第七章

 駅前、ハルヒが俺と長門を見つけておうえん団旗を持っているかのように両手をり回した。その横にはちゃんと朝比奈さんがいて、少しはなれて古泉もいた。ハルヒはそう的なじようげんで、朝比奈さんもいつもよりかいそうながお、古泉は俺にアイコンタクトを送ってきたが、言葉を発することなくまえがみを指ではじいた。

「ゆっくりだったじゃないの、キョンと有希。どこで油を売ってたの?」

 ハルヒは長門にうでからめながら、

「本当はずっと図書館あたりで暖を取ってたんじゃない? 図書館に不思議なスポットがあるんだったらいいけどさ。あったわけ?」

「ねえよ」

 ページを開いたら中の世界に吸い込まれる本はなく、行間から中の世界のキャラが飛び出てくることもなかったさ。もっとデカいか古いかする図書館の書庫にならあるかもな。

「そうね、今度探しに行きましょ。古書専門店とかにね。あたしは鶴屋さんの一族以外立ち入り禁止のくらってのに入りたいけど、ご先祖様のゆいごんなんじゃしかたないわね」

 ハルヒはどこに行くという説明もなしに歩き出した。朝比奈さんと古泉は行き先を知っているのか、平気な笑みでついていく。俺と長門も。

 ハルヒに、おいどこに行くんだよ、なんてクエスチョンを投じてもなのはわかり切っている。目的地が不明だとしてもかまわずハルヒは歩き続け、そのうち立ち止まった足もとを指差して「ここよ」と言って胸を張るだろう。SOS団号はハルヒ船長のそうのもと、いずこへか出航し、まあ船の場合だったらバミューダまで行きそうだが、この時ハルヒが俺たちをさそったのは、昨日も来た新装開店イタリア料理店だった。

 昼飯を食っている最中、俺はたびたび朝比奈さんをながめては複雑な心境を覚える。ナイフとスプーンを使って貝とエビのクリームスパをのどかに食べている姿。心を安んじるシーンだが、これから彼女は過去の俺とバタバタした日々を送ることになるんだ。いっそ教えちまおうか。最悪、ゆうかいの件だけでも。

 俺がかつとうしていると、トイメンのハルヒがぎよう悪く俺の皿のふちをフォークでこづいた。

「キョン、ぼうっとして何考えてんの? なやみ事でもあんの? 何だったら相談に乗るわよ、団長として」

 かがやひとみは元気の印だ。ハルヒはエイプリルフールでたわいなくついたうそにあっさり引っかかったお調子者を見るような目で、

「それでさ、あんたがかけてきたあの電話。忘れたの? イタズラ電話よ。あれ、何だったわけ?」

「ああ、それは」

 俺はお冷やを口をふくむだけの時間をかくとくしてから、

「我ながらおもしろくないじようだんだった。なんかこう、そんなことを言いたい気分だったんだよ。言わなきゃよかったな。すまなかった」

 俺は朝比奈さんをいつしゆんだけ見つめ、ハルヒも同じ行動を取った。朝比奈さんは「え」みたいな顔でパスタを口に運ぶ手を止めたが、次のしゆんかんには俺とハルヒは再び顔を見合わせている。

「いいけどさ」とハルヒはおうように許しをくれた。「今度はもっと面白いイタ電をかけてきなさいよね。笑えるやつならボーナスポイントをあげるから。何個かまったらあたし特製の景品とこうかんしてあげる。けど、くだらない冗談はようしやなく減点するからね。心しておくこと」

 遠回しにイタ電を要求されているような気分だ。つうれんらくこうで電話したときにもジョークを考えておくべきなのかと悩み始めた俺を、ハルヒと朝比奈さんがるいしたクスクス笑いで眺めた。



 ランチタイムの後、ハルヒは心残りなど何もなさそうに総員解散を告げた。朝比奈さん(みちる)から聞いていたものの、午前の部だけで終わりとは、さすがのハルヒも二日連続はつかれたと見ていいのか。その割には元気のはじけすぎている顔をしているが。

 朝比奈さんが手で口元をかくしながら笑顔で俺にしやくし、長門は標準的な無表情で、古泉はきたくらいのそうかいさで、それぞれちがう方向へ向かっていく。

 ちょっとの間、ブラブラしてから俺は古泉をとっつかまえた。

「礼を言っておくよ」

 古泉は何事もなかったかのようなスマイル。

「どういたしまして。理想は未然に防ぐことでしたから、しゆよくいったとは言い切れませんね。カーチェイスは余計でした」

 パトカーに乗っていた警察官姿の多丸圭一・裕兄弟は、あの人たちは本物なのか。実際に兄弟なのかどうかも疑わしいが。

「さて、ある時はとうやかたの主人とその弟、またある時はベンチャーぎよう社長とその弟、さらにある時は警察官コンビ……に身をやつした僕の仲間ということでいいじゃないですか」

 森さんと新川さん。特に森さんの正体がどんどんあやしくなっている。

「お前の組織と、朝比奈さんや長門の親玉は手をにぎり合っているのか?」

「直接的にはノーです。ただし、いつの間にかあんもくりようかいができあがっていて、知らず知らず無言のれんけいを取っている場合はあるようです。僕にもよくわからない世界になっていましてね、いまや『機関』そのものが意志統一にほど遠い有様なんですよ」

