駅前、ハルヒが俺と長門を見つけて応援(団旗を持っているかのように両手を振(り回した。その横にはちゃんと朝比奈さんがいて、少し離(れて古泉もいた。ハルヒは躁(的な上(機(嫌(で、朝比奈さんもいつもより愉(快(そうな笑(顔(、古泉は俺にアイコンタクトを送ってきたが、言葉を発することなく前(髪(を指で弾(いた。
「ゆっくりだったじゃないの、キョンと有希。どこで油を売ってたの?」
ハルヒは長門に腕(を絡(めながら、
「本当はずっと図書館あたりで暖を取ってたんじゃない? 図書館に不思議なスポットがあるんだったらいいけどさ。あったわけ?」
「ねえよ」
ページを開いたら中の世界に吸い込まれる本はなく、行間から中の世界のキャラが飛び出てくることもなかったさ。もっとデカいか古いかする図書館の書庫にならあるかもな。
「そうね、今度探しに行きましょ。古書専門店とかにね。あたしは鶴屋さんの一族以外立ち入り禁止の蔵(ってのに入りたいけど、ご先祖様の遺(言(なんじゃしかたないわね」
ハルヒはどこに行くという説明もなしに歩き出した。朝比奈さんと古泉は行き先を知っているのか、平気な笑みでついていく。俺と長門も。
ハルヒに、おいどこに行くんだよ、なんてクエスチョンを投じても無(駄(なのは解(り切っている。目的地が不明だとしてもかまわずハルヒは歩き続け、そのうち立ち止まった足もとを指差して「ここよ」と言って胸を張るだろう。SOS団号はハルヒ船長の操(舵(のもと、いずこへか出航し、まあ船の場合だったらバミューダまで行きそうだが、この時ハルヒが俺たちを誘(ったのは、昨日も来た新装開店イタリア料理店だった。
昼飯を食っている最中、俺はたびたび朝比奈さんを眺(めては複雑な心境を覚える。ナイフとスプーンを使って貝とエビのクリームスパをのどかに食べている姿。心を安んじるシーンだが、これから彼女は過去の俺とバタバタした日々を送ることになるんだ。いっそ教えちまおうか。最悪、誘(拐(の件だけでも。
俺が葛(藤(していると、対(面(のハルヒが行(儀(悪く俺の皿の縁(をフォークでこづいた。
「キョン、ぼうっとして何考えてんの? 悩(み事でもあんの? 何だったら相談に乗るわよ、団長として」
輝(く瞳(は元気の印だ。ハルヒはエイプリルフールでたわいなくついた噓(にあっさり引っかかったお調子者を見るような目で、
「それでさ、あんたがかけてきたあの電話。忘れたの? イタズラ電話よ。あれ、何だったわけ?」
「ああ、それは」
俺はお冷やを口を含(むだけの時間を獲(得(してから、
「我ながら面(白(くない冗(談(だった。なんかこう、そんなことを言いたい気分だったんだよ。言わなきゃよかったな。すまなかった」
俺は朝比奈さんを一(瞬(だけ見つめ、ハルヒも同じ行動を取った。朝比奈さんは「え」みたいな顔でパスタを口に運ぶ手を止めたが、次の瞬(間(には俺とハルヒは再び顔を見合わせている。
「いいけどさ」とハルヒは鷹(揚(に許しをくれた。「今度はもっと面白いイタ電をかけてきなさいよね。笑えるやつならボーナスポイントをあげるから。何個か溜(まったらあたし特製の景品と交(換(してあげる。けど、くだらない冗談は容(赦(なく減点するからね。心しておくこと」
遠回しにイタ電を要求されているような気分だ。普(通(の連(絡(事(項(で電話したときにもジョークを考えておくべきなのかと悩み始めた俺を、ハルヒと朝比奈さんが類(似(したクスクス笑いで眺めた。
ランチタイムの後、ハルヒは心残りなど何もなさそうに総員解散を告げた。朝比奈さん(みちる)から聞いていたものの、午前の部だけで終わりとは、さすがのハルヒも二日連続は疲(れたと見ていいのか。その割には元気の弾(けすぎている顔をしているが。
朝比奈さんが手で口元を隠(しながら笑顔で俺に会(釈(し、長門は標準的な無表情で、古泉は見(飽(きたくらいの爽(快(さで、それぞれ違(う方向へ向かっていく。
ちょっとの間、ブラブラしてから俺は古泉をとっつかまえた。
「礼を言っておくよ」
古泉は何事もなかったかのようなスマイル。
「どういたしまして。理想は未然に防ぐことでしたから、首(尾(よくいったとは言い切れませんね。カーチェイスは余計でした」
パトカーに乗っていた警察官姿の多丸圭一・裕兄弟は、あの人たちは本物なのか。実際に兄弟なのかどうかも疑わしいが。
「さて、ある時は孤(島(の館(の主人とその弟、またある時はベンチャー企(業(社長とその弟、さらにある時は警察官コンビ……に身をやつした僕の仲間ということでいいじゃないですか」
森さんと新川さん。特に森さんの正体がどんどん怪(しくなっている。
「お前の組織と、朝比奈さんや長門の親玉は手を握(り合っているのか?」
「直接的にはノーです。ただし、いつの間にか暗(黙(の了(解(ができあがっていて、知らず知らず無言の連(携(を取っている場合はあるようです。僕にもよく解(らない世界になっていましてね、いまや『機関』そのものが意志統一にほど遠い有様なんですよ」
路地裏を歩き続けながら、古泉は片方の肩(をすくめた。
