第六章

 シャリシャリ。

 耳にすずしい音が届いている。

 やみの中、じようしつつある意識のはしっこで、俺はぼんやりと考えていた。

 夢だったのかもしれない。何だかものすごおもしろい夢を見ていたことを覚えていて目覚め後五分くらいはスゲーとか思っているのだが、歯をみがいているあたりでじよじよにディテールがあやふやになって飯っているうちにさんしていき、気が付けばそれは「物凄く面白い夢だった」というりんかくだけしか残っていない。そんな経験なら何度もある。

 そしてちっとも面白くない夢なのにしようさいが明確にいつまでものうにこびりついていることだって何度もあった。あるいは夢のようで夢でないものだったのかもしれない。ハルヒとへい空間にもらされたあの夜のような、実際にあって、しかしなかったことになっている、あのおくのように。

 俺が目を開けたとき、最初に思ったのはそんなことだった。

 白いてんじようが見える。自宅の俺の部屋ではない。朝か夕方か、とうめい感のあるオレンジ色の光が天井同様白いかべいろどっていた。

「おや」

 徐々にはっきりしてくる頭に、その声はけいけんな信徒が聞く教会のかねの音のように安らぎに満ちて聞こえた。

「やっとお目覚めですか。ずいぶん深いねむりだったようですね」

 俺は首をねじ曲げて声の主を探した。そいつは横たわる俺のわきにいて、に座ってリンゴの皮をくだものナイフでいていた。シャリシャリ。つるつると赤い皮が切れずに垂れ下がる。

「お早うございますと言うべきでしょうか。夕方ですけど」

 古泉一樹の、おだやかなしようがそこにあった。

 見る見るうちに古泉はリンゴを一個まるはだかにすると皿にせ、引き出されたサイドテーブルに置いた。そしてかみぶくろから二個目のリンゴを取り出して俺にニッコリ笑いかけた。

「目を覚ましていただいて助かりました。本当に、どうしようかと思ってたのですよ。おっと……、ぼんやりなさっておられますが、僕が誰だか解りますか?」

「お前こそ、俺が誰だか知ってんのか?」

「変なことを言いますね。もちろんです」

 この古泉がどちらの古泉なのか、それは格好を見れば解った。

 こんブレザーの制服姿。黒い学ランではない。

 それは北高の制服だ。

 俺はかぶさっているとんから片手を出した。てんてきのチューブがぶら下がっている。それを見つめながら、

「今はいつだ」

 古泉はこいつにしてはおどろいた表情となって、

「目覚めて最初の質問がそれですか? まるで自分の置かれているじようきようあくしているようなセリフですが、お答えしますと今は十二月二十一日の午後五時過ぎです」

「二十一日か……」

「ええ、あなたが意識不明になってから、今日で三日目ですね」

 三日目? 意識不明?

「ここはどこだ」

「私立の総合病院です」

 俺は周囲を観察した。なんだか立派な一人部屋、そのベッドの上で俺は寝ている。個室に入れられてるとはな。我が家にそんな財源があったとは知らなかった。

「僕の叔父おじの知り合いがここの理事長なので特別に便べんはかってくれた──ということになっています」

 では、そうじゃないんだな。

「ええ。『機関』にたのんで手を回してもらいました。一年くらいは格安でまりできますよ。とは言え、三日で済んで僕も胸をなで下ろす気分です。いえ、お金の問題ではありません。僕がついておきながら何をしてたんだとね、上に散々言われました。始末書ものですよ」

 二十一日の三日前は十八日だ。その日の俺に何が起きたのかと言うと……。ああ、そうか、俺は出血多量で死にかけて、それで病院にかつぎ込まれた……いや、待て、おかしい。

 俺は着ている病院服をこわごわとめくり、みぎわきばられてみた。

 何ともない。こそばゆいだけで痛くもかゆくもない。三日で治る傷じゃないはずだ。だれかが修理してくれたのではない限り。

「俺がここにいる理由は何だ? 意識不明だって?」

「やっぱり覚えてないんですか? 無理もありませんね。ひどく頭を打ったみたいですから」

 俺は頭に手をやった。こちらもかみの毛しかなかった。包帯が巻かれていたりメッシュをかぶらされているわけでもない。

「そうなんです。不思議なことに外傷はまったくなかったんです。内出血もありませんでしたし、脳機能に異常も見られませんでした。どこが悪いのか、担当医も首をかしげていましたよ」