 路地裏を歩き続けながら、古泉は片方のかたをすくめた。

「一部の意見としては、宇宙人や未来人なんて本当はいないんじゃないかという極論もあるんです。長門さんや朝比奈さんは自分が宇宙人もしくは未来人だと思いこんでいる気の毒な女の子なのではないか、と」

 いまさらそれはないな。保証書をつけてやってもいい。

「しかし、長門さんのほうのような力や朝比奈さんの時間移動能力、それらすべては涼宮さんが発生させたものであって、そして彼女たちはそれぞれ自分たちが宇宙人あるいは未来人だと思いこんでいるだけだったとしたらどうでしょう」

 そこまで言っちまったら、どんなことでもアリだろう。

「あるいは神的な能力の持ち主は涼宮さんではなく、別のだれかなのかもしれません」

 古泉は皮肉めいたしようにシフトしたつもりかもしれんが、俺にはいつもの爽快ハンサム顔にしか見えん。

「台風の中心部は晴れていますが、周辺部は暴風雨にさらされています。少し外れたポイントにいてがいへきから真ん中を見下ろすような立場の人がいるかもしれません。いつも、いそがしく立ち回るのはあなたでしょう? もし自分がきやくほんなら、そんな疲れる役を自分にりますか?」

 古泉得意のあやふや解説だ。借りもあるので静かに聞いておいてやろう。聞いたことを覚えているかどうかは確約しきれないけどな。それができるんなら俺の成績はもっと小マシなものになっている。

「正直なところを言わせてもらえば、現実問題、僕も少数派になりつつあるんですよ。どの意見に帰属するのかと問われたら、僕はまず第一にSOS団を思いかべてしまいます。僕の所属団体はいまや『機関』よりもあそこであると感情がうつたえかけているのですよ。だから、こうも思います。もし『機関』からあたえられた使命がSOS団の利益をそこなうような場合、果たして僕はかつとうなどするのだろうかと、ね」

 長々と演説したところで俺はちようしゆうを続けてやる気構えだったのだが、こんな時に限って古泉は心情を短くすませ、ひらりと手を振って歩き去った。



 俺は自宅にもどり、シャミセンとシャミセンの毛が散らばる部屋のゆかに座り込んでうでを組んだ。

 あささん(みちる)のやることは終わった。朝比奈さん(小)はこれからだ。そしてだ、俺のやることもまだあるというわけだ。

 手元に未来通信♯6が残っていた。

『すべてが終わったとき、あの公園で』

 朝比奈さん(みちる)を元の時間帯に戻したのが♯5なのだから、次はこの♯6に従うだけだ。しかし、さてと。

 本当にすべては終わったのか? まだ何かあるような気がしてならないんだが、どうしてこんな気分になっているか自分でも解らない。メザシの小骨みたいなものが頭のどこかに引っかかっている。

 インプットのない頭をいくらひねっても答えは出そうにないので、届けられた朝比奈さん(大)の手紙を全部読み返してみた。どれも未だ意味不明で、俺たちのこうにどんなメリットがあるのかさっぱりだ。だったが。

「そうだ。これ一つが例外なのか」

 俺が取り上げたのは三通目の指令文書だった。

『山へ行ってください。そこに目立つ形をした石があります。その石を西に向かって約三メートル移動させてください。場所は、その朝比奈みくるが知っています──』

 これだけが、ハルヒの動きと連動している。SOS団全員で同じ場所に立ったのはここだけだ。無益な宝探し。何も出てこず、出ないことの解っている……。

 もう少しで何かつかめそうだったが、妹が晩飯のたくしゆうりようを告げに部屋に飛び込んで来たため、ひっかかりを残したまま俺は部屋を出るハメになり、に入って頭を洗っているあたりで考えていたとっかかりすら忘れてしまい、よくそうの熱い湯にあごまでかっているころには今日は早めにちまおうということしか頭になかった。

 だが、本日最後になってまたしても指令がやってきた。未来人からではなくハルヒから、ばこ通信の代わりに妹が電話を持って。

「キョンくん、電話ー。ハルにゃんからー」

 浴室の戸を勝手に開いてやって来た妹が俺に電話の子機をわたす。俺は手を振って妹を追い出しながら、受話器を耳に当てる。

「もしもーし」

『あ。ひょっとしてお風呂にいんの?』

 ハルヒの声が浴室にこだまする。その通りだが、変な想像をすんなよ。

『しないわよ、バカ。そんなことより、明日、また駅前に集合ね』

 どうしてこんな時間にいきなり言い出すんだ? 昼の別れぎわにでも言えばいいものを。

『いいでしょ。こっちにも都合ってものがあるのよ』

 お前の都合以外に何かあったためしなどあったか?

『いいからっ! ああ、でも集合時間は昼過ぎでいいわ。うーんと、午後二時ジャストね。あんたは何も持ってこなくていいわよ』

 あんたは?

『こっちの話よ。いい? 明日の二時だからね。来なかったらメッチャこうかいすることけ合いなんだからね、時間厳守よ時間厳守、いいわね!』

 早口で言うだけ言って、さっさと切るのがハルヒの電話作法だ。俺は子機をにぎったまま風呂を出て、バスタオルで身体からだきながら考える。

 やっぱりまだ残っていたわけだ。今度は何だ。二月のハルヒはアンニュイモードから始まって、節分、宝探し、二日連続不思議探しと来て、これで最後か?

