ミステリックサイン

 予想通り、ハルヒは期末試験期間中にステイタスをメランコリー状態から回復させて、また好き勝手にうようになっていた。俺はと言えばその反作用で押し出されたブルー色をバトンタッチされたようなうつうつ真っさかりだ。答案用紙が配られるたびにどんどん悪化していくような気がするね。この俺のゆううつを共有できるのは谷口くらいだろう。中間テストでは赤点レーダーに引っかかるかどうかというギリギリ低空ラインを仲良く飛び回った戦友である。人はせめて自分よりアホなやつがいて欲しいよなと思いがちな動物だ。いてくれたら相対的に安心できるからな。絶対的に見ると安心している場合ではないのだが。

 俺の後ろの席でテストを受けていたハルヒは、なぜかいつも時間が余るようで試験しゆうりよう三十分前にはたいてい机でいきを立てていた。

 いまいましい。

 テスト期間中にはすべての部活動は中止され、今日あたりに再開されるのがつうなのだが、なぜかSOS団はたのまれたわけでもないのに年中無休で昨日も一昨日おとといも営業していた。学校お仕着せの理論はSOS団的部活動には通用しないようである。当たり前だ、最初の第一歩からちがっている。このなぞの団は部活でも何でもないので問題ないのだ。それがハルヒ理論である。

 先日もそうだ。せっかく俺が勉強意欲を限界まで高めたちょうどいいタイミングだったのに、俺はハルヒにそでを引っ張られて部室へと連れて行かれた。

「ちょっとこれを見なさい」

 そう言ってハルヒが俺に示したのは、いつぞや他部からごうだつしてきたパソコンのディスプレイだった。

 しかたがないので見た。何かわけのわからない落書きをドローイングソフトが表示していた。円の中にっぱらったサナダムシがクダを巻いているような絵とも文字とも絵文字ともつかないものである。ようえんいたとしか思えない。

「なにこれ」

 正直に言った。

 たん、ハルヒはアヒルのような口をして、

「見て解らないの?」

「解らんね。全然解らん。これに比べたら今日の現国の試験のほうがまだ解るくらいだな」

「何言ってんの? 現国のテスト、すごく簡単だったじゃないの。あんなのあんたの妹でも満点取れるわ」

 実に腹立たしいことを発言し、

「これはね、あたしのSOS団のエンブレムよ」

 と答えて、立派なことを成しげた直後のようなほこらしげな顔をした。

「エンブレム?」と俺。

「そう。エンブレム」とハルヒ。

「これが? てつ明けで休日出勤を二ヶ月連続やってる万年係長候補がむかえ酒をしながら歩いたあとにしか見えないけどな」

「ちゃんと見なさいよ。ほら、真ん中にSOS団って描いてあるでしょ」

 そう言われてみるとそんな気がしないでもないようなあるようなでも大声では言いかねるくらいには見えないでもないね。さて俺はいくつ否定語を連ねたかな。自分では数える気がないのでだれかヒマな奴が数えてくれ。

「一番ヒマなのはあんたでしょ。どうせ試験勉強もしないくせに」

 さっきまではする気満々だったんだ。が、言われてみれば今は確かにねえな。

「これをSOS団サイトのトップページにせようと思ってるの」

 そう言えばそんなもんもあった。トップページしかないショボクレサイトだが。

「訪問者が増えないのよ。かんを覚えるわ。不思議なメールもちっとも来ないしね。あんたがじやしたせいよ。みくるちゃんのエロ画像で客を呼ぼうと思ったのに」

 朝比奈さんけんめいのメイド画像のすべては俺の物であり、ほかの誰にも見せる気はない。はした金で買えない物はこの世にちゃんとあるものさ。

「あんたの作ったこのサイトだけど、ほんっと、しょうもないわよね。にぎやかすものが全然ないのよ。だからあたしは考えたの。SOS団のシンボルみたいなものをり付けたらどうかって」

 とっととネットからてつ退たいしろよ。こんなアホなHPを間違って見てしまった奴が気の毒だ。コンテンツが何もないのでこうしんされることもなく、あるのは『SOS団のサイトにようこそ!』という画像データとメールアドレス、アクセスカウンタくらいである。そのカウンタは三けたに達してない上に、そのうち九割はハルヒが自分で回してるみたいなもんだぞ。

 俺はハルヒが起動したブラウザに手作りサイトが出てるのをながめながら、

「お前が日記でも書いたらどうだ? 業務記録を付けるのは団長の仕事だろ。宇宙船の船長だって航海日誌をつけるんだぜ」

「いやよ、めんどくさい」

 俺だってそんなめんどうなことをしたくない。ここでの一日をびようしやしても、長門がどんな本を読んでたかとか古泉と五目並べで勝利したとか朝比奈さんは今日も可愛かわいいとかハルヒは口を閉じてだまって座ってろとか、それくらいのことしか書くこともなかろう。書いていて楽しくないものが読んでも楽しいとは思えない。ゆえに俺はそんな誰にとってもらくとほど遠いことはしないのさ。

「さ、キョン。このシンボルマークをサイトの頭に表示するようにしなさい」

「お前が自分でしろ」

「やり方わかんないもん」

「だったら調べろ。解らんからって他人ひとまかせにしてたら永遠に解らんままだぜ」

「あたしは団長なの。団長は命令するのが仕事なのよ。それにあたしが全部やっちゃったらあんたたちのする事がなくなるでしょ? 少しはあんたも頭を使いなさいよ。言われたことをやってるだけじゃ人間進歩しないわよ」

 お前は俺にやれと言っているのか、するなと言っているのかどっちなんだ。日本語は正しく使ってくれ。

「いいからやんなさい。そんなべんじゃあたしはだまされないからね。有りがたがるのは紀元前のヒマなギリシャ人くらいよ。ほら早く!」

 これ以上夜明けのカラスみたいにやかましく鳴くハルヒの声を聞いているのもおびただしくみみざわりだったので、俺はしぶしぶHTMLエディタを起動すると、子供がひまつぶしで描いたようなハルヒはくイラストを適当なサイズに縮小してからファイルに貼り付け、そのままアップロードした。

 かくにんのためブラウザをリロードしてみる。必要のないSOS団エンブレムは、ちゃんとネット世界にそのそくせきを残しているようだった。チラリと見たアクセスカウンタの数字は、やはりまだ二けたのままだった。このままハルヒしか見ないサイトでいたらいい。こんなマヌケサイトを作ってるのが俺だと知られたくないからな。



