遊んで喰っての二日目は滞(りなく進み、ますます天候の悪化した夜、録画再生したみたいに一日目と同様の宴(会(が催(された。三日目、俺はガンガンに痛む頭を持てあましながら起(床(するハメになり、古泉が起こしに来(なければ俺もハルヒも朝比奈さんもそのまま昏(々(と眠(り続けたことだろう。
カーテンを開ける。その三日目の朝、豪(雨(と暴風はひっきりなしに続いていた。
「明日、帰れるんだろうな」
フラフラする思考を冷水洗顔で真っ直(ぐな歩行が可能なまでにし、俺は階段を転げ落ちないように注意しながら降りていった。
食堂には俺と似たような表情をしているハルヒと朝比奈さん、いつもの表情の長門と古泉が揃(ってテーブルに着いていた。
多丸圭一、裕さんの兄弟はまだ来ていない。連日の二日(酔(いがピークに達しているのかもしれないな。二人のグラスの上で瓶(を逆さにしていたハルヒの姿が頭に蘇(る。普段でも傍(若(無(人(なのに酒の力によって無敵となったハルヒの暴挙の数々に俺の頭痛はさらに二段階ほどパワーアップし、金(輪(際(酒を飲むのは止(めておこうと決心を固めた。
「あたし、ワインはもうやめておくわ」
昨夜の反省からか、ハルヒもしかめ面(で表明した。
「なぜかしら、夕ご飯以降の記(憶(が全然ないのよね。それってすごくもったいないことじゃない? 時間を損したような気分がするの。うん、あたしは二度と酔っぱらったりはしないからね。今晩はノンアルコールデーよ」
通常に言って高校生が飲んだくれてていいはずはないから、ハルヒにしてはまともな提言をおこなったと褒(めてやるべきだろう。ただまあ、ほろ酔いでポワポワしている朝比奈さんはとても色っぽかったので、その程度ならいいのではないかと考えなくもない。
「では、そうしましょう」
太(鼓(持ちみたいにすぐさま賛同する古泉が首(肯(して、ちょうど朝食の載(ったワゴンを押してきた森さんに、
「今晩は酒抜きでお願いします。ソフトドリンクオンリーでよろしく」
「解りました」
うやうやしく森さんは一礼し、テーブルにベーコンエッグの皿を並べていた。
俺たちが食い終える頃(になっても、多丸氏兄弟は食堂に現れることがなかった。寝(起(きが極(端(に悪いらしい圭一さんはともかく、裕さんまで登場しないのはどうしたことかと思っていると、
「皆(様」
新川氏が森さんを伴(って俺たちの前に進み出た。その執(事(的な落ち着いた顔からは、読み取りにくいが若(干(の困(惑(の色が混じっているような気がして、何だか嫌(な予感がした。
「どうしました?」
訊(いたのは古泉である。
「何か問題でも?」
「はい」と新川氏。「問題と呼べることがあったのかもしれません。先ほど森を裕様の部屋へやったのですが」
森さんがこっくりとうなずいて執事氏の言葉を継(いだ。
「部屋に鍵(がかかっていなかったものですから、勝手ながら開けさせていただいたのですが、裕様がどこにもおられません」
鈴(の鳴るような声でそうおっしゃる。森さんはテーブルクロスを見つめつつ、
「部屋はもぬけの殻(でした。ベッドで眠られた形(跡(もありませんでした」
「しかも、主人の部屋へ内線で連(絡(を試みたところ、返答がございません」
新川さんのセリフに、ハルヒはオレンジジュースのグラスから手を離(して、
「何それ。裕さんが行方(不明で、圭一さんが電話に出ないってこと?」
「端(的(に申しますと、そういうことでございます」と新川さん。
「圭一さんの部屋に入れないの? 合い鍵くらいあるんでしょ?」
「他(の部屋のスペアキーは私が管理しておりますが、主人の部屋だけは別でございまして、予備の鍵も主人しか持っておりません。仕事関係の書類等も持ち込まれておりますので、用心のために」
嫌な予感が暗雲となって俺の心の三分の一ほどを覆(い始めた。起きてこない館(の主人。いなくなったその弟さん。
新川氏は上体をわずかに折りながら、
「これから主人の部屋まで赴(こうと私は考えております。よろしければ皆様もご同行願えないでしょうか。なにやら不(穏(な気配を感じるのでございます。杞(憂(であればよいのですが」
ハルヒは素(早(く目配せを俺に送った。何のアイコンタクトだろう。
「行ったほうがよさそうですね」
あっさりと古泉が立ち上がる。
「もしや、病気か何かで起きあがれない状態にあるのかもしれません。ひょっとしたらドアを破る必要があるかも」
ハルヒがぴょんと椅(子(から立ち上がり、
「キョン、行きましょう。胸(騒(ぎがするわ。さあ、有希も、みくるちゃんも!」
この時のハルヒは、いつになく生(真(面(目(な表情をしていた。
手短に語ろう。
三階の一室、圭一氏の寝(室(をいくら叩(いても返答はなく、古泉がドアノブを回しても鍵が開くこともなく、樫(でできた重い扉(は一枚の壁(となって俺たちの前に立ちはだかった。
ここまで来る間に多丸裕さんの部屋も覗(いてみたのだが、確かに森さんの言うとおり、ベッドのシーツも乱れておらず、誰(かがここで一晩を過ごした雰(囲(気(には到(底(見えない。彼はどこに行ってしまったのか? 二人して圭一さんの部屋に籠(もってでもいるのか?
