孤島症候群 1

 かたの痛みも忘れるほどぜんとした。

 現在の俺ははらいの姿勢から身体からだを起こすこともできず、自分の目に映った光景にただきようがくしているところだ。俺が動けないのは背中に余計なおもりが乗っていて、そいつが退かないからでもある。しかしそんなことは気にならないくらいだ。とびらをぶち破った勢いのまま俺におおかぶさっている古泉も、やはりこの部屋の光景を目にして俺同様のおどろきに打たれているのだろうな、さっさと降りろ──とも、俺は考えることができなかった。それほど俺は愕然としていたのだ。

 まさかである。まさか本当に起きてしまうとは、これはもうシャレだと言って笑ってすませられないぞ、どうすんだ。

 窓の外が光った。数秒後、かみなりの鳴る重低音が俺の腹に届く。本格的なあらしが、昨日から引き続き島全域を覆っている。

「……そんな」

 つぶやきが聞こえた。俺や古泉といつしよにこの部屋のドアに体当たりをかんこうし、開いたひようにもつれ合って転がりせったあらかわさんの声だった。

 ようやく古泉が俺の上から退いて、俺は横に転がるようにして半身を起こす。

 そして、今もってなお信じがたい光景を改めてぎようした。

 扉近くのじゆうたんの上だ。そこに人間が一人、さっきまでの俺みたいに転がっている。朝になってもダイニングルームに降りてこなかったやかたの住人、かつ主人でもあるそうねん男性。昨夜、リビングで俺たちと別れて、階上に向かったときと同じ格好をしているからすぐに解る。この真夏の島で、かっちりした背広なんぞを必然性もなく着込んでいたのは彼一人だ。先ほど呟きをらした新川さんの雇い主、この島と館の所有者である……。

 まるけいいち氏だった。

 圭一氏は、驚愕の表情を顔に張り付けてたおれている。ぴくりとも動かない。動かないはずだな、どうやら彼は死んじまっているようだから。

 なぜ俺にそんなことが解るのか? 見れば解るだろう。胸の上にき立っている物が何か、見覚えがある。晩飯に出てきたフルーツかごに大量のくだものと一緒になって混じっていた果物ナイフのだ。

 けたっていい。その柄の下には、金属製のが続いているにちがいない。でなければ、目と口を開きっぱなしのまま動かない人間の胸にそんなもんが直立するわけはないからな。つまりナイフが圭一氏の胸に突きさっているというわけだ。

 たいていの人間は心臓を刃物でえぐられたら死ぬだろうと俺は思っている。

 今の圭一氏の状態がまさにそれだった。

「ひえっ……」

 おびえきった小さな悲鳴が、かいされたドアの向こうから聞こえた。り返って見る。朝比奈さんが両手で口元を押さえていた。よろめくように後ずさるその肩を、背後にいた長門が押さえてやっている。いつでもどこでもどんな時でも無表情な長門は、ちらりと俺に視線を向けて、考え込むようにあごを引いた。

 もちろん、俺たちのいるところにはこいつもいるに決まっている。

「キョン、ひょっとしてさ……その人」

 ハルヒも驚いているようだった。朝比奈さんの横から部屋の中に頭を突っ込んでいたハルヒは、どうやらえいみん中の圭一氏をくらやみの中のねこみたいなひとみで見つめていた。

「死んでるの……?」

 めずらしく小声で、さらに珍しくきんちようしたような声である。俺は何か言おうとして振り返った。古泉がいつもの微笑ほほえみをどこかにやってしまった難しい顔で立ちつくしている。ろうにはメイドのもりさんの顔もあった。

 ゆいいつ、昨夜まで館にいたのにこの場にいない人がいる。

 圭一氏の弟、多丸ゆたかさんがいなかった。

 こじ開けた部屋の内部に物言わぬ館の主人が一人、しつそうしやが一人。これは何を意味するのだろうか。

「ねえ、キョン……」

 ハルヒがまた言った。今にも俺にすがりつくんじゃないかとさつかくしたほど、見慣れない不安そうな表情で。

 また、いなずまが光って部屋を照らし出した。昨日からの嵐はきように入っている。雷の音とともに、れた波がしまはだけずる効果音までついてきた。

 ここはとうだ。それから嵐。おまけに密室で、そこにはナイフで刺された館主人が転がっているというこの情景。

 俺は思わずにはいられない。

 なあ、おいハルヒ。

 このじようきようを作り上げたのは、お前なのか?

