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第九十九話 中国武術文献考(6)

  第九十九話 中国武術文献考(6) 笠尾恭二は『太極拳入門』で九十九太極拳を紹介するが、この時は王樹金が伝えた後ろ足に体重をかける套路ではなく、弓歩を基本とするものに変えている。これは王樹金門下で問題視されたとも聞く。九十九太極拳は弓歩(大架)でも後ろ足に体重をかける方法(小架)でも練ることができる。九十九太極拳、形意拳、龍形八卦掌は三つでひとつとされており、太極拳、形意拳、八卦掌を一通り習った後はどれかを中心にして練習する人が多い。この場合、太極拳を主とする人は大架をとることが一般的で、形意拳や八卦掌を主とする人は小架で練る方がやりやすいようである。陳ハン峯は『中華国術太極拳』で大架を基本として演じているが、いくつもの動作で小架の動きが見られ(解説文では弓歩となっている)、日常的には小架で練習していることをうかがわせている。それは陳ハン峰が形意拳を主として練習していたことと関係している。笠尾にはほかに香港の精武会の武術を紹介した『少林拳入門』という珍しい本もある。わたしが菓子折りを持って笠尾の家を訪ねた時ちょうど、香港から師範が来ていて、門弟の方に教えていた。またこの時、松田隆智からはがきが来ているのを見せてくれて「陳小旺」という陳家太極拳の習得者がいたことが書かれていた。この「旺」が受験の参考書で当時知られていた旺文社の「旺」と同じと思ったのをよく覚えている。またテレビで松田隆智が「カンフー・レディ」で武術を演ずるのを録画するためにビデオデッキを買ったとも聞いたように記憶している。

第九十九話 中国武術文献考(5)

  第九十九話 中国武術文献考(5) 松田隆智とならんで中国武術界をけん引したのが笠尾恭二である。笠尾の『太極拳技法』は簡化太極拳(二十四式)の実演と、図で楊家太極拳が紹介されている。笠尾は楊家を取得していなかったのである(王樹金から九十九式を伝えられていた)が、同書では陳家と楊家の拳譜を比べて、陳家から楊家への変化の考察も試みられている。また同書では太極拳の玉女穿梭に八卦掌の影響があるのではないかともされているが、これは笠尾の習得していた龍形八卦掌の白蛇吐信と動きが似ていることによったものであろう。また歩法においても玉女穿梭は転身を繰り返すが、その時にはつま先を内側に向ける扣歩を使う。こうしたことも八卦掌との関連を考えさせたのではないかと思われるが、転身をしようとするのであれば扣歩を使わないわけにはいかない。八卦掌との特殊な関連をいうのであれば扣歩と擺歩の組み合わせが無ければなるまい。龍形八卦掌の白蛇吐信はむしろ太極拳から動きをとったものなのである。九十九太極拳、形意拳、龍形八卦掌は特に九十九太極拳が「正宗」をもっていわれるように、そこでは太極拳、形意拳、八卦掌に分かれる「前」の動きが追究されていた。歴史的にいうならば九十九太極拳は呉家をベースに楊家や陳家それに形意拳、八卦掌の動きを加えたものであるが、これを逆に太極拳、形意拳、八卦掌に分かれる「前」の動きであるとして「正宗(正統)」をもっていうのである。もちろん九十九太極拳を練習する人以外ではこうした評価がされることはまったく無い。

第九十九話 中国武術文献考(4)

  第九十九話 中国武術文献考(4) 松田隆智は映画雑誌などでもよく原稿を寄せており、空手ではない正しい中国武術の情報を発信していた。松田の著した『中国武術』はほぼ呉図南の『国術概論』によったものである。門派の概略、套路、系統図、人物紹介などで構成する組み立てはほとんど『国術概論』と変わらない。ただ『中国武術』では台湾で松田が得た知見などが加えられているほかに自らが修行をした陳家太極拳や八極拳などが詳しく紹介されている。後に箱入りの『図説中国武術史』なども出版されたが、この時、蟷螂拳の実戦技として片手倒立をしながら左右の足で相手を蹴るという「衝撃」的な写真が掲載された(穿弓腿)。これは同じく『秘伝日本柔術』の大東流で数人に担ぎ上げられた状態から一気に潰して固めてしまうというこれも「衝撃」的な写真と同じ「雰囲気」を感じさせるものであった。ある意味でこれらは写真の時代ならではの「衝撃」の演出であったように思われる。後に古武道大会で大東流の担ぎ技が披露された時には会場に失笑が漏れた。また当時、中国武術を学んでいた人は少なからず片手倒立をしての蹴りを練習したものであるが、倒立をしようとした時点で相手との間合いがきまってしまうので、蹴りを当てることはほぼできない。この技の本来の使い方は蹴った足を掴まれたりした時に片手をついて体を回すと同時に別の足で相手を蹴るものである。既に相手に足を捕られている状態で転身をしてもう一方の足で蹴るわけであるから死角からの蹴りとなる。また間合いが固定されるのもこうした状況にあるからに他ならない。同様の技は陳家太極拳にもあり『陳氏太極拳図説』にも示されている。

