのことが解りにくい上に読みにくい文体で細々と書いてあった。訴(状(と果たし状を兼(ねているらしいが、丁(寧(に印字された文章も俺がざっと目を通すだけで、ハルヒは直(に部長氏から聞き出していた。早い話が、
「使ってないんだったら、パソコン返せよ」
部長氏は言った。その言葉に対し、ハルヒは心外そうに答える。
「あたしは使ってるわよ、きちんとね。この前の映画もこれで編集したのよ」
やったのは俺だが。
「ホームページも作ってたし」
それも俺がやった。ハルヒがパソコン使ってしたことと言えば、暇(つぶしのネット巡(回(と落書きみたいなシンボルマークを描(いただけだろうが。
「そのホームページだって、半年経(ってもインデックスしかないじゃないか。もう何ヶ月も更(新(の気配すらない」
部長氏はふくれ面(である。なんとまあ、彼は定期的にあのしょぼいサイトを訪(れてアクセスカウンタを回してくれる常連らしい。なるほど、カマドウマの時のアレはそのせいであったようだな。我々がパソコンを活用しているかどうかが、よほど気になっていると見える。
「でもあたしが頂(戴(って言った時、あげるって答えてたじゃないの。キョン、あんたも覚えてるでしょ」
そうだっけ。朝比奈さんがへたり込んでいるシーンはまざまざと脳(裏(に蘇(るが、部長のコメントまで注意してなかったよ。仮に言ったのだとしても、あの時の部長氏は心神耗(弱(状態だったろうから取引は無効なんじゃないかな。
「断固、抗議する」
部長氏は本気らしい。腕(を組んで口を結ぶその表情には精(一(杯(の強がりが浮(いている。半年経ってあきらめも付くと思いきや、だんだん怒(りがぶり返してきてたようだ。
ふーん、とハルヒは微笑(みながらうなずいた。
「まあいいわ。そんなに勝負したいんならしてあげようじゃないの。こっちが賭(けるのはパソコンね。それで、そっちは何を賭けるの?」
「何って、そのパソコンだよ。僕たちが負けたら、それはキミたちの物にしておいて構わない」
ハルヒは平然と言い放った。
「これはとっくにあたしたちの物になってるわよ。元からある物をもらったってあんまり嬉(しくないわ。別の物を持ってきなさい」
不覚にも、この言いぐさに俺は感動すら覚えた。何であろうといったん手にした物の所有権は自分に帰属するらしい。将来、泥(棒(にでもなるつもりだろうか。
しかし部長氏は怒り出すどころか、引きつったような笑いを作り、
「解(ったよ。キミたちが勝てば、新たに……そうだな、パソコンを人数分、四台進(呈(しよう。ノートタイプのやつでいいかな?」
自ら賭け金を釣り上げることを言い出した。これにはハルヒも虚(を衝(かれたようで、
「え、いいの?」
座っていた団長机からぴょんと飛び降り、部長氏の顔を覗(き込んだ。
「ホントね? 途(中(でやっぱやめ、なんて言うのは許さないわよ」
「言わない。約束する。血判状でも持ってくるがいい」
あくまで強気の部長氏であり、俺はなるほどと思う。
さっきから長門がつまんで凝(視(しているCDの中身がどんなゲームなのかはまだ知らないが、制作側だけあってとことんやり尽(くしているのだろう。コンピュータ研がハイアビリティなゲーマー揃(いかどうかは置いといて、素人(のSOS団のメンツなど一(蹴(できると考えているに違(いない。俺もそう思う。まともにやり合いさえすれば、何の勝負でも俺たちが勝利するとは考えにくい。前に野球で勝った時は長門のあり得ざる秘力の賜(物(で、我々の実力ではないのだ。
だがそれを解っていない奴(が一人いた。
「あんたんとこ、女子部員いないでしょ?」
ハルヒが不思議なことを言い始めた。
「いないけど、それで?」と部長氏。
「欲しい? 女の部員」
「……いーや、別に」
精一杯の虚(勢(を張る部長氏だった。ハルヒは悪い置屋の女主人みたいな笑(みで口元をニマニマさせて、