「一部の意見としては、宇宙人や未来人なんて本当はいないんじゃないかという極論もあるんです。長門さんや朝比奈さんは自分が宇宙人もしくは未来人だと思いこんでいる気の毒な女の子なのではないか、と」
いまさらそれはないな。保証書をつけてやってもいい。
「しかし、長門さんの魔(法(のような力や朝比奈さんの時間移動能力、それらすべては涼宮さんが発生させたものであって、そして彼女たちはそれぞれ自分たちが宇宙人あるいは未来人だと思いこんでいるだけだったとしたらどうでしょう」
そこまで言っちまったら、どんなことでもアリだろう。
「あるいは神的な能力の持ち主は涼宮さんではなく、別の誰(かなのかもしれません」
古泉は皮肉めいた微(笑(にシフトしたつもりかもしれんが、俺にはいつもの爽快ハンサム顔にしか見えん。
「台風の中心部は晴れていますが、周辺部は暴風雨にさらされています。少し外れたポイントにいて外(壁(から真ん中を見下ろすような立場の人がいるかもしれません。いつも、いそがしく立ち回るのはあなたでしょう? もし自分が脚(本(家(なら、そんな疲れる役を自分に振(りますか?」
古泉得意のあやふや解説だ。借りもあるので静かに聞いておいてやろう。聞いたことを覚えているかどうかは確約しきれないけどな。それができるんなら俺の成績はもっと小マシなものになっている。
「正直なところを言わせてもらえば、現実問題、僕も少数派になりつつあるんですよ。どの意見に帰属するのかと問われたら、僕はまず第一にSOS団を思い浮(かべてしまいます。僕の所属団体はいまや『機関』よりもあそこであると感情が訴(えかけているのですよ。だから、こうも思います。もし『機関』から与(えられた使命がSOS団の利益を損(なうような場合、果たして僕は葛(藤(などするのだろうかと、ね」
長々と演説したところで俺は聴(衆(を続けてやる気構えだったのだが、こんな時に限って古泉は心情吐(露(を短くすませ、ひらりと手を振って歩き去った。
俺は自宅に戻(り、シャミセンとシャミセンの毛が散らばる部屋の床(に座り込んで腕(を組んだ。
朝(比(奈(さん(みちる)のやることは終わった。朝比奈さん(小)はこれからだ。そしてだ、俺のやることもまだあるというわけだ。
手元に未来通信♯6が残っていた。
『すべてが終わったとき、あの公園で』
朝比奈さん(みちる)を元の時間帯に戻したのが♯5なのだから、次はこの♯6に従うだけだ。しかし、さてと。
本当にすべては終わったのか? まだ何かあるような気がしてならないんだが、どうしてこんな気分になっているか自分でも解らない。メザシの小骨みたいなものが頭のどこかに引っかかっている。
インプットのない頭をいくらひねっても答えは出そうにないので、届けられた朝比奈さん(大)の手紙を全部読み返してみた。どれも未だ意味不明で、俺たちの行(為(にどんなメリットがあるのかさっぱりだ。だったが。
「そうだ。これ一つが例外なのか」
俺が取り上げたのは三通目の指令文書だった。
『山へ行ってください。そこに目立つ形をした石があります。その石を西に向かって約三メートル移動させてください。場所は、その朝比奈みくるが知っています──』
これだけが、ハルヒの動きと連動している。SOS団全員で同じ場所に立ったのはここだけだ。無益な宝探し。何も出てこず、出ないことの解っている……。
もう少しで何かつかめそうだったが、妹が晩飯の支(度(の終(了(を告げに部屋に飛び込んで来たため、ひっかかりを残したまま俺は部屋を出るハメになり、風(呂(に入って頭を洗っているあたりで考えていたとっかかりすら忘れてしまい、浴(槽(の熱い湯に顎(まで浸(かっている頃(には今日は早めに寝(ちまおうということしか頭になかった。
だが、本日最後になってまたしても指令がやってきた。未来人からではなくハルヒから、下(駄(箱(通信の代わりに妹が電話を持って。
「キョンくん、電話ー。ハルにゃんからー」
浴室の戸を勝手に開いてやって来た妹が俺に電話の子機を渡(す。俺は手を振って妹を追い出しながら、受話器を耳に当てる。
「もしもーし」
『あ。ひょっとしてお風呂にいんの?』
ハルヒの声が浴室にこだまする。その通りだが、変な想像をすんなよ。
『しないわよ、バカ。そんなことより、明日、また駅前に集合ね』
どうしてこんな時間にいきなり言い出すんだ? 昼の別れ際(にでも言えばいいものを。
『いいでしょ。こっちにも都合ってものがあるのよ』
お前の都合以外に何かあった例(などあったか?
『いいからっ! ああ、でも集合時間は昼過ぎでいいわ。うーんと、午後二時ジャストね。あんたは何も持ってこなくていいわよ』
あんたは?
『こっちの話よ。いい? 明日の二時だからね。来なかったらメッチャ後(悔(すること請(け合いなんだからね、時間厳守よ時間厳守、いいわね!』
早口で言うだけ言って、さっさと切るのがハルヒの電話作法だ。俺は子機を握(ったまま風呂を出て、バスタオルで身体(を拭(きながら考える。
やっぱりまだ残っていたわけだ。今度は何だ。二月のハルヒはアンニュイモードから始まって、節分、宝探し、二日連続不思議探しと来て、これで最後か?
