第四章

 翌日再びきもせず、俺たちは駅前に集まった。ただ昨日とちがうのは人員が入れ替わっている点だ。SOS団以外の人間三名ほどが新顔として俺の前に立っている。ハルヒ言うところのザコキャラたちである。

「おいキョン、話が違うぞ」

 こうするように言い出したのは谷口だ。

うるわしの朝比奈さんはどこだ? あの方が出迎えてくれるって言うから来たんだぜ。いねえじゃねえか」

 その通り、朝比奈さんは定刻になっても来なかった。たぶん自宅の部屋で出勤きよをしているに違いない。昨日も一昨日おとといも散々な目にあっていたからな。

「俺は目の保養に来たんだぞ。それがどうだ。今日はまだ涼宮の逆ギレした顔しか見てねえぞ。だ」

 うるさいな。長門でも眺めてりゃいいじゃないか。

「それにしても長門さん、やけに似合ってるなあ」

 のんびりと言うのは国木田だ。谷口に続くザコ二号である。昨夜、俺がに入ってたらハルヒから電話がかかってきた。妹から受話器を受け取り、頭を洗いながら聞いたのが、

「谷口のアホと、もう一人……名前が思い出せないけど、あんたの友達よ。その二人を明日連れてきなさい。ザコキャラで使うから」

 だけで切りやがった。あいさつの一つくらいしやがれってんだ。ものをたのむときは命令調でなくてあいがん調で言ってくれ。朝比奈さんみたいにな。

 風呂上がり、さて谷口と国木田の休日予定はどうなんだろうと思いつつ携帯にかけると、このヒマなやく二人はあっさりしようだくの返事をよこした。お前らだん、休みの日に何してんだ?

 男二人だけでは絵にならないと思ったのか、ハルヒはもう一人のエキストラを用意していた。そのお方はつばびろぼうぶかに被る長門の顔を、するようにのぞき込んでいる。長いかみの毛をさらりと垂らし、彼女は長身をばして俺にがおを降り注いだ。

「キョンくんっ。みくるどうしたのっ?」

 元気よくおっしゃるその女性は、つるさんと言って、朝比奈さんのクラスメイトだ。朝比奈さんいわく「この時代で出来たお友達」だそうだから、この人には変なプロフはないと思う。六月ごろにハルヒが「草野球大会に出る」と言い出したときのすけとして朝比奈さんが連れてきたいつぱん的な高校二年生女子である。そういやそん時にも谷口と国木田がいたな。ついでに俺の妹も。

 鶴屋さんは健康的な白い歯をしげもなく見せつけながら、

「それでさっ、何やんのっ? ヒマなら来てって言われたから来たけどさー。涼宮さんのうでに付いてるわんしようは何て読むのあれ? そのハンディビデオをどうするの? 有希ちゃんのあのかつこうなに?」

 ぎ早に質問を浴びせてくる。俺が答えようとくちびるを開きかけた時には、鶴屋さんは古泉の前に移動しており、

「わお、一樹くんっ! 今日もいい男だねっ」

 せわしない人だった。

 しかしその鶴屋さんと元気さではハルヒだってタメを張れる。よくまあ朝からこんな大声が出せるなという声でけいたい電話とケンカしている。

「何言ってんのよ! あなたは主演なのっ! この映画の成功は三十%あなたにかかってるの! 七割はあたしの才能だけどね。それはいいの! なんですって? おなか痛い? バカっ! そんなイイワケが通用するのは小学校までよ! すぐ来なさい三十秒で!」

 どうやら朝比奈さんはとつぱつ的ヒキコモリしようこうぐんにかかっているようだ。もない。今日もあんな目にあうと思ったら精神的腹痛にかんしても不思議はない。気の小さそうな人だからな。

「もうっ!」

 ふんぜんけいたいを切ると、ハルヒはテーブルマナーのなっていない子供をしかりつける寸前のしつがしらのような目つきをした。

「お仕置きが必要だわ!」

 そう言ってやるな。朝比奈さんはお前と違ってひっそりと生活したいんだよ。せめて学校のない日曜くらいは、と俺だって思うぜ。

 もちろんハルヒは主演女優のワガママなど聞いてやったりはしないのである。ギャラをはらってるわけでもないのに主役に厳しい女流かんとくは、

「あたしがむかえに行ってくるから、ちょっとその荷物貸して」

 しようの入ったクリアバッグをひったくると、タクシー乗り場までダッシュした。そしてまっていたタクシーの窓をガンガンたたいてドアを開けさせ、飛び乗ったあげくにどこかへと走り去ってしまった。

 そういや俺は朝比奈さんがどこに住んでるのか知らないな。長門の家には何回か訪問したことはあるが……。

「朝比奈さんの気持ちもよくわかりますよ」

 いつの間にか俺のとなりにいた古泉だった。鶴屋さんは、俺のクラスのマヌケコンビに「やあっひさしぶりっ」とか言って、やつらにペコペコ頭を下げさせている。それを微笑ほほえんでながめながら古泉は、

「なんせこのまま行くと本物の変身ヒロインになりそうなふんですからね。いくら何でもレーザー光線はやりすぎですよ」

「やりすぎでないものと言えば何なんだ」

「そうですねえ。口から火をくぐらいでしたら仕込みもしやすいのですが……」

 朝比奈さんはかいじゆうでも芸人でも悪役レスラーでもないんだ。あの愛らしい唇に火傷やけどでもさせてしまったらどうする。責任の取りようがない。まさかお前、率先して責任を取ろうとか考えているんじゃねえだろうな。

「いえ。僕が責任を感じるのだとしたら、それはあの《しんじん》の暴走を許してしまった時くらいですよ。幸いにしてそのような事態におちいったことは……ああ、一回ありましたっけね。あの時はありがとうございます。あなたのおかげで何とかなりました」

 半年くらい前にハルヒのおかげでクルクルパーになりかけた世界は、俺の粉骨さいしんたる努力と精神的しようもうの果てに命脈を保つことになったのだった。各国首脳は俺に感謝状の一枚でも送っておかしくないと思うのだが、まだどこの国からも大使館員は来ていない。まあ、来ても困るだけだから求めているわけでもないけどな。前回俺のもらったほうしゆうは、なみだの朝比奈さんがきついてくれたくらいのもので、よく考えたらもはや俺はそれでじゆうぶんだ。古泉に礼を言われても別にうれしかない。

「その朝比奈みくるですが」

 呼び捨てにするな、かいだ。

「失礼。朝比奈さんですけどね、とりあえず怪光線を出すことは何とかかいできそうです」

 どうやってだ? カラーコンタクトの予備をハルヒが用意していないとでも楽観視しているのか?

「いえ、それは折り込み済みですよ。長門さんに協力してもらいました」

 俺は駅の売店を見つめたままぎようしているベタむすめへと目をって、また古泉にもどした。

「朝比奈さんに何をした?」

「そんなに目くじらを立てなくとも。レーザー照射をなくしただけです。僕もよく知りません。長門さんはほかのTFEIたんまつと違って全然しやべってくれませんからね。僕は危険値をゼロにするようらいしただけです」

「TFEIって何だ?」

「我々が勝手に付けてる略語です。知らなければならないものでもないですよ。ですが、僕が思うに長門さんは『彼ら』の中でもひときわさいを放っているような気がしますね。彼女には単なるインターフェース以外に何か役割があるのではないかと、僕は考えてもいます」

 あの無口な読書娘にハルヒを観察する以外の何があるってんだ。まだ朝倉涼子のほうが消えてしまれる存在だったぜ。俺は惜しんでなどいないがな。



 待つこと三十分、ハルヒを乗せたタクシーが戻ってきた。同乗しているのはウェイトレス朝比奈さんであり、昨日に続いて暗くしずんだお顔をしていらっしゃる。ハルヒは運転手から領収書をもらっていた。タクシー代を経費で落とすつもりかもしれない。