「もしあんたたちが勝ったら、この娘(をコンピュータ研に進呈するわ」
と、指さしたのは長門の顔だ。
「女の子欲しいんでしょ? 有希ならきっと即(戦(力(になるわよ。物覚えはよさそうだし、この中で一番素(直(だしね」
このアホウ、何を提案しやがるんだ。相手がパソコン四つを賭けているのに、こっちが一台では不釣(り合いだと考えているのか。だがパソコン四台と長門ではスペックに開きがありすぎるぞ。お前は知らないかもしれないが。
「…………」
景品扱(いされているのに、長門は平気の平(左(をしている。あまり動かない目が一(瞬(俺をかすめ、ハルヒを通り越(してコンピュータ研部長の顔をじっと見つめた。
部長氏は明らかな動(揺(の表情でたじろぎながら、
「いやぁ……でも……」
「なに? みくるちゃんのほうがいいって言うの? それともパソコン四台では不釣り合い? んじゃ、副賞としてウチが勝ったらあんたんとこの部を『北高SOS団第二支部』に改名しなさい」
「あ……ええと……その、」
ハルヒの言葉に朝比奈さんが口元を押さえて立ちすくみ、
「お前が賞品になれ」
俺は憤(然(とハルヒに立ち向かった。
「いつまでも長門や朝比奈さんを備品扱いしてるんじゃねえぞ。賭けるなら自分の身体(を賭けたらいいじゃねえか。勝手なことを抜(かすな」
「何言ってんのよ。神聖にして不(可(侵(な象(徴(たる存在、それがSOS団団長なの。もはや団そのものと言っても決して虚(言(ではないわ。あたしは『これだっ!』って思う人以外にこの職を譲(るつもりはないわよ」
お前は卒業後もここに居座るつもりか。
「それにね、誰(であろうとも自分自身と等価交(換(できるモノなんか、この世のどこを探しても見つかったりはしないのよ!」
ハルヒは理(不(尽(な物言いであっさり俺の攻(撃(をかわし、無言の長門と言葉を消失した朝比奈さんを交(互(に指さして、なおも部長氏に迫(った。
「で、どっちがいいわけ?」
そして俺を横目で見ながら言い足した。
「どうしてもって言うんだったら、まあ、あたしでもいいけどさ」
さすがに部長氏はハルヒの戯(言(に乗ることはなかった。注意深く目線を追っていた俺の観察結果によると、どうも長門のあたりでしばしの逡(巡(があったようだが、解(るような気もするね。
彼は朝比奈さんの胸をわしづかみにするという磔(刑(に値(する前科を背負っており、その犯罪行(為(の相手を指名する度胸はないのだろう。それに谷口によると長門はけっこうな隠(れ人気者であるらしいので、彼の趣(味(が無口系読書少女に合(致(していた可能性もある。朝比奈さんでは気(後(れしすぎるからというのが理由の一つであるかもしれないが、だからと言って露(骨(に「女子部員が欲しい」などと表明しないだけの慎(みも彼は持ち合わせていたようで、まあまあ当たり前の結果だ。
ああ、ハルヒ? すっかり性格の知れ渡(った今や、こいつを指名するような男は真性のマゾかよほどの変わり者なのさ。でもってハルヒ以上に変わってもいないと思われる。だから俺も安心して放(っておけるというものだ。
かくして、戦いの舞(台(が整えられた。
いったん文芸部室から出て行った部長氏は、手勢を引き連れて戻(ってきた。彼らの手の内にあるのはノート型パソコンで見間違えようもない。賞品の前(払(いとは気前がいいと思っていたら、このゲームには一チームにつき五台のパソコンが必要なのだという。コンピュータ研なのか電気配線業者なのか解らないような機(敏(さで、連中はハルヒ御(用(達(デスクトップと四つのノートパソコンをLAN接続し、次々と自家製ゲームソフトをインストールしていった。その会話の端(々(から、試合内容は五対五でやるオンライン宇宙戦(闘(シミュレーションだということが解った。ようするにSOS団側の五台、コンピュータ研側でも五台のパソコンを用意、その全部を一つのサーバにくっつけて対戦するようだ。俺たちは俺たちの部室で、彼らは彼らの部室のパソコンを使って。