 待てよ、どうして朝比奈さん(みちる)は言わなかったんだ。俺が彼女から聞いたスケジュールに明日の駅前集合は入っていない。朝比奈さんは無関係なんだろうか。知らなかったから言えなかった、または知っていても言わなかったか。

 そんな歴史なんかなかった、ってのはかんべんして欲しいぜ。



 もちろん言われた時間に言われた場所に行くのは習性以上に条件反射となっており、その日の午後二時五分前に駅前にやって来た俺を、すでに全員がそろって待っているのは冬の次に春が来る以上につうの現象だった。

 めずらしくもハルヒは俺の時間前こくとがめることをせず、きつてんに向かうこともしなかった。行ったのはバスターミナルであり、俺はハルヒに背を押されるようにして北へ向かうバスに乗り込まされた。

 気になるのは朝比奈さんが小さな欠伸あくびを連発しては、あわてて口元をかくす仕草で、よく見たらハルヒもそくなのかしばしば目をこすっている。しかし俺が見ているのに気づくとキッとにらみ、口をアヒルにして窓の景色に顔を向け、景色はどんどん緑がくなっている。

 俺たちを乗せたバスは山を目指していた。先日、宝探しに鶴屋家の山まで行ったものと同じみちのりだった。

 降りた停留所も同じだ。そして、また同じルートで鶴屋山山頂を目指すのかと思っていたら、

「こっちから登ると遠回りなのよね。もともと裏道だしさ。南のほうに回って、そっから登るのよ」

 ハルヒがハキハキと歩き出し、朝比奈さんと長門も二度目の登山に何の疑問も持っていない足取りで続く。古泉はしばらく顎をいていたが、

「さあ、行きましょう。ここまで来たら引き返せないのは僕もあなたも同じです」

 わけのわからんこと言い、くっくっとはとみたいな笑い声を上げた。

 ハルヒは山のふもとをぐるっと周回するように南を目指している。どこに行きたいのか、俺にも解り始めた。何度か来たことがある。ごく最近、二日連続で。

 広がるのは山以外にはれた田んぼと畑のみ。一度目、俺は朝比奈さん(みちる)とこの道を辿たどって山を登った。二度目、SOS団全員でこの道を下りてきた。

 あのひょうたん石のある場所、そこへ至る最短きよけものみちに、ハルヒは先頭を切って入っていく。

「なるほど、道理でだ……」

 俺が石を移動させた日、朝比奈さんにしては道案内がしっかりしていると思ったんだが、こうして何度か辿った道だからだったんだ。

 その朝比奈さんはハルヒに手を引かれ、危なげな足つきで山を登り、長門が後ろで転落防止係を務めてやっている。

 すぐに例の場所にとうちやく、ハルヒは中腹の平地部分にぴょんと飛び出すと、お気に入りのであるように、ひょうたん石の上に座った。

「キョン、古泉くん、宝探しだいだんよ。考えてみればさ、一日がんばっただけであきらめちゃうのはねばりがなさすぎるってものよ。やっぱ、見つかるまでやんないと、宝探しってのはそういうものよ」

 ごくじようみを見せたハルヒは、コートのポケットから園芸用のスコップを二つ取り出し、俺と古泉に向けて放った。

「本当はこの前みたいにシャベルですみずみまでり起こしたいんだけど、特別にそれで許してあげる。それから掘るところも一つだけ、ここよ」

 自分の真ん前、つまりひょうたん石のすぐそばを指差している。三日前、俺と古泉が二メートルも掘った部分とまったく同じところだ。そこはもう掘っただろう、と俺が言う前に、

「なくしたと思ってた物がいつの間にか一度探した場所にもどってることってよくあるじゃない? 宝も似たようなものよ。探し物は、何度となく同じ所を探して見るものなわけ。あたしがあるって言ってるんだから、あるわよ」

 はなさかじいさんが飼っていた忠犬よりも確信に満ちあふれているハルヒだった。どういうわけか、朝比奈さんもうんうんと笑顔でうなずき、変わりないのは長門だけというじようきようで、俺がスコップを手に何もしないでいる道理もなく、やっと俺は古泉が今かべているしようの意味をさとり始めていた。

 掘り進めるのに時間も手間もかからない。事前に掘り返されていた土はやわらかく、小型スコップでもゆうであり、深さもまたさほどではなく、ものの一分でスコップの先が固い物にぶち当たった。

 ハルヒのニヤニヤ笑いを浴びながら、俺は土をかき分けて掘り当てた物を地中から取り出した。四角い箱はどうみてもげんろく時代のものではない。センベイかクッキーだかのかん製入れ物だ。三日前に俺と古泉が探したときにはこんなものはなかった。この三日間でだれかがここにめ直した物にちがいなく、誰が埋めたのかは考える余地もない。

「あけてみなさい」

 と、ハルヒが言った。小さい葛籠つづらを選んだお爺さんを見るすずめのような顔で。

 俺は缶に手をかけ、パカンとふたを外した。

「…………」

 黄金でも小判でもなかった。だが宝物と言ってクレームが来ないくらいの物には違いないだろう。

 はなやかな包装紙でくるまれ、れいにラップされた小さな六つの箱が入っていた。リボン付きなのは言うまでもない。

 そしてやっと、本当にやっととしか言いようがない。

 俺は今日が何月何日なのか思い出した。というより気づいた。ある意味、七月七日より重要な日付だ。一部の男子学生にとっては。

 今日は二月十四日である。

 つまり、バレンタインデー。



「手作りなのよ」

 ハルヒが横を向きながら説明する。

「昨日の昼から夜までかかっちゃったわ。あたしとみくるちゃんと有希で、有希の家で夜なべしたのよ夜なべ。本当はカカオから作りたかったんだけど無理言わないでって感じよ。だからチョコレートケーキにしたわ」