待てよ、どうして朝比奈さん(みちる)は言わなかったんだ。俺が彼女から聞いたスケジュールに明日の駅前集合は入っていない。朝比奈さんは無関係なんだろうか。知らなかったから言えなかった、または知っていても言わなかったか。
そんな歴史なんかなかった、ってのは勘(弁(して欲しいぜ。
もちろん言われた時間に言われた場所に行くのは習性以上に条件反射となっており、その日の午後二時五分前に駅前にやって来た俺を、すでに全員が揃(って待っているのは冬の次に春が来る以上に普(通(の現象だった。
珍(しくもハルヒは俺の時間前遅(刻(を咎(めることをせず、喫(茶(店(に向かうこともしなかった。行ったのはバスターミナルであり、俺はハルヒに背を押されるようにして北へ向かうバスに乗り込まされた。
気になるのは朝比奈さんが小さな欠伸(を連発しては、慌(てて口元を隠(す仕草で、よく見たらハルヒも寝(不(足(なのかしばしば目を擦(っている。しかし俺が見ているのに気づくとキッと睨(み、口をアヒルにして窓の景色に顔を向け、景色はどんどん緑が濃(くなっている。
俺たちを乗せたバスは山を目指していた。先日、宝探しに鶴屋家の山まで行ったものと同じ道(程(だった。
降りた停留所も同じだ。そして、また同じルートで鶴屋山山頂を目指すのかと思っていたら、
「こっちから登ると遠回りなのよね。もともと裏道だしさ。南のほうに回って、そっから登るのよ」
ハルヒがハキハキと歩き出し、朝比奈さんと長門も二度目の登山に何の疑問も持っていない足取りで続く。古泉はしばらく顎を搔(いていたが、
「さあ、行きましょう。ここまで来たら引き返せないのは僕もあなたも同じです」
わけの解(らんこと言い、くっくっと鳩(みたいな笑い声を上げた。
ハルヒは山の麓(をぐるっと周回するように南を目指している。どこに行きたいのか、俺にも解り始めた。何度か来たことがある。ごく最近、二日連続で。
広がるのは山以外には枯(れた田んぼと畑のみ。一度目、俺は朝比奈さん(みちる)とこの道を辿(って山を登った。二度目、SOS団全員でこの道を下りてきた。
あのひょうたん石のある場所、そこへ至る最短距(離(の獣(道(に、ハルヒは先頭を切って入っていく。
「なるほど、道理でだ……」
俺が石を移動させた日、朝比奈さんにしては道案内がしっかりしていると思ったんだが、こうして何度か辿った道だからだったんだ。
その朝比奈さんはハルヒに手を引かれ、危なげな足つきで山を登り、長門が後ろで転落防止係を務めてやっている。
すぐに例の場所に到(着(、ハルヒは中腹の平地部分にぴょんと飛び出すと、お気に入りの椅(子(であるように、ひょうたん石の上に座った。
「キョン、古泉くん、宝探し第(二(弾(よ。考えてみればさ、一日がんばっただけであきらめちゃうのは粘(りがなさすぎるってものよ。やっぱ、見つかるまでやんないと、宝探しってのはそういうものよ」
極(上(の笑(みを見せたハルヒは、コートのポケットから園芸用のスコップを二つ取り出し、俺と古泉に向けて放った。
「本当はこの前みたいにシャベルで隅(々(まで掘(り起こしたいんだけど、特別にそれで許してあげる。それから掘るところも一つだけ、ここよ」
自分の真ん前、つまりひょうたん石のすぐ側(を指差している。三日前、俺と古泉が二メートルも掘った部分とまったく同じところだ。そこはもう掘っただろう、と俺が言う前に、
「なくしたと思ってた物がいつの間にか一度探した場所に戻(ってることってよくあるじゃない? 宝も似たようなものよ。探し物は、何度となく同じ所を探して見るものなわけ。あたしがあるって言ってるんだから、あるわよ」
花(咲(爺(さんが飼っていた忠犬よりも確信に満ち溢(れているハルヒだった。どういうわけか、朝比奈さんもうんうんと笑顔でうなずき、変わりないのは長門だけという状(況(下(で、俺がスコップを手に何もしないでいる道理もなく、やっと俺は古泉が今浮(かべている微(笑(の意味を悟(り始めていた。
掘り進めるのに時間も手間もかからない。事前に掘り返されていた土は軟(らかく、小型スコップでも余(裕(であり、深さもまたさほどではなく、ものの一分でスコップの先が固い物にぶち当たった。
ハルヒのニヤニヤ笑いを浴びながら、俺は土をかき分けて掘り当てた物を地中から取り出した。四角い箱はどうみても元(禄(時代のものではない。センベイかクッキーだかの缶(製入れ物だ。三日前に俺と古泉が探したときにはこんなものはなかった。この三日間で誰(かがここに埋(め直した物に違(いなく、誰が埋めたのかは考える余地もない。
「あけてみなさい」
と、ハルヒが言った。小さい葛籠(を選んだお爺さんを見る雀(のような顔で。
俺は缶に手をかけ、パカンと蓋(を外した。
「…………」
黄金でも小判でもなかった。だが宝物と言ってクレームが来ないくらいの物には違いないだろう。
華(やかな包装紙でくるまれ、綺(麗(にラップされた小さな六つの箱が入っていた。リボン付きなのは言うまでもない。
そしてやっと、本当にやっととしか言いようがない。
俺は今日が何月何日なのか思い出した。というより気づいた。ある意味、七月七日より重要な日付だ。一部の男子学生にとっては。