 ですが、と古泉は言った。

「僕たちはあなたが階段から転がり落ちるところをもくげきしました。それはもう、見事なばかりの階段落ちでしたね。正直言いまして青ざめました。なんとなく、そのままえいみんしてもおかしくないようなすごい音がしましたからね。その時の状況を言いましょうか?」

「言え」

 部室とうの階段を下りている最中さなかに俺は足をすべらせたか何かして段差をみ外した。そのまま頭から転がり落ちると、後頭部をおどり場のゆかに、ガーン! とぶつけて動かなくなった。

 古泉の説明によるとそういうことになっているらしかった。

「大変だったんですよ。救急車を呼んだり、ぐったりしたあなたに付きって病院まで来たりね。血の気のせた涼宮さんなんてものを初めて見ましたしね。ああ、救急車を呼んだのは長門さんです。彼女の冷静さには救われました」

「朝比奈さんはどんな反応をしてた?」

 古泉はかたをすくめて、

「あなたが思いえがく通りだと思いますよ。泣きながら取りすがってあなたの名前を呼び続けていました」

「それが起きたのは十八日の何時ごろの話だ。どこの階段だ」

 ばやに質問する。十八日と言えば世界が変わっちまって俺があわてふためいていた初日である。

「それも覚えていないんですか? 昼過ぎのことです。SOS団全体会議を終えた僕たちは五人で買い物に出かけようとしていたんです」

 買い物?

「それすらおくから飛んでしまいましたか。よもやとは思いますが、忘れたふりをしているんじゃないでしょうね」

「いいから続きを教えろ」

 くちびるゆるめて古泉は笑う。

「その日の会議の主題は、ええとですね、二十五日のクリスマスの日に涼宮さんの地元で子供会の集会があるんですが、そこに我々SOS団がゲスト出演するというものでした。朝比奈さんのサンタしようを有効利用しようというわけです。彼女がサンタ役を演じ、子供たちにプレゼントを配るという心温まるイベントですね。涼宮さんが手配をつけてきました」

 いつも通り、勝手なことをしやがる。

「ですがサンタ一人ではリアリティに欠けると思ったのでしょう。涼宮さんは誰かにトナカイの着ぐるみを着せ、朝比奈さんを乗せて会場に登場するというシナリオを書いていました。クジ引きで決めたんですが誰がその役を射止めたか、それはどうです? 思い出してきましたか?」

 さっぱりだな。元々ない記憶を思い出すことが出来たら、そいつは立派な詐話ぺてんだ。別のびようとうに入院する必要がある。だがこの古泉に言ってもせんないことだった。

「まあ、あなたになったんですけどね。そういうわけでトナカイの着ぐるみをいすることにしたんですが、そのための材料を街まで買いに行こうと部室棟の階段を下りていたとき、あなたが落ちてきたんです」

けな話だ」

 そう言うと古泉は小さくまゆをひそめた。

「あなたはさいこうを歩いていました。ですから、その時の様子を見た人は誰もいません。我々の横を、こう、」古泉は右手に持ちかえたリンゴを転がり落として左手で受け止めるというパフォーマンスを演じ、「ゴロゴロと転がり落ちてきたのです。ですけどね、」

 再びリンゴの皮むきを始めながら古泉は、

「ピクリともしないあなたにけ寄った後、階段の上に誰かがいたような気がしたと涼宮さんは言っていました。踊り場の角で制服のスカートがいつしゆんひるがえって、すぐに引っ込んだような気がするとね。僕も気になって調べてみたんですが、その時間の部室棟には我々以外誰も残っていませんでしたし、長門さんも首をりましたね。まぼろしの女ですよ。誰かにき落とされたかどうか、あなたの証言待ちだったんですが……」

 覚えていない。ここはそう言っておくのがベストなんだろう。ただの事故。俺の不注意が招いた単なる自損事故だ。てことにしておけ。

いはお前だけか?」

 ハルヒは、と言いかけてすんでのところで唇を止める。だが古泉はくすりと笑みを落とし、

「さっきから何をキョロキョロしているんです? だれをおさがしでしょう。ご心配なく。僕たちは時間交代であなたを見舞うことにしているのです。あなたが目を開けたときに誰かが側にいるようにね。そろそろ朝比奈さんが来る頃合いです」

 古泉の視線がみように気になった。エイプリルフールのうそ話をあっさり信じ込んだ友人を見て心で舌を出しているような、その目は何だ?