 俺はSOS団団員が総出でこんな場所に立ち会うハメになった、そもそもの原因へとフラッシュバックした。

 まだ夏休みになっていなかった、あの日のことを………。

 ………

 ……

 …



 それは夏真っさかりの七月ちゆうじゆんごろであった。太陽に有給きゆうをやりたいくらいのこくしよが今日も続いている。

 俺はいつものようにアジト代わりの文芸部室で、朝比奈印の熱いお茶を飲んでいた。返ってきた期末テストの結果から何とか立ち直ろうとしていたのだが、きたるべき補習のことを考えるとどうしたって気楽に構えることはできない。こういうときは現実とうをするに限る。

 俺はすべての現実がうそっぱちに過ぎないというくつしゆんにいくつか考えて、さてどれを選ぼうかと迷っているさいちゆうだった。

「あの、どうかしました?」

 追試の前日に月の裏側からごくあくなエイリアンが集団で降下して国会議事堂をたたつぶすという嘘ストーリーへのたんできを中断し、俺は我に返った。

「難しい顔をしてますけど……。お茶、美味おいしくなかった?」

「とんでもない」

 俺は答えた。相変わらずのかんでしたよ。茶葉は安物ですが。

「よかったぁ」

 夏服メイド姿の朝比奈さんは、くすりと小さないきらした。その安心したような微笑みに俺もまた微笑み返した。あなたの喜びは俺の喜びでもあるのです。朝比奈さんの微笑みにまさばんのうやくはたとえじよふくほうらい山にとうたつしていたとしても入手できなかったことでしょう。俺の心は今やしゆうとうめい度よりもみ切り脳内に天の使いたちが管楽器をき鳴らす光景すらげんするありさまなのですよ……。

 と、小鳥を前にした聖フランチェスコのような熱意を込めて説こうとしたのだがやめておいた。意味のないしゆうしよくの連続がめんどうになったわけではなく、じやろうに軽快な声で割り込んだからだ。

「やあどうも。期末テストはどうでしたか?」

 古泉がテーブルに広げたモノポリーのルーレットを回しながらかなくてもいいことを訊いてきた。おかげで俺は再び月の裏側へとワープしかけ、衛星どうでなんとか意識を静止した。お前はそこで一人モノポリーでもおとなしくやっていればいいんだ。部屋のすみっこで静かに読書している長門のつめからあかでも分けてもらえ。

 パイプの上に百科事典みたいなハードカバーを広げている長門は、夏服セーラーを着たガラス製仮面みたいな顔のまま息もしないようなふんでページに視線を落としている。どっちかと言えばデジタルっぽい存在のくせに、アナログな情報入力が好きなのは何か理由でもあるのだろうか。

「…………」

 それにしても全員ヒマだな。

 とっくに短縮授業になっていて学校の営業も午前で終わりだってのに、なんだってこんな所に集まっているんだ? それは俺もだが、俺にはちゃんとした理由があるぜ。一日いつぱい、朝比奈さんのお茶を飲まないと俺は死ぬ身体からだになってしまっているのだ。おかげで土日は禁断しようじようで苦しんでいる。

 というのはじようだんだ。断るまでもないのだが、一応言っておかないと冗談の通用しないやつがいることを俺は高校に入学して学んでいるんでね。この数ヶ月で学んだことがそれだけという俺が言うんだからちがいない。冗談と本気の線引きはちゃんとしておいた方がいい。でないとロクでもない目にあうおそれがあるからな。

 今の俺みたいに。

 俺は通学かばんを開けるとこうばい部からけしたハムパンを取り出して、お茶請けにすることにした。

 夏休みまでのカウントダウンをするくらいしかないこの時期に、俺たちが部室でねこまりの猫のようにダマっているのには理由がある──わけがない。自信を持って言えるね。理由もなくほつそくしたようなSOS団だ、そんなもん最初からねえ。いて言うならその理由のなさこそが理由だな。理由などあっては困るのだよ。どうせとうへんぼくなことしかしないのなら、まだ無意味であったほうが頭も痛まないというものだ。考える必要もないからさ。