今日は二月十四日である。
つまり、バレンタインデー。
「手作りなのよ」
ハルヒが横を向きながら説明する。
「昨日の昼から夜までかかっちゃったわ。あたしとみくるちゃんと有希で、有希の家で夜なべしたのよ夜なべ。本当はカカオから作りたかったんだけど無理言わないでって感じよ。だからチョコレートケーキにしたわ」
包装に貼(ってあるシールに三人の手による文字が書いてある。三つずつ、俺の名前入りと古泉の名が記されているもの。
スコップを置いた古泉は、几(帳(面(に手を払(って箱の一つを手に取った。「古泉くんへ みくる」と書いてあるからそれは朝比奈さんが作ってくれた宝物だ。
ハルヒは機(関(銃(のように、
「そりゃもう作ったわよ! やってるうちに楽しくなってけっこう張り切っちゃったりもしたわよっ、けどいいじゃないのよ、あたしはイベントごとをことごとく押さえてないと気になって上の空になっちゃうし、正直言って『仕(掛(けられたとおりにハマってるんじゃない?』って思ったりもしたけど、それがどうしたって? いいのよ、こんだけ広まってる風習なんだから、わざわざお菓(子(屋(さん陰(謀(論(を唱え出すヤツのほうが寒いわっ! いいの! あたしも有希もみくるちゃんも楽しかったからね! ホントは唐(辛(子(でも入れようかと思ってたんだけど、しなかったけど、何よっ、その目っ!」
いや、なんでもねえ。ただただ、ありがたい。本気でそう思うんだ。なんせ俺は今の今まで今日が世の男どもにとって妙(にソワソワする日であることを完全に忘れていたんだからな。覚えていたら気の利(いたリアクションを前もって考えておいたんだが、純然たる不意打ちをくらって女子団員三人の誰にも何も言えん。軽(妙(な受け答えも照れ隠(しの韜(晦(もアドリブでは難しいんだ。たぶん俺にはそれをするだけの人生経験が足りてないんだろう。
体中の力が抜(けていく。すべての謎(が解けた気がした。二月に入って挙動と情(緒(のおかしかったハルヒ。時間を跳(んでやってきた朝比奈さんが宝探しについては言いにくそうだったこと。谷口のヤサグレ具合とお前はいいよな発言。
ハルヒはあれだ、ずっとこのことを考え続けていたのだ。バレンタインデーにおけるチョコレートの渡(し方。まったく全然、これっぽっちも素(直(じゃねえ。部室でくれりゃいいものを宝探しとか言い出して穴を掘らせ、その穴に埋め直しておくなんて、どんなヒネクレ者が考えつくんだ。てことは、そうか。鶴屋さんもグルか。つまりは宝の地図も噓(っぱちだ。ハルヒが簡単に宝をあきらめたのは、そんな宝など最初から埋(まっていないのを知っていたからだ。ハルヒにとって宝と呼べるものは、あの時点ではこれから埋めるものだったんだ。その宝とは、すなわち今俺と古泉が手にしている三つずつのチョコレートで、こんなもののためにハルヒは二月の上(旬(をずっと不安定に過ごしていたってわけか。長門と朝比奈さんを巻き込んで。
なんという──。
バカ野(郎(だ。こんなことを企(画(したハルヒも、それに気づかなかった俺も。
「義理よ、義理。みんなギリギリ。ホントは義理だとかそんなことも言いたくないのよ、あたしはっ。チョコもチョコケーキもチョコのうちだわ」
秋の草むらで鳴く変な虫みたいなハルヒの声を聞きながら、俺は気力を振(り絞(って頭を上げた。
ハルヒが怒(り顔で睨(んでいる。朝比奈さんはイタズラ娘(のような優(しい笑(み、長門は無表情に俺の手元を見つめていた。
「ありがとうございます。大切に食べますよ」
古泉に先を越(された。ハルヒはきゅっと唇(を引き結んでから、
「帰ったらすぐに食べちゃうことをお勧(めするわ。晩ご飯の前に一気食いする勢いでね。神(棚(に飾(ったりしないでよ」
ハルヒはぷいとまた顔を横向け、すっくと立ち上がった。
「じゃあもう帰るわよ。イベントは終わったらすぐに席立たないと帰りの乗り物が混雑するんだから。あたしは眠(いわ。明け方まで、それ、やってたんだからね。それから徹(夜(のままここ来て埋めて、また戻(って有希んとこで二時間くらいしか寝(てないの。みくるちゃんも、有希もそうなんだからね!」
その帰り道だった。停留所でバスを待っている間、ハルヒは俺から最も離(れた場所で明後日(のほうに視線をやり、決して目を合わそうとしない。やれやれ。
俺は隣(にいた朝比奈さんに小声で囁(きかけた。
「本命はなしですか」
「うん」
どこか寂(しそうに、朝比奈さんはこくりと、
「ここで誰(かを好きになっても、あたしはいつか未来に戻らないといけないから。お別れしないといけないのが決まってるんです。その時が悲しいでしょう……?」
なんというマトモな意見だろうか。反論の糸口すら見つからない。完(璧(なまでの正論で、そうであるがゆえに、そのまま納(得(するのが躊躇(われるほどだった。
「ずっといればいいじゃないですか」と俺は言った。「この時代だってそんなに悪くはないでしょう。未来にはたまに里帰りすることにして、住民票をこの時間に移しちまえばいい」
「うふ、ありがと」
朝比奈さんは緩(やかに微笑(んで、思わず奪(いたくなる唇をほころばせた。