「いえ、あなたをうらやましく思っているだけです。せんぼうと言ってもいいでしょう」

 このじようきようで言うセリフじゃないだろ。

「僕たち団員は交代制ですが、団長ともなると部下の身を案じるのも仕事のうちだそうでして」

 古泉はき終えたリンゴをちようめんに切り分け、ウサギのちようこくほどこしてから台の上の皿に置くと、

「涼宮さんならずっとここにいます。三日前から、ずっとね」

 指差された方角を俺は見た。古泉から俺のベッドをはさんで反対側。そのゆか

「…………」

 いた。

 ぶくろにくるまったハルヒが、口をへの字にしてねむっていた。

「心配していたのですよ。僕も彼女も」

 あいしゆうに満ちた口調がしばくさい。

「特に涼宮さんのどうようぶりと言ったら……いえ、これはまたの機会にお話ししましょう。とにかく今は、あなたが真っ先にしないといけないことがあるでしょう?」

 誰ももが俺に指示をしたがる。朝比奈さん(大)や、この古泉や……。だがそんなツッコミはふういんだ。古泉が切りすぎているリンゴを誰がうんだというくらいのどうでもいいことだった。

「そうだな」と俺は言った。

 がおにイタズラ書き……ではない。それもまた、別の機会でいいだろう。これから何度だって来るさ、そんなチャンスはな。

 俺はベッドに座ったまま手をばし、おこったような顔で眠る顔に指先をれさせた。

 ポニーテールには足りない長さ。俺の目にはたまらなくなつかしい。そのくろかみがむずかるようにれた。


 ハルヒが目を覚ます。



「……ぉが?」

 何やらうめきながらうすを開いたハルヒは、自分のほおをつねっているのが誰だか気づいたたん

「あ!?」

 寝袋に入っていることを忘れていたらしい。バネけのように起きあがろうとしてあえなく失敗、ごろんと横回転してシャクトリ虫のようにうごめいていたがワタワタとい出して、すっくと立ち上がるやいなや、俺に人差し指を突きつけてさけんだ。

「キョンこらぁっ! 起きるなら起きるって言ってから起きなさいよ! こっちだってそれなりの準備があるんだからね!」

 ちやを言うな。だが、そんなお前の大声が現在の俺には何よりの薬だ。

「ハルヒ」

「何よっ」

「ヨダレをけ」

 くちびると眉をぴくぴくさせながらハルヒは口元をあわててぬぐい、そのまま顔をぺたぺたなで回しながら俺をめ付けた。

「あんた、あたしの顔にイタズラ書きしてないでしょうね」

 したかったけどさ。

「ふん。で、他に言うことはないの? あんたさあ、」

 思った通りに答えた。

「心配かけたようだな。すまなかった」

「わ、わかってるんだったらいいわよ。そりゃそうよ、団員の心配をするのは団長の務めなんだから!」

 ハルヒのり声を耳にここよく聞いていると、ドアをノックするか弱い音がした。古泉がじよさいなく立ち上がってスライド式ドアを引く。

 そこに立っていた第三のまいきやくは、俺を見るなり、

「あ。あっあっ」

 うろたえた声を出して、びんかかえたまま戸口に立ちつくした。ふんわりしたかみせきのように愛らしい童顔、背は低いけどグラマラスな北高の上級生。

「やあ……。朝比奈さん。どうも、」

 久しぶりなのかどうなのか、今の俺にはまったく解りませんけどね。

「ふえ……」

 朝比奈さんはボロボロなみだをこぼし始め、

「よかった……。本当に……よかったあ……」

 いつかみたいにきついて欲しいところだったし朝比奈さんもそうするつもりだったのかもしれないが、すっかり花瓶を離すことを忘れているみたいで、ただただ泣き続ける彼女だった。