 そんなことがあったりした俺のゆううつさそう日々も、何とか今日で第一段階をしゆうりようし、つかの間の休息が明日から始まろうとしていた。その休息の名を試験休みという。夏休みまでの準備期間であり、俺の答案用紙に教師がバツマークをしゆれするための時間でもあることだろう。

 くそいまいましい。

 くさくさしていてもしかたがないので、俺はSOS団が巣くった上にアジト化している文芸部部室へと足を運んだ。せめて朝比奈さんを眺めて安らぎを得ようとしたのである。

 長門は黙って本を読み、古泉はニヤつきながら一人でしようをし、朝比奈さんはメイド姿で給仕をしてくれ、ハルヒは何かわけのわからないことを言ったりしやべったりわめいたりさけんだりしていて、俺はうんざりとその言葉に耳をかたむけるという構図がここ最近のパターンだった。

 最近も何も、最初からこうだったような気もするが。

 俺はしずんだ気持ちでドアをノックした。舌足らずな朝比奈ボイスで「はぁい」と返答があることを期待したのだが、部屋からき出したのは、

「どうぞ!」

 投げやりなハルヒの声であり、入ってみるとハルヒしかいなかった。団長机にひじをついて、コンピュータ研をきようはくして手に入れたパソコンを何やら操作している。

「なんだ、お前だけか」

「有希もいるわよ」

 確かに長門はテーブルのすみで本を広げ、いつものように置物となっていた。あいつはこの部屋の付属物みたいなものだから人数に入れなくていいのさ。SOS団に入るというげんもなかったし、正式には文芸部員だ。だがここは言い直しておくべきだろう。

「なんだ、お前と長門だけか」

「そうだけど、何かクレームでもあるわけ? なら聞いてあげるわ、あたしはここの団長だもんね」

 俺のお前に対するクレームをじよう書きにしたらそれだけでA4ノート両面はびっしりくされることになるぞ。

「あたしこそがっかりよ。ノックなんかするから、てっきりお客が来たんじゃないかと思ったじゃない。ややこしい真似まねしないでよね」

 朝比奈さんのなまえをうっかりもくげきしないように気をつけているんだよ。あのかつで愛らしいかたは、ドアにじようすることをなかなか覚えないからな。

 それにお客って何だ? どんな客がこの部屋をおとずれるって言うんだ。

 するとハルヒは、俺をさげすみの表情で見つめた。

「あんた、覚えてないの?」

 思わずギクリとした。三年前の七夕たなばたがどうとか言うつもりじゃないだろうな。

「あんたがやったことじゃないの。あたしの許可も得ずにね」

 何のことかなぁ。

「部室とうけいばんに、あんたがったポスターのことよ」

 ああ、あれか。俺はあんの息をく。

 生徒会に何とかSOS団を認可させようとして俺がでっち上げたくうの活動方針がある。不思議探し団では話になるまいと判断した俺は、よろずなやみ相談所としてSOS団を存続させるべく生徒会に働きかけたのだ。しつこうの連中にはアホかと言われてあっけなく終了したが。

 しかし俺はすでにポスターまで手書きで作っていた。何と書いていたかよく覚えていないが「相談ごと受け付けます」くらいだったと思う。せっかくだからと目に付いた掲示板に貼っておいたのだ。どうせだれか見たとしてもSOS団に悩みを相談しに来るような気のちがったやつはいるまいとんだわけである。どうやら正解だったらしく、今のところらいにんかいであり、とてもいいことだ。

 にしても、ハルヒはそんなことを覚えていて、実際に客が来るのを待っているのか? 今日の帰りぎわにでもがしておいたほうがよさそうだな。本当に変な悩みを持つ生徒が来たらややこしいことになるだろうから。

 俺が心のかたすみで決意していると、ハルヒがマウスをぐるぐる回しながら、

「それより、これ見てよ。何か変なの。パソコンの調子が悪いのかしら」

 ハルヒのかみの横からのぞき込む。ディスプレイがいやいやのように映しているのは、我等がSOS団ホームページだ。だが俺が作ったものとはみように違っていた。ハルヒの手によるヘタクソな落書きエンブレムが、ギャザー処理されたみたいにゆがんでいたし、カウンタやタイトルロゴもっ飛んでいる。ためしにリロードしてもそのままだ。まるでモザイクでもかけたみたいな異常なデータ表示。

「こっちのパソコンじゃないな。サーバに置いてるファイルがくるってるみたいだ」

 ネットにはくわしくないが、その程度は解る。ひょっとしてと思いローカルに置いてあるサイトをブラウザで見ると正常に表示されるからな。

「いつからこの状態なんだ?」

「さあ。この何日かメールチェックだけでサイトは見てなかったから。今日見たらこんなんになってたのよ。どこにクレームを付ければいいの?」

 クレームを付けるまでもない。修正は簡単だ。俺はハルヒからうばったマウスを操作して、保存していたトップページのファイルをサーバにある同名のデータにすべて上書きした。再表示してみる。

「うむ?」

 サイトはクラッシュしたままだった。何度かり返してみても同じ結果。どうやら俺では手に負えない電脳技術的異常が発生しているようだった。

「おかしいでしょ? アレかしら、うわさに聞くハッカーとかクラッカーとか言うやつ?」

「まさか」と俺は否定する。どこからもリンクされず誰も見ないようなサイトをクラッキングするなどというヒマ人がいるとも考えにくい。何かのエラーだろ。

「ムカツクわ。誰かがSOS団にサイバーテロをけてるんじゃないかしら。いったいそれは誰? 見つけたら裁判なしで三十日間の社会ほう活動を宣告するわ」

 ぷんすかしているハルヒから目をはなし、俺はとうめい光学めいさいをまとっているような長門に視線を向けた。こいつなら何とかしてくれるんじゃないだろうかと思う。俺の中には勝手にコンピュータに詳しそうな長門のイメージが構築されているが、パソコンいじっているところを見たことがない。いやむしろ、読書シーン以外がほとんどないと言うべきか。

 そこにノックの音。

「どーぞっ!」

 ハルヒの返答にとびらを開けたのは、古泉だった。いつものせいりようかんきわめたスマイルで、

「おやめずらしい。朝比奈さんはまだですか?」

「二年は余分に試験があるんじゃない?」

 俺たち一年の期末最終日は三限までだった。さっさかと帰宅すればいいのに、なんでそろいも揃ってこんなところに集まりたがるんだろ。俺ってこんな友達少なかったか? それとハルヒ、ノックに対するツッコミを古泉には入れないのはどういうわけだ。

