第五章

 月曜の朝は、すでにもう文化祭まで一週間を切ってるってのに相変わらずユルい空気だった。本当に文化的な祭りをする気があるのかこの学校は。もっとバタバタしててもいいんじゃないか? いくらなんでもゆうちようすぎるような気配だ。おかげでこっちはタルい。しかも教室へと歩いているちゆうに、さらにタルくなりそうな場面が俺を待ち受けている。

 俺の教室の前で、古泉がかべにもたれて立っていた。昨日あれだけしやべっといて、まだ何かあると言うのか。

「九組の演目、たいげいが早朝からありましてね。ここにはたまたま通りかかったんですよ」

 朝からお前のニヤケづらを見たりしたくはなかったが。

「どうした。あのマヌケ空間がやっぱりまた発生したとか言うんじゃないだろうな」

「いえ。昨日はとうとう出ませんでした。どうも今の涼宮さんはイライラするより、しょんぼりすることにいそがしいみたいですよ」

 なぜだろう。

「解っておられるはずですが……。なら説明しましょう。涼宮さんは、あなただけは何があろうと自分の味方をすると思っていたのです。いろいろ文句を付けつつも、あなたは彼女のかたを持つわけです。何をしでかしたとしても、あなただけは許してくれるだろう、とね」

 何が、とね、だ。あいつのすべてを許せるのは、とうの昔にじゆんきようした歴史上の聖人くらいだぜ。言っておくが俺は聖人でもじんでもない、常識的なぼんじんだ。

「涼宮さんとはどうなりました?」

 どうもなってたまるか。あのままだ。

「元気を出すように言ってもらえませんかね? 白いはとならまだ可愛かわいいものです。このまま涼宮さんの気分がしずみ続けると、神社の鳩がもっと鳩らしからぬモノに入れわってしまうかもしれませんよ」

「何にだよ」

「それが解ったら苦労はなしです。ネトネトして複数のしよくしゆい回るようなものの大群がけいだいうごめいていたら不気味でしょう?」

「塩をけばいい」

「それでは根本的な解決にはなりませんね。現在の涼宮さんは宙ぶらりんです。今までは映画さつえいを通して積極的に現実を変容させてしまったわけですが、昨日のあなたとの一件で、いきなりベクトルが逆走してしまいました。ポジティブからネガティブへです。それで事態が収まればいいのですが、このままではより一層ひどいことになりそうなんですよ」

「それで。俺にあいつをなぐさめろって言うのか?」

「そうややこしい話でもないでしょう。元のさやに戻ってくれればいいだけですから」

 元も何も、俺はそんな鞘に収まっていたことなんかないぞ。

「はて。あなたの頭も冷えているころいだと思っていたのですが、見込み違いでしたか?」

 俺は押しだまった。

 昨日カッカきちまったのは、朝比奈さんへのぼうぎやくを見かねた俺の善良なる心がそうさせた──とも限らない。カルシウムが不足していただけなのかもな。昨日の晩に牛乳一リットルほど飲んでて起きたら、不思議と治まったからな。プラシーボ効果かもしれないが。

 かと言って、なぜ俺のほうから歩み寄らねばならんのだ。だれがどう判断したって、あいつはハシャギ過ぎだったろうが。

 古泉はえづいたねこみたいにのどを鳴らす笑い声をらし、俺の肩をハタいた。

「よろしくたのみますよ。きよ的に、あなたが一番近い場所にいるのですから」



 真後ろに座るハルヒとは俺がり向かない限り目を合わすことがない。今日は一段と空模様が気になるようで、ハルヒはほとんど窓の外をながめていて、そのままの状態を昼休みまで続けていた。

 加えて、どういう伝染病なのか、谷口までもがごげんななめだった。

「何が映画だ。昨日は行って損した」

 昼休み、弁当をいながら谷口はにくまれ口をたたいていた。休み時間のハルヒはめつに教室におらず、今もそうだ。いたらこいつもそんなことを言えないだろう。気の小さいやつに限って安全けんでは声が大きいのさ。

「涼宮のやることだ。その映画とやらもどうせゴミみたいなものになる。決まってるぜ」

 誰に言われたっていい。俺は自分がえらい人間だとは思ってないし、歴史に名を刻むこともしそうにない。かたすみのほうで一人ブツブツつぶやいているような人間だ。自分じゃ料理も出来ないのに母親の作った食い物にイチャモンをつけるようなことが得意だ。

 だがこれだけは言っておきたい。ので、俺は言った。

「お前にだけは言われたくないぜ」

 谷口、お前は何をやっている? 少なくともハルヒは文化祭に参加して何かをしようとしている。めいわくせんばんなことにしかならないだろうが、少なくとも何もしないで文句だけ言ってる奴よりマシだ。このアホめが。全国の谷口さんに謝るがいい。貴様と同じ名字であることはお前以外の谷口さんたちにとってかいでしかないぞ。

「まあまあキョン」

 国木田が間に入った。

「彼はスネてるんだよ。ほんとは涼宮さんたちともっと遊びたいんだ。キョンがうらやましいんだよ」

「んなこたぁねえ」と谷口は国木田をにらんだ。「俺はあんなアホ集団の仲間入りをする気はねえ」

さそわれたらついていくクセに? 昨日だって喜んでたじゃん。どっか出かける予定をキャンセルしてまでさ」

「言うな、バカ」

 谷口が不機嫌なのはそのせいだったのか。せっかくの予定をすっ飛ばして来たと思ったら、ほとんど写してもらえないまま退場を宣告されたのだからな。池にまで落ちていた。なるほど、同情にあたいするかもしれない。だが俺はそんな気にはなれないね。なぜなら、俺は俺で腹を立てていたからだ。

 ハルヒの映画が目も当てられないほど下らないものになるのは俺にもわかっている。いつもの後先考えない全力しつそうをやってるわけだから、その日その時間にりたいと思ったことを撮っているだけ、つながりも演出も何にもなしだ。それですごい映画が出来上がったりしたら、それは天才のわざで、そして俺の見たところハルヒにかんとくの才はない。だからと言って、それを他人からてきされるのは──さて、なんで腹立つのかと言うと……。

「どうしたのさキョン。今日は涼宮さんもいつもより機嫌悪そうだしさ。何かあったの?」

 国木田の声を聞きながら俺は考えていた。

 俺も谷口と同じだ。ハルヒの言うがままにへいこらしてはブツブツ言ってるだけだ。俺がこいつに感じたことは、そっくり俺自身にも当てはまる。ハルヒのやることなすことにツッコミを入れて回りうんざりする気分になるのは……、だから俺の仕事である。俺だけの役割だ。他人にゆずるつもりがないのではなく、そういうことになっているのだ。

 むしゃくしゃした気分で喰う飯のなんと美味うまくないことか。これでは作ってくれた母親に悪い。くそ、谷口のゲロハゲろう。お前が余計なことを言うからだぞ。だから、俺はこれからのちのちこうかいするようなことをしたくなってきたじゃねえか。

 俺は何をしたか。

 弁当箱にフタをすると、そのまま教室を飛び出したのだ。



 ハルヒは文芸部室にいて、ビデオカメラとパソコンを繋いで何かをやっているようだったが、俺がいきなりとびらを開けたのを見て、おどろいたように顔を上げた。左手に持ってるのはカレーパンか。

 そのパンをあわてたようにほうり出し、後ろに手をばしてかみさわっている──と思ったら、はらりと黒髪がほどけた。理由は知らないがくくっていた後ろ髪を慌てて解いたらしい。よく見ていなかったし、そんなことは後で考えればいいことだ。俺は今言わなければならないことを言った。

「おい、ハルヒ」

「なによ」

 ハルヒはせんとう態勢に移行しつつあるねこのような顔でいる。その顔に、俺は言ってしまった。

「この映画は絶対成功させよう」

 勢いというやつだ。一年に二回くらいは俺だってハイになる時がある。昨日頭に来たのだってそのせいだ。たまたまそれにかち合ってしまったのだよ。それが今日は古泉のみような話やら谷口のアホづらやらハルヒのうつがおが何かこう、こんがらがって俺もガタガタになってしまっていたのだ。このしようどうを放っておけば教室のガラスを叩き割って歩いてしまうかもしれないので、ここで解消しておくことにしたわけだよ。なんで俺はこんな言いわけをしているんだろうね。

