第二章

 今はもう秋のはずなのに、なぜだかちっともすずしくない。地球はいよいよバカになったようで、秋という季節を日本にとうらいさせることを忘れてしまっているようだった。夏の暑さは無限の延長戦に入ったみたいにせっせと続き、だれかがサヨナラ打を打たない限り収まりそうもなかった。収まるころには秋をすっ飛ばして冬になっているような気もするけど。

 おそくなるかもしれないわね、とハルヒが言うので俺たちはかばんを持って学校を後にした。長い坂道をずんずん降りていくハルヒの向かう所はどこだろう。高校の文化祭用自主映画に制作費をきよしゆつしてくれるようなスポンサーなんかいるとも思えない。映研ならまだしも、俺たちは何のために集まっているのか半年ってもまだ誰にも解らないれいさいなぞ団体なのだ。もんぜんばらいが相応だ。

 山を下った俺たちは私鉄のローカル線に乗り、三駅ほど移動することになった。いつぞや、俺と朝比奈さんが二人きりの散策をたんのうした桜並木に近いあたり。でかいスーパーマーケットや商店街がある、割に人出のある地域である。

 ハルヒは俺と朝比奈さんを背後に従え、まっすぐ商店街の中に入っていった。

「ここ」

 ようやく立ち止まったハルヒの指差す先には、いつけんの電器店があった。

「なるほどね」と俺は言った。

 この店から映画さつえいに使用するための機材をせしめるつもりらしい。

 どうやってだ。

「ちょっと待ってて。あたしが話をつけてくるから」

 鞄を俺に預けると、ちゆうちよなくハルヒはガラス張りの店内へ。

 朝比奈さんは俺の後ろにかくれるようにして、照明器具のディスプレイ群でまばゆい店内をおそる恐るうかがっている。引っ込み思案な小学生の女の子が友達の家を初めて訪ねたみたいなふんだ。俺は今度こそ朝比奈さんを守る気満々となり、店長らしきオッサンにり手振りで話しかけているハルヒの背中を観察した。少しでもハルヒがろんなことをやろうとしたら、このまま朝比奈さんをわきかかえてとんそうしよう。

 ガラスの向こうでは、ハルヒが何かしやべりながら展示品を指したり自分を指したりオッサンを指したりしている。オッサンも、なんかふんふんうなずいているが、そんなやつの言うことに安易に首を縦にらないほうがいいと忠告してやるべきだろうか。

 やがてハルヒはパッと振り返り、ガラスドアの外でいつでもげ出せる態勢をとっている俺たちを人差し指で示し、ワライタケをったみたいながおをつくり、また手をバタバタさせつつ演説を続けた。

「何をしてるんでしょう……?」

 朝比奈さんが俺のななめ後ろで顔を出したり引っ込めたりしながら疑問の声を出す。

 未来から来た朝比奈さんにわからないものが俺に解るわけもない。

「さあ。どうせこの店で一番高性能なデジタルハンディビデオカメラをしようたいせよ、とか言ってるんじゃないでしょうか」

 それくらいのことを平然という女だ、アレは。ヘタすりゃ世界の中心に立って地球を回しているのは自分だと信じているような奴だからな。

「困ったもんだ」

 ちょっと前のことだが、似たような疑問を長門にいてみたことがある。

 ハルヒはおのれの価値基準や判断を絶対的なものだと信じ込んでいる。他人の意思や意識が自分のものとはちがう場合もある、むしろ違ってばかりであるということが解っていないに違いない。ちよう光速航法を実現したいなら、ハルヒを宇宙船に乗せてやればいい。やすやすと相対性理論を無視してくれるだろう。

 そんなようなことを長門に言ったところ、あの無口な宇宙人モドキは、

「あなたの意見は、おそらく正しい」

 と、長門にしては意味のある文章を喋った。じようだんがシャレにならない存在、それが涼宮ハルヒであった。

「あ、話終わったみたい」

 朝比奈さんのひそやかな声で俺は回想シーンからもどってきた。

 果たして、ハルヒはごまんえつの表情で電器店から出てきた。両手でりの箱を抱えている。有名電機メーカーのロゴがでっかくおどる横にプリントされている商品写真、それは俺の見間違えでない限り、ビデオカメラの形状をしていた。



 いったいどういうおどし文句を使ったんだ?

 よこさないと放火するとか、不買運動するとか、一晩中イタズラFAXを流し続けるとか、今すぐここで暴れ出すとか、予告なしでばくするとか──。

「バカじゃない? そんなきようはくまがいのことをするわけないじゃないの」

 ハルヒはげん良く、商店街のてんがいの下を歩いている。

「これで初めの一歩は成功ね。順調だわ」

 俺はビデオカメラの入った箱を持たされて後をついて行っている。ハルヒの背中でれるストレートヘアを見ながら、

「だから、どうやったらタダでこんな高そうなもんをくれるんだよ。あのおやはお前に何か弱みでもにぎられていたのか?」

 そう、店を出てきたハルヒは開口一番、「もらった」と宣言しやがったのだ。くれるんだったら俺だって欲しい。決めゼリフを教えてくれ。

 振り返ったハルヒは、ニマアっと笑いつつ、

「べっつにー。映画りたいからちょうだいって言ったら、いいよってくれたのよ。何の問題もないわ」

 今はなくとも後々問題になりそうな気がしているのだが、これは俺が心配しようだからか。

「いちいち気にしないの。あんたは大らかにあたしの下僕として働いていればいいんだから」

 あいにく俺は、今年の春から船体横にタイタニックと書いてある船にうっかり乗り込んでしまったような気分を今もって味わっている最中だ。どこかにSOSを打電したくもあったが残念ながらモールスを知らない。それ以前に、下僕とか言われて大らかになれるほど俺はこんじようがすわってないぞ。

「さあ、次の店に行くわよ!」

 買い物客の波の中で、ハルヒは元気よく手足を動かして歩き出す。俺は朝比奈さんと顔を見合わせ、競歩みたいなスピードで遠ざかるハルヒの後ろ姿を追った。



 次にハルヒの訪問を受けたのは模型ショップだった。

 またしても俺と朝比奈さんを外に置き去りにして、ハルヒは一人でこうしよう人をやっている。だんだん解ってきた。ガラスしに俺たちを指差すとき、ハルヒの人差し指は朝比奈さんを正確に示しているのだ。値段ぶんの働きをどういう形でか朝比奈さんがすることになりそうな具合だ。それに気付かず、朝比奈さんは店頭に展示してあるジオラマのケースをものめずらしそうにのぞき込んでいた。教えたほうがいいのかな?