 古泉はかばんをテーブル横に置くと、だなからダイヤモンドゲームのばんを取り出して、俺にさそいの目を向けた。俺は首をり、古泉はかたをすくめて一人ダイヤモンドを開始した。

 朝比奈さんのお茶が待ち遠しいね。



 こんこん。

 またノックの音がする。その時、俺は団長机の前に座らされてFTPソフトとかくとうしていた。背後にはハルヒがいて、見当ちがいかつ思いつきのような注文をあれこれ発しており、その無理難題に俺が答えさせられているというわけである。

 だからそのノックは俺には救いのかねの音だった。

「どーぞっ!」

 ハルヒがまた大声で言い、扉が開かれる。順番からみて来たのは朝比奈さんだろう。

「あ、おくれちゃってごめんなさい」

 ひかえめに謝辞を告げながら現れたのは、よくの天使、朝比奈さんに違いなかった。

「四限までテストがあって……」

 言わなくてもいい言いわけを言いながら、ためらうようにドア付近でたたずんでいる。なぜかそのまま入ってこようとせず、ためらうように、

「ええと、その……ですね」

 俺たちの視線が朝比奈さんに集中した。長門までが自分を見ていることに気付いた朝比奈さんは、たじろいだように後ずさり、それから思い切ったようにこう言った。

「あ、あの……お客さんを連れてきました」



 そのお客さんはみどりさんと言う、おとなしくせいな感じの二年生だった。

 彼女は今、朝比奈さんのれたお茶の表面に視線を固定し、顔を上げずに座っている。その横に朝比奈さんが付きいのように並んでこしけていた。さすがにメイドしようにはえてはいない。少し残念。

「するとあなたは」と、ハルヒが面接官みたいな顔をしてボールペンをくるくる回していく。二人の二年生の正面にじんり、おうへいな口調で、

「我がSOS団に、行方ゆくえ不明中の彼氏をさがして欲しいと言うのね?」

 ハルヒはくちびるの上にペンをはさんでうでみをした。まるで何かを考えているような仕草だが、俺にはわかっていた。こいつは今にも笑い出しそうになるのをこらえていやがるのだ。

 何と言うことか、来るわけないと楽観していたのに、なやみ相談者第一号が来てしまったのである。ハルヒ的にはおどりしたいようなじようきようだろう。

「はい」と、喜緑さんは湯飲みに向かって話しかけている。

 その様子を俺と長門と古泉は、はしのほうで見守っていた。二人の二年生を前にしたハルヒは、

「ふうむ」

 わざとらしくうなって俺に目配せをした。

 俺はつくづく自分がうらめしくなる。あんなポスターを作るんじゃなかったよ。何て書いたっけ、人に言えない悩み相談受付けます……だったかな。でもな、まさか本気にする生徒がいるとはなあ、つう思わないだろ?

 にもかかわらず本気なのかどうなのか、喜緑さんはポスターを見てSOS団の活動目的を、よろず悩み相談所か便利屋ぎようにんしてしまったようだった。確かに文字通りにかいしやくすればそうなるかな。ああ思い出した、俺のでっち上げ活動内容は「学園生活での生徒の悩み相談、コンサルティング業務、地域ほう活動への積極参加」だった。今のところどれ一つとしてSOS団にはえんのものだ。草野球大会をき回した以外、なーんもしてねえもんな。

 しかし、たまたまそんなことが書いてあるポスターを目にしていたせいで喜緑さんは我々の存在に思い至ったようで、悩んだあげく同学年である朝比奈さんに声をけ、ともどもにここをおとずれたと、そういうことになるらしい。

 で、その悩み事なんだが。

「彼がもう何日も学校に来ないんです」

 喜緑さんはだれとも目を合わせることなく、湯飲みのふちを見つめてそう言った。

「めったに休まない人なのに、テストの日まで来ないなんておかしすぎます」

「電話してみた?」とハルヒ。口元が笑い出すのを止めるためか、ボールペンのしりんでいる。

「はい。けいたいにも家の電話にも出なくて。家まで行ってみたんですけど、かぎがかかったままで。誰も出てきてくれませんでした」

「ふふふーん」

 他人の不幸を喜ぶやつがロクデナシなのは事実だが、ハルヒは今にも歌い出しそうなじようげんオーラを発していた。つまり、こいつはロクでもない奴なのである。証明終わり。

「その彼氏の家族は?」

「彼は一人暮らしなんです」

 喜緑さんはお茶にしやべりかける。人と目を合わせて話すことの出来ない性質があるようだ。

「ご両親は外国にいらっしゃると前に聞きました。わたしはれんらく先を知りません」

「へー。外国ってカナダ?」とハルヒ。

「いいえ。確かホンジュラスだったと思います」

「ほほーう。ホンジュラスね。なるほど」

 何がなるほどだ。どこにある国か知っているのか疑わしいね。えーと……メキシコの下くらいだっけ?

「部屋にいる気配もなくて。夜中に訪ねても真っ暗でしたし。わたし、心配なんです」

 喜緑さんはわざとのようにたんたんと言って、両手で顔をおおった。ハルヒは唇をうねうねさせながら、

「むう。あなたの気持ちは解らないでもないわ」

 うそけ。こいする少女の気持ちがお前に解るわけがない。

「それにしてもよく我がSOS団の所に来たわね。まずその動機を教えてよ」

「ええ。彼がよく話題にしていたんです。それで覚えていました」

「へえ? その彼氏って誰?」

 ハルヒの問いに、喜緑さんはその男子生徒の名前をつぶやいた。どっかで聞いたような気もするが、知り合いにいないような気もする。ハルヒもまゆを寄せて、

「誰だっけ? それ」

 喜緑さんはそよかぜのような声で、

「SOS団とは近所付き合いをしているように言っていましたけど」

「ご近所さん?」

 ハルヒはてんじようを見上げる。喜緑さんは、首をかしげる俺と朝比奈さん、それから古泉と長門へと首をめぐらせ、ただし視線を合わさないようにして、また湯飲みを見つめた。そして、