 包装にってあるシールに三人の手による文字が書いてある。三つずつ、俺の名前入りと古泉の名が記されているもの。

 スコップを置いた古泉は、ちようめんに手をはらって箱の一つを手に取った。「古泉くんへ みくる」と書いてあるからそれは朝比奈さんが作ってくれた宝物だ。

 ハルヒはかんじゆうのように、

「そりゃもう作ったわよ! やってるうちに楽しくなってけっこう張り切っちゃったりもしたわよっ、けどいいじゃないのよ、あたしはイベントごとをことごとく押さえてないと気になって上の空になっちゃうし、正直言って『けられたとおりにハマってるんじゃない?』って思ったりもしたけど、それがどうしたって? いいのよ、こんだけ広まってる風習なんだから、わざわざおさんいんぼうろんを唱え出すヤツのほうが寒いわっ! いいの! あたしも有希もみくるちゃんも楽しかったからね! ホントはとうがらでも入れようかと思ってたんだけど、しなかったけど、何よっ、その目っ!」

 いや、なんでもねえ。ただただ、ありがたい。本気でそう思うんだ。なんせ俺は今の今まで今日が世の男どもにとってみようにソワソワする日であることを完全に忘れていたんだからな。覚えていたら気のいたリアクションを前もって考えておいたんだが、純然たる不意打ちをくらって女子団員三人の誰にも何も言えん。けいみような受け答えも照れかくしのとうかいもアドリブでは難しいんだ。たぶん俺にはそれをするだけの人生経験が足りてないんだろう。

 体中の力がけていく。すべてのなぞが解けた気がした。二月に入って挙動とじようちよのおかしかったハルヒ。時間をんでやってきた朝比奈さんが宝探しについては言いにくそうだったこと。谷口のヤサグレ具合とお前はいいよな発言。

 ハルヒはあれだ、ずっとこのことを考え続けていたのだ。バレンタインデーにおけるチョコレートのわたし方。まったく全然、これっぽっちもなおじゃねえ。部室でくれりゃいいものを宝探しとか言い出して穴を掘らせ、その穴に埋め直しておくなんて、どんなヒネクレ者が考えつくんだ。てことは、そうか。鶴屋さんもグルか。つまりは宝の地図もうそっぱちだ。ハルヒが簡単に宝をあきらめたのは、そんな宝など最初からまっていないのを知っていたからだ。ハルヒにとって宝と呼べるものは、あの時点ではこれから埋めるものだったんだ。その宝とは、すなわち今俺と古泉が手にしている三つずつのチョコレートで、こんなもののためにハルヒは二月のじようじゆんをずっと不安定に過ごしていたってわけか。長門と朝比奈さんを巻き込んで。

 なんという──。

 バカろうだ。こんなことをかくしたハルヒも、それに気づかなかった俺も。

「義理よ、義理。みんなギリギリ。ホントは義理だとかそんなことも言いたくないのよ、あたしはっ。チョコもチョコケーキもチョコのうちだわ」

 秋の草むらで鳴く変な虫みたいなハルヒの声を聞きながら、俺は気力をしぼって頭を上げた。

 ハルヒがいかり顔でにらんでいる。朝比奈さんはイタズラむすめのようなやさしいみ、長門は無表情に俺の手元を見つめていた。

「ありがとうございます。大切に食べますよ」

 古泉に先をされた。ハルヒはきゅっとくちびるを引き結んでから、

「帰ったらすぐに食べちゃうことをおすすめするわ。晩ご飯の前に一気食いする勢いでね。かみだなかざったりしないでよ」

 ハルヒはぷいとまた顔を横向け、すっくと立ち上がった。

「じゃあもう帰るわよ。イベントは終わったらすぐに席立たないと帰りの乗り物が混雑するんだから。あたしはねむいわ。明け方まで、それ、やってたんだからね。それからてつのままここ来て埋めて、またもどって有希んとこで二時間くらいしかてないの。みくるちゃんも、有希もそうなんだからね!」



 その帰り道だった。停留所でバスを待っている間、ハルヒは俺から最もはなれた場所で明後日あさつてのほうに視線をやり、決して目を合わそうとしない。やれやれ。

 俺はとなりにいた朝比奈さんに小声でささやきかけた。

「本命はなしですか」

「うん」

 どこかさびしそうに、朝比奈さんはこくりと、

「ここでだれかを好きになっても、あたしはいつか未来に戻らないといけないから。お別れしないといけないのが決まってるんです。その時が悲しいでしょう……?」

 なんというマトモな意見だろうか。反論の糸口すら見つからない。かんぺきなまでの正論で、そうであるがゆえに、そのままなつとくするのが躊躇ためらわれるほどだった。

「ずっといればいいじゃないですか」と俺は言った。「この時代だってそんなに悪くはないでしょう。未来にはたまに里帰りすることにして、住民票をこの時間に移しちまえばいい」