「む」

 と、ハルヒは言った。そして、

「当然よ。あたしが監督するんだからね。成功は約束されているの。あんたに言われるまでもないわよ」

 何という単純さ。少しはしゆしような顔でも見せるかと思ったが、ハルヒの意味不明なまでにらんらんかがやひとみは、どこからじゆうてんしたものか再び自信のほのおが見えかくれするようになっていた。簡単すぎる。高レベルの回復ほうを延々自分にかけ続ける中ボス程度のやつかいさだが、俺は気にしない。必要なのはバランスだ。弱々しいやついちげきほうむり去ってオワリみたいなゲームは……何と言ったっけ、そう、カタルシスとやらがないのさ。意味はよく解らないしそもそも意味なんてないわけで、すなわち俺は、元気のないハルヒなんか不気味なので見たくはないのだ。こいつは常に果てしなく無意味かつこんきよなし目的地なしの脳内千メートルダッシュしているくらいがちょうどいい。変に立ち止まると余計にわけわっからんことを無意識にやっちまうみたいだしな。それだけ。

 ……と、この時の俺は思っていたらしい。



 その日の放課後である。

「もう少しほかに言い様はなかったのですか?」と古泉は言い、

「すまん」と俺は答えた。

「元気づけるとしてもですね、もっとこう……当たりさわりのないものにして欲しかったんですが」

「……すまん」

「元にもどったと言うより、さらにパワフルになってますよ?」

「…………」

「これでは隠しようがありませんね」

 反省しきりの俺に、古泉はおだやかな色をかべた目を向けた。非難しているわけではなさそうだが、その声はどことなくうれいの音階を帯びている。そうだろうな、事態は確実に悪化しているようで、どうもそれは俺のせいらしい。

 なんでかって? 知るか。

 桜が満開になっていた。ここは川沿いの桜並木通り、朝比奈さんが俺に正体を明かしてくれたあの遊歩道だ。さいかくにんしておこう、今は秋だ。確かにまだ残暑の名残なごりが消え去っていないとはいえ、つうに考えて日本ではソメイヨシノは春にくものだ。少々のフライングならば許してやってもいいが、半年ばかり早い。太陽のバカさ加減に桜まで付き合うことはないだろう。

 はな吹雪ふぶきう中で、ハルヒ一人がエンジン全開だった。キワキワウェイトレス姿の朝比奈さんがよちよちわたわたしているのは、時季外れの花見客がそこらじゆうにいるせいだな。

「なんて都合がいいのかしら! なんとなく桜のが欲しいなあって思っていたのよ。らしいタイミングの異常気象ね!」

 ハルヒはこうかくあわを飛ばし、朝比奈さんに無体なポージングを強制していた。

 ダメだね、やっぱり。人間、一時の感情で何かやってしまうとそれは必ず未来の自分にね返ってくるもので、現に俺はこの半年間ずっと似たようなことばかり反省している気がする。「あの時ああすればよかった」ではなく「するんじゃなかった」という実に後ろ向きな一人反省大会だ。だれじゆうを貸してくれ。モデルガンじゃないやつを。

 桜の木々は昼すぎにつぼみふくらませ、夕方には満開になっていたそうだ。秋の椿ちんとして、地元のローカル局がちゆうけいにまで来ている。たまにはこんなこともあると思ってもらいたいね。近年の地球規模な異常気象が遠因だ。そういうことにしておけ。な?

「涼宮さんはそう思っているようですね」

 少し前まで朝比奈さんとかたを並べてかわべりを歩いていた古泉が言う。外面だけはいいこいつとすべてがいい朝比奈さんのツーショットは、世の男性にとってはいらたしくなる効果しかないだろうと思えるくらいのハマリ役であって、俺をげんにさせた。

 長門は花吹雪にさしたる感想もなく、また表情もなく、体内時計のくるった桜たちをばくたる目でながめている。黒マントの上にピンクの花びらが数枚くっついて、ほんの少しのアクセントを演出していた。しろばとのことをこいつは知っているのだろうか。

「そだ! ねこつかまえましょう!」

 とつぜん、ハルヒが言い出した。

「魔女に使い魔がいるのよ。それは猫が一番しっくりくるわ! どこかに黒い猫落ちてない? 毛並みのいいやつ」

 待てよな。長門の初期設定は悪い宇宙人じゃなかったか?

「いいから猫よ! あたしのイメージではそうなってるのよ。猫のいそうな場所ってどこかしらね」

「ペットショップだろうよ」

 俺のおざなり返答に、ハルヒはめずらしくきようするようなことを言った。

猫でいいのよ。売り猫や飼い猫は借りたり返したりするのめんどうだしね。どこかの空き地に行けば猫がたまっている場所があるんじゃない? 有希、知らない?」

「知っている」

 長門はわずかなうなずきを返し、俺たちを約束の地に導く宗教的指導者のような足取りで歩き始めた。長門に知らないことなんかないんだろう。五年くらい前に俺がくした小銭入れのありいたら教えてくれるかもしれんな。当時の俺の全財産で、五百円くらいは入っていたと思う。

 徒歩で十五分ほど移動した後のとうたつ地点は、長門が一人暮らしをしているごうマンションの裏だった。手入れの行き届いた芝生しばふが広がり、周囲を植木がおおって外からの視線をしやだんしている。そこに何びきもの猫たちが群れていた。野良猫らしいが人慣れしているやつらばかりで、近寄ってもげようとしない。エサでもくれると思ったのか、足元にまとわりついてくるほどである。そのうちの一匹をハルヒは持ち上げた。

「黒猫いないわねえ。いいわ、この猫で」

 三毛猫で、貴重なことにオスだった。しかしハルヒはそれがどのくらい珍しいのか知らないようで、さくちゆうしゆつの結果におどろくこともなく、

「さあ、有希。これがあなたの相棒よ。仲良くしなさいね」

 ハルヒのき上げた三毛猫を長門はだまって受け取った。路上でティッシュをわたされたような無感動ぶりで、猫のほうも無感動に渡されている。

 すぐさまこの場でさつえいが再開された。マンションの裏側だ。もう場所なんかどこでもいいらしい。俺のビデオカメラにまっているのは、ブツ切れの思いつきカットばかりとなっている。これを編集してまともな一本の話にするのは、さて俺の仕事なんじゃないだろうな。

「有希、みくるちゃんにこうげきよ!」

 ハルヒの指令に、長門は変な姿勢のままうなずいた。猫をひだりかたに乗せている黒いしようほう使つかいである。どう見ても猫のほうが重量オーバーだった。三毛猫がおとなしく長門にしがみついているのはいいが、長門は首だけでなく身体からだ全体をかたむけて猫が落ちないようにバランスを取っていた。その不自然な体勢を保ちつつ、朝比奈さんに棒をる。

「くらうがいい」

 多分このシーンでは長門の棒から不可思議な光線が出ていることになっているのだろう。

「……ひー」

 と、朝比奈さんはもだえる演技。

「はいカット!」

 満足そうにハルヒはさけび、俺は録画停止。古泉はレフ板を降ろす。

「その猫、しやべることにするわ。魔法使いの飼い猫だもの、皮肉の一つくらいは言うわよね!」

 とんでもない。

「あなたの名前はシャミセンよ。ほらシャミセン、何か話しなさい!」

 話すわけない。と言うか、話さないでくれ。

 俺の願いが天に届いたのか、シャミセンなるきつな命名を受けた三毛猫は突然日本語を喋り出すことなく、尻尾しつぽづくろいを始めてハルヒの命令をシカトしていた。当たり前のことなのだが、ホッとする。

「順調ね」

 今日った映像をさいかくにんしながら、ハルヒは満足げに笑っていた。午前中までの表情がうそのようだ。切りえが早いってのはいいことだよな。それだけは感心してやっていい。

「キョン、その猫の世話はあんたに任せるわ」

 ディレクターズチェアを折りたたみ、無体なことを俺に命じた。

「家に連れ帰ってかんたいしてあげなさい。これからの撮影に必要だからね、ちゃんと手なずけておくのよ。明日までに芸の一つを仕込んでおいて。そうね、火の輪くぐりとか」

 長門のかたに乗ってじっとしてるだけでも、猫としては上出来な部類に入るだろう。

「今日はここまでね。明日からおおめよ! いよいよクライマックスへ撮影快調、体調はばんぜんだわ! みんなゆっくり休んで明日に備えなさい」

 メガホンを振りつつ解散を宣言したハルヒは『ブレードランナー』のエンディングテーマをハミングしながら一人で帰っていった。

「ふー」

 ため息でユニゾンをかなでる俺と朝比奈さんである。ほかの二人、古泉はレフ板をわきかかえて帰りたくを始め、長門はシャミセンに、インクの切れたボールペンを見るような目を落としていた。