「彼は、コンピュータ研の部長を務めていますから」

 と言った。



 まったく忘れていた。あの気の毒な部長氏か。朝比奈さんへのセクハラ写真をられ(無理矢理に)、それをたてとしたハルヒに最新機種をじようさせられ(ごういんに)、泣く泣く配線までしていたコンピュータ研究部のあわれむべき上級生だ。いや、憐れむ必要はないか。こんないいふんの彼女がいるんだったら、たいていのことはチャラになるだろう。そういや、あんときの使い捨てカメラはどこにっておいたかな。

「うん、わかった!」とハルヒは簡単にけ負った。「あたしたちが何とかするわ。喜緑さん、あなたツイてるわよ。らいにん第一号として、特別にタダで事件を解決してあげるから」

 金を取っていたら学内ほう活動にならないな。しかし、これは本当に何かの事件なのか? 例の部長が単にヒキコモリになってるだけじゃないだろうか。喜緑さんみたいなこいびとがいて何の不満があるのか知らんが、そんな奴はほうっておいて自然を待つのがいいと思うぞ。

 もちろん俺はそのようなことは言わず、喜緑さんは彼氏の住所をメモ用紙に残して、実体化したゆうれいのような歩調で部室から出て行った。

 ろうまで見送った朝比奈さんがもどってくるのを待って、俺は口を開いた。

「おい、そんな簡単に引き受けちまっていいのか? 解決できなかったらどうするつもりだよ」

 ハルヒは、だがげん良くボールペンを回している。

「できるわよ。きっとあの部長は二ヶ月おくれの五月病で引きこもってるんだわ。部屋に乗り込んで二、三発ぶんなぐって引きずり出せばいいだけの話よ。すんごく簡単」

 本気でそう思っているようだ。まあ俺もそう思うけど。

 俺は新しいお茶をれ直している朝比奈さんにいた。

「喜緑さんとは親しいんですか?」

「ううん、一回も話したことなかったです。となりのクラスだから合同授業の時に顔を見るくらい」

 俺たちに相談するくらいなら教師か警察に言えばいいのに。や、すでに言った後なのかな。それで相手にされずに朝比奈さんに声をかけたのか。そんなところだろうと思うね。

 のんきに茶をすする俺たちに何のきんちようかんもなかった。ハルヒはやみこうようして、もっと大々的に依頼をしゆうかたはしから解決することを考えているようだ。一学期が残り少ないことをなげきつつも、チラシ配布計画第二だんを強行しかねない調子である。それはやめとけ。

 長門がパタリと本を閉じ、俺たちはハルヒ言うところの調査におもむくことになった。



 部長氏の一人住まいは、ワンルームマンションだった。立地から考えて大学生がメイン住人だろう、可もなく不可もなさそうな三階建ての建物で、新しいとも古いとも言えないちょうどよさげな色合い。見た目は非常につうである。へいぼん

 住所を書いたメモを手に、ハルヒは階段をたかたか上がっていく。俺とほか三名も、だまってセーラー夏服の背中を追いかけた。

「ここね」

 てつの前でハルヒは表札の名前をかくにんしている。喜緑さんの告げた彼氏の名前がプラケースに差し込まれていた。

「何とか開けられないかしらね」

 ノブをガチャガチャしてじようを確認してから、ハルヒはインターホンを押した。順序が逆だろう。

「裏からベランダに上ったらどう。ガラスをたたき割れば入れるんじゃない?」

 じようだんで言ってることをいのらせてもらう。この部屋は三階だし、俺たちは空き巣ねらいの少年犯罪グループではない。俺はまだ前科は欲しくないぞ。

「そうね。管理人さんとこ行ってかぎを借りましょう。友達が心配して来たって言えば貸してくれるわ」

 お前は友達のフリが得意だからな。しかしこの部長、一人暮らしなんかしときながら彼女に合い鍵もわたしていなかったのか。ナスビのヘタだけ取って実を捨てているようなもんだろそれじゃ。

 カシャン。

 すずしい音がしてり向くと、長門が無言でノブをにぎっていた。

「…………」

 液体ヘリウムみたいな長門の目が俺を見つめている。ゆっくりと長門はドアを引き、部屋への入り口が口を開けた。ていたいしていた内部の空気が、なぜか冷気をともなって俺たちの足元にわだかまる──ような気がした。

「あら」

 ハルヒは目を丸く、くちびるを半円にして、

「開いてたの? 気付かなかったなあ。ま、いいわ。さあ上がりましょ。きっとベッドの下とかにかくれているから、みんなで引っ張り出してかくするの。ていこうが激しければ最悪、息の根を止めていいわ。らいにんにはみつろうけた首を届けましょう」

 パソコンをぶんどった自責の念などじんも感じていないらしい。サロメじゃあるまいし、首だけもらっても置き場に困るだけだ。

 ゆうやく、部屋に押し入った俺たちは、そこに無人のワンルームを見ることになった。ゴキブリいつぴきいやしない。ハルヒはバスルームやベッドの下ものぞいていたが、少なくとも人間の姿はどこにもなかった。長門の部屋、それも客間一つ分のさらに四分の一程度の広さだが、あの殺風景な何もなさと比べると生活レベル四倍増だ。ほんだなしようケース、卓袱ちやぶだいみたいな机とパソコンラックがきっちり整理せいとんして置いてある。窓を開けてベランダを確認してもせんたくしか隠れていない。

「おっかしいな」

 ベッドの上でねながら、ハルヒが首をかしげている。

「部屋のすみひざかかえて丸くなってると思ったのに、コンビニに行ってるの? キョン、あんた他にヒキコモリが行きそうな所って知ってる?」

 コンピュータ研部長はヒキコモリ確定か。中南米あたりを旅行中なんじゃないか? それか本気で行方ゆくえをくらましているのか、だ。ここに来る前に部長のクラスの担任教師に話をいてくるべきだったな。

 俺が本棚に並ぶパソコン関連のしよせきながめていると、不意にシャツの背中を引く者がいた。

「…………」

 長門が無表情に俺を見上げていて、ついっとあごを横に振った。何の意思表示だ?