 待つこと数分、出てきたハルヒは、またまた身体からだの前にかさばりそうな箱をかかえていた。今度は何だ。

「武器よ」

 ハルヒは答えて俺に荷物を押しつける。よく見ればプラモデルか何かの箱だった。それもピストルだかのじゆうたぐいである。何すんだ、こんなもん。

「アクションシーンに使うのよ。ガンアクションよ。ち合いはエンターテインメントの基本なの。できればビルを丸ごと爆破したいくらいなんだけど、ダイナマイトってどこで売ってるか知ってる? 雑貨店にあるかしら」

 知るか。少なくともコンビニやネットつうはんでは売ってないだろうな。どっかの採石所に行けば置いてあるんじゃないか──と言いかけて、俺はみとどまった。こいつのことだ、夜中に信管とTNT火薬をぬすみに行きかねない。

 ビデオカメラとモデルガンの箱を地面に置いて、俺はハルヒに向けて首をった。

「それで、この大荷物をどうするんだ?」

「いっぺん家に持って帰って、明日また部室まで持ってきて。これから学校にもどるのはめんどうだから」

「俺が?」

「あんたが」

 ハルヒはうでみをして実にいい顔をした。教室ではめつに見られない、SOS団専用スマイルだ。そして、こんなふうにハルヒが笑うと、回り回って俺に災難を回収する役割がめぐってくることになっている。逆わらしべ長者か。

「あのう」

 朝比奈さんがひかえめに片手を挙げる。

「あたしは何をしたら……」

「みくるちゃんはいいのよ。もう帰っちゃっていいわ。今日は用済みだから」

 ぱちくりとひとみまばたかせ、朝比奈さんはきつねに化かされただぬきみたいな表情になった。朝比奈さんが今日したことと言ったら、俺と共にハルヒの後ろをビクビクしながら歩いていただけだったからな。何のためにハルヒが自分に同行を強制したのか理解不能だろう。俺にはなんとなく読めていたが。

 ハルヒは今にもラジオ体操第二をおどりそうな勢いで、りの駅へと俺たちをさそった。本日のハルヒ的活動はこれで打ち止めらしい。びんわんネゴシエーターでも左側に寄りそうな手腕で入手したのはビデカメ一台としようじゆう数丁。かかった費用は無料、つまりタダだ。

 昔の人はよく言ったものだ。タダよりこわい物はない。問題は、ハルヒがそれを全然こわがっていないことだった。と言うか、こいつの恐がりそうなものがあったら俺までごれんらくいただきたい。



 翌日、俺がかばん以外の余計な荷物を抱えてえっちらおっちら坂を上っていると、

「よ、キョン。何背負ってんだ? どっかの良い子たちへのプレゼントか?」

 俺の横に追いついてきたのは谷口だった。俺とハルヒのクラスメイトで単純たんさいぼうバカの、ちがいなくそこらに転がっているつうの同級生の一人である。普通。いい言葉だ。今の俺の立場からすれば貴重ですらある。そこには現実的なことだまが宿っているからな。

 俺はしばらく迷ってから、二つのスーパーのふくろのうち軽い方を谷口に押しつけた。

「なんだこりゃ、モデルガン? お前、こんな暗いしゆがあったのか」

「俺じゃない。ハルヒの趣味だ」

 それから一応フォローしておくが、暗い趣味と言い切るのは間違いだと思うぞ。

「涼宮が一人でグロックの分解そうしてる姿なんざ想像できねえな」

 俺もできないから、これを分解したり組み立てたりするのはハルヒ以外のだれかになるのだろう。ちなみに俺はガキのころぼうモビルスーツを組み立てようとしてどうしてもみぎかたのジョイントがはまらず投げ出した過去を持つ男だ。

「お前も大変だな」

 谷口はちっとも大変だとは思っていないような声で、

「涼宮のおり役が勤まるのは古今東西探し回ってもお前くらいのもんだぜ。俺が保証してやる。だからさっさとくっついちまえ」

 何て事を言いやがる。俺はいかなる意味でもハルヒと接着するつもりはない。俺がくっつきたいのは、むしろ朝比奈さんのほうだ。誰がどう考えてもそうだろ?

 谷口は、ケケケとようかいじみた笑い声を上げた。

「ああ、そりゃダメだ。あの人は北高の天使様、男子学生の心のり所だからな。全校生徒の半分からフクロにされたくなかったらみよう真似まねはしないこった。お前だって逆上した俺に後ろからされたくはないだろ?」

 じゃあ次点の長門にしておくよ。

「それもまた無理だな。あれはあれでかくれファンが多いんだ。なんで眼鏡めがねやめたんだろうな。コンタクトにしたのか?」

「さあな。本人にいてくれ」

「聞いた話じゃ、いまだに何を話しかけても無視されるそうだぜ。なんでも長門のクラスでは、あいつが一言でもしやべるとその日はいいことか悪いことかのどちらかが起こると信じられているらしい」

 長門を竹の花みたいに言うな。いつの時代のきつちよううらないだ。あいつは確かに普通ではないかもしれないが、それなりに普通であるところも──まあ、あんまりないな。

「つまりお前には涼宮が似合ってんのさ。あのアホとまともに話が出来るのはお前だけで、がい者は少ないほうがいい。なんとかしてやってくれ。そういやそろそろ文化祭だが、今度は何をやってくれんだ?」

「だから俺に訊くな」

 俺はSOS団しようがい担当要員ではない。しかし谷口は平然と、

「涼宮に訊いてもわけのわからんことを言うだけだろ。っつき具合を間違えると暴れ出すおそれがあるしな。長門有希はどうせ何訊いても何も言わねえ。朝比奈さんは近寄りがたい。もう一人の男は話していると何かムカつく。だからお前に訊いてんのさ」

 妙なくつをこねるろうだ。それではまるで俺が単なるおひとしのようじゃないか。

「違うのか? そっちに歩いていけばがけに落ちると解ってんのにいつしよになって歩いている付き合いのよすぎる男に見えるけどな、俺には」

 校門が見えてくる。俺はぜんたるおもちで谷口からスーパー袋をうばい返した。

 ハルヒ的けものみちの行き着く先に何があるのかは知らないが、ロクでもないものが待ち受けているだろうなとは、そりゃ俺だって思っている。だが、一緒に歩いているのはハルヒと俺だけじゃなく、解っているだけでほかに最低三人はいるのだ。そのうち二人はほうっておいてもだいじようだろうが、朝比奈さんは危なっかしい。未来人とは思えないほど、自分の身に起こる何かを全然予測できていないのだ。ま、それがいいんだけど。

「だからな」と俺は言ってやる。「誰かが守ってやらんといかんのだ」

 おお、我ながら主人公みたいなセリフだな。守ると言ってもハルヒの行き過ぎたセクハラのしゆからだけどさ。

 俺はいい調子で、

「せっかくだから俺が守る。全学年の男連中が何を言おうと俺は知らん。勝手にしん同盟でも作っていやがればいい」

 谷口は、またコナキジジイのようにケケケと笑い、

「ほどほどにしとけよ。新月の夜が月に一回は必ずあるんだからな」

 通り魔予告みたいなことを言って、門をくぐった。



 俺が荷物とともに教室の前のろうを歩いていると、ハルヒが自前の荷物を自分のロッカーに押し込んでいるところに出くわした。

 俺も電気機器とプラモの箱を俺の出席番号の書かれたスチールロッカーにしまい込む。

「キョン、今日からいそがしくなるわよ」

 おはようも言わずにハルヒはロッカーのフタを音高く閉めると、俺にはる日和びよりのようながおを向けた。

「みくるちゃんも有希も古泉くんもね。ガタガタ言わせたりしないわ。映画のシナリオはあたしの頭の中でバッチリまっているのよね。ぐつぐつ言ってるくらいよ。後は形にするだけよ」