「あたしもお弁当にしますね。今のうちに」

 いそいそと自分の分のお茶を用意した朝比奈さんは、実に可愛かわいらしい弁当箱を出してきてテーブルの俺の向かいに着席した。

「僕ならお構いなく。学食ですませてきましたから」

 たずねてもいないのに古泉がさわやかに断りを入れ、長門は食い気より読書欲をもっぱらとしているらしい。

 朝比奈さんはふりかけでスマイルマークをえがいている白ご飯をつつきながら、

「涼宮さんは? おそいですね」

 俺に訊かれても。どっかその辺でバッタでもってるんじゃないですか。夏ですし。

 古泉が代わりに答えた。

「先ほど学食でお見かけしましたよ。かんたんすべきけんたんでした。食べた分がすべて栄養に回るのだとして何エルグになるのか想像もつきません」

 そんなもん計算する気にもならんね。何ならこのまま夕方まで食堂にもっていればいい。

「そうもいかないでしょうね。今日は何か重大発表があるみたいですよ」

 どうしてお前がそんなにほがらかでいられるか俺にはわからん。あいつの重大発表とやらが有益であったためしはないからな。お前のおく容量は五インチFD以下なのか?

「だいたい何でお前がそんなことを知ってるんだよ」

 古泉はバックレ顔で、

「さて、それはなぜでしょうね。お答えしてもいいのですが、涼宮さんは自分の口から言いたいのではないでしょうか。僕がフライングして彼女の興をぐようなことになれば大問題です。だまっておきますよ」

「俺だって聞きたくもなかったね」

「そうですか?」

「ああ、そのお前の口ぶりで、あのアホがまたアホなことをかくしているらしいと知れたからな。俺の心の平和があと何分の命だったかは解らんが、たった今平和じゃなくなったのは確か、」

 だ、と続けようとした俺のセリフは、どかんと開いたドアの音にかき消された。

「よし、みんなそろってるわね!」

 ハルヒがスペクトル分光器みたいに目をかがやかせて立っていた。

「今日は重要な会議の日だからね。あたしよりおくれて来た奴は空きかんりで永遠におにの役のけいにしようと思っていたところよ。あなたたちにもそろそろ団員だましいが芽生えてきてるみたいで、それはとてもいいことよ!」

 今日が会議の日などであることを俺が聞いていないのは言うまでもない。

「ずいぶんのんびりだったな」

 イヤミのつもりだったのだが、

「いい? 学食でたらふく食べるコツはね、営業しゆうりようぎわに行くわけよ。そしたらおばちゃんが余りそうな分もオマケしてくれるのね。でもタイミングが重要なの。待ってるうちに売り切れちゃってたら目も当てられないからね。今日はアタリの日だったわ」

「そうかい」

 食堂なんぞめつに利用しない俺からしたら、そんなどうでもいい情報を得意満面に聞かされてもそれくらいしか言うことない。

 ハルヒは団長机の上にとすんとこしを降ろした。

「ま、そんなことはどうでもいいんだけどね」

「お前が言い出したことだろ」

 しかしハルヒは俺を無視して、ぎよう良くはしを使っている朝比奈さんを名指しで呼んだ。

「みくるちゃん、夏と言えば何?」

「えっ」

 口をかくしてモゴモゴしていた朝比奈さんは、本人の手作りらしきオカズを飲み下した。

「夏ですか……。うーんと、ぼん……かなあ」

 いやに古風な答えに、ハルヒは目をしばたたかせた。

「ウランボン? 何それ。クリムボンのちがいじゃないの。そうじゃなくて、夏と言えばそくに連想する言葉があるでしょ」

 何だろう。

 ハルヒは当然だと言わんばかりの口調で、

「夏休みよ夏休み。決まってるじゃない」

 そのまんま過ぎる。

「じゃあ、夏休みと言えば?」

 第二問を出題し、ハルヒはうでけいを見ながら「カッチ、コッチ」と口効果音。

 つられた朝比奈さんもあわてて考えているようだ。

「えーと、あーと、う……海っ」

「そうそう、かなり近付いてきたわ。では海と言えば?」

 何なんだこれは。連想ゲームか?