「うふ、ありがと」

 朝比奈さんはゆるやかに微笑ほほえんで、思わずうばいたくなる唇をほころばせた。

「でも、ここはあたしの生まれた時間じゃないんです。故郷はあっち、未来なの。いいえ、あたしにはここは過去。お客さんなだけ。未来がわたしの現在で、自分の家。いつか帰らないといけないところです」

 たけとり物語だな。どんな対策を講じても止めることができず、その時が来たら地上から去ってしまう。それは彼女の居場所がそこではなかったからだろう。俺だってそう思うかもしれない。百年前に飛ばされたりしたら、最初はものめずらしくてもそのうち文明の利器がなつかしくなるにちがいない。なまでに動きまくるグラフィックばりばりのゲームをしたいし、コンビニでチキンカツ弁当を電子レンジで温めてもらいたいし、けいたい電話で無意味なメールとか長電話だってしたいさ。何よりも、自分の部屋でダラダラと寝っ転がりながらゆっくり自分の時間を過ごしたくなるだろう。

 いくらここで同じことをしていても、朝比奈さんには自分の時間ではないように思えるんじゃないだろうか。なんたって過去にいるわけだ。不自然な場所にいたら、あんまり気も休まらないんじゃないかと想像はできる。

「あっ、でもでも」

 あわてたように朝比奈さんは手をパタつかせた。

「こうしているのが楽しくないんじゃないですよ。とてもやりがあるし、がんばらないとって思ってるんです。本当、キョンくんがいてくれてよかったぁって思ってます」

 うれしいことをおっしゃってくれるじゃないか。ちょっとためしに言ってみよう。

「じゃあ、帰るときに俺を未来に連れてってくれるってのはどうですか?」

 そんなことになったらハルヒがだまっていないだろうから、

「もうこの際全員で未来旅行といきましょう。ハルヒも長門もついでに古泉も連れてってやりゃいいんです。文句は俺が言わせたりしません。ああ、だんだん未来に移住すんのも悪くない気がしてきた」

「ええっ」

 ようせいのようなひとみがあっけに取られたように見開かれ、

「ダメっ、ダメです。ものすごく禁則こうです。そんなこと……」

 しばらく朝比奈さんはおどろいた顔をしていたが、ようやく俺の表情に気づいたのだろう、口をざすと、細いかたらし始めた。

「うふふ、もう。キョンくん、じようだんならもっと冗談っぽく言ってくださいよー。びっくりするじゃないですかぁ」

「すみません」

 そうさ、冗談に決まっている。ここは俺がいるべき時代だ。今までさんざんな目にったり、特に三年前から四年前にかけてせわしなく行ったり来たりもしたもんだが、必ず帰って来ることになったのが今のここであり、SOS団の部室である。高校生活だってまだ一年に満たないし、ハルヒだって現代にまだまだやり残したことをわんさか残しているだろう。あいつが何もかもかんりようする日が来るなんてありえんのかね。だったら、未来にとうぼうはかるにはまだ早すぎるってもんさ。

 朝比奈さんはいつか元いた未来に帰ってしまうのかもしれない。しかしとりあえず、今はまだ帰っていない。それでいい。楽しい時間を連続させていれば、おのずと未来も楽しいものになるだろう。かつて彼女が言ってた時間平面がどうしたというパラパラマンガの、そいつを参考にして言うならば、すべてのページにギャグだけを重ねていって、ラストの一枚だけがホラーになるなんてことはないよな。そんなもん俺はなつとくしねえ。誰だってそうだろ?

 俺は一度、ハルヒたちSOS団の仲間を失って、それから取りもどした。そん時の決意を俺はまだ忘れちゃいない。これから何がどうなるんだとしても、たとえけようがたおれようが必ず前向きにだ。たった二ヶ月前に刻みこんだ決意をあっさりひるがえすほど俺は全方位型のお調子者じゃない。ただし「やれやれ」は除かせてくれ。ありゃ特別だ。

 つまり、いくら安っぽいプライドでもたたき売りにかけるにはもうちょい値が下がってからだということだ。やれやれと首りながらも全力で前に出ていれば、そうとも、セリフなんてどうだっていいんだ。「このバカハルヒ」でもいいし、「俺もつれてけ」でもいいし、長門のように無言でもいい。にんさんきやくで走る際には誰だって相方とあしを結ぶさ。一人で三脚をねるより、五人六脚するほうがまだ簡単だ。

 そのことを、この一週間で俺は強く学んだ。



 駅前と自宅を行ったり来たりする日々だった。だが、それもしばらくはかんかくが開くだろう。とうとう最後までハルヒはそっぽを向き続け、ろくにあいさつもせずに背を向けた。ふんぜんおおまたで歩いていく我らの団長殿どのだったが、さて明日はどんな顔をして教室にいるのかね。

 俺はポケットに収まった小箱の重みを確かめながら、朝比奈さんと長門に謝辞を述べ、朝比奈さんはかえってきようしゆくしたように「黙っててごめんなさい。涼宮さんに固く口止めされてたの」と頭を下げた。なに、長門にすら有効なハルヒの口止めだ、無理もありませんし、だいたいこんな重要行事を忘れていた俺のほうがどうかしている。ここしばらく様々なことがあったとは言え、まるでバレンタインがNGワードにされていたようにすっぽりけ落ちていた。