「内側から鍵がかかっているということは、部屋の中に誰かがいるということです」
古泉が顎(に指を当てて思案顔をし、いつになく緊(張(感(のこめられた声で、
「最終手段です。このドアを体当たりして破りましょう。一刻を争う事態になっていないとも限りません」
そうして俺たちはドアに向けてスクラムを組み、タックルを繰(り返すことになったのだ。俺と古泉、そして新川さんの三人で、だ。長門ならピッキングの一つくらいやってのけてくれそうだったが、こうも衆(人(環(視(の中でインチキマジックを発動させるわけにはいかない。SOS団の女子三人とメイド森さんが見守る中、俺たち男衆三人は何度となく体当たりを敢(行(し、俺の肩(の骨がそろそろ悲鳴を上げようとした時──。
やっと扉が弾(けるように開いた。
雪崩(をうって俺、古泉、新川さんはそのままの勢いで室内に倒(れ込み、そして──。
そう、かくて冒(頭(のシーンに戻(るってわけだ。やっとタイムテーブルが現在に追いついた。ではそろそろ時間をリアルタイムに戻すとするか。
………
……
…
というような回想を終え、俺は床(から身を起こした。目の前に横たわるナイフ付き圭一さんから目を逸(らし、鍵の部分が弾け飛んだ扉を眺(めた。この屋(敷(も新築なら扉もピカピカだな……なんて、現実からも目を逸らすようなことを考える。
新川さんが主人の身体(に屈(み込み、指先を首筋に当てた。そして俺たちを見上げ、
「亡(くなられております」
職業意識から来るのか、落ち着いた声で言った。
「ひえ、えええ……」
朝比奈さんが廊(下(にへたり込んでいる。そうだろうとも。俺だってそうしたい。長門の無表情が今は救いに思えるくらいだ。
「大変なことになりましたね」
古泉が新川さんの反対側から圭一氏に歩み寄った。しゃがんだ古泉は、慎(重(な手つきで背広姿の圭一氏に手を伸(ばし、そっと上着の襟(をつまみ上げる。
白いワイシャツに赤黒い液体が染(みこみ、不格好な模様を形作っていた。
「おや?」
怪訝(そうな声を出す。俺もそれを見た。ワイシャツのポケットに手帳が入っている。ナイフはスーツの上から手帳を貫(通(し、さらに体内へ到(達(しているようだった。この凶(行(を実行した人間は、よほどの腕(力(で事に及(んだらしい。ここにいる女性たちの仕事ではなさそうだ。ああ、ハルヒのバカ力なら可能かな。
古泉は沈(痛(なオーラを声に滲(ませて、
「まずは現場保存が第一です。とりあえずこの部屋を出ましょう」
「みくるちゃん、あなた大(丈(夫(?」
ハルヒが心配そうに言っているのもむべなるかな、朝比奈さんはどうやら気絶していた。長門の細い足にもたれるように、座り込んだままぐったりと目を閉じている。
「有希、みくるちゃんをあたしの部屋まで運びましょう。そっちの手を持って」
ハルヒが妙(に常識的なことを言っているのも動転の表れかもしれない。長門とハルヒに両側から抱(えられた朝比奈さんは、ずるずる引きずられて階段へと姿を消した。
俺はそれを確(認(し、とりあえず周囲を観察した。
新川さんは苦(渋(に満ちた顔で主人の躯(に合(掌(し、森さんも悲しげな顔をひっそりと伏(せている。そしてやはり、多丸裕さんはどこにもいない。外は嵐(。
「さて」と古泉が俺に話しかける。「ちょっと考えるべき事態が発生したようですよ」
「何だ」と俺。古泉はふっと唇(を笑(みに戻した。
「気付いていないのですか? この状(況(は、まさしくクローズドサークルですよ」
そんなもんとっくに知っている。
「そして、一見すると殺人事件でもあります」
自殺には見えないからな。
「さらに、この部屋は密室になっていました」
俺は首を巡(らせて鍵(のかかっている窓を眺めた。
「出入り不能な部屋で、犯人はどうやって犯行をおこない、出て行ったのでしょうか」
そんなもん犯人に訊(けよな。
「まったくです」と古泉は同意した。「その辺のことは裕さんに訊かねばなりませんね」
古泉は新川さんに警察への連(絡(を依(頼(して、あらためて俺に向き直る。
「先に涼宮さんの部屋に行っておいてください。僕も後で行きますので」
そうしたほうがよさそうだ。ここで俺にできることはあまりない。
ドアをノックする。
「誰(?」
「俺だ」
扉(が細く開き、ハルヒの顔が覗(いた。何やら複雑な表情で俺を招き入れる。
「古泉くんは?」
「もうすぐ来るだろ」
ツインベッドの片方に朝比奈さんが寝(かされている。通りすがりの王子でなくてもキスしないといけないような気分になる寝顔だが、やや息苦しそうな表情なのは絶賛気絶中なのでしかたがない。
その傍(らでは、長門が墓(守(のような顔をして椅(子(に座っている。そうしておいてくれ。朝比奈さんから離(れないように頼(むぞ。
「ねえ、どう思う?」
ハルヒの問いは俺に向けられているようだ。
「どうって?」
「圭一さん。これって殺人事件なの?」
客観的に己(の置かれた立場を見つめてみたら答えも自(ずと導き出されるであろう。俺はそうしてみた。鍵のかかった部屋をぶち破って入ったらピクリともせずに倒(れてる館(の主人がいて、その胸からはナイフの柄(が生えていた。嵐の孤(島(に密室殺人。できすぎだ。
「どうやらそうらしい」
数秒間のタイムラグ、俺の答えにハルヒはほわっとした息を吐(いた。
「うーん……」
ハルヒは額に手を当て、自分のベッドに腰(を落とした。
「まさかなあ。こんなことになっちゃうなんて、思いもよらなかった」
呟(いているが、それこそまさかだな。さんざんお前は事件を熱望するようなことを言ってたじゃないか。
「だって、本当になるとは思わないもん」
ハルヒは唇を尖(らせ、すぐに表情をあらためた。こいつはこいつでどういう顔をしていいか悩(んでいるようだ。喜んではいないようで一安心だ。俺が第二の被(害(者(の役割を押しつけられるようなことになったらたまらんからな。
俺は天使の寝顔を見せている上級生を見つめた。
「朝比奈さんの調子はどうだ?」
「だいじょうぶでしょ。気絶しただけよ。なんだかすごく素(直(な反応で感心するわ。みくるちゃんらしいわよね。ヒステリーを起こされるよりマシだけどさ」
どこか上の空っぽくハルヒは言った。
嵐の島で発生した密室殺人。旅行先で、たまたまそんなもんに出くわしてしまう確率はいかほどのもんだろう。しかし俺たちはSOS団であってミステリ研究会でも推理小説同好会でもない。まあ確かに、不思議を探し求めるのがハルヒ的SOS団の活動理念だから、今現在の俺たちの境(遇(はそれなりにマッチしているのかもしれないが、実際に出くわしてしまうとなると話は別の方向にスライドする。
これもハルヒが望んだから起きた事件だと言うのか?