 朝比奈さんは頭とカチューシャをななめにしながら、

「うみ、うみ、えーと……あっ、おさし?」

「全然違うわよ。夏からどんどんはなれてるじゃないの。あたしが言いたいのは、夏休みには合宿に行かなければならないってことよ!」

 俺は見れば見るほどムカの入る古泉のしようにらんだ。お前の言っていた重大発表ってのはこれのことか。

「合宿だと?」

 ハテナマーク付きつぶやきに、ハルヒは大きくしゆこうした。

「そ、合宿」

 部活持ちのやつなら合宿の一つもするだろうが、我々がそんなもんをして何になると言うんだろう。まさかどっかの山奥で見つかるはずのないUMAを俺たちにかくさせようってんじゃないだろうな。

 俺は朝比奈さんと古泉と長門を順に見て、それぞれにおどろきと微笑ほほえみと無を見いだしてから言った。

「合宿ね……何のだ?」

「SOS団の」とハルヒ。

「だから何しに行くんだよ」

「合宿をするために」とハルヒ。

 はあ?

 合宿をするために合宿に行く。

 それは頭痛が痛いとか悲しい悲劇とか焼き魚を焼くとかいうのと同じではないだろうか。

「いいのよ。この場合、目的と手段は同一のものなわけ。それに頭痛ってのは痛いものでしょ? 頭痛が甘いじゃおかしいもんね。だいたいあってるわ」

 日本語が乱れようと標準語が河内かわちべんになろうと知ったことではないが、それより問題は合宿とやらだろう。

「どこに行こうと言うつもりだ」

とうに行くつもりよ。それも絶海のっ、ていう形容詞がつくくらいのとこ」

 さて、夏休みの課題図書に『十五少年ひようりゆう』があるとは聞いていないが、いったい何を読んだらそんなことを言い出せるんだろう。

「候補地を色々と考えてみたんだけどね」

 ハルヒは喜色満面である。

「山か海かどっちにしようとなやんでたのよ。最初は山のほうが行きやすいかなって考えたんだけど、吹雪ふぶきさんそうに閉じこめられるのは冬しか無理だし」

 グリーンランドにでも行けばいい……ではなく、なんでまたそんなことする必要があるのかが疑問だ。

「閉じこめられるためにわざわざ山荘に行くのか?」

「そうよ。そうじゃないとおもしろくないからね。でも雪山はいったん忘れなさい。冬の合宿に取っておくから。この夏休みは海に、いいえ! 孤島に行くわよ!」

 やけに孤島にこだわるな、とは思ったが、それはまあ反対する気はない。反対したところでであるのもさることながら、この季節がら、海はなかなかりよく的な場所である。それで、その絶海の孤島とやらにはちゃんと海水浴場があるんだろうな。

「もちろん! そうだったわよね、古泉くん」

「ええ、あったと思いますよ。かんいんも焼きトウモロコシの屋台もない自然の海水浴場ですが」

 さっそうとうなずく古泉を俺は疑問形の視線でながめた。なんでお前がそこで出てくるんだ。

「それはですね」

 古泉が言いかけるのをハルヒがさえぎった。

「今回の合宿場所は古泉くんが提供してくれるからよ!」

 机の中に手をっ込んだハルヒはごそごそまさぐったのち、無地のわんしようを出してきた。そこにマジックで「副団長」と書き入れて、

「この功績によって古泉くん、喜んでちょうだい、あなたは二階級特進してSOS団副団長に任命されることになったわ!」

「拝領します」

 うやうやしく腕章を受け取る古泉は、俺に横目を流し込んでウインクしやがった。言っておくがうらやましくもなんともないぞ。そんなもんノベルティとして作ったとしてもだれも欲しがりやしない。