 俺はこしを曲げて三毛猫の頭をでてやる。

「ごくろうだったな。後でねこかんおごってやるよ。それともしがいいか?」

「どちらでも構わない」

 朗々たるバリトンがそんなセリフをいた。この場にいるだれの声でもない。俺は古泉と朝比奈さんがポカンとしているのを見て、長門の無表情を見た。三人とも、同じ所に視線を向けている。俺の足元に。

 そこには三毛猫がいて、丸い黒目で俺を見上げていた。

「おいおい」と俺は言った。「今のは長門か? 俺はお前に訊いたんじゃないぞ。猫に訊いたんだ」

「私もそのつもりだった。ゆえに返事をした。私は何かちがったことを言ったのだろうか」

 と、猫が喋った。



「弱りましたね」

 これは古泉である。

「びっくりです。猫さんが言葉をしゃべるなんて……」

 これは朝比奈さんである。

「…………」

 長門はちんもくしていて、シャミセンを抱えて立っている。そのシャミセンは、

「私にはキミたちがなぜおどろいているのかがわからない」

 とか言って、長門の肩にしがみついていた。

 化け猫、ねこまたたぐいだ。何年生きたらこうなるんだっけ。

「それも私には解らない。私にとって時間の感覚など存在しないに等しい。今がいつなのか、いつが過去なのか、私には興味のないことだ」

 猫が喋り出すだけでも相当アレなのに、みように観念的なことをほざいている。肉球付きの分際で生意気な。三味線屋はどこにあるのだろう。タウンページにってるかな?

「確かに私はキミにとってヒトの言葉に聞こえるかのような音を出しているかもしれん。だが、オウムやインコの類でもそれくらいのことはするではないか。何をもって、キミは私が言葉通りの意味をこめた音声を発しているのだと確認するのか」

 何言ってんだ、こいつ。

「そりゃあれだ。ちゃんと俺の問いかけに答えているからだ」

「私が発している音声が、たまたまぐうぜんにもキミの質問に対する応答にがつしているだけかもしれないではないか」

「そんなのがまかり通れば、人間同士でも会話が成立していない場合があることになるじゃねえか」

 俺はなんで猫相手にこんななことを言ってるのかね? 三毛シャミセンはぺろりとまえあしめ、耳の下をく。

「まったくその通りだ。キミとそちらのおじようさんがあたかも会話しているかのようなこうを働いてたとして、それが正しい意思伝達をおこなっているかどうかなど、誰にも解らないのだ」

 やたらしぶい声で言うシャミセンだった。

「誰しも本音と立て前を使い分けていますからね」と古泉。

 お前はだまってろ。

「言われてみればそうです……よね」と朝比奈さん。

 すみませんが、あなたも黙っていてくださいませんか。

 芝生しばふに転がっていた猫どもを一ぴき一匹取り調べてみた。シャミセン以外の猫たちは「みい」や「にゃあ」や「うー」くらいしか話さないことが判明し、どうやらこのオス三毛猫のみがなぜかとうとつにヒト言語発声能力をかくとくしたらしいのである。なぜか?

 あのバカのせいだ。



げんきようは、あまりよろしくないようですね」

 ゆうにマグカップを口元に運びながら古泉が口火を切った。

「僕たちはまだまだ涼宮さんを過小評価していたようです」

「どういうことですか?」と朝比奈さんがしのび声。

「涼宮さんの映画内設定が世界の常識として固定されるおそれが出てきたのですよ。彼女が思いえがく映画の内容が現実化し、そのままそれがつうの情景になってしまうのです。朝比奈さんがレーザーを出したり猫がしやべり出したりね。もし彼女が『きよだいいんせきが落下してくるシーンをりたい』と思えば、本当に実現するかもしれません」

 現在、ハルヒを除くSOS団の四人が集合しているのは駅前のきつてんである。対ハルヒ対策のきんきゆう合同対策本部の設置を提唱した古泉に、全員が賛成した。どうやらしんけんに、ことは風雲急を告げる具合になっているようだった。見た目は高校生数人の他愛たわいのないだんしようで(笑っているのは古泉だけだったが)、やってることはとくさつヒーローものの悪役幹部が正義側の必殺わざふうじるための相談をしているようなさんくさあふれる会合なのだが。ちなみにシャミセンは、店の外の植え込みで待っているように、それから決して他人に話しかけたり応じたりしないよう申しつけてやった。特に不満の色もなく、「よかろう」とこたえた猫はなおに道ばたの常緑樹のかげに身をかくすようにうずくまり、我々を見送った。

「どうなるんでしょうか……」

 ひときわ深刻なのは朝比奈さんだった。気の毒なことに相当ヨレている。ハルヒ映画のおかげで一番神経をんでいるのは彼女だな。長門はデフォルトの無表情をくずさない。かつこうも黒ずくめのままである。

 古泉がホットオーレをすすり込みながら言っている。

「一つ解っているのは、このまま涼宮さんをほうっておくわけにはいかないということです」

「そんなもんはお前に言われるまでもねーよ」

 俺はお冷やを一気飲みした。注文したアップルティーはすでに飲み干している。

「だから、どうやってハルヒを止めるのかを問題にしてるんじゃないか」

「どうやってと言いましても、いまごろになって映画さつえいを中止させることがだれに可能でしょうか。少なくとも、僕には自信がありません」

 もちろん俺にもない。

 いったんエンジンがかかったが最後、ハルヒはスイッチを切らない限りどこまでも走っていってしまうのである。泳ぎを止めると死ぬ魚の一種なのかもな。系図を辿たどっていけばあいつの祖先にマグロかカツオがいるにちがいない。

 長門は何も考えていないような顔でシナモンティーをもくもくと飲んでいる。本当に何も考えていないのかもしれないが、すべてをわかっているから考える必要もないのかもしれないし、ただのきよくたんな口べたなのかもしれない。こいつばっかりは半年っても考えてることがさっぱり解らない。

「長門、お前はどう思うんだ。何か意見はないのか?」

「…………」

 音を立てずに受け皿へとカップをもどした長門は、なめらかな動きで俺を見た。

「前回と違って涼宮ハルヒはこの世界から消えていない」

 フリーズドライしたような声だった。

「それだけでじゆうぶんだと情報統合思念体は判断している」

 古泉が優雅に額を押さえた。

「しかし僕たちは困るのですが」

「我々は困らない。むしろ観測対象に変化が発生したのはかんげいすべきこと」

「そうですか」

 あっさり長門に見切りをつけて、古泉は再び俺に顔を向けた。

「では涼宮さんの映画がどのようなジャンルのものになるのか、それを決定づける必要がありますね」

 さあ、またこいつはわけの解らないことを言い出すつもりだぞ。

「物語の構造は大まかに分けて三つに分類することが出来ます。物語世界のわくみの中で進むか、枠組みをかいして新たな枠組みを作り上げるか、破壊した枠組みをまた元通りに直してしまうか」

 やっぱり演説を始めやがった。はあ? 何言ってるのこの人? みたいなもんだ。朝比奈さんも、そんなな顔でくもんじゃないですよ。

「ところで我々は枠組みの中にいるのですから、この世界を知るには論理的思考を働かせて推測するか、観測によって知覚しなければなりません」

 枠組みってな、何のことだ。

「たとえば我々のこの『現実』を考えてみましょう。僕たちがこうして生活している世界のことです。対して、涼宮さんの撮っている映画は我々にとってフィクションです」

 当たり前だろ。

「我々が問題視しているのは、そのフィクション内での出来事が『現実』にえいきようおよぼしているからです」

 ミラクルミクルアイ、はと、桜、ねこ

きよこうによる現実へのしんしよくを防がねばなりません」

 なんだか古泉はこういうことを話す時には元気になるみたいだな。やけに晴れやかな顔をしている。はんこうして俺はくもった表情をかべることにする。

「涼宮さんの異能力が映画作りというフィルターを通してけんざい化しているわけです。これを防ぐ手段は、『フィクションはあくまでフィクションに過ぎない』、ということを涼宮さんに解らせることなのです。今の彼女は、このかきを無意識のうちにあいまい化させていますから」

 よほど調子に乗っているんだな。

「フィクションでの出来事が事実ではないということを論理的手続きによって証明することが必要です。我々はこの映画を合理的に落ち着くようゆうどうしなければなりません」

「猫がしやべるのをどう正当化すればいいんだよ?」

「正当化というのは違いますね。それでは結局、猫が喋り出す世界が構築されることになってしまいます。我々の『現実』では猫は喋りません。喋る猫のどこかに何らかの間違いがあったことにしなければマズいのです。なぜなら猫の喋る世界は、我々の世界にはあり得ないものの一つなのですから」

「宇宙人と未来人とESPはあり得てもいいのか?」

「ええ、もちろん。だって現に存在していましたからね。我々の世界ではそれがつうです。ただし涼宮さんには知られてはいけない、という条件付きの」

 そうなのか?

