第五章

「…………」

 俺が発するべきコメントをとうてい探し得ないでいると、長門は朝比奈さん(大)に向かって、

「目標の時空間座標を伝える」

「あ、はい」

 朝比奈さん(大)は忠実な大型犬がお手をするように片手を伸ばした。

「どうぞ……」

 長門の指が、朝比奈さん(大)の手のこうにちょんとれ、ゆるやかに引っ込められる。……それだけ? しかし朝比奈さん(大)にはそれだけでよかったようで、

「解りました、長門さん。そこに行って『彼女』を修正すればいいのね。難しいことではありません。そこの『彼女』には何の力もないはずですから……」

 何事か決意したようににぎこぶしを作る未来人に、宇宙人が言った。

「待って」

 眼鏡めがねをなくし、がおさらす長門はあくまでも淡々と、

「そのままでは、あなたたちも時空改変に巻き込まれる。たいこう処置をほどこす」

 音もなく手を伸ばしてくる。

「手を」

 何だ。あくしゆでもしようってのか。素直に俺は右手を差し伸べ、長門のひんやりした指が手首を握るのにドキリとした直後、

「…………」

 すっとしずみ込んだ長門の顔が俺のうでに寄せられ、

「うわ」

 思わず声が出てしまった。だが、それも仕方のない反応だと思うね。かがみ込んだ長門が俺の手首に唇を触れさせ、あまつさえ歯を立てているんだからな。映画の中で散々見た、朝比奈さんへのみつきこうげきだ。

 痛くはない。じゃれたシャミセンが時々するような、敵意のもっていない甘噛みだ。しかし俺は、小さな犬歯がはだに刺さるかんしよくをむずがゆく味わっていた。確かにき立っているのに痛みを派生させないのは、痛覚をさせる物質が長門のえきに混じっているのかも。まるでだな。

 五秒か十秒か、長門は俺の手を噛んでいたが、ゆっくりと顔を上げて、

「対情報操作用しやへいスクリーンと防護フィールドをあなたの体表面に展開させた」

 長門は赤くなってもおらず、照れもしていない。朝比奈さん(大)のほうが両手で口をおおって驚いているくらいだ。俺はみようしびれを感じて手首を見やる。きゆうけつおそわれたように空いていた二つの穴が、見る間にあとかたなくふさがっていく。映画さつえい時の朝比奈さんのように、これで俺も長門特製ナノマシンを体内に混入されてしまったというわけだ。

「あなたも」

 長門にわれ、朝比奈さんもおずおずと片手をふるわせながら出して、

「……こうされるのも、久しぶりですね。あの時は本当にごめいわくを……」

「わたしは初めて」

「あ。そ、そうでしたね。つい……」

 きゅっと目を閉じたまま、未来人は宇宙人の口づけを手首に受け、俺の時よりも短い気のするたいの知れないナノマシン注入時間を終えると、からせきを一つしてから、

「では、行きましょう。キョンくん。これからが本番です」

 だとしたら、ずいぶん長いまえりでしたね。ですが、俺だって必死の前説をやってたんですよ。もう二度とやりたくないですが。

「ありがとな」

 俺は冷静な顔をくずさずにいる部屋の主に呼びかけた。ちんもくごんと化した長門は何も答えない。表情に何の自己ピーアールもなかった。それなのになぜだろう。背筋をばしてキリリと立つ長門の姿が、やたらとさびしげに見える。やっぱりそうなのか? 俺の思ったとおりのことだったのか。