 それを見ながら谷口と国木田が何かを言っていた。

「この前なんだけどよ、夜にコンビニまで行った帰りにタクシーとすれ違ったんだ」

「へーえ」

「でさ、ふと見るとそのタクシーの『空車』のランプが『愛車』に見えちまってよ」

「それはビックリだね」

「けど、見直す前にタクシーは行っちまった。そん時気付いたんだ。俺に今不足しているのは愛なんじゃないかってことに」

「本当に『愛車』って書いてあったんじゃないかなあ。個人タクシーだよ、きっと」

 こんな会話をしているバカ二人に助勢をあおがねばならんとは。人材のふつていもここまで来たかという感想をいだかざるを得ない。谷口と国木田がニッケル合金なんだとしたら鶴屋さんはプラチナだ。ロケット花火とアポロ11号くらいのちがいはゆうであるね。

「やっぽー。みくるーっ、タクシーで来るなんてキミだれ?」

 鶴屋さんのテンションも高かったが、ライトなマイルドハイテンションだ。ハルヒのイカレたナチュラルハイとは一線を画していると言ってもいいだろう。まだしも鶴屋さんは常識世界のはんちゆうに所属していると言える。

「うわスゲーっ! エロい! みくるそれどこの店でバイトしてんの? 十八歳未満お断りだねっ。あれ? キミまだ十七じゃなかった? あっそか、客じゃないからいいのかっ」

 泣きはらした後の目の色をしている朝比奈さんは両目とも自然色をしている。カラーコンタクトは品切れだったらしい。

 ハルヒはがらなグラマラスウェイトレスを引っ張り出して、

びようを使おうったってそうはいかないんだからね! どんどんさつえいするわよ! これからがみくるちゃんの見せ場の本場なの。すべてはSOS団のため! 自己せいの精神はいつの世でもちようしゆうの感動を呼ぶのよ!」

 お前が犠牲になれ。

「この世にヒロインは一人しかいらないわ。本当ならあたしがそうなんだけど、今回は特別にゆずってあげる。少なくとも文化祭が終わるまではね!」

 てめーがヒロインだなんて世界の誰も認めてねえ。

 鶴屋さんは朝比奈さんのかたをぼこぼことたたいてき込ませ、

「これなに? レースクイーン? 何かのキャラ? あ、そうだっ。文化祭の焼きそばきつ、これでやりなよっ! すんげー客くるよっ!」

 朝比奈さんのヒキコモリ化もよくわかるね。つるべ打ちをらうのが目に見えているのにマウンドに立ちたがるピッチャーはいない。

 ゆるやかに顔を上げ、朝比奈さんは救いを求めるじゆんきよう者みたいな目で俺を見て、すぐらした。もわもわとしたため息をゆっくりとらして、それでもじようじやくみを見せ、ツツツっと俺のほうまで来た。

おくれてごめんなさい」

 俺は目の前に下げられた朝比奈さんの頭頂部を見ながら、

「いや、俺はかまいませんけど」

「お昼はあたしのおごりですね……」

「いやいや、気にしなくていいですよ」

「昨日はごめんなさい。あたし、知らないうちに光学兵器を発射してたみたいで……」

「いやいやいや、俺は無事でしたし……」

 ささっとうかがう。長門は星付きアンテナを持ってぼんやりしている。その俺の様子に、朝比奈さんはただでさえ細くか弱い小声をさらにひそめて、

まれちゃいました」

 左手首をさすっている。

「何にです?」

「長門さんに。なんだか、ナノマシン注入がどうとかって……。でも、目からは何も出なくなったみたい。よかった」

 おかげで俺が輪切りになるおそれもない……か。しかし長門が朝比奈さんに噛みついている風景はなかなか想像しにくい。で、何を注入?

「昨日の夜です。古泉くんといつしよにあたしの家に来て……」

 荷物番をしている古泉はハルヒと何やら話し合っている。ぜひ俺もついていきたかったね。こういう時こそ呼べよな俺を。へい空間なんぞにさそわれるよりは朝比奈さんお宅訪問のほうが楽しいに決まっている。

「なにないしよばなししてんのう?」

 鶴屋さんがしなやかなかたうでを朝比奈さんの首にからめた。

「みくる可愛かわいいなあっ。家で飼いたいくらいだね! キョンくん、仲良くしてやってるーっ?」

 それはもう。

 谷口と国木田のへっぽこコンビは、半口開けて朝比奈さんを観賞している。見るな。減ったらどうする。と思っているとハルヒがさけんだ。

「場所が決まったわよ!」

 何の場所だ。

「ロケの」

 そうだったな。ともすれば俺たちのっているのが映画だってことを忘れがちになってしまうね。というか忘れたいね。アイドルタレントの安上がりDVD製作現場のほうが言い得てみようのような気もしているし。

「古泉くんの家の近くに大きめの池があるらしいの。とりあえず今日はそこで撮影することから始めましょう!」

 早くもハルヒは「撮影隊一行」と手書きされたビニール製の旗をかかげて歩き出している。

 俺は、まだ朝比奈さんに失礼な視線を浴びせる谷口と国木田を呼び寄せて、かばんやらふくろやらを仲良く分け合った。



 三十分くらい徒歩で移動し、着いたところは池のほとりだった。おかの中ほどにある、ほぼ住宅街の真ん中である。池と言ってもけっこう広い。冬になればわたり鳥がやってくるほどのデカさであり、古泉が言うところによるとそろそろかもだかがんだかがやってくるころいだそうだ。

 池の周囲には鉄製フェンスがほどこされ、しんにゆう禁止を明示している。それ以前に常識問題だろ。しつけの問題かもしれない。最近は小学生でもこんな所を遊び場にしようとはしないぜ。よほどのアホを除いてな。

「何してんの、さっさと乗りえなさいよ」

 こいつがよほどのアホであることを忘れていた。ハルヒはかんとく自らフェンスにあしをかけ手招きする。朝比奈さんが短いスカートを押さえながら絶望的な顔色に変化して、横にいる鶴屋さんがケラッケラッ笑いながら、

「え? ここで何かすんの? とわっはは! みくる泳ぐの?」

 ぶるぶる首をり、朝比奈さんは緑色の水面を血の池を見るような目でながめた。ため息。

「乗り越えるにはちょっとこのさくは背が高いですね。そう思いませんか」

 古泉が語りかけているのは俺ではなくて、長門だった。そいつに日常会話をしむけても無益なだけだぞ。イエスかノーか、それとも理解不能な一人しやべりを始めるかだ。

「…………」

 しかし長門はだまったままではあるがちんにもリアクションをした。フェンスの柱になっている鉄の棒に指をかけ、チョイと横に引いたのだ。強固なはずの鉄柱はなぜかえんてんで放置していたキャラメルみたいにぐにゃりと曲がり、そのまま曲がった状態で常態を固定した。

 あいかわらず器用な真似まねをする。余計なことでもあったかもしれないが。俺はあわててその他大勢へと視線を走らせる。

「へえ、古くなってたんだね」

 国木田が訳知り顔で言い、

「だから俺は何をすればいいんだ。カッパ役か?」

 ぶつぶつと谷口がすきの空いた鉄柵に身体からだをくぐらせて池の波打ちぎわへと降り、

「このへん家の近所なんだよねっ。昔は柵なんかなくてさあ、よくハマったよっ」

 鶴屋さんも後に続いた。彼女に手をつながれている朝比奈さんも、いやいやのようにハルヒの待ち受ける池のふちへと向かう。

 細かいことを考えないやく三人組だった。助かることこの上ない。

 古泉が俺と長門に均等に微笑ほほえみを見せながら柵の内側に身体をすべり込ませて、黒ほう使つかいとなっている長門もゆうれいみたいに俺の前を通り過ぎた。

 しょうがないな。ささっとさつえいして、パパッと退散しよう。公共物かいだれかにとがめられないうちに。



 またもや朝比奈さんと長門が向かい合って立っている。またまたせんとうシーンらしい。本当にハルヒはストーリーを考えているんだろうな。いったいいつになったら古泉の出番はあるんだ。今日も制服姿の古泉は、俺の後ろで反射板係をやっている。