「あっそう」

 俺は適当に答えて教室に入った。俺の机は数えて後ろから二番目にある。一学期から何度もせきえをしたが、いまだに一番後ろの席を引き当てたことがない。なぜなら、俺の後ろには毎回ハルヒが座っていたからだ。そろそろぐうぜんと考えるのは不自然だと思えるようになってきたが、それでも俺は偶然を信じている。俺が信じてやらないと偶然のほうが自信そうしつするような気がするんでね。これでも俺は気配りの人なのだ。ハルヒなんかと付き合っていたらだれでもそうなるぜ。ルーズボールをチェックに行く守備的MFみたいなもんさ。なんせハルヒはオフサイドラインのはるか向こうでひたすらボールを待っているだけのようなちようこうげき的FWだからな。敵キーパーより後ろにいるかもしれない。そこにパスしてもせんしんの旗が上がるのは確実なのだが、それはハルヒにすればひたすらしんに過ぎないのである。そんなルールがあるほうがおかしいとハルヒはおおまじめで言うだろう。そのうちボールを手に持ってゴールポストに飛び込んでもそれは一点なのだと主張しかねないやつなのだ。だったらラグビーをやれという提案は通用しない。

 走るぼうじやくじんの対処法は、何もかも聞かなかったことにしてさり気なくその場をはなれるか、すべてをあきらめてこいつの言うとおりにするほかにない。俺以外の同級生はとっくにそうやっている。

 だからその日の六限が終わるなりハルヒが教室から姿を消し、終わりのホームルーム時に俺の真後ろが空席になっていても、担任岡部教師も他の誰も何も言わなかった。気付いていないか、気付かなかったフリをしているのか、気付くだけだと思っているのか、まあ放っておくのが一番なのでどれだって同じなのさ。

 俺は予感めいたものを感じながら部室とうに向かい、何個もの箱が入ったふくろを両手にぶらさげたまま文芸部室の前で立ち止まった。

 なんか聞こえてくる。きゃあとか言ってるのは朝比奈さんのいたいけな声で、ぎゃあとかわめいているのはハルヒのイタい声だ。またやってる。

 ここでドアを開けると実に絵的によろしいシーンを見ることができそうだが、常識人たる俺はストイックにももうそうこらえつつ、じっと待ちの態勢である。

 五分ほどして、内部でのささやかなとうそうは収まった。どうせハルヒが勝ちほこった顔で両手をこしに当てているにちがいない。ウサギがきよだいアナコンダに勝てないのと同じ理屈で、朝比奈さんが勝つとは思えないからな。

 俺のノックに、

「どーぞっ!」

 ハルヒの勇ましい返答。俺は朝に見かけた紙袋の中身は何だったのかと思いつつ、とびらを開けて部室に入った。まず目に入ったのはやはりハルヒの勝ち誇った顔だった。が、そんな顔なら俺はもうきている。俺はハルヒの前のパイプに座っている人物へと視線を向けて、げきれつかつ熱烈に注目した。

 ウェイトレスがそこにいて、俺になみだを向けてくれた。

「…………」

 ややかみを乱しているウェイトレスさんは長門の真似まねみたいにだまり込み、つつっとうつむいた。その背後では、ハルヒが彼女の豊かなくりいろの髪をツインテールにっている。めずらしくも長門の姿はない。

「どう?」

 ハルヒはふふんと笑いながら俺にいた。どうしてお前が自分のがらみたいな顔をするんだ? 朝比奈さんの可愛かわいさは朝比奈さんのものだぞ。……とは言え。

 まあね? 俺はいいと思うんだけどね? 朝比奈さんはどうなのだろうね? いやいや俺には異議はないよ? しかしこのスカートたけはちょっと短すぎるんじゃないかなあ?

 完全無欠100%フルーツじゆうなまでにウェイトレスのふんそうをした朝比奈さんは、ぴったりそろえたひざぞうに両手のにぎこぶしを置いて固まっていた。

 それがもうあなた、異様に似合っていた。カエアン製のしようかと思ったほどだ。おかげで三十秒くらい無言で朝比奈さんを見つめ続けていた俺は、後ろからかたたたかれて飛び上がりかけることになった。

「やあどうも。昨日はすいませんでした。今日は今日とてきやくほんでモメそうだったのですが、僕は早々に切り上げさせてもらったんですよ。どうどうめぐりには付き合い切れません」

 古泉がニヤケハンサムな顔で俺の肩しに部室をのぞき込み、

「おや」

 かいそうに微笑ほほえんで、

「これはこれは」

 古泉は俺の横を通り過ぎるとテーブルにかばんを置き、パイプ椅子に腰を落ち着け、

「よくお似合いですよ」

 そのまんまな感想を述べた。そんなもん見りゃわかる。解らないのは、なんできつてんでもファミレスでもないのにウェイトレスがこのうすぎたない小部屋にいるのかってことだ。

「それはね、キョン」とハルヒ。「みくるちゃんにはこのコスチュームで映画に出てもらうからよ」

 メイドじゃ不都合なのか?

「メイドってのは大金持ちのしきとかにいて個人的ほう活動するのが仕事よ。ウェイトレスは違うわ。街角のどっかの店で時給七三〇円くらいで不特定多数にサービスを提供するのが目的なの」

 それが高いのか安いのかは知らんけど、どっちにしろ朝比奈さんは屋敷づとめやバイトをするために毎回こんなかつこうをしちゃいないだろう。ハルヒの金でやとっているのなら別だが。

「細かいことは気にしないでいいの! こういうのは気分の問題なのね。あたしは気分いいわ」

 お前はよくても朝比奈さんはどうなんだ。

「すす、涼宮さん……。これちょっとあたしには小さいような……」

 朝比奈さんはよほど気になるのか、しきりにミニスカートのすそを押さえっぱなしだ。そのみような動きがもどかしく、ついつい俺もそっちを見てしまうじゃないか。

「こんぐらいがちょうどいいのよ。ジャストフィットって感じだわ」

 俺はムリヤリ視線を引きはがし、ハルヒの密林にな花みたいながおに固定した。ハルヒはぐ前しか見ていないひとみを俺に照準、

「今回の映画のコンセプトが」

 朝比奈さんの丸まった背中を指差す。

「これなのよ」

 これ、と言われても。てんでバイトする少女の日常ドキュメンタリーフィルムでもるつもりか。

「違うわよ。みくるちゃんの日常をかくし撮りしたってちっともおもしろくもなんともないわ。つうの日常を記録するだけで楽しい物語になるなんてのはね、よっぽどエキセントリックな人生を送っている人だけよ。ただの高校生の一日をさつえいしたって、そんなの自己満足にすぎないの」

 別に朝比奈さんは満足しないと思うし、第三者的にはそれはそれでじゆようがあるような気もするし、だいたい朝比奈さんの日常はけっこうエキセントリックなものである感じもするのだが、ここは黙っておこう。

「あたしはSOS団代表かんとくとしてらくてつすることに決めたの。見てなさい、観客を残らずスタンディングオベーションさせてみせるからね!」

 よく見るとハルヒのわんしようの文字は、いつの間にか「団長」から「監督」に変わっていた。用意しゆうとうやつである。

 一人で盛り上がっている女監督と、盛り下がっている主演女優、あいまいな笑みで見物人みたいに一歩退いている主演男優を見回したのち、俺がどうしたものかと考えていると、部室のとびらが音もなく開いた。

「…………」

 何が登場したのかと思った。俺の長くもない人生に早くもおむかえが来たのかといつしゆんビビリが入る。モーツァルトにレクイエムを発注しに来たサリエリが出演する映画の楽屋をちがえたんじゃないかと疑ったくらいだ。

