ところで集合時間に俺は遅れて来てしまっていた。朝、自宅から出ようとしたところ、持ち上げたスポーツバッグがやけに重い。不(審(を覚えて開けてみたら、着(替(えや洗面用具の代わりに俺の妹が入っていたのである。昨夜うっかり口を滑(らせたおかげで俺がハルヒたちと旅行に出かけることに感づいた妹は「あたしも行く」と喚(き散らしており、おとなしくさせるまで二時間くらいかかったのだが、ついに密入国を計画したらしい。俺はバッグから妹を叩(き出すと、中身をどこに隠(したかを問いつめ、黙(秘(権(を行使する妹を宥(めたりすかしたり絞(めたりしているうちに時間を喰(ったのだった。お前には土産(を買ってやらん。そのための金は、他(のSOS団が喰っているフェリー内売店の弁当代に化けたからな。
二等客室、フラットルームの一角を陣(地(としたSOS団の面々は、俺が買わされた幕の内弁当を食べながら歓(談(をおこなっていた。喋(っているのはもっぱらハルヒと古泉だけだったが。
「あとどれくらいで着くの?」
「このフェリーで約六時間ほどの旅になります。到(着(した港で知り合いが待っていてくれる手(筈(になっていまして、そこから専用クルーザーに乗り換(えて三十分ほどの航海ですね。そこに孤(島(とそびえ立つ館(が待っているというわけです。僕も行ったことがないので、どのような立地なのかはよく知りませんが」
「きっと変な建物なんでしょうね。設計した人の名前は解(る?」とハルヒはワクワクという擬(音(を背景にして尋(ねた。
「そこまでは聞いていませんね。それなりに有名な建築家に頼(んだというようなことは言っていたような」
「楽しみだわ。すっごく」
「期(待(に添(えることができればいいのですが、僕も下見をしたわけではないのではっきりとは解りかねます。しかし、無人島に個人所有の別(荘(を建てようなどと考える人間の建てた代物(ですし、どこか特(殊(なのではないですかねえ。だといいですねえ」
古泉はそう言うが、俺は別にそうであって欲しくない。もしハルヒの望み通りに図面を引いたとする。それは多分、三日くらい徹(夜(続きの上にアル中で朦(朧(としたガウディが居(眠(りしながら設計したような建築物になるだろう。俺はそんな奇(怪(な屋(敷(で宿(泊(したいとは思わない。普(通(の旅館がいい。朝飯に焼き海苔(と生卵が出てくるような純和風のやつがさ。ナントカ館なんて名前が付いていたら、それこそハルヒは自分が殺人犯になってでも事件を起こそうとするかもしれないだろ?
「島! 館! SOS団の夏期合宿にふさわしいったらないわね。これでこの夏休みの第一歩は完(璧(な出だしだわ」
浮(かれているハルヒを中心にして、俺たち団員はただただ無言を押し通すしかなかった。
波に揺(られる以外することもないので、俺たちは古泉発案によるババ抜(きをひとしきり楽しんで、全敗した古泉が買ってきた人数分の缶(ジュースを受け取り、ひたすらに黙(々(と飲んでいた。
なんだか行く手に待ち受ける孤島だとか館だとかに、正体不明な不(吉(な響(きを感じずにはいられず、それは朝比奈さんとも共有すべき予感であるようだ。
二口くらいで飲み干したハルヒは、
「みくるちゃん、顔色悪いわね。船(酔(い?」
「いえ……その……。あ、そうかも」
答える朝比奈さんに、ハルヒは、
「それはよくないわね。外に出たほうがいいわ。デッキに上がって潮風を浴びてればすぐ直るわよ。ほら、行きましょ」
そう言って朝比奈さんの手を取った。ニヤリと微笑(みながら、
「心配しなくていいわよ。海に突(き落としたりしないから。んん……それもいいかしら。船上から忽(然(と消え失(せる女の乗船客」
「ひ」
固まる朝比奈さんの肩(をどやしつけ、
「嘘(よ、うそうそ。そんなのちっとも面(白(くないもんね。せめて船ごと流氷に激(突(するとか、巨(大(イカに襲(われるとかしなきゃね。事件なんて言えないわ」
後で救命ボートの位置を確(認(しに行こう。この真夏に氷山がこんな日本近海まで出張して来るとは思えないが、未知の水(棲(怪(獣(がどこからか浮(上(するくらいはやりそうだ。出てきたら退治してくれよ、というメッセージの籠(もった俺の視線をどう受け取ったのか、古泉は微笑み返して長門は壁(を見つめたままだった。
ハルヒは一人でまくしたてている。
「やっぱ事件は孤島で起きるものよね! 古泉くん、このあたしの期待は裏切られないわよね!?」
「どのような出来事を事件と言うのかは定かではありませんが」
古泉は柔(和(に答えた。
「愉(快(な旅行になることを僕も願っていますよ」
心にもないことを言っている奴(特有の、あやふやな微(笑(を古泉は浮かべていた。いつもの表情と言えばそうなのだが、俺はスマイル仮面の真の顔を見(極(めようと超(能力者野(郎(をじろじろ眺(め、すぐにあきらめた。こいつの笑(顔(は長門の無表情と同じで、何の情報も持たないのだ。まったく、少しは喜(怒(哀(楽(をはっきりさせて欲しい。ただしハルヒほどはっきりしなくてもいい。
でたらめなハミングを歌いながら、ハルヒは朝比奈さんをせっついて船底から出て行った。朝比奈さんが何度も振(り返りつつ、俺について来て欲しそうな顔をしていたが、俺の錯(覚(かもしれないし調子に乗って後をつけるとハルヒが気分を害しそうな気もするのでやめておいた。
いくらハルヒでも朝比奈さんが海に落っこちようとする前には助けるだろう。俺は天(井(を見上げてそう願い、鞄(を枕(にして横たわった。朝も早かったことだし、少し眠(らせてもらうことにする。
夢の中では何かファンタジーなことをしていたような気がするのだが、記(憶(に定着させる前に俺は叩(き起こされ、ハルヒからの命令電波を受信した。
「何寝(てんのよバカ。さっさと起きなさいよ。あんたは真(面(目(に合宿するつもりあんの? 行きの船の中でそんなことじゃこれからどうするつもり?」
寝ているうちに乗り継(ぎの島に到(着(したようで、俺は何か取り返しのつかない損をしてしまったような気になった。
「初めの一歩が重要なのよ。あんたは物事を楽しもうっていう心意気に欠けているの。見なさい、みんなを。合宿に向ける気持ちが瞳(の輝(きとなって溢(れているじゃない」
ハルヒが指差す先には、下船に向けて荷物を抱(え始めている三名の下(僕(たちがいた。
そのうちの一人、スマイル少年が、
「まあまあ涼宮さん。彼は合宿のための英(気(をやしなっておいでだったのですよ。おそらく今日は徹(夜(で我々を楽しませてくれるようなことを考えているのではないでしょうか」
古泉のしなくてもいいフォローを聞きながら、俺はどこに瞳の輝きがあるのかと自動人形のような長門の顔を観察し、朝比奈さんの小動物のような瞳を拝見し、
「もう着いたのか」と呟(いた。
何時間もの船旅。ここにいるのはSOS団のメンツたち。いや、他(の連中はどうでもいいが、朝比奈さんと優(雅(な船底での何かをおこなうまたとない機会を、俺はみすみす欲求に赴(くままの睡(眠(によって消し去ってしまったわけだ。
うお。いきなりケチがついた。俺の夏休みはこんなんでいいのか。本日現時点での思い出はババ抜(きくらいしかないぞ。船上ではもっとなにがしかのイベントが発生すべきなんじゃないだろうか。潮風に冷やかされつつ二人して語らう憩(いの時間は?