もちろんサーバとなるコンピュータは彼らの部室にあるわけだ。ふむ。なるほどね。
「練習期間は一週間もあればいいだろう」
部長は部員たちの器用な動きを得意げに眺(めながら、
「一週間後の午後四時にスタートだ。それまでに腕(を磨(いておくことだね。あまりに弱いと拍(子(抜(けするからな」
勝った気でいるようだったが、それはハルヒも同じ事だ。新しい備品が増えて笑いが止まらないような顔をしている。
「うん、サブノートが欲しいと思い始めていたのよね。やっぱパソコンは団員の数だけあるべきだわ。設備投資は働く者のモチベーションを上げるためにも重要なことよ」
ノートパソコンで懐(柔(されちまうほど俺のモチベーションは安っぽくはないぜ。くれると言うならもちろんもらうけどな。
俺はすっかり冷めてしまったお茶を飲み、さりげなく長門の表情を垣(間(見(た。朝比奈さんと壁(際(に並んでコンピュータ研部員たちの作業を見守っている無表情な顔には何も変化が感じられない。いつもの落ち着きようだった。
奴(ら作製のゲームだ。まさかとは思うが、怪(しいウイルスが仕込まれてないとも限らない。もしそうなら長門も黙(ってはいないだろう。その辺のことは任せておいていいな。コンピュータ研がどんな裏(技(を使おうと、長門の裏をかくのはそう簡単な事じゃないんだぜ。
飲み干した湯飲みを弄(んでいると、朝比奈さんがささっと近寄ってきた。
「キョンくん、これ……何をすることになるの? あたしはあまり、その、き、機械には疎(いんですけど……」
困(惑(の顔でどんどん増えつつあるコード類に目を落としている。そこまで困り果てることはありませんよ。
「ゲームですから、適当に遊んでおけばいいんですよ」
そう言って慰(めた。実のところ、それは俺の本心である。もし本当に長門や朝比奈さんを賭(けての勝負なら俺も本気の力を見せるに一(片(の躊(躇(もないが、ハルヒがパクったパソコンを返す返さないの問題なら話も別さ。コンピュータ研の出してきた条件は、俺にとってノーリスクハイリターン。それだけのハンデと自信の差が俺たちと彼らの間にあるってことでもあるな。
「負けてもともと、勝ったらバンザイの世界ですよ。今度ばかりは、ハルヒにも四の五の言わせたりはしません」
はっきりと俺は言い切り、朝比奈さんの不安を一(掃(してあげるために笑いかけてもみた。
「でもぅ、涼宮さんが……。とても張り切っているみたいですけど」
説明書らしきコピー紙を手にした古泉を横にはべらせ、コンピュータ研の撤(収(を待たずにハルヒは早くも団長机に着いてマウスを握(りしめていた。
なぜか満足げな顔で部長氏以下、隣(の部員たちは誇(らしげに出て行った。さぞ腕の振(るいがいがあったと見える。
その後、しばらくそれぞれのパソコンで動作確(認(などをしていたが、そろそろ陽(も暮れるということで今日はお開きとなった。
その帰り道、五人で集団下校しているときの俺と古泉の会話である。坂道を下る女三人組と数メートルの距(離(を置き、話しかけたのは俺のほうだった。
「ここいらで封(印(したほうがいいんじゃないかと思うセリフがあるんだ」
「ほう。何でしょうか」
「当ててみろ」
古泉はほのかな苦(笑(を唇(にたたえつつ、考え込むふりをしたのも一(瞬(で、
「僕があなたの立場だったとして、濫(用(を避(けたいと思えるセリフはいくつもありませんね。候補としては無言での『……』か、『いい加減にしろ』なども有力ですが、やはりこれしかないのではありませんか?」
俺が黙っていると、古泉はたゆまぬ微(笑(とともに解答を発した。
「やれやれ」
サービスのつもりか肩(をすくめて両手をあげるジェスチャー付きだ。古泉はヒラヒラと手を動かしながら、