「…………」と、得意の三点リーダを連続させながら足音もなく入ってきたのは、長門有希のいつもより白い顔だった。顔しかしゆつしていない。後は真っ黒だ。

 絶句しているのは俺だけでなく、ハルヒと朝比奈さんも同様で、古泉さえも微笑みにおどろきの色を消費税分くらい混ぜ込んでいる。さもありなん、長門は朝比奈さんもびっくりのばつな衣装をまとっていた。

 暗幕みたいな黒いマントで全身をすっぽりおおい、頭に同色のつばひろなトンガリぼうをかぶっていて、ほとんど寸足らずのバンパイアハンターである。

 俺たちが見守る中、死神みたいな恰好をした長門は、もくもくと自分の定位置であるすみっこの席に着き、マントの裾から鞄とハードカバー本を取り出してテーブルに置いた。

 そして俺たち四人のきようがくをあっさりと無視し去ると、たんたんと読書を開始した。



 文化祭でクラスがするうらない大会のしようなんだそうだ。

 絶句から最速で立ち直ったハルヒのぎ早な質問に答える長門の単語をつなげていくと、そういう答えになる。長門にこんな愉快な恰好をさせるとは、こいつのクラスにはなかなか才能豊かなスタイリストがいそうじゃないか。

 それにしても、この悪いてるてるぼうみたいな衣装で教室からここまで歩いてくるとは、長門は長門なりに朝比奈さんにたいこう意識を燃やしでもしているのか? ハルヒ以上に考えのつかめない女だな、こいつは。

 そんな何とも言えない気まずい空気がただよう中、ハルヒだけが大喜びしていた。

「有希、あなたもわかってきたじゃない! そう、それよ!」

 長門はゆっくりと目をハルヒに向け、またページにもどした。

「あたしの考えていた配役にぴったりの衣装だわ! あなたにそれ着せた人を後で教えてちょうだい。この感謝の気持ちを電報にして打ったげたいわね」

 やめてやってくれ。お前から祝電でも来た日には、何か裏があるんじゃないかと疑心あんにかられるのが関の山だ。もう少し周囲の自分への評価を客観視してくれよ。

 すっかりごげんさんになったハルヒは、鼻歌でトルコ行進曲をかなでながら自分のかばんを開けて数枚のコピー用紙を取り出す。それを手早く俺たちに配布して、ツキノワグマを土俵ぎわに転がしたきんろうみたいな表情をした。

 しょうがないので俺はその紙切れに目を落としてみる。

 次のような文章が乱暴に書いてあった。


『戦うウェイトレス 朝比奈ミクルのぼうけん(仮)』

☆登場人物

・朝比奈ミクル……未来から来た戦うウェイトレス。

・古泉イツキ……ちようのうりよく少年。

・長門ユキ……悪い宇宙人。

・エキストラの人たち……通りすがり。


 …………まあ、なんだ。あれだ。

 あきれ果てるのをちようえつして、こいつはいったいかんがいいのかどうなのか、それとも当てずっぽうがなぜか的中するのか、もしやワザと知らんぷりしてんじゃないかと思わされるくらいである。何なんだ、この変なところで発揮されるかいするどさは。

 ぜんとしていた俺は、わきから聞こえるクスクス笑いに我に返った。こんなふうに笑うのも、やはり決まって古泉である。

「いや、これは……」

 楽しそうでうらやましいぜ。

「何と言いますか、さすがと言うべきでしょうね。本当に、涼宮さんらしい配役です。らしいですね」

 俺に微笑ほほえみかけるな。気持ち悪い。

 A4コピー紙を両手でにぎって読んでいた朝比奈さんはぴくぴくときやしやな手首をふるわせている。

「わ……」

 小声をらして、俺に救いを求めるような顔を向ける。と思ったら、とても悲しそうな、非難するようなまなしだった。まるでとしはなれたしんせきやさしいお姉さんがイタズラのすぎた幼児をさとしているような……と、俺はやっと思い出した。そう言えば、半年前の事件後、俺がハルヒに三人の正体を教えてやったことを。

 うげ。マズい。これは俺のせいか。

 あわてふためいて長門を見ると、黒マントに黒帽子をコーディネイトした対人間用ヒューマノイド・インターフェースとやらは、

「…………」

 だまって本を読んでいた。



「とりたてて問題はないでしょう」

 古泉が楽観的に主張している。俺はもう一つ笑えない。

「笑うこともないでしょうが、悲観することでもありません」

「どうして解るんだ」

「なぜなら、たかが映画の配役だからです。涼宮さんは本気で僕が超能力少年だと思っているわけではありません。あくまで映画というフィクション内で、僕が演じる古泉イツキなる少年が超能力者だと設定しているだけですからね」

 古泉はおく力の足りない生徒に向かう家庭教師のように、

「現実にこうして存在する僕、古泉一樹と、このイツキくんは別人も同然ですよ。だれだって映画の中の登場人物と演じている俳優を混同したりはしないでしょう? もし混同する人がいるんだとしても、それは涼宮さんには当てはまりません」

「なんだか、あんまり安心できないな。お前の言うことが正しいという保証はない」

「もし彼女が現実とフィクションをごっちゃにしているんだとしたら、この世の中はとっくにファンタジックな世界になっているでしょうからね。前にも言いましたが、涼宮さんはあれでも現実的な思考の持ち主なのです」

 それはわかる。ハルヒの現実的思考なるものがちゆうはんかみかっているせいで、俺はけったいな事件の数々に巻き込まれているのだからな。しかもかんじんのハルヒが全然無自覚なうちにだ。

しようを見せつけるわけにもいきませんから」

 古泉はサラリと言う。

「もしかするとそんな事態にならざるを得ないときが来るのかもしれません。でもそれは今ではない。幸いなことに、朝比奈さんや長門さんの勢力も同意見のようです。僕は永遠にこのままでもいいと思いますけどね」

 俺だってそう思うさ。世界がしっちゃかめっちゃかになるのは見たくない。来週発売のゲームソフトをとことんやり込んでからでないと未練を残しそうだ。

 古泉は微笑ほほえみくんのまま、

「世界を心配するより、あなたは自分のことをもっと注意して見守るべきですね。僕や長門さんの代わりはほかにもいるかもしれませんが、あなたにアンダースタディはいませんので」

 俺は複雑化した胸の内をられないように、手元のじゆうのガス入れに熱中しているフリをした。


 この日のハルヒは朝比奈さんにしようをあてがい、役名を発表しただけに終わっていた。本当はウェイトレスコスの朝比奈さんを引き連れて校内を練り歩いたあげく大々的に製作発表記者会見をしたかったらしいのだが、朝比奈さんが本気で泣きかけたため俺が断念させた。もともとこの高校には新聞部も報道部も宣伝部もない。そう言う俺を見てハルヒはくちびるを水鳥状態にしながらも引き下がり、

「それもそうね」

 おどろくべきことに、うなずいたりした。

「内容はギリギリまで秘密にしておいたほうがいいわね。キョン、あんたにしては気がくじゃない。よそにパクられたら困るもんね」

 ハリウッドや香港ホンコン映画のアイデアじゃあるまいし、誰がそんなお前の頭ん中でえているだけのストーリーボードを欲しがると言うんだ。

「じゃあキョン、その銃、今日中に使えるようにしておいて。明日がクランクインなんだからね。それから、カメラの取りあつかい方も覚えておかなきゃダメよ。あ、そうそう。映像データはパソコンに移して編集するから必要なソフトをどっかからかっぱらってきなさい。それから──」