 ぬかるみ気味の地面にディレクターズチェアを置き、ハルヒはスケッチブックにセリフとおぼしき文章を書きなぐっていた。

「このシーンはね、いよいよミクルがきゆうに立たされているところなわけ。青目ビームはユキにふうじられちゃったわけね」

 フェルトペンを止めて、自画自賛の顔をする。

「うん、いい感じだわ。そこのあんた、これ持って立ってて」

 そういう具合に谷口がカンペ係になった。演じる二人はふてくされ顔の谷口の手元を見て、

「こここんなことではっあたしはめげないのですっ! わわっ悪い宇宙人のユキさん! しんみょうに地球から立ち去りなさいっ……。あの……すみません」

 思わず謝る朝比奈ミクルのセリフに、長門ユキなる悪い宇宙人の魔法使いは、

「…………そう」

 気を悪くしたふうもなくうなずいた。それからハルヒの指示通りのセリフを棒読み。

「あなたこそこの時代から消え去るがいい。彼は我々が手に入れるのだ。彼にはその価値があるのである。彼はまだ自分の持つチカラに気付いていないが、それはとてもきちょうなものなのだ。そのいっかんとしてまず地球をしんりやくさせていただく」

 ハルヒが指揮者みたいに振り動かすメガホンに合わせ、長門は星アンテナで朝比奈さんの顔を示した。

「そそそそんなことはさせないのですっ。この命にかえてもっ」

「ではその命も我々がいただこう」

 フラットな長門の言葉に朝比奈さんはいちじるしくビクリとした。

「カットーっ!」とハルヒがさけんで立ち上がる。二人の間までけ寄って、

「だんだん気分が出てきたじゃない。そうそう、その調子よ。でもアドリブはなしでお願いね。それからみくるちゃん、ちょいこっち来て」

 俺たちを残して監督と主演女優は背を向ける。ビデオカメラを降ろして俺は首をこきこきと鳴らした。何の打ち合わせだろう。

 すかさず鶴屋さんがこらえていた笑い声をせいだいに上げてケラケラと、

「これ何映画? ってゆうか映画なのっ? わはは、むっちゃおもしろいよ!」

 面白がっているのはあなた以外ではハルヒくらいみたいですけどね。

 谷口と国木田は「俺たち何のために呼びつけられたんだ?」という顔でボサッとっ立っているし、長門は一人で知らんぷり、古泉は自然体でかつこうをつけながら池の果てをちようぼうしている。俺はそろそろ録画でまんぱいになってきたテープをき取って新しいDVカセットの封を切った。ゴミを増やしているとしか思えない。

 鶴屋さんが俺の手元を興味深そうにのぞき込んできた。

「ふうん。最近のビデオってこんなん? これにみくるのコッパな画像がいっぱいなの? 後でせてくんないっ? ばくしようできそうだねっ」

 笑いごっちゃない。以前のバニーでビラ配りは一日だけで済んだが、このバカ映画撮影は最悪、文化祭前日あたりまで続くおそれがあるのだ。撮影きよがそのうち登校拒否に発展するかもしれん。そうなったら困るのは俺だ。美味おいしいお茶が飲めなくなるからな。長門のれたお茶は味気ないし、ハルヒのは物理的に不味まずい。古泉は論外で、俺は自分で茶を淹れるくらいなら水道水でまんするね。

「お待たせ!」

 ああ待ったね。待ったとも。そろそろ帰ろうぜ。これ以上池付近の自然をらしたくないからな。

「本格的なのはこれからよ。ほら、見なさい!」

 ハルヒがぐいと押し出したのは朝比奈さんである。見ろってお前、言われなくとも毎日のようにジロジロ見ているさ。ほら、いつもと変わりなく美しく可愛かわいらしくうるわしい朝比奈さんは……。

「えあ?」

 片方の目の色がちがっていた。今度は右目。銀色のひとみが申しわけなさそうに俺と地面を往復している。

「さあみくるちゃん、そのミラクルミクルアイRから何でもいいわ、不思議なものを出してこうげきしなさいっ!」

 よせ、と言うヒマもなかった。あったとしても俺はダルマ落とし的輪切りになるくらいだったろうが、にしても何もかもがとつぜんすぎた。ヤバイ命令をしたハルヒも、おどろいてうっかりまばたいてしまった朝比奈さんも、それから──。

 朝比奈さんを池辺で押したおしている長門の暗幕姿も。

 昨日の再現だった。リプレイシーンを見ているようだ。長門が得意のしゆんかん移動を見せていた。

 瞬間、ぼうだけが元の位置にあって、そこからふわりと地面に落ちる。それをかぶっていた本体は、瞬き一回分の時間(たぶんゼロコンマ二秒くらいだろ)に数メートルのきよを移動して朝比奈さんに乗っかっていた。こめかみにアイアンクロー。

 湿しつでレスリングを始めた女優二人を全員がぜんとして見守っていた。

「ななな長門さっ……、ひぃぃぃっ!」

 無言無表情の長門はそんな悲鳴をものともせず、ほんの少しショートヘアを乱しただけで朝比奈さんにまたがっている。

「ちょっとぉ!」ハルヒがいち早く自分を取りもどした。

「有希! あなたはほう使つかいなのよ! にくだん戦は不得意って設定なの! こんなところでどろんこプロレスしても──」

 しかしハルヒはちゆうで口をざし、三秒ほど考えてから、

「ま、これでもいいか。売りになりそうね。キョン! ちゃんとって! せっかくの有希のアイデアなんだから」

 アイデアではないだろう。反射的な行動だ。コンタクトレンズをどうにかするための防衛なのだ。朝比奈さんもそれをわかっているはずだが、きようのあまりか小悲鳴をあげつつあしをバタバタ。キワドい。いや、そんなサービスショットをねらっている場合ではないのだ。

 その時、ガシャンと音がして二人を除く全員が背後をり向いた。

 ハルヒが乗りえ、俺たちがすきを通ってきた池のフェンス。その空間がポッカリと開いている。Vの字型に切り取られたフェンスが道路によこだおしになっていた。それこそだれかが不可視のレーザーでも当てたように。

 ややあって目を戻すと、貧血気味のきゆうけつみたいに長門は朝比奈さんの手首にみついていた。



「うかつ」

 意外にも長門は自己批判するようなことを言い、

「レーザーは拡散し無害化するように設定した。今度はちようしんどう性分子カッター」

 息をいてないような口調でつぶやく。拾い上げた黒帽子を差し出しながら古泉が言った。

「モノフィラメントみたいなものですね。しかしその単分子カッターは目にも見えなければ、質量もないのですね?」

 帽子を受け取った長門は、それを無造作に頭に乗せた。

りようの質量は感知した。十の四十一乗分の一グラム程度」

「ニュートリノ以下ですか?」

 長門は何も言わず、朝比奈さんの目を見つめている。ウェイトレスさんの右目はまだ銀色のままだ。

「あの……」

 噛まれた手首をさすりつつ、朝比奈さんはびくびくと、

「今度はあたしに何を、その、注入したので、ですか……?」

 トンガリ帽子のせんたんが五ミリ動くくらいの顔の動き。俺にはそれがこんわくの表現に見える。どう説明したものかとなやんでいるんだろう。案にたがわず長門は、

「次元振動周期を位相へんかんし重力波に置きえる作用を持つ力場を体表面に発生させた」

 という意味不明なことを苦しまぎれっぽく言った。どうやったらそれがとうめい殺人ワイヤーを無効としたことになるのか理解できんが、不可解なことに俺以外の二人はそれなりになつとくしたようだ。古泉などは、「なるほど。ところで重力は波動なんですか?」とか関係ないことまでいている。長門も関係ないと思ったんだろう、何も答えないからな。

 古泉は決めポーズのような仕草でかたをすくめる。

「しかし確かにうかつでしたね。これは僕の責任でもあるでしょう。てっきり目から出るのはレーザービームくらいだとしか思いませんでした。何でもいいから不思議なものを出せ、ですか。涼宮さんの思考は他者のついずいを許しませんね。すごい人です」

