エンドレスエイト 2

 翌日、雨でも降ればいいとテルテルぼうすんくぎしていたのに、とんでもない日本晴れがとうらいし、この夏一番というくらいの気温にセミも大いに喜んでいるようだった。

「セミって食べられるのかしらね。天ぷらにしたら美味おいしいかも。あ。あたしタマに思うんだけど、天ぷらが美味しいのって、ひょっとしたらころもが美味しいだけなんじゃない? だったらこのセミもそうかもよ」

 お前一人でってろ。

 いい年した高校生が五人も集まって、それぞれ虫採り網とカゴ持参で歩いている図というのも異様だよ。

 昼前に集合した俺たちは、緑を求めて北高へ至るルートをとうしていた。なんせ我々の高校は山の中にあるので、に木々が生えくさっており、森や林を根城とする昆虫たちの絶好の住処すみかにもなっているのだ。俺の住む街はけっこうな都会だと思っていたのだが、そんなに悲観したものではなかった。

 木の幹にはまるでセミのなる木みたいに、わんわん鳴く虫があふれていた。入れ食い状態だ。わたわたこわごわ網を振り回す朝比奈さんでさえしゆうかくがあったくらいだから、ここいらのセミは人間をこの世で最もけいかいすべき動物だとはにんしきしていないのかもしれない。今のうちに教えてやるべきだろう。

 そうやってかくしまくった俺は、虫カゴの中でじっとしているセミたちをながめた。何年地中にいたのかは知らないが、ハルヒに油でげられるために成虫になったんじゃないよな。それでなくとも、俺は年々少なくなっているような気のする夏の虫の声にわびしいものとまん的な罪悪感を覚えているんだ。すまないな、アスファルトなんかいちまってさ。人間の勝手さ加減を許して欲しいね。

 そんな俺のモノローグを感じ取ったわけではないだろうが、ハルヒもこう言った。

「やっぱキャッチアンドリリースの精神が必要よね。がしてあげたら将来、恩返しに来てくれるかもしれないし」

 俺は人間大のセミが家のとびらをノックしている姿を思いえがいてげんなりする。一方的に捕まえて逃がして、それで恩返しに来る奴がいたら、そいつはまさに虫なみの知能だ。どうせならリベンジしに来るほうがまだいい。

 ハルヒは虫カゴのフタを開けると、前後にり動かした。

「ほら! 山に帰りなさい!」

 ジジジ──。何匹ものセミたちがカゴの中をアチコチぶつかりながら飛び出していく。朝比奈さんが可愛かわいい悲鳴をらしてしゃがみ込む、その上でおどり、棒立ちの長門の頭をかすめ、あるものはせんを描き、あるものは一直線に、夕焼け空へと遠ざかっていく。

 俺もハルヒにならった。き出るセミを見ているうちに、なんだか自分がヘルメスからあたえられた箱をうっかり開けてしまったパンドラになったような気分になる。せめて最後の一匹を残しておこうかと考えたのは、すべてのセミが見えなくなるほど遠くに飛び去ってしまった後のことだった。



 またその次の日は、アルバイトが待ち受けていた。

 ハルヒがどこからか取り付けてきたアルバイトで、有りがたくも俺たちにあつせんしてくれたのである。その一日だけのアルバイト内容とは、

「い、いらっしゃいませー」

 朝比奈さんのギコチナイ声がくぐもって聞こえる。

「はぁい、みんな並んでくださぁい。あっあっ……押さないでえぇ」

 ハルヒがブローカーのように俺たちに押しつけたバイトは、地元スーパーマーケットの創業記念セールの集客業務だった。

 なんだかわからないうちに集められた俺たちは、なんだか解らないままにわたされたしようを着込まされ、朝の十時からスーパーの店頭でデモンストレートなことをさせられていた。

 それも全員、着ぐるみの中に入ってだ。

 まったく意味が解らない。なんで俺までもがこんなかつこうをしなくちゃならんのだ。コスチュームを取っえ引っ替えするのは朝比奈さん担当じゃなかったのか……おい、古泉と長門。お前らもクレームの一つくらい付けろよ。何をもくもくと言いなりになってやがるのか。

「一列に並んでくださぁいっ。おねがいでーすっ」

 全身緑色の衣装を着込んだ朝比奈さんの舌足らずな声を聞きながら、俺はタラタラとあせをかいていた。

 俺たちのふんそうはカエルである。それでもって、子供たちに風船を配る役どころである。このスーパーが毎年創業記念日にやってる特別イベントなんだそうだ。家族連れで来店したお客様への風船サービス。

 さすが子供、こんなどうでもいいオマケできゃいきゃい喜んでいる。おい、そこのアホづら幼児、これをくれてやるよ。赤い風船だ。ほらよ。

 アマガエルの朝比奈さんが特に人気者だ。ちなみに古泉はトノサマガエルで、俺はガマガエルだ。ほかに何かなかったのかと言いたい。アマゾンツノガエルの恰好をした長門がボンベを操作して風船をふくらまし、俺たち三人が配りまくり、ハルヒはと言うと一人だけだん姿のまま団扇うちわ片手に店内ですずんでいる。これで日当の配分が同じなんだとしたら暴動モノだぞ。

 聞いたところによるとこのスーパーの店主はハルヒの知り合いなんだそうだ。気軽に「おっちゃん」とか呼ばれて、そのおっちゃんはニコニコしていた。

 二時間ほどの労働で風船は品切れとなり、ハルヒを除く俺たちは倉庫らしきひかえ室で余計なガワをようやくげた。だつした直後のヘビの気持ちがよく解るいつしゆんだ。こんなにホッとしたことは近年まれにみる。