「もし我々の世界をどこか遠くからながめている存在がいたとしましょう。その彼ないし彼女にとっての『現実』世界が、以前のあなたのようにちようじよう的な超自然現象のない世界──宇宙人も未来人も超能力者もいない世界です──だとしたら、この我々の『現実』はまさにフィクショナルな世界に見えることでしょうね」

 それがお前の言う神様の正体か。

「でもそれはあくまで外側から見た場合でのことです。あなたはすでにこの世界に超自然的存在──つまり僕とか長門さんです──が、ちゃんといることを知ってしまっている。その世界で生きている以上、あなたもまた枠組みの中で現実をにんしきするしかないのです。あなたの現実認識は、一年前と今ではすでにちがうものになっているはずですよ」

 知らないままのほうがよかったかもしれないな。

「それはどうでしょうね。まあ、一つ言えることがあります。涼宮さんは以前のあなたと同じ状態です。つまりまだ現実認識が変化するまでにいたっていない。口では色々なことを言いつつも、心の奥底では超自然的存在を信じていないわけです。彼女が見たものと言えばへい空間と《神人》ですが、涼宮さんはあの時のことを夢だと思っている。夢は虚構です。なので、この『現実』はまだ我々にとっての現実として形をとどめているというわけですよ」

 するってーと。

「ええ、ですからこのまま虚構が現実化していき、涼宮さんがそれらを『現実』だと認識すれば、まさに喋る猫の存在は『現実』の一つとして取り込まれます。猫が喋るなんておかしなことですから、喋る猫の存在を現実化するには世界そのものの再構築が必要です。猫が喋ってもおかしくない世界を、涼宮さんは作り上げようとするでしょう。おそらくSF的な世界観にはなりませんね。彼女の思考パターンから言って、そんなめんどうなことをするとは思えません。世界は一気にファンタジーの論理が支配するものになるでしょう。猫が喋ることに何のくつもいらないわけです。喋る猫がいる、というただその事実のみでじゆうぶんなのですよ。なぜ猫が喋るのかというエクスキューズはかいです。なぜなら猫とはもともと喋る動物だったことになるのですからね」

 古泉はマグカップを置いて、とうふちを指でなぞる。

「それでは困るわけです。今まで世界を構築していたがいねんがひっくりかえるからですよ。僕は人類の観測結果と思考実験をそれなりに尊重しています。その上で、何もしてないのに自然に喋りだす猫というものは観測もされていなければ予想もされていません。我々のこの世界にいてはおかしい存在なのです」

 お前たちはどうなるんだよ。超能力者だって似たようなものだろう。

「ええ、ですから我々もまた、世界にとってはていの法則をるがす異物です。我々が存在するのは涼宮さんのおかげでしょうね。ということは、この喋る猫もそうでしょう。彼女が映画に登場させようと考えた、まさにその存在です。どうやらですね、涼宮さんが作ろうとしている映画の内容と、この現実世界がリンクしようとしているようだ、ということがわかるのですよ」

 解ったところでなあ。なんとかならないのか。

「それにはまず、映画のジャンルを決定する必要があるのです」

 いい加減にしろと言いたいね。独りよがりな熱弁をるうのは、そりゃ本人は楽しいかもしれないが少しは聞いている身にもなれ。全校朝礼の校長訓辞にひつてきするウザさだぜ。見ろ、朝比奈さんもさっきから変に暗い顔になってるじゃないか。

 しかし古泉はまだしやべり足りないようで、

「もしこれがファンタジー世界での出来事なら、猫が喋ったり朝比奈さんが目からビームを出したりなどの現象には何の説明もいりません。その世界は、『もともとそういうふうになっている世界』だからです」

 俺は窓の外へ視線を移動し、シャミセンがまだそこにいることを確かめた。

「ですが、喋る猫やミクルビームが存在することに何らかの理由があれば、その時点で別の世界が見えてきます。我々が知らなかっただけで猫が喋ったり朝比奈さんがビームを出したりする現実は確かにあったのだ、ということになるのです。観測によって存在証明ができたわけです。しかしそのしゆんかん、我々の世界は変容します。超常現象がない世界から超常現象を内包した世界を認識し直さなければならないのです。我々の知っていた現実世界は、実はいつわりのものだったことになるのですから」

 俺はため息をついた。どうやってもこいつは語りをめないらしいな。

 つまり猫が喋るには喋るだけの理屈がいると、そう言いたいのか。でもそれならお前や長門や朝比奈さんはどうなるんだ。お前と彼女たちだって充分に超自然現象に分類されるんじゃないのか?

「あなたにとってはそうでしょう。自明の理のはずです。あなたにとって世界はすでに変容しています。高校に入学したばかりのあなたと現在のあなたでは、にんしきしている世界はとっくに別物なのではないですか? あなたの現実認識は、もはや以前のモノとは違っています。そしてあなたは新しい現実を認識しているんじゃないんですか? 我々のような存在が確かにいることを、あなたはもう解っているでしょう」

「俺に何を解れと?」

「映画の話にもどりますが、今のところ涼宮さんが作ろうとしているのは、おそらくファンタジーに分類されるもののようです。この映画の中では、ねこが喋るのも朝比奈さんや長門さんがほうじみた力を使うのも何の理由もいりません。ただそうなっている、それで充分なのです」

 じゃあ、化け猫や未来人ウェイトレスや悪い魔法使いに存在意義をあたえてやればいいのか。

「ところがそうもいかないのですよ。それどころか、存在意義など与えてしまってはそっちのほうが困るんです。観測者が物語のスタート時と結末時で『物語内の世界が変化』したことを確認してしまえば、まさに存在を認めることになりますからね。喋る猫が存在してもいい、というふうに世界のほうを変えてしまうのですよ。僕はこれ以上世界がややこしくなるのはあんまりかんげいしませんね」

 俺だって歓迎しない。長門サイドくらいだろうな、困らないのは。

「先ほど僕はジャンルを決定する必要があると言いましたが、ここでとあるジャンルに登場願えればいいのです。そのジャンルは、すべてのなぞちよう自然現象を解体し、合理的なオチをつけることによって、ゆがみかけた世界を元通りの世界に引き戻す性質を持っています。物語のスタート時にあった世界が結末時において復活し、謎のような現象はすべて合理的に解消する働きを持つゆいいつのジャンルがあるのですよ」

 何だ。

「ミステリですよ。特に本格ミステリと呼ばれるものの一部です。このジャンルの方法論を使えば、あたかも信じがたいように思えた現象はその通り、ただ『信じがたいように思えた』というだけで、なにもわざわざ超自然現象を持ち出さなくともよいことになります。喋る猫も朝比奈必殺ビームも、何かのトリックであったということにしてしまえばいいわけですから。我々の現実は変容することはないでしょう」

 きつてんのウェイトレスが、朝比奈さんを意識して無視するような感じで全員のカップを下げに来た。その姿が去るのを待って、古泉は、

「人語を話す猫がいるというのは明らかにこの世界の常識ではありません。にもかかわらず、ここに喋る猫は存在します。存在するはずのないモノが存在するわけです。これは我々の世界にとって非常に不都合なことです」

 水の入ったグラスに付着したすいてきを指ではじきながら、

「事態を解決するには、この映画に合理的なオチをつけなければなりません。猫が喋ったり、未来人がいたり、魔法使いの宇宙人がいることに対する、論理的にばんみんが──というより涼宮さんが──なつとくする結末です」

「あるか? そんなの」

「ありますよ。ごくごく簡単で、それまでのくつに合わない展開を一気に常識的なものへ転化する結末がね」

 言ってみろ。

「夢オチです」

「…………」

 ちんもくおとずれた。全員の間に平等に。やがて古泉は言った。

じようだんを言ったつもりはなかったのですが……」

 まえがみをつまんで指にからめているやさおとこに、俺はべつめた視線をした。

「ハルヒがそれで納得すると思うか? あいつはうそか誠かは別として、けっこう本気で何らかの賞をねらっているらしいぞ。それが夢オチだ? いくらあいつがアホでも、そこまで突きけたアホな映画にはしないと思うぜ」