 追いつくどころか全人類を周回おくれにしているようなものだからな。それも3ラップくらいのぶっちぎりで、また後ろにせまってきているあつぱく感を後頭部に感じるほどだが、パッと見では同一周回を走っているとギャラリーにかんちがいさせるのがミソだ。こればっかりは同じサーキットを走らされているやつにしか解るまいし、ハルヒが速いのはS字だろうがデグナーだろうが立体交差だろうがおかまいなしに直進しかしないからでもある。おまけに一人だけエンジンはパサードラムジェットを使用、いつまでもどこまでも走っていく。追随したくてもできないルールを自分で作り上げているわけで、しかも本人に八百やおちようの意識がゼロときている。天然で片づけられるはんちゆうえたタチの悪さだ。

「まあ幸いにして」と古泉。「フェンスの件はろうきゆうを放置していた地方自治体の管理不行き届きとしてみなさん、納得しているようですし、大事に至らなくて何よりでした」

 俺は帽子にかくれた白い顔をいちべつする。さっき見せてもらった長門のてのひらは、カマイタチのつかみ取りでもしたのかというくらいにけまくっていた。痛い話が苦手な奴に聞かせたい具合にだ。今はうそみたいに治っているけど。

 俺ははなれたところにかたまっている第二集団をながめた。ハルヒとわきやくデコボコトリオは、ハンディの映像を見て何やらきようせいを上げている……のは鶴屋さんだけか。

「どうするよ? このままさつえい続行すると何だかさんを生むような気がするぞ」

「しかし中止するのもままなりませんね。我々がごういんに映画撮影をきよすると涼宮さんはどうなります?」

「暴れ出すだろうな」

「そうでしょう。仮に本人が暴れないようなことがあっても、あのへい空間で《神人》に大暴れさせることは確実です」

 けったくその悪いことを思い出させるなよな。俺は二度とあんな所にも行きたくないし、あんなことをしたくもない。

「おそらく涼宮さんは、今のじようきようが楽しくてしかたがないのですよ。想像力を使して自分だけの映画をるというこうがです。まさに神のように振るえますからね。あなたももうご存じの通り、彼女はこの現実が思い通りにならないことに対し常々いらっていました。実はそうでもなかったわけなのですが、気付いていないのですから同じ事です。しかしですね、映画の中では彼女の思う通りに物語は進みます。どんな設定であっても可能でしょう。涼宮さんは映画というばいかいを利用して、一つの世界を再構築しようとしているのです」

 つくづく自己中心派だ。思い通りになる事なんて相当の金か権力を持ってないと無理だ。政治家にでもなればいい。

 俺がしかめづらを何種類かためしている中、古泉は一種類のがおで話し続けている。

「もちろん涼宮さんにそんな自覚はないでしょう。あくまで映画内フィクションとしての世界をつくっているつもりです。映画制作にかけるひたむきな情熱ですよ。その熱中のあまり、無意識のうちに現実世界にえいきようおよぼしているのだと考えられます」

 どっちに転んでもマイナスの目しか出ないサイコロだ。撮影を続けてハルヒのもうそうが暴走してもダメ、やめさせてげんそこねさせてもダメ、バッドエンドまっしぐらのたくだな。

「それでもどちらかに転ばないといけないのだとしたら、僕は続行の道を選びますね」

 こんきよを言ってみろ。

「《神人》りもそろそろきてきましたし……というのはじようだんです。すみません。ええとですね、ようはこういうことです。世界が丸ごとリセットされるよりは、多少の変化を許容するほうがまだ生存の道は開けるからですよ」

 朝比奈さんがスーパーウーマンになるような現実を許容しろってのか?

「今回の現実変容は《神人》に比べると小規模です。長門さんがしてくれたようにぼうぎよ修正することだって可能でしょう。世界がゼロからやり直しになることに比べたら、単発的な異常現象をなんとかするほうが簡単のような気がしませんか?」

 どう考えてもどっちもどっちだ。ハルヒを後ろからぶんなぐって文化祭が終わるまで気絶させておいたらどうだ?

おそれ多いことです。あなたが全責任を負ってくれるのならば止めはしませんが」

「俺のそうけんに世界は重すぎるな」

 そう答えながら朝比奈さんを見ると、ウェイトレスコスチュームからなまがわきのドロを指で落としているところだった。なにやらあきらめきった顔をしていたが、俺の視線に気付くとあわてたように、

「あ、あたしならだいじょうぶです。何とか乗り切ってみせるから……」

 いじらしいね。顔色はあんまり良くないけど。そりゃあ何かあるたびに長門にまれることにはなりたくないよなあ。いくらあっと言う間に噛みあとを消してくれるとはいえ、不気味なものは不気味だ。なんせ今の長門はの長いかまを持たせたらタロット十三番目のカードのモチーフにしたいくらいの死神むすめか、ねんれいしようのスペースバンパイアだ。どっちだろうとあの世行きは当確している。

 朝比奈さんは吸引じゃなくて混入させられたみたいだが。しかし、うかつと言えばどうも朝比奈さんは未来人にしては危機意識がないように思えるな。本心を俺に伝えていないからかもしれんけどさ。なんせ禁則だらけみたいだし。

 まあそのうち教えてくれることもあるだろう。その時はもちろん二人きりで、どこかせまい所とかでという状況がいいな。



 ようやく谷口と国木田、鶴屋さんの出番がおとずれた。

 ハルヒは三人に映画での役割を申しわたし、これにより三名は名も無きチョイ役であることが判明した。役どころは『悪い宇宙人ユキにあやつられてれい人形と化したいつぱんじん』。

「つまりね」と、ハルヒは気味の悪いニコニコ顔で説明する。「ミクルは正義の味方だから一般人には手を出せないわけ。ユキはその弱点をついたのね。つうの人間をさいみんほうで操作するの。そうやっておそってくる一般人にていこうできずすべなく、ミクルはボロボロになっちゃうの」

 もうすでにボロボロになっている朝比奈さんにこれ以上何をしようと言うんだろう、と俺が思っているとハルヒは、

「手始めに、みくるちゃんを池にたたき込みなさい」

「ええっ!?」

 おどろきの声を出すのは朝比奈さんきりで、鶴屋さんはゲラゲラ笑い。谷口と国木田は顔を見合わせてから、次に朝比奈さんへとこんわく顔を向けた。

「おいおい」

 みような半笑いで言ったのは谷口だった。

「このめ池にかよ? えらくぬるいかもしらんが、もうとっくに秋だぜ。水質だってお世辞にもキレイとは言えねえが」

「すっすっす涼宮さん、そのせめて温水プールとかに……」

 朝比奈さんも泣きそうな顔でけんめいの反論をかんこうする。国木田ですら朝比奈ように回ったようで、

「そうだよ。底なしぬまだったらどうするんだい? 二度とかび上がってこれないよ。ほら、ブラックバスだっていっぱいいるしさ」

 朝比奈さんをそつとうさせるようなことを言うな。それに、抵抗すればするほどハルヒは意固地になるのはすでに実証済みである。ハルヒは例によってアヒル口となり、

だまりなさい。いい? リアリズムの前には多少のせいは付き物よ。あたしだってこのシーンのロケにはネス湖かグレートソルトレイクを使いたかったわよ。でもそんなところに行く時間もお金もないの。限られた時間内に最善をくすのが人類の使命なわけ。だったらこの池を使うしかないでしょうが」

 なんちゅうくつだ。どうあっても朝比奈さんは水責めのけいになることが前提なのか。別のシーンに差しえるとか、そういう考え方はできないのかこの女。

 俺も止めに入るべきかと考えていると、背後からかたを叩かれた。り返ると古泉のろううすく笑いながら無言で首を振る。わかっているさ。へたにハルヒをいじくるとかいな事態がまた発生するかもしれないってことはな。朝比奈さんの口からプラズマ火球が出ちまうようなことになれば、ヘタすりゃ自衛隊を敵に回さなければならん。

「あああ、あたしっ、やりますっ」

 悲痛な声で朝比奈さんが宣言した。断腸の思いというやつだろう。世界の平和のために自分の身を犠牲にするれんな少女の一丁上がりだ。ベッタベタにあかまみれな展開だが、メイキングビデオではここが一番の盛り上がる部分だろうね。ビデオ回してないけど。