 という具合に散々宿題を押しつけ申しつけて、ハルヒは『だいだつそう』のテーマを口ずさみながら帰ってった。

 げんがよくても悪くてもどっちにしろめんどうごとを生み出すやつだな、まったく。

 そして今、俺と古泉は男二人で顔つき合わせモデルガンからBBだんが出るように説明書と首っ引きで奮戦しているところだった。

 えのしゆうりようした朝比奈さんはかたを落としてとぼとぼと帰宅、長門はサバトに招待されたじよみたいなかつこうのままかばんも持たずにどこかに行った。どうも長門は自分のふんそうを俺たちに見せに来ただけのようだった。あいつのことだから何か意味があるのかもしれないし、単なる顔見せかもしれない。たぶんいまごろは自分の教室で何かしてるんだろう。すいしよううらないの予行演習か、そんなのをな。



 一日ごとに校内のざわつき加減がぞうしている感覚はあった。放課後になるたび鳴りひびすいそうがく部のヘタクソなラッパはじよじよちがしよが減っていってるし、校庭のかげでベニヤやバルサをギコギコ切っている奴もいるし、長門のように変な恰好をした生徒も少しずつだが増え始めた。

 が、しょせんは地味な県立高校のお祭り行事、まったくハメを外しそうにないごくごくおとなしい文化祭になりそうだ。見た感じ、楽しむための努力をほうしていないのは学校全体でもせいぜい半分と言ったところだな。ちなみに俺たち一年五組は楽しむこと自体を放棄している。文化系のクラブに所属していない奴らは当日、けっこうなヒマを持てあますに違いない。その帰宅部の代表格みたいなのが、谷口とくにだ。

「文化祭と言えば」

 谷口が言い出した。

 昼休み、俺とこのやく二人は三人で弁当箱を囲んでいる。

「文化祭と言えば?」

 国木田がき返す。谷口は古泉の上品なそれとはかくするのも気の毒になるような無様なニヤリ笑いをかべて、

「スーパーイベントだ」

 ハルヒみたいなことを言うな。谷口は急激に表情からみをぬぐい去り、

「だが、俺には関係のないイベントだ。つか、腹立たしい」

「何で?」と国木田。

「俺が全然楽しくもないのに、楽しそうにしている奴らがめちゃめちゃざわりだ。特に男女二人組なんか、殺意を覚えるぜ。え? 何なんだ?」

 さかうらみという奴だろう。

「このクラスも何だ? アンケート? はっ! つまらん。どうせあなたの好きな色は何ですかとか、そんなだろ? そんなもん集計して何が楽しいんだ?」

 だったらお前が名案を提案すればよかったじゃねえか。そしたらハルヒも映画がどうのとか言い出さなかったかもしれないのに。

 谷口は弁当のウィンナーを一口で飲み込み、

「俺はそんな面倒なことを言い出したりはせん。いや、言うのはいいが、シキリをさせられるのはイヤだからな」

 国木田は、そうだねえと言いつつ、だし巻き卵を刻む手を休めて、

「こんな時に手を挙げて発言するのは、よほどのお調子者か責任感の強い生徒くらいだもんね。朝倉さんがいればなあ」

 カナダに引っしたことになっている元クラスメイトの名前を挙げた。その名を聞くたびに俺の心はじやつかんの冷やあせを生じさせる。朝倉を消したのは長門だが、その原因となったのは俺だったからだ。ほうっておけば消えていたのは俺のほうだったので、心を痛めていてもどうしようもないが。

「ああ、しいことをしたな」谷口が言った。「よりによってAAランクプラスがいなくなっちまうとはついてねえ。このクラスになってよかったと思ったゆいいつのことだったのによう。くそ、今からクラスえしてくんねえかなあ」

「どこのクラスがいい?」国木田が問いかける。「長門さんのクラスとか? あ、そういや昨日、ほう使つかいみたいな恰好で歩いてるの見たけど、何あれ」

 さあね。俺は知らん。

「長門ねえ……」

 谷口は数学のき打ち小テストを前にしたような顔を俺に向け、さも今思い出したみたいな口調で、

「いつだっけ? お前とあいつが教室でからみ合っていたのはよ。どうせあれだって、涼宮のシナリオだろ。俺をドッキリさせようって計画だったんだろ? そうはいかねえな」

 勝手にかんちがいしてくれて俺は肩の荷が下りた気分だ。……待てよ、あんときお前は忘れ物を取りに来たんじゃなかったか? どうやったらあらかじめお前がもどってくることを俺たちが知れたのか──なんてことは当然、俺は言わんわけである。谷口はアホであり、アホな奴をアホと言っても何ら俺の心は痛まないわけである。よかったよ、こいつがアホで。感謝したいくらいだ。

「それにしてもつまんねえな」

 谷口ががいたんし、国木田は弁当に集中し、俺は自分の背後を見た。ハルヒの机は空席。さて、いまごろどこを練り歩いてるんだか。



「学校でロケができそうな所を探してたのよ」

 と、ハルヒは言った。

「でも全然なかったわ。やっぱり近場ですまそうとしてたらダメね。外に行きましょう」

 学内のふんが気に入らないのかもしれない。しかし今ひとつ盛り上がりに欠けるからといってわざわざ外部にえんせいして盛り上がるための場所を探さなくともいいのに。どうやってもさわたおしたいらしいな。

「えー……。あ、あたしも行くんですか?」

 ヒキ気味の声でうつたえるのは朝比奈さんだった。

「当然でしょ。主役がいないと話にならないもの」

「こここの服で、ですかー?」

 ハルヒがどこからか持ち寄ったふんそう、昨日に引き続きウェイトレスの制服を着せられて小さくなってふるえる朝比奈さんである。

「うん、そう」

 ハルヒはあっさりうなずき、朝比奈さんは自分の身体からだきしめるようにしてイヤイヤをする。

「いちいち着替え直すのもめんどうでしょ? それに現場に着替えるとこないかもしれないしね。ならいっそ最初から着替えておけばいいんじゃない? でしょ? さ、出かけましょう! みんなでね!」

「せめて上からる物を……」

 こんがんする朝比奈さんに、

「だめ」

「だって、ずかしいですよぅ」

「恥ずかしいと思うから変な照れが出るのよ! そんなのじゃゴールデングローブ賞はねらえないわよ!」

 狙うのは文化祭イベント投票ベスト1ではなかったのか。

 今日の部室には団員が全員がんくびそろえて集まっていた。たい劇の台本問題が解決したらしい古泉もいて、ハルヒと朝比奈さんの一方的なやりとりをにこやかにながめている。長門もいた。そして、その長門がちょっと問題だった。

「…………」

 だまりこくっているのはいつもの通りでまことにけっこうだがかつこうあやしい。なぜか長門は、昨日見せに来たあの魔女的ルックを今日も身につけているのだ。そんなもんは文化祭当日に着ればいいだろうに何だって今からスタンバっているんだ。

 ハルヒなんかすっかり長門の黒マントとトンガリぼうが気に入ってしまったようで、

「あなたの役どころは『悪い宇宙人の魔法使い』にへんこうするわ!」

 と、さっそくきやくほんをねじ曲げてしまった。アンテナ型指し棒の先にクリスマスツリーのてっぺんにあるような星形を付け、長門に持たせてえつっているハルヒと、その棒をにぎってじっとしている長門を見ていたら、なんだか俺でさえ、この無口な読書マニアが宇宙人的魔法使いであることに異論がなくなりそうなあんばいである。情報生命体のたんまつってよりはそっちのほうが端的に長門のとくちようを明示しているかもな。魔法みたいな力を持っているのは確かだ。この目で見たから間違いない。