「大げさねえ。ちょっと頭打ってこんとうしただけじゃん。あたしはちゃんと解ってたわ。このキョンが目を覚まさないわけはないの」

 ハルヒはどこかうわずった声で、俺を見ずに言う。

「だってあたしが決めたから。SOS団は年中無休なんだからね。絶対みんながそろってないといけないの。頭打ったからって、眠りっぱなしになってるからなんて、そんな理由じゃ病欠は認めらんない。解ってる? キョン、三日分の無断欠席は高くつくわよ。ばつきんだからね、罰金! それとえんたいりようも!」

 古泉は軽やかに微笑ほほえみ、朝比奈さんはおおつぶなみだゆかに落とし続け、ハルヒはあらぬ方角を向いて一見怒っているように見える。

 その全員を見ながら、俺はうなずいてかたをすくめた。

「解ってるよ。延滞込みで、いくらはらえばいいんだ?」

 ハルヒは俺をにらみ、うそのような笑顔となった。単純なやつだ。

 その場で俺は人数分茶店おごり三日間を言いわたされ、どうやら定期を解約しないといけないらしいと考えていると、

「それからね」

 まだあるのか。

「うん、だって心配料はべつわくだもん。そうだわ、キョン。クリスマスパーティでね、あんたトナカイのしよう着てあたしたちの前で一発芸をろうしなさい。あたしたち全員が大ウケするまで何回でもやり直しなんだからね! つまんなかったら異次元にすっ飛ばすわよ! ついでだから子供会でもやんなさい。いいわねっ!」

 ハルヒはプリズムのようにひとみかがやかせ、再び俺に人差し指をきつけた。



 目が覚めたはいいがそく退院とはいかない。けつけた医師によるもんしんの後、俺は検査室に運び込まれて様々な機械にかけられた。改造人間にでもしようかというような勢いすら感じられ、俺はほとほとウンザリする。おまけに、もう一日が様子見と各種検査によってついやされることになって、今夜も病室でまりしないといけないらしい。今夜もと言いつつ俺にとっては今日が初めてだし、入院なんかしたこともなかったからいい機会かもしれない。

 ハルヒと古泉、朝比奈さんは、俺のオフクロと妹が来るのと入れちがいに帰ってった。いちおうえんりよしたものと見えるが、そんな神経がハルヒにあったとはおどろきだ。

 妹と母親の相手をしながら、俺は脳を回転させている。

 あのままだったらどうだろう。長門と朝比奈さんと古泉は単なる一人間で、非常識な正体をハナっから持っていない。長門は無口な本好き文芸部員、朝比奈さんはたかの花の上級生、古泉はほかの学校の単なる転校生。

 そしてハルヒも性格がちょっとヒネているだけの女子高生だったとしたら。

 そこから始まる物語もあったかもしれない。現実にんしきがどうのこうの、世界の変容がああだこうだといった、ゆがんだ日常とはえんの物語。

 きっとそこには俺の出番はまるっきりないのだ。俺はたんたんとしたスクールライフを送り、淡々と卒業していったことだろう。

 それのどちらが幸せだったのか。

 もう解っている。

 俺は『今』こそが楽しかった。そうとでもしないと、死にかけてまで俺のやったこうはすべてになってしまうじゃないか。

 ここで質問だ。キミならどちらを選ぶ? 答えは明らかなはずだろう。それとも俺一人がそう思っているだけか?



 やがて我が家族もにつき、消灯時間をむかえた病室で俺はてんじようを見上げていた。することもないので目を閉じてくらやみを求める。

 俺のこの三日間。この世界の俺はその三日間をずっとねむって過ごしていた、らしい。

 ならば──。

 そうなるように改変しなければならない。

 この世界は二度改変されている。あの長門が歪めた世界を再び改変して元にもどした世界が、ここだ。ではだれが二度目の再改変をやったのか?