「彼女がどう思うかではなく、我々の都合に合わせたオチを考えた結果です。映画の内容がすべて夢、嘘、ちがいだったということを作品内で自己げんきゆうするのが、一番よい解決法なのですよ」

 お前にとってはそうだろう。俺にとってもそのほうがいいのかもしれない。しかしハルヒはどうだろう。ひょっとしたらあいつの頭の中には、ほうもなく自画自賛すべきラストシーンが出来上がっているのかもしれんぞ。

 それに俺はもう夢がどうしたとかいうような話には二度とれたくないのだ。ついでにお前のクソおもしろくもない独断的事情説明にもな。



 自宅への帰り道にホームセンターに寄った。一番安い猫用トイレ一式と特売のねこかんこうにゆうし、一応領収書ももらって外に出る。シャミセンはまえあしで顔を洗いながら待っていた。俺は歩き出し、猫もついてくる。

「いいか、家では一言もしやべるな。ちゃんと猫らしくしていろ」

「猫らしく、という言葉の意味はわからないが、キミがそのように言うのなら従おう」

「喋るな。返事は、にゃあ、で統一しろ」

「にゃあ」

 連れて帰った猫を見て妹と母親は目を丸くした。俺は考えておいた嘘話、「こいつの飼い主である知人がしばらく旅行にいくことになったので一週間ほど預かることになった」と説明し、かいだくを得た。特に妹は喜び勇み、シャミセンの身体からだじゆうをぺたぺたさわっている。化け猫のほうはおとなしく「にゃあ」と鳴くのみだった。それはそれであまり猫らしくないかな。



 無事に夜が明けた。今日も俺は学校に行かねばならない。置いていくのも心配なのでシャミセンも連れて行く。スポーツバッグの中に入るよううながした俺に、シャミセンは「まあ、よいだろう」とえらそうに言って納まった。校門の近くで出してやることにしよう。

 文化祭まで残り数日となった我が校だが、まるでハルヒのテンションに連動するかのように、雑然たるふんを着実に増大させていた。昨日までの無気力ぶりはなんだったのかと思えるくらいである。

 朝っぱらからあちこちで鳴り物やら歌声やらが聞こえるし、看板や立て札みたいなものを作っている連中もそこら中にいるし、何をするつもりか不可解なしようを着た一団もウロウロしている。このぶんでは異世界人の一人二人が混じっていたとしても不思議ではなくなってきた感じだ。やる気ゼロなのは一年五組だけだったのだろうか。このクラスのやる気の全部をハルヒが吸い取りでもしているのかもしれないな。

 俺が教室に入ると、すでにハルヒは着席しておりノートにわしわし書きなぐりをおこなっていた。

「ようやくきやくほんを書く気になったのか?」

 自分の席に着きながらたずねる。ハルヒはふふんと鼻を鳴らしてくいっとあごを上げた。

「違うわよ。これは映画のキャッチコピー」

「見せてみろ」

 ノートを取り上げて目を走らせる。

『朝比奈みくるの秘蔵丸秘ごく映像まんさい! 見ないと絶対こうかい後の祭り! SOS団プレゼンツでお送りする今年最大の話題作! うんのごとく押し寄せよ!』

 いたずらにせんじよう的なだけだとか今年はあと二ヶ月くらいしか残っていないとかいうツッコミはふういんしてやってもいいが、これでは朝比奈さんが出ているということしか解らない。このコピーを読んでどんな映画なのか想像できる人間がいたら、俺は違った意味で尊敬する。まあさつえいしている俺にだってまだどんな映画か解らないんだし文句のつけようもない。ハルヒにも解ってないんじゃないか? それにしてもよく辞書なしで雲霞って書けたな。

「チラシを刷って当日に校門前でくわけよ。うん、効果バツグン! 文化祭くらいバニーのかつこうしてても岡部も何も言わないわよね!?」

 いや、言うと思うが。ここはおかたい県立高校なんでな。担任の胃を痛めるようなことはやめてやれ。

「それに朝比奈さんは店でいそがしいだろう。古泉と長門も自分たちのクラスでも何かやるんだろ、当日にヒマなのはお前と俺くらいだ」

 ハルヒはろんな目つきで俺を見た。

「あんたがバニーをするって言うの?」

 なんでそうなる。お前が一人でやればいいだろ。俺ならその後ろでプラカード持って立っていてやるさ。

「ところで知ってるか? 文化祭までもうそんなに日がないぞ。今週末の土曜と日曜が文化祭の当日だ」

「知ってるわよ」

「そうかい。のんびりしてるもんだから日付をかんちがいしてんじゃねえかと思ってたよ」

「のんびりなんかしてないでしょ。今もほら、あおり文句を考えてたんだし」

「宣伝のことを考えるより、先にやることがあるだろうが。映画はいつ完成するんだ?」

「もうすぐよ。後は足りないシーンをり足して、編集して、アフレコと音楽とVFXを入れたら出来上がりよ」

 そりゃおどろきだ。カメラマン的立場から言わせてもらえば、足りないシーンのほうが多いような印象を持っているのだが、いったいかんとくはどんな映画にすることを考えているのだろう。おまけにさつえいしゆうりよう後の作業に今までの倍くらい時間がかかりそうなのも、単なる俺の気のせいだといいんだが。



 三限と四限の間の休み時間だった。

「キョンくんっ!」

 教室にいたクラスメイトたちが残らずこしかせるくらいにバカでかい声がひびわたり、俺が反射的にそちらを見ると、鶴屋さんが戸口から顔をのぞかせていた。そのかたの横に朝比奈さんのやわらかなかみが見えかくれしている。

「ちょっとこっち来てっ」

 鶴屋さんのがおに引かれるように、俺はすっ飛んで行った。ハルヒは休み時間になるとどこかに消える習慣をしているので教室にはいない。たぶん、校舎のどこかをほっつき歩いてるんだろう。好都合だ。

 ろうに出た俺のそでを鶴屋さんは引っ張って、

「みくるが話があるって!」

 反対側の校舎まで聞こえそうな声でそうさけび、朝比奈さんの背中をばしんとたたいた。

「ほら、みくる、キョンくんにアレを!」

 おずおずとした手つきで、朝比奈さんは俺にぴらぴらの紙切れを差し出した。

「これ……。そのう、わわ、割引券です」

「あたしたちのクラスでやる焼きそばきつのやつだよっ」と、鶴屋さんが追加説明。

 有りがたく受け取ることにする。クーポン券みたいなものらしい。らつかんを押された印刷文字を読む限りでは、これを持って行くと焼きそばが三割引になるそうだ。

「お友達とおさそい合わせの上でおしください」

 ぺこりと頭を下げる朝比奈さんと、マンガのキャラみたいな口で笑っている鶴屋さんだった。

「それだけ! じゃあね!」

 さばさばと鶴屋さんは立ち去ろうとして、朝比奈さんもそれに従いかけ、しかしすぐに一人で俺のもとへともどった。鶴屋さんはそれを見ながらケロケロ笑い、立ち止まって待ちの姿勢。

 朝比奈さんは両手の指先を合わせて俺をちらちらとながめていたが、

「……キョンくん」

「なんでしょうか」

「古泉くんの言うこと、その、あまり信用しないほうが……。こんなこと言うと、あたしが古泉くんをアレかと思われるようで……その、イヤなんですけど……でも」

「ハルヒが神様だとか、そういう話ですか?」

 なら、そんなこと信じちゃいませんよ。

「あたしは、そのう……。別の考えを持っていて、つまりその、それは……古泉くんのかいしやくとは違うものなんです」

 朝比奈さんはふひゅうと息をき、俺を上目で見つめる。

「涼宮さんに、この『現在』を変える力があるのは間違いないです。でも、それが世界の仕組みを変えるものだとは思いません。この世界は、最初からこうだったの。涼宮さんが作り出したんじゃないんです」