いぎたなく眠ってしまった数時間前の俺の胸ぐらつかんで蹴(りを入れたい気分だよ。
俺が半分寝ぼけながら自己批判を脳内で繰(り広げていると、
ぱしゃん。
フラッシュの光に目が眩(んだ。
音がした方向に視線をやれば、そこには朝比奈さんがいてカメラを構えている。可(憐(に微笑(む童顔の天使は、
「ふふー。寝(起(きの顔撮(っちゃいました」
悪戯(を成功させたおしゃまな幼(稚(園(児(のような顔で、
「寝顔も撮っておきました。よく寝てましたよ?」
途(端(に俺は元気になった。朝比奈さんが俺を隠(し撮りする理由とはなんだろう。ひょっとしたらどうしても俺の写真が欲しかったからではないか。可愛(らしい写真立てに入った俺の写真を枕(元(に置いて夜ごと「おやすみなさい」を言うためではなかろうか。それがいい。そうしよう。
いやだなあ、言ってくれたら写真なんかいくらでも差し上げるのに。何なら自宅のどこかに仕(舞(われているアルバムごと進(呈(しても何ら差し支(えない。
しかし、俺がそう申し出ようとした時だ。朝比奈さんは持っていたインスタントカメラをハルヒに手(渡(した。
「キョン、何あんたニヤニヤしてんの? バカみたいだからよしたほうがいいわ」
ハルヒは事故現場のスクープ写真をどこの新聞社に売りつけようか考えているような顔をして、カメラを自分の荷物にしまい込んだ。
「みくるちゃんには今回、SOS団臨時カメラマンになってもらうことにしたの。遊びの写真じゃないのよ。我がSOS団の活動記録を後世に残すための貴重な資料とするわけ。でもこの娘(に好きなように撮らせたらしょうもないものばっかり撮りそうだから、あたしが指示するってわけよ」
それで、俺の寝顔と寝起き顔のどこに資料的価値があるってんだ?
「合宿の緊(張(感(を持たずにマヌケ面(で寝てるあんたの写真を晒(すことによって後の世の戒(めとすんの! いい? 団長が起きてんのに下っ端(がぐうぐう寝てるなんて、モラルと規律と団則に違(反(するんだからね!」
ハルヒは怒(ってるのか笑ってるのかどっちかにしろと言いたくなる表情で俺を睨(みつけていて、どうやら団則なんかいつ作ったんだという俺の疑問をぶつけても無(駄(のようであった。どうせ明文法ではないだろうし、ここは小川の水のように流されておこう。
「わかったよ。寝顔にイタズラ描(きされたくなかったら、お前より早く寝るなってことだろ? その代わり、俺がお前より遅(く起きてたらお前の顔に髭(くらい描いてもいいんだろうな」
「なにそれ。あんたそんな子供みたいなことするつもりなの? 言っとくけど、あたしは気配に鋭(いほうだから眠ってても反(撃(するわよ。それから団長にそんなアホなことをする団員は死(刑(だから」
なあハルヒ、今どき先進国じゃあ死刑制度を採用している国のほうが少ないみたいだぞ。その点に関してはどう思う?
「なんであたしがよその国の刑法なんかを論評しないといけないのよ。問題は外国で起こってるんじゃないの。これから行く不思議な島で起こるのよ!」
起こす、の間(違(いでないことを祈(りながら、俺は自分の鞄(を引き寄せた。
船がぐらりと揺(れる。波止場に停(まる準備段階に入ったようだ。他の乗船客たちもぞろぞろと通路を出口付近に向かいつつある。
「不思議な島ね……」
俺たちが向かうのはパノラマ島か何かか? せめて突(然(浮(き上がったり泳ぎ出したりする島じゃなければいいのだが。
「だいじょうぶですよ」
古泉が俺の心中を察したような顔でうなずいた。
「何の変(哲(もない、単なる離(れ小島です。そこには怪(獣(も狂(気(におかされた博士もいません。僕が保証します」
こいつの保証はいまいちアテにならない。俺は長門の白い顔に無言をして問いかけた。
「…………」
長門も無言で返してくれた。いざとなれば怪獣退治くらいならこいつがしてくれるだろう。頼(むぞ、宇宙人。
船がもう一度大きく揺れ、
「きゃ」
朝比奈さんがバランスを崩(してよろけるのを、長門は静かに支えてやっていた。
フェリーを降りた俺たちを、執(事(とメイドが待ち受けていた。
「やあ、新川さん。お久しぶりです」
と言って、朗(らかに片手を上げたのは古泉だった。
「森さんも。出(迎(えごくろうさまです。わざわざすみませんね」
そして古泉はあっけに取られている俺たちを振(り返り、舞(台(俳優が二階席の客まで届かせんとするばかりの大(袈(裟(な動作で両手を広げて、いつもの微笑(みを四倍に広げた。
「ご紹(介(します。これから我々がお邪(魔(することになる館(でお世話になるだろうお二人が、こちらの新川さんと森さんです。職業はそれぞれ執事と家政婦さん、ああ、まあそれは見れば解(りますか」
解ろうとも言うものだ。俺は改めて御(辞(儀(したまま固まっている二つの異形の主を見た。ここは、まじまじ、という擬(音(とともに描(かれる状(況(だろう。
「お待ちしておりました。執事の新川と申します」
三つ揃(いの黒スーツを着た白(髪(白(眉(白(髭(の老紳(士(が挨(拶(して再びの一礼。
「森園(生(です。家政婦をやっております。よろしくお願いします」
その横の女性もぴったり同じ角度で頭を下げ、何度も練習していたのかと疑いたくなるほどぴったり同じタイミングで顔を上げた。
新川氏は、歳(をとっておられるのは解るが実(年(齢(不(詳(の容(貌(で、森園生なるメイドさんはこっちはこっちで年齢不詳なかたである。俺たちと同年代に見えるのは若作りのなせるわざか、単なるファニーフェイスなのか。
「執事とメイド?」
ハルヒが虚(をつかれたように呟(いているが、俺も同じような心境だ。よもやそんな職業がマジで日本に現存していたとは知らなかった。てっきりとっくに概(念(上の存在になって化石化しているものだとばかり。
なるほど、古泉の後ろで腰(を低くしているお二人さんは、確実に執事とメイドに見えた。少なくとも、そう紹介されて「ああ……そうっすね。確かに」とうなずかされてしまう程度にはハマっている。特にメイドさんのほう、森さんとか言ったか。その女性はどこから見てもメイドだった。なぜならメイドの衣(装(を着込んでいるからである。毎日のように文芸部室でメイドな朝比奈さんを見ている俺が言うのだからここは信用しといてくれ。しかも新川氏と森さんの衣装はハルヒの意味のないプレイの賜(物(ではなく、どうも純(粋(に職業的な必要性からそのような恰(好(をしているらしい。