 単純にハルヒ大喜び。

「みくるちゃん、イイ! 今のあなたはとってもかついいわ! それでこそあたしの選んだ団員よ! 成長してきたわね!」

 成長ではなく、学習した結果だろうと思うね。

「じゃあ、そこの二人はみくるちゃんの手を持って、鶴ちゃんはあしかかえちゃって。せーの、で行くわよ。せーので勢いよく池にほうり込むの」

 ハルヒが指示したのは次のようなシーンであった。

 チョイ役三人は、まず長門の前に整列して、黒衣の魔法使いがふらふら動かすアンテナ棒の前でこうべを垂れた。まるで神社でおはらいを受けているようだ。へいを振るように指し棒をあやつっている長門の無表情は、そう言えば何となく巫女みこっぽいかおりがしないでもない。

 その後、無言で朝比奈さんを指し示した長門の指令電波を受信した三人は、しんせんな生肉を求めるゾンビのような動きでこうちよくするヒロインへと歩き出した。

「みくるーっ。ごめんねえ。こんなことしたくないんだけど、あたし操られちゃってるからぁ。ほんと、ごめんよう」

 楽しんでるとしか思えない鶴屋さんがねこ型バスみたいな口をしながらウェイトレスににじり寄った。いざというときに小心者になる谷口は迷うフリをしつつ、国木田は頭をぽりぽりきながら、青くなったり赤くなったりする朝比奈さんへとせまるのだった。

「そこのアホ二人! もっとしんけんに演じなさい!」

 アホはお前だ、という言葉を飲み込んで俺はカメラをのぞき続ける。朝比奈さんはへっぴりごしで、じりじり水辺へと後退していた。

「かくごしろ~」

 明るく言いながら鶴屋さんは朝比奈さんをかくんとコカすと、あらわになった太ももをりようわきに抱えた。何というか、もう実にアブナイ。

「ひっ……ひえっ」

 本気でこわがっている朝比奈さん。谷口と国木田がそれぞれ片手ずつを持ってぶら下げられる。

「ちちちちょっとその、やっぱり……こここ、これ必要なんですかあ~?」

 悲痛なさけびの朝比奈さんをいつだにせず、ハルヒは重々しくうなずいた。

「これもいいるため、ひいては芸術のためなのよ!」

 よく聞く言葉だが、こんなデタラメ自主映画のどこに芸術が関係しているのだろう。

 ハルヒが号令をかけた。

「今よ! せーのっ!」

 ざぼーん。水しぶきがせいだいに上がり、池で暮らすすいせい生物たちの日常を掻き乱した。

「ひ、あぶぅっ……はわぁ……っ!」

 おぼれている演技がうまいね、朝比奈さん……ではなく、シリアスに溺れているような気がするのだがどうだろう。

「足がっ……届かなっ……あぷっ!」

 ここがアマゾン川流域でなくてよかった。こんなふうにバシャバシャしてたらピラニアのかつこうの目印になる。ブラックバスは人をおそわないだろうな──と俺がファインダーしに思っていると、水しぶきを立てているのは朝比奈さんだけではないことを発見した。

「うげえっ! 水飲んじまった!」

 谷口も溺れていた。どうやら朝比奈さんを放り出す勢いで自分まで落っこちちまったらしい。こちらは安心して放っておくことにする。

「何やってんのあのバカ?」

 ハルヒも同意見だったらしく、アホ一ぴきをほったらかしのままメガホンで古泉を指した。

「さ、古泉くん、あなたの出番よ! みくるちゃんを助けてあげなさい」

 照明係にてつしていた主演男優は、ゆう微笑ほほえんでレフ板を長門にわたすと、池の水辺に歩み寄って手を差しべた。

「つかまってください。落ち着いて。僕まで引っ張り込まないようにね」

 おおうなばらそうなん者が流木にしがみつくように、朝比奈さんは古泉の手をしっかりとにぎりしめる。軽々とずぶれ未来ウェイトレス戦士を引っ張り上げ、古泉はその身体からだを支えるように寄りった。近寄りすぎだぞ、コラ。

だいじようですか?」

「……うう……つめたかったあ……」

 ただでさえピッタリしていたコスチュームが濡れたせいではやスケスケ状態である。俺がえいりんにいればちゆうちよなくこの映画は十五歳未満入場禁止にするね。正直に言おう、ある意味マッパよりヤバイ。なんかつかまりそうな勢いだ。

「うん、バッチリ!」

 ハルヒがメガホンを打ち鳴らして絶賛のたけびを放った。俺はまだ池をあわてている谷口を無視し、ビデオカメラの停止ボタンを押した。



 なものはてんしようを開けるくらいあるくせに、タオルの一枚もないとは何事か。

 鶴屋さんのハンカチで顔をぬぐってもらいながら朝比奈さんはじっと目を閉じている。俺はハルヒがくさった顔をして映像チェックしているとなりで息をひそめていた。

「うん、まあまあね」

 朝比奈水難シーンを三回もり返してていたハルヒがうなずいた。

「出会いのシーンとしてはまずまずだわ。この段階でのイツキとミクルのぎごちない感じがよく出てる。うむうむ」

 そうか? 俺はだん通りの古泉にしか見えなかったけどな。

「次は第二段階ね。ミクルを救い出したイツキくんは彼女を自宅にかくまうことにするのよ。次のシーンはそっから撮るわ」

 って、お前。それじゃ全然つながらないぞ。谷口たちをあやつっていた長門はどこに行ったんだ? 谷口たちは? どうやってげき退たいされたんだ? いくらザコキャラとはいえ、びようしやなしじゃ観客はなつとくしないぞ。

「うるさいわね。そんなの撮らなくてもちゃんと観ている人には伝わるのっ! つまんないしよは流しちゃっていいのよ!」

 このやろう、ただ朝比奈さんを池にき落としたかっただけか。

 俺がふんにかられていると、鶴屋さんが挙手して発言した。

「あのさーっ。あたしの家がすぐ近くなんだけどさっ。みくるが風邪かぜ引きそうだからえさせてやっていいかなっ?」

「ちょうどいいわ!」とハルヒはかがやく目を鶴屋さんに向けた。

「鶴ちゃんの部屋を貸してくんない? そこでイツキとミクルが仲良くしてる所を撮りたいから。なんてじゆんかつな展開かしら。この映画はきっと成功するわね!」

 ごう主義が人生のメインテーマらしいハルヒにとっては、なるほど確かに思うとおりの提案なのかもしれないが、ひょっとしたらハルヒがそんなことを考えたから鶴屋さんのこの発言に至ったわくもぬぐい去れない。ハルヒがザコキャラにんていするくらいだから、鶴屋さんは俺と同じいつぱんじんのはずだけど。

「えーと、僕たちは?」

 国木田の質問である。横で谷口がいだシャツをぞうきんみたいにしぼっていた。

「あんたたちはもう帰っていいわ」

 ハルヒは無情に告げて、

「ご苦労さん。じぁあね、さよなら。二度と会うことはないかもね」

 それきりハルヒの頭からは同級生二人の名前と存在は消えせたようである。あきれた顔つきの国木田と、犬みたいにかみからしずくを飛ばしている谷口を見ることは再びなく、ハルヒは鶴屋さんをガイド役に指名して、すたすた歩き始めた。よかったな二人ともお役めんで。お前らはどうやらハルヒ的には使用済みBBだんくらいの価値しかないみたいだぞ。それは実はけっこう幸せなことなんだぜ。

 なぜかノリノリの鶴屋さんはうれしそうに、

「はーいっ。みなさーんっ、こっちでーす」

 先頭に立って旗をっていた。



 ハルヒのワガママどくだんじようは今に始まったことではなく、たぶん生まれついての性質なんだろうし、生後すぐに天地を指して八文字熟語をぜつきようしたなんていう言い伝えが後五百年もしたら涼宮ハルヒ語録の一つとして民間伝承となりされていたりするのかもしれないが、まあそれはどうでもいいことだ。

 集団のせんじんを切って歩くハルヒと鶴屋さんは、いつの間に意気投合したのか鹿デカい声でブライアン・アダムスの『18 till I die』のサビだけをリフレインしてうたっていた。後を歩いている者として、一応の知り合いとして非常にずかしい。