 ハルヒではない。あの三日間のハルヒにそんな力はなかったし、ここのハルヒは改変されたことを知らない。

 では誰が?

 朝倉のナイフいつせんで止めてくれたのは、そんなことが出来そうなのは、それをするだろう奴は──。

 長門しかいない。

 そして俺が意識を失う前に見た二人の朝比奈さん。大人でないほうの朝比奈さん、あれは俺の朝比奈さんだ。この世界にいる、俺がよく知っている愛らしい未来から来た上級生だ。

 加えてもう一人、あの声の主もそうだ。最後に俺に呼びかけた、どっかで聞いたことのある声。

 思い出そうと努力して、そんな努力は必要ないことに間もなく気付いた。

 あれは俺の声だ。

「なるほど、そうか」

 と言うことは、だ。

 もう一度、俺はあの時間に行かなくてはならないのだ。十二月十八日の朝っぱらまで時間こうしなくてはならない。この時間にいる朝比奈さんと長門と三人で。

 そうして、世界を今ここにある形に戻すのだ。

 朝比奈さんの役目はあの時点に俺と長門を連れて行くこと。長門の役目はくるった三日間と狂わせたあの長門の正常化だ。またハルヒの力を借り受けるのか、情報統合思念体がそれをするのかは知らないが。

 でもって俺にも役目がある。

 だってそうだろう? 俺はあの時、自分の声を聞いた。聞いたからこそ今の俺がある。俺を俺にするために、俺は過去の俺にセリフを投げかける必要がある。

「すまねえな。わけあって助けることはできなかったんだ。だが気にするな。俺も痛かったさ。まあ、後のことは俺たちが何とかする。いや、どうにかなることはもう解ってるんだ。お前にもすぐ解る。今はてろ」

 セリフを練習してみた。たしかこんな感じだったと思う。一語一句違ってやしないかどうかは自信がないが、だいたい合ってるよな。

 きようじんたおれた自分の代わりに、例の注射装置を使うのもこれからの俺なわけだ。

 マッドな朝倉のしゆうげきから助けてくれなかった理由もよく解る。あの声の俺は、あの時あわててけつけたのではなく、あらかじめ近くにかくれていたに違いない。朝比奈さんと長門とともに、出てくるタイミングを計っていたのだ。早すぎずおそすぎず。俺は朝倉にされなければならなかった。なぜなら、あの時の俺にとって、それは確かにあった過去だったからだ。朝比奈さんならこう言うだろう。

ていこうです」、と。



 夜もけてきたが、まだ眠ってしまうつもりはない。

 俺は待っていた。何を待つかって? 決まっているじゃないか。ここにやって来なければいけないやつの中で、まだ来ていない奴だ。そして来なければ絶対的にうそだと思われる奴だ。

 ベッドに横たわりながら俺は天井を見つめ続け、それがむくわれたのは深夜になってからのことだった。面会時間はとっくに過ぎている。

 病室のとびらがゆっくりとスライドし、通路の光が小さなひとかげゆかに落とす。

 この日、最後に俺をいに来たのは、セーラー服を着た長門有希の姿だった。

 長門は、いつもの無表情でこう言った。

「すべての責任はわたしにある」

 安心するほどへいたんな声で、なんだかほうもなく久しぶりに聞いた気のする口調だった。

「わたしの処分が検討されている」

 俺は頭をもたげる。

「誰が検討してるんだ?」

「情報統合思念体」

 自分のことではないように、長門はたんたんと続けてこう語った。

 もちろん長門は、自分が十二月十八日未明にしでかすことを知っていた。俺と大人版朝比奈さんが三年前の長門に会いに行ったせいだ。知った上で、ああなることをけようと努力をしていた。しかしどうにもならなかった。たとえ事前に知り得た未来でもかいすることができない場合がある。いや、あったのだ……。

 夏以降、どこかちがって見えた長門の挙動が頭をよぎる。

「だとしても」と俺は口をはさんだ。「お前がバグることは三年前には解っていたんだよな。なら、いつでもいいから俺に言えばよかったじゃないか。文化祭の後でもいいし、何なら草野球以前でもいい。そうすりゃ俺だって十二月十八日の時点で素早く行動できたってもんだ。さっさと全員を集合させて、三年前にもどることができたのに」