「というわけ。三ぱく四日のごうツアーよ! 張り切って準備しときなさい!」

 ハルヒはそれだけで話は終わったと言いたげな顔で、俺たちの理解をさそったと思い込んでいるようだった。もちろん違うぞ。

「いやちょっと待てよ」

 俺は朝比奈さんと長門を代表するために一歩ほど前に出た。

「それはどこの島だ。招待だぁ? なんだそれは。古泉がどうして俺たちを招待なんぞするんだ?」

 なぞの転校生としてハルヒに定義された古泉だってあやしいやつだが、その背後にいるらしい『機関』とかいうアホっぽい組織はもっと怪しい。俺たちを連れて行った先がどこかの研究所で、ハルヒや長門あたりを生体かいぼうしようというわなではないだろうな。

「僕の遠いしんせきに、けっこうなごうである人がおられましてね」

 と、古泉はじんちく無害ながおを見せた。

「無人島を買い取ってそこにべつそうを建てるくらいの金を余している人です。実際に建ててしまいましたしね。そのやかたが先日落成式をむかえたんですが、誰もそんな遠いところまでわざわざ行こうという知り合いはおらず、親類中から訪問者をつのった結果として僕におはちが回ってきたというわけです」

 そんな怪しい島なのか。俺は遠い昔に読んだ気のするロビンソン・クルーソーのジュブナイルを思い出した。

「いえ、元はただの小さな無人島です。僕たちはこれから夏休みですし、どうせならSOS団全員で出かけたほうが何かと楽しそうですしね。その別荘の持ち主も、喜んで迎え入れてくれるそうですよ」

「そういうことよ!」とハルヒ。

 俺たちをこんわくさせるときによくかべる絶頂の笑いを浮かべている。

とうなのよ! しかも館よ! またとないシチュエーションじゃないの。あたしたちが行かずに誰が行くって感じだわ。SOS団合宿inサマーにふさわしいたいよね!」

「なんで?」と俺。「お前の好きな不思議探しと孤島の館が何の関係があるんだ」

 しかしハルヒは一人で自分の世界に入り込んでいた。

「四方を海に囲まれた絶海の孤島! しかも館つき! 古泉くん、そのあなたの親戚の人はとてもよくわかってるわ! うん、話が合いそうな気がする」

 ハルヒと話が合うような人間は例外なく変態だから、きっとその館とやらの主人も変態なんだろう。こいつと話が合ったらの場合だけど。

 ハルヒの主張を聞いているのか長門は不明だが、朝比奈さんは昼食を中止して軽くおどろいてるようだ。

「だいじょうぶよ、みくるちゃん。おさしならしんせんなのが食べ放題だから。そうよね?」

「計らいましょう」と古泉。

「そういうわけだからね」

 ハルヒは再び団長机から無地の腕章を取り出した。どんだけ予備があるんだ。

「行くわよ孤島! きっとそこには面白いことがあたしたちを待ち受けているに決まってるの。あたしの役割も、もう決まっているんだからね!」

 そう言いながら腕章にマジックで書きこんでいる。その乱暴な文字は、俺の目には「めいたんてい」という三字の漢字に見えた。



「何をたくらんでいるのか聞かせてもらおう」

「何も」

 しれっと否定するな。

 重大発表を終えて満足したハルヒが退散し、朝比奈さんと長門も部室から出て帰宅のについている。残っているのは俺と古泉だけだった。

 古泉は長めのまえがみを指ではじき、

「本当ですよ。僕が言い出さなくても涼宮さんはどこかに出かけるつもりだったでしょう。夏休みは短いようで長いですからね。あなたは海よりも山でツチノコを探すほうがよかったですか?」

「何だ、ツチノコって──いや、いい。ツチノコの説明はするな。それくらいは解ってる」

「三日ほど前ですが、駅前の本屋でたまたま涼宮さんと出くわしましてね。熱心に日本地図をながめていましたよ。もう一冊、かくにん生物を特集したオカルト雑誌も広げていましたっけ」

 UMAたんさく合宿旅行か、それはそれでぞっとしないな。ハルヒのことだ、本当に何かを発見しそうでこわい。

「でしょう? 涼宮さんはどうやら何かをつかまえに行くつもりのようでした。僕の感じた限りでは山脈が第一候補のようでしたね。だったらまだ海辺で日光浴をしているほうが、我々全員にとって最大公約数的幸福ではないかと考えたのです。そのアテもあったことですし」