 自室に戻った俺は、ハルヒの命に従うわけでも晩飯代わりにするつもりもなかったが、いそいそと三つの包みを開けた。とうめいなプラスチックケースの中に、かしたチョコレートでコーティングされたケーキが入っていた。

 ハルヒのが円形、朝比奈さんがハート形、長門のは星形をして、おのおの表面にホワイトチョコで文字が書いてあった。

 ぶっきらぼうに「チョコレート」とそのまんまなことを印しているのがハルヒで、「ぞう」と見事なみんちようたいおどらせているのが長門だ。朝比奈さんのものには「義理」とあり、らしくないなと思いかけたらオマケ付きだった。急いで書いたらしい文章、「涼宮さんにこう書くように言われました」とメモられたキッチンペーパーの切れはしがケースの底から現れる。三人が長門のマンションのキッチンでおおさわぎしているシーンを思いかべながら、俺は三つのおくものを冷蔵庫にしまいに行った。妹が勝手にわないよう、念を押すことも忘れるわけにはいかない。



 が落ちてから、俺は自転車でぎ出した。

 最後のチェックポイントは長門のマンション近く、公園の例のベンチに指定されている。

 暗く無人の公園で、外灯の光にポツンと浮き上がるベンチに先客はいない。チャリをめ、公園に足をみ入れてもまだひとかげは現れなかった。

 冷たいベンチにこしを下ろし、俺はくうに声をかけた。

「そこにいるんでしょう、朝比奈さん」

 ベンチの背後にある常緑樹の植え込みがガサガサと音を立て、ゆっくりとベンチを回って待ち人がやって来た。

「座っていい?」

 もちろんです。話は長くなるかもしれない。

「ふふ、わたしはあまりお話できないと思うけど」

 朝比奈さん(大)のゆうれいな姿が俺の横に席を確保した。冬のよそおいをした大人バージョンの朝比奈さんは、そうして見るだけならいつぱんじんとまるで変わらない。見ている者の目がけそうになるくらいのぼうを除けばな。

 俺は冬の空気を吸い込み、き出しながら言った。

「説明してくれるんですよね」

「どこからにしましょうか」

「俺と朝比奈さんがやった、お使いみたいな初っぱなのイタズラから」

 地面にくぎを打ってかんをかぶせ、気の毒な男性を病院行きにさせた。もう遠い日のことのようだ。

「そうしなければならなかった理由があるの」

 朝比奈さんはななめに向けた顔をあわ微笑ほほえませ、

「キョンくん、想像してみて。もしあなたが何年でも何十年でもかまいません、過去に行ったとして──」

 しんちような口調だ。

「そこで過去の歴史を見ることができたとします。でも、その歴史が自分の知っているものとちがうものだったら?」

「違うものってのは?」と俺は飲み込めない。

「たとえば、あなたが去年の今日に時間こうしたとします。その時の、一年前のあなたはどこにいましたか?」

 たぶん、部屋でゲームしてたかでしょう。だれかにチョコレートもらって浮かれていた覚えもない。

 朝比奈さんは小さくうなずいて、

「その歴史が違っている状態を考えて。あなたが一年前の自分の家に行ったとき、その家にあなたが住んでいなかったらどうですか? あなたも、妹さんも、ご両親もいない。あなたの家には別の知らない家族が住んでいる。そして、あなたの家族はあなたの知る自分の家ではなく、どこか遠いところで別の人生を歩んでいたとしたら……」

 そんなバカな。

「過去に来てみたら、わたしたちの知っている歴史とみようにずれていたら、その未来にいるわたしたちがどう思うかわかる? 過去は常に未来のかんしようを受けねばならないとしたら。そうしないとわたしたちの未来が形成されず、別の未来になってしまうとしたら」

 朝比奈さんの声が少し遠くなった。まるでじゆつかいしているような口調で、

「本来なら生き続けていないといけない人が死んでいる過去。本来なら出会っていたはずの二人が出会わない過去。その過去を放置していたら、わたしたちの未来がおとずれないと解ったとしたら」

 せきりよう感のある微笑みがさらにかげった。

「種明かしをしますね。あなたが置いた空き缶をって足をケガしたあの人、病院でとある女性に出会います。二人はけつこんして子供をもうけ、その子供は次の子孫を残すことになります。それはあの時、あの男性が病院に行ったからなんです。それ以外に出会う歴史はありえません」

 その男性が俺といつしよにいた朝比奈さんを見上げ、微笑ましい表情を作った映像がフラッシュバックする。

「あのおくばいたいもそうです。データをあの状態にして届けることが必要でした。その人はぐうぜんから同じデータを構築することになっていたの。でも、その偶然の目がこの過去にはなかったんです。もしかしたらまつしようされていた。だから送る必要がありました。できるだけ偶然をよそおう形で」

 だんに落ちていた記憶メディアを誰かが拾い上げ、たまたま適当なあてさきを書いて送ったところがその人だった──とか、と彼女は説明した。

 俺は二の句がげない。そんな偶然があるわけがない。おまけにあの時には、変なろうが現れてデータをわたしまでしてくれた。あいつがじやしていたらどうする気だったんですか。