 それはそれは……。古泉とは真っ向から反発する意見ですね。

「長門さんも違うことを考えていると思う」

 朝比奈さんは制服の前で指をからませながら、

「あの……。こんなこと言うとちょっと人聞きが悪いかもしれないんですけど……」

 はなれた場所で鶴屋さんがニヤニヤ笑いながら俺たちを眺めている。ひなに巣立ちをうながすツバメの親みたいな顔だった。何か誤解しているんじゃないだろうか。

 言葉をつむぐ朝比奈さんの口調はぼくとつとしている。

「古泉くんの言っていることと、あたしたちが考えていることは違うものなの。古泉くんのことを、そのぅ……あんまり信用しないで……と言ったらへいがあるけど、ええと」

 あわてたように手をって、

「ごめんなさい。あたし説明ヘタだし制限かかってるし……。あの、」

 うつむいたり、俺を見たりしていたが、

「古泉くんにはあっちの都合と理論があるし、あたしたちにもそう。たぶん、長門さんも。だから」

 朝比奈さんは、身体からだじゆうの気力を総動員したような決意に満ちた顔で俺を見つめた。な顔も可愛かわいらしい。このお顔を至近で拝見できる感激にふるえつつ、自信を持って俺は答えた。

わかってますよ。ハルヒが神様なわけないじゃないですか」

 あんなやつさいせんを投げるくらいなら、朝比奈さんを教祖にして宗教法人を立ち上げたほうが信者の集まりもいいというものだ。実印とたいばんを両方押してもいい。

「俺にはまだ古泉より朝比奈さんの意見のほうが解りやすいですよ」

 ちょっとだけ、朝比奈さんは微笑ほほえんだ。もしスイートピーが笑うのだったら、こんな感じになると思うね。

「うん。ありがと。でも、あたし自身には古泉くんにふくむところはありません。それも解っておいてくださいね」

 みようなことを言って俺をうわづかいで見上げると、げるようにさっと身体をひるがえした。いや別にきつくつもりはなかったですが。

 朝比奈さんは、小さく手を振ってから、親鳥の後ろをつけるカルガモの雛みたいに鶴屋さんの後を追いかけて行った。



 少しでも作業を進めておいたほうがいいだろう。そう思い、同時に何で俺こんなしゆしようなことを思ってんだとも思いつつ、パソコンをいじるためにおとずれた部室には先客がいてトンガリハットに暗幕マントのまま本を読んでいた。

 俺が何も言わないうちに、

「朝比奈みくるの主張はこうだと思われる」

 俺の心を読んだように長門はそう前置きし、

「涼宮ハルヒは造物主ではない。彼女が世界を創造したのではない。世界はこのままの形で以前から存在していた。ちようのうりよくや時間異動体、がいねん形地球外生命体などの超自然的存在は涼宮ハルヒが願望によって生まれたのではなく、元々そこにいたのである。涼宮ハルヒの役割は、それらを自覚無しに発見することであり、その能力は三年前から発揮されている。ただし彼女の発見は自己にんしきとうたつしない。彼女は世界の異常を探知できるが決して認識することはない。認識をぼうがいする要素もまた、ここに存在するからである」

 決して笑わないくちびるたんたんと言葉を紡ぐ。長門は俺の目をじっとのぞき込むように、最後にこう言って口をざした。

「それが、我々」

「朝比奈さんには古泉とちがう理由があって、ハルヒが不思議現象を見つけることが不都合なのか」

「そう」

 長門はまた開いた本に目を向ける。俺との会話などどうでもよさそうな態度だった。

「彼女は彼女が帰属する未来時空間を守るためにこの時空に来ている」

 何だか、重大なことをサラリと言われたような気がする。

「涼宮ハルヒは朝比奈みくるの時空間にとって変数であり、未来の固定のためには正しい数値を入力する必要がある。朝比奈みくるの役割はその数値の調整」

 紙のこすれる音も立てず、長門はページをっている。こうしつな黒い目をまばたきもさせずに、

「古泉一樹と朝比奈みくるが涼宮ハルヒに求める役割は別。彼らはたがいに相手のかいしやくを決して認めることはない。彼らにとって異なる互いの理論は自分たちの存在ばんるがすものにほかならない」

 待てよ。古泉は三年前に超能力が自分に宿ったのだと言ったぞ。

 俺の疑問に長門はそくとう

「古泉一樹の言葉が真実であるという保証はどこにもない」

 俺は例のハンサムがおのうえがいた。確かに保証はない。古泉のくつは俺がこうむった出来事にもっともらしい解説を付けているだけだ。それが正解だとだれに解る? 事実、朝比奈さんは信じるなと言った。しかし朝比奈さんの理屈だって同じことだ。朝比奈版解答が正しいのだと、誰が保証してくれるのだろう。

 長門を見る。古泉の言うことはうそっぱちかもしれない。朝比奈さんは自分の意見が嘘だと気付いていないのかもしれない。だが、この冷静な宇宙人だけは嘘を言いそうにない。

「お前はどう思っているんだ。どれが正解だ。前にお前が言ってた、自律進化の可能性ってのは結局何なんだ」

 黒衣の読書好きはそこけに無感情だった。

「わたしがどんな真実を告げようと、あなたは確証を得ることができない」

「なぜだ」

 しかしその時。俺はめつに見られないものを見た。長門は、迷うような表情をしたのだ。俺が少々がくぜんとしていると、

「わたしの言葉が真実であるという保証も、どこにもないから」

 最後に長門はこう告げて本を置き、部室から立ち去った。

「あなたにとっては」

 れいが鳴り出した。



 わからん。

 つうわかるか?

 古泉も長門も、もっと他人に解りやすく話してくれよ。わざと難しく言ってるんじゃないかと思うね。少しは簡単にまとめる努力をはらうべきだ。でないと、そんなもの耳をどおりするだけだからな。誰も聞いちゃくれねえぜ。

 うでみしながら歩いている俺を、こくせき中世風なかつこうをした一団が追いいてろうの角を曲がった。長門があの黒いしようで混じっていても感ないような連中だった。どこのクラスかクラブかが、ハルヒに負けじとファンタジー映画でもってるのかもな。いいよな、そいつらは。おそらく俺のようななやみを持つことなく、楽しくさつえいをおこなっていることだろう。もっとまともなかんとくが常識的な指揮をっているんだろうしさ。

 俺はため息つきつき、一年五組の教室へとかんした。



 映画撮影が順調だと考えているのはハルヒだけで、俺と古泉と朝比奈さんはだいに顔にかかる縦線がかげくするようになっていた。

 撮影が進むにつれ様々なことが発生しているようだった。いつの間にかモデルガンからはBBだんではなくすいげき弾が出るようになっていたし、朝比奈さんはハルヒが違う色のコンタクトを持ってくるたびにぶつそうなものを出し(金色がライフルダートで緑色がマイクロブラックホールだった)その都度長門にまれていたし、桜はいたと思ったら次の日には散っていたし、神社の白いはとたちは数日後にはとっくにぜつめつしたはずのリョコウバトになっていたらしいし(古泉がこっそり教えてくれた)、地球のさい運動がみようにズレたりしてたそうだ(長門・談)。

 日常はどんどんおかしくなっているようである。

 つかれた身体からだを引きずって自宅に帰ると、今度はヒゲの生えた動物が口を開きやがるしさ。

「あの元気な少女の前で口を閉じておけばよいのだろう」

 ねこはスフィンクスみたいな姿勢で俺のベッドの上にそべっていた。

「よく解ってくれてるじゃないか」俺はシャミセンの長い尻尾しつぽを軽くつかんだ。猫はするりと俺の手からがし、

「キミたちがそうして欲しそうにしていたのでな。私自身、あの少女に私の話し声を聞かれるのは何故なぜか不都合なことになりそうな予感がある」

「古泉によるとそうらしいな」

 猫がしやべる。ということは猫が喋っても不思議ではない理屈が必要である。簡単に言えば、喋る猫が存在しても何ら不思議でない世界を構築すればいいらしい。そりゃいったいどんな世界のどんな猫なんだ?