「また会おう、長門。しっかり文芸部で待っててくれよ。俺とハルヒが行くまでさ」

 命をき込んだひな人形のような動きで、宇宙人製有機生命体はカクリと首を縦に振った。

「待っている」

 その小さな声に俺は胸にみようなモヤモヤが発生するのを自覚する。だが消し忘れたタバコのけむりのようなモヤの正体が何かを考えるより早く、朝比奈さん(大)が、

「時間いするといけませんから」

 ちょんと俺のかたを突っついた。

「目を閉じて」

 言われたとおりにする。朝比奈さん(大)が正面に立つふんがする。両手首が握られた。

「キョンくん……」

 ひそめたささやき声がとてもかんだった。サービスでキスの一つくらいはあってもいいのではないかね。

「行きますね」

 どうぞどうぞ。いくらでも何回でも、キツイのをおいしてください、と考えていると──、

 劇的にキツイ立ちくらみがやってきた。目を閉じてて良かった。目を開けていてもブラックアウトしていたことだろう。安全装置の外れたジェットコースターに乗せられているみたいだ。血の気が引いているのか頭にのぼっているのか判然としない。重力源のつかめないゆうかんが連続し、つぶっているのに目が回る。気を失わなかったのは、ひとえに腕に感じている朝比奈さん(大)の肌のぬくもりが所以ゆえんだ。

 いったい何分俺はこうしているんだろう。何時間か? 空間にんしき能力と共に時間をあくする能力もせている。そろそろ限界だ。きそうなんですけど、朝比奈さん……。

 失礼してエチケットぶくろの代わりになりそうなものをさぐりで探していると、

「ん……着きました」

 消えていた足裏に接地する感覚がよみがえった。冷たい大地の温度がくつしたしに伝わってくる。同時に、全身に作用する地球の重力も復活した。おう感がうそのように引いていく。

「もう目を開けていいです。よかった、長門さんの指示してくれた場所と……時間です」

 見上げる。夜の空にかがやいているのは冬の星座だ。空気がんでいるぶん、夏よりはっきりと見える。首の向きを変えると、民家の屋根の上に北高の校舎の頭が確認できた。

 現在位置はどこかと見回してみる。いんまぎれていたがちがえようがない。数時間前にも俺はここにいた。ハルヒのポニーテールと古泉の体操服姿が場所のおくと共にある。

 ぐうぜんにもハルヒと古泉がえをした場所だった。偶然──だと思う。

 それで、今はいつなのか?

 うで時計を見た朝比奈さん(大)が教えてくれた。

「十二月十八日の、午前四時十八分です。後五分くらいで、世界は変化します」

 二十日にエンターキーを押して三年前に飛んでった俺からしたら、十八日は二日前のことだ。その日、何の気なく目を覚ました俺はいつものように学校へ行き、すっかり様変わりした北高の様子にきようこう状態におちいった。存在しないハルヒに、いるはずのない朝倉。俺を知らない朝比奈さんと、つうの人間になってた長門。

 なにもかもはここから始まったのだ。始まりの時に居合わせている現在の俺。ならば、始まらないようにすることだって出来るのだろう。そのために今、俺はここにいる。

 シリアスな心意気にひたっていると、

「あ、靴。忘れて来ちゃった」

 あわてたように朝比奈さん(大)が小声でつぶやいた。

 居間から靴もかずに来てしまったからな。さすが朝比奈さん、年を経てもうかつなところは変わってない。

「長門さん、保管してくれてるかなあ」

 不安そうなお言葉に、俺はほおゆるませた。だいじょうぶだと思いますよ。あいつはたんざくだって三年間も保存していた。ならば靴だって捨てずに持っててくれてるでしょう。今度、あいつの部屋に行ったら箱を見せてもらいますよ……。

 のどかに考えていると、身体からだが急に電流に当てられたようにふるえる。

 裸足はだしなのもさることながら夏から真冬に舞いもどったおかげで異様に寒い。思わずげていた制服のジャケットを着込もうとして、朝比奈さん(大)が両手で身体をきしめているのに気づいた。まあ、ブラウスとミニタイトの格好じゃこの気温の下ではこごえるだろう。

