【名称】田道将軍の怨霊
【出没地域】宮城県石巻市山下町禅昌寺
【伝承地域】同地
【要約】
石巻市禅昌寺には「霊蛇田道公墳」と書かれた古碑があり、『日本書紀』に登場する田道将軍の墳墓であると伝えられている。同書によると、田道将軍は仁徳天皇の時代に蝦夷討伐のために奥州に遣わされた人物であったが、伊峙水門の戦いで蝦夷に討ち取られてしまった。その後、生き残った蝦夷が田道将軍が葬られた墓を暴いた際に、墓穴から大蛇が出てきて、大蛇の毒気によって多くの蝦夷が死んだ。この大蛇こそが田道将軍の霊の化身であったという。
石巻市内にある「蛇田」という地名もこの伝説が由来であると言われている。
【参考文献】
『東北の鬼』岩手出版
コメント
コメント一覧 (2)
石巻市国道398号線沿いの禅昌寺には享和元年に境内から発掘された霊蛇田道公墓の碑が保存されており、レプリカが展示されている他、頼めばご厚意で実物も見学させていただけます。
道路を挟んだ向かい側には蛇田道公古墳(おろちたみちきみこふん)と古墳跡に小さい祠が建てられ、蛇田道将軍碑として蛇田の地名の由来が紹介されています。
震災で破損しましたが、こちらの小祠境内には馬頭観音碑が建てられておりました。
秋田県鹿角市の猿賀神社も田道将軍陣没地との由来があり、宮城県と同じように将軍の墓を暴くと大蛇が現れ襲われた、将軍自身が大蛇となって戦ったとの伝承が残っているそうです。
長文失礼しました。
お返事遅れてしまってごめんなさい💦
田道将軍の石碑は今でも残っているのですね。秋田にも同じような伝承があるというのは初めて聞きました。
貴重な情報ありがとうございます!早速調べてみますね。