「ふぁ……」
気の抜(けた声を出したのは朝比奈さんで、彼女はビックリ眼(で二人──どちらかと言えば森さん──を見つめていた。驚(き半分、戸(惑(い三十%といったところだ。残りの二十%は、さて何だろうね。どことなく羨(望(のような気がしたが、ハルヒの強制に従っているうちに本物のメイドに対する憧(れでも生じているのかもしれないな。
その頃(長門は、何一つ感想を言うこともなければ顔色一つ変えずに、旧石器時代の黒曜石製鏃(のような瞳(を大時代的な職業に就(いているらしい出迎えの二人に注いでいた。
「それでは皆(様」
新川氏がオペラ歌手みたいな豊かなテノールで俺たちを誘(った。
「こちらに船を用意してございます。我が主(の待つ島までは半時ほどの船旅になりますでしょう。なにぶん孤(島(でございますもので、不便かと存じますがご容(赦(のほどを」
また森さんともども御辞儀をする。俺は何かムズ痒(い。こんな丁(寧(な応対をされるほど俺たちは偉(い人間ではないと教えてあげたいくらいだ。それとも古泉はどっかの御(曹(司(の息子(か何かなのか? こいつの特技は不定期エスパーだけだと思っていたが、まさか自宅に帰れば「坊(ちゃん」とか呼ばれているような家(柄(なのだろうか。
「全然かまわないわっ!」
俺の頭の中を回り出したクエスチョンマークの数々を一気に離(散(させるような声でハルヒが豪(語(している。見れば、ハルヒはトンマなスポンサーから莫(大(な資金を搾(り取ることに成功したインチキ映画プロデューサーのような笑(顔(になっていた。むむ。
「それでこそ孤島よね! 半時と言わず、何時間でも行っちゃっていいわ。絶海の孤島があたしの求める状況だもの。キョン、みくるちゃん、あんたたちももっと喜びなさい。孤島には館があって、怪(しい執事とメイドさんまでいるのよ。そんな島は日本中を探してもあと二つくらいしかないに違(いないわ!」
二つもねえよ。
「わ、わあ。すごいですね……楽しみだなあ」
棒読みで口ごもる朝比奈さんはいいとして、本人を目の前にして「怪しい」という形容詞をつけるハルヒの口は無礼極(まる。しかし言われたほうもニコヤカに微笑(んでいるので、もしや本当に怪しいのかもしれない。
まあ、怪しいのはこのシチュエーション全体であるし、怪しさにかけてはこちらのSOS団も人後に落ちないのでお前が言うなの世界かもしれないが、何もこうまでハルヒを有(頂(天(にさせるような筋書きにならなくてもよさそうなものだ。
俺は新川執(事(と何事か談(笑(している古泉を眺(め、両手を揃えて控(えめに立つ森メイドさんを見つめ、それから何となく気になって彼方(の海へと目をやった。波(穏(やかにして無事快晴。今のところ台風は来ていないようである。
果たして俺たちはもう一度本土の地を無事踏(むことができるだろうか。
長門のひんやりした無表情が、とても頼(もしく見えた。情けないことに。
新川氏と森さんが俺たちを案内したのは、フェリー発着場からほど近い桟(橋(の一つだった。てっきりポンポン船あたりを想像していたのだが、俺たちが足を止めた所で波に揺(られているのは、地中海にでも浮(いているのが絵になりそうな自家用クルーザーである。値段を聞く気にならないくらいの豪(華(そうなシロモノで、乗ったからにはカジキマグロの一本でも釣(り上げないといけないような気分に襲(われる。
ぼやぼやしているのが悪かった。ひょいと飛び乗ったハルヒは放(っておくとして、おっかなびっくりの朝比奈さんと、淡(々(とぼーっとしている長門は古泉のエスコートで船に乗り込み、その役は俺がやりたかったのにと呻(いても失われた時間は戻(ったりはしなかった。
キャビンに通された俺たちだが、なぜ船の中にこんな洋式応接間があるのかと感じる前に、クルーザーが緩(やかに動き出した。近年の執事は船(舶(免(許(も持っているようで、操縦しているのは新川さんだ。
ちなみに森園生さんは俺の真向かいに座って、柔(らかな微笑みで船内の調度品のようになっていた。シックでクリティカルなメイドスタイルである。ハルヒが部室で朝比奈さんに着せているのよりも若(干(過(剰(さが薄(いような気もするのだが、あいにくメイド衣(装(業界に詳(しくないのでよく解(らない。
落ち着かないのは俺だけでなく朝比奈さんものようで、さっきからメイドの衣装をチラチラ眺めつつそわそわしている。メイドさんのなんたるかを実地に見聞して、部室でのおこないの参考にしようとでもしているのだろうか。変なところで真(面(目(な人だからな。
長門は真正面を向いたままじっと固まっているし、古泉は悠(然(たる面(持(ちで余(裕(の笑顔を保ったままで、
「いい船ですね。魚釣(りもスケジュールに組み込んだほうがいいでしょうか?」とかいうことを誰(に言っているのか提案していた。
それで、ハルヒは──。
「それで、その建物は何て呼ばれているの?」
「と言いますと?」
「黒死館とか斜(め屋(敷(とかリラ荘(とか纐(纈(城とか、そんな感じの名前がついてるんでしょ?」
「いえ、特に」
「おかしな仕(掛(けがいっぱい隠(されてたりとか、設計した人が非(業(の死を遂(げたとか、泊(まると絶対死んでしまう部屋があるとか、おどろおどろしい言い伝えがあるとか」
「ございません」
「じゃあ、館(の主人が仮面かぶってるとか、頭の中がちょっと爽(やかな三姉妹がいるとか、そして誰もいなくなったり」
「しませんな」
執事氏の声が付け加えた。
「今のところは、まだ」
「じゃあこれから起こる可能性はかなり高いわね」
「そうであるのかもしれません」
適当に返事してないか、この執事さん。
出発と同時にハルヒは操縦席へとよじ登り、上記のような会話を新川氏と繰(り広げているという案(配(である。エンジンと波切音にまじって聞こえてくる話を小耳に挟(んだところ、どうもハルヒは過剰な期待を孤(島(の館に持っているようだ。それにしても、なんでまたたかだか離(れ小島にいちいち怪(奇(性を求める奴(なんだ、あいつは。泳いで飯食ってダラダラして仲間内の友愛をひとしきり深めたところで気持ちよく帰(途(につく、ってな感じで充(分(だろうに。俺はそう思い、切実に願った。