「貸しますよ、どうぞ」

 俺は上着を震える肩にかけてあげた。しん的な振る舞いに勝手に自己満足する。

「あ、ありがとう。ごめんね」

 何のこれしき、安いもんだ。あなたが三年前で待っててくれたから、俺はまたここに戻って来れたんですよ。それを考えれば着ている物を全部あなたにあてがってしまいたいくらいです。

「うふ」

 朝比奈さん(大)は、見る人間の半数をこしくだけにするような色気と可愛かわいらしさがぜつみようにブレンドされた微笑ほほえみをかべ、すぐに真顔に戻った。

「そろそろ、です」

 靴を忘れてきたのは正解だったかもしれない。足音を立てることなく歩けるからな。それでも俺と朝比奈さん(大)は呼吸もはばかるようにき足しのび足で北高の校門前へと歩き出した。曲がり角で足を止め、こうの標的をのぞき見するように顔だけ出して暗い道の向こうへ視線を飛ばす。

 街灯の数は少ないが、ちょうど門の前に一本だけ立っている。拡散したスポットライトのように、そこだけがぼんやりと明るくなっていた。じゆうぶんな光源とは言えないものの、だれかがそこにいれば解るくらいの明るさではある。

「来ました……」

 暖かい手が俺のかたえられていた。朝比奈さん(大)のきんぱくしつつも甘いいきが耳たぶにかかり、平常心の俺ならたんとうぜんとするところだったが、この場ではそんなリアクションも念頭から消えている。

 時空改変者が夜のやみから街灯の下へと歩いてくる。

 北高の制服だ。長門が言っていたとおりの人物である。そいつが俺たちの世界をへんかんし、SOS団のメンツをバラバラにして単なる人間に変えてしまった張本人だ。俺の記憶だけを残し、俺以外の全員の記憶と歴史を変えちまった。

 そいつが、今からそれをするのだ。



 まだ飛び出すわけにはいかない。すべてを見届けてから、というのが長門のアドバイスである。いったんそいつに世界を改変させておいて、それから修正プログラムをち込む。そうでないと俺がだつしゆつプログラムを起動させる歴史が生まれないからなんだという説明には、まるでなつとくも理解もできないが、長門と朝比奈さん(大)にとっては自明のことらしい。この二人には時間がどういうふうに流れているのかわかっているのだろう。俺には解らない。どうやっても解らないのなら、解るやつの指示に従うだけだ。あの長門は嘘をかない。いつだってな顔で俺たちのそばにいてくれた……。

 俺は長門のくれた短針じゆうにぎり直して、その時を待つ。

 そいつは、静かな歩調で北高校門前まで歩いて、暗がりに包まれた安物の校舎を見上げるように足を止めた。

 セーラー服のスカートが風になびいている。

 様子をうかがう俺たちには気付いていないようだ。長門が注入したナノマシンのおかげだろう。しやへいスクリーンと防護フィールド。

 そいつは不意に片手を挙げて、まるで空気をつかみ取るような動きをする。何者かにあやつられているような、みように不自然な所作ではあるが、そうでないというのは俺にはのものだ。

「すごい……」と朝比奈さん(大)がかんたんするように、「強力な時空しんだわ。こんな力があったなんて……。実際に見ても信じられません」

 見るも何も、俺の目には何一つ変化しているように見えない。単なる夜の続きだ。しかし朝比奈さん(大)には、何らかの手段で今まさに世界の歴史が改変されている工程が感じられているのだろう。未来人だからな、そのくらいはできるはずだ。

 朝比奈さん(大)は身体を俺に預けるようにピッタリくっついている。本来ならここにいる俺たち二人も、そいつの世界改変に巻き込まれるところだったんだろうが、長門のみつきこうによってまぬかれているってわけだ。長門と朝比奈さん(大)。やはりこの二人がいないとダメだったんだな。俺は正しく行動したんだ。次の行動が、この事態を収束させる最後のアクションになるはずだ。ラストでトチるわけにはいかない。