「ううむむむ。困ったことになったわね……」
ベッドから足を下ろし、ハルヒはうろうろと部屋の中を行ったり来たり。
どうもだが、エイプリルフールのつもりで言った冗(談(が本当になってしまって困(惑(する悪戯(小(僧(のような風情(を感じさせる。カラだと思って逆さにした瓢(箪(から特大の駒(が転げ落ちてきてしまったような雰(囲(気(だ。俺にとってもあまり気分のいい雰囲気ではないな。
さて、どうするか。
できれば俺も朝比奈さんの隣(で添(い寝したかったが、ここで現実逃(避(をしていてもしかたがない。善後策を講じなければならないだろう。古泉はどうやるつもりなのか。
「うん、やっぱりじっとなんかしてられないわ」
やはりと言うべきか、ハルヒは力強く断言して俺の前に立ち止まる。真(面(目(な表情で、ハルヒは俺に挑(みかかるような視線を向けてきた。
「確(認(しておきたいことがあるの。キョン、あんたもついてきなさい」
朝比奈さんをこのままにして部屋を出たくないんだが。
「有希がついてるから平気よ。有希、ちゃんと鍵を閉めて、誰が来ても開けちゃダメよ。わかった?」
長門は沈(着(冷静な顔で俺とハルヒをじっと見つめ、
「わかった」
起(伏(のない声で返答をよこした。
ツヤ消し処理された瞳(が一(瞬(、俺の視線と直線を結んだとき、長門は俺にしか解(らないような角度でうなずいた──ような気がする。
おそらく俺とハルヒに危険が降りかかることはないんだろう。もし何かさらに異常な事態になるようなら、長門だって黙(って座っていたりはしない。俺は先だっての、コンピュータ研部長の部屋に行ったときのことを記(憶(から引っ張り出して、そう思うことにした。
「行くわよ、キョン」
俺の手首をひっつかみ、ハルヒは部屋から廊(下(へと第一歩を踏(み出した。
「それで、どこに行くんだ?」
「圭一さんの部屋よ。さっきは観察する余(裕(がなかったから、もう一回確認しておくの」
ナイフを胸に突(き立てて転がる圭一さんと、白いシャツにべったりついた血(糊(を思い出して、俺は躊(躇(するものを感じる。あまりしげしげと見るべき光景ではないぞ。
ハルヒは歩きながら言った。
「それから裕さんがどこ行ったのかも調べないと。ひょっとしたらまだ建物の中にいるのかもしれないし、それに……」
これだけの騒(ぎだ。もし裕さんが事件と何の関係もないのであれば、姿を現していないとおかしい。現れないということは二つの可能性が考えられる。
ハルヒに引かれるがまま、俺は階段を上りながら、
「裕さんが犯人でとっくに別(荘(から出て行ったか、あるいは裕さんも被害者になっちまってるか……だな」
「そうよね。でも裕さんが犯人じゃなかったら、ちょっぴりイヤな展開よね」
「誰(が犯人でも俺はイヤだがな……」
ハルヒは俺を横目で見る。
「ねえキョン。この館(には多丸さん兄弟を除けば、新川さんと森さん、それからあたしたち五人しかいないのよ。その中に犯人がいるってことになるじゃないの。あたしは自分の団員を疑いたくなんかないし、警察に突き出したりしたくはないわよ」
しんみりした声に聞こえた。
なるほど、仲間内に殺人犯がいることを懸(念(しているのか。そんな可能性を俺はまったく考(慮(していなかった。朝比奈さんは問題外として、長門だったらもっとうまくやるだろうし、古泉なら……。そういえば、多丸さんに最も近いところにいるのは古泉だ。親(戚(だとか言っていた。まるっきり赤の他人である俺たちより立場的に親しいのは間(違(いない。
「いや」
俺は自分の頭を小(突(いた。
古泉だってバカではない。こんな状(況(でわざわざギリギリなことはしやせんだろう。状況がクローズドサークルになったからといって、その状況に合わせるように殺人事件を起こしたりするほど頭がすっ飛んでいるわけではないと思う。
そんなことを考えつくのは、ハルヒくらいでいい。
三階、圭一さんの部屋の前では、新川執(事(氏が歩(哨(よろしく仁(王(立ちに待ちかまえていた。
「警察に連(絡(しましたところ、誰の立ち入りも許可しないようにとのことでございます」
慇(懃(に頭を下げる。部屋の扉(は俺たちがぶち破った状態で開け放たれ、新川さんの身体(の脇(からわずかに圭一さんの爪(先(が見えるのみだった。
「いつ来るの? 警察」
ハルヒが質問し、新川さんは丁(寧(に答えてくれた。
「嵐(が収まり次(第(とのことでございます。予報によれば、明日の午後には天候の回復が見込まれるようですから、その頃(あたりになるのではないでしょうか」
「ふーん」
ハルヒは扉の向こうにチラチラとした視線を送っていたが、
「ちょっと訊(きたいんだけど」
「何でございましょう」
「圭一さんと裕さんって仲悪かったの?」
新川さんはザッツ執事と言いたくなるような立ち振(る舞(いをわずかに変化させた。
「正直申し上げまして解りかねますな。なんとなれば、私がここに仕えるようになりましたのは、この一週間程度のことでございますので」
「一週間?」と俺及(びハルヒ。
新川さんはゆったりとうなずいた。
「左様です。執事であることには変わりはございませんが、私はパートタイム、臨(時(雇(いの執事でございます。夏のホンのひととき、二週間ばかりの契(約(でございました」
「つまり、この別荘のみってことなの? 昔から圭一さんのとこにいたんじゃないのね?」
「左様で」
新川執事は圭一さんがこの島で過ごす期間だけの期限付き執事だったわけだ。したらば、もしや。
俺の疑問はハルヒの疑問でもあったようで、
「森さんもそうなの? あの人も臨(時(雇(われメイドなのかしら」
「おっしゃるとおり、彼女も同時期に採用を受け、ここに来ましてございます」
なんとも豪(毅(なことだ。圭一さんは、サマーバカンスのためだけに執事とメイドを雇(ったことになる。なんか金の使い方を間違えているような気もするが、それにしても執事とメイドね……。
心の端(で微(細(な引っかかりが転げ落ちようとした。俺はふとそいつをすくい上げてやる。そして新川さんの顔を注意深く観察してみた。生(真(面(目(という単語に鎧(われた老(紳(士(にしか見えない。おそらくそれは正しいのだろうが、しかし……?