 もくもく歩きの黒長門とレフ板持ち&主演の古泉はよく他人のフリもせずについて行けているな。少しはかたを落としてうつむげんにしょんぼり歩いている朝比奈さんを見習うがいい。それから俺の背負っている荷物を少しは肩代わりしてくれ。さっきから続くのは坂道ばかりで、俺はそろそろはん調教中の競走馬の気持ちがわかりかけようとしているぞ。

「はーい、とうちやくっ。これ、あたしん

 声を張り上げて鶴屋さんがいつけんの家の前で立ち止まった。声も大きな人だったが自宅もデカかった。いや、たぶんデカいんだと思う。なぜなら門から家が見えないので判断できん。しかしそれこそまさに判断材料だ。門から見て取れないほど遠くに家屋があるということは、そこまで相当なきよがあるということで、ついでに左右を見回してみるとどこのしきかと思うほどのへいが遠近法に従って延々と続いていた。どんな悪いことをすればこんな余分な土地を持つ家に住めるのだろう。

「どぞどぞ、入って入ってっ」

 ハルヒと長門はえんりよという言葉を知らないのか、自分の家みたいな顔をして門をくぐった。朝比奈さんも来たことがあるようで、たいしておどろきもなく鶴屋さんに背中を押されるように入っていく。

「なかなか古風な旧家ですね。このゆうげんたたずまい、おもむきがあるとはこれを指して言うのでしょう。時代を感じさせますねえ」

 古泉がかんたんしているふうをよそおって感情のこもらない声で言っている。安物のレポーターか、お前は。

 三角ベースボールが出来そうなスペースを縦断して、やっとげんかんまで辿たどり着いた。鶴屋さんは朝比奈さんをまで連れて行ってから、俺たちを自室に招き入れた。

 何だね、自宅の俺の部屋がねこ用のしんしつに思えるね。だだっ広い和室に通されて、どこに座っていいものやらなやむくらいだ。だが、悩んでいるのはどうやら俺一人で、ハルヒをはじめとする長門と古泉も何もおそれ入ることはないようだった。

「いい部屋ね。ここでロケができそうなくらいよ。そうだ、古泉くんの部屋だってことにしましょう。みくるちゃんとのツーショットシーンをここでるのよ」

 とんの上でハルヒが指で作った四角形の中をのぞいている。鶴屋さんの部屋は卓袱ちやぶだいしかない簡素なたたみき和室だった。

 俺はとなりに座る長門の真似まねをして正座していたが、三分とたずに足をくずさせてもらう。ハルヒは最初から胡座あぐらをかいて、鶴屋さんに何やら耳打ちしていた。

「くふっ! あ、それおもしろいねっ! ちょっと待ってて!」

 鶴屋さんはほがらかかつ高らかに笑い声を上げると、そっから部屋を出て行った。

 俺は考える。鶴屋さんは一般人で正しいんだろうな。こうまでハルヒと仲良しさんになれるのはじよういつした人間か人間以外の何かだと相場が決まっているのだが、どこかに波長の共通するものがあるのかもしれない。

 待つこと数分、鶴屋さんはもどって来た。おみやげは朝比奈さんである。それもただの朝比奈さんではない。風呂上がり朝比奈さんだ。彼女はどうやら鶴屋さんの物らしいぶかぶかのTシャツを着ていた。というか、Tシャツしか着ていなかった。

「あ……。お、お待たせを……」

 れ髪上気はだの朝比奈さんは、鶴屋さんの後ろにかくれるようにして部屋に入り、正座して縮こまる。なんせすそそでも朝比奈さんには長すぎるので、Tシャツと言ってもワンピースみたいに見える。それがまたらしい効果を発揮していた。外し忘れの右目が銀色のままなのはあやういが、ビームもスパスパワイヤーも出ないようなので一安心である。ぼうも取らずにかしこまっている長門をどこかのせつしやたてまつってやりたいくらいだ。

「はいこれ。飲んじゃって」

 鶴屋さんがゆかに置いたぼんには、人数分のグラスがってだいだいいろの液体で満たされていた。鶴屋さんからわたされたそのオレンジジュースを朝比奈さんは半分くらいいつしゆんで飲んだ。今日一番動きが多かったからな、水分をしようもうしていたんだろう。

 俺も有りがたちようだいし味わいつつ飲んでると、一口で飲み干したハルヒが残った氷をかみくだきながら、

「さ。せっかくだし、この部屋でさつえいしましょう」

 ろくに休むこともなく始まったのは次のようなシーンだった。

 気絶した演技をする朝比奈さんを、古泉がおひめきで部屋に入ってくる。なぜかすでに布団がかれていて、古泉はそこに朝比奈さんを横たえると、じっとそのがおながめるのだった。

 朝比奈さんの顔はかなり紅潮、まつがぴくぴくしている。その無防備な身体からだに古泉はそっとタオルケットをかぶせ、うでを組んでまくらもとに座った。

「うーん……」と朝比奈さんが寝言のようなことをつぶやき、古泉は口元をゆるめた顔で注視し続ける。

 ここでは出番のないらしい長門は、俺と鶴屋さんの背後でまだオレンジジュースをちびちび飲んでいた。俺はファインダーを覗きながら朝比奈さんの寝顔をアップにする。ハルヒが何も指示しないものだからこのあたり、俺のしゆの世界である。しかしハルヒは主演二人にはリアルタイムで指示を出し続けていた。

「みくるちゃん、そろそろ起きて。セリフはさっき言った通りよ」

「……ううー」

 朝比奈さんはゆっくり目を開け、みよううるんだ目つきで古泉を見上げる。

「気が付きましたか?」と古泉。

「はい……。ええと、ここは……」

「僕の部屋です」

 むくりと上半身を起こした朝比奈さんは、なぜか熱っぽい顔で視点の定まらない目をしている。なんかやけに色っぽいが、これは演技なのか?

「あ……ありがとうございます、う」

 すかさずハルヒ指示、

「そこで二人! もっと顔を近づけて! でもってみくるちゃんは目を閉じて、古泉くんはみくるちゃんのかたに手を回し、もういいから押したおしてキスしちゃって!」

「ええっ……」

 どういうわけかトロンとした目つきで朝比奈さんは口を半開きにして、古泉が言いつけ通りに朝比奈さんの肩を抱いたところで、俺のまんが限界に達した。

「待てこら。いろいろはしりすぎだぞ。ってより、なんでこんなシーンがある? なんだこれは?」

「濡れ場よ濡れ場。ラブシーン。時間帯またぎにはこういうのを入れておかないと」

 アホか。これは夜九時から始まる二時間ドラマか。古泉も、何を乗り気な顔をしてやがるんだ。こんなものが上映されたら、次の日からお前のばこには百単位でじゆの手紙がい込むぞ。少しは考えろ。

 だれかのケラケラ笑いが聞こえてり向くと、畳のへりつめを立てるように身体を折って、鶴屋さんがばくしようしていた。

「ひひーっ、みくる、おかしーっ」

 おかしくない……と言いたいのだが、明らかに朝比奈さんは通常ではなかった。さっきから首がわってないし、目が潤みっぱなしのほお染めっぱなし、しかも古泉に肩かれてもていこうにされるがままになっている。おもしろくない。

「うー……。こいすみくん、あたしなんだかあたまがおもいのねす……ふ」

 ネズミに花束をささげたくなるようなことを言いながら、朝比奈さんは身体をぐらぐらさせている。薬でも盛られたのかという感想を持ち、俺は気付いた。視線が空のグラスへと自然に向き、鶴屋さんが笑いつつ、

「ごっめーんっ。みくるのジュースにテキーラ混ぜといたの。アルコールが入ったほうが演技にはばが出るかもっていわれてさっ」

 ハルヒのわるだくみか。俺はあきれるよりおこりそうになった。そんなもんだまって混入するな。

「いいじゃん。今のみくるちゃん、すごく色っぽいわよ。画面えするわ」とハルヒ。

 もはや演技どころではなく朝比奈さんはすでにフラフラになっていた。閉じた目の下が赤く染まっている。色っぽいのはいいが、古泉にもたれかかっているのはかいだ。

「古泉くん、いいからキスしなさい。もちろんマウストゥマウスで!」

 ダメに決まっているだろう。前後不覚になっている人間にやっていいことではないぞ。

「やめろ、古泉」

 かんとくとカメラマンのどちらの言葉に従うか、古泉はしばらく考える真似まねをした。なぐるぞこのろう。どのみち俺はハンディを降ろしている。そんなシーンをるつもりも撮らせるつもりもない。