 長門は決して笑うことのない表情で顔表面をおおっていた。そして、

「仮にわたしが事前にそれを伝えていても、異常動作したわたしはあなたから該当する記憶を消去したうえで世界を変化させていただろう。また、そうしなかったという保証はない。わたしにできたのはあなたが可能な限り元の状態のまま十八日をむかえるように保持するだけ」

だつしゆつプログラムも残してくれただろ。じゆうぶんだよ」

 礼を言いつつ俺は腹を立てていた。長門にじゃない。自分にでもない。

 あわい口調が病室のかべに小さくひびいた。

「わたしが再び異常動作を起こさないという確証はない。わたしがここに存在し続ける限り、わたし内部のエラーもちくせきし続ける。その可能性がある。それはとても危険なこと」

「くそったれと伝えろ」

 そうき捨てた俺に対し、長門は無言で首を二ミリだけかたむけた。パチリとまばたき。

 俺はばせるだけ手を伸ばし、細くて白い手を取った。長門はていこうしない。

「お前の親玉に言ってくれ。お前が消えるなり居なくなるなりしたら、いいか? 俺は暴れるぞ。何としてでもお前を取り戻しに行く。俺には何の能もないが、ハルヒをたきつけることくらいはできるんだ」

 そのための切り札を俺は持っている。ただ一言、「俺はジョン・スミスだ」と言ってやるだけでいいんだ。

 ああ、そうとも。俺にはヘチマ並みの力しかないとも。しかしハルヒにはとうへんぼくな力がある。長門が消えちまったらいつさい合切をあいつに明かしてすべてを信じさせてやる。それから長門探しの旅に出るのだ。長門の親玉が何をして長門をどこに隠そうが消し去ろうが、ハルヒなら何とかする。俺がさせる。ついでに古泉と朝比奈さんも巻き込んでやろうじゃないか。宇宙のどこにいるのかも解らん情報意識体なんぞ知ったことか。んなもんどうでもいい。

 長門は俺たちの仲間だ。そしてハルヒは、SOS団のだれかが行方ゆくえ不明になったとしたらそのまま放置するようなていかんとはほど遠い。長門だけじゃない、俺や古泉や朝比奈さんがとつじよどっかに行っちまったとしても、たとえそれが本人の意思なんだとしても、あいつはそんなものを認めはしないだろう。何をどうやっても連れ戻すに違いない。涼宮ハルヒとはそういう女だ。身勝手で自己中で他人の都合を考えない、ハタめいわくな俺たちの団長様なんだ。

 俺は長門を強くえた。

「つべこべぬかすならハルヒといつしよに今度こそ世界を作り変えてやる。あの三日間みたいに、お前はいるが情報統合思念体なんぞはいない世界をな。さぞかし失望するだろうぜ。何が観察対象だ。知るか」

 言ってるうちにますます腹が立ってきた。

 情報統合思念体がどれだけ高度な連中なのかは知らん。きっととてつもなく頭のいい存在だか何かだろうよ。円周率の小数点下一兆けたまで二秒で暗算できるような、そんな感じの奴らなんだろうさ。おそろしく高等なわざだっていくらでも使えるよな。

 だったらな、と俺は言いたい。

 この長門有希にもっとまともな性格をあたえることだってできただろうが。さつじんになる前の朝倉みたいに、クラスの人気者になるような、明るくて社交的で休みの日に友達とショッピングモールで買い物してるような、そういう奴にだってできただろう。なんだって一人さびしく部屋に閉じこもって本だけ読んでそうな、うつむすめを設定しやがったんだ。そうでないと文芸部らしくないからか? ハルヒが目を付けそうにないからか? 誰の思い込みだそれは。

 ふと我を取り戻せば、俺は長門の手を強すぎる力でにぎりしめていたようだった。だが、読書好きの有機アンドロイドはそのこうに対しては何も言わない。

 長門はただ、俺をじっと見つめたまま、ゆっくりとうなずき、

「伝える」

 やはりへいたんな声でつぶやいた。

「ありがとう」

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