 息を殺して見ていると、そいつは手を下ろし、不意にこっちを向いた。俺たちがひそんでいるのに気付いたかと思いきや、単にキョロキョロしているようだった。

だいじようです。見つかっていません。彼女はたった今生まれ変わったんです。時空震……世界の改変がしゆうりようしたの。キョンくん、今度はわたしたちの番です」

 朝比奈さん(大)のかたく真面目な声が合図だった。

 俺は闇から身体からだのがし、校門へ向かって歩き出す。あわてなくてもげやしない。案の定、そいつは街灯の光に照らされた俺の姿に気付いても、校門前での棒立ちを続けていた。変わったのは表情だけだ。その顔におどろきをいだして、俺はなんとなくゆううつな思いをいだいた。

「よう」

 俺は声をかけ、久しぶりに会う友人であるかのように歩み寄った。

「俺だ。また会ったな」

 朝比奈さん(大)の口ぶりでばくぜんとは感づいていた。俺が知っている奴の中で、ハルヒ以外にこんなことができそうな奴は誰か。考えてもみろ。十八日以降、SOS団の連中は全員変な秘密のプロフィールを失っていた。しかし性格までは変化していなかった。その中でただ一人、今までにない行動や表情や仕草を見せる奴がいた。

 暗がりの中で、がらな北高の制服姿が所在なげに立っている。どうして自分はこんな所にいるのかとなやむ、目覚めたばかりの夢遊病かんじやのように周囲を見回すその姿は──、

「長門」

 俺は言った。

「お前のしわざだったんだな」

 眼鏡めがね付きだった。これはあの長門だ。十八日以降の、文芸部の一部員でしかない長門有希。宇宙人でも何でもない、引っ込み思案な読書好き。

 その眼鏡の長門はさらに驚いた顔をする。わけがわからないというような。

「……なぜ、ここに、あなたが」

「お前こそ、なんだってここにいるのか自分で解ってんのか?」

「……散歩」

 長門はかすかな声を出した。目を大きく開けて俺を見つめる少女の顔で、眼鏡が街灯の光を反射していた。それを見ながら俺は思う。

 そうじゃない。そうじゃないんだよ、長門。

 こいつはつかれていたのだ。ハルヒの思いつきにり回されたり、俺の身を守ってくれたり、おそらく俺たちの知らないところで秘密のかつやくをしていたり──、そんなことに色々なろうまっていたんだ。

 ついさっきまで俺がいた長門の部屋で、三年前の長門は言った。

『わたしのメモリ空間にちくせきされたエラーデータの集合が、内包するバグのトリガーとなって異常動作を引き起こした。それはの現象であると予想される。わたしは必ず、三年後の十二月十八日に世界を再構築するだろう』

 そしてたんたんと、

『対処方法はない。なぜならそのエラーの原因が何なのか、わたしには不明』

 俺には解る。

 長門が自分でも理解できない異常動作の引き金が何だったのか。積もり積もったエラーデータとやらが何なのか。

 それは思いっきりベタなシロモノなんだ。プログラム通りにしか動けないはずの人工知能でも、そんな回路が入っていないロボットでも、時を経たらそいつを持つようになるのがパターンなんだ。お前には解るまい。だが俺には解ることだ。たぶんハルヒにも。

 俺は長門のこんわくした顔を心ゆくまで観察した。文芸部員のはかない女子生徒は、ごこが悪そうに立ちつくすのみだった。その今にも消え入りそうな姿に俺は心中で語りかける。

 ──それはな長門。感情ってヤツなんだよ。

 お前は無感動状態が基本仕様だからなおさらだったんだろう。たまにはわめいたり暴れたりだれかにお前なんかもう知らんと言いたかったことだろう。いや、こいつがそう思わなかったとしても、そうすべきだったのだ。そうさせてやるべきだったのだ。責任は俺にもある。ついつい長門任せにするくせのついていた俺のそん心。長門なら何とでもしてくれるだろうと考えて、そこで思考停止していたおろろう。俺はハルヒ以上に性質たちの悪いバカだ。誰をののしる権利もない。

 おかげで長門は──こいつは世界を変えちまおうとするくらいにおかしくなっちまいやがった。

 バグだと? エラーだ?