 古泉は俺を安心させるように微笑ほほえんで、フラつく主演女優からはなれた。

「監督、僕には荷が重すぎますよ。それに、朝比奈さんはもう限界のようですし」

「……あたしならたいじょうふすよ?」

 そう言う朝比奈さんは見るからにだいじようではなかった。

「もう。しょうがないわねえ」

 ハルヒはくちびるとがらせて、いどれむすめへとにじり寄った。

「あら、コンタクトつけたままだったの? ここはハズしとかないといけない場面よ」

 朝比奈さんの後頭部をぽかりとたたく。

「いっ……いたい」と朝比奈さんは頭を押さえる。

「ダメじゃないのみくるちゃん! こうして頭を叩かれたら目からコンタクトを飛び出させないと。じゃあもう一度、れんしゅう」

 ぽかり。

「いたっ」

 ぽかり。

「……ひい」と朝比奈さんはぎゅっと目を閉じる。

「やめろバカ」と俺はハルヒの手をにぎって制止した。「なにが練習だ。これのどこが演出なんだ? 何が面白いんだよ」

「なによ、止めないでよ。これも約束事の一つなのっ!」

「誰との約束だそれは。ちっとも面白くない。つまらん。朝比奈さんはお前のオモチャじゃねえぞ」

「あたしが決めたの。みくるちゃんはあたしのオモチャなのよ!」

 聞いたしゆんかん、俺の頭に血が上った。視界が赤く染まったような気すらした。本気で頭に来た。一瞬でしようどうが思考をりようする、それは無我の境地での反射的行動だと言って差しつかえない。

 俺の手首を誰かが握っていた。古泉の野郎が目を細めて小さく首を振っている。古泉が俺の右手を止めているのを見て、俺は初めて自分が握りこぶしを振りかざしていることに気付く。俺のこの右手は、今まさにハルヒをぶん殴ろうとしていたようだった。

「何よっ……!」

 ハルヒはプレアデス星団みたいな光をひとみに宿しつつ、俺をにらみつけていた。

「何が気に入らないって言うのよ! あんたは言われたことしてればいいの! あたしは団長で監督で……とにかくはんこうは許さないからっ!」

 再び俺の目の前が真っ赤になった。このクソ女。放せ古泉。動物でも人間でも、言って聞かないやつは殴ってでもしつけてやるべきなんだ。でないとこいつは一生このままとげだらけ人間としてだれからもけられるようなアホになっちまうんだ。

「やや……やめてくらさぁいっ!」

 飛び込んできたのは朝比奈さんだった。ろれつのあやしい声で、

「だめだめですっ。けんかはだめなのです……っ」

 俺とハルヒの間に身体からだを割り込ませた朝比奈さんは、赤い顔のままずるずるとくずれ落ちた。ハルヒのひざきつくようにして、

「うう……っぷ。みんなはなかよくしないといけません……。そうしないと……んー。ああこれきんそくでしたぁ」

 くたりと朝比奈さんは、何かモゴモゴ言いながら目を閉じた。そして、すうすういきを立てながらねむり込んでしまった。



 俺と古泉は坂道を下りながら歩いていた。眼下に広がっているのは先ほどのめ池である。

 女優が使い物にならなくなったのでさつえいは中止になった。眠る朝比奈さんを鶴屋さんに任せて俺と古泉、長門はだいていたくを辞去することにしたのだが、なぜだかハルヒだけは一人で残ると言い張って俺からビデオカメラを取り上げ、すぐに背中を向けた。俺も何も言わず、雑多な荷物だけをかかえて鶴屋さんの見送りを受けることとなった。

「ごめん、キョンくん」

 鶴屋さんは申しわけなさそうに、しかしすぐにがおとなって、

「あたしもちょっと調子に乗り過ぎちゃったよ! みくるのことは心配しないで。後で送っていくか、なんならめるからっ!」

 長門は門を出てすぐテクテク立ち去った。何の感想もないようだ。長門はそうだろうよ。あいつはいつだって無感想なのさ。

 そしてかたを並べての帰り道、もくぜんと五分ほど歩いたところで古泉が口を開いた。

「あなたはもっと冷静な人だと思っていましたが」

 俺もそのつもりだったさ。

「すでに現実がおかしくなっているのに、さらにへい空間まで生みかねない真似まねつつしんでいただきたいですね」

 俺の知ったことか。『機関』だか何だかいうインチキくさい秘密結社はそのためにあるんだろうが。お前たちが何とでもしたらいい。

「さっきの一件ですが、なんとか涼宮さんの無意識は自制してくれたようですね。閉鎖空間はどこにも出ていないようです。僕からのお願いです、明日には仲直りしてくださいよ」

 どうしようと俺の勝手だ。お前に言われてハイそうですかと返答できるわけもない。

「まあ、それより今は、現在に彼女がえいきようあたえている現実空間をどうにかすることを考えましょうか」

 白々と、古泉は話のさきを変えた。俺もそれに乗ることにする。

「考えるってもな。何がどうなってこうなっているのか、俺にはわからんぞ」

「簡単なくつです。涼宮さんが何かを思いつくたびに、この現実はらぐのです。今までもそうだったじゃないですか」

 俺は灰色の世界でかいの限りをくしていた青いきよじんを思い出す。

「涼宮さんが何かを言い出し、我々がそれに対処する。なぜかと言えば、この世界でのそれが我々の役割だからですよ」

 赤く光る球体の数々を俺は覚えている。古泉はゆったり歩きながら確信をめたような声で言う。

「我々は涼宮ハルヒのトランキライザー、精神安定ざいです」

「そりゃあ……おまえはそうだろうが」

「あなたもですよ」

 元・なぞの転校生は崩れないしようを作り続けている。

「我々は閉鎖空間が主な作業場ですが、あなたはこの現実世界担当です。あなたが涼宮さんの精神を安静にしてくれていれば、閉鎖空間も生まれませんからね。おかげさまでこの半年、僕のアルバイト出動数も減ってきています。お礼を言っておくべきでしょう」

「言わなくていい」

「そうですか。なら言いません」

 坂を下り終えて県道に出る。古泉のちんもくもそこまでだった。

「ところでこれから付き合ってもらいたい所があるのですが」

「いやだと言ったら?」

「すぐに着きますし、そこで何をするわけでもありませんよ。もちろん閉鎖空間へのご招待でもありません」

 古泉が不意に片手を挙げた。俺たちの真横にまったのは、どこかで見たようなくろりのタクシーだった。



「話の続きですがね」

 後部座席のシートに背をあずけ、古泉が言っている。俺は運転手の後頭部をながめていた。

「現在、涼宮さんとあなたを取り巻くじようきようはパターン化しています。涼宮さんの気まぐれを、あなたや僕たち団員が具体化して形にするというわくみが出来上がっているのですよ」

めいわくだ」

「でしょうね。ですが、このパターン化した現状がいつまで続くかは解りません。同じような事態のり返しは、おそらく涼宮さんがきらうものの一つでしょうから」

 今は楽しんでいるようですがね、と言ってきんぱく感に欠ける笑顔になった古泉は、

「涼宮さんのハメ外しが映画の内部だけにとどまるように、何とか努力しなければなりません」

 野球選手になるためにはバットのりや走り込みから始めればいいし、を目指すなら将棋やのルールを覚えることからスタートすべきだし、期末試験でトップをとるにはてつで参考書をにらむ志を持つところから開始すればいいかもしれない。つまり努力するための方法論が人それぞれだろうが存在するわけだ。しかし、ハルヒの脳内もうそうさくじよするにはいったいどんな努力をはらえばいいんだ?