「でも、ここはあたしの生まれた時間じゃないんです。故郷はあっち、未来なの。いいえ、あたしにはここは過去。お客さんなだけ。未来がわたしの現在で、自分の家。いつか帰らないといけないところです」
竹(取(物語だな。どんな対策を講じても止めることができず、その時が来たら地上から去ってしまう。それは彼女の居場所がそこではなかったからだろう。俺だってそう思うかもしれない。百年前に飛ばされたりしたら、最初は物(珍(しくてもそのうち文明の利器が懐(かしくなるに違(いない。無(駄(なまでに動きまくるグラフィックばりばりのゲームをしたいし、コンビニでチキンカツ弁当を電子レンジで温めてもらいたいし、携(帯(電話で無意味なメールとか長電話だってしたいさ。何よりも、自分の部屋でダラダラと寝っ転がりながらゆっくり自分の時間を過ごしたくなるだろう。
いくらここで同じことをしていても、朝比奈さんには自分の時間ではないように思えるんじゃないだろうか。なんたって過去にいるわけだ。不自然な場所にいたら、あんまり気も休まらないんじゃないかと想像はできる。
「あっ、でもでも」
慌(てたように朝比奈さんは手をパタつかせた。
「こうしているのが楽しくないんじゃないですよ。とてもやり甲(斐(があるし、がんばらないとって思ってるんです。本当、キョンくんがいてくれてよかったぁって思ってます」
嬉(しいことをおっしゃってくれるじゃないか。ちょっと試(しに言ってみよう。
「じゃあ、帰るときに俺を未来に連れてってくれるってのはどうですか?」
そんなことになったらハルヒが黙(っていないだろうから、
「もうこの際全員で未来旅行といきましょう。ハルヒも長門もついでに古泉も連れてってやりゃいいんです。文句は俺が言わせたりしません。ああ、だんだん未来に移住すんのも悪くない気がしてきた」
「ええっ」
妖(精(のような瞳(があっけに取られたように見開かれ、
「ダメっ、ダメです。ものすごく禁則事(項(です。そんなこと……」
しばらく朝比奈さんは驚(いた顔をしていたが、ようやく俺の表情に気づいたのだろう、口を閉(ざすと、細い肩(を揺(らし始めた。
「うふふ、もう。キョンくん、冗(談(ならもっと冗談っぽく言ってくださいよー。びっくりするじゃないですかぁ」
「すみません」
そうさ、冗談に決まっている。ここは俺がいるべき時代だ。今までさんざんな目に遭(ったり、特に三年前から四年前にかけてせわしなく行ったり来たりもしたもんだが、必ず帰って来ることになったのが今のここであり、SOS団の部室である。高校生活だってまだ一年に満たないし、ハルヒだって現代にまだまだやり残したことをわんさか残しているだろう。あいつが何もかも完(了(する日が来るなんてありえんのかね。だったら、未来に逃(亡(を図(るにはまだ早すぎるってもんさ。
朝比奈さんはいつか元いた未来に帰ってしまうのかもしれない。しかしとりあえず、今はまだ帰っていない。それでいい。楽しい時間を連続させていれば、おのずと未来も楽しいものになるだろう。かつて彼女が言ってた時間平面がどうしたというパラパラマンガの比(喩(、そいつを参考にして言うならば、すべてのページにギャグだけを重ねていって、ラストの一枚だけがホラーになるなんてことはないよな。そんなもん俺は納(得(しねえ。誰だってそうだろ?
俺は一度、ハルヒたちSOS団の仲間を失って、それから取り戻(した。そん時の決意を俺はまだ忘れちゃいない。これから何がどうなるんだとしても、たとえ転(けようが倒(れようが必ず前向きにだ。たった二ヶ月前に刻みこんだ決意をあっさり翻(すほど俺は全方位型のお調子者じゃない。ただし「やれやれ」は除かせてくれ。ありゃ特別だ。
つまり、いくら安っぽいプライドでも叩(き売りにかけるにはもうちょい値が下がってからだということだ。やれやれと首振(りながらも全力で前に出ていれば、そうとも、セリフなんてどうだっていいんだ。「このバカハルヒ」でもいいし、「俺もつれてけ」でもいいし、長門のように無言でもいい。二(人(三(脚(で走る際には誰だって相方と脚(を結ぶさ。一人で三脚を兼(ねるより、五人六脚するほうがまだ簡単だ。
そのことを、この一週間で俺は強く学んだ。
駅前と自宅を行ったり来たりする日々だった。だが、それもしばらくは間(隔(が開くだろう。とうとう最後までハルヒはそっぽを向き続け、ろくに挨(拶(もせずに背を向けた。憤(然(と大(股(で歩いていく我らの団長殿(だったが、さて明日はどんな顔をして教室にいるのかね。
俺はポケットに収まった小箱の重みを確かめながら、朝比奈さんと長門に謝辞を述べ、朝比奈さんはかえって恐(縮(したように「黙っててごめんなさい。涼宮さんに固く口止めされてたの」と頭を下げた。なに、長門にすら有効なハルヒの口止めだ、無理もありませんし、だいたいこんな重要行事を忘れていた俺のほうがどうかしている。ここしばらく様々なことがあったとは言え、まるでバレンタインがNGワードにされていたようにすっぽり抜(け落ちていた。
自室に戻った俺は、ハルヒの命に従うわけでも晩飯代わりにするつもりもなかったが、いそいそと三つの包みを開けた。透(明(なプラスチックケースの中に、溶(かしたチョコレートでコーティングされたケーキが入っていた。