 うるせえ。そんなもんじゃねえ。

 これは長門の望みだ。こういうつうの世界を、長門は望んだのだ。

 俺のおくだけを残して、それ以外を、自分をふくめたすべてを変えてしまったのだ。

 数日間俺を悩ませていた、この疑問の答えだって今なら自明だ。


 ──なんでまた俺だけを元のままにしておいたのか?


 答えは単純、こいつは俺にせんたく権をゆだねたんだ。

 変えた世界がいいか、元の世界がいいか。俺に選べというシナリオだ。

「ちくしょうめ」

 選ぶもくそもあるか。

 確かにSOS団だけなら修復可能だとも。ハルヒと古泉は別の高校にいるが、そんなもんたいした障害にはならん。学外活動にしてしまえばいいだけだ。いつものきつ店を溜まり場とするなぞのサークルにしちまえばいい。そこでもやはりハルヒはわけの解らんことを言いたおすだろうし、古泉は笑っているだけだろうし、朝比奈さんはろうばいしているだろうし、俺は仏頂面で遠い目をしているという情景が目にかぶ。そして長門も、あのじようちよ不安定な性格のままでそこにいることだろう。だまって本を読みながら。しかしな──。

 それは俺の知っているSOS団ではない。長門は宇宙人じゃなくて朝比奈さんも未来人じゃなくて古泉も単なるいつぱん人、ハルヒにも不思議な力は全然ないという、まことに常識的な、単なる仲良しグループでしかない。

 それでいいのか。そのほうが良かったのか。

 俺はどう考えていたんだ? ハルヒの巻き起こす色んな出来事、非常識な事件の数々に、俺はどう思っていた?

 うんざりだ。

 いい加減にしろ。

 アホか。

 そろそろ付き合い切れねえぞ。

「…………」

 心臓がきようれつに痛む。

 心ならずもめんどう事に巻き込まれることになる一般人、ハルヒの持ってくる無理難題にイヤイヤながらふんとうする高校生。それが俺のスタンスのはずだった。

 それでだ、俺。そう、お前だよ、俺は自分にいている。重要な質問だから心して聞け。そして答えろ。無回答は許さん。イエスかノーかでいい。いいか、出題するぞ。


 ──そんな非日常な学園生活を、お前は楽しいと思わなかったのか?


 答えろ俺。考えろ。どうだ? お前の考えを聞かせてもらおうじゃねえか。言ってみろよ。ハルヒに連れ回され、宇宙人のしゆうげきを受け、未来人に変な話を聞かされ、ちようのうりよくしやにも変な話を聞かされ、へい空間に閉じこめられたり、きよじんが暴れたり、ねこしやべったり、意味不明な時間移動をしたり、ついでに、それらすべてをハルヒに包みかくさなければならないというシバリの効いたルールで、不思議な現象を探し求めるSOS団の団長だけが何にも知らない幸福状態、張本人なのに気づけないってこのじゆん

 そんなのが楽しいと思わなかったのかよ。

 うんざりでいい加減にして欲しくてアホかと思って付き合いきれないか。はん、そうかい。つまりお前はこう思っていたわけか。


 ──こんなもん、全然おもしろくねえぜ。


 そうだろ? そういうことになるじゃねえか。お前が真実ハルヒをウザいと感じて、ハルヒの持ち出してくるすべてがうつとうしいんだとしたら、お前はそれらを面白いなどと思わないよな。ちがうとは言わせねえぞ。明らかだろうが。

 しかしお前は楽しんでいた。そっちのほうが面白かったんだ。

 なぜかと言うか?