「出たほうがいい」

 小さく、長門は俺にささやいた。今日初めて聞く長門の声だった。ハルヒと朝比奈さんは気付いていないが、古泉だけが俺の耳元に顔を寄せた。

「僕も同感です」

 な声を出すな、気色悪い。しかし古泉は取りつくろったがおで、目だけを笑わせずに、

「この部屋にはみようかんを感じます。これに近い感覚を僕は知っている。近いだけで根本的にちがうような気もするのですが……」

 ハルヒは冷蔵庫を勝手に開けて、「ワラビもち発見! これ、賞味期限昨日になってるわ。もったいないから食べましょ」などと言いながらふくろを破っている。朝比奈さんはおろおろしながら、ハルヒに差し出されたコンビニを毒味させられていた。

 俺も自然と小声になった。

「何に近いって?」

へい空間です。この部屋はあそこと同じようなかおりがする。いえ、香りというのは表現です。はだざわりといいますか、そういう五感をえたかんしよくです」

 お前はちよう能力者かと反射的にツッコミを入れそうになって自制した。こいつはマジな超能力者だったな、そう言えば。

 長門が空気をほとんどしんどうさせない声でつぶやいた。

「次元断層が存在。位相へんかんが実行されている」

 わかるかっての。

 そうも言いたかったんだけどな。もし長門が不意打ちのように悲しそうな顔でもしたら俺はこの場でこしをぬかすかもしれないので言わないのがきちだ。やれやれ。

 ともあれ、さっさとてつ退たいしたほうがよさそうだな。俺は古泉と長門に合図をしてから、はんとうめいの餅をむさぼり食っているハルヒへと顔を向けた。



 全員でマンションから出ると、ハルヒは空腹を理由に本日解散を宣告し、一人で帰っていった。喜緑さんから持ち込まれた事件は一時たなげ、「そのうちなんとかなるでしょ」という無責任な発言によって思考も停止、今日のところは宙にくこととなった。

 もうきたらしい。

 昼飯がまだなのはハルヒだけではないが、俺は帰宅するように見せかけて、いったん全員と別れたのち、十分経過をイライラしながら待ってから再び部長氏のマンション前にもどる。

 三人の団員たちはすでにそろいぶみで俺を待っていた。物知り宇宙人とくつっぽいエスパーろうは、なんかすでにわかったような顔をしていたが、朝比奈さんは、

「あの……どうしたんですか? 涼宮さんに見つからないように再集合って……」

 きょとんと俺を見上げてくる。長門と古泉を見る目が不安の色を強めていた。俺を一番待っていてくれたのは朝比奈さんだ、そう思うことにしよう。

「この二人はさっきの部屋が気になるみたいです」と俺はこたえた。

「そうなんだろ?」

 しようと無表情が同時にうなずく。

「もう一度行けば解ると思いますよ。ねえ、長門さん?」

 何も言わずに長門はフラリと歩き出した。俺たちもついていく。足音もなく階段を移動する長門は、音もなく部長宅のドアを開け、音もなくくついで部屋の中央に進んだ。

 決して広くないワンルームは、四人が立って並んだだけでもう満員だ。

「この部屋の内部に」

 長門が切り出した。

「局地的しんしよくせいゆうごう異時空間が制限条件モードで単独発生している」

 …………。

 しばらく待ってみたが、説明はそれだけだった。そんな適当に辞書引いて目に付いた単語を並べただけのような語句で言われても辞書を持っていない俺にはどうすることもできないんだが。

「感覚としてはあの閉鎖空間に近いものですね。あれは涼宮さんが発生源ですが、こちらはどうも違うにおいがします」

 古泉が長門をフォローするようなことを言った。いいコンビだ。付き合うといい。長門に読書以外のしゆも教えてやれ。

「その件に関しましては後で考えさせていただきます。それより今はすることがありそうですね。長門さん、部長さんの行方ゆくえ不明はその異常空間のせいですか?」

「そう」

 長門は片手を挙げると、目の前の空間をでるような仕草をした。

 いやな予感が背骨を上って俺の脳をげきする。おそらく俺は「待て」と言うべきだったんだろう。しかし俺がそのたった二音を発声する前に、長門はテープの早回し二十倍速みたいな音で何かをささやいて、たん、目の前の光景がまばたきする間に変化をげていた。

「はひっ!?」

 飛びついてきたのは朝比奈さんで、俺のひだりうでを両手できしめてくれた。しかし俺はせっかくのかんしよくを味わうヒマもなく、自分の居場所を必死でかくにんしようとしていた。

 ええと、俺がいたのは部長のぜまなワンルームだ。決してこんなうす悪い場所じゃない。黄土色のもやがたなびき、地平線が見えないくらいだだっ広いへいたんな空間ではないのだ。だれだ、俺をこんな所につれてきたのは。

しんにゆうコードをかいせきした。ここは通常空間と重複している。位相がズレているだけ」

 長門が解説している。まあ、こんなことができそうなのはこいつくらいか。そんな長門とまともに会話できるのは古泉くらいで、

「涼宮さんのへい空間ではないようですが」

「似て非なるもの。ただし空間データの一部に涼宮ハルヒが発信元らしいジャンク情報が混在している」

「どの程度です?」

「無視できるレベル。彼女はトリガーとなっただけ」

「なるほど。そういうことですか」

 俺と朝比奈さんは仲良く蚊帳かやの外である。全然困らない。むしろ有りがたい。このまま俺たちを元の世界に戻してくれたらもっと有り難がってやるのだが。

 朝比奈さんは俺にくっついてこわごわと周囲を見回している。彼女にとってこの空間は予期しないものだったらしい。俺も同様に、八方に視線を飛ばして観察してみた。呼吸はできるが、この黄土色のかすみみたいなものは吸い込んでもだいじようなんだろうか。くつしたしにひんやりしたゆかの温度が足裏に伝わる。床なのか地面なのか、黄土色の平面がどこまでも続いていた。六じようくらいのあの部屋にこんな収納スペースが付帯しているとはね。異次元空間か。まあ、そろそろそんなふんのものが出現するとは思っていた。我ながら冷静である。

「ここにコンピュータ研の部長がいるのか?」

「そのようですね。この異空間が自室に発生してしまい、どのようにしてか閉じこめられてしまったのでしょう」

「どこにいるんだ? 姿が見えないが」

 古泉はただ微笑ほほえんで長門に顔を向けた。それが合図だったのか、長門はまた片手を挙げた。

「待て!」

 今度は間に合った。俺はにも固まってくれた長門に、

「何をするか教えておいてくれないか? せめて心の準備期間は欲しいぜ」

「何も」

 長門はしやべるガラス細工のように回答し、ななめ上七十五度くらいを指していた手の指をにぎりしめ、改めて人差し指だけをばした。それから一言、

「お出まし」

 俺は長門の指先が指す先へと目線を向けた。

「うーん」

 思わずうなるね。

 黄土色の靄がゆっくりとうずを巻いている。靄を構成するりゆうひとつぶ一粒がいつしよに集合しようとしているような渦巻きだ。俺は人体に侵入した病原体みたいな気分になってきた。どうもこの黄土色の渦は白血球的な役目を自らに課しているのではないかというイメージがどこかからいてくる。朝比奈さんの手が温かいのだけが俺の心のなぐさめだ。

「明確な敵意を感じますね」

 のんびり言う古泉の声にはきんちようしたところがなく、故障中のアンドロイドのようにっ立っている長門も手を伸ばしたまま無反応。だからと言って俺は安心できない。こいつらは自分の身を守るすべがありそうだが、俺にはない。朝比奈さんにもないみたいで、俺の後ろにかくれている。こういう時こそ未来的なアイテムでも出してもらいたいんすけど。光線じゆうとか持ってないんですか?