手(遅(れだったかもしれない。
まさか執事とメイドが出てくるとは市民プールでヨシキリザメに噛(まれる以上に思わなかったから、仮面の主人や妙(に怪(しい言動を取る他(の客がいたりしても、とっくに驚(けない境地に近付こうとしている。古泉め、次はどんなびっくり箱を披(露(するつもりなのか。
「わっ! 見えてきた! あれが館?」
「別(荘(でございます」
一(際(デカいハルヒの嬌(声(が轟(き、俺の心に雷(鳴(となって突(き刺(さるのであった。
その別荘とやらは、見た目、実に普(通(であった。
太陽はそろそろ斜めに傾(いでいるものの夕方になるにはまだ時間がある。日中の日差しを浴びて、どこか光り輝(いているように思えた。なんせ別荘なんざ俺とは生(涯(無(縁(の存在だと思っていたことだし。
切り立つ崖(の上に鎮(座(しているその建築物は、金持ちが避(暑(地(あたりに建てそうないかにもな造りで別段不(審(なところもなく、ヨーロッパの古城を移築してきたわけでもなく、蔦(が絡(まるレンガ色の洋館でもなく、変な塔(がにょきにょき付属しているわけでもなく、ましてや忍(者(屋(敷(のようなギミックが隠されているわけでもなさそうである。
案の定、ハルヒはトンカツだと思って食べたらタマネギフライであったような顔つきとなって、その別荘(ハルヒ的には館)を遠望していた。
「うーん。思ってたのとかなり違(うわね。見かけも重要な要素だと思うんだけど、この屋敷を設計した人はちゃんと資料を参考にしたのかしら」
俺はハルヒと並んでデッキにて島の風景を観賞していた。ハルヒによってキャビンから引きずり出されたのである。
「どう思う? キョン、あれ。孤島なのに普通に建ってるわよ。もったいないと思わない?」
思うさ。何もこんな所に別荘を持たなくてもいいだろう。コンビニに行くまで自家用船に乗って往復一時間もかかるんじゃあ、夜中に腹減ったときどこに行けばいいんだ? ジュースの自動販(売(機(もなさそうだしさ。
「あたしが言ってるのは雰(囲(気(の問題よ。もっとオドロオドロした館だと信じてたのに、これじゃまるっきりの閑(静(な行楽地じゃないの。あたしたちはお金持ちの友達の別宅に遊びに来たわけじゃないのよ」
俺は風になびいて頬(をちくちく刺しているハルヒの髪(の毛を払(いのけ、
「そういや合宿だったな。何の特訓をするんだよ。冒(険(家の真似(事(か? 無人島に漂(流(したときのシミュレーションでもするつもりか」
「あ、それいいわね。島の探検を日程に入れておくわ。ひょっとしたら新種の動物の第一発見者になれるかもよ」
いかん、ハルヒの目の輝(きを増すようなことを言ってしまった。頼(むからいらんものが出てくるなよ、島。
俺が緑に覆(われた小島に向けて念を送っていると、
「ここいらの島々は、大昔の海底火山爆(発(による隆(起(によって出来たものらしいですね」
言いながら古泉がのっそりと出てきた。
「新種の動物はさておき、古代人の残した土器のかけらくらいは出てくるかもしれません。原日本人が航海の途(上(で立ち寄った形(跡(があるやもです。ロマンを感じますね」
古代のロマンと、真新しそうな別荘にはどうも連続性がないような気もするが、俺はツチノコ探しも穴(掘(りもごめんだぜ。二手に分かれようじゃないか。ハルヒと古泉は島で冒険家、俺と朝比奈さんと長門とで海辺でたわむれる。ナイス・アイディーア。
「あれ、誰(かいるわ」
ハルヒが指差したのは、これも新造されたばかりと思(しき小さな波止場だった。どうもこのクルーザー専用のハーバーらしく、他の船の姿はない。その防(波(堤(みたいな場所の先(端(に、一つの人(影(がこっちに向かって手を振(っていた。男性のように見える。
反射的に振り返しているハルヒが、
「古泉くん、あの人が館のご主人? ずいぶん若いけど」
古泉も手を振りつつ、
「いえ、違(います。僕たち以外の招待客ですよ。館の持ち主の弟さんでしょう。前に一度だけ会ったことがあります」
「古泉」と俺は口を挟んだ。「そういうことは先に言っておけよ。俺たち以外に呼ばれてる人がいるなんて初耳だぞ」
「僕も今知りましたから」
しれっと古泉はかわして、
「でも心配することはありません。とても良(いかたですよ。もちろん、館の持ち主の多丸圭一さんも含(めてね」
その多丸圭一氏というのがこんな僻(地(に別(荘(を建て、夏の仮住まいとしている酔(狂(な人物であるとは聞かされていた。古泉の遠(縁(の親(戚(筋で、こいつの母親の従兄弟(くらいに相当するとかなんとかだった。何だかよく知らないが、バイオ関係の分野で一山当てて、今は悠(々(自適の生活なんだとか。きっとどう使っていいのか解(らないくらい金を持っているに違いない。でなければこんなもん建てるとは思いがたいからな。
専用ハーバーに向けてクルーザーが減速している。人影の表情がつかめるまでに近付いてくる。若い感じの恰(好(をしていた。二十歳(過ぎくらいだろうか。これが多丸圭一氏の弟であるらしい。
執(事(が新川氏で、メイドが森園生さん。
残すは、真打ちの館(の主人、多丸圭一氏その人だけだ。
登場人物はこれで打ち止めってことでいいか?
思えば朝から何時間も船に揺(られっぱなしだった。おかげで今も地面が揺れているような気がする。
クルーザーから大地に一時帰(還(を遂(げた俺たちを、その青年が快活な笑(みとともに出(迎(えた。
「やあ、一樹くん。しばらくぶりだったね」
「裕さんも。わざわざご苦労様です」
会(釈(する古泉は、続いて俺たちの紹(介(に入った。
「こちらの皆(さんは僕が学校でとてもお世話になっているかたがたです」
お前の世話なんかした覚えはないが、古泉は横一列となった俺たちを一人一人指さし確(認(しながら、
「この可(憐(なかたが涼宮ハルヒさん。僕の得(難(い友人の一人です。いつも自由闊(達(としていて、その行動力を僕も見習いたいくらいですよ」
なんて紹介文だ。背筋に汗(が浮(いてくる。ハルヒも、おいお前。何猫(被(って如(才(なく殊(勝(に御(辞(儀(しているんだ。船(酔(いで脳組織が欠落でもしたのか?
