■なぜ、蜷川革新府政の「後遺症」が今も
1950年の京都府知事選で初当選した元京都大教授の蜷川虎三は、7期28年にもわたって府政に君臨した。当初は社会党公認だったが、当選を重ねるにつれ、支持政党の枠組みは徐々に変化。54年は社会と共産の「社共共闘」に、58年には自民推薦も得たが、蜷川は60年代後半から共産と政策的に協調することが多くなった。
共産は蜷川革新府政をバックに地域や業界団体などにくまなく支持を広げ、府委員会は全国の共産でも際だつ存在となった。社会党府連の元幹部は悔しげに振り返る。「蜷川府政でまさに、庇[ひさし]を貸して母屋を取られた。共産は相手を利用しながら浸透していく巧みさを持っている」
現在でも共産は府議会と京都市議会で自民に次ぐ第2会派に位置し、府内の地方議員数は112人と立民府連の9人を大きく引き離す。立民のある議員は「共産と手を組むと、どこまで浸蝕されるか分からない」と打ち明け、今も警戒感が引き継がれていることをうかがわせる。
こうした過去が野党共闘のハードルとなっている。さらに立民など旧民主党系を支援する連合京都の存在も大きい。
■連合VS総評、労組の対立も影響
先月18日に下京区のホテルで開かれた立民府連の設立大会。来賓あいさつをした連合京都会長の廣岡和晃は「京都は共産陣営が強い特殊な地域だ。『非自民非共産』を結集する必要がある」と強調した。東京・永田町で立民と共産の距離感が以前より近づきつつあることに地方の立場からくぎを刺した。
1990年に結成された連合京都は運動方針の違いなどから、知事選などで共産推薦候補を推す京都総評と長年対立している。各種選挙で推薦を出すに当たり、「共産からの組織的協力を得ない」ことを条件としているほどだ。
現在の野党共闘の動きを巡っても、連合京都幹部は「共産と選挙で協力するなら、応援しない」と言い切る。労働組合の加入率は年々低下しているものの、連合京都には約9万4千人の組合員がいる。選挙運動においても実働部隊としての経験が豊富で、その存在感は決して小さくはない。
簡単にはぬぐいがたい「共産アレルギー」と、支持団体連合京都の反発。京都の立民が表立って共産との共闘に踏み出すには、高いハードルがある。「共産が必勝を期すのは国対委員長穀田恵二を擁する京都1区だ。我々が擁立しなければ、暗黙で共闘が成立する。じたばたしなくていい」。立民府連幹部は共産府委からの申し入れ文書を見て、つぶやいた。
=敬称略