 シャミセンはぱかりとあくびをして尻尾のづくろい。

「猫にも色々いるのだ。ヒトもそうであろう」

 その「色々」の部分をもっとくわしく知りたいもんだ。

「知ってどうすると言うのか。キミが猫に成り代わることができるとも思えない。猫の心理を体得することもまたしかりであろう」

 うんざりだ。どいつもこいつも。

 そろそろにでも入ろうかと考えていたら妹が俺の部屋をおとずれ、来客を告げた。

 だれかと思いつつ階下へと。ついに自宅までやって来たのは古泉だった。俺は家の外に出て、夜道にて応対してやる。部屋に入れて終わらない長話をされても困るし、シャミセンとダブルで意味不明なちゆうしよう論を聞かされるのもめん被りたい。

 思った通り、古泉は一人でくつっぽいことを延々話して、あげくにこんなことまで言い出した。

「涼宮さんにとって細かい設定やふくせんはどうでもいいんですよ。こっちのほうがおもしろいような気がする、でじゆうぶんなわけです。そこには合理的な解決も、綿密な構成も、手がかりになるような伏線もありません。かなりせつ的に物語を作っていると言えるでしょう。オチなんか考えていないのです。ひょっとしたら未完で終わるかもしれませんね」

 それだと困るんだろうが。お前の言い分では、ほうり投げっぱなしで終わるとこのぐちゃぐちゃになりかけている現実がそのまま現実として固定されてしまうんだろ。ハルヒの中でちゃんと結末をむかえなければならず、なおかつ現実にそくしたオチでなければならない。そして、それを俺たちが考えないといけないわけである。ハルヒは考えなしだし、それにあいつの考えることは常態的にめつれつだ。ならばまだ俺たちが考えたほうがマシで、しかしなぜこんなことを考えなければならないのか、誰かこののろいをかたわりしてくれるやつはいないものか。

「そのような人がいたら」

 古泉は肩をすくめた。

「とっくに我々の前に姿を現していることでしょうね。ゆえに我々がなんとかしなければならないのです。特にあなたのがんばりには期待しています」

 だいたい何をがんばれってんだ。まずそれを教えてくれ。

「世界がフィクション化すると困るのは僕たちの論理ですからね。朝比奈さんも困るかもしれない。彼女たちには彼女たちの論理があるようですから。長門さんはよくわかりませんが、観察者は結果を受け止めるだけです。最終的に勝ち上がってきた理論を冷静に受け止めるだけですよ。たとえ地球が消し飛んだとしても、涼宮さんが残るならばそれでいいのです」

 外灯の光が、うすやみの中の古泉を事務的に照らし出している。

「本当の話をお聞かせしますと、涼宮さんを中心とする何らかの理論を持っているのは我々『機関』と朝比奈さんの一派だけではありません。たくさんあるんです。水面下で我々がおこなっている様々なこうそうと血みどろのせんめつ戦をダイジェストで教えて差し上げたいくらいですよ。同盟と裏切り、ぼうがいだまち、かいさつりく。各グループとも総力を挙げての生き残り合戦です」

 古泉は疲れ気味の皮肉なみを広げる。

「我々の理論が絶対的に正しいとは僕も思いません。しかし、そうでも思わないとやっていけないというのも現状なのです。僕の初期配置は、たまたまそちら側だったのでね。どこかにがえることもできません。白のポーンが黒側に移ることはできないのです」

 オセロかしようにしろ。

「あなたにはえんのことでしょう。涼宮さんにも。そのほうがいい。特に涼宮さんには永遠に知らないでいて欲しい。彼女の心をくもらせるようなことはしたくないんです。僕の基準で言えば、涼宮さんは愛すべきキャラクターをお持ちです。ああ、もちろんあなたも」

「なぜ俺にそんなことを教える」

「口がすべったんですよ。理由なんかありません。それに僕はじようだんを言っているだけなのかもしれない。または、変なもうそうに取りかれているだけなのかもしれない。あなたの同情をこうとしているだけなのかも。どちらにせよ、つまらない話ですよ」

 確かにな。全然面白くない。

「つまらない話のついでにもう一つ。朝比奈みくるが……失礼、朝比奈さんがなぜ僕やあなたと行動を共にしているのか、その理由を考えたことがありますか。あの通り、朝比奈さんは見ていて危なっかしい美少女です。つい手助けしたくなるのも解ります。あなたは彼女が何をしようとこうてい的に受け止めるでしょう」

「それのどこが悪い」

 弱きを助け、強きをくじくのが正常な人間の精神的営みだ。

「彼女の役目はあなたをろうらくすることです。だから朝比奈さんはあのような容姿と性格をしているのです。まさにあなたの好みそうな弱気で可愛かわいらしい少女としてね。涼宮さんに少しでも言うことを聞かせることができるのは、ゆいいつあなたですから。あなたをからってしまうのが最適なのです」

 俺は深海魚のようにちんもくする。半年前、朝比奈さんから言われたことが思い返される。今の朝比奈さんではなく、さらなる未来から来た大人バージョンの朝比奈さんの言葉だ。手紙で俺を呼び出したその朝比奈さんは、「あたしと仲良くしないで」と言っていた。あれは彼女の立場がそう言わせたものだったのだろうか。それとも、彼女個人の心情だったのか。

 俺がだまっているのをいいことに、古泉は年老いたじようもんすぎが話しているような声で続けた。

「朝比奈さんがウッカリ者なのはそう演じているだけで、本心は別にあるとしたらどうですか? そのほうがあなたの共感を得やすいと判断したのでしょう。幼く見える容姿や、涼宮さんの無理難題にだくだくと従う可哀かわいそうな立ち位置もそうです。すべてはあなたの目を自分に向けさせるためですよ」

 こいつ、本格的に正気ではなくなってきたようだな。俺は長門のへいたんな声を真似まねる。

「冗談は聞ききた」

 古泉はさい微笑ほほえみ、いささかオーバーアクション気味に両手を広げた。

「ああ、すみません。やはり僕は冗談をつらぬき続ける能力に欠けていますね。うそなんですよ。全部今僕が作ったトンデモ設定です。ちょっと深刻ぶったことを言いたかっただけでしてね。本気にしました? だとしたら僕の演技もなかなかですね。たいに上がる自信がいてきましたよ」

 みみざわりなくすくす笑いをらしながら、

「僕のクラスではシェイクスピア劇をやることになっているんですけどね。『ハムレット』です。僕はギルデンスターンの役をおおせつかりまして」

 知らん名だ。どうせわきやくだろう。

「本来はそうだったんですけどね。ちゆうでストッパード版にへんこうになったんですよ。ですので僕の出番も結構増えてしまいました」

 ごくろうさんと言いたいね。ハムレットにシェイクスピア版以外のものがあるとは知らなかったよ。

「涼宮さんの映画と、こちらの舞台とで僕のスケジュールはけっこう厳しいものになっているのです。プレッシャーですよ。僕が精神的につかれているように見えるのでしたらそのせいでしょう。その上、へい空間でも出たりしたらきっとたおす自信がありますね。それもあって、あなたにお願いしに来たのです。どうか涼宮映画が発生源の異常現象を止めてもらえないかとね」

 合理的なオチというやつか? お前は夢オチとか言っていたな。

「ハルヒの映画の内容が全部デタラメであるということをハルヒ自身に自覚させること──だったか?」

「明確に自覚させることですね。彼女はそうめいですので、映画がフィクションであることくらいしっかり知っています。ただ、この通りになったらいいなと考えているだけなのです。そうはならない、ということを確実にわかってもらう必要があるのですよ。できればさつえいしゆうりようされる前に」

 よろしくお願いします、と一礼して、古泉はやみの中に消えていった。なんだろう。あいつは俺に責任を押しつけに来たのだろうか。自分はすでに苦労しているから次の苦労は俺が背負えと、そういうことなのか? だとしたらおかどちがいもいいところだ。ババきのジョーカーじゃあるまいし、押し付け合いをするもんでもない。涼宮ハルヒは五十三番目のカードじゃないんだぜ。切り札でもオールマイティーでも、もちろんババでもない。

「まあ、しかし」

 俺はつぶやいた。

 ほうっておくわけにはいかないようだった。長門はともかく、朝比奈さんも古泉もそろそろヒットポイントがデッドラインに近付いているようだ。俺が知らないだけでこの世界全体もそうなのかもしれない。

「それはちょっと困る……かな」

 めんどうくさいな、ちくしょう。俺だってかなりアップアップなんだぜ。

 俺は方策を考えた。ハルヒのもうそうを収めるにはどうすべきか。映画は映画、現実は現実、おのおの別物なのだと、ハッキリキッパリ解らせるにはどうすればいいのか。そんな当たり前のことを改めてなつとくさせる手だてとは何だろう。夢オチか……それ以外では?