 長門は黒帽子のふちを不意に上げ、相変わらずの無機質な目で俺を見た。

「…………」

 他クラスの用意したしようを勝手にさつえい用コスチュームにしてしまっていいのかいちまつの疑問は発生するが、ハルヒの眼中にはどんなクエスチョンマークも存在しないようだ。

「キョン! カメラの用意はいいわね! 古泉くんはそっちの荷物お願いね。みくるちゃん、なんで机にしがみついてんの? こら、さっさと立って歩きなさい!」

 か弱き朝比奈さんのていこうはかないものだった。ハルヒは非力なウェイトレス少女の首根っこをつかんで引きはがすと、ひええとか言ってるがらな身体をずるずる引きずってドアへ向かった。その後を長門が黒マントのすそを引きずりながらついて行き、最後に古泉が俺にウインクをかましてろうへと消えた。

 さて俺も行かないといけないのかなと考えていると、

「こらーっ! 撮影係がいないと映画になんないでしょうがっ!」

 ハルヒが開いたとびらかげから上半身を見せて顔の半分を口にしてさけび、俺はハルヒのひだりうでにあるわんしようの文字が「だいかんとく」になっているのを認めて、あんたんたる思いにられた。

 どうやら本気らしいぞ、この女。



 まだ一つも映画をっていないしよう大監督を先頭に、美少女ウェイトレスが顔を地面に向けたまま続いて、その後をやみいろほう少女がかげのように歩き、古泉がかみぶくろかかえてさわやかにしようしつつ……というかいな一団と可能な限りきよを置いて俺はさいこうにいた。

 校舎を移動していた時点ですでにもう注目度満点だったが、ハロウィンパーティみたいな一行は校門の外でも人目を集め、中でも視線独りめ状態に置かれた朝比奈さんは二分くらい歩いたところでうつむき始め、三分で赤くなり、五分くらいした今では精気がけたようなうつろな足取りでロボット歩きしている。

 天変地異の前兆みたいなげんの良さで『天国とごく』のサビをハミングしているのは先導を務めるハルヒである。いつの間に用意したのか右手に黄色のメガホン、左手にディレクターズチェアをげて意気ようよう、まるで草原を西進するモンゴル軍へいのような勢いだ。そのままどこにとつげきするのかと思ったら辿たどり着いたのは駅だった。人数分のきつを買って来たハルヒは、俺たちに配り終えると、当然のような顔をして改札へ進軍する。

「待て」

 言葉を失っている朝比奈さんに代わって俺が異議申し立てをおこなった。俺は通行人のこうまなしをどくせんしているミニスカウェイトレスと、その横で付き人のようにひかえているチンチクリンの黒衣むすめを指してから、

「この恰好で電車に乗せるつもりなのか?」

「何か問題あるの?」とハルヒはしらばっくれる。「ぱだかならつかまるかもしれないけど、ちゃんと服着てるじゃん。それより何? バニーガールのほうがよかったの? なら先に言いなさいよ。『戦うバニーちゃん(仮)』でもあたしなら全然かまわないわよ」

 わざわざウェイトレス衣装を持ってきたやつの言うセリフじゃねえ……ってより、今度のコンセプトはこれだとか言ってなかったか? よく知らないが、コンセプトってのはそう簡単に変更してしまってもいいものなのか。

 俺がクリエイターの心情をかいるべく脳ミソを働かせていると、

「一番大切なのは臨機応変に対応することなの。地球の生き物はそうやって進化してきたんだからね。かんきよう適合ってやつよ。ぼんやりしてたらとうされるだけなのよ! ちゃんと適合しないといけないのっ!」

 何に適合すればいいんだろうな。環境に意思があるなら真っ先にハルヒを大気けんの外にほうり出しそうだが。

 古泉はニタニタ笑っているだけの荷物持ちと化し、長門は例の調子で無言続行、朝比奈さんは声を出す気力もないようで、つまり俺以外の全員がちんもくを守っている。

 どうにかして欲しい。

 ハルヒはその沈黙を自分の言葉があまりのかんめいを生んだからだとかいしやくしたようで、

「ほら、電車来たわ。きりきり歩くのよ、みくるちゃん。本番はこれからなんだからねっ」

 同情すべき動機で人を殺してしまった女犯人を連行するけいのように、朝比奈さんのかたいて改札へ歩き出すのだった。



 で、だ。降りたところは一昨日おとといと同じ駅で、向かった先も同じ商店街である。もしやと思っていたら訪問する店も同じだった。ハルヒがこうしようの末にビデオカメラをゲットした電器屋さん。

「約束通り来ましたーっ!」

 元気よく入店したハルヒが叫び、奥からオッサンがのっそり出てきて、朝比奈さんに目を留める。

「ほうほう」

 オッサンはそれだけでセクハラになりそうなみを広げて我等が主演女優を見た。朝比奈さんは必殺わざを出し終えたかくとうゲームキャラみたいにこう中である。オッサンはさらに、

「それ、一昨日の子? ちがえたね。ほうほう。じゃあ、よろしくたのむよ」

 何を頼むつもりなんだ。俺は反射的にビクっとする朝比奈さんを背後にかばおうとして前進しかけたところをハルヒに押しもどされた。

「はいはい、打ち合わせるから、みんなちゃんと聞きなさい」

 そしてハルヒは、体育祭のクラブたいこうリレーで優勝した直後と同じような笑顔をかせて宣告した。

「これからCM撮りを開始します!」



「こ、ここの店は、えーと、店長さんがとっても親切です。それにナイスガイです。現店主であるえいろうさんのおじいさんの代からやってます。かんでんから冷蔵庫までなんでもそろいます。えー、……あとは、えーと」

 ウェイトレス朝比奈さんが引きつりまくった笑顔で必死の棒読みをしている。その横には「大森電器店」と書かれたプラカードをかかげた長門が直立していて、その二人の姿は俺がのぞき込んでいるビデカメのファインダーに映っていた。

 朝比奈さんは見事なギコチナイ作り笑いをして、どこにもつながっていないマイクを持っていた。

 俺の横には古泉がいて、しようしながらカンペを掲げ持っている。カンペはついさっきハルヒが深く考えもせずなぐり書きしたスケッチブックだ。古泉は朝比奈さんのセリフ回しに応じてそれをめくってやっている。

 電器店の店頭で、商店街のまっただ中である。

 ハルヒはディレクターズチェアにこしけて足を組み、難しい顔をして朝比奈さんの演技を観察していたが、

「はいカット!」

 てのひらにメガホンをたたきつけた。

「どうも感じが出ないわね。イマイチ伝わってこないのなぜかしら。なんかこう、グッと来るものがないのよ」

 そんなことを言いながらつめんでいる。

 俺はやれやれとばかりにビデオカメラを停止させた。マイクを両手でにぎりしめている朝比奈さんも停止している。長門は元から停止しっぱなしで、古泉は微笑ほほえみっぱなし。

 背後、商店街を行く通行人たちは何事かと、ざわめきっぱなしだった。

「みくるちゃんの表情がかたいのよね。もっと心から自然な感じで笑いなさい。なんか楽しいことを思い出すの。ってゆうか、いま楽しいでしょ? あなたは主役にばつてきされてるのよ? これ以上の喜びはあなたの人生でも二度とないくらいなのよ!」