しかしハルヒは目も眩(みそうなよそ行きの笑みで、
「涼宮です。古泉くんはあたしの団……いえ、同好会に欠かせない人材です。島に誘(ってくれたのも古泉くんだし、頼(りになる副団……いえ、副会長なんです。えへん」
俺の寒気を無視し、古泉は続いて他メンツの紹介を続行する。いわく、
「こちらが朝比奈みくるさん。見ての通りのかたでして、愛らしく美しい学園のアイドルな先(輩(です。彼女の微笑(みはもはや世界平和を実現するレベルですね」
とか、
「長門有希さんです。学業にすぐれ、僕の知らないような知識の宝庫と言えるでしょう。やや無口ですが、そこがまた彼女の魅(力(であるとも言えます」
という歯の浮きそうなプロフィールを並べ立て、もちろん俺もまた古泉の結(婚(相談所に登録するような誇(張(文句の餌(食(となったがここでは割(愛(させていただく。
さすが古泉の親類と思いたくなる良くできた微(笑(で聞いていた裕さんとやらは、
「どうぞいらっしゃい。僕は多丸裕。兄貴の会社を手伝っているしがない雇(われ者だ。キミたちのことは一樹くんから何度か聞かされたよ。急な転校で心配していたんだが、いい友達ができたようで何よりだ」
「皆(様」
新川氏の朗々たる渋(い声が背後で発せられた。
振り向くと大きな荷物を抱(えた執事氏と、森園生さんが船から降り立っていた。
「ここでは日差しがきつうございます。まずは別荘のほうに足を運ばれてはいかがでしょう」
新川氏の言葉に、裕さんがうなずいた。
「そうだね。兄貴も待ってるし、荷物を運び込もうか。僕も手伝おう」
「僕たちなら大(丈(夫(です。裕さんは新川さんと森さんを手伝ってください。本島で買い込んだ食材がたんまりあるそうですよ」
古泉の笑みに裕さんも笑みで返した。
「それは楽しみだね」
そのような当たりも障(りもしやしない一幕の後、俺たちは古泉の先導のもとに崖(の上の別荘へと向かった。
思えばこの時から、何か変な気分がしていた。
とまあ、これはアトヅケのイイワケだが。
富士山八合目の登頂路みたいな階段を登り切った所に別荘はあった。ハルヒには悪いが館とか屋(敷(と言うよりはまさに別荘と言いたい佇(まいである。
三階建ての白っぽい建築物だが平べったい印象を受けるのは、とにかく無(駄(に横(幅(があるせいだろう。どんだけ部屋数があるのか数えてみたい気もする。おそらくサッカーチームが二つ同時に宿舎にできるくらいはありそうだ。生(い茂(る木々を切り開いて土地を確保したようだが、どうやってこんなところまで建築資材を運び込んだのだろう。ちょっとした規模のヘリンボーン作戦が必要なんじゃないだろうか。金持ちのすることは解(らん。
「どうぞこちらへ」
古泉が執(事(見習いのように俺たちを玄(関(へと招く。ここで一同、整列。いよいよ館(の主人との対面が果たされようとしているのだ。緊(迫(の一(瞬(である。
ハルヒは折り合いのつかない差し馬みたいに前がかりになっていた。胸の内では形容しがたい期待がトグロをまいて舌をしゅるしゅる出しているのが解る。朝比奈さんは可愛(らしく髪(の毛を撫(でつけて第一印象を良くする配(慮(に余念がなく、長門は普(段(通り陶(器(製の招き猫(のように汗一つかかずぼんやりと立っていた。
古泉は一度俺たちを振(り返り、浅(薄(な笑(みを浮かべつつドア付近のインターフォンを無造作に押した。
応答があり、古泉が挨(拶(の文句を述べている。
待つこと数十秒、扉(がゆっくりと開かれた。
言うまでもなく、そこに立っていた人物は鉄仮面を被(っているわけでもなければ目出し帽(にサングラスを掛(けているわけでもなく、突(然(俺たちを襲(撃(することもなければ面(妖(な蘊(蓄(をいきなり吐(いて戸(惑(わせることもなく、ごく普通のオッサンに見えた。
「いらっしゃい」
多丸圭一さんと言うらしい何成金か何長者かは知らないが、その普通のオッサンはゴルフシャツにカーゴパンツというさばけた恰(好(で、俺たちを迎(え入れるように片手を広げた。
「待ってたよ、一樹くん。と、その友人の皆(さん。まったく正直なところ、ここは酷(く退(屈(な場所でね。三日目となればすぐ飽(きる。誘(って来てくれたのは裕以外では、一樹くんだけなんだよね。おおっ」
圭一さんの視線は俺の顔を上(滑(りして朝比奈さん、ハルヒ、長門の順に固定され、
「これはこれは。何とも可愛らしい友達もいたものだね、一樹くん。なるほど噂(には聞いていたが噂に違(わぬ美人揃(いだ。この殺風景な島も、さぞ華(やかになるな。素(晴(らしいよ」
ハルヒはにっこりと、朝比奈さんはぺこりと、長門はじっと、おのおの三者三様の反応をして、心底歓(迎(しているようなジェスチャーを交えて笑う圭一さんを、世界史の時間なのに教室に現れた音楽教師を見るような目でみていたが、やがてハルヒが一歩進み出て、
「今日はお招きいただき、まことにアリガトウございます。こんな立派なお屋敷に泊(まれるなんて、物(凄(くありがたいと思います。全員を代表し、ここにお礼申し上げます」
まるで作文を読み上げるような口調、かつ通常より一オクターブ高い声で言った。こいつはこの猫かぶりを合宿中ずっと続けるつもりなのか? ボロが剥(がれて牙(が剥(き出しになる前に頭上の透(明(猫(を捨てたほうがいいと思うのだが。
多丸圭一さんもそう思ったのか、
「キミが涼宮さんかい? あれま、聞いていた噂とは随(分(違(うね。一樹くんによるとキミももっと……。ええ、何と言ったかな? 一樹くん」
話をいきなり振られても古泉は慌(てず狼狽(えず、
「フランクな人、でしょう。そう伝えた覚えがありますから」
「そういうことにしておこう。そう、そのフランクな少女だとばかり」
「あっそう?」
ハルヒは見えない猫の仮面をあっさり剥いだ。部室以外の教室では滅(多(に見せないとびきり笑顔で、
「初めまして館のご主人! さっそくですけど、この館、何か事件が起こったことある? それにこの島、現地の人たちからナントカ島とか呼ばれて恐(れられている言い伝えとかない? あたしはそういうのが趣(味(なのよ」
初対面の人間に奇(矯(な趣味を披(露(するな。と言うか、家の持ち主を捕(まえて事件があったほうがいいようなことを言うな。追い返されたりしたらどうするんだ。
だが、多丸圭一氏はどうにも太っ腹なことにおかしそうに笑っただけで、
「キミの趣味には大いに同調するけど、事件はまだ起こったことがないよ。つい先日完成したばかりの建物だからね。島の来歴については私も知らないな。特に不(吉(とも聞いていないが。無人島だったしね」
大らかに人間味を見せつけて、「さあ」と奥へと手を差し伸(べた。