「武器のけいたいは厳禁です。あぶないです」

 ふるえる声の朝比奈さん。それはわかるね。『この』朝比奈さんに武器を持たせても、役に立たないだけならまだしも電車に忘れて来たりするかもしれない。大人になったら少しは改善されるのかと思いきや、考えてみれば『あの』朝比奈さんもけっこうこつものだったし、根っからのオッチョコチョイなのかもな。

 そんなことを考えていると、靄の形がじよじよに固形物の様相をていしてきた。たぶんこれにも何かのくつがあるんだろう。知りたくもないが、しかしなぜか俺は黄土色のかたまりがどんな形を取ろうとしているかが解りかけてきた。

「……ひ」

 朝比奈さんだけがおびえていた。確かにあまり気持ちのいい外見ではないし、街中ではめつに見かけない。俺だって田舎いなかのばーさんえんの下で見かけたのを最後にもう何年もごだ。

 カマドウマという虫をご存じであろうか。

 知らんというかたには、ぜひこの目の前の光景を見せてあげたい。細部に至るまでよく解るぞ。

 なんせ、全長三メートルはありそうなカマドウマだからな。

「なんだ、こいつは?」と俺。

「カマドウマでしょう」と古泉。

「それは解ってる。俺はようえん時代にこんちゆう博士として有名だったんだ。実物を見たことはないがウマオイとクツワムシの区別だってつくぞ。そんなことはいい、これは何だ?」

 長門がポツリとらした。

「この空間の創造主」

「こいつがか?」

「そう」

「まさか、これもハルヒのわざか」

「原因は別。でもほつたんは彼女」

 どういうことかときかけて、俺は長門が俺の言いつけをちよくに守っていることに気付いた。

「……もう動いていいぞ」

「そう」

 するりと手を下ろし、長門は実体化しつつあるきよだいカマドウマを見つめた。げ茶色をした便所コオロギが、俺たちから数メートルはなれた場所に降り立とうとしている。

「おや。不完全ながら僕の力もここでは有効化されるようですね」

 古泉が片手に持っているのは、ハンドボール大の赤い光球だった。どっかで見て以来、二度と見たくないと思っている紅玉だ。てのひらから出してきたらしい。

りよくへい空間での十分の一といったところですか。それに僕自身が変化することはできないようですね」

 なぜか古泉は、きたそうかいスマイルを長門に向けて、

「これでじゆうぶんだと判断されたのでしょうか?」

「…………」

 長門はノーリアクション。重ねて俺がたずねた。

「それより長門よ。あの昆虫の正体は何だ。部長はどこにいる?」

「あれは情報生命体のしゆ。男子生徒の脳組織を利用して存在確率を高めようとしている」

 古泉がけんに指を当てている。考えているようにも見えたし、なんかの思念集中のさまにも見えた。顔を上げた古泉は、

「ひょっとして、部長さんは巨大カマドウマの中ですか?」

「そのもの」

「このカマドウマは……そうか、部長氏がイメージするの対象なのですね? これをたおせば異空間もほうかいする。ちがいますか?」

「違わない」

「解りやすいメタファーで助かりますね。ならば、ことは簡単です」

 解りやすくもなければ簡単でもなさそうだが。俺と朝比奈さんにも解るように言え。

「その時間は今はないようですが?」

 を上げるな、やさしく微笑ほほえむな、その赤い球をどこかにやれ、それから俺のこしにしがみついてる朝比奈さんを何とかしてくれ。このままでは俺がナントカなりそうだ。

「ひょええ」

 朝比奈さんはふるえるばかりか、俺の行動はんをもうばっている。これでは俺がげられないじゃないか。

「その必要はないでしょう。すぐ済みますよ。そんな確信がなぜかするんです。《神人》をるよりも楽そうだ」

 実体化を終えたカマドウマは、今にも飛び上がらんとせんばかりだ。何メートル飛ぶかな。測ってみたい気も……やっぱりしない。

 俺はぶっきらぼうに言った。

「さっさとやれ」

りようかいしました」

 古泉は紅玉をほうり上げると、バレーボールのサーブのようにたたきつけた。正確無比に飛んだ赤いハンドボールは、化けカマドウマの真正面からげきとつし、紙風船がれつしたような音を立てた。こうげきの仕方もマヌケだが、相手も相当マヌケだな。少しははんげきするかとかくしていたのに、カマドウマは逃げもびもかいおんとどろかすこともなく、ただ静かにそこでじっとしていた。

「終わりですか?」

 古泉の質問に、長門がしゆこう。ほんとにさっさと終わってくれたもんだ。

 巨大カマドウマは元のきりじようたいへと拡散して、さらにどんどんうすくなっていく。四方でらめく黄土色のもやも消えていく。足裏の冷たいかんしよくもだ。

 そのだいしようのつもりか、見慣れた制服姿の男が登場していた。あおけに倒れすコンピュータ研の部長氏。

 パソコンラックの前で、からずり落ちたみたいな格好で目を閉じている。生きてはいるようだな。わきかがみ込んだ古泉が首筋に手を当てて、俺にうなずいて見せた。

 長門はほんだなの前に立って、ベッド脇でぼうぜんとする朝比奈さんと俺を見つめていた。

 ワンルームマンションの一室である。どこにあの広大な空間があったのかと思うね。

 何はともあれ、よかったことだ。灰色だろうが黄土色だろうが、広いところに閉じこめられるのはもうけっこう。



「約二億八千万年前のことになる」

 そう言って説明し出した長門の宇宙的怪電波を、かみくだいてせんめれば次のようになる。

 二だかさんじようだかに地球に降下した『そいつ』にとって、当時の地上にはしろとなるものがなかった。存在ばんを失ったそいつは自己保存のためにとうみんくことにした。地球に自分が存在できるような情報集積体が生まれるまで。