 いい加減にしろと言いたいね。

 一昨日のハルヒと店長の対話を二行で表現すると、以下のようになるようだ。

「映画のちゆうにこの店のCM入れてあげるからビデオカメラちょうだい」

「いいとも」

 そんなハルヒの口車に乗った店長もどうかしているが、CM入り自主映画を作って上映しようなどと考えたハルヒはどうかしすぎである。上映の真っ最中に主演女優がCMまでこなす映画なんて聞いたこともない。せめて映画のたいとしてさり気なく背景に映すならまだしも、これでは完全にコマーシャルフィルムだ。

「わかったわ!」

 ハルヒが一人で大声を上げている。頼むからお前は何もわかるな。

「電器屋さんにウェイトレスがいるのが引っかかるのよ」

 お前が持ってきたしようだろうが。

「古泉くん、そのふくろ貸して。そっちの小さいやつ」

 ハルヒは古泉から紙袋を受け取ると放心している朝比奈さんの手をつかんだ。そして店内にずかずか入っていき、

「店長ー、奥でえできそうな部屋ある? うん、どこでもいいわ。なんならトイレでも。そう? じゃあ倉庫借りまーす」

 そんなことを言いながら平気で上がり込み、店の奥へと朝比奈さんを連行して消えた。可哀かわいそうな朝比奈さんはもはやていこうの気力も残っていないらしい。ハルヒのバカ力につんのめりながら、おとなしくついていく。この衣装がげるのなら何でもいいと考えたのかもしれないな。

 残された俺と古泉、長門はすることもなくただ立っていた。黒装束の長門は身じろぎもせずにプラカードを構えたまま、ハンディカメラを見つめている。よく手がつかれないもんだ。

 古泉が俺に微笑みかけた。

「このぶんでは僕の出番はなさそうですね。実はクラスの舞台劇でも僕は役者になることになってしまいましてね。多数決で。ですからセリフ覚えに四苦八苦しているのですよ。こちらでは出来るだけセリフの少ない役がいいのですが……。どうです? あなたが主演をしてみては」

 キャスティング権を握っているのはどうせハルヒだ。そういう注文はやつにつけてくれ。

「そんなおそれ多いことが僕に出来ると思いますか? プロデューサーけんかんとくいつかいの俳優が口出しするなんて、僕にはおよびもつきませんね。なにしろ涼宮さんの命令は絶対のようですし、そむいた後にどんなしっぺ返しをらうかなんて想像したくありません」

 俺だってしたくない。だからこうやってカメラマンなんかをやってるんじゃないか。しかもってるのは映画じゃなくて個人営業てんのローカルCFだ。地域密着にもほどがあるぜ。

 いまごろ店の奥では、例のどたばたがり広げられているのだろうな。いやがる朝比奈さんを好きにいているハルヒのづら。今度は何を着せているのかは知らないが、どうせならあいつが着ればいいんだ。ルックス的に朝比奈さんといい勝負ができるだろうに、自分が主演するという発想はあいつにはないのか?

「お待たせ!」

 出てきた二人組のうち、当然のごとくハルヒは制服のままだった。もう一人の姿かつこうを見るや、俺ののうそうとうがよぎった。ああ、もうあれも半年前の出来事だったんだなあ。月日のつのは早いもんだよなあ。この半年間いろんなことがあったんだよなあ。草野球とかとうとかあれとかこれとか、今となってはいい思い出かもなあ。……な、わけねえだろ。

 なつかしの朝比奈みくるコスプレ第一だん、ハルヒとともに校門にしゆつぼつし、全校の話題をさらい朝比奈さんの精神に外傷を負わせたしゆつ過多のコスチューム。

 非の打ち所のない完全にして無欠のバニーガールがほおを染めつつ目をうるませつつ、よろりとしながらハルヒの横でウサ耳をらしていた。

「うん、これでバッチリ。やっぱ商品のしようかいにはバニーよね」

 わけの解らないことを言いながらハルヒは朝比奈さんを上から下までながめ回し、満足げながお満開、朝比奈さんはあいしゆう全開で半開きの口からたましいが出かかっている。

「さ、みくるちゃん。最初からやり直しね。そろそろセリフも覚えたでしょ。キョン、初っぱなから巻きもどして」

 このぶんではだれもセリフを聞くことはないだろう。上映の最中、朝比奈さんのバニー姿にくぎけになるにちがいないね。スクリーンに穴がかなければいいのだが。

「じゃ、テイク2!」

 ハルヒが高らかにさけび、メガホンをばっちんとたたいた。



 半泣き半笑いの朝比奈さんをハルヒが思うままに操作する電器店CMが何とかしゆうりようした。まるで悪徳マネージャーにあやつられる外人レスラーのようなアングルだ。

 しかし、ここで俺たちがおとずれたスポンサーとやらはもう一けんあったことを思い出さねばならない。思い出すまでもないか。ハルヒは最初からそのつもりだったんだな。

「ひぃ」とか「ぴぃ」とか可愛らしい悲鳴をらすバニー朝比奈さんを引きずって、ハルヒは商店街のど真ん中を歩いている。そのはいれいになっている長門はとことん無感動にじよルックのまま、俺と古泉は並んでブラブラと。

 せめてものなぐさめとして、朝比奈さんのかたには俺のブレザーがかかっている。かえって目立っているかもしれない。なんかもう、とくしゆしゆの世界である。断っておくが俺の趣味ではないぜ。

 とうちやくした二軒目の模型店でも似たようなことが繰り返された。しゆうじんかんの中、朝比奈さんはなみだを俺──つまりカメラ──に向けながら、

「こ、この模型店さんは、やまつちけいさん(28)が周囲の反対を押し切り、去年だつサラして開店オープンしました。趣味がこうじたばっかりに……やっちゃったって感じです……。案の定、思うように売上げはびず、今年度前期は昨年対比でしんちよう率八十%、折れ線グラフはみぎかた下がり……なのでえ! みなさんどんどん買いに来てあげてくださぁい!」

 朝比奈さんのは完全に裏返っている。にしても、こんなナレーションに山土店主はオーケーを出したのか? どうもヤケになってるとしか思えないな。こんなこと高校生に思われたくもないだろうが。

 バニーガールはごういんに持たされたアサルトライフルのじゆうこうを上に向け、

「人に向けてってはいけませーん。空きかんでも撃ってまんしましょうっ」

 その後ろでは、長門がどこを見ているのかわからない目で「ヤマツチモデルショップ」と書かれたプラカードをささげている。シュールな光景だった。朝倉涼子はつうに感情のある人間に見えたから宇宙人製人造人間が全員こんなロボットみたいな奴ばかりではないらしく、長門が無感情なのはそういう仕様なのだろう。

 さらに朝比奈さんはライフル銃を地面に置いた空き缶に向けて乱射しつつ、

「ひええっ。当たったらとても痛いと思いますっ。ひょええっ」

 おびえながらアルミ缶をはちにするというはんしやげきまでおこなって、うまたちのどよめきをさそっていた。命中したのは一割くらいのもんだったが。

 こんな映像をDVカセットに録画してると申しわけない気分になってくるね。朝比奈さんにも、このビデオカメラの開発設計者にも。こんなことをするために世に出てきたわけではあるまいに。