「立ち話もなんだからどうぞ中へ。洋風だから土足のままでかまわないよ。まずは部屋へ案内したほうがいいかな。本当なら新川にガイドを申しつけるところだが、まだ荷物運びの途(中(のようだ。やむを得まい。私が自分をもってその役を任じよう」
そう言って、圭一氏は自ら俺たちを導いてくれた。
さて、ここいらでこの別(荘(内の見取り図や部屋割り表を提供したいところだが俺に絵心がないのは小学校低学年時代に判明しているので遠(慮(しておく。簡単に説明すると、俺たちが宿(泊(する部屋はすべて二階にあり、多丸圭一さんの寝(室(と裕さんが寝(起(きする客間は三階である。それだけ等親が近いという表れかもしれない。執(事(の新川さんと家政婦森さんは一階に小部屋を構えている……。
ということになっていた。
「この家、何か名前はついてるの?」
ハルヒの問いに圭一さんは苦笑い。
「とりたてて考えてないな。いいのがあるんであれば募(集(するよ」
「そうね。惨(劇(館とか恐(怖(館ってのはどうかしら。それでもって部屋の一つ一つにもコジャレた名前を付けるのがいいわ。血吸いの間とか、呪(縛(の部屋とか」
「お、それはいいね。次回までにネームプレートを用意しておこう」
そんなうなされそうな名前の部屋で眠(りたくないんだが。
俺たち一行はロビーを通り抜(け、高級木材製の階段を上って二階に到(達(する。ホテルかと思うような造りで扉(がズラズラ並んでいた。
「部屋の大きさはさほど変わらないがシングルとツインがある。どの部屋でも好きに使ってくれたらいいよ」
さてどうするか。俺は誰(と相部屋になってもいいが、メンバーは五人なので二つに分けると一人余りが出てしまい、どう考えても長門がひっそりと取り残されそうだった。かと言って俺がルームメイトに名乗りを上げたところで、長門は気にしないだろうがハルヒの逆突(きパンチによって瞬(殺(されるのがオチだ。
「まあ、一人一部屋ということでいいではないですか」
古泉が最終結論を出した。
「どうせ部屋にいるのは寝(るときだけでしょう。部屋間の移動は各自の自由意思ということで。ちなみに、鍵(はかかりますよね?」
「もちろんだ」
多丸圭一さんは微笑(ましくうなずいた。
「部屋のサイドボードに置いてある。オートロックじゃないから鍵を忘れて出ても閉め出されることはないだろうけど、なくさないようにしてくれたらありがたい」
俺なら鍵なんか不要だ。就(寝(時にだって開け放しておくさ。皆(が寝静まってから朝比奈さんが何らかの理由で忍(び込んでくれるかもしれないからな。それに盗(られて困るようなもんは持ってきてないし、わざわざこんな犯人特定のしやすい状(況(で窃(盗(を試みる奴(なんかいないだろう。いたとしたらそのコソ泥(はハルヒで間違いない。
「では私は新川たちの様子を見てくるよ。今のうちに邸(内(を自在に散策してくれたらいい。非常口の確(認(を怠(らないようにね。それでは」
それだけ言って圭一さんは階下へ向かった。
多丸圭一氏の印象を、ハルヒはこう語った。
「怪(しくないのが逆に怪しいわ」
「じゃあ見るからに怪しかったらどうなんだよ?」
「見たままよ。怪しいに決まっているじゃないの」
つまりこいつの主観では、この世に怪しくないものなどなくなるのである。ISOもびっくりの判断基準だ。将来JAROに勤めるといい。仕事しまくりの生活を送れることだろう。
適当に部屋割りして荷物を置いた俺たちは、ハルヒが自室に選んだツインルームに集合していた。一人でツインを独(占(しようとするのは非常にハルヒ的な振(る舞(いで、つまりこいつは遠慮とか奥ゆかしさとは無(縁(の性格をしているのだ。
ベッドに腰(掛(ける女性陣(三人組と、化(粧(台(に座る俺、古泉は泰(然(と腕(を組み壁(にもたれて立っていた。
「解(ったわ!」
やおらハルヒが雄(叫(びを上げ、俺はいつものように脊(髄(反射のツッコミを入れた。
「何がだ」
「犯人」
そう断言するハルヒの顔は、なんか知らんがミステリアスな確信に満ちあふれている。
しぶしぶ、俺は他(の三人の意見を代表して言った。
「何の犯人だ。まだ何も始まってなどいないぞ。到(着(したばかりだろうが」
「あたしの勘(では犯人はここの主人なのだわ。たぶん、一番最初に狙(われるのはみくるちゃんね」
「ひいっ」
朝比奈さんはマジでビビっているようだった。鷹(の羽音を聞いた仔(ウサギのように、ビクビクとして隣(にいた長門のスカートをつまんでいる。長門は何もコメントせず、
「…………」
音もなく視線を空中に据(えているのみだ。
「だから何の犯人なんだ」俺は重ねて尋(ねる。「というか、お前はあの多丸圭一さんを何の犯人にしたてあげるつもりだ」
「そんなの知るわけないじゃないの。あれは何かを企(んでいる目つきだわ。あたしの勘は良く当たるのよ。きっとそのうち、あたしたちをサプライズな出来事に巻き込んでくれるに違(いないわ」
単なるサプライズパーティーならいいんだが、ハルヒの期待するものはチャラけたオチの付く誕生会のごとき居(心(地(の悪くなるような寒い演出ではなさそうだ。
想像してみる。突(如(として人好きのする笑(顔(を剥(ぎ取り、狂(気(に目をギラつかせながら肉切り包丁片手に宿(泊(客(たちを切り刻まんとする圭一氏。おそらく島の森林奥にあった古代人のドルメンをうっかり傾(けたかなんかして封(じられた太古の悪(霊(に取り憑(かれてしまい命じられるままに俺たちを供(物(にせんとドアを叩(くオッサンの姿。
「んなアホな」
俺は差し上げた片手を水平移動して、何もない空中にセルフツッコミを入れた。
いくらなんでもこの古泉の知り合いがそんなことにはなりそうにないな。『機関』とやらもそうそうバカ揃(いではあるまい。事前に現場検分くらいはしているはずだ。古泉もいつもの無害スマイルを絶やさないし、新川執(事(や森園生さん、多丸裕さんもホラーの住人とはほど遠い印象だ。だいたい今回のハルヒの願望はスプラッタでなくて推理物ではなかったか。
起こるのだとしたら連続殺人の一つや二つくらいだろう。それだって、こうも都合よく発生するとは思えない。外は快晴だし波(浪(注意報も出ていない。別にこの島は閉ざされた空間になっているわけでもないしさ。
それにいくらハルヒでも、心底人死にがでることを望んでいるわけではないだろう。もしハルヒがそんな奴(なら、たいていのことには付き合ってきた俺でも、そろそろ満タンになりつつある容量の小さな堪(忍(袋(がパンクするぜ。
俺のささやかな心配を、まったく読み取ることなくハルヒは無(邪(気(な声を上げた。
「まずは泳ぎね。海に来たら泳ぐ以外の何もすることはないと言っても過言ではないわ。みんなでぱーっと沖(をどこまでも泳いでいきましょ。誰(が一番最初に潮にさらわれるか、勝負よ!」