「彼は邪魔をしません。そのデータは彼の未来にも必要だったものです。だから彼もこの時代に来ることができています」

 朝比奈さんはめいりように、

「わたしたち、未来からはそれは必然でした。でも、あなたやデータをもらえた人にとっては偶然なんです。時間はそういうふうにできているの」

「…………」

 頭がくらくらしてきたのは、俺のイマジネーション可能領域を軽々とつしているからだろう。

かめとあの子が出会ったのも偶然です。あの子はあの時、二人の男女から亀をもらったことをずっと覚えていました。男の人が亀を川に投げ入れたとき生まれたもんや、ぼんやりと流れていく波紋。亀は長生きして、あの人はその亀を見るたびにその様子を思い出すことになります。それがきっかけになって、そうね、一つの理論が生まれます。別の要素がたくさん組み合わさった結果なのだけど」

 おそらく──と俺は目眩めまいとともに想像をやくさせる。あの少年はタイムマシンの発明者か何かになるんだ。あわやの交通事故にゼニガメ。俺の手が未来を変えたわけか。あの少年の未来と、この世界の未来を。俺がやったちっぽけな働きのおかげで……

 出しけに別の記憶がよみがえった。文化祭の数日前、映画のクライマックスに四苦八苦していた俺に、長門が言ったセリフだ。

『未来の固定のためには正しい数値を入力する必要がある。朝比奈みくるの役割はその数値の調整』

 俺の記憶力も大したものだが今は感心している場合ではない。ここで最も気になるフレーズは、未来の固定のため、ってところだ。固定するも何も未来は一個だけだろう、という心境には、はやなれない。

 たぶんだ。確信がないのでまだ明確には言えない。だが俺のどうさつりよくは次のように答えを打ち出して、ただしクエスチョンマーク付きでのうけめぐっていた。

 未来は固定されていないのか?

 て、ことは、朝比奈さんのものとは別の未来がどこかにあるってことなのか?

 そう考えるとわずかになつとくがいく。わずかだぜ。だが、未来が枝分かれしているというのなら、つまりだ。あの眼鏡めがね少年が生きている未来と死んでいる世界の二つがあってもおかしくない。でもって、俺はあの時、後者の可能性を消してしまった。

 ようするに俺は一つの未来をかたうで一本でまるごとしようめつさせてしまったのだ。

 正解かどうかは知らん。そんな推測も成り立つと言うだけの、ここで『読者へのちようせんじよう』をそうにゆうしたらドアホと言われるだけのモロモロなばんだが、いったん思いついたもうそうは簡単には去ってくれない。俺はぼうぜんとし、さらにぜんともした。ほかにどうしようがある?

ぶんてんがこの時間帯に集中していました。たいていはどちらの道を進んでも同じ未来になるんですが、あなたがこの数日でしたことだけは必ず分岐先があるんです。ちがう未来に続いていた……」

 優美な声がうすくなったように感じる。

「近いうちに、もっと大きな分岐点がやってきます。とても強力な未来……。そちらが選ばれてしまうと、わたしたちの未来は……ええと、あまりよくないことになっちゃうかも」

 何故なぜ身体からだの動きがにぶい。朝比奈さんのほうを向こうとしているのに、くそ、顔がみようこわっている。

「でもだいじよう。わたしは信じているから、ね?」

 俺の意識がかすみ始めた。モヤの中に見たことのある文字と線がうずいている。ホワイトボードの絵が頭の中で駆けめぐった。二つのXが渦の中に見える。古泉の仮説。X時点は二つある。

 過去を完全に消し去ることはできない。修正された歴史は元の時間に上書きされる。

 そして俺には別の思い出もあった。あのループする夏休みだ。俺たちは何万回も同じ二週間をり返していた。

 しかし、長門を除いて最後の二週間しか覚えていない。そのほかの何万回はなかったことになっている。なら、すぐに答えは出るじゃないか。

 過去はなかったことにできるのだ。事実として過去があろうがなかろうが問題にはならない。確かにそれがあったのだとしても、だれも気づかなければないのと同じだ。そのためには──。

 おくを消せばいい。

 十二月十八日から二十一日の間、俺があちこち走り回って三年前にんだり朝倉にされたりしたという記憶をまつしようされて、ただ病院のベッドで目覚めたとしたらどうなる? 俺はきっと、古泉の説明通りに階段から落ちて頭を打ったひように三日間の記憶そうしつになっていただけだと思ったことだろう。

 文芸部少女となった長門や書道部の朝比奈さんやポニーテールが異常に似合う他校のハルヒやいつぱんじんした古泉の記憶を、まるごと消されていたとしたら、時間のループやタイムトリップの整合性なんか気にしなくてすんでいた。

 だが、それでは不都合だった。

 十八日の未明、朝倉のいちげきひんになっていた俺は未来から来た俺たちを見て、もう一度俺がその時間に行かねばならないことを知った。異常化した長門を直せるのは三年前の長門だけで、実行したのは先月一月二日の長門。それだけは必要だった。

 そして時間は上書きされた──。

 寒気を感じる。ハルヒはそのことを知らない。谷口や国木田もそうだ。知っているのは俺と長門、朝比奈さんと伝聞情報のみの古泉だけだ。

 だとしたら、俺がハルヒの立場に置かれていた可能性がないとは言えない。俺の知らないところで歴史が書きえられていたとしても、仮に知ったのだとしても、その記憶がなければ事実もないってことになる。