「地球にはそれにとっての存在手段がなかった。それは活動をとうけつし、ねむりに就いた」

 やがて地上に人間たちが生まれ、人間たちはコンピュータネットワークを生み出した。このせつな(と長門は言った)デジタルじようほうもうは、不完全ながらなえどことして利用することが可能だった。ただしじゆうぶんではなく、そいつは半かくせい状態にとどまった。しかし目覚めをうながす出来事が起こる。そいつにとっての目覚まし時計代わりになったのは、ネットに流された一つのばくざい。それは通常の数値では量ることの出来ない情報を持っていた。この世界には存在しないデータである。異界の情報データ。そいつにとって、それこそが待ち望んでいた依り代だったのだ……。

 長門はたんたんと語り終えた。

 話しながら部長宅のパソコンをいじっていた長門が、SOS団オンラインサイトを表示させ、破損したSOS団エンブレムをモニタに映し出す。

「涼宮ハルヒのえがいたインヴォケーションサインがきっかけ。とびらとなった」

「……このSOS団エンブレムは、さっきの、アレか、召喚魔法円か何かになってたのか」

「そう」と長門は首を縦に動かした。「このSOS団もんしようは、地球の尺度にかんさんすると約四百三十六テラバイトの情報を持っている」

 そんなことはない。十キロバイトもなかったぞ、あの映像データは。しかし長門は平然と、

「地球上のいかなる単位にもがいとうしない」

「すごい確率ですね。たまたま描いたシンボルマークがそっくりそのまま該当したのですから。まさに涼宮さんです。天文学的数字をものともしません」

 古泉は本気で感心しているらしい。だが、俺は本気できようしかけていた。何を恐怖するかって?

 ハルヒはたいがいのことを単なる思いつきでおこなっている。SOS団結成もそうだろうし、メンバー集めだってそうだ。朝比奈さんはマスコットキャラにうってつけだったからで、古泉は転校してきたからで、長門は最初から居た。でもって、朝比奈さんは未来人で古泉はちよう能力者で長門は宇宙人モドキだった。出来すぎている。実際、古泉はぐうぜんではないと言い、ハルヒがそう望んだからだなんていうタワゴトをほざいていた。俺だってもう少しで信じるところだったがそうはいかん。なぜなら俺自身は単なるつうじんだからだ。それだけで充分反証になるだろう。古泉のくつでは俺にだってめられた電波プロフィールがないとおかしいことになる。なるはずなのだが……。

 無意味だと思っていたハルヒの行動のすべてに裏があるとしたらどうだろう。それは本人も知らない意味だ。たまたま頭に思い描いた自作文字がどこかの宇宙人へのメッセージになっているような。ねこにキーボードをたたかせて意味の通る文章が生み出されるような。そんなのの確率はいかほどのものだ?

 確率統計のかべをやすやすととつして無意識のうちに正解に辿たどり着く涼宮ハルヒというめいわく女、こいつが俺をパシリか何かと考えてSOS団に参入させたのならまだマシだ。ああ、そうだとも。俺自身にバカくさいなぞな裏設定があることになっている、と考えるよりも全然いい。それで、あるのか? 俺になんか知らんとんきような変な能力かあるいはじようが。

 だから俺を選んだのか? 俺の知らない俺の秘密なんてのが、実はあったりするんじゃないだろうな。

 俺がおそれるのは次の一点だ。


 俺は何者なんだ。


 俺は古泉を真似まねかたをすくめてみた。やれやれ、ってやつだ。自分の役割は自分が一番よくわかっている。早い話、俺はSOS団ゆいいつの良心なのだ。そうにちがいない。ほかの団員三人とは本質からして異なるのさ。ハルヒを説得してまっとうな高校生活を送らせるために俺はSOS団にいるのだ。あいつに非合法な部活をやめさせ、自主解団させることが俺の任務なのだ。よくよく考えれば、それが平和な世界へと辿り着くための早道だ。いや、一本道なのだ。

 世界をハルヒの思うとおりに変えるより、ハルヒの内面世界を変えるほうがまだ簡単でだれも困ることがないだろう。

 もっとも、俺があいつにみようなインスピレーションをあたえなければSOS団もなかったのかもしれんけどさ。そこはほら、ええと、ケースバイケースだよ。なんとかやってみせるって。いつの日のことになるかとか、なんで俺がそんなことをせにゃならんのかとか、俺にも解らないけどな。

 それはいったん横に置いておく。

「それで結局あのカマドウマは何だったんだ」

 とりあえずたずねておかないと話が終わりそうにない。長門はいかにも二酸化炭素をくついでだというような口調で、

「情報生命体」

「お前のパトロンのしんせきか?」

「遠い昔に枝分かれした。起源は同一だが異なる進化をげ、めつぼうした」

 と思ったら、ここに生き残りがいたわけだ。よりによって地球でとうみんすることはないだろう。海王星あたりでてたらいいのに。こおったようにねむれてただろうに。

 インターネットの発達がじやしんモドキのおんしようになるとはね。ふと思いついた。俺はゆかにへたり込んでいるがらな上級生に、

「朝比奈さん、未来のコンピュータはどの程度まで進化してるんですか?」

「え……」

 朝比奈さんはくちびるを開きかけて止まる。どうせ禁則とやらだろうから期待していなかったが、こたえたのは別人だった。

「このような原始じようほうもうは使用されていないはず」

 長門が空気を読まずに言った。パソコンを指差し、

「地球人類程度の有機生命体でも、おくばいたいたよらないシステムを生み出すことは容易」

 長門は視線を横にずらした。そこには朝比奈さんがいて、青ざめていた。

 そうなんですか?