 よくもそんな都合のいいアテがあったものだ。まあ確かにえんてんの山歩きよりは、はまで水着姿の女子部員を観賞しているほうがごくとユートピアくらいの差はあるな。

「決め手となったのは個人所有の無人島だってことらしいです。クローズドサークルが、とか言っていましたね」

 当然、俺はたずねる。知らないことはなおくのが一番だ。

「クローズドサークルって何だ?」

 古泉はまったくイヤミでない、これがイヤミなのだとしたら見るほうの目がどうにかしていると俺でさえ解るような笑みを広げた。

「やや意訳気味かもしれませんが」

 微笑ほほえんだまま古泉はいつぱく置いて、

へい空間と言っていいでしょうね」

 俺の表情のどこがおもしろいのか解らないが、古泉はくっくと笑い、

「それはじようだんです。クローズドサークルというのはミステリ用語ですよ。外部との直接的なせつしよくを絶たれたじようきようのことです」

 もっとまともな日本語をしやべれ。

「古典的な推理劇において登場人物たちが置かれることになる舞台装置の一つですね。一例を挙げますと、たとえば我々が真冬にスキーに出かけたとします」

 そういやハルヒも雪山が何とかって言ってたな。

「その雪山で宿しゆくはくするところまではいいのですが、そこで記録的な大雪が降ったとしましょう」

 んなとこ行くんだったらあらかじめ天気予報には注意しそうだが。

「さて困りました。吹雪ふぶきと積雪にはばまれて下山することができません。また、だれかが新たにさんそうに来ることもできません」

 なんとかしろ。

「なんともできないからクローズドなのです。そしてそのような状況下で事件が起きます。最もポピュラーなものが殺人事件ですね。ここで舞台が生きてくるというわけです。犯人もそのほかの人物も建物からげ出すことはできません。また、外部からも新たな登場人物が来ることもありません。特に警察がやってくるなどもってのほかです。科学そうなどで犯人が判明してもちっとも面白くありませんからね」

 毎度のことだが、こいつは何を言ってるんだろう。

「おっと失礼。つまりはですね。涼宮さんの今回のテーマは、そのようなミステリ的状況の当事者となることなのです」

 それが島なのか。

「そう、とうです。島に何らかの理由で閉じこめられだつしゆつ不可能となった中での連続殺人でも夢想しているのではないでしょうか。クローズドサークルとしては、吹雪の山荘かあらしの孤島かという、公権力のかいにゆうをキャンセルするたいとしてはそうへきほこっていると言ってもいいでしょうね」

「俺はお前がみように楽しそうなのが気がかりだがな」

 ハルヒが熱暴走するのは夏に限ったことでもないだろうが、お前までやつぼうじやくじんを後押しすることはないだろう。別に俺が副団長の座をもらえなかったからむくれているんじゃないぞ。

「実は僕もそのような舞台が好きなものですから」

 人の好みにイチャモンをつける気はないが、一つだけ言わせてくれ。俺は全然好きじゃない。

 だが、古泉も俺の好みにとんちやくせず、論文を読むような口調で続けた。

めいたんていについて考えてみましょう。つういつぱん的な人生を送っている人々は、そのまま普通にしていればみような殺人事件に巻き込まれることはまれですね」

「そりゃそうだ」

「しかしミステリ的創作物の名探偵たちは、なぜか次々に不可解な事件の数々に巻き込まれることになっています。何故なぜだと思いますか?」

「そうしないと話にならないからだろう」

「まさしくね。大正解です。そのような事件はフィクション、非現実的な物語の世界にしかありません。ですがここでそんなメタフィクショナルなことを言っていては身もふたもありませんね。涼宮さんは、まさにフィクションの世界に身を投じようと考えているようですから」