俺は何も言わず、その小さな引っかかりを胸にしまい込んだ。後であいつに会ったときに投げつけてやる言葉だな、これは。
「なるほどねえ。使用人にも正社員と派(遣(があるわけね。なんだか参考になったわ」
何の参考にするつもりか、ハルヒは合点がいったようでうなずき、
「部屋に入れないんじゃしょうがないわ。キョン、次に行くわよ、次に」
また俺の腕(を取って、ずかずかと歩き始めた。
「今度はどこに行くんだよ?」
「外。船があるかどうかを確かめるの」
この台風の中でハルヒと二人でそぞろ歩きってのは気が進まないな。
「あたしはね。自分の目で見たものしか信用しないの。往々にして伝聞情報には余計なノイズが混じっているものなのよ。いい? キョン。重要なのは一次情報なわけ。誰(かの目や手を通した二次情報は最初から疑ってしかるべきなの」
そりゃまあ、ある意味もっともな意見と言えるだろうが、それでは自分の視界に入る以外のものほとんどが信じられないことになっちまうな。
俺が情報メディアの有用性について考えているうちに、ハルヒは俺を一階へと運び込んでいて、下りたところに森園生さんがいた。
「外に出られるのですか?」
森さんは俺とハルヒに言って、ハルヒも言い返した。
「うん。船があるかどうか調べようと思って」
「ないと思われますが」
「どうして?」
うっすらと微(笑(して、森さんは答える。
「昨晩のことです。裕様の姿をお見かけしたのは。その時、裕様は何かにせき立てられるようなお急ぎようで、玄(関(口(へと向かっておられたのです」
俺はハルヒと顔を見合わせ、
「裕さんが船をかっぱらって島を出て行ったと言うんですか?」
森さんは薄(い微笑(みをたたえた唇(を動かし、
「廊(下(ですれ違(っただけですし、裕様が実際に出て行ったところを見たわけでもありません。でも、わたしが裕様を見たのは、それが最後です」
「何時頃?」とハルヒ。
「午前一時前後だったと思います」
俺たちがへべれけとなって熟(睡(していた時間帯だ。
圭一さんがスーツ姿で床(に転がるハメになったのも、その頃であると当確サインを出していいものだろうか。
扉(を開けると散(弾(のような雨(粒(が叩(きつけてきた。風雨に押されて重たくなったドアをなんとかくぐり抜(けて外に出た途(端(、俺とハルヒは数秒と保(たずに濡(れ鼠(となっている。水着で来ればよかったかな。
暗(灰(色(の雲に覆(われた空が水平線まで切れ目なく続き、俺はいつぞやの閉(鎖(空間を思い出した。どうもこういうモノクロの世界は好きになれそうにない。
「行くわよ」
雨のせいで髪(とTシャツを身体(に張り付けながら、ハルヒは雨中行軍を敢(行(する。俺もついて行かざるを得ない。ハルヒの手はやはり俺の手首を握(りしめていた。
羽根を付ければ高く舞(い飛ばされそうな風の中、俺たちは豪(雨(の恰(好(の餌(食(となりつつ、波止場の見える位置までじわじわ進んでいった。うっかりすれば崖(の下へと転落する恐(れがある。さすがに俺もこりゃヤバイと感じるようになってきた。自分だけ落っこちるのもシャクなので、俺はハルヒの手首を握りかえしてやる。こいつとなら、落ちても生(還(の確率が上(昇(するように思ったのでね。
やっとの思いで俺たちは階段の頭頂にたどり着いた。
「見える? キョン」
風に紛(れがちのハルヒの言葉に、俺はうなずき返した。
「ああ」
波止場はほとんど冠(水(状態で、打ち寄せる巨(大(な浪(波(だけが岸辺で動くすべてだった。
「船がない。流されたんでなければ、誰かが乗って行っちまったんだろ」
俺たちが島から脱(出(できる唯(一(の交通手段。あの豪(勢(なクルーザーは眼下に広がる海面のどこを探しても見あたらない。
なんともはや。
かくして、俺たちは孤(島(に隔(離(されたってわけだ。
俺たちは再び這(うような速度で別(荘(まで戻(り、ようやく扉の内側に入れたときには全身まんべんなく濡れネズミとなっていた。
「お使いください」
気を利(かせて待機していたらしく、森さんがバスタオルを差し出してくれた。控(えめな口調で、
「どうでしたか?」
「あなたの言う通りみたい」
黒(髪(をタオルで擦(っていたハルヒは憮(然(とした面(持(ち。
「クルーザーはなかったわ。いつからないのかは解(んないけど」
森さんはそれが地顔なのか、蛍(の光みたいな微笑みをずっと浮(かべている。多丸圭一氏殺傷事件に何らかの動(揺(を感じているのだとしても、彼女の穏(やかな顔からはプロフェッショナルなまでに覆い隠(されていた。短期メイドの雇(い主に対してだから、それが普(通(なのかもな。
廊下に水(滴(を落として歩くことを森さんに詫(びつつ、俺とハルヒはそれぞれの自室に着(替(えのために戻ることにした。
「後であたしの部屋に来てよね」
階段を上がっている途(中(でハルヒは言った。
「こういうときはみんなで一(塊(りになっていたほうがいいわ。全員の姿が目に入ってないと落ち着かないもの。それに万一……」
言いかけてハルヒは口を閉ざす。何を言いたかったのか、なんとなく解(ったような気がして俺もツッコミを封(印(する。
そのまま二階に到(着(すると、廊下に古泉が立っていた。
「ごくろうさまです」
古泉はいつもの微笑で俺たちに目礼を送ってよこした。ハルヒの部屋の前である。
「何してんの?」
ハルヒが訊(くと、古泉は微(笑(を苦笑に変化させ、ひょいと肩(をすくめた。
「今後のことをご相談しようと涼宮さんの部屋を訪問したのですが、長門さんが中に入れてくれないのです」
「どうして?」
「さあ」
ハルヒは扉をガンガンとノックした。
「有希、あたしよ。開けてちょうだい」
短い沈(黙(の後、長門の声が扉(越(しにこう告げた。
「誰(が来ても開けるなと言われている」
朝比奈さんはまだ失神中のようだ。ハルヒは首にかけたタオルを指先で弄(ぶ。
「もういいわ。有希、開けてったら」