やってもいいけどな。海難救助隊がすぐ横でスタンバイしてくれているのならさ。
しかし到着したばかりだと言うのに、もう行動するのか。少しは船旅の疲(れを癒(そうとは考えないのだろうかね。もっともハルヒは疲れていないかもしれないが、自分を基準にして物事を進行するのは少しでいいから遠(慮(してくれい。
「なーに言ってんのさ。たとえアポロン神(殿(に貢(ぎ物を捧(げたとしても太陽は立ち止まってくれたりはしないのよ。水平線に沈(む前に行動を起こさなきゃ時間がもったいないじゃん」
ハルヒは両(腕(を伸(ばして朝比奈さんと長門の首を抱(え込んだ。
「あわふ」と目を白黒させる朝比奈さんと、「…………」と無反応の長門。
「水着よ水着。着(替(えてロビーに集合ね。うふふふひひひ。この娘(たちの水着はあたしが選んであげたのよ。キョン、楽しみでしょ?」
あんたの考えてる事なんてまるっきりお見通しよ、みたいな顔でハルヒは薄(気(味(悪く白い歯を見せる。
「その通りだとも」
開き直って胸を張った。半分以上、それが目的で来たからな。誰にも異議を唱えさせたりはしないぞ。
「古泉くん、ここのプライベートビーチは貸し切りなんだったよね!」
「ええ、そうです。見物人は浜(辺(の貝(殻(くらいのものでしょう。人(跡(未(踏(の砂(浜(ですよ。ただし潮の流れは速いので、あまり沖(合(には出ないほうがいいと言っておきましょう。先ほどの勝負が本気なのだと仮定しての話ですけど」
「まっさか。冗(談(よ冗談。みくるちゃんなんかあっと言う間に黒潮に乗ってカツオのエサになっちゃいそうだもんね。みんな、いい? 調子に乗って遠くまでいっちゃったらダメよ。あたしの目の届く範(囲(で遊びなさい」
一番調子に乗っているハルヒに保護者役を任せていいものかね。ここは俺が一(肌(脱(いでしかるべきだろう。少なくとも朝比奈さんから二秒以上視線を外すことのないように気をつけるとしよう。
「そこ! キョン!」
ハルヒの人差し指が俺の鼻先に突(きつけられ、
「ニマニマ顔は気持ち悪いからやめなさい。あんたはせいぜい半分口開けた仏(頂(面(がお似合いよ。あんたにカメラは渡(さないからね!」
あくまでハイテンション、傍(若(無(人(エクスプレスなハルヒは笑いながら宣言した。
「さあ、行くわよ!」
ということで、やって来た。
海岸であり、砂浜だった。日差しは傾きかけているが熱光量は確実に夏のそれである。押し寄せる波が砂を洗い、綿(菓(子(みたいな白い雲が彼方(の紺(碧(の背景をゆっくりと移動していた。むうっと鼻をつく潮風が俺たちの髪(をなびかせ、おいでおいでをせんばかりに海面上を緩(やかに吹(き進む。
プライベートビーチと言えば耳(触(りがいいが、要するにわざわざ貸し切るまでもない人里離(れた単なる島の浜辺であり、海水浴にこんなところまで来ようなどという人間がいるとしたらインチキ旅行雑誌に騙(された外国人観光客くらいのものだろう。言うまでもなく、見渡す限り俺たち五人以外の人(影(は皆(無(であり、水鳥の一羽も飛んでいない。
そのようなわけなので、ハルヒたち女性組の水着姿を目に入れる栄(誉(に浸(れるのは、岩場に貼(り付いているフジツボくらいのものであった。俺と古泉を除けば。
ビーチパラソルの影にゴザ敷(いて、俺が朝比奈さんの照れくさそうな仕草に目を細めていると、ハルヒが横から朝比奈さんを素早く掠(め取り、
「みくるちゃん、海では泳いでこそナンボの世界よ。さあ行きましょう。光を浴びないと健康にも悪いからね!」
「いやあのあたしあんまり日焼けはその、」
尻(込(みする朝比奈さんに構わず、ハルヒは白く小(柄(な上級生とともに波打ち際(に突(進(し、ダイブ。
「わっ、辛(い」
そんな当たり前のことに驚(く朝比奈さんにバシャバシャ海水を浴びせるのだった。
そのとき長門は。
「…………」
ゴザの上に正座して、水着姿のまま広げた文庫本を黙(々(と読んでいた。
「楽しみかたは人それぞれですよ」
ビーチボールに息を吹き込んでいた古泉が口を離(して俺に微笑(みかけた。
「余(暇(の時間は自分の好きなように過ごすべきです。でないとリフレッシュの意味がないでしょう。三泊(四日、せめてゆっくりのどかな合宿生活を楽しもうではありませんか」
好きなように過ごしているのはハルヒだけではないだろうか。一方的にじゃれつかれている朝比奈さんがのどかな気分を味わっているとは到(底(思えないが。
「こらキョン! 古泉くん! あんたらも来なさい!」
ハルヒのサイレンみたいな声が俺たちに投げかけられ俺は立ち上がった。告白すると、決して嫌(々(ではない。ハルヒはともかく、朝比奈さんの側(に近づけるのは俺の本(望(である。膨(らませたビーチボールをポンと弾(いた古泉からパスを受け、俺は灼(けた砂の上を歩き始めた。
適度な肉体的疲(労(を覚えながら別(荘(に戻(り、一(風(呂(浴びて部屋で休んでいたら空は星空が支配する時間となって、森さんが我々を食堂に案内した。
晩(餐(の時間である。
その日の夕食はそりゃもう豪(華(なもんだった。別に朝比奈さんが特に望んだというわけでもないだろうが、刺(身(盛り合わせが一人につき一舟(あるだけでも貧(乏(性(の俺は思わず居住まいを正してしまう。これで食費宿泊料無料? 本当にいいのだろうか。
「全然けっこう」
と多丸圭一氏は笑(顔(で請(け負ってくれる。
「こんな所まで足を運んでくれたねぎらいだと思って欲しいね。なんたって私は退(屈(だからね。いや私だって人を選ぶよ。だが一樹くんの友人なら大いに歓(迎(だ」
出(迎(えてくれたときと違(い、圭一氏はなぜか正装をしていた。ダークスーツに身を包み、ネクタイをウィンザーノットに結んでいる。出てくる料理は和洋折(衷(、何かのカルパッチョだかムニエルだかナントカ蒸(しだかがじゃかすか出てくるが、器用にナイフとフォークで口に運んでいるのは圭一氏ただ一人だ。俺たちは最初から箸(を使わせて貰(っている。
「すんごく美味(しい。誰(が作ってるの?」
ハルヒが大食い選手権に推(薦(したくなるほどの食欲を見せながら訊(いた。
「執(事(の新川が料理長も兼(ねている。なかなかのものだろう?」と圭一氏。
「ぜひお礼を言いたいわね。後で呼んでちょうだい」
すっかり高級料理店に出向いた食通気取りになっているハルヒである。
一口食べるたびに目を丸くしたりする朝比奈さんや、小食に見えて意外と食い続ける長門、爽(やかに裕さんたちと談(笑(する古泉を眺(めていると、
「お飲物はいかがですか?」