 そういえばSOS団はそのためにあいつが作ったんだったな。

「そのような非現実的でミステリな事件にそうぐうするには、それにふさわしい場所に出かけなければならない。なぜなら創作上の名探偵たちは、そうやって事件に巻き込まれるからです。いわば事件の当事者となる必要があるわけですよ。ほうっておいても事件が向こうからやってくるには、肉親か関係者に警察のおえらいさんがいるとか、主人公が警察官そのものとか、シリーズを経て数作目を待たなければなりません」

 なるほどな。長門がSF好きなのはわかっていたが、お前はミステリ好きだったんだな。そんでハルヒはどっちも好きなんだろう。

素人しろうとが探偵役をしようとしたら、まず周囲に発生した事件に意図せずして巻き込まれ、かつ明快に解決しなければならないのです」

「そんな都合よく事件が身近で起きるわけないだろ」

 古泉はうなずいた。

「ええ。現実は物語のようにはいきません。この学校内で興味深い密室殺人が発生する確率は低い。ならば、発生しやすそうな場所に行けばいい、と涼宮さんは考えたにちがいありません」

 ほんまつてんとうという熟語が俺ののうてんめつした。

「それが合宿の舞台となる、今回の孤島です。なぜだか知りませんが、そういう場所は殺人事件の劇場としてうってつけだと世間的に考えられているのです」

 どこの世間だ、それは。えらくせまい世間もあったものだ。

「言いえれば名探偵の現れる所に、かいな事件は発生するのですよ。たまたま出くわすのではなく、名探偵と呼ばれる人間には事件を呼ぶちよう自然的な能力があるのです。そうとしか思えませんね。事件があって探偵役が発生するのではなく、探偵役がそこにいるから事件が生まれるのですよ」

 俺は誤ってウミウシをんづけた時のような目を古泉に向けた。

「正気か?」

「僕はいつでもほどほどに正気のつもりです。名探偵やクローズドサークルうんぬんは僕がそう考えているわけではなく、涼宮さんの思考パターンをトレースしてみただけです。つまりですね、解りやすく言うと彼女は探偵役になってみたいんですよ。合宿の目的がそれなんです」

 どうやったらあいつが名探偵なんぞになれるんだ。事件を自作自演して犯人役と探偵役をねるんならできるだろうが。

「それでも僕はツチノコりやえんじん探しよりはいいと思いましたね。僕は涼宮さんには知り合いが島にべつそうを建てていて招待客をしゆうしているとしか提言しませんでしたよ。もちろん殺人事件を期待しているわけでもありません。僕はね」

 古泉のさわやかなみは、いつ見ても腹立たしい。ひょいとかたをすくめる動作もな。

「涼宮さんにささやかならくを提供しているだけです。そうでもしないと、彼女が退たいくつまぎらわすためにどんなことを考えるか解りませんから。だとしたら、あらかじめこちら側で舞台を調ととのえているほうがいくらか対処のしようもあるということです」

「こちら側ね」

 ぜんとする俺に、古泉は取りつくろうように返した。

「この件に『機関』は無関係ですよ。一応報告はしましたけど。僕はちよう能力者の一員ではありますが、それ以前に一人の高校生なのです。いいじゃないですか、合宿も。実に高校生らしい世界です。親しい友人たちとの旅行は心おどるイベントでしょう?」

 ハルヒが単なる旅行に心を躍らせているだけならいいんだがな。これが普通の温泉地とか陸続きの海岸とかならいいのだが、なんせとうだぜ? ハルヒのことだ、台風の二つくらいを呼び寄せちまうかもしれない。

 ……まあ、いくらあいつでも殺人事件を起こすほどきようおかされてはいないだろう。でなけりゃ北高はとっくに死体の山になっているだろうからな。それよりも重要なことがあるような気がして、俺はちんもつこうする。

 夏で海で三ぱく四日。そこには白いすなはまがあり、太陽も好調にえんじようしてくれていることだろう。ならば今のこくしよも少しはかんべんしてやろうじゃないか。がんばれ太陽。