 ならば教えてやるよ。


 ──お前はエンターキーを押したじゃねえか。


 きんきゆうだつしゆつプログラム。長門の残したやり直し装置。

 Ready?

 その設問に、お前はイエスと答えたんだ。

 だろうが。

 せっかく長門様が世界を落ち着いた状態にしてくれたのに、お前はそれを否定したんだ。四月に涼宮ハルヒと出会ってからこっちの、クダランたわけた世界のほうをこうていしたんだよ。一つの学校に宇宙人だの未来人だのエスパー少年がフラフラしているような、もうそうみたいな世界にもどりたいと思ったんだ。

 なんでだ、おい。お前はいつもブツブツ言ってばかりだったんじゃないのか? おのれの不幸をなげいてばかりじゃなかったのか?

 だったらよ、だつしゆつプログラムなんぞ無視してりゃよかったじゃないか。そっちを選べば、お前はハルヒとも朝比奈さんとも古泉とも長門とも、つうの高校生仲間として知り合えて、ハルヒ先導のもと、それなりに楽しい生活を送れてただろうさ。ハルヒに何の力もなく、日常がゆがみ出すような現象とはえんのな。

 そこではハルヒはえらそうにするだけのただの人間で、朝比奈さんは未来人なんていうとくしゆ属性を持ってない愛らしいえキャラで、古泉は背後に変な組織のない一般的な高校生で、そして長門もおとなしい読書好き少女で変な使命を持つこともなく変な力を発揮するわけでもなくだれかをかんしたり誰かさんを守っていたりすることはなく、そうだな、いつもは無表情なのにしょうもないジョークに不意に笑ってしまった後に赤くなるような、時間をかけて少しずつ心を開いていくような、そんなやつになっていたかもしれないんだぞ。

 そういった別の日常をお前はほうしやがった。

 それはなぜだ。

 もう一度訊くぞ。これで最後だ。はっきり答えろ。

 俺は、めいわく神様モドキなハルヒと、ハルヒの起こす悪夢的な出来事を楽しいと思っていたんじゃないのか? 言えよ。

「あたりまえだ」

 俺は答えた。

「楽しかったに決まってるじゃねえか。解りきったことを訊いてくるな」

 面白いかそうでないかと訊かれて、面白くないなどと答える奴がいたら、そいつはホンマモンのアホだ。ハルヒの三十倍も無神経だ。

 宇宙人に未来人に超能力者だぞ?

 どれか一つでもじゆうぶんなのに、オモシロキャラ三連発だ。おまけにハルヒまでがそこにいて、より一層のミステリーパワーをりまいているんだぞ。これで俺が面白くないわけないだろうが。そんな立場が不満だと言ったら、そんなことを言う奴を俺は半殺しにするかもしれん。

「そういうことだ」

 俺は言った。開き直りと呼べばいい。

「やっぱりアッチのほうがいい。この世界はしっくりこねえな。すまない、長門。俺は今のお前じゃなくて、今までの長門が好きなんだ。それに眼鏡めがねはないほうがいい」

 その長門は俺を見返し、しんそうな表情を作った。

「何を言っているの……」

 俺の知っている長門有希はこんなセリフは絶対言わないんだ。

 この三日間、俺が異常に気付いた朝から今までのことをこいつは知らない。当然だ。この長門はさっき生まれ変わったばかりで、まだ俺と何も過ごしていない。文芸部室に飛び込んできた俺をおどろきの視線で見上げたりもしていない。