給仕係に徹(していたメイド姿の森さんが、細長い瓶(を手にして微笑みかけていた。どうやらワインらしい。未成年者に酒を勧(めるのもどうかとは思うが、俺は試(しに一(杯(所望することにした。ワインなんか飲んだことないが、人間、多少の冒(険(心(は必要だ。それに森さんの蠱(惑(的な微(笑(を見ていると断るのは気分的に悪いような気になったし。
「あ、キョン一人で何もらってんの? あたしも欲しいわよ、それ」
ハルヒの要求により、葡萄(酒(に満たされたグラスが全員に行き渡(った。
何となく、それが悪夢の始まりだったような気がする。
この日、俺が発見したのは、朝比奈さんがまったくアルコールに耐(性(がないということと、長門が恐(ろしいばかりのウワバミであるということと、ハルヒがどうしようもない酒乱であるということだった。
調子に乗って杯(を傾(けた俺の記(憶(もけっこうあやふやだったが、最後の方でハルヒは瓶をつかんで放さずラッパ飲みしながら圭一氏の頭をバンバン叩(きつつ、
「いやーあんた最高! 呼んでくれたお礼にみくるちゃんを置いていくわ! もっとちゃんとしたメイドに教育してやってよ。もう、てんでダメなのこの娘(」
というようなことを叫(んでいたような覚えがあるようなないような。
本物メイドの森園生さんは、卓(上(に酒瓶をボーリングのピンのように並べると、フルーツ籠(のリンゴや梨(を器用に剥(いてデザートを振(る舞(ってくれていて、部室オンリーの偽(メイド、朝比奈さんはすでに真っ赤な顔をしてテーブルに突(っ伏(していた。
長門は森さんが持ってきた酒類をパッカパッカと空けているが、体内でいったいどんなアルコール分解処理がなされているのか、長門の顔色は何一つ変化せず、鯨(が海水を飲むように次々と瓶の中身を空にしていた。
興味深そうな顔をした裕さんが、
「本当にだいじょうぶなのかい?」
そう心配して長門に話しかけていたことは記憶の端(っこに引っかかっている。
その夜、すっかり前後不覚になった俺は古泉に付き添(われてベッドに辿(り着くことができたようだ。後で古泉が苦笑混じりに言っていた。他(にも俺はハルヒとともに何か恥(ずかしい醜(態(を演じていたようなのだが、なんせ記憶にはないし、聞かなかったことにして記憶することも拒(否(した。古泉得意の冗(談(だったということにしておこう。
それどころではないことが翌日にあったからな。
二日目の朝。天気はいきなり嵐(になった。
横(殴(りの雨が建物の壁(を叩き、強風の吹(きすさぶ音が耳に不(吉(な音となって聞こえている。別(荘(の周囲の森が、妖(魔(でも棲(んでいそうな具合に鳴動していた。
「ついてないわねえ。こんな時に台風が来るなんて」
窓の外を見ながらハルヒがこぼすように言っている。ハルヒの部屋だ。全員で集まり今日は何をして過ごそうかと密談の最(中(だった。
朝食後のことである。朝の食卓に圭一さんはいなかった。なんでも、氏は特に朝に弱く、寝(起(きが最悪のため午前中にベッドから起きあがるのはほとんど不可能である、というのが新川さんの説明だ。
ハルヒは俺たちを振り返り、
「でもさ。これで本当に嵐の孤(島(になったわ。一生もんの状(況(よ。やっぱり起こるかもしれないわね、事件」
ぴくんとする朝比奈さんは不安そうに目を泳がせるが、古泉と長門の顔は平常営業だ。
昨日あれほど凪(いでいた海は波(浪(警報状態で、とても船を出せる許容範(囲(を超(えている。明後日(もこのままだと、俺たちは不本意にもハルヒの本意によってこの島に閉じこめられる。クローズドサークル。まさか。
古泉は安心させるような笑(みで、
「足の速い台風のようですし明後日までには何とかなるでしょう。突(然(やって来たように、去ってしまうのも突然ですよ」
天気予報ではそうらしいな。だが、昨日の時点で台風が来るなんて情報はどこからも入っていなかったぞ。この嵐はどいつの頭から湧(いて出てきたものなんだ?
「偶(然(ですよ」
古泉は余(裕(をかましている。
「一(般(的な自然現象です。夏の風物詩と言えるでしょう。大型台風の一つくらい、毎年やってくるものですよ」
「今日は島の探検をしようと思ってたのに、これじゃ中止ね」
ハルヒは恨(めしそうに言った。
「仕方ないわ。屋内でできるようなことして遊びましょ」
どうやら合宿のことはハルヒの脳(裏(から吹っ飛んで行っているようで、すっかり遊び方面にシフトしているらしかった。そのほうがありがたい。島の反対側に行ったら岸(壁(に巨(大(生物の死体が打ち上げられているのを見つけたくはないからな。
古泉が意思表明をしだした。
「確か遊(戯(室(があったはずです。圭一さんに言って使わせてもらいましょう。麻雀(とビリヤードと、どちらがいいですか? 卓(球(台(も言えば出してくれるでしょう」
ハルヒも同意して、
「じゃあピンポン大会。リーグ戦総当たりでSOS団初代ピンポンチャンピオンを決めましょう。ビリの人は帰りのフェリーでジュース奢(りだからね。手(抜(きは許さないわよ」
遊戯室は地下一階にあった。広々としたホールに雀卓とビリヤード台、ルーレットやバカラの台まである。古泉の親類は裏でカジノでもやってんのか。ここはその賭(場(になってるんじゃないだろうな。
「さて?」と古泉はとぼけた笑みで答え、壁(際(で折りたたまれていた卓球台をスライドさせてきた。
ちなみに俺との激戦のすえハルヒが優勝を飾(ったピンポン大会の後は、麻雀大会が開(催(の運びとなった。古泉以外のSOS団メンバーはやり方を知らなかったので教わりながらのプレイである。途(中(で二人の多丸氏も参加して、なんとも賑(やかな麻雀となったことは確かだ。ルールを曲解したハルヒは自分で勝手な役を考案し、『二色絶一門』『チャンタモドキ』『イーシャンテン金(縛(り』などの謎(の役で次々と俺たちからアガり続けた。まあ笑えたから許してやる。ノーレートだったしさ。
「ロン! たぶん一万点くらい!」
「涼宮さん、それ役満ですよ」
俺は密(かに息を吐(いた。前向きに考えるとこのほうがよかったかもしれん。普(通(に旅行を楽しむのが一番だ。この展開では胡(乱(な大(海(獣(が出てくることも森の奥から原住民が出てくることもないだろう。何と言っても絶海の孤島だ。外から変なもんがやってくることはない。
そう思い、俺は安(堵(することにした。多丸圭一氏も裕さんも、新川・森の使用人さんコンビも古泉の知り合いにしては普通の人間に見える。妙(な事件が発生するには、ちょっと登場人物が足りないだろう。
そういうことにしておきたい、と俺は思ったのだ。
しかし、そうは問屋が卸(さなかった。この場合の問屋がどんな業種で何を取り次いでいるのかは解(らないが、もしどこの問屋かが解っていたら俺はそこに一年くらいの業務停止命令をくだしたい。
事件は三日目の朝に起こった。