ハルヒのが円形、朝比奈さんがハート形、長門のは星形をして、おのおの表面にホワイトチョコで文字が書いてあった。
ぶっきらぼうに「チョコレート」とそのまんまなことを印しているのがハルヒで、「寄(贈(」と見事な明(朝(体(を躍(らせているのが長門だ。朝比奈さんのものには「義理」とあり、らしくないなと思いかけたらオマケ付きだった。急いで書いたらしい文章、「涼宮さんにこう書くように言われました」とメモられたキッチンペーパーの切れ端(がケースの底から現れる。三人が長門のマンションのキッチンで大(騒(ぎしているシーンを思い浮(かべながら、俺は三つの贈(り物(を冷蔵庫にしまいに行った。妹が勝手に喰(わないよう、念を押すことも忘れるわけにはいかない。
陽(が落ちてから、俺は自転車で漕(ぎ出した。
最後のチェックポイントは長門のマンション近く、公園の例のベンチに指定されている。
暗く無人の公園で、外灯の光にポツンと浮き上がるベンチに先客はいない。チャリを停(め、公園に足を踏(み入れてもまだ人(影(は現れなかった。
冷たいベンチに腰(を下ろし、俺は虚(空(に声をかけた。
「そこにいるんでしょう、朝比奈さん」
ベンチの背後にある常緑樹の植え込みがガサガサと音を立て、ゆっくりとベンチを回って待ち人がやって来た。
「座っていい?」
もちろんです。話は長くなるかもしれない。
「ふふ、わたしはあまりお話できないと思うけど」
朝比奈さん(大)の優(麗(な姿が俺の横に席を確保した。冬の装(いをした大人バージョンの朝比奈さんは、そうして見るだけなら一(般(人(とまるで変わらない。見ている者の目が熔(けそうになるくらいの美(貌(を除けばな。
俺は冬の空気を吸い込み、吐(き出しながら言った。
「説明してくれるんですよね」
「どこからにしましょうか」
「俺と朝比奈さんがやった、お使いみたいな初っぱなのイタズラから」
地面に釘(を打って空(き缶(をかぶせ、気の毒な男性を病院行きにさせた。もう遠い日のことのようだ。
「そうしなければならなかった理由があるの」
朝比奈さんは斜(めに向けた顔を淡(く微笑(ませ、
「キョンくん、想像してみて。もしあなたが何年でも何十年でもかまいません、過去に行ったとして──」
慎(重(な口調だ。
「そこで過去の歴史を見ることができたとします。でも、その歴史が自分の知っているものと違(うものだったら?」
「違うものってのは?」と俺は飲み込めない。
「たとえば、あなたが去年の今日に時間遡(行(したとします。その時の、一年前のあなたはどこにいましたか?」
たぶん、部屋でゲームしてたかでしょう。誰(かにチョコレートもらって浮かれていた覚えもない。
朝比奈さんは小さくうなずいて、
「その歴史が違っている状態を考えて。あなたが一年前の自分の家に行ったとき、その家にあなたが住んでいなかったらどうですか? あなたも、妹さんも、ご両親もいない。あなたの家には別の知らない家族が住んでいる。そして、あなたの家族はあなたの知る自分の家ではなく、どこか遠いところで別の人生を歩んでいたとしたら……」
そんなバカな。
「過去に来てみたら、わたしたちの知っている歴史と微(妙(にずれていたら、その未来にいるわたしたちがどう思うか解(る? 過去は常に未来の干(渉(を受けねばならないとしたら。そうしないとわたしたちの未来が形成されず、別の未来になってしまうとしたら」
朝比奈さんの声が少し遠くなった。まるで述(懐(しているような口調で、
「本来なら生き続けていないといけない人が死んでいる過去。本来なら出会っていたはずの二人が出会わない過去。その過去を放置していたら、わたしたちの未来が訪(れないと解ったとしたら」
寂(寥(感のある微笑みがさらに翳(った。
「種明かしをしますね。あなたが置いた空き缶を蹴(って足をケガしたあの人、病院でとある女性に出会います。二人は結(婚(して子供をもうけ、その子供は次の子孫を残すことになります。それはあの時、あの男性が病院に行ったからなんです。それ以外に出会う歴史はありえません」
その男性が俺と一(緒(にいた朝比奈さんを見上げ、微笑ましい表情を作った映像がフラッシュバックする。
「あの記(憶(媒(体(もそうです。データをあの状態にして届けることが必要でした。その人は偶(然(から同じデータを構築することになっていたの。でも、その偶然の目がこの過去にはなかったんです。もしかしたら抹(消(されていた。だから送る必要がありました。できるだけ偶然を装(う形で」
花(壇(に落ちていた記憶メディアを誰かが拾い上げ、たまたま適当な宛(先(を書いて送ったところがその人だった──とか、と彼女は説明した。
俺は二の句が継(げない。そんな偶然があるわけがない。おまけにあの時には、変な野(郎(が現れてデータを手(渡(しまでしてくれた。あいつが邪(魔(していたらどうする気だったんですか。
「彼は邪魔をしません。そのデータは彼の未来にも必要だったものです。だから彼もこの時代に来ることができています」
朝比奈さんは明(瞭(に、
「わたしたち、未来からはそれは必然でした。でも、あなたやデータをもらえた人にとっては偶然なんです。時間はそういうふうにできているの」
「…………」