 やめろと言ったらむくれてクソいまいましい灰色の空間をぞうしよくさせるだろうし、かと言って、このままホイホイとやつの妄想に付き合っていたらその妄想が現実になりそうな気配なのだ。

 どっちを取ってもりようきよくたんだな。あいつにはちゆうようというがいねんがないのか。まあ、ないからこそ涼宮ハルヒはまさに涼宮ハルヒ以外のだれでもないわけだが。

 車外の風景はじよじよに緑が多くなってきた。こうした山道をタクシーはけ上がっている。すぐに解る。昨日はバスで辿たどった山へ続く道だった。

 やがて停車したのは、がら空きのちゆうしや場。神社の参拝客専用だ。昨日ハルヒがかんぬしはとじゆうこうを向けるという暴挙をおこなった、あの神社である。おかしいな。日曜の今日なら、もっと人がいてもよさそうなものだが。

 タクシーから先に降りていた古泉が、

「涼宮さんの昨日の言葉を覚えていますか?」

 あんなもうげんの数々をいちいち覚えていられるか。

「行けば思い出しますよ。どうぞけいだいへ」それから言い足した。「今朝にはもうこの状態だったようですよ」

 角石を積み重ねて作られた階段を上がっていく。これも昨日来た道だ。ここを上がると鳥居があって、ほん殿でんに続くじや道があり、そこにはばとの群れが……。

「…………」と俺は沈黙する。

 わらわらいたのは確かに鳩だった。移動式じゆうたんのように地面をつつき回している鳥類の一群。しかし昨日と同じ鳩たちなのかどうかは自信がない。

 なぜなら、一面に広がる鳩連中の羽根が一残らず真っ白に変わっていたからだった。

「……誰かにペンキでもられたのか」

 それもたった一夜で。

ちがいなく、この白い羽根は鳩の身体からだから生えている彼等自前のものです。染められたのでもだつしよくでもありません」

「昨日のハルヒのじゆうげきがよほどのきようだったんだな」

 それとも誰かが大量の白鳩を持ってきて、先住の土鳩と入れえたんじゃないのか。

「まさか。誰がそんなことをする必要があります?」

 考えてみただけだ。結論はもう俺の中にある。口にしたくないんだよ。

 昨日、ハルヒはこんなことを言っていた。

『できれば全部白い鳩にしたいんだけど、この際どんな色でも目をつむるわ』

 つむってねえじゃねえか。

「そういうことです。これも涼宮さんの無意識のなせるわざでしょう。一日の誤差があったのは幸いですね」

 エサをくれるとでも思ったか、ざわめく鳩たちが俺たちの足元に寄ってくる。ほかに参拝客はいない。

「このようにですね、涼宮さんの暴走は着実に進行中なわけですよ。映画作りのへいがいが、現実世界に押し寄せてきているのです」

 朝比奈さんの目から光線やらワイヤーを出させただけではじゆうぶんではないのか。

「ハルヒをすいじゆうつとかして文化祭が終わるまでねむらせておいたらいいんじゃないか?」

 俺の提案を、古泉はしようでもってこたえた。

「できなくはないでしょうが、目覚めてからのアフターフォローをしてくれますか?」

「いいや」

 そんなサービスは俺の業務の中に入っていない。古泉はかたをすくめた。

「ではどうしましょうね」

「あいつは神様なんだろ。お前ら信者がなんとかしろよ」

 わざとらしく古泉はおどろく様子を演じた。

「涼宮さんが神ですって? さて、誰がそんなことを言ったのですか?」

「お前じゃねえか」

「そうでしたね」

 こいつこそ、ぶんなぐるべきだろう。

 古泉は笑い、お決まりのセリフ、「じようだんです」と言ってから、

「実際、涼宮さんを『神』と定義しても問題ないだろうとは思いますね。『機関』内の意見はたいせいにおいて彼女を『神』視しています。もちろん反対意見もありまして、個人的には僕もかいろん者の一派です。と言いますのは、もし彼女が本当に神ならば、その自覚もなしにこの世界の内側に住んでいるわけがないと思えるからです。創造主というモノはどこか遠くの上の方で、我々をちようかんしながらせきの数々を自在におこない、我々があわてふためく様をれいてつに観察していることでしょうから」

 俺はしゃがみ込んで落ちていた羽毛を拾った。そのままの姿勢で羽根を指先で回す。鳩の動きが大きくなった。すまないな、パンくずの用意はないんだ。

「僕はこう考えます」

 古泉は一人でしやべっている。

「涼宮さんは神のごとき能力を誰かからあたえられ、しかしその自覚は与えられていません。神たる存在がいるのだとしたら、涼宮さんこそがその神に選ばれたとくしゆな人間ということになります。あくまで人間ですよ」

 あいつが人間だろうが人間外だろうが俺には大して思い入れはない。しかし、なんでハルヒにそんな無意識タネ無しマジカルパワーが、鳩を白くしたり出来る能力があるんだ。何のために。誰のために。

「さあねえ。わかりませんね。あなたには解るんですか?」

 こいつはだれにケンカを売っているんだ。

「これは失礼を」と微笑ほほえみつつ、古泉は言葉をいだ。

「涼宮さんは世界を構築するものであり、同時にかいするものでもあります。もしかしたら我々のこの現実は失敗作なのかもしれない。その失敗した世界を修正する使命を持った者が、涼宮ハルヒという存在なのかもしれない」

 言ってろ。

「となれば、つまり我々が間違っているのです。正しいのは常に涼宮さんで、彼女のこうじやする我々こそが、この世界の異分子、それどころか涼宮さん以外の全人類が間違っていることになる」

 ふーん。それはたいへんだねえー。

「問題は間違った側にいる我々です。世界が正しい世界に再構築されたとき、我々は果たしてその世界の一部になることができるのでしょうか? バグとしてはいじよされるのでしょうか? 誰にも解りません」

 解らんのなら言うな。しかも解ったような口調でな。

「しかしある意味で、今までの彼女があまりうまく世界を構築できていないのも確かです。それはですね、彼女の意識が創造の方向に向いているからですよ。涼宮さんは非常にポジティブな人です。ですが、これが逆方向へ向かえばどうなるでしょう」

 だまる気はないらしい。あきらめて俺はいてやった。

「どうなるんだ」

「解りません。ですが、何であろうともつくるよりはこわすほうが簡単なのです。そんなものは信じないから消えせろ、それだけでいいのですよ。そうすれば何だろうと『無い』ことになるでしょう。すべてをキャンセルできてしまいます。たとえどんなに強大な敵が現れようと、涼宮さんはその連中を否定するだけでしようめつさせることができます。ほうだろうと高度な科学技術だろうと、何が相手でもね」

 だがハルヒは否定しないだろう。それはあいつが切に待ち望んでいるものだろうからな。

「それが困りものなんですよね」

 古泉は困ってない声でささやくように、

「涼宮さんが神なのか神に似た何かなのかは解りようもないと僕は考えますが、ただ一つ言えることがあります。もし彼女が自由に自分の力をるって、その結果世界が変化したとしても、変化したことに誰も気付かないだろうということです。これはちょっとすごいですよ。なぜなら、その変化は涼宮さん本人でさえ気付きようがないでしょうから」

「なぜだ」

「涼宮さんもまた世界の一部だからです。これは彼女が造物主ではないというぼうしようの一つですね。世界を創りたもうた神ならば、世界の外側にいるはずです。しかし彼女は我々と同じ世界で生きている。あげくはんな改変しかできないのは不自然、非常におかしな話です」

「俺にはお前のほうがおかしく見えるぜ」

 古泉は無視して続きを語る。

「ですが、僕は今まで暮らしてきたこの世界が割と好きなんです。様々な社会的じゆんめていたりはしますが、それは人類がいつかどうにか出来ることでしょう。問題なのは、天動説が正解で太陽は地球の周りを回っている、みたいな改変が起きることです。涼宮さんにそんなことを信じ込ませないように、僕たちは何とかしようとしているのです。あなたもそう思ったからへい空間からもどってきたのでしょう?」

 さあ、どうだったかな。忘れちまったよ。思い出したくない過去はふういんすることにしているのさ。

 古泉は口先だけで笑った。ちようのようなみだった。

がらにもないことを言ってしまいましたね。まるで自分たちが世界を守っているとかんちがいした正義側人間のような言いぐさでした。これは失礼を」

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