「それでは誰が来ても開けるなという命令に反することになる」
唖(然(とした顔でハルヒは俺を見て、また扉に向かった。
「あのさ有希。誰もってのは、あたしたち以外の誰もってことよ。あたしとキョンと古泉くんは別なの。同じSOS団の仲間でしょ?」
「そうは言われなかった。わたしが言われたのは誰に対してもこの扉を開けてはいけないという意味の指示だと、わたしは解(釈(している」
長門の静かな口調は、筆記係に託(宣(を教える女神官のようであった。
「おい、長門」
たまりかね、俺は口を挟(んだ。
「ハルヒの命令はたった今解除された。なんならその指令は俺が上書きする。いいから開けろ。頼(むからさ」
木戸の向こうにいる長門はコンマ数秒ほど考えたようだ。かしょんと内側の鍵(を捻(る音がして、ドアがしずしずと開き始めた。
「…………」
長門の瞳(が俺たち三人の上を通り過ぎ、無言のまま奥へと退いた。
「もう! 有希、少しは融(通(をきかせなさいよ。そのくらい意味をちゃんと把(握(してちょうだい」
古泉に着替えるまで待つように言って、ハルヒは部屋に引っ込んだ。俺も乾(いた服が恋(しくなっていた。いったん退散させてもらおう。
「じゃあな、古泉」
歩きながら俺は考えていた。
さっきのやり取りは、もしや長門流のジョークだったのではないだろうか。言葉の意味をはき違(えた、解りにくく面白くもないジョーク。
頼むぜ長門。お前は表情も顔色も変化なしだから、いつも本気だとしか思えないんだよ。冗(談(を言うときくらいは笑(顔(の一つくらいしてもいいんだぞ。なんなら古泉のように意味もなく笑っていろ。絶対その方がいい。
今は笑っている場合ではないけど。
濡(れた服を脱(ぎ捨て下着まで替(えて再び廊(下(に出ると、古泉の姿はすでになかった。ハルヒの部屋まで来てノックする。
「俺だ」
開けてくれたのは古泉だった。俺が足を踏(み入れて扉を閉めると同時に、
「クルーザーが消えているそうですね」
古泉は壁(にもたれて立っている。
ハルヒがベッドの上で胡座(を組み替えた。さすがにハルヒもこの事態を喜んでいるわけではなさそうで、むっつりとした顔を物(憂(げに上げ、
「なかったわよね、キョン」
「ああ」と俺。
古泉は言った。
「誰かに乗り逃(げされたようですね。いや、もう誰かなどと言っても仕方がないでしょう。逃げたのは裕さんですよ」
「なぜ解(る?」と俺は問い、
「他(にいませんから」
古泉は冷然と答えた。
「この島には僕たち以外の人間は招かれていませんし、その招待客の中で館(から姿を消したのは裕さんだけです。どう考えても、彼が乗り逃げ犯で間違いないでしょう」
古泉は滑(らかな口調で続ける。
「つまり、彼が犯人なのです。おそらく夜のうちに逃げ出したのでしょうね」
眠(った痕(跡(のない裕さんのベッドと、森さんの証言。
ハルヒが先ほどの会話を古泉に教えてやると、
「さすが涼宮さん。すでにお聞き及(びでしたか」
古泉はべんちゃらを言い、ふうむと俺は無意味に唸(った。
「裕さんは何かに脅(えるような急ぎようだったということですが、それが裕さんを見た最後の目(撃(証言で合ってます。新川さんにも確(認(しました」
それにしたってさ、真夜中に台風の来ている海に乗り出すのなんて、ほとんど自殺行(為(じゃないか?
「それほど急ぎの用が発生したのでしょう。たとえば殺人現場から逃げ出す、というような」
「裕さんはクルーザーの運転ができるのか?」
「未確認ですが、結果から考えてできたのでしょう。現に船はなくなっているのですから」
「ちょっと待ってよ!」
ハルヒは挙手して発言権を得た。
「圭一さんの部屋の鍵は? 誰(がかけたの? それも裕さんなわけ?」
「そうではないようです」
古泉はやんわりと否定の仕草。
「新川さんが言っていた通り、あの部屋の鍵(はスペアを含(めて圭一さんが管理していました。調べたところ、すべての鍵は室内にありましたよ」
「合い鍵を作っていたのかもしれん」
俺が思いつきを言うが、古泉はそれにも首を振(った。
「裕さんがこの別(荘(に来たのも、今回が初めてのはずです。合い鍵を作る余(裕(があったとも思えません」
古泉は両手を広げて、お手上げのジェスチャー。
室内に無言が停(滞(し、暴風と豪(雨(が島を削(る不協和音が小さく遠くの出来事のように空気を振(動(させている。
俺とハルヒがコメントする言葉もなく沈(黙(していると、古泉がそれを破った。
「ただし、裕さんが昨夜に犯行に及んだとしたら、おかしなことになります」
「何が?」とハルヒ。
「さきほどの圭一さんですが、僕が触(った彼の肌(はまだ温(もりを失っていませんでした。まるで、ついさっきまで生きていたように」
不意に古泉は笑みを浮(かべた。そして朝比奈さんの侍(女(のように控(えている沈黙の精(霊(みたいな姿に言った。
「長門さん、僕たちがあの状態の圭一さんを発見したとき、彼の体温は何度でした?」
「三十六度三分」
間(髪(入れず、長門は答える。
待て、長門。触(れてもいないのにどうして解る? それも質問を予期していたような反射速度でさ……などと俺は言わない。
この場で疑問を持つだろう唯(一(の人間はハルヒだが、考え込むのに忙(しいのか、そこまで頭が回っていないようで、
「それじゃほとんど平熱じゃないの。犯行時間はいつになるのよ」
「人間は生命活動を停止すると、おおよそ一時間につき一度弱ほど体温を低下させていきます。そこから逆算した圭一さんの死亡推定時刻は、発見時からだいたい一時間以内ってとこでしょう」
「待て、古泉」
さすがにここはツッコムところだ。
「裕さんがどっかに行ったのは夜の事じゃないのか?」
「ええ、そう言いました」
「だが、死亡推定時刻はさっきから一時間以内くらいだって?」
「そういうことになりますね」
俺はこめかみを押さえた指に力を込める。
「すると、裕さんは台風の夜に別荘を出て、いったんどこかに潜(んでおいてから朝に戻(ってきて、圭一さんを刺(して船で逃(げたのか」