 この長門には、ぞうされた図書館でのおくしかない。それ以外の俺との思い出はこいつにとってはこれからのことだ。

 以前、俺はハルヒと灰色のへい空間に二人だけで閉じこめられた。古泉いわく、それはハルヒが新しい世界をつくろうとしたからだ。

 長門が利用したのもそれだろう。長門はハルヒから例のなぞパワーをかすめ取ったか横取りしたかして、この世界を創造したのだ。

 それは便利すぎる力だ。誰だっていつさいをやり直したいと考えるときがある。現実そのものを自分に都合良いように変えちまいたいと思うことだってある。

 だが、普通はできないもんだ。しないほうがいいんだ。俺に一からやり直すつもりはない。だから俺はハルヒといつしよに閉鎖空間から戻ってきたんだよ。

 今度のことは、神様だか何だか知らないがそのヘンテコパワーがハルヒから長門に移っただけだ。ハルヒは無自覚に、イカれた長門は自覚的に世界を変えた。

「長門」

 俺は立ちすくむがらひとかげに歩み寄った。長門は動かず、じっと俺を見上げている。

「何回言われても俺の答えは同じだ。元に戻してくれ。お前も元に戻ってくれ。また一緒に部室でなんかやってようぜ。言ってくれたら俺もお前に協力する。ハルヒだってそうそうばくはつしないようになってきてたじゃないか。こんならない力を使って、変わらなくていい。そのままでよかったんだよ」

 眼鏡しに見えるひとみが、おびえたような色をかべる。

「キョンくん……」

 朝比奈さんが俺のシャツのすそを引いている。

「この長門さんには何を言ってもだめよ。だって、彼女はもう自分を作り変えているもの。この長門さんは、何の力もないただの……一人の、女の子だわ……」

 とうとつに思い出す。

 かみの長いハルヒ。俺をジョンと呼び、北高まで乗り込んできた神様でも何でもない一般人のハルヒ。俺の語ったSOS団物語に目をかがやかせて聞き入り、「面白そう」と笑ったあいつ。

 そのハルヒを好きだと言いやがった古泉のハンサムスマイル。俺の体操着を着て複雑な顔をしていた優良転校生。

 入部届けを押しつけて自室に招いたあげく、うそっぱちな俺との記憶を述べた眼鏡の長門。ぜひもう一度見たいと思わせるはくめいのような微笑ほほえみ。

 あいつらとはもう会えなくなる。正直、心残りがかいなわけじゃないさ。だが連中はもともといつわりの存在だったのだ。俺のハルヒと古泉と長門と朝比奈さんではない。さよならを言いそびれたのは残念だが、俺は俺のハルヒと古泉と長門と朝比奈さんを取りもどす。決めた。

「すまん」

 俺はピストル型装置を構えた。長門が身体からだこおりつかせ、その反応にかなりの罪悪感を強いられる。しかしここに来てちゆうちよは無用だ。

「すぐ元に戻るはずだ。また一緒にあちこち出歩こう。とりあえずクリパでなべって、それから冬のさんそうでも行こう。今度はお前が名たんていをやってくれ。事件が発生したしゆんかんに解決するようなスーパー名探偵ってのはどうだ、それが──、」

「キョンくん! 危な……! きゃあっ!!」

 朝比奈さんのさけびと同時に、俺の背中にだれかがぶつかってきた。どん、というしようげきが身体をらし、街灯の光を受けた俺のかげも揺れた。その影に何者かの影がけ合っている。何だ? 誰だ?

「長門さんを傷つけることは許さない」

 首をねじって振り向いた。かたしに女の白い顔が見えた。

 朝倉涼子。

「な……」

 言葉が出なかった。わきばらに冷たい物がさっている。平べったい物が深々と体内にしんにゆうしている。やけに冷たい。激痛よりもかんまさる。なんだこれは。なんなんだ。なぜここに朝倉がいるんだ。