「あなたの気分もよく解(りますよ」
解られてたまるか。
「いえいえ。できる限りマンネリな心境に陥(るのは回(避(したいという思いが働いているのでしょう? 同じリアクションばかりしていては、他人はどうか知らないとしてもあなた自身に飽(きが来る。何度も繰(り返しプレイしてとっくに味わい尽(くしたゲームをもう一度やり直そうという気にならないのと同じです。あなたは飽きることを恐(れているのですよ。涼宮さんと同じようにね。違(うのは彼女はどうしても自らの行動を主体として考えているのですが、あなたはそんな彼女の行動を受けて初めて反応を考えなければならない点です。さあ、これはいったいどちらの立場が楽なのでしょうね」
何を分(析(医(みたいなことを言ってやがる。俺の精神状態をとってつけたような理(屈(で補完しようとするんじゃねえぞ。だいたいそんなことを言い出せば、言ってるお前はどうなのさ。古泉だってハルヒの行動にひたすら受け身を取っているだけじゃないか。
「僕たちは僕たちで、主体性を持ってここにこうしているのですよ。お忘れですか? 僕や長門さん、朝比奈さんは主義主張こそ違え、ほぼ同一の目的でここにこうしているのです。言うまでもなく、涼宮さんの監(視(という最重要な課題を持ってね」
そういうわけでただ一人何の目的もなくSOS団に引きずりこまれた俺だけが、ワケもわからず右往左往するハメになっているという様相を呈(している。まったく、誰(の魂(胆(なんだ。
「僕が知るわけはないでしょう」
古泉は楽しげに俺と目を合わせていた。
「観察対象という身分で言えば、涼宮さんだけではなく、今はあなたもそうなのですから。これからあなたと涼宮さんが何をやってくれるのか、戦(々(恐(々(としながらも、僕はなんとなく豊かな心を育(ませてもらっています。これは感謝しておいてもいいでしょうね。いや冗(談(は抜(きでね、有り難(いことだと思いますよ」
他人(事(なれば、そりゃ見てても楽しいだろうさ。
文化祭を機に正気を取り戻(したのか、季節を表現する山からの風もなんとなく冷たい秋の風味を伴(っていた。俺が好きになれない季節である。これから寒くなる一方かと思うと、ハルヒの暴(虐(のほうがいくらかマシに思えてくる。
すでに暗い道を歩くその前方で、一人で喋(っているハルヒと時折相づちを打つ朝比奈さん、登下校時は歩く以外の機能を持たないような長門が一(塊(りになっている。長門の鞄(がふくれているのは、あてがわれたノートパソコンが入っているからだ。そんな物を持って帰ってどうするのかという俺の問いに、長門はゲームCDを鞄の底に滑(り落としながら「解(析(する」と答えてくれた。その影(法(師(を見ているうちに言うべきことを思い出す。
「ところで古泉。俺から提案が一つばかしあるんだが」
「それは珍(しい。拝(聴(いたしましょう」
念のために声を潜(めて言うことにする。
「今度のコンピュータ研とのゲーム勝負のことだけどな、とりあえずインチキをするのはやめておこう」
「インチキとは何を指しての言葉でしょうか」
古泉も小声で聞き返す。
「野球の時に長門が使ったようなアレのことだ」
忘れたとは言わせないぞ。
「最初にお前に言っておく。仮にお前がシミュレーションゲームを有利に進めるような超(能(力(があったとしても使うんじゃない。超能力じゃなくてもいい、どんな手段でも、ルールに外れるようなギミックを使うことは俺が許さん」
古泉は微笑みながらも探(るような視線を俺に向け、
「それはまた、どういう思(惑(があなたにあるからですか? 我々が負けてしまってもいいと、そうおっしゃるのでしょうか」
「そうさ」
俺は認めた。
「今回ばかりは宇宙的あるいは未来的、または超能力的なイカサマ技(は封(印(だ。まっとうに戦って、まっとうな結末を迎(える。それが最適な手段だろう」