 それどころか、今こんなことを考えている俺が、別の時間じくによって上書きされる可能性だってあるんだ。今の俺はなかったことになり、別の俺が未来に向かって進んでいく、そんな時間軸が。

 病室で聞いた長門の言葉が蘇る。

 ──あなたからがいとうする記憶を消去した上で

 ──そうしなかったという保証はない

 一週間後から来た朝比奈さんは、一週間以内に自分と出会ったことはないと証言してくれた。だから俺ははちわせしないように苦労したのだ。だが万が一、出会っていたとしても大した問題ではなかったかもしれない。

 なぜなら、この時間にいた朝比奈さんからその記憶をうばい去ればいいだけだ。そうした上で一週間前に時間こうさせれば、会おうが会うまいが結局どっちでもよかったことになる。

 腹の奥で暗い情動がふつふつわき上がる。先月、病院のベッドで情報統合思念体に感じたものと同じ感情だ。今度のほこさきは朝比奈さん(大)へ向いていた。

 この人は過去の自分を、朝比奈さん(小)をいいようにあやつっている。朝比奈さんをいつまでもオロオロしがちなたよりなく可愛かわいい上級生のままにさせている。ああ、そうでないとダメだというのはわかるさ。かつての自分の経験した歴史をそっくりなぞらせる必要性も理解する。過去に対する未来のたいこうと古泉は言った。でも、もう少し何とかならなかったのか。

 首から顔にかかっていたじゆばくが解けた。横を向くのに一時間もかかったような気がする。俺は思いつくままのセリフを言おうと口を開き、そこに誰も座っていないことに気づかされた。

 朝比奈さんが俺の横から消えている。弱々しい外灯が照らしているベンチには俺しか座っていない。ただ、朝比奈さんの身代わりのように小さな箱が置いてあった。

 包装され、リボンのかけられた正方形の小箱。

 メッセージカードがついていた。あかりにかしてみる。ただ一言、『Happy Valentine』。

 何のへんてつもないチョコレートだった。未来のお的な形も味もしない。朝比奈さんの時代でも菓子作りのレシピがそんなに変化していないのか、この時代に合わせてくれたのか。

「だけどな、朝比奈さん……」

 これで簡単にかいじゆうされたとは思って欲しくはないぜ。今日は今までとはけたはずれに情報を提供してくれたが、それでもまだ不十分だ。自分のゆうかいは言わずもがなと思ったのだとかいしやくしてあげてもいい。しかし、バレンタインのからんだハルヒの宝探しとひょうたん石に関しては、あえて言わなかったとしか思えない。そうさ、あれだけが全然無意味なんだ。ハルヒはどこにチョコレートをめてもよかった。あの石の近くでなければならないくつなんてない。俺に石を移動させる理由もない。

 それとも朝比奈さん(大)、これもあなたの読み通りですか? 今から俺がしようとしていることも、すべてあなたの規定こうなんでしょうか。

『すべてが終わったとき──』

 どうやら今日じゃなかったようだ。いつかそのうち、その日に俺はまたここに来る。いっそのことSOS団全員で押しかけてやろう。ハルヒや古泉に説明する言葉を今のうちに考えていて欲しいものだ。俺にはオブザーバー役しかできないだろうからな。



 俺はその場で電話を一本かけた。

「もしもし、あ、鶴屋さん? 俺です。ああ、みちるさんなんですけどね、自分の家に帰りました。鶴屋さんにくれぐれもありがとうと、借りた服は必ず返し……え、そうですか? それと、あのですね、明後日あさつてあたりにあなたのよく知っている朝比奈さんが意味もなく謝るかもしれませんが、聞き流しておいてください。それで彼女がはなれに残した北高の制服がありますよね、それ、明日、学校に持ってきてくれませんか。ええ、俺んとこに。放課後までに」

 ここまではただの報告だ。俺は鶴屋さんの『あーい』という明るい合いの手を聞きながら、息を整える。

「それからもう一つ。こっちが本題です。鶴屋さんのあの山、宝の地図の山ですが。ああ、そのことならいいです。ハルヒも回りくどい手を使ったものだと……。ええ、もらいましたよ。四つ、いや三つね。まったく楽しいイベントでした」

 鶴屋さんの上げる笑い声をさえぎり、

「その宝の地図の話でもあるんです。あの山の南、田んぼのわきから登ってく道があるんですが、知ってます? それなら話は早い。そこを登ってすぐに平らになっている部分があるんです。それも知ってますか。じゃあひょうたんみたいな石があるってことは? うん、実はあるんです。でですね、その石が置いてあるところから、東に三メートルほど行ったところをってみてください。おもしろいものが出てくるかもしれません」

 もんのついた応答をする鶴屋さんに、

「俺にも確証はないんで百パーセントじゃありませんが。でもありそうな気配なんですよ」

 もし俺が石を移動させておかなければ、ハルヒは目についた石を目印にしてその場を俺たちに掘らせただろう。そして何かを見つけたかもしれない。見つかるはずのない何か。見つけてもらっては困る何かを。

 西方向へ三メートル。俺が石をかかえて歩いたきよだ。たったそれだけ。

 鶴屋さんに適当な生返事をしておいて、俺は電話を切った。

 せめてものていこうさ、朝比奈さん。俺はあなたも未来も出しくつもりはないが、それでも何かをやってみたい時だってあるんだ。

 ハルヒほどぼうじやくじんではないにしろ。

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