「ふふ」

 笑うはずのない仮面が笑ったようなしようだった。朝倉はにじむような動きで俺からはなれ、俺の横腹にき刺していた血まみれの長いものを引きいた。

 それで支えを失い、俺はきりのように回転しながら地にたおれ込んだ。その俺の目の前で──長門はこしを抜かしたようにしりもちをついていた。わななくくちびるが、

「朝倉……さん」

 朝倉は俺の血がからみつくアーミーナイフをあいさつするようにった。

「そうよ長門さん。わたしはちゃんとここにいるわよ。あなたをおびやかす物はわたしがはいじよする。そのためにわたしはここにいるのだから」

 朝倉はわらった。

「あなたがそう望んだんじゃないの。でしょう?」

 嘘だ。長門が望むはずはない。思い通りに鳴かない鳥はいっそ殺してしまえなんて思ったりしない。ちがう。異常動作を起こした長門。その長門が再生させた朝倉も異常なヤツになったんだ。こいつは長門の影役だ……。

 朝倉は俺の上にうすい影を落とした。朝倉の頭上に欠けた月が見えて、すぐかげった。

「トドメをさすわ。死ねばいいのよ。あんたは長門さんを苦しめる。痛い? そうでしょうね。ゆっくり味わうがいいわ。それがあんたの感じる人生で最後の感覚だから」

 振り上げられるゴツいナイフ。その切っ先の下には俺の心臓がある。だくだくと血液が流れ出ている。これだけでもすでにめいしようじゃないのか……? そんなことをぼんやり思う。現実感覚がゆうしている。さつじん、朝倉。ここでのお前の役割はそれだったのか。長門有希のバックアップ……。

 そしてナイフが振り下ろされ……。

 せんこうのように横から手がびた。

「──!」

 ナイフのを誰かがつかんでいた。で。

「誰!?」

 素手だって……? いつかどこかで見たような光景だな……。

 こんだくしつつある意識ではその顔がよくわからない。光が足りない。もっと光量を上げろ。街灯の光が逆光で顔が暗い。ショートカットの女……北高のセーラー服……眼鏡めがねはない……くらいしか見えないぞ……。古泉……照明係は何をしているんだ……?

「あ……?」

 疑問付きの小声を出したのは、地べたにしりを付けている長門だった。眼鏡が街灯の光を反射して、表情までは見て取れない。きようか、きようがくか……。

「なぜ!? あなたは……!? どうして……」

 朝倉が叫んでいる。ナイフを止めてくれたやつに言っているらしいが、その相手は無言のまま答えない。

 朝比奈さんの声が間近で聞こえた。

「ごめんね……キョンくん。わたし、知ってたのに……」

「キョンくん! キョン……。ダメ! ダメだよう」

 朝比奈さんの姿がだぶって見えた。一人は大人の朝比奈さん。もう一人は、子供のような俺の朝比奈さんだ。二人とも同じ泣き顔で俺の身体を揺さぶっている。朝比奈さんたち、痛いですよ?……。

 ……あれ、どうしてここに朝比奈さん(小)がいるのだろう。大人版朝比奈さんが取りすがってくれるのは解る。ここまでいつしよに来たんだからな。でも、小さい方の朝比奈さんはどこから現れたんだ? ああ、そうか。俺はよくてげんかく、悪けりゃそうとうを見ているんだ……。

 苦痛よりも勢いよく流出する血の感覚が恐怖だった。

 やばい、死ぬ。

 辞世の句を用意していなかったことをやんでいると、誰かの気配が俺の頭の上に感じられた。そいつは俺と仲良く地面に転がっていた長門製注射装置を拾い上げる。

 聞いたことのあるような、でもだれだか解らないような声が、

「すまねえな。わけあって助けることはできなかったんだ。だが気にするな。俺も痛かったさ。まあ、後のことは俺たちが何とかする。いや、どうにかなることはもう解ってるんだ。お前にもすぐ解る。今はてろ」

 何を言っているのか、誰が言っているのか、どうなって何がなんとかなるのか、朝倉のトドメのいちげきや地面に手をついている眼鏡の長門有希や二人の朝比奈さんやちがう学校の制服を着ているハルヒやらの映像がまぜこぜになって、


 俺の意識が消失した。

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