 さて、今から朝比奈さんの水着姿を拝む準備をしておかないといけないな。



 気前のいいことに宿しゆくはく費用はタダなのだと言う。食費もロハでいいらしい。俺たちがはらうのは往復のフェリー代くらいであった。

 そして俺たちは、港のフェリー乗り場に集合して乗船時間を今やおそしと待ちわびているのだ。

 ハルヒはよほど急いで合宿に行きたかったようだった。一学期の終業式は昨日であり、つまり今日は夏休み初日である。古泉とその親類はいつでもいいみたいだったが、休みに入るなりさつそく遠出しようとは、いかにもせっかちなハルヒの性格をよく表していると言える。ハルヒの顔を見ずにすむ日々をゆっくり過ごせると思ったのだが、それすら許さないのが涼宮ハルヒという存在そのものであり、その意義でもあった。

「フェリーに乗るなんて久しぶりだわ」

 サンバイザーをななめにかぶり、ハルヒは波止場のきわなまりいろの海面をながめている。ベタつく潮風にくろかみを遊ばせながら乗降口の先頭に並んでいる。

「おっきい船ですね。これが水にかぶなんて不思議」

 両手でバッグを持つ朝比奈さんが、船体を見上げてかんたんするように言っている。白いサマードレスに麦わらぼうをかぶっている姿がとことん愛らしい。ちゃんとあごの下で帽子のヒモを結んでいるのも朝比奈さんらしいね。彼女の子供みたいなそうぼうは、中古のフェリーがまるでせきからはつくつされた古代のあしぶねであるかのようなかがやきを見せていた。彼女の時代には船は水に浮いていないのかもな。

「…………」

 その後ろでは長門がぼんやりした顔で船の横腹に書いてあるぎよう名を見つめている。めずらしいことに、長門は制服を着ていなかった。クロスチェックのノースリーブで黄緑色のがさを差してうすかげを落としている。病弱な少女が久しぶりに退院してきたばかりのようなふんだった。どっかでインスタントカメラでも買ってきてっておきたい。谷口あたりに高く売れそうだ。

「晴天にめぐまれてよかったですね。絶好の航海日和びよりと言えるでしょう。船室は二等ですが」と、古泉が言う。

「相応だろ」

 パーティションもろくにない大部屋である。何時間もの長旅だったが個室なんか俺たちには十年早いさ。たかだか高校生の合宿旅行である。

 本質的に問題なのは、これが合宿でも何でもないということだな。合宿のための合宿なんざ、意味のある行動とは言えまい。だいたい通常のクラブ合宿にはいんそつもん教師が必要なんではないだろうか。SOS団にそんなもんはいない。学校からにんされていない部活なのだから、いたらかえっておどろくね。北高では顧問がいないと同好会すら認められないことになっているわけで、これは俺のかんだがSOS団の顧問になろうとする教師がいたとしてもハルヒが必要とするとも思えない。必要なんだったらとっくにどこかからして来ているだろうからな。俺たちがそうだったみたいにさ。

 俺が大あくびをする横に、朝比奈さんがとことこと近寄ってきた。丸い目をさらに丸くしている彼女は、

「あんな大きな船がどうやって浮いているんですか?」

 どうやってって、りよく以外の何で浮くんでしょう。朝比奈さんがいた時代には理科の授業はなかったのだろうか。

「あっ、そうか。浮力。そ、そうですよね。なるほどー。灯台もと暗しってやつですね」

 いったい何をそんなになつとくしたのか、朝比奈さんは今にもユーレカとさけんでおけから飛び出しそうな顔でうんうんうなずいている。

 ためしに質問してみよう。くだけなら害になるまい。

「あのー朝比奈さん、未来の船は何かかつ的な方法で浮いているんですか?」

「うふ。あたしが言えると思う?」

 き返され、俺は首をった。ぜんぜん思いません。っつき先をちょっと変えて再度の質問。

「海はあるんでしょうね」

 朝比奈さんは帽子のへりをちょいとつまんでかたむけた。

「ええ。あります。海はあるわ」

「そりゃよかった」

 近未来か遠未来かも知らないが、地球がオールばく化していないようで何よりだ。そこの海の成分が今よりマシになっているといいんだけど。

 俺が未来人からさらなる有益な情報を聞き出そうと意気込んでいたというのに、

「キョン! みくるちゃん! 何してんの、時間よ!」

 ハルヒの叫びが乗船時間を知らせた。

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