頭がくらくらしてきたのは、俺のイマジネーション可能領域を軽々突(破(しているからだろう。
「亀(とあの子が出会ったのも偶然です。あの子はあの時、二人の男女から亀をもらったことをずっと覚えていました。男の人が亀を川に投げ入れたとき生まれた波(紋(や、ぼんやりと流れていく波紋。亀は長生きして、あの人はその亀を見るたびにその様子を思い出すことになります。それがきっかけになって、そうね、一つの基(礎(理論が生まれます。別の要素がたくさん組み合わさった結果なのだけど」
おそらく──と俺は目眩(とともに想像を飛(躍(させる。あの少年はタイムマシンの発明者か何かになるんだ。あわやの交通事故にゼニガメ。俺の手が未来を変えたわけか。あの少年の未来と、この世界の未来を。俺がやったちっぽけな働きのおかげで……
出し抜(けに別の記憶が蘇(った。文化祭の数日前、映画のクライマックスに四苦八苦していた俺に、長門が言ったセリフだ。
『未来の固定のためには正しい数値を入力する必要がある。朝比奈みくるの役割はその数値の調整』
俺の記憶力も大したものだが今は感心している場合ではない。ここで最も気になるフレーズは、未来の固定のため、ってところだ。固定するも何も未来は一個だけだろう、という心境には、最(早(なれない。
たぶんだ。確信がないのでまだ明確には言えない。だが俺の洞(察(力(は次のように答えを打ち出して、ただしクエスチョンマーク付きで脳(裏(を駆(けめぐっていた。
未来は固定されていないのか?
て、ことは、朝比奈さんのものとは別の未来がどこかにあるってことなのか?
そう考えるとわずかに納(得(がいく。わずかだぜ。だが、未来が枝分かれしているというのなら、つまりだ。あの眼鏡(少年が生きている未来と死んでいる世界の二つがあってもおかしくない。でもって、俺はあの時、後者の可能性を消してしまった。
ようするに俺は一つの未来を片(腕(一本でまるごと消(滅(させてしまったのだ。
正解かどうかは知らん。そんな推測も成り立つと言うだけの、ここで『読者への挑(戦(状(』を挿(入(したらドアホと言われるだけのモロモロな基(盤(だが、いったん思いついた妄(想(は簡単には去ってくれない。俺は茫(然(とし、さらに啞(然(ともした。他(にどうしようがある?
「分(岐(点(がこの時間帯に集中していました。たいていはどちらの道を進んでも同じ未来になるんですが、あなたがこの数日でしたことだけは必ず分岐先があるんです。違(う未来に続いていた……」
優美な声が薄(くなったように感じる。
「近いうちに、もっと大きな分岐点がやってきます。とても強力な未来……。そちらが選ばれてしまうと、わたしたちの未来は……ええと、あまりよくないことになっちゃうかも」
何故(か身体(の動きが鈍(い。朝比奈さんのほうを向こうとしているのに、くそ、顔が妙(に強(張(っている。
「でも大(丈(夫(。わたしは信じているから、ね?」
俺の意識がかすみ始めた。モヤの中に見たことのある文字と線が渦(巻(いている。ホワイトボードの絵が頭の中で駆けめぐった。二つのXが渦の中に見える。古泉の仮説。X時点は二つある。
過去を完全に消し去ることはできない。修正された歴史は元の時間に上書きされる。
そして俺には別の思い出もあった。あのループする夏休みだ。俺たちは何万回も同じ二週間を繰(り返していた。
しかし、長門を除いて最後の二週間しか覚えていない。そのほかの何万回はなかったことになっている。なら、すぐに答えは出るじゃないか。
過去はなかったことにできるのだ。事実として過去があろうがなかろうが問題にはならない。確かにそれがあったのだとしても、誰(も気づかなければないのと同じだ。そのためには──。
記(憶(を消せばいい。
十二月十八日から二十一日の間、俺があちこち走り回って三年前に跳(んだり朝倉に刺(されたりしたという記憶を抹(消(されて、ただ病院のベッドで目覚めたとしたらどうなる? 俺はきっと、古泉の説明通りに階段から落ちて頭を打った拍(子(に三日間の記憶喪(失(になっていただけだと思ったことだろう。
文芸部少女となった長門や書道部の朝比奈さんやポニーテールが異常に似合う他校のハルヒや一(般(人(化(した古泉の記憶を、まるごと消されていたとしたら、時間のループやタイムトリップの整合性なんか気にしなくてすんでいた。
だが、それでは不都合だった。
十八日の未明、朝倉の一(撃(で瀕(死(になっていた俺は未来から来た俺たちを見て、もう一度俺がその時間に行かねばならないことを知った。異常化した長門を直せるのは三年前の長門だけで、実行したのは先月一月二日の長門。それだけは必要だった。
そして時間は上書きされた──。
寒気を感じる。ハルヒはそのことを知らない。谷口や国木田もそうだ。知っているのは俺と長門、朝比奈さんと伝聞情報のみの古泉だけだ。
だとしたら、俺がハルヒの立場に置かれていた可能性がないとは言えない。俺の知らないところで歴史が書き換(えられていたとしても、仮に知ったのだとしても、その記憶がなければ事実もないってことになる。
それどころか、今こんなことを考えている俺が、別の時間軸(によって上書きされる可能性だってあるんだ。今の俺はなかったことになり、別の俺が未来に向かって進んでいく、そんな時間軸が。