「いえ、違(います」
古泉は余裕でかわした。
「仮に死亡推定時刻に幅(を取り、僕たちが発見するまでに一時間少々かかったと推定しましょう。ですが、その頃(、僕たちはとっくに起きだして食堂に揃(っていました。その間、僕たちは裕さんの姿はおろか物音一つ聞いていません。いくら外が台風とは言え、それでは不自然ですよ」
「どういうことなのよ」
ハルヒが不(機(嫌(そうに言った。腕(組(みをして、睨(むような視線を俺と古泉に向けている。俺を睨んでも何も出てこないぞ。教えを請(うのならこっちの微笑(みくんに言え。
古泉は言った。軽く、世間話でもするような口調で。
「これは事件でもなんでもないです。単なる悲しむべき事故なんですよ」
お前の態度は悲しんでいるように見えないが。
「裕さんが圭一さんを刺したのは間違いないと思われます。でないと裕さんが逃げ出す理由が解(りません」
まあ、そうなんだろうな。
「どのような事情や動機があったか知りませんが、裕さんはナイフで圭一さんに襲(いかかりました。おそらく、背後に握(った手を隠(しておいて正面からいきなり突(き刺したのでしょう。圭一さんは身構える時間もなく、ほぼ無(抵(抗(に刺されたのです」
見てきたようなことを言う。
「しかしその時、ナイフの切っ先は心臓まで達していなかったのですよ。肌に触れていたかどうかも怪(しいですね。ナイフは圭一さんが胸ポケットに入れていた手帳に突き立ち、そして手帳しか傷つけなかったのでしょう」
「え? どういうこと?」
ハルヒが眉(の間に皺(を刻んで言った。
「じゃあなんで、圭一さんは死んじゃってたのよ? 別の人が殺したの?」
「誰(も殺してはいません。この事件に殺人犯はいないんですよ。圭一さんがああなったのは、ですから単なる事故なのです」
「裕さんは? あの人はなぜ逃げたの?」
「殺したと思い込んでしまったからです」
古泉は悠(然(と答え、人差し指を立てた。こいつはどこぞの名(探(偵(になったつもりなのか。
「僕の考えをお教えします。経(緯(はこうですよ。昨夜、殺意を持って圭一さんの部屋を訪(れた裕さんは、圭一さんをナイフで刺す。しかしナイフは手帳に阻(まれ、致(命(傷(にはなりえなかった」
何を言い出すのかと思ったが、しばらく聞いておいてやろう。
「しかしここでややこしいことが発生します。圭一さんはてっきり自分の身体(が刺されたと思い込んだんですよ。ナイフが手帳にぶつかっただけでも相当な衝(撃(があったことでしょう。加えて、刃(物(が自分の胸から生えている様を見て、精神的なショックがあったことも類推できます」
俺は古泉の言いたいことが段々理解できるような気になってきた。おいおい、まさか。
「その思い込みの力により、圭一さんは気を失ってしまいます。くたくたと、この時は横向きか後向きに倒(れたんですね」
古泉は息を継(ぎ、
「それを見た裕さんも、殺したと信じ込みました。後は簡単、逃げ出すだけです。どうも計画性はなさそうですから、何かの拍(子(に殺意が芽生え、とっさにナイフを振(るってしまったのでしょう。それで、嵐(の夜だというのにクルーザーを奪(取(したのです」
「え? でもそれじゃあ……」
言いかけたハルヒを古泉は制して、
「説明を続けさせてください。意識を失った圭一さんのその後の行動です。彼は朝までそのまま気を失い続けていました。起きてこないのを不(審(に思った僕たちが、部屋の扉(を叩(くまでね」
あの時まで生きていたのか……?
「ノックの音で目を覚ました圭一さんは、起きあがりドアへ近付きます。しかし極度の寝(起(きの悪さで、彼は朦(朧(としていたことでしょう。意識がはっきりしていなかったのですよ。半ば無意識のうちに扉に近寄り、そこでようやく思い出しました」
「何を?」と、ハルヒ。古泉は微笑みを返し、
「弟に殺されかけたことをです。そして目(蓋(の裏にナイフを振りかざす裕さんが蘇(った圭一さんは、とっさに扉に鍵(を掛(けてしまったのです」
我(慢(できず、俺は口を挟(んだ。
「それが密室状態の真相だと言うんじゃないだろうな」
「残念ながら言うつもりです。気絶したまま眠(りに就(いていた圭一さんには時間の感覚が失(せていたのです。裕さんが再び戻(って来たのではと思い込んだんですよ。たぶんタッチの差だったんでしょう。僕が通路側からノブを握るのと、内側から施(錠(されたのはね」
「殺人犯がトドメをさしに来たとして、わざわざノックするわけないじゃないか」
「この時の圭一さんは何せ朦朧としていましたから、混(濁(した頭ではとっさの判断がくだせなかったんですよ」
なんて強(引(な理(屈(だ。
「さて、施錠を終えた圭一さんは扉から離(れようとしました。本能的に身の危険を感じたのでしょうね。悲劇が起きたのはこの時です」
古泉は首を振り、さも悲劇を語るように、
「圭一さんは足をもつれさせ、転(倒(してしまいました。こう、倒れるようにです」
古泉は身体を折って前のめりのジェスチャー。
「その結果、胸の手帳に突き刺(さっていただけのナイフは、床(に倒れた勢いで柄(を押し込まれることになったのです。刃(は圭一さんの心臓を貫(き、彼を死に至らしめた……」
俺とハルヒがバカみたいに口を開けるのを尻(目(に、古泉は力強く言った。
「それが真相ですよ」
なんだって?
そんなアホみたいなことで圭一さんは死んでしまったのか? そんな都合良く何もかもが進むか? ナイフが丁度いい感じに刺さるのもアレだが、本当に殺したかどうか裕さんにだって解(りそうなものだが。
俺が反論を頭で組み立てていると、
「あっ!」
ハルヒが大声を出したせいで俺は飛び上がった。何だ突(然(。
「古泉くん、でもさ……」
言いかけてハルヒは固まった。その面(が驚(きに彩(られているが、何に驚いたんだ。古泉の話に納(得(できないところでもあったのか?
