エピローグ

 文化祭が始まって、俺のやることはなくなった。

 実際問題、イベントごとは準備段階が一番みんな楽しがっていると思うね。いざ始まってしまえばバタバタしているうちに時間が過ぎるだけで、あっと言う間に後片付けの時刻になる。だからその時が来るまで、俺はせいぜいブラブラさせてもらうとしよう。今日と明日くらいは俺一人が何もしなくてもだれも文句はないだろうさ。

 ゆいいつ文句を垂れそうなハルヒなら、いまごろバニーガールとなって校門前でのビラ配りの最中だ。担任岡部や実行委員会が止めにはいるまでに、さあ、何枚くことが出来るかな。

 俺は部室から出て、かつきようていし始めている校内へと歩き出した。

 ねんしていた現実の変容とやらは収まってくれたらしい。古泉がそう主張して長門が保証したからにはそうなんだろう。シャミセンがしやべらなくなったことで俺はそれを知った。今や長門級の無口さだ。いまさらたたき出すのも何だし、この際飼ってやってもいいかと俺は考えている。妹も動くぬいぐるみが出来てうれしそうにしていたからな。家族には「元の飼い主は旅行先に移住することになった」とでも言いわけしておこう。

 オス三毛は時たまニャアとか言っているが、俺がそう聞こえているだけで本当は別の言葉を喋っているのかもしれない。まあ、どうでもいい。

 なくなったと言えば、おかしなことだが前日までよく目にしていたみようかつこうの連中が出ていそうな演目も文化祭になかった。

 実行委員発行のパンフを見てもどこにもなく、それらしいことをしてそうな教室を覗いても(演劇部とか)、どこにもまったくいない。あいつらはいったい誰だったんだろうか。

「さて」

 無意味なつぶやきをらし、俺は校舎を練り歩いていた。

 実際に学校内を異世界人がウロウロしていたとしたらどうだろう。そして、彼らがいかにも異世界ファンタジーっぽいしようを着ていたとしたら。そう、まるで長門みたいな。

 だとしたら、長門はハルヒに対する目くらましのために、故意にあんな恰好をして終始歩き回っていたのではないだろうか。あたかも、こんな衣装は文化祭の見世物のためのものに過ぎないという印象をハルヒにあたえるために。

 長門はもくして語らないのでわからないが、俺の知らないところで別のたたかいを演じていた可能性だってある。今回やけにおとなしかったしな。地球のめつを救うようなことをしてたとしても、あいつは無言を押し通すだろう。いたら教えてくれるかもしれん。が、どうせ言葉では伝えきれないような内容だろうし聞いたところで俺に理解できる頭があるとも思えない。

 だから俺も黙っていた。特にハルヒには、ずっと黙っておくべきだろうな。



 余談だが、SOS団製作の映画はちようかく室で上映されていた。いちおう映画研究部の作品との二本立てということになっている。ハルヒが映研にねじ込んでかつなしくずし的にそうさせることにしてしまったわけである。プロジェクターのある教室はそこしかない。映研は最後まで難色を示していたが、ハルヒの決定に逆らえる人間はこの世界には存在しないらしく、結局押し切られてCM入りメタクソ映画をき合わせ上映することになっていた。

 ちなみにSOS団なる団体は文化祭実行委員的にはないことになっているので、文化祭のプログラムのどこを見ても『朝比奈ミクルのぼうけん』なる演目はさいされていない。人気投票ベスト1はあきらめたほうがよさそうだ。その投票分はすべて映研に行くことになるだろうな。

 さらに余談。ハルヒにさつえいを思いつかせることになった深夜放送の映画だが、調べたところゴールデングローブ賞受賞ではなく、かなり昔のカンヌ国際映画祭に出品された「だけ」というれ込みのシロモノだった。あいつ、何をどうかんちがいしてたんだ? ためしにレンタルしててみた。最初の三十分でちまった。そのためおもしろいのかつまらないのかも解らない。返しに行くまでにもう一回くらいチャレンジしてみようと思っている。



 せっかくだから一年九組の演劇もかんしようしてやることにした。

 古泉は終始微笑ほほえみながら演技を続け、最後にマヌケな死にぎわむかえるというわけの解らんやくがらで、ハルヒの映画とどっこいのアホらしさだが観客にはけっこうウケていたようだ。これは主演が古泉だったことで俺の頭に変なバイアスが出来てしまっていたからかな。古泉の演技は演技に見えず、の古泉にしか見えなかったというのも俺にとってはマイナスだ。

 カーテンコールのはくしゆこたえて出てきた古泉は、俺に向かって片目を閉じ、うすわるいウインクが届く前に俺は教室を出た。ついでに長門のクラスも冷やかしてやろうとしたのだが、うらない大会教室前にはすでにちようの列が出来ている。ちらりとのぞいてみると、暗幕だらけの室内で暗黒衣装を身につけた女子生徒たちが何人か配置されていて、長門の無機質な白い顔もその中にあった。机に設置したすいしよう球に手をかざしてたんたんと客に何かを告げている。せ物探しくらいにしておけよ、長門。



 映画と映画にまつわるゴタゴタは、「そんなものは結局、フィクションである」ってことを解らせることで何とかなったようだ。だが、この現実世界そのものをフィクションですと言って済ませることはできない。俺やハルヒや朝比奈さんや長門や古泉はちゃんとここにいて、「実はそんなやついない」で終わらせるわけにはいかない。いずれ全員が散り散りバラバラになってしまうのかもしれないが、少なくとも今ここにはSOS団は存在し、団長も団員もそろっているんだ。俺の知っているこの世界ではそうなっているのだからな。つまり長門ふうに言えば、「俺にとっては」。

 ま、何て言うかね、もしかしたらすべてはおおうそなのかもしれないと思うことだってあるわけだ。ハルヒには何の力もなく、朝比奈さんと長門と古泉がそうだいな嘘八百を俺に見せているだけの、白いはとはただペンキり立てで、シャミセンは腹話術か内蔵マイクで、秋の桜もミラクルミクルアイこうげきも全部、仕込みに過ぎなかったのかもしれない、なんてことをな。

 だとしても、だからそれがどうしたとしか思えない話でもあるけど。

「そりゃねーか」

 いずれにしたってそんなの今はどうだっていいことだ。ハルヒと二人でどこかに閉じこめられて俺だけ困るよりも、みんなで困っているほうが一人頭の負担は軽減されるのは計算するまでもない。不幸中の幸いにしてSOS団団員は俺だけじゃないんだからな。

 まともな人間は俺だけだが。

 一年五組と同じく、単なるきゆうけい所になっている教室の時計が目に入った。

 おっと、こうしている場合ではない。そろそろ約束の時間である。せっかくの割引券を使わない手はないだろう。どんなしようなのかも気になるし。

 朝比奈さんの待つ焼きそばきつてんに出向くため、俺は谷口と国木田との待ち合わせ場所へ急いだ。

このエピソードをシェアする

  • ツイートする
  • シェアする
  • 友達に教える

関連書籍

Close