病室で聞いた長門の言葉が蘇る。
──あなたから該(当(する記憶を消去した上で
──そうしなかったという保証はない
一週間後から来た朝比奈さんは、一週間以内に自分と出会ったことはないと証言してくれた。だから俺は鉢(合(わせしないように苦労したのだ。だが万が一、出会っていたとしても大した問題ではなかったかもしれない。
なぜなら、この時間にいた朝比奈さんからその記憶を奪(い去ればいいだけだ。そうした上で一週間前に時間遡(行(させれば、会おうが会うまいが結局どっちでもよかったことになる。
腹の奥で暗い情動がふつふつわき上がる。先月、病院のベッドで情報統合思念体に感じたものと同じ感情だ。今度の矛(先(は朝比奈さん(大)へ向いていた。
この人は過去の自分を、朝比奈さん(小)をいいように操(っている。朝比奈さんをいつまでもオロオロしがちな頼(りなく可愛(い上級生のままにさせている。ああ、そうでないとダメだというのは解(るさ。かつての自分の経験した歴史をそっくりなぞらせる必要性も理解する。過去に対する未来の対(抗(措(置(と古泉は言った。でも、もう少し何とかならなかったのか。
首から顔にかかっていた呪(縛(が解けた。横を向くのに一時間もかかったような気がする。俺は思いつくままのセリフを言おうと口を開き、そこに誰も座っていないことに気づかされた。
朝比奈さんが俺の横から消えている。弱々しい外灯が照らしているベンチには俺しか座っていない。ただ、朝比奈さんの身代わりのように小さな箱が置いてあった。
包装され、リボンのかけられた正方形の小箱。
メッセージカードがついていた。灯(りに透(かしてみる。ただ一言、『Happy Valentine』。
何の変(哲(もないチョコレートだった。未来のお菓(子(的な形も味もしない。朝比奈さんの時代でも菓子作りのレシピがそんなに変化していないのか、この時代に合わせてくれたのか。
「だけどな、朝比奈さん……」
これで簡単に懐(柔(されたとは思って欲しくはないぜ。今日は今までとは桁(外(れに情報を提供してくれたが、それでもまだ不十分だ。自分の誘(拐(は言わずもがなと思ったのだと解(釈(してあげてもいい。しかし、バレンタインの絡(んだハルヒの宝探しとひょうたん石に関しては、あえて言わなかったとしか思えない。そうさ、あれだけが全然無意味なんだ。ハルヒはどこにチョコレートを埋(めてもよかった。あの石の近くでなければならない理(屈(なんてない。俺に石を移動させる理由もない。
それとも朝比奈さん(大)、これもあなたの読み通りですか? 今から俺がしようとしていることも、すべてあなたの規定事(項(なんでしょうか。
『すべてが終わったとき──』
どうやら今日じゃなかったようだ。いつかそのうち、その日に俺はまたここに来る。いっそのことSOS団全員で押しかけてやろう。ハルヒや古泉に説明する言葉を今のうちに考えていて欲しいものだ。俺にはオブザーバー役しかできないだろうからな。
俺はその場で電話を一本かけた。
「もしもし、あ、鶴屋さん? 俺です。ああ、みちるさんなんですけどね、自分の家に帰りました。鶴屋さんにくれぐれもありがとうと、借りた服は必ず返し……え、そうですか? それと、あのですね、明後日(あたりにあなたのよく知っている朝比奈さんが意味もなく謝るかもしれませんが、聞き流しておいてください。それで彼女が離(れに残した北高の制服がありますよね、それ、明日、学校に持ってきてくれませんか。ええ、俺んとこに。放課後までに」
ここまではただの報告だ。俺は鶴屋さんの『あーい』という明るい合いの手を聞きながら、息を整える。
「それからもう一つ。こっちが本題です。鶴屋さんのあの山、宝の地図の山ですが。ああ、そのことならいいです。ハルヒも回りくどい手を使ったものだと……。ええ、もらいましたよ。四つ、いや三つね。まったく楽しいイベントでした」
鶴屋さんの上げる笑い声を遮(り、
「その宝の地図の話でもあるんです。あの山の南、田んぼの脇(から登ってく道があるんですが、知ってます? それなら話は早い。そこを登ってすぐに平らになっている部分があるんです。それも知ってますか。じゃあひょうたんみたいな石があるってことは? うん、実はあるんです。でですね、その石が置いてあるところから、東に三メートルほど行ったところを掘(ってみてください。面(白(いものが出てくるかもしれません」
疑(問(符(のついた応答をする鶴屋さんに、
「俺にも確証はないんで百パーセントじゃありませんが。でもありそうな気配なんですよ」
もし俺が石を移動させておかなければ、ハルヒは目についた石を目印にしてその場を俺たちに掘らせただろう。そして何かを見つけたかもしれない。見つかるはずのない何か。見つけてもらっては困る何かを。
西方向へ三メートル。俺が石を抱(えて歩いた距(離(だ。たったそれだけ。
鶴屋さんに適当な生返事をしておいて、俺は電話を切った。
せめてもの抵(抗(さ、朝比奈さん。俺はあなたも未来も出し抜(くつもりはないが、それでも何かをやってみたい時だってあるんだ。
ハルヒほど傍(若(無(人(ではないにしろ。