「それは……その……」

 口ごもり、朝比奈さんはうつむいた。

「言えません……」

 うめくような声で、

「否定もこうていすることも、あたしには権限が与えられていません。ごめんなさい」

 いやそんな。謝ることでもないっすよ、マジで。別にどうしても知りたいとも思いませんし──こら古泉、何でお前が残念そうな顔をしていやがるんだ。

 俺は朝比奈さんを救うべく、話題を変えることにした。えーと、何があったっけな、そうだ。

「おかしなことがある」

 自分に全員の注目が集まるのを待って、

「俺はハルヒがアホ絵を映しているときに居合わせたが、何も起こらなかったぞ。だいたいハルヒが絵を完成させたときになんでそいつは出てこなかったんだ?」

 答えたのは古泉だった。

「あの部室ならとっくに異空間化していますからね。何種類もの様々な要素や力場がせめぎ合い打ち消しあって、かえってつうになってしまっているくらいです。ほう状態と言ってもいいでしょうね。すでに限界まで色んなものがけて容量を満たしているわけですから、それ以上溶け込む余地はないというわけです」

 なんてくつだ。というか文芸部室はそんなおそろしげなくつになっているのか。まったく気付かなかったぞ。

「常人には余計なセンサーが付いていませんから。そうですね、そのままでも無害だと思いますよ。多分ね」

 やれやれだ。夏でも体感気温がすずしくなるくらいならいいのだが、知らないうちに気がヘンになってるとかくびつり用ロープ探してるとか、俺はいやだぜ。

「心配しなくともだいじようですよ。そうならないように、僕や長門さんや朝比奈さんも心をくだいてがんばっていますから」

 三人ががんばっているから、そんなことになってるんじゃないだろうな。

 古泉は微笑ほほえみ、「さて?」とでも言うように首をかしげて両てのひらを上向けた。

 俺はパソコンの画面へ目をもどす。こわれたSOS団のシンボルマークを見ているうちに、なぜか気になった。マウスを操作してカーソル移動、画面の下へ。

「げっ」

 アクセスカウンタが映っていた。なぜかそれだけは正常化して、ビジター数をたたき出している。俺が最後に見たそこの数字は三けたなかった。今、我がSOS団サイトのカウンタは、一十百千……なんと三千近く回っていた。なんだこれは。どこかにさらされているのか?

「ハイパーリンクがあちこちに張られている」

 長門が静かに言う。

「この情報生命体はそうやってぞうしよくする。とてもせつ。サインを見た人間の脳へ自情報を複写し、限定空間を発生させる仕組み。なるべく大勢の人間が必要」

「では、これを見た人間……三千人近くが、部長と同じことになってるのか」

「そうでもない。このしようかんもんしようはデータが破損している。正しい情報元を参照した人数はそれほど多くない」

 たぶんサーバ異常だと思うが、それで助かったな。

「何人くらいだ? あやしいリンクをクリックして、まともに模様を見ちまったアホは」

「八人。そのうち五人は北高の学生」

 ならばその八人も、黄土色時空に引き込まれているんだな。カマドウマとは限らない、何かのメタファーとやらが支配する空間にさ。助けに──まあ、行く必要があるんだろう。古泉が長門にそいつらの住所をいているし(なぜそんなことを長門が知っているのか俺はもうおどろいたりしないぜ)、朝比奈さんも二人についていくつもりのようだ。なら、俺も行かないとダメだろうな。一番悪いのはハルヒだが、この魔法円みたいなのをネットに垂れ流してしまったのはこの俺なんだし、そのしりぬぐいくらいはしてやったほうがいい。

 俺のめが気分のいいものになるためにも。

 北高のがいしやたちはともかく、ほかの三人を救い出すには、どうやら新幹線に乗らないといけないみたいだけどな。



 さて。

 テスト休み明けのことだ。後は夏休みを待つばかりとなった部室での一幕。

 ハルヒは、部長氏が学校に来ていることを教えてやると、

「ふうん。あっそ」

 と言っただけで教室を飛び出し、いまごろは学食でたらふくってることだろう。古泉と朝比奈さんはまだ来てない。

 ちなみに例のハルヒ考案SOS団シンボルマークは、長門がリテイクしてくれたものをり付け直した。今度は上手うまくアップロードできたのは、さて、なんでだろうね。これから見るやつはよーく目をらすといい。ハルヒのヘタクソ絵とほとんどちがわないが、注意深く比べると「ZOZ団」といてあるのがわかるはずだ。たったそれだけの違いで、変な物が出るか出ないかのぎわなのだ。

 今回の警句は、見知らぬアドレスのリンクをほいほいクリックするなってことにしたいと思うのだがどうだろう。

 そんなことを考えつつ、俺はテーブルのはしで数字がれつした専門書を読んでいる長門をぼんやりとながめていた。

 こうして長門の顔を見ていると、ひょっとしてと思えてくることがある。

 ハルヒのしようかん画像にこいつがいつ気付いたのかは解らないが、データをかいしてくれたのはこいつなのではないか?

 もう一つ、この事件を持ち込んでくれた喜緑江美里さんのこともある。ついさっき、コンピュータ研の部室でたずねたところ、ここの部長には彼女はいないはずなのだそうだ。数日間のおくそうしつなやんでいたものの、元気そうになっていた本人がそう言った。どうもうそいている様子はなかったし、ズバリ喜緑さんの名前を出してもポカンとするだけだった。こんなリアルな演技ができるほど部長氏は芸達者ではないよな。

 俺は疑う。

 喜緑さんがSOS団に来たのは、果たして本当にらいのためだったのだろうか。考えてみれば、あまりにもタイミングが良すぎた。ハルヒがイタズラ描きをして、俺がサイトに貼り付ける。それを見た何人かが情報生命体とやらに異次元に連れて行かれる。おとずれた喜緑さんに話を訊き、俺たちが部長宅へ向かう。そして、何とか退治する。

 絵に描いたようなシナリオだ。その中心にいたのはいつも長門だ。このばんのう宇宙人たんまつが喜緑さんをどうにかすることで俺たちに事件をもたらしたのだとしても、クドいようだが俺はちっとも驚かない。

 依頼人ごっこを演じることで、ハルヒの退たいくつをほんの少しでも解消させてやろうと考えたのかもしれない。この程度の事件なら、俺たちを巻き込まなくても長門一人で終わらせることができたはずだ。いつもはそうなのか? だれにも言うことなくかげでひっそりと、何かおかしなモノを未然に防いだりしているんじゃないだろうな。

 窓からき込む風が長門のかみと本のページを巻き上げた。白い指がそっと本の端を押さえ、白い顔はせられたまま目だけが文字を追っている。

 それとも。俺たちを巻き込んだのは長門の希望だったのだろうか。殺風景な部屋で何年も暮らす宇宙人製の有機アンドロイド。無感情に見えるだけで、やはりこいつにもあるのだろうか。


 一人でいるのはさびしい、と思うことが。

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