第九十九話 中国武術文献考(3)

  第九十九話 中国武術文献考(3) 『太極拳入門』が日本で広く受け入れられるようになった背景にはブルース・リーの「燃えよ!ドラゴン」のヒットがあった。日本で同映画がヒットした頃(1973年の12月の公開。『太極拳入門』も同年の出版であるから映画のブームよりは前に出されている)にはすでにブルース・リーは死亡していたこともあって、ブルース・リーの演じている「武術」が空手とされてこうした一連の功夫映画は空手映画とみなされていた。ヌンチャクなど使って見せる空手の師範も居たが、いづれも映画の見様見真似であった。ブルース・リーの「ヌンチャク」の使い方は中国武術の双節棍の使い方とは大きく乖離していた。それはブルース・リーの「ヌンチャク」がダン・イノサントの伝えたフィリピン武術によるもので、もともと中国武術の双節棍とは違っていたことも原因していよう。印象からいえば双節棍が「一本の棍棒」が二本に分かれて変化をするもところに利を見出しているのに対して、ブルース・リーの使う「ヌンチャク」は「二本の短棒」がベースであるように思われる。双節棍は長い棒が狭いところでは使いにくので、それを二つに折った形でも使えるように工夫をしたものである。ただ棒術はそれを短く使うことをもって上達と見なされるのも事実ではある。

外丹武術篇と内丹静坐篇に

 11月22日より外丹武術篇と内丹静坐篇に分かれます。内丹静坐篇は、 https://naitan1130.blogspot.com/ まで。

第九十九話 中国武術文献考(2)

  第九十九話 中国武術文献考(2) 中国人社会では「日本人の評価」はなかなか微妙なところがあって、わたしが台湾に住んでいた頃に斉眉棍を「日本人が教えを求めて来たが断った」とある師範が語っているのが新聞に出ていた。また一方では「日本でも教えたことがある」という太極拳の師範も雑誌に出ていた。「日本人」に教えないで国粋の文化を守ったことも ステイタスになるし、教えたというのも「日本人」が価値を認めたということでステイタスたり得る。そこにはアジア居地域に進出する「総合商社」=「日本人」が西洋に伍する存在としてステイタスを有している反面、それがかつての戦争時代の植民地主義を連想させることへの反感もあるという複雑な立ち位置が形成されていたこが背景となっている。ほかに八極拳や意拳なども中国で評価のあまり無い状態から日本でのブームが影響して注目を集めるようになったと言えるものがある。

道竅談 李涵虚(174)第二十章 玄関の一竅

  道竅談 李涵虚(174)第二十章 玄関の一竅 また、そこには「生」も「死」も共に存しているのである。「死」とは何を言うのであろうか。それは黄庭、気穴、丹田のことであり、これを「中」とするのであり、これらは「死」に属している。「生」とは何を言うであろうか。それは凝神、聚気であり、ここに「中」が生じる。つまりこれらは「生」に属しているのであって、これらは「中」とされ「生」のものである。「死」をもって論ずるならば黄庭、気穴、丹田、「生」をもって論ずるならばつまりは玄関の一竅ということになる。そうであるから玄関の一竅は虚無の中に生じて、真機はここに表れている。これを得た者は秘すべきである。 〈補注〉黄庭、気穴、丹田は後天の肉体に属るものであり、それがバランスが取れている「中」にあったとしても死を免れることはできない。一方で凝神、聚気は心身の統一であり、これは先天と後天をむすぶもので、これにより生死を越える認識を得ることがdきる。