ハルヒの目が俺の方を見た。俺と目が合うと慌(てたように逸(らし、古泉を見ようとして思い留(まるような仕草をして、なぜか天(井(を見上げ、
「んん……。なんでもないわ。きっとそうなのね。うーん。何て言うのかしら」
意味不明な呟(きを漏(らしたかと思うと、それきり黙(り込んだ。
朝比奈さんは眠り続け、長門はぽつねんとした視線を古泉に注いでいた。
いったん解散。俺たちはそれぞれの部屋に戻ることにした。古泉の話によると嵐が収まりしだい警察が駆(けつけるだろうということだったので、それまでに荷物をまとめておこうというわけだった。
俺は適当に時間を潰(した後、思(惑(を一つならず抱(いて、とある部屋を訪ねた。
「なんでしょうか?」
着(替(えのシャツを畳(んでいた古泉が顔を上げ、俺に笑(顔(を向ける。
「話がある」
俺が古泉の部屋を訪(れた理由はただ一つだ。
「納得がいかん」
そうとも。古泉の推理では説明できない部分がある。それは致(命(的(な欠(陥(だ。
「お前の説明では、死体は俯(せで発見されるはずだ。しかし圭一さんは仰(向(けに倒(れていた。これをどうフォローする?」
古泉は座っていたベッドから腰(を上げ、俺と向き合うように立った。
微笑(み野(郎(はあっけらかんと、
「それは単純な理由です。僕が皆(さんに披(露(した推理は、偽(りの真相ですから」
俺も大(仰(なリアクションはしない。
「だろうな。あんなもんで納得できるのは意識のなかった朝比奈さんくらいだ。長門に訊(けば全部教えてくれそうだが、それはルール違(反(してるみたいで俺が気に入らん。本当にお前が考えていることを言ってみろ」
端(整(な顔を笑いの形に歪(め、古泉は低く耳(障(りな笑い声を上げて、
「では言いますと、先ほど述べた真相ですがね、途(中(までは合っていますが最後の部分で違うのです」
俺は無言。
「圭一さんが胸にナイフを突(き刺したまま扉(に近付いてきた……それまではいいでしょう。反射的に鍵(をかけたのもね。違うのはそこからですよ」
古泉は椅(子(を勧(めるような仕草をしたが、俺は無視した。
「どうやら、あなたは気づいたようですね。おみそれしましたと言うべきでしょうか」
「いいから続けろ」
古泉は肩(をすくめ、
「僕たちはドアを体当たりで破りました。正確には僕、あなた、新川さんです。そうして扉は開かれた。勢いよく、内側に」
俺は黙って先を促(す。
「それがどのような結果をもたらしたか、あなたはもうお解りでしょう。扉のすぐ側(に立っていた圭一さんは、開け放たれたドアに身体(の前面を打たれた。ナイフの柄も」
俺は脳(裏(にその光景を思い描(いてみた。
「そうやって押し込まれたナイフが、圭一さんを死に追いやったのですね」
古泉は再びベッドに座り、挑(むような目つきで俺を見上げた。
「つまり犯人は……」
古泉は囁(くように微(笑(とともに言った。
「僕とあなたと新川さん、ということになります」
俺は古泉を見下ろしている。ここに鏡が有れば、俺はさぞ冷たい目つきをした自分の顔を見ることができるだろう。そんな俺を気にするようでもなく、古泉はまだ言っている。
「あなたが気付いたように、涼宮さんもこの真相に気付いている。だから言いかけてやめたんですよ。彼女は僕たちを告発しようとはしなかった。仲間を守ろうとしてくれたのかもしれませんね」
もっともらしい顔の古泉だった。だが、俺の納得はまだである。こんなトンチキな第二推理に惑(わされるほど、俺の大脳新皮質はまだ耄(碌(していない。
「ふん」
俺は鼻を鳴らし、古泉を睨(みつけてやった。
「悪いが、俺はお前を信用できねえな」
「どういうことでしょうか」
「チャチな推理に続く第二の真相を狙(ってるんだろうが、俺はそんなもんに騙(されたりはしないってことさ」
今の俺はちょっと格好良くないか? さらに言ってやろう。
「考えてみればいい。根本的な問題をだ。殺人事件そのものに着眼すればいいだけの話さ。いいか? そんなもんがこんな都合のいい状(況(で起こるわけはないんだ」
今度は古泉が黙(って俺を促す番だ。
「台風が来たのは偶(然(か、でなければハルヒが何かしやがったんだろうが、それはこの際どうだっていい。問題となるのは、事件によって死体が一つ転がるってことなのさ」
ここで間を空け、俺は唇(を舌で湿(らせる。
「お前はこう主張するかもしれん。ハルヒが望んだから事件が起きたのだとな。だが、口で何を言おうとハルヒは死者の出るようなことは望みやしない。それくらいのことはあいつを見てれば解(る。てーことは、この事件を起こしたのはハルヒじゃない。そして、いいか? 俺たちがその事件現場に出くわしたのも偶然じゃない」
「ほう」と古泉。「では何です?」
「この事件……と言うかこの小旅行。SOS団夏合宿と言ってもいいだろうが、今回の件で真の犯人として指(摘(されるべきはお前だ。違うか?」
虚(をつかれたように笑い顔をフリーズドライさせた古泉の時間が数秒間停止した。しかし──。
くすくす笑いが古泉の喉(からまろび出る。
「参ったな。なぜ解りました?」
そう言って俺を見る古泉の目は、文芸部室で見るものと同じ色を浮(かべている。
俺の脳(味(噌(も伊達(に灰色をしていなかったらしい。俺は幾(分(ホッとしながら言った。
「あの時、お前は長門に死体の体温を訊(いた」
「それが何か?」
「その体温で、お前は死亡推定時刻がどうのとか言い出したな」
「いかにも、言い出しました」
「長門はあの通り便利な奴(だ。お前も知ってるとおり、たいていのことはあいつが教えてくれる。お前は長門に体温じゃなくて死亡推定時刻を訊くべきだった。いや、推定じゃない。あいつなら死亡時刻ジャストを秒単位で教えてくれるだろうさ」
「なるほど」
「もし死亡時刻を訊いていたなら、長門は死んでいないと答えたはずだ。それにお前はあの状態の多丸氏を一度も死体と呼ばなかったな」
「せめてものフェアプレイの精神です」