 文化祭まで、後少し。



 翌日、俺はハルヒにとある一つの提案をして、すったもんだの末に了承を得た。



「はいオッケーっ!」

 高らかにハルヒはさけんで、メガホンを打ち鳴らした。

「お疲れさーん! これで全部の撮影は終了よ! みんなよくがんばってくれたわ! 特にあたしは自分をめてやりたいわ! うん、あたしスゴイ。グレートジョブ!」

 その言葉を聞いて、ウェイトレス朝比奈さんがくずれ落ちるように座り込んだ。心底、あんしているようで安堵のあまり泣きそうな顔になっている。実際、すすり泣きまで漏らしていたくらいだ。ハルヒはそのなみだを感きわまったものだとかいしやくしたようで、

「みくるちゃん、泣くのはまだ早いわよ。その涙はパルムドールかオスカーをじゆされるその日まで取っておくの。みんなで幸せになりましょう!」

 校舎の屋上で、文化祭を明日にひかえた昼休みだ。もはや昼飯すらおちおちえないほど、時間はせつぱくしていたのである。

 ミクルとユキのラストバトルは、とつじよおのれの能力をかくせいさせた古泉イツキの何だか解らんごう主義パワーによってユキが宇宙の彼方かなたに飛ばされることで幕を閉じた。

「これでかんぺきね。すごいイイ映画がれたわ。ハリウッドに持ち込んだらバイヤーたちが雪崩なだれを打って飛びつくわね! まずうできのエージェントとけいやくしないといけないわ!」

 グローバルな感じでせいのいいハルヒだった。こんな映像集をだれが見てくれるのか知らんが、引きのあるのは主演女優だけでその他スタッフは用無しだろうな。何なら俺が朝比奈さんのエージェントとして売り込みに行きたいね。小金くらいならかせげそうに思う。ついでだ、ハルヒもグラビアアイドルあたりを目指してみないか? 俺が勝手に写真とれき書を送ってやってもいいぞ。

「やっと終わってくれましたか」

 晴れ晴れとした顔で古泉が俺に微笑ほほえみかけた。

 腹の立つことだが、こいつに一番似合う表情はこういう無料スマイルのようだ。ゆううつな古泉など見たくもないね。気味が悪いからな。

「しかし終わってみればいつしゆんだった気もしますね。楽しい時間はつのが早いと言いますが、さて、楽しんでいたのは誰なんでしょう」

 さあね。

「後のことはあなたにお任せしてもいいですか? 今や僕はクラスのたい劇のほうで頭がいっぱいなのですよ。映画と違って、そっちではセリフをトチってやり直しというわけにはいきませんからね」

 古泉はいつものニヤケしようかべ、俺のかたを手のこうでハタいて小声、

「もう一つ。あなたには感謝しています。我々も、僕個人もね」

 それだけ言って屋上を後にした。長門はいつもの無表情で、もくもくと古泉の後を追うように歩き去る。

 朝比奈さんはハルヒに肩をかれて、いつしよになって彼方に見える海の方角を指差していた。「目指すはハリウッド、ブロックバスター!」なんてことを叫ばされている。指差すのはいいが、そっちの方角に向かって海をわたれば着くのはオーストラリアだぜ。

「やれやれ」

 俺は呟き、足元にビデオカメラを置いて座り込んだ。古泉と長門と朝比奈さんにとっては終わりで合っているだろう。だが、俺にとってはこれは終わりの始まりだ。まだやるべきことは残っている。

 俺が記録したぼうだいなデジタルビデオ映像の数々、このジャンクなデジタル情報の集積物を何とか「映画」のていさいを取るまでにしなければならないのだ。それが誰の仕事なのか、さすがに言われなくともわかっていた。



 金曜日の夕方である。部室には俺とハルヒだけがいた。ほかの三人はそれぞれ自分たちのクラスの仕事におもむいている。

 クランクアップしたまではいいが、さつえいが順調に間延びしたせいで他のことをするゆうが全然ない。パソコンに取り込んだ映像をり返しることになった俺の出した結論は、やっぱり朝比奈みくるプロモーションビデオクリップにするしかないという、実にシンプルなものだった。

 正直言って、とうとう最後まで俺にはハルヒが何の映画を撮っているのかピクセル単位で解らなかった。モニタに映っているウェイトレスと死神少女とニヤケ少年の三人は頭がおかしいのか? 当然のことだが、ビジュアルエフェクトをかます時間などどこを探しても余っておらず元々そんな技術もない。このまま無加工てん映像をそのまま垂れ流さざるをえまい。

 ゴネたのはハルヒだ。

「そんな未完成なのを出展するわけにはいかないわ! なんとかしなさいよ!」

 ひょっとして俺に言ってるのか。

「んなこと言ってもだな、文化祭は明日で、俺はもうイッパイイッパイだ。お前の思いつきストーリーをどうにかこうにかつながるように編集しただけでもう限界だっての。当分どんな映画も観たくはねえ」

 しかし他人の意見を瞬殺することにけているハルヒは、

てつですれば間に合うんじゃないの?」

 だれがするんだ、とは俺はかなかった。ここには俺しかいないし、ハルヒのこくたんのような目は一直線に俺を目指していたからだ。

「ここにまり込んでやればいいじゃない」

 そしてハルヒは、俺がぎようてんするようなセリフをいた。

「あたしも手伝うから」



 結論から言うとハルヒは何の役にも立たなかった。しばらくは俺の背後でうろちょろ口出ししていたが、一時間もしないうちに机にいきを立て始めやがったんでね。しまったな、寝顔をっておけばよかった。エンドクレジットの最後にその顔をアップにしてストップモーションで終えることだってできたはずなのに。

 ついでに言うと俺もその後まもなくねむってしまったようだった。目を開けたら朝になってて顔半分にキーボードのあとがついていたからな。

 したがって、泊まり込みの意味はなかった。映画は未完成のままである。どうにかこうにか切りりして三十分に収めたが、見るもざんな駄作の出来上がりだ。映画なんぞよく知りもしない素人しろうとが勢いで撮るとこうなるみたいなダダくずれぶりだった。いっそ開き直ってバニー朝比奈の商店街CMカットだけにすればまだしも、ごういんなまでの編集方針で存在しないストーリーのツジツマを合わせようとしたもんだから、なおさらたんはくしやをかけてもうヒドイことになっている。結局アフレコもしてないわVFXなどどこのシーンにもかいだわ、笑いたくなるほどのゴミ映画だ。これでは谷口にも観せられない。

 パソコンを窓から遠投しようかと考えて、俺は差し込む朝日に目をすがめた。不自然な姿勢で寝てたから背骨がきしむ。

 先に目覚めたハルヒが俺を起こした現時刻は午前六時半。学校に泊まったのは考えてみればこれが初めてだな。

「ねえ、どうなった?」

 ハルヒが俺のかたしにモニタをのぞき込み、俺はしかたなくマウスを動かした。

 再生が開始される。

「……へえっ?」

 ハルヒの小さなかんせいを聞きながら、俺はたまげている。作ったはずのないCGムービーがごうせいに動いてタイトルを表示した。その後から始まった『朝比奈ミクルのぼうけんエピソード00』は、ストーリーはズタボロ、セリフは聞き取れず、手ブレまんさい、おまけに画面外のかんとくごうまでが入っていたが、ビジュアルエフェクトだけは高校生の自主映画にしてはそこそこくらいのレベルに達していた。朝比奈さんの目からレーザーが出ていたし、長門の棒からも変な色つき光線が出ていた。

「へっへー」

 ハルヒも感心している。

「まあまあじゃない? ちょっと物足りないけど、あんたにしたら上出来だわ」

 俺ではない。じようした別の人格が俺の寝ている間にやったのでなければ、どうやっても俺にこんなことは出来そうもない。俺以外の誰かがやったのだ。本命・長門。たいこう・古泉。無印・朝比奈さん。大穴・まだ登場していない誰か。そんなとこだろう。

 しばしの間、俺たちはだまって自主製作映画のかんしよう会をおこなっていた。この小さな画面でなく、もっときよだいスクリーンで観れば、また別のかんがいが生まれるのかもしれなかった。

 ディスプレイ上の動画はラストシーンへと差しかっている。古泉と朝比奈さんは手を繋いで満開の桜の下を歩いていた。そのままカメラがパンして青空を映し出す。すかさずチャラけた音楽が始まって、スタッフロールが縦スクロールを開始する。

 そして最後の最後にハルヒの声でナレーションが入る。

 俺が考案し、どうにかハルヒに言わせることの出来たナレーション。遊びの部分も必要なのだと言って説得した、監督自らによる幕引きのセリフだ。

 それはすべてをキャンセルできるほうの言葉だった。


『この物語はフィクションであり実在する人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。うそっぱちです。どっか似ていたとしてもそれはたまたまぐうぜんです。他人のそら似です。あ、CMシーンは別よ。大森電器店とヤマツチモデルショップをよろしく! じゃんじゃん買いに行ってあげなさい。え? もう一度言うの? この物語はフィクションであり実在する人物、団体…………。ねえ、キョン。何でこんなこと言わないといけないのよ。あたりまえじゃないの』

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