 そんなこんなで、この日はマヌケなCMりだけで終わった。

 俺たちはいったん学校までい戻り、部室にて次のさつえいスケジュールをハルヒから聞いているところだ。

「明日は土曜日で休みだから、朝から全員集合ね。北口駅前に九時には来ていること。いいわねっ!」

 ところで、コマーシャルシーンだけですでに十五分以上ついやしているわけだが、本編はどれくらいの長さになるんだ? 三時間もの大作を文化祭で流しても誰も最後までてくれそうにないぞ。回転率も悪そうだしさ。

 それに、と俺はひしゃげた朝比奈さんを見ながら考えた。行きはウェイトレス、帰りはバニーガールで電車にまで乗った朝比奈さんはやっとのことで制服にえ終え、ぱたりとたおれるようにうずくまった。このままの調子で撮影が進んだら主演女優がちゆうんでしまうおそれがある。

 俺はテーブルに額を当ててくったりしている朝比奈さんの代わりに古泉がれたげんまい茶を飲み干してから、

「なあハルヒ、朝比奈さんのかつこうだがもうちょっと何とかならないか? もっとこう、戦うんであれば戦いそうなしようがあるだろうよ。せんとう服とかめいさい服とか」

 ハルヒは星マーク付きアンテナ棒をちっちっとった。

「そんなんで戦っても意外性がないじゃない。ウェイトレスが戦うから、おおっ──と思わすことができるのよ。ツカミがかんじんなの。コンセプトよ、コンセプト」

 コンセプトの意味解って言ってるんだろうか。俺はたんそくするしかない。

「まあ……。それはいいけどさ。なんでわざわざ未来から来たことにするんだ? 別に未来人じゃなくてもいいじゃねえか」

 ぴく、とす朝比奈さんの肩がれ動いた。ハルヒは気付かずへこたれない。

「そんなもんはね、後から考えればいいのよ。ツッコマれたときに考えたらすむことだわ」

 だから俺が今ツッコンでるんじゃねえか。答えろよ。

「考えても思いつかなかったら無視しときゃいいのよ! どうだっていいじゃないの。おもしろければなんだっていいのよ!」

 それは面白かった場合だけの話だろうが。お前の撮ろうとしている映画が面白くなる確率はどれほどのものなんだ? 面白がるのがかんとくのみなんてのを撮っても仕方がないだろ。ゴールデンラズベリー賞シロウト部門ノミネートでもねらってるのか?

「なにそれ。狙うのは一つよ。文化祭イベントベスト投票一位よ! それに、できたらゴールデングローブも。そのためにもみくるちゃんにはそれなりの恰好をしてもらわないと困るの!」

 だれも困りはしないと思うのだが、どうやらハルヒが観てげきした映画とやらはいつの年かは知らないがゴールデングローブ賞受賞作らしいな。

 もう一度ため息をついて、ふと横を見る。黒装束の長門は部室に入るなりすみの方に引っ込んでおみの読書にふけっていた。こいつはあれか、この部屋にいるときは本を読んでないと死ぬのか?

「待てよ」

 本好き宇宙人を見ているうちに思いついた。

「おい、きやくほんをまだもらってないぞ」

 それどころかストーリーすら知らされていない。わかっているのは朝比奈さんが未来ウェイトレスで古泉がエスパー少年で長門が悪い宇宙人のほう使つかいという設定だけだ。

「だいじょうぶ」

 ハルヒは何のつもりだろう、いきなり目を閉じて、棒の星マークの先で自分のこめかみを突っついた。

「ぜーんぶ、こん中にあるから。脚本も絵コンテもバッチリドンドンよ。あんたは何も考えなくていいわ。あたしがカメラワークを考えてあげるから」

 ずいぶんな言いぐさだな。お前こそ何も考えずにぼんやり窓の外でもながめてりゃいいんだ。マシな表情さえしてれば、その様子だけで朝比奈さんとチェンジできるぜ。

「明日よ、明日! みんな、気合い入れていくわよ。栄光を勝ち取るにはまず精神論からよ。それがお金をかけずに勝利する手っ取り早い方法なの。心のタガが外れたとき、自分でも知らなかったせんざい能力がかくせいして思わぬパワーを生み出すわけよ。そうよね!」

 そりゃバトルマンガの逆ギレ合戦的展開ではそうかもしれないが、いくら精神論とナショナリズムを振りかざしたところでサッカー日本代表がW杯ワールドカップで優勝するにはまだ時間がかかりそうだぞ。

「じゃ、今日は解散! 明日をお楽しみにっ! キョン、カメラとか小道具とか衣装とか、荷物忘れちゃダメよ。時間厳守!」

 言い残し、ハルヒは勇ましくかばんを振り回して出て行った。ろうを遠ざかる『ロッキー』のテーマを聞きながら、俺はうずたかく積まれた荷物とやらをうらめしく眺めた。この監督の横暴をどこの組合にうつたえ出ればいいのだろうか。



 実際のところ、この日までの俺たちの学園ライフは、ハルヒが異常なまでの情熱を映画にかけて、かけたついでに段々だつせんしていくというだけの、単なるへいぼんな日常が連続しているにすぎなかった。全国の学校をくまなく調査でもすれば、似たようなことをしている一団は俺たちのほかにもいるだろう。早い話が、『つう』なのだ。

 俺は長門の親類におそわれたりしてないし、朝比奈さんと時をけてもいないし、発光性の青カビみたいなきよじんろうも出てきていないし、バカみたいな真相が待ち受ける殺人事件も起こっていない。

 めちゃ普通の学園生活だ。

 せまり来る文化祭という祭り事カウントダウンにおどらされ、いささかハイになったハルヒがアドレナリンをせっせとぶんぴつして頭に飼っているハムスターをむちでシバきたて輪っかをマッハで回しているようなものだ。

 要するに、いつものことなのだった。


 ──この日まではな。


 思うに、これでもまだハルヒは自分なりにセーブしていたんだろう。よく考えたら、まだ映画なんて一コマもっていない。デジタルビデオテープに記録してあるのは、朝比奈さんがバニースタイルで地元商店街の電器店とプラモ店をしようかいするというスポンサー対策にすぎない。ハルヒ総指揮総かんとくによるSOS団プロデュース映画作品のぜんぼうはまったく明らかになっておらず、へんりんすら出てこず、ストーリーラインすら不明なのであった。

 不明のままのほうがよかったな。

 上映するのは朝比奈さんの商店街リポート映像集でかまやしない。と言うか、そっちの方が客を呼べるんじゃないか? 地域しんこう策にもなって一石二鳥だろうさ。いやもう、いっそのこと朝比奈みくるプロモーションビデオクリップにしてしまえよ。俺はそのほうがうれしいぞ。さつえい担当としての、これは俺の本音だ。

 しかしながら、ハルヒがそれで満足などしないのも解りきっていた。こいつは言い出したことは必ずかんすいする。やると言ったらやるのだ。ちゆうで投げ出したりなんかはしないのだ。なんとめいわくな有言実行だろうね。

 てなわけで、この翌日からまたまたけったいな事態に俺たちはおちいることになったのだが、いやまったく、何と言うべきかな。ハルヒは何と言ってたっけ?

 心のタガが外れたとき、自分でも知らなかった潜在能力が覚醒して思わぬパワーを生み出して──とかだったか。

 なるほど。

 でもなあ、ハルヒ。

 よりにもよって、お前が覚醒することはないじゃないか。

 それもお前の自覚なしにさ。

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