「理由を問いたいですね」
「負けても失う物は盗(品(のパソコンだけだ。それも元の持ち主の所に帰るだけだからな。俺たちは別に困らん」
返す前に朝比奈画像集をどこかに移す必要はあるだろうが。
「僕がお聞きしたいのはパソコンの是(非(についてではありませんよ」
古泉は面(白(そうな口調で、
「あなたもご存じのように、涼宮さんは何かに負けることが好きではないのです。どうにもならない、これは負けそうだ、と感じると閉(鎖(空間を生み出して人知れず大暴れさせてしまうほどにね。それでもいいと思うのですか?」
「かまやしないね」
俺はハルヒの後ろ姿を眺(めていた。
「いくらあいつでも、そろそろ学んでもいい頃(だ。そうそう何もかも思い通りになってたまるか。ましてや今回はハルヒが言い出したことじゃねーし、それほどの意気込みがあるわけでもないだろう」
超常能力封印を明日にでも長門に伝えないとな。朝比奈さんにも言っておくか。自ら機械オンチを告白してきた彼女に格別な能力やアイテムがあるとは想定しにくいが、ま、これも念のためだ。
古泉が小さく笑い声を漏(らした。何のつもりだ、気色悪い。
「いえ、おかしかったからではありません。羨(ましくなったものですから」
俺のどこに羨(望(を感じたと言うんだ。
「あなたと涼宮さんの間にある、見えざる信(頼(関係に対してですよ」
何のことやら、さっぱりだね。
「しらばっくれるつもりですか。いえ、あなたにも解(っていないかもしれませんね。涼宮さんはあなたを信頼し、あなたもまた彼女を信頼しているということですよ」
勝手に俺の信頼先を決めるな。
「一週間後のゲーム勝負に負けたとします。しかし、そこで涼宮さんが閉鎖空間を生み出したりはしないだろうとあなたは思っている。そのように信頼しているからです。また、涼宮さんはあなたならゲームを勝利に導くだろうと信じている。これも信頼です。彼女が団員の身(柄(を賭(けようかと言い出したのは、負けるはずがないと確信しているからですよ。決して言葉に出したりはしませんが、あなたがた二人は理想形と言ってもいいくらいの信頼感で結びついているんです」
俺は沈(黙(の井(戸(に潜(り込んだ。返す言葉がなかなか思いつかないのはなぜだろう。古泉の推測が俺の心の的に高得点で突(き立ったからか? 信頼云(々(は専門家に任せるとして、確かに俺はハルヒが精神世界で暴走を繰(り広げるとは思っていない。それはこの半年間を振(り返ってみればいいことだ。SOS団設立から映画撮(影(まで、色んなことがあって様々なことが俺たちの前を通り過ぎた。俺自身それなりに成長したつもりだし、ほぼ同様の経験をしているハルヒだってそうだろう。でなけりゃあいつはぶっちぎりに本当のアホだ。取り返しようがないほどの。
「試(してみる価値はある」
ようやく俺は言葉を紡(ぎ上げた。
「コンピュータ研とのゲーム対戦で負けて、それでハルヒがけったくそ悪い灰色世界を生み出すようなことがあれば、今度こそお前たちの事情なんか知ったことか。ハルヒと一(緒(に世界をこねくり回してろ」
古泉は微笑(みだけを浮(かべていた。そしてさも当然のようにこう言った。
「それが信頼感というやつですよ。僕が羨ましくなる理由が解りましたか?」
俺は答えず、ただ歩くことだけに集中した。古泉はなおも何かを言いたげな顔をしていたが、聞く耳を持たない俺の様子を感じ取ったのか、とうとう何も言わなかった。
まあいい。古泉が思わせぶりな顔をするのには慣れっこだ。朝比奈さんが部室でメイドの格好をしていたり、ハルヒがいつだって裏付けのない自信に満ちあふれているのと同じくらい普(通(のことである。
そして長門がいるのかいないのか解らない希(薄(な存在感しか持たないのと同様……とも表現したいところだったのだが──。
一週間後の対コンピュータ研戦の場で、俺は思わぬ光景を目にすることになった。