「まだあるぞ。俺はこれでも見るべき所は見ている。圭一さんの部屋のドアの内側だよ。お前の言い分では、扉(はナイフの柄(にかなりの力でぶつかったはずだよな。人間の体内にナイフをめり込まさせるほどの威(力(でだ。そんな力が働いていたら、ドアにだって少しは傷なり凹(みなりが出来たはずだろ。だがそんなもんはなかった。傷一つない、まっさらな扉だったぜ」
「素晴らしい観察眼です」
「それからもう一つ。新川さんと森さんのこともあるな。あの二人はここに来てまだ一週間足らずだと言う話だ。一週間前に雇(われて、それからこの島にいる。だったよな?」
「そうですよ。それが何かおかしなことになりますか?」
「なるね。なるとも。お前の態度がおかしいだろうが。ここに来た最初の日を思い出せ。フェリー乗り場に迎(えに来てた新川さんと森さんを見て、お前が言った言葉だぞ」
「さて、僕は何と言いました?」
「久しぶり、と、お前は言ったんだ。おかしいだろ? どうしてあの二人に対してそんなセリフが出てくるんだ。お前はこの島に来るのは初めてだとも言っていた。彼らとも初対面のはずだ。何で新川さんと森さんを、あらかじめ知っていたような挨(拶(ができるんだ。そんなわけねえじゃねえか」
古泉はくっくと笑った。
それは告白の笑(みでもある。俺は脱(力(と同時にすべてを了(解(し、古泉は話し始める。
「そうです。今回の事件はすべて仕込みでした。大がかりな寸劇だったんですよ。あなたに気付かれるとは思いませんでしたが」
「なめるな」
「これは失礼を。ですが、意外であったことは認めますよ。いずれ何もかも自白しようとは思っていましたけど、こうも早くつまびらかになってしまうとはね」
「てことは、多丸さんや森さんや他(の全員がグルだったんだな。どうせ『機関』とやらの仲間だろう」
「そうです。素人(にしては名演技だったと思いませんか?」
胸に刺(さったナイフは刃(を途(中(で折った細工がなされたもの、赤い染(みは血に見せかけた塗(料(、もちろん圭一さんは死んだフリで、いなくなった裕さんとクルーザーは島の反対側に移動しただけ。
と、軽(やかに古泉は真相を激白した。
「なぜこんなことを計画した?」
「涼宮さんの退(屈(を紛(らわせるために。そして僕たちの負担を減らすために」
「どういうことだ」
「あなたには言っておいたはずですよ。つまり、涼宮さんに変なことを思いつかせないように、あらかじめ彼女に娯(楽(を提供しようということです。当分、涼宮さんは今回の事件で頭がいっぱいになるでしょうから」
ハルヒは俺たちが犯人になってしまったと思い込んでいるようだが、それでもいいのか?
あの後、ハルヒは妙(におとなしくなっていた。何か考え深げでもある。不気味だ。
「では予定を繰(り上げますかね」と古泉は言う。「こっちの計画では、フェリーで本土の港に戻(ったときに多丸圭一、裕氏の両名と新川さん、森さんの計四人が出(迎(えてニッコリ──というオチを用意していたのですが。ああ、もちろん『機関』のことは伏(せて僕の親類というところはそのままですが」
マジでサプライズパーティだったわけだ。
俺は溜(息(をつく。その冗(談(がハルヒに通用するといいんだが。もしハルヒがマジギレしたらお前が押さえ込めよ。俺は逃(げるからな。
古泉は片目を閉じて微笑(んだ。
「それは大変ですね。早めに謝っておいたほうがよさそうです。多丸氏ともども、頭を下げに行くとしますか。死体役もそろそろ疲(れる頃(合(いでしょう」
俺は黙(って窓の外へ視線を飛ばした。
ハルヒはどうするだろう。騙(されたことに怒(り狂(うか、素(直(に趣(向(を楽しんで笑い転げるか。いずれにしろ、今のどっちつかずな精神状態はもっと解(りやすい方向に向かうだろうが。古泉が苦(笑(を滲(ませた声で、
「刑(事(や鑑(識(役を演じる予定になっていた方々もいたんですが、せっかくの準備が無(駄(になりましたね。にしても、こんな淡(泊(な終わり方をするとは想定外でした。本来なら屋(敷(内の捜(索(とか現場検証とかも予定表にはあったのですが……。上手(くいかないものです」
それだけ考えが足りなかったからだろうさ。
曇(り空を眺(めながら、この天気は数時間後にどのような晴れ模様になるだろうかと俺は考えていた。
結果として、古泉から副団長の肩(書(きが取られることはなかった。台風が大急ぎで一過した青空の下、帰りのフェリーの中でハルヒは終始ご機(嫌(さんであり、駅前で全員解散になるまでそれは持続していた。シャレをシャレとして楽しめるだけの頭がハルヒにあってよかったことだな。
その代わり、古泉は船内の売店で人数分の弁当と缶(ジュースを買わされてはいたが、それですんで安いもんだと俺は思う。
おそらく最初からすべてを知っていたらしい長門は慎(ましく無反応を守りきり、気絶から醒(めた朝比奈さんは「ひどいですー」と可愛(く拗(ねて見せたが、古泉と多丸氏兄弟、及(び使用人役の二人が頭を下げるのを見て、「あ、いいです。気にしてませんからっ」と慌(てて謝り返していたことも挿(話(として付け加えておく。
ところで、本土を目指すフェリーのデッキで全員の集合写真を撮(ろうと並んでいたとき、ハルヒはこんな注文を付けていた。
「冬の合宿も頼(むわよ、古泉くん。今度はもっとちゃんとしたシナリオを考えておいてよね。今度は山(荘(に行くんだから。それから大雪が降らないとダメだからね。次こそはこれぞってくらい館(っぽいのじゃないと今度は怒(るからね。うん。今からとても楽しみだわ!」
「ええと……、どうしましょうね?」
まるで第二次世界大戦末期のヨーロッパ西部戦線に送り込まれたあげく一個分隊で連合軍の総大将を生け捕(りにしてこいと総統直々に命令された新米ドイツ軍士官みたいなあやふやな笑みを形作り、古泉は救いを求めるような顔を俺に向けてきた。
俺は同点で迎(えた優勝決定戦のロスタイムに味方ゴールへファインシュートを放ったディフェンダーを見るような目をしつつ、心にもないことを言うことにした。
「さあな。俺も期待してるぜ、古泉」
せめて俺に見(抜(かれるような、しょうもないオチでないことくらいは期待してやってもいいだろう。
日常に退屈したハルヒが、非日常な現象を発生させないためにも。