 長門はひょうひょうとした表情で出てきたが、俺と朝比奈さんと古泉は全身汗みずくのうえ、うようにしてカエルから脱出し、しばらく声も出なかった。

「ふえー」

 うすいタンクトップと短いキュロットスカートという恰好でうずくまる朝比奈さんをじっくり観察する体力も俺にはない。

「ごくろーさん」

 アイスをめながらハルヒが現れたときには、しんけん、こいつどこかの熱いすなはまに首から下をめてやろうかと思ったほどだ。

 おまけにバイト代はアマガエルの衣装に化けちまった。平気な顔でハルヒがそう告白したところによると、最初からハルヒのねらいはこれだったようで、中身がけて薄っぺらくなった緑色の化けガエルをわきかかえ、一気に十万ごくくらいを加増された成り上がり武将みたいな顔をしている。俺たちにはらわれるべき日当は、当然のように存在しない。

「いいじゃないの。あたしはずっとこれが欲しいと思ってたのよね。願いがかなったわ。おっちゃんもみくるちゃんにめんじてくれることにしたって言ってたわ。みくるちゃん、あなたには特別にあたしの手作りくんしようをあげる。まだ作ってないけど、待っててね」

 朝比奈さんの持ち物に、また一つゴミが増えることになる。どうせ「くんしょう」と書いてあるわんしようか何かですますつもりにそうない。

 だが、

「このカエル、記念に部室にかざっとくわ。みくるちゃん、いつでも好きなときにこれ着ていいわよ。あたしが許すわ!」

 そんなハルヒの顔を見ていれば、なぜかおこる気にもなれなかった。



 さすがにぐったりした。連日連夜、プールだの虫採りだの着ぐるみサウナなんぞをやっていたら、いくら健全かつ健康的な一高校生男子だってへいすると言うものだ。

 であるから、俺はこの夜、安らかなねむりをひたすらむさぼっていて、けいたい電話が鳴るまでの平和を夢の中で実感していた。

 何がろくでもないと言って夜中の電話に起こされるほどムカっ腹の立つことはない。電話をするには非常識な時間であり、そんな常識を持っていないアホはハルヒくらいしか俺の周囲にはおらず、ぼけつつもりつけてやろうとして携帯電話のボタンを押した俺の耳に届いたのは、

『……ぅぅ(しくしくしく)……ぅぅぅぅ(しくしく)』

 女の泣き声であった。らしくゾっとした。一瞬で目が覚めた。これはヤバイ。聞いてはいけないものがかかってきた。

 携帯電話をほうり投げようとした一秒前に、

『キョンくーん……』

 嗚咽おえつにまみれてはいたが、まぎれもなく朝比奈さんの声がそう言った。

 さっきとちがう意味でゾクリときた。

「もしもし、朝比奈さん?」

 よもや、これは今生の別れの電話ではないだろうな。かぐやひめが月へと帰ろうとしているのではあるまいな。朝比奈さんにとって、「ここ」がかりそめの宿だということを俺は知っている。いつか、未来に帰るだろうということもだ。それがこの時なのか? 声だけのバイバイなんて、俺は認めたくないぞ。

 しかし電話の向こうにいるお方は、

『あたしです……あああ、とても良くないことが……ひくっ……うく……このままじゃ……あたし、ぅぅぅえ』

 全然意味のわからないことを、小学生みたいなかつぜつの悪さでうめいていらっしゃるばかりで、さっぱり通じない。これはどうしたものかとほうに暮れていたら、

『やあ、どうも。古泉です』

 ほがらかにろうの声が取って代わった。

 なんだ? この二人はこんな時間にいつしよにいるのか? なぜ俺はそこにいないんだ? どういうことか俺がなつとくし、かつ安心する回答を聞かない限り古泉、お前の首はどうからはなれる五秒前だ。

『ちょっとした事情がありましてね。それも、やっかいな。それもあって、朝比奈さんが僕にれんらくしてきたのですよ』

 俺より先にか。おもしろくない。

『あなたに相談しても仕方のないことですし……いや失敬。実は僕も何の役にも立てそうにないんですよ。きんきゆう事態というやつです』

 俺はバリバリと頭をかいた。

「またハルヒが世界を終わらせるようなことを始めたのか」

『厳密に言えば違いますね。むしろ逆です。世界が決して終わらないような事態に、現在おちいっているんです』

 はあ? まだ夢の中にいるのかね。何を言ってるんだ。

 俺のこんわくをよそに、古泉は続けた。

『長門さんにも先ほど連絡しました。予想はしていましたが、彼女は知っていたようですね。くわしい事は長門さんに聞けば判明するでしょう。ということでですね、今から集合することは可能ですか? もちろん、涼宮さんはきで』

 可能か不可能かと言われれば可能に決まっている。シクシク泣いている朝比奈さんを放置するやつがいたとしたら、そいつは七回重ねりしてもおりが来るほどだろう。

「すぐに行く。どこだ?」

 古泉は場所を告げた。いつもの駅前。そこはSOS団ようたしの集合場所だった。



 かくて、えた上に自宅のろうを抜き足しのび足したあげく自転車に飛び乗ってとうちやくした俺を、三つのひとかげむかえてくれたわけである。人通りはかいではなく、学生風の連中がそこらでチラホラ見かけられる。おかげで俺たちも夏休みの夜に行き場をなくしたモラトリアム野郎どもに紛れ、あやしい集まりに心おきなく出席できるというものだ。さすがにまた眠くなってはいたが。

 駅前ではパステルカラー姿の朝比奈さんがうずくまっていて、そのりようわきにラフなかつこうの古泉とセーラー服長門がかどまつみたいに立っている。朝比奈さんは、とにかくその辺りにあったものを着てきました、みたいな上下デタラメな服装だ。よほどあわてていたか時間がなかったんだろう。

 俺に気付いたか、背の高いほうが片手を上げて合図をよこした。

「いったい何なんだよ」

 外灯のぼやんとした光が、古泉のにゆうな表情を照らしている。

「夜分に申しわけありません。ですが、朝比奈さんがこの通りな事態ですので」

 しゃがみ込んだ朝比奈さんは、けかけの雪だるまみたいにグズクズだった。泣きべそ顔が俺を見上げ、れきったひとみあらわになる。これが、すべてを投げ出して力になってやりたいと思ってしまうような、わくの瞳なんだよな。

「ふええ、キョンくん、あたし……」

 鼻をすすりつつ朝比奈さんは独白のようにつぶやいた。

「未来に帰れなくなりましたぁ……」



「白状してしまいますと、つまりですね、こういうことです。我々は同じ時間を延々とループしているのです」

 そんな非現実的なことを明るく言われてもな。古泉は自分が何を言ってるのか、自分で解っているのか?

わかっています。これ以上ないと言うくらいにね。さっき朝比奈さんと話し合ってみたんですけど」

 呼べよ、俺も。その話し合いに。

「その結果、ここ最近の時間の流れがおかしくなっていることに気付きました。これは朝比奈さんの功績と言ってもいいでしょう。おかげで僕にも確信が持てましたよ」

 何の確信だよ。

「我々は同じ時間を、もう何度もり返し経験しているということをです」

 それはさっき聞いた。

「正確に言えば八月十七日から、三十一日までの間ですね」

 古泉のセリフが、俺にはうつろに聞こえる。

「僕たちは終わりなき夏休みのまっただ中にいるわけですよ」

「確かに今は夏休みだが」

「決して終わらないエンドレスサマーです。この世界には秋どころか九月が来ない。八月以降の未来がないんですよ。朝比奈さんが未来に帰れないのも道理です。理にかなっていますね。未来との音信不通は、未来そのものがないからです。当然と言えます」

 物理的ノーフューチャーのどこが当然だ。時間なんかほうっておいても着々と流れ続けるもんだろ。俺は朝比奈さんの頭頂部を見つめて言った。

「それをだれが信じるんだ?」

「せめてあなたには信じてもらいたいところです。涼宮さんに言うわけにもいきませんので」

 古泉も朝比奈さんを見下ろしている。

 一応、朝比奈さんは説明しようとしてくれた。時折しゃくり上げつつも、

「うー、ええと……、『禁則こう』でいつも未来とれんらくしたり『禁則事項』したりしてるんですけど……くすん。一週間くらい『禁則事項』がないなぁおかしいなぁって思っていたの。そしたら『禁則事項』……。あたしすごくビックリして慌てて『禁則事項』してみたんだけどぜんぜん『禁則事項』でー……うう。ひい。あたしどうしたら……」

 どうしたらいいのか、俺にも解りませんが。ひょっとしてその『禁則事項』とやらは放送禁止用語かなんかなのかな?

「俺たちはハルヒの作った変な世界に閉じこめられているのか? あのへい空間の現実的バージョンとかさ」

 うでを組んではんにもたれてる古泉は、ゆるやかに否定した。

「世界を再生させたわけではありません。涼宮さんは時間を切り取ったんです。八月十七日から三十一日の間だけをね。だから今のこの世界には、たった二週間しか時間がないのです。八月十七日から前の時間はなく、九月一日以後もない。永遠に九月の来ない世界なんです」

 失敗した口笛みたいな息をき、

「時間が八月三十一日の二十四時ジャストになったしゆんかん、一気にすべてがリセットされて、また十七日にもどって来るというプロセスですよ。よくは解りませんが、十七日の早朝あたりにセーブポイントがありそうですね」

 俺たちの……いや、全人類のと言うべきだな、そのおくはどうなってるんだ。

「それもすべてリセットです。それまでの二週間は無かったことになる。もう一度最初からやり直しとなるのです」

 よくよく時間をひねくり回すのが好きなようだな。未来人が混じっているんだから仕方ないような気もするとはいえ。

「いえ、この件に朝比奈さんは無関係ですよ。事態は、そのようにさいはんちゆうに収まらないのです」

 なぜ解る。

「こんなことが出来るのは涼宮さんだけです。あなたはほかに心当たりがあるんですか?」

 そんなもんに心当たりのあるやつもうそうへきがあるか妄想しかできない奴だ。

「俺にどうしろって言うんだ」

「それが解れば解決したも同然ですね」

 なぜか古泉は楽しげに見える。少なくとも困った顔はしていない。なぜだ?

「ここしばらく僕をなやましていた感の元が明らかになったものでね」

 古泉は明かす。

「あなたもそうだったのでしょうが、市民プールの日から今まで、不定期にきようれつ感がありました。今思えば、それは前回以前のループで経験した記憶のざん──としか言いようがないですね──だったのだと解ります。リセットからこぼれ落ちた部分が、僕たちにそれを感じさせたのでしょう」

 ひょっとして全人類が感じているのか。

「それはないようです。僕やあなたはとくしゆな事例なんですよ。涼宮さんに近しい人間ほど、この異常を感じ取れることになっているようです」

「ハルヒはどうなんだ。あいつはちょっとでも自覚しているのか」

「まったくしていないようですね。してもらっては困るというのもありますが……」

 長門のほうへ流し目を送って古泉は宇宙人にたずねた。さり気なく。

「それで、何回くらい僕たちは同じ二週間をリプレイしているのですか?」

 長門は平気な顔で答えた。


「今回が、一万五千四百九十八回目にがいとうする」


 思わずクラリときたね。

 いちまんごせんよんひゃくきゅうじゅうはち。平仮名で二十文字もかかる単語も15498と書けばまだ少なく思える。らしきかなアラビア数字。誰か知らんがこれを考え出した人に感謝のいのりをささげたい。あんたスゴイよ。そんなどうでもいいことを考えてしまうくらい、ほうもないヨタ話である。

「同じ二週間を一万何千回です。自分がそんなループにとらわれていると自覚して、記憶もそのままちくせきするのだとしたら、通常の人間の精神では持たないでしょう。涼宮さんは、たぶん我々以上にかんぺきな記憶まつしようを受けていると思いますよ」

 こう言うときは一番の物知りにくに限る。俺は長門にかくにんしてみた。

「それはマジな話なのか?」

「そう」

 こくりと長門。

 するとだ。明日に俺たちがやる予定になっていることも、すでに俺たちは過去においてやってしまっているのか。この前のぼんおどりと金魚すくいも?

「必ずしもそうではない」

 長門は声にも表情はない。

「過去一万五千四百九十七回のシークエンスにおいて、涼宮ハルヒが取った行動はすべてがいつしているわけではない」

 たんたんと俺を見つめ続ける長門は、やはり淡々と言った。

「一万五千四百九十七回中、盆踊りに行かなかったシークエンスが二回ある。盆踊りに行ったが金魚すくいをしなかったパターンは四百三十七回ががいとうする。市民プールには今のところ毎回行っている。アルバイトをおこなったのは九千二十五回であるが、アルバイトの内容は六つにぶんする。風船配り以外では、荷物運び、レジ打ち、ビラ配り、電話番、モデルさつえいかいがあり、そのうち風船配りは六千十一回おこない、二種類以上が重複したパターンは三百六十回。順列組み合わせによる重複パターンは──」

「いや、もういい」

 エイリアン印の人造人間をだまらせて、俺は考え込んだ。

 俺たちは八月後半の二週間を一万五千ええいめんどくさい、15498回もやっている最中なのだという。八月三十一日でリセットされて、八月十七日からのやり直しだと。しかし俺にはそんなおくはなく、長門にはあるようで──何でだ?

「長門さん、と言うよりも情報統合思念体が、時間も空間もちようえつしている存在だからでしょう」

 古泉得意のうすわらいも、この時ばかりはこわばって見えたのは光の加減かな。

 いや別にそれはいい。置いとこう。長門とその親玉がそれくらいしそうなのはわかっている。俺が気になったのはそこではなくて、ってことはつまり……。

「すると長門。お前はこの二週間を15498回もずっと体験してきたのか?」

「そう」

 何でもなさそうに長門はうなずいた。そう、ってお前、ほかに言うことはないのか。そんなもん俺だって言うことが思いつかん。が、

「ええとだな……」

 待てよな。15498回だぞ。それも、×かける二週間だ。のべ日数に直せば216972日、えーえー、約594年分だぞ。それだけの時間を、こいつは平然と過ごしてはまたやり直し、過ごしてはやり直し、っつうのをじっとながめていたのか。いくらなんでもきるだろそれじゃあ。15498回も市民プールに行っていれば。

「お前……」

 言いかけて俺は口をざす。長門が小鳥のように首をかたむけて俺を見ている。

 プールサイドにいる長門を見て思った感覚がよみがえった。退たいくつそうに見えたのはちがいではなかったのかもしれない。さすがの長門もうんざり気味だったのかもしれない。こいつは何も言わないが、人知れず舌打ちの一つでもしていたのかも──と考えてひらめいた。現象はなんとなく解ったが、何でこうなったのかを未確認だ。

「何でハルヒはこんなことをやっているんだ?」

「推測ですが」

 とは古泉の前置き。

「涼宮さんは夏休みを終わらせたくないんでしょう。彼女のしきいき下がそう思っているのですよ。だから終わらないわけです」

 そんな登校きよみたいな理由でか。

 古泉はかんコーヒーのふちを無意識のようになぞっている。

「彼女は夏休みにやり残したことがあると感じているんでしょう。それをせずに新学期をむかえるわけにはいかない。それをしてからでないと心残りがある。そのモヤモヤをかかえながら八月三十一日の夜を迎えてねむりにき……」

 目を覚ましたられいさっぱり二週間分、時間を巻きもどしているってわけか。何というか、もうあいあきれもき果てるとはこのことだな。何でもするやつだとは知ってたけど、だんだん非常識レベルがランクアップしてるんじゃないか。

「いったい何をすれば、あいつは満足なんだ」

「さあ、それは僕には。長門さんは解りますか?」

「解らない」

 あっさり言ってくれるなよ。この中で究極的にたよりになるのは、お前だけなんだぜ。そんな思いが俺の声となって表れた。

「どうして今まで黙っていたんだ? 俺たちがエンドレスな二週間ワルツをやってることをさ」

 数秒間のちんもくの後、長門はうすくちびるを開いた。

「わたしの役割は観測だから」

「……なるほど」

 それは薄々解っていた。長門が積極的に俺たちの行動にかかわってきたことは今のところない。結果的に関わっていることなら、ほとんどすべてが当てはまるかもしれないが、こいつがアプローチをしかけてきたのは、俺が長門のマンションに連れて行かれたあの一回だけと言えるだろう。その時以外の長門は、いつしか必要なポジションにいて、俺たちと行動を共にしているだけだ。

 忘れるわけにはいかない。長門有希は情報統合思念体に作られたヒューマノイドインターフェースなのである。ハルヒを観測対象とするためにつかわされた有機生体アンドロイドなのだ。感情を出すことにセイフティがかかっているのは仕様なのかどうなのか。

「それはいいとして」

 それ以前に、俺にとっての長門有希は、本好きで無口で色々頼りになるがらな同級生の少女で仲間だ。

 SOS団メンバーの中で、最も博学で、しかも実行力もね備えていると言えば長門なのだ。なので、またまたちょっといてみることにした。

「俺たちがこのことに気付いたのは何回目だ」

 俺の思いつきのような質問を、長門は予想していたかのように答える。

「八千七百六十九回目。最近になるほど、発覚の確率は高まっている」

感、感ありまくりでしたからね」

 なつとくする様子の古泉だった。

「しかし過去のシークエンスで、僕たちはおちいったじようきように気付きつつも、正しい時間の流れに復帰することはできなかったんですね」

「そう」と長門。

 だから、いま朝比奈さんも泣いているわけだ。気付いてしまったからこそだ。そして、またおくや経験値や身体的成長を二週間分失って元に戻り……また気付いて泣くことになってしまう。

 俺はいったい何度思ったことだろう。春にハルヒに会ってから今まで、あいつが原因のメタクソイベントが発生するたび、俺は思ってきた。今もその時だ。

 なんてこった。

 この二週間で思うのも、これで8769回目なんだろうけどさ。

 まったくもって……。

 またアホな話を聞いてしまったな。



 その翌日は天体観測の番だった。

 じつ場所は長門のマンションの屋上である。ごつい天体望遠鏡を古泉が持ってきて、さんきやくに備え付けていた。午後八時をまわったところ。

 空も暗かったが、朝比奈さんも暗かった。心ここにあらずと言ったおもちでぼんやりしている。天体観測どころではないのだろう。俺の気持ちは複雑だ。

 古泉はすっかり開き直ったような微笑ほほえみをかべてセッティングに余念がない。

「幼いころの僕のしゆがこれだったんですよね。初めて木星の衛星をとらえたときは、けっこう感動しましたよ」

 長門は相変わらずの様子で、ただじっと屋上で立ちつくしている。

 俺があおいだ夜空には、星なんて数えるほどしか出ていない。よごれた空気のせいで見えないのだ。こういうのを空がないと表現すべきなのかもな。大気のむ冬になれば、オリオン座くらいは見えるだろうが。

 天体望遠鏡のほこさきは、地球のおとなりさんへと向いていた。のぞき込んでいたハルヒが、

「いないのかしら」

「何がだ」

「火星人」

 あんまりいて欲しくないな。ためしに俺はタコみたいなビッグアイズモンスターがニョロニョロしながら地球せいふく計画を立案している姿を想像してみた。お世辞にも楽しいとは言えない。

「どうしてよ。とっても友好的な連中かもしれないじゃないの。ほら、地表にはだれもいないみたいだし、きっと地下のだいくうどうでひっそり暮らしているえんりよがちな人種なのよ。地球人をびっくりさせないようにしてくれてるんだわ」

 ハルヒ的イマジネーショナル火星人は地底人でもあるらしい。どっちか一種類にしてくれよ。ペルシダーかマーズアタックか。二つを組み合わそうとするからややこしいことになるんだぜ。シンプルに考えろ、シンプルに。

「きっと最初の火星有人飛行船が着陸したときに、ものかげから登場するはずを整えているのね。ようこそ火星に! 隣の星の人、我々はあなたたちをかんげいします! とか言ってくれるにちがいないわ」

 そっちのほうがよほどびっくりするだろうよ。不意打ちもいいとこだ。最初に火星の大地をむのが誰かは知らないが、前もって教えてやっておいたほうがいいな。メールのあてさきはNASAでいいのか?

 順番に望遠鏡で火星の模様をながめたり、月のクレーターを観察しながらの時が流れた。不意に姿が見えなくなったなと思って探してみると、朝比奈さんは屋上の転落防止さくにもたれるようにしてひざかかえていた。首をななめにして、目を閉じている。昨日はよくねむれたと言いがたいだろうから、そのまま眠らせててあげよう。

 劇的な変化もない夜空にきたのか、ハルヒは、

「UFO見つけましょうよ。きっと地球はねらわれているのよ。今も衛星どうくらいに異星人のせんけんたいが待機してるはずよ」

 楽しげに望遠鏡をぐるぐる回していたが、それにも飽きたのだろう。朝比奈さんの横に座り込んで、小さなかたによりかかってすうすういきを立て始めた。

 古泉が静かに言った。

「遊びつかれたんでしょう」

「俺たちより疲れているとは思い難いけどな」

 ハルヒはぐうすか眠っている。その寝顔は、イタズラきをしたくなるほどさまになっていた。と言っても寝ている顔が一番よいというわけじゃない。こいつは口さえ開かなければいいんだ。長門と意識が入れわるようなことがあれば最高かもしれない。あまりにリアクションのなさすぎるハルヒもどうかとは思うが、じようぜつで感情豊かな長門というのも想像を絶するな。

 夜風にそよがれつつ、俺は二人並んで眠りこけているハルヒと朝比奈さんを眺めていた。こうしていればハルヒも朝比奈さんに引けを取らないよな。こっちのほうがいいってやつもいるだろう。それは間違いない。

「何がしたいんだろうな、こいつは」

 ためいき混じりの声が出た。

「友達みんなで仲良く楽しく遊んでいるとか、そういうのか?」

「おそらくは、そうでしょう。その友達とは僕たちのことになっていそうですが」

 古泉は夜空の向こうに視線をえて、

「それでは、いったいどのような楽しいことをすべきなのでしょう。それがわからない限り、終わりもきません。涼宮さんが何を望んでいるのか、彼女自身も知らないその何かを解明し実行するまで、僕たちは何度も同じ二週間をり返し続けるというわけです。おくがリセットされることを我々は感謝すべきでしょうね。でなければ、とっくに僕たちは精神に異常をきたしているに違いないでしょうから」

 一万五千四百九十八回の繰り返し。

 ほんとか? 俺たちは、長門にかつがれているんじゃないのか? はっきり言って、にわかには信じがたいことであり、しかし、ハルヒならやりそうでもある。こいつのいまだ知られざるなぞのパワーは、どうやらハルヒも知らないうちにとうへんぼくなことをやっているらしいからな。自らの意思で何かをしようと、無意識で何かをしでかしても、両方ともにめいわくきわまる女であることだ。

 そんなハルヒとりちに行動を共にする俺たちは、どうも付き合いがよすぎるおひとし団体なんじゃないかと思うときもある。SOS団の気のいい面々。俺が世界の命運を左右する立場に組み入れられるとは、それこそ世界の正気を疑いたい気分だよ。

 それにだな、守るべき世界が絶対的に正しいなんていう思いこみは、人間それぞれの主義主張によっていとも簡単にねつぞうされ大量生産されるようなアヤフヤなものでしかない。それが解っていないから、この世は自分勝手な論理のすり替えや押しつけにもうじゆうする奴らばかりなんだ。千年後、後世の人々から自分たちがなんて評価されるのか、ちっとはそれを考えてみるべきだ。

 俺がそんなふうに出来るだけどうでもいいことを考えようと努めていると、古泉が不意打ちのように、

「涼宮さんの望みが何かは知りませんが、試みにこうしてみてはどうです? 背後からとつぜんきしめて、耳元でアイラブユーとでもささやくんです」

「それをだれがするんだ」

「あなた以外の適役がいますかね」

きよ権を発動するぜ。パス一だ」

「では、僕がやってみましょうか」

 このとき俺がどんな顔をしていたのか、自分では見るすべがなかった。鏡の持ち合わせがなかったからな。だが、古泉には見えたようで、

「ほんのライトなジョークですよ。僕では役者が不足しています。涼宮さんを余計に混乱させるだけでしょうね」

 と言って、のどの奥で笑うみみざわりな音を立てた。

 俺は再びだまり込み、よどんだ夏の大気にもめげず、ゆいいつと言ってもいいくらいにかがやき続ける月を見上げる。

 吸い込まれそうなくらい暗い空にいたぎんばんは明るく太陽の光を受け、それはまるで俺をさそっているかのようだった。どこへ? そんなもん、知るか。

 棒立ちで天空へ顔を向けている長門の後ろ姿を見ながら、俺はそんなことを考えていた。



 夏はまだ続きそうだが夏休みはそろそろ終わりが近い。にもかかわらず、終わるのかどうかが知れたものでもないというのであるらしくもあって、かんべんしてくれよ、マジで。

 また俺たちは八月十七日にもどることになるのかもしれない。何をすればハルヒは「やり残したこと」を見つけるのか。

 何を残しているんだよ。俺はすっかり夏休み中にするべき学校から出された課題をわんさと積み残しているが、ハルヒの心残りはこれではないらしい。なんせ奴はとうに宿題を終わらせている。

 この次、俺たちはどこに向かうのか。

「バッティングセンターに行きましょうよ」

 ハルヒは金属バットを持参していた。いつぞや野球部からガメてきたデコボコバットだ。ボールを前に飛ばすと言うより、ぼくさつ目的にふさわしそうな中古のボロいやつ。まだ持ってたとはね。

 我等が団長はかみをなびかせ、とびっきりのがおを俺たちにまんべんなくりまきながら、俺たちを幹線沿いのバッティングセンターへと導いた。おおかた高校野球に何らかのインスパイアを受けた結果かと思われる。

 ゆううつは団員をじゆんりにめぐるのか、このたびは朝比奈さんがブルーもしくはブルーなおもちである。それは俺にとっては少しの残念さを感じさせることでもあった。やっぱり元いた所に帰りたいんだな。

 長門と古泉はほとんどだんの調子へと舞い戻り、能面とニコニコマークが俺の後ろをついて歩いている。まるで自分たちの役目はここにはないみたいな顔だ。少しは深刻になれ。

「ふう」

 俺は息をき、前方で飛びねるハルヒの黒髪を視線に乗せた。

 こいつと出会ってから、SOS団の結成記念日から、ハルヒのおりは俺の役目だとどこかの誰かが決めたらしい。誰だかわからないのでうらみ言を言うのはしゆくしておいてやるが、それでも俺はこれだけは言いたい。

 過大評価してくれるなよ、俺はそんな大したいつぱん市民じゃねえぞ。

 そんなモノローグも今はむなしささくれつだ。

 朝比奈さんは狼狽うろたえ中、古泉は笑ってるだけで、長門は見てるだけ。

 俺がハルヒをどうにかしなければならない。

 しかし、何をどうやるんだ。

 その答えを持つ者はハルヒしかおらず、そんなハルヒは問題が何かを知らないのだ。

「みくるちゃんは振らなくていいから! そこでバントの練習よ。振っても当たるわけないしね。バットに球を当てて転がすのよ。あーっ、もう打ち上げちゃダメでしょ!」

 以前の草野球大会の出来事がを引いているようだった。来年も参加するつもりなのか、ひょっとして。

 ハルヒは時速百三十キロのケージをどくせんし、するどいボールをぱっこんばっこん打ち返している。とても気持ちがよさそうで見ているこっちまで気持ちよくなる。たいしたやつだな、この女は。さいぼうこんぽうしているミトコンドリア数が常人とはちがうのかもしれん。このエネルギーはどこから来るんだろう。少しは世のために使えばいいのに。



 それ以降もハルヒの目指すノルマ消化態勢は誰にもポーズボタンを押させない勢いで、俺たちは動きずくめだった。

 本物の花火大会にも行った。はまでやる尺玉打ち上げ花火。三人むすめは再び浴衣ゆかたころもえして、どんどこ打ち上がってはバンバンさいするえんはなを(ハルヒだけが)たんのうし、まったく似ていないキャラ顔花火を指差して笑っていたりした。に派手なことがハルヒは大好きなのだ。そういうときだけハルヒの笑顔にはじや欠片かけらもなく、ねんれいよりも幼い感じがして俺はひょいと目をらした。見つめていたら俺が変なことを考えてしまいそうであったからだが、まあ、その変なことなんてのが何かは俺にも解らない。しようだいであるって事だけは学習できた気分だ。

 また別の日は県境の川でやってるハゼり大会にも飛び入り参加させられた。ハゼはちっとも釣れず、見たことのない小さな魚がエサをついばむばかりで計量にも参加できなかったが、ハルヒの楽しみは投げ竿さおを振り回すことにあったみたいなのでボウズでもぶーたれたりはしなかった。間違ってシーラカンスを釣り上げるよりはよっぽど有りがたいことだと俺はあんし、エサのゴカイを見るなり青くなって遠くにげた朝比奈さんの手作り幕の内弁当を心おきなくっていた。

 このころになるとハルヒも俺も、どこの子供かと思うくらい真っ黒に日焼けしていて、ほかの二人がきっちりがいせん対策しているのとは好対照だ。長門だけはほうっておいてもけそうにないし、小麦色の長門なんてのも想像のわくがいな光景だからそれはそれでよかった。

 こんなのんに遊んでいる場合ではないとは、俺自身解ってはいるんだが。



 かれたレールの上をしつそうしているような日々はまたたく間に過ぎていく。

 ハルヒは元気いっぱい。俺は青色いき。朝比奈さんのブルーはこん色へと化していて、古泉はていかん気味のヤケしようを広げ、変化なしなのは長門だけだった。

 思えばこの二週間で様々なことをやったものだった。

 そろそろタイムリミットが近付いている。今日は八月三十日。残る夏休みは明日しかない。今日明日中に何かをしないといけないらしいのだが、何をすればいいのかがさっぱり解らん。夏の日差しもツクツクホーシの鳴き声も、夏を構成するすべてが不安要素だった。高校野球もいつの間にか優勝校が決まってた。もうちょっとやってろよと思う。

 せめてハルヒの気がすむまではさ。



 ハルヒのにぎったボールペンがすべての行動予定にバツマークをつけていた。

 昨夜ゆうべ、わざわざうし三つ時を選んで広大な墓地まで出向き、ろうそく片手にほうこうするというきもだめしが最後のレクリエーションだ。ゆうれいあいさつしに出てくることもなかったし、ひとだまがふらふら散歩していることもなく、朝比奈さんが無益におびえているところくらいしか見るべき所もなかったね。

「これで課題は一通り終わったわね」

 八月三十日正午過ぎ。おみ、駅前のきつてんでの出来事である。

 ハルヒは徳川まいぞうきん在処ありかがボールペンで記されているコピー用紙を見るような目で、ノートの切れはしを見つめていた。なつとくしているようでもあり名残なごりしげでもある。本来なら俺も名残惜しく感じるはずだ。夏休みは明日一日しか残っていない。本来ならば。

 終わりが本当に来るのか、今の俺は相当疑わしく思っている。疑い深くもなる。SOS団なんてアホ組織に何ヶ月もいて、じようちよくずれた団長に率いられていたりしてたらさ。もうちょっと単純な性格をしていたかったよ。朝比奈さんがいるからそれでもういいやとか思えるような、そういう割り切り型の簡単な……いやもう言うまい。過ぎたるはおよばざるがごとし(わざと誤用するのがコツだ)。

「うーん。こんなんでよかったのかしら」

 ストローでコーラフロートのバニラアイスをつつき回しながらハルヒはえ切らない様子だ。

「でも、うん。こんなもんよね。ねえ、他に何かしたいことある?」

 長門は答えず紅茶にいたレモンの輪切りをじっと観察している。朝比奈さんはしかられた子犬のようにうなだれて両手をひざの上で握りしめていた。古泉は微笑ほほえみつつウインナコーヒーのカップを口元に運んでいるだけである。

 ついでに俺も、何のセリフも思いつかずにむっつりとうでみをして、どうするべきかと考えていた。

「まあいいわ。この夏はいっぱい色んな事ができたわよね。色んな所に行ったし、浴衣ゆかたも着たし、セミもたくさん採れたしね」

 俺にはハルヒが自分に言い聞かせているようにも思える。そんなんじゃないんだ。まだじゆうぶんじゃない。ハルヒはこれでもう夏休みが終わっていいとは、心底思っているわけではない。いくら言葉で表明しようと、胸の内はかくせていない。ハルヒの内面、奥の奥のそのまた奥底は、これでもまだ満足な納得をかくとくできていないはずだ。

「じゃあ今日は」

 ハルヒは伝票を俺によこして、

「これでしゆうりよう。明日は予備日に空けておいたけど、そのまま休みにしちゃっていいわ。また明後日あさつて、部室で会いましょう」

 席からこしを浮かせてハルヒはすっとテーブルをはなれ、俺はじんあせりを覚えた。

 このままハルヒを帰してはならない。それだと何も解決しないんだ。古泉が発見して長門が保証したり返される二週間、一万五千四百九十九回目がやってくる。

 だが、何をすべきなんだ。

 ハルヒの後ろ姿がスローモーションで遠ざかる。

 その時だ。まったくのとつぜんとうとつとつじよとしてこつぜんと──、

 アレが来た。

 何もかもがごたまぜになった「あれ、このシーン以前に……」だ。しかし今日のコレはけたちがいの眩暈めまい感をともなっていた。今までないきようれつな既視感。知っている。今まで一万回もやっている繰り返しの出来事。八月三十日。あと一日。

 ハルヒのセリフにどこかにそれがあったはずだ。何だ何だ何だ。

「どうしたの?」

 だれかがしやべっている。古泉の言葉にもあったはずだ。俺が気がかりであり、先延ばしにしようともしている……。

 ハルヒは席を立っている。いつぞやのようにとっとと帰るつもりだ。帰らせてはダメなんだ。それでは変化しない。今までの俺はどうやって変化させようとしていたのか。そうとうとしか思えないものがよぎる。前回までの俺たちがしたこと……、

 そして──しなかったこと。

 考えているヒマはない。何か言え。ダメもとで言っちまえ。

「俺の課題はまだ終わってねえ!」

 だからって何もさけぶことはなかったかもしれない。後で冷静に考えると、また一つの俺の海馬組織からまつしようしたいおくが刻まれたしゆんかんだった。周りの客も店員も、そして自動ドアの手前にいたハルヒさえもり返り、俺に注目の視線を固定させている。

 言葉は勝手に出てきた。

「そうだ、宿題だ!」

 突然わめき始めた俺に、店内の全員がこうちよくしていた。

「なに言ってんの?」

 ハルヒは明らかに変なヤツを見る目で近寄ってきた。

「あんたの課題? 宿題って?」

「俺は夏休みに出された宿題を何一つやってない。それをしないと、俺の夏は終わらないんだ」

「バカ?」

 本当に鹿を見る目でいやがる。かまいやしない。

「おい古泉!」

「は、何でしょう」

 古泉もあっけに取られているようであった。

「お前は終わってるのか?」

「いいえ、バタバタしていましたからね。まだ半ばと言ったところでしょうか」

「じゃあいつしよにやろう。長門も来い、お前もまだだよな」

 長門が答える前に俺は、人形劇のパペットのように口を開けている朝比奈さんに手を差しべた。

「ついでだ。朝比奈さんも来て下さい。この夏の課題を全部終わらせるんです」

「え……」

 朝比奈さんは二年生なので俺たちの宿題とは関係ないが、そんなもんこそ今は関係ないのだ。

「で、でも、その、どこへ?」

「俺んでやりましょう。ノートも問題集も全部持ってきて、まとめてやっちまおう。長門と古泉、できてるとこまで俺に写させろ」

 古泉はしゆこうした。

「長門さんもそれでいいですか?」

「いい」

 はんなおかっぱ頭がこくりと動き、俺を見上げた。

「よし。じゃ明日だ。明日の朝からしよう。一日でどうにかしてやるぜ!」

 俺がこぶしにぎりしめて気勢を上げていると、

「待ちなさいよ!」

 腰に手を当てたハルヒが、テーブルの横でふんぞり返っていた。

「勝手に決めるんじゃないわよ。団長はあたしなのよ。そう言うときは、まずあたしの意見をうかがいなさい! キョン、団員の独断専行は重大な規律はんなの!」

 そう言って、ハルヒは俺をにらみつけ、高らかに叫んだ。

「あたしも行くからねっ!」



 ──その日、その朝。

 どうやらアタリを引いたらしい。自室のベッドで目を覚ました俺は、目覚めていきなり自分が何とか事態を切りけたことを知った。

 なぜなら俺には思い出があったからだ。ぼん過ぎに田舎いなかから帰ってきて、ハルヒ達とプール行ったりセミを採ったりした八月の記憶の数々。その記憶たちの中でも、とりわけ昨日の日付をまざまざと覚えているのがらしいの一言につきる。

 昨日は八月三十一日、そして今日は九月一日だ。

 最新の記憶が教えてくれている。夏休みの最終日、俺のこの部屋でSOS団勉強会がかいさいされた。とんでもなくつかれたことをよく覚えている。一日ですべてのノートを模写するだけでも重労働なのに、自分の頭で考えていたりすればそのろう度がどれほどのものになったか想像する気もない。昨夜のしゆうしん時点で、俺の体力気力精神力ゲージは小パンチ一発でベッドにたおれ込む寸前のはばしか残っていなかったのは確かである。

 昨日、自分がやり終えた夏休みの宿題を山のようにかかえてこの部屋に上がり込んだハルヒは、俺と古泉と長門と朝比奈さんがせっせとシャーペンを走らせるのをしりに、ずっと俺の妹と遊んでいた。

「丸写しはダメだからね」

 部屋のテレビで妹とゲームをしているハルヒは、コントローラのボタンを連打しながら言ったものだった。

「文章表現を変えるとか、計算をちょっとヒネるとかしなさいよ。教師もバカなやつばかりじゃないんだからね。特に数学のよしざきいんけんだから、そういうとこ細かく見てるわよ。あたしに言わせれば吉崎の解法は全然エレガントじゃないけど」

 五人プラス妹がひしめき合うには俺の部屋は少々ぜまだったし、たのんでもいないのに母親がジュースだの昼飯だのあまだのをひっきりなしに持って来るもんで余計にうっとうしかったが、けんしようえんになるかと思うほど手首を動かしまくる俺たちとちがい、ハルヒはずいぶんと楽しそうにしていた。ゆうみというやつだろう。とかく上にいる奴は下を見下ろしてはこんなふうに笑うものなのかもな。あまりの余裕ぶりか、ハルヒは上級生の朝比奈さんが四苦八苦している小論文にも口出ししていた。朝比奈さんのレポートが評価Cだったなら、それはハルヒのせいであろう……。

 そんなおくはんりよとして、俺はベッドから起きあがった。

 今日から新学期が始まる。始まるらしい。

 二学期がこれほど待ち遠しかったことは、いまだかつてない。



 体育館で校長の訓辞を聞き、短いホームルームを済ませての放課後である。現在の日付は九月一日で合っている。教室で「今日は何日だ?」といた俺に、たにぐちくにが気の毒そうな目の色になっていたからにはそうなんだろう。

 こうばいも食堂も今日はまだ開いていないため、ハルヒは校門の外にある屋まで買い出しに出かけている。部室には俺と古泉だけがいた。

「涼宮さんは文武ともゆうしゆうなかたです。それは幼いころからそうだったでしょう。ですから彼女は、夏休みの宿題などが負担だとはまったく思わなかったのですよ。ましてや、友人とともに分担作業をするものでもなかったのです。涼宮さんはそんなことをするまでもなく、一人で簡単に片づけられる能力があるわけですから」

 古泉の解説を聞きながら、俺はまどぎわにパイプを引き寄せて校庭を見下ろしていた。文芸部の部室でのことだ。始業式の今日、特にすることもなく帰宅してもよかったんだろうが、なんとなく俺はここに来て、同じく登場した古泉とここでこうしている。おそろしく貴重なことに長門はいなかった。顔には表さなかったが、あいつもやっぱり疲れていたのかもしれない。

 きんりんのセミ勢力図は、アブラゼミからツクツクホーシの版図増大へと転じかけている。夏休みは終わった。それは確かだ。しかし、

うそだったみたいな気がする。一万五千何回も八月後半をやっていたなんてのはな」

「そう感じるのも無理はありませんね」

 古泉は晴れやかに微笑ほほえんで、カードを切っていた。

「一万五千四百九十七回、それだけのシークエンスにいた僕たちと、今の僕たちは記憶を共有していません。過去それだけ分の僕たちは、この時間じくにおいては存在しない。一万五千四百九十八回目の僕たちだけが、正しい時間流に再び立ちもどることができたわけですから」

 だがヒントはもらった。あの何度もの感、特に最後に俺の感じたアレは、以前に同じ立場にいた俺たちからのおくり物だったのかもしれない。以前というのもおかしいか? 以前も何も、時間はとらけてバターになるほどのメリーゴーラウンド状になっていただけらしいからな。

 それでも俺は、今の俺があることを先に二週間を過ごしていたその俺たちのおかげだと思いたい。そうでも思ってやらなければハルヒに無かったことにされている彼らの夏がまるで無駄だったと言わんばかりじゃないか。

 特に自分たちがリセットされることに自覚のあった、八千七百六十九回分の俺たちがさ。

「ポーカーでもしますか?」

 古泉が新米マジシャンのような手つきで札をる。たまには付き合ってやるか。

「いいとも。だが何をける? 金ならないぞ」

「ではノーレートで」

 そしてそんな時に限って、しなくてもいいのに俺はバカ勝ちした。ロイヤルストレートフラッシュなんて初めて見た。


 もう一度この日をやり直す機会があったなら、賭け金の設定